滝ものがたり  

奈良の大宇陀から榛原、室生を流れる宇陀川と、曽爾から香落溪を流れる青蓮寺川は、名張川となり月ヶ瀬、笠置を経て木津川へとつづいてゆく。この宇陀川と名張川が合流する県境に三重県名張市の市街地は開けている。大和と伊勢を結ぶ伊勢街道の中間に位置するこの地の歴史は古く【和名抄】には「名張郡名張郷」の名が記され、【万葉集】にも(我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を 今日か越ゆらむ)の一歌がある。伊勢に行った当麻麻呂の妻が夫を想う歌で『わたしの愛する夫は、今どのあたりを旅しているのでしょうか。名張の山を今日ぐらいに越えているのでしょうか』。「沖つ藻」は名張の枕詞で沖の藻が波に隠れるという意味が掛かっている。名張の山は大和と伊賀の国境の山で、まさに隠れ里の印象がある。現在の名張市は丘陵地に住宅が開発され、人口は八万人を超えているが東は三重の布引山地、西は大和高原、南は高見山地、北は木津の山々と四方を山に囲まれた盆地で、南の山手には青蓮寺湖、比奈知湖と二つのダム湖がある。清流と緑に囲まれたこの町は、今もその昔の「隠」をしのばせている。
陀川が北流し、名張川と合流する手前に、古くは「矢川」と呼ばれた「滝川」がある。一の井という地名あたりは田畑が広がっているが、川沿いを遡ってゆくと、左右は急峻な山に挟まれる。右手に滝川を見ながら、さらに進むと赤目峡谷に行きつく。清冽な水の流れは、鋭い刃物となり、岩を砕き大自然の彫刻美を創り出している。行者滝、霊蛇滝、不動滝、乙女滝、大日滝、千手滝、布曵滝、竜が壷、陰陽滝、姉妹滝、荷担滝、夫婦滝、琵琶滝など、全山が巨岩からなる四キロメートルも連なる峡谷は夏でも涼しい。滝や淵や早瀬の連続で四十八滝と呼ばれているが、実際にはもっと数は多い。
山ツツジ、山桜の春から、ブナ、楓、ナナカマドなど広葉樹が陽光を透かす新緑の初夏。燃え立つような紅葉が全山を覆い散りはじめると、苔のついた岩肌も黒味を帯びてくる。小雪が舞いはじめ、山から吹き降ろす風が痛い厳冬の二月頃、滝壷に落ちる水が飛散し、岩や崖に生える木々に凍り付く。その氷の上に飛び散った水滴が、さらに二重、三重のツララを作り滝は真っ白な氷の柱となる。黒い巌と透きとおった氷の陰影、どこまでも深い濃紺の滝壷は色彩のない神秘的な風景を醸し出す。四季おりおりに、その表情を変える峡谷は「日本の滝百選」瀑布の部で第一位に選ばれた名勝で「森林浴の森百選」にも選ばれている。
室生火山群のある伊賀は、百地三太夫など忍者の里としても知られ、滝口にある温泉は「隠れの湯」と呼ばれ賑わっている。対泉閣という温泉旅館の前の急な坂道を登りきると、そこには本尊に不動明王が奉られた延寿院という古い寺がある。寺の開基は口伝によると奈良時代の役小角と言われ、境内には鎌倉時代に造られた重要文化財の石造灯籠や観音堂がある。

これは修験道の祖「役行者」が、四十八滝で修業をしている頃の話です。

『現世に生きる庶民の苦しみを救うため、自然をも操れる奥義を極めたい』
『一目でも生身の不動明王を見てみたい』
修験者が最も深く信仰し祈祷の際、本尊としているのは不動明王です。
ここ三十余年間、大和国葛城山に住み、孔雀明王経を唱え修業を積んでいた役小角は、ある日、不思議な夢を見ました。夢には、髪の長い童子が現れ『不動明王の正体を見たいのなら、伊賀国名張郡の南方の滝に行けば見られる………』と言って、立ち消えてしまいました。修験道では童子は、山中にあって峰入りの行者を守るものとされています。早速、役小角は、長頭襟に白色無紋の浄衣を着、修業に必要な法具を入れた笈を背負い、八目草鞋を履き、教えられたとおり宇陀川沿いに歩きました。名張川の合流地点に、あと二キロほどの所まで来ると、右手には急流に侵食された岩の多い「矢川」という川をみつけました。修験者ですから川底の岩を跳び、岩壁に生えた松を伝わり、崖を遡って行くと川の両岸は空に向かって真直ぐに切り立った柱状節理の断崖絶壁です。深い峡谷を成す山は妙法山、この山を登りきると眼下は緑一色です。その山の中に黒い巌が曲がりくねった一筋の線を引くように溪がつづきます。溪には大小の滝があり、陽光を反射し白い布を引いたように見渡せます。
役小角は『あの夢にでてきた童子が言った滝は、ここに違いない』と、妙法山に籠り修業をすることとしました。各地の霊地、霊山で厳しく鍛えた役小角ですが、この妙法山での修業は今まで経験のしたこともない荒行となりました。
季節は夏。梅雨明けの満々とした滝から落ちる水で心身を打たせます。高山の岩の割れ目を流れてきた水流は夏でも肌を刺し、垂直に落下する水の勢いは想像以上の圧力です。滝の下にある岩に座っての行ですが、少しでも気を緩めると重心を失ってしまいます。
人も住まない深山幽谷の地ですから、食事といえば、木の実や山草、山草の根や雑茸の類です。
深緑の森に早めの紅葉木が見られる頃には、何とか水の勢いに逆らわず座っていることが出来るようになりました。しかし滝水は、さらに冷たさを増してきます。
真冬の凍りつく岩場での水行は、冷たさと痛さで気を失いそうになります。役小角は懸命に孔雀明王経を唱え、感覚、思考を超越した無我の境地を得る修行をつづけています。

