戻る


体験談:交通事故脳外傷者とその家族

事故からの経過と現状 「壮絶なストレスとともに」

体験談:交通事故脳外傷者とその家族

事故からの経過と現状 「壮絶なストレスとともに」 (その2

1 息子の症状の変化

今年1月末から職場復帰への準備のために元の職場へ短時間親が付き添って出掛けましたが、職場ではどうにか短時間過ごす事ができたものの、帰宅途中でパニック状態を繰り返し、結果的には2週間程度で止めてしまいました。

当然の帰結でしょうが、現実に直面して自分はできると思い込んでやってみるとできない、わからないの繰り返しがパニックに繋がったのかと思います。こうなるであろうということは解っていたことですが、本人の思い込みの強さと否定されることへの強烈な反発的な言動には抗しきれずに親として決断したことでした。失敗から学ばせることも必要かなとの思いもありました。その後は、動けない状態が10日程度続きました。

3月初めのある日の朝、「オヤジ、頭がすっきりしてきた。」と言ったことがありました。この日以降は感情の爆発もほとんどなくなりましたが、10日間周期で活動的な状態と非活動的(動けない状態でほとんど1日寝ている状態)な状態を繰り返すようになってきました。活動的な日には家庭における勉強、リハビリにも積極的に取り組むことができるようになり、順調に回復しているという実感を持てる時期がきたのかと思える毎日でした。

3月下旬には名古屋市総合リハビリセンターまで出かけ、主に高次脳機能障害についての診断と評価を受けてきました。予想していたとおり高次脳機能に係わる種々の障害がありました。特に、「びまん性軸索損傷」という欠損部位を特定できない損傷については予後の困難さを痛感させられました。「5年はかかりますよ。階段を登るように一歩、一歩段階的に回復へのステップを踏ませることです。」「当面は、人間関係を作れるように更生施設などへの通所などを考えられてはどうですか。」という助言もいただきました。
  

息子の状態をみながら身体障害者更正施設への通所の手続きを行い、6月初めから県立身体障害者更正施設への通所を初めました。施設の担当者からは「脳外傷の方が今までこの施設にこられましたが良い結果につながるとも言えません。」なんとも頼りない話ですが、これが実態でしょう。「息子には第3者の人たちと接することで人間関係をうまく作れるようになればと思っています。また、生活のリズムを作り、維持することも大切です。」ということをお願いして通所しています。身体障害者の施設であり、主に脳血管障害による身体機能改善を目指している人たちが入所しているところです。若い人はほとんどいないという状況です。

施設の対応としては理学療法士による運動療法及び作業療法室を利用しての各種の作業を行うことです。ただし、作業療法士は欠員のままです。認知リハビリへの計画的な取り組みはありません。心理職の配置もありません。したがって、高次脳機能障害に対する評価もなされておりません。脳血管障害の方も高次脳に機能障害を持った人が多いと思うのですが。

自宅、施設間の往復は、自家用車で送り迎えすることで初めました。途中、バス通所の訓練もしてみましたが、見当識障害があり、方向がわからなくなることと動作が極めて緩慢かつ右手がふるえる状態(不随意運動)があるため、まだまだ難しいと判断しています。結局は車で送り迎えすることで通所を続けています。

通所の時間はまったくフレックスタイムです。調子の良い日には、9時から午後3時ころまで、悪い日は休むか、短時間で切り上げて帰ることもあります。
  
8月初めには、今までに経験したことがない症状がありました。幻覚、妄想状態となり、ひとりの世界に閉じこもる状態、自殺の危険性も感じられました。まさに、分裂状態であり、全く目を離せない状態でした。

今までに暴言、暴力的な言動や思い込みが強く、固執することなどを経験したので、もうこれ以上のことはあまりないのではないかと思っていましたが、まさに少し気持ちを楽にして過ごしたいと思っていたら、この状態です。「少し気を緩めるとドカンですから」と話しを思い起こさせられました。

早速、通院している心療科の医師に相談したところ、「病院を紹介しますので、薬を合わせるために精神病院に入院させましょう。」ということでしたが、「できるだけ自宅で看てやりたいと思っています」と告げて薬を貰って帰りました。

