2001年1

●1月31日(水)
 岡戸武平をご存じでしょうか。
 昭和10年に乱歩作品として刊行された『蠢く触手』(新潮社新作探偵小説全集第一巻)の代作者、といえば、おわかりの方はおわかりでしょう(おわかりにならない方には何のことやらさっぱりおわかりにならないと思います。お詫びを申しあげます)。乱歩より三歳年下の明治30年生まれ。大阪時事新報勤務時代に乱歩と知り合い、のち乱歩に誘われて上京、小酒井不木全集編纂に携わったあと博文館の編集者となります。「蠢く触手」執筆は博文館退社前後のこととされますが、やがて戦火を逃れて郷里の愛知県に疎開、戦後も名古屋にとどまって文筆で身を立て、昭和61年に死去しました。
 この武平には、『全力投球 武平半生記』(昭和58年、中部経済新聞社)なる自伝があります。乱歩との交流も記された“乱歩文献”の一冊ですが、これは闊達磊落な性遍歴譚の趣をもつ著作でもあり、たとえば晩年の武平老、ある女性とわりない仲になりかけるのですが、老齢のこととて意はありながらも力はまるで充ちません。やんぬるかな。そこで一計を案じ、相手の女性の大事なところに右足の親指を潜り込ませて、その指をひくひくうごめかせながら、
 「うむ。これぞ『蠢く触手』ならぬうごめく足の指、なんちゃって」
 としばし感懐にふけった、などという馬鹿なエピソードも記されているのですが、この手の人物を私は嫌いではありません。

 おや。この手の話題はお気に召しませんか。どうも申し訳ありません。血のせいです。なにしろ私は職場で昼間っから酒かっくらいながら同僚と飽きもせず猥談に打ち興じていたような男を父にもつ不幸な身の上で、ときにその暗い血に使嗾されてとんでもない言動に走ります。困ったことではあるのですが、いやー血のせい血のせい、と申しあげるしか術はありません。
 と、昨年11月にご披露申しあげたちくま文庫『業界紙諸君!』ネタの後追いを試みた次第ですが(おわかりにならない方には何のことやらさっぱりおわかりにならないと思います。お詫びを申しあげます)、あのネタは一部でかなり受けたらしく、ある方からは立ち読みで済まそうと思っていたのだが結構笑えそうだったので『業界紙諸君!』を購入して帰り、
 「四畳半のたうち回りながら一人で大笑いしました」
 とのご報告をいただいております。本屋で探したけど見つからなかったというクレームも頂戴しましたが、それは私のせいではありません。
 そういえば、つい先日お会いしたある女性からは、彼女もやはり『業界紙諸君!』を購入してくださったそうなのですが、
 「中さんのお父さんて、まともな死に方しはったんですか」
 とのお尋ねをいただいてしまいました。私は反射的に、
 「うちのてて親は行路病者かッ! 竹中英太郎やないっちゅうねんッ!」
 と手練のツッコミを口にしかかったのですが、じつに親身なご質問でしたのでなんとか思いとどまった次第です。ほかにも同様のご心配をいただいた向きがおありかもしれませんのでお知らせしておきますと、父は二十年近く前、三重県上野市の上野市民病院で無事に病没しております。ご休心ください。

 岡戸武平の話がどこかへ行ってしまいました。武平が残したもう一冊の“乱歩文献”について記すつもりだったのですが、それはまたあすにでも。


●1月30日(火)
 乱歩と谷崎、その二。
 昨年11月に発行された名探偵研究シリーズ「江戸川乱歩研究 少年探偵特集2」(編集・発行=手塚隆幸さん)に、天城一さんが「乱歩/十字路」という文章を寄せていらっしゃいます。「十字路」をめぐって乱歩と渡辺剣次のあいだに確執が生じたことは松村喜雄さんの『乱歩おじさん』に明かされていますが、天城さんが渡辺剣次から直接お聞きになった話とはかなり違っていることから、それを記録として残しておくために執筆したとおっしゃる“乱歩文献”です。
 それはそれとして、乱歩と谷崎、その二です。天城さんは「乱歩/十字路」に、こんなこともお書きになっています。

 松村さんは代作問題を語った直後に、どうした風の吹き回しか、乱歩が愛蔵する谷崎潤一郎の短冊の件について触れています。この件は存外に知られていないようなので、ここで一言しておきたいと思います。
 乱歩が谷崎を尊敬してその影響を強く受けていたことは、大正デモクラシー時代に若干の関心を抱くものにとっては、ほとんど自明に近いことと受け取られるでしょう。
 乱歩は礼を尽くして谷崎に短冊を乞うたと松村さんは伝えてくれます。ところが、谷崎は乱歩を大衆作家と見下して、短冊を書くことを拒否しました。乱歩の愛蔵するものは後日他人の手を経て手に入れたものだと、松村さんは遠慮なくこの悲話を暴露しています。
 今日から回顧すると、この事件は谷崎という文士の極端な階級性を暴露した実にいやらしい出来事のように思えます。大正デモクラシーが実は階級性の上に立ったかげろうのようなものであったことを語るに適しているかもしれません。
 谷崎はブルジョワ社会しか知らなかったし描けなかったと言ってもよいでしょう。代表作『細雪』はブルジョワの娘の縁談の話で、その社会に特別な感慨を抱いていない限りは、もはや読み継がれる理由がない文章です。ブルジョワジーの社会は戦争によって完全に破壊されてしまいました。表面は大衆社会を標榜しながら、ブルジョワ文化人は大衆を嫌悪し軽蔑していました。大衆作家には短冊も与えない階級社会の差別主義を明白にするこの事実ほど大正デモクラシーのいかがわしさを顕にするものはないでしょう。
 皮肉なことに大正デモクラシーの社会を描いたものとして、『乱歩の』を頭に冠するいくつかの著作が最近は出現していますが、谷崎の見た東京などは読者をえられないでしょう。オルダス・ハクスリはポーの卑俗性を厳しく糾弾しています。高級な読者を相手にしたハクスリの本はもう読まれないでしょうが、ポーは(ドイルも)絶えず読み継がれるでしょう。
 エリートと自認する人々の『文化』は過去のものです。いかに美しかろうと、過ぎ去ったものに属します。
 アンシャン・レジームに生きたものだけが真の人生の楽しさを味わえたにしても!

