2001年8

●8月31日(金)
 あ。もう8月もおしまいか。
 昨夜はかなり早い時間に押しかけてきた来客があり、それが帰ったあとさあ飲み直そうかとテレビの前に坐ったところ、画面には思いがけず眉村卓さんが映っていました。NHK のインタビュー番組で、眉村さんが病床の奥さんのために毎日執筆し、自費出版で刊行をつづけているショートショート集『日課・一日3枚以上』がテーマでした。
 私が初めて生で見た小説家は伊藤整でした。次に生で見たのが眉村さん。そのあとがたしか小松左京さんで、これは大阪のうめだ花月で筒井康隆さんの戯曲を吉本新喜劇の岡八郎さんらが上演する機会があり、開演前に近所の喫茶店に入って何人かでコーヒーを飲んでいるところへ巨体を揺するようにして小松さんが入ってきた、という寸法です。小松さんにはその後、大阪市内のホテルにある小松さんの事務所でちょこっと取材めいたことをさせていただいた経験があるのですが、室内に林立していた洋酒の空き瓶がとくに記憶に残っております。
 眉村さんに初めてお会いしたときのことは、不思議なことにまったく記憶しておりません。最後にお会いしたのももう十年以上も前で、大阪に出かけたついでに眉村さんのお宅にお邪魔して、玄関先で長いあいだお借りしていた本をお返ししました。眉村さんは、
 「あがってもらったらいいんですけど、いま誰もいないんです。ひとりで餅を焼いて食べてるところでして」
 とおっしやってましたから、お正月のことででもあったのでしょうか。当時の記憶は朦朧としております。
 当時どころか昨夜の記憶だってじつは朦朧としており、むろん酔っ払って見ていたせいなのですが、それにしても番組の内容を何ひとつ思い出せません。いくらなんでもこれはひどい。莫迦なのか私は。


●8月30日(木)
 ある昼下がりのことでした。ある家の便槽の蓋を開けてバキュームカーのホースを突っ込もうとした私は、そこに妙なものが浮いているのを見てびっくりしてしまいました。
 このシーン、便槽の内部を克明のうえにも克明に描写することはいくらでも可能で、また私はそうした描写をいたく好むものでありますが、読者はそうでもないであろうと配慮してごく簡略に進めます。
 何が浮いていたのかというと、女性の下着です。
 でもやっぱり克明な描写がしたいんだぼくは、という欲求にはほとんど抑えがたいものがありますが、無理やり抑えつけて話を進めます。
 それもひとつやふたつではありません。その家にある女性用下着をすべてぶちこんだとしか思えぬ数の下着が、そこには存在していました。
 存在していました、などという無味乾燥な表現でいいのかおまえは、もっと具体的な描写がしたいのだろうおまえは、と自問自答しながらも、心を鬼にして先をつづけます。
 私はホースを地面に置いて、その家の玄関に廻りました。
 「えーこんにちは。毎度おなじみ汲み取り屋でございますが」


●8月29日(水)
 唐突ですが「疑惑」の話題です。読者の方からメールでお知らせをいただきました。「探偵小説十年」で、乱歩は「疑惑」について次のとおり記しております。

 精神分析学を取り入れて見ようとして、充分に行かなかったもの。初め『虎』という題をつけるつもりであった。主人公に虎の夢を見させるという様なことであったと思う。

 この文章のことを私は完全に失念しておりましたが、「虎」はやはり「疑惑」であったことが確認された次第です。識閾下で牙を剥くものの象徴として主人公の夢に虎が登場する、といったことであったのか、それとも虎には別の意味があったのか。ともあれ、とりいそぎ、上記のことをお知らせいたします。メールをいただいたFさんにもお礼を申しあげます。

 その「疑惑」からとんでもないところに話題が移っているのですが、ガチンコ便所伝説、きのうのつづきです。
 私が毎日バキュームカーに乗っていたころの話なのですが(ところで、バキュームカーなんて見たこともない、とおっしゃる方もいらっしゃるのでしょうか)、バキュームカーも乗ってみるとなかなかに楽しいもので、
 こ、こいつには負けるかもしれん。
 と思った対向車は霊柩車だけでした。ほとけさんには勝てません。
 バキュームカーには霊柩車、仏壇返しで霊柩車の勝ち。
 といったところでしょうか。
 なーに書いてんだか。


●8月28日(火)
 便所の話題になりますと、私はこう見えても昔バキュームカーに乗って汲み取り屋さんをやっておりましたので、かなり明るいです。家の前に立てば(大豪邸は別ですけど)その家の便所の位置が掌を指すようにわかりますし、便所の前に立てばその家に糖尿病患者(あるいはその予備軍)がいるかどうかといった程度のことはたちどころに察知できます。
 そんな私には、田舎でも汲み取り式の便所が急速に駆逐されつつあるこんにちですが、それでも汲み取り便所のある家には便所にものを捨てる文化もまたたしかに息づいていたなと、いまになって思い返される次第です。
 とはいえ、捨てるのではなくて誤ってものを落っことしてしまうケースもよくあり、私は一度バキュームカーにハーモニカを吸い込んでしまっておおきに難儀したことがあります。
 バキュームカーと汲み取り用のホースはL字型の太いパイプで連結されており、そのパイプの内部にあるバルブを開閉して糞尿の出し入れを行うのですが、屎尿処理場でバキュームカーの中味を処理槽にぶちまけているとき、パイプに異物がひっかかったような感触があって、排出状況に見る見る異状が出てきました。ありゃりゃと思ってバルブの開け閉めをくりかえすと、そのうちバルブ自体が動かなくなってしまいました。あれこれ処置を試みても埒があきません。最終的にはL字のパイプからホースを外す仕儀となり、バルブに噛んでいた異物を取り出してみるとそれがハーモニカだったというわけです。と書いてしまえば単純な話ですが、あのとき私は三十分ほどもバキュームカーと格闘したでしょうか。ミヤタであったかトンボであったか、とにかく傍迷惑なハーモニカでした。
 そしてそんなある日、ある家の便所で、私はまさしく便所にものを捨てる文化がもたらした衝撃的な光景を眼にすることになったのです。その驚くべき事実とは……。
 ガチンコ便所クラブ、あすにつづきます。


