サクラマスのさくら 

まだ春も早いころ、谷川の水が陽の光にキラキラとかがやいています。川底を見ると、小石のあいだから2センチメートルほどの小さな魚がなんひきも顔をだしました。サクラマスの子供たちです。
サケという魚をしっていますか。おべんとのおかずやおすしよくつかわれる朱色の身をしたおいしい魚です。
きょうのお話のサクラという名前のサクラマスもこのサケのなかまです。
サクラも小さなヒレをふるわしながら小石のあいだからおよぎだしました。
まだ冬のさむいころサクラはたまごからかえりました。かえったばかりのころは、たまごに顔としっぽがついているようなすがたでした。とうぜんおよぎもじょうずではありません。いわのあいだや川にはえる草の中ですこしずつ泳ぎになれてゆきました。小さなからだのサクラは、ながれの早いところでは、あっというまに水におしながされてしまいます。サクラの生まれた谷川は川はばのせまく、川のまんなかにゆくとザーザーと滝のように流れています。押し流されないようにがんばっておよぎますが、やっぱり水の力にはかないません。泳いだり流されたり、しばらく水の流れとたたかっているうちに大きな岩のかげならそれほど流れも速くないことがわかりました。大きな岩の陰にはサクラとおなじくらいのサクラマスの子供たちがいっぱいおよいでいます。
『な〜んだ、みんなこんなところにいたのか。』
しずかな流れの水の中にはプランクトンという目に見えないくらい小さな生きものもすんでいます。ブランクトンは水にただよって生きていますからサクラにも十分つかまえられそうです。サクラはあそび半分で、おそるおそるプランクトンをつついてみました。
『あれ。これはたべられる。』
サクラはちょっとおなかがすいていたのです。
『わー。おいしい。いっぱいいるよ。ケーキやグミみたいだ。』
おかしのような食べ物がいっぱいいる岩陰をみつけサクラはおおよろこびです。
『ああ。おいしい。』
メダカのようなサクラは、むちゅうでプランクトンをたべました。おなかいっぱいたべると、げんきがでてきました。ここならサクラもあんしんしてくらせてゆけそうです。夜は小石のあいだでねむって、朝早くからプランクトンを追いまわす暮らしがはじまりました。たべてはおよぐ、およいではたべる。そんなげんきいっぱいの生活をつづけていくとサクラのからだもちょっと大きくなった気がします。川に沈んでいる、いつもの小石でしんちょうをはかったら、やっぱりすこし大きくなっています。
『大きくなった、大きくなった。バンザーイ。』
『たくさんたべると大きくなるんだ。』
まいにちおよぎながらたくさんのプランクトンをたべます。

ひと月もすると、サクラのおよぎもだいぶじょうずになりました。
たまに、はやい流れのところにいっても、なんとかかえってこられるようになりました。
『さっきたべたばかりなのにおなかがすいたなあ。』
『たべても、たべてもおなかがすく。どうしてなんだろう。』
からだが大きくなるにつれて、いつものようにプランクトンをたべてもおなかがいっぱいになったかんじがしません。
おなじころに生まれた、なかまたちをみると、べつのものをたべているようです。ユスリカカゲロウやカワゲラ、トンボのヤゴなどのようちゅうです。
『あれはなんだろう。ちょっときもちわるいなあ。』
『でも、みんなおいしそうにたべているなあ。』
サクラのくちにはおおきすぎるし、ちょっときみがわるいけれど、とくべつにちいさなようちゅうをさがしてたべてみることにしました。
『あ。これだ、これだ。よおし、たべてみよう。』
食べてみると、プランクトンよりおなかにたまるしおいしい。さがしてみると石の下や岩と岩のすきまにいっぱいいることがわかりました。
『なーんだ。こんなにおいしいものがいっぱいいたんだ。』
『よーし。いっぱいたべてもっと大きくなろう。』
サクラはあたらしい発見をしてうれしくなりました。

