2001年3

●3月31日(土)
 おやもうお昼。すっかり遅くなってしまいました。こんな時刻までいったい何をやっていたのかというとついつい発作を起こしてさる掲示板でアレクセイ君こと田中幸一君にご挨拶を申しあげていた次第です。こんなくだらないことに割くべき時間はないのですが弥生晦日の狂乱ということであすからは心機一転して自分がやるべきことをやってゆきたいと決意を新たにしております。なんちゃって。それでは。

大西巨人・赤人さん関連サイトの掲示板


●3月30日(金)
 きのうの朝はホームページ作成ソフトの調子が思わしくありませんでしたので、この伝言板を更新することもままなりませんでした。毎朝恒例の更新ができないとなると、何か忘れ物をしたような気がいたします。ふと思いついて、大熊宏俊さんが主宰するホームページ「とべ、クマゴロー!」の掲示板「ヘリコニア談話室」にお邪魔してきました。つらつらみずからを省みますに、私はどうやらネット上の掲示板とか日記とかにはまるで興味のない人間であるらしく、掲示板なるものを覗くのはじつに久方ぶりのことでした。で、その掲示板に何を書いてきたのかといいますと、要するにさあ大宴会をぶちかまそうということでしかなく、私はどうやら大宴会には興味のある人間のようです。

ヘリコニア談話室

 「宮澤の探偵小説頁」の宮澤さんが、さるテレビ番組の取材で乱歩邸の土蔵にいらっしゃったそうです。事前にその旨のお知らせを頂戴しておりましたので、土蔵のレポートをお願いしておきましたところ、さっそく掲載してくださいました。乱歩の著書の保存状態にも触れていただいております。著書目録を編むとなれば、最終的には土蔵に踏み込むことがやはり不可欠か。しかし出てこられなくなったら何としょう。詳細は宮澤さんの読書日記(3月27日)でお読みください。

読書日記 2001.03


●3月28日(水)
 しかしことここに至っては、名張市立図書館が『江戸川乱歩著書目録』のために乱歩の土蔵を調査できるかどうかなどというのはすでに些末なことでしかなく、名張市はいったい乱歩の土蔵のために何ができるのか、それを考えなければ木を見て森を見ないことになります。つまり平井隆太郎先生に、著書目録のために土蔵を調べさせてくださいとお願いをする前に、名張市は土蔵を保存するためにこういうことをしたいと考えております、あるいは残念ながら何もできませんということをはっきり申し出る必要があると思われます。
 昭和40年代なかばにちょこっとだけ盛りあがった名張市の乱歩記念館建設構想はいったいどうなったのか、構想は生きているのか死んだのか。私は名張市立図書館嘱託を拝命した時点で名張市教育委員会あたりにそのことを確認したのですが返答はなく、その後『乱歩文献データブック』の予算が獲得できたので平井隆太郎先生のお宅にご挨拶にあがることになったとき、乱歩記念館の構想も含めて名張市は乱歩のことをどう考えているのかを知っておきたいと思って、人の質問に回答もよこさぬ名張市教育委員会では話にならぬ、名張市長に会って話が聞きたいと図書館長に申し出ますと、教育委員会の教育長から図書館の嘱託風情が市長に会えると思っているのかとのお達しがありましたので、それなら仕方ないと教育長にお会いして上記の質問をいたしましたところ、口のなかで蒟蒻を咀嚼してでもいるようなお答えしかいただけなかったことを懐かしく思い出しますが、いまも事情は同じです。
 著書目録のためにご協力をとお願いするのであれば、名張市は乱歩先生に関してこんなことを考えておりますとまず示すことが必要でしょう。豊島区の乱歩記念館建設構想の断念が新聞報道によって周知の事実となっており、いっぽうで遺族側から土蔵の保存は個人の手に余る旨が表明されてもいる以上、名張市には乱歩の土蔵が迎えている危機にどう対処するのかを明らかにする義務がある、いや明らかにする以前に私はそれを切実に知りたいわけで、いまこそ名張市長に胸のうちを質したいと考えているのですが、遺憾ながらどうにも方途がありません。それに市長に会って話を聞いたところで、どうせ何も考えてはいないのではないかという気もいたします。
 
そもそも1997年1月、名張市役所市政記者クラブを前にした年頭の記者会見で、名張市長は乱歩記念館を建設したいと明言したのですが、などといったことをぐずぐず記しても仕方ないか。本日はここまでといたしましょう。


●3月27日(火)
 さて名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』の話題ですが、先日もお知らせしたとおり平成14年度に刊行する予定で準備を進めております。豊島区の乱歩記念館構想が頓挫してしまったいまとなっては、名張市立図書館以外に乱歩の著書目録を刊行しようなどと考えるところがあるとも思えません。となるとやはり八方手をつくして調べあげたあと、最終的には乱歩の土蔵に残された著作をチェックして万全を期したいと思う次第なのですが、果たしてそれが可能なのか。『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』の二冊の書誌を発行して名張市立図書館は一歩ずつ乱歩の土蔵に歩み寄ってはいるのですが、土蔵内に踏み込んで著書の調査をすることが果たして可能かどうか。それにだいたいが私は乱歩の土蔵にいまだ一度たりとも歩を踏み入れた経験がなく、乱歩の著書がどういった状態で保存されているのか見当もつかない次第なのですが、そのあたりどうなっているのでしょうか宮澤さん、と妙な呼びかけを記して本日はおしまいです。


●3月26日(月)
 きょうは時間がありません。これにて失礼させていただきます。なお本日「乱歩文献打明け話」をアップロードいたしましたが、この漫才はノンフィクションであり、登場する個人・団体はすべて実在のものであることをお断りしておきます。


●3月25日(日)
 20日死去した作家、翻訳家、「新青年」編集者の水谷準は、若き日に乱歩の代作を二点ほど執筆したことがあって、『探偵小説四十年』にはこのように記されています。

やはり大正十五年あたりと思うが、その時分、横溝君とつれだって毎日のように、私の筑土八幡町の家へ遊びに来ていた水谷準君にも、短いものを二つほど頼んだ記憶がある。これは散文詩のような気の利いた掌篇であったことだけ覚えている。当時水谷君は早稲田の仏文科の学生で、アルバイトとして「探偵趣味」の編集をやっていたのだから、やはり、いくらかでも小遣かせぎにと、老婆心のようなもので勧めたのだろうと思う。

 山前譲さんによれば、「乱歩の創作控えによると、『陰影』が準の代作である。散文詩ということからすれば、『蜃気楼』も準の代作なのだろう」(春陽文庫『蠢く触手』「講説」、1997年)とのことです。
 「婦人グラフ」大正15年6月号に掲載された「陰影」第一回の冒頭を引いておきます。脱字は原文のまま。