●8月27日(月)
 こんにちは稲垣吾郎です。
 ああ。私はまだ酔っ払っているらしい。
 きのうの朝もまだ酔っ払っている状態で伝言を綴ったのですが、案の定いい加減なことを記しておりました。双文社出版の『近代小説〈異界〉を読む』の編者は東郷克美さんと高橋広満さんです。どうも申し訳ありません。当分のあいだ芸能活動を自粛いたします。
 ではまたあした。


●8月26日(日)
 「小林文庫の新ゲストブック」にさきほどエースコックのワンタンメンのことを記してきたのですが、そのときふと、エースコックのワンタンメンはなんだか公衆便所のにおいがした、という記憶がよみがえってきました。書き込みの話題とはかけ離れていましたので便所のにおいうんぬんのことは書きませんでしたが、自分のホームページになら臆することなく綴れます。
 エースコックのワンタンメンは、なんだか公衆便所のにおいがした。
 いったい何をどう勘違いすればこんな記憶がよみがえってくるのでしょうか。便所ネタのたたりかしら。その便所ネタはあしたに回して、本日はきのう大阪で買った本の話題。いや私はほんとにまいりました。
 双文社出版から『近代小説〈都市〉を読む』『近代小説〈異界〉を読む』という二冊のアンソロジーが出ています。編者はいずれも東郷克美さんと吉田司雄さん。ともに本体二〇〇〇円。前者には「目羅博士」、後者には「押絵と旅する男」という、いまやアンソロジーピースの定番と呼んでしかるべき乱歩作品が収録されています。ちなみにこの二作と夢野久作「瓶詰の地獄」を除きますと、あとの収録作品はいわゆる純文学ばかりです。新刊ではなくて一昨年の刊行なのですが、こんな本が出ていたことを私はまったく知りませんでした。
 現在編纂中の『江戸川乱歩著書目録』にはこうした見落としがまだまだあるのだろうな、と思うとほんとにまいってしまいます。しかも、ゆうべ酔っ払って立ち寄った店にその本二冊ともう一冊「幻想文学」第六十一号の入った袋を忘れてしまったのですから、ほんとにまいってしまいます。もっとも店を出てすぐ忘れものに気がついてことなきを得ましたから、まだ一縷の望みは残っているというべきでしょうか。何の望みなんだかようわかりませんが。


●8月25日(土)
 話が妙なところに行ってしまいましたが、かまうことはありません、
中野重治だか誰だかの小説に出てきた、関東大震災直後における東京の公衆便所の話でご機嫌を伺いましょう。あまりよく記憶してはおらぬのですが。
 当時、東京の公衆便所は汲み取り式でした。関東大震災によって汲み取り作業がとどこおっていたある日、主人公は路上で便意を催して公衆便所に駆け込みます。ズボンをくつろげて下穿きをおろし、やれやれとしゃがみ込んでふと下を見ると驚くべし、そこには汲み取られぬ大便がいつか人糞の円錐体を形成していて、その先端と自分の尻とが危うくくっつきそうになっているではありませんか。
 みたいな話なのですが、主人公はそのとき、ある種の恐怖感を感じたと記されていたように記憶します。私もこのシーンには驚き、それはまず端的に、人糞が積もり積もると鋭い先端をもった円錐体を形作るという事実に対する驚きであったのですが、それを超えて恐怖に近い感情を抱いたのもたしかです。
 なんでうんこが怖いねん。
 といぶかる方もいらっしゃるでしょうが、便器すれすれにまで迫っている人糞の先端は、やはり怖いものだと思います。つまり、都合の悪いものを闇から闇へ葬ることができる場であった便所というものが、その内実をいまや明るみのなかに露呈し始めようとしている。こうした事態は人間にとって恐怖の対象にほかならないと思われるのですが、あなたはいかがお考えでしょうか。


●8月24日(金)
 えー、「疑惑」の話に戻ります。妙なところから戻ります。
 「疑惑」を読み返していて、変なことに気がつきました。フロイディズムには関係ありません。便所の話です。作中の殺人現場に落ちていた麻のハンカチをめぐって、主人公と友人がこんな会話を交わします。

 「じゃあ、そのハンカチをこまかに調べてみたら、何かわかるかもしれないね。たとえば……」
 「それはだめだ。おれはそのとき誰にも見せないで、すぐ便所へほうりこんでしまった。なんだかけがらわしいような気がしたものだから……」

 このハンカチ同様に、昭和2年に執筆された「押絵と旅する男」の原稿もまた便所に捨て去られてしまいます。なるほど、便所にものを捨てるという文化が存在していたのだな、と私は気がつきました。これはむろん、水洗便所が普及するまでの文化です。ハンカチも原稿も、水洗便所に捨てることはできません。ということは、乱歩が「押絵と旅する男」の原稿を便所に捨てた昭和2年の名古屋では、大須ホテルという一等地でもいまだ水洗便所は普及していなかったことになります。
 私はわが国における水洗便所の歴史にはとんと暗いのですが、そういえば中野重治だか誰だかの小説で、関東大震災で被災した公衆便所の話を読んだ記憶があります。当時は東京でも汲み取り式の便所が一般的であったようで……
 話を妙なところに振りすぎてしまったか、とも思うのですが、まあこのままつづけましょう。どの道あてもはてしもない道のりです。