 といった次第です。むろん、首肯するかどうかは読者の自由です。

 番犬情報できのうお知らせした「渡辺啓助100歳記念展」、啓祐堂のオーナーの方から展示の概要を教えていただきました。

先生の年譜(百年、一世紀分)等を展示、更には直近に描かれた「烏」の画等を展示いたしております。

 とのことです。年譜がなんと一世紀分!!!! 思わずびっくりマークを四連打してしまいましたが、お近くの方はぜひお運びください。


●1月29日(月)
 先年死去された英文学者、由良君美さんが編纂したアンソロジー『イギリス幻想小説傑作集』(白水uブックス、1985年)の「解説」に、由良さんが乱歩と雑談したというエピソードが記されています。引用しましょう。

 サキの作品は、ジョン・コリアのものと奇しくもモチーフにおいて同一であり、現実原則が快楽原則の復讐によって願望充足される深層心理を描いて無駄がない。サキのこの作品は、かつて生前の江戸川乱歩と雑談した折、乱歩も嘆賞おくあたわざる作品としていたことを思いだす。

 ちなみにこの傑作集には、サキ作品では「スレドニー・ヴァシュタール」、コリア作品では「われはかく身中の虫を退治せん」が採られています。
 さて、乱歩がどこかに「スレドニー・ヴァシュタール」のことを書いていたかどうか、残念ながらにわかには思い出せません。こういうときのために、いずれ乱歩の言及作品リストをつくりたいものだと愚考しております。作業は単純。乱歩の本を順番にひもといて、挙げられている作品をリストアップしてゆくだけの話です。たとえば『悪人志願』をひもといて──

 ドイル「シャーロック・ホームズ物語」 ▼悪人志願
 菊池幽芳「秘中の秘」 ▼私の探偵趣味
 黒岩涙香「幽霊塔」 ▼私の探偵趣味
 三津木春影「呉田博士」 ▼私の探偵趣味
 フリーマン「奇絶怪絶飛来の短剣」 ▼私の探偵趣味

 といった具合に作者名と作品名、それに言及している乱歩作品のタイトルを列挙していって、あとで作者名の五十音順に並べれば、結構重宝なリストになるはずです。しかし私事ながら(すべて私事ですが)、ほかにもいろいろしなければならない作業がありますので、実際に着手できるのはいつのことになるやら、いや、果たして死ぬまでに着手できるかどうか、じつに心許ない次第です。
 時間に比較的余裕のある乱歩ファンの方で、このリストづくりを手がけてやろうという方がいらっしゃるのでしたら、ぜひともお願いしたいと思います。とりあえず講談社の江戸川乱歩推理文庫あたりがあれば、あと必要なものは人並みかそれに近い知力と体力、それから人並み外れた狂気と妄執といったところでしょうか。ご一考ください。
 『イギリス幻想小説傑作集』については大阪府の大熊宏俊さんからご教示をいただきました。お礼を申しあげます。

 きのうご紹介した都筑道夫さんの『推理作家の出来るまで』について、兵庫県の妹尾良子さんから「乱歩についての目新しい情報はお伝えした箇所だけしかありませんでした」との続報を頂戴しました。ただし、と続報はつづいて──

 但し、都筑道夫の「芸談」としては、充分に堪能できるものです。ことに都筑道夫の「自作解説」は非常に刺激的なもので、桃源社版『十七人目の死神』は実作と「寸断されたあとがき」との交錯が絶妙の効果を上げていて、忘れがたい印象を残しております。

 とのことです。やはり購入しないわけにはいきません。気になるお値段については、野村恒彦さんの「Quijinkyo Weekly Online Magazine」最新号から引用しましょう。

 国内では遅まきながら、都筑道夫の「推理作家の出来るまで」(上・下)(フリースタイル)を初めて見ました(実は取り寄せてもらったのです。当然買いました。何と3900円×2冊+税!!!)

 びっくりマークが三連打されています。


●1月28日(日)
 昨年12月、都筑道夫さんの新刊『推理作家の出来るまで』が出たそうです。フリースタイルという版元から、上下二巻本で刊行されたそうです。なかに乱歩への言及もあるそうです。ハヤカワ・ミステリの編集に携わるようになった都筑さんが、「新青年」時代からの翻訳者を切ろうとして、乱歩からクレームがついたのだが、結局は乱歩も納得した、などといったエピソードが記され、それにからんで乱歩と正史の「不和」も明かされているのだそうです。
 以下、同書下巻 p.182 からの引用だそうです。

