2002年4

●4月30日(火)
 さて問題の小酒井不木宛乱歩書簡全三十通、おかげさまできれいな写真が仕上がってまいりました。封筒は表裏を、便箋は一枚ずつ撮影して、全部で百五十九枚の写真が私の手許にあるのですが、ぶっちゃけて申しますと私いささか困惑しております。うーん。困った。
 この写真をホームページに掲載するとか、あるいは本にして出版するとか、そういった話は現時点では不可能です。まず著作権の問題があります。平井隆太郎先生のご承諾をいただかない限り、書簡の内容を公表することはできません。それにこうした場合、著作権以外の問題もからんでくるのではないかと思われるのですが、どんなものなのでしょうか。
 じつは27日の土曜日、乱歩邸でばったり出会った土蔵見学のご一行には弁護士の方もいらっしゃいましたので、世田谷文学館へ向かう道すがら書簡公開の権利関係についてお訊きしたのですが、専門外のことだから詳しいことはよくわからない、調べておいてやろうとのことでした。
まだ書簡を眼にする前のことでしたからはあ、よろしくとお願いしただけでしたが、ルーペ片手に書簡を読んでしまったいまとなっては一刻も早く答えが知りたい私です。弁護士先生にはご多用中恐縮ですが、なにとぞよろしくとあらためてお願いを申しあげる次第です。
 法的な問題は別にしても、気になりますのは書簡所有者になられる方のご心中。私はコレクション趣味のまったくない人間ですからコレクターの心理がよくわからないのですが、一千万円もかけて購入した乱歩書簡の内容をあっさり公表されてしまっては、やはりすこぶる面白からぬものをお感じになるのではないか、一千万円が百万円になったほどの落胆をお感じになるのではないかと推測されます。だからこそ個人の財産である書簡を勝手に公表して、いわばその評価額を下落させる行為には著作権以外にも法的な規制が存在するのではないかと考えられもするわけです。

 ところで一千万円というのは乱歩書簡三十通のお値段なのですが、よく考えてみたら書簡の話題はおもに掲示板で取り扱っていましたから、記録のためここで簡単に経緯を記しておきますと、成田山書道美術館の企画展に不木宛乱歩書簡が展示されているという新聞記事が出た、書簡所有者は群馬県の古書店経営者であると報じられていた、私は同美術館に電話して古書店経営者の方の連絡先を教えてもらった、電話した、書簡は案の定商品であった、しかしすでに買い手がついていた、がーん、値段は一千万円だった、がーん、がーん、企画展が終われば書簡は個人の所有に帰してしまうのであった、といったゆくたてです。
 それで私がいったい何を困惑しているのかと申しますと、この乱歩書簡三十通、内容からいって今後の乱歩研究に裨益するところきわめて大であると判断されることです。このまま私蔵されてしまうのはいかにも惜しい。なんとか内容を公開して乱歩研究の、あるいは本邦探偵小説史ならびに大衆文学史研究の貴重な資料とし、いうならば公の財産にしてしまいたい。しかしそれにはどうすればいいのか。えーい、こんなときに役に立てなくて何がカリスマか、何が大権威かとわれながら情けなく思われる次第ですが、いったいどうなることじゃやら。
 とりあえずこれくらいは公表してもいいだろうと勝手に判断して、書簡三十通の日付なんぞをお知らせしておきます。しかしほんとにいいのかな。

小酒井不木宛乱歩書簡

大正十三年
 十一月二十六日 封書 六枚 (13・11・26)
 十二月五日   封書 三枚 (13・12・5)
 十二月二十九日 封書 二枚 (13・12・30)

大正十四年
 一月二十四日  封書 四枚 (14・1・25)
 三月二十日   封書 三枚 (14・3・22)
 四月九日    封書 二枚 (14・4・10)
 四月二十四日  封書 二枚 (14・4・25)
 五月十一日   封書 二枚 (14・5・12)
 五月十八日   封書 四枚 (14・5・18)
 六月十五日   封書 六枚 (14・6・16)
 六月十九日   封書 三枚 (14・6・19)
 七月七日    封書 四枚 (14・7・7)
 七月十六日   封書 三枚 (14・7・16)
 七月二十五日  封書 二枚 (14・7・25)
 八月二日    封書 四枚 (14・8・2)
 八月五日    封書 四枚 (14・8・5)
 八月九日    封書 七枚 (14・8・9)
 八月二十一日  封書 六枚 (14・8・22?)
 八月二十六日  封書 六枚 (14・8・26)
 九月五日    封書 三枚 (14・9・6)
 十月二十五日  封書 二枚 (14・10・26)
 十一月二日   封書 二枚 (14・11・3)
 十一月十八日  絵葉書   (14・11・18)
 十二月十七日  封書 三枚 (14・12・17)
 十二月二十九日 封書 三枚 (14・12・30)

大正十五年
 二月二十五日  封書 四枚 (15・2・26)
昭和二年
 一月十九日   封書 五枚 (2・1・19)
 三月二十四日  封書 二枚 (2・3・25)
         葉書一枚を同封
 三月二十七日  封書 一枚 (2・3・27)
 六月八日    絵葉書   (2・6・8) 