 相沢八郎が、話動写真の帰りがけに、近所で珈琲を啜りながら、見て来た許りのフイルムを、切れ切れに思ひだしては、自分がその主人公でゞもある様に、夢現ともわかたぬ時を過してゐと柱時計が梟の啼き声で、ホウ、ホウ、ホウ、ホウと鳴りだしたのであつた。相沢は心の中で十二声を聴き終ると、やつと立ち上つて、戸外に出て行つた。それは十一月の頃で、人通りの杜絶えた電車道には捨てられた新聞紙が風に吹かれて走つてゐた。相沢は後ろの闇の中から、ぱたぱたといふ草履の音を聞いた様に思つたけれど、振返つて見もせずに、うなだれた儘停留場の方へ歩いた。

 たしかにこれは乱歩の文章ではありません。
 この作品は鮎川哲也さんの編による鉄道推理アンソロジー『鮎川哲也と13の殺人列車』(1989年、立風ノベルス)に収録されていますが、鮎川さんの解説には、大正6年に谷崎潤一郎の未発表原稿なるものを巧妙に偽造して世を欺いたQという「常習的偽作者」が、一時消息不明になったあと「新青年」の大正15年1月号に短篇を発表しており、「陰影」は同年6月に分載が始まっていることから、「陰影」もまたQが偽作したものではないかとの推測が述べられています。事実はそうではなかったようですが、これはこれで興味深い考察であり、Qという人物への興味がかき立てられる次第です。
 『江戸川乱歩著書目録』では、『鮎川哲也と13の殺人列車』のようなアンソロジーへの収録も拾っておりますが、見落としがぼろぼろありそうで厭になります。


●3月24日(土)
 17日死去した女優の新珠三千代は、乱歩原作の映画に出演したことで乱歩とのゆかりが生まれ、「新婦人」という雑誌に乱歩との往復書簡を発表しています。「夢を召しませ」という特集のなかの、「夢をめぐる往復書簡」がそれです。乱歩が執筆した文章は、江戸川乱歩推理文庫60『うつし世は夢』(1987年、講談社)に「新珠三千代さんへ」というタイトルで収録されていますから(同書には初出が昭和32年の「新婦人」とあるだけですが、正確に記せば「新婦人」昭和32年1月号=12巻1号です)、ここには新珠三千代の執筆分から引用しておきます。

 ところで、先生、“夢”には色彩というものがないんですか。特殊な人は、色彩のある夢を見るということを、何かで読んだことがありますが、本当ですか?それが本当なら私も天然色の“夢”をみてみたいものですわ。私だつたら断然素晴らしいミュージカルものを見てみたいと思います。しかも自作、自演、自監督のものを……。どうせ“夢”ですから、どなたにも御迷惑はかけないし……。とにかく、もし特殊な薬があつて、それをのんだら何でも自分の好きな“夢”が見られるとしたら、どんなにか素適なことでしよう。
 先生の場合、やはり“夢”がいろいろお仕事に役立つことがあるんでしようね。何か推理文学と夢とは面白い関連がありそうな気がいたしますもの。
 先生から、“夢”についての面白い御返事を楽しみにお待ちしておりますが、あんまり、こわいお話は出さないでくださいネ。
 それこそ毎日“夢”にでもみてうなされると困りますから……。

 乱歩の回答は『うつし世は夢』p.214−217 でお読みください。それにしても、この『うつし世は夢』を手に取るたび、目次がどこにも存在しないというなんとも杜撰な編集に、私は舌打ちを禁じ得ません。定本乱歩全集の刊行が心待ちにされる次第です。私はとりあえず『江戸川乱歩著書目録』を完成させねばならぬのですが。


●3月23日(金)
 豊島区が乱歩記念館をつくるのであれば、いずれ蔵書目録の一冊として乱歩の著書目録も編まれるにちがいない。それならわざわざ名張市立図書館が『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行する必要はないのではないか。
 私はそんなふうに考え、昨年6月、豊島区役所を訪ねて区教育委員会の担当者の方とお会いしたときも、乱歩の著書目録をつくる予定はあるのかとお訊きしたのですが、いやまだとてもそんなことまでは、とのお答えでした。
 それなら名張市立図書館がつくるしかないなと諦め、調べられるだけ調べあげて作成した著書目録のいわば草稿は、昨年11月にプリントアウトしてみたところ、B5 の用紙で百七十一枚の分量がありました。点数でいえば何百点になるのか、まだ数えてみたことがありません。


●3月22日(木)
 私は当初、つまり名張市立図書館嘱託を拝命して江戸川乱歩リファレンスブックをつくろうと考えた当座には、『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』という三冊の書誌を三年で発行するつもりでした。嘱託の任期は三年だと聞かされていましたから、一年一冊の計算です。しかし無理でした。詳しい事情は煩瑣ですから省きましょう。奥付に1998年3月発行と記されている『江戸川乱歩執筆年譜』は、実際の刊行が同年12月にまでずれ込んでしまいました。そこで、遅れついでに一息つこうと私は考えました。それまでと同じペースで三冊目の書誌の編纂に着手した日には、もしかしたら過労死してしまうのではないかと思われたからです。ちなみに嘱託の任期が三年であるという話は、どうやら根拠のない出鱈目であったらしく、私は三年たたぬうちにリストラに遭いそうになったり、かと思うと三年が過ぎても嘱託のままでありつづけたり、お役所というのはさても面妖なところだなと実感している次第なのですが、そんなことはともかくとして、これも仔細を省いて結論だけお知らせすると、『江戸川乱歩著書目録』は平成14年度に発行する予定になっております。平成14年、つまり西暦2002年は、乱歩が晩年に名張を訪れて「ふるさと発見」を果たした昭和27年、つまり西暦1952年から数えてちょうど五十年目にあたります。生誕百年のあとはふるさと発見五十年で盛りあがろう、いや別に盛りあがらなくてもいいのですが、名張市と乱歩の関係において重要な節目の年だからと理由をつければ財政難というお役所の免罪符も効力が薄れるのではないかとの計算もあって、とにかくそういうことになっております。
 そしてそんなこととはまったく無関係に、東京都豊島区が西池袋の乱歩邸を乱歩記念館として整備するという話がもちあがったわけです。


●3月21日(水)
 名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックは、これまでに次の二巻が刊行されています。
 『乱歩文献データブック』1997年3月
 『江戸川乱歩執筆年譜』1998年3月
 つづく三巻目が『江戸川乱歩著書目録』です。
 とりあえずこの三冊の書誌をまとめておけば、名張市立図書館は乱歩生誕地にある図書館としての務めをなんとか果たすことができるであろうと思われます。というか、乱歩の本をただ集めるだけではそこらのコレクターと選ぶところがないわけで、これまでに収集した乱歩に関する資料をいかに体系化し、公のものとしてゆくか、みたいなことを考えた場合、こうした書誌の作成は避けては通れない作業になります。
 この三冊の書誌づくりでは、巻を追って乱歩の土蔵に接近することを目論みました。一巻目よりは二巻目、二巻目よりは三巻目において、乱歩の土蔵はより重要な意味をもつことになります。要するに、乱歩の著書がもっとも多く保存されているのは乱歩邸の土蔵にほかなりませんから、著書目録を編むとなれば乱歩の土蔵を調査するのが一番手っ取り早いわけなのですが、いきなり土蔵を調べさせてもらうわけにもいきません。
 ですから、三冊の書誌のなかではもっとも土蔵から遠いところにある(土蔵内の資料にはもっとも無縁な、という意味です)『乱歩文献データブック』をまずつくり、次に『江戸川乱歩執筆年譜』を手がけるという順序を踏んでゆけば、名張市立図書館が狂気と妄執に取り憑かれて乱歩の書誌をつくっているのだということが乱歩のご遺族にもある程度ご理解いただけるはずであり、そうなると『江戸川乱歩著書目録』編纂にあたって土蔵内を調査させていただくことも可能になるのではないかと、江戸川乱歩リファレンスブックとして書誌三冊の刊行を構想した私は計算高く企んだ次第でした。