 乱歩さんが納得してくれれば、私たちにとっては、もう問題は解決したわけだ。けれども、当時の乱歩さんは、横溝正史さんと仲直りしたばかりだった。つまり、それまで不仲だったわけで、おもに構溝さんのほうが、乱歩さんを避けていたらしい。そのころの横溝さんは乗りものぎらいで、会合なぞには出席しなかったから、乱歩さんと外で顔をあわすことはない。だから、訪問しあったり、電話や手紙の交渉が、なかったということだろう。もっとも、昭和二十九年の乱歩さんの還暦パーティには、横溝さんも出席している。顔も見たくない、というほど、はげしい嫌悪では、なかったのかも知れない。それとも、不仲になったのが、還暦パーティ以後なのか。あるいは、周囲がうわさするほど、不仲ではなかったのか。不和の原因は、もっと前に起っているように、私は聞いた。しかし、くわしくは書くまい。
 とにかく、昭和三十一年の第二回江戸川乱歩賞の授賞式が、日比谷の松本楼でひらかれたときに、横溝さんが出席して、乱歩さんと廊下で握手をした。私たちがそれを取りまいて、拍手をしたのだから、不和があって、和解があったのは、事実なのだ。還暦パーティのときには、私は受付のデスクにすわっていたが、松本楼では受賞者がわとして、出席していた。第二回の江戸川乱歩賞は、ハヤカワ・ミステリ出版の功績によって、早川清社長がホームズ像をうけたので、田村隆一と私が編集部代表として、社長についていったのである。
 そんなわけで、和解したばかりの横溝さんに、頼まれたことだから、乱歩さんとしても、いい返事がしたかったろう。池袋の江戸川邸へいくのに、私が気が重かったのは、きっと横溝さんを通じて、乱歩さんに話があったのだろう、と察していたからだ。しかし、戦前のような抄訳ではいけない、と乱歩さんもいっているのだから、赤インクの書きこみだらけの校正刷を見せれば、それでも依頼しつづけろ、とはいわないだろう。そう思っていたわけだが、その通りになってみると、乱歩さん、横溝さんに返事がしにくいだろう、と気がとがめたのだった。

 以上、ご丁寧に OCR で読み取った引用テキストを添えて(ちなみに、OCR が読み違えた文字がふたつあって、「顔」とあるべきが「顛」、「像」とあるべきが「償」となっていました)、またしても兵庫県の妹尾良子さんからメールでご教示をいただきました。お礼を申しあげます。私もこの本は購入しなければいかんなと思っております。
 なお、妹尾さんが仕切っていらっしゃるホームページ「風の翼」のトップページに、きょう28日まで京都で個展を開催していらっしゃる戸田勝久さんの「蜃気楼の王国」が掲載されました。一度ご覧ください。戸田さんの個展の案内は番犬情報に記してあります。

風の翼


●1月27日(土)
 きのうのつづき、渡部昇一さんの『発想法 リソースフル人間のすすめ』についてです。
 小見出しでいえば、「大作家の条件」「根底にあるプラトン的思想」「別世界への情熱」「事件よりも講談、昼よりも夜」「谷崎の夢幻劇」「空想と同時に現実処理能力」「発想を涸らせない時間的休息」「自分の“幻影城”」「永遠なる非現実の井戸」「英語を武器にミステリー研究」「スランプから立ち直る」と、伝記的側面にも触れながら乱歩と谷崎について詳細な記述がつづきます。著者は二人を例に挙げて、結局は人間、発想の井戸を涸らさないことが大切です、みたいなことを説いているわけですが、実利主義的な面は度外視してポイントとなる箇所を引くと──

 谷崎にしても乱歩にしても、当時の目からは猟奇趣味、あるいは変態趣味として見られるということがあった。しかし単なる猟奇、単なる変態などは、エロ・グロ・ナンセンスも含めて、当時だっていくらもあったのである。しかし谷崎や乱歩は、その同時代のもののように古くさくなってはいないのだ。
 谷崎の全集は最近も出されているし、乱歩のものは、少年向けのものですら全部出ている。私が子供の時に読んだものを、私の子供たちも本屋で見つけてきている。この両者の一見猟奇的、一見変態的なるものの背後には、別世界に対するプラトン的情熱が秘められていたために、作品としての生命が時代が変わっても死なないのではないだろうか。

 といったあたりになるでしょう。首肯するかどうかは読者それぞれの問題ですが、「プラトン的情熱」を媒介に乱歩と谷崎を結びつける試みは、さらに踏み込んで進めれば面白いものになるかもしれません。それにこれは、ゆくりなくも、先日お知らせした鳥越信さんの「大きな宿題」の、ひとつの答えになり得ている文章でもあります。
 この『発想法 リソースフル人間のすすめ』、いずれ「乱歩文献データブック」に増補するつもりですが、それにしても誰がどんなところに乱歩のことを書いているのか、お釈迦様だってそのすべてはご存じないかもしれません。


●1月26日(金)
 以前、掲示板「人外境だより」に、江戸川乱歩と谷崎潤一郎を並べて論じた批評が見当たらない、といった意味のことを記しました。せいぜいが乱歩における谷崎からの影響、あるいは「パノラマ島奇談」と「金色の死」の類似性が指摘されてきた程度です。ところがその後、しばらくたって、たぶん「人外境だより」をお読みくださったのでしょう、ある方から一冊の本をお送りいただきました。まさしく乱歩と谷崎を並べて論じた本でした。
 といったことを数日前、ある知人と話していたのですが、酔っていたせいもあって、肝心のその本のタイトルがどうにも思い出せません。きのうようやくその本を探し出してきたのですが、知人一人にメールで知らせるよりも、この伝言板の話題として採用する方がいいであろうと判断しました。
 その本というのは、渡部昇一さんの『発想法 リソースフル人間のすすめ』。昭和56年といいますから二十年前に出た講談社現代新書なのですが、乱歩ファンにはこの手の本、つまり何かしらの実利を説こうとするたぐいの本に興味をもてぬ人、あるいはあからさまに毛嫌いする人(私がそうです)も少なからずいらっしゃるかと思われ、その意味でもご紹介しておく必要があるように愚考します。
 「発想の井戸を掘る」という章のなかの「大作家の条件」という項で、著者は谷崎と乱歩はともに「大」のつく作家である(つまり大谷崎であり、大乱歩です)という関連性を指摘します。そして、つづく「根底にあるプラトン的思想」という項で、初めて谷崎を読んだとき、乱歩の作品と「同じ感じを味わった」ことを記し、「谷崎の若い頃のものにも、乱歩のものにも、ハイカラさ、異常心理的なものに対する興味がある点では共通しているが、そういったうわべだけのものではない共通点があるように思われてならなかったのである」と述べます。

