・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2002年1月2日〜7日
三重県阿山郡伊賀町柘植町、都美恵窯 展示室
URL http://homepage1.nifty.com/tumiegama/


南北統一の壺と
南北交流の壺を展示します。

都美恵窯は
「伊賀まちかど博物館」
でもあります。
クリック!


南北統一の壺もの語り (w: y.tomiyama)
 「世界陶磁器エキスポ2001大韓民国」会場の一つであった利川(イチョン)市で、
地元の陶芸家達と故三木武夫首相夫人の睦子さんが中心となって、今
年2001年9月13日に朝鮮半島の南北の土を使った「南北統一の壺」を制作した。
 10年前の最初からこの「壺」つくりに関わってきた私には、信楽高原鉄道事故とこの
11日に生じた米国テロ事件とによって、より一層思い出に残るイベントとなってしまった。
 1990年12月、日本に関係する人たちによる異業種交流会がニューヨーク
で開催され、南北コリア統一のための芸術運動が企画された。
 91年1月、信楽世界陶芸祭に世界平和を願って、「南北交流の壺」の企画案
が出され、特別枠の5月26日のファイナルイベントで国際連合へ寄贈と決定し た。
 その事務局を担当していた大阪市生野区在住の洪 彦義(ホン オニ)さんが
91年早々に三重県伊賀町の私の陶房に来られ「南北交流の壺」の制作を依頼された。
 当時ニューヨークで日本の大手広告会社に勤務していた私の友人からの紹介であった。
 だが91年5月14日に起こった信楽高原鉄道列車事故で、世界陶芸祭そのも
のが中止となってしまい寄贈は延期となった。
 しかし同年10月、私が二個制作した「南北交流の壺」の一方は、
国際連合東京事務所での寄贈となった。
 さらに私が92年1月から95年1月までの3年間、JICAのシニア海外ボラン
ティア第一号として南米のパラグァイに陶芸指導に行くことになってしまい、そ
の間信楽への寄贈はお預けとなった。(その体験記は「世界はワシらを待ってい
る」として98年に風媒社から刊行された。)
 だが私が不在の3年間には「南北交流の壺」イベントは、洪 彦義(ホン オニ)さんに
よって大阪、益子でも開催された。その時に三木睦子さんとの知遇を得たという。
 既に帰国していた95年9月には、東京の三木武夫記念館でも「南北交流の
壺」イベントを開き、11月には「南北交流の壺」フォーラムin信楽を開催し、
三木睦子さんに特別講演をしていただき、ようやく第二作の壺を信楽町に寄贈した。
 以上不完全燃焼気味だったのだが、私にはもうこれでやれやれと言う感ではあった。
 しかし今年の「世界陶磁器エキスポ2001大韓民国」に信楽の再現を何とか
できないかと考えた洪 彦義(ホン オニ)さんは、「南北統一の壺」と名称の
バージョンアップをして企画を練ったのであった。
 そして三木睦子さんを団長とする「南北統一の壺」作陶会(顧問 國弘 正雄
さん 元三木内閣外務担当 元参議院議員 )を日本で立ち上げ、GESTに保坂展
人(社民党衆議院議員)さんらを交えて、私がスタッフの一員として今回参加した。
 エキスポは10月28日まで開かれ韓国の陶芸家の窯から出た「南北統一の
壺」が、最後の大きなイベントとして、有終の美を飾ったと言うことだ。
 そして日本では11月28日に三木武夫記念館で「南北統一の壺」の
お披露目会が執り行われた。

スライドは約5秒間です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当サイトのテキスト・画像はフリーではありません。無断で複製・転載することは固くお断りします。
(C)2000-2001 G-Ring Shimonao