●3月20日(火)
 といったようなところで『近代作家自筆原稿集』に関する話題を終えることにいたします。同書を拝見したうえで、また何かお知らせするべきことがあるようでしたらあらためて伝言いたします。
 といったようなところで昭和10年前後の乱歩における少年の発見というテーマに戻ろうと思ったのですが、伝言録を読み返したところ3月13日の時点で話題が江戸川乱歩リファレンスブックに脱線しておりますので、とりあえずそちらを片づけたいと思います。
 といったようなところでさらに脱線を重ねますと、3月17日に天神さんの間抜けな牛の画像を添えてお知らせしたとおり、三重県の公立高校の合格発表がきのう行われたのですが、おかげさまで姪も合格しておりました。天神さんの牛の霊験はまことにあらたかであると申しあげておきます。本日はその三重県上野市東町の菅原神社、通称天神さんへのお礼参りと、なにしろお彼岸の中日ですから、上野市沖にある亡父の墓所への墓参とを果たすべく(なんと無節操な宗教生活でしょうか)、忙中閑あり、上野市へ赴きます。昼食はおそらく、上野銀座通りに3月1日オープンした「Be」という知人の店(この店名は、ベ、ではなく、ビー、とお読みください)でとることになると思いますので、お近くの方はお気軽にお立ち寄りください。
 といったようなところで本日は失礼いたします。


●3月19日(月)
 とはいえ、『近代作家自筆原稿集』に収録された「鏡地獄」がローマ字独習用に改作されたものであると考えた場合、気になることがひとつ出てきます。改作原稿が旧仮名遣いで書かれている点です。ローマ字独習本というのであればいずれ戦後の企画でしょうから、その原稿が旧仮名で書かれていることには多少の引っかかりを覚えざるを得ません。
 現代かなづかいは昭和21年11月の内閣告示で公布されていますが、当の乱歩が原稿執筆に際していつごろまで旧仮名遣いを採用していたのかがわからなければ、この問題には結論が出せません。ついでのおりに平井隆太郎先生にお訊きしてみたいと思います。
 一方、義務教育においてローマ字教育が実施されたのは昭和22年4月のことですが、ただちに乱歩作品をテキストとしてローマ字独習本なるものを企画するだけの土壌が出版界にあったかどうか、これも不明というほかはなく、むしろその可能性は低いと見るべきかもしれません。昨日ご紹介した『夢の殺人』と『二癈人』は昭和34年、35年の刊行です。
 といった次第で、私の推測もまあずいぶんと危なっかしいものではあるのですが、ひとつの仮説として提示しておきたいと思います。ご意見はお気軽にメールでお寄せください。

 話はまったく変わりますが、任期満了に伴う三重県上野市長選挙が昨18日に告示され、現職が無投票で三選を果たしました。私はたまにゴーストライターを頼まれることがあって、かれこれ十日ほど前にも、上野市長選挙を控えて上野市の課題問題を語る、みたいなテーマの文章をさる日刊紙地方版のためにゴーストライティングしたのですが、驚くべきことにこの原稿が没になってしまいました。お手当をあてにして ATOK14 を購入してしまっていた私は、当てと褌は向こうから外れるという先人の至言を噛み締めているところです。


●3月18日(日)
 貼雑記録でご覧いただいたように、「鏡地獄」改作原稿の余白には「Edogawa Rampo」という署名が三つ記されています。むろん落書きなんかではあり得ません。それなら何のために、と推測してみますに、作品には作者の欧文署名を添えたいという出版者側の要請があったのではないかと判断されます。だから乱歩は署名を三つ書いてみて、うちひとつは横線を入れて没としたうえで、あとは編集部の選択に委ねたのだと考えられます。
 といった具合に見てきますと、『近代作家自筆原稿集』に収録された「鏡地獄」の改作原稿は、おそらく子供向きの読みものとするために執筆されたものであり、その収録にあたっては作者の欧文署名を添えることが予定されていた、という結論(むろん「毎日新聞」夕刊の記事だけに基づいた、きわめて恣意的な結論です)に至ります。
 さらに想像をたくましくして、それがいったいどんな本であったのかを考えてみると、たちどころに思い浮かぶ答えはひとつしかありません。子供のためのローマ字の独習本です。
 乱歩作品をローマ字独習用テキストに採用した本としては、『夢の殺人』と『天空の魔人』の二冊が発行されています。前者は「二癈人」を改題したもの、後者は少年もの唯一の短篇ですが、いずれも日本語の本文の一部がローマ字で表記され、読み進むに連れてローマ字の割合が増えてゆく体裁になっています。ちなみにこの二冊には、「まえがき」「少年少女のみなさんへ」と題した乱歩のメッセージが収録されていますが、そこには欧文の署名が添えられていたように記憶します。
 「鏡地獄」はそもそも科学雑誌の投稿欄から想を得て書かれた作品で、少年少女の科学精神に訴えかける要素があるといえばいえますし、中年男二人の対話劇で運命の皮肉を陰々滅々と語った「二癈人」よりは成長期の読書に適しているようにも思われますから(「二癈人」にはエロチックな場面は出てきませんが)、それをローマ字独習用のテキストにと考えた出版社がなかったとはいいきれないでしょう。


