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アメリカ脳外傷事情視察記
R.Yamaguchi
経緯(いきさつ)

2000.11.14(火)から11.25(土)にかけてアメリカの脳外傷をめぐる福祉サービスの実状とそれを取り巻くアメリカ社会について視察。今回の旅行はこの脳外傷問題ホームページの管理者でご自身が脳外傷の母親を抱えている女性からの依頼で実現。本来ならば彼女もアメリカに行くべきだったのだが、母親のケアーで時間が自由にならず断念せざるを得なかった。

私はというと通訳・翻訳・旅行業をしている。クライアントの依頼に応じて視察旅行、レポート作成・通訳・ガイドなどをする。外国人、日本人双方から仕事を受けるが円高その他の事情により最近は外国人特にヨーロッパからの依頼はやや減りがちだ。

今回の視察でまず率直に思ったのは、脳外傷問題への対応ということについて限定すれば、アメリカは日本の10年以上先を行っているということ。また、このサイトの所々で触れていくが、何故アメリカが進んでいるのかはその文化的背景を見なければ理解はできない。そこまで突っ込んで考えていくと、アメリカと日本の差は10年どころではない。50年から100年以上もの差があるかもしれない。

福沢諭吉が1860年、咸臨丸に乗ってサンフランシスコへ勝海舟とともに行ったとき、彼は当時の先端技術「電信」には驚かなかった。彼はむしろ民主主義など、その文化的背景に感動した。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という有名な文句はそのときの体験に由来する。

私の感想も同じだ。日本が遅れているのは、科学技術ではなく、むしろ国民の精神構造だ。閉鎖的な司法・医療とそれを許してしまっている国民の無関心が脳外傷問題への対応を遅らせている。今の日本はもう昔のような天皇を神とした中央集権国家ではないのだから、もうそろそろ民主主義に目覚めても良いのではないか。天皇が官僚にすり替わっただけの体制から一日も早く脱皮することが脳外傷問題に対する対応を速くするだろう。

(1日目)はるばるやって来ました、地球の裏側へ

アメリカ視察は体力勝負

ノースウェスト航空70便は関西国際空港を離陸後延々と太平洋を飛び続け、デトロイトでより小さな224便に乗り換え、ワシントンDCのロナルド・レーガン空港に着いたのが現地時間午後6時半。合計15時間以上ものフライト。着陸は2回ほどバウンドして左右に揺れたのでちょっとヒヤッとしたがとにとかく無事ランディング。やれやれ。余りにも長いこと座り続けて尻が痛かった。アメリカ脳外傷協会本部へ行くのも楽ではない。もしこれから行こうという方がおられたならば、事前にしっかりと運動をし栄養を摂って体力を養っておくことをお勧めする。何しろアメリカ東海岸は日本から見ると地球のまるっきり反対側なのだ。同行の宮田氏はぐったりしていた。

空港での思いがけない出迎えに感激

手荷物を受け取りさあどうやって空港から車で15分くらいの距離にある宿泊予定のホテルBest Western Old Colony Inn に行こうかな、と思案しながら歩いていると「Ryosuke Yamaguchi」と大きな紙に書いて一人の華奢ながらしっかりとした感じの眼鏡をかけた女性と背の高い口ひげの男性が出口付近に立っていた。I'm Ryosuke Yamaguchi. というと Oh, you are! I'm Alice Demichelis. This is Robert. Nice to meet you! Nice to meet you, too. と挨拶を交わし、ああアメリカに来たんだ、と実感する。国際脳外傷協会理事アリス・デミッシェルさんとその息子さんのロバート・デミッシェルさんである。ロバートさんは20年前子供の頃に脳外傷を負ったそうだ。彼もアレクサンドリアの脳外傷協会で働いている。

インターネットとはこんなにも便利なものか

電子メールを何回か交わし日程を調節して頂き、今日の訪問が実現した。一昔前なら果たして可能だっただろうか?第一見ず知らずの人間同士。電子メールなんて身元を偽ろうと思えばどうにでもなる。唯一の接点はお互い脳外傷という避けては通れぬ社会問題に取り組んでいるという点。使命感というものを共有していると言っても良いだろう。それは次の日、脳外傷協会のスタッフを紹介してもらったときに強く感じた。

