2002年2

●2月28日(木)
 2月28日か。月末か。あしたから3月か。どうなとなりさらせ。きのうはほかのお仕事でたいそう忙しく、昨日の伝言に引きました拙文「大津事件」につづく原稿は一行も書けませんでした。ははは。いまだかつて原稿が締切に間に合わなかったことを理由に殺された人間なんて一人もいないのだ。ははははは。何も心配することはないのだ。わははははははははは。


●2月27日(水)
 もう27日です。あすが月末です。月末までに仕上げなければならないお仕事が大幅に遅れております。まいったな。必死になってお仕事はしているのですが、なかなか捗りません。頭がぼーっとしております。きのうは、

大津事件 おおつじけん
伊賀国上野藩医の子として江戸に生まれた津田三蔵(1854−1891)が、滋賀県巡査を務めていた明治二十四年五月十一日、来日したロシア皇太子(のちニコライ二世)を大津市内で警護中に斬りつけた事件。死刑を主張する内閣に抗して、大審院長児島惟謙が司法の独立を守った。無期徒刑となった三蔵は九月二十九日、肺炎で獄死。墓は上野市の大超寺にある。

 みたいな原稿を書いておしまいにしましたが、こんな原稿をまだまだいやになるほど書き殴らなければなりません。まいったな。本日はこれにて失礼します。


●2月26日(火)
 辻敬治さんからお寄せいただいた玉稿をアップロードしました。「最新情報」をご覧ください。きょうはこれくらいで堪忍してください。ではまたあした。


●2月25日(月)
 お仕事に追われ追われて追われまくった結果、本屋さんに立ち寄るのが唯一の息抜きとなっております。きのう買ったのは、『江戸川乱歩著書目録』の参考になるかと立ち読みしたら乱歩への言及があったので奥村敏明『文庫パノラマ館』(青弓社)、あるお仕事で作中の伊賀牛に関する記述を引用する必要が出てきたので池波正太郎『食卓の情景』(新潮文庫)、巻末の参考文献一覧を見てみたら亡父の名前が出てきたので高橋輝和『シーボルトと宇田川榕菴』(平凡社新書)。本日はこれにて失礼します。


●2月24日(日)
 ところで、私がどうして平井隆太郎先生のご高配のもと乱歩邸の土蔵でじたばたしていたのかと申しますと、名張市立図書館が発行する江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』の調査のためなのですが、おかげさまで同書刊行の予算が獲得できたみたいです。
 昨日発行の毎度おなじみ「伊和新聞」に名張市の発表した新年度当初予算案が報じられていて、「一般会計のハード・ソフト両面の主な新規事業は次の通り」と列挙されたなかに、