●3月17日(土)
 さて『近代作家自筆原稿集』の話題ですが、この「鏡地獄」の改作はいったいどういう要請に基づいていたのでしょうか。
 くだんの新聞記事には、原稿を収集した青木正美さんの「戦時下にどこかの出版社から、『鏡地獄』を短くして再掲載したい、と求められた乱歩が改作を試みたものだろう」との推測が紹介されています。青木さんはさらに、改作が戦時下に行われたと見る理由を「エロチックな場面を含むところを抹消している。戦時下の乱歩は《風俗紊乱》の代名詞で、原稿の注文はほとんどなかったから、改作の注文にも応じたのだろう」とも説明していらっしゃいます。
 しかし、どうも腑に落ちません。たしかに戦時下の乱歩は「風俗紊乱」の代名詞で、乱歩自身も『探偵小説四十年』において、「各出版社がその筋の意向をおもんぱかって、重版を遠慮する傾向が見える」という昭和16年の私記を引用しながら、出版界から敬して遠ざけられたせいで著書の「全滅」さえ覚悟した当時のことを記しています。
 そんな時代に、乱歩の旧作を出版したいという奇特な出版社が本当にあったのかどうか。もしもあったとすれば、風俗紊乱の代名詞を堂々と世に出してやろうという豪毅な出版社が、「鏡地獄」に見られる程度のあわあわしい「エロチックな場面」を気にかけるのは妙な話ですし、三十五枚程度の短篇をさらに短くと作者に依頼することの狙いがそもそも不可解です。
 別の説を立ててみましょう。
 子供のための改作。
 そんなところではなかったかと私には思われます。
 「鏡地獄」を子供に読ませるとなると、作品冒頭に二人の「私」が登場する紛らわしさは改められるべきであり、あわあわしいものであってもエロチックな場面を抹消することが必要であると、読者の年齢への配慮に基づいた判断がくだされても不思議ではありません。そしてそうした眼で眺めると、改作原稿にある「無気味な怪談や痛快なハラハラするやうな冒険談」というフレーズは、またいかにも少年少女向けの文言であるように見えてくるではありませんか。
 だとすれば、どういった理由によって「鏡地獄」が子供向きに改作されたのか。それを考える手がかりは、原稿の余白に記された「Edogawa Rampo」という署名です。

 気を持たせながらあしたにつづきます。なおこのところ身辺いささかあわただしく、ホームページの更新はこの伝言板だけでほぼ手一杯になっております。さらに私事を連ねますと、当地の県立高校では3月14日に入学試験が行われ、合格発表は19日となっておりますが、姪の一人が受験生でしたので、ちょうど一週間前の10日土曜、学問の神様として知られる三重県上野市東町の菅原神社、通称天神さんに姪を引き連れて参詣し、境内に寝そべる牛の像に手を合わせて合格を祈願してきた次第です。しかし、このなんとも間抜けな面相をした牛にすがることが果たして正解だったのかどうか。そんなこんなで、妙に気持ちの落ち着かない春を迎えております。

天神さんの間抜けな牛


●3月16日(金)
 恐縮ですが話題が変わります。『近代作家自筆原稿集』のことはまたあした綴るとして、きょうは光文社文庫の新刊『「猟奇」傑作選』(編=ミステリー文学資料館)について記します。咎め立てをする気はさらさらないのですが、読者が真に受けたらちょっと困るな、という記述がありますので訂しておきます。
 『「猟奇」傑作選』の巻末には、霞流一さんの解説「『猟奇』よ、今夜もありがとう」が収録されています。なかに、読者の人気を集めたらしい同誌のコラム「りょうき」について書かれた箇所があります。引きましょう。

もっとも驚いたのは、読者が江戸川乱歩を批判した声に対して、なんと、かの大乱歩が「……一つには目下非常に健康を害して居りますので、当分の間原稿執筆を休むことに致しました。決して探偵小説にいや気がさした訳ではなく、却て探偵小説に限りなき愛着を感ずればこそ、暫らく原稿締切日の呵責を逃れ、反省の時を得たいと思うのでございます……云々」と弁解の返答を寄せているのだ。あの大乱歩が、というよりも、むしろ、乱歩ほどの大人だからこそ、と言い直すべきだろう。なんとおおらかな人、なんとおおらかな雑誌、時代だったことよ。

 ここに引用されている乱歩の文章は、乱歩が「弁解の返答」として「りょうき」に寄せたものではないと思われます。同書 p.449 の「昭和七年三月/江戸川乱歩」と署名が入った当該の文章をご覧いただくと話は早いのですが、これは明らかに四角四面な挨拶文で、弁解の返答と読むことには無理があります。昭和7年3月といえば、平凡社版全集の完結を区切りとして乱歩が二度目の休筆に入った時期で、乱歩は関係者に宛てた葉書でそれを通知しています。『貼雑年譜』の昭和7年のページから引きましょう。

三月十六日出シタ休筆ノハガキハ今残ツテヰナイノデコゝニ貼ルコトガ出来ヌ。

 葉書は当然「猟奇」編集部にも届いたはずで、そこに印刷された休筆通知の挨拶文がそのまま「りょうき」に掲載されたと理解するべきでしょう。つまり『「猟奇」傑作選』に収録されたコラム「りょうき」は、ゆくりなくも『貼雑年譜』を補完する資料となっているわけです。
 といった次第で、どうも気になりますので私見を記しました。これ以上書くと咎め立てになりそうですから、ここまでといたします。それではまたあした、『近代作家自筆原稿集』の話題でご機嫌をうかがいます。


●3月15日(木)
 貼雑記録で当該の新聞記事をご覧いただいたものとして話を進めます。
 この記事でまず気にかかるのは、『近代作家自筆原稿集』に収録された「鏡地獄」の改作原稿が、それを収集した青木正美さんが推測されるとおり戦時下に執筆されたものであるのだとすれば、原稿の欄外に三つも記された「Edogawa Rampo」の署名には違和感を覚えざるを得ないということです。敵国の文字をつかって署名を記す必要が、いったいどこにあったのか。この素朴な疑問を最初に呈しておきます。
 改作箇所を見てみましょう。記事には「原稿の冒頭は現在知られている『鏡地獄』の冒頭の導入部がすっぽり削られている。また文庫本の後半にも数十行棒線で消しているところがある」とあります。冒頭を書き改め、作品に削除を施すことが、改作のポイントだったことになります。
 では、冒頭の改稿は何を狙ったものか。ひとことでいえばわかりやすさでしょう。従来のままでもわかりにくくはないのですが、「鏡地獄」はいわゆる入れ子構造の小説で、それがわかりにくいといえばわかりにくい。具体的に示しますと、作品は、

 「珍らしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう」
 ある時、五、六人の者が、怖い話や、珍奇な話を、次々と語り合っていた時、友だちのKは最後にこんなふうに語りはじめた。

 と始まります。地の文の語り手は一人称の「私」です。語りはさらにつづいて、

……その話は、異様に私の心をうったのである。話というのは、

 私に一人の不幸な友だちがあるのです。

 と、地の文の段落が「話というのは、」の読点でいきなり打ち切られたあと、一行あけて「私に一人の」と新たな段落が始まります。この新しい段落の「私」はKに代わっており、作品はこれ以降Kによる一人称の語りで進められます。最初に顔を出した「私」は二度と登場しません。つまり一行の空きを挟んで、ここには二人の「私」が存在していることになります。劈頭の語り手と、その友人であるKと。
 しかし改作原稿は、K自身の語りでこんなふうに始まっています(Kという語り手の名前は、したがって読者に知らされることがないわけですが)。

