名張の小太郎 

天正への旅
 三重県名張市の北西部に茶臼山という小高い山がある。この斜面を上ってゆくと、名張市を一望できる見晴しの良い段々畑がある。藤堂健太は、ここが好きで時々来て何も考えずに景色を眺めている。鴬やメジロのさえずりの中、遠くから近鉄電車の音も響いてくる。

丘の上からは名張川と合流する宇陀川が見え、国道165号線が走る。その向こうには、山を削って造成した百合が丘という住宅地が、色とりどりの屋根を輝かせている。背景には、具留祖山、兜岳、鎧岳が青く霞んで見える。

四方を山に囲まれた名張だが、古くからの交通の要所で奈良と松坂を結ぶ初瀬街道の道筋にある。万葉集にも〈わがせこは、いづく行くらむ沖つ藻の、なばりの山を今日か越ゆらむ〉の一歌が残っている。沖つ藻とは、海のずっと沖に霞んで見える流れ藻のことだ。なばりの山も、奈良の都からは遠く霞んで見える山だった。この山が地名の由来の名張市は、伊賀忍者発祥の地とも言われている。

山裾をめぐる川と、山の水を集めた湖のある静かな町だが、戦国の昔に悲惨な歴史があったことは、あまり知られていない。

 『タタタ、ターン、タッタッタッ、ターン』

いきなり、ルパン三世の曲。

おだやかな風をみだす音は、健太の友達からの連絡だった。ウエストバッグから携帯を取り出すとメールだった。

『健太君。今どこにいますか。AYA』

健太の通っている名張北高校の松尾文からだ。文とは幼稚園、小学校、中学となぜか同じクラスで高校も同じという幼馴染みだ。名張北高校は元男子校で硬派を自認する健太は、ほとんど女生徒とは話をしない。文は健太が話をする唯一の女友達と言ってもいい。

文からのメールなら放っておこうかと思ったが、後でうるさく言われるのも厭なので、リ・メールボタンを押して返信文を書いた。

『ち』変換『の』確定『だ』変換。『茶臼山の段々畑』

続けて定型文で『今は忙しい。後で連絡します。健太』送信。

数呼吸すると、画面は送信確認と表示した。

数分もしないうちに、またルパン三世が鳴った。今度は電話だ。

「もしもし、忙しい健太君?。ちょっと話をしたいんやけどー。今から行くから待っていて」

元気な文の声が聞こえた。

「え。今から」

「そう。今から、じゃあね」

一方的に用件だけ告げると、健太の都合も聞かず電話は切れた。

B型の人間はだいたいこれだ。健太もB型なので、ちょっと自分本位な文の行動はけっこう理解できる。都合が悪ければ、健太の方から断りの連絡があると思っているはずだ。

(今から行く)と言われても来る時間が分らない。携帯で、確認しようとしたが思い直した。

決まった予定がないので茶臼山に来たわけで、自分から時間に縛られるのは何か変だ。ゆっくりと好きな景色を眺めて待つことにした。

木々の間を通って吹くマイナスイオンをいっぱいに含んだ風はサラッとして気持ちがいい。できるだけゆっくり来ればいいと思っていると、またルパン三世。今度はメールで、『もうすぐ着きます』最後にジャンケンのパーの絵文字が点滅している。文の携帯の定型文には、この文章が入っているらしく、このメールが来ると5分以内には来る。

丘の下を覗くと、細い一本道を50ccのバイクが登ってくる。鮮やかな赤のヘルメットをかぶった文のバイクだ。北高の校則では自動二輪は禁止されている。先生に見つかると停学ものだというのに、文はまったく気にしていないようだ。健太は、アゼ道を道路の方に歩きながら大きく両手を交差させた。急な坂を登ってくる文は健太を見つけて、慎重なハンドルさばきをしながら、ぎこちなく左手をあげて停車した。

「健太君。こんなところで、なにしているん」
「別に」
返事は、答えになっていない。
「別にって」
「まあ、何となく。それより文、そっちこそ話したいことって何だよ」

聞き返すと、文は蛍狩りの場所を知りたいということだった。

健太は幼稚園の頃、大阪の八尾市というところから名張に引っ越してきた。名張には赤目四十八瀧や紅落渓という景勝地があり、山椒魚の生息して居る川もある。来た当初は父親が川遊びや虫取りなどによく連れて行ってくれた。蛍狩りもその頃に行った。

「テレビ見ていたら、蛍のニュースをしてたんやんか。それで、思い出したの。健太君のこと」
「えっ、蛍で俺か?」
「きっと暇だから連れてってもらおうかなと思って」
「なんで、俺が暇なンだよ」
「あれー、忙しいの? 忙しい人がどうしてこんな所にいるんや」
(人が忙しいかどうかなんて、放っとけ)と思ったが、文と口喧嘩しても、とてもかなわないからやめにした。

話をしているうちに健太は、(久しぶりに蛍狩りもいいか)という気持ちになってきた。

「そうか蛍狩りか、いいかもな。それで何時がいい」
「今から」
文はとにかくせっかちだ。思い立つと、すぐ行動しなければ気がすまない。電話の後に、すぐバイクを飛ばしてきたのもそんな性格のあらわれだ。
「なに寝言を言うてるんだよ。普通、蛍を見に行くのは夜だろ」
「そんなこと、わかっているわよ。今からちょっと図書館へ行って、それからドラッグストアで虫よけスプレーを買って、ゆっくり行けばちょうどいいんやないの」
「家には言ってあるんか」
「健太君がOKしてくれたら、お母さんにメールするから大丈夫」
「男と二人きりで夜遊びしてもいいんか。お前んちは」
「なに考えてるのん。この、大ばか健太」

5時に百合が丘のサークルKというコンビニエンスストアで待ち合わせすることで話はまとまった。

家に帰ると、健太は台所に直行した。ラーメン鉢にインスタントラーメンを入れ、その上に卵を落として電気ポットから湯を注いだ。このラーメンは即席麺の元祖だが健太はこれが好きだ。特に卵を入れて食べるコマーシャルを見てからは、これにはまっている。鉢の上に皿をかぶせると、風呂場でシャワーを浴びた。このわずか3分間がラーメンを食べごろにする。

腹ごしらえと一応の身支度をして、サークルKに行くと5時ちょうど。とうぜん文は来ていた。ガラスごしに外を向いて雑誌を立ち読みしている。
健太がガラスを指でたたくと、すぐに出てきた。かなり重装備でコンパクトなカメラ用のアルミケースも下げている。
「おい、文。すごいなあ。何が入っているンだよ」

「えーと。カメラにペンライトに蝋燭に軍手に………
「まるで探検隊だな」

健太は自転車で文は例のバイクだ。文について来るように言うと健太は自転車に跨がった。けやき並木の坂を下りてゆくと国道165号線の百合が丘口という所に出る。国道沿いにはスーパーマーケットやホームセンター、ファミリーレストランなどが並んでいる。165号線を左に曲がって走ってゆくと、宇陀川にかかる黒田大橋が見えてきた。この橋を渡ると店の数も少なくなり、道の両側に田畑が続く。宇陀川は国道から離れて、左に大きく弧を描くように赤目という地区の田園地帯を流れる。安部田という所まで来ると川はまた国道に沿って流れはじめる。三重県と奈良県の県境に近い鹿高を通り過ぎると、道は両側面を山にはさまれた狭い谷合に入り、そこを国道、宇陀川、近鉄電車の三本が重なるように走る。
文のバイクが健太を追い抜いたとき、後ろから声をかけた。
「文。その三太夫の手前の橋。そこ渡って」
三太夫というのは、ここが生誕の地と言われる伊賀忍者、百地三太夫にちなんだ名前のレストランだ。かやぶき屋根の古い家屋を移転したものらしいく伝統を感じさせる黒光りした建物だ。健太は入ったことはないが、夜になると門前の駐車場で篝火を焚いている。
車一台がやっと通れる橋を渡り、頭上を近鉄電車が走る小さなトンネルをくぐると、雑木に囲まれた遊歩道のような道に入る。別荘のような建物が点在する道沿いに幅5メートルほどのきれいな川が、右になり左になり流れてゆく。
「文、この道を川沿いに行くだけなンだ。竜口という所の手前に、蛍のいる所がある。OK?」
「判った。ねえ健太君、この川どこから流れてきているん」
「これか。これ〈あじょうずがわ〉って言うンだけど、室生の西谷という所につながっていると思うンだ」
「へーえ。どんな字を書くの」
「阿は阿弥陀如来の阿。ジョーズっていうのはサメ、じゃなくて清い水。京都に清水寺ってあるだろ。あの清水、それと川」
「阿、清水、川か。蛍の居る川だけあって、キレイな名前やん」
校則を破ってバイクに乗ったり、髪を染めたりしているが、文の成績はトップクラス。特に国語や歴史は得意科目なので阿清水川もすぐに覚えたようだった。
「文、あんまりスピードだすなよ。俺は自転車だってこと考えてくれよな」
「貸しきりの道路やから、つい快走しちゃうんよ。じゃあ健太君、先に行って。文、ついて行くことにするし」
 阿清水川沿いの道は、すれちがう車も人もいない。文のバイクはグンとスピードを落とし健太のマウンテンバイクに並んだ。
「この上流に百地三太夫が住んでいた、竜口の百地屋敷があるはずなンだ。文も知っているA組の百地龍太郎もこのあたりから通ってきているンだ」
「それじゃ、龍太郎君は忍者の末裔かもしれへんね」

百合が丘を出てから約1時間。今の時期は7時ぐらいまで明るいが、6時をまわると、太陽は山の陰に隠れてしまう。青かった空が、いくぶん白さを増してきている。
「健太君、まだ遠いの。ちょっと涼しくなってきたみたいやね」
「俺は暑いけど。 お前、恐くなってきたンじゃないか?」
「冗談いわんといて。あとどれぐらいか、ちょっと聞いてみただけやん」
空が大きく開けた所はいいが、両側を杉木立に囲まれた道は暗く寂しい。
文は少し涼しくなってきたと言うが、健太はそれどころではない。道は平坦に見えても、山に向っているのだから上り坂だ。それにマウンテンバイクと言っても、懸賞で当たった景品だけに3段変速しか付いていない。長い上り坂となると会話も途切れがちになる。
「ちょっと健太君、止まってくれへん」
「なんだよ」
「ちょっとジャケット着るわ」
健太は汗だくだが、文は陽が陰って肌寒くなってきたらしい。バイクのエンジンを切ると、座席の収納部から明るいレモンイエローのジャケットを取り出し、黒いTシャツの上から羽織った。
朱色がかっていた雲の色も、いまは青紫に変わっている。
「ねえ。健太君まだ」
「あとちょっと。5分ぐらいかな」
 再出発して少し走ると、川幅が広がり、それを横切るコンクリートの橋が見えてきた。健太が父親につれてきてもらった蛍狩りスポットだ。

健太はマウンテンバイクを降りると立ち木に立てかけた。文も橋のたもとにバイクを停めて、ヘルメットのゴーグルをあげた。
「あっ。一番星!」
いつもの活発で気の強そうな文が、今は少し違う。やはり、日暮れの山の中は寂しいのだろうか。健太は、ちょっと元気づけてやることにした。
「文。あそこ、あそこ、二番星。三番星、四番星、五番星。梅干!物干し!………
「健太君? あんなに下の方にも星があるよ」
冗句を無視した文は、川向こうの林を指差して言った。
「あんな下に空はないよ、文。あれは星じゃなくて、ホ・タ・ル」
「えー? 蛍なの。星と同じ色ね。あっ」
突然、文は目眩を起こしたようにふらついた。

蛍をじっと見つめていると、目眩がする。健太も初めてこの川で蛍を見た時、文と同じように目眩を感じたことを思いだした。

いきなり、健太は理科の先生になった。
「大丈夫、大丈夫、目眩だろう。いいか、松尾文君。蛍は真っ暗な中で、あっちへ、こっちへと飛んでいるのです。蛍が見えているということは、蛍の動きに文君の目の焦点を合わせているわけです。暗くて距離感のつかめない中で、動いている蛍に焦点を合わせると、自分の身体が揺れたように感じるわけです。動かないものを見れば治りますよ。」
健太は国語や社会より数学や理科の方が得意だ。理論的に説明するのもうまい。

「あー、ほんとだ。健太君を見たら治まった」

少し文の元気も戻ってきたようだ。

「文。ペンライト持っていたよな。ちょっと貸して。もっと沢山蛍が集まってくる所へ行こう」
「ちょっと待って。え〜と。ペンライト、ペンライト。ローソクじゃだめ」
「だめじゃないけど、風が吹くと消えちゃうから。やっぱ、ペンライトの方がいいな」
「あった、あった。はい、これ」
文は、アルミ製のカメラバッグからペンライトを探して健太に渡した。
「この下の川原に行くからな!」
「暗いけど。危なくない」

阿清水川にかかったコンクリートの橋の手前に、草がはえていない所がある。ここが川への下り口だ。健太は、自分のベルトにつかまるように言うと、文が足をふみ外さないように重心を後ろにおいて、ゆっくりと下りていった。
道と川の高低は3メートルもないが、川原に下りると景色が一変した。
「うわ〜っ。スッゴッイ」
道の上からポツリ、ポツリと見えていた蛍が川原では群れて飛んでいる。蛍の放つ光が川面に反射して、川の上に川があるようだ。いくつもの群れが、二重の光の帯になって流れていた。
「凄いな。俺もこんなの初めて見た。文もラッキーだなー」
健太の声も上ずる光景だった。
上流からも下流からも、ますます蛍は集まってくる。川一面が蛍でうめつくされ、光りの奔流になっている。
やがて、蛍の群れがゆっくりと円を描きはじめた。一ケ所に向かって集まっているようだ。
ほんの数分間で、まぶしいほどの薄緑の光の壁ができあがった。
真っ暗な中に、ただ一ケ所だけの明るい壁。ポワー、ポワーと脈を打つように光が鼓動している。
健太と文は、吸い込まれるような感覚に襲われた。
「健太君。光のトンネルみたいやね。何か不思議の世界を見ているようや」
「本当だ。昼間のトンネルの逆みたいだ」
「健太君。あの光のトンネルの中に入ってみない」
「行ってみようか」
健太と文は蛍のトンネルに誘われ、光の中に消えていった。

「これ、小太郎。起きさ。いつまで寝ているんや。もう明るいよってに、はよ起き。今日は村のもんらと、水神さんの掃除をせんならんやろ」
健太の耳もとで何やらうるさい声がする。
「おまえはここの総領やし、はよ行かんとな。朝餉の用意はでけてるよってに、はよ食べさ」
「はよ、はよ、はよ。うるさいなあ、モー」
頭がボーとしている健太が、寝言のように口ごたえをした。
「牛じゃあるまいし、なにをぐずぐず言うてるんや。小太郎、はよ起き」
健太は少しずつ目がさめてきた。自分を呼んでいるようにも聞こえる。

(小太郎? 小太郎ってなんやろ?)
夢の中のようだがそうでもない。身体を少し起こし呆けていると、まだ耳もとで誰かが、小太郎、小太郎と呼んでいる。
「あーっ、ほんとにやかましいなあ!ええかげんにしてくれ!小太郎さん、起きたって。やかましくて寝てられんわ」
健太は、目をこすりながら小太郎を探した。まわりを見回しても、それらしい人間はいない。
「小太郎!寝ぼけとったらアカン。しっかりせんと」
知らない女の人が、起きろ起きろと健太の顔を見ている。健太は不思議そうに女の姿をなめまわした。
「これ小太郎、お母ちゃんを忘れたんか。ほんまに情けないわ」
(お母ちゃん?)何がなんだかわからない。健太は頬をつねってみた。何も変わらない。どうも夢ではなさそうだ。
「やっと目がさめたんかいな。ほんまに、よう寝ぼける子やなあ」
起こした女は、しっかり目を覚ました健太を見て安心したようだ。
しかし、健太はまだ状況がわからない。見たこともない女がそばにいて、まるで母親のようにふるまっている。
ゆっくりと息を吸って(落ちつけ)と自分に言い聞かせた。難しい計算、難しいゲームと同じだ。よくわからない時は冷静にならないと、いつも失敗をする。

(ドッキリカメラか?)寝ているうちにインテリアを変えて、隠しカメラで映すドッキリカメラという番組を見たことを思い出した。(俺は有名人じゃない。おもしろくないドッキリカメラなんて視聴率がとれない)いずれにしても、健太はこんな場所は見たことがない。

変であることは間違いない。変であることを肯定して、考えをまとめてみることにした。
(起こされた前はいつだったか?)と考えると、昨晩しか思いあたらない。昨日は、文と一緒に阿清水川へ蛍を見に行った。行く前に一度家に帰った。そしてシャワーを浴びてラーメンを食べた。卵の白身がきれいに白くなり、真ん中の黄身も少し熱が通って旨かった。

阿清水川で蛍を見ていたら、文は目眩がすると言った。治し方を教えてやって、河原に下りた。そこで凄い蛍の群れに出合った。

(鮮明に憶えているから間違いない)。そして、光のトンネルのような、蛍の群れの中に入って行ったような気がする。

(なかなか、いい感じだ)健太はだんだんと落ち着いて来た。

(その後のことは覚えていない)と言うことは、昨晩から今朝にかけて何かが変わったのだ。
何が変わったのだろうか。
(
変化1、自分は健太ではなくて小太郎と呼ばれている)
(
変化2、着ている服が洋服から、時代劇のような和服に変わっている)
(
変化3、部屋が京都の太秦の映画村みたいなセットになっている)
(
変化4、変な女が母親だと言っている)
(
変化5、………)
 「これ、小太郎。さっきから何をブツブツ言うとるんや。はよしさ」
「文は?」
「わからんことを言うとらんと、はよ朝餉を食べてしもて、丹波お爺さんにも食事を届けてさ」
「丹波おじいさん?」
「そやて、お爺さんは、昨日の晩に帰られて今は書院にいるさ」
せっかく状況が少し分かりかけてきたのに、また混乱してしまった。
ただ変ではあるが、現実に時間は動いているし会話も交わしている。まずはここを調査するしかないと健太は思った。
今、話をしている人は、自分を母親だと言っている。何となく母さんに似ているような気もした。
「えーと………。かあさん?」
語尾を上げて疑問形で呼びかけてみた。
「なんや、小太郎」
間違いない、この人は小太郎の母だ。母親なら、多少寝ぼけたことをしても言っても大目にみてくれるはずだ。健太は行動に移った。
「丹波おじいさんの食事は、どれですか」
「もう持ってってくれるんか。そんならすぐ支度するよってに。それから、小太郎は朝餉が済んだら、水神さんに行かなナ。オトウは、もうはようから行ってなさるで」
 台所を見まわすと、昔話に出てくるようなススで真っ黒になった土のかまどが五つも並んでいる。かまどには薪がくべられて、釜から勢い良く湯気が立ちのぼり朝日に照らされてキラキラ輝いている。外から入ってくるヒンヤリした空気も、キリッと張りつめて透明な感じだ。やはり健太が生活していた世界とは違う。不安で心臓がドキドキするが、母さんという人は意外に優しいので、とりあえずこれが救いだった。外の風景も違うのだろうと思いながら、食事の支度ができるのを待つことにした。
「ほれ、小太郎。これさ」
膳の上を見ると、朝からすごい量だ。健太はいつもトーストにバターを塗りつけるだけなのに。茶色っぽい粥と、漬物、野菜の煮物に焼き魚。味噌汁と卵まで付いている。朝からこんなに食べる丹波とは、どんな人だろうと興味が湧いてきた。

「おーい。誰かおらんか」
大きな声が、遠くの方から聞こえてくる。
「誰かおらんのかー」
「丹波お爺さんや、小太郎。なんやろナ。誰もおらんのやろか」
健太はラッキーだと思った。書院の場所を聞けば、また寝ぼけているのかと言われる。しかし今は、声のする方へ行けば、書院とやらにつくはずだ。
「じゃ、母さん食事を届けてきます」
「頼んだよ」
言葉づかいも、ちょっと良い子ぶって、声のする方へ行った。
勝手口を出ると、右に石畳が続いている。声は、その奥から聞こえてきていたようだ。歩き始めるとけっこう広い。途中で何人もの、ちょんまげ姿の男に出合った。
(こりゃ、時代劇だ………)と健太は思った。
「小太郎さま、おはようございます」
「小太郎さま、ええお天気で。母さまのお使いかな」
「小太郎さま。丹波さまのお食事か」
健太の方は知らないが、みんなは小太郎、小太郎と話しかけてくる。健太は小太郎になって、軽く会釈をして通った。声が聞こえて来た奥に行くと、武家屋敷のような建物があった。
 上がり口には、精悍な二人の男が警護に立っている。そのひとりが、丁寧な態度で膳を受取った。
「重かったでしょう、小太郎さま。さあ、丹波さまがお待ちです」
健太は丹波が、待っていると聞いて不思議だった。自分がここに来るという連絡はされていないはずだ。思いきって聞いてみた。
「丹波お爺さんは、俺がここに来るのをなぜ知っているのですか?」
「足音ですよ。ここに来る途中の会話も、みんな丹波さまには聞こえています。早く孫の小太郎さまに会いたいと言っておられました。丹波さまも、久しぶりの竜口ですから」
男達と話していると、奥から坊主頭に白い髭の老人が、顔をくしゃくしゃにして出てきた。
「おう、小太郎か。よう来たの。はよ上がれ、さあ上がれ」
健太の身長は175センチメートルあるが、この爺さんも負けていない。周りが155センチ前後だから、凄い大男に見える。
「久しぶりやな小太郎。元気そうでなによりや。朝餉を持ってきてくれたんか。おおきに、おおきに。小太郎はもう食べたんか」
丹波は、答える間もなく話しかけてくる。
「一緒に喰わんか。儂は飯を喰いながら、ゆっくり小太郎と話がしたいと思てたんや」
健太には、大阪の八尾市に毋方の祖父がいる。一見恐そうだが、孫には優しく、やたらと話をしたがる。うまく甘えると、小遣いをくれることもある。この丹波という爺さんもよく似ている。
「誰か、秋に言って小太郎の膳を持って参れ」
小太郎の母の名前は秋と言うらしい。丹波は小太郎へ話しかけるのと、周囲へ話すのとは調子がだいぶ違う。周りには殿様のような命令口調で話す。
数分もしないうちに、小太郎の膳とおひつ、茶瓶が運ばれてきた。
「小太郎。年寄りの話は嫌いかな」
「いいえ、とんでもありません。お爺さんの話は大好きです」
健太としては、今は何でも聞きたい。状況を少しでも理解したいと思っている。健太は爺さんが話しやすいように笑顔をつくった。
「そうか、そうか。小太郎はええ子やなあ。じゃあ喰おう、小太郎」
そう言うと焼き魚を指で持ち上げ、頭からムシャリと一口ほうばった。まるで山賊の親玉といった雰囲気を、丹波という爺さんは漂わせていた。

朝食をとりながら丹波が話したのは名張の歴史だった。歴史はあまり好きでない健太だが、今置かれている立場上、眠たくなるどころではなかった。それに丹波の話は、なかなか面白い。文に聞かせてやれば興味を持ちそうな内容だ。今度会った時に話してやろうと思いながら頭に入れていった。
「小太郎、昔この辺は東大寺の板縄という杣が置かれていたんやで」
「おじいさん。ソマって何ですか」
学校で習ったことのない単語がでてきた。
「杣か。杣というのは建物の木を切り出すところでな。板縄杣は、東大寺の建物の修理木材を調達するとこやったんや。昔は私有の土地というものなくてナ、土地からでけたもんは国司に税として納めてたんや。しかしナ、寺は修理のために大量の木材が必要になる。そこで特別に、天皇から土地を所有することを許されていたんや。それが杣やナ。」
奈良に都があったころ、木材を調達するといえば、このあたりの板縄杣で伐採された木は、名張川から木津川に流されて東大寺に運ばれていた。木津というのは木の港という意味で名づけられた地名で、名張の板縄杣とは関係が深いらしい。水路として今でも使われていると丹波は言うが、健太の知っている名張川は、上流に青蓮寺湖というダム湖があり、筏を流すほどの水は流れていない。
「その板縄杣がな、その後、東大寺の大荘園・黒田荘になったんや。小太郎も知っているやろ、あの黒田の無動寺のある所や」

黒田なら健太も知っている。阿清水川に来る時に、通ってきた黒田大橋のある所だ。

丹波の話だと、木材を調達するための杣地が農作物を作る田畑に変わり荘園になっていった。その上、社寺は杣地の外まで自領の目印として標識を立てた。その結果伊賀は、東大寺や興福寺など大寺院の私有の荘園が激増していったようだ。これでは、国司への納税は減る一方となる。国司側は社寺の立てた荘園の境界を示す標識を抜き捨てる行為にでた。それに対して、黒田荘の住人は抜かれた標識をまた立てる。そんな抗争が百年も続いたが、結局は黒田の荘園の勝ちとなったようだ。
長い戦で、黒田の荘民は戦術や武力を貯えることになった。この黒田荘を守っていた実力者が大江氏という一族で、丹波たち百地一族の祖先ということだ。
「小太郎、田畑が大きくなれば、沢山の農作物できるやろ。木は建物を建てたり修理したりする時ぐらいしか使わへんが、農作物はすぐに売り買いや交換ができる。金とおんなじや。大江氏は、寺に物資を運ぶのをやめたんや。要は横取りしたわけやな」
「それでは東大寺が怒ってしまうのではないですか、お爺さん」
「そらそうやけどな、その時には大江氏の力は、途方もなく強くなってたんや。ウォッホッホッホ」

国司側は東大寺側の反逆者である大江氏を〈黒田の悪党〉と呼び六波羅探題に悪党退治を訴えた。しかし、大江氏も強大な武力を蓄えており、六波羅探題も積極的には大江氏を取り押さえることはしなかったらしい。
「まあ我等だけでなく、服部や藤林の一族も同じような者や。今でも都では、我等のことを悪党と呼んでいるようやがな。それはそれで良い。ウォッホッホッホ」
自分のことを悪党と呼んで笑っている丹波は、さすがに山賊の風格がある。

伊賀は板縄杣以来、数百年もの間、都の文化を受入れ発展してきたようだ。いたるところに神社仏閣があるのもそのせいだと言った。
昔のことは解ったが、一番知りたいのは現在だ。すかさず健太は、今のことについて丹波にたずねた。
「お爺さんは、昨日帰って来たと聞きましたが、どこに行っていたのですか」
「そうか。小太郎は知らなかったんか。砦を造りに行ってたんや。伊賀は我ら百地一族の他に、服部と藤林という大きな勢力の郷士がおるんやが、まあ仲良くやってきたんや。せやけど最近、伊賀の国の外に不穏な動きがあるようなんや」
「不穏な動きとは何ですか」
「伊勢の北畠信雄の馬鹿者や。あれが上野の丸山に城を築こうとしているらしい。伊勢に送ってある〈回し者〉から、そんなことを言ってきた」

回し者とは、敵国の事情や兵力を探るために回し入れる者で、スパイのようなものらしい。別に〈里人術〉といって、永く敵地に定住していている百地一族もいると言う。丹波は、京都、奈良、大坂、堺はもとより、尾張、三河のことまで情報が入ってくるシステムをつくりあげているようだ。

話を聞きながらの食事だが、健太の膳の上には何もなくなっていた。

荘園の話から現在の話まで聞いて、大体の時代と状況は解った。

時代は戦国時代、場所は健太の暮している名張だ。

そして今の自分は、伊賀三大郷士のひとつ百地一族の総領息子だ。これだけ解れば、何とか行動はできるだろう。
健太は自分のおかれた状況がわかると、文が心配になってきた。文もきっと、この時代にいるはずだ。早く捜し出して、前の時代にもどる方法を見つけなければならないと思った。そう思うと、すぐにでも文を捜しに行きたくなったが、そこは失礼のないように丹波の食事が済むのを待った。

丹波の膳には、まだいっぱいの料理が手をつけられでに並んでいる。ゆっくりとしている上に、話をしながらの食事だから時間がかかる。しかし、健太が帰りたいと思ったところから、一気に丹波の膳の料理は平らげられていった。数分も経たないうちに、丹波は湯のみに茶を注いで食事を終えた。
「さて、小太郎。そろそろ水神さまに行く時間と違うんか」
 考えていることを見透かしているような丹波の言動だが、健太には嬉しかった。

書院を退いた健太は、次の行動として、今居る場所を確認することにした。(竜口辺りだとは思うが時代が違う。文を探すにしても情報が必要だ)まずは小太郎の母親が行くようにと言っていた水神様に行くことにした。

水神様は滝川の方だと見当をつけて歩きだした。歩むにつれて、懐かしいような不思議な感覚がおそってきた。今歩いている場所も何となく記憶にある。山の形や川のある場所は、健太の時代とあまり変っていないようだ。

それにしてもいい天気だ。屋敷を出てから家らしきものは何もない。人にも出会わないし、とうぜん車も走っていない。鳥のさえずりと、山からしみ出す水の音が聞こえる。NOX、SOXというような公害物質とは縁の無い、さわやかな風が、青々と元気に伸びた稲の穂をなぜてゆく。

小高い丘に登って滝川の方角を見た。さえぎるものは何もなく、宇陀川まで一度に見渡せる。宇陀川と滝川の出会う1キロほど滝川寄りの川辺に、人が集まっているのが見える。水神様の場所は、そこに違いない。

健太は朝の出来事からひとつの大きな自信をつけている。(俺は小太郎だ。俺がみんなを知らなくても、相手は俺を知っている。それなら、思いっきり小太郎を演じればいいンだ)自分自信に勢いをつけるつもりで木刀になりそうな棒きれを拾うと、振りまわしながら人だかりの方へと歩いて行った。

「おーい。変なモンが、おるでえ」
「つるつる。ぴかぴかの赤い頭の、蜂のお化けのようなモンがおる」
十歳前後の少年たちが、川原に集まっている。着ているものは、擦り切れたゆかたのようなものだ。丈は膝小僧が出るくらい短く、腰のあたりを紐で結んでいる。
三平、小猿、玄蔵、隼人、隆介という竜口の子供たちだ。
「ちょっと頭をなでてみ。小猿」
ガキ大将の三平がこの中では一番年下の小猿に言った。小猿は名前のようにすばしっこく木登りや岩登りが得意なため、あだ名で呼ばれている。
「えっ。オイラがなでるんか」
「恐わいんか」
ほんとうは三平が恐いので小猿に命令したのだ。小猿は恐る恐る、つるつるに光った赤い頭に近づいて行った。朝の光が反射して、赤い水玉のように光っている。のぞいてみた小猿は、ぎゃと驚いて飛び退いた。
「どないや、小猿」
「ちっちゃい男の子が、頭の中にいたんや」
もう一度、そっと近づいて行くと、まだ男の子が居る。後ろに退くと消える。何度かやっているうちに、小猿は自分が映っているのに気がついた。恐い怖いと思っていたので恐かったが、それが何であるかわかると、それほど恐くわない。小猿は赤い頭に触ってみた。とても冷たい。
「玄蔵、隼人、隆ちゃんも、なでてみろ、冷とうて、つるつるや」
好奇心いっぱいの三人は、小猿が触ったので安心して触ってみた。
「ほんとやなあ。つるつるや」
「なんか、虫に似とらんか」
「色はてんとう虫に似とるけどなあ」
「てんとう虫・カブト虫・蜂や。こんな大きい虫、見たことあらへんなあ」

つるつるの硬い頭を見て子供たちが色々なことを言いだした。たたくとピチャピチャ音がして、手に吸いつくようで冷たい。
「三平も、なでてみ。なんか冷とおて、かたーい」
「オイラはいいから、棒でたたいてみろ」
また三平が言った。隼人が河原に落ちている棒を拾って叩くと、今度はカンカンとかん高い石のような音がする。
「うっ、うーん」

虫のような生き物がモソッと動いた。頭をたたいていた隼人は、びっくりして飛び跳ねた。他の子供達も慌てて逃げたが、三平は石に足をとられて川の中に尻餅をついた。三平はちょっと恥ずかしかったが、四人のてまえ何もなかったように体勢を立て直した。ビショビショになった三平と四人は、取り囲むように動くモノを見つめた。

蜂のような生き物は、起き上がると大きく伸びをした。
「えっ、なんなの? いったい
昨日、蛍を見に来た時のままの姿をした松尾文だ。
「うわー。蜂のおばけや」
子供達がいっせいに大声をあげた。

うつむけに倒れていたので頭しか見えなかったが、顔の部分はスモーク・アクリルと黒のレザーで真っ黒だ。頭は真っ赤で顔は真っ黒、胴体はラメの入った黒のTシャツにレモンイエローのサマージャケット。胴から下は、オフホワイトのジーンズに金色のチェーンベルト、靴はバスケットボールシューズを履いている。その上、そばにはアルミのケースが落ちている。
「なんなのよ、あんたたち。さっき、わたしの頭、たたいたやろ」

文は頭からヘルメットを外すと、髪を左右に振った。モカブラウンに染めた髪が、朝の光に金色に輝いた。子供達は、こんな珍しいモノは見たことがない。
髪は金色。ヒラヒラとしたジャケットは、透明感のある黄色で昆虫の羽根のようだ。裸足かわらじしか知らない子供達は、靴で被ってしまっている足など見たことがない。その上、魚のうろこのようにキラキラ光る銀色の箱がそばにある。
「おまえ人か、それとも蜂のお化けか」
すぐに逃げられるように、腰を引いた体勢で三平が言った。
「わたし。わたし人間に決まっているやんか。こんな可愛い蜂のお化けがいるわけないやん。バーカ」
「そうか、やっぱり人か。どこから来たんや」
言葉が通じるので、三平たちも少し落ち着いて質問を始めた。
「どこからって、百合が丘やけど」
「百合が丘なんて知らんなあ。都の方か」
「まあね。住めば都ね」
文は、竜口で百合が丘を知らないなんて変だと思ったが、子供相手だから適当に答えておいた。
「名前、なんて言うんや」
「松尾文。アヤでええけどね」
「アヤ。へんな名前やなあ」
子供達は文に興味を持っているようで、色々と質問をしてくる。話をしているうちに、だんだんと打ち解けてきた。子供達は文を変な人間だと思ったようだが、文もこの子供達は多少変わっていると思っている。着ているものとヘヤースタイルが変なのだ。まるで時代劇、それも粗末な衣裳だ。祭りなら、もう少しましな着物を着るだろう。
「ところで、あんたたち。ここは竜口よね」
「そうやっ」
「これぐらいの背の、お兄さん、見なかった」
文は健太と同じぐらいの身長のところに手を伸ばした。朝になっているが、ここが竜口なら健太が居るはずだ。女の子を放って帰ってしまうような健太ではない。知らなくて、もともとだと思って聞いてみた。
「知っとるさ」
「えっ、知っているの。知っているんやったら教えて」
「あっち」
全員で山の方を指差した。
「あっちじゃ、分からんなあ。連れてってくれへん」
「ええけど、今はあかん。隆介の兄ちゃんの五郎次さんが無動寺に来ているので、会いに行くんや」
健太が近くにいると聞いて、文は少し安心した。ただ自分を一人にしてどこかに行った健太に、少しだけ腹を立てた。子供達が指差す山の方へ捜しに行ってもいいが、逆に健太に自分を捜させようと思った。
「わたしも一緒に行っていい」
この変な子供達にも興味があるし少しの時間、一緒に行動するのも面白いと思った。
「ええで、なあ、みんな」
子供達も、文が気にいったのか簡単に同意した。

文と子供達は川原から道に上がった。
景色がどこか違う。昨日、停めたはずのバイクも見当たらないし、道も細く地道だ。橋もあるが、丸太が五本並べてあるだけだ。この子供達の現代離れしたところに興味を持ったが、周囲を見た文は、不安になってきた。
「ねえ、みんな。無動寺にはどうやって行くの」
「この道を登って、それからずっと下って行くんや」
「えー、歩いて行くの。すごく時間がかかりそう、バスじゃないの」
「バスってなんや。馬でもあると早いけど、子供が乗ったら叱られるしな」
「とんびみたいに、空を飛べたら早いやろなあ」
子供達は、笑って歩きはじめた。
不安は、どんどん大きくなっていった。
「あのー。さっき言っていた、背の高い男の子の話やけどー。名前はなんて言うの」
「小太郎さんのことか」
「小太郎さんって。健太って言うんやないの」
「百地の小太郎さんや。オイラ達の大将や」
(
ちがう?)文は、頭の中が真っ白になった。(子供達が知っているのは健太じゃない。時代的にも何かおかし)。文は健太がいると思ったので、ちょっとの間、子供達ついて行くことにしたが、行方不明となると、それどころではない。(健太を捜さなくてはならない。捜すといっても当てはない。誰に聞けばいいのか)。頭の中をいろいろな思いが、くるくると回る。(どうしていいのかわからない)。覚悟を決めた文は、大人に会えないものかと無動寺まで子供達について行くことにした。

急いでいる様子もないのに、子供達の足は競歩のように早い。道は山に向っている。阿清水川から滝川の方へ、ひとつ山を越すようだ。山の頂きに登れば赤目の街が一望できると思った文は、頑張って山の上まで走った。

山頂から赤目方向を見ると、山や川の位置に覚えはあるが、目印になるものは何にもない。見える物と言ったら、滝川とその向こうの宇陀川。さらに宇陀川を越した辺りに大きな寺院らしい建物が見える。
「アヤ、見えるか、無動寺や。ほれ、もうすぐやで」
追いかけてきた三平が、文に教えてくれた。
文は絶望的になった。無動寺が見えるくらいなら、右に百合が丘が見えるはずだ。そして左には、近鉄の赤目駅が見えなければおかしい。それに無動寺はポツンと茶臼山の中腹にある寺なのに、色々な建物が見える。狐につままれたような感じだ。
この子たちは竜口の狐で、だまされているのではないかと文は思った。
「ねえ、みんな油揚げ好き」
「油揚って何やー」
「油揚よ。知らないの、じゃ、お稲荷さん知っている」
「田ぁの神様やろか」
玄蔵が答えた。
狐なら、きっとシッポを出すと思って質問したが、まるっきり会話にならない。油揚も知らないし、お稲荷さんも知らないようだ。
周りの景色と、子供達の雰囲気からすると、今が二十一世紀とは絶対に思えない。文は、タイムスリップしたことを頭において別の質問をしてみた。
「隆介ちゃんのお兄ちゃんの、五郎次さんは無動寺のお坊さんなの」
「違う。猿楽太夫や」
「猿楽太夫?」
あまり聞きなれない言葉に文はとまどった。
「五郎次さんは、大倉五郎次いうて、有名な太夫なんやで。観阿弥さまと世阿弥さまを知っているやろ。観世座がでけてから、今年がちょうど二百年やて。それで、薪能をするために五郎次さんは来てはるんや」
三平が得意げに説明をする。
文はこの話を聞いて、白くなった頭の中が、紫に変わった。タイムスリップしたことは確実だ。文の記憶だと、世阿弥の生まれたのは千三百六十三年だ。それから二百年足すと千五百六十三年。世阿弥が、観阿弥と共演できる年ぐらいに観世座を興したと考えれば、今は千五百七十年代後半ということになる。そうすると戦国時代の真只中で〈天正伊賀の乱〉の始まりぐらいの年ということになる。

正しい年を知らなければ、大変なことに巻き込まれるのではないかと文は感じた。何とか気持ちを立て直して、さらに聞いた。
「無動寺の和尚さまは、どんな人」
「照栄さまと言うんや。とてもエライお坊さんだと、オトウが言うとったで」
文は正しい年を確かめたくて、早くその照栄という和尚に会いたいと思った。子供達は、葦の葉で草笛を作ったり、石を投げたり遊びながら歩いて行く。文は滝川沿いの長い坂道をただ、もくもくと歩いた。
宇陀川と名張川の合流する一帯は、地盤を強くするために一面に竹が植えられている。竹の植えられた堤を通り、橋を渡ると無動寺の境内に入った。