奈良や飛鳥から名張に行くには、宇陀川沿いに室生村・大野を越え長瀬村へ。さらに大和と伊賀の境、唐崖道という伊勢表街道の難路を通らないと辿り付けません。頭上の岩を気にしながら、人ひとりがやっと通れる唐崖道は、直下に急流が渦巻き普段でも怖いくらいです。当然、宇陀川が増水すれば通行不能となる難所で旅人は難儀を極めていました。大雨が降った後などは、笠間、深野から奈良に抜け、名張の北の山間の村、鹿高まで山越えをするしか方法はありませんでした。
この名張の里に朝廷の命により杣に遣わされた藤原佑太という、たいそう体格の良い国司がいました。杣とは、寺院や宮殿の建築材木を伐採し都に運ぶ、林業で働く杣工の生活の場です。名張のような都から遠く離れた山深い杣では、食糧の自給のため妖地の開墾に重きがおかれました。農作物は建築材と違い貨幣の役割もはたしましたので、その結果、杣は農耕中心の荘園の性格を帯びていました。佑太は着任早々は国司として、名張のことや村人の生活を知ろうと、杣工や田堵(農民)と会い、都の話や仕事の話、これからの名張の展望を話し熱心に仕事に打ち込みました。
こんな佑太の働きに村人たちは親しみを感じ、里で一番の器量佳の「宝」という村娘を差し出し、身の回りの世話をさせることとしました。村にとって権力を和らげるには、これが一番良い方法なのです。
宝は十四歳、こんな山奥の村には珍しい色白の美しい娘です。都の貴人の生活など知る由もない宝ですが、村のためと思い朝は早くから夜は佑太が寝るまで甲斐がいしく働きます。
若い佑太は、しばらくの間は精力的に仕事に励みましたが、狭い山里のこと、ひと通りのことを知ってしまうと、山奥の村は刺激が少なく退屈する日々となってきました。
『なんぞ、おもろいことは有らへんかいなあ』
『明るいうちは、ええが、本当になんも無いとこや』
変化の少ない単調な日々がつづくと、都での雅な暮らしばかりが想い浮かんできます。
『今ごろやったら、都では相撲節会がある時期かいなあ』
『来月は観月宴もあるし、重陽宴もあるなあ』
昨年の観月宴は池に舟を浮かべ名月を愛でました。髪を美しく梳いた姫たちと詩歌、管弦の遊びを夜通ししたことを想いだしています。宝も美しい娘ですが都の姫たちとでは違います。着るものも粗末な木綿の着物、髪は後ろに短くまとめて、佑太から見ると男の子のようです。一緒に月を愛でる雰囲気ではありません。
『今年はこの山奥で、一人で満月を見んとあかんのかいなあ』
『大体、何でわしが、こんなとこに居んとあかんのや』
『はよう、都に帰りたい』
都のことを想い出せば出す程、この山里の暮らしが情けなく感じ不満は徐々に鬱積してきます。そうなると、まじめに仕事をし、税を徴収するなどという気は遠のいて、館に引き篭もる日も多くなってきています。
佑太は、朝廷から衣冠を許された貴族です。すさんだ気持ちは、いきおい田堵や杣工に対しての、はけ口となり言動は粗雑になっていきます。悶々とした日がつづくと、人を人とも思わない傍若無人な振る舞いも増え、夜、昼となく気の向いた時に村人を呼びつけ、館の修理や酒肴の賄いなど我がままな注文をします。
『庭の木々が荒れほうだいや。皆で剪定して、きれいにしてや』
『館を寝殿造り改築にしたいから、檜皮をぎょうさん運ぶのや』
『名張の川から水を引いて、都にも負けん、庭園を造りたい。堀を掘るのや』
『庭師は都から呼んださかい、言い付けを良く聞いて働くんや、エエか』
山里の人たちは長い経験から、生命、財産を保護し防衛することを知っていますから何も反発はしません。里には里の制度があります。互いに協力し助け合うことが里を良くし発展させるという共同体意識です。
『また、国司さまがお呼びじゃ』
『今日は、なんかいなあ、田圃に水を引かなあ、田植えもでけんになぁ』
『困ったこんだなぁ』
『せやかて、国司さまに逆らったら年貢を増やされるし、どうしたものかのう』
『そやのう。年貢を増やされたら、えらいこっちゃで』
『機嫌をそこなわんうちに、はよいこ、はよいこ』
田堵や村人は、触らぬ神に祟りなしと、国司の言い付けに応えていました。館に行くと、都から来た近侍や女房衆に叱られながら、辛い目をして働いている宝の姿をよく見ます。
『自分たちも、何かしないと、宝ばかりがかわいそうじゃ』『国司様のご機嫌を少しでもとろう』と、村びとたちの相談はまとまります。このころ、村の人たちの食べる物といったら、麦、大根、芋や豆を混ぜ込んで炊いた飯や、粟やヒエなどの雑穀に野菜を入れた粥が主食です。しかし、若い佑太は食欲が旺盛ですから、伊賀の山で狩猟した、雉、山鳥、鹿、猪、兎。名張川や矢川で捕れる、うなぎ、鮎、山女魚、岩魚などを毎日のように、お屋敷に届けました。
伊賀と大和の境界にある清明な山里ですから、沸き出す水もおいしく、その水で育った米も良質です。この米と水が造り出す酒は、得も言われない味わいです。
『都ではあまり目にかかれん、旨いものが名張にはあるやないか』
『あ~あ。こんな、ど田舎では食べるか呑むかしか楽しみがないわ』
村びとたちの献上品には佑太も少なからず満足です。