 以上です。何枚とあるのは便箋の枚数、カッコ内は消印の日付です。消印の判読その他の作業は、もぐらもちさんと玉川知花さんのご協力をかたじけなくしました。例によってノーギャラなのが心苦しい限りですが、あまり気にしないでください。
 しかしどうしたものじゃやら。


●4月29日(月)
 名張市民のみなさん。みなさんの税金のごくごく一部で、東京と千葉に出張させていただきました。一泊二日の出張です。どうもありがとうございます。以下、ご報告。
 今回の出張の目的は、千葉県の成田山書道美術館を訪れ、企画展「わたしからあなたへ―書簡を中心に―」に出展された乱歩の書簡を写真に記録することでした。
 27日に上京し、時間がありましたので平井隆太郎先生のもとにご挨拶にあがりましたところ、土蔵見学にいらっしゃったさるご一行とばったり鉢合わせ。それならばとご一行の驥尾に付して土蔵に侵入し、これ幸いと乱歩の蔵書をしつこく調べさせていただくことを得ました。いやありがたい。平井先生のご令息でいらっしゃる憲太郎さんにも、初めてご挨拶を申しあげました。
 土蔵見学のあとは、くだんのご一行とともに世田谷文学館の「山田風太郎展」に立ち寄ってから池袋に舞い戻り、不木宛乱歩書簡一千万円記念池袋大宴会に突入しました。例によってへろへろになってしまいましたが、翌28日はまだ酔っ払っている状態で不木宛乱歩書簡見学成田山詣でに出撃。総勢十五人で成田山書道美術館に押しかけ、乱歩書簡三十通、内訳は封書二十八点、絵葉書二点でしたが、すべて撮影させていただきました。
 今回の出張でもたくさんの方のお世話になりましたが、いろいろと便宜を図っていただいた成田山書道美術館カリスマ学芸員の高橋利郎さんと、写真撮影を担当してくださった写真家の本多正一さんには、篤く篤く心からお礼を申しあげる次第です。
 昨28日は、東京でもう一泊して酔っ払おうかなとも思っていたのですが、一刻も早くフィルムを現像に廻したく、また乱歩邸の土蔵でノートに走り書きした文字は時間が経つと書いた当人にも判読不能になってしまうおそれがありましたので、とっとと名張に戻りました。
 帰りの新幹線では、ミステリーマニアのつどい畸人郷代表の野村恒彦さんと偶然同じ車両に乗り合わせましたので、
 「これはこれは奇遇ですなあ」
 と松竹新喜劇みたいな挨拶のあと、隣同士に坐って体力の衰えと老眼の進行を嘆きながら缶ビールによる車内宴会をたらたらつづけました。新神戸までご乗車の野村さんとは名古屋でお別れし、近鉄名古屋駅のホームで特急を待っておりますと、
 「お。名古屋に彼女でもできたのか」
 と背後から莫迦なことをいってくる奴がおりましたので誰やねんと振り向くと、名張市にお住まいのさる大学の先生でした。名古屋に女か。それもいいかもしれん。


●4月26日(金)
 またお話は替わりまして、千葉県は成田山書道美術館の企画展「わたしからあなたへ―書簡を中心に―」に展示されている小酒井不木宛乱歩書簡の話題です。
 書簡のことは4月6日にこの伝言板でお知らせしましたが、私はあの時点で展示書簡が一点だけだと勘違いしておりました。ところが同美術館に問い合わせた結果、不木宛書簡は三十通存在していることが判明しました。こら行っとかなあかんやろ、みたいなことになりまして、明27日に上京し、28日の日曜に成田山まで足を運びます。
 古来、宗教上の聖地には精進落としのための歓楽街がつきものではあり、28日には成田山の歓楽街で轟沈する可能性もありますので、この伝言板はあすから二、三日お休みをいただきます。たぶん30日再開、ということになるでしょう。
 成田山書道美術館にご同道ご希望の方は、掲示板「人外境だより」にある日程をご覧ください。


●4月25日(木)
 なぜかチェーホフの話題になってしまいますが、私など毎晩ずいぶん酔っ払っていますから、ソーニャみたいな若い姪がいたら、きっとこんな感じで叱られてばかりでしょう。

ソーニャ  ワーニャおじさん、また先生といっしょに飲んだくれて……。酒豪同盟ってわけなのね。まあ、あの先生はいつものことで仕方ないけど、おじさんはどうしてよ? そのお年で、似あわないでしょ。
ヴォイニーツキイ  年はこの際、関係ありません。真の生活が無い時、人は蜃気楼によって生きるのです。まったく何もないよりはましだからな。

 昨年9月に出た岩波文庫『ワーニャおじさん』から、小野理子さんの新訳でお届けしておりますが、先日ざっと読んでみたところ、ずいぶんこなれた訳文です。人殺しも自殺もできないヴォイニーツキイすなわちワーニャおじさんと、恋を失った姪っ子ソーニャの終幕の会話はこんな調子。