▽乱歩ふるさと発見50年記念事業(549万円)=「乱歩リファレンスブック(第3号)」の発行と、10月のミステリートークに合わせたウオークラリーなど

 なんていうのがあげられていました。いやありがたい。しかし五百四十九万もつかうのか。
 不況が長引いて全国の地方自治体は税収が伸び悩み、名張市の場合は4月に市長選挙が控えていることもあって、同紙の見出しによれば新年度当初予算は「一般会計は4.7%減の“骨格”」なのですが、そうした財政事情にもかかわらず、乱歩ふるさと発見五十年記念事業の予算を認めていただけたのはまことにありがたい話です。市長はじめ市の関係各位には、心から謝意を表しておきたいと思います。
 正式には今月28日開会の3月定例会で予算案が審議され、3月19日の本会議最終日に採決が行われるわけですが、予算案として上程されたのですから可決されるのはまず間違いありません。
 乱歩ふるさと発見五十年記念事業と申しますのは、乱歩が生まれて初めて自分の生家跡に案内された昭和27年、西暦でいうと1952年から今年でちょうど五十年が経過することを記念して、市民生活にはまったく関係のないことながら、市民の税金で乱歩に関する本を出したりイベントを催したりしようという事業です。
 本というのは『江戸川乱歩著書目録』のことですし、イベントというのは秋10月、市内の乱歩関連スポットをめぐるウォークラリーや乱歩原作の講談の上演や毎年恒例のミステリートーク、すなわち日本推理作家協会からの講師派遣による講演会なんかをまとめて開催することを指しています。『江戸川乱歩著書目録』は市立図書館の担当ですが、それ以外は市長部局の管轄となりますから、図書館と市長部局が縦割り行政の垣根を越えて乱歩ふるさと発見五十年記念事業に携わることになるわけです。
 名張市の乱歩関連事業は今年でひとまず打ち切りになりますので、これがとりあえず最後の機会、みなさん10月にはどうぞお運びください。いや、打ち切りにしようというのは私個人の考えですから、実際にそうなるかどうかは不明です。しかし、消化試合みたいな乱歩関連事業をいくら重ねたって意義はありません。税金の無駄づかいです。
 最近はお役所だって費用対効果なんてことをいいだしておりまして、投入した事業費に見合う効果があったのかどうかをみずから問うことを始めている次第なのですが、私もひとつ名張市の乱歩関連事業を費用対効果という観点からびしびし検討し、まともに乱歩作品を読んだこともないような職員がろくな効果もない乱歩関連事業を前例墨守でつづけているだけだとわかったら、それをずらずら継続させることはなんとかストップさせたいと思います。
 もとより私は市立図書館の嘱託ですから、市長部局の担当事業に口出しできる立場にはありません。とはいえ、お役所のシステムを盾にとって私を黙らせようというのは、ちょっと無理な話であろうと思います。むろんことの軽重からいえば、乱歩関連事業なんかより天下の悪政斎場建設事業を厳しく追及すべきである、とは私も思います。
 名張市役所のみなさん。いったいあれは何なのでしょう。二十五億もの税金を投じて斎場を建設するというあの計画です。しかも二十五億のうち十億は誰かさんのセックススキャンダルの尻拭いにつかわれるのだという、巷間まことしやかに囁かれている噂はほんとなのでしょうか。
 つらつら考えますに、滝之原の山のなかの土地をつつじが丘の宅地より高い価格で購入するという不合理きわまりない市の計画はついに刑事告発されるに至りましたし、市議会では斎場計画に関する質問を多数派ぼんくら議員がよってたかって封じ込めてしまう光景も見られます。
 あれは昨年の12月議会でしたか、ある議員がやはり斎場に関連する質問を始めたところ通告がなかったことを理由に例によって発言妨害が始まり、生中継していた地元 CATV の音声まで切断されてしまうという、名張市議会が市長べったりで恥ずかしいほどレベルの低いものだということを市民に如実に知らしめる事件がありましたけど、それやこれやを考え合わせると、やはり真に叩くべきは斎場建設計画であることは間違いないのですが、私には確たる証拠も手がかりもありませんから叩くことができません。叩けるものならとっくに叩いてるさ。
 ですから自分のできる範囲内で、乱歩の遺産が立教大学に移管されることが決定したいまの時点を機として、名張市の乱歩関連事業が税金の使途として正当なものであるかどうかを判断してみようという寸法です。名張市役所のみなさん。どうぞ仲良くしてくださいね。


●2月23日(土)
 助手は二人で充分であったかというと、そんなことはありません。玄関にも玄関から土蔵に至る廊下にもあちこちに本棚があって、おもに寄贈本が並べられているのですが、なかに乱歩歿後の著書やアンソロジーなどが置かれていないでもないからです。それをチェックする別働隊があればより効率的に調査が進められたのですが、まあ致し方ありません。
 とかなんとかいいながら、便所につづく廊下に置かれた小さな本棚に1999年から2000年にかけて上海の出版社から刊行された少年探偵団シリーズがありましたので、私は助手Bにいいつけてデータを控えさせました。
 「あ。ワープロで出ない漢字がありますよ。あ。海底下的鉄人魚って何だろうと思ったら、海底の魔術師か。あ」
 と助手B。
 とかなんとかいってるあいだにどうもいけません。何かの祟りみたいにお仕事が立て込んできました。息抜きに立ち寄った本屋さんで有栖川有栖さんの『作家の犯行現場』(メディアファクトリー)と伊藤秀雄さんの『明治の探偵小説』(双葉文庫)を見つけたのですが、それを「RAMPO-Up-To-Date」に記載する余裕がありません。
 それより何より、乱歩記念館に関する名張市長の虚偽発言に端を発するてんやわんやの局を結ぶため教育委員長の辻敬治さんにお願いした玉稿もすでに頂戴しているのですが、これもまだアップロードできておりません。どうも申し訳ありません。


●2月22日(金)
 とりあえず木箱のなかにある本だけでも確認しようと、私と青年助手ABの三人は、土蔵の二階でさっそく作業を開始しました。
 しかし、いちばん上にある箱には手が届きません。そこらにあった小さな脚立に乗ってもまだ届かない。困ったな、と思っていると、周囲を見回した助手Aが隅に立てかけてあった梯子を目ざとく発見し、木箱の前に据えつけて、
 「乱歩もこの梯子をつかったのかな」
 とかなんとかいいながらするすると登るや、最上部の箱の蓋を取り外しにかかります。
 「その箱、何が入ってるねん」
 と私。
 「はい」
 と答えた助手A、木箱の中味を順に読みあげてゆきます。
 そんなこんなで上の箱から順に調べてゆき、そろそろ休憩に入ろうかというとき、
 「あ。二重です。二重になってます」
 と助手A。
 「何がやねん」
 と私。