 皆さんの無気味な怪談や痛快なハラハラするやうな冒険談のあとで、私は少し風変りなお話をしませう。私の不幸な一人の友達の世にも不思議な最期についてです。

 原稿は二百字程度しか写真に写っていないため改稿の詳細は不明ですが、中井英夫が「確かに要らないといえば要らない、余計な文章には違いないけれども、こうした一種のためらいというか筆の遊びというか、独特な語りくちがいかにも乱歩らしくてゾクゾクさせられたものだった」と評したところの、乱歩独特のまさしく語り口、それをあっさり捨て去って、お話はきわめて単純明快に始まる結果になっています。
 冒頭以外の改稿、つまり棒線で示された削除の指定は、青木さんによれば「エロチックな場面を含むところを抹消している」とのことですが、はて「鏡地獄」にそんな場面があったのかとあわてて探してみると、たとえば次のような描写がそれに該当するらしいと推測されます。

 そのうちに、鏡の部屋へはいるのは、彼一人だけではないことがわかってきました。その彼のほかの人間というのは、彼のお気に入りの小間使いでもあり、同時に彼の恋人でもあったところの、当時十八歳の美しい娘でした。彼は口癖のように、
 「あの子のたったひとつの取柄は、からだじゅうに数限りもなく、非常に深い濃やかな陰影があることだ。色艶も悪くはないし、肌も濃やかだし、肉付きも海獣のように弾力に富んではいるが、そのどれにもまして、あの女の美しさは、陰影の深さにある」
 といっていた。その娘と一緒に、彼は鏡の国に遊ぶのです。

 この「エロチックな場面」の削除も、なんだか腑に落ちません。ではまたあした。


●3月14日(水)
 予定をちょっと変更して(私は比較的気まぐれです)、最近の乱歩関連本をご紹介します。

横尾忠則『コブナ少年』
文藝春秋、本体一六一九円
副題は「十代の物語」。のちに時代を象徴するイラストレーターとして活躍することになる著者が、その幼少年期から上京前夜までを描いた自伝です(自伝の一部というべきか)。「青銅の魔人」という章で中学生時代の乱歩体験が語られますが、「青銅の魔人」「虎の牙」「透明怪人」の三作を「少年」の連載で読み、著者は「気が狂ったように江戸川乱歩の世界にとり憑かれ」たといいます。このあたり、断続的に綴っている伝言板の少年ネタであらためてとりあげるかもしれません。

山前譲『日本ミステリーの100年』
光文社、知恵の森文庫、本体六四八円
1901年から2000年まで、日本ミステリーの歴史をクロニクル形式で跡づけたガイドブック。乱歩に関する記述も多く見られ、年ごとの見出しから拾うだけでも、「江戸川乱歩、『秘中の秘』に夢中」「江戸川乱歩、ポーとドイルを知る」「江戸川乱歩、古本屋開業」「江戸川乱歩、衝撃のデビュー」「明智小五郎登場」「江戸川乱歩の休筆宣言」「掲載誌を増刷させた「陰獣」」「江戸川乱歩、隠栖を決意」「江戸川乱歩、『貼雑年譜』を製作」といった具合。名張市と名張市立図書館の話題も記していただいており、たいへんありがたい次第です。

 ついでにお知らせしておくと、東京創元社の『貼雑年譜』完全復刻版、不況もどこ吹く風と完売になったそうです。同社ホームページに13日付でその旨の告知が発表されていますが、テレビ番組「ほんパラ!関口堂書店」で紹介されたことが完売につながったのでしょうか。私はテレビ画面の出川哲郎に向かって「こらこらおのれごときあほたれが気易うさわれる本とちゃうねん」と優越感に充ちて語りかけ、こいつが手にした復刻版を買う羽目になる人は可哀想やなと同情を禁じ得なかったのですが、よく考えてみたらこれは生番組ではありません。したがって番組収録のためスタジオに持ち込まれ、出川哲郎の前に置かれた復刻版がふたたびきちんと包装されて私のもとに発送されたという可能性もないではないのです。それに気がついた私は眠れぬ一夜を過ごしました。

 このほか、ウイークリーと銘打ちながらなぜか不定期の刊行がつづく野村恒彦さんの「Quijinkyo Weekly Online Magazine」最新号によれば、扶桑社から「昭和ミステリ秘宝」の新刊で小栗虫太郎『二十世紀鉄仮面』と加田怜太郎『加田怜太郎全集』が出ています。もしかしたら乱歩の文章が収録されているのではないかしら、と睨んでいるのですが、生憎このシリーズは名張の本屋さんには並びませんので未確認。

 もうひとつ、これも現物は未見なのですが、『近代作家自筆原稿集』(東京堂出版、八〇〇〇円)というのが刊行されています。「毎日新聞」の7日付夕刊で紹介されましたので、関係各位のご協力のもと「RAMPO Up-To-Date」の貼雑記録に昨日スクラップいたしましたが、「鏡地獄」の改作について記されたこの記事には、どうも気にかかるところがあります。つづきはあした綴りましょう(この予定はたぶん変わりません)。

貼雑記録


●3月13日(火)
 さてその「幻想文学」第60号、特集「幻想ベストブック1993−2000」のアンケートにおいて、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックが見事に雑魚のとと混じりを果たしておりますので、狂喜乱舞しながらここにお知らせする次第です。アンケートは、1993年5月から2000年4月末までに日本で刊行された幻想文学関連書籍を対象に、同誌執筆者と読者が印象に残った三点を回答するという趣向。なかで、高原英理さん(『少女領域』でおなじみ)と藤田知浩さん(「朱夏」でおなじみ)が、有難くも勿体ないことにベスト三のひとつとして江戸川乱歩リファレンスブックをお挙げくださいました。こんなところで何ですが、お二人には心からお礼を申しあげます。
 しかもなお、さらにまた、特集関連の須永朝彦さんと山尾悠子さんによる特別対談「天使と両性具有」には、須永さんのこんなお言葉も収録されております。

須永 名張市立図書館から出た『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』の二冊の資料集。これは大したものですね。松山俊太郎さんにお見せしたら、「さすがに大乱歩だな、こういうのが出るのは」と。とにかくたいへんな労作です。とはいえ、乱歩は長篇の書き出しはどれもすばらしいんだけれども、三分の一くらいまで読むとあーとなってしまう(笑)。『孤島の鬼』と『暗黒星』が好きです。

 ひたすら深謝申しあげます。それにしても、この地上のどこかでくりひろげられたのであろう、須永朝彦氏ガ松山俊太郎氏ニ江戸川乱歩りふぁれんすぶっくヲ見セルノ図、などというワンシーンを想像すると、全身に顫えが走るような気がします。天使が見えるような気もします。
 ところで、その江戸川乱歩リファレンスブックの第三巻はどうなっているのかと、気にかけていただいている方がおありかもしれません。そのあたりの事情はまたあすにでもお知らせいたします。とにかく第三巻も出ますので、もしかしたら「あー」となってしまうのではないか、といったご懸念はご無用に願います。