村人たちの使役の賜で寝殿造りの館も、もうすぐ完成です。中央に神殿を構え、東、西、北に、それぞれ対屋があり神殿とは屋根付きの廊下で結ばれています。都から呼び寄せた庭師が設計した庭園は、前庭には白砂が敷かれています。名張川から堀を結び澄んだ清水の流れる池は、自然をそのまま活かした山水園です。池には三つの島があり、神殿に近い中島には赤い反橋をかけられ、橋の下は舟も往来できます。中島と左右の島は平橋で結ばれ、その下を錦の鯉が泳いでいます。
『これなら、都の貴族の住まいにも負けへん』。
佑太は、都では味わえない暮らしに、少しずつ満足し、(名張での生活もそれほどでも無い)と思うようになってきました。
『宝。これから都の人たちを呼ぶさかい、髪もなごうして、このうちきを着るんや』
うちきとは日常の着物ですが、数枚の着物を重ね着して色を楽しむ、高貴な人の着物です。
時々垣間見る宝の美しさに佑太は、宝を客人の接待に使おうと、都言葉や都の習慣を教えることとしました。
宝は賢い娘ですから、もの覚えも早く殊に琴は好きなのか大変上手に奏でるようになってきました。

『なんと、立派なお庭や。こんなんは都にもあらへんなぁ』
『お酒もおいしい。いままで呑んだこと、あらへん香や』
『珍しい魚や。へー。鹿のお刺身。よろし、おますなあ』
『こんな旨い焼き松茸はしらん。やっぱ山国はおとくや』
佑太は名張での新しい楽しみをみつけると、都から書家や絵師、詩歌や管弦をたしなむ人たちを呼び寄せ、遊ぶ毎日です。白砂の庭では雄鶏を闘わせる鶏合をし、錦鯉の泳ぐ池に舟を浮かべ詩歌を詠み、管弦を奏でます。夜は囲碁を楽しんだり、お酒をのんだり、届けられる美味を味わい暮らし毎日です。
『宝はんに、きれいな、おべべ持ってきましたんや』
『わても、櫛をこうてきましたんや』
気位の高い都の姫たちとは違い、まだ、たどたどしい都言葉で話す宝は、都の客人の人気の的です。多くの都の人たちが、こんな山深い里に頻繁に来るのも、宝の魅力だと佑太も感じています。奥ゆかしく美しい宝の奏でる琴の音を都人からほめ讃えられると、佑太も内心は鼻高々です。
都人と接する機会が増えるに従って、宝は増々、美しさに磨きがかかってきましたが、客人が帰ると宝はすぐにうちきを脱ぎ、村娘の普段着に着替え水汲みをしたり庭掃除をして働きます。
『やっぱり、冬は猪。ぼたん鍋ですなあ。山の味や』
『採りたての芹はしゃきしゃきして、美味し、おますなあ』
『こんな大きい岩魚がいるのかいな。こんなんなら、お造りになるのやないか』
『醤油も旨いし、山葵もあるし』
働かず食べる日々がつづき、もともと大食家の佑太の大きな体は、増々大きく太ってゆき、歩くことさえも、億劫になってきました。
一年もすると、震えがしたり息苦しくなったり、脱力感で疲れやすく喉が乾きよく水を飲むようになってきました。
それでも村びとには、さらに『美味しいものはないのか』と無理難題を押しつける佑太です。