●8月23日(木)
 何の話をしておりましたか。むろん乱歩の話です。しかし台風だの何だので、いわゆる気持ちが切れた状態になってしまいました。
 話の流れを確認しておきますと、まず「押絵と旅する男」があって、それから昭和2年の休筆中にいったん書かれて便所に棄てられた「押絵と旅する男」に移り、休筆明け第一作の「陰獣」が出てきたかと思ったら、「虎」というタイトルで構想されていたらしい「疑惑」に飛んで、「疑惑」に登場したフロイディズムについてぽつぽつお話ししていた、といったことになります。
 よく考えてみると、これはたいへんな長丁場になるお話です。大正14年の「疑惑」から昭和4年の「押絵と旅する男」までを語るということは、初期短篇から通俗長篇への移行を語るということにほかなりません。これをさらに、以前にもちらっとお話しした昭和10年前後における「少年の発見」につなげれば、はっきりいって乱歩の文業全体に眼を配ったひとまとまりの乱歩論めいたものになります。それをこうした伝言板でぼつぼつ書き継いでゆくことには、あるいは無理があるかもしれません。
 無駄なことはするが無理なことはしない。
 というのが私のモットーですから、無理にならない範囲でつづけたいと思います。つまりほかの話題もまじえながら、この伝言板における大きな流れとしてはひとまとまりの乱歩論めいたものが絶えることのない行く川の流れのごとくつづいている、といったことになります。そのおつもりでおつきあいいただければと思います。
 ところであなたは、きょうあたりアレクセイ君について一言あってしかるべきではないか、とお思いかもしれません。何もありません。あのあほだけはほっとかなしゃあないな、との念を強くしたばかりです。「お遊び」だと本人が主張する、しかし私の眼には(大西巨人・赤人さんのサイトの掲示板にも記しましたとおり)「症例」としか映らぬアレクセイ君の愚行は、いよいよその愚かさの度を加えているらしいとだけ申しておきます。さても不憫な。


●8月22日(水)
 台風11号は何ほどのこともなく近づいて遠ざかってゆきました。
 台風好きの私としては、台風の接近と到来を実感しながらお酒を飲むというめったにない機会を逃すことのないよう(しいて申さば台風酒、といったところでしょうか)、激しくなりまさる風雨の音に戦き歓びながら一夜を明かすべく万全を期したのですが、いつのまにかころっと寝入ってしまいました。
 結果としてきょうは、さしたることもない二日酔いです。
 あーしんど。
 あしたの朝はしっかりいたします。

 ところできのうの朝、台風接近に胸をとどろかせながら、私は木村貴さんとおっしゃる方が主宰される「地獄の箴言」というサイトの掲示板に書き込みをいたしました。木村さんからお懐かしやアレクセイ君こと田中幸一君の「一人二役」に関するお尋ねをいただきましたので、思うところを投稿した次第です。興味がおありの方はご覧ください。

地獄の箴言掲示板


●8月21日(火)
 来てます来てます。
 台風が来てます。
 台風11号がまっしぐらに当地へ接近してきてます。
 と思っていたら、最新の気象情報ではコースがやや東に逸れ、この大型台風は伊勢湾の上空を通過する見込みとのこと。
 それでも紀伊半島はきょうお昼ごろ、暴風雨圏内に突入するといいます。
 現在、私の部屋の雨戸には風雨が激しく叩きつけ、戸外にはときおり強風の吹き荒れる音が聞こえます。
 さあ来い台風どんと来い。
 台風のせいで何も手につきませんので、勝手ながらまたあした。
 午前8時30分。


●8月20日(月)
 台風が接近してくるときというのは、いくつになっても胸がわくわくするものです。
 
当地には三、四年前、えらく風のきつい台風が訪れました。拙宅の庭の石榴の木など強風を受けて完全に横倒しになり、根っこが半分がた地上に露出してしまいました。その石榴のそばに、どこから飛んできたのか塩ビの波板(断面が波形、つまりラーメンを食べている小池さんの口みたいになった板のことです)が落っこちていました。さほど大きくはないものの、上等の波板でした。むろん拾得物ということになるのですが、所有者の名がどこにも書かれていません。届け出ても警察署が迷惑するだけだろうとも思われました。その波板は現在、拙宅の犬小屋の屋根にしっかり貼りつけられています。
 さあ来い台風どんと来い。


●8月19日(日)
 まことに唐突ですが、今年3月に話題にしました『近代作家自筆原稿集』、昨日ようやく現物を手にしました。どうしてこんなに遅くなったのかという理由の説明は省きますが、くだんの「鏡地獄」の改作原稿がどういう経緯をたどって世に出たのか、青木正美さんの解説文から引用します。

 さて、この改作原稿の入手経路である。……昭和五十年頃、明治古典会で経営員として働いていたHという友人が、戦時中の各種文芸雑誌を仕切場で買ったところ、使用済み原稿類が数人分はさまっていたと言う。私が見てあげると、中に首をかしげざるを得ないものが二点あった。私は「川端康成」という署名のある原稿については、「これは写し原稿のようだよ」と言い、一方「残念だけど、これは分からない」と言って、今この項で紹介しつつある「鏡地獄」改作原稿を示した。何しろ原稿の状態は四枚目までで、それ以降は戦前春陽堂文庫の頁を切って、後半につなげこよりで綴じてあるという奇妙さだ。結果は、私が写し原稿と判断した川端に札が入ったのに、この乱歩の方には最後まで札が入らなかった。すでに記した如く原稿の収集は純文学本位だったので、私は乱歩の筆跡さえ頭になく、ただ何かの資料になればとHに断わりこれを最低値で買っておいたのであった。