ドンッ。
サクラがいつものようにトンボのヤゴをたべようとしていると、とつぜんなにかがからだにあたってきました。
『あっ。』
なかまの魚がサクラの見つけたようちゅうをよこどりしてしまったのです。
サクラもなかまたちも、もうメダカのように小さくはありません。たべるりょうもふえてきています。みんなが大きくなるにつれて、小さな谷川では、たべものが底をつき、ついにはエサのとりあいになります。
『ここは、ぼくの場所だ。あっちへいけ。』
たべものをさがしていると、べつの魚においはらわれます。
サクラより大きい魚は、からだに強そうな丸いもようがはいっています。サクラにもありますが、丸いもようはパーマークといって、つよそうに見せるしるしです。なわばりあらそいのおおい場所ほどもようははっきりとあらわれています。
ドーン。ドドーン。ドン。またです。
『これはわたしが見つけたのよ。』
サクラもがんばるのですが、どうしても自分より大きなあいてでは負けてしまいます。
つよい魚はエサをたくさんたべ、さらに大きくなりますがサクラはなかなかエサにありつけません。
 春もあたたかくなってくると山には、ちょうや小さな虫たちのようちゅうがいっぱいあらわれます。木のめややわらかなはっぱをたべているようちゅうたちが、強い風に吹かれて川におちます。このころの川はエサもおおくサクラたちにはうれしいきせつです。しかし、エサはふえてもとりあいははげしさをますばかりです。ながれてくる虫をたべようとサクラがまちかまえていると、どこからきたのか目のまえでよこどりされてしまうこともあります。
おなじときに生まれた魚でも、よくせいちょうした魚はおよぐのもはやくエサをとるのもじょうずです。
一年もたつと25センチメートルから30センチメートルになるものもいます。もうりっぱなおとなです。川でうまれ川でおとなになったサクラマスをヤマメといいます。おおきなヤマメはカエルやヘビまでたべてしまうほど強い魚です。しかし、あまりエサにありつけなかったサクラはまだこどものままです。

サクラはかんがえました。
『ずっとここにいてもエサのとりあいばかりしなければならない。』
川はしたに下流にゆくにしたがってひろさをましていきます。
『もっとひろい川へいこう。』
サクラは谷川からはなれ川をくだることにしました。おなじような仲間もいっしょにくだってゆきます。
川はばがひろがってゆくと、ながれもゆるやかになってきます。
谷川にはいなかった魚や見たこともないいきものがいっぱいいます。
サクラは食べれそうなものはなんでもたべてみました。川エビや小さなザリガニは虫のようちゅうよりおいしいこともしりました。ここにはエサがタップリあり、なわばりあらそいをするひつようもありません。サクラといっしょにきたサクラマスたちがなかよくおよぎまわっています。
サクラは2さいの夏ころになると15センチメートルほどにそだちました。そしてパーマークというヤマメの丸いもようはなくなり、からだは銀色になってゆきました。これは海へのたびだちのしるしです。海にゆけばもっと大きな魚や海鳥たちがいます。サクラは小さいから見つかれば食べられてしまいます。水にとけこむようなめだたない銀色のほうがあんぜんです。色ばかりではなく、しおからい海の水でも暮らしていけるようにもなりました。そして体型は広い海をはやくおよげるようにほっそりとしてきました。
つぎのとしの春、サクラたちは、いっせいに海へとおよぎだしました。
谷川でおとなになったヤマメほどの大きさになりましたがヤマメではありません。20センチメートルほどのちいさなサクラマスです。
『ワー。ひろーい。』
水からとびだすと、まっさおな空とキラキラかがやく波ばかりです。
『ワー。ワー。』
空にむかってはねたり、いっせいにもぐったり、銀色のサクラマスのたいぐんが、まっすぐにおよいでゆきます。
サクラたちが海へおよぎだすと、海の方からは、サクラの4倍はありそうな大きなサクラマスにすれちがいました。1年まえにサクラとおなじように海におよぎだしたサクラマスたちがかえってきたのです。この大きなサクラマスをとろうと、りょうしがあみをしかけています。海はきけんがいっぱいです。かえってきたサクラマスといっしょにあみにかかってしまいます。
『みんな。そっちじゃない。こっちだ、こっちだ。』
みぎへ、ひだりへとあみをかわし、やっとのおもいでぎょせんから逃げることができました。サクラもあやうくあみにひっかかりそうになりましたが、こううんにもうまくかわすことができました。
あみをかわし、ほっとしておよいでいると、とつぜん空からサクラたちのなかまのまんなかに海鳥がおそいかかってきました。
『バサー。バシャバシャ。』
サクラたちはまたもやパニックです。回転したり、ふかくもぐったりにげまわっていると、こんどは大きな魚がむれをなしておよいできます。カツオがイワシのむれをおっているのです。のんびりとした川とはまったくちがうたいけんばかりです。
いっしょに海にでた仲間たちも、そうとうすくなくなってしまいました。
たくさんのあぶない目にあって、すこしずつ、サクラたちも海のきけんになれてきました。りょうしの船がみえないところでカニやエビをたべ、カツオたちのようにイカナゴやイワシなどのちいさな魚もたべます。谷川から初めて下流の川にきたときのけいけんでいろいろなエサにもちょうせんしてみました。イカもだいこうぶつになりました。
海はたべものがいっぱいだからサクラもどんどんとおおきくなってゆきます。およぐ力もつよくなっていきます。いちにちに20キロメートルから40キロメートルもおよぐことができるようになってきています。5メートルさきのエサでも、いっしゅんでとることもできます。もうりっぱなサクラマスです。
かいがんちかくでエサをたべていたサクラたちは、さらにたくさんのエサをさがしに、北へゆくことにしました。もう海鳥もおそってはきません。
北の海はとてもうつくしいけしきです。こわいものといったら人間だけです。ふぶきのふく北の海でもすこしふかくもぐればそれほど波もつよくありません。よくはれた日などは、流氷にのったアザラシや貝を食べるラッコにもであいました。いちばんビックリしたのはシロナガスクジラにあったときです。あかちゃんをつれていたのですがサクラのなん百倍もありました。北の海はサクラには、ほんとうにへいわで楽しい世界です。