 ところがプラトンを読むようになったとき、ひょっとしたら谷崎潤一郎と江戸川乱歩の共通の根はプラトンにあるのかも知れないぞ、と思い当たった。プラトンの思想は、この眼前の世界の背後に、もっと美しい真の世界があることを教えてくれる。これは天国とか極楽とは違う話である。目の前に見えるのが仮象であり、その仮象の背後に真と美の世界があることを示唆するのだからである。
 これは印象、あるいは当て推量にとどまっていたのであるが、二十代になってから、谷崎や乱歩の伝記的側面に注目するようになって、これが当たっていたことを知って嬉しかったことを覚えている。

 と記述は展開されますが、つづきはまたあした。


●1月25日(木)
 内田隆三さんの新刊『探偵小説の社会学』(岩波書店、本体二四〇〇円)が出ました。まだ一行も拝読していないのですが、ぱらぱら眺めたところ乱歩への言及も見られるようですので、取り急ぎお知らせする次第です。
 昨日の「朝日新聞」名古屋本社版1面のいわゆるサンヤツ(三段八つ割りの書籍広告欄のことです)に、東京創元社『江戸川乱歩の貼雑年譜』の広告が出ていました。「お届けは2月下旬からです」とありますが、取り急ぎお知らせする次第です。私は取り急ぎお金をかき集めなければ。


●1月24日(水)
 さて、昭和10年代の乱歩についてですが、『世界文芸大辞典』の執筆に関して、乱歩は『探偵小説四十年』にこう記しています。

私はこれまでに出た百科辞典や文芸辞典の「探偵小説」の項を、専門家が執筆していないために、記述が曖昧であったり、間違いがあったりするのを見て、ひそかに不満に思っていたので、この機会になるべく多くのスペースをとり、出来るだけ正確な記述をしておくのも、探偵小説オールド・ボーイの一つの仕事だと考えたので、進んで執筆を引き受けることにした。「探偵小説」の項には原稿紙七枚余のスペースが与えられた。むろん充分のスペースではなかったが、それ以上を望むことは出来なかったので、私は探偵小説の本質とその略史を原稿紙七枚に圧縮するために可なりの時間を費した。

 この「探偵小説」の項というのが、先日来ちょこちょこと引用している文章です。さらに乱歩は、『世界文芸大辞典』に関して、こうも打ち明けています。

 上記のような小説以外の仕事をしたのは謂わば通俗長篇で探偵小説を堕落させたお詫び心のようなものであった。だから「探偵小説十五年」にも次のように記している。
 「以上列記した事柄は、仕事といえるほどの仕事ではなかったかも知れないが、同じ期間に幾つかの純娯楽長篇小説を書いたよりは、重要な思い出として残っている」

 あるいは、昭和10年と11年を振り返って、こんなふうに。

結局十年度は一つの小説も書かないで過してしまった。しかし小説こそ書かなかったけれど、十年の夏から翌十一年にかけて、あるきっかけから、私の心中に本格探偵小説への情熱(といっても、書く方のでなく、読む方の情熱なのだが)が再燃して、英米の多くの作品を読んだり、批評めいたものを書いたり、その他創作以外のいろいろな仕事をするようなことにもなったのである。

 昭和10年代の乱歩について、話はさらにつづきますが、結論を先に書いておくと、乱歩が戦後、人が変わったようだなどと噂されながら、探偵小説に関して行ったさまざまな「仕事」は、昭和10年代という短からぬ時間をかけてじっくり準備されたものではなかったか、ということになります。乱歩は満を持して終戦を迎えたと、そのように見える次第です。


●1月23日(火)
 児童文学研究者の鳥越信さんが、昨年10月発行の「日本児童文学」9・10月号《特集:20世紀の児童文学2 日本の児童文学》に寄せた「日本の児童文学・この一〇〇年 子どもたちは何を読んできたか」に、こんなことを書いていらっしゃいます。
 「少年倶楽部」に連載された佐藤紅緑、田河水泡、大佛次郎、山中峯太郎、吉川英治、佐々木邦、南洋一郎らの作品はすべてベストセラーになったものだ、というくだりのあと──

 にもかかわらず、その後それらの作品は元読者たちのアンコールに応える形での出版は何度かあったが、子どもたちの手にわたる形では出ていない。その意味では、椋鳩十はきわめて例外的な珍らしいケースといえるのだが、鳩十以外にもう一人の例外作家がいる。それは一九三六年に『怪人二十面相』(講談社)、一九三八年に『少年探偵団』(講談社)を出した江戸川乱歩である。
 かつて私は、あれほど熱狂的に読者を魅了した「少年倶楽部」から生まれた作品の殆どが姿を消した中で、何故椋鳩十と乱歩の二人だけが今も読みつがれているのか、二人の作品の間に共通するものがあるのかないのか、あるとすればそれは何なのか、とりわけ大衆的・通俗的少年小説と呼ばれた多くの作品の中で、何故乱歩の作品だけが例外的に残ったのか、この作品と他の作品の違いは何だったのか、といったことについて問題を提起したことがある。
 そして私自身がその回答を書かねばと思いつついまだに果たせず、大きな宿題として残ったままなのだが、誰の目にもはっきりわかる一つのことは、鳩十に限らず、未明・賢治・南吉など先にあげたロングセラー作家たちの作品がすべて短編だったのに対して、乱歩のそれは長編だという点である。ここに一つのカギがあることはたしかだが、長編という点でもう一人忘れてはならない作家がいる。