名張から津や伊勢へは、徒歩で約一日半の道のり。夜明け前に名張を出て、東の山の稜線がくっきりと浮き上がる頃には阿保。青山峠を越えて中川あたりで泊まり、次の朝も早めに出発すると津はもうすぐです。
伊勢の南、志摩地方はリアス式の入り江に恵まれた海岸ですから海の幸も豊富です。村人たちは月番で二人ずつ米を背負って、志摩の浜島あたりまで行き伊勢海老や鮑、さざえ、鯛や鰹などと替えて佑太に献上しました。
『弥太郎の伊勢海老はごっつかったのう。』
『儂の持ってきた鯛は、国司様もびっくりしとった。ほうびに扇子をもらっただぁ』
『こんだあ、伊勢神宮にも、寄ってこまいかのう。』
この月番は、村人たちにとっては保養気分の旅行でもあり、結構楽しんでいました。毎日が農耕に明け暮れる、変化の少ない山村の営みですから寄合いになると月番のことが話題の中心です。
佑太の屋敷には、あいかわらず入れ代わり立ち代わり都人が訪れています。宝の奏でる琴を聞き都人と話す日々は楽しく、体調がすぐれないというのに酒宴の毎日です。同じ客人のためには新しい食材をと、次から次ぎへと美味しいものを求め、さらには珍しい食べ物はないのかと佑太の望みには限りがありません。
佑太は、ある日オオサンショウウオの話を切り出しました。
『矢川の上にはオオサンショウウオという魚がいると聞いているが、まだ見たことあらへん。だれぞ捕ってきてくれ』
オオサンショウウオは、山間の渓流に住む有尾両生類。三億年の歳月を超えて生きつづけている「生きた化石」と言われる動物で、今では特別天然記念物ともなっています。
『国司様、<はんざき>をどうしなさるので。』
名張では山椒魚のことを「はんざき」と言います。これは体が半分に裂かれても死なないという、生命力の強さから出た名前です。この生命力の強さの源泉は、内臓の三分の一が肝臓であり、寿命は三百年以上とも言われています。
『蒲焼きか、なんぞの料理をしたらエエのやないか』
山水園にでも放して、また都の来客者に自慢でもするのかと思っていた村人は、食べると聞いて、びっくり仰天しました。
『国司様、<はんざき>は捕れねえだぁ』
『なぜか。お前達は、魚を捕るのが上手ではないか』
『捕まえるだけなら国司様でも、でけるだが………』
<はんざき>は神様の遣いだから、それだけは、ご勘弁くださいますだ』
村人は山椒魚を水の神様の遣いと信じています。いつもは従順で素直な性格でも、誰ひとりとして、お屋敷に持って行く者は居ませんでした。
一度欲しくなったら気持ちが押さえられない佑太。自分でオオサンショウウオを捕りに行くと言い出しました。まわりがいくら止めても聞きいれず、ついには太刀を振りかざして案内しろと言う始末です。