1週間程度で極端な症状はおさまりましたが、幻想(過去のことに強いこだわりと思われること)をいつも追っかけているような状態が続きました。いくら現実を説明しても受け止めようとしません。少し落ち着いてくれれば「まあ、これくらいいいか。」という気持ちになります。2ヶ月くらい薬を飲んだいましたが、10月初めには以前にもあった「体が重い。」いう症状を訴えたのでこれを機会に薬の服用を止めました。10日程度体が重く、動けない状態が続きましたが、その後はまた活発に動くようになっています。依然として思い込んでいることとこだわりが強い状態にあります。

10月中旬に隣の県の脳外傷に詳しい医師の診断を受けてきました。画像診断の結果は「びまん性軸索損傷、前頭葉の損傷がひどい、側頭葉は右、左とも萎縮が認められる、脳幹部にも損傷がある。」というような状態でした。今まで何回も画像を見てきたので「そうですか。」という感じでしたが、画像は撮影の仕方によって症状が見つけ出せる角度があるのだなということは今回はっきりとわかったような気がします。ここはよく

理解している医師とそうでない医師とでは相当に診断に差ができるところでしょう。今後しばらくはこの医師の診断を定期的に受けながら評価も受けたいと思っています。まだまだ、これからです。

2 我が子の症状について親として受け止めていること

暴言、暴力的はことに悩まされてきましたが、この原因は脳の損傷によるものであるということは理解できるようになりました。しかし、1年間以上奇異、異様ともとれる症状には悩まされ、ついに付き添い、見守る親が「極度のうつ状態」となってしまいました。この体験談(その1)を書いているときもうつ状態からまだ脱していない状況でした。いろいろな症状について理解していても受け止めるということはまた別の問題です。理屈でない部分が多くあります。どうしても時間が必要でしょう。

家族としての障害受容の過程では正しい診断を受けることが重要と思います。早い時期に診断されても、医師が予後を予見することが困難でもあり、また、家族も障害を受け止める心の準備ができていないという部分もあります。我が息子の場合は精神症状に振り回されてきましたので、高次脳機能障害に起因する症状、特に行動障害が現れるまでに至らなかったことが上げられます。(いつも親が傍についていたために検証できるような場面を作れなかったということでしょう。)

少し落ち着いてきて、ある程度ひとりで行動できるようになってからいろいろな形で行動上の障害が見えてきました。この段階の前に一度高次脳機能の診断、評価を受けていたためそれほど驚くこともなかったのかと思います。しかし、8月の精神分裂症的な症状には驚かされました。このときは、脳外傷に詳しい臨床心理士に問い合わせたところ

「脳外傷者は一見分裂症にまちがえるような症状を呈することがあります。最近、現実直面がありましたか。」

「はい、確かにありました。事故前に付き合っていた女性のことを頻繁に言うようになりました。2度出かけてその女性が住んでいたところを探しましたが、見つけ出すことができませんでした。このことが相当にショックだったようです。」

「そのような場合は、当センターでは、精神科医師の診断を受け、少量の向精神薬を服用し、落ち着いたところでカウンセリングを受けさせるようにしています。」

との回答でした。

このことは脳外傷の関する書籍の中に書かれていたことを思い出しました。しかし、知識として持っているだけでは役に立たないという典型的な事例でした。実際にそのような場面に遭遇しないと解らないことです。しかし、教えていただいたとおりにはいきません。カウンセリングを受けるにも理解しているカウンセラーを見つけることができません。薬の服用を続けながら症状が緩和するのを見守るのみの状態でした。我が子の精神症状に翻弄された親としては、症状がなくなり、平穏な日々を過ごすことができることが現在の最大の目標です。精神科病院に入院さ せなかったのが良かったのかどうかはわかりません。しかし、脳外傷の呈する症状についてよく理解している医師であれば安心できるかもしれませんが、そうでない医師の対応次第では薬つ゛けになってしまいそうだという不安がありました。特に、認知機能に障害がある脳外傷者が薬によってなお一層認知機能を低下させ、結果的により大きな混乱に陥ることが怖かったからです。

いろいろありましたが、完全なうつ状態から私自身がどうにか脱することができたのは、「当事者と家族の会」を立ち上げることに取り組んだことです。この会を作る準備作業を通じて多くの家族と出会うことができました。準備を進めるための作業よりも悩んでいること、困っていることを話す時間が長かったように思います。しかし、このような機会を持つことができたことが良かったのだと思われます。1年以上ほとんど息子と妻と私という3人の世界だけで過ごしてきましたから悩みを共有できる人たちに出会えたのが良かったのかと思っています。マスコミなどを通じての呼びかけに対して30家族以上からの電話連絡がありました。また、医療、福祉関係者からも協力の申し出がありました。

