「情熱大陸」というテレビ番組がある。 何年も前、その番組に出版社「リトル・モア」と川内倫子さんが取り上げられていた。 何かひっかかりがあった。でも放置。 そしてごく最近、本屋で川内さんの写真集に出会う。 そうなんだ。花火。 花火を見ている人や、花火の煙、花火の明かり、花火の時間のもつその雰囲気は特別なものがある。 花火自体よりもその花火がつくる時間が見てみたかった。
倫子さんの『花火』は見たかった時間がすべて、それ以上に写し出されていて、本を手にした時は瞳孔全開。大好きになりました。
写真集は何冊かもっているのだけれど、実物は未見。 楽しみに、楽しみに、福井まで車を飛ばす。が、途中道を間違える…。ひるがの高原?って?
「バカみたい」ではない金津の空の青さ。 澄んでいる。
展覧会のあった金津は、あまりにも静かで、空が青く、緑が濃く、念仏でも聞こえてこようものなら、私は逝っちゃったのかと勘違いしそうなくらい、雑味がない。 時も止まっているかのような、不思議な場所。
倫子さんの写真は3つの「パオ」のような空間にかけられていた。 その写真は、金津の空気と同じくらい静かだ。
写真は「瞬間」を切り取るものなのだけれど、倫子さんの写真はその対象の持つ前後のストーリーすらも切り取ってしまっている。
割れたガラスの写真。 何故割れた?割れる瞬間の音、割れた後の動き。そんなモロモロのことは頭に浮かばない。 その写真は割れたガラスの前後のストーリーを思わせるのではなく、その「割れたガラス」自体を思わせる。 そこに「割れたガラス」がある。時はその瞬間しかなく、何かを思うのであれば、ただそれを見て思え。 そして、澄んでいる。 縊られて血をしたたらせている鶏も、その瞬間では雑味がなく、澄んでいる。 澄んでいて、美しい。でもあまりに澄んでしまっているものは、悲しく見える。 現実世界、そんなに澄み切ったものなんて存在するものでもなく、あっちの世界に逝っているように見えるのか、少し悲しく見える。 「カメラは魂を吸い取る」と、その昔言われていたらしいけれど、 倫子さんの写真は、ちょっと吸い取っちゃった写真のようだ。
森の中の美術館
倫子さんの写真は、日常を撮ったものが好きだ。 「手」だったり「ケーブル」だったり「洗濯機」だったり、本当にすぐそばにあるものが心惹かれるモノになるから不思議。