それにしても、スタッフ達はとにかく若かった!女性に年を聞くのは失礼なので聞かなかったが、彼らは恐らく20代半ばか下手をすると前半だ。大学を出て間もないような印象を受けた。 Are you proud of your work? Yes! Satisfied? Yes! 自分の仕事を誇りに思っているか、満足しているかという問いに対し、元気良く「はいっ!」という返事が返ってきた。使命感に燃えている。目の光が違う!自信が全身にあふれている!ああ、日本もこうあったらな!と痛切に感じた。福祉を志す日本の若者も多いことだろう。一生の仕事として十分やる価値のあることだと思う。

脳外傷協会設立草創期のエピソード

ここで私が彼らに聞きたかった脳外傷協会草創期のエピソードを紹介しよう。アメリカ人は私の印象としては余り苦労話というものをしない。湿った話よりも陽気な話題を好む。そのためそう詳しくは聞けなかったのだが、彼らの活動が始まった頃は本当に大変だった。

アリスさんは一見60代半ばくらいのご年令だろうか。彼女によれば、最初の頃は誰も脳外傷を理解してくれなくて脳外傷を負った息子のロバートさんを抱えて本当に苦労されたようだ。街頭でコーヒーを売り、その代金を帽子で受け取る。5セント10セントといった寸志が入れられる。一日街頭で活動を続けても大したお金にはならなかったろう。脳外傷や他の部位にハンディーキャップのある身障者なら余計に大変だ。忍耐も限界に達しただろうし、冬は木枯らしが追い打ちをかけたろう。実際、私たちが着いたとき、アレクサンドリアは日本よりずっと寒かった。

アメリカ人の良いところはそんな逆境にあっても決して屈することなく、常に前向きに事態を打開しようとすることだ。脳外傷協会の彼女のデスク脇には、壁に政府の高官と話し合う姿、スピーチをしている姿が大きな写真として飾られている。(しまった!あの写真を背景にして机に座して仕事をする彼女の姿をフィルムに収めておくべきだった!絵になったのに!)苦節20年にしてようやく現在の段階にまでたどり着いた。今やアメリカ中に脳外傷協会がある。電子メールで、またフリーダイアルでちゃんと相談に乗ってくれる。

日本NPOの現状

日本はというと、闘いはまだ始まったばかりだ。1998年の3月25日に公布された特定非営利活動促進法(平成10年法律第7号)においては、法人税法第三十七条の項に、「・・・寄付金を支出した場合において、・・・損金の額に算入しない」とある。つまり、「脳外傷問題は非常に重要な社会問題だからそのNPO団体は公益性が高い。よってその団体への寄付金は損金として決済される」ということにはならないというのだ。企業が日本の脳外傷協会に寄付をしても何の得にもならない。また、同時にNPO団体の収入に対しても普通に課税される。これでは一体何のための非営利なのか公益団体なのか、と言いたくなる。

日本語モードから英語モードへ

ご厚意に甘えさせて頂き、宿泊先のホテルまで送ってもらった。さあ明日から視察が始まる。ある程度は医学用語も予習してきたが、果たしてちゃんと理解することができるだろたうか?もし大事なことを聞き逃してしまったらどうしよう、という不安がどうしても頭をよぎる。後で同行した宮田さんに聞いたのだが、私はアレクサンドリア滞在の最初の3日間は英語でうわごとを言っていたそうだ。確かに私はスタッフと英語でやりとりする夢ばかり見ていた。無意識のうちに頭を日本語モードから英語モードに切り換えようと私の脳は眠っているときでさえ活発に働いていたのだ。

ADAPT(社会適応)プログラム視察

ホテルへ向かう車のなかで、明日の予定が話し合われた。午前中は「 Adapt 」という施設(脳外傷患者が社会復帰をするため日常生活の動作を学習する)を訪れる。午後は手も足も動かせない身障者のためのパソコンを開発した研究者の説明を協会で聴く。その後、アレクサンドリア市近隣の郡からその地域で脳外傷協会活動を行っているメンバー達と話し合う。