 と来て、あとは吉野源三郎の話題につづく次第です。
 子供時代に接した(はずの)ものを除けば、私が読んだ椋鳩十作品は一連のサンカ小説のみで、体力が衰えて群れといっしょに移動できなくなったサンカの老女が仲間から優しくもいたわり深く置き去りにされ、狼の徘徊する山中でひとり従容として死を迎えるといった筋立ての短篇が記憶に残っています。しかし、それはそれとして、乱歩と鳩十を同日に談ずることにはいささか無理があるような気がします。
 それに乱歩の場合、少年もの同様にいわゆる通俗長篇もまたいまだに読み継がれているわけですから、「時代と寝る」はずであった乱歩の通俗長篇がなぜこれほど命長らえているのか、そのあたりの考察も含めて(椋鳩十のことは横に置いておくとして)、鳥越さんの「大きな宿題」を引き受けてくれる人があればたいへん嬉しく思います。
 引用した鳥越信さんの文章については兵庫県の妹尾良子さんからご教示をいただきました。お礼を申しあげます。


●1月22日(月)
 ネタはきのう仕込んできたのですが、きょうは起きるのが遅くなってしまいました。またあしたということにさせていただきます。
 とはいうもののひとことだけ、大熊宏俊君にお知らせしておきましょう。名張市内の書店には出回らないちくま文庫から、昨年12月に猟奇文学館2『人獣怪婚』(七北数人編、本体七八〇円)というアンソロジーが出ました。ここに、眉村卓さんのある短篇が収録されています。ご存じでしたか。眉村さんの「猟奇」作品とは何か、まだ同書をご存じないのでしたら当ててみてください。ちなみに私はこの三冊本のアンソロジー、ある人から乱歩作品も入っているからと教えられて内容も確認せずにきのう購入したのですが、帰宅して調べてみると乱歩作品はどこにも収録されておりませんでした。


●1月21日(日)
 朝、期待した雪はうっすらと積もっているばかりでした。
 東京創元社の『貼雑年譜』完全復刻版、先日申し込みましたところ、同社から電話でご連絡をいただきました。最初の製作分は2月にできあがるとのことです。大量生産のできない手仕事による作業なので、少しずつつくって受付順に送付してゆくそうです。私のもとには3月の製作分が送られてくる予定。それまでに代金を支払えばの話ですが。


●1月20日(土)
 江戸川乱歩データベース三点セットの昭和10年代をアップロードした日には昭和10年代の乱歩について記そうと思っているのですが本日は時間がありませんのでこれにて失礼いたします。


●1月19日(金)
 北村薫さんの新刊『リセット』(新潮社、本体一八〇〇円)がきのう発売されました。『スキップ』『ターン』につづく「時と人」三部作の最終作です。昨年10月、名張市で行われた宮部みゆきさんとのトークショー「ミステリ対談」で、年明け早々に出るんですと北村さんが予告していらっしゃった書き下ろし長篇です。この小説には、たぶん、江戸川乱歩のことが記されています。まだ一行も拝読してはいないのですが、巻末の参考文献一覧に乱歩の『探偵小説三十年』(岩谷書店)が挙げられていますから、何らかの形で乱歩の名が登場することは確実だと思います。たとえ点景のごとき扱いでも、乱歩本人が作中に顔を出してくれたら嬉しいのですが。


●1月18日(木)
 さて、昭和10年代の乱歩についてですが、先に引用した『世界文芸大辞典第四巻』(昭和11年)の「探偵小説」の項目から、もう少し引いてみます。
 まず、項目中の「現代の探偵小説」という項から。

世界大戦は探偵小説界にも新時代を画したと見ることが出来る。その新傾向の著しいものを挙ぐれば、従来の短篇探偵小説が漸く魅力を失ひ、批評の対象となる作品は長篇に限るが如き長篇探偵小説時代を再び現出した事、ホームズ型の超人探偵に代り通常人の探偵を主人公とする写実的作風が歓迎され始めた事、作品のみ徒らに多く優れた作家に乏しかつたアメリカに論理探偵小説の正統を継ぐヴァン・ダインが現はれ、その影響によつて探偵小説界に際立つて論理的な作風が流行し始めた事などである。

 文中、「長篇探偵小説時代を再び現出した」というのは、この項の最初の方にある「フランスのガボリオーが最初の通俗長篇探偵小説『ルルージュ事件』を書き、爾来二十余年の間長篇時代ともいふべき一時期を画した」という記述に呼応しています。
 つづいて、「日本の探偵小説」という項から。

日本の主なる作家を処女作発表順に記せば、松本泰・横溝正史・水谷準・江戸川乱歩・甲賀三郎・大下宇陀児・小酒井不木・夢野久作・浜尾四郎・海野十三・小栗虫太郎・木々高太郎等で、その作風は英米流の論理探偵小説は寧ろ少く、秘密小説、怪奇・犯罪小説など、作家の資質に従つて広い分野に跨つてゐるが、従来の優れた作品は殆んど短篇であつて、英米に見るが如き長篇小説時代には未だ到達してゐない。

 日本の探偵小説もいずれは「英米に見るが如き長篇小説時代」に至るべきであると、乱歩は考えていたように思われます。そして、しかしながら自分には、まさに「作家の資質に従つて」、論理的な本格長篇探偵小説は書き得ないであろうということも、この時期の乱歩は充分に自覚していたにちがいないとも思われる次第です。