文は名張の歴史を調べた時に、昔の無動寺のことも読んだことがある。無動寺は東大寺の副本山として建てられた、大きな寺であると書かれていた。
(
すごい)。文の知っている無動寺とは、まったく違っていた。
橋の直ぐ正面は表門、この表門に沿って白壁が築かれている。外周の広い砂利道を歩いてゆくと仁王門に着いた。朱塗りの仁王門には足のサイズが四五センチはあろうかという、赤と青の大きな仁王が置かれている。右は口を大きく開いた赤の阿形、左は口を閉じた青の吽形だ。仁王門をくぐると、樹齢数百年の杉に囲まれた広場に出た。南側に閻魔堂、東側には東の坊がある。東の坊の脇には石段があり、見上げると数十段も続く石段の上に本堂が見える。その途中には、多門坊、十王坊、惣坊舎などが建っている。本に書いてあったとおり、本当に大きな寺だ。惣坊舎を越して石段を登って行くと、杉木立を背景に桧皮ぶきの堂々とした本堂があった。
「わーい、着いた着いた」
石段を登り終えると、子供達は一斉に本堂に向って駆けだした。
「これこれ、どこの子供達じゃ」
どこからか、紫色の衣を着た老僧が、本堂をのぞき込む子供達の前に現われた。
「あのう。五郎次兄ちゃんはおるやろか」
隆介が言った。
「猿楽の五郎次太夫か。太夫の馴染みの者か。竜口の子供達じゃな。太夫に何か用か」
白い眉毛が頬のあたりまで伸びた顔が、やさしく微笑んでいる。仏法を極めた人格者であることは、子供達に接する態度で伝わってくる。
「こいつは、五郎次さんの弟や」
隆介を指差して三平が言った。
「そうであったか。五郎次太夫の身内の者か。それなら、こちらにおいで」
手招きをしながら、僧たちが寝起きする僧房の方へ案内してくれた。
「ここで待つとよい。太夫を呼んでやろう」
老僧が僧房に近づいてゆくと、若い僧が数人駆け寄って来た。子供達のことを老僧が伝えると、ひとりの若い僧が僧房へ入って行った。老僧は、残った僧達になにやら話をしながら、いぶかしげに文を見つめた。
「ところで、そなたも竜口の者か。どうも子供達とは違うように見えるが」
「わたくしは竜口の人間ではありません。迷子になってしまったのです。お坊さま」
「大きな迷子だのう。どこから参られたのじゃ」
「それが………。あのう。お坊さまは照栄和尚さまでしょうか」
若い僧に指示を与えている姿を見て、文はこの老僧が照栄和尚だと見当をつけた。
「いかにも拙僧は照栄だが、どうして名を存じておるのじゃ」
「竜口の子供達に聞いたのです。無動寺には照栄和尚さまという偉いお坊さまが居ると」
文が見ても、確かに高僧であるように見える。伊賀無動寺に東大寺から派遣された学識のある僧なのだろうと文は思った。文は照栄和尚にたずねた。
「お坊さま、今はなん年でございますか」
「変なことを聞く娘御じゃな。拙僧は五十路を少し越したところだが、まだまだ若い者には負けんつもりじゃよ」
ニコニコして答えた。
「いえ。お年ではございません。今は天正年間の何年でございましょうか」
子供達から聞いた情報さえ正しければ、天正年間であることは間違いないと思っている。
「天正何年か?………。何か訳がありそうじゃな。まあよい、今は天正六年じゃが、それを聞いてどうするのじゃ」
「それじゃあ、もう北畠信雄が丸山城を………
文は小学校の頃、自由研究で天正伊賀の乱のことを調べたので、だいたいのことは知っている。
「北畠信雄………
一瞬、老僧の目が研ぎすまされた刃のように鋭く光った。そして、近くに居た数人の若い僧を呼び、耳もとで何か囁いた。
「これ、竜口の子供達。このお坊さまが、お前達に菓子をくれるから、ついていきなさい」
優しく言うと、ひとりの僧に目配せをした。
「さあ、こっちだぞ。甘いお菓子をあげるからついて来なさい」
若い僧に手招きをされて、子供達は喜んでについて行った。後には文だけが残った。老僧と数人の若い僧が囲むように立った。
「さて娘、おぬしの名前からきかせてもらおう」
子供達に接する態度とは違って、言葉の端々に有無を言わせない緊張感がある。
「松尾文と言います」
「松尾、文か。どこから参られた」
「えっ。………
「答えられぬのか」
二十一世紀から来たとも言えず、文は答えにつまった。
「先程おぬしは、北畠信雄が丸山城をどうの、と言ったな。そのようなことを、異様な風体の女子が、なぜ知っている。いかにも怪しい。少しここに、留まっていかれるが良い!」
照栄和尚の言葉が終わった途端に、二人の頑健な僧が、文の両脇をつかんだ。
「和尚さま。わたしは怪しいものではございません」
文は必死に抵抗したが、何を言っても相手にしてくれない。そして本堂の裏手に連れて行かれた。
本堂の裏は、山に向って長い石段がつながっている。大杉が鬱蒼と茂り、昼というのに薄暗い。文は引っ張られるように連れて行かれた。石段を登りきると上の坊があり、ここだけは空が広がっていて明るい。ここで、文は目隠しをされた。しっかりしているつもりでも、あまりの恐ろしさに声も出ない。文を引きずる僧達は、上の坊の右手にある細い獣道を下りて行く。笹や小枝が顔や手を打つ。抵抗する気力も無く、引きずられながら下ってゆくと平坦な場所に出たようだ。そこで、文の目隠しが外された。
 段々畑のある静かな里だ、ゆっくりと風に乗った鳶が弧を描いている。集落がある訳ではなく、山間の空間にひとつだけ大きな館が建っている。ここは、知る人ぞ知る、百地一族の隠れ屋敷のある短野という里だった。
文は、屋敷の脇にある炭焼き小屋に捨てられるように投げ込まれた。
「しばらく、ここに居てもらうことになる。牢に入れるとか、縄をかけるとかはしない。しかし、逃げようと思っても無駄だ。逃げれば命はないものと思え」
恐ろしい言葉を投げかけて、若い僧達は去って行った。
頬や手足がヒリヒリと痛む。かすかに血がにじんでいた。文は、年頃の女の子らしく、不安と絶望で泣きながら意識を失ってしまった

 

百地三太夫
 健太が棒を振りながら人だかりに近づいて行くと、大柄な中年の男が声をかけて来た。人の良さそうな風貌だが、周りの百姓衆とは違い威厳のようなものを感じさせる。
「小太郎、よく来た。今、水神様をきれいにしたところじゃ。これから水神様と一緒に、お神酒をいただくンじゃ。ところでおまえは、爺さまに今朝会ったか」
無駄のない、歯切れの良い言葉で話してくる。
「おじいさんなら、一緒に朝飯を食べました」
「そうか、そうか、それで遅くなったんだな。爺さまは、小太郎のこととなると大甘じゃからな。目に入れても痛くないとはこのことじゃな」
どうやら、この人が小太郎の父らしい。水神様の清掃は田植えが終わった後、地域の衆が総出で行う行事のようだ。水神は山の神で、春とともに里にやって来て、秋になるとまた山に帰って行くと言われているそうだ。その水の神様に、この一年洪水や水不足にならないように、無事をお願いするのだ。早朝から滝川の土手に祀られている水神と書かれた石を洗い、周囲の草刈りをする。それにしても、けっこう大勢の人達が集まっていた。男衆が土手の広い場所にゴザを広げ、女衆が炒り豆や煮物、串に刺した魚などを用意していた。
「良介さま、音頭をとってくれんかね。良介さまに、ひとこと言ってもらわにゃあ始まらんからなあ」
親父の名前は、良介と言うらしい。頭の禿上がった赤ら顔の男が近づいてきて言った。清掃作業が済むと、水神様に供物を捧げお祈りをする。その後が一番の楽しみで、供物のお下がりを頂くのだ。酒や料理の用意はできたが親父の発声なしでは始められないようだ。
「すまん、すまん、大猿。小太郎が来たのでな。用意はできたんじゃな。よし、それでは始めるとするか」
良介は小太郎に待つように言うと、村の衆の中に入って行った。水神様の前には、沢山の食べ物が石を囲むように供えられている。良介は水神様の石の前に立つと、村の衆に向って作業のねぎらいを言った。そして、水神と書かれた石に向って大きく二礼し、柏手を二回打った。村の衆も、良介に習って柏手を打つ。良介が、瓶子から平皿にお神酒を注ぎ、水神様に豊作を願った。
「そしたら、良介さま、はじめまいか」
大猿と呼ばれた赤ら顔の男にうながされて、良介は水神様に供えた平皿のお神酒を一気に飲み干した。村の衆の楽しみは、清掃でも、お参りでもない。良介が酒を飲み干すと「うおーっ」という雄叫びが発せられ、瞬く間に供物の料理と酒はゴザの方に運ばれた。真っ昼間から酒盛りの始まりだ。
ここからの仕切りは、大猿の受け持ちらしい。
少し酒がまわり始めると、誰となく言いだして隠し芸が始まった。謡を唄う者もいれば、舞いを踊る者もいる。そのうち、即興の物まねや、言葉芸の上手な者が現われた。布や着物も用意されていて、手品や変わり身の芸などもしている。テレビで見るバラエティー番組より、よっぽど上手いし面白い。
「親父さま、あの芸は何と言うんですか」
笑いながら、どんぶりのような器で、どぶろくを呑んでいる良介に健太は聞いた。
「あれか、あれは猿楽と言うてな、ここらの連中は、けっこう上手い。儂も、多少習ったことがあるんで、後で演ずるから見るとよい」
酒が進むに連れて、座はどんどん盛り上ってゆく。
「さあて、真打ちのお出ましや。良介太夫さまの出番や」
酒で真っ赤になった大猿の紹介で、良介の猿楽が始まった。端正な顔だが、動きに愛嬌があり、笑いを誘う。なかなか楽しい親父だと、健太は感心して見ていた。度胆を抜かれたのは変身の芸だ。武士のような、厳しい顔つきと身なりの良介が年老いた農夫に変わった。そして、衣裳は同じなのに一瞬にして若い女性に変っている。凄い芸だ。違う人間に、すりかわったのではないかと疑うほどだ。
「良介さま、もうひと芸やってくれんかいな」
良介の芸はこの辺りでは有名らしく、アンコールの声が沢山かかっている。健太も、あまりの素晴らしさに、この親父のファンになってしまった。
良介は、村の衆の声にこたえて、幾つかの変身の芸をして席に戻ってきた。
「どうだ小太郎。楽しかったか」
そう言うと、またどんぶりで酒を呑み出した。
「さすが、百地の良介さまや。良介さまの変身術は誰もまねでけへんなあ」
アンコールをした人達が酒を注ぎに来る。それを、片っ端から呑んでは返盃する。本当によく呑む、めちゃくちゃに呑むスピードが早い。多分、集まっている人達の平均の三倍くらいは呑んでいるじゃないかと思う。
健太は酒を呑んだことはないから知らないが、酔うと意識が普通でなくなることだけは知っている。良介は、酔っているようには見えないが、ファンのひとりとして心配になった。
「親父さま、少し呑み過ぎじゃないのか」
「大丈夫じゃ、これぐらいなことで酔いはせん。それより、おまえも呑め」
湯のみに、なみなみと酒を注ぐと健太に渡した。健太は、父親が酒飲みなので、酔っ払いの姿は数限りなく見ている。酔うと常に母さんに迷惑をかけていた。風呂で寝てしまうことなども多く、健太は父親のような酒飲みにはならないと決めていた。反面教師とはこのことだ。友達に勧められることも何度かあったが、興味本位にも酒は飲んだことはない。しかし、今日は小太郎だし、自分自身も夢の中にいるようで、意識も正常ではない。この際、試しに飲んでみることにした。
湯のみに注がれた、牛乳のような白い液体を睨んだ末、ググーッと一気に喉へ流し込んだ。(喉が熱い!)しばらくすると、足や手の指がジーンと痺れて、パーッと体中が熱くなってきた。
「うまい!?」
さらに数分で、フワーッ。と宙に浮いたような気分になった。
(名張は、水がいいから酒もうまい)と、父親が言っていたことを思いだした。
「小太郎さんは、良助さんの息子や。蛙の子は蛙。なかなか酒が強いなあ」
集まった村の衆が、次々と健太の湯のみに酒を注ぎに来る。なにせ、初めて呑む酒だから、どのくらい呑んだら酔ってしまうのか限度も知らない。その上、良介親父も酒呑みだから、止めるどころではなく一緒に呑んでいる。
呑めば呑む程、愉快な気分になってきた。酒を呑みながら、村の衆と話をすると、始めて話す人達なのに、話も合うし楽しい。なにか、ずっと昔から知り合いだったような感じがする。
 気がつくと健太は、ワラで作った三角の囲いの中で寝ていた。

急性アルコール中毒で気を失ってしまった小太郎のために、日よけのワラの囲いを、村の衆が作ってくれたのだろう。
囲いを這いだすと、まぶしくて目が痛い。目蓋を半開きにして、少しずつ慣らして空を見上げると、まだ陽は高く真青な空に隆起した積乱雲が白く輝いている。頭はガンガンと割れるように痛いし、見上げた空はグルグル回っている。良介にすすめられ、何人かの村の衆と盃を交わしたところまでは覚えている。色々な話をして楽しかったこともよみがえってくるが、自分が何を話したかは全く記憶にない。まさか、蛍のタイムトンネルの話などしていないか心配になったが、後の祭だ。初めて酒を呑んで、すぐに失敗し反省。(反省だけなら猿でもできる)と言うが、これじゃあ父親のことは悪く言えないと思った。
脱水症状のように、のどが渇いてしかたがない。広場から下の川に降りると、驚くほどきれいな清水が流れていた。ゴミのない川とは、こんなにきれいなのだろうかと感動した。両手ですくった水を、ゴクリと一口飲む。腹の中が洗われ、徐々に体がシャキッとなってきた。ただ、呑みすぎのせいか、身体に汗がまとわりつきベトベトと気持ちが悪い。健太は着物の紐をほどくと、そのまま川に倒れこんだ。川藻がやわらかなクッションになり、全身を受けとめてくれた。冷たい清水が、じっとりとした肌から全ての汚れを洗い流してくれる。水の中で、目をパチパチと開くと気持ちが良い。身体のほてりがおさまるまで、しばらく水とたわむれていた。内側も外側も清らかな水で洗い流すと、頭の傷みも消え、充血した目もスッキリ白くなってきたのがわかる。十分もそうしていて川から上がった。辺りに誰もいないのを確認すると、健太は裸のまま草の上に仰向けになった。
真っ青な空に浮かぶ積乱雲が、文の顔になったり、健太の母さんの顔になったりした。(これからどうしたらいいのだろう)(文はやはり、この時代へタイムスリップしたのだろうか)あれこれと考えているうちに、目の奥の方がジンと熱くなってきた。
見渡す限りの田んぼには、人っ子ひとりいない。村の衆は、いったいどこへ消えてしまったのだろう。夢を見ていたのだろうかと健太は考えた。
しかし、裸で寝転んでいる健太のそばにある着物を見れば、これが現実であるのは確かだ。乾いた体に着物をつけると、朝来た道をたどって百地屋敷に帰ることにした。
 百地屋敷まで一時間程歩いたが、その間に出合ったのは、狐と猿と鹿だけだった。
屋敷に着いても物音がしない。まるで留守の家のようだ。抜け殻のような、何もない空間に、ミンミン蝉の鳴き声がやかましいほどに響いている。照りつける太陽の位置から推測すると、まだ午後三時を回ってはいないだろう。健太は、今朝起きた、台所のある建物に行ってみた。(あの口やかましい、秋という母さんはいるだろうか)と、勝手口を見回したが、ここにも誰もいない。
「おーい。俺は小太郎だぞー。誰かいないのか。いたら出てこーい!」
大きな声で叫んでみたが、まったく反応がない。暑さを避けて、台所の土間で寝そべっている犬がちょっと顔を動かしただけだ。

(朝は、少し歩いただけで大勢の人達に会ったのに、どうしたンだろう。良介という親父は、まだ帰ってきていないようだし、丹波は出かけたのだろうか)。健太は、もう一度大声を張り上げてみた。
「ドロボーだぞー」
反応がない。本当に誰も居ないのだ。
(居ないのなら、それはそれでいい)健太は、この機会に屋敷を探索してみることにした。
まず、武家屋敷のような館の外周を探索すると、城のように石垣で囲まれている。館へは、台所のある建物の前を通らなくては行けない造りになっている。

朝、丹波爺さんの声をたよりに、真直ぐに行ったが、あれが唯一の行き方だとわかった。建物の周囲を回ると、後にある山へ登る道がある。しかし、人ひとりがやっと通れるような狭い急な坂道だ。行ってみたい気もしたが、なんだかマムシでも出てきそうなのでやめにした。
館は山と石垣で囲まれた要塞のようだ。
館から台所のある建物を通り過ぎると小さな門がある。この門の外は、広い庭で幾つかの平家が建っている。平家は、馬小屋のついた長屋風の造りだ。家の裏側に廻ってみると梅林に出た。梅の木には、たくさんの実が成っている。梅林を抜けて、さらに行くと畑に出た。そこからは、眼下に阿清水川が見えた。この広い敷地全体も、下から石垣が組まれている。石垣は反るように十メートル以上も下から組まれており、忍者でも登るのは大変だろう。
阿清水川を見ているうちに、健太は、また文のことを思いだした。
自分は男だから、こういう場合はとうぜん女性の力になってやらなければいけない。そうでなければ硬派の名が廃る。いつもは気の強い文だが、しょせん女だ。文の方が心細いに違いない。何とかしなくてはならないと思った。
「アッヤー、待っていろよー、俺がついているからなー」
大声で阿清水川の方を向って叫んでみた。
「アッヤー………
こだまが、泣きだしそうな声で返ってきた。
(ようし!!)健太は、気合いを入れた。屋敷はいつでも探索できる、それより文を探してやらなければ可哀想だ。可哀想というよりは、男の面目が立たない。健太は阿清水川に向って走り出していた。
 百地屋敷の大きな門を出て、十五分ほど急な坂道を下りてゆくと阿清水川に着いた。昨日あったコンクリートの橋はないが、蛍のトンネルに出会った場所の見当はついた。健太は、ここと思う丸太橋から川原に下りた。具体的に、見つけたいものがあるわけではないが、刑事ドラマの鑑識のように丁寧に探してみた。
(どこかに、何かあるはずだ)しかし、石、砂、苔と流木以外は何もない。プラスチックやアルミ缶、ガラスの酒ビンやビニール袋など、健太の時代なら嫌になるほどある物は何も見つからない。
(警部、茶髪です)テレビドラマなら、そんな風になるのだろうと思いながら、髪の毛でも落ちていないものかと捜してみた。行ったり来たり、何度も這うように捜したが、やはり何も見つからない。ただ捜しているうちに、ここに文がいたという確信のようなものがわいてきた。自然の中には無い、人工的な香りがするような気がする。でも確証はない。さらに丹念に探し続けたが、日が陰るにつれて辺りも暗くなってきた。しかたなく、何の収穫もないまま健太は屋敷に帰った。
 昼間と打って変わって、屋敷内は騒がしい。夕食の支度で、女達が忙しげに働いている。健太は、自分の居場所がわからないため、隠れるようにして今朝起きた台所の隣の部屋に入った。
「小太郎、帰ったんか。帰ったンなら、帰ったと言わんかいな」
また、あのやかましい母さんの声だ。まるで息子の行動を監視しているようだ。しかし、阿清水川で何も収穫がなく、明日からどうしようかと考えていた健太にとっては、無視されるよりは相手をしてくれた方が、気がまぎれる。
大きな声で元気に返事をした。
「ただいま帰りました。母さま」
「遅かったんやなあ。まあええが、丹波お爺さんと、父さまが呼んではるさかい、すぐに書院に行かんとなー」
帰って早々の伝言だ。どうも丹波等は、小太郎が帰るのを待っていたようだ。
 昼間の件もあるので、良介親父に叱られるのだろうかと、急いで館へ行った。通りのあちこちに、朝よりも沢山の人達がいるような気がする。それも、男達がやけに多く服装も普段着というよりは正装に近い感じがする。三、四人ごとに集まって、立ち話をしている。健太が通ると、その度に会話が止まり、目が健太に注がれる。目を合わすと軽く会釈をし、通り過ぎると、また噂話をしているように感じる。昼間酔っ払って問題発言でもしたのかと心配になった。
館の上がり口には、例によって二人の精悍な若者が、健太が来るのを知っていたように出迎えた。
「こちらでございます。小太郎さま」
朝とは違って、丹波は出てこず若者が案内してくれた。
「お着きでございます」
「ご苦労、中に入ってもらえ」
 書院の襖を開けると、丹波と良助が向かい合って座っている。健太を見ると良介がすぐに立ちあがった。
「遅かったな小太郎。どこに行っておったのだ、こっちへ来い。今日はその格好ではまずい。着物を着替えてもらおうか」
良介は健太を呼ぶと、書院の次の間に連れて行った。漆塗りの四角い盆の上に着物がのせてある。
「さ、小太郎、これに着替えろ」
健太としては、ゆかたを紐でしばっただけの服装は、風通しが良いしラフでけっこう楽しんでいた。
「俺はこのままでいい」
「おまえがよくても儂が困る。今日は一族の方々が来られている。小太郎は本家の総領だから、丹波さまの横に座らにゃあいかん。人は内面を磨くのが大切だが、外見もそれ以上に重要だからのう」
白い肌襦袢の上に、白小袖という白衣を着せられた。その上には、濃紺の単衣という着物を着て、袴をはく。襟の合わせ方、紐の締め方、腹の部分をゆったりさせ恰幅をもたせることなど、ひとつひとつ説明しながら、手早く着せてくれる。健太はまるで神主になったような気分だ。
「よしできた。なかなかの男っぷりだぞ、小太郎」
服装を整えると、良助に促されて丹波の書院にもどった。
「おおっ、小太郎。なかなかの見栄えやな。儂の孫だけのことはある。それにおまえ、酒も相当に強いようやな。ウォッホッホ」
昼間、酔いつぶれたことが丹波の耳に届いているようだ。しかし、小太郎のことなら何でも許せるようで、それ以上はくどくどと言わず、酒も人も呑みこんでしまえと言った。
健太が冷やかされていると、襖の外から丹波を呼ぶ声が聞こえた。
「丹波さま。皆、集まりました。広間に用意が出来ておりますので、お越し願います」
「ご苦労」
笑顔をおさめた丹波は、むすっと立ち上がった。

良助と小太郎を従えた丹波は、館の庭から広間に向かった。広間と言っても、高床式で襖も壁もなく、まるで能舞台だ。下には二、三十人の若者達が、舞台を背にして立っている。その前には、十歳前後の少年達がワラゴザを敷いて座っている。
小太郎達が広間へ上がる階段を昇ってゆくと、四十人程のいかつい男達がコの字型に座っていた。男等は丹波を見ると、サッと中央に道をあけた。
正面には三つの丸ゴザが敷いてあり、その後方には長い廊下が続いている。
廊下は竹の棒で仕切りがされ、普段はだれも入れないようにしているようだ。仕切りの向こうには黒い巌が見え、岩と岩の間から滝が落ちている。
丹波は滝に向って真直ぐに歩を進めた。丹波の後を小太郎と良助がついてゆく。良助は腰をかがめ右手を前に出すと、周りの男達に会釈をしながら歩いてゆく。
丹波は中央の丸ゴザに着くと、右に小太郎、左に良介が座るように指図した。
ふたりが座るのを確認すると、丹波はフーと長く息を吐き、黙とうをするように目を閉じた。時間にして一分ぐらいだろうか。広間はシンと静まり返っていた。時間が止まったかのようだ。広間と、そま周りを含めれば、百五十人ほどがいるにもかかわらず、気配さえも感じさせない。不思議な静けさに、小太郎も呼吸を止めた。
………

「一族の衆、本日はご苦労である」
穏やかだが、良く響く丹波の声だ。この声を合図のように、衣ずれ音や咳ばらいが聞こえ始めた。
「誰もケガなどしておらぬようじゃな。無事でなによりじゃ」
着替えをしている時、良介に聞いた話だと、百地一族は年に一度、この百地屋敷に集結する。その日は、日頃鍛えた気合術、骨法体術、剣術、手裏剣、鎗術、火術、遊芸、教門を競うと言った。

百地屋敷から滝口までの坂道を走り、赤目四十八滝の谷底の岩を跳び、急流を渡り、沢を登る。行者滝、霊蛇滝、不動滝、乙女滝、大日滝、千手滝、布曵滝、竜が壷、陰陽滝、姉妹滝、荷担滝、夫婦滝、琵琶滝など、四キロメートルも連なる峡谷の岩壁に生えた松を伝わり崖をのぼる。さらに復路は、十数メートル下の滝壷にダイビングしながら帰ってくる。体力の競い合いは、まるでトライアスロンか修験者のようだ。子供のコースと青年以上のコースは大分違うようだが、男女に区別はないと言う。小太郎が水神様から帰ってきた時に、屋敷に誰も居なかったのは、この修験道のような行事のせいだった。
帰ってきた者たちは、井戸の水で体を洗い着替えをする。そして今の時間になったわけだ。
これからは、一族の頭領である丹波の訓話を聞き、一族の方針を決める評定を開く。少年達は訓話を聞いて退席するが、この広間に居る郷士達は、評定後も酒を酌み交わし情報を交換をする。
 「さて、一族の衆。今日は重要な話をさせていただくことになる」
丹波の重要な話という言葉に、また場は静かになった。広間に座っている男達は、一族でも伊賀各地の郷士として地域を束ねる実力者だ。郷士は、自分で土地を切り開いた者達で、独立した自治をし数名から数十名の配下がいる。よって、一族であっても利害関係があり、意志の疎通を欠けば、もめごとも起る。小さなことが、組織の分裂につながることは往々にしてある。それらの諸問題を解決するのも、本家の頭領の重要な役割だ。そのようなこともあり、この会は一族にとって重要な集まりといえる。
「儂は少し前まで、そこにいる安部田の江三郎入道と、喰代に行っておった」
「丹波さま、また喰代とは何ゆえに。あの近くには、良介さまのご実家、服部一族の佐那具があるのでは」
一族筆頭郷士で、柏原城の城主である滝野十郎吉政が口をはさんだ。
「そうじゃ、喰代の北には佐那具がある。しかし、その佐那具と柏原の間には丸山がある。儂は丸山を睨むつもりで、喰代に砦を築いてまいった」
喰代は、伊賀上野の西に位置する大山田村に近い所にあり、名張からは直線距離で二十キロメートル以上もある。
「今、丸山に北畠信雄が築城しようとしている。築城奉行は、滝川三郎衛門雄利という者じゃ」
一族はどよめいた。
丸山は、信雄の義父、北畠具教が伊賀を支配しようとして、築城を手掛けたことがある。しかし、百地、服部、藤林連合による抵抗で完成に至らず放置していた場所だ。そのような所に信雄が築城するということは、伊賀支配をもくろんでいることに違いない。信雄は北畠を名乗っているが、実の父は信長だ。信長は伊勢を武力では攻めきれず、次男信雄と北畠具教の娘雪姫とを結び、奪い取ったという経緯がある。
「丹波さま、信長が伊賀を支配しようとしているのでしょうか」
「いや、儂は信雄の独断だと考えている」
丹波のもとには、常に各地から情報が入ってきている。今の信長は、関東の北条、甲斐の武田、越後の上杉、中国の毛利、大坂では石山本願寺など絶えまない合戦がある。そう考えると伊賀を攻める状況にはないはずだ。信雄が、父信長や雪姫に、良いところを見せようとしての行動に違いない。
「一族の衆。我等は、黒田荘以来数百年、国司の支配は受けずにきた。決して信雄ごときに屈するつもりはない。」
波の強い言葉が、広間に集まっていた一族を鼓舞し、ざわめきが聞こえはじめた。
「一族の衆、慌てるな。服部も藤林も、我等と同じ思いじゃ。全ての伊賀衆で、この豊かな伊賀を守るのじゃ」
「そうや、そうや。信雄なんぞは追い返してしまえ」
郷士の一人が声をあげた。
「そこでひとつ、丹波より願い事がある」
丹波は百地一族の最高権力者だが、皆の意見をよく聞く。聞いてから、物ごとを進めてゆく方が、結束力が増すことを知っている。
「丹波さま。我らは丹波さまの言うことなら何でも聞くし、ついて行く。なあ一族の衆」
江三郎入道が立ち上がって言った。
「そうや、そうや。何でもや。なあ」
滝の原の久四郎が、とぼけているのか信頼しきっているのか、江三郎入道のことばに相づちを打った。
「そうじゃー、儂も同じじゃ」
「儂もや、丹波さまは儂らの頭領や」
「なんなら、丸山城を焼いてしまえー」
周囲がざわついてきた。
「静まれー!」
良介の大声が響いた。普段はおとなしい良介だが、凄い迫力の一喝に一瞬にしてざわめきは収まった。座が静まると、また丹波が話を続けた。
「この戦は長引くかもしれん。信雄の勝手な行動であっても、後ろには信長がいる。もし、信長が出てくることになれば、女も子供も戦に巻き込まれる。今まで我ら一族は、この丹波と、ここにいる郷士の衆で守ってきた。しかし、もっと働き手が必要になる。我らの次の世代の、若い者をまとめる頭領を作っておきたい」
「頭領なら丹波様がおられるから、それで十分ではないか」
「吉政殿、儂は六十八歳になった。元気に見えても、もう歳じゃ。それに、喰代の方はまだ手をつけたばかりで、そっちをやらねばならんのじゃ」
吉政は二十九歳だ。人生五十年と考えれば、吉政自身も、もう人生の半分を過ぎたことになる。そう思うと、六十八歳の丹波が言うのも分からないではなかった。
「それなら、良介殿に竜口は任せられるのか」
「いいや、若い者にさせたいのじゃ」
丹波は、隣に座っている小太郎を見て言った。
「小太郎にしてもらいたいと思っている。ここにいる小太郎にの。ただ、小太郎だけにさせるわけではない。儂も良介も小太郎の補佐をする」
丹波は、竜口の百地砦を拠点として一族を束ねているが、柏原城でも参謀役として吉政の助言をしている。
「丹波さまと良介殿が補佐なら心強い。それは良い、それなら大賛成じゃ。皆はどうかな」
一族の中でも吉政は、武力を中心に勢力を持つ郷士で人望もある。この二人が推薦しているのだから、皆は反対する理由がない。
「小太郎さまはいくつになられた」
「十六や」
「いや、十七じゃろう」
「十七か。それなら一人前じゃ。それに丹波さまの孫だけあって、しっかりなさっておられるしのう」
「酒も良介さまに似て、強いらしいのう」
「今日、儂は小太郎さまと酒を呑んだ。ほんに、しっかりしていなさった」
健太の知らないうちに、話は勝手にどんどんと進んでゆく。
「そうか。皆、賛成してくれるか」
丹波も機嫌よく喋っている。
「皆の衆、もう少し丹波さまの話を聴いてくれ」
良介が議事を進めた。
「頭領となれば小太郎ともゆくまい。そこで儂は考えたのじゃが、小太郎に新しい名前を与えることにする。良介、持ってまいれ」
丹波の指示を受けた良介が立ち上がり、廊下の前から折り畳んだ屏風と硯を持ってきた。皆が見守る中、丹波は筆にたっぷりと墨を含ませると、一気に屏風に文字を書いた。
「なんと書かれたんや」
「いや、わからん」
良介が小太郎の後ろに屏風を立てた。
「皆の衆、よーく見てくれ」
「なんと読むンじゃ」
「三太夫と読むんやないか?」
「ほーっ、三太夫か」
「良いお名前じゃ。文字の形が良い」
「神主のようでもあるのう」
丹波は、ざわめきが収まるのを待っている。やがて頃合を見計らって言った。
「百地三太夫じゃ。ここにいる郷士の衆は、今までどおり小太郎と呼んでも良いが、その他の衆は三太夫と呼んでもらう。」
(
それにしても丹波という爺さんは一族の頭領だけに凄い)。皆の意見を集約した上で決めているように見えるが、その実、丹波の示した方向へ事が進んでゆく。リーダーとはこういうものだと健太は感心して見ていた。
ただ、感心してばかりもいられない。当事者は健太だ。昨日は健太だったのが、今朝起きたら小太郎になっていた。今日一日がむしゃらに小太郎を演じてきて、今はそれなりに小太郎をやっている。そうしたら、今度は百地三太夫にされてしまった。それも伊賀忍者の頭領で忍術の達人だ。小太郎になったばかりの時は、何がなんだかわからずパニックになったが、今ははっきりしている。(伝説の忍者を自分ができるだろうか)主演に抜てきされたニューフェイスのように、使命感のようなプレッシャーが健太をつつんだ。
 評定後の懇親会では、郷士の衆が次々に酒を注ぎに来た。三太夫は朝のこともあるので、小さな平皿でなめるように受けては返盃をした。

夜があける頃にようやく宴は終わり、郷士等は三々五々退いて行った。皆が帰ると、丹波は健太と良介を書院に呼んだ。
「さて、小太郎。おまえも十七になった。少し早いかも知れんがナ、これからはおまえが一族を先導してゆくことになる。心してかからんとナ」
心してかかれと言われても、突然、百地三太夫になった健太としては、どう答えてよいかわからない。ただ、小太郎を演じることはできた。それも、特別にやろうとして、できたことではない。小太郎になった時のように、なりゆきに任せるしかないと思った。
「三太夫という名前はどうや、気に入ったか」
気に入ったかと言われても、これも答えにくい。健太にとって名張は故郷になる所だ。名張の忍者である百地三太夫が嫌いなわけはない。しかし、それが自分の名前だと言われても実感がわかない。
「ええ名前やろ。この名前にはな、深い意味があるんやデ」
丹波爺さんは、やけに嬉しそうだ。
「良介は服部の者やから、百地と服部は親戚や。しかしナ、本当はずっと前から服部とは縁続きやったんやデ」
能楽を興した観阿弥は、楠正成の妹と服部一族の服部次郎左衛門の間に生まれた。楠正成といえば南北朝時代の千早赤坂城主だ。さらに、百地一族の小波田の郷士の娘と観阿弥の間に生まれたのが世阿弥だそうだ。観阿弥と世阿弥が創ったのが、観世流という能楽だが、そのようなことで観世流能楽は名張で旗揚げされたらしい。
「我らが先祖は、猿楽では太夫や。その血筋を、我等は引き継いでおる。太夫というのはな、座で一番偉い人間で、神に奉仕する者の称号でもある。儂が一の太夫、良介が二の太夫で、小太郎が三太夫や。まあ、儂より良介の方が一枚も二枚も上手やがのう。ウォッホッホ」
丹波は上機嫌で、良介の酒の呑み方や、せわしい母の物まねをして笑わせた。
良介は、話を聞きながら淡々と手酌で酒を呑んでいる。村の衆や一族の前では、遠慮がちで目立たない良介だが、丹波の前では、どちらが頭領かわからない程の風格がある。二重人格か三重人格と思えるが、それも感じさせない堂々としたところがある。丹波が、この良介を心から信頼していることは言葉の端々でわかる。
丹波は話を終える前に、三太夫に二つのことを言った。
明日からは、台所の隣ではなく母屋で寝起きすること。そして必ず毎朝、丹波の部屋へ顔を見せることだった。つまり、丹波学校に寄宿し、早朝より丹波校長と良介先生から個人授業を受けろという意味らしい。遅刻や無断欠席は絶対に許されない雰囲気だ。帰り際、丹波は明後日の予定として、短野という百地の隠れ里について来るように言った。なんでも、無動寺の住職が怪しい者を捕えたとの知らせがあったらしい。
 『コケコッコー』
「これ三太夫。はよ起きさ。これ、三太夫」
また、はよ、はよの母さんだ。
「おまえは今日から、この百地の頭領やろ。お爺さまも、父さまも、とうに起きているというに。はよ起きて書院に行かんとな。朝餉を持ってゆくまでには必ず行くんやで。ええな」
三太夫になっても、小太郎の時とちっとも変わらない起こし方だと思った。ただ今晩からは、書院のある館で寝起きすることになる。そうすると明日からは、この母親も起こしてはくれない。それに、三太夫は百地一族の頭領だから、子供のように母さんに迷惑をかけているわけにもいかないだろう。
「ようし、起きた!」
かけ声をかけて起き上がると、勢いよくふとんを跳ねのけた。成りゆきに任せるつもりだったが、三太夫になった限り今さら引けない。歌舞伎役者が上の名前を襲名すると、その名に合った役者になってゆくと聞いたことがある。百地三太夫もそういう名前だろうと思った。
庭の手洗いで顔を洗って書院に行くと、良介が丹波と向かい合って話をしている。三太夫が部屋に入ると、丹波は畳の上に地図らしいものを広げた。地図は九州を扁平にしたようなもので伊賀全土が描かれている。左下に赤目四十八滝があり、竜口の所には百地砦が描かれている。百地砦の少し北に柏原城があり、宇陀川が流れている。地図の中央に丸山があり、大きく印がついている。西には比自岐、その東には喰代の百地砦が描かれている。
 
昨日行われた情報交換の場で、健太は伊賀の勢力が大体わかった。伊賀南部は百地一族。中部の丸山、比自岐、喰代あたりは服部一族と百地が共存し、中部より北は服部、藤林の一族に分かれているらしい。
「三太夫。ここが丸山で、ここが喰代や」
地図を指して丹波が言った。丸山は信雄が築城している所だ。
「こんな、ど真ん中に信雄は城を築いているのですか」
「そうや、だから儂は、喰代をしっかりと守らねばならん。そして、この佐那具と比自山は服部砦のある良介の里や」
丹波の見せてくれた地図で、だいたいの位置関係はわかる。ただ丹波の地図は、縮尺や距離スケールが載っているわけではない。山と川を中心とした位置関係の図だ。健太は丹波の地図にものたりなさを感じた。小学校の頃に見た〈わたしたちのふる里〉の地図とはだいぶ違う。地上での戦争というのは、常に地の利のある方が強い。最新鋭の軍事力を持つアメリカが、ベトナムやイラクで苦戦するのも地上ではゲリラ戦になってゆくからだ。戦国時代の戦争に空中戦はない、それなら地図は正確である方が良い。というよりは、勝機をつかむ必須条件だ。健太は精密な地図について丹波等に提案をした。
「丹波さま。伊賀は、山や谷、川が複雑にあります。戦となったら、この地形を利用することが、勝ち負けを左右することになると思いますが、いかがでしょうか。親父さま、紙はありますか」
健太は紙と筆を受取ると、丹波の出した地図を参考に伊賀の地形を描いた。そして、室生から名張を通り伊勢につながる初瀬街道。奈良から山添を越え柘植に抜ける大和街道。津から伊賀中部へ入る伊賀街道。甲賀から信楽を通り伊賀に入る峠越え道。これらの道の所に矢印を記入した。
「伊賀は四方を山で囲まれています。戦になれば、この矢印のあたりから攻めてくることになります。ここを良く調べて、簡単に入れなくすることが肝心です」
丹波と良介はあっけにとられた。三太夫は、周辺の街道の位置関係をほぼ正確に書き込んでしまったのだ。
「こ、小太郎。いや、三太夫。おまえはいつ伊賀とその周辺を知ったンじゃ」
三太夫は丹波の質問には答えず、重要地点の詳細な地図づくりを丹波に進言した。昨日とは、言葉づかいも違っている。
丹波も良介も、必要性は頭にあったが、実行する手段を思いつかなかった。三太夫が、どこまでできるかは未知数だが協力はおしまないと言った。
「さて、腹が減ったな」
丹波が、つぶやいた。
待っていたように、襖の外から声がかかり三人分の朝食が運ばれてきた。やはり朝から凄い量だ。昨日は気が動転していたから、食べたような食べなかったような感じだったが、実に旨そうだ。丹波は茶粥で、健太は玄米ごはん、良介は玄米粥だ。焼いた魚は三十センチもある大型のアマゴ。卵は地鶏の有精卵で、野菜は無農薬。あたりまえだが、漬物も着色料は使われていない。味噌も醤油も天然塩と自然酵母で作られているはずだ。一杯目は、卵かけごはんにして腹に流し込んだ。二杯目は、焼きアマゴと野菜の煮付け、さらに三杯目は漬物と味噌汁で食べた。日頃食べない和食の朝飯だが、あまりの旨さに、器もおひつも洗ったようにきれいにさらった。