 「あ」
 と助手B。
 「箱の奥にもうひとつ同じ大きさの箱があって、そこにも本が入ってるみたいです。中さん、知ってましたか」
 と助手A。
 「いや。知らんかった。全然知らんかった」
 と私。
 「あ。あああ」
 と助手B。
 「どうしますか」
 と助手A。
 「ああ。これもだ」
 と助手B。
 「手前の箱ひっぱりだして、奥の箱にどんな本が入ってるか調べてみてんか」
 と私。
 「ああ。まただ」
 と助手B。
 この助手Bがさきほどから何を騒ぎ立てているのかといいますと、彼は新潮社版乱歩選集と格闘しているわけです。本体に巻いてあるグラシン紙が古びてぱりぱりになっていて、函に入れるときよほど注意しないと破れてしまうため、あ、あ、あ、と声に出して悪戦苦闘しているようです。
 「あ。これも破れてる」
 と助手B。
 見ると、たしかにその巻のグラシン紙はすでに破れていました。そのとき卒然として私は、あることを思い出しました。
 「どの巻もたいてい破れてるんです」
 と助手B。
 ふふふ、それはそうだろうな、と私は思いました。なにしろ破ったのはこのおれなんだからな、と。
 以前必要があって新潮社版選集を拝見したとき、それは乱歩邸の応接間でのことでしたが、中味を確認して函に入れる際、ほぼどの巻もぱりぱりぱりぱりと音を立ててグラシン紙を破りながら収納したことを、私はまざまざと思い出しました。なにしろ平井隆太郎先生の眼の前です。私は青くなって冷や汗をかきながら平謝りに謝り倒し、
 「いいですよ。もう古くなってますから」
 と先生からお許しをいただいたのですが、いやあのときはほんとにまいった。
 「わかりました」
 と助手A。
 「心配ない。それはみんな昔おれが破ったんや」
 と訳のわからない慰め方をする私。
 「え」
 と助手B。
 「どんな本が入ってる」
 と私。
 「奥の箱にはどうやらストックを入れてあるみたいです」
 と助手A。
 「そうか。ストックか。よし。わかった。見なかったことにしてしまお」
 と私。
 土蔵の二階で、時は夢のように過ぎ去りました。


●2月21日(木)
 どうも申し訳ありません。きょうは時間がありません。このところなんだか忙しく、乱歩邸の土蔵で調べてきたデータもまだ整理ができていないありさまです。「RAMPO-Up-To-Date」の更新もままなりません。
 お知らせをひとつだけ。有栖川有栖さんが「ダ・ヴィンチ」に連載していらっしゃった「有栖川有栖ミステリー・ツアー」が、単行本『作家の犯行現場』として刊行されました。きょうは東へあしたは西へ、有栖川さんが探偵作家の故地を訪ねるエッセイで、乱歩邸も名張市立図書館も出てきます。メディアファクトリー発行、本体一五〇〇円。私は先日池袋の芳林堂書店で見かけたのですが、荷物になるから帰りに八重洲ブックセンターで買うことにしよう、と思いながらついつい忘れて帰りました。


●2月20日(水)
 息をするのも忘れて、私は乱歩の著作が収納された木箱の蓋を開けてみました。箱の中味は、蓋の紙に書かれたリストとはいささか違っていました。ほかの箱も調べたのですが、蓋のリストと納められた本とは必ずしも一致していないようでした。写真撮影だの展示会だので何度となく木箱から本を出し入れしているあいだに、少しずつ本の置き場所が変わってゆき、なかには木箱以外の場所に移動した本も出てきた、といったことだろうと判断されます。それは致し方のないことです。
 それにだいいち、木箱のなかの本を調べられるだけでもたいへんありがたいことです。いまだに確認できていない至玄社の『大衆文芸傑作選集』も波屋書房の『孤島の鬼』も眼にすることができませんでしたが、たとえば昭和5年から6年にかけての本で申しますと、長く未確認だった次のような著作を次々と手に取ることができました。
 『名探偵明智小五郎』先進社
 『孤島の鬼』改造社
 『蜘蛛男』大日本雄弁会講談社
 『UNU BILETO』エスペラント研究社
 『猟奇の果』博文館
 『吸血鬼』博文館
 『江川蘭子』博文館
 いや凄い凄い。しんと静まり返った土蔵のなかで、私はほとんど快感さえ覚えました。とはいえ、一人の作業は能率があがりません。本を出したりページをくったりデータを控えたりといった単純作業は、だいたいにおいてすぐに飽きてもきます。なんとかせなあかんな、と私は思案しました。
 さてその夜、つまり2月15日金曜夜の池袋大宴会は、総勢五人というごく小規模なものでしたが、私は急遽、参加者のうち二名を助手として採用することにしました。有無をいわせぬただ働きです。そして翌16日、現地調達した青年Aと青年Bという二人の臨時助手をひきつれて、私はふたたび乱歩邸を訪れました。春のように暖かい日でした。
 東京地方にお住まいのみなさん。だからあなたも15日夜の池袋大宴会に参加しさえすれば、翌日には私の助手として堂々と乱歩邸の土蔵に足を踏み入れることができましたものを。じつに残念至極です。こんな機会はもう、おそらく二度とはありますまい。