●1月17日(水)
 草深い山間の地でひたすらに起伏の少ない人生を送っているものですから、他人様からご覧になればじつに取るに足りない些細なことですぐ大騒ぎを演じてしまいがちな人間であることはよく自覚しているのですが、きょうばかりは大騒ぎしないわけにはゆきません。なにしろあなた、ごく短いものではありますが、これまで知られていなかった江戸川乱歩の文章が出てきたのですから。
 昭和6年に平凡社から出版された(ということは乱歩全集と同時期の刊行なのですが)白井喬二全集(全十五巻)の内容見本に、乱歩が推薦文を寄せていました。「白井喬二氏の作品と諸名士の推賞」と題して、時の内務大臣や陸軍大臣、警視総監(この人は平凡社の乱歩全集内容見本にも推薦文を書いておりました。いわゆる推薦文フェチか)、作家では吉川英治あたりの文章が居並んだなかに、乱歩の手になる「何時も感銘の度が大きい」という一文(二百字に充たぬ分量です)が載せられています。いや大騒ぎ大騒ぎ。この文章はむろん『江戸川乱歩執筆年譜』には記載されておらず、存在が以前から判明していれば『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』にも採られていたはずの一篇です。したがいましていやきのうからもう大騒ぎ大騒ぎ。
 この文章のことは東京都の岩井浅治さんからご教示をいただき、というよりは古本屋で見つけたからさしあげます、とおたよりを添えてその内容見本をお送りいただいたのが昨日拙宅に到着したような次第で、ただで頂戴していいものだろうかと悩みつつ、さっそく本ページ「江戸川乱歩執筆年譜」に増補を加えました。パソコンには無縁の岩井さんにこんなところでお礼を申しあげても意味はないのですが、取り急ぎ謝意を表させていただきます。
 ちなみに乱歩と白井喬二の接点は、大正14年に設立され、翌15年1月から一年あまり機関誌「大衆文芸」を発行した二十一日会であったと推測されます。

 白井喬二氏を代表者とする当時の新興大衆文芸作家は、文学青年的読者のみを対象とする純文学にあきたらず、といって、従来からある低調な通俗小説では満足出来ないという立場から、文芸味もあり且つ広い読者に愛読される小説を目ざしたものであった。それを主張もし、身を以って作品を示した最も際立った作家が白井喬二氏だったのである。

 と乱歩は『探偵小説四十年』に記しています。


●1月16日(火)
 私は雑誌というものにほとんど眼を通さないのですが、ちょっと必要があって購入した「文藝春秋」で、小林信彦さんの「テレビの黄金時代」という連載が始まっていました。2月号が第二回で、タイトルは「時代の入口の人々」。テレビ草創期に筆者が遭遇した若き日の前田武彦、永六輔、野坂昭如ら放送作家の姿が活写されています。
 小林さんは昨年、『おかしな男──渥美清』(新潮社)という渥美清の傑作評伝を上梓し、そろそろ「お笑い」批評家としての集大成に入ったなという印象を抱かされた次第ですが、「テレビの黄金時代」にはそうした印象がより強く感じられます。

テレビをつけてみればいい。日本のテレビ史上最悪の荒野。笑いの半素人と素人の〈もんじゃ焼き状態〉で収拾がつかなくなっている。頭を使って作り出された台本で笑いを演じている SMAP の番組に人気が集中するのは当然である。一九七〇年までは、この方式が主流だったのだが。(『天才伝説 横山やすし』)

 と当節のテレビのお笑いに絶望する小林さんが、その黄金時代をペン一本でどのように再現してくれるのか、「テレビの黄金時代」の連載完結と単行本化を待ちたいと思います(私には連載を追いかけて雑誌を読む習慣はありません)。
 「テレビの黄金時代」連載第二回には、江戸川乱歩もちょこっと登場します。小林さんの読者にはすでにお馴染み、宝石社で「ヒッチコック・マガジン」の編集に携わるようになった時期のエピソードです。抜き書きしておきましょう。

 この時、岩谷満は亡くなっており、城昌幸が宝石社社長だったが、一九五七年から実質的な編集長と金主は江戸川乱歩で、原稿依頼を自分でやるほどの気の入れようだった。すでに乱歩賞があり、一九五七年に六十三歳だった江戸川乱歩は、ある時、
 「おれが編集をやれば、急に『宝石』が売れるだろうと自惚れていたんだよ」
 と呟いたことがある。

 宝石社の近くのトンカツ屋の二階で会議があり、乱歩がぼくに「きみ、やれよ」と命じたので、「ぼくは助手にしてください」と答えた。会社づとめは二つ経験して、もううんざりだったし、責任が重いのがいやだった。
 「そんなに何人もやとう金はない。だいいち、きみは失業者だろうが。ぜいたくを言うな」
 江戸川乱歩はにやにやし、着流しの城昌幸は「これで決りだ」と笑った。乱歩は六十五だから、若僧に言葉をかえされて、失笑したのは当然である。

 江戸川乱歩はぼくの〈新感覚(乱歩の表現)〉に不安を覚えたらしく、「池島信平と扇谷正造に会いなさい。電話をしておくから」という連絡をよこした。

 ざっと以上のようなところです。


●1月15日(月)
 東京創元社の『貼雑年譜』復刻版、もうお申し込みになりましたか。私は本日、予約のはがきを投函するつもりです。きょうという日に特別の意味はありません。予約するのが何となく遅れていただけの話です。お金の工面はこれからです。


●1月14日(日)
 今年で創立50周年を迎える(と仄聞します)ミステリファンサークル、SRの会のホームページ(仮)が開設されています。昨年9月に催された全国大会の報告記事と記念写真が掲載されていますが、写真には「読んでも死なない」でおなじみの臼田惣介さんも写っていらっしゃいます(ように見えます)。

SRの会ホームページ(仮)


●1月13日(土)
 乱歩が大正14年7月に発表した「夢遊病者の死」は、本来であればもっと熱のこもった傑作になっていたはずである、と横溝正史が記しています。
 当時、乱歩と正史は「探偵趣味の会」のメンバーでした。ある日の会合で、乱歩が「夢遊病者の死」の構想を明かしたそうです。例の「花氷の殺人」というトリックについてです。大野木繁太郎や西田政治ら、いあわせた面々はそのトリックに感心しますが、正史は外国の作品に先例があることを指摘します。さらに横から春日野緑が、それは自分が最近「サンデー毎日」に翻訳した作品であると打ち明けます。
 以下、正史の記すところを引きましょう。