次の朝、日の出とともに目ざめた三太夫は、朝食をとると短野に出かける用意にとりかかった。短野という地名は聞いたことがあるが、どこにあるのかは知らない。無動寺の住職の照栄和尚が知らせてきたのだから、茶臼山の近くに違いない。いずれにしろ隠れ屋敷というからには、人知れずひっそりとした場所にあるはずだ。子供の頃、林の中に隠れ家という基地を作って遊んだことを思いだした。
「さて、いこか、三太夫。庭に嬉しいものが待っているよってに、はよおいで」
竜口の百地屋敷は、二重の構造になっている砦だ。砦全体は、高い崖の上にある。敵が攻めて来ても、裏は山、前は険しい断崖だから一方向しか攻めようがない。その一方向だけに、地獄門と名付けられた大きな門があり、砦の中は、外からでは想像できない程の大きな庭がある。
丹波、良介、三太夫が、館を出て庭に行くと、中央に三頭の馬がつながれていた。一頭は灰色の葦毛、もう一頭は茶色の栗毛。両馬とも骨太の力強い体型だ。その隣に、ややほっそりとした青黒い馬がつながれている。近付いてゆくと、その馬はうっすらと汗をかき、その汗に空の青さが反射していた。ムダな肉のない馬体は、鋼の筋肉の塊だ。首を弓のようにしならせて前足で地面をけっている。さらに近付くと、潤んだ両目の間に、白い十字形の星模様があり、四本の足首は白い。遠くから見た時は他の二頭の方が立派に見えたが、近付くに従って黒い馬の方が大きく感じる。
「三太夫、あれがおまえの馬や。龍王夢言うんやで」
丹波はそう言うと、さっさと葦毛の方へ行った。
良介は、栗毛の首をさすりながら豆を与えている。
「三太夫、龍王夢に乗ってみ。佐那具の服部半三保長さまから、おまえに頂いた馬や。儂もこのような馬は今まで見たことがない。その脚と鼻の白い模様を四白流星と言うてナ、まだ四歳になったばかりや」
保長は、良介の兄にあたる。服部本家の次男として育った良介は、百地からの強い要望で入婿となったそうだ。先日、丹波が喰代の砦に行った帰り、北に足を伸ばし服部屋敷に出向いた。小太郎を頭領にすることを保長に告げるためだった。
保長は、大いに喜んだ。自分の甥が伊賀中南部を支配する百地一族の頭領になるのだ。祝の品を何にしようかと思案したが、なかなか思いつかず周りの者にも相談をした。すると、安土にいるポルトガルの宣教師の馬を盗み出した者が、一族の中にいるという話がでてきた。見たことはないが、大層素晴らしい馬との噂だ。
保長は直感的に、これぞ新しい頭領の祝いだと思った。早速その馬を差し出すよう遣いを送った。遣いに出したのは息子の半蔵正成だ。正成はまだ若いが、武芸全般に秀でており、服部一族の次期頭領として誰からも慕われている。保長の意を受け、正成が出張ったのでは嫌も応もない。馬はその日のうちに佐那具に着いた。
丹波が竜口に帰る朝、保長は自らその馬を引いてきた。そして、小太郎が頭領を継いだ日、祝いとして渡して欲しいと言った。馬の名は、新しい門出を祝い、竜口の王の夢という意味で〈龍王夢〉とつけられていた。
 丹波と良介は慣れた様子で、馬の背に跨がった。健太は、体操部の鞍馬は乗ったことがあるが、生きた馬には乗ったことがない。ただ、自転車でもそうだが、跨ぐ方の足で地面を蹴れば体は回転する。左足を足踏みに掛け、鞍をつかみながら右の足で地面を蹴った。体は、鮮やかに回転し龍王夢の背にあがった。やってみれば、思ったより簡単だ。
長身で細身の三太夫が、漆黒の四白流星に跨がると絵のように美しい。屋敷の女達は、その姿をうっとりと見つめていた。その時、台所の方から三太夫の母に背中を押されて、若い女が駆け寄ってきた。百地屋敷の家老職、山中崇治の娘久美だ。
「三太夫さま、これ」
小さな竹の皮の包を、馬上の三太夫に差し出した。頬を染めた久美は、また小走りで秋のいる台所の方へ消えていった。
良介も丹波も素知らぬ顔をして地獄門の方に馬を駆った。門をくぐると、馬二頭がすれ違うこともできないほどの狭い道が砦の下までつながっている。狭い道を降りきると阿清水川から滝川まで抜ける山道が続いている。阿清水川からは川沿いに宇陀川方向。滝川を抜けても、川づたいに柏原城方向へ行ける。
丹波は阿清水川沿いの道を選んだ。
三太夫の騎乗する龍王夢には、ほとんど揺れが感じられない。たづなを緩めるとスピードはグンッと増し、絞めると止まる。右手のたづなを軽く引くと右へ曲がり、左を引くと左へ曲がる。遊園地で乗ったゴーカートよりおもしろい。三太夫は、あっと言う間にテクニックを習得した。
宇陀川までは一本道だ。たづなを絞ったり緩めたり、心いっぱい乗馬を楽しんだ。龍王夢は三太夫の操作を見こしたように一体となって走ってゆく。道沿いの木立が後ろに飛び、たてがみが風に吹かれて水平になびいている。道を走っているというよりも、風の中を飛んでいる心地よさだ。夢中になって林を抜ける。空が大きく開いて、田畑が一面に広がっている場所に出た。遠くに宇陀川の葦の群生が見える。丹波も良介も、いっこうに追いついてこず姿が見えない。丹波、良助を待つため龍王夢からおりた三太夫は、田に引かれている水を両手ですくって飲んだ。龍王夢ものどが渇いたのか一緒に飲んだ。ほんとうに旨い、甘い。山の神様からの恵みの水だ。あぜ道に仰向けになって、ゆったりと流れる雲を見つめていると、ようやく、ひずめの音が聞こえてきた。
「おーい。三太夫」
良介の声だ。後ろを丹波の葦毛が駈けてくる。三太夫は起き上がると、二人に向って大きく手をふった。
「おお。三太夫か」
息遣いがあらい良介は、フーフー言いながらことばを続けた。額から首筋まで、流れる汗をかいている。
「その、龍王夢は、何と、速い。とてもついてはいけん。丹波様の馬も儂の馬も、砦では一、二を争う名馬だというに、龍王夢は怪物やな」
やっと丹波の葦毛が追いついた。
「ああ。三太………
頑張って追掛けて来たのだろう。息が荒く、話も出来ない状態だ。三太夫にしてみれば、ただ馬なりに駈けてきただけだから、丹波と良介の状態に逆に驚いている。二人は馬から下りて、倒れ込むように小川に行くと、頭から水をかぶった。よほどこりたのだろう。やっと落ち着いた丹波は、ここからは、ついて来るようにと命じた。
丹波を前にして、しばらく進むと、宇陀川の大きな流れに突き当った。宇陀川を右に曲がり並み足で堤を駆けてゆくと河原におりる道があった。河原は平坦な岩場で、水の下にも平らな岩が続いている。水底の橋だ、水深で言うと十五センチメートルぐらいしかない川が、向こう岸まで続いている。水深は浅いが、川の流れは速く足を取られたら一気に押し流されてしまいそうだ。丹波は慎重に、一歩一歩、水底の橋に馬を操ってゆく。その後ろを三太夫、そして良介と続く。三太夫が振り向くと、良介も馬の足下を確認しながら馬を進めている。龍王夢はというと、まだ遊び盛りの若駒だけに、水の気泡に足を出してじゃれている。ただ、岩場に着いている三本の足は、しなるように筋肉が伸縮を繰り返し、胴の揺れは全くない。
川を渡り終えると、安部田の江三郎入道が三人の男衆を連れて河原に向かって走ってくる。
「お早いお着きで。いや、儂が遅れたのやろうか、丹波さま」
「なに、ちょっと。三太夫と馬合わせをしてきたのじゃ」
「ほんならええんですが、儂が時を間違えたのかと思った。我が家に、茶の用意をしてあります。短野まではまだありますゆえに、良介さまも三太夫さまも、お立ち寄り下さい」
江三郎入道は、三人の男衆に馬のたづなを引かせた。
土塀に囲まれた寺のような屋敷に着いた。門を入ってすぐに馬止めがあり、中央には大きな樫の木が生えている。馬屋や穀物倉など、いくつかの建物があり、宇陀川から引かれた水で池が作られている。池の上に、迫り出すように作られた部屋もある。三太夫たちは、この池の上の部屋に通された。八畳ほどの部屋は板の間になっていて、ここに座ると池の中まで見透かせる。青々とした楓の葉を抜けて差し込む陽光で、水面がキラキラと輝いている。三太夫が池をのぞいていると、白地に朱模様の大きな錦鯉が近寄ってきた。
屋敷を出る時に、久美が渡してくれた竹の皮の包を思い出した。きっと握り飯に違いない。少しぐらい鯉にやってもいいだろうと、懐から包を取り出した。細く折り畳んだ竹の皮の紐をほどくと、葉蘭に区切られた三つの握り飯が出てきた。青菜の塩漬けを混ぜた緑の握り飯、タンポポの花とゴマで飾った黄色の握り飯、ゆかり紫蘇を振りかけた赤い握り飯、俵型にきれいに握られている。心を込めて、ていねいに握られているのがよくわかる。あまりきれいなので、鯉にやってもいいものかどうか躊躇していると、突然後ろから呼びかけられた。
「小太郎さま。じゃなかった、三太夫さまかしら」
三太夫と同い年ぐらいの、目のぱっちりとした髪の長い女の子が立っていた。
「そのおにぎり………。あっそうか、鯉にあげるのね。美穂にもひとつちょうだい」
まん中のタンポポの花の握り飯を取り、二つに割って池に放り投げた。水に沈む間もなく、大きな口を開けた鯉が一口で飲み込んだ。
「三太夫さまもやってみて」
美穂は、残った半分を三太夫に渡した。しかたなく、その握り飯を池に投げた。池のあちこちから何匹かの鯉が集まってきた。
「次は菜飯のおにぎりにしましょうか、三太夫さま」
美穂はもう緑色の握り飯をつかんで割っている。(まずい! 久美は、鯉にやるために、こんなにきれいに握り飯を作ったのじゃない)頭でつぶやいているうちに、全部鯉の餌になってしまった。
「鯉は満腹ね。三太夫さま、お腹すいてない。美穂、朝から三太夫さまのために、お料理を作っていたの。良介おじさまも、丹波おじいさまもご一緒にどうぞ」
すまし顔の美穂は、母屋の方に戻って行った。
獅子舞の獅子のような江三郎入道だが、愛娘のこととなると、ただニコニコとしているだけだ。
「いやいや、あのように言うとりますよってに、早い昼飯と思って食べてやってくださらんか」
江三郎入道は、一人娘の美穂が可愛くてたまらないのだ。しばらく談笑していると、美穂は手伝いの女達と四つの膳を持ってきた。三太夫の膳は美穂が持ってきた。他の膳とは違い白い花が飾られている。
膳の上には、押し花をすき込んだ二つ折りの紙が置いてあり、〈百地三太夫さま〉と、流れる文字で書いてある。紙を開くと膳の絵があり、料理に使われた魚や野菜などの素材が描いてある。図鑑のような線画に淡彩で着色している。三太夫は、あまりの見事さに言葉を失った。
三太夫の横に座った美穂は、あれこれ話しかけてくる。先程の握り飯を作ったのは誰かとか、久美はどんな服を着ているのかという質問だ。久美は十四歳で美穂は十二歳らしいが、美穂の方が背が高いせいか同年齢のように見える。
安部田に入ったのは昼前だったが、美穂が引き止めるので昼を大きく越してしまった。食事が終わっても、美穂は三太夫を放そうとしない。丹波も楽し気に話を続けている。予定と言うものは無いのかと思っていると、やっと良介が腰を上げた。
安部田からは江三郎入道も同行することになっていたようだ。門の外まで送りに来た美穂は、名残惜しそうに、いつまでも手を振っていた。
安部田から黒田は、そう遠くはない。軽く馬を走らせてゆくと、無動寺の西の坊が見えてきた。閻魔堂を右に見て過ぎると橋があり、左手に表門がある。無動寺の和尚からの知らせと聞いていたので、寺に入るのか思っていると、丹波は通り過ぎて行く。岸側は竹薮が続いており、竹の葉の擦れる音が聞こえる。突然、カーンという甲高い、竹の割れる音が響いた。音に驚いた龍王夢が、いきなり堤を走り出した。江三郎入道が慌てて追掛けて来た。食事の最中に丹波が、龍王夢が走り出したら着いて行けないと話したようだ。たづなを絞り龍王夢を抑えていると、ようやく丹波の葦毛が追いついてきた。宇陀川と名張川が合流した地点から、平坦な田畑がずいぶんと広がっている。山側に見える集落が大屋戸という地区だ。大屋戸には、杉谷右衛門の館がある。右衛門は、久美の父崇治の弟にあたるそうだ。
集落の方から二頭の馬が駆けてくる。
「丹波さまー。えらい遅い、お着きで」
大屋戸の杉谷右衛門だ。右衛門も、丹波や三太夫のために、昼飯の支度をしていてくれたらしい。良介は、江三郎入道の所で食事を済ませたと丁重にあやまった。
「丹波さま、食事がお済みでしたら、まずは我らが氏神様にお参りくださりませ」
右衛門は、大江氏の氏神である杉谷神社の守をしている。大江氏の氏神は、百地一族の氏神でもある。右衛門の案内で杉谷神社に着いた六人は、鳥居の前で馬をおりた。浄水で口をすすぎ、手を浄めると社殿に向った。社殿は、前の広間と奥の間が廊下でつながっており、その間には中庭がある。奥の間のさらに奥に、もうひとつ社殿がある。そこが神殿で、氏神様が祀られている。奥の間までは誰でも入れるが、神殿入りを許されているのは百地一族でも特別の者だけとなっている。右衛門の共をしてきた者は、手前の広間に控えた。
「さあ。こちらでございます」
右衛門は、丹波、良介、三太夫、江三郎入道の順で神殿へ案内してゆく。細かな白砂の上を、白い鼻緒の下駄で渡ってゆくと、石造りの急な階段がある。朱塗りの扉を開くと、燭台に明かりが灯してある。もの珍しさに辺りを見回していると、どこからか声が聞こえた。
「三太夫さま、こちらです」
声はするが、誰もいなくなっている。辺りをうかがうと、神棚の下あたりから声は聞こえる。薄暗くて良く見えない。行ってみると一メートル四方ほどの穴があり、右衛門が見えた。突き当たりは土壁だ。右衛門が端の一ケ所を押すと、土塀が回転し抜け道ができた。皆が入るのを確かめると、右衛門はもう一度、扉を回転させて入口を塞いだ。奥へ奥へと案内してゆく。中は左右に、また左右にと道が分かれ迷路になっている。案内がなければ確実に迷子になる。鍾乳洞を探検するように十五分ほど行くと、うっすらと外の明かりが見えてきた。薄明かりを目指し、さらに数分歩くと、やっと出口に着いた。外から今来た抜け穴を見たが、葛の葉で被われて、どこが抜け道だったか皆目わからない。抜け道を出た所で、丹波と良介が坊さんと話をしている。この坊さんが伊賀無動寺の照栄和尚だ。三太夫は、和尚と丹波との話に耳を傾けた。
和尚は、捕まえたのは異国の<くノ一>ではないかと言っている。この辺りでは見たことのない身なりの若い女で、名前は文と言っている。
健太はすぐに松尾文だと思った。心臓が大きく脈を打った。嬉しくて、飛び上がりたい衝動にかられたが何とか抑えた。
歩きながら照栄は三太夫に話し掛けてくる。
「三太夫さま、気をつけられよ。あれは、良からぬ女に違いない。石のように硬い箱とか、異様な赤い兜を持っている。安土に来ている、イエズス会とかいうバテレンの仲間かも知れませんぞ」
知らない振りの三太夫は、相づちをうって適当に応えた。知っている女だと言っても、丹波や照栄たちは信じないし、逆に文を救う可能性をつぶすかもしれない。
「なあに和尚、恐れることなどない。俺に任せてくれるなら、その女が何者か全て聞き出してやる」
「もしバテレンの仲間なら、信長さえもたぶらかされているのです。三太夫さまなら大丈夫とは思うが、よほど気をつけんと危ない危ない」
話をしながら照栄は、文を放り込んだ炭焼き小屋に案内した。
照栄の話では、漢字も書くが読めない文字も描く、その上歴史に詳しく未来の話もする巫女のような娘だという。

雑木が、うず高く積まれている小屋の隅に、しょんぼりとうずくまっている文がいる。いつもはゴムまりが弾け飛んでいるような文が、下を向いて小枝で地面に何か書いている。1、5、7、7。

アラビア数字を見たことのない照栄には、何のことだかわからない。
「ほれ、三太夫さま、見てくだされ。絵か文字か符牒か、訳のわからぬものを書いては消している。実に怪しい」
四人の男が近づいてくるのを見て、文はさらに小さくうずくまった。
小さい頃からのお転婆で活発な文を知っているだけに、健太は胸が痛んだ。健太が目の前に行っても、全く文は気づかない。髪の形も変わり、衣裳も黒の陣羽織だから当たり前かもしれない。
「和尚、見ればまだ若い娘じゃないか、手荒なまねはしてないだろうな」
三太夫が言った。
「我々は仏と百地一族に仕える者、女子供に手荒なまねなどするわけがない。それにしても、百地三太夫さまは、良い頭領になられそうじゃ」
同い年ぐらいの若者の優しい言葉と、百地三太夫という名に文が反応した。
「百地三太夫。伊賀忍者の」
「なんじゃと、娘。百地三太夫という名に聞き覚えでもあるのか」
丹波が、山賊の親玉のようなドスのきいた声で突き詰めた。百地を知っている者は多いが、百地三太夫となると話は違う。三太夫という名前は昨日、初めて丹波が命名したもので、一族以外が知っているはずがない。
文が答えそうになっているのに、健太は気づいた。百地三太夫は服部半蔵と並んで伊賀で有名な忍者だなどと言い出したら、何が起るかわからない。とっさに健太は口でリズムを刻んだ。
「タタタ、ターン、タッタッタッ、ターン………
突然の三太夫の行動に、皆はあ然となった。
「静かにせんか三太夫。今の呪文はなんや」
目を丸くした丹波は、不思議そうにたずねた。
緊張感を解いて話題をそらせることは成功した。次は自分が健太だと文にわからせなければならない。わざと大きな声で応えた。
「ルパン三世のテーマソング」
「えっ
 よく判らん。良介、判るか」
良介も首を傾げている。
「大泥棒の謡です、丹波さま。ここは大江一族の氏神の里だから」
三太夫の声で、文はハッとした。(このリズムはルパン三世のテーマソング)。健太の携帯の着信音だ。
「おい、娘。和尚の話では巫女のようだと聞いた。巫女ならば神の遣い。今の謡を再現してみろ」
文が三太夫をうかがうと、三太夫の片目がパチリと合図を送った。

この三太夫は健太だ。やっと文にもわかった。安堵の涙がにじみ出てきた。文は震える声でルパン三世を復唱した。
「タタタ、ターン、タッタッタッ、ターン………
丹波達は泣きながら、震える声で熱唱する文を見て驚いた。一度聞いただけの訳の分からない早い謡を、何度も何度も狂ったように涙を流して歌っている。
「タタタ、ターン、タッタッタッ、ターン………、タタタ、ターン、タッタッタッ、ターン………
三太夫も続けて歌った。三太夫は歌いながら飛び跳ねだした。
丹波は三太夫が自分を呼ぶのに〈丹波お爺さん〉から〈丹波さま〉に呼び変えていることに気づいていた。頭領の自覚が芽生えていることは確かだ。今歌っている行動は、よくは分からないが、三太夫に何らかの策があるのだろう。飛び跳ねて歌う三太夫と、泣きながら歌う文の姿を見て丹波は全てを三太夫に任せることにした。
「和尚、ゆっくりと話がしたい館にまいれ。それから三太夫、その文という娘は、おまえに預ける」
丹波は、照栄等と短野の館に戻って行った

 

丸山城

二人だけで知らない過去にきてしまって、なんとか捜し出そうとしていた文がやっと見つかった。しょんぼりとうずくまっていた文を見ただけに、たまった喜びが一気に爆発した。健太はゴールを決めたサッカー選手を迎えるように、文の頭を抱え込んで、きつく抱き締めた。文は、健太がこんなに頼もしく思えたことはない。狼のいる原野に、ひとりぼっちで放たれていた心境だった文は、健太の強い腕の力が快かった。暖かい鼓動が聞こえてくる。緊張の糸が切れ、わけもなく涙が溢れてくる。しばらく健太にしがみついて泣いていた文は、健太の体温を感じて、やっと落ち着きを取り戻した。
「健太くん、なによ。突然抱きつかないでよ」
言いながら、まだ涙を拭っている。
「ごめん。俺、文に会えて、あんまり嬉しかったから。ごめんな」
「まあ、わたしもだからいいけど」
やっと、いつもどおりの文と健太になった。冷静になったところで、なぜこんな所に捕われていたのか健太はたずねた。
健太が想像していたとおり、阿清水川で蛍の大群に会って、光のトンネルに入ってから、この世界に迷い込んだと文は言った。それよりも文は、なぜ健太が百地三太夫なのか不思議でならないと言う。しかし、健太もなりゆきで百地三太夫になってしまったのだから答えようがない。
「俺が百地三太夫になった、いきさつはゆっくり話すよ。だけど文、おまえの身の安全を考えれば、俺は百地三太夫で良かったと思う。百地は、この辺りの郷士の頭領なンだ。さっきの爺さんは、百地一族で一番力のある百地丹波という人で、三太夫の祖父。それに、黄色の陣羽織を着た人は、三太夫の親父の良介。獅子頭みたいな人も和尚も神主も、皆百地一族だ。だから文は、俺の言う通りに行動すれば身の安全は保障できる」

目を見つめて真剣に話す健太に、文はうなずいた。
「それで、私は何をすればいいの」
「文は、歴史や国語が得意だから、俺の国語と社会科の先生だな。情報を集めて、今後起ることについて俺に教えてくれ。それから二十一世紀への帰り道を探そう。その前に、文を百地一族の重要人物に仕立て上げる必要があるけどな」
「わたし、疑いをかけられているのに………。百地一族の重要人物なんかになれるのやろか」
「ここに来る途中で、文のことを巫女のようだと和尚が言っていた。そのイメージを利用しよう」
「どうやって?」
「文の不思議な力を見せつけて驚かす。その上で、一族の味方になってもらいたくなるように仕掛ける」
 健太と文は、細かく打合せをしたあと丹波たちの居る屋敷に向った。
勝手口をのぞくと、広い板間に造られた囲炉裏端で丹波等が、茶を飲みながら話をしている。
健太は、文を入口付近で待たせ、五人の方へ行った。
「丹波さま。文という娘を調べたのですが、あの娘は神の遣いの巫女かも知れません。不思議な力を持っています。あの力を百地一族に利用できればいいのですが」
わざと、文に聞かせたくない風を装って囁き声で言った。それでいて、丹波とまわりの人達が聞き耳を立てれば聞こえるという微妙な声の大きさだ。
丹波も囁くように言った。
「不思議な力とはどのようなものだ、三太夫」
「ご覧になるのが一番です、神業とは、ああいうものを言うのでしょう」
この、もったいぶった言い方に皆は誘い込まれた。江三郎入道が、三太夫に近づいて来て囁くように言った。
「三太夫さま、その不思議な神業はすぐに見られるのですか」
「見られますが、神に仕える巫女だから、氏神様の神殿で見るのがよいのでは」
「三太夫さま、すぐに杉谷神社に行こう、すぐに。どうじゃ右衛門、よかろう」
「儂はいいが、丹波さまや良介さまはどうやろ」
江三郎入道が右衛門に話をすると、丹波も良介も異論ははさまなかった。
三太夫は頭を掻くようなしぐさをして、入口付近に控えている文にVサインを送った。文の不思議な力を見ることになり、一行は杉谷神社に逆戻りすることになった。神社から短野に来るには遠かったように感じたが、一度通った道はそれほどでもなく神殿に到着した。三太夫は、五人を神殿内の扉のあたりに座らせ燭台の灯りをひとつひとつ消していった。窓もなく、扉も閉め切られている神殿は当然真っ暗になった。
「三太夫、これでは何も見えんではないか」
良介が言ったが、三太夫はそれには答えず右衛門にたずねた。
「右衛門さま、ここには今、灯りも火も何もないですね」
「今しがた三太夫さまが、全て消してしまわれたではないか」
「燭台に火を灯したいのですが、どうしたらよいでしょうか」
「たわむれては困るのう三太夫さま。火種は前の社殿の広間にしかないから、広間に行って持ってくるほかはなかろう」
二人のやりとりを聞く丹波は、何も言わず静かに待っていた。
「文、こっちへ来い」
真っ暗な中で三太夫は文を呼びつけた。
歩く気配で、文が近づいて来たのが全員にわかった。
「文、火を燈せ」
三太夫の言葉につづいて、文が怪しげな呪文を唱えだした。
「オキツヒコノカミ、オキツヒメノカミ、ファイヤー、ファイヤー、ファイヤー………
「三太夫さま、火種のないところで火がつくわけがないやろ」
右衛門が小馬鹿にしたが、文はまだ呪文を唱えている。
「オキツヒコノカミ、オキツヒメノカミ………
呪文を唱え終わると、文はパンッ、パンッと柏手を打った。その途端、文の両手の間に炎が浮いた。真っ暗やみの中の火は、眩しい程明るく辺りを照らした。
赤い炎が、文の白い顔を下から照らして、恐ろしい程に厳かに見える。だんだと火力が増し、火柱は手から噴き出す青い炎となり、ゴーゴーと音をたて始めた。
神殿内に反響する火の音の恐ろしさに、照栄は耳を塞いだ。文の掌から噴き出していた炎は徐々に小さくなっていった。火を自由に扱える文の姿を見て、一同は恐怖を感じていた。文は、火を手に包んだまま、ご神体の前に進み燭台に灯すと、手の中の火はスーと消えた。
丹波と良介は息を殺して見ていたが、腰を抜かした照栄は念仏を唱えている。獅子頭の江三郎入道は、ポカーンと口を空けたまま目はうつろで瞬きすらしない。右衛門だけは神に仕える人間らしい落ち着きをみせた。
「丹波さま、このお方は、間違いなく神にお仕えになる巫女様です。決してそそうのないようにしなければ罰があたります。オキツヒコノカミもオキツヒメノカミも火の神様であらせられます。我等が氏神様に火の神様の灯明をあげていただいたのです。感謝しなければなりません。右衛門はこの火種を絶やさないようにお守りするつもりです」
健太と文のストーリーどおりになってきた。すかさず三太夫は言った。
「文、あなたが神様の遣いの巫女であることは、先程聞いて知っている。杉谷神社の右衛門さまも、そう言っているのだら間違いないだろう。それはそれとして、この三太夫に仕えてくれる気はないか」
芝居がかっている。しかし、何もない所から火を熾したところを五人は見ている。場所は密室の怪しい雰囲気。映画館で映画を見ているうちに、自分が主人公になってしまったようなものだ。芝居がかっているほど気持ちは高まり、現実から遊離してしまう。

ゆったりとした口調で、文が話し始めた。
「無動寺から短野に連れて来られた時、逃げようと思えば火をつけて逃げることもできました。しかし、私は神の遣いです。捕らえられたことも試練と思い、神に身を任せました。そんな私に、三太夫さまは優しく声をかけてくれました。弱いものを慈しむ心は、神の心にも通じるものです。力になりたいと思いますが、私は神に仕える身です」
文を捕えた照栄は困り果て、泣きそうな顔を伏せている。しかし、丹波も良介も、三太夫のことを認めてくれる文の言葉に大いに気をよくした。
「文さまと言われたな。三太夫は良き心根の息子でござる。ぜひ力になってもらえんだろうか。三太夫が百地一族の頭領となった途端に文さまに巡り会う。これはやはり縁であろう。なんぞ望みがあるなら言ってくだされ。丹波さまと儂が何なりと叶えてしんぜようではないか」
「良介の言うとおりじゃ。文殿が神に仕える身なれば、巫女のまま三太夫に味方してくれるだけで良い、のう三太夫」
良介も丹波も、すっかり芝居の中に入ってしまった。
神棚の灯明だけという、仄暗い明かりの中で文はうなずいた。
「ただ、まだ皆様のことがわかりません」
「そうかそうか、それならば良く知っていただくようにしよう。それがよい。文さまが、三太夫の味方をしてくれるようだぞ。これはめでたい、のう照栄」
「ナミアミダブツ、ナミアミダブツ。めでたい、めでたい」
照栄は、自分が捕まえさせたことを、忘れてしまいたいと思っている。
 文が百地一族の味方をしてくれると決め込んだ良介は、すぐ行動に移った。
「それでは、文さまが我が百地一族の仲間になった祝いをしよう。短野の屋敷で、我等を良く知っていただこう。な、右衛門」
そう言うと良介は、さっさと抜け道を通って短野の屋敷に戻って行った。
良介と右衛門は、何も言わなくても分担ができているようだ。宴の支度をすると言って、右衛門も立ち上がった。照栄和尚は神殿から出ると、夢から覚めたようにボーとしている。神の遣いを捕えてしまったてまえ、ばつが悪くて文に近寄らない。江三郎入道と丹波の後について短野の屋敷へ帰って行った。しかし、いつのまにか居なくなってしまった。
館に帰った右衛門は、神社への供物の奉納を細かく命じた。杉谷神社の奥の広間には次々と魚や野菜、酒が運ばれて行った。
 文と三太夫が短野に着くと、良介は屋敷を管理している夫婦と、膳や器の用意をしている。大きなかまどで湯が沸かされ、小さいかまどには鉄の棒が乗せられている。杉谷神社の奥の広間に運ばれた供物は、抜け道からここに運ばれて料理されるのだ。良介と右衛門の間では、良くこのような宴会が行われているらしい。
 夕方になると、無動寺の上の坊から照栄と猿楽太夫の大倉五郎次が下りて来た。良介は、もう酒が少し入っているのだろうか、鼻歌まじりで膳に料理を盛りつけている。
宴は舞台が付いた十二畳ほどの部屋でする。三太夫と文は、部屋に燭台を運んだ。三太夫が燭台を置くと、文は灯明皿に油を注いだ。そして、オキツヒコノカミ、オキツヒメノカミ、ファイヤーと言うと百円ライターで灯芯に火をつけて回った。
膳の配置は、舞台を正面に二膳と左右に三膳の計八膳が並べられた。正面には三太夫と文、三太夫側には丹波、良介、江三郎入道。文側には右衛門、照栄、大倉五郎次。まるで内輪の結婚式を思わせる配置だ。
短野の屋敷を管理している夫婦が、次々と、できたての料理を運んでくる。料理に合わせて器が選ばれているのが良くわかる。酒の量は、神社に奉納するほどだから中途半端ではない。四合は入りそうな伊賀焼のとっくりで、どんどん出てくる。
自分の屋敷の中という安心感からか、良介は水神様の時よりもハイペースで呑んでいる。丹波の呑みっぷりも凄い、どんぶりのような器に、なみなみと注いでは呑み干す。江三郎入道は酒がだめらしく、お茶を飲みながら食べることに専念している。三太夫は、この前の件もあるので江三郎入道に合わせてお茶にした。そのうちに、とっくりを下げた照栄が、文の前に正座をした。
「文さま、先のことは誠に申し訳なく思っている。悪気はなかったのじゃ。丹波さまより、北畠信雄の丸山城の修築の話を聞いていたので警戒のあまり、つい疑ってしまったのじゃ。どうか許してくだされ」
頭を下げると、とっくりを文の方に差し出した。火を熾した文を見た照栄は、神様の遣いの巫女と信じきって心から謝っている。
気にしなくてもいいと言う文は、盃を受け少し挙げるとクイッと一気に飲み干した。
「うわっー。おいしいっ」
口をつけた盃のところを指で拭うようにして、その盃を照栄に返すと酒を注いだ。何だか、やたらと慣れている風だ。酒で赤くなった照栄は、つるつるの坊主頭をさすって照れている。座敷は女一人に男七人だ。文がいける口だとわかると、若く美しい文に皆が酒を勧めに来る。来るものこばまずで、呑んでは返盃している文を、三太夫が心配そうに眺めていた。それほど酔った風もない文は、一人ずつと何やら話をして、いろいろと聞き出している。いつの間にか、座っている位置はゴチャゴチャになり、全員が文の周りに集まってしまった。三太夫と江三郎入道以外の人間は、目が据わってしまっている。
酔ったふりをする文は、江三郎入道に酒を勧めた。
「おひとついかが」
「いや文さま、儂は、不調法なもので」
江三郎入道が呑めないと断ると、文はさらに酒を勧めた。
「コラー。江さん。文の酒がヒックッ、飲めないの、れ、す、か」
呂律が乱れて管を巻いている。呑めない江三郎入道だが、酔っ払いの巫女さんに絡まれたのではしょうがない。しかたなく盃を一気にあおった。
丹波は最初からどんぶりで呑んでいるのだから、もうとうにイビキをかいて寝ている。江三郎入道は、文の酒でのびてしまった。普段は酔わないと有名な良介も、飲み仲間の右衛門と意気投合して、完全にできあがっている。無礼講と言うのか、照栄も好き勝手なことを言っている。何の話しがどうなっているのか、わからない状況だ。たまに〈健太君〉とか〈百円ライター〉とかいう言葉も飛びかっているが適当に会話は続いている。
「五郎ちゃんは、有名な猿楽太夫なの、で、す、か。竜口の子供達に聞いたけど、ちょっと猿楽やって見せてよ」
文もほんとうに酔い始めている。
「太夫、太夫。五郎ちゃん。五郎ちゃんッ」
照栄まで、文と同じように、ちゃんづけで大倉五郎次を呼んでいる。
大倉五郎次が舞台に出てゆくと、良介もついて行って、何やら即興の芸が始まった。
「良介冠者、良介冠者、何杯呑まれた」
「一杯、一杯、腹いっぱいじゃ。五郎次冠者、五郎次冠者、何杯呑まれた」
「飲過ぎじゃ、飲過ぎじゃ、立ってもおれずに、はいはいじゃ」
動作や顔の変化が面白く、照栄も腹をかかえて笑い転げている。丹波、良介、江三郎入道、右衛門、照栄、五郎次、文。この宴がいつ終わったのかは誰も知らない。別室へ運んで寝かせたのは三太夫と短野の夫婦だった。
 『ホーッ、ホケキョ』
山里では夏でも鴬が鳴く。鳥の声に起こされて三太夫が台所に行くと、管理人の妻と若い女性が、楽しそうに話ながら朝食の支度をしている。聞き覚えのある笑い声に、目をこすって良く見ると、浅葱色の上品なきものを着た女性は文だった。昨日とはうって変わって、この時代に溶け込んでいる。ちょっと見では、文とは誰も気づかないだろう。
「文ちゃん。じゃなかった、文殿。その姿は」
「春さまに着せていただいたの。おばさまの若い頃のお着物だそうで、私にぴったり」
管理人の妻は、春と言う名前らしい。春は微笑みながら文を見ている。昨日は料理を作ったり運んだり、忙しく働いている春だったが、料理の盛りつけにも彩りにも気づかいがあった。文が着せてもらっている浅葱色の着物も、地味だが奥深い華やぎがある。早朝の露の降りた野を感じさせる色合いだった。
ふたりが並んでいる姿は、まるで仲の良い親子のように見える。
「三太夫さま、朝餉の支度ができましたから、皆様を起こして昨日のお部屋へ案内してくださいな」
春が三太夫に言った。言われて春を見ると、竜口の母親にも似ている。優しく気品のある人だと三太夫は思った。
 
皆が起きると、春と文がお膳を運んできた。朝食を運ぶ、着物姿の文を見て、その麗しさに全員が目をみはった。
「文さまには、どこに住んでもらおうか」
朝食を食べながら良介が独り言のように言うと、照栄と右衛門が同時に答えた。
「それは、ここがよかろう」
無動寺も大屋戸も短野は近い、(ふたりとも文に近くにいて欲しいようだ)
特に杉谷神社の神主をしている右衛門にとっては、巫女である文は娘のようにも思える。男の子ばかりの右衛門は、以前から兄崇治の娘、久美のような女の子が欲しいと思っていた。それが今、実現したようなつもりでいる。三太夫にとっても短野は都合が良い。短野は隠れ屋敷だから沢山の人達が出入りすることはなく、秘密の打ち合わせには最適だ。
「文殿、皆様がおまえはここに住むのが一番いいと言っている。どうだろうか」
「春さまも、お母さまのようですし、私もここが好き」
皆の意見が短野に傾いているので、右衛門は嬉しくてしょうがない。
「良介さま、それならば裏の離れが、良いのではなかろうか。ちょうど二間で、ひとりには良い大きさや、ナ、どうやろ」
まるで、自分の娘の相談をしているようだ。
 
朝食が済むと、文の住まいのことは全て右衛門に任せるということになった。
丹波と良介は竜口へ帰ることになったが、三太夫はもう少し短野の屋敷に泊まることにした。右衛門の館からは、桐の箪笥、化粧台、着物、履物、布、組み紐など女の子が喜びそうなものが次々と運び込まれてくる。春は自分の娘の物のように、それらを離れの部屋で整理している。
 
三太夫と文は、現状を分析するために母屋の書院で語り合った。
「文、歴史年表は書けそうか」
「うん。今が天正六年だとわかったから、だいたいは書けるよ」
文は、紙に天正六年・北畠信雄・丸山城を修築。次の行に天正7年・北畠信雄・伊賀攻め。一行飛ばして、天正九年・天正伊賀の乱で伊賀全土が焦土と化すと書いた。
「文、これ本当か」
「うん。歴史ではそうなっている」
「そうなっているって、歴史は変えられないだろう」
「変えられないけど、具体的なことは、あまり判っていないわ。確かなのは、神社仏閣が焼かれて、伊賀が焦土と化したといことだけ。ねえ健太君、私達で伊賀の被害を何とか最小限にくい止めてみない」
「そんなことできるだろうか」
「やってみなきゃ、わからへんわ」
健太と文は伊賀の歴史の一員として働く決心をかためた。

天正伊賀の乱の被害を最小限におさえようと話し合った三太夫は、まず竜口に帰った。目標を決めることは簡単だが、実行のために動く人間がいなければ成果は出せない。丹波と良助に、そのことを相談するためだった。
竜口に着くと、前に話した地図の件を持ち出した。地図作りは、相当の人手と時間がかかる。そのために、一緒に働いてくれる人間が欲しいと訴えた。
丹波も、このことは前々から考えていたようで、一族の中から年の近い若者を三名選び、呼び寄せてくれた。ひとりは久美の兄、山中宗一郎。三太夫より一歳年上の十八歳。もうひとりは、名張の南部、青蓮寺新兵衛の息子青蓮寺新三郎、十七歳。さらに、大屋戸の右衛門の長男の杉谷太郎次郎、十七歳だ。宗一郎は百地屋敷の家老の息子だから竜口に住んでいる。何かあればいつでも話ができるし、三太夫が留守の折りの連絡係にもなる。新三郎は、名張川から南の地区の若者達のリーダー的存在で人望がある。新三郎がひと声をかければ、青蓮寺はもちろん星川村、長家村、壇村、丈六村、中村、夏見村の青年達はすぐにでも動く。太郎次郎は、良介の酒のみ友達、右衛門の息子であり宗一郎の従兄弟だ。名張川の北部方面に顔が利く。 選びに選んだこの三名を前に、丹波はいかめしく命じた。
「宗一郎、新三郎、太郎次郎、おまえ達は儂が特に選んでここに来てもらった。前々から、百地一族の中でも特に優れた若者だと思っておった。知ってのとおり、儂は頭領を三太夫に譲った。これからは、三太夫に百地一族を託して、儂らは陰で支えることになる。しかし、支えるといっても、儂ら年寄りばかりでは、話しづらいことや意見の合わないこともあろう。そこで、年の近いおまえ達に三太夫を支える役回りを負ってもらいたい。おまえ達の親父さまが、儂を支えてくれているのと同じことだ。これからの百地一族は、おまえ達の世代が新しく作り上げてゆくのだ、良いな」
三人は、新しい頭領三太夫の側近になれという話を、身の引き締まる思いで聞いていた。
三太夫は丹波と良助の間に座っている。新三郎は、自分と同じ年恰好の三太夫を見て、どこか自分の知っている若者達とは違うように見えた。
丹波は話し終わると、何か聞きたいことはないかと尋ね、しばらく座っていた。三人の若者にとって、丹波は一族の長老で直接話をしたこともない。沈黙が続くだけだと分かると、三太夫の話を聞くように言って、丹波は良助と共に退席した。
座は一気に若々しくなった。
立ち上がった三太夫は、三人の前であぐらをかいた。宗一郎は屋敷の中で見たことがあるし、太郎次郎は杉谷神社で顔を合わせた。
「百地三太夫小太郎、年は十七歳だ。宗一郎と太郎次郎は多少知っているかも知れないが、龍王夢という馬がいるから後で見てくれ。これといって特技はないが逆立ちぐらいならできる」
三太夫は、これから一緒に働く仲間を良く知りたくて自己紹介をし、三人にも趣味や特技を言うように促した。
宗一郎は、滝の上から滝壷への飛び込むのが得意だと言い、新三郎は相当に足が速いらしい。太郎次郎は石投げの名人ということで一通り自己紹介が終わった。年は宗一郎が一歳上で、皆同年代だけに打ち解けるのも早い。三太夫は、自分が考えていることを話し始めた。
「俺はこれから皆のことを、宗一郎、新三郎、太郎次郎と呼ぶから、俺のことは三太夫と呼んでくれ。俺達四人は仲間だから、上下関係は無しにしよう」
頭領から仲間だと言われた三人は面喰らったが、逆に命令として承諾した。
「丹波さまが言われたとおり、俺はこれからの百地一族をまとめることになる。それは頭領として当然だが………いま重要なのは、伊賀全土の平和と繁栄だと思っている。皆は、先日の丹波さまの話を広間の下で聞いていたはずだ。あの時の話を憶えているか。丹波さまが言われたように、今、北畠信雄が丸山で城を築城している。これに対して我らは、どうすべきだと思う。宗一郎ならどうする」
話の途中かと思っていた宗一郎に、突然質問が投げかけられた。ボーと授業を聞いていると、たまに先生のやる手だ。宗一郎は考えをまとめるのにあわてたが、丸山城を叩きつぶすべきだと言った。(叩きつぶさない限り、丸山城を拠点に少しずつ伊賀は侵食される。そして、いつのまにか、伊賀は北畠のものになってしまう)と言うのが宗一郎の意見だった。
新三郎も太郎次郎もほぼ同じ考えで、丸山に北畠軍が入城すれば、百地も服部も常に戦闘状態を維持しなければならなくなる。そのような緊張が続くくらいなら、一気に先制攻撃で追い返すべきだと言った。議論の歯車が合ってきた。
「俺も、三人の意見と同じだが、その後はどうなると思う。俺達が丸山城を叩き潰せば、必ず信雄は伊賀を攻めてくる」
「攻めてきたら、負い返せばいい」
「そうかも知れない。信雄ごときが攻めてきても、百地、服部、藤林の一族が団結すれば負い返すことはた易い。だが、次の相手は信雄じゃないとは思わないか。伊賀に襲いかかってくるのは織田信長だ。破竹の勢いで全国統一に突き進んでいる信長が攻めてきたらどうなる。比叡山焼き討ちの前例でもわかるように、信長の戦は徹底している。従来型の、大将の首を取れば終わるような戦ではなく、その土地を根こそぎ壊滅させる。女子供の区別さえなく、民も土地も焼き尽くすんじゃないだろうか」
三太夫の話は、まるで未来を予想しているように次々と展開が進んで行く。
宗一郎、新三郎、太郎次郎の三人は、信雄と丸山城のことだけ考えていたが、話を聴いてゆくうちに、焦土と化した伊賀が実際に目の前に見えてきた。
「三太夫さま、じゃなかった三太夫。そんな風に本当に進むのだろうか。それなら、丸山の城を攻めない方が良いのですか」
太郎次郎が言った。
「そうじゃない。信長の伊賀攻めは、信雄が丸山城を築城しはじめた時に決まってしまった。いや、信雄なんか関係なく、時機を見て信長は出てくることになっていた」
「いずれにしても、伊賀は信長に屈服させられるということなのか、三太夫」
「残念だが新三郎、俺はそう思う。信長の戦は尋常じゃない。何としても被害を最小限に収める方法を考えるのだ。負けは負けでも、将来に生きる負け方がしたい。敵が、二度と戦をしたくなくなるような、そんな戦がしたい。そのために一緒に働いて欲しい」
 