●2月19日(火)
 豊島区西池袋の乱歩邸では、昨年12月につづいて土蔵内の蔵書を調べさせていただきました。お邪魔して初めて知ったのですが、乱歩邸の家屋や備品、蔵書などは4月1日から立教大学の管理下に入るそうで、そうなると平井家の方々といえども大学側の許可なくしては出入りできなくなるとのことでした。
 みたいなことを聞き及んだ眼で眺めると、むろん初めて足を踏み入れたときほどの感慨がなかったのは当然ですが、ちょうど近世資料が保存用の処理を施すためにごっそり運び出されていたこともあって、土蔵内部のたたずまいも前回とはかなり異なって見えました。なんですか「赤い部屋」のラストにある、

「赤い部屋」の中には、どこの隅を探してみても、もはや、夢も幻も、影さえとどめていないのであった。

 という文章の「赤い部屋」を「土蔵」に置き換えたような趣すら感じられたのですが、もっともこの日、2月15日金曜には、ミステリチャンネルの番組で乱歩がとりあげられるらしくその取材陣が訪れていましたし、毎週金曜日に通っていらっしゃる新保博久さんと山前譲さんもお見えでしたから、そのせいで土蔵内の印象が大きく違って見えたのかもしれません。
 そういえば、新保さん山前さんの調査に基づく乱歩の蔵書目録が CD-ROM で発行されるという話も本決まりになったらしく、それに必要な土蔵内の画像の撮影がやはり3月31日を期限として進められていることも聞き及びました。ちなみに版元は東京書籍。
 ともあれ、立教大学への移管を前にして、土蔵内にはお引っ越し前の妙にあわただしい活気が立ち籠めているという観を抱いた次第です。もっともあわただしかったのは、もちろんかくいう私ですが。
 さて、前回は土蔵の階段下スペースにあった少年ものや文庫本をチェックしたのですが、今回はいよいよ二階です。二階には特注の木箱が設置されていて、そのなかに乱歩の著作が保管されています。まあこれなわけですが。

土蔵の二階

 箱には、そのなかに納められた著書のタイトルを記した紙が貼られています。
 「1」の箱には大正14年の『心理試験』から昭和4年の『悪人志願』まで、「2」の箱には昭和4年の『江戸川乱歩集』から昭和6年の『吸血鬼』まで、そして「3」の箱には昭和6、7年の『江戸川乱歩全集』と『露訳魔術師』『江川蘭子』といった具合に刊行順に整理されていますから、紙の貼られた蓋を取り外しさえすれば、なかの著作を手に取ることができます。手に取ることができるはずだったのですが。


●2月18日(月)
 名張市民のみなさん。みなさんの税金のごくごく一部を頂戴して、15日から17日まで東京に出張してまいりました。どうもありがとうございます。
 
出張先は乱歩邸、世田谷文学館、講談社野間記念館といったあたり。立教大学にもお邪魔しようと思い、同大学で近世文学を研究していらっしゃる先生に上京直前にご連絡申しあげたのですが、かけちがって果たせませんでした。帰宅したところ先生からのメールが届いていて、先生もここ数日、乱歩邸から譲渡される近世資料の整理や入学試験の採点業務でとてもお忙しかったみたいです。
 そういえば、立教大学はちょうど入試の真っ最中。池袋界隈のビジネスホテルはすべて受験生で満杯になっていて、私はカプセルホテルに投宿する仕儀となりました。夜の池袋では、一人で歩いていると客引きのお兄さんお姉さんがぞろぞろまとわりついてきて閉口しました。
 東京でお世話になったみなさん。どうもありがとうございました。
 やや詳しい報告はあす以降に綴ります。


●2月14日(木)
 といった次第で昨13日午前、名張市役所教育長室で行われた教育長、教育委員長、教育次長、図書館長と私との話し合いの場で、名張市長の発言が虚偽であったことが判明しました。具体的に申しますと、1月1日付「伊和新聞」に掲載された市長インタビューに、

私は蔵だけ頂こうと、ひそかに平井先生(平井隆太郎・立教大名誉教授=江戸川乱歩の長男)と市教委を通して連絡を取っていました。

 という市長の発言があったのですが、教育委員会が市長の命を受けて平井先生に対し土蔵の譲渡に関する働きかけを行った事実はありませんでした。教育長にその旨、明言していただきました。正直なご回答を頂戴できて、私はたいへん嬉しく思いました。外務省は名張市教育委員会を見習うべきでしょう。
 私は1月15日、この伝言板に次のとおり記しました。

 「教育委員会が市長の命を受けて乱歩のご遺族に連絡を取ったという事実はあるのか」
 という質問に対する答えはふたつしかありません。あった、か、なかった、かです。むろんなかったことは明々白々たる事実なのですが、残念ながら現時点では、その事実には「私の知っている限りでは」という限定がついています。ですから私は教育委員会に事実関係を確認し、客観的な事実を提示して、市長の発言が虚偽であったことを公にしておきたいと考える次第です。
 公にするといったって、具体的にはこのホームページにそれを記録するだけでことは足りるでしょう。ほかにも手段はいろいろありますが(たとえば「伊和新聞」に投稿するというのもそのひとつ)、私には強いてことを荒立てようという気はありません。