朝9時30分、約束通りの時間にアリスさんがホテルまで迎えに来てくれた。「 Adapt 」はホテルから15分くらいの距離だ。暫く道に迷った挙げ句、だだっ広いハイウェイを走って学校のあるところで左に曲がるとそこに施設があった。アメリカは土地が広いので景色も建物もゆったりとしている。日本では隣との境界線をめぐってしばしば争いが起きるが、ここではそんなことはセコいことは起きないだろう。ゆったりとした空間の中に静かにたたずむその建物の中で、脳外傷患者達は社会復帰を目指して日々のプログラムに励む。日本ではこういった施設はあるのだろうか?作業所がそれにあたるのだろうか?ご存じの方がいらしたら教えて欲しい。ここに私たちが訪れた2000.11/15(水)のスケジュールを掲げてみよう。

Daily Schedule Wed. November, 2000

~ 09:30 : Sign In / Social Time
09:30 ~ 09:45 : Community Meeting
09:45 ~ 10:30 : Hygiene
10:30 ~ 10:45 : Break
10:45 ~ 11:00 : Exercise
11:00 ~ 11:45 : Self Initiation
11:45 ~ 12:00 : Journal
12:00 ~ 12:45 : Lunch
12:45 ~ 01:30 : Dress for Success
01:30 ~ 01:45 : Journal / Clean Up
01:45 ~ 02:00 : Break
02:00 ~ 02:45 : Recreation Time
02:45 ~ 03:00 : Prepare for Home

ちなみに、月・火・水・木それぞれの日の課題を掲げると、

Monday : Social Skills Day
Tuesday : Leisure Skills Day
Wednesday : Life Skills Day
Thursday : Self Advocacy and Career Day

アダプトでは二人の若い女性スタッフが6人の患者のケアーに当たっていた。患者6人に対して何と2人のスタッフである。うらやましい限りだ。

アメリカ脳外傷協会へ、スタッフの若さに驚く!

アレクサンドリア市には、街の景観を護るため歴史的な建造物を保存する法律がある。勝手に改築・増築ができないことになっている。脳外傷協会も例にもれず中世ヨーロッパ風の建物なので下手に改築ができない。建坪100坪ほど。3階建てだったと思う。身障者が頻繁に訪れるので車椅子が入れるように改築したいのだができないので2001年の春に引っ越しを予定しているそうだ。

脳外傷協会で働くスタッフをアリスさんに紹介してもらった。まず驚いたのがスタッフが若い人ばかりだったということ。ほとんど20代だったと思う。男女比では女性の方がやや多い。

一人に一台のパソコンがあり、もちろんインターネットでつながっている。患者や家族からのメール、電話に対応する人、メディア担当の人、渉外担当の人、統括する人など、皆やる気十分だ。日本も早くこうなったら良いのに、とうらやましくなった。

偶々午後会う予定の脳外傷患者を持つ家族とレストランで会う

お昼は脳外傷協会のすぐ近くにある、レストランとハンバーガーショップの中間のような場所でアリスさん、同行の宮田氏とともに昼食をとった。5ドルくらいで新鮮な野菜やらチキンやらパンやら結構食べられる。東京だったら1000円以上は絶対にかかるだろう。食事をしていると老夫婦と老婦人の3人連れが入ってきてアリスさんと会話を交わし始めた。その中の一人が Is it impolite to have lunch here before we are introduced? (紹介される前にここで食事をとったら失礼かな?)とか何とか言っているのが聞こえた。すかさず、Are they people we are going to see in the afternoon? (午後会う予定をしている人達ですか?)とアリスさんに聞いたらそうだと言うので、Nice to meet you. Nice to meet you, too. と挨拶。早速そのなかの男性から、
What is good? (ここは何がおいしいのですか?)
と聞かれ、私は、
Sorry, I don't know. Coming here is my first time, even coming to Alexandria is the first time. (いえ、ここは初めてなのでわかりません。何しろアレクサンドリアへ来ることさえ初めてなもので)
と答えた。

身障者のためのパソコン

昼食後、協会へ戻る。間もなく、話に聞いていたパソコンの説明に2人の男性が協会を訪れた。 (続く)