 文中には「戦時中の各種文芸雑誌を仕切場で買ったところ」とあります。ただしこれだけでは、戦中の雑誌に戦後になって乱歩の改作原稿が挟み込まれた可能性も否定できません。ですから私は、青木さんの解説全文を拝読したうえでなお、しぶとくも執念深くも頑なにも、この「鏡地獄」は戦後になってローマ字独習用テキストのために改作されたものではないのかしらんと愚考する次第です。


●8月18日(土)
 なーんかあつかったなゆうべも、と思って起きたらそれほどひどくはないけれど二日酔いでした。こらけさはあかんわ、と思いながらホームページ「小林文庫」の掲示板「小林文庫の新ゲストブック」にアクセスするとプロバイダ移転作業のため午前8時から正午ごろまで掲示板ができなくなると告知されていました。告知はきのうも眼にしていたのですが、それがきょうのことだとはけさになるまで気がつきませんでした。酒を飲んで酔っ払っていると突然、あ、なになにしなければならぬ、と思い込んでしまう瞬間が訪れるものである、みたいなことをたしか山口瞳がどこかに書いていましたが、二日酔いの状態でも
そういう瞬間が訪れることがあるらしく、「小林文庫の新ゲストブック」の告知を見た私は、あ、8時までに書き込みを済まさねばならぬ、と思い込んでしまいました。書き込みを終えてその書き込みに表示された時刻を見ると、まさしく午前7時59分。神業ではないかと思い、すっかり満足した私はそれからしばらくぼーっとして過ごしたあと、なーんかきょうもあつなりそうやな、と思いつつこれをしたためています。とりとめがなくて申し訳ありません。ご寛恕ください。午前8時55分。


●8月17日(金)
 「不可能な妄想」と「可能ではあっても社会上禁ぜられた慾望」の話です。
 たとえば「孤島の鬼」の、二人の赤ちゃんを外科手術で無理やりくっつけて一体二頭の怪物に仕立ててしまうアイデアも、いうまでもなく「不可能な妄想」です。これは医学的に不可能です。現代の最新技術をもってしても、そんなことは実現不可能です(と断言していいものかどうか。もしかしたらできるのかもしれませんが、たぶんできないと思います。少なくとも「孤島の鬼」事件が発生した大正時代には、絶対に無理だったと思います。しかしほんとにそうなのかしら)。
 しかし乱歩は、これを合理の枠内に収まりうるものとして書いています。このあたり、徳川夢声を相手に乱歩が語った「まあ、できないことやありそうもないことをほんとうらしく書くということも、一種のリアリズムだと思うんです」という、なんだかずいぶん手前勝手な意見ではありますけれども、その具体例だといえるでしょう。
 むろん乱歩は、

推理作家はいかなる怪奇異常を取り扱っても、結局において合理主義者でなければならない。(推理小説随想)

 と明言しています。乱歩は徹底した合理の徒でした。したがって、乱歩が「一種のリアリズム」でもって小説のなかに描き出した「できないことやありそうもないこと」は、乱歩自身によって合理に反するほどのものではないと理解されていたことになります。もちろん「一種のリアリズム」では処理しきれない妄想もあって、それはたとえば「火星の運河」に描かれた男が女になるという妄想だったわけですが、夢という枠を配することにより、乱歩はそれを合理主義の埒内にとどめています。
 みたいなことは先日も記しましたが、もう一度おさらいしておいて、お次は「可能ではあっても社会上禁ぜられた慾望」に移ります。


●8月16日(木)
 「小林文庫の新ゲストブック」にお邪魔して光文社版少年探偵江戸川乱歩全集のことを書き込むのに予想以上に時間を取られ、朝っぱらから一仕事やっつけた気分です。お盆休み明けではありますが、きょうはお休みとさせていただきます。ではまたあした。


●8月15日(水)
 お盆だと申しますのにお盆休みもあらばこそ。
 きのうなど一日まるまる時間があきましたので一日まるまる乱歩著書目録のデータ整理に没頭したのですが、講談社「江戸川乱歩推理文庫」全六十五巻、データベースソフトに入力したデータと原本をつきあわせて間違いがないかどうかを確認するだけで日が暮れました。いや、実際には日が暮れるまでにビールを飲んでおりましたが、どうしてこんなに時間がかかったのかと振り返ると、手に取った本をぱらぱらとひもとき、眼にとまったところに読み耽ってしまったからです。
 乱歩の「不可能な妄想」と「可能ではあっても社会上禁ぜられた慾望」に関しては、同文庫64『書簡 対談 座談』に収録された徳川夢声との対談「問答有用」が眼にとまりました。「パノラマ島奇談」が話題にのぼって、

夢声 ところが、ぼくは「パノラマ島」には感心しなかったな。
乱歩 どういうところが?
夢声 空中高く、人間を花火で破裂さして、その血しぶきがあんなにかかるものかってことを考えちゃうんだ。
乱歩 それをいわれるとこまる。(笑)どうせ現実じゃないんだから、血しぶきをかけたほうがおもしろいじゃないか。(笑)
夢声 それから、「人間椅子」というのは、非常にエロなもんだったが、あのイスのなかへ、ほんとうに人間がはいれるもんかナという疑問がおこってね。
乱歩 ぼくの書いたものは、みんな現実にはできないこったね。屋根裏だって、あんなに自由にはいれるもんじゃない。
夢声 このごろの安ぶしんじゃあ、おっこっちゃう。(笑)
乱歩 探偵小説というものは、できないことをさもさもできそうに書くのがいいんじゃないかと思うんだ。
夢声 しかしね、ありえないことが根底にあって、そこから筋が出発するのはけっこうなんだが、そのあと発生する事件に矛盾があっては、こまるんじゃない?
乱歩 ぼくのは出発点だけじゃなくて、全体がそれなんだよ。(笑)
夢声 全体が、ありえないことの連続?
乱歩 そうよ。だから、ぼくの小説を読んで、その手口をまねして犯罪したやつがいるといって、非難されたりしたけどね、ぼくのものはまねできないという自信があるよ。ぼくのものだけじゃなく、いったいに探偵小説の犯罪はまねできない。まあ、できないことやありそうもないことをほんとうらしく書くということも、一種のリアリズムだと思うんです。日記だけがリアリズムじゃないという意味でね。