 ですから私は近いうち、この市長発言に関するページをアップロードするつもりです。しかしそれは私の主観にのみ基づいた証言ですから、できれば教育委員会の見解も掲載したいと考え、教育委員長に玉稿をお願いしましたところ、ご快諾を得ました。今回の件のみならず、名張市における乱歩顕彰の歴史にも触れていただけるはずです。アップロードの時期は確約できませんが、ともあれご期待ください。
 教育委員長は、いつか掲示板「人外境だより」にもご投稿いただいた辻敬治さんです。昨年7月に放映されたテレビ番組「真珠の小箱」の「乱歩・その夢と真実」で、乱歩をテーマに有栖川有栖さんと対談をなさっていた方だと申しあげれば、ご記憶の読者もおありかもしれません。私は昨日、この教育委員長の辻さんから、
 「おまえはこれからも図書館嘱託として仕事をつづけていかなければならんのだから、市長を叩いて自分の身を危うくするような真似は控えるように。こちらがはらはらするではないか」
 みたいなお説教をいただきましたので、
 「だって叩かれるようなことをするほうが悪いんだもん」
 とお答えしておきました。いやどうも相済みません。
 本来であれば私はひきつづいて市長の資質を問題にし、ことのついでに天下の悪政たる斎場問題を徹底的に追及するべきかなとも思うのですが、何度も申しておりますとおり強いてことを荒立てるつもりはありません。市長の発言が虚偽であったという事実をホームページに記録しておけば、みずからの務めは最低限なんとか果たせるように思います。
 名張市民のみなさん。どうも手ぬるくて申し訳ありません。
 名張市役所のみなさん。みんなで力を合わせて嘘や不正のない名張市政を築きましょう。
 名張市長選挙立候補予定者のみなさん。末筆ながらご健闘をお祈り申しあげます。

 ここでお知らせです。勝手ながらあす15日からたぶん17日まで、この伝言板はお休みとなります。それではご無礼つかまつります。


●2月13日(水)
 おやきょうは13日か。
 ということは、名張市教育委員会との話し合いの日ではないか。
 毎度おなじみ乱歩記念館に関する名張市長の虚偽発言をめぐる話題ですが、きょう13日、もしかしたら教育長のご回答がいただけるのかな。
 思い起こせば1月5日のことでした。私が教育長に対して、市長が教育委員会を通じて平井隆太郎先生と連絡をとっておったと口走ってはりますけど、あれはほんまのことですかいな、みたいな質問を文書で提出いたしましたのは。
 そして1月22日のことでした。教育委員会が私の話を聞いてやろうと話し合いの場を設けてくださったのは。しかし遺憾ながら教育長のご回答は頂戴できず、といったあたりまではこの伝言板でもお知らせしたと思います。
 えーい、うぬらの心底とくと見届けたわッ、と私は思っているのですが、念のためにもう一度、あれは1月22日から数日たった日のことでしたが、教育長のご回答はもういただけませんのか、という点を確認しましたところ、さらに数日たってから、もう一度話し合いの機会を設けるから仔細はその席で、と教育委員会からお達しがありました。
 その話し合いがきょう2月13日に行われるという寸法です。
 なーにちんたらやってんだか。


●2月12日(火)
 いやまいったなもう12日か。
 私は名張市で発行されている「四季どんぶらこ」という地域雑誌に「乱歩文献打明け話」というちゃかぽこを連載しております。次号の締切は10日だといわれていたのですが、もう12日か。むろん原稿はできあがっています。郵便局がお休みだったので、発送できずにいただけの話です。きょう速達で出すことにします。
 いやまいったなしかし。
 なぜまいっているのかと申しますと、本日速達で発送する「乱歩文献打明け話」というのがですね、編集部には内緒で掟破りの事前公開に踏み切りますと、一ページ目は次のとおり。