 そして、この会話はそれきり済んだのである。しかし、もし江戸川乱歩が、横溝正史からこの暗合を指摘されなかったら、彼はこのトリツクをもっとねちねちと考えて、充分面白い探偵小説を書き上げたのに違いないのである。実際トリックとしては探偵小説作家の充分珍重していい程の面白味を持っていた。
 しかし、外国の探偵小説に既に書かれてあることを知った江戸川乱歩はぺしゃんこになってしまった。そして大分後になって、「夢遊病者彦太郎の死」という小説で、かなり投げやりな、熱のない態度でしか、この勿体ないトリックを扱うことが出来なかった。

 これは、正史が「探偵小説」昭和7年1月号に発表した「探偵小説講座 序にかえて」の一節。昨年9月に刊行された角川ホラー文庫『トランプ台上の首』に収録されています。
 といった次第で、この“乱歩文献”、本ページの「RAMPO Up-To-Date」と「乱歩文献データブック」に記載しました。


●1月12日(金)
 きょうは時間がありませんのでまたあした。
 日本推理作家協会のホームページが昨年12月12日に開設されましたのでお知らせいたします。

日本推理作家協会


●1月11日(木)
 昨10日午後、ミステリ作家の有栖川有栖さんが名張市立図書館にいらっしゃいました。本とコミックの情報誌「ダ・ヴィンチ」の取材です。私は名張市立図書館嘱託として、というよりは八万五千人の名張市民を代表して、有栖川さんと同誌編集部の岸本さん、カメラマンの川口さんのお相手を務めさせていただいた次第です。
 一昨日、はたと
気がついたのですが、私は昨年末に名刺を切らしておりました。まだ発注もしていません。困ったなと思って書斎を見回すと、今年の年賀状の残りが眼に入りました。窮余の一策、年賀状の名前や住所が印刷してある部分を名刺大に切り、それを十枚ばかり用意してお三方に一枚ずつお渡ししたのですが、どこの世界に家族と番犬の名前まで記した名刺があるというのでしょう、やはり大笑いされてしまいました。
 有栖川さんご一行には、まず名張市立図書館の乱歩コーナーをご覧いただき、ついで乱歩生誕地碑にご案内申しあげたあと、乱歩ゆかりの清風亭という料亭にアポなしでいきなりお邪魔したのですが、この清風亭のお嬢さんが有栖川さんのファンであることが判明し、まことになごやかで心温まる取材風景がくりひろげられました。
 詳細は2月6日発売の「ダ・ヴィンチ」3月号(メディアファクトリー発行)、「有栖川有栖のミステリーツアー」でお読みください。


●1月10日(水)
 きょうは「隠文学誌」をアップロードしましたので、昭和10年代の乱歩についてはまたあすにでも、ということにいたします。それにしても、われながら毎日よくつづくものだと感心してしまいます。
 名張人外境というホームページの開設準備作業を進めていた当時、遊びにきた従兄弟の一人が、こんなホームページをつくったら面白いぞ、という提案をふたつしてゆきました。
 ひとつは、いうならば「誤植糾弾委員会」。本の誤植を見つけたらすぐそこに通報して公表する、という意地の悪いホームページです。むろん誤植は望ましくないことですが、私はどちらかといえば、このホームページも含めて、不本意ながら誤植を生じさせてしまう側の人間ですから、それを露骨に摘発糾弾するのは天にむかって唾するようなものではないかと考え、このプランは実現に至りませんでした。
 とはいえ、誤植が読者の舌打ちを招くものであることは事実で、最近読んだ本では講談社「日本の歴史」00巻の網野善彦『「日本」とは何か』p.325、「桑の所見と絹・綿・糸年貢の事例」という表の国名欄に、

山城 大和 摂津 河内 和泉 佐賀 伊勢 志摩 尾張 ……

 などとあるうちの「佐賀」は明らかに「伊賀」の誤植です。私は迷わず舌打ちしました。旧国名でいえば佐賀は肥前であり、そもそも山城から近い順に始まった国名の列挙にいきなり佐賀が出てくるのはおかしい、ということを校正マンは気づかなかったのか、とは思うものの、自分がもっととんでもない誤植を発生させてしまう可能性もおおいにあるわけですから、あまり手厳しいこともいえません。
 もうひとつくだんの従兄弟が提案していったのは、名張が出てくる本をずらっと挙げていったら面白いぞ、ということで、これが「隠文学誌」の出発点となりました。地方図書館系サイトにはうってつけのコンテンツです。従兄弟は池内紀さんのエッセイ集で、旅行の途中に近鉄大阪線の名張駅を通ったので、これが乱歩の故郷かいなと気を引かれて途中下車してみたのだが、見事に何もない町であった、といった記述を読んだ記憶があるということも話して帰りました。この池内さんのエッセイ集、書名がいまだに判明しておりません。いやはや。


●1月9日(火)
 リニューアル後の江戸川乱歩データベース三点セット、いよいよ昭和10年代の掲載・再掲載に突入しました。昭和10年代の乱歩についてはあまり語られることがありませんが、昭和10年前後は乱歩にとってなかなかに重要な意味をもつ時期であったと思われます。
 といったことを記してみることにしたのですが、三連休も終わって本年もきょうあたりから本業に本腰を入れねばならず、つづきが順調に進むかどうかは筆者にもわかりません。
 とりあえず、昭和11年12月に刊行された『世界文芸大辞典第四巻』に乱歩が執筆した「探偵小説」の項目から、冒頭の段落を引いておきます。これは単行本・全集には未収録の文章です。

 探偵小説 たんていせうせつ 英 Detective story 仏 Roman policier 単なる秘密小説(ミステリイ)、怪奇・犯罪小説などをも、広く探偵小説と呼ぶ場合もあるが、厳密には探偵小説とは難解な犯罪事件の秘密が小説中の人物によつて論理的に徐々に解きほぐされて行き終に明快な解決に至るといふ形式の、謂はば科学と文学の混血児の如き特殊の小説である。小説そのものの面白さの外に、読者が作中の探偵と相競つて自から謎を解くことを楽しみ得るといふ二重の興味を備へてゐる点に探偵小説の特殊性がある。この意味で探偵小説は「謎々」の文学化であると云はれるが、その反面に人類の犯罪そのものへの潜在的興味が重大な要素となつてゐることは云ふまでもない。