 といった次第です。
 夢声の疑問は当然のことで、「パノラマ島奇談」の血しぶきしかり、「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」しかりで、厳密に考えればいずれも実現は不可能、したがって「不可能な妄想」と呼ぶことができます。しかし乱歩は、これを不合理なことつまり合理主義に反することとは見做していません。「みんな現実にはできないこった」、しかし「できないことをさもさもできそうに書く」のだと、合理の許容範囲内で理解しています。


●8月14日(火)
 さて「疑惑」の話ですが、先述のごとく、乱歩はこの作品に「われわれの心に絶えず起こってくる慾望」は「その大部分は遂行されないでほうむられてしまう」と記しました。

あるものは不可能な妄想であったり、あるものは、可能ではあっても社会上禁ぜられた慾望であったりしてね。これらの数知れぬ慾望はどうなるかというと、われわれみずから無意識界へ幽囚してしまうのだ。

 という次第です。「だから、僕たちの心の底の暗闇には、浮かばれぬ慾望の亡霊が、ウヨウヨしているわけだ」という寸法。それなら乱歩自身の場合はどうかというと、これはもう周知のとおり、初期短篇におけるそれはじわじわと滲み出すがごとく、通俗長篇におけるそれはどどどどと堰を切ったごとく、乱歩作品にはさまざまな欲望が描き出されています。
 ここで分類しておきますと、「浮かばれぬ慾望の亡霊」には二種類あります。乱歩の言に従えば、「不可能な妄想」と「可能ではあっても社会上禁ぜられた慾望」のふたつです。前者は、たとえば男が女になってしまうという「火星の運河」に見られた妄想でしょう。後者は、殺したり覗いたり死体を弄んだりといった、初期短篇からありありと窺え通俗長篇に至って全面展開される欲望です。そして前者の場合、たとえば「火星の運河」ではすべては夢であったという種明かしを行うことによって、実現不能な妄想を最終的には合理主義の枠内にとどめてしまうのが乱歩の常でした。唯一の例外が「押絵と旅する男」です。


●8月13日(月)
 けさは7時半ごろ「小林文庫の新ゲストブック」に書き込みをしたあと、急な用事でばたばたしてしまいました。もう9時半です。もう少しばたばたしなければなりませんので、本日はこれにて失礼いたします。いやはや。お盆だというのに落ち着かぬことで。


●8月12日(日)
 亡父の墓所は菩提寺の裏の丘にあって、寺の駐車場に自動車を停め、急な坂道を徒歩で登ってゆくと、夏の陽盛りに静まり返った墓地が見えてきます。墓参の人影はありません。近所に住む親戚が先にお参りしてくれたのか、墓にはまだいきいきとした樒が供えられていました。バケツから取り出したブラシで墓石を洗うと、強い陽射しがなめらかな石の表面を見る見る乾かしてゆきます。
 うーむ。私はなぜこんなところで写生文の練習をしているのでしょうか。ともあれ、大方の日本人がそうであるごとく、私には厳密な意味での信仰心などというものはありません。墓参は信仰に基づくものではなく、単なる習俗です。そして
墓参のたびに藤沢周平の自伝「半生の記」を思い浮かべるのが、文春文庫でそれを読んで以来の習性となりました。二十八歳で病没した先妻の墓に夫婦でお参りする場面が、この自伝の終幕です。

 先妻と死産の子供の骨を納めた墓は、高尾の墓地群の一角にある。すべて同型同規模と定められた墓である。そこに時どきお参りに行く。墓を洗い、花と線香を上げてから家内が経文をとなえる。お参りが済んで墓前の芝生でそなえた菓子などをたべ終ると、私は立ち上がる。墓地は丘の中腹にあって、そこから八王子の市街や遠い多摩の町町が見えるが、風景は秋の日差しに少し煙っている。
 私と結婚しなかったら悦子は死ななかったろうかと、私は思う。いまはごく稀に、しかし消えることはなくふと胸にうかんでくる悔恨の思いである。だがあれから三十年、ここまできてしまえば、もう仕方がない。背後で後始末をしている妻の声が聞こえる。二十八だったものねえ、かわいそうに。さよなら、またくるからね。私も妻も年老い、死者も生者も秋の微光に包まれている。

 藤沢周平の文章を折にふれて読み返すことは私の愉しみのひとつですが、手練れの筆は身辺を記してもどこか小説の一節のように仕上げてしまうという、小説家の業を感じさせる幕切れではあります。それに比べると江戸川乱歩というのはずいぶん変わった小説家で、あの長大な自伝「探偵小説四十年」は高血圧がどうの蓄膿症がこうのときわめて散文的な話題で締めくくられています。これはこれでまた業のようなものを感じさせる幕切れではありますが。