7月1日の設立総会には130人以上の当事者と家族、医療、福祉関係者及び学識経験者の参加がありました。脳外傷と高次脳機能障害についての関心の高さと問題意識を持っている人が多く存在することに勇気付けられました。8月には会報第1号を発行しました。9月、10月と「当事者と家族の集い」を行い当事者の人たとからの悩みや家族からの悩みをお互いに語り合うことから初めています。このような会を通じて心の内を語り合える仲間との出会いが当事者と家族にとっての本当の障害受容への糸口となるのではないかと自分の受け止め方から感じています。現在、私自身家族としての障害受容の最終段階まできているのではないかと思っています。しかし、まだ、ひとりになるといいようのない悲しい気持ちになってしまうことがあります。まだまだ、でしょうか。

3 家族としてつらつらと考えること

最近マスコミでよく「見過ごされた障害」「見えない障害」という表現で伝えられています。私にはこの障害は医師からも福祉の現場からも「見捨てられてきた障害」であるという気がしてならないのです。どうしてこんなことが続いてきたのでしょうか。

最初に接する医師にとって手におえない患者については、「無理です。どうしようもありません。」また「命が助かって良かったですね。これ以上何を望むのですか。」と家族に押し付けてきたのでしょうか。福祉の現場でも「処遇困難ケース」として排除されてきたのです。精神症状がひどい場合には精神病院へ入院した薬つ゛けだったのでしょう。結果的に家族が抱え込み、一部の病院が抱え込み、この問題が社会問題化することがなかったのでしょう。まさに『封じ込められた障害』です。
  
このような状況の中で過ごしてこられた当事者、家族に対する社会的な偏見が育ってきたのかもしれません。また、当事者をかかえる家族の側にも偏見(ある種の思い込み)があることも否めません。このような社会全体としての係わり方が脳外傷者の存在を社会問題化することを阻んできた要因であるかもしれません。
  
しかし、最近のように車の性能の向上と救命救急医療の進歩のお陰で、交通事故による死亡者の数は減少しているといわれています。この影に、多くの脳外傷による高次脳機能障害者が生まれていることは統計などでは現れておりません。交通事故件数は年々増加していることから、当然脳外傷者は増加していると推測できます。
  
わが国でも実態に近い形で調査された結果があります。熊本大学医学部の脳神経外科教室が3年がかりで調査した結果です。熊本県下15医療施設を対象としたものです。この調査結果では、頭部外傷者の発生率は年間10万人当たり27人という結果が出ております。わが国の総人口を1億2000万人として単純に計算すると3万2千人以上ということになります。現在、交通事故による負傷者の数は年間100万人以上ですからこれくらいの頭部外傷者がいてもおかしくないでしょう。過去10年間ということになると30万人以上は存在することになります。
  
しかし、この人たち全てが高次脳機能障害を後遺症として持っているわけではありません。重度の人は2割程度と言われていますので、6万人程度は高次脳機能障害の後遺症がある人たちでしょう。しかし、軽度であっても高次脳機能障害を後遺症として持っている人は多いようですから頭部外傷(または、脳外傷)により高次脳機能障害者となっている人は少なくとも10万人以上わが国に存在するものと考えられます。
  
米国では530万人が脳外傷による後遺症を持っていると言われています。このうち、交通事故による人は約半数といわれています。それでも実に260万人以上です。人口の1パーセントですよ。このような調査がきちっとできているアメリカという国はすごいです。当然、治療、支援への取り組みはわが国より10数年先をいっているでしょう。
  
米国のように実態が把握できていないわが国の現状では対策が遅れるのも当然でしょう。また、外国の現状などから学ぶことをしない危機意識が欠落している国の対応からみても無理な望みですが。(最近は狂牛病に対する対応をみて特に強く感じますね。)当事者活動を通じて、国を動かすというのが私達当事者家族に求められていることではないかと思います。少なくとも1万人以上の当事者が声を上げれば国も動かせますよということでしょう。