三太夫の話は、同い年とは思えないような、次の時代を見ぬく洞察力がある。宗一郎、新三郎、太郎次郎は、さすがに百地丹波が後を任せた人物だと思った。
「三太夫、私はあなたに今日始めて会ったが、今の話を聞いて、身震いがしてきた。言う通り従ってゆく、ぜひ働かせてくれ。それと、あなたは百地一族の頭領だ、やはり頭領を呼び捨てにするのは気疲れする」
新三郎が言うと、宗一郎も太郎次郎も同じように言って笑った。
「わかった、呼び方は好きなようにしてくれ。この戦は百地一族だけでなく、服部、藤林が一緒になることが大事だ。そのためには、服部、藤林との情報連絡を早く正確にする方法を作らなければいけない。どこにどの一族の郷士がいるか、新三郎や太郎次郎は知っているか」
「丹波さまや良介さまなら、知っているかもしれない」
「そう、丹波さまや、親父なら知っている。でも、それじゃ駄目なのだ。戦に最も重要なのは、地の利を生かすことだ。信長が、桶狭間の戦いで今川に勝ったのも地形を知っていたからだ」
三太夫は、戦に備え伊賀の要所の詳細地図を作り、戦に備えたいと言った。

「大変な作業だが、地図はできるだけ正確に作りたい。それによって、敵への攻撃方法や防御方法も変わる。時間と人手がいるが協力してくれ」
三太夫の言う地図の意味が、三人には理解できなかった。
「竜口から青蓮寺、青蓮寺から大屋戸に行く地図ぐらいすぐにでも描ける」
新三郎は紙を出すと、付近の地図を描いて三太夫に見せた。
「三太夫さま、地図だったら各地にいる俺の仲間に描かせようか。けっこう絵心のある者もいるから任せてくれ」
新三郎の描いた地図は、山と川と道だけだが、よく描けていた。
「新三郎、ここの川幅はどのくらいあるのだ。もし、馬でこの川を渡るとしたら、どこがいいのだ。」
「川の幅?
 川幅か」
「敵が五十人、一度に来るなら、どこから来る? 迎え撃つなら、どこが良い? どこにどのような仕掛けを作ったら効率良く防げるか。誰が見ても判るような、そんな地図を作るンだ」
「三太夫さま、そんな地図は見たことがない」
「そう、見たことがないような地図だ」
三太夫は、地図の描き方と道具の話を始めた。
二本の棒と筆を使い、簡単なコンパスを作り、正円を描いた。そして円を六等分しながら分度器を作った。さらに分度器で計りながら三角形をふたつ描いた。ひとつは直角と45度の二等辺三角形。もうひとつは30度と60度の三角形だ。
「こういうものがあれば相当正確な地図が作れる」
そう言うと、紙に同じような三角形を描き一辺の寸法を計った。そして計算をすると、計りもしない二辺の寸法を書いて宗一郎に見せた。
「宗一郎、ここに書いた寸法が正しいかどうか計ってみろ」
宗一郎が定規を当てて計ると、三太夫が書いた通りの寸法だった。別の三角形でやっても、何やら書いては当てる。三太夫がやったのは、高校の数学で習う〈正弦定理〉で、三角形の角度と辺の長さとの関係を計算したものだった。
「こうして計算してゆけば地図はできる。まず、距離を測りやすい平坦な土地を選んで2点を決める。その間の距離を、物差しを当てて測るのと同じように縄で測る。次に、他の場所に点をもうひとつ決め、3点を結ぶ三角形を作る………」
三太夫は、定規で方眼紙を作り、図形の計算の仕方や測量の方法についての話をした。
三人は魔法でも見るようだった。ひとつの線の長さと角度がわかるだけで、測ってもいない線の長さがわかる。遠くの山の高さもわかると言う三太夫を、ただ驚いて見つめた。
地図の作りの講議が終わると三太夫は、数日間竜口を留守にすると言った。その間に、測量のための道具を作ってくれと三人に頼んだ。道具は薄い板で作った定規、円の大きさが変えられるコンパス、分度器と水平をだすことのできる折り畳み式の三脚。それに距離や高さを計るための、間竿五十本と間縄。縄は十メートル、五十メートル、百メートルの縄、各五本だ。寸法や目盛りの入れ方などは、三太夫が細かく指図書を描いて宗一郎に渡した。
 竜口を出た三太夫は、短野に向かった。文と相談し、地図作りに必要なものを入手するためだ。
文に会うと、三太夫は宗一郎、新三郎、太郎次郎のことを話した。そして、地図作りのための道具の製作に入ったと伝えた。すると文は、カメラバッグからカメラを取り出して三太夫に渡した。
「健太君、これ使って。ズームレンズが付いているから遠くでも、しっかり見えるよ。」
「凄いカメラだな、一眼レフなんてプロみたいだ。」
「健太君。わたし元新聞部よ、セミプロなの」
文に礼を言うと、もうひとつ智恵を貸して欲しいと相談をした。それは、方位磁石は持っていないか、ということだ。
「方位磁石って方向を計る………あれ、なんて言ったけ。えーと、羅針盤」
「羅針盤ほど大げさなものじゃなくていいけど、東西南北がわかる方位磁石だ。代用品でもいい、持ってないか」
「残念だけど、持ってない」
「そうか。じゃ、作るしかないか。しかし、鉄がなくちゃできないし、それなりの道具がなくちゃできないな」
「できない、できないじゃなくて、どうしたらできるのよ」
文らしさがだんだんと現われてきた。
「方位磁石は鉄と磁石を利用すれば簡単にできるけど、磁石は無いし鉄も無い。」
「磁石ならあるよ、アルミケースに付いている。それと鉄ね。伊賀で鉄と言うと佐那具。佐那具と言えば服部一族。百地三太夫としては服部一族に知合いはありませんか。同じ忍者の流れなんだから」
文は連想ゲームのようなことを言った。
「服部一族だったら良介親父の実家だけど。服部と鉄と関係あるのか」
文は、鉄は服部一族の協力を得られれば入手できるのではないかと言った。服部一族は、伊賀一宮と呼ばれる敢国神社に祖神金山媛を祀っている。金山媛はタタラと関係のある鉄の神だ。当然、服部一族は鉄器製造の技術に優れているはずだとの説明だ。
 鉄器の製造技術が佐那具にあると教えられた三太夫は、文を連れて服部館へと出発した。乗り物はもちろん、保長から貰った龍王夢だ。二人乗りを乗せた龍王夢は、風を切って名張から古山、猪田を経て佐那具へと伊賀の地を走った。
服部屋敷に着くと保長が出てきた。初対面のはずなのに保長は三太夫のことをよく知っていた。三太夫よりふたつ年上の正成という息子がいると聞いていた三太夫は、龍王夢の礼を言うと正成の居場所を聞いた。保長よりも、従兄弟の正成の方が何かと話がしやすいと思ったからだ。

「小太郎か。あっ、じゃなくて三太夫さまか」
保長が呼んだのか、突然後ろから声をかけられた。出てきたのは、武芸全般、伊賀で勝てるものがいないと評判の服部半蔵正成だ。
「三太夫さまは百地一族の頭領になったんだよな。俺なんか、まだ半人前の半蔵だなんて親父に言われている。おまえ年下なのに凄いな」
「正成さまですか、冷やかさないでください。それはそうと、龍王夢は正成さまが連れてきてくれた馬だと聞きました。とても賢い馬で驚いています」
「ははは、そりゃよかった。俺は、親父さまに言われて受取りに行っただけだ。それより三太夫、そこの可愛い子は誰」
可愛い子と言われて、気をよくした文が直答した。
「わたし、大屋戸の杉谷神社の巫女で文と申します。三太夫さまが同行せよと言うのでついてきました」
服部半蔵といえば有名人だ。内心文は、スターに合ったようにワクワクしていた。文の知っている服部半蔵のイメージは、徳川家のお庭番とか隠密。鬼半蔵、鎗半蔵だった。だから、何か恐そうな感じを抱いていたが、ここにいる青年はジャニーズ系イケメンでかなり洗練されている。
「俺、服部半蔵正成、よろしく。それで三太夫、今日は何しに来た」
居ずまいを正した三太夫は、正成に頼みたいことがあって来たと言った。
「俺にか、俺で力になれるかな。まあいいや、言ってみな。できることなら、なんでもやってやるよ。なにせ百地一族の頭領、三太夫さまの頼みだからな」
「正成さまなら絶対にできると、ここにいる文が言うから来たんです」
「困ったな。こんな可愛い巫女さんの言葉なら、できんとは言えないな。で、この巫女さんは何と言った」
「正成さまの服部一族は、鉄を扱う技術にすぐれているのですか」
「ほう、なぜそんなことを知っているのだ、この巫女さんは。………まあ、巫女さんなら知っていて当然か。敢国神社の巫女さんも、いろいろ昔のことを知っているしな。欲しいのは刀か槍か?
鉄砲はまだ開発途上だから、まともなものができるかどうか保障はできんぞ」
鉄の技術と聞いた正成は、簡単に引き受けてくれた。
「武器じゃなくて、針のようなものです。長さの違うものとか薄いものとか何種類も作りたいンです」
「そんなもん作って、どうするんだ三太夫」
「方位磁石を作るのですよ」
「方位磁石?
何だ、それ」
磁力がついた鉄は必ず一方向を示す性質を持つようになる、と三太夫は説明した。それを利用して、地図を作りたいと言った。半信半疑の正成は、それでも興味を示して敢国神社の山中にあるタタラに案内してくれた。タタラでは、刀や槍、鉄砲の試作品を作っていた。タタラに入った正成は、玉鋼を持って炉の前に座り、フイゴで空気を送った。空気を送られた炉は、真っ赤に燃え上がった。その炉に鋼を放り込み、鋼が赤く光ると炉から引き出して、金づちで叩きながら細く延していった。慣れた手つきだ、鋼の塊がどんどん針金のような形になってゆく。金づちを借りた三太夫と文は、半蔵の作った針金をタガネで十センチ弱に切り、さらに細く平らに加工した。夕方には、針のように細いもの、釘のようなもの、棒磁石ほどのもの、平らなものなど数十種類の針がねが完成した。さらに正成は、出来上がった針金を砥石で研ぎ真っ赤に熱すると、一つ一つ焼入れをしていった。
三太夫は磁力を付けるため、仕上がった針金をアルミケースから外した磁石にこすりつけた。磁力が付いたかどうか確かめるため、砂鉄に突っ込んでみた。針金の先に少しだが砂鉄がくっついてきた。確かに磁力はついている。水の上にいくつかの木片を浮かべ、その上に針金を置くと木片は揃って同じ方角を向いた。
「三太夫、凄いじゃないか。皆、同じ方を向いているな」

正成は目を疑うように三太夫に言った。
「これで方角がわかるのです。どこで浮かべても、南北しか指さない」
「なんとナア、指南魚だな。これさえ持っていれば、道に迷っても大丈夫だ」
正成は地図づくりの羅針盤よりも、方角のわかる生活道具としての磁石に興味をもったようだ。
「三太夫、俺もこいつを使わせてもらうぜ。そのかわり、また何かあったら言ってくれ、及ばずながら力になる。それと、俺、もしかすると三河の徳川家康に仕えるかもしれんのだ。まあ三河に行っても連絡は絶やさないがな」
 正成と別れた三太夫は、丹波のいる喰代の百地砦に向かった。
百地一族の頭領を三太夫に譲ってから、丹波と良介は竜口より喰代を拠点にしている。喰代は伊賀盆地の中にある小山で、山そのものが砦になっている。自然を利用した喰代の百地砦は、竜口の百地屋敷と似た雰囲気があるが深い山中の要塞ではない。
館に向かう坂道を上がろうとすると、丹波が迎えに出てきた。
「おう、三太夫。文さまとご一緒か、仲の良いことでうらやましい限りやナ」
丹波は変な冷やかしを言う。
「丹波さま、親父さまと久美がこちらに来ていると聞いたのですが」
「良介と久美か。二人は大坂の向こうの堺の方に出向いておるんや。これから、ちょっと面白いことが起こそうと思ってナ、その仕掛けにナ」
丹波は孫の三太夫が訪ねて来てくれて嬉しくてしかたがないという顔を見せた。

館までの道中には丹波自慢の仕掛けがあり、ひとつひとつ説明してくれる。知らずに、うっかり歩いていれば、落とし穴にはまったり、足鋏に捕まって怪我をしそうだ。砦の見晴し台に登ると丸山城も見える。竜口とは違って360度のパノラマ眺望だ。伊賀盆地がしっかり見える。丹波は竜口や佐那具の方向も教えてくれた。
 喰代から竜口への帰り、三太夫は信雄が修築して居るという丸山にも寄ってみた。丸山では、城の石垣造りは終わり、建物の基礎ができ上がっていた。
 佐那具から帰ってからの三太夫は、新三郎を中心とした地図づくりに励んだ。最初の頃は測量もまともにできなかったが、今では新三郎が三脚を立てると次の観測点までの距離を測る者がいる。
ただ、作り始めてみてわかったことだが、正確な地図となると相当な根気がいる。測量して計算ができても、それを図面に落としこまなければ地図とはいえない。その上、道幅、川の深さ、崖の高さ、木の種類まで調べると決めたため、時間はどれだけあっても足りない。新三郎が声を掛けて、伊賀南部の青年達総動員でやっているが、伊賀全土となると一年では到底できそうもない。
丸山城が完成すれば、伊勢から信雄の軍が入ってくる。三太夫は、最初から全土の地図を作ってゆくには時間と能力の不足を感じた。とりあえず、伊勢からの入口と主要な道筋の作図を急ぐよう新三郎に命じた。
 丸山城築城は、滝川雄利という男が、土地の百姓に高い給金を払って工事をしていた

石垣が完成し建物の基礎もほぼでき上がった時点で、滝川雄利は伊勢松ケ島城の北畠信雄を訪ねた。期待どおりの進捗状況を聞き、信雄は上機嫌で雄利に言った。
「御苦労である。上首尾でなにより。それで伊賀の者たちの妨害は無いのか」
「丸山城は、お館さまのお城でございます。伊賀衆は、信雄さまの強さを知ってか、妨害など気配もございません。むしろ、協力したいとの声がしきりです」
ぼんぼん育ちの信雄は、世辞とおだてにめっぽう弱い。もちろん滝川雄利は、それを心得て話をしているのだが、単純な信雄は嬉しさを隠せない。
「で、あるか。滝川」
父信長の口まねで答えた。
「城郭の方もたのむぞ。金はいくらかかってもよい。父の安土城には、近江一円を見渡せる天守閣がある。実に見晴らしの良い城じゃ。安土までとは言わんが、丸山の城にも、あのような天守閣ができると良いのじゃがな」
北畠具教でさえあきらめた丸山城ができれば、父も誉めてくれるに違いない。完成後は、盛大なお披露目もしたい。その時、織田の武将たちに自慢するものとしては天守閣がいい。天守閣から伊賀全土を見せて、自分の勢力を誇示したいと信雄は思った。
「お館さまのお城ともなれば、伊賀の隅々を見渡す天守閣があるのは当然でございましょう。幸い伊賀は木材の宝庫、立派な天守閣を建てて見せます。一番初めに、雪姫さまとお館さまで、伊賀をご覧いただきたいものでございます。天守閣で、お館さまが舞いを踊るなどの趣向はいかがでございましょう」
「ワッハッハッハ、それは良い。天守閣で舞いか、余の舞いを雪に見せてやろう」
信雄は舞いの名手だ。他のことで、ほめられたことのない信雄だが、舞だけは信長にもほめられた。
教が実現できなかった伊賀の地に城を築き、その城の天守閣で舞を舞う。そこには、最愛の雪姫がいる。その時の姿を想像して、信雄は夢を見ているようだった。
「滝川。落慶は父信長の誕生の日、五月三日が良い。父上をお呼びして天守閣から伊賀をご覧頂くのじゃ」
「かしこまりましてございます」
 滝川雄利は、信雄をおだてすぎたと後悔した。五月なら、年内に棟上げを済ませなくてはならない。近くに板縄という杣地があるにしても、勝手な伐採はできない。急いで丸山城に戻った雄利は、五月完成への準備にとりかかった。
 丸山築城に雇われた百姓達の中には、百地一族の者も紛れ込んでいる。ただ、<里人の術>を使っている土着の百姓だから、一緒に働いている仲間さえ百地の者とは知らない。大工や木材の手配など忙しくしている雄利に、格好の噂話が聞こえてきた。噂の出所を辿ってゆくと、石垣と基礎を請け負った親方からだで、東大寺の修理木の横流しをしている人間がいるとのことだ。木材は全て柱材、角材、板材として加工され、値段も破格に安いと言う。

雄利は、噂の主にぜひ合わせて欲しいと親方に頼んだ。親方からの返事では、横流しであるから大っぴらには会えないという。しかし、内密になら、何とか段取りを付けられるとのことだった。今は材木の確保が最優先、理由はどうあれ五月には丸山城を完成しなければならない。利勝は、相手の申し出にあわせてでも、ぜひ会いたいと親方に迫った。
 親方からの音沙汰もなく雄利がイライラしていると、横流しをして居る本人側から直接連絡が入ってきた。泉州の堺でなら会えるというのだ、海外貿易が盛んな堺は商人の町だ。
雄利は、ただの横流しではないと感じて堺へ出向いた。
 堺港は賑わっていた。大きな船が停泊し、小舟に荷駄を移し運んでいる光景が見える。町の中も活気に溢れ、多くの人々が行き交い、豪商の大店が軒を連ねている。雄利は指定された約束の場所で相手を待った。
「失礼ですが、滝川雄利さまではございませぬか」
声をかけられ振り向くと、美しい身なりの若い女性だ。普段、田舎の百姓女ばかり見ている雄利は戸惑った。
「いかにも、拙者は滝川雄利だが」
「紙屋長左衛門さまの言いつけで、お迎えにあがりました」
香を焚き込んだ女のきものは、良い薫りがする。言われるままに、ついてゆくと、杉木立のある閑静な商人の別宅に連れて行かれた。格子戸のある門を入ると、上がり口まで飛び石が敷かれている。茶の湯でも楽しむのだろう、庭石には打ち水がされて、しっとりと苔がついている。植栽の手入れも行き届いていて、とても町中とは思えない静けさに満ちた屋敷だ。
「滝川さま。こちらでございます。ほどなく主人がまいります。お邪魔でございましょうから、腰のものは預からせていただきます」
ふっくらした、緋もうせんのようなものを敷いた八畳ほどの部屋に案内された。中央には脚の高いだ円形の机があり、昼なのにギヤマンのランプが灯されている。家具は貝殻を埋め込んだ精巧な象眼が施されている。雄利は、初めて見るものばかりに圧倒されていた。かなりの豪商であることは間違いないと少し気後れがしてきた。
「おまたせしまして、申しわけおまへん」
恰幅の良い大柄な男が、愛嬌のある動作で両手を揉むようにして入ってきた。
「滝川雄利さまでんなあ。まあ遠いとこまで、ようおいでくだはりまして。てまえが紙屋長左衛門でおます」
つややかな光沢の羽織ときものは上等であることは一目瞭然だ。長左衛門は挨拶が済むと、机の上にある金の彩色を施した鈴を鳴らした。鈴の音を聞いて、雄利を案内してきた女が現われた。迎えに来た時とは衣裳が違う。真紅のチャイナドレスを着ている。胸には金と銀で刺繍された美しい飾りがあり、和服よりさらにあでやかだ。女は、飾り棚から長足グラスと透明な壷を取り出した。赤の色が鮮やかなカットグラスが、ランプの光を受けてキラキラと輝いている。
雄利と長左衛門の前にグラスを置くと、壷から赤黒い液体を注いだ。透き通ったきれいな液体だ。
「さやか、もうさがってええよって、呼んだらおいで」
さやかと呼ばれた女は、軽くうなずくと奥に戻って行った。歩くたびにドレスの切れ目から見える、白い脚が雄利の目を釘づけにした。
「紙屋殿、なんと美しい、女子でございますな」
「なんのなんの、田舎娘でおます。さっ、滝川さま。まずはお茶がわりに、やっておくなはれ」
「これは何でござるか」
「ぶどう酒いいましてなあ。ぶどうという果実からできた異国のお酒でおます。信長はんも、ここに来られた時は、ようお飲みやす。そのうえ滝川さまと同じように、さやかをお気に入りのようでおます」
雄利は心臓が飛び出しそうになった。長左衛門は、なんでもないように信長はんと言った。しかし雄利にとっては、遠くから拝むことさえはばかる神さまのような人物だ。主君の尊父であり、今この国で最も力のある武将だ。その信長と、長左衛門は懇意らしい。雄利は、長左衛門とは何者か素性を疑う意志さえも失ってしまった。それより、信長の知り合いと酒を呑んでいるというだけで、自分が偉くなったような気がしてきた。
「滝川さま、なかなか旨い酒でおます。どうぞ、気ぃのすむまで飲んでおくれやす」
長左衛門はグラスをもちあげ、雄利の目を見ると、ククーッと喉に流しこんだ。雄利もまねて飲んでみた。実に香りが良く甘い。体全体がフワッと浮き上がって、とろけるような旨さだ。
「さて、滝川さま。こんどの木ぃのことでおますがなぁ、信雄はんには内緒にして欲しいンでおます。そやないと、あるお方に叱られてしまいますんや。そしたら、お納めできんことになるやもしまへんよって、よろしゅうお頼みしたいンでおます」
長左衛門に気を呑まれてしまった雄利は、ただうなずくだけだ。木材の横流の裏には信長がいると勝手に決めた。そうでなければ、これほどの大量の木材が手配できるわけがないと思った。長左衛門の話を、上の空で聞いているうちに商談はまとまった。どのように話が進んだのか覚えていないが、雄利にとって良いことばかりだったことは覚えている。
後のことは任せてくれと長左衛門に言われた雄利は、美しいさやかの案内で堺見物をし大名気分で遊覧し丸山に帰った。
 丸山の城に帰ると、すでに材木がどんどんと運ばれてきている。材木と共に大工も相当の人数が入っている。自分が手配したのではないから、これも長左衛門の手配だろう。
加工された木材が入ってくるのだから、積み木を組み立てるように城は見る見るうちに建ち上がってゆく。数日のうちに三層の天守閣の形も見えてきた。

滝川雄利は、自分が想像するより立派な城が出来てゆくのを見て五月には十分間に合うことを信雄に報告した。喜んだ信雄は、父信長の誕生日に伊賀丸山城の落慶法要をしたいと安土に書状を出した。

できの悪い息子ほど可愛いのか、信長は具教さえ出来なかった伊賀に築城したことを誉め、近隣の武将や公家衆に伊賀に集まるよう召集をかけた。

 天守閣が組み上がった頃、長左衛門とさやかの一行が丸山城をたずねてきた。
さやかは、金銀の花の刺繍の入った白いシルクのドレスに、白い日傘をさしている。さやかの後ろには、荷駄を引いた男達がいる。酒のようだ、四斗樽が十ほども積まれている。
「滝川さま、お忙しおまっしゃろなあ。そろそろ棟上げも近いと思うて、陣中見舞いにきましたんや」
「なんの、紙屋殿のご尽力で、この進み具合でござる。拙者が何もせんでも城はでき上がってゆくようでござる」
「ええお城でおますなあ。今日は、わての親父さまにも見せてあげたくて来ましたんや」
大柄な長左衛門のそばに、白い髭をはやした、さらに大きな老人が頭巾を冠って立っている。彫の深い顔に商人らしい鋭い目が光っている。
「滝川さま、紙屋の隠居長兵衛でおます。ほんまに、ええお城や。安土のお城にも負けしまへん。さぞ信雄はんも喜んでおりまっしゃろナア」
「お父はん、これ、みーんな滝川さまのお手柄でございまっせ」
「ほうか、ほうか。信雄はんがお見やしたら、滝川さまはえろう出世をなされますやろナア。ウォッホッホ」
長兵衛が言うとおり、この進みぐあいと天守閣の大きさを見れば、主君信雄は感激するだろう。出世と聞いた雄利は、胸に嬉しさがこみあげてきた。
「紙屋殿。ぜひ拙宅においでくだされ、酒でも一献」
「滝川さま。酒ならほれ、こんなに持ってきましたんや。飲みまひょ、飲みまひょ。お祝いや。わてらは一樽もあればええさかい、残りは働いている人達に届けておくれ」
長左衛門も長兵衛も商人らしく、実に話がうまいく雄利を持ち上げる。その上、香るように美しい、さやかが酌をしてくれる。雄利は体が宙に浮いた気分だ
「滝川さま、ここまでできたンなら一度、北畠のお殿はんにご覧いただいて、ご希望を加えてから完成させたらいかがでっしゃろナ」
「そうや、落慶法要するのんは信長はんの誕生日と聞いているさかいに、主賓は信長はんや。長左の言うように、落慶前に信雄はんをお呼びなさって祝をしはったら滝川さまの株はもっとあがると言うもンや。ウォッホッホ」
木材は半値以下、その上、大工まで手配されていて手間賃もいらなかった。信雄からは自由に使えと送金された莫大な金子も残っている。これなら驚くほど立派な落慶法要をしても、まだ金は残ると雄利は思った。
「落慶法要の前祝いか。いつが良いだろうな紙屋殿」
「滝川さま、善は急げや。早いにこしたことはおまへん」
「信雄はんには、赤目四十八滝の見物と言うといた方がおもろい。ついでと言うことでお城の出来上がりぶりを見せるんや。そりゃ信雄はん、びっくりしまっせ。なあ長左、そうは思わんか」
「親父さまはやっぱり商売人や。驚きは大きい方が印象に残りまっさかいな。それがええと思うわ。そうしなはったら、いかがでっしゃろ。わてらも内緒でええ趣向、考えときますわ」
「それは豪勢な滝涼みになるでしょうな。この雄利まで楽しみになってきたわ」
酒が入ると話題はどんどんと大きくなるし、遊びの予定は決まってゆくのも早い。雄利は、信雄を赤目の滝涼みに呼ぶという名目で落慶法要の前祝をすることに決めた。
 温暖の差が大きな伊賀は紅葉が美しい。その紅葉の季節には早いが、それにも負けない趣向を凝らすと長兵衛は言った。雄利は早速、赤目四十八滝の滝涼みを催す招待状を伊勢の松ケ島城へ送った。招待状には伊賀の山の幸や、赤目四十八滝の説明、珍しい山椒魚の話などを書いた。そして最後に、丸山城の天守閣づくりの教えを乞いたいとの丁重な挨拶文だった。
 書状を見た信雄からは、すぐに返書が届いた。返書には、今後治めてゆく伊賀を一度見ておきたいと思っていたと書かれていた。
雄利が、この書面を長左衛門に見せると、長左衛門はまるで自分のことのように喜んだ
「滝川さま、一世一代の場面でおますな。わてらもぜひ滝川さまのお力になりたいものでおます。信雄はんが心変わりせんうちに、後のことはわてらに任せて、滝川さまは松ケ島のお城にお迎えに行きなはれ」
「それはありがたい。紙屋殿なら安心じゃ。それでは城のことは、お任せして拙者は信雄さまを迎えに参る」
滝川
雄利は長左衛門に送られて伊勢松ケ島城へ北畠信雄を迎えに行った。
 雄利を送り出した長左衛門は、すぐ喰代の百地砦に向った。
「丹波さま。滝川雄利は何も知らず北畠信雄の松ヶ島上に参りました」
「良介殿、それは上々。騙しやすい男じゃ。立派な花火が見れそうじゃ。」
丸山城を攻撃して焼き討ちするのは容易だが、それでは面白さがない。何か楽しい壊し方はないかと、丹波と良介は相談した。できれば織田信長まで巻き込む程の仕掛けをしようということになり、安土城にも負けない天守閣を作ってみた。木材は豊富にあるから、城ひとつ作るぐらいの量はたかが知れている。
 天正六年七月二十五日は雲一つなく実に良く晴れた日だった。ミンミンゼミの声が青空を突き抜けてゆく。北畠信雄と滝川雄利はこの日、青山峠を越えて伊賀に入った。青山を越えると伊賀盆地が広がっている。信雄にとって初めての土地であり、見るもの全てが珍しかった。滝川雄利が言うように、途中昼飯に食べた山鳥も鮎も旨く、信雄は満足していた。
田んぼには真っ青な稲が穂をつけている。
「お館さま、いかがでございましょう。あと二ヶ月もすれば、この稲も実り、すべて信雄さまのものになりまする。稲刈りが終わりましたら、次は山の幸がいっぱいでござります。木の実や茸、鴨や猪の肉なども美味しゅうございます。丸山に城ができたらこちらにお移りいただいたらいかがでしょうか」
滝川雄利は丸山城を築城しているうちに、相当な伊賀通になっていた。
「雪は伊勢生まれゆえ、このような山の中は嫌がるわ。余は、たまに来るゆえに、ここは三郎兵衛が治めておけ」

伊賀を治めろという言葉は、大名になれと言ったようなものだ。織田信長から北畠信雄の付け家老として遣わされた自分が安土城にも負けない天守閣を持つ城主になると思うと雄利の心は踊った。
「お館様、もうすぐ丸山でござります」
「丸山というと、城のあるあたりじゃな。はて、城はどこじゃ」
「あの山の上でございます」
「向こうの小高い山か」
「そうでござります。あの山の頂きでござります」
言われた方角を見ると、信雄の目にも小高い平山に建つ丸山城が小さく見えた。
「おお。あれか。遠くてよくわからんが、天守が安土のお城に良く似ておるようじゃのう」
丸山に近付くに連れ、城の外観がくっきりとしてきた。周囲の木の高さから比べると相当な規模の城だ。
「いかがでございましょう。お館さま」
「大したものじゃ。思っていたよりも立派な城じゃのう。大きすぎて父上に叱られそうじゃ。しかし、三郎兵衛よくやった」

呼び名も親しみを込めて、滝川から三郎兵衛に変わっている。素晴らしい出来映えに、信雄と雄利が満足げに城を眺めていた。
 突然、城に閃光が走った。
「三郎兵衛、今のは何か」
「お館さま、私にも良くわかりませぬ」
雷のような白い光が城を被った。晴れ渡った日暮れ前の空に一瞬、城はとけ込んで消えた。光りは白から緑色に変わり、ついで赤くなった。信雄も雄利も、何ごとかと口を呆けて見ている。城はその形のままに真っ赤に燃えあがった。この世のものと思えない、幻想的な光景だ。
「滝川、城が燃えているのではないのか」
「まさか?」
火事とは全く違う燃え方だ。それに火の勢いが違う。

深緑の丸山が紅葉の季節のように真っ赤になった。信雄も雄利も異様な光景に唖然として立ちつくすだけだった。

 

黒党祭

丸山城の大火の後、北畠信雄は一時的に伊賀攻略をあきらめた。棟上げ直前の火事は大きな衝撃だった。父の信長には来年五月の落慶を報告してあるため、この件は話さなくてはならない。当然、徳川家康ら諸将も知ることになる。築城中に炎上したということは災害のようなものだから、表立って非難はされないが、重臣達の知らなかった築城であり良く言われることはない。もし築城を再開し、また火事にでもなったら、さらに一族の笑い者になる。安土城にも劣らない三層の天守閣を見た信雄は、残念でたまらない。目の前に飴玉を出され、取ろうとしたら食べられたようなものだが、滝川雄利を叱っても仕方がない。
 丹波達にしてみれば、北畠信雄をもてあそぶという悪戯は大成功ということになる。良介が築城に必要な木材の提供を持ちかけ、滝川雄利はまんまと乗った。あとは思う通りに、ことは進んだ。信長までをも巻き込むこともできた。
柱に溝を切り火薬を詰め、導火線のようにした。見舞として運んだ酒だるには、松脂を詰め込んでおいた。城を造っている大工も左官も百地一族者だから、木材には念入りに松脂を塗った。火は導火線になった柱を伝わり城全体に広がり、松脂に燃え移った。仕掛け花火のような派手な燃え方はこんな方法で起ったのだ。
良介から丸山城を見に来るよう言われた三太夫と文が、なんと美しい燃え方だと思ったのもうなずける。三太夫は、こんな企みを良介と丹波がしていようとは知らなかった。しかし、文は久美から聞いてうすうすは知っていた節がある。
文は兄宗一郎の紹介で久美と親しくなった。初めて戦国時代の女の子に会ったが何の違和感も持たなかった。むしろ同世代にはない落ち着いた魅力と本物の国際性のようなものを感じた。久美の場合は、宗一郎と対等に話す文を見て、男のようだと思っていた。しかし語り合ううちに、優しく包容力のある人だと思い直した。母のいない久美は、知識に富んだ文を姉のように慕い何でも話すようになっていた。

久美は三太夫の父良介に連れられて色々な所へ行く。その旅は、単なる物見遊山ではなく他言無用の使命を帯びたものだったが、文にだけは話をした。
 滝川雄利が丸山に城を築いている最中も、久美はしばらく堺に行っていた。その時、材木商に身を変えた良介の娘、さやかという名前だったことも話していた。
目の前で城が燃え上がった時に、良介と丹波の仕業に間違いないと、文が自信ありげに耳打ちしたのはそのせいだろう。
良介と丹波の計画したこの仕掛け花火計画は派手で面白いが伊賀にとって危険なことだと三太夫は感じた。

北畠信雄は知らずにいるようだが、築城に紙屋長左衛門という人物がからんでいたことがわかったら大変なことになる。信雄が知らなくとも、滝川雄利が疑うかも知れない。一番疑わしい人間が、そのまま犯人ではサスペンスにもならない。丹波も良介も善い人間だがどうも感情どおりに動き過ぎる。隠し事がないということは仲間内なら良いが、敵に対しては無防備と同じだ。丸山城放火は戦争であって遊びではない。
 信雄が修築をあきらめ、雄利は伊勢に帰ると、それを見計らうように伊賀の郷士が丸山城の修復を始めた。この噂を耳にした信雄は烈火のごとく怒った。不可解な城の燃え方を見て、単なる火事でないことは、信雄も気づいていたのだ。
天正の乱はすぐそこにせまってきた。
 天正伊賀の乱で伊賀全土が織田軍に焼かれたことは、歴史の事実上変えることはできない。百地一族が生き抜き、伊賀を再生するためには、日頃の行動や考え方をしっかりともつ必要がある。三太夫は、大軍に対する戦の方法や護身術を徹底して教えなければならないと考えていた。二十一世紀の名張は自然も豊かで暮らしやすい街だ。後世の人達が、良い場所だと思うのは、そこに暮らした人達が立派な考え方を持っていたからだ。伊賀の平和を考えると、まず百地一族がしっかりしなくてはいけない。戦に負けても、より良いものに再建できるような危機管理必要だ。

三太夫は、そのための<百地一族戦心得>を作ることにした。
 <百地一族戦心得>をまとめる作業は、地図作りに忙しい新三郎を外した。三太夫、文、宗一郎、太郎次郎の四人が短野に籠って練っていると、江三郎入道と娘の美穂が連れだって訪ねてきた。

「三太夫さまが、短野で何か重要なことをしていると美穂に言ったら、行くと言ってきかないのです。すぐ帰るという約束で連れてまいりましたんや。邪魔をしてすみませぬ」

美穂は、十四歳にしては大人びた、草木染めの渋い麻の着物に朱色の鮮やかな帯を締めて来た。美穂は三太夫の食事の世話をしたいと申し出たが、短野の百地屋敷には春も文も居るからと丁寧に断り江三郎入道と帰るようにさとした。話の途中で宗一郎の妹久美も来て春の手伝いをしていることを言うと、美穂の表情が、いきなり曇った。
「えっ。久美さまも来ているの」
………
「お父さま………。美穂は!しばらく春おばさまのお手伝いをすることにします。誰かに着替えを届けさせて」
意を決したように、美穂は短野に泊まると言い出した。
「三太夫さまのお邪魔にはならぬかな」
「邪魔なんかしません。だって久美さまもいるのだから」
ピシッと言い切った。こうなったらもう江三郎入道の負けだ。
「三太夫さま、いかがじゃろう。久美さまもいるのなら美穂も少しのあいだだけ、ここに置いてもらえんだろうか」
こう頼まれたら断わるわけにもいかない。短野は男子三名、女子三名の部活の合宿のようになってしまった。
 戦心得の作成は、文の住む離れで行われている。朝から昼まであれこれ話し合って昼食、二時間ほど運動がわりに畑仕事をし、また昼から夕方まで議論、夕食後もまた話し合う。それは、徹底した討論の連続だ。
久美は文のことをよく知っているが、美穂は文をよく知らない。最初は久美と一緒に春の手伝いをしていた美穂だが、男三人の話の中に入っている文を見て首をかしげた。
「ね、久美さま。どうして文さまは男の人達にまじって話をしているの」
「それは、三太夫さまが必要と思っているからよ」
「じゃあ。わたしだって…三太夫さまには必要なはずよ」
そう言うと美穂は四人の議論の中に入って行った。戦心得の作成に美穂が加わることは、三太夫達にとって問題になることではない。女性の目から見た戦心得でもあって欲しい。積極的な参画は誰でも大賛成だ。

 「久美ちゃん。久美ちゃんも三太夫さま達と一緒に食事をなさったら」
いつも、春夫婦と食事をしている久美に春は言った。
「いいえ、わたしは………、三太夫さまのお母さまに言われてお手伝いに来ているから、そんなことしたら叱られるわ」
「あなたは知っているのかしら、三太夫さまのお母さまは私の姉なの。久美ちゃんのことは姉さんから全て任されているのよ。久美ちゃんは文さまとも仲良しだし、美穂ちゃんは妹みたいなものでしょ」
そう言うと、春は離れに行き、文と美穂を連れて帰ってきた。春は、文の母親がわりだし、美穂のことなら赤ん坊の頃から知っている。久美と同じように二人に食事の支度の手伝いをさせることにしたようだ。久美は器に料理を盛り付けている。黄色の鰻まきには、葉先を切りそろえた深緑の松葉。大きな長方形の器に笹の葉を敷き、鮎の塩焼きが乗せられた、そこには冴えた黄緑色のもみじの葉が添えられている。器と植物で絵を描くような盛り付けに、文は驚きの声をあげた。
「ね、誰かに習ったの」
「ううん。花や木の葉は食べられないけど添えるとお料理が美味しそうに見えから」
「季節を感じるわね、わたしも勉強しなくちゃ」
「文さま、美穂ちゃんもお料理上手なのよ。それに美穂ちゃんは、絵がとっても上手なの」
久美の言葉に照れた美穂は、かわいい舌を出した。
 一週間の集中討議で百地一族・戦心得の草案はできあがった。
前文には、百地一族は自助、共助の精神を旨とし伊賀全土の平和を追求することを書いた。行動心得は<常に勉強、鍛錬を怠らないこと><男女を差別せず尊いあい、特技・特徴を十分に生かした行動すること><情報収集を怠らず、常に事実をもって分析し行動すること><いかなる環境・状況でも油断せず常に闘える準備をしておくこと>などだ。

次に戦に関する項目として<情報収集の方法><地形と戦術> <会話術>など戦術のことや、<迷彩服><登器、水器、測量器、火器、投器>などの道具の使い方で成り立っている。

例えば情報収集の方法・対人関係は次のように書いてある。〈人は、自らを賢く見せたがり、利口ぶりたがる。情報収集の時は熱心な聞き手になる。徹底して敬う。相手に優越感を与え、話を先へ先へと進めさせる。そうすれば、秘密の部分にも触れざるを得なくなる。さらに相手の話したことを、瞬時に分析し情報を組み立て聞いてゆけば、情報は次々と入手できる〉
行動心得の事例や戦術は四コマ漫画を挿入し、戦闘のための道具や使い方も絵と文字で表現した。絵を描いたのは美穂だ。文字だけでは伝わらない内容を解りやすく表現してくれた。
三太夫は、草案を久美に見せて評価することにした。使う人間が理解できないものに価値は無い。制作に参加していない久美こそ、客観的判断ができる。久美がわかりにくいと言えば、やりなおそうと思いながら渡した。
受取った久美は、四人の一週間の成果を雑誌でも見るようにパラパラとめくった。黙読を数分、やがて表情が明るくなってきた。
「面白いし、絵があるからとてもわかりやすいわ。丹波さまの教えを一歩も二歩も進めたみたい。良介さまなら、情報収集の先生になれるかもしれないわね。この絵、美穂ちゃんが描いたのでしょ」
読み終わった久美の感想は、漫画の登場人物を丹波、良介、三太夫、秋等知った人間にした方が、なお親しみやすくなると言った。