佑太と十二人の一行は滝に向かっています。
名張川の両岸は菖蒲の花が緑と紫の彩をなし、真青な空を映した川面は木漏れ陽を照り返してキラキラと白く輝いています。あちこちで鮠が飛び跳ねています。
土手では、七、八人の子供らが輪になって唄い、狐遊びをしています。輪の中には、両手で目隠しをした鬼になった五、六歳の女の子が座っています。
『源五郎はん 源五郎はん 山へ行こうか まだ寝てんね 源五郎はん 源五郎はん 山へ行こうか まだ起きたとこや 源五郎はん 源五郎はん 山へ…………』。
名張川から宇陀川を渡り、支流「矢川」にさしかかると、「ホー、ホケキョ」鶯の声が、どこからともなく聞こえてきます。田圃の稲も今年は順調に育っているようです。こんな長閑で柔らかな空気の中でも、村人の気分は重く、キリキリと音をたてて、胸に穴が開くのではないかと思うほどです。丈六、一の井を過ぎると、左手に山が迫ってきて、矢川の石も岩が多くなってきます。ここからは、川沿いに道はなく足下に熊笹の生い茂る天神森。風で触れあう樫の葉や笹の音が、天秤棒に大きなタライを釣り下げた村人たちの重い足取りを、さらに重くしています。
天神森を下ると川の様相は溪となり、岩肌が剥き出しになった長坂の道。溪川のせせらぎの音が右手に大きく聞こえはじめます。野鳥の声が響き、空には鳶が弧を描いています。二時間ほど歩いた頃、切り立った妙法山の絶壁が正面に見え、路はなお険しくなり、村人たちと佑太の耳に滝の落ちる音が聞こえて来ました。佑太は自分で言い出したことですので、長い道のりにも拘わらず文句ひとつ言わず歩いています。
『遠いのやなあ。水の落ちる音が聞こえるが、もう近いんかいなあ』
屋敷を出発してからここまで、誰も口を開く者はいませんでした。道案内として同行した猟師の源蔵が独り言のように応えます。
『滝の音が聞こえるだぁ。この坂は長坂、いうのんやけど、この坂を上りきったらもうすぐだ』
『…………』
『長坂はここまでだ。あとはずっと滝がつづいているだぁ』
やっと滝の入り口に着きました。岩盤が露出した滝口の路を一歩入ると、水しぶきが大気に溶け込みシンとした冷たさが肌を包みます。杉、檜の大木の下は、イワヤシダなど湿地帯の植物が鬱蒼とし、日の光が遮られ、岩は苔むし、割れ目からは水が湧きだしています。
「ザッザッザッザー」滝の落ちる音が真近に聞こえてきました。
暗い木立をぬけると、そこだけ空に、ぽっかり穴が開いたような行者滝に着きました。
猟師の源蔵でも二、三度しか来たことのない滝です。椿の木があり、大きな淵の向こうには八メートルあまりの大岩があります。碧い淵と大岩という神々しさに、村人たちは思わず手を合わせて滝を拝みました。
『さあ、ぐずぐずせんと、オオサンショウウオを探すんや』
手ごろな岩に座ると、佑太は、さっそく村人に言いつけます。
しかし誰も動こうとはしません。さらに大きな声で佑太は命令します。
『なにをしているのや。ほら、そこに居るのは違うのかいな。はよう、捕まえんかい』
確かにたくさんの山椒魚が居ます。村人たちは、水辺で腰を引いて、ただざわざわと怖気づくばかりです。
『やっぱ、<はんざき>は捕れん』
『罰が当たったら、どうする』
山の神様は、春になったら里に降りてきて田の神様となる。田の神様と水の神様で百姓は生きている。農耕に生きる村人にとって、水神様の遣いを捕ろうなどということは恐れ多くてブルブルと震えはじめました。
その時、ちょうど滝に打たれ修業をしていた役小角が、この騒がしさに気付き、カッと目を見開いて佑太に向け一喝しました。
『なにをしている。 ここは清浄なる場所だ。静かにせぬか!!』
誰も居ないと思っている、こんな所での突然の声に村人たちは山の神様の怒りかと、おろおろして辺りを見回します。山の緑を背にした大岩の上には、浄衣を着た行者の姿が見えます。
しかし、藤原佑太は都の貴族ですから、役行者の一喝にも動じません。
「こんな山奥にいる、この痩せ細った人間は誰なのだ」という風に。
『オオサンショウウオを捕っているのや』平然と応えます。
『ばか者め、山椒魚は滝の守り神だ。触る事も、捕ることもまかりならん』
役行者の怒声にも知らん振り、聞く耳もたずと藤原佑太は、誰も滝に入らないのにシビレをきらせ、じゃぶじゃぶと水を蹴立てて進みました。
たくさんの山椒魚が岩の上を悠々と歩いたり、淵の背を、ゆっくり泳いだりしています。
いつもは静寂に包まれ、捕獲する者などいない神聖な淵ですから、佑太を見つけたオオサンショウウオは珍しいものに出会ったように寄ってきます。まったくの無警戒ですから、一二〇センチもある一匹も、大男の佑太に捕まってしまいました。
『ばち当りの愚か者!!』
役行者は大変怒り
『山を畏れよ!! 川を畏れよ!! 天を畏れよ!!』
『きっと災いが起るぞ!!』
と大声で叫びました。
佑太は、役行者の言葉を全く無視し、オオサンショウウオを抱え上げ、無造作にタライに放り込むと、村人たちに屋敷に持ちかえれと命令します。
こうなったら仕方ありません。村人たちは何はともあれ、早くこの場を離れたいという気持ちでいっぱいです。山椒魚は強い生き物なので、水がなくても死ぬことは無いとは思っていますが、急いでタライに滝の清水をいっぱいに満たしました。清水で満杯のタライは二〇〇キロ近くありますが、慌てて行者滝を後にします。
滝の音が小さくなってゆくと、ひと心地がつきましたが、天秤棒が肩に食い込みます。村人たちは揺らさないように、ゆっくりと四人が交代で屋敷への道を帰ります。
屋敷に近付くにつれ西日が正面になり、眩しさに目は足下にいきます。まるで通夜の行列のようです。四時間以上をかけて着く頃には陽は落ち、山は陰影のない濃い青墨となり、うす紫色した雲に向かって烏が山に戻って行きます。
『あー。疲れた、疲れた。皆も、ごくろうさん』
『料理するのは明日にしよう』
日ごろ、運動らしい運動もしていない佑太は、里から行者滝の行き帰りとオオサンショウウオの捕獲で疲れ果ててはいるのですが、久しぶりに仕事を成し遂げた充実感でいっぱいです。屋敷に着くと、その晩は直ぐに寝所に入り寝てしまいました。村人たちは、どうしようともできず山椒魚を井戸端の涼しいところに置き、タライの水を替えると、そそくさと逃げるように散っていきます。

その夜の事です。
シーンと静まり返った山里。月のない空は一面に星が煌き、遠くで何本もの流星が飛び交っています。突然、暖かい風がただよい始めると、急流のように雲がかかり妙法山の方から、赤く燃える星が轟音とともに飛んでくると、屋敷の上空五〇メートルで静止しました。
同時に、あたりは真っ赤になり、強い風が吹き降ろしてきました。杉の大木が、真っ赤な空に無気味な黒い影を描き揺れ動いています。風は強くなり、木々はバキバキと音をたてています。井戸の釣瓶も揺らぎ、タライは満杯の水をザーッと吹き上げ、箍が外れてばらばらに壊れました。

夜行性の山椒魚は、タライからノソリと踏みだし、方向を確認するようなしぐさをみせ、しばらくすると生まれ育った清流の匂いがするのか、名張川から引いた山水園の池の方へ歩みはじめました。井戸から家臣の住まう長家を通り、杉苔の敷かれた築山を越え、池の端に着くと、ゆっくりと佑太の寝ている神殿を振り返り、小さな目をキラッと光らすとスッスッスッスーと水面に滑り込み消えてしまいました。