●3月12日(月)
 私は雑誌というものにほとんど眼を通さない人間なのですが(といったことは以前にも記したような気がしますが)、唯一定期購読している雑誌が「幻想文学」です。季刊というゆったりしたペースなので(最近ではインターバルがさらに長くなり、すでにして季刊とは呼べぬかもしれませんが)まず買いそびれることがなく、結果として毎号欠かさず入手することを得ております。だいたいまあ本にしても雑誌にしてもまるで火がついたか債鬼に追われたか気が違ったかしたみたいに日々怒濤のごとく粗製濫造されているけったいなご時世に、これはまたその存在だけでも珍とするに足る雑誌であるかと思われます。その「幻想文学」の最新号、「幻想ベストブック1993−2000」を特集した第60号(本体一五〇〇円)が発売されました。というところで時間がなくなりました。つづきはまたあした。60号の概要はアトリエ OCTA のホームページでご覧いただけます。

アトリエ OCTA


●3月11日(日)
 少年を追体験する、と見える乱歩の試みは、昭和10年前後の随筆でひとつのピークを形成しています。
 昭和22年刊行の『幻影の城主』は、「まだ本になっていない随筆類を纏めてみた」という乱歩三冊目の随筆集で、「自序」ではその内容が、

冒頭の「彼」から「活字と僕と」までの四篇は私自身の性格解剖と告白に関するもの、「人形」から「ビイ玉」までの六篇は怪奇への郷愁に関するもの、「書斎の旅」以下の六篇は古代ギリシャへの憧れと人間心理の特殊の分野を覗いて見た感想ないし研究である。

 と三つに分類して紹介されていますが、通底する主題は少年であるといえます。少年を直接の題材とした作品は、目次から拾えば、

活字と僕と(昭和11年10月)
幻影の城主(昭和10年12月)
レンズ嗜好症(昭和11年7月)
ビイ玉(昭和11年11月)
彼(昭和11年12月─12年4月)

 といったあたり。ほかにも、時期はやや早いのですが昭和6年1月の「人形」を挙げることも可能でしょう。描かれているのはいずれも自身の少年期ですが、乱歩は単にそれを回想しているのではなく、時の隔てを越えてそこに立ち戻り、それをもう一度体験しようとしているように見えます。


●3月10日(土)
 随筆に眼を転じても、少年という題材はごく初期の作品から登場しています。
 初の随筆集『悪人志願』に収録された「乱歩打明け話」と「恋と神様」は、いずれも大正15年に発表された作品で、ともに少年時代の恋愛を主題とする内容です。描かれた少年は乱歩自身にほかなりません。自我の連続性を過去に遡ってゆくことでそれにたどり着けるところの、かつて自分であった一人の少年を、乱歩はじつにくつろいだ文章であっけらかんと回想し、分析を加え、彼我の懸隔を嘆じます。
 「恋と神様」は、

 遥かに当時を回顧すれば、あまりにも人間らしくなった今の私が、妙にけがらわしく、恥ずかしく感じられます。

 と結ばれますが、ここに示されているのはあくまでも自分自身への興味であり、少年一般に対するそれではありません。自我の連続性で結ばれているはずの、しかし決定的に隔たってしまった「今の私」と「当時の私」とを、愛着と嫌悪を綯い交ぜにして乱歩は顧みています。同じく大正15年の「旅順海戦館」でも、子供時代の見世物への熱中を綴りながら、「そうした癖は、考えてみると、私の生れながらのものであったのかもしれない」とつけ加えることを乱歩は忘れません。
 随筆家乱歩にとって、語るべき少年はかつての自分のほかにはなく、それは時間という隔たりの向こうに存在する静止した対象物であったというべきでしょう。しかし、昭和3年に書かれた「少年ルヴェル」において、乱歩は自己に限定されない少年一般の内実を、対象そのものになりきったかのような切実さで記してみせます。

 際はてしのない広い広い野原を、小さな子供が一人ぼっちでとぼとぼと歩いている。もう日が暮れかかって来るのに、どちらを向いても一軒の人家も見えない。この、闇の夜の森の中をやっぱり一人ぼっちの子供が歩いている。森は深く、家路は遠い、その淋しさ、悲しさ、怖さ、というようなものが、ルヴェルの短篇の随所に漂っている。
 世には、少年でなければ感じられぬ、いわば純粋な悲しみ、純粋な恐れというようなものがある。大人は夜墓場を通っても少年のように、怖くない。それは彼の頭の中が浮世の雑念で一杯になっていて、そのような人間生来の恐怖を感じるには、あまりに不純だからである。だが、大人でも、何かの機縁で、ふと虚心になった時、浮世の物思いを忘れて、生れたままの人間になった時、少年の恐怖がサーッと身内に湧き上がって来るのを感じることがある。そんな時、たとえば墓場を通っていても、彼は非常な恐怖に襲われるのだ。

 「少年の恐怖がサーッと身内に湧き上がって来る」というのは、少年時代を回想することで得られる感覚ではありません。いまや時間の隔たりは消滅し、少年は静止する対象物であることをやめて、心の揺らぎ、顫え、戦きをじかに伝えてきます。乱歩はここで、もう一度少年になっている、つまりは少年を追体験しているといえるでしょう。


●3月9日(金)
 あるいは昭和4年から5年にかけての「孤島の鬼」に、「いわゆる先天的犯罪者型に属する子供」として登場する少年軽業師を思い出してもいいでしょう。これらの作品に描かれた少年は、尋常ならざる遺伝や環境、教育のせいで、どんな残虐な悪事をも平然と行うことのできる怪物的存在です。
 こうした少年像の造型に、その身体的特徴、つまりからだの小ささを殺人に利用するという探偵小説的要請が与っていることは間違いありません。その意味で「孤島の鬼」や「魔術師」における少年は、犯罪の不可能性や意外性を構成するための素材でしかありませんでした。作家乱歩にとって少年は、
いまだまったく特権的ではない存在であったといえます。
 ところで、「田舎の子供が蛙を殺して喜ぶように、この少年は人間の胸に短刀をつきたてて喜ぶのです」という「魔術師」の一節は、萩原朔太郎の著名な詩「蛙の死」を容易に連想させるものですが、月並みといえば月並みきわまりないこの比喩には、しかし子供と田舎の双方に対する乱歩の嫌悪、敢えていえば密かな怯えが濃厚に滲み出ているように見受けられ、剥きだしの野生を前にしたときのそうした反応は、乱歩と朔太郎に共通するものであるようにも思われます。
 やはり朔太郎の、同じく『月に吠える』に収録された「田舎を恐る」を引いておきましょう。

わたしは田舎をおそれる、
田舎の人気のない水田の中にふるへて、
ほそながくのびる苗の列をおそれる。
くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。
田舎のあぜみちに坐つてゐると、
おほなみのやうな土壌の重みが、わたしの心をくらくする。
土壌のくさつたにほひが私の皮膚をくろずませる、
冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。

田舎の空気は陰鬱で重くるしい、
田舎の手触りはざらざらして気もちがわるい、
わたしはときどき田舎を思ふと、
きめのあらい動物の皮膚のにほひに悩まされる。
わたしは田舎をおそれる、
田舎は熱病の青じろい夢である。