●8月11日(土)
 世間はきょうあたりからお盆休みでしょうか。私は本日上野市に足を運び、亡父の墓参を済ませる予定です。墓所をきれいに掃除したあと、墓石の頭からカップ入りの日本酒をぶっかけてやるのがならいです。親孝行だか何なんだか。

 それにしても先走ってしまいがちになるのは困ったもので、休筆明けに書かれた「陰獣」は、まさに精神分析そのものの比喩とも読めます、などと記してしまったのは段取りとしてよかったのかどうか。その日その日の出たとこまかせであるとはいえ、なりゆきで生じた一応の話の流れとしては、「疑惑」→「人でなしの恋」→「押絵と旅する男」便所版 →「陰獣」といったところを想定しているのですが、くだくだ説明するのが面倒になってでもいるのか、たったかたったか先走ってしまう私です。
 しかしついでですから、とりあえず「陰獣」と精神分析の関係について、乱歩自身が記しているところを引いておきます。岩谷書店『陰獣』に収録された「旧作四篇について」(昭和24年)からの引用です。

主人公の私という人物は、今だから書いてもいいが、実は甲賀三郎を念頭においていた。モデルというわけではないけれども、あの人物は乱歩即ち春泥と対蹠的な作風の作家という点が甲賀三郎なのである。横溝君は無論それに気づいて、某々探偵作家がモデルだなどと宣伝文に書いた。当の甲賀君からは別に苦情を聞かなかったが、甲賀君は善玉、私の方が悪玉になっているのだから、苦情を云う筋もなかったのであろう。甲賀君もあの作をほめてくれたものである。精神分析家に云わせると、この小説からは可なり面白い結論が出そうである。私は女性に生れたかったという潜在願望を持っているのであろうし、又自己虐殺に興味を持つ位だから、強度のマゾヒストでもあろうし、甲賀三郎を主人公にした点はいくらかサジストの気味もあり、もっといけないことは、その主人公と春泥の正体である女とは恋愛関係を結ぶのだから、甲賀三郎に対する潜在的同性愛だということになるかも知れない。しかし私はそこまで意識していたわけではない。今でも甲賀君に同性愛を感じていたとは思っていない。

 と、執筆から二十年ほどたったあとで、乱歩は「精神分析家」として「陰獣」を分析しています。しかし私には、「陰獣」を執筆した時点ですでに、乱歩は一人の分析家として自己分析を試みていたのではないか(むろんなかば以上無意識的なものであったかもしれませんが)と思われる次第です。少なくとも「陰獣」には乱歩の「自己」が直面していた何かしらの危機が投影されているのではないか、といったあたりの話にいずれはたどりつくはずなのですが、とにかく先走りついでに記した次第です。
 ついでに書いておきますと、「陰獣」の「私」は甲賀三郎である、という乱歩の言明は眉に唾して聞くべきでしょう。この作品における、というかこの当時における「乱歩の“私”」は、もっと複雑なものであったはずです。この場合の甲賀三郎は、いわゆるレッドへリングに過ぎぬと思われます。
 念のために書いておきますと、レッドへリング red herring とは赤鰊の意で、にしん来たかとかもめに問えば、のあの鰊には赤鰊というのがあり、これがまたえらく強烈なにおいを発するらしいのですが、探偵小説の世界では、作者が読者の推理を誤った方向に誘導するために登場させる怪しげなにおいの芬々たる人物のことをレッドへリングと呼びます。あ。ご存じですかそうですか。


●8月10日(金)
 まことに恐縮ながらけさも時間がありません。身辺繁多もきょうが峠かと思われます。ではまたあした。


●8月9日(木)
 フロイディズムとの関連でいえば、初期短篇から通俗長篇への移行には、乱歩が精神分析というひとつの幻想に(幻想という言葉を私は安易に用いたくはないのですが)搦め取られていった過程を見ることが可能でしょう。休筆明けに書かれた「陰獣」は、まさに精神分析そのものの比喩とも読めます。
 なんだかばたばたしておりまして、きょうはこれだけです。申し訳ありません。


●8月8日(水)
 先述のとおり、「疑惑」は乱歩が初めてフロイディズムを題材にした小説で、その意味で重要な作品です。乱歩は主人公に、フロイトのいう無意識をこんなふうに説明させています。

ところで、君はフロイトのアンコンシャスというものを知っているかしら。簡単に説明するとね、われわれの心に絶えず起こってくる慾望というものは、その大部分は遂行されないでほうむられてしまう。あるものは不可能な妄想であったり、あるものは、可能ではあっても社会上禁ぜられた慾望であったりしてね。これらの数知れぬ慾望はどうなるかというと、われわれみずから無意識界へ幽囚してしまうのだ。つまり、忘れてしまうのだが。忘れるということは、その慾望を全然無くしてしまうのではなくて、われわれの心の奥底へとじ込めて、出られなくしたというにすぎない。だから、僕たちの心の底の暗闇には、浮かばれぬ慾望の亡霊が、ウヨウヨしているわけだ。そして少しでも隙があれば飛び出そう、飛び出そうと待ち構えている。われわれが寝ている隙をうかがっては、夢の中へいろいろな変装をしてのさばり出す。それが嵩じては、ヒステリーになり、気ちがいにもなる。うまく行って昇華作用を経れば、芸術ともなり、事業ともなる。精神分析学の書物を一冊でも読めば、幽囚された慾望というものが、どんなに恐ろしい力を持っているかに一驚を喫するだろう。

 これはそのまま乱歩のフロイディズム受容を打ち明けるもので、晩年のエッセイに記されたところから判断すると、若き日にフロイトに傾倒したというにとどまらず、乱歩はそれこそフロイディズムに「幽囚」されて一生を送ったと見受けられます。


