十和田湖保勝論


     十和田湖保勝論

武田千代三郎

 

 十和田湖の美、海内に冠たるもの、其の天工の精緻を極めたるにあり、湖四面青巒緑峯を以て圍まれ、其の東南の二方、地籍青森縣に屬して、湖上風光の最も佳なる所、山勢二大突角を爲し、湖底の噴火口を擁して直に水中に沒入し、危峭恠巖相連なり或は斷崖絶壁と爲り、或は溪澗江灣と爲り、突出しては岬角と爲り、飛んでは島嶼と爲り、沈みては磯礁と爲る、一石一磯の小に至るまで、老樹舊苔之に簇生し、水上尺寸の岩膚を露はさず、蓋し此の湖、水位の昇降甚しからず、且つ波浪の甚だ大ならざるに因るか、樹幹大ならず根株痩せたりと雖も、悉くこれ百年千年のもの、遠く之を望めは連山鬱叢翠緑滴らんとし、近づけば即ち岩石稜々、樹根蟠屈山猿懸崖に戯ふれ水禽汀際に眠る、此の如きもの蜿蜒數里、一崖の豪ならざるなく、一溪の幽ならざるなく、一石の奇ならざるなく、一木の珍ならざるなし、凡そ天下珍藏の名栽奇石を一地に蒐め、名工をして之を排置せしむるも、以て十和田の小型を擬する能はざるべく、百の雪舟、千の探幽をして終生寫生に力めしむるも、亦以て十和田實景の萬分一をも髣髴せしむる能はざるべきなり。
 十和田湖の美天下に冠たるもの、萬古自然の神鑿鬼鑚に委かせ、未だ曾て人間の凡手を觸れざらしめたるに在り、之を譬ふれば、一幅の名畫粉黛殊に鮮にして、一蠹の痕なく一指の垢なきが如きに在り
、天下山の奇を以て鳴り、水の清きを以て識らるゝもの少しとせず、車道の通じ、鐵軌の敷かるゝや、別野之を追ひ、酒樓躡いで至り、凡人群來俗惡の手を逞うし、仙境は忽ちにして赤裸醜恠の凡地と化し、靈地は一朝にして絃歌淫楽の穢土となる、見よ盲目なる技術者は、一定の法式を墨守して山腹に曲線を畫かんが爲には、老樹古木に一握の土をも保有するを肯んぜざるにあらずや、水力一馬力の費を低うすること僅に一銅錢の爲には、幽谷深溪の美を破壞し去りて悔ゆるなきにあらずや、萬金を懸けて一片の骨董物を漁り、深く之を筐底に秘して矜りとする者、天下其の人に乏しからず、一山一水の竟に私すべからざるや、滿山一朝に禿け、全湖一夜に涸るゝも之を對岸の火災視せざるもの、天下果して幾人かある、嗚呼千斧の恐るべきこと一蠹魚に如かず、萬斤の爆藥又竟に一銹一垢の微に如かざるか、甚しい哉、趣味の顛倒せるや、春麗かにして俗惡の廣告は滿山の花よりも多く、秋央ならざるに俗客狼藉して靈地紅葉を見ず、凡そ天下の名勝なるもの、此くして日に俗了し月荒廢す、獨り十和田に至りては乃ち然らず、遠く俗塵の寰外に在りて、煤煙揚らず異臭飛ばず、千歳の老樹は森々として天空を摩し、萬條の小溪は滾々として太古の調を奏し、氣清み日間にして、人をして元始の民たるの思あらしむ、此の地四圍山嶽重疊の中に在り、天之を惜み俗人を忌むこと極めて嚴なりと雖も、亦故らに路次を險ならしめて、老若の跋渉を難からしむるの愚を採らず、汽車を古間木に棄てゝ徒歩すれば、路は緩なる傾斜を爲し、絶えて凾嶺の峻なく、又晃山の險なし、途に泊する一夜にして、身は早く既に太古の民となり、旦には野老を伴うて細鱗を湖上に釣り、夕には山童を走らせて鹽噌を樵家に乞ひ、淹留數日、眼を山水の美に樂ましめ、心を聖賢の書に養ひ、悠々自適塵界の煩を忘れんには、非の樂の至大なる、天下何物か能く之に如くものあらんや。
 十和田の美、海内に匹敵なきもの、獨り其の湖畔の美の天下に冠絶するものあるに止らず、奥入瀬溪流の美を湖水と爭ふものあればなり、湖水東に流れ潺湲として幽谷に入るもの、之を奥入瀬の溪流とす、兩岸迫りて懸崖を爲し、老樹密生寸隙を餘さず、此の川絶えて洪水を知らざるを以て、溪中の岩石水面に露はるゝ所、一片一塊と雖も悉く立木あり、山風絶えず樹梢を揺かして嬰々たる鳴禽と和し、流水時に朽木を轉ばして遊魚を驚奔せしむ、水は行く行く左右の諸溪を合せ、湖を距る三里餘、燒山に至りて初めて幽谷の間を出で、蔦川を合せて更に大に、終に滔々として山麓平野に向つて去る、一條の林道樹間を縫ひ、一合一離溪流に沿うて走る、危橋の激湍に架するあり、桟道の懸崖の下を繞るあり、一歩一景、或は開敞禁苑に許さるゝが如く、或は陰鬱鬼洞に導かるゝが如し、登るに隨つて兩岸愈々高く、湖に近づくこと里許にして、左右の諸溪終に悉く瀑布となつて落つ、大なるは高さ十丈を超え、小なるも亦七八間を下らず、其の數凡そ十餘條、騒客此を過ぎる者稀なるを以て、諸瀑悉く未だ雅名を有せず、唯だ其の最も大なるもの數條のみ、僅に其の形状によりて呼ばるゝに過ぎず、曰く白布白絲の類なり、其の全く命名せられざるものと雖も、若し之をして他にあらしめば、酒樓前後に軒を並べ、雅俗群集雑沓せん、世の所謂名瀑なるものを見るに、或は直下百尋の斷崖に懸り、或は九曲岩壁に傍うて落つ、俗人力めて木を斫り岩を削り、流水の全線を覩易からしめて以て得たりとす、故に水源涸乾して落水聲なく、烈日直射して岩皺苔なし、奥入瀬の諸瀑に至りては即ち然らず、大樹天を蔽ひ密叢谷を埋め、水聲たうたうとして山谷を震撼し、陣風樹枝を鳴らし、雲霧を捲きて奔騰せしむ、彼は妖婦の浴果てゝ欄に凭るが如く、此は即ち美姫の嬌羞して簾内に匿るるが如し、彼は枯魚の店頭に吊らるゝが如く、此は即ち蚊龍の端倪すべからざるが如し、本邦瀑布の多きを以て夙に世に識られたるもの、野の晃山あり、然れども彼の瀧は相距る數里、悉く之を觀んとせば、爲に數日の勞を辭する能はず、十有餘瀑を一逕一里の間に排列し、五歩に一瀑、十歩に一泉、行人をして左右殆んど應接に遑あらざらしむるもの、天下の廣き獨り我が奥入瀬に於て之を觀る、想ふに湖水の洩れて奥入瀬の支流に湧出するもの、遠く湖上の風光を慕うて空しく東下するに忍びず、相議して此に絶美の飛泉を遺し、遥に之を湖神に献して辭し去るものか、將た又湖神泉庭を造り餘材を蒐めて更に此の溪と爲し、人を魅して湖邊に誘致し、雄大絶佳の製作に驚倒せしめんとするものか、造化の巧を弄する變幻無窮人智の能く窺ひ知るべき所に在らず、既に絶佳の湖水あり、又絶妙の溪谷あり、ニ者單に其の一を以てするも共に天下の絶勝たるを失はず、況んや兩々相連なり錦上更に珠玉を鏤ばむるが如きあるをや、更に況んや奥入瀬の道たる、一逕坦々として一の峻險なく、全道數里一の凡景俗趣なきに於てをや、天の青森縣に幸する深厚甚大なりと謂つへし。
 十和田奥入瀬の美天下他に比すべきものなきこと前陳の如し、而して其の未だ世に識られざるは、會々以て其の尚ほ今日幸に俗惡の手を免かれ、獨り美を天下に恣まゝにする所以にあらずや、若し之をして早く世の識る所たらしめば、誰か其の能く今日あるを保するを得んや、抑も天然の美は天下の公寶なり、人の最も愛惜し、人の最も保護すべき所のものなり、今や我が邦の文物制度日に整ひ、民心漸く國美の保存に傾き、或は古社寺の保存に、或は古器物の保存に、國力を割いて之に當つるに至れるは、是れ實に聖代の慶事たり、唯だ其の國寶として保護せらるゝもの、獨り古書畫古器物の類に止り、天然の風光動植物の保護に至りては、未だ普く國民一般の注意を促すに至らざるは、頗る遺憾に堪へざる所なり、近頃徳川頼倫侯の主唱に依り、朝野有志の賛同を得て史蹟及び天然記念物保存會の創立を見たるは實に天籟の福音にして、天下識者の快とする所、而して其の會務の發展して、着々實績を擧げんこと、亦萬人の均しく翹望する所なり、天下名勝の既に破壞せられ、既に俗化せるもの尠しとせざるも、今にして速に保護復舊の途を講ぜば、其の荒廢の救ふべからざるに至るを免るべきもの多きを疑はず、而して其の勞と其の資との如きは、之を民間の施設に委することなく、國家も宜しく自ら之を負擔して敢て吝なることなかるべきなり、十和田は然り青森縣の寶物たるのみならず、實に天下の至寶たり、天下の名勝日に俗了し、月に凡化するの時に際し、幸に湖神の靈現に依り、所謂文明の侵害を免れ、今日の十和田は依然として千萬年前の十和田たり、若し之を自然に放置して敢て之を涜すことなくば、千萬年後の十和田は尚ほ依然として今日の十和田の如かるべし、天縣民に與ふるに此の至寶を以てす、即ち之を保護するは、縣民の天恵に報ゆるの道に非らずして何ぞや、而して其の美を保護して千萬年の後に傳ふるは、勞費二つなから難事に非らず、
十和田の美は自然の侭なるに在り、一木加ふべからず、一木除くべからず、一石動かすべからず、一石添ふべからざる所に在り、唯た其の在りの侭を維持して嚴に人工を加ふるを避け、僅に人道を造り遊艇を浮へ、以て往來遊覽の便を開き、質素なる旅舎を設け、湖魚を捕へて、觀光者を待たば即ち足れり、俗惡の塗料粗製の壜酒罐肉、凡そ此の如きの類は山紫水明の靈地に相應せず、動植濫採の地たらしむ可からず、携妓遊蕩の地たらしむべからず、要は此の如きのみ、若し此の二三の些事に留意せざらんか、後の十和田は、數年ならずして今の十和田を偲ぶの空名稱たらんのみ。
 十和田保勝會將に成らんとす、乃ち聊か所見を述べて保勝論を作る。

 (初出は「東奥日報」明治四十五年元旦号・ここでは『十和田湖』 〈十和田保勝会・大正十一年七月十日〉による。)


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