 他人の詩を書き写すというのは、いくつになっても妙に気恥ずかしい行為です。


●3月8日(木)
 江戸川乱歩データベース三点セットは昭和21年まで公開が進みました。乱歩、欧米の探偵小説について堰を切ったように語り始めております。が、この伝言板ではもうしばらく、昭和10年代の乱歩をめぐってご機嫌をうかがいます。
 昭和10年前後の乱歩に訪れたもっとも重要な内的事件は、あるいは「少年の発見」とでも呼ぶべき事態であったかもしれません。少なくとも小説家として見た場合、この時期の乱歩は少年ものという新しい領域の開拓に挑み、それに成功しています。そして戦後はそこにこそ本領を見出したかのごとく、戦前にはあんなにぶつぶつ文句をいいながらときどき休筆まで挟んで小説を書いていた人がまあ、ひとことの愚痴もこぼさず病でそれが不可能になるまで営々孜々として少年ものを書きつづけることになるわけです。昭和10年前後に小説家としての転回点を見ること、そしてその契機が「少年の発見」にあったと想像することは、けっして不可能ではないでしょう。
 むろんそれまでにも、乱歩の小説に少年が登場しなかったわけではありません。昭和5年から6年にかけて発表された「魔術師」の大団円で、明智小五郎が犯人を弾劾する科白を引きましょう。

 浪越君、福田氏殺害事件と、今度の玉村氏惨殺事件に出没した例の巨人の秘密はここにあったのです。妙子さんは進一少年に異様な教育をほどこした。この子供の頭から、あらゆる道徳観念、正義観念を追いだして、遠い先祖の野獣から伝わった、残忍刻薄な性質ばかり発達させて行った。そして、全く良心の影さえもたぬ一個の陰険きわまる小野獣を造りあげてしまったのです。
 実に戦慄すべき事実です。育て方によっては人間がこんな怪物になりきってしまうかと思うと、ゾッとしないでいられません。一見普通の子供と少しも違わぬこの進一少年は、人殺しをむしろ快楽とする異常児です。田舎の子供が蛙を殺して喜ぶように、この少年は人間の胸に短刀をつきたてて喜ぶのです。なにしろまだ物心もつかぬ幼児です。その上貧家に育ち、早く両親に別れて、道徳的訓練を微塵もうけておらぬ。そこへ命の親とたのみ親しむ妙子さんから、不思議な教育をうけたのです。無邪気な殺人鬼となりおおせたのも無理ではありません。

 ちょうど時間となりました。


●3月7日(水)
 暇を見つけては『春陽堂書店発行図書総目録』をひもとき、乱歩の関連データを拾っております。乱歩に関係のない本のデータにもつい見入ってしまうので、作業が捗りません。
 乱歩がデビューした大正12年あたりから見ていったのですが、大正14年6月に『こどもとはは』という本が出ていました。「子供と母」の意でしょう。著者は田中幸一。一人で大受けしてしまいました。「こどもとはは」というのがまた得もいえず絶妙で笑えます。昭和10年7月になると『東亞植物圖説 第1巻 第1輯』が出ていて、監修者は中井猛之進。なんだかとっても恐ろしげです。といったことを記してゆくと際限がありません。
 ところで、『春陽堂書店発行図書総目録』を入手したとこの伝言板に記したところ、その目録でこの作家のことを調べてくれぬかとのご依頼を頂戴しました。乱歩のデータとあわせて調査を進めております。同様のご要望があれば承りますので、お気軽にお申しつけください。
 そういえば、もう一か月ほど前になるでしょうか、見知らぬ方からメールで画像が届き、この写真に写っている乱歩のサインは本物だろうかとのお問い合わせがありました。真贋を鑑定した結果、本物との結論に至りましたのでその旨お知らせいたしました。最近はそんなことにまで手を広げている私です。何でもお気軽にお尋ねください。


●3月6日(火)
 白手袋をはめて陶然としながら『貼雑年譜』完全復刻版を眺めていると、講談社版には思っていた以上に割愛されたページの多かったことがわかります。
 たとえば第一分冊の最終ページには昭和3年12月の「読売新聞」に載った「大衆の見た大衆文学論(四)」がスクラップされているのですが、これは講談社版『貼雑年譜』では見ることのできないものです。早野勘平名義で書かれたその記事から、乱歩によって朱線を入れられた二段落を引きましょう。

 探偵小説も近頃恐る恐る大衆文学の末席を汚して来たやうだが、西洋の探偵小説の素晴らしい流行に比べてはまだ真似事見たいだ。
 江戸川乱歩といふ人の作はそれでも大抵よんで見たが、どうもまだ文学青年らしい地金がちらちら見えて心もとないて。「陰獣」とかいふ小説が近頃評判ださうだが、わし等はとんと感心せん。この男はひどく苦心するらしいし、その苦心はなる程作品の上にあらはれてゐるが、苦心のしどころが、全くアクロバツトの苦心以上に出ないのだから困る。もつと、社会の本質的な部分へ取材を展開しないと、いつまでも闇にうごめいてゐたんでは大衆的にはならん。

 文学青年らしい地金がちらちら見えているのはどっちなんだか、といったことはともかくとして、乱歩がいったいどんな顔をしてこの記事を読み、鋏で切り、糊を塗り、ぺたりと台紙に貼りつけたのかといったことまで想像されてきて、尽きぬ興趣が感じられます。
 こうなると、この東京創元社版『貼雑年譜』に基づいて「乱歩文献データブック」を増補しなければならぬところなのですが、しばらくは陶然とするだけで日を過ごすことになりそうです。悪しからずご了承ください。


●3月5日(月)
 毎日いったい何を書いているのかと、この伝言板を翌朝読み返して唖然とすることもしばしばなのですが、きのうは乱歩邸の便所の話からなぜか石原慎太郎東京都知事の名に至りました。先日、必要があって塚本邦雄さんの『定本夕暮の諧調』(本阿弥書店)をぱらぱら眺めていたときも、思いがけないところで石原慎太郎さんの名前にぶつかりました。

 かつて書肆ユリイカが限定版『稲垣足穂全集』刊行を企画したとき、予約金数千円を添へて真先に申込んだ人の一人が石原慎太郎であつたといふエピソードを聞いたことがある。一種の唐突感が逸話、美談に類する印象をふとさそふのだが、再考すれば作家が作家を識り、意外なところでひびきあふことの当然に気がつくだらう。

 「異端者の系譜」というエッセイの一節ですが、「作家が作家を識り、意外なところでひびきあふ」エピソードも、当節ではすっかり地を掃ってしまったようです。ほかならぬ『貼雑年譜』完全復刻版に関して、そんな話のひとつやふたつ、伝えられてきてもよさそうなものだと思うのですが。
 ついでにお知らせしておきますと、名張市立図書館が購入した『貼雑年譜』完全復刻版は、事前にご連絡をいただけば私の厳重なる監視のもとで自由に閲覧していただけます。すでに昨日午後、記念すべき監視つき閲覧者第一号の誕生を見ております。たまたま名張市立図書館においでになった京都府在住の方でした。ご希望の方はメールでお申し込みください。