●8月7日(火)
 まことに興味深いのは、乱歩の書簡に「父の病気や何かで長いものに筆をとる閑もなく」と記されているとおり、父親が病床にあった時期に「虎」が執筆されていたという一事です。「虎」が「疑惑」であったとすれば、「苦楽」の
大正14年7月号に発表された「夢遊病者の死」ともども、乱歩は死の床の父親を看取りながら父殺しの物語を書いていたことになります。
 乱歩の父平井繁男が五十八歳で世を去ったのは、この年9月9日のことでした。父親に対する乱歩の複雑な感情は三人称で記された自伝エッセイ「彼」に明かされていますが、四、五歳のころ、乱歩は繁男からたびたび平手打ちの折檻を受け、「幼時の彼に取っては父は少しも親しみのない恐ろしいものに過ぎなかった」と述べたあと、こうつづけます。

 これは彼のごく幼少の事であるが、六歳七歳と成長するにつれて、父は仕事が忙しくなり(その頃父は実業界に転身し始めていた)、子供を愛撫する暇も折檻する暇もなくなって、彼とはほとんど他人になってしまった。もう恐ろしくはなかったけれど、親しむことはできなかった。彼は長い間父を一つの嫌悪すべき体臭として感じていた。朝の洗面をするごとに、彼の手拭の隣にかけてある父の手拭からの男の体臭を嗅いで、それを感じていた(父は彼の真実の父であったから彼を愛しなかったはずはない。彼自身も後には父を尊敬した。これはただ幼時の感情のみを切離してできる限り偽りなく記述したまでである。ある型の父親は、子供が青年時代を過ぎてからでなくては、本当に理解されない場合もあるのだ。これには又おそらく精神分析学のいわゆる「エディポス・コンプレクス」の意味が含まれているのであろうが、そのことは後に述べる機会がある)。

 むろん繁男の晩年には、乱歩も父を「尊敬」し「理解」していたと思われますし、病の床にあったいうならば「死にたまう父」が作品に何らかの影を落とすのは当然のことと考えられますが、興味深いのは、「疑惑」にせよ「夢遊病者の死」にせよ、父親が息子から憎まれ、殺意を抱かれる存在として描かれていることです。乱歩はすでにフロイディズムの深い影響を受けていて、父親を殺そうとする息子というフロイト的神話を再生産することに腐心していたらしいことが窺えます。
 ここで附記しておくならば、「夢遊病者の死」には、

 四畳半と三畳の狭いうちが、畳から壁から天井から、どこからどこまでジメジメと湿って、すぐに父親を連想するような一種の臭気がむっと鼻を突く。

 という描写があって、「彼」に見られた父親の体臭のそれを連想させます。


●8月6日(月)
 「白昼夢」と「指環」からなる「小品二篇」は、
「新青年」の大正14年7月号に掲載されました。「新青年」にはこのあと8月号に「屋根裏の散歩者」が発表され、それにつづくのは大正15年1月号の「踊る一寸法師」、4月号の「火星の運河」ということになるのですが、「新青年」編集部に約束したという「虎」に該当するような作品は、このなかには見当たりません。
 そもそも乱歩の小説には、「そのままやないか」とツッコミを入れたくなるような、一見いたって即物的で曲もなければ変哲もない、そのくせじつにどうも印象的なタイトルが採用されております。たとえば「屋根裏の散歩者」など、これしかないといった感じのタイトルですから、「虎」が「屋根裏の散歩者」になったとは考えられません。「人間椅子」なんてのも乱歩的タイトルの代表で、どなたでしたかこれはほとんどシュールリアリズムである(つまり、解剖台のうえでミシンと蝙蝠傘が出会っている、みたいな)とおっしゃってました。
 「新青年」以外の雑誌に眼を転じると、大正14年7月以降には「百面相役者」「一人二役」「疑惑」「人間椅子」「接吻」といった作品が発表されているのですが、なかで「疑惑」はどうにも乱歩作品らしからぬタイトルで、輪郭がぼんやりしています。ですから「虎」を改題した作品を探すとなると、「疑惑」のほかにはないように思われます。
 「疑惑」は乱歩が初めてフロイディズムを題材にした作品で、父殺しと忘却とがテーマです。虎とは、識閾下でひそかに牙を剥くものの謂ででもあったのでしょうか。


●8月5日(日)
 3日4日と伝言板をお休みしてしまいました。ホームページ作成ソフトの不調が原因です。
 むろんその間、私はトラブルを克服すべくあらゆることを試みました。といったって、パソコンにもソフトにもまったく暗い私のことです。あらゆることと申しましたところで、せいぜいが誠心誠意真心をこめてクリックしてみるとかパソコン画面を鬼門の方角に向けてみるとか冷水のシャワーで斎戒沐浴してからすっぽんぽんでパソコンに相対するとか、いずれ呪術医師めいた処方に拠るしか方途はありません。それでもいっかな薬石効なく、ほとんど諦めていたところ突然不調から立ち直りました。
 狐につままれたような気分ながら、取り急ぎ現場復帰のご挨拶を申しあげる次第です。

 江戸川乱歩著書目録のほうは、三重県立図書館に赴いて「新青年」復刻版の調査を済ませました。現時点では、いまだ刊行されていない大正15年の分は除いて、大正12年から昭和12年までの復刻版のうち四十六冊に乱歩作品が収録されていました。
 「新青年」大正14年7月号の編集後記「編輯だより」に、短いものですが乱歩の書簡が抜粋されています。藤原正明さんからご教示をいただき、かりに「記者宛書簡抜粋」とタイトルをつけて『江戸川乱歩執筆年譜』に記載したものですが、復刻版で読み直してまことに興味深いものを覚えましたので、内容をご紹介しておきます。ちなみに当時、乱歩は大阪守口で父親といっしょに住まいしていました。