たっぷりとエサをたべてサクラは70センチメートルほどの大きなサクラマスとなっていました。
大きくなるにつれてサクラは生まれた川のことをおもいだすことがおおくなってきています。仲間とはなしをしても川のはなしがよくでてきます。エサもなかなかとれなかった川がなつかしくてたまりません。
『そろそろ川にかえりましょうか。』
『そう。そろそろ、ね。』
『かわっていないだろうか。早くかえりたいね。』
サクラがいっしょうけんめいエサをたべ、きけんなことをすりぬけて生きてきたのはつぎのこどもたちをうむためです。サクラも生まれた川へかえるじきがきたのです。
サクラはいまどこにいるのかわかっているわけではありません。ただ、たいようの位置やほうこうかんかくで南へ南へとくだってゆきます。
サクラたちがおよいでゆくと、ちいさな魚たちはあわててにげてゆきます。
空をみあげると白いにゅうどう雲がみえます。
サクラはうまれた川よりも南にきてしまったようです。でも、水の色はすこしおぼえがあります。かいがんをいったりきたりしていると生まれた川の水のにおいがしてきます。
『まちがいなくこの川だわ。』
ビチャピチャ、ザッザッザッザー。
サクラたちが川をさがしていると、小さなサクラマスのむれがおよいできます。
なみが銀色にかがやいています。ピチヤピチャととんだりはねたりげんきいっぱいにまっすぐにきます。ちょうど1年まえのサクラたちを見ているようです。
『がんばるんだよ。』
『気をつけて、たのしんでくるんだよ。』
サクラは小さいサクラマスを見ていのりました。
たった1年だったけど、いろいろなことがありました。広いせかいでたくさんのけいけんをしました。川にはふつりあいな、どうどうとしたサクラマスのサクラがかえってきました。
これからサクラは秋のおわりにたまごを生むまで、この川ですごします。川ではなにもたべずにたまごをうめるからだになるまでじっとまちます。あつい夏は陽の光のあたらない、たきのふかみやたきつぼなどでじっとしんぼうします。
あきが近づくにつれてサクラの銀色のからだは、うすいピンクにいろづいてきました。たまごをうむじゅんびが近くなったようです。
山もまっかにそまってきました。山からふくかぜがつめたくなるころサクラは生まれた、じょうりゅうの谷川へとのぼってゆきます。きれいなピンクのからだの色もあかぐろくなってきました。もうたまごを生めるからだになってきています。

サクラが5年まえに生まれた谷川のにおいがします。

いまのサクラからみればちいさなイワナがよってきます。おびれをかるくはねさせると、おどろいてにげていってしまいます。
小さなサクラマスのこどもたちもおよいでいます。生まれたときとかわらないけしきがそこにはあります。
サクラはきれいな水がわきだす川底をみつけると、おびれで、こまかな石をほりおこしはじめました。オスのサクラマスはさんらんをまつようにおよいでいます。オスのイワナもよってきますが、体重で4倍いじょうあるサクラマスにはかなわずおいはらわれます。こどものころとは大きさがまったくぎゃくになっています。
サクラはさんらんのじゅんびをととのえました。サクラはいのちをかけてたまごをうみます。ちかくをおよいでいたイワナもさっとよってきます。生みおわるとサクラは、おびれで、やさしくたまごをかくすように、細かな砂をかけました。カジカやウグイにたまごをたべられないためです。
力をつかいはたしたサクラは、さいごの気力で、たまごをみまもるようにしばらくおよいでいましたが、力尽きて水にながされてゆきました。
そしてまた、はやい春がきました。石のあいだから2センチメートルほどのちいさなサカナがかおをあらわしました。
さかなのおなかには、まるいふくろがついています。
このふくろは、おうらんといって、あかちゃんの魚がエサを食べなくても、しばらくは生きてゆくための、栄養がたっぷりとはいっています。おかあさんサクラマスがじょうぶにそだつようにとくれたたっぷりの栄養です。