4 当事者、家族としての今後の取り組みの方向について考えること

現在、脳外傷、高次脳機能障害の当事者、家族の会が少しずつ全国に立ち上がってきております。当事者活動も活発化しています。しかし、当事者会員の総数は2000人にも達していない状況です。まだまだ、埋もれている人、社会的に孤立している当事者、家族が多く存在します。少なくとも1万人以上の当事者が活動に参加するくらいの規模までならないと国を動かすまでいかないですかね。
  
国が実態調査をしないのであれば、当事者活動を通じて、呼びかけを続けることでしょうか。全国的かつ組織的な活動が求められます。当然、組織としての力(主に資金と人)が必要です。高次脳機能障害への関心を一時的な社会現象で終わらせないためには、継続した幅広い活動を展開、維持することが大切です。情報が氾濫している現在の社会状況からはすぐに忘れられるということを念頭に置いて活動すべきでしょう。
  
それではどういう形で活動、運動を展開していったらよいのでしょう。米国のTBIA、英国のHEADWAYなど参考になる脳外傷先進国があります。いずれも少数の家族が活動を初めたという点は共通していますが、その後の取り組みと展開にはそれぞれの国の特徴があります。この背景には医療、保険制度など社会福祉施策の違いがあるからでしょうが、いずれもトータルにシステム化されているような気がします。医療から福祉、社会生活への連接がとれた対策であるということです。

また、それぞれの段階で当事者家族が大きな役割を果たしてもおります。ボランティアの役割も大きいですね。わが国の取り組みの状況はといいますと全国に少しずつ立ち上げてきた当事者家族の会などの訴えてきたことが少しずつ動き始めました。
   
今年の1月には国土交通省が所轄する自動車の強制保険(自賠責保険)に高次脳機能障害が認定されました。また、厚生労働省が今年度から3年計画で「高次脳機能障害支援モデル事業」を開始しました。16年度からは一般施策に移行し、全国展開しようとするものです。いずれも画期的ともいえる国としての取り組みです。
   
しかし、実態としては、自賠責保険で高次脳機能障害を申請しようにも、診断書を書いてくれる医師を見つけ出すのが大変です。現状では精神科医師の診断を受けることになっていますので、理解している精神科医師が少ない現状では相当な困難を伴います。
   
また、モデル事業とは言っても当事者とその家族の会がすでにある府道県及び政令指定都市が主として参画しているという現状です。国としてことの重大さを理解しているのであればこのようなモデル事業の展開にはならないはずですが。中国、四国地方では参画している県は皆無です。この地方には高次脳機能障害者はいないと思っているのでしょうか。まあ、とりあえず、うるさいところを抑えておけという感じですか。これで一般施策化された後に希望と期待が持てますか。
   
最大の問題は高次脳機能障害に関する専門家の教育、訓練でしょう。全国に何人くらいどのようにして養成しようとしているのですかね。担当する方はがんばって勉強してくださいということでしょう。しっかりとした体制が整うには何年もかかることでしょう。否、体制が整わないまま、あるいは低いレベルで落ち着いてしまうかもしれません。現状とさほどかわらないことになってしまう危険性がありますね。ここはしっかりと当事者とその家族が望ましい形を訴えるような活動を展開することが求められています。また、国なり行政がやろうとしていることに意見が述べられるような方法についても訴えていかなければならないでしょう。

当面はモデル事業の推移を最大の関心を持って見守っていきましょう。私たち当事者と家族として今やるべきことは、組織的な活動ができるような当事者と家族の集まりを全国に作り、埋もれている当事者と家族を掘り起こすことです。これらの組織を集約した形での全国組織(会なのか、協会とするのか)に結びつけ、政治的な圧力団体となれるような組織とすることでしょう。
   
当事者をかかえて活動することは大変なことです。しかし、だれかがやってくれるだろうとか、国が面倒みてくれるだろうなどの他力本願ではどうにもならないような社会状況になっています。このような困難な時代には当事者と家族が力を合わせて自ら道を切り開いていくための努力と活動が求められています。

  
  後記
   
息子が受傷して以来間もなく2年になろうとしていますが、この間に学んだこと、日ごろ思っていることをぶちまけてしまいました。秋の夜長に一気に書き込んでしまいました。読み返すのはやめにします。次回は本当に何が問題なのかということを、少し冷静に考えてみたいと思います。

  平成13年10月22日                  

S.Iの父