屋敷の中には、雨戸の隙間から幾条もの赤い光りが射しています。寝所は真っ暗闇ですが、嵐のような外の様子に藤原佑太は目を覚ましました。
『おーい、誰か。灯りを持て、灯かりを』
大声で家来を呼びつけます。この声で起きた近侍たちが、がん灯、手燭を持ち対屋の廊下をけたたましく走り寝所に駆け付けます。
『いかがなさいましたか。灯りを持参致しました。』
近侍が灯かりで神殿を満たしても、なお佑太は
『灯かりを持て、灯かりを』と喚び続けます。
『殿、このとおり、灯りは持って参りました』
『暗い、見えんぞ。もっとたくさんの灯りを集めよ』
宝は屋敷中の火ダネを集め近侍たちに渡します。神殿はまるで昼のような明るさになりましたが、佑太は『暗い、もっと灯りを』と大声を張り上げます。
いま、佑太の耳には地鳴りのように地を伝わって、あの行者滝の落下する水音が聞こえています。
『ああああー。どうしたと言うのや』
畳を這い、両手を突いて起きあがると、雨戸を蹴破り、気でも違ったように佑太は神殿を飛び出し、庭に転げ落ちました。耳を塞いで大きな体をもだえさせる佑太。庭の白砂は赤く光輝き、波立つ山水園の池も赤黒く染まり、血の池地獄のようです。家臣たちは足がすくんで動けず息を飲んで見つめるだけでした。
風雨は夜が明けるまでおさまらず、赤い星は屋敷の真上に浮かんでいました。何の騒動かと村人が遠巻きに集まりはじめると、赤い星は、ゆっくりと動き、名張川に沿って妙法山の彼方へ消えていきました。

それから一ヶ月が経ち、目の悪くなった藤原佑太は、役行者が言った言葉を思い出しました。
『山を畏れよ!! 川を畏れよ!! 天を畏れよ!!
縁側に腰をおろしていても、真夏の日射しは、かなり強くなったと感じられます。いま、振り返ってみれば、名張の里に来てからの自分はどうしたのだろう。奈良の都には素晴らしい庭園や寺院があり、芸能や新しい文化に接することも多く、美しい女性や同じ趣味の友人たちも居た。あの頃は神仏を敬い、自然や生き物を大切にし、人からの尊敬も集めていたはずだったのに。名張の山里には何もなく、そこに暮らさなければならない境遇を恨み、何故こんな所に居るのかと、まわりの人たちにからみ権力でねじ伏せてきた。しかし、それは自分の勝手な考えだった。
『もう遅いのか』
ほとんど見えなくなった目に浮かぶのは、小鳥のさえずりが聞こえる春の山。芽吹きの頃の霞むような山々です。夏の木々を通りぬけてくる風の涼しさ。地上の天の川のような、川面いっぱいの阿清水川の螢。秋は香落渓の燃え立つ紅葉。白鷺が横たわるような雪の名張川。
『もう見る事ができないのか』
着任したころの、里の人たちの自分に向ける目も優しかった。考えれば考える程、もうやりなおしはきかないだろうかと悔やみ、役行者の言葉を噛み締めました。
「山を畏れよ!!」
秋には木の実で山の動物は冬越えの支度をする。人が毎日食事をするのも生命を維持し、健康な生活を送るためなのです。動物も植物も根本は同じ、これを忘れた鯨飲大食、飽くことのない美味への耽溺。自然に生えた木々を切り倒しての無謀な開墾が、崖崩れを起こし全滅した田畑もある。大地にしっかりと根をおろした木と、人の手の入った林とは違う。大自然は厳しく木々さえも鍛えているのに、それも知らず山を汚してきたのではないだろうか。
「川を畏れよ!!」
冬枯れの木々は、根元に秋の落ち葉を貯え春の芽吹きに備えています。腐葉土となった落ち葉は雨水を含み、稲や野菜を育む養分と恵みの雫を、たゆまなく田畑に流してくれている。生きるものすべてに必要な水。阿清水川や矢川のような清流に泳ぐ鮎や岩魚、何千、何万と飛び交う螢。名張の川は今もきれいだが、都の川にはゴミが捨てられ、流行病で死んでゆく人たちも多いとの噂も聞いています。そんな清流の神様の遣いを、私は食べようとした。なんと言う浅はかなことをしていたのだろう。
「天を畏れよ!!」
四季の移り変わりが農作物を作ります。筍は春しか出ないし、稲は秋にしか実らない、自然こそ真理なのだ。田畑が干上がるほどの日照と飢饉。何日もつづく豪雨による川の氾濫。大風や地震による家屋の倒壊。これは、天地、宇宙が語りかけているのではないのだろうか。どんな権力をもっても阻止することはできない自然。虫や獣より人は弱く無力に思える。そんなことが分からなかったのか。自己の欲望のため、自然への脅威を恐れながらも破壊し、いざとなったら、最も弱い庶民にのしかかるしわ寄せに見て見ぬ振りをしていたのではないだろうか。人は誰でも好きなことがしたい、贅沢もしたい。しかし、欲望の後の侘びしさはなんだろう。欲望にはきりがなく、一を得れば、二を望む、限り無く望めば、限り無く貧しいのと同じ不満が、心を苦しめる。季節なら冬の後には春が来るのに、欲望と満足の後には、もっと大きな欲求不満が起るだけだ。本当の幸せとは何なのか。小さな権力に慢心し、本当の豊かさについて考えたことがあったのだろうか。