 鈴木宗男先生に捧ぐ
「あんな嘘がようつけたもんですね」
「例の話ですか」
「臆面がないというか厚顔無恥というか人を小馬鹿にしてるというか」
「たしかに政治家が人を小馬鹿にしたような嘘をつくのは感心しませんね」
「それでまたこんなことでごたごたするお役所もお役所です」
「お役所ぐるみで嘘を隠そうとしてるようにしか見えませんからね」
「まあお役所の体質ゆうのはどこでも似たようなものなんですけどね」
「そしたら名張市役所も外務省も似たようなもんですか」
「結局この問題でお役所に対する信頼があらためて地に堕ちてしまいました」
「お役所の人は自分らのことしか考えてないゆう感じですからね」
「身内意識にこりかたまって保身と責任回避しか考えてないんです。お役所のなかしか見えてないんです」
「こうなるとわれわれとしては政治の世界にはほかにもいっぱい嘘があるのやないかゆう気になるんですけど」
「当然そうでしょうね」
「考えてみたらあれも嘘やないかこれも怪しいやないかみたいな」
「それがお役所ぐるみの隠蔽工作によって隠されてるだけの話でね」
「しかしあんな無茶苦茶な大嘘がこのまま通用してしまうわけですか」
「なんとか阻止したいと思います」
「君が思たかて意味ないがな」
「なんでですか」
「君は名張市立図書館の嘱託やがな」
「人はカリスマと呼びますけど」
「外務省の問題どないするゆうねん」
「え。それはまたなんの話ですか」
「なんの話て君、NGO出席拒否問題の話をしとったんとちがうんですか」
「といいますと」
「東京でアフガニスタン復興支援NGO国際会議が開かれたとき鈴木宗男ゆうたちの悪い政治家がお上を批判するようなNGOは出席させんゆうて外務省に圧力かけたせいで一部のNGOが会議に出られへんかったゆう話ですがな」
「大嘘ゆうのはなんですねん」
「その鈴木ゆうおっさんが外務省に圧力なんかかけてないといいはってるわけですけどそれは誰が見たかて大嘘やと」
「そうやったんですか」
「そしたら君、君はいままでいったいなんの話をしてたんですか」
「もちろん名張市の話です」
「なんやて」

 いやまいったなどうも。
 このちゃかぽこが掲載される「四季どんぶらこ」は3月21日発行の予定なのですが、ということは、なんと名張市長選挙告示の十日前ではありませんか。四選を目指す現職と県議から鞍替えした新人が保守系同士白熱の選挙戦をくりひろげている最中に、このあられもないちゃかぽこが名張市内に出回ってしまうわけか。
 いやまいったな実際。
 名張市選挙管理委員会のみなさん。私にとってはいかにも理不尽な話ではあるのですが、みなさんのためにいささかの贅言を連ねますと、ここらあたりでまあ一本、私の頭に警告の釘を打ち込んでおかれたほうがよろしいのではないでしょうか。頭に釘、というのはむろん比喩です。私に電話の一本もかけて、選挙妨害はやめましょう、と警告しておいたほうがいいのではないかということです。形だけでもそうしておかないと、あとでみなさんが市長からどえらく叱り飛ばされることになるのではありますまいかコスタリカ。老婆心ながらご忠言申しあげる次第です。
 さて、朝一番で名張郵便局に行ってこようかなっと。


●2月11日(月)
 きょうもなんとか接続可能みたいです。やれやれ。いまだに仔細は不明なのですが、とりあえず経緯をお知らせしておきます。
 まず、サーバーに接続できないのですが、という問い合わせに対してプロバイダから届いたアドバイス。

弊社で色々と試してみましたが、同様の現象が発生しないため、現在のところ原因はわかりません。弊社側でももう少し調査をおこないますので、もうしばらくお待ちください。
これが原因ではないと思いますが、お客様のフォルダをサーバ側で確認させて頂きましたところ、1つのフォルダ(stako)に300個以上のファイルを置いてありますが、このリスト情報を取得するのに時間がかかり、タイムアウトをおこしているのかもしれません。種類別にフォルダを作成し、1フォルダに存在するファイルを分割する事で問題が起こらなくなるかもしれません。
または、パソコンに設定してあるお使いのターミナルアダプタのドライバが何らかの問題をもっている可能性もございますので、最新のドライバの再インストールやターミナルアダプタのファームウェアのバージョンアップ、ターミナルアダプタの電源ON/OFF等もお試し下さい。

 自慢ではありませんが、ターミナルアダプタだのファームウェアだのといわれたって、さっぱり訳がわかりません。そこで昨日、専門知識のある知人にそのへんの作業をやってもらったのですが、にもかかわらず相変わらず、ホームページ作成ソフトではサーバーに接続することができませんでした。
 しかしファイル転送ソフトがなんとか接続できるようになりましたので、サーバーにあるファイルを七、八十ほど削除してみたところ、ホームページ作成ソフトでも接続できるようになった次第です。そこで昨日夕刻、とりあえずこの伝言板を更新し、それから削除したファイルをフォルダに入れて再アップロードしたのですが、ありがたいことに何の支障も見られませんでした。などと記しても意味がおわかりにならぬかもしれませんが、書いているこっちだってよくわかっておりません。
 でまあ、おかげで接続できました、とメールを送った知人から届いた返信。

ファイルの問題だけでクリアできたようでよかったです。たぶんサーバ側にも多少は問題あると思いますよ。うちは300どころじゃないものも扱っていますので、おそらくNTサーバということにひとつ問題があるのだと思います。
あとは、今日も話をしましたが、Macintoshの特殊なリソース問題が存在するのでしょうね。

