滝原宮(たきはらのみや・たきはらぐう)

◆御鎮座地:度会郡大紀町滝原(わたらいぐん たいきちょうたきはら)
◆解説:志摩市の伊雑宮(いざわのみや)と並んで、遥宮(とおのみや)と称されてきた。宮川の中流域にある。

中世に成立した神宮御鎮座をめぐる説話集である『倭姫命世記』(やまとひめのみことせいき)には、
その処(ところ)従(よ)り幸行(みゆき)するに、美地(よきところ)に到り給ひぬ。真奈胡神(まなこのかみ)に、「国名(くにのな)は何ぞ」と問ひ給ひき。「大河(おほかは)の滝原(たきはら)の国」と白(まを)しき。
【(倭姫命は)そのところ(三瀬谷・みせだに)からみゆきされて、よいところに到着された。その土地の神である真奈胡(まなこ)の神に国の名前を聞かれたところ、「大河の滝原の国」と真奈胡の神はおっしゃった。】 とある。
特色としては御船倉(みふなくら)があることとされる。(写真)

船は、宮川の水利や周辺に多くの滝があることと関係があるのではないかと考えられている。
また、この地は、熊野街道沿いにあり、荷坂峠(にさかとうげ)を越えると紀伊長島にいたり、錦峠(にしきとうげ)を越えると神武(じんむ)天皇上陸の比定地の一つである錦浦(にしきうら)にいたる。海岸部との接点もある土地柄となっている。
◆参考文献:日本書紀(新編日本古典文学全集、新訂増補國史大系など)/古事記(新潮日本古典集成など)/倭姫命世記(やまとひめのみことせいき・日本思想大系『中世神道論』など)

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