ようやく、心の目が開けた佑太は、役行者に謝ろうと猛暑の中、宝に手を引いてもらって行者滝に向かいました。行者滝では、いつものように役小角が、滝に打たれ一心に祈っていました。
佑太は宝の手をほどき足さぐりで滝に数歩すすむと、水の中に座り込みました。
『これまでの言動が、いかに理不尽で、人々を振り回してきたか、ようやく目が覚めました』
『人の道がやっと解りました。有難うございました』
水の中に顔がつくのも気にせず、何度も何度も、頭を下げました。宝は、涙を目にいっぱいためながら、この一月の間、佑太が悩み苦しんだことを、初めて見る役小角に訴えます。
役小角はこの姿を見て、藤原佑太が本当に悔いている様子を知り、なんとか目を治してあげようと思い、一心不乱に「孔雀明王経」を唱えました。しかし、どうしても目は治りません。
呪術となった怒りは、山、川、天の力を巻き込み、役小角の霊力を、はるかに超えさせてしまったようでした。
役行者のいかなる努力でも治らないことを悟った藤原佑太は、これも自分の浅はかさの報いと宝に言い、名張の里にもどりました。

この一月の間に、家臣は、ひとり、またひとりと屋敷を去ってゆき、いま佑太に仕える者は宝しかいません。
佑太もうすうすは気付いていますが、まさか屋敷中に宝ひとりしか居ないとは思っていません。村びとたちは宝に(もう、国司様に仕える必要は無い)( 村に帰ってこい)と言うのですが、宝はそんな気にはなれません。
『いま、わたくしが国司様のもとを去ったら、国司様はどうして生きてゆけばよいのでしょうか』
こう言われると村人たちは、何も答えることができません。
いまでは都から屋敷を訪れる人はひとりも居ませんし、昔のきらびやかな面影もありません。山水園も雑草が生え、池は古池の様相です。いくら宝が働き者とはいえ、娘一人の力では大きな屋敷を維持してゆくことなどは、とてもできません。村びとたちもとても日々の暮らしに忙しく、宝のことをかばってやれません。それでも宝は、あの白砂を敷いた庭を耕し、二人だけなら何とか食べられるだけの野菜を作り、村の人々に頭を下げて少しの米を貰い、山の茸を採り暮らしています。
宝が頭を下げれば、村の人々は親切にはしてくれます。米も必要なだけ持っていってもよいとも言ってくれます。しかし、苦しい村びとの生活を知っている宝は、佑太の食べる分だけを持ってゆきます。
宝は佑太が残した米粒に野菜を混ぜた粥をすすりながら、佑太の面倒を見る毎日です。佑太も昔の佑太ではありませんから、目は見えないまでも今の暮らし向きには感じるものがあります。宝は精一杯元気な素振りを見せていますが、佑太は見えない目から涙が溢れ出しそうになります。
季節の移り変わりを宝は、言葉にして佑太に聞かせます。
『国司様、山水園の楓も色づいてきましたよ。反橋を歩いてみましょうか』
中島はススキの枯れ穂でいっぱいですが、佑太も宝を気づかい、その言葉に頷きます。
宝は一生涯は国司様に捧げ生きてゆこうと決めています。

そして二年の歳月が流れました。役小角が葛城山に帰ろうと行者滝で最後の祈りをしていると、佑太に捕らえられた、あのオオサンショウウオに出会いました。
役小角はオオサンショウウオが捕らえられた時、呪術をもって藤原佑太を懲らしめた話。宝という娘が、今では改心した佑太を、自分の命に代えて面倒をみていること。小角自身、目の病を治そうと祈っても、どうにもできないほどの強い力が、病を縛っていることなどをサンショウウオに話しました。
オオサンショウウオは言います。
『それなら……。藤原佑太を不動滝につれてきなさい』
小雪もようの寒い朝。役小角は藤原佑太をつれて不動滝に向かいました。二人は、凍った道を半日かけて上りました。不動滝は行者滝の奥、霊蛇滝の上にあります。その先には大日滝もあり、そこは神仏の領域で、役小角でも行ったことがありません。
小さな滝が氷の塊になっている真冬。高さ十五メートル、幅七メートル、滝壷の深さ一〇メートル、ゴウゴウと落ちる不動滝が目の前に現れました。満々とした滝壷の水は二〇メートル下の霊蛇滝の滝壷へと滑り落ちています。初めて見る、堂々とした水の量の滝と滝壷に、役小角は何か、そら恐ろしさを感じました。
役小角は霊蛇滝の真上、人ひとりが立てる小さな岩場に座り、不動滝を正面にすると自然に不動明王を呼び出す呪文を唱えはじめました。
『ノウマクサマンダザバラダン セナダ マカロシャダ ソワタラ ウンタラタカンマン』『ノウマクサマンダザバラダン セナダ マカロシャダ ソワタラ ウンタラタカンマン』
額の汗が顔に滴り落ち、全身から湯気があがるころ、ゴウゴウと落ちていた滝は嘘のように唐突に止まりました。そこには、あのオオサンショウウオが、ゆったりと泳いでいます。滝壷の水が、ゆっくりと渦を巻はじめます。渦は次第に激しく回りだし、滝壷の水が盛り上がり、柱となり空に立ち上がります。すると、水柱に乗ったオオサンショウウオは龍に変身し、竜巻きとなった水柱に巻き付くように舞い上がります。雷が光ります。上空に昇った龍は一変急降下し、役小角の顔面をかすめると、フッと見えなくなりました。全ての水は逆流した雨となり、空へと降り上げ、滝は二十五メートルもの真っ暗な洞窟となりました。