 暫く三重県の方へ旅行してゐたゝめ御無沙汰しました。それに父の病気や何かで長いものに筆をとる閑もなく、お約束した『虎』も半分程でそのまゝになってゐますので、代りに『小品二篇』を差出します。『白昼夢』の方はかなり苦心をしたものです。御批評下さい。(江戸川乱歩)

 執筆途中だったという「虎」は、たぶん「疑惑」のことではないかと思われます。


●8月2日(木)
 山田風太郎の『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)の昭和18年4月に、こんな記述があります。

二十五日
 ○平出大佐より「提督の最後」と題して、昨年六月、東太平洋海戦でミッドウエー襲撃のとき、航空母艦とともに悲壮な戦死をとげた山口司令官、加来艦長の最期が放送されたものが、けさの新聞にのる。
 言語荘重、声涙ともに下るその描写は、当時の悽壮な海戦の全貌を伝えて余すところがない。日本人を感奮奮起させずにはおかない。
 この大東亜戦史を将来書く者はだれか。

 大本営海軍報道部課長の平出英夫海軍大佐が昭和18年4月24日夜、前年6月に東太平洋の藻屑と散った山口多聞海軍中将、加来止男海軍少将の勇壮な最期をラジオで放送しました。両提督はこの4月に「芋虫」でおなじみの金鵄勲章を贈られたそうですから、それを記念して国民を「感奮奮起」させるための番組であったと思われます。この放送は大きな反響を呼んだらしく、「少年倶楽部」の6月号にも放送内容が掲載されました。タイトルは「忠魂とこしへに輝く 両提督の最期」。前文は次のとおりです。

 四月二十四日夜、平出海軍大佐が放送された、山口、加来両提督のりつぱな最期のありさまは、きく者をみな心の底から感動させ、敵撃滅の決心をふるひ立たせました。これこそ、少国民諸君のために、ぜひ文字として残しておかなければならないと、とくにお願ひして掲載させていただいたものであります。どうぞ、くり返しお読みください。(記者)

 むろんこんにちの眼で見れば読むに堪えぬ内容で、とくに沈みゆく航空母艦に「奉安」されていた「御真影」を「つつしんで駆逐艦におうつし申しあげる」といったくだりにはほとんど涙が出そうになります。山田誠也青年がこの話のどこに感動したのかはわかりませんが、搭乗員全員を駆逐艦に退去させ、ただふたり航空母艦に残ることになった両提督が、

 「いい月だな、艦長。」
 「今夜は陰暦の二十一日でしたかな。」
 「二人で月を見ながら、艦が沈むまで語りあかすか。」
 「そのつもりで、さきほど、主計長が金庫を運び出しませうかとたづねましたから、そのままにしておけと命じました。」
 「さうさう。あの世でも小づかひ銭がいるからなあ。」

 といった会話を重ねるあたり、どこかしら風太郎忍法帖に登場したあまたの忍者たちの見事な死にっぷりを思わせるものがあって、風太郎文学の源泉のひとつを見る思いがしないでもありません。
 ところで、「少年倶楽部」昭和18年6月号に掲載された平出英夫の「忠魂とこしへに輝く 両提督の最期」の原稿は、じつは乱歩によって書かれました。乱歩の手書き目録には「両提督の最期」が記録され、「平出大佐の放送を私が原稿にした」と註記が添えられています。


●8月1日(水)
 けさの新聞で山田風太郎の訃報に接しました。享年七十九といえば、まずは大往生。すでに小説の筆は置き、死生を恬淡と達観した晩年と見受けられましたから、その死を知っても驚きや悲しみ、あるいは喪失感といったものを感じることはありませんでした。むしろ風太郎作品を読み得たことの幸福に思い至ったと申しあげておきましょう。乱歩と同じ7月28日の、乱歩が午後4時9分、風太郎が午後5時30分と、同じように炎熱の残る夕刻に世を去ったのが不思議といえば不思議で、乱歩と同じ日に死んだという一事が『人間臨終図巻』にならどう記されるのか、かなわぬことながら読んでみたいという気がします。

 さて、乱歩著書目録の件。
 私は昨日、「探偵作家クラブ会報」の復刻版全四巻を名張市立図書館からえっちらおっちら持ち帰り、一巻目からデータを取り始めたのですが、そのうちえらいことに気がついてしまいました。「探偵作家クラブ会報」の復刻版を記載するのなら、「新青年」の復刻版も同様に記載しなければならぬではないか。がーん。なんと面倒な。
 本の友社から「新青年」の復刻版が刊行され始めたころ、当時の私はいまだ名張市立図書館には何のゆかりもない善良な一市民だったのですが(野に遺賢あり、といったところでしょうか)、この復刻版を購入してくれと名張市立図書館にリクエストいたしました。しかしどういう理由でか却下されましたので、
 「そうかそうか。かりそめにも乱歩コーナーを開設した図書館が新青年の復刻版を購わぬというのか。心底よっく見届けたわ」
 と思い、
 「名張市立図書館よ呪われてあれ」
 と心に叫んだ次第でしたが、そのあと何の因果か名張市立図書館の嘱託ということになってしまい、目録地獄に呻吟する毎日です。人を呪わば穴ふたつ、とはまさしくこのことでしょう。
 そんなこんなで名張市立図書館にはいまだに「新青年」の復刻版がなく、閲覧するためには三重県立図書館まで足を運ばねばなりません。がーん。
 といったような次第ですので、「探偵作家クラブ会報」復刻版のデータを取る作業も途中でほっぽり出したまま、意気消沈して8月を迎えてしまいました。どうなることやら。