 なんか根本的な解決には至っていない感じなのですが、それでもひとまずめでたしめでたし。そういえばきょう2月11日は亡父の命日。きのう朝から墓参に出かけた殊勝な孝行心が天に通じたのかもしれません。


●2月10日(日)
 サーバーに接続できぬ日がつづいております。
 きょう、専門知識のある知人に来てもらってパソコンをいろいろ見てもらったのですが、結局はあまり要領を得ませんでした。しかしまあ、ああいうことが原因ではないか、こういうことを試みてみればいいのではないか、といったアドバイスを得ることができましたので、とりあえずやってみます。うまくいったらおなぐさみ。
 ちなみに、以下は2月3日に記した伝言です。

 徳島県の小西昌幸さんから、流れ去った過去ログのコピーをファクスでお送りいただきました。それに基づいて、末永昭二さんと私の往復書簡「くろがね叢書は雑誌なのか問答」をお届けいたします。小西さん、どうもありがとうございました。末永さん、ご投稿転載の段、よろしくご了承ください。

末永昭二
  2002年 1月 7日(月) 12時 0分
  
http://members.tripod.co.jp/Masa_chan/nihon.html

年末にちょっと書きました『くろがね叢書』について、上のURLに書いてあります。
「アノネオッサン、わしゃかなわんよ」という高勢実乗のギャグも戦中禁止されていたという文献が多いのですが、軍の息の掛かった映画では立派に使われています。「アノネ」のシーンは、竹中労さんも見たと書いているので一般に公開されているはずです。
なんであろうと、「例外」とか「特別扱い」というものはあるもので、公式文書だけでは実態を示していないということでしょうか。


珍しく二日酔いではない私
  2002年 1月 8日(木) 8時57分

 くろがね叢書に関するご教示、たいへん参考になりました。ところで、なんだか間の抜けたことをお訊きいたしますが、くろがね叢書というのは雑誌なのでしょうか。乱歩邸で現物を調べた際には、造本体裁はA5判の雑誌にしか見えず、毎月一回定期的に発行されていたらしいこともわかりましたが、奥付などから判断してこれは書籍であろうと結論した次第です、タイトルにある「叢書」という名称も、一般的には雑誌ではなく書籍にふさわしいと思われるのですが。先日のご投稿でも、また「なめきり大百科」の「勝利の日まで」のページでも、ともに雑誌として扱われている点がいささか気になってきました。いかがお考えでしょうか。


末永昭二
  2002年 1月 8日(火) 9時34分

やー、イキナリ難しいお話になってしまいました。
確かに『くろがね叢書』は、雑誌のようでもアリ、単行本のようでもアリです。
私は雑誌と考えているのですが、問い詰められると「慣例に従っているだけ」だと白状しなければならないかと。
しかし、(1)定期刊行物である(確実に月刊だったかは確認していません)こと、(2)記事内容および編集手法が雑誌的であること、(3)見た目、などによって、雑誌だと判断されるのではないかと思います。
ほかには、ハッキリ覚えていないので自信がないのですが、『出版年鑑』の雑誌目録に雑誌として掲載されていたのではないでしょうか。違ってたらゴメンナサイなのですが、「『出版年鑑』が雑誌というからには雑誌なんだ」ということもできるのではないかと愚考する次第です。


名張市立図書館嘱託
  2002年 1月10日(木) 9時 7分

 私も最初は、くろがね叢書は雑誌であると思いました。造本体裁から仰せのとおり記事内容や編集手法に至るまで(そういえば目次の組み方も雑誌そのものでした)、明らかに書籍ではないと感じられました。しかし、巻・号数の記載がないこととタイトルの「叢書」という言葉から、これは雑誌ではないなと判断した次第です。細かいことをいいますと、雑誌の奥付によく見られる「毎月一回○日発行」という記載もなく、また毎月定期的に発行されていたようではありますが、発行日は毎月最終日であったらしく、月によって30日だったり31日だったりしておりまして、このあたりも雑誌らしからぬ点だと見受けられました。「○月号」ではなく「第○輯」となっている点も、なんだか怪しいように思えます。いったいどう考えればいいのでしょうか。難しい話題を振って申し訳ありません。

 といった次第で、どうも決め手に欠けます。
 ただし、くろがね叢書は戦線の慰問用というかなり特殊な出版物ですから、巻・号数や発行日などの点が一般の雑誌と同様でないからといって、必ずしも雑誌でないとは断定できないかもしれません。しかしだとしても、「叢書」や「第○輯」に関する疑問はそのまま残ってしまいます。はてさて。
 などとごちゃごちゃいってるだけでは話が前に進みません。現時点であえて結論を出してしまいましょう。まず、