洞窟となった滝壺の底が見えます。底は心円の鏡面となり、白く光輝きはじめました。そこには、青い焔を背に、右手に剣、左手に綱を携えた、赤い目をした不動明王の姿が忽然と出現したのです。

不動明王は赤い目をした大きな牛に跨がっています。傍らには三、四歳の童三十六人と鋭い目をした猫が、こちらを伺っています。鏡面の外の暗い水の中には巨大なオオサンショウウオが一匹。よく見ると洞窟となった岩壁にも無数の山椒魚が張り付いています。
役小角は平伏すると、不動明王にいままでの経緯を話しました。
藤原佑太は見えない目を凝らし、右手の平らな岩場に正座しています。
黙って聞いていた不動明王は、急に右手の剣を高々と突き上げました。するとどうでしょう。剣の先から黄金色の光が飛び出し、洞窟となった滝壷の周囲をすごい速さで回りはじめました。耳を襲う音は、光りの動きに合わせた雷鳴の轟きでした。
この剣は知恵の剣と言い、衆生の三毒と言われる、むさぼる心「貧」、いかる心「瞋」、仏の教えを知らない愚かな心「癡」を滅する救済の剣です。飛び回る眩い黄金色の光は一条の線になり、突きささるように藤原佑太の目に降り注ぎました。佑太の全身も黄金色の輝きにつつまれ、ふわりと宙に浮かんで、また元の位置に戻りました。
すべてが消えた静けさがもどり、あたりは薄暗く、風の音さえ無い静寂が滝を覆いました。まるで時間が止まったか逆転したかのようです。
役小角は平伏したままです。
眩んだ目には何も見えず、真っ暗な世界に居ました。藤原佑太は気を失って岩場に倒れています。
……………………
どれほどの時間が経ったのでしょうか。蝉の音が聞こえています。
役小角の目に力がもどりだすと、不動滝は来たときと同じようにゴウゴウと水が落ちています。ただ、雪も氷もなく、青葉を通して陽光が燦燦と降り注いでいます。急いで岩場に倒れている藤原佑太を抱き起こし、滝の水を口に含ませると、佑太は息を吹き返し、目を開きました。
『あっ。役行者さま』
最初に見えたのは、頬のこけた髭だらけの顔。そして積乱雲のまぶしい、名張の青い空でした。

『夢ではない』役小角は初めて神仏の姿を見たのです。大日如来が人々を救うために、怒りの姿で現われるという不動明王です。いままで、心の目でしか見たことのない偉大な姿と力を両目で見たのです。
これは、藤原佑太を通して、わたしへの教えに違いない、わたしにも奢りがあった、わたしは病の災厄、貧しさの災厄、自然災害などに苦しむ人々を救済するために修業をしていた。それなのに、人を懲らしめるなどという気で呪術を使ってしまった。何と言う心の貧しさだ。
役小角は、あらためて自分の使命を悟り、そしてこの地に赤い目をした不動明王をまつる寺を造ることとにしました。
目が見えるようになった藤原佑太はひとり名張の里に帰ります。国司として赴任してきた時とは、ずいぶん景色が異なっています。渓谷の水も澄み切っているし、緑の木々もこんなにも青かったのかと感じられます。色彩という色彩に濁りのない透明感があります。屋敷に近付くと、崩れかかった土塀の前に、痩せ細った娘が、いまにも倒れそうに立っています。
佑太と役小角が不動滝に向かってから四カ月が経っていたのです。
宝はその間、食事も摂らず、ずっと土塀の前で佑太の帰りを待っていたのです。
宝のひたむきな優しさを山椒魚が守っていました。一年でも食べずに生きられる山椒魚が、自分の体力を総て宝に授けたのです。
『宝』
佑太は駆け寄ると、宝をしっかりと抱きとめます。
『今日からは、名張の国司として、山にも、川にも、天にも恥じない仕事をする』

『宝………』
あとは絶句して、ただ、ただ、二人は涙を流すばかりです。
佑太の国司としての仕事振りは、すっかり変わりました。村に何が不足しているのか、どうすれば村人が幸せになれるのか、都に掛合い、時代の賢者といわれる人達の意見を聞き、橋を架け、道を造り、川の護岸をし、実り豊かな村を創りました。
名張の里は活き活きとした笑顔で満ちあふれています。
そして、役行者が建立した寺にも心を尽くし大層な寄進をし、月に一度は宝とお参りをしました。そして立派な国司と慕われながら九十歳の天寿を全うしました。
村人は役行者が建立した寺を「延寿院」と呼び、滝は、龍が立ち昇った時に降った雨の滝の噂から「あめがたき」と呼んだそうです。
時代は変わって江戸時代、名張藤堂家の藤堂高次が目の病にあった時も、延寿院に参り、この赤目不動明王の加護によって回復したと伝えられています。
赤目四十八滝にきたときは、「延寿院」にもお参りください。きっと心が洗われますよ。     

 おわり