●3月4日(日)
 両手に白手袋をはめて『貼雑年譜』復刻版を鑑賞しております。
 そういえば私には、やはり白手袋をはめて本物の『貼雑年譜』をつぶさに見ていった経験があります。名張市立図書館の『江戸川乱歩執筆年譜』を編纂する際、平井隆太郎先生にお願いして、『貼雑年譜』にスクラップされた資料をすべて調査する機会を頂戴したのです。
 春先の、どんよりと曇った日のことでした。『貼雑年譜』を拝見した乱歩邸の応接間には暖房が入れられていましたが、それでも長時間を過ごすうち、忍び寄るような肌寒さも手伝って尿意が訪れ、私は御不浄を拝借しました。御不浄は応接間の横にありました。
 私はいまもそのときの感動を、朝顔、ああ、乱歩の朝顔、と懐かしく思い出します。乱歩が日々放尿した乱歩邸の朝顔に、三十年以上の時を隔てて自分が向き合っているのだという歓び。いや乱歩のみならず、横溝正史の、大下宇陀児の、以下略しまして、乱歩邸を訪れた有名無名老若貴賎さまざまな男性たちの熱いほとばしりを一身に浴びつづけた朝顔。その放尿者名簿に自分の名を加えることができたのだという一種異様の感動に打ち顫えながら、私は長いおしっこを終えたのでした。
 ここで年若い方、ならびに年若くはないけれどてんで無教養な方のために贅言を費やしますと、朝顔とは男性の小水用便器の呼称です。朝顔の花に形状が似ていることに由来する名称です。一般家庭には近年ウェスタンスタイルの便器が普及し、男性の放尿のみに使用される朝顔はめったに見かけなくなりました。そして私は、一般家庭における朝顔の消滅と日本社会における父権の失墜とのあいだには、密接濃厚な因果関係が認められるのではないかと睨んでおります。石原慎太郎東京都知事は、一般家庭に朝顔を増設する場合はその費用全額を都が補助するという条例を制定し、父権の回復に努めるべきであろうと愚考される次第です。


●3月3日(土)
 まだ届かんのかッ、という怒声が東京創元社に届いたのか、とうとう届きました(短い文章のなかに届くという言葉が三度も連ねられている点に、記述者の心の揺れをお読み取りください)。

来た。
見た。
唸った。

 以上、昨日到着した『貼雑年譜』復刻版を一瞥した感想です。あとは言葉もありません。

 以前にもお知らせしましたが、その『貼雑年譜』復刻版が本日、「ほんパラ!関口堂書店」というテレビ番組で紹介されるそうです。放送は午後7時59分からテレビ朝日系列全国ネットで。新聞のテレビ欄で確認すると、番組の紹介文に梅宮アンナ、柳美里、田中康夫の名はあっても乱歩の名前は見えません。しかしまあ、とにかく視聴することにいたしましょう。もしもテレビ画面に『貼雑年譜』復刻版が映し出されたら、私は狂人のような高笑いを堪えきれなくなるであろうと予想されます。

ほんパラ!関口堂書店


●3月2日(金)
 こういうものが刊行されていたことを私はまったく知らなかったのですが、『春陽堂書店発行図書総目録』という本があります。発行は1991年、版元はむろん春陽堂書店です。「江戸川乱歩著書目録」作成の得がたい資料だと思い、迷わず飛びつき、版元のホームページに直接注文しておいたのがきのう到着しました。宅配便の包みを見たときは、お、『貼雑年譜』か、と胸がいささか高鳴ったのですが、それにしては小ぶりな書籍用封筒には『春陽堂書店発行図書総目録』が入っていたという次第です。
 くどくどとはいいますまい。たしかに得がたい資料です。早い話が、いま書店に並んでいる春陽文庫版乱歩作品の初版定価さえ、私にはまったくつかめていなかった状態です(こんな仕事をすることになるとわかっていれば、すべて発売時に購入していたのですが)。それがたちどころに判明するのですから、こんな重宝な目録はありません。むろん、この手の目録に完璧を期待するのは無理な話です。無理な話ではあるのですが、たとえば大正15年1月刊のはずの『屋根裏の散歩者』が前年12月の発行になっていたりとか、どうせなら発行日のデータは年月で止めずに日付まで入れてほしかったとか、首を捻りたくなるところが散見されるのも事実です。
 しかし、そんなものは些細な瑕疵に過ぎぬと敢えていっておきましょう。目録というのは、それが存在するというだけで頼もしく、ありがたいものなのです。誰一人知る人のない異国で出会った日本人のようなものです。それに何より、版元がつくった目録にも「発行年月不明出版物」なんてのがあるんだからと、退嬰的な安堵を得られただけでも廉い買いものであったといわなければなりません。
 ちなみにこの『春陽堂書店発行図書総目録』、一部八〇〇〇円もします。やはり乱歩書誌作成の資料として購入した『新潮社一〇〇年図書総目録』は、もっとしっかりした造本で三〇〇〇円でした。しかしまあ、八〇〇〇円であろうが九〇〇〇円であろうが、なにしろ『貼雑年譜』復刻版の代金を決然として振り込んだこの私です。ははははは(力なく笑っている、とお思いください)。いまさら痛くも痒くもありません。ははははははは(狂的に笑っている、とお思いください)。
 えーいッ。『貼雑年譜』復刻版はまだ届かんのかッ。


●3月1日(木)
 本日も知人の新刊のお知らせです。知人というのもおこがましいのですが。

芦辺拓『時の密室』立風書房(本体二二〇〇円)
書き下ろし長篇本格ミステリー
連関する迷宮の密室
明治9年、河畔の密室と消えた死体。昭和45年、水底の密室で起きた殺人。そして現代、水上に出現した逆密室が遠い過去と結ばれた時、世紀を超えた謎が解きあかされる!
明治政府の雇われ技師エッセルが謎の館で見た殺人死体とその消失。学園紛争の末期、医大生・氷倉がいるはずのない場所で遭遇した友人の刺殺体。二つの迷宮入り事件が現代の冤罪事件を調べる素人探偵・森江春策の前に立ち現れ、密室の謎の全貌が徐々に連鎖してゆく…ファン待望の「時の誘拐」姉妹篇、ついに完成!
(帯の惹句を引用)

 臼田惣介さんの「読んでも死なない」連載15の特別対談「芦辺拓を語る」において、臼田惣介・亜駆良人ご両人が芦辺作品のベストに推した「時の誘拐」の姉妹篇です。といっても作品としては独立していますから、いきなりお読みいただいても差し支えはありません。著者入魂の大作。お読みください。

 それから先日、秋里光彦さんの『闇の司』をご紹介したとき、ついでに名前を挙げた短篇「かごめ魍魎」は、昨年10月に刊行された井上雅彦さん監修のアンソロジー『十月のカーニヴァル』(光文社)でお読みいただけます。お読みください。