伊賀市・名張市広域行政事務組合 伊賀の国
 ホーム>> 特集 伊賀7市町村の歴史紹介>> 阿山町
阿山町 町花(ささゆり)
庁舎 今から、7千年以上前にさかのぼる縄文時代早期の石器が槇山地区で見つかっているほか、周辺の丘陵でも石器が採取されており、阿山町でもこの時代に縄文人が狩猟・採取の生活を営んでいたことや、また、円徳院の北中溝遺跡では、弥生時代の終わりから古墳時代はじめにかけての住居跡が見つかり、村の起源となる集落が形成されていたことがわかります。そして古墳時代には、伊賀地方最古の東山古墳をはじめ、宮山1号墳、御旅所古墳といった150基余りの古墳が河合川下流域の丘陵に造られました。奈良・平安時代には、貴族や大寺院による荘園が営まれ、特に玉滝や鞆田地区では、奈良・東大寺の荘園として開発が行われました。また、茶の湯が盛んであった桃山時代には、茶陶の水指や花入が槇山や丸柱地区で焼かれ、現在も伊賀焼の産地として知られています。
 阿山町の起こりは、江戸時代に藤堂藩に属し、明治維新後、廃藩置県により津県から安濃津県に改められ、明治5年に三重県が誕生したときに、阿拝郡に属しました。その後、同22年、市町村制の実施により河合村、玉滝村、鞆田村、丸柱村が発足し、同29年には、阿拝郡は山田郡と合併して阿山郡となりました。さらに、昭和28年に町村合併促進法が施行され、同29年10月、河合村と玉滝村が合併して阿拝村となり、同12月には阿拝村と鞆田村が合併し、阿山村が誕生。次いで、同30年2月、阿山村と丸柱村の丸柱、音羽が合併し、同8月には、旧鞆田村の小杉を柘植町に分離。そして、昭和42年12月1日に町制を施行し、阿山町が誕生しました。

目次へもどる

  ホームに戻る