数日し、仕上がったのは、丹波や良助の失敗を三太夫と文がたしなめるという構成だった。ここでも美穂の力が発揮され、登場人物の似顔絵が生き生きと紙面で動き廻った。久美の言ったとおり、知った人物が登場すれば親近感があるし、普段の行動と重なってわかりやすい。
「丹波さまが怒りださないだろうか」
「その時は、似顔絵を描いた美穂に責任をとってもらおう。江三郎入道さまという強い味方がいるから大丈夫だろう」
一族の者なら、登場人物が誰かすぐにわかると全員で大笑いをした。
「これをいつ、どう伝えるかが問題だ。ただ渡して読めと命じても芸がない。どう思う久美」
三太夫は久美に聞いてみた。
「面白いけど、この心得が私達に必要な理由は、三太夫さまに聞くまでわからなかった。小太郎さまが三太夫さまになられた時のような集まりを開いて、直接お話されたらいいと思うわ」
久美の提案を受けて宗一郎が賛同した。

三太夫が百地一族の頭領になってからまだ、一度も一族の集まりが開かれていないた。当然、宗一郎、清蓮寺新三郎、杉谷太郎次郎と百地一族の顔合わせもされていないから世代交代は一部のものしか知らない。三太夫自身も頭領として伊賀の国の外で働いている百地一族の人たちに会っておく必要を感じていたため、その集会は伊賀以外からも集まる大掛かりな集まりとすることになった。

ただ、伊賀国外から集合するとなると二百人を越す人々が集まることになる。大人数が一同に集まるとわかれば、一族以外の人々にいらない詮索をされるし、集まった人間は百地一族だとわかってしまう。伊勢、大坂、堺、奈良、京、近江、尾張、美濃、三河など違う土地から大勢の人達が一度に伊賀に行っても不思議でないこととは何かを考える必要がある。

思い悩んでいると久美が発言した。

「お伊勢参りには、沢山の人達が集まるわ」
久美は、伊勢神宮にも行ったことがある。全国各地から、お参りのために人々が伊勢には入ってくるが、これは誰も不思議がることではないと言った。
「そうか。祭りはどうだろう」
三太夫は、伊勢神宮の話から祭を思いついた。
「うん、それいいわ、三太夫。くろんど祭りなんかどう」
文が手を打った。
「くろんど祭りか。聞いたことはあるが知らない祭だな」
太郎次郎は名前だけは知っていると言ったが、他の誰も知らない祭だった。〈くろんど祭り〉とは〈黒党祭〉と書かれる祭りで、敢国神社で行われる服部一族の私的な祭りらしい。神輿を担ぐものは服部一族に限られ、全員が黒装束に身をかためる慣わしだという。最盛期は平安時代で、十二月初めの卯の日、神社の御神体を柘植川の花園河原に移すことから始まるらしい。そして、御神体の前で流鏑馬や歌舞など芸能を七日間通して奉納するという。河原には仮設の桟敷を用意し大勢の人を招待するし、一般観覧も自由という大規模な祭りだった。ただ大規模な祭りだけに、経済的負担が重く〈苦労当祭〉と皮肉られるようになって自然に廃止されたということだ。
「よし、それでゆこう」
文の話を聞いた三太夫は即決した。大規模な祭りが復活するのなら、もの珍しさも手伝って人が沢山集まっても不思議はない。また遠方から伊賀まで祭を見に来た人なら、名勝である赤目四十八滝を見物するのも自然だ。それなら、竜口の百地屋敷での集まりも目立たない。
「資金不足でできなくなった祭りなら、その資金は我々が工面すればいい」
ここは良介に力になってもらおうと思った。
「久美。親父さまは今どこにいる」
「堺や三河に行ったり来たりしているけれど、今は竜口だと思います。行く時には必ず、久美に声をかけますから」
堺の店の景気を久美にたずねると、今は戦が多いので材木は引く手あまたで繁盛していると言った。それなら安心して良介に甘えることができる。
 三太夫は急いで竜口に行き、良介に資金調達の願いを申し出た。理由は、信雄の伊賀攻めに対抗する武器の整備だ。信雄が伊賀攻めの準備をしている噂は良介も知っている。三太夫は大量の刀、鎗、鉄菱、手裏剣など用意したいと良介に言った。良介にしてみれば、無尽蔵にあるような板縄杣の木材が売れるのだから、資金の工面など何ともない。三太夫の願いを、二つ返事で引き受けてくれた。資金を確保した三太夫は、龍王夢を走らせ服部屋敷の保長を訪ねた。そして、納期は十一月末と区切り大量の鉄器の注文をした。
 タタラのある服部一族でも、大量の武器を三ヶ月間で作るのは大変な作業だ。それでも百地三太夫の頼みということで、保長は一族あげて製造にとりかかることを承諾してくれた。休日返上はもちろん、徹夜も覚悟である。無理な願いをしている三太夫は、費用を通常の二倍支払いたいと言ったが、保長にそれは断られた。それでは父の実家に甘えたことになると抵抗した三太夫は、上乗せ分の費用を敢国神社に奉納することで話を進めた。
奉納と言われれば、保長としても勝手に断ることなどできない。御神体は金山媛で鉄の神様だ。保長は、この申し出をどうするものかタタラ師達に聞いてみた。タタラ師達の意見は、頭領の保長に任せると言うことだが、何人かの年輩のタタラ師が黒党祭のことを言い出した。
保長は考えた。タタラ師達には、相当な労働強化をさせることになるが、仕事は十一月いっぱいで終わる。三太夫からの大量の武器の発注でかなりの額の金が入ってくる。その上、同じ金額を敢国神社に奉納したいとの申し出である。保長は金山媛とタタラ師への感謝を込めて、黒党祭を大々的にやることを皆に伝えた。
 もう二十年近くやっていない黒党祭がこの冬はできる。食事時や酒の場で、タタラ師たちは黒党祭の話に花が咲かせた。若いタタラ師は、経験したことのない祭だし、自分達の祭と聞いていっそう仕事に身が入った。
三太夫の計画通りだ。
内密の文書が全国に発せられた。すると〈黒党祭〉の噂は瞬く間に伊賀全土はおろか堺から大阪、岐阜の方まで知れ渡った。
国外の百地一族への密書には、(黒党祭を大々的に宣伝し、見物に紛れて伊賀入りせよ)と指示がされていた。

 

黒党祭

十二月の最初の卯の日が近付くと、柘植川の花園河原に沢山の人々が集まって来た。まだ、祭りは始まってもいないのに、河原は数百人の人々で溢れかえっている。河原には二つの桟敷が建ち、それを囲むように見物客がゴザを敷いて席を確保している。百地一族の宣伝で、珍しい祭りの話題は世間に広がった。西は大阪・堺、東は伊勢の方からも祭を見に来ている。北畠信雄の配下だろうか、道や土手には編みがさを冠った武士や虚無僧もいる。地方に居住している百地一族の者も、人の群れの中に二百人ぐらいは来ているはずだ。

当日、三太夫達は敢国神社に行ったが、久美や美穂は河原に作られた百地桟敷きに向かった。
「久美さま。あれ何だろう」
「河原に神社のようなものが建っているね。家もあるけど、何か変ね」
「河原に建物があるなんて、変だよね」
桟敷は屋根までついた二階建ての建物だ。土手下の河原にあるが、この季節だけに、大雨で流されることはないだろう。
 神社ではご神体を前に、服部半三保長、半蔵正成に並んで、丹波、良介、三太夫が黒装束に身を包んで座っていた。宗一郎も新三郎も太郎次郎も服部姓を名乗らせてもらって黒装束で参加している。
「ハッチョモンはおるか」
ハッチョモンと呼ばれたのは、敢国神社の世話人をしている山田ノ八右衛門という男だ。
「正成、ハッチョモンは使いに出している。今年は二十年ぶりの祭だ。良介も服部に戻ってきた。丹波さまはじめ、百地衆も沢山お連れいただいたので、ハッチョモンには百地の桟敷を用意させた。今、花園の河原に先発してもらっておる」
「父上、それは気の利いたことです。この黒党祭ができたのも、三太夫の寄進が大きい。ハッチョモンも張り切ったことだろう」

三ヶ月ほど前に、八右衛門は保長に呼ばれ、黒党祭の総取り仕切りをするよう命じられた。長年、敢国神社の世話人をしている八右衛門だが、黒党祭は若い頃に父親に付いて見に行ったぐらいしか記憶にない。二十年も行われていない黒党祭が、なぜ復活するのか八右衛門は保長に尋ねてみた。
保長は、百地三太夫からタタラ師への感謝として、敢国神社へ大金を寄進してくれたことが大きいと言った。三太夫をよく知らない八右衛門だが、良介の息子で若き百地一族の頭領であることは聞いている。良介とは、彼がまだ服部の佐那具にいた頃、よく変装術を競いあった仲だ。この機会に礼を兼ねて、懐かしい良介に会いに行ってみようと思いついた。
八右衛門は、保長の陰をするほどに変装術に優れている。未だかって見破られたことがない。しかし八右衛門は、自分より上手を行くのは良介だと思っている。いたずら心が頭をもたげた。八右衛門は、百地屋敷に出向く時、保長に変装して出かけることにした。
 宇陀川を越えて竜口にさしかかると、農作業や山の下草を刈っている者たちが作業を中断して八右衛門を見ている。
「保長さまだ。服部の保長さまだ」
「すぐに百地のお屋敷にお知らせせにゃ」
百地の中で、ある程度の地位の者なら服部半三保長を知らないものはいない。すぐさま竜口の百地屋敷に、保長が来たと連絡された。
屋敷は大慌てだ。良介の妻、秋にとって保長は義理の兄だ。丹波は喰代住まいだし、三太夫は短野に行っている。夫の良介以外で相手ができるのは秋しかいない。家事一切は秋の役割だから、突然の賓客の訪れは大変だ。
「久美。久美はいないの」
こんな時、秋が頼りにするのは、三太夫の嫁にしたいと思っている久美だった。
「おばさま何か」
庭で花の手入れをしていた久美が、小走りに秋の前に現われた。
「久美、佐那具の保長さまを知っておるやろ。あの保長さまが、今ここに見えられる。父さまはどこやろナ。私は、お相手をしなくてはならないから………。そう、久美は着替えをして、お茶の用意をして欲しいんやわさ、ええか。それにしても父さまは何処やろナ」
大慌てで言うと、地獄門の方に向った。門の前には、すでに良介がいた。崇治も宗一郎も良介に並んで立っている。
「オトウ、ここにおったんか。兄さまが、突然こられるとは何なんやろか」
秋の問いに、良介はただ笑っているだけだ。
「良介さま、間違いなく保長さまでございます」
崇治は、何度か佐那具で会ったことがある。たしかに今、門に向って来るのは服部半三保長だった。
「そうか、兄者か。崇治」
地獄門への細い道を来る保長が、馬の鞭を持つ手を高々と挙げた。
「良介、久しぶりじゃのう。達者か」
「兄者か。今日は疲れていなさるんか、ちょっと気迫が足らんなあ」
良介は笑いながら馬の手綱をとった。兄に言う言葉としては変だと思ったが、秋は聞き流した。
「保長さま、お久しぶりでございまして。こないだは、三太夫にええもん、もらいまして。龍王夢をほんに大事にしていましてナア。来られるとは存じませんで、すぐ呼びにいかせますよってに
「よいよい。秋、三太夫は別に呼ばんでもかまわん」
「何を言っていなさる。わざわざ佐那具から来られた保長さまに、挨拶もせんだったら三太夫が笑われるわさ」
「よいと言っとるやろう」
普段、秋の言うことには逆らわない良介が、いつになく厳しく言った。
「秋殿、三太夫は呼ばんでもよいよ。儂はちょっと良介に会いたくて来たまでだ。それに礼を言うのはこの保長の方だ」
保長は、三太夫が敢国神社に大枚の寄進をしたと言って、良介と秋に礼を述べた。秋に案内された保長が座敷に上がると、千草色の着物に着替えた久美が茶を運んできた。
「保長さま、崇治の娘の久美でございます」
「おう久美か、美しくなったナ。好きな男でもできたんか、崇治殿も心配じゃ」
久美の顔に、ぽっと紅がさした。胸にあてていた盆が揺れた。
「盆の後に隠しているのは瓜か。よう熟れているようじゃ」
保長が久美の胸を指差してからかうように言った。久美は何のことだか分からずに胸元を見た。
「こらっ、ハッチョモンいい加減にせんか、ばか者が」

突然、良介が発した意味不明の言葉に、秋も崇治も面くらった。
「見破られたか」
「当たり前じゃ、最初からわかっとるわ。ばかもんめ」
ばか者と言われた保長は、怒るでもなく厠を借りたいと言って立ち上がった。
秋が、良介に怒鳴ったわけを聞いても、答えずに笑っている。しばらくして、手ぬぐいで手を拭きながら、愛嬌のある顔が現われた。
「秋さまか、初めてお目にかかります。服部半三保長の家臣、山田八右衛門でござる。こまい頃、良介さまにはずいぶんと遊んでもらいましてナア………
三太夫を呼び戻さなくても良いと言った理由が、秋にはやっとわかった。保長とばかり思っていた人間が、夫の幼友達だと分かって一気に疲れもとれた。
八右衛門という男は、保長に変装するだけあって、良介にもどこか似たところがある。良介も気の良い男だが、八右衛門も実に面白く楽しい。身ぶり手ぶりで一人芝居でもするように話す。崇治も秋も笑い転げながら八右衛門の話を聞いた。
帰り際、八右衛門は敢国神社の世話人をしていることや、二十年ぶりに行われる黒党祭の話をした。そして、黒党祭には百地一族のための桟敷を作るので、ぜひ来て欲しいと秋や崇治に伝えた。
数日後、今度は崇治が八右衛門を訪ねた。良介から、黒党祭の仮設桟敷の話を詰めておくよう命じられたのだ。旧知の友に会ったように喜んだ八右衛門は。崇治を敢国神社へ案内し、花園河原に連れて行った。
「崇治殿、この河原で祭りをするんや」
「何もない、こんなところでか」
「そうや。ここに舞台を作って、ご神体をお奉りするのや。そいで、その前で流鏑馬や歌舞・芸能を奉納するんやで」
「祭りのためだけに、舞台を作るんか」
「そうや、見物用の桟敷も作る」
舞台正面の最も良い場所を示して、百地と服部の桟敷を並べて作ると言った。
桟敷の話の報告を受けた良介は、大量の材木と大工を八右衛門に送り込んだ。丸山城の天守閣を作る材木をすぐに手配できる良介だけに、送りつけた材木も中途半端な量ではない。そして、でき上がったのが、屋根までついた二階建ての建物だ。下は丸太で組んだ階段状の観覧席があり、二階には畳が敷かれている。十二月ということもあって風よけもついている。その二階では、秋と春が三太夫達の来るのを待っていた。
 「秋ちゃん。久美のことをどう思っているの」
「とってもいい子やわさ。春も知ってはるとおりや」
「そんなことじゃなくて、小太郎のこと」
「ゆくゆくはとは思っておるんやが、なんか忙しいようでナ」
「それならいいんだけど」
 座敷の隅では、右衛門と照栄が、持ってきた手提げの弁当を肴に早くも呑んでいる。下では江三郎入道と滝野十郎吉政、青蓮寺新兵衛が挨拶を交わしている。久四郎や大猿もいる。三平、小猿、玄蔵、隼人、隆介など竜口の子供達も集まっている。
「珍しい祭のようですな」
「何でも二十年ぶりということですやろ」
「それにしてもすごい人出や。これでは知った者でも見つけられんな」
久しぶりに会ったらしい人々が、当たり障りのないことを話している。敢国神社の方角から、笛と太鼓の音が聞こえてきた。群集が波のように音のする方向に押し寄せた。秋と春も立ち上がった。
黒装束の一団が神輿を担いでやってくる。担いでいる若者達の中には三太夫や宗一郎、新三郎、太郎次郎も見える。神輿は堤から花園河原に下り、舞台正面に作られた壇の上に据えられた。五十人ほどの黒装束が神輿を前に座った。一番前列中央には保長、正成親子が座り、隣には丹波、良介、三太夫、崇治が座った。神主と一緒に赤い袴にしらかたびら白帷子の巫女が現われた。巫女は、すらりと伸びた手に金の鈴を持ち、小気味よく振りながら踊った。見ると巫女は文だ。多分、正成が誘ったのだろう。
神主の祝詞と玉串奉天が終わり、舞台に誰もいなくなると、寄せ太鼓が河原に大きく響いた。これを合図に、舞台前の河原には、流鏑馬の騎手が勢ぞろいした。騎手達は神棚に鏑矢を奉献し、天下泰平、五穀豊穣、国民安堵を願った。騎手の中に黒い陣羽織を着た三太夫もまじっている。馬場の延長は208メートル、この間に三つの式之的が立てられている。初めに全ての騎手が参加する奉射が行われた。一之的から順に矢を放ち、馬場を駆け抜ける。全てを当てた騎手は正成と数人しかいない。三太夫の番が回ってきた。見物に来た中年の親父たちが賭けをしている。がっしりとした戦国の武将とは違い、細身の三太夫を見て、誰も三つ当るとは思っていない。
「二つ」
「儂は一つだ」
三太夫が腹を軽く蹴ると、龍王夢は静かに駆けはじめた。矢を番えて放つ瞬間を、龍王夢は背中でとらえている。大きな揺れもなく龍王夢は並足で走る。それでも他の馬よりは早い。
バーンと一之的が飛び散った。
「まあ、一之的は、だいたいは当るものや」
見物をしている男たちが囁いている。バーン、二之的が飛び散った。
「初めて見る顔やが、あの若者はなかなかじゃナ」
続けて三之的も難なく飛び散った。
 祭りの流鏑馬に出ることが決まった後、三太夫は密かに竜口で練習を積んだ。走る馬の速さと、的への入射角度の関係はシュミュレーションゲームの感覚と似ている。龍王夢が自動操縦のように走ってくれるため、憶えてしまえば、それほど難しくなく的に当る。

奉射で優秀な成績をあげた者だけで、競射という弓競べが行われる。三本を適中させた三太夫もとうぜん参加する。競射の的は奉射とは大きさが違う。約十センチメートルの小的で、土器の皿二枚を合わせた中に五色の切り紙が収められている。優れた騎手達だけに一之的を外すものはいない。といって三之的まで当てる者もほとんどいない。
「三太夫さまー!」
美穂が辺りをはばからず大声をあげた。隣にいる久美は胸の上でそっと両手を合わせている。かけ声と共に、龍王夢が走り出した。
一之的、二之的と皿のど真ん中に当った。
これなら三之的も当ると自信を持った三太夫は裏技を使うことにした。矢を番えると、入射角度になるまで待った。放つ瞬間に、ほんのすこしだけ弓を下げた。矢は真直ぐにに三之的に向かって飛ぶ。
「よし!」
矢は二つに合わせた土器の下端に当った。
皿はくるくると回転しながら、真っ青な冬の空に舞い上がった。
息を呑む観衆。
スローモーションのように時間が過ぎた。
………

頂点に達した土器は、ポーンとふたつに割れた。五色の紙が散る。陽光を受けて、キラキラと反射しながら舞うように広がった。
「誰や。あの若者は誰や。おい、娘っ子、おまえ達は知っているんか」
われるような拍手の中、賭けをしていた親父が振り向いたが、すでに美穂も久美もその場にはいなかった。二人は、百地桟敷の方に駆け出していた。
 龍王夢をつなぎ終えた三太夫は、何もなかったように桟敷に戻ってきた。桟敷では、久美と美穂の話す流鏑馬の話で持ち切りだが、照栄と右衛門は完全にでき上がっている。
服部の屋敷から沢山の料理や酒が運ばれてきている。河原でも一般客のために、大鍋で芋や大根が煮られ、酒が振る舞われていた。二十年ぶりの黒党祭はこうして復活した。
 三太夫達は予定していたとおり、初日だけ祭りを楽しんで竜口へと引き上げた。しかし、良介、丹波、和尚、右衛門らは七日七晩、酒漬けになって佐那具で暮らすという。三太夫にとっては、百地桟敷が突然もぬけの空になるよりその方が都合が良い。
丹波も良介も、気のいい酒飲みだけに誰彼となく話しかける。河原でも酒が振る舞われているが、じっくり飲みたい人々は自然と百地桟敷に集まることになる。いつの間にか桟敷は大衆酒場のようになっていた。祭見物では、お国自慢の花が咲くものだ。良介等は、初めて伊賀に来た人達に、赤目四十八滝の素晴らしい景観の話をした。話を聞いた者達が、祭の帰りに寄りたいと言うと、良介達は案内をかってでた。
 七日間の黒党祭が終わると、祭の第二部が始まるように五百人近い人々が滝見物へと向った。その中には一般の観光客に混じって、百地一族や編みがさの武士もいる。
佐那具から赤目滝へ向う途中には丸山城がある。道中、丸山城で宿泊が出来るという噂が風のように広がっていった。丸山城は火事にあってから三ヶ月が経ち、城もあらかた修復が終わっている。噂を流したのは良介で、百地一族と一般客を分けるのが目的だ。目論みどおり、ほぼ半分の観光客は、丸山城に寄ってから滝へ行くことになった。
編みがさの武士達は北畠の隠密だけに、当然丸山城を見ておかなければ役目がはたせない。しかし、百地一族には前もってこのことは知らせてあり直接赤目に向った。
 直行組が大屋戸に近付くと、黒田の無動寺に宿泊場所が手配されていると連絡が入った。最後の仕分けだ。寺では宿泊人名簿の作成のために、家族単位で国と名前の確認が行われた。ここで、百地一族とそうでない者達が完全に分けられることになる。二百組ほどの見物客が、いろいろな建物に分散して宿泊することになった。建物ごとには、案内役の僧侶がついた。
翌朝滝見物を前にして、本堂に宿泊した者達は特別に住職から、ありがたい噺を聞かせていただくことになった。東大寺の偉いお坊さまの噺とあって、皆は正座をして待った。照栄が本堂に入ると、まず本尊に経を唱えた。よく響く声だ。
その頃、別の建物に宿泊した組は、滝見物へと出発して行った。しかし、それらの人々は、滝口の手前から右に道を折れて行った。
 竜口には地方の百地衆も含めて三百人ほどが集合していた。屋敷の高床式の広間は三方に仮設の床が作られている。前の集会の時には、丹波を中心に良介と小太郎が座ったが今回は違う。中央には三太夫、その脇には宗一郎、新三郎、太郎次郎、文が座った。そして前列には、地方で暮らしている百地衆が座り、その周りを伊賀在住の郷士が囲んだ。
頭領になって六ヶ月の三太夫は、地方の百地衆にねぎらいの言葉をかけ、<百地一族戦心得>を作成した主旨を詳しく伝えた。新しい頭領の熱心な説明を聞いた百地衆は、丹波とはまた違った逞しさを感じていた。
続いて、宗一郎が〈情報収集の方法〉の話をした。資料に添って具体的な事例を話すと、思い当たることがあるのか、皆は頷いて聞いている。次に、太郎次郎が〈場所による身の隠し方〉〈石垣や崖の登り方〉など戦術のことや〈迷彩服〉〈登器、水器、測量器、火器、投器〉など戦術や戦闘のための道具や使い方の話をすると若い者たちは目を輝かせて夢中になってメモをとりだした。さらに、新三郎が今までにできた地図を見せた。見たこともない地図に、一同は感嘆の声をあげた。地形と戦闘方法について話をすると、立ち上がって質問する者も現われた。
最後に文が伊賀の将来の予言をした。その予言は、百地一族にとってよいものではなかった。しかし、それからずっと下った四百五十年後の伊賀の話もした。遠い未来の伊賀は、現在と同じように美しい伊賀として残っていると言った。そして、その伊賀を再生したのは、ここにいる百地衆であることも話した。
自分達が、新しい伊賀を作ってゆくという言葉が、皆の心にしみ込んでいった。
百地一族・戦心得の締めとして、三太夫が再び現われた。伊賀在住の郷士の中に丹波も良介もいる。滝野十郎吉政が三太夫の前に進み出た。
「三太夫さま、儂は丹波さまが頭領を小太郎さまに引き継ぐと言った時、実は不安を感じていた。しかし、本日よくわかりました。百地一族は、先にも増して強い一団となった。我ら年寄りも三太夫さまについてゆきます」
丹波も良介も立ち上がった。江三郎入道も崇治も目を赤く腫らしている。全員が立ち上がった。
「えいえい、おー。 えいえい、おー。 えいえい、おー」
良介が音頭をとったとき閧の声が、竜口の空に向かって真直ぐに抜けていった。

天正七年の正月は晴天だった。朝が白み始めると三太夫たちは白装束に身を包んで不動の滝へ向った。真っ黒な巌の間を、水しぶきを飛散させてゴーゴーと滝が落ちている。滝壷の前にある岩の上に立った四人は、誰に祈るでもなく手を合わせた。水面にはまだ光が差し込まず、滝壷は漆黒の板のようだ。三太夫たちは白装束を脱ぎ、ふんどしも外した。身体からはもうもうと湯気が立っている。
「よし、行くぞ」
三太夫の合図だ。
「ウォーッ」
唸り声をあげて、宗一郎、新三郎、太郎次郎が一斉に滝壷に飛び込んだ。
身を切る冷たさが、三太夫の体の芯までビンビンと伝わってくる。その痛さが熱さに変わってきた。
「新三郎。今年はどんな年にする」
三太夫は泳ぎながら声をかけた。
「今年だ、今年中には地図を作り上げる」
「ようし、頼むぞ。太郎次郎はどうだ」
「俺は伊賀を信雄から守る」
「その意気だ。宗一郎は」
宗一郎は答えず、しばらく沈黙が続いた。
空のずっと高い木々の枝にやっと陽の光が差し込んできた。その光が葉から葉に反射して滝壷も少し明るくなってきた。
「信長を殺る」
宗一郎は魚のように水面から飛び出して、一回転してまた滝壷に潜った。深く潜った宗一郎が再び水面に浮かんできた。
「信長か」
「そう。信長を殺る」
「どうやって殺るンだ」
「うーん。それはまだ考えてない」
四人は大声で笑った。しかし、宗一郎の言葉には大きな意志のようなものが感じられた。
「おい、寒くないか」
「寒くなんかない。痛い」
「今年を良い年にしような」
「ウォーッ」
滝壷から上がると、持ってきた布で真っ赤になる程肌をこすって白装束を着た。冷えきった身体がほてってポカポカしてきた。
年の初めを不動の滝で浄めて四人は百地屋敷へ帰った。屋敷に着くと丹波と良介が三太夫の戻るのを待っていた。
「どこに行っておったのだ」
「不動の滝の滝壷で身を浄めてきました」
「何と、この寒い中をか」
「気持ちようございました。ところで丹波さま親父さま、何か」
「何かとはなんじゃ。百地一族の頭領である、おまえがおらんでは年が明けんではないか」
丹波、良介が百地屋敷に居ても、頭領である三太夫が家長である。年明けの行事は、家長が神棚に供物を献じ、お参りをすることから始まる。家内安全、五穀豊穣、一族安堵を願うのだ。この先導役を三太夫がしなければ、百地の家にいる誰もが食事もできないと言う。
三太夫達は、神聖な正月明けの行動は朝の陽が差す前にしようと思って滝に行ってきた。しかし屋敷では、高々と陽が上がっているのに、誰も彼もが三太夫を待っていたのだ。そんな習慣とは知らず、仲間と自分勝手な行動をしていた三太夫は素直に丹波、良介に謝った。
三太夫は急いで広間に行った。この広間は百地一族の全ての行事の舞台だ。三太夫が行くと、もう数十名の百地衆が待っていた。
正面の奥には滝があり、その滝の裏側には不動妙王が祀られている。広間からは、滝に向って迫り出す格好で廊下が造られている。この廊下を渡ることの出来るのは、百地本家の男と巫女だけだ。良く手入れされた、黒光りする廊下の両側には松と竹と梅で正月飾りがされている。その正月飾りを真っ赤な千両の実が鮮やかに引き立てていた。
三太夫を先頭に丹波、良介が並んで廊下に入ると、そこには長い垂髪の二人の巫女がいた。巫女は純白の衣に濃色の袴をはいている。濃色の袴は、若く清浄な女性のみに許されている。ひとりは、供物の載った朱塗りの三方を捧げ持ち、もうひとりは、お神酒の入った瓶子を捧げている。巫女に従って、滝に向う渡り廊下を行くと、水の落ちる音が聞こえてきた。先端は六畳ほどの板張りで、滝に向って張り出している。その板の間を空間で支えているのは、滝の両側にある樹齢数百年はあろうかという杉の木の大枝だ。
板の間の中央に壇が設えてあり、その先には真直ぐに落ちる滝が、手の届く位置にある。壇から三メートルほど手前に三太夫、丹波、良介は座った。滝の水しぶきが霧となって、包み込んでくる。巫女は壇の前に行き、三方に載った供物とお神酒を捧げた。
「お参り下さりませ」
巫女の、はりのある声を聞き三人は目を閉じお祈りをした。
滝の音だけの神聖な世界だ。三太夫は丹波に言われたとおり、家内安全、五穀豊穣、一族安堵を念じて目を開いた。巫女は榊の枝を滝の水にかざして、その榊を三太夫、丹波、良介の頭の上であおった。榊を壇に納めると、巫女達は両側の杉を背に立ちこちら側を向いた。左側の巫女が三太夫の目を見ると、胸の辺りに右手を引いた。何が始まるのか見ていると、女子学生が写真を撮る時に良くやるポーズを作った。文だ、右の巫女に目をやると恥ずかしそうに頬を染めた久美が、ぎこちなくVサインをした。多分、文が教えたのだろう。
「あけましておめでとうございます」
文の声が大きく響き、不動妙王に黙祷していた丹波、良介が目を開いた。文は三人に平皿を配った。
「不動妙王さまの、くだされものでございます」
久美は、三人の平皿に瓶子からお神酒を注いだ。普段はどんぶり鉢で酒を呑む丹波も良介も、小さな平皿を有り難そうに戴いて、お神酒を喉に流し込んだ。
一通りの儀式が終わると、五人は不動妙王を後にして廊下を帰った。帰りは行きと逆で、三人の後に文と久美が続いた。ふたりは、一本ずつ瓶子をさげている。
渡り廊下の手前には崇治、宗一郎、新兵衛、新三郎、右衛門、太郎次郎、江三郎入道、美穂、秋らが並んでお参りをしていた。
「皆様、あけましておめでとうございます。今、不動妙王さまにお参りを済ませてまいりました」
三太夫は神前行事の報告をすると、崇治等に平皿を配った。文と久美はそれぞれのにお神酒を注いで廻った。全員にお神酒が配られたのを確認すると、三太夫が言った。
「丹波さま、新年のごあいさつを」
三太夫は年長である丹波に華をもたせた。
「皆元気でなによりじゃ。昨年はこの伊賀にもいろいろあったが、無事年を越せ新年を迎えることができ、まずは良かった。」
丹波はこのように年寄りを立ててくれる三太夫の心遣いが好きだ。
「儂は今年、竜口に居ることは少ないじゃろうと思うが三太夫なら安心じゃ。皆、三太夫を盛り立てて、百地一族に良いことがあるように励んでくれ。では百地一族の繁栄を願って、お不動様のお神酒を頂こう。良介、乾杯の音頭をとれ」
良介が乾杯の発声をし、揃って平皿のお神酒を空にした。誰ともなく拍手が起き、新しい年を迎えた実感を味わった。
「おい、秋。湯飲みとか、どんぶりはないのか。これからは無礼講だ。皆、その渡り廊下の前に置いてある樽は全部、お不動様への献上酒じゃ。お参りも終わったから、杓で酌んでどんどん呑んでくれ」
良介は、本当にこのような会が好きだ。
「オトウ、もう用意してありますよ。それに短野から春が来て料理の支度もしてくれていますよ」
「春さまが来てくれているのか。それは頼もしいな」
「あら、私の料理ではダメと言いたいのですか」
「これこれ、正月早々、夫婦喧嘩は犬もくわんぞ」
「おい、安部田の江三郎入道。美穂殿が泣いていなさるが、どないしたのや」
「どうしたもこうしたも、聞き分けがないんや」
「だってぇ、文さまも久美さまも巫女をしているのにー」
「だから順番だと言っているやろ。今年は文さまに久美さま。来年は久美さまに美穂や」
「おい、太郎次郎。おまえ一度家に帰って杉谷神社の巫女の衣裳を持ってこられんか」
「親父、何で俺が取りにいかなならんのか」
「おまえ、美穂のことを、妹みたいだと言っていたではないか」
「まあまあ、右衛門殿。それは太郎次郎にちょっとかわいそうや」
広間での酒宴は、元気で波乱の多い天正七年の伊賀を思わせる、活気のある時間が過ぎていった。
 正月も明け松が取れると、丹波から喰代に来るようにと三太夫に連絡があった。
文を伴って三太夫は、龍王夢に跨がり喰代へ向った。文を前に乗せ、抱きかかえるように乗っている。龍王夢は風を切って走る。真冬の風が正面から文に吹きつけるが、それほど辛く無い。正面の風は冷たいが、背中に感じる三太夫の体温が心地よい。三太夫も同じで、文の体温が腹を暖めて寒さを感じなかった。
喰代に着いた二人は、すぐ奥書院に案内された。正面に百地丹波、入口を背にして服部半蔵正成と保長らしき人物が座っている。
三太夫と文は、丹波と対面している正成親子の横に行った。見ると丹波に対面しているのは正成と良介だ。普段なら、丹波の横は良介というのが定位置なはずで、何か不自然さを感じた。三太夫は、黒党祭以来の正成に新年の挨拶をすると、呼ばれた理由を丹波に尋ねた。
「あわてるでない。まずは正成殿の話を伺おう。大方の察しはつくが。正成殿、このとおり百地の頭領も呼んだ。本日の用向きを伺おう」
いつもとは違う正成が話を始めた。
「正成、考えに考えた末に、丹波さまにお願いがあって参りました」
切羽詰まったような正成の声が、書院に響いた。
「三河の徳川家康さまに仕官することにしました。つきましては、服部が治めている領地をお預かり願いたいのです。もちろんこれは、父保長も承知のことでございます」
「そうか、そのようなことだとは思っておった。まあ三河に行くのは良いとして、服部を治めるのは誰ぞ服部の者ではいかんのか」
「服部のおもだった者達は三河に連れて参ります。やはりここは藤林同様、丹波さまにお願いするのが最善の途かと考えております」
藤林同様という言葉が三太夫には、まったく理解できなかった。
「藤林同様?それはどのような意味なのでしょうか、正成さま。」
三太夫が口をはさんだ。
伊賀は百地、服部、藤林と三つの大郷士が治めていることは知っている。百地は伊賀中部から南一帯、服部が中北部で、藤林は北部から甲賀にかけて治めている。その藤林と丹波とどんな関係があると言うのだろう。
「うん?三太夫は知らなかったのか」
丹波の許しを得た正成は、説明をはじめた。丹波は以前から藤林の領土を治めていたという。伊賀の北部は甲賀と接していて争いが絶えない。小さな勢力の土豪ばかりで、小競り合いも多い。何とか、甲賀の攻撃をくい止めてはいるが、いつ侵略されるかわからない。丹波は、それら小さな土豪をまとめ、藤林一族として伊賀北部を維持している。藤林長門守丹波という郷士は、実は百地丹波のもうひとつの顔だと言うのだ。喰代に砦を作ったのも、丸山城のためとは言ったが、藤林の領土に近いこともある。砦を築いた時に三太夫に頭領を継がせたのも、そうした理由だと言う。
「丹波さま、ほんとう」
文の尋ねに、目を閉じたまま頷いた。
 正成は続けた。
「伊賀は服部を除けば、百地で統治されている。服部さえも百地の力がなければ統治しきれない。それならいっそ百地に預かってもらって、私は自由に働いてみたい。父上もそのことを知って、徳川家康という優れた武将と話をつけてくれた。私は家康が戦国の世を終わらせ、平和な時代を創ると思っています。丹波さま、私はそこに自分の力を注いでみたいのです。それがやがては、伊賀のためにもなる。私はそう信じています」
正成は自分の夢を語った。
「それで保長殿はどうするのじゃ」
正成に聞いているのか、誰に聞いているのかわからない。服部半三保長はいないのに、まるで丹波の前にいるような話ぶりをする。答えようとする正成を、良介がさえぎった。
「家康殿に話をつけたのは私です。私自身、松平清康さまに仕える身、正成と一緒に三河に骨を埋めるつもりです」
丹波の質問と良介の答えが、三太夫と文には理解できない。
「やはりそうか。ついにその時期が来たか。それで秋にはどう話をするのじゃ。秋は、おまえなしで生きていけるのか?」
「それを丹波さまにお願いしたいのです。秋には、丹波さまや三太夫がいますが、正成には私しかいないのです」
良介は、まるで正成の父親のような話し方をする。三太夫は良介に質問をした。
「親父さま。どういうことでしょうか」
「三太夫すまぬ。おまえ達には言っておらなンだが、儂は服部一族の頭領、服部半三保長だ。百地では良介だが、佐那具では保長。正成にもこのことを告げたのはつい最近だ」
丹波に続いて、良介も別の顔を持っている。何が何だかわからない。
「それはおかしい、親父さま。昨年の黒党祭には、保長さまと親父さまが一緒にいたじゃないか」
「あれは儂の影だ。ハッチョモンと言うてな、変装術の名人だ。儂が良介をしている時はハッチョモンに保長をさせておいたのだ。しかしハッチョモンも儂が百地良介であることは知らないはずだ。知っておったら、儂の目の前であれほど堂々と保長はできぬ」
良介は、なぜ自分が一人二役という生活をおくってきたか話をした。
「儂が百地に婿にきた直後、兄の保長が不慮の事故に会った。正成はまだ赤児で頭領とは成り得ない。といって頭領不在の地では、攻め滅ぼされる。儂が兄にすり変わって保長になるしかなかった。このことは誰も知らない。知られてはまずいので兄の妻には離縁を言い渡した。そのため正成は母も失うことになってしまった。知っているのは丹波さま一人だ。本来なら百地の頭領をせねばならない儂が、その座を小太郎に譲ったのもそういういきさつだ」
端正な良介の顔が苦渋に歪み、目頭を押さえた。
「正成を母のない子にしてしまったのは儂だ。騙したようで本当にすまなかったと思っている。しかしこれは服部一族のためにしたことだ。三太夫、これからは正成と暮らす。秋を頼む」
手をついた良介は、誰ともなく頭を下げた。

桜の咲く頃、正成、保長親子は数十名の服部一族と佐那具を後にすることになった。良介に可愛がられていた久美は、服部親子が伊賀を離れる前の日から佐那具に見送りに行った。
久美は、涙をいっぱいにして保長を見たが泣かなかった。保長は久美を見ると、二人だけで話がしたいと言って書院に閉じこもった。誰も近付けず数時間、保長と久美は話をしていた。どのような話をしたかはわからないが、書院から出て来た時の二人には、爽やかな笑顔があった。
服部一族の半分近くは佐那具に残ったが、正成、保長親子が離れると実質的には三太夫は伊賀全土を束ねることになった。伊賀全土を治めることになっても、三太夫の拠点は竜口であり、喰代、藤林は今までどおり丹波にまかせた。そして服部砦は新しく宗一郎が統治をすることになった。
 服部一族が伊賀を出国したことは、まもなく北畠信雄のもとに伝わった。伊賀から服部がいなくなれば北伊賀は守りが手薄になる。このことで一番喜んだのは信雄だった。昨年からつづけていた伊賀攻めの準備は加速した。
 天正七年九月初め、信雄は柘植三郎兵衛、長野左京太夫に伊賀攻めを命じた。
準備の最終段階あたりから、逐一この知らせは三太夫のもとに入ってきた。三太夫側の兵力は三千弱、信雄側は一万を越す。通常の戦をしていたのでは、万が一つの勝ち目はない。三太夫は宗一郎、新三郎、太郎次郎、文を竜口に呼び寄せた。
「北畠信雄が攻めてくる。敵は一万、こちらは三千弱だ」
「三太夫、敵はどの方角から攻めてくるのだろうか」
新三郎が聞いた。
「伊勢方面から三方に分かれて入ってくる」
「伊勢から三方………。それなら三太夫、何万攻めてこようとも大丈夫だ」
新三郎は伊勢から伊賀に入る街道、山道は全て把握済みだと言う。どの道にも必ず狭い所や見通しの悪い所がある。これらの場所に敵を誘い込めば、大きな痛手を与えることができる。敵の人数が多ければ多いほど敵の混乱は大きくなる。落とし穴や隠し櫓を設ければ一網打尽だと言った。
「三太夫、攻めてくる正確な日時と場所を知ることができるだろうか」
「ほぼ分かっている。詳しい情報が集まっている」
伊勢の地はもちろんのこと、伊勢から伊賀への道筋にも百地一族はいる。黒党祭に合わせて行った百地戦心得が、効果を発揮しだした。次々と信雄側の動きが伝わってくる。
これらを総合すると、九月十六日に三軍が伊賀への入口に集結し、翌十七日に一気に丸山城を攻めることになる。
伊賀入りの場所は信雄の本隊八千が阿波口の長野峠、柘植三郎兵衛が率いる千五百は布引口の鬼ことぶし峠、長野左京太夫と秋山右近の千三百が伊勢地口の青山峠だ。
「三太夫、これだけの情報があれば、飛んで火に入る夏の虫。道筋に仕掛けられた罠に飛び込んで全滅するだけだ。そんなことだろうと思って、力になる者達を連れてきた。ここに呼んでもよいか」
 新三郎は皆の許しを得ると、地図作りに加わっている配下の若者を呼んだ。
「三太夫、俺が地図作りをしている時に見込んだ男達だ。この機会に、ぜひ大いに働いてもらおうと思う。こいつは河内国石川村生まれで石川五右衛門。それから伊賀国神戸郷の生まれ、忍びの技術が抜群の神戸ノ小南。そして伊賀国上野郷で特に変装術に優れた高羽左兵衛だ」
紹介された三名は、目に力のこもった若者たちだった。新三郎が、地図作りを始めた当初から参加していたので、伊賀の地形は殆ど知っていると言う。七人を前に新三郎は、伊賀全土の地図を広げた。信雄の攻めてくる街道は地図に載っている。峠の位置関係を皆に示すと、次に各峠の詳細地図を取り出した。そこには道幅や崖の高さ、道の曲り方や坂の高低など細かく記載されている。そして落石などが多い場所には×印がされている。
「この危険箇所が今回の仕掛けの要となる。小南、お前は神戸郷に一番近い青山峠。五右衛門は長野峠。左兵衛は鬼ことぶし峠だ。この地図を良く睨んで、迎え撃ちの術を考えておけ」
新三郎は五右衛門、小南、左兵衛に詳細地図を渡し退かした。
総合指揮官は当然、三太夫だ。三ケ所にどのような戦力を配置するか、そして十対一の作戦について話した。
「敵の戦力は一万、こちらは三千弱、単純に計算すれば一対四だ。総力戦で一対四じゃ勝てない。ここは敵八人を一人で倒す、一対八の奇襲作戦しかない。こちらにあるのは地の利だけだ。新三郎が言ったように、崖や隘路で奇襲すれば確実に敵は混乱する。もしもそこで失敗したら、直ぐに退く。第二陣として同じ数の兵を次の仕掛け場所に配置しておく。それから………
 今まさに、天正伊賀の乱がはじまろうととしていた。

