何といっても"学会葬"は変!?
正しい葬儀は大聖人の頃から僧侶が執行

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何といっても"学会葬"は変!?
正しい葬儀は大聖人の頃から僧侶が執行


御僧侶不在、在家だけで執行される学会葬――。

読経・唱題の導師を勤めるのも、御僧侶ではなく在家幹部。導師曼陀羅はなく、学会製のニセ形木本尊を斎場に持ち出して使用し、位牌には戒名ではなく個人の俗名が書かれる――、これが、「学会葬」「友人葬」「同志葬」と称される、現在の創価学会の葬儀です。

どうしても僧侶に来てもらわなければ脱会する、という会員のためには、ニセ僧侶が用意されていますが、これがまた、修行が厳しくて逃げ出した脱落僧や、還俗(僧侶をやめて在家に戻ること)して茶髪にしていた兄(あん)ちゃんが再び衣をつけた、というような者ばかり、そして、とんでもない料金が請求されることすらあるのです。

もともと日蓮正宗においては、御僧侶が日蓮大聖人のお遣いとして葬儀を執行され、その際、導師曼陀羅(御本尊)を御安置し、故人に戒名を授けて、懇ろに成仏へと導かれます。

ところが、昨今の学会は、この日蓮正宗の葬儀を、大聖人の教えとはまったく無縁の邪義であると、誹謗しているのです。その主な主張は、

@ 大聖人の時代には、宗門が葬儀を執行した、という事実はない
A 戒名は、江戸時代に既成仏教が金儲けのために始めたことで、それを日蓮正宗が取り入れたのだ
B 導師曼陀羅は謗法である


以上、三点のようです。

まず一点目の批判ですが、まるでお話になりません。そもそも、大聖人の時代から、きちんとした葬儀が行われていたことは、『宗祖御遷化記録』にも明らかなことですが、さらに、大聖人が富木常忍(ときじょうにん)に送られた御書に、

「御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、(中略)然る後、随分に仏事を為し、事故無く還り給ふ」(御書957頁)

と。すなわち富木常忍が、母の死去に際して、下総より身延山まで遺骨を抱持して参詣し、大聖人のもとで葬儀を営んだことが記されています。

さらに、日興上人御筆の『曽禰殿(そやどの)御返事』に

「なによりハ市王殿の乳母他界御事申はかり候ハす、明日こそ人をもまいらせて御とふらい申候ハめ。又聖霊御具足法花聖人の御寶前ニ申上まいらせ候」

とあります。つまり、日興上人が「明日こそ人をもまいらせて」お葬式をいたしましょう、と言っておられるのです。

次に、戒名が江戸時代に始まったという批判。これも、でまかせの大嘘で、戒名は大聖人の時代からあったのです。

その最初の事例は、大聖人が御父に「妙日」御母に「妙蓮」という御名を授けられていますが、まさしく、これが戒名なのです。

学会では、「それは法名(ほうみょう)だなどとすり替えていますが、戒名とは本来、仏門に帰依したときに授けられるもので、法名と同義であり、そのことは学会で出している『仏教哲学大辞典』にも出ております。

最後に、導師曼陀羅について、

学会では、「大聖人直結の方とする26世日寛上人の顕された御本尊の中にもやはり「五道冥官」等と書かれた導師御本尊が存しますし、そもそも、この「五道冥官」の語は御書の中(御書12頁)にも示されています。あまりいい加減なことをいうものではありません。

ともあれ、

「よき師と・よき檀那と・よき法と、この三つ寄り合いて祈りを成就し」(御書1314頁)

と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして御僧侶のお導師(よき師)、このすべてが揃って、初めて成仏を叶えていただくことができるのです。

この三つを揃えて執行されてきた正宗の葬儀を、詭弁を弄して誹謗し、勝手に作り上げた学会葬――、そのようなものを、大聖人がお認めになるはずがありません。学会葬こそ堕地獄の最直道といえましょう。