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体験談:交通事故脳外傷者とその家族

事故からの経過と現状 「壮絶なストレスとともに」

体験談:交通事故脳外傷者とその家族

事故からの経過と現状 「壮絶なストレスとともに」 (その1)

1 氏名、性別、生年


  S . I  男  昭和51年生まれ

2 住  所

  岡山県

3 受傷年月


  平成11年11月

4 事故の概要

  深夜、自分が運転する普通乗用車で職場の友人達とカラオケに行く途中、運転操作を誤りセンターラインを超え、対向車と正面衝突、意識不明の重態となり、救急車で救急病院に運ばれる。相手側、同乗者とも軽傷

5 治療の概要


 市内の病院に7ヶ月入院、意識不明43日間集中治療室。

12日間脳挫傷、びまん性軸索損傷左片麻痺、体幹失調、構音障害、18日目からベッドでのリハビリ開始(PT)、(意識回復後、OT STも加わる。) 

43日目親の呼び掛けに「ハイ」と答える。103日目流動食から経口食に移行する。113日目面会にきた友人と初めて会話らしい言葉が繋がる。

160日目初めて外泊許可をもらい、帰宅させる。以後、土、日曜日には、自宅へ連れて帰る。7ヶ月経過時点で本人の強い希望もあり、退院を決意し主治医に相談する。主治医の許可を得て、退院。

以後通院リハビリのため転院する。車椅子状態(歩行困難)、認知障害、記憶(記銘力)障害視力低下(左右0.04程度)、紙おむつが必要な状態。

右手不随意運動8ヶ月以降、リハビリ病院へ週2.3日通院する。PT OT STの訓練を受ける。9ヶ月目に入り、リハビリ医の紹介により大学病院心療科を受診以後投薬を受ける。

10ヶ月後半になり、ようやくひとり歩きができるようになる。(短い距離から少しずつ)

1年経過後、心療科への通院をやめる。(抗うつ剤の服用を止める)(本人の申し出により、医師の許可を得て。)現在、1年2ヶ月を経過、職場復帰を目指し、元の職場に体調の良い日に1〜2時間程度簡単な仕事を始める。リハビリ週1回となる。

症状の特徴

意識が回復するまでの間、ベッド上でよく動く(不穏行動)状態であり、途中からベッドをやめ、床にマットレスを敷いてもらい、その周りを囲いけが防止策を講じる。意識回復後も1ヶ月程度は、顕著な回復がみられず。80日経過付近から大声を出し、暴れる状態が頻発するようになる。3ヶ月ころ流動食から経口食に移行する。食欲に対する抑制が効かない状態となる。意識の回復が進むにつれて、暴言、暴力が起こる。抑制が効かない状態、暴言、暴力状態にこれから悩まされ続けることとなる。記憶、記銘力障害等の症状がいろいろな場面で起こる。4ヶ月半経過したころから状態の良い日と悪い日が交互に現れるようになる。

良い日:機嫌が良い。我慢ができる。言動が前向き、リハビリにも積極的、良く動き、良く会話する。人に対する感謝も表現する。

悪い日:暴言、暴力がある。我慢できない。否定的、不活発、会話がほとんどない。言動は自己中心的、対人配慮なし。自暴自棄、自殺願望

このような状態が今後延々と続くこととなる。
6ヶ月目には、上記の状態が一層激しくなり、神経科医師の診察を受け抗うつ剤の服用を始める。極度の興奮状態は治まったものの日変わりの状態は依然として続くこととなる。7ヶ月を経過した時点で、本人の強い希望もあり、退院し、通院リハビリに切り替える。リハビリ中にも体の重い状態が本人にとって一番の負担となっていたことから通院中のリハビリ医に相談したところ大学病院の心療科医師の診察を受けることを進められ、8ヶ月後半から通院、投薬を受ける。

 薬の種類を変えながら、3種類目の薬が効いたのか、10ヶ月過ぎたころから体が重い状態が少なくなり、気分も改善され、ひとり歩行が可能な状態となる。

しかし、このころから感情の大爆発が起こり始めました。まさに、次から次へと問題症状がおこってくるという状況です。2回/月 5回/月 8回/月 感情の爆発が起こり初めて4ヶ月目に入り、本人が「もう暴れないし、薬も止める。」と言い、このことを医師にも話して抗うつ剤の服用を中止しました。

薬を止めた月は感情の爆発は皆無であり、このまま改善に向かうのかと期待とともに不安を持っていました。しかし、年が明け2月がちかくなると職場復帰への思いが日増しに強まり、その気持ちを抑えられない状態となり、爆発、職場には現状と対応をお願いし、親がついて仕事に出掛けております。(軽作業1〜2時間)爆発とともに頭の中が混乱してきている状態が現れてきております。本当に、次から次へと対応に苦慮する症状が生起してきます。まだ、まだ気が抜けない日々が続くことでしょう。

 症状に対する家族の対応

入院中の7ヶ月は毎日両親が病室で付き添うという結果になりました。朝食前から夕食後(途中から就寝まで)、状態の悪い日には泊まることもありました。この理由としては、色々現れてくる症状が極めて異常、奇異(脳外傷に関する知識がなかったためでもありますが。)ともとれるような状態であったことと暴れることが多く息子をけがさせないためには常に誰かが傍にいなければならない状態であったからです。5ヶ月経過したころに「全国脳外傷友の会」が発足したことを新聞で知 り、早速新聞社に電話して、この組織と連絡をとりました。 ここで名古屋の「脳外傷友の会みずほ」を教えていただき、早速入会を申し込み脳外傷に関する種々の資料、書籍があることを知りました。ここから脳外傷についてその症状のこと、後遺症のこと、特に高次脳機能障害について学ぶこととなりました。ただ、知識として理解できても親として心のどこかにはそうあってほしくないという気持ちを払拭することがなかなかできませんでした。まさに、このジレンマのために付き添う親が肉体的な疲労に加えて、壮絶な精神的ストレスに晒され続けることとなりました。付き添う親が息子の障害を受け止められるようになったのは約1年経過してからです。現在では、これまでのことに比べれば現状はまだ良い方だろうと考えられるようになってきました。