 

第一次天正の乱

伊賀の兵は戦をするための兵ではなく、自力で切り開いた土地を守る半農半士だ。各地にいる小集団の郷士の集まりが兵力ということになる。百名を超す兵士を持つ郷士は柏原城の滝野十郎吉政だけだ。一族の有力郷士である江三郎入道や杉谷右衛門でも、五十名の兵を抱えるぐらいで普通は二十名か三十名が普通だ。伊賀軍が三千弱の兵を集めるには五十近い郷士を召集しなければならない。それらの郷士を大きく束ねているのが百地、服部、藤林の頭領で実質は三太夫ということになる。まずはその郷士達をどのように配置するかを考えなくてはならない。三太夫は伊賀中部の平楽寺で軍議をし伊賀全土の郷士に参陣を呼びかけた。

三太夫に命じられた文は、伊賀全ての郷士の名前とその兵力を小さな紙に一つずつ書いた。その紙を新三郎が作った地図に置いていった。宗一郎、新三郎、太郎次郎は名前を見れば何処の郷士かは直ぐに見当がつく。特に新三郎は南部に強く、太郎次郎は中部に強い。服部砦に住むようになった宗一郎は、北部を完全に把握していた。全ての紙が地図上に置かれると、三太夫は峠に近い順に紙を移動していった。

伊賀神戸、名張の郷士の名が書かれた紙を青山峠、鬼ことぶし峠に割り振ったが、まだ相当の紙が残っている。その残った紙と服部、藤林の兵を加えると約二千になる。この二千の兵全てを信雄本隊の来る長野峠に配置した。

文は各峠に置いた紙を集めると、峠ごとに印を付けた。そして、峠ごとの参陣郷士一覧を作った。パソコンのエクセルでもあれば、表づくりは二十分もあればできるが、手書きで一覧表を作るのは結構面倒な作業だ。
文は百地屋敷にいる久美に助けを頼んだ。文が作った一覧表と同じものを複製してもらうためだ。久美は筆で同じ物を書き写してゆく。一目瞭然、久美の作った物は格調がある。

三峠の表ができると三太夫は言った。
「鬼ことぶし峠の表を出せ。ここの大将は山中宗一郎。副将は山中崇治、軍師は高羽左兵衛とする。久美、表の上に書け」
「お兄さまが、お父さまより偉いのですか」
「まあな、この戦は我々がやらなければならない。丹波さまや崇治さまには後見人となってもらう」
続いて、青山峠の大将には杉谷太郎次郎、副将は杉谷右衛門、軍師は神戸ノ小南と書かれた。そして、長野峠の大将は松尾文。副将に百地丹波、軍師に石川五右衛門と書かれた。文は大将の地位に驚いたが、あえて異論を挟まなかった。
「三太夫、新三郎は何をするンだ」
宗一郎が言った。
「俺は本陣の鳳凰寺で総指揮を取る。新三郎は全ての峠を見て俺に状況を連絡してもらう。さて、次はどのような仕掛けで敵と戦うかだ。ひとつずつ決めてゆきたい。宗一郎、鬼ことぶし峠から決めるから高羽左兵衛を呼べ。宗一郎、おまえが大将だ。どのように戦うか高羽左兵衛と話し合ってみてくれ、俺は聞いている」
 宗一郎に呼ばれて高羽左兵衛が入ってきた。宗一郎は左兵衛に鬼ことぶし峠に召集する郷士の表を見せて印のついた紙を渡した。
「高羽左兵衛と言ったな。俺は山中宗一郎だ、鬼ことぶしの指揮をすることになった。この峠には柘植三郎左衛門と日置大膳の兵千五百が攻めてくる。我々は、その四分の一の四百で迎え撃つ。先程、頭領より、二軍に分けて迎え撃ち、一軍で失敗しても次の二軍で阻止するように言われている。左兵衛、お前は鬼ことぶし峠を熟知しているだろう、敵を撃退する方法と、その場所についての考えを言ってみてくれ」
宗一郎の言葉を受けて、左兵衛は懐から鬼ことぶし峠の地図を取り出した。
「山中さま、先ほどから考えていたのですが、鬼ことぶし峠は布引山地を越える急な山道です。峠の手前に、両側を山で挟まれた所もありますが、攻めるなら四百の兵全てを二軍として、この道の両側の杉木立の上に待機させ、五編成で弓を仕掛けるのが良いと考えます」
左兵衛は結集した兵全員を、峠の山道に配置し戦うように進言した。
「左兵衛、俺の話を聞いていなかったのか。それでは一軍がない、一軍の補完をするのが二軍だ」
「いいえ、一軍はあります。一軍は私左兵衛と、私の可愛がっている左助という小僧です」
左兵衛は、子供と二人だけで一軍を構成すると言い、柘植軍を道に迷わす作戦を話した。峠の途中には熊笹の群生する場所がある、この熊笹を刈って峠へつながる道より広い道を作る。そして、元の道には木を植え、草で被い隠してしまう。あとは左兵衛と左助で、迷い道へ誘い込むのだと言う。 左兵衛は前もって北畠軍に紛れ込み、〈身虫の術〉を使う。身虫の術とは敵の中に入り込み、混乱させる工作をするのだ。敵軍に紛れ込んだ左兵衛は、進軍する前の方を歩く。雑兵は、戦の度に召集されるので誰が誰かはそれほど知らない。左兵衛は、新しく作った道へ兵が行くように仕向け道に迷わすと言った。誘い込む方法としては、子供の左助が、広い道を歩いて行くだけだ。
「そんな簡単な方法で、北畠軍が迷うというのか」
「山中さま、もしこの策が失敗しても、一軍の損失は私と左助のみです。もちろん左助が失敗するとは思ってもいませんが。なにせ、猿飛というほど、すばしっこい小僧です。無傷の二軍が四百の兵はまるまる残ります。無駄な戦はしないにこしたことはありません」
宗一郎は、この左兵衛の作戦をどう判断するか迷った。策としては理解できるが、三太夫の求める戦法とは多少異なる。だが二軍に分けての作戦には違いない。
「左兵衛、一軍と二軍を半々にして戦うという方法は考えられないのか」
「一軍にそれほどの兵はいりません。それと半分の二軍の兵だけでは、もしもの時に大変なことになるかと思われます」
しばらく宗一郎は目をつむって考えた。三太夫が常に言うのは、平和な世界を作ることで、敵のせん滅が目的ではない。
「無駄な戦はしないか。よし、わかった。左兵衛の策で、頭領との話をつける」
「中山さま、精一杯働かせていただきます。明日にでも鬼ことぶし峠に集まる郷士衆に鍬と鎌を持って来るよう手配していただけないでしょうか。戦というよりは迷路づくりですから、大勢に来てもらいたいのです」
 鬼ことぶし峠が終わると、青山峠の作戦検討のため、神戸ノ小南を呼んだ。宗一郎と同じように、今度は太郎次郎が小南に話をした。
青山峠は飛鳥の昔より、都と東国を結ぶ初瀬街道にあり、最大の難所と言われている。青山から名張に流れる青山川上流の道は、山と川に挟まれた峡谷に、やっと付いているような道だ。この狭い道を、上から攻められたらどうすることも出来ない。小南は絶壁の山の上から大量の材木を落とし、崖崩れを起させる作戦を勧めた。太郎次郎も青山峠は知っているから、この案はすぐに決まった。
「小南、仕掛ける場所はどこにしたらいい。二ケ所を決めてくれ」
確実に敵を阻止できる、具体的な場所を示すように小南に命じた。
「杉谷さま、崖の上で作業が楽にできて、下から見えない場所。そうなると、ここかここしかありません」
襲撃場所は簡単に決まった。
 最後は長野峠だが、ここは敵八千、味方も二千という大所帯だ。この最も重要な峠の軍師となったのが石川五右衛門だ。文の知っている五右衛門は、京の三条河原で釜ゆでになった、天下の大泥棒だが、ここにいるのは細身で長身の好青年だ。
「五右衛門、私は松尾文と言います。長野峠は信雄の本隊八千が来ます。三太夫から、どんなことがあっても敵を阻止するようにと言われています。一回失敗してもいいですが、二回はダメです」
文の投げかけに、五右衛門はすらすらと答えた。
「八千という隊列になると、一間に四人の兵が歩いても二千間。ということは三十三町、山道だから約一里の長い隊列になる」
一里というと、四キロメートルほどの隊列ということになる。
「長く伸びきった隊列の弱点は、前がどうなっているか、後ろの兵にはわからないことだ。一回失敗してもと言われましたが、それならこちらの兵を二分割にし、二つの大隊を作る。二分割にしても一大隊は一千名、一千の兵を一度に束ねることは不可能です。一大隊を五つに分け、二百名の中隊を編成する。さらに、四十名に一人の小隊を作るのが良いと思う。役割は中隊単位とし、小隊がそれぞれの任務を負う」
五右衛門の話は組織論から入ってきた。役割と任務と責任だ。確かに、組織が大きすぎると命令が届かないことがある。四つの中隊の内、一隊は道に障害物を用意させ、整然と進んできた敵の隊列を崩し大渋滞を起こさせる。残る三つの中隊が小さな崖崩れ、落石、弓を射るなど、さざ波のような攻撃を加える。渋滞して、前も後ろもわからない所で、見えない敵の攻撃にあう恐怖は次第に拡大し大混乱に陥る。もし一ケ所を突破できても、二ケ所目で同じような攻撃が行われる。二ヶ所目では初めより大きな恐怖となり、まだ次々にあると思ってしまう。怯えにつつまれて戦意を失い、戦う兵は逃げ腰になる。そして敵軍はちりじりに潰走をすると言う。

大泥棒になっただけあって、戦略も心得ているし計算も早い。言う通り、長い隊列でパニックを起こさせれば混乱は津波のように大きくなって伝播してゆくだろう。
三太夫はこの案を採用した。第一大隊の隊長を文、戦闘の指揮官を五右衛門にさせることにした。残る第二大隊は丹波さまが状況を見て指揮をする。
「これで決まった。さっそく丹波さまと崇治に連絡をとり、各郷士の方々に集合場所と役割を伝えろ。新三郎、龍王夢を貸すから戦闘が始まったら各峠を回って、鳳凰寺の俺に状況を知らせてくれ」
 九月七日、伊賀の郷士全員に指令が発せられた。
伊賀南部の郷士は青山峠と鬼こぶ峠へ集結。伊賀中部と丸山、喰代の周辺の郷士そして宗一郎の率いる服部一族と丹波の率いる藤林一族は長野峠に集まった。日頃から山仕事や農業をしている半農半士である伊賀の兵士だけに土木作業はお手のものである。
鬼ことぶし峠には女子供まで集まっている。まるでボランティアの草刈りのようだ。女達が鎌で熊笹を刈ると、子供達がその笹を鬼ことぶし峠の本道へ運び、道が見えないように隠している。男達は新しく作った道を平坦にし、いかにも街道のように踏みかためている。
迷い道に入る所の本街道には木を植えて塞いだ。新しい道は最初の二百メートルほどは幅が広い。しかし、だんだんと狭くなるように造ってある。さらに狭くなりながら曲がって行き、一キロメートルほど行くと獣道につながった。猪や鹿などが通る道だ。ただ、四方八方に分かれて行くため、進めば進むほど、迷子になる確立は高い。
 青山峠では、険しい崖の上に沢山の丸太を積み上げる作業をしている。そして長野峠でも杣人達が木を切り出していた。
新三郎は龍王夢で、それぞれの峠を回って見た。迎撃準備は計画どおり、着々と進んでいるようだ。
 九月十五日の夕方、長野峠には木材を運ぶ軍団が見られた。
「五右衛門、どのあたりにするの」
「文さま、広い道が曲がって狭くなる所です。もう少し先に、一度谷に下りてまた峠に上がって行く地点がある。その辺りだと、後ろの者たちは見えません」
「そこに、この丸太をころがして道を塞ぐのね」
「丸太で道を塞ぐのは当然ですが、丸太を乗り越えようと渋滞した所に大きな岩を落とすのです。だから丸太を転がして、道を塞ぐところは二ケ所です。最初の丸太は乗り越えることが出来る程度にして、次は殆ど塞いでしまう。明日の朝には、丸太を置いた二ケ所の真ん中あたりの崖の上で落とす岩を用意します。混乱したところを四百人の兵で弓を射る、ひとたまりもありません」
 四百人が一人ずつ弓を射たとしても、同時に四百人の兵士が死ぬか怪我をすることになる。当然、ひとり五本以上の弓を射るわけだから、何千人という兵が死傷する。それを指揮しているのは五右衛門ではなく自分だ。想像した文は鳥肌が立った。
「五右衛門、殺すのはどうでしょう。敵兵と言っても家族がいます。二度と伊賀を攻めたくなくなる様に、恐怖感を与えて追い返すのが今回の使命です。殺すのが目的ではありませんよ」
「恐ろしさで、逃げて返るのですね。殺さなければ良いのですね、わかりました、文さま」
文に言われた五右衛門は、三隊の中隊長を集めて何やら説明をしていた。石川五右衛門は大泥棒で非道な男かと思っていたが、とても素直で頭の良い若者だ。文は歴史の嘘と、噂の嘘に考えを改めなければ、とつぶやいた。
 十六日午前十時、柘植の兵千五百が鬼ことぶし峠に向って進軍していた。
軍団の中央辺りに、柘植の乗馬姿が見られる。軍の先頭集団には鎗を持った左兵衛が雑兵と話ながら歩いている。
「良い天気じゃないか。戦があるとは思えんなあ」
「なあに、こちらは三郎兵衛さまだけじゃなく、北畠さまも長野さまもおられる、戦と言うよりは、伊賀の丸山城に物見遊山に行くだけのことだ」
「お前、若いのに戦に詳しいようじゃな」
「それほどでもないだよ。色々と噂話が聞こえて来るからなあ。それに昔、この鬼ことぶし峠の向う側に住んどったこともあるしな」
「鬼ことぶし峠は遠いのか」
「結構あるが、日暮れ前に丸山の城には十分に着く。この道は一本道だから歩いていれば自然につくよ」
左兵衛は、伊賀の話や食べ物の話、病気や天気、女の話など面白おかしく話しながら歩いて行く。左兵衛の両側はもちろん、前を歩く兵も後ろの兵も左兵衛の話に耳を傾けながら前進してゆく。
「昼飯はいつごろじゃろか」
「もうすぐ熊笹の生えた所がある。そこを抜けた辺りだろうと思うが、どうじゃろか」
話をしている内に熊笹の生えた所に着いた。
前方を十歳前後の子供が笹笛を鳴らしながら歩いているのが見えた。
「あれえ、こんな所に家があるんかいのう」
「炭焼きか、なんかの子供だよ」
先頭集団は、子供が歩いて行くのにつられ、道案内されるように進んで行く。後ろにつながる千五百名の兵は、前の兵に着いてゆくだけだから全く何も感じていない。やがて、全員が新しく作った騙し道に入ってしまった。
「だんだん狭くなるようだが、あとどれぐらいで抜けるのじゃろか」
「もうすぐだ。あの子に着いて行けばいい。儂はちょっと小便をしてくる、子供を見失わんようにな」
左兵衛はそう言うと薮の中に入って行った。
先頭の集団は左助にひかれて、曲がりくねった道を前進する。左助の歩く速さが少しずつ上がってゆく。道はますます狭くなり、獣道に入ったが、左助の姿ばかり見ていて気がつかない。左助は、さらに速さを増した。不安になった先頭集団は、追い掛けるように左助の姿を求めて走る。道はさらに狭くなって、ついには左助を見失ってしまった。完全に獣道に入ってしまった。道が三方に分かれているが、どの道を行ったら良いのか見当もつかない。
「おい、あの小便に行った面白い男はまだ来んのか。あいつなら道を知っているやもしれん」
 先頭集団は仕方なく左兵衛を待つことにした。しかし何時までたっても来ない。そこでようやく道に迷ったことに気がついた。
柘植三郎兵衛から先頭集団にどうなっているのかとの連絡が入った。しかし、道に迷ったとも報告できず返事をしなかった。やむを得ず、先頭集団は獣道をただ黙々と歩くことにした。早く一般道に出て里を見つけようと、獣道を下へ下へ歩いて行くしかなかった。

青山峠では太郎次郎と小南が、崖の上で長野左京太夫の一行を待っている。崖の上には丸太を仕掛けてある。左京太夫の兵達が丁度崖の下を通る時に、丸太を止めてある縄を切る。丸太は真っ逆さまに落ちてゆく手筈だ。
今か今かと待っていると、左京太夫の一行が谷沿いの道に入って来た。太郎次郎の方からは丸見えだが敵は全く気付いていない。道が狭くなってきたので、左京太夫は馬を下り、馬回りの者に任せて歩き始めた。暑いのか兜も甲冑も脱いで、先頭を歩いている。全くの無防備な状態だ。
「今だ」
太郎次郎が上げていた手を、さっとおろした。
うなずいた小南は丸太を止めてある縄を切った。
地鳴りのような響きをあげた、数十本の丸太が岩を砕いて落下してゆく。丸太と岩は、左京太夫の丁度後ろ辺りに落ちていった。直撃された兵は逃げ場がなく、丸太と一緒に谷底に落ちた。後ろにいた千三百の兵はこの惨事を目の当たりにして、すっ飛んで、今来た道に消えて行った。
 丸山城攻めの主力である信雄の軍は、整然と長野峠への道を進んでいる。兵の列は四キロメートルにもおよぶ、蟻の行列のようだ。
文は崖の上から、望遠レンズで信雄を捜した。先頭から二、三百メートル後ろに、白馬に跨がり派手な錦の陣羽織を着た武者がいる。頭には立派な兜を冠っている。信雄に違いない。軍はゆったりとした動きだが、確実に文の待つ峠へと近付いて来る。文から五百メートルほど手前で五右衛門の第一軍が待機している。第一軍を突破されたら、その時は信雄だけを狙うよう第二軍の丹波に指示を与えるつもりだ。
敵軍の先頭集団が山陰に隠れた。そろそろ第一軍と遭遇するはずだ。

坂の上にさしかかった信雄軍を見て、杉木立に登った五右衛門が、木からおりてゆくのが見える。道には第一障害物である丸太は転がしてある。信雄軍がそこまで来るには、急な坂道を登って、さらに下りてくる格好になる。そして第一障害の丸太を乗り越えると下り坂。道は大きく曲がりまた上り坂となる。第一障害を越えても、次の大掛かりな丸太は目の前に来るまで全くわからない。
 「文さま、どんなぐあいだ」
突然、新三郎が長野峠の一軍の前に現われた。柘植軍は左兵衛の仕掛けた罠に完全にはまり、青山峠の長野左京太夫の一行も、谷底へ落ちた仲間を見て逃げ帰ったようだ。両峠の兵全員を長野峠にまわすこともできるがどうだと聞いてきた。

今頃、石川五右衛門の軍に会っている頃だが敵の姿は見えない。もし、ここに敵軍が来たら第一軍は突破されたことになるが、それでも第二軍の丹波が控えている。文は、もう少し様子を見るように新三郎に言った。

「あの向こうに見える、蟻みたいのが全部信雄軍か。ふーっ、大変な人数だな。五右衛門は上手くやっているかな、ちょっと俺も見に行ってくる」
新三郎は信雄の凄い軍勢を見て心配になったのか、五右衛門達のいる第一軍の前線へ飛んだ。文は視線を据えて街道を見透かすが、敵の来る様子はなく新三郎を追った。そのとき、山の向こうが騒がしくなった気配が感じられた。
 時間は少しさかのぼる。
第一障害の丸太の前に敵の最前列が着いた。
「何だこれは。やたらと木が倒れておるぞ。難儀だが乗り越えるしかないな」
「待て待て。倒れておるのじゃなくて、通れないように置いてあるのかもしれんぞ」
「そんなことはあるまい」
前列部隊がそのようなことを話しながら第一障害を乗り越えて進む。続いて後ろの兵も乗り越えて行くが、渋滞がはじまった。最前列の部隊が道を下って行くと、大きく曲がって上りになっている。二十メートルほど坂を上がると、今度は第一障害とは違って、数十本の大木で完全に道は塞がれている。
最前列は完全に止まった。止まっても、後ろからはどんどんと兵が詰めてくる。後ろの兵達には第二障害が見えないので、前で何がどうなっているのか、わからない。蟻のように八千の兵士が連なっているのだ。
第一障害と第二障害の間はひどい渋滞になっていた。最前列ほとんど身動きのできない状態だ。やむを得ず数人の兵が、乗り越えようと丸太に足をかけた。
その時、丸太が大きく跳ね返った。
ガッガーン。
崖の上から岩が落ちてきたのだ。数人の兵士が吹っ飛んだ。
「よーく聞け。どこの馬鹿ものどもか知らんが、ここは通せん。とっとと帰れ」
崖の上に黒装束の天狗が現われた。
「早くせんと、つぎは真上から大岩を落とすぞーっ」
兵士は驚いて見上げた。またひとり、そしてまたひとり、黒装束が増えはじめる。十人になり、二十人になり、鈴なりになった。般若もいれば、ひょっとこもいる、おかめもいれば、翁もいる、数百人の奇妙な黒装束がならんでいた。
「我等は長野峠の天狗じゃー。裸になって何もかも置いてゆけ。命だけは助けてやるわい」
北畠の兵士たちは足が震えた。恐ろしさに逃げ出そうとするが、後ろは兵でいっぱい、身動きもできない状態だ。
うろたえて口々に騒いでいると、今度は十センチから二十センチぐらいの岩がゴロン、ゴロンと落ちてきた。
「裸になれば、助けてや〜る。裸になれば、助けてや〜る。裸になれば、助けてや〜る」
崖の上から合唱が聞こえてくる。
あまりの恐ろしさに、前の兵士達は刀を捨て鎗を捨て着物も脱いだ。
「ようし。裸になれば、助けてやるぞ。崖下へ寄れ」
「くわばら、くわばら。お助けくだされ」
「ふんどしもも脱げ。真っ裸になれーっ」
兵は、ふんどしも脱ぎ捨てて真っ裸になった。
スルスルと縄梯子が降ろされてきた。それを見た兵士達は、あわてた。われ先に裸になり、縄梯子を取り合い、ひとり、ふたりと登り始めた。前の者が抜けても、後ろからどんどん来る。兵士達は、崖の下に押し出されるように迫ってくる。兵士の中には前の兵士の裸を見て、何も分からず脱ぎ出す者がいる。
「滝川、これはどうなっているのじゃ」
「お館さま。よくはわかりませんが、長野峠に天狗が出たようで。裸にならないと殺すと言っているようです。兵はもう戦うどころではありません。ここはお館さまも、鎧兜も着物も脱ぎ捨ててくだされ。三郎兵衛が前は隠させていただきます」
信雄までうろたえ、鎧兜を取り、着物も脱いだ。総大将が裸になったのだから、何も言わなくても全兵士が裸になった。
長野峠は、まるで露天風呂だった。峠道が裸の人間でいっぱいになった、ちょうどそこへ新三郎と文が姿を見せた。
「文さま、これはどうなっているのですか」
「いえ、あの、五右衛門が」
目のやり場に困った文は、真っ赤になっていた。このハレンチ大作戦が終わると、長野峠は武器と甲冑で溢れていた。この戦利品を見た五右衛門はニコッと笑った。
「なんぼほど儲かったかな」

第一次天正伊賀の乱は伊賀軍の大勝利に終わった。信雄が、ほうほうの体で伊賀から逃げ帰ったことは信長の耳にも入った。しかしこの時期、信長は甲斐の武田や大坂の石山本願寺との戦いの真っ最中だ。伊賀の相手をしている余裕はなかった。
信長は信雄の勝手な行動と度重なる失策を怒鳴り付け、許しがあるまで行動を起こさないように信雄にきつく申しわたした。これによって伊賀は、約二年間の平穏な時を迎えることになる。

徳川家康

信雄敗退の報は三河にも届いた。家康は伊賀に詳しい服部半三保長、正成親子を呼んだ。
「保長、伊賀の郷士等が、伊勢の信雄殿を、どえらい目にあわせたようだら」
「いえ、その、はっはぁっ」
「そんなに気を使わんでもええだら。儂は信雄殿の味方でもないし、信長さまの家臣でもない。聞くところによると、一万余りの兵に三千弱の半農の兵で勝ったって言うだら。三河の兵も強いと思ってたけえが、伊賀の郷士等も強い。一度会いたいと思うけえが、無理ずらか」
家康の表情は心から会いたそうに見える。
 家康は、陪臣柴田勝家や明智光秀、羽柴秀吉等とは違って、信長の家臣ではない。家康が信長と協動しているのは、逆らえば徳川家がつぶされてしまうためと読んでのせいだ。いつか独立して動く、その時期を待っているのだ。
「いつでもお会わせできますが、殿が伊賀に出向くとなると、世間があらぬ噂を立てましょう。私が伊賀の頭領をここに呼びますゆえに、三河でお会いなされてはいかがでしょう」
 保長はもっけの幸いと腹で頷いた。信長にすれば、今は信長が伊賀に兵を動かす時ではないだろうが、石山本願寺や甲斐の武田との戦いが収束すれば、伊賀を標的にするはずだ。その時は、信雄が大将となることは、火を見るより明らかだ。信雄は丸山城の一件や今回の情けない大敗を忘れはしない。徹底的に伊賀の壊滅を計る。伊賀衆には、国の外に味方を作っておく必要がある。徳川と伊賀を結び付けておくことが、将来の伊賀のためになると保長は思っている。
「保長が服部の頭領ということは知っていたけえが、伊賀の郷士の頭領を呼び出す程の力があるたぁ知らんかった、見直しただに保長」
家康は上機嫌を隠そうとしない。
「殿、今伊賀を束ねているのは、ここにいる正成の弟とも、吾が息子とも言える者。正成が家康さまにお仕えする話も、その頭領と祖父にあたる方と相談の上、決めたことでございます」
「保長。そんじゃぁ、すぐにでも呼んじゃぁくれまいか。家臣になって欲しいとは言わんけぇが、儂に協力してもらいたいし。駄目ずらか」
 家康は遠江と尾張にはさまれた小国の生まれだ。駿府の今川氏のもとで十年近くも人質生活を過ごした。今川義元の死後に三河を平定し、織田信長と同盟を結んだが、これも家康にとっては屈辱的なものだった。最愛の妻、築山は武田に通じていると疑われ殺害され、優れた武将に育った嫡男信康も信長の命令により二十一歳で自害に追いやられた。家康は信長に心を開かないと決めている。
信長は、自分に利益をもたらす者だけを重用する極端な合理主義者だ。障害となる者は親兄弟も許さない冷徹な為政者だと、家康は思っている。今の信長は、鉄砲という新しい武器と戦闘方法で尾張、美濃、越前、若狭、近江、山城、伊勢、大和と平定した。天下布武のもとに、全国制覇をする信長の家臣団からは、家康並の大名も出始めている。このままでは家康自身の天下など及ぶはずもないし、外様大名として自らの存続さえ危なくなると家康は考えている。
「保長、三河は都から遠い。京までの途中の国は全て信長さまのもんずら。だけえが、伊賀は誰のもんでもないずら。都にも近いし、海外交易の盛んな堺にも遠かぁない。儂しゃぁ、伊賀の頭領に会うのが、今から楽しみだよう」
 今も、堺とのつながりを保っている保長は、世界情勢を常に把握している。正成の仕官先として信長を避けて家康を選んだのは、広く情報を集め天下泰平を願う家康の構想に賛同したからだ。保長は家康の見識の高さが嬉しかった。
「殿、ここは保長にお任せください。早速、伊賀に出向いて百地三太夫を連れて参ります」
 翌日、息子の正成を残した保長は、身軽な支度で三河を旅立った。
伊賀は穏やかな日々が続いていた。夏場の天候も幸いし、稲の実りも良い。伊勢にいる百地衆からは、信雄の謹慎生活の様子は刻々と入ってくる。当面、戦の心配もいらない。全ては。信雄軍撃退作戦の総指揮をとった三太夫の力によるものだと、伊賀の郷士達は威怖し感謝もしていた。
伊賀各地の郷士から、それぞれの村の秋祭りに、ぜひ三太夫に来て欲しいとの声が掛かっている。郷士達の協力により、信雄軍に勝てたと思っている三太夫は、礼も兼ねて各地の祭り廻ることにした。
祭りには、峠の指揮をした文、新三郎、宗一郎、太郎次郎と軍師の左兵衛、小南、五右衛門も同行させることにした。ただ男七人に女一人では、いかにも文が可哀想なので、久美と美穂も一緒に来てくれるように頼んだ。
 男七人と女三人の若い百地十人衆は、各地の郷士はもちろんのこと若者達の話題となった。特に文、久美、美穂の美少女三人娘は人気の的で、行く先々で沢山の若者達が集まった。
大人達には酒宴はつきものだが、若者達は酒宴よりむしろ踊りを楽しみに集まってくる。
「久美ちゃん、美穂ちゃん。各地のお祭りに呼ばれているけど、見ているだけじゃつまらないから、私達も何かやってみない」
文は久美と美穂に、祭りの出し物になる余興を提案した。
「何をするの。文さまは手品のような、不思議なことができるけど、私はお料理とか、良介さまに習った猿楽みたいなものしか出来ないわ」
困った顔で久美がつぶやいた。
「美穂は似顔絵が描けるよ」
「一緒にできるものがいいね。念仏踊りみたいなものなら三人でも踊れるかも知れないね」
「いいえ、久美ちゃん。絶対評判になる踊りがあるの」
「もう決めてあるの? それなら美穂やるよ。久美さまもしようよ」
江三郎入道の一人娘として自由奔放に育った美穂は何でも積極的だ。
「せっかくのお祭りだもんね。皆が楽しんでくれるといいね。文さま、それで何をするのか教えて」
久美は良介と一緒に、堺で大店の娘をしたり、海外の貿易商と会ったり色々な経験をしている。役者のようなことなら出来る自信があった。
「じゃ、ちょっとやってみるね」
文は振りをつけて唄い出した。
『アイウォンチュー、アイニーヂュー、アイラブユー、ガンガン鳴ってるミュージック、ヘビーローテーション』
AKBフォーティーエイトのヘビーローテーションだ。
聞いたことのない速い音の流れに戸惑ったが、久美も美穂も若いだけに直ぐにリズムを捉えることができた。
「久美ちゃん、美穂ちゃん、まず歌を憶えて。それから振り付けをするの。三太夫たちには内緒だから短野の私の部屋でやろう」
 憶えやすい歌だから特訓が始まると、すぐに上手くなった。久美も美穂も楽しそうに歌った。平坦にならないように、文の独唱、久美と美穂が二人で唄うところ、そして全員で唄うところと歌詞のパートも分けた。振り付けは文の演出で、三人でひとつの踊りになるように工夫をした。真ん中が久美、比較的背の高い、文と美穂を左右の構成だ。久美は前に向って語りかけるように動き、文と美穂が左右対称になるような動く。日に日に踊りと歌は上達していった。
一週間の特訓の成果を短野の春に見てもらった。最初はとまどった春も、見ている内に引き込まれて一緒に唄いたくなったと言ってくれた。
 次の朝、三人が春の母屋で朝食を済ますと、奥の座敷に来るように言われた。
「さあ、三人娘さん、衣裳合わせよ。文さまはこれ、それからこれが久美ちゃんで、これが美穂ちゃんよ」
三人の歌を見た後、夜なべをして衣裳を作ってくれたのだ。
春の作ってくれた衣裳は、ひざ小僧が出るほど丈の短い、赤と黄色と緑の小袖だった。ひとりひとりはそれほど派手ではないが、三人娘が並んで踊ると、躍動感があり、舞台映えすることはすぐにわかった。
 三人の初舞台は伊賀全土の郷士が協賛する〈丸山城まつり〉だった。
若者達は何でも新しいものが好きだ。可愛い三人娘の歌と踊りは全伊賀に新鮮な話題となって伝わっていった。何ケ所かでやると、娘踊りと呼ばれるようになり、三人娘を目当てに集まる若者がどんどん増えて行った。伊賀の各地では三人娘を見ようと、三太夫達が行くところは何処もかも超満員だ。最初は祭に招待してくれたお礼として始めた隠し芸だったが、祭とは関係なく三人娘の舞台は増えて行った。
 保長が、三河から尾張を通り伊勢から青山峠を越えて名張に着くと、宇流冨志禰神社の辺りに凄い人だかりがある。境内は人の波でいっぱいで、木に登っている若者達もいる。
『アイウォンチュー、アイニーヂュー、アイラブユー、ガンガン鳴ってるミュージック、ヘビーローテーション』
例の三人娘が能舞台の上で、例の衣裳で踊りながら唄っている。
『ポップコーンが弾けるように 好きという文字が踊る』
見ている若者達は、ススキの穂を手に持ちリズムに合わせて左右に揺れている。
『顔や声を思うだけで いても立ってもいられない こんな気持ちになれるって 僕はついているねー』

「ウォーッ」
観客全員が声を揃えて、空に向ってススキの穂を投げた。
「文ー!久美ー!美穂ー!」
キャーキャーと三人娘を呼ぶ声が聞こえる。三人は両手を振りながら楽屋がわりの社務所に引っ込んで行った。
 旅の途中で三人娘の噂は聞いていたが、凄い人気だ。久しぶりに元気いっぱいの文と久美と美穂を見た保長は、社務所に入って行った。
「あっ、良介さま。文さま、美穂ちゃん。良介さまよ」
久美が最初に気がついた。
「久美、三太夫は元気か」
「はい、おじさま。三太夫さまは、今日は無動寺の和尚さまのところにいます」
無動寺と聞いて、保長はほっとした。竜口に行けば秋に会わなければならない。秋がいくらできた女であっても、妻を棄てて三河に行った身だ、会い辛いと心を痛めていたところである。無動寺なら宇流冨志禰神社からは近い。保長は無動寺に寄ってから、短野に行くと言って社務所を後にした。
本堂へ続く石段を登り切ると照栄がニコニコと笑いながら保長を待っていた。
丹波や良介の頃にも情報の伝達は速かったが、三太夫の百地心得が出来てからは一層正確で速くなったようだ。
「保長さまと呼ばなければいけませんかな、良介さま。」
穏やかにからかった照栄は、寺務所の奥の和尚の部屋へ案内した。
「三太夫さまは禅を組んでいますが、保長さまがいらしたことは伝えてあります、しばらくこちらでお待ち下されませ。それと、短野の屋敷と右衛門さまには連絡しておりますので、後で照栄もお供させていただきます」
照栄の部屋からは名張川が見え、滝谷に続く竜口の山々も見える。保長がここを去ったのは桜の花の咲く頃だったが、今は錦に染まっている。保長の胸の中に、何か忘れ物をしたような空間ができ、懐かしさと淋しさが襲ってきた。
「親父さま、お久しぶりでございます」
三太夫は、以前とは打って変わった落ち着きようで入ってきた。伊賀の頭領として、質実剛健を守る暮し方が人間の器を大きくした。保長は胸が詰まる思いで息子を見上げた。
「三太夫。大分に苦労をしているようじゃな」
「はい、百地の頭領ですから。伊賀が重とうございまして」
「先程、久美や文さまには会ったが、宗一郎や新三郎、太郎次郎は達者か」
「新三郎と太郎次郎は本堂で禅を組んでおりますが、宗一郎は佐那具で黒党祭の準備に忙しくしております」
「そうか、でも黒党祭には多少時間があろう。今年の黒党祭には儂も行きたいものじゃ。丹波さまにも会いたいし、正成と伺おうかな」
「お待ちしています親父さま。伊賀に在住している服部衆も喜びます。その時には、山田ノ八右衛門に保長さまをさせて、親父さまは良介親父さまの格好で来てください。母さまが、きっと喜ばれるものと思います」
また、胸が締めつけられた。姿形だけでなく、他人を気づかう頭領になっている。
「ところで三太夫。一度三河の徳川家康さまに会っては貰えまいか」
「それはまた、どのような企図でございますか、親父さま」
保長は家康の意向をそのまま伝えた。そして自分が、伊賀の頭領を三河に連れて行く役目をおびていると言った。
「判りました親父様。伊賀のためでもあるのですね」
三太夫は、保長の目をまっすぐに見返した。
「百地三太夫、伊賀のすべての民に良かれと思って、家康さまにお会いしましょう」
良介は身震いした。三太夫が息子であることを忘れ、頭を下げそうになった。(あの小太郎が、こんなに大きな男になったのか………)熱いものがこみ上げてきた。しばらくまぶたを閉じて、心を静めた。
「できましたら、文を連れて行きたいのですが、よろしいでしょうか」
「それなら、久美も美穂も三人とも連れて行ったらどうだ。先程見た三人娘の芸を、三河の若者達にも見せたいものじゃ」
話はあらぬ方向へ行ったが、小太郎が三太夫になったり、隠し芸が新しい芸能になったりするのだから、これも面白いと三太夫は思った。しかし、保長にはひとつの期待があっての提案だった。
家康は素晴らしい人間だが女性に弱い。健康で美しい三人娘を連れてゆけば、きっと三人を好きになり、しいては伊賀を好きになると考えていた。
 三太夫が三河に行こうと誘うと、文、久美、美穂は喜んだ。ただ、三河に行くには伊勢、尾張を通ることになる。女連れの旅芸人なら誰にも詮索はされなくて済むかも知れないが、もしもということもある。三太夫は左兵衛、五右衛門、小南も同行させることにした。三河に行っている間の伊賀は、宗一郎、新三郎、太郎次郎に任せ、丹波には内緒の行動とした。丹波にこのことを話せば、きっと一緒について行くと言うに決まっている。そうなると如何に平穏とは言っても、あまりにも伊賀の守りが手薄になりすぎる。
 旅芸人の一行に姿を変えた三太夫達は、何の障害もなく三河に到着した。
保長は三太夫に会ってからは、すっかり良介に戻っている。三太夫の成長がよほど嬉しかったのだろう。もともと猿楽の好きな保長は、旅の途中で三太夫達に芝居の稽古を付けた。

芝居の内容は、天正伊賀の乱の話で、伊賀軍の戦い振りを面白おかしく演出している。出演は、三太夫、保長、左兵衛、小南、五右衛門だ。配役が当人そのものだから特別に台詞を覚える必要もない。猿楽としての形を整えるだけで芝居になってしまう。猿楽の大好きな保長は、変装の天才だけに敵の大将の役回りを一人三役でする。三人娘が観客となって見ても、実に面白い芝居に仕上がっていた。
 三河に到着しても、保長は旅芸人の座長のまま岡崎城に入った。城では正成が迎えに出た。正成と目配せを交わした保長は、座長として城の中庭に向う。三太夫達も芝居者として正成に従った。中庭には仮設の舞台があり、紅や朱に染まった落ち葉が華やかさを盛り上げていた。演目は三人娘の娘踊りが先で、次が猿楽という順序になっている。

舞台慣れした文達に、さほどの緊張感はない、早速踊りの衣装に着替えた。それよりも文は、歴史上の人物、徳川家康に早く会いたかった。
 「旅役者の衆、徳川家康さまじゃ」
正成の先導で、あでやかな女性達を引き連れた男が現われた。ポッテリと肉をつけた身体に上に、髭を生やした鬼瓦を思わせる顔が乗っている。
「らくにせい、儂がこの城の主じゃ。旅の途中だそうだが、ゆっくりしていってくれりゃあええ。正成の話だと珍しい芸をするそうじゃな。ふぉっふぉっふぉっ、楽しみにしているぞ」
乱世の鬼瓦武将とは思えないような優しい言葉がかかってきた。
「恐れ多くも三河のお殿様、良介一座のつたない芸をご覧いただけるとのこと。光悦至極でございます。まずは伊賀で評判の、三人娘の娘踊りをご覧くださりませ。その後は、観世流の流れを汲む猿楽を演じさせていただきます」

