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3月13日の朝、この日誕生日を迎え28歳になった僕は、「これはすばらしい誕生日プレゼントだ!」と勝手に思いながら、一路パラリンピックの行われている、ソルトレイクシティへ向かいました。
シアトルからソルトレイクシティまでは飛行機で1時間半くらいの距離なのですが、時差が有るため、時計を1時間進めなければなりません。ちなみにアメリカ本土は4つの時間帯に分かれていて、太平洋側のシアトルと大西洋側のニューヨークでは3時間もの時差があります。ここでも又、アメリカの広大さを感じさせられるのでした。
まず最初に、会場であるソルトレイクシティについて説明しておきましょう。この町は、モルモン教なしには語れません。モルモン教とはキリスト教の一派で、非常に戒律が厳しい事で知られています。しかし、モルモン教独自の教えを持ち、その為に迫害されて来たという歴史を持っています。アメリカ開拓時代、各地で迫害されてきたモルモン教徒をブリガム・ヤングという人が引き連れてこの地にやって来ました。そして彼等が築いた町が今のソルトレイクシティです。従って、今も人口の50%はモルモン教徒であり、町全体が宗教色の濃い町となっております。彼らはその教えの為、とても温和で、町の雰囲気もその穏やかな気配が漂っています。そしてこの町は内陸に位置する為、海沿いのシアトルよりかなり南にあるのですが、気温は10℃以上低くなります。さらに空気が乾燥している為気温の変化が激しく、昼は上着無しでも平気ですが、朝晩はスキーウエアを着ていても寒いくらいです。
話は戻って、無事にソルトレイクに着いた僕ですが、まず最初に兵後さんのご家族に会わなければなりませんでした。幸いホテルに行くと直ぐに会うことが出来、その後皆さんと一緒に食事に行くことになり、日本食レストランに行きました。そこで久々に食べたお刺身は、言葉に表せない程の美味しさでした。しかも、たらふく食べた挙句、ご馳走になってしまい、お世話をするどころか、すっかりお世話になってしまいました。皆様、本当に有難うございました。
その後、翌日からのスケジュールを決め、翌朝いざ競技の行われるスノーベースン(スキー場)に向かいました。初めて観るパラリンピックだったのですが、驚かされたのはそのスキー技術のレベルの高さです。私達が観戦したのは、「視覚障害、立位、シットの部」のGSとSLだったのですが、皆、私の想像以上に速く、特に視覚障害の人の滑りは圧巻でした。ポールもガンガン倒しながら、とてもハンデがあるとは思えない速さで降りてきます。当然、並みのスキーレベルでは太刀打ち出来ません。その日は偶然、銅メダルを取った大日方さんの出場する日だったので、皆で非常に盛り上がって応援することが出来ました。
パラリンピックでは、選手をとても身近に感じることが出来て、非常にエキサイティングです。観覧席が前の方だったせいもありますが、滑ってきた選手が目の前を通過していき、ファンがサインを求めると、すぐその場で書いてくれてました。オリンピック中は警備が厳しく、とてもそんな雰囲気では無かったと言う事です。この一体感がパラリンピックの魅力だなあとつくづく感じました。

今回のパラリンピックは沢山のボランティアの手によって支えられたと言って良いでしょう。ソルトレイクシティ滞在中、町中至る所でボランティアを見かけました。大会開催中、警備・案内・運営などの様々なボランティアが大会をサポートしており、日本語のしゃべれるボランティアも意外に多く、何度も日本語で話し掛けられ、驚きました。僕自身、何度もボランティアに助けられ、道に迷ったときなどは、本当に親切に教えてくれました。ボランティアの人達は皆生き生きとしていて、その仕事を本当に楽しんでるようにみえました。この滞在中、僕はボランティアの大切さだけでなく、その楽しさをも学んだような気がします。