8 このような症状に付き添ってきて考えること

入院中にリハビリを担当してくれた若いPT OT ST(いずれも女性) の人達が息子の症状を理解し、暗闇の中からの叫びともいえる息子の声と行動を真摯に受け止めて貰えたことは、親としてもどれほど勇気付けられたか判りません。また、種々の症状についての対応、外泊、退院の時期の決断等については、友の会を通じて知った同じような家族に相談して決めることができました。これも大きな心の支えとなりました。このような症状が現れるケースでは、母親がひとりで付き添うのは無理です。医療現場の対応の現状(限界)からみて、家族みんなが協力することが大切です。特に、付き添う人を孤立させないことです。9 このような症状についての親としての理解状況次の症状は、脳の損傷部位、またはその相関により起こっていることであろうと思っています。

身体的な問題:

歩行の困難性、現在2〜3Km程度歩ける状態です。まだまだ改善するものとおもっていますが、前後にぐらつくこと(平衡感覚)の改善は無理かなと思っています。たとえ歩行状態が良くなったとしても年をとると車椅子状態に逆戻りするであろうと思っています。右手の不随意運動(字がうまく書けない状態):数年後にはなくなってくるのかなと。

精神的な問題:

感情が度々爆発すること。抑制が効かない状態が起こること。思い込みが強く、こだわりも強い。これらはまさに高次脳機能の障害に起因する症状であると思っています。
これらの症状改善のためには、投薬が必要になる場合が今後もあるでしょう。根気よく、理解し易い方法で繰り返しその非を教えて行くことかなと思っています。その結果、本人が自分のこのような言動、行動が社会生活上の問題であることを自覚し、これらの症状に至る前に気がつき抑制する手段を身につけることにより改善されるものと思っています。しかし、このことを身に付けさせることが一番困難なことでしょう。

 まさに、専門的な知識と経験を持つ医療、福祉関係者の関与が望まれる段階です。しかし、現状では付き添い、見守っている人がこの役割をも担うことになります。暗中模索、思考錯誤の連続でしょう。


9 このような症状についての親としての理解状況

  次の症状は、脳の損傷部位、またはその相関により起こっていることであろうと思っています。

身体的な問題:

・ 歩行の困難性、現在2〜3Km程度歩ける状態です。まだまだ改善するものとおもっていますが、前後にぐらつくこと(平衡感覚)の改善は無理かなと思っています。たとえ歩行状態が良くなったとしても年をとると車椅子状態に逆戻りするであろうと思っています。

・ 右手の不随意運動(字がうまく書けない状態):数年後にはなくなってくるのかなと。

精神的な問題:

・ 感情が度々爆発すること。
・ 抑制が効かない状態が起こること。
・ 思い込みが強く、こだわりも強い。

これらはまさに高次脳機能の障害に起因する症状であると思っています。これらの症状改善のためには、投薬が必要になる場合が今後もあるでしょう。根気よく、理解し易い方法で繰り返しその非を教えて行くことかなと思っています。その結果、本人が自分のこのような言動、行動が社会生活上の問題であることを自覚し、これらの症状に至る前に気がつき抑制する手段を身につけることにより改善されるものと思っています。しかし、このことを身に付けさせることが一番困難なことでしょう。

まさに、専門的な知識と経験を持つ医療、福祉関係者の関与が望まれる段階です。しかし、現状では付き添い、見守っている人がこの役割をも担うことになります。暗中模索、思考錯誤の連続でしょう。

10 将来のために現在進めていること

このような脳外傷者(特に高次脳機能障害者)が社会から取り残され、家庭で孤立することのないよう地域のネットワーク作り(友の会)を進めています。現状の医療と福祉の仕組みでは、高次脳機能障害者(特に、若く一般就労を目指している人達)の可能性を引き出すことも、また、身体的な障害は回復しても高次脳機能障害ゆえに就労できない人を救済することもできない、まさに医療と福祉の谷間に置かれている状況です。脳外傷者への適切な対応がなされないため今まさに自殺、家庭崩壊、一家離散の悲劇が起き、起ころうとしています。また、見守る親の高齢化も大きな問題でしょう。 このことを地域から行政に訴える準備をしています。

投稿者(父)付記

この内容は、脳外傷者に現れる症状の一例にすぎません。脳外傷のもたらす症状および後遺症は、その損傷部位が同じでもあらわれ方が違うと言われています。まさに、100例あれば100様ということです。医学的知識は皆無、病院にもほとんど縁のない私が書き込んだことですので勘違い、思い込み等多く含んだ内容であろうことをご容赦ください。息子が社会復帰を達成するまでには、長い道のりが待っています。

 親が死んだ後に残される息子がと思うより、このようになった息子の将来を切り開いてやることに全力と尽くそうと思っています。もちろん、我が子のためだけでなく、同様の悩み、苦しみを持っておられる当事者及びその家族のためにも。節目、節目でその後について(その2、その3…)書き込ませてもらいます。

 暗闇の中から叫ぶ我が子の声霧の中でさまよう我が子のもがきいつの日か晴れ渡る大地をしっかりと笑顔で歩けるように

平成13年2月2日
                              父記