卒業記念作品「はじめの一歩」
はじめの一歩−3
青年会議所による市民まちづくりセンター機能開設の可能性について
デモクラシー運動から市民参加のまちづくりへ

社団法人 鳥羽青年会議所
1996年度理事長 中村 元



本年度鳥羽JCの理念は、「JCのまちづくり運動はデモクラシー運動から」であった。所信に述べたように、すでに国家や行政システムに多くのことを頼る時代ではなくなりつつある。 行政や法律、あるいは経済がまちや社会をつくるのではなく、人が文化をつくり、人がまちをつくり、人が社会をつくるということを今念頭に置かねばならない。
そのような理念の下、市民の生活圏を現在のまちの概念として事業を展開してきた「広域まちづくり推進委員会」が、世田谷区のまちづくりセンターの手法を鳥羽にも活かそうと考えて、中学生から主婦、漁業者、行政メンバーあるいは共産党の女性議員など多岐に渡る市民25名と、人数を限ったJCメンバーを合わせた約40名によって、2回連続のまちづくりワークショップを開催した。 
それは多分に試験的ではありながらも、鳥羽JCのまちづくりの歴史において、コミュニティーの意識を開発する方法として大いに画期的なことであったと感じる。
当初私は理事長として、あまり大きな期待を抱いてはいなかったのであるが、このワークショップの開催を通して、今後の新しいまちづくりに大切な多くの気づきと発見を得た。 おそらくここに新しい形の(真のデモクラシーを基本にした)市民参加型まちづくりのヒントがあると感じた次第である。
ここに、これを開催してくれた広域まちづくり推進委員会への感謝を込め、今後の鳥羽JCの活動に引き継ぐべく、本年度なりの考察を含めて報告する。



T. 小さなデモクラシーが未来をひらく
           〜97年度会頭所信    


 次年度会頭所信にある「小さなデモクラシー」の理念は、まさに鳥羽JCの運動の方向性を示しているものであり、鳥羽JCメンバーの多くがこれを理解していることであろう。
しかしながらいくら「小さなデモクラシー」の理念を理解しても、それを実行する方法にトライしなければ、次のステップに続かず、その運動も長続きはしない。
 特に地方分権推進に関しては、それこそ国民の手の届かないところにあるわけで、地域に根付いた鳥羽JCはまったく別の形(自発的にできる形)で、地域主権に近づくことを行っていかねばならない。
それは市民運動とか市民会議とかいうレベルではなく、まさしく次年度会頭所信にあるように「公共のことはみんなでやる(考え行動し責任をとる)」というような、実際的な参加を意味しているのであろう。
それを可能にしているのが、世田谷風ワークショップだと感じた。
 世田谷区のまちづくりセンターは、行政主体の第三セクターにより運営されていて、さまざまなまちづくり市民活動のサポートを行っているのだが、その一つとして、行政がどこかの開発や改修をするときに、そこに住みそれに興味のある住民に集まってもらい、住民レベルでのまちづくりの視点から意見を集めるというようなことを行っている。
そして意見を集める手法としては、参加者が自主的に公の意見を言うことができ、しかも地位や声の大きさに関係なく意見を出せるKJ法などのワークショップ方式を多用している。(JC内部でやっているまちづくり勉強会となんら変わりがないのだ!)

 ここで大切なことを整理すると、以下の4点である。

1)行政が住民の意見を基にして、それから計画をつくっていること。
2)対象事例に対して、利害関係のある人や○○会の重鎮だとかは関係なしに、純粋に興味 のある人を集めていること。
3)参加者全員に意見を言わせることを重要視すること。
4)参加者に参加者意識を与えることによって、責任を負わせること。 

 これは、行政の召集する「審議会」や協議会であるとか、いろんなまちでJCが立ち上げた「市民会議」とはまったく違う発想であることを認識せねばならない。。

U. 先に意見を聞く〜規制緩和

 まず、審議会などはいくつあっても、しょせん行政の提案があってそれに対して批判をするだけである。ひどいのになると、「広く市民の意見を聞く」という上位行政からの指導によって、審議会とほとんど同じメンバーを集めて意見聴講会を開き、アリバイ工作のようなつまらない時間を費したりもすることもある。

 しかし世田谷まちづくりセンターのシステムは、先に住民の意見を聞いてからプランニングにかかるのである。
 おそらく計画をつくる行政の方も、できあがった計画に関しての責任逃れが「市民の声を尊重した」という形でできるからありがたいはずである。
 ただし問題点は、その住民からもらった意見が、国からの補助金の条件枠に入っていればという前提の下でしか、行政もありがたくはないということを見逃してはならない。
 このまちづくりセンターのシステムは、規制緩和、地域主権(地方分権)推進、縦割り行政の改革など、今まで日本JCが提言してきた大きな社会運動に密接につながっていると感じるのである。