さて、今回ソルトレイクに行った第一の目的は、勿論兵後さんの応援だった訳ですが、皆さんもご存知の通り、残念ながら兵後さんは出場することが出来ませんでした。僕は兵後さんとは面識も無かった上に、今回のことでとても悔しい思いをされているのでは、と思っていたので、何と声をかけて良いのかとても不安でした。しかしながら、いざ本人と会ってみると、兵後さんは、僕の心配とは裏腹に他の選手のためにサポーターとしてアグレッシブに活躍されていました。兵後さんは「自分の事はとても残念だけど、これもとても大切な仕事だと思ってるから、今はこの仕事を一生懸命にしている。」 と話してました。僕は兵後さんの精神力の強さに、ただただ感動させられるばかりでした。パラリンピックの三色のマークはそれぞれMind,Body,Spiritを表しているそうで、「兵後さんほどの強い精神力の持ち主だからこそ、パラリンピックの代表にも選ばれるんだなぁ」と納得させられました。
今回、僕は兵後さんのお陰でパラリンピックの選手村の中にも入ることが出来ました。選手村のショップエリアには、申請をすれば誰でも入れるのですが、居住区には選手と一緒でなければ入る事が出来ません。兵後さんと一緒だった僕は、日本選手団の宿舎、食堂など普通では絶対に見られないところまで、見学させてもらうことが出来ました。選手食堂の中は色々な国の食べ物があり、中華は勿論キムチまで並んでいました。この食堂の味は、アメリカにしてはわりと美味しく、他のアメリカのレストランで散々不味いものを食べてきた僕にはかなり意外でした。さすがに各国からくる選手の為に、アメリカも気を使ったのでしょうか(笑)。実はここでも又、ご馳走になってしまったのでした。兵後さん、どうもありがとうございました!
そうそう、皆さんもご存知かもしれませんが、オリンピック&パラリンピックと言えばピンバッチが流行るんです。僕も兵後さんから、ちゃっかり日本選手団のピンバッチを貰いまして、はりきって付けていました。このバッチは販売されておらず、非常にカッコイイ為、いろんな人から「良いバッチだね、交換して欲しい!」と言われました。コレクターの間では、こういった非売品のオフィシャルバッチが、高額で取引されているということです。僕はとっても貴重な物を貰ったと、大のお気に入りです。兵後さんも沢山のバッチコレクションを持っており、見せてもらいましたが、一見の価値あり!です。機会があれば、是非見せてもらってください。
いよいよ最終日の夜、最後の締めくくりである閉会式を観に行った僕は、会場の入り口でバッタリ兵後さんと会うことが出来ました。閉会式用のユニホームに身を包んだ兵後さんは、とても凛々しく、さらに格好良かったです。ソルトレイク・オリンピック&パラリンピックを通しての最後のイベントの閉会式は、正に壮観でした。ステージ上にパラリンピックの聖火台が登場し、パラリンピック会長や選手の代表など様々な人々のスピーチの後、聖火が厳かに消えていきました。その途端、会場だけでなく周りのビルの屋上などから一斉に花火が上がり大歓声が沸き起こりました。周り中のビルから花火が上がるので、まるで花火に囲まれているみたいなとても幻想的な瞬間でした。その後、歌手のPatti Labelleのミニライブが有り、何人かの選手が一緒にステージでパフォーマンスをしたり、会場全体がノリにのってきた後、又も大きな花火があちこちから上がっていました。そして、フィナーレはパラリンピックのシンボルである「赤・青・緑」の勾玉を象った紙ふぶきが、大量の雪のように舞い、会場は大感動に包まれました。
代表スピーチの時、ボランティアの代表が「このパラリンピックは、選手は勿論多くのボランティアそしてファンが一丸となって盛り上げ大成功をおさめることが出来ました!皆さん、私達はやり遂げたのです!」と言っていたのが心に残ります。僕は、「パラリンピックの魅力は、選手からファンまでが一体となって盛り上げるこの充実感なんだなぁ」とシミジミ感じていたのでした。
その後、会場を後にしましたが、結局、何から何まで兵後さんとご家族にお世話になりっぱなしで「何をやっているんだかなぁ。」と情けない気持ちになりながらも「あ〜とっても楽しかった!」と一人大満足になりながら帰路へと着いたのでした。
兵後さん、スノーメイトの皆さん、僕をパラリンピックに連れていってくれて、本当にありがとうございました。
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