くろがね叢書は逐次刊行物であった。

 と規定してみます。とにかく月刊で出ていた出版物ですから、このように規定することには差し支えがないと思われます。そしてこのあたりが、当節の政治用語でいえば落としどころ。強引に結論を出すためには、この落としどころに落ち着くしか手が見当たりません。
 つまり、一般的に逐次刊行物は書籍ではないと見做されますから、くろがね叢書も書籍ではない、ということにしてしまうわけです。あまりすっきりしませんけど、これがとりあえずの結論です。
 したがって、「くろがね叢書」は『江戸川乱歩著書目録』に記載されるべきではない、と判断されます。この問題があるせいで、雑誌か書籍かという点に拘泥せざるを得なかった次第ですが、それにしてもやはりすっきりいたしません。ご意見ご批判がおありでしたら、お気軽にお寄せください。

●2月10日(日)追伸
 ご心配をおかけいたしましたが、おかげさまでなんとかアップロードできるようになったみたいです。まだあと確認したりいじったりしなければならぬこともあるのですが、きょうのところはとりあえず祝杯を挙げることにいたします。まだ早いか。いやもういいか。午後4時20分。それではまたあした。さあ酒だ酒だ。その前に犬の散歩だ。


●2月2日(土)
 内容なんてすっかり忘れていた阿川弘之さんの『井上成美』を斜め読みで再読しましたが、やはり乱歩の名は出てきませんでした。とはいえ、読書は芸のこやし、と申しますとおり(私が勝手に申しているのですが)、これもまた無駄な読書ではありませんでした。
 とくに印象に残ったのは、戦時中にも理を重んじて教育を進めたリベラリストの評伝だからなのでしょうか、海軍における意外にリベラルな雰囲気でした。そういえば、阿川さんも自身の体験として、

海軍は、私の経験に則するかぎり、今を時めく学者評論家が言い立てているほど狂信の支配する非合理な社会ではなかった。世間で禁制の英語を口にするのは全くの自由だったし、陛下のことを私どもは平気で「天ちゃん」と呼んでいた。

 と記していらっしゃいますが、これなど一般の雑誌が狂信的かつ非合理に探偵小説を禁制としていたにもかかわらず、海軍関係のくろがね叢書には乱歩作品がちゃんと掲載されていた、という一事と相似形をなす事実なのかもしれません。
 さてそのくろがね叢書です。
 
くろがね叢書に関してはもうひとつ、これはそもそも雑誌なのか書籍なのかという問題があります。私は通常、雑誌名には一重カギ、書籍名には二重カギを用いているのですが、この問題が解決していないため「くろがね叢書」とも『くろがね叢書』とも記せずに現在に至っております。
 この点に関しては以前、掲示板「人外境だより」に『新青年』研究会(新青年は誌名ですから私の場合は「新青年」となるのですが、『新青年』研究会という団体名には二重カギが使用されていますので、それに従っております)の末永昭二さんからご投稿をいただきました。
 そこで、末永さんと私のやりとりを往復書簡(思わず「愛の往復書簡」と書きつけてしまい、あわてて訂正した私です。まだ頬が火照っております)の体裁にしてこの伝言板に転載しようと思いつき、掲示板の投稿を遡った私は、
 「あッ」
 と叫んでしまいました。
 まいった。
 過去ログが流れ去っております。
 いやまいった。


●2月1日(金)
 きのうは大変でした。
 朝、犬がいなくなっていました。母方に遠くロシアの血を引くニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンという名の番犬がです。首輪をつないであった金具が何かの拍子にはずれてしまい、それに気がついてこれ幸いと逐電遁走を決め込んだものと思われます。
 家の周囲にはまったく見当たらず、自動車で毎日の散歩コースを流してみたのですが、影も形もありません。家に戻ってもやはり姿がなく、じっとしていられずにまた車で探しに出るといったことをくりかえしているうちに、子供たちの通学時間が近づいてきました。
 いきなり人を咬むことは考えられませんが、比較的大きな犬ですから、とくに子供には姿だけで充分に恐怖を感じさせるはずです。いやいや大人だって、体重が二十五キロもある狼に似た犬が歩いてくるのを眼にしたら、とても平静ではいられないでしょう。
 健康のため早朝ウォーキングに励む老夫婦や、集団で登校する名張市立蔵持小学校のよい子たちがうちの犬に出会えば、どんなことが起きるか予想がつきません。あるいは不注意な女性ドライバーに撥ねられてしまい、いまごろは冷たい骸となって路傍に横たわっているのではないか。不吉な想念が頭のなかで膨れあがるばかりです。
 しかもこんな日に限って朝から出かけねばならぬ用事があり、とうとう時間がなくなって、
 「これはもしかしたら百鬼園先生の祟りか。猫と犬との差こそあれ、うちの犬は帰らぬノラになってしまうのか」
 とほぼ半狂乱の状態で非論理的なことを考えながら外出の仕度をしているときに、犬はふらふらと帰ってきました。つづけざまに二杯、うまそうに水を飲んで、どたりと寝そべりました。それを見届けて、私は家を出ました。
 そんなこんなできのうの朝は、パソコンに触れるいとまもありませんでした。ではまたあした。くろがね叢書の話をつづけます。