V. テーマ別参加型によるセンター機能

 一時期流行った市民会議もなかなかうまく機能してくれない。なぜなら、その中心的メンバー(理事など)には、結局市の審議会の常連のような人たちを入れなくてはならないからである。
 また、主旨も目的も大きさも違うたくさんの市民団体の歩調を合わせることは難しく、さらにまちの重鎮たちは商工会議所や商店会などの利益団体であることが多いのである。
 だから折角つくった市民会議も、年ばかり取った重鎮達が場所を空けてもくれず硬直化し、さまざまな団体の主催者達はそれぞれの立場で意見を述べることだけに終始しはじめて座談会化し、結局は何かを生み出すことよりも、参加者のお世話と運営だけに日々を追われるという結果になってしまうことが多いのである。

まちづくりセンターが開催するワークショップの注目すべきところは、「テーマによって、興味や意見をもっている住民が参加する」というところにある。
 常々私は、「JCと市民・行政対市民という考え方はおかしい。JCメンバーも行政マンも政治家も商店主も、みんなまず市民であり、そこから始めるのがデモクラシーだ。」と言い続けてきたのだが、世田谷まちづくりセンターの、「興味や意見を持っている人ならだれでも参加できる」というシステムこそ、JCや行政などの所属以前の市民からはじまるデモクラシーだと感じた。
 例えば、もし開発計画の地権者やそこで利害関係のある市民あるいは市の担当職員がこのワークショップの中に入っていたとすれば、回りはみんな市民ひとり一人であるので、彼も利己ばかりいうわけにはいかず、一市民としてまちのあるべき姿を語ってしまうことになる。
 つまり全員が市民になれば、対立概念がなくなるのだ。
 実際、本年度行われたワークショップでも、中学生が弱者対策を訴え、共産党の先生や主婦がまちの経済的利益を語り、行政マンが自分たちの計画したものを否定する方向の意見を述べ、そしてJCメンバーは最初に予定していたシナリオどおりに行かないという、嬉しい誤算のオンパレードであった。みんなが所属や立場以前に鳥羽の市民として意見を述べた結果であろう。
 これこそまさに個として社会を考える地球市民意識によるデモクラシーである。


W. センター機能としてのシンプルな運営

ワークショップ方式には、参加者をいつまでも面倒みなくてもいいという最高のメリットがある。半年とか1年とか、あるいは5回のワークショップとか、目的を達成したらそれで解散できる。またメンバーがテーマに対して過剰な知識を持つ必要がないことも特徴である。つまりワークショップをいくつも平行して同時期に開催することも可能なのだ。
 これが運営を楽にしている。

同じ例が、本年度行った「生涯学習のセンター機能」の構築である。昨年まで鳥羽JCは3年間「まちを愛する子供たちを育てる生涯学習事業」を形を変えて開催し評価を受けてきたが、それに参加する子供の数に対して、毎年計画を構築する労力や、捻出する事業費、メンバーの人数など、そのコストパフォーマンスの低さが目についていた。
 それで、本年は第二次夢ランド構想(92年策定)に基づいた「生涯学習センター機能」をJCで構築した。10数の団体や企業に鳥羽らしい生涯学習をお願いし、JCではそのメニューパンフレットをつくってPRし、子供を集めたり受付をするだけというセンター機能の形をつくることによって、立派な生涯学習センターという建物がある地域よりも、鳥羽の企業や団体のボランティアによる水準の高い生涯学習がそろったのである。
 JCのような金もない、人もいない、会場もない、新しい生涯学習を考えたりノウハウを蓄積したりする時間もないという条件の下でも、「センター機能」という目的に合わせた機能さえつくれば、そのコストパフォーマンスは大きくなる。
 まちづくりセンターもしかりである。建物や運営ではなく、目的と機能を優先しているからこそ、コストパフォーマンスが高くなっているのだ。
目的に対するコストパフォーマンスをたかめることが、JC自己改革への道のひとつである。

X. 対立概念を無くす〜発言のチャンスの平等

 市民対行政という構図は、すべての考えをお上に頼り、出来てしまったモノに批判と反対を続ける、そしてどぶ板選挙を支持した市民だけが市議を通じて行政サービスを受けるという、最悪のシステム民主主義を招いている。
その根元は市民の意識にあることは間違いないのである。しかしながらそのようにしか振る舞えない状況に市民が置かれてしまっているということも事実である。
意見をいうチャンスもなく、大所高所に立って考えるチャンスもない。もしそんな市民のだれもに発言のチャンスを与えることができれば、市民はそれなりの責任をもって発言し行動するようになるのではないであろうか。 
 今回のワークショップを通じて、デモクラシー運動を標榜する我々JCの目のつけどころは、そのあたりにあると感じた。

世田谷まちづくりセンターは、JCの内部的な勉強会で使うKJ法やブレーンストーミングに似た、だれもが平等に意見を述べ発表できるるチャンスのある手法を使っている。 次年度会頭所信にも「小さなデモクラシー。それは、頑張る人それぞれに等しくチャンスのある世界」とうたわれているが、市民が自ら考えて発言するチャンスづくり、それはコミュニティーにおける「結果の平等よりも機会の平等(95年度サマコン提言書より)」の理念に他ならない。
しかもある程度公に意見を述べてしまうと、だれでもその意見に責任を取ろうとするのは明白である。機会の平等は頑張る行動の平等にもつながることだろう。

