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     岡本定八(おかもとじょうはち) 藤堂 古伊賀 元祖窯 八代 岡本 定八
〒518-1325  伊賀市丸柱1−415
窯場рO595−44−1531  
展示場рO595−44−1446

伊賀焼は遠く奈良平安の頃に始まり、桃山期には上野城主筒井定次の伊賀焼育成により「筒井伊賀」の豪快宛然たる独特の茶陶境地が開けた。
 徳川初期 慶長年間に至り伊賀藩主藤堂高虎公、高次公(二代)の保護奨励により「丸柱」に陶窯は擁立され幽邃の極限に迫る優れた雅陶をものにし「藤堂伊賀」の一時代を風靡した。
 江戸時代に及ぶや小堀遠州、古田織部の作風は伊賀焼に融合造形の変化を躍動的なものにし、「遠州伊賀」の名声を後世に残すこととなった。
 こうして中世丸柱に幾多の陶窯あり、茶道華道の発展と共に気品ある伝統伊賀の時流を得た。
 丸柱の陶工初代岡本定八も前代の余流を継承し多くの名品を輩出しその面目は躍如たるものがあった。
 明和年間初来に時の藩主高凝公(七代)も陶郷丸柱の窯場を奨励したために陶窯は益々隆盛を極め、定八の作陶も更に姿形良き名陶を生んだ。
 「伊賀國」「丸柱制」の二印が復興し、藩公より御用陶工として、拝領印は陶師定八の拝領するところとなり、それ以来藩末まで御用品としては総てこれを刻し納めた。拙房に若干の遺作を蔵して往時を忍ぶものあり。
 これぞ伊賀焼と云われる豪快な陶韻風趣、勇渾に流れる「ビードロ」釉に醸し出される妙なる「緑青色奇釉」は、当屋敷の山地から採土し、今もなお松の薪と登り窯で焼きあげる。
 不肖八代定八は、この因縁の地に他より追従されることなく只々伊賀焼の源流を考究しつつ吾が祖師定八の作行を伝承している。
 願わくは一瞥のご高覧あれ。







伊賀水差し

信楽ににた土味ですが、よく焼かれ火色が素敵です。

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伊賀茶碗(商品番号d72−1)

よく焼き締まった茶碗です。
使い安く作られています。

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12×7.5p(直径×高さ)

価格 30000円(桐箱)