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「テ・アシ・クチの不満」 自己責任の明日 著:中村 元(地球流民) |
「住民参加のまちづくり(2)」 著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭) |
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テ・アシ・クチの不満
自己責任の明日 地球流民 |
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テとアシは、いつも不満だらけだった。 テが言った「何かあるとアタマのやつは、オレに重い物を持たせる。そのうえ、食い物を獲ってくるのもオレの役目だ。クチときたら、それを味わうだけで、うまいとかまずいとか勝手なことを言うんだ」 アシは言った、「そんなのお前はまだいいよ。オレはいつもみんなを支えるばかりだ。お前が女の乳房をいじっているときだって、オレは挟んでいるだけじゃないか。クチの奴はいいよな。キスしたり舐めたりできてさ」 クチが言った、「ちょっと待てよ、ボクだって最近はラーメンばっかりだ。それに妙に苦い薬や、熱いお茶を飲まされる。ボクはホントは毎日歌っていたいんだ」 みんなはいつものようにアタマを責めた。「おいアタマ、お前の政策は間違ってるぞ、もっと公平にやれ!もっと楽をさせろ!」 もともと政策なんてなかったアタマは、みんなの要求にうろたえて、なにも考えられなくなった。「そんなことはボクには考えられないよ。君たちの自由にしたらいい」そう言って布団をかぶって寝てしまった。 テは、それから自由に遊んで暮らした。重い物は持たなかったし、ときおり寝ているアタマを殴るのも面白かった。クチは歌って暮らすのが夢だったから、毎日歌を歌っていた。働き者だったアシまでが、オレも本当は休みたかったんだと歩くのを止めた。 そうして意味のない日々が続いたある日、みんなは自分たちがうまく動かないことに気が付いた。「ち、力が入らない・・・」みんなが自分の責任を放棄したから、体全体に栄養が行き渡らなくなっていたのだ。 テ・クチ・アシは、相談した。「何か食べなけりゃ」テはアシを手伝って、椅子から立ち上がった。アシが台所に行くと、インスタントラーメンがあった。テには袋が破れなかったので、クチが歯を出してテに協力をした。 でも、ラーメンは堅かった。「どうすればいいんだろう?」その時、寝ていたはずのアタマがつぶやいた「あの鍋を使うんだ。水の量はコップに2杯半、そして・・・」 台所で、テが一生懸命ラーメンを作っている間、アシは力を振り絞ってみんなを支えていた。いい匂いがする。出来上がりだ。テはクチにラーメンを渡した。熱かったけどクチは一心に食べた。そしてやっとみんなに力が湧いてくるのが感じられた。 アタマがまたつぶやいた「ああ美味しい」今日はみんなにも味が感じられるような気がした。クチだけではなく、テもアシも、声をそろえていった。「ああ美味しい!」 (おしまい) |
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住民参加のまちづくり(2)
村岡 兼幸 |
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前回、住民参加のまちづくりにとって大事なことは、できるだけ多くの人の意見に耳を傾けるシステムをつくりあげることであり、そのプロセスを大切にすることがでもクラシーの基本であると結びました。 その具体的な方法・手段の一つとして最近注目されているのが、ワークショップを用いた住民参加のまちづくりです。 ワークショップの特徴を簡単に述べると(1)横型のコミュニケーション。(2)みんなで作業しながら考えをまとめる手法。(3)市民参加の具現化などです。 しかし本当に大切なのは、このワークショップという方法を通して、自ら発言したことに責任を持つという意識が芽生えてくることです。これまでのような反対のための反対意見ではなく、自分の発言に責任を持った、多様な意見とでもいったところでしょうか。 このコラムの相棒である中村元さんの主宰する「でもくらしちずん」というまちづくり塾に参加したときのことです。テーマは「鳥羽のみなとまつり」についてでした。 小さなまちのことですから、鳥羽市民なら誰でもが知っている、でも、人ごとのまつりでしかなかったのかもしれません。 しかしワークショップという手法で議論をすすめていくうちに、そこに参加している行政マンも、企業人も、主婦も、若者も、それぞれの立場を代表する意見ではなく、「鳥羽市民としてまちをつくっているのは、私たちひとり一人なんだ」という意識が生まれ、我が事としてまつりを考えるように変化していきます。 そして議論のための議論に終わることの無いよう、話し合ったことを、みんながそれぞれに関わっている「みなとまつり実行委員会」に提案し、その結果変わったこと変わらなかったこと、何故そうなったのかを検証して、翌年につなげるというプロセスを大事にしているのです。なんと、現在は市から依頼されて、ある地域の区画整理事業に、このワークショップ方式を導入するお手伝いをしているとのことです。 これまで、「まちづくりは行政がやるもの」と、行政もそして住民も錯覚をしていました。しかし、地域主権がすすめば、それは「自己決定」「自己責任」がキーワードの時代になるということを覚悟しなければなりません。すなわち、全てのことを行政がするのではなく、また全てのことを行政ができるわけもなく、我々住民自身が、企画構想段階からまちづくりに力を発揮し、そして実際に様々な市民活動に関わってこそ、本来的な意味での住民参加のまちづくりに、一歩、一歩近づいていくのです。 (了) |
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