Y. 今後鳥羽JCがこれを活かすには

 JCがこのセンター機能を行政と共につくりあげていくのはいかがだろうか。
 おそらくまちの中でこの機能をつくるには、JCが最もいい立場にあるのではないかと思う。
 コストパフォーマンスにすぐれ、単年度でも展開が可能で、しかもそれに成功すれば、今までJCだけで考え提唱をしてきたことを、具体的に進める土壌ができるという次の段階にもすすめるであろう。
 特に、ワークショップのためのファシリテーターの養成は、さまざまなまちづくりや指導力開発のノウハウを、日本JCや他のLOMのメンバーから学ぶことのできるJCにうってつけである。
 また、世田谷まちづくりセンターでは、まちづくりタレントバンクという制度をつくって、まちづくりにたいする専門職ボランティアを募っているとのことである。
 これは建築関係・デザイン関係が多く、多趣味多芸なJCメンバーの能力を市民レベルで役にたてることができるシステムでもあるといえる。

さらに鳥羽JCが大切にしたいことは、先に書いたように、このシステムがうまく機能するには「規制緩和」が不可欠だということである。
 地域でJC活動を行っていると、ついつい自分の器の中で考えて身近なことにとらわれたり、社会づくりの理念を忘れて小じんまりとした事業の完成だけに目を向けがちみになってしまうが、このワークショップから地域主権が常に見渡せ、社会の方向性を市民の小さな意識から発見することが可能であると感じたのである。 Z. センター機能構築のポイント

 鳥羽JCが市民参加のまちづくりのツールとして、このワークショップを推進するにあたって重要なポイントは以下の点であると感じる。

1、市民の声を行政に確実に反映させるシステムをつくること。
これがなければ、いくらいい意見が出てもなんの行動にも改革にもつながらない。
 行政が進めようとしている事項の先さきにワークショップができ、その成果を行政の計画に反映できるように、行政サイドのメンバーと深くつきあうことが必要である。
また、JCが行政サイドから信頼を置かれることも重要であろう。
 実はこの部分の構築がもっとも難しい。
 何度も行政に足を運び、行政マンも市民の一人としてワークショップに参加させるような地道な努力が、システムを花開かせるコツであるのかもしれない。

2、センター機能としての立場を重視する。
 JCの事業として重要なのは、ワークショップを開催しそれを成功に導くことではなく、そういったシステムなり機能を鳥羽市に構築することである。
 JCが必死になってひとつ一つの事業をおこし、評価を得ても評価だけでは意味がない。その後のまちの運動として進化していったり、この場合は例えば行政主体の第三セクターによる市民まちづくりセンターができれば、結果的にはJCの運動としてはベストなのである。そのためには「機能」を重視した事業展開をおこなうべきであろう。

3、ファシリテーターの養成。
 鳥羽JCメンバーの2割以上のメンバーが、信頼できるファシリテーターになる必要がある。それは担当委員会だけではなく、興味があり能力のあるメンバーであれば誰でもよく、できるだけ早く他団体で活躍するOBや行政マンにも拡大するような方向性をもつことが、新たな展開をよぶことになるであろう。
 また、新たな手法を開発することもJCに求められているのかもしれない。

4、興味のある市民、意見を持った市民の発掘。
 ワークショップ参加者をこちらからお願いするのではなく、広報とばなどに掲載するだけで50〜100名程度の市民がランダムに集まるような有名なものに仕立て上げることが重要。
 鳥羽のように狭いまちでは、役職者もぜひ参加せねばと感じるものに組み立てることも可能である。

5、具体的な問題を抽出し、複数を平行して行う。
 このワークショップでは、取り扱う問題をあまり大きくしない方が、成功するものであると感じた。
 最初から過度な期待をかけて、例えば「伊勢湾口道路の展望とまちづくりについて」などを話題にしても意見や意識が四散してしまいそうである。
 身近で具体的な複数の問題を平行して行うことから、大きな意識に発展すると期待する方がいいであろう。

6、JCがビジョンと情報をもつこと。
 ワークショップ自体は市民から広く意見を集めまとめ上げることであるが、出来る限り良質の意見交換ができる土壌を作り出すために、JCはテーマに対して何が論点であるかどんな時代の流れがあるかなどを的確に展開できる確固たるビジョンを持っておらねばならないだろう。
 まちづくりワークショップはどこまでいっても単なる手法としてのシステムである。そこからまちづくりの大きな指針が出てくるものではないと理解すべきで、まちの将来全体を見通した大きなビジョンをつくるには、また違った形のシステムの構築が必要である。 よってJCは常にワークショップを開くためのまちのビジョンを持っていなければならないのである。



中村 元:1996年10月作成

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(C) 1996 Hajime Nakamura.