 「人類の犯罪そのものへの潜在的興味」を敢えて指摘している点に、この時期の乱歩らしさがかいま見える気がします。
 それはともかく、昭和10年の『日本探偵小説傑作集』の編纂や、翌11年から12年にかけての『世界文芸大辞典』における探偵小説関連項目の執筆に示されているとおり、乱歩はこの時期、探偵小説の気ままな愛好者から、体系的で理論的な探偵小説研究者への自覚的転身を図っているように見受けられます。


●1月8日(月)
 フレンチーさんの村山槐多系サイト「がらんす倶楽部」がリニューアルされました。アドレスも変更されました。一度お運びください。

がらんす倶楽部


●1月7日(日)
 昨日、昭和48年に筑摩書房から出た昭和国民文学全集の月報を眺めていると、尾崎秀樹の「江戸川乱歩の交友」という文章があって、なかに「篤学者岩田準一」という章がありました。冒頭を引くと──

 江戸川乱歩が鳥羽造船所に勤めていた頃、知りあった友人に、岩田準一という人物がいる。岩田はまだ宇治山田の中学の生徒だった。
 岩田準一は明治三十三年鳥羽市に生れた。中学卒業後、神宮皇学館に学んだが、その後上京して文化学院絵画科を卒えている。彼は中学時代に、かねて私淑していた竹久夢二について学び、「夢二抒情画選集」上下巻の編集に従ったこともあった。

 岩田準一は同性愛文献の丹念な収集と研究で知られますが、のちに渋沢敬三が主宰するアチック・ミュージアムに加わり、伊勢志摩地方の民俗調査にあたりました。そして昭和20年2月、四十六歳の若さで死去し、遺稿の出版に乱歩が尽力したエピソードは、乱歩ファンにはよく知られているだろうと思います。
 この準一の孫にあたるお嬢さんが、三重県鳥羽市に住んでいらっしゃいます。今年いただいた賀状には、4月か5月に本が出ると書かれてありました。本というのは、準一と乱歩の「愛」をテーマにした長篇小説で、新潮社から書き下ろしで刊行されるそうです。まことにご同慶の至りです。またいずれ、詳細をお知らせすることにいたします。


●1月6日(土)
 妙なもので、こういうスペースを設けると、なんとなく毎日よしなしごとを書いてしまいます。いずれ飽きるとは思います。とりあえずきょうのところは、お知らせするべきことは何もありません。


●1月5日(金)
 じつに久方ぶりに「隠文学誌」の増補を行いました。名張人外境は基本的に図書館系サイトで、乱歩以外に「名張」に関するデータの充実も目指しているのですが、ホームページばかりに時間を割くわけにも行かず、まあぼちぼちやるしかありません。とりあえずきょうあたりからお酒の量を控えることにしたいのですが、しかし世間ではあすからまた三連休ですから、もうしばらく新世紀最初のお正月気分を楽しむべきだろうという気もします。あなたはいかが?


●1月4日(木)
 いささか旧聞に属しますが、昨年11月17日の「神戸新聞」、「人」という人物紹介欄に、「核兵器廃絶──地球市民集会ナガサキ」で実行委員長を務めた土山秀夫さんが登場しました。記事の最後の段落を引用します。

 「江戸川乱歩にプロになるよう勧められたこともあるんですよ」と秘話を打ち明けた。長崎市出身。七十五歳。

 土山さんのペンネームは土英雄。『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』の285ページには、乱歩が土英雄の短篇「切断」に寄せたルーブリックが収録されています。
 こうしたたぐいの記事を「乱歩文献」と称することには無理があり、しかし乱歩の名前が出てくるのは事実ですから、これまでは扱いに窮していたのですが、これからはこの伝言欄にちょこちょこと記録してゆくことにしました。これでようやくこの欄の存在意義が見出せた、といったところでしょうか。
 なお、上記の記事については妹尾俊之さんのご教示をいただきました。
 眼についたものがあれば、どなたもお気軽にお知らせください。


●1月3日(水)
 新年も三日目です。
 本日は大阪で新年会です。
 お知らせするべきことはとくにありません。


●1月2日(火)
 案の定、二日酔いです。
 シャーロッキアン平山雄一さんのホームページ「The Shoso-in Bulletin 日本語版」に、「峯太郎・乱歩・ドイル掲示板」が新設されました。私もついさきほど、二日酔いを押してご挨拶を申しあげてきたところです。

峯太郎・乱歩・ドイル掲示板


●1月1日(月)
 新世紀の到来を機に、名張人外境を全面的にリニューアルしました。とはいえ、なんやかんやで時間が足りず、リニューアル前よりも公開ページが少ない状態で21世紀を迎える結果となってしまいました。お正月のあいだもリニューアル作業は継続するつもりなのですが、なにしろお正月のこととて、昼間からお酒は飲まねばならず、夕刻からは来客の相手もしなければならず、時間はそれほど取れない見込みです。
 さて、掲示板「人外境だより」の閉鎖以来、ホームページに日記を掲載してはどうかとのご慫慂を数人の方からいただいたのですが、日記を書く習慣のない人間にはそもそも無理なご注文で、とりあえず伝言板とでも呼ぶべきスペースをつくってみた次第です。
お知らせするべきことがあればここでお知らせしようかな、といった程度のことで、このスペースがこれからどうなるのかは私にもわかりません。
 それでは、これからリニューアル版をアップロードすることにいたします。うまくいったらおなぐさみ。
 末筆ながら、あなたの2001年がよい年であることをお祈りいたします。

 ●追伸
 リニューアル版のアップロードがどうやら無事に終了しました。30分ほどかかりました。それではこのへんでお酒を飲んでまいります。ただいま2001年1月1日午前10時55分。