座長の保長が口上を述べたが、家康は保長とは気付いていない。

口上を受けて、文、久美、美穂がいつもの歌を唄い踊った。踊りと言えば念仏踊りぐらいしか知らない時代に、ミニ小袖の若い娘達が飛び跳ねるように踊る娘踊りは衝撃的だった。新しい物の好きの家康は、一度にこの踊りと娘達が気に入ってしまった。文達の振りに合わせて、手を上げたり下げたりして上機嫌で盃をかさねた。

やがて、三太夫達の芝居になった。始まってしばらくすると、家康はようやく目の前で踊る旅芸人の正体に気が付いた。
「その芝居、待たれよ」
声を上げた家康が、座敷から裸足で庭に降り立った。芝居見物をしていた女衆は何ごとかとざわめいた。
「保長か、保長であろう、ご苦労であった。そちらにおられるのは伊賀国の頭領、百地三太夫殿か」
鬼瓦の顔つきが、一瞬引きしまり柔らかく崩れた。さすがは家康だ、三太夫に自身の重要性を気どられまいとごまかしたのだ。
「正成も人が悪いのう、てっきり本物の旅芸人だと思っていたダら。もうよい、保長の芝居が上手いのは良くわかったから、三太夫殿を客間の方へ案内してくれ」
芝居は途中で打ち切られた。

三太夫達は、あんがい質素な襖絵に囲まれた広間へ案内された。保長は改めて三太夫を家康に紹介した。三太夫が、文、久美、美穂を紹介すると家康はニコニコと微笑みながら、ひとりひとりに話し掛けた。

文が、信雄本隊を迎え撃つ第一軍の隊長を文がしたことを言うと、それは凄いと言って側に寄り、文の身体を抱きあげた。

三太夫は、新三郎、宗一郎、太郎次郎という優秀な男達が伊賀にいることによって無駄な戦が回避されたことも語った。左兵衛、小南、五右衛門は各方面の、戦い振りを披露した。迷い道を作った話には家康も膝を打って聞きいった。つづく五右衛門の信雄隊を裸にした話になると、腹を抱えて笑いころげた。

ただ、笑み崩れる鬼瓦の目が、笑っていないことに気づいたものはいない。家康は要衝の地、伊賀を握る胸の内を隠しているのだ。

天正七年の黒党祭は、昨年の噂を聞いた人々も集まり、さらに活気溢れる祭となっていた。祭の準備は、宗一郎と崇治それに伊賀に残った服部の者達だが、陰の力として一番の功労者は久美だった。久美は、昨年の黒党祭の全てを記録し残した。山田ノ八右衛門の居ない服部衆や宗一郎では、祭の儀式の細かなことは分からず、久美がいなければ祭りはできなかった。

花園河原は百地桟敷、服部桟敷、藤林桟敷と三つの桟敷きが作られているが、服部桟敷は昨年より人の出入りが激しい。八右衛門が服部半三保長に身を変えて、三河の服部一族を引き連れて来ている。そして二階には、家康ともう一人の五十がらみの武将がいる。
桟敷を取り仕切っているのは、服部を預かっている宗一郎だが、家康の相手をしているのは、もっぱら久美だ。久美はどのような相手にも対応のできる、不思議な特技を良介から伝授されていてる。
今日の客人は三河の家康であり、落ち着いた無地の合わせの着物に身を包んでいる。こういう時の久美は、十代とは思えない大人びた風情を感じさせる。
英雄色を好むと言うか、家康は女性には非常にマメで優しい。久美達が三河に行った時も三人娘の案内は家康自らがした。ただ困ったのは、家康は健康で美しい女性を見ると、誰彼かまわず儂の子供を作ってくれと言うことだ。久美も三太夫の前で言われて真っ赤になったが、家康は冗談で言っているのではなかった。真剣に、優秀な子孫を残したいためであって単なる好色からではない。そんな経緯もあって、久美と家康は特に親しく話ができる。
「久美。文と美穂はここには来ておらんだか」
家康が声をかけた。
「家康さま、文さまも美穂ちゃんも、隣の百地桟敷にいます」
「儂がここに来ていることは、知っているずらか」
「文さまは神様のお遣いですよ、なんでも知っていますそれに文さまは千里眼で、未来のことも予知できると評判なんです………。家康さまが、お客様をお連れになっているからと遠慮して、ここには来ないのじゃないかしら。きっと、お連れのお客様のことも知っているかも知れないわ」
久美は文が自慢で、家康の知らない文の話を始めた。
「文さまは昨年の夏、突然に現われた巫女さまなの。前の頭領の丹波さまや、三太夫さまの前で、掌で火を灯して驚かしたと言っていたわ」
「なに、文は掌で火を灯すことができるのか。それは皆びっくりしたずら」
可愛い女の子の話に合わせようと、さも驚いたように家康は言った。相づちを打って聞いてくれる家康に、久美はさらに話を続けた。
「それに文さまは、見たことも聞いたこともない世界のことを知っていて、色々と教えてくれるの。例えば、信長さまが強いのは、イエズス会とかいうものを味方につけているからだと言っていたわ」
「久美、今の話は文が言ったのか」
家康は驚いて、もうひとりの武将に目をやった。
「そうよ、キリスト教とかいうものの布教に来ているのですって。その宣教師から硝石という火薬の素を貰って、鉄砲の戦い方も教えてもらっていると言っていたわ。」
あまりの内容の深さに家康は顔色を失った。
「信長さまは、いい気になっているけれど、その人達の本当の狙いは、この国を奪い取ることだと言っていたわ」
日本に対する異国の政策に何か危ういものを感じていた家康は、久美の言う言葉に絶句した。家康も多少ポルトガルのことは知っている。宣教師には、軍事に詳しい者達が多いことも知っていた。しかし、それが植民地政策のための情報収集とまでは知らなかった。
 文が火の無い所から火を熾すと聞いた時、異国から来た手品師か妖術を使う者と勘ぐったが違った。イエズス会とか硝石という言葉自体知っていることも、文を単なる若い女の子とは思えない恐ろしさを感じた。
さらに、久美は家康の気を引くように言った。
「信長さまの後は、秀吉という人が天下を統一すると言っていたわ。そして、秀吉が亡くなった後は、家康さまが天下を取るのですって。嘘みたいだけど、なんか嬉しかったわ」
久美の突飛な話を聞いて、家康はさらに驚いた。しかし、秀吉の死後、自分が天下を取るということが気になった。信長の死後に自分が天下を取るなら話はわかるが、秀吉とはどういうことかと思った。秀吉とは、羽柴藤吉郎のことだろうが、格から言って秀吉よりは明智光秀の方が上だ。それに信長には長男の信忠もいる。家康は、すぐにでも文に会いたくなった。
「久美、この客人なら遠慮はいらん。明智光秀さまと言うてな、儂が最も信頼している織田さまの武将じゃ。文も美穂も来るように言ってくれまいか」
「織田さまの武将」
咄嗟に久美は自分のおしゃべりを反省した。

織田家の武将の前で信長の悪口を言ったような気がして、久美は慌てて百地桟敷に向った。百地桟敷に着くと、江三郎入道、右衛門、青蓮寺新兵衛や滝野十郎吉政、照栄等が話をしている。久美が挨拶をすると右衛門が振り向いた。
「ああ、崇治さまの娘の久美か。三太夫さまなら上においでじゃよ」
「あの、いいえ、三太夫さまじゃなくて、文さまと美穂ちゃんは」
「美穂か、美穂なら文さまと一緒に上にいる」
滝野十郎吉政と話をしていた江三郎入道が言った。
「おじさまたちは上がらないのですか」
「儂等は下の方が良くてな」
何か二階に上がるのを遠慮しているような感じがする。
久美が二階に上ると、秋と保長が座っている。服部の桟敷の保長は八右衛門と聞いているから、こちらは本物だ。そして、少し離れた所に三太夫と文と美穂が丹波を囲んでいる。広い桟敷の二階に、このふた組しかいないのが不自然だが、座敷の中の空気は穏やかで十二月とは思えない暖かな陽光が射しこんでいる。
「お邪魔します」
「久しぶりね久美、崇治は元気ですか。たまには竜口にも来てくれないと寂しいわ。三太夫なら、ほらあちらよ」
秋は久美に少し目をやると、良介の盃に酒を注いだ。丹波は孫と若い娘に囲まれて愛好を崩している。
「久美、こっちじゃこっちじゃ。はよ来い」
まるで待っていたように丹波が呼んだ。
「丹波おじいさま。何の話をしているの」
「家康の話じゃ。中々の男らしいな、久美も口説かれたのか」
「そうよ、久美ちゃんに儂の子供を作ってはくれぬか。なんて言っていたわ」
「やだ、文さまにも美穂ちゃんにも言っていたじゃない」
「いいえ、久美さまに一番言っていた。ね、文さま」
女の子が三人になった途端に、丹波の周りは姦しくなった。そんな丹波たちとは対照的に、秋は黙って良介に酒を注ぎ、良介はそれを静かに口に運んでいる。秋のひざ元にある皿には、名張川上流の長瀬の梁で捕れた落鮎の薫製が飴色に光っている。秋はその鮎を火鉢の火であぶって、良介の膳の小皿にひとつずつ置いて行く。芳ばしい薫りが丹波たちの方まで漂ってくる。
「すまぬな、秋」
良介は盃を口に付けたまま独り言のようにつぶやいた。
「なんも、すまないことなんて、ないわさ。三太夫も大きくなったし。けど………。苦労が少なくなった分だけ、楽しいことも………、少なくなったような気がして………
秋が火鉢の灰をかき混ぜながら静かな相づちを打つ。
「すまぬ………
良介は視線を伏せた。騒々しい外の祭りとは打って変わって、ここだけは音が届かない異空間だった。

「丹波さま、家康さまが来ていらっしゃるのよ。文さまや美穂ちゃんに会いたいのだって。丹波さまも一緒に行こう」
「家康か、ウォッホッホッ。また、子作りの話でもあるのかのう。儂も家康殿の話を聞いてみるとするか。ウォッホッホッ」
丹波は、すぐに同意した。秋と良介のふたりだけにしてやりたいと思っているのだ。良介と秋はいちども目を合わしてはいない。手元の動きだけを見て静かな独り言のような会話が続いている。
「久美ちゃん。家康さまはお客様を連れて来ているのじゃないの」
文が尋ねた。
「ええ、でもいいみたい。何か織田家中の偉いお侍さまで明智光秀さまとか言っていたわ。家康さまとは違って、もの静かでとても穏やかな方だった。きっと文さまも好きになると思うわ」
「えっ。明智光秀」
文は徳川家康に会えただけで驚いているのに、今度は本能寺で信長を打ったと言われる明智光秀が来ている。

歴史に詳しい文だが、明智光秀となると色々な風説があって良く知らない。ただ、足利義昭を信長に紹介した後、途中から信長に仕官して近畿一円を任されているのだから、相当な切れ者であることは間違いない。
「丹波さま、行きましょう。三太夫さまも、ね、美穂ちゃん」

良介と秋に服部桟敷に行くと伝えて、文達は百地桟敷を出た。
 服部桟敷の二階には、戦国武将としては珍しく酒をたしなまない光秀を相手に、手酌で呑んでいる家康がいた。
久美が丹波を紹介すると、家康は呑んでいた盃を丹波に渡して酒を注いだ。年齢を重ねている丹波は、誰に会っても物おじはせず堂々とした態度で受けた。一通りの挨拶を交わすと家康は文達に言った。
「文に美穂、会いたかったぞ。そいでその後、儂の言ったことを考えてくれただらか」
考えてくれたかと言われても、文も美穂も何を言われているのか思い付かない。
「家康さま、何でしたっけ」
「もう忘れたのか、つくらまいかと言ったじゃないか。子供じゃよ、子供。儂の子供をつくらまいかと言ったじゃないか。若いのにもう忘れたのか、困ったもんだら」
困るのは家康ではなくて文や美穂だ。あまりの馬鹿馬鹿しさに、文は家康の相手をするのをやめて光秀に挨拶をした。光秀は家康よりは年上で、良介ぐらいの年格好だ。文の挨拶に明智光秀は丁寧な言葉で対応した。見るからに聡明そうで、気品があって、主人を裏切るような人物には見えない。髪に白いものが混ざっているが、目も生き生きとして少年のような純粋さを感じる。
「文、これ文。ちょっと儂の相手もしてくれまいか。文は未来を予言できると久美が言っていたが、そりゃ本当ずらか」
光秀との話に割り込んで、家康が話し掛けてくる。
「うーん、ちょっと本当かも。でも、本人にかかわることや詳しいことは言ってはいけないことになっているの」
そう言って、空を飛ぶ乗り物や伊賀から三河まで瞬時に絵や言葉を伝える道具の話を始めた。
家康は、夢の中の話として聞いていたが、光秀は真剣に質問をしてくる。光秀の質問に文はしっかりと答えた。その答えに臨場感があるので、そのうち家康も話の中に引き込まれていった。科学的なことで、文に分からないことがあると、三太夫に聞いてから答えた。
「三太夫殿も未来が見えるのか」
光秀のこの言葉に三太夫は困ったが、文と一緒にいるうちに、文が何を考えているかわかるようになったと答えて逃げた。
「まるで一心同体、秋と良介。夫婦の様じゃな」
黙って聞いていた丹波がつぶやいた。
「やーだ。三太夫さまと夫婦だなんて」
「俺だってごめんだ、巫女さんは。俺はもっと優しくて女らしい子がいい」
三太夫がむきになって答えた。
「あーっ。わかった。ねー、美穂ちゃん」
文と美穂の刺すような視線が、三太夫と久美に交互に注がれた。
「何がわかったンだよ、変な詮索はやめろ」
普段感情を殺している三太夫が真っ赤になって言った。

家康も光秀も、子供が口げんかをしているような二人を見て、先ほど聞いた未来の話は夢物語なのだと思い忘れた。
「これこれ、喧嘩はやめんか。三太夫は伊賀の頭領なんやぞ。それに文さまは神様の遣いであろう。ふたりを見ていると子供のようやな、まあ、儂から見れば孫だからしょうがないがな」

丹波の仲裁に、文も三太夫もスーと冷静になった。久美だけは、三太夫への淡い恋心の答えが、少し見えたような気がして心を弾ませた。しかし、直接本人から好きだと言われた訳ではない。文と美穂が、三太夫の好きなのは久美だと勝手に決めつけただけだ。ただ、このことで、久美の三太夫を想う気持ちは、風船のように大きく膨らんだ。膨らんで、膨らんで、身体が浮かび上がりそうな幸福感につつまれた。
 「久美。お客様の飲むものは足りておるのか。屋敷から新しい料理も届いたようだから、お客さまにお出ししてくれ、よいな」
宗治が宗一郎を連れて入ってきた。崇治の言い付けを聞いた久美は、階下に下りた。それにつづくように文も美穂も久美を追いかけて行った。
「久美ちゃん、ごめんね。お手伝いするよ」
もともと仲の良い三人だ。久美が三太夫を一人占めしたわけでもない。ただ文も美穂も、ちょっと焼きもちのような感覚を持っただけだ。

服部の屋敷から届いた料理はまさに豪華そのものだ。八右衛門が三河から来る途中で、伊勢の海産物を持ってきている。伊賀の山の幸に、伊勢の海の幸、さらに光秀からは京野菜が届けられていた。
宗一郎と文と久美、そして美穂が次々と料理を運んでくる。伊勢海老に鮑、さざえと鯛、雉にアマゴの刺身や鴨と京菜の鍋もある。
喧嘩をしても直ぐに仲直りができる若者達を見るのは気持ちがいい。家康も秀光も、この伊賀の地が居心地のよい場所として印象づけられた。特に同じ鍋をつつきあうことによって、親近感がる。
「光秀殿、儂はこの伊賀が好きになった。天下泰平ということで今は戦に明け暮れているが、本当に戦で平和が作れるずらか。ここのように戦の無い伊賀は平穏だ。我等は天下泰平に名を借りた無理な戦をしているのではないずらか」

家康の言葉に同調し、光秀も同じようなことを言った。
「家康殿、私もそのようなことを考える時があります。信長さまに逆らうわけではありませんが、平和な国を戦乱の地に変え、民を苦しめているのは誰であろう。誰が治めようと、その地で育まれた風習や、先祖から受け継いだ考え方などは、簡単に変えることなどできないと私は思っているのです」
家康、光秀という戦に長けた武将が話しているのは、武力で平和を築くことは難しいということだった。
 三太夫も文も、二人の話に心を動かされた。文は明治以来の日本のことを思った。三百年という平和な徳川時代を経て明治になった。その後は第一次世界大戦、満州事変、そして第二次世界大戦へ突入し、日本は敗戦を迎えた。戦後、平和憲法の下で戦争を放棄しているが、いつ戦争に巻き込まれるか分らない。世界破滅になるような原子爆弾のような武器を使った戦争は起こらなくても尖閣諸島や竹島、北方領土など小さな諍いは今でも頻繁に起こっている。明治以来の日本に、家康や光秀のような立派な政治家がいたのだろうか。平和な時代を作るのは、家康や光秀が言うように、平和とは何であるか真剣に考えることだと思った。
「家康さま、光秀さま。伊賀を伊賀の人々をー」
文の目から大粒の涙がポロッと落ちた。もらい泣きするように久美、美穂の頬にも涙が光っている。
「どうしたというのじゃ。文、久美、美穂。おかしな娘達じゃ」
 あと一年と九ヶ月ほどで伊賀全土が焦土と化す。そんなこととは知らない家康と光秀は、何もないのにべそをかいている三人娘を、不思議な生き物を見るように眺めていた。
「伊賀は良い所じゃ、のう光秀殿。文、久美、美穂、また来てもええだら」
 伊賀焼きの土鍋の湯がグラグラと煮立ってきた。良く脂ののった鴨の肉を放り込んだ家康を見て、丹波が言った。
「家康殿、雉の刺身も旨いが、この鴨も絶品じゃぞ、食べてみなされ」
先程まで静かに聞いていた丹波が、鍋用に切った鴨を箸でつまむと味噌をつけて口に放り込んだ。家康も丹波に習い鴨肉を一口食べた。
「旨い、これは旨い。初めてじゃ、皆、旨いぞ」

………

正月が過ぎ、木の芽が膨らむ頃になると三太夫と久美のふたりだけの行動が、ずっと増えてきた。ふたりだけの行動が増えていったというよりも、むしろ文や美穂が三太夫と一緒に行動するのを避けたと言ったほうが良いのかも知れない。ただ、久美と三太夫が一緒にいても、周囲の人間から見ると三太夫ひとりでいるかのように見える。保長に鍛えられ、幼い頃から〈くノ一〉として育てられた久美は、意識すれば空気になることができる。人間の視野に入っていても存在を主張しないのだ。しかし、三太夫には眩しいほどの輝きを放つ存在になる。久美の動作や言葉のすべてが一瞬ごとに新鮮で、優しく、懐かしく、切なく三太夫を包み込むことがある。
「わたし、三太夫さまの小さい頃ってあまり憶えていないの。ずっと竜口で育ったのにね。三太夫さまのお母さまにも、可愛がってただいたのにね」
この言葉に、三太夫はどう応えて良いかわからなかった。久美には母親が居ない、三太夫の母が久美を育ててきた。
「俺だって、小さい頃の久美は憶えていないよ」
「昔のことなんか、夢の中のことのように思えるね。でもこうして阿清水川を見ていると、小さい頃、小太郎さまと、ここに腰掛けて蛍が飛ぶのを見ていたような気がするの。わたし、今、しあわせ。とっても………。でも人の一生で味わう幸せの量は皆同じっていう話を聞いたことあるの。三太夫さまに、こんなにたくさんの幸せをもらっちゃうと………
久美の恋心は、はじけそうに膨らんでいった。久美と同じように三太夫も久美の存在が大きくなっていった。女性を好きになるという感情のなかった三太夫は、初めての経験に戸惑っていた。冷静になろうと、ひとりで名張川の川岸に寝転がり雲の流れを見ているうちにウトウトとして目を閉じた。
 「健太」どれくらい時間が流れたか知れないが、草の芽の伸びる音、陽の光が肌を焦がす音が聞こえているような感じがしていた。
「健太くん」夢の中の三太夫を呼び起こす声が遠くの方から聞こえているようだ。
「三太夫、今日は久美ちゃんと一緒じゃないの」
ゆったりとした夢の時間が、現実の時に引き返された。目を開くと、覗き込んでいる文の顔が目の前にあった。
「なんだ、驚かすなよ文」
「良く寝ていたわよ、三太夫。久美ちゃんの夢でも見ていたのじゃないの。健太君はもう前の世界に帰りたくないのじゃないの」
突然の文からの投げかけだ。

考えてみると自分は今の生活に相当満足している。毎日のように大好きな久美には会えるし、伊賀の頭領としての充実感もある。
「文はどうなンだ」
「わたし、私は当然帰りたいわよ」
「でも、文が言い出したことだぜ」
「わかっているわよ、健太。もう、一年ちょっとしかないのよ、わかっているの三太夫」
文の言葉が三太夫の胸に強く刺さった。天正伊賀の乱で伊賀の被害を最小限にくい止めるという約束を少し忘れかけていたことを反省した。

 

第二次天正伊賀の乱

伊賀が平穏なのは、信長自らが攻めている石山本願寺との戦が思うに任せられないせいだった。石山寺は親鸞を開祖とする一向衆の本山で、後に秀吉が大阪城を築城した地にある。この場所は瀬戸内海を通じて四国、中国、九州との交易地として優れており、南蛮貿易の基地ともなる。ここが欲しい信長は、本願寺に石山の退去を要求した。本願寺は無駄な争いは避けようと、矢銭を払うことで解決しようとしたが、野望に燃える信長は、頑として応じなかった。本願寺の十一代法主顕如は仏法を守るために挙兵を決意し、全国の門徒に信長を倒すよう檄を飛ばした。これが切っ掛けに、近江、長島、越前、加賀と一向一揆が起ったのだ。死をも恐れない門徒との戦いは、国取りよりも難関を極めた。

織田軍は、これらひとつひとつを潰し、何とか地方の一揆を鎮圧したが、難攻不落の石山寺は攻めきれない。兵糧攻めにしようとしても、本願寺には織田に敵対する毛利がついている。瀬戸内海を縦横無尽に走る毛利水軍の前には物資を止めることもできなかった。水軍には水軍で対抗するしかない。信長は志摩の九鬼水軍に毛利を撃退するように命じた。九鬼水軍の頭領、九鬼嘉隆はポルトガルの戦艦の知識を得て、巨大船を六艘建造した。鉄板で装甲された鉄船は、大砲三門をはじめ多くの大鉄砲を装備していた。木造の毛利水軍に、巨大鉄船では結果は見えている。これによって十一年におよぶ石山本願寺の合戦も天正八年にようやく終局を迎えた。
この年、信長軍は破竹の勢いで周囲の国々を撃ち破っていった。秀吉の播磨攻略、光秀の丹波平定、滝川一益の武田攻め、柴田勝家の北陸攻め、徳川家康の高天神城攻めと、東西南北に円を描くように領土は広がった。
 「丹波日向守、働き天下の面目をほどこして候」
信長はこの領土拡大の一番の手柄を明智光秀とし、播磨を落とした秀吉よりも高く評価をした。光秀は丹波国を与えられるとともに近畿一円の守護大名として、家臣団の最も高い地位に任ぜられた。

 二年さかのぼる天正六年、信長は安土に安土桃山城を築城した。
宣教師達から海外の事情を聞き、開かれた政治を行った。楽市楽座などの流通革命も実行、自由の地・安土は沢山の人で賑わった。市の光景は、毎日が祭のようだ。民衆は、信長の新しい政治手法を支持し、織田信長こそ天下人だと誉めたたえた。
安土城は、信長の強権を示すために造られた城だ。奈良東大寺の大仏殿よりも高く、五層七階の天守閣を持つ。天守閣から領土を見ているうち、信長には支配者の傲慢さが湧きあがってきた。城下に見える人間達が、蟻のように動いている。全ては自分が造ったもので、信長の掌の中で大衆は生きている。戦に負けることもない。見渡す限り自分の領土だ。家臣達も信長に逆らうものはいない。柴田勝家や前田利家といった子がいの武将等は信長を神のように崇め畏怖していた。戦に勝ち領土拡張が進むにしたがって、信長の人間性はすっかり変わっていった。
自らを神だと名乗るようになり、民衆にも朝夕、安土の城を拝めと命じた。異常とも思える、この慢心に家康、秀吉、光秀といった有能な武将は違和感を持ち始めていた。
 家康と光秀は黒党祭で腹を探りあって以来、度々伊賀を訪れている。近畿一円の守護大名である光秀にとって伊賀は隣の国だ。近江から甲賀の山を越えれば服部館のある佐那具は近い。
家康にしても、三河から船で伊勢湾を渡れば、さほどの道のりではない。世の中や信長の動静を、冷静に観察していた二人が密会するには最適の地であった。
服部屋敷は宗一郎が守っているが、元は保長の屋敷である。家康が伊賀に出向く時は、必ず保長の子、正成を供に連れて行った。
三河に住んでいる保長だが、今も伊賀までの道筋に配下の者を潜ませている。久美には正成の命に従うよう指示がされている。正成が伊賀に向う時は、その行程を逐次、久美に連絡していたし、伊賀入りすると必ず久美に呼び出しがかかる。保長配下の〈くノ一〉としての役割のためだ。久美は、正成の言い付けに従って食事、宿の手配など、かいがいしく働く。十六歳と若く、あどけないところもある久美だが、さすが保長が鍛え上げた〈くノ一〉だ。鋭い感性と卓越した知識で、その場に合わせた行動をとる。そして、一字一句漏らさず情報収集をする技を身につけている。
家康や光秀にすれば、伊賀の片田舎の少女だけに、何の警戒心も持つこともない。それだけに保長が得る情報より、久美に入る情報の内容は濃い。
 久美が〈くノ一〉であることは、文も少なからず気付いていた。第二次天正伊賀の乱を前にして、三太夫と文は久美を呼んだ。
「家康さまと光秀さまが、幾度も佐那具に来ていることは知っている。ふたりが、内密でどんな話をしているのか聞かせてくれ」
三太夫や文と一緒にいる時の久美は、普通の少女だ。久美は家康と光秀の話す織田の内情を三太夫に伝えた。今の織田軍は、本願寺との和睦も終わり、信濃、甲斐、駿河まで平定、これからは中国の毛利や四国を攻略することになるっていると言う。文の知っている歴史どおりだ。間違いなく来年の九月には、第二次天正伊賀の乱が起ると文は確信した。
「三太夫。急がなければ。第二次天正伊賀の乱が始まるわ。放っておいたら伊賀衆は全員殺戮される。戦えない女性や子供、お年寄りを他国に非難させなくては皆殺しにされてしまう。新三郎に逃げ道を調べさせるのよ。逃げた後の伊賀衆の、他国での暮らし向きについても考えなければ」
歴史に詳しい文は、戦争の悲惨さを知っている。
九月までに子供や年寄りを避難させるとなれば、それに応じた準備が必要だ。三太夫は短野で作戦会議を開くことにした。
短野に呼ばれたのは、第一次の乱の功労者、百地七人衆に加えて久美、美穂の二名だ。新三郎には前もって、伊賀から他国への逃走路を見つけておくように指示をだした。
会議の冒頭、三太夫は久美から聞いた織田軍の情勢を説明した。続いて文から、織田軍の伊賀攻撃についての説明があった。
「来年の九月、安土城において伊賀攻めの軍略会議が開かれて、伊賀に攻め込むことになるわ。それも六ヶ所から、総勢四万二千人の大軍で攻め込んで来るの。新三郎、地図を出して」
新三郎は、用意してきた地図を取り出した。縦一メートル横七十センチメートルほどの和紙でできた地図だ。一年前の乱の時とは比較にならない程詳しい。伊賀各地の街道と他国へ続く道、山、川、田畑はもちろん集落と各地の郷士の名前や地区の名称までも記入してある。
「これが伊賀か、新三郎凄いな。大屋戸はどにあるンだ」
新三郎が、左のやや下の方を指差した。大屋戸と書いてある。
「ああ、ここか。前を名張川が流れているな。これが我が屋敷か、おお、杉谷右衛門と書いてある、凄い。これが杉谷神社で………。これが、今いる短野か。この破線は………杉谷神社から短野につながっている隠れ隧道か、これじゃあ誰でもわかってしまう。隠れ屋敷なんて言っていられないな」
現代地図に似た、初めて見る伊賀全図に、皆は驚くとともに感激の声をあげた。口々に、自分の住んでいる場所を新三郎に尋ねる。
「新三郎さま、竜口は何処」
久美が聞くと、新三郎はすぐさまに地図のずっと左下を指した。
「すごく隅の方ね。それじゃ、佐那具は」
今度は地図の右上の方を指した。

「みんな、もういい。話を元に戻すわよ」
いつまで地図に感激していても切りがない、文は話を一歩進めた。
「まずここ。新三郎、何と言う場所?」
「柘植口だ」
「ここから攻めてくるわ。そしてここ、ここも」
文は、街道口の名前は良く知らないが第二次天正伊賀の乱の時、信長軍の攻めてきた道は憶えている。新三郎の地図には、信長軍が攻めてきた街道がすべて載っていた。文の示した場所は、北東から伊賀に入る柘植口。甲賀から入る玉滝口。北西の丸柱・御斎峠からの多羅尾口。伊勢から青山峠を越える伊勢地口。名張西の笠間山から奈良に抜ける笠間口と初瀬街道のある初瀬口という六つの街道だ。
文の言葉は神のお告げだから、疑問や質問をはさむ人間はいない。
「各々の攻め口から、どのくらいの兵が攻めてくる?」
三太夫の質問に答えることはできなかったが、総勢四万二千の大軍が攻めて来ると文は言った。
「四万二千とはどのくらいだ。多いのはわかるが、前回よりどのくらい多い」
四万二千と言われても、宗一郎に想像できる人数ではなかった。
「前の青山峠は千三百、鬼ことぶし峠で千五百、長野峠の信雄の本隊で八千だから、あの四倍ぐらいの大軍になるわね」
「ゲフッ」
数字に強い五右衛門が、後ろの方で変な咳をして声を上げた。
「一つの街道に平均七千の軍勢が押し寄せてくる。長野峠と同じくらいの大軍が、全ての攻め口から流れ込んで来るということだ」
五右衛門は第一次の乱の信雄軍を経験している。八千の大軍は、長野峠から見渡せる山道全てを埋め尽くしていた。この大軍は文も新三郎も見た。七千の兵の凄さは、街道見渡す限り敵兵という感じだ。幸い前回は、長野峠で信雄軍を破ることができた。しかし、あの軍勢が六ケ所から攻めて来たのでは到底防ぐことが出来ない。
「新三郎、他国へ逃走路の見当はついているの」
「いくつか見当はつけていましたが、文さまの話を参考にすると二ケ所ぐらいになります。柘植口と伊勢地口の間に、抜け道はありますが、ここを抜けても伊勢の中央に出て、決して得策ではありません。それに玉滝口、多羅尾口方面は逃げ道が無い。そうなると、敵に見つからない逃げ道は伊賀南部しかない。ひとつは、名張の少し北の蔦生から山越えで大和の山城を経て河内へ行く道。もうひとつは名張から東南の布生・長瀬を抜けて、美杉を経由して南伊勢へ行く道です」
「新三郎、その道について、もっと詳しく調べてくれ。それと宗一郎。戦が始まったら、伊賀北部の郷士達に速やかに比自山に移動するよう徹底させろ。ここから大和への抜け道を確保しておく」
太郎次郎には伊賀の中北部の衆を名張か柏原城に集結させるように言った。
逃走経路はほぼ決まった。次は逃走後、伊賀衆の暮らしてゆく方策を決めることだ。
 議論に行き詰まっていると、久美が発言した。久美の情報では、信長の家臣団の中には、殺戮や国を壊滅させるような戦争は好まない武将も多いということだ。伊賀に好意的な家康、光秀は勿論だが、羽柴秀吉、前田利家、佐々成政、高山右近らの名前があげられた。
「今、三太夫さまが逃走路に決めた蔦生からの道。大和の守護は筒井順慶という武将よ。順慶は光秀さまの配下だし、河内に行けば、高山右近と言う光秀さまの子供が嫁いだ武将もいる。この武将達は、戦より平和を求める人達なの。それより西に行けば、秀吉の戦っている西国だから、戦心得を身に付けた伊賀衆なら自力で何とか生きてゆけると思うわ。そして布生・長瀬から美杉を越えて南伊勢へ出るもうひとつの道ね。南伊勢まで出れば、船で三河に渡れる。そこには服部一族が地盤を築いているわ。保長さまがいるからもう安心よ」
さすがに保長が信頼している〈くノ一〉だけあって分析力・情報力も確かなものだ。一同は感心して久美を見た。さらに久美は絶好の情報収集の場を教えてくれた。
 天正九年正月に安土で信長軍の馬揃えがある。馬揃えとは、華やかな飾りを付けた軍事パレードのようなデモンストレーションだ。この馬揃えが二月の二十八日にも、洛中において催される。その場には、天皇、公家衆ほか、畿内近国の信長一門や有力家来衆が集まると言う。これは、三太夫にとって大きな情報収集の場となる。主だった百地一族も馬揃えに参加する算段をつけた。

爆竹の音とともに、御所東に新しく作られた馬場で馬揃えは始まった。馬場は南北に900メートルほどの柵を作り、その前には金銀で装飾した急造りの宮殿までが建っていた。その少し離れた所にも桟敷があり、ここにはポルトガルの宣教師一行がいる。その中に、なぜかエンジ色のビロードのドレスを着た久美の姿があった。
馬場への入場の一番手は、丹羽長秀。続いて蜂屋頼隆・明智光秀・村井貞成がそれぞれ国衆を従え、その後ろを織田の一門が続いた。さらに近衛前久・正親町季秀・烏丸光宣ら公家衆。この後ろを信長の馬廻り衆や小姓衆そして柴田勝家率いる越前衆柴田勝豊・柴田三左衛門・不破光治・前田利家・金森長近・原政茂が続いた。さらに弓衆百人が歩き、この後を信長本体が続いた。信長は唐冠の頭巾の後ろに花を立て、紅梅文様の白い段替わりの小袖、蜀江錦の小袖を着て、白熊の腰蓑、金銀飾りの太刀・脇差など派手な出で立ちで現れた。

久美が宣教師の桟敷にいるのは、宣教師たちを全面的に信じてはいない家康の指図によるものだ。家康は光秀に申し出て服部半三保長を宣教師の桟敷に潜ました。その保長の娘として久美がいたのだ。久美は堺で多くのの外国人に会っているために、一通りの外国のマナーは心得ている。手練の〈くノ一〉だけにポルトガル人に囲まれても、平然と振る舞っていた。
伊賀の田舎娘とは別人のように、大人びた妖艶さをふりまいて男達を魅了していた。宣教師達の目付役であるヴァリアーノも、ワインを注いでもらっただけで、久美の虜になってしまった。
久美はヴァリアーノに、日本の好きな所は何処かなどと、たわいのない話からはじめ、酔い具合を見計らって少しずつ核心に迫っていった。
「信長さまって凄いわ。お公家さまたちより偉く見えるわ」
久美の独り言に、ヴァリアーノはすぐに反応した。
「KUMIサン。信長サマハ強イデス。シカシ、アノ強サハ、ワレワレガ後ロデ支エテイルカラデス」
男という生き物は女を前にすると、何かと自慢が多くなるもので、ヴァリアーノは次々と口を滑らせた。信長の強大な軍事力は、火薬の原料となる硝石を大量にイエズス会が供給しているからであって、硝石の供給を止めれば毛利にも勝てない。信長といえども、我々ポルトガル人には頭が上がらないと言った。
やはり文の言う通りだった。
そして、信長がヴァリアーノの指示に逆らい慢心したら、いつでも信長の首をすげかえる用意があると言った。
「ワタシハ、アジア全体ヲ見テイマス。ジパングハ、小サナ島国デス」
海の向こうにはスペインとボルトガルという二大王国がある。日本などほんの小さい島国だ、贅沢放題をさせるから、久美もポルトガルに来ないかと誘われた。

馬揃えで拾い集めた情報を分析すると、信長の性格その野心が垣間見える。外国の文化や知識を取り入れ、常に合理的な判断をする。神仏についても、ゼウス、釈迦、天照大御神と必要に応じて信じれば良いと考えているようだ。
伊賀については、異常な執念を持っている。(焼き尽くせ)と絶叫するヒステリックな姿が浮かんで来た。比叡山を焼き打ちの例を見ればわかるように、間違いなく伊賀は焼かれ、伊賀衆は全滅されるだろう。信雄との戦いだと思っていたら、大きな間違いだ。三太夫は百地の主だった年寄り達に、意見を聞く必要があると思った。

伊賀中部と北部を守っている丹波、佐那具の崇治、柏原城の滝野十郎吉政、安部田の江三郎入道、青蓮寺の新兵衛、大屋戸の杉谷右衛門等を竜口に呼んだ。三太夫は、現在まで集めた情報と、それに対しての考え方を話した。
例によって、文からは神のお告げと称して、第二次天正伊賀の乱が、どのように展開するかを話させた。丹波等は意外に冷静だった。何時か、このような時が来ると思っていたようで、文の予言に頷き、戦うしかないと覚悟を決めた。皆の覚悟を聞いた三太夫は、藤林の中忍十名と下忍百名を、大和への逃走路に移住させて欲しいと丹波に頼んだ。また崇治には、服部の中忍五名と下忍五十名を南伊勢に移住させるよう伝えた。伊賀衆が国の外へ脱出した後の対策だ。大和移住への案内役には高羽左兵衛を当て、南伊勢は徳川領への移住も考慮して石川五右衛門と神戸ノ小南のふたりを当てた。三太夫と文の目標は、伊賀衆を可能な限り多く逃がし、伊賀の人々と文化を守ることだ。何よりも人命を大切にしなければならない。命さえあれば必ずまた、古き善き習慣と新しい文化を生み出すことはできる。三太夫が参考にした戦術は、丹波が話してくれた荘園のことだ。健太が小太郎になった時に、丹波は百地一族の祖先の大江氏の話をしてくれた。その時、東大寺の荘園と国司との争いの話があった。今こそ、その逆の方法をとるべきだと考えていた。
「文、伊賀の境界線を変えてしまおう」
「境界線?」
「伊賀の国境を変えるんだ。国の境は、山の嶺や川で区切られている。月ヶ瀬、山添、笠間、室生、美杉の一部を山城、大和、南伊勢の領土に変えてしまう」
三太夫は、東大寺が荘園を拡大してゆく時の話をした。目に見える物が存在するから人は認識する。戦争のような混乱状態の中では、確認できることが唯一の判断材料になる。東大寺が自領の外に東大寺という標識を立てた逆のことをする。信長は伊賀全土を焼き尽くせと言っても、伊賀でない地は織田の領土ということになる。伊賀衆が住んでいる月ヶ瀬、山添を、山城だと言っても兵士ごときにはわからない。それに笠間、室生の一部も、大和と言ったところで分からないはずだ。国境のあいまいな所を、全て他国の土地にしてしまう作戦だ。

 三太夫は新三郎を呼んでだ。そして伊賀領で大和や伊勢と言っても分からない所を探し、今の国境と新しい国境を地図に描いてみるように命じた。

「伊賀の土地を他国にくれてやるということか?」
新三郎は不思議なことを言うものだと首をかしげた。
「新三郎、他国も伊賀も関係ない。伊賀衆の住む土地だ。伊勢を信雄が焼き払わないのと同じで、大和の地を順慶が焼くことはない。仮に、伊勢の武将が大和の農民を殺すようなことがあったら、光秀さまも順慶も放ってはおかないだろう」
「なんと大胆な発想だな。そんな場所ならいっぱいある。そこらは誰も暮らしていない。ついでに、村も作ってやる。」
新三郎は地図を作っている時に、場所が違うと風習も、言葉も少しずつ違うことに気づいたと言った。 新三郎の言葉は三太夫と文に新しい課題を与えた。文は美穂を呼び、大和、伊勢の習慣と決まりごと、言葉づかいなどを徹底調査するように頼んだ。それを、新しく作った村に住む伊賀衆に教えるのだ。せっかく作った村が、小さな疑念でばれてしまっては、もともこもない。
自由奔放に育ったとはいえ美穂は、根っからの百地の女だ。久美が保長に〈くノ一〉として教育されたように、美穂も江三郎入道からそれなりの教育を受けている。ずば抜けて絵が上手いのも、情報収集には欠かすことのできない特技として江三郎入道が教えたことだ。美穂は、伊賀と大和や伊勢の民家の構造の違い、道具の使い方、季節ごとの行事、話す時の動作、言葉の特長を、絵と文字で比較してまとめる作業にとりかかった。
 一方、太郎次郎は伊賀の子供達と、乳飲み子のいる女性の移転の準備にかかった。いわば疎開だが、相当な人数になる。情報を集める美穂を連れて隠れ家として最適な大和、伊勢、山城、京、近江の寺や神社をまわった。信長は比叡山を焼き討ちにしたが家臣たちは躊躇した。見えない神仏の罰を恐れ、嫌々ながら命令を聞いたのだ。そんな神社仏閣へ大金を寄付し、孤児収容所を作るのだ。金や木材の工面なら良介が前例を作ってくれたので雑作もないことだ。建設も維持も世話をする者達も手配するという有利な条件で交渉に当った。人手には困らない、世話をするのは疎開する親達であり収容するのは、その子供達だ。子守りには、少し大きな子供達にも手伝わせる。竜口の三平、小猿、玄蔵、隼人、隆介等も子守りとして疎開させる。ひとつや二つの施設ではない、少なくても五十ぐらいは作らなければならない。太郎次郎は、東大寺と縁の深い照栄や大倉五郎次の力も借りて連日、走り回った。
 三太夫はさらに詳しい情報を収集するため、宗一郎、文、久美を伴って、敵の本陣に乗り込むことにした。久美は宗一郎と、文は三太夫と組んで安土に向った。

久美と宗一郎は、まずイエズス会の宿舎に行った。馬揃えの時に、一目惚れをした久美が訪れたのだから、ヴァリアーノは満面の笑みで迎えた。
「KUMIサン、ヨク来てクレマシタ。ゴ一緒ノ方ハ、ドナタデスカ」
久美は兄の宗一郎を紹介した。ヴァリアーノは、初めて会う男に警戒の目を向けたが、宗一郎が光秀や家康と親しいと知ると安心したのか、オニサン、オニサンと言って歓待した。
 桜の花が美しく咲いた四月十日。伊賀上柘植の福地伊予守と河合・玉滝郷の地頭、耳須弥次郎が滝川一益のとりなしで安土城に参上した。彼等は信長に拝謁できたことで舞い上がってしまった。この時、福地はさも伊賀を憂れうるように言った。
「伊賀衆は信雄さまとの戦闘に勝ったと言って、おごりを極めています。その上、仁・義・礼・智・信という五常の道も忘れ、国が乱れきっておりまする」
西国攻めで伊賀のことを忘れていた信長は、天正七年の信雄を思い出した。信雄が、伊賀から素っ裸になって逃げ帰ったという噂も聞いた。息子の恥は、親の恥でもある。ムラムラと怒りがわき出してきた。信長にしてみれば、伊賀攻めなどは西国攻めの付録のようなもので、勝ち負けの戦ではない。福地の言葉を受けて、早速九月二日伊賀攻めの下知をした。この情報は安土に居る久美から直ぐに三太夫に伝えられた。
 福地の伊賀を売るような行為を予め知っていた文は、とくに驚くことはなかった。それよりも、九月二日という具体的な日が判ったことで目標がはっきりした。

あと数カ月で焦土となる伊賀は、桜と菜の花が咲き平和そのものだ。新三郎の課題だった逃走路は、ほぼ目処がつき、大和や伊勢に近い伊賀の山里には大和、伊勢、甲賀など国境を表す標識とともに農家が点々で作られていた。

九月二日、信長は伊賀攻略のため北畠信雄、織田信澄、日置大膳亮、吉田兵部少輔、丹波長秀、滝川一益、、藤堂将監、蒲生氏郷、掘秀正、筒井順慶、浅野長政等二十名を安土城に召集した。呼ばれた武将達は伊賀攻めのことは承知で集まっているが、戦だとは思っていない。伊賀一国を攻めるには余りにも大軍であり、戦う前から勝負はついている。翌三日、伊賀攻めの軍略会議を開き、伊賀攻略についての諸将の軍勢配置を行った。伊賀攻めは九月二十七日から二十九日の三日間。信長の命令は、伊賀に侵入し伊賀のすべてを焼き尽くすことだった。これはもう戦いということではなく、ただ火を着けて廻るだけの作業である。

久美はこの話をヴァリアーノから聞いて、耳を疑った。信長はただ、伊賀全土を焼き尽くせと言ったようだ。それも女子供から犬猫まで生きているもの全てを地上から抹殺せとのことだった。
家康や光秀という武将は天下泰平のために戦い、平和な世の中を作るという大儀があっての戦だが信長は違う。平和に暮らす伊賀衆が、何をしたと言うのだろう。憤りに震える久美は知り得る限りの情報を三太夫に送りつけた。

九月二十七日、早朝より空はどんよりと曇り、秋の風が木々を揺すっていた。台風の前触れか小雨も落ちてきた。陽はあがっているのに、夕方のように暗い日だった。
 伊賀へ入る街道という街道すべては織田の兵で溢れかえっている。柘植口には丹波長秀等の兵一万二千。玉滝口は蒲生氏郷等の兵七千余り。多羅尾口は掘秀正等の一万。笠間口は筒井順慶等の三千。初瀬口は浅野長政等の兵七千余り。そして伊勢地口には第一次天正の乱で伊賀軍に破れた北畠信雄の本隊と織田信澄等の兵一万余り。総勢四万二千の兵だ。
それにひきかえ、全人口合わせても十万に満たない伊賀は、ひっそりと静まっていた。年老いた人や戦いに不向きな女性、子供は伊賀国境の山里で農業にいそしんでいるし、幼い子供とその母親は、大和、伊勢、山城などの寺寺に疎開している。今、伊賀に残っているのは、百地一族・服部一族・藤林一族の精鋭ばかりだ。大和に派遣された左兵衛、三河へ行った五右衛門と小南も、すでに伊賀に戻って来ている。

強さを増す雨の中、織田信長が指揮をとる第二次天正伊賀の乱は幕は開いた。それは砲声も号砲もなく、どたばたと始まった。
柘植口からなだれ込んだ丹波長秀・分部善光・滝川一益・滝川儀太夫・藤堂将監の兵士は、柘植・霊山・新堂などの村に次々と放火をして廻った。敵との合戦がないだけに、どの軍がどこに火をかけたのか全くわからない。燃えそうな物を見つけたら火を放つだけだ。民家の庭先に歩いている鶏も驚いて逃げまどっている。
 伊賀軍は正面衝突を避け、二手に分かれ逃げながら戦うゲリラ作戦をとった。北部方面は比自山砦に逃げ、南部方面の攻撃に対しては柏原城に逃げる。
比自山は標高二六四メートルの小山だが、三方を山と断崖に囲まれ伊賀盆地を見下ろすことのできる要害だ。ここは、宗一郎と丹波が指揮をとり、名張の柏原城は、三太夫と滝野十郎吉政が指揮をとる。
 「三太夫、この戦、わたしたちの勝ちよ」
龍王夢の馬上で文が三太夫に言った。三太夫と文は、龍王夢に乗って信長軍の動きを視察している。敵の放つ矢が届く距離よりやや遠くに位置をとって、伊賀衆の戦いぶりを見ている。攻めてくるのは重装備の兵士だが、逃げるのは身の軽い伊賀者だ。それに、逃げ道は確保されている。地の利を持って、鍛え抜かれた忍者が逃げるのだから危険なことは何もない。
敵が集落に来る少し前に、いかにも敗走したように演出して逃げるのだ。敵が追ってくることを想定して、道には落とし穴や足鋏などが仕掛けられている。両側が崖となっている狭い道では、崖の上や木の上から矢を放ち崖崩れを起こさせる。女は民家や砦の館の中に爆薬を仕掛ける。敵が火をつけたとたんに爆発して負傷させられる。燃えている集落に駆けつけた兵には、大戦争のように見えるが、負傷しているのは織田軍の兵ばかりだ。そんなこととは知らず、燃えさかる民家や神社仏閣を見て織田軍は走り回っていた。大勝しているように勘違いをして、勝鬨を揚げている姿は滑稽にも見えた。
 昼を過ぎる頃には空はさらに暗くなり、雷鳴も轟き真っ黒な雨が降って来た。嵐だ。
織田軍大勝利の報告は次々と信長に届いている。
二十七日の朝始まったばかりの戦だが、伊賀北部のほとんどは焼け野となり、佐那具の辺りまで敵の攻め手が来た。
 久美は男と同じ黒装束に身を包んで、宗一郎、崇治等と行動を共にしている。この二年間住んだ服部屋敷は、柘植口から攻めこんだ丹波長秀の軍団に焼かれてしまった。焼き打ちをかける兵士達は、狂気につつまれ花火でも楽しむように火をつけて廻っていた。服部の屋敷を出た久美は、敢国神社に行くと全員の無事を願った。

滝川一益軍が松明を持って敢国神社に来た。隠れて様子をうかがっていると、神殿に土足で踏み込み、金品を奪っていた。盗賊のような傍若無人な振る舞いだ。
黒党祭で三太夫や宗一郎が拝んでいた凛々しい姿が瞼に浮かんで涙が出て来た。敵兵は人がいないと見ると、犬にまで矢を放ち遊んでいる。平和で美しい伊賀が壊されてゆくのを目のあたりにして、寂しさと悲しさの中に怒りをおぼえた。
「許せない」
佐那具近辺は全て焼き尽くされた。

久美達は、服部川沿いに中瀬を通り、木津川から比自山砦へと向った。真っ黒な雨に濡れ、久美の透き通るように白い顔も煤けている。敵に遭遇し、多少危ないこともあったが、宗一郎や幼い左助が助けてくれた。
 佐那具を壊滅させた滝川一益は、滝川儀太夫・藤堂将監を伴って喰代の砦に攻め込んだ。しかし、ここは丹波が難攻不落の要塞として作った砦だけに簡単には落ちない。丹波が北畠軍に攻めてきてくれ、とばかりに作ったような砦だ。砦に近づくには、細く急な坂道が一本しかない。周りは崖があるだけだ、登ろうとしても、下は鬱蒼とした森で崖に近づく道さえもない。
一益軍が細い道を登って行くと、見えない所から弓矢が飛んでくる。道から外れて山の中を歩くと、落とし穴が仕掛けてある。軍は負傷者が続出し、一益は仕方なく丹波長秀に援軍を頼んだ。柘植口からの全軍一万二千が喰代に集結した。
自軍の屍を踏んでの壮絶な総攻撃が始まった。夕方になると風雨はさらに強くなり、道を登って行く兵士は滑り落ちてくる。道は川になって、進むに進めない。疲労困ぱいした兵は、戦う気力を失いはじめた。
「本日はこれまでだ」
兵の身体を気づかった丹波長秀は、戦いを中止し全軍に引き揚げを命じた。ところが、民家や神社仏閣を焼き払ってしまったため、休息の場所もない始末。疲れきった兵は冷たい雨に打たれて野宿するしかなかった。
 九月二十八日。
前日とはうってかわって、爽やかな朝日が輝いている。ただ織田の兵士達は一睡もしていない。闇の中で雨にうたれ、身体は冷えきっている。熱を出している者もいれば、ぐったりとして起きられない者もいる。全軍に食事を与えた丹波長秀は指令を発した。
「この戦、敵は三千弱、我等は四万二千と侮っていたが、伊賀軍は普通の兵ではない。北畠信雄殿が一昨年に敗退したことでもわかる。急ぐことはないから用心してかかれ。今日落とせなくとも明日がある。持久戦になっても良いから、体調の悪い者は休め」
 一万二千の兵が、砦に繋がる一本だけの道から攻めても、一人ずつ殺されに行くようなものだ。丹波長秀は、全軍に崖を登る作戦を指示した。体力の回復した兵等は、喰代を囲む森に道を作りながら、這うように進んだ。効率の悪い攻めは遅々として進まず、その日もまた戦にはならなかった。
 九月二十九日夕刻。

藤林一族は玉滝・友田・柏野・河合と逃げ、服部一族と合流するように比自山砦に逃げ込んだ。その服部一族の中には、泥と雨で汚れきった黒装束の久美もいた。そして、喰代砦から抜け出した丹波や太郎次郎もいた。比自山は、藤林・服部・喰代の郷士と、それに従う百姓や僧侶等数千人が立て籠った。
このころ喰代はもちろん伊賀北部はもぬけの殻だ。しかし柘植口の一万二千の兵は、まだ喰代砦を目指して森を切り開いていた。
比自山砦への攻撃は、近江から甲賀忍者を引き連れた玉滝口の蒲生氏郷・脇坂安治・山岡主計頭の兵七千。信楽の多羅尾口から掘秀正・多羅尾光弘の兵一万と、笠間口から国境を北上した筒井順慶・筒井定次・松倉豊後守の率いる総勢二万の兵だ。
伊賀軍が籠城を予定していた砦だけに、鉄砲、巨石、弓矢や食料がふんだんに確保されていた。女達は食事の用意をし、男達は鉄砲や弓を射、巨石を落下させるという戦が繰り返された。
「お兄様、鉄砲をお貸しください。久美も戦います」
「危ないから止めろ。久美は食事の支度などをしておれ」
「嫌です、平和な伊賀の里を焼き尽くす、極悪非道な信長の軍団が許せません」
宗一郎から鉄砲を奪い取ると、前線へ進んで弾を放った。保長に教え込まれた砲術だけに一発必中、弾が放たれた数だけ敵兵は倒れていく。
織田軍二万の大軍が攻めても攻めても、砦まではたどり着かないばかりか、死傷者がどんどん増えていく。巨石は落とされるし、弾矢が尽きることなく雨霰と浴びせられる。時間を追うごとに、織田軍からはおびただしい戦死者が出た。二日足らずで、北部の全てを焼き払ったにもかかわらず、そこからが難事となった。
 比自山では月が替わり、十日が経っても落ちる気配すらないのだ。一方、南部では伊勢地口の北畠信雄・織田信澄・日置大膳亮・吉田兵部少輔に対して、五右衛門・小南等が青山峠で崖崩れを起こし、倒木をして行く手を阻んでいた。
また初瀬口の浅野長政・戸田弾正・新庄駿河守も、宇陀川の難所で新三郎に戦闘を仕掛けられ、大和から伊賀に兵を入れるのに苦労をしていた。
しかし多勢に無勢、南東部は信雄軍に押され、伊勢地・阿保・小波田と後退していった。途中、伊賀神戸や青山の郷士や百姓衆は布生、長瀬を経て南伊勢や室生へ逃げた。
 十月三日には、名張を中心とする土豪四百三十八名と従う百姓千二百名、総勢千六百名柏原城に籠城した。
 その頃ようやく、丹波長秀軍は喰代砦にたどりついた。しかし喰代の砦には誰もいない。謀られたと知った兵等は、行き当たりばったりに放火をして廻った。
 比自山の苦戦を聞いた織田信長は、烈火のごとく怒った。
「伊賀は化け物の国じゃ。何が何でも比自山を落とせ。全ての兵を集結して総攻撃せい」
 十月十五日の空は、戦など知らぬと晴れ渡っていた。喰代で手間取った丹波長秀等と柏原城を攻めつつあった北畠信雄等が加わり、比自山に総攻撃が行われた。比自山から見下ろすと、死んだ油蝉にたかる蟻のような軍勢が、じわじわと攻め登ってくる。織田軍は、木の盾をかざし、覗くように慎重に進んで来る。いつ鉄砲や弓矢が飛んでくるかわからない比自山だけに、小さな石が転がってくるだけで兵は後ずさりをした。総攻撃をかけて二時間が過ぎたが、伊賀軍は鉄砲も弓矢も撃ってこない。
真っ青な空に、みだれ太鼓の音が響いた。遅々として進まない織田軍をあざ笑うように、鷹が気流に乗って、兵士達の上で輪を描いている。
昼になり、午後になり、じわじわと蟻の群れは進軍する。
西の空が真っ赤に燃える頃、みだれ太鼓の音もやみ、櫓の上には篝火が焚かれた。その頃になって、ようやく最前線の兵士が櫓門まで辿り着いた。門の中を窺っても何の物音もしない。篝火の松の火がパチパチと弾ける音がするだけだ。草むらでは、こおろぎも鳴いている。先頭の兵士数名が櫓に縄を投げよじのぼった。櫓の上から門の中を覗いても人っ子一人いない。砦の中に下りて閂を外し、大きく門を開いた。織田の兵士達が、雪崩をうって砦に流れ込んだ。しかし、闘う相手がいない。一万人ほどいたはずの伊賀衆はもぬけの殻となっていた。織田軍から見れば、一瞬の内に消えてしまったようなものだ。伊賀軍は、岩を転がして時間を稼ぎ、女から順に逃げさせた。比自山から奈良の山添村へは抜け穴を通るという〈土遁の術〉を使った。ほとんどの伊賀衆が比自山砦を去ったところで篝火を焚き、戦闘体勢にあるように見せる〈火遁の術〉を使った。その誰も居ない砦に織田軍は総攻撃をかけたことになる。織田軍が砦に着いた頃には、森の木を利用して隠れ、枝から枝へと飛び移る〈木遁の術〉で大和国室生村に着いていた。室生村笠間は、江三郎入道と美穂が新しく作った大和の村だ。伊賀の国にあった上笠間・深野・長瀬も、今は伊賀攻めの最前線の後ろにある。まるで筒井順慶等の軍に守られているようで、これ以上安全な場所はないくらいだ。笠間に逃げ延びた伊賀衆には、その地に作られた村々で暮らすように言うと、丹波は宗一郎一行は竜口の屋敷に一旦戻ることにした。笠間から竜口までは、全員が一斉に行動しないという〈離行の術〉を使って、屋敷に向った。久美と宗一郎、崇治と丹波は親子と祖父という出で立ちで歩き、高羽左兵衛と左助等は鍬を担いで野良仕事に行く格好だ。時間や日を変えてのんびり竜口へ歩いていった。

竜口で一服した丹波は南部の拠点と決めた柏原城に行くと言ったが、宗一郎は、父の崇治・久美・左兵衛等には、竜口で戦が終わるまで待つように言った。左兵衛や佐助も丹波に付いて柏原城に行きたいというが、場合によっては犬死となる。宗一郎は、この戦は一人でも多く生き延びることが重要で、生き抜くことが合戦だと諭し付いて来るのを思いと止まらせた。

しかし、久美は、柏原城に連れていって欲しいと、何度も宗一郎や丹波に言った。久美が三太夫をどれほど好いているかは、崇治も丹波も知っている。久美の必死の決意に崇治は丹波に久美をつれて行ってくれるよう頼み込んだ。

竜口で崇治等と別れると、丹波、宗一郎、久美は柏原城を目指した。初瀬街道から行けば苦労もないが、街道筋は順慶や浅野長政の軍がうようよしている。丹波達は尾根づたいに山を登り、赤目四十八滝の一つ布引の滝に出た。大日滝、不動滝、行者滝と下り、滝川沿いに進んだ。延寿院の下を通り、長坂を越えると柏原の集落だ。早くもここは民家が焼かれている。道を歩くと目立つため、三人は滝川に下りた。水草の陰や水中に潜って敵の目から隠れる〈水遁の術〉だ。九月と言っても滝川の水は冷たい。長く潜っていると感覚を失う。久美の唇は紫色に変わっているが歯をくいしばって耐えている。
何とか柏原に着いたが、柏原城を囲むように物見の兵がいる。伊賀軍の強さを知っている信雄軍は慎重な持久戦をとっているようだ。
「丹波さま、このままでは城に入ることができません。私が〈逃走を装う術〉を使います。丹波さまは久美と城に駆け込んでください」
宗一郎は川から上がり、敵の物見の方へゆっくりと歩いていった。
敵が宗一郎に気づくと、宗一郎は大声をあげ、刀を振りかざして脅すと、一目散に逃げてゆく。物見の兵は、宗一郎が逃げるので本能的に追いかけてゆく。
「今だ久美。行くぞ」
丹波は久美の手をつかむと柏原城の門に向って走った。久美は兄の宗一郎が気になって、宗一郎の方を振り返った。その途端に丹波は転げた。鍛え抜かれた身体でも、七十一歳には厳しい行程だった。道なき道を長時間歩いてきた丹波は、足を少し傷めていた。その上、水遁の術に耐え続けた下半身は冷えきっていた。
「丹波さまだ!!」
「久美よ!」
「門を開け!」
柏原城の百地一族が、城外で起きている異変を発見し大声で叫んだ。
宗一郎を追っていた物見は、丹波と聞いて振り返った。一斉に敵軍の物見達が反転した。敵兵は宗一郎を放って、丹波達を捕らえようとした。宗一郎は、その物見達の間に走り込んだ。
 ドッドッドーン。
久美達の後ろで大爆発が起った。辺りは土煙で何も見えなくなった。火薬の匂いが立ちこめている。久美が丹波をかばっている時、宗一郎が敵軍に飛び込み自爆したのだ。
柏原城からは三太夫、新三郎、太郎次郎が飛び出して来た。三人は丹波と久美を担ぐと城に駆け込んでいた。
「兄さまは?宗一郎お兄さまはどこ」
久美の目はうつろに空中をさまよっている。涙が止めどなく流れてくる。目の前から突然宗一郎兄さんが消えた。硫黄の臭いが久美の身体を包み込んで離れない。
宗一郎は久美に優しかった。幼い頃、恐いことがあると必ず寝るまで側にいてくれた。男の子にいじめられていれば、必ずどこからか現われて助けてくれた。母のいない久美にとって、宗一郎は母でもあった。大きくなっても、久美のことを思い、話し相手になってくれた。その兄が自分の目の前で自爆したのだ。最後まで妹のことをかばい自爆したのだ。久美の頭は混乱し三太夫も見えない。うわ言のように宗一郎を呼び、泣きながらいつしか眠ってしまった。
 喰代砦と比自山砦の戦いで、織田軍は二万近い死傷者を出している。特に喰代を攻めた、滝川一益・滝川儀太夫・藤堂将監の軍と、比自山を最初に攻めた蒲生氏郷・脇坂安治・山岡主計頭・掘秀正・多羅尾光弘の軍の被害は甚大だった。その、喰代も比自山も落ち、南部の集落もほとんどは焼けてしまった。信長にとって、戦の主力としたいのは毛利であって伊賀ではない。伊賀を焼け野にするのに、これ程の時間がかかるとも思ってもいなかった。鼻を刺す炭の匂いにもうんざりだ。信長は信雄に筒井順慶と浅野長政を残すからといって、被害の大きい軍を引き上げることにした。
 交戦は一ヶ月を過ぎ、柏原城の兵糧・弾薬・弓矢も底をつきかけていた。
信雄は、前回の戦で痛い目にあっているので、城を包囲はしたものの攻めあぐねていた。そこへ奈良・興福寺の僧だったと言う、大倉五郎申楽太夫という人物が尋ねて来た。そして、信雄に申楽を献上したいと言った。戦よりも芸能や踊りの好きな信雄は喜んでそれを見た。申楽を献上後、大倉五郎申楽太夫は伊賀についての話をした。
「信雄さま、戦闘は長引き犠牲者は多数にのぼっています。伊賀各地では一揆・抵抗の噂もござります。このままでは泥沼にはまり、信長公の天下平定にも不都合がござりましょう。この際、伊賀軍と和睦されてはいかがでしょうか。およばずながら、拙僧が一身を賭して仲介を致しましょう」
申楽太夫は和睦の条件を示した。
一、伊賀軍は今後一切、反逆しないこと。
一、各地の城、砦に籠る伊賀軍はすべて退散すること。
一、滝野十郎吉政は人質を出すこと。
信雄としても、何の楽しみも無い焼け野が原の伊賀に居たい訳ではない。
「伊賀衆が生業に励み、新しい国主に従えば許す」
信雄は、戦を終えるきっかけが欲しくてたまらなかった。雪姫の顔が浮かんできた。そうなると、一刻も早く伊勢の松ケ島城に帰りたくなった。戦に飽き飽きしていた信雄はこの条件をあっさり受諾した。
 持久戦となった柏原城は、蟻のはいでる隙間もなく囲まれていて身動きができない。申楽太夫が柏原城に着くと、三太夫、文、丹波、江三郎入道、右衛門と照栄が出迎えた。
「大倉五郎次じゃない、五郎次太夫さまか。我等は玉砕かと思っていたところだった」
照栄が大倉五郎次に言った。
「またまた、たわけたことを申されるな。文さまに言われておったから来たのじゃ。のう文さま」
「文さまが大倉五郎次を呼んだのか」
照栄は、文を短野に監禁したことを思い出して、また腰を抜かした。
 五郎次と文は乱の始まる前に会った。その時に、大倉五郎申楽太夫と名乗って信雄の本陣に行くように言われていた。そして、文の言う通りに行動したら、信雄はあっさりと仲裁に承諾したと言った。狐につままれたようだが、十月の二十七日と言われていたので、今ここに来たと言った。
 十月二十八日。滝野十郎吉政は十三歳の嫡子・亀之助と丹波、三太夫、文、新三郎、太郎次郎を連れて信雄軍の本陣を訪れた。滝野十郎吉政が降伏すると、信雄は意外にも、亀之助は人質として預かるが、大切にするから心配するなと顔をほころばして言った。

 

別れ

天正六年の初夏にタイムスリップしてから三年半の歳月が経っている。三太夫と文は、天正伊賀の乱から民衆を救うため、二十一世記への出口を探さずにきた。この間、色々なことがあった。特に三太夫は、久美というこの時代の女性と生まれて初めての恋をした。
 伊賀の乱は収まったが、その久美の消息が分からない。三太夫の母、秋と竜口の屋敷に帰ったものと思っていたが、三太夫が行った時には居なかった。短野の屋敷も探したが、そこにも見当たらない。
「久美………、どうしているだろう」
文が独り言のように言った。
全てが終わった現在、三太夫も文も、この時代にいるべきではないと思っている。しかし、久美に会って話をしておきたい。
 風の噂で、宣教師のフロイスの所に伊賀から来た、若い女性がいるということが聞こえてきた。
「安土に行ってみようか」
 今すぐ二十一世紀へ戻るといっても、当てがあるわけではない。戻る扉のカギとなるのは蛍で、冬の今ではどうすることもない。戦後の伊賀は少しずつ復興のきざしが見えてきた。国外へ逃避した伊賀衆も帰郷し、田畑を耕し民家も建ち始めてきた。地図づくりに励んだ新三郎の部下達は土木の知識を得ているため復旧も早い。
伊賀は新三郎や太郎次郎に任せて、三太夫と文は、久美を探しに安土へと向かった。

兄宗一郎を失った久美は、何もかも忘れたくて伊賀を出た。足はなぜか伊賀せん滅を指図した信長のいる安土に足が向いていた。知っている所といえば、ヴァリアーノのいるイエズス会だけだ。

ヴァリアーノに紹介されて、今はフロイスの秘書のような役割をしている。
ヴァリアーノは巡察師だが、フロイスは本物の宣教師だ。心が痛んでいる久美をフロイスはやさしく迎え入れ、宗一郎の潔さ、精神の気高さについて話をしてくれた。
宗一郎は死んだのではなく、伊賀の平和のために神に召された。天国で幸せな暮しをしているから心配はいらないとデウスの教えを説いた。この教えによって久美の心の傷は少しずつ癒え、悲惨な自爆の場面も夢に現れないようになってきていた。
 この頃、イエズス会は信長に不信感をつのらせていた。全国制覇を成し遂げるにつれ、傲慢な信長は自らを生きた神であると言いはじめた。安土山に寺院を造り、身替わりの石を安置して民衆に拝ませたのだ。イエズス会にすれば、信長など植民地対策のための布教の道具だと思っている。砲術や科学的戦術を教え、貿易で莫大な利益をもたらしてやった。アジア各地から集めた情報も与え、諸々の便宜も図った。石山本願寺攻略のためには鉄甲船を造る技術さえも教え協力をした。それにもかかわらず、自分の力を過信して神になろうとする。イエズス会にとって世界創造の神はデウスだけで、信長は邪魔な存在になってきていた。
 久美にとって信長は兄の仇であり、伊賀を焼き払った鬼だ。信長が生きている限り、平和な時が来るとは思ってはいない。ここでは、イエズス会と久美の利害は一致していた。
久美は、よくフロイスに光秀や家康のことを話した。光秀や家康という武将は信長と違って天下泰平の世を望んでいる。そして、農民上がりの羽柴秀吉とも仲が良く、民衆のことを考えて政治をしている。彼等こそ、この国に必要な人間だと言った。
フロイスも光秀には面識がある。謹厳実直を絵に描いたような人物で、故実に明るく典礼にも詳しい。神につかえるフロイスは、このような人間像が好きだ。細川忠興の妻であるガラシャは光秀の娘で洗礼も受けている。デウスの教えも受け入れる素地を持っている。近畿一円を守護する大名であることも、布教活動には好都合だ。

信長に代える人物を探していたヴァリアーノに、フロイスは、このことを伝えた。この考えにヴァリアーノも賛同したが、光秀は信長が最も信頼を寄せている武将だ。光秀に謀ごとを持込んで、信長に報告でもされたらイエズス会の全員が処刑されることは間違いない。ヴァリアーノはイエズス会の考えが、それとなく光秀に伝わるように久美に働きかけた。

三太夫と文がイエズス会を訪ねると、噂の女性はやはり久美だった。思ったより元気で久しぶりに会った文に、竜口の秋や短野の春、美穂のことについて尋ねた。

そして乱の前の伊賀を思い出し、赤目四十八滝や名張川、阿清水川の四季の美しさを語って涙を浮かべた。
「いつもなら今頃は黒党祭ね。光秀さまや家康さまはどうしているかしら」
そう言えば、文も三太夫も乱の後は光秀にも家康にも会っていない。
「一緒に会いに行ってみるか」
三太夫は、久美を元気づけるために誘ってみた。しかし、しばらくはイエスキリストとマリアさまのそばで暮らしたいと言った。ただ、家康と光秀にはぜひ会いたいと言い、二人に手紙を届けてほしいと言った。手紙は光秀、家康、服部保長への三通だつた。

「久美ちゃん、私が家康さまと保長さまに会いに行ってくるわ。三太夫は光秀さまの所に行って。それから、久美ちゃんも一度竜口に帰って来たら。私も家康さまに会ったら竜口に戻るから」
文は久美の気持ちを思って、三太夫とは別々に行動すると言った。
 三太夫は、安土から直接、近江坂本城の光秀に会いに行った。
光秀は伊賀の力になれなかった自身を恥じて謝った。そして、崇治、宗一郎、丹波、文、美穂は無事暮らしているかと尋ねた。三太夫が宗一郎は乱で亡くなったと話すと、深く悲しみ黙とうをした。

久美がイエズス会の教会にいると言うと、光秀は、ぜひ会いたいと言った。三太夫は久美から預かって来た手紙を光秀に渡した。
光秀が三太夫から受取った久美の手紙に黙って目を通しはじめると、少しずつ顔色が変わっていった。手紙には、伊賀の惨状が生々しく描かれ、平和な伊賀で今年も会いたかったと書いてある。手紙の文末に入ると、驚くようなことが書いてある。イエスキリストの教えでは、信長よりも光秀や家康のような武将に、この国を治めてもらったほうが民のためになると書かれている。さらに久美の気持ちとして、天下泰平のため家康と協働して光秀に天下を治めてもらいたいとも書いてある。内容を読み込むと、久美だけでは書けないポルトガルの極秘戦略までが入っている。
光秀は手紙の内容は知っているかと三太夫に聞いた。
三太夫が知らないと言うと、それならそれで良いと言って内容には触れず、黙り込んでしまった。

同じように、文も安土から陸路三河に行き、保長の屋敷に寄った。保長は天正伊賀の乱の一部始終を知っていて、三太夫と文を誉めた。保長にとって、伊賀は生まれ育った故郷だけに堪え難い想いがある。故郷が焼け野になったことについては残念だと言ったが、伊賀衆の多くが無傷であったことを喜んでいた。そして今回の信長の攻撃は、戦国武将の取るべきものではなく狂った行動だと吐き捨てた。もともと正成を家康に仕官させたのも、保長の考えが大きく影響している。保長は、早く信長の世が終わらないと、天下はさらに殺伐としたものになると言って愁いていた。

文は、久美が安土で暮らしていると告げ、久美からの手紙を渡した。
保長は手紙に目を通しながら大粒の涙を膝に落とした。久美の手紙は、戦争の悲惨さを赤裸々に綴っている。読み進んで行くうちに涙は止まり、保長の目がギラギラと輝き出した。
光秀への手紙よりも、さらにはっきりとイエズス会のことが書かれている。家康と光秀が組めば、信長を倒し理想の世の中を作ることができるとも書いてある。その上、光秀にも家康さまと組んで欲しいと書状書いたと、言葉が添えてあった。まるで織田信長殺すと言った宗一郎の怨念が乗り移ったような文書だった。
久美は保長の信頼している〈くノ一〉だ。イエズス会の情報は正しいものに違いないし、久美の煽動に間違いなく光秀が動くと確信した。
「文さま、この手紙は一通だけか」
保長は家康宛のものはないかと尋ねた。文が家康宛の書状を差し出すと、保長は急いで城に上がる支度をした。保長に伴われて家康に面談した時も、家康は久美の手紙を見た途端に黙り込んでしまった。文は胸騒ぎがした。
「保長さま、久美ちゃんの手紙には何が書いてあったのです」
文の問いに保長は手紙を見せた。文は、後ろから頭を殴られたような衝撃が走った。もしや、久美のこの手紙で本能寺の変が起るのではという予感がした。
 文の危惧は、そのまま大きな渦のように広がっていった。
家康の行動は速く、すぐに光秀宛の親書をしたためた。手紙の内容は、久美からの手紙を読んだことに触れて、自分は明智光秀という武将を信頼している。何が起ろうと、光秀殿の味方をすると記してある。これはイエズス会が光秀に加担をするなら、家康は味方になるという意味だが、前後の文面を総合すると、裏ではもっと積極的に信長を亡き者にする意思が感じられる。

光秀も家康も戦は天下泰平の手段と考えている。百姓上がりの秀吉も同じだ。信長と同じような、大大名の毛利輝元にしても無駄な殺戮はしていない。

信長はどれだけ功績のあった者でも、不必要になったら冷酷に旧臣を切り捨てる。疑心暗鬼の中での競争をさせられている家臣は信長から離れたい気持ちが必ず心の底にはある。秀吉も巻き込めば成功の確立はさらに上がる。待っていた時が、すぐそこに来ている。 

 天正十年正月。
年賀の挨拶のため織田一門や近隣の大名、公家衆など多数の人間が安土城に集まった。秀吉や北陸の柴田勝家は地方在国中だが、信長が最初に謁見したのは明智光秀だ。それだけ光秀は信長より重んじられている。織田一門にそれほどの人物がいないこともあり、家康や堺衆は次の時代は光秀殿だなどと持ち上げた。
 城を退くと光秀は家康と、久美のいるイエズス会の教会へと向った。
織田の大名二人が、連れ立って来たのにヴァリアーノもフロイスも何事かと驚いた。二人は、信長を仇のように嫌っている久美に会いに来たと言い、久美にやさしい言葉をかけた。時には信長の悪口とも受け取れる話をする。この時、ヴァリアーノは信長の代わりは明智光秀だと決めた。
 一方、別のところでも新しい変化が起り始めていた。
三月五日、信長は東国攻めの仕上げとして、甲州の武田攻めに出発した。同行する武将には、遠征のため引き連れる兵は少なくても良いと言ったが本心ではない。なお、多く引き連れる分は問題なしとの軍令が発せられた。
信長の性格を知っている光秀は機敏に反応し、沢山の軍勢を引き連れて行った。織田軍の圧倒的な兵力を前に武田軍は破れ、三月十一日には武田勝頼は自害した。
 この時、公家の近衛前久も参軍したが、信長と袂を分かつような出来事が起った。それは信長が恵林寺を焼き打ちにし、快川和尚を焼き殺してしまったことだった。快川は朝廷から紫衣を許された高位の僧で、天皇から国師号を与えられていた。前久は、甲州攻めを知った正親町天皇から、快川の処遇はよろしく頼むと言われていたため、信長に助命を願い出た。それにもかかわらず、焼き殺してしまったのだ。助命を頼んだのは天皇である。信長は天皇をないがしろにした。前久は、この一件で信長を完全に見限ってしまった。
前久は、外交交渉に特異な才能を持っている公家だ。京にもどると、吉田兼見や誠仁親王、正親町天皇など公家衆と図り足利義昭を将軍にする画策を練った。
会合を重ねる内に光秀、家康、秀吉とイエズス会が、信長を疎んじているとの情報も入って来た。前久の動きは精力的だった。
光秀を推す流れは、イエズス会から家康、秀吉、義昭、公家衆から誠仁親王、正親町天皇まで次第に強くなっていった。
 甲州から帰った信長は、旧武田領の知行割りをした。軍功により駿河一国を与えられた家康は、その礼に安土を訪問したが、都合よく接待役は光秀だ。五月十五日から三日間の予定の接待だが、五月十七日に突然、光秀は信長から接待役を免じられ、秀吉の援軍として中国行きを命じられた。秀吉軍の援軍の用意をするため、安土城を出ようとすると光秀を、家康が見送りに来た。そしらぬ顔で、中国参軍の準備に怠りのないようにと囁いた。

十九日。家康は、信長の嫡男三位中将信忠と猿楽興行に列席するため上洛し、二十六日には清水寺で信忠と能興行を見た。その時信忠は、父信長が五月二十九日、小姓二、三十人ばかりで上洛し、翌六月一日には本能寺で公家衆に会うと言った。
これを聞いた家康は武将の自分が京に居ては公家衆も気づかいをするだろうと、京を後にし堺に行くことにした。家康の供には、保長と正成の親子が同行していた。途中、保長は家康に何か囁くと一行の中から消えてしまった。
 六月一日。信長が本能寺で公家衆と歓談していた頃、光秀はついに行動を起こした。光秀の軍には多数の伊賀者がいる。三太夫には、伊賀者から情報が入って来る。出陣した光秀軍に久美とよく似た<くノ一>がいるとのことだ。
保長は、正成に付いて三河に行ったが、常に伊賀のことを忘れてはいない。久美を手先にして伊賀を見ていた。丸山城を焼く時も、保長は久美と堺で画策していた。第一次の乱、第二次の乱も無念の歯ぎしりで見ていた。

久美の書いた手紙を見た瞬間、保長はすぐさま家康宛の手紙はないかと尋ねた。その後の流れは、三太夫や文では図り知れない渦となっていった。家康ばかりでなく公家衆や天皇までも動かして、本能寺で信長を暗殺する。歴史の中で本能寺の変ほど不思議なことはないといわれるのは、伊賀の〈くノ一〉の仕業だったのだろうか。それも、あの美しく、やさしい久美のやったことなのだろうか。
六月一日の日暮れ。三太夫と文は久美のことを想いながら、ぼんやりと空を眺めていた。西の陽が竜口の山にかかり、朱色がかった雲も青紫に変わってきた。
「文、ちょっと涼しくなってきたみたいだな」
「久美ちゃんのことが気になるの三太夫」
「あっ。流れ星だ」
「三太夫、あれは流れ星じゃないわよ。ホ・タ・ル」
ずっと昔に同じようなことがあったような気がする。
「文、阿清水川へ行ってみないか」
三太夫と文は阿清水川に向って歩いた。月も出ていないのに明るい。阿清水川には無数の蛍が飛んでいる。上流からも下流からも蛍が集まり、天の川のように蛍が飛び交っている。
空一面が蛍でいっぱいになった。蛍の点滅がオーロラのように見える。カーテン状に揺れていた蛍が止まり点滅した。まるで映画のスクリーンだ。
初めはぼんやりとしていた映像が、増えてゆく蛍の光の密度が増し、鮮明に映り出した。馬に乗った武将が駆けてゆく。その後に髪をなびかせてもう一頭の馬が走る。
龍王夢に騎乗した久美だ。
遠くに本能寺が映った。
「文、明智光秀軍だ!」
蛍の密度が増すに連れて、久美がはっきりと見える。門の前で龍王夢に跨がり采配しているのは久美だ。後ろには光秀の鎧と甲冑をつけた保長がいる。三太夫は久美のいる所に、今すぐに飛び込んでゆきたい心境になった。もう一生久美には会えない感じがした。
本能寺の門は開き、火矢が放たれて本能寺が赤く夜空を焦がした。
織田信長が仁王立ちになり、力を振り絞って弓を張った。
矢はまっすぐに久美に向って飛んでくる。久美は逃げようともせず信長を見ている。
「久美!」
三太夫は大声で叫ぶと、蛍の映像の中に飛び込んで行った。続けて文も飛び込んだ。浮遊感の中で、一瞬だが三太夫は久美の身体に触れたような気がした。

………。………。

 「健太君、健太君」
………
健太は阿清水川の川原で文に起こされた。
「文………俺らは、無事に帰って来られたんだな」
「そう、帰ってきたみたい」
「あれから四年も経つのか
「そう、天正六年の初夏から本能寺の変までだから、しっかり四年。何か浦島太郎みたいね」
「それにしちゃあ、文。それほどおばさんには見えないぜ」
『タタタ、ターン、タッタッタッ、ターン』
 無事を確かめあっていると、ふたりのの携帯が鳴った。あわてて二人は、携帯を取り出した。メールは仲の良い上野浩司からだった。携帯の日付と時間を見ると、時阿清水川に着いてから一時間も経っていない。

二人は顔を見合わせた。二人の目は、同じ夢を同時に見るわけがないと、言っていた。
 天正伊賀の乱が終わると百地三太夫は、歴史の中からプッツリと消えた。イエズス会のヴァリアーノも天正十年に日本を離れた。そして、何故か伊賀の一地方に明智講というものがあって、光秀をお祀りしている。さらに徳川家では家康以降三代にわたって大切にした天海上人という僧がいて、この方はどこから来られたのかも知られていないと言う。