ヴォイニーツキイ  (ソーニャに向かって、彼女の髪を撫でながら)なあ、ソーニャ、おれは苦しい! どんなに苦しいか、お前にわかるだろうか!
ソーニャ  仕方がないわ、生きていくほかないもの!
   ややあって。
ね、ワーニャおじさん、生きて行きましょう。長いながい日々の連なりを、果てしない夜ごと夜ごとを、あたしたちは生きのび、運命が与える試練に耐えて、今も、年老いてからも、休むことなく他の人たちのために働き続けましょう。そして寿命が尽きたら、おとなしく死んで、あの世に行き、「私たちは苦しみました、泣きました、ほんとにつろうございました」と申しあげましょう。神様は愍れんでくださるわ。そしてね、大好きなおじさん、あたしたちはきっと、明るい、素敵な、美しい生活を見ることが出来るでしょう。喜んで、今の不幸を、ああ、よくやったと微笑をもって思い返して……、そしてゆっくり休めるでしょうよ。あたし、そう信じてるの。心から、燃えるように、信じてるの……。(おじの前に跪き、頭を彼の両手にのせる。そして疲れた声で言う)あたしたち、ゆっくり休みましょうね!
   テレーギンが静かにギターを弾く。

 私は元来勤労というものが嫌いな人間なのですが、勤労する人たちのけなげさいじらしさにはいつも胸を撲たれます。さあ働け。きょうも働けあすも働け生きて働け。人は生きねばなりません。生きる勇気をあなたにくれてやりましょう。
 何がなんだかさっぱりわからなくなってきました。


●4月24日(水)
 きょうは新刊の話題です。
 どうも野暮な感じがして困ったものですが、ちょこっとでも乱歩が出てくる単行本、眼についたところを列記しておきます。いずれも未読。

笠井潔『探偵小説論序説』(光文社)
 本体一八〇〇円、3月25日初版一刷
栗坪良樹編『
現代文学鑑賞辞典』(東京堂出版)
 本体二九〇〇円、3月25日初版

楠木誠一郎『
夢二殺人幻想──江戸川乱歩の事件簿2』(実業之日本社)
 本体八三八円、4月5日初版
小林信彦『
昭和の東京、平成の東京』(筑摩書房)
 本体一七〇〇円、4月10日初版第一刷
柄谷行人、浅田彰、岡崎乾二郎、奥泉光、島田雅彦、〓〔糸+圭〕秀実、渡部直己『
必読書150』(太田出版)
 本体一二〇〇円、4月21日初版
久世光彦『
私があなたに惚れたのは』(主婦の友社)
 本体一八〇〇円、5月20日第一刷

 ほかにもあるでしょう。先日も記しました岩田準一『本朝男色考 男色文献書誌』(原書房)、木下直之『世の途中から隠されていること 近代日本の記憶』(晶文社)、坂崎重盛『東京本遊覧記』(晶文社)は名張市内の本屋さんに取り寄せてもらっているところですが、乱歩が出てくる本はほかにもまだあるでしょう。うんざりするほどあるでしょう。いやになりますね実際。
 ところで名張市役所では本日、現市長の退任式が行われます。公務員などという手合いはじつに困った連中で、力のある人間にはひたすらへこへこするくせに、その人間が役職という神通力を失ったとたん掌を返したような態度を見せるのが通例です。いやになりますね実際。ですから私一人くらいはごく人間的に、現市長に感謝を捧げておきたいと思います。
 名張市がいわゆる乱歩顕彰を事業化したのは、現市長の代になってからでした。名張市立図書館はそれ以前から乱歩の著書や関連図書を購入しておりましたが、それ以外に名張市が乱歩に関して税金をつかうことはありませんでした。そこで現市長は乱歩関連事業に乗り出したわけですが、実際には日本推理作家協会の協力をとりつけてミステリー作家の講演会を開催するという、人の褌で月並みな相撲を取るのが関の山。いつかも記しましたとおり、意はあっても知恵が足りなかったわけです。
 とはいえ、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックはこの市長の代に発行されたものですから、この三冊の予算を認めていただいたことに対しては、私は全国の乱歩ファンを代表してお礼を申しあげたいと思います。名張市に気が利いて頭の切れる職員がいれば、もう少しましな乱歩関連事業ができたでしょうに。まことにご愁傷さまで、と申しあげるしかありません。
 現市長はときに独断専行だのワンマンだの人の意見に耳を傾けぬだのと批判されることがありましたが、それも無理からぬ話であるのかもしれません。なにしろ名張市の市議会議員や市職員、あれだけ能なし根性なしがずらーーーっと居並んでいるのですから、独断専行でなきゃやっていけなかったのではないかしら。
 ともあれ三期十二年間のお務め、ご苦労さまでした。チェーホフの「ワーニャおじさん」から、最終幕幕切れのソーニャの科白をお贈りいたします。
 「ゆっくり、休みましょう!」
 静かに幕が下りる。


●4月23日(火)
 きょうは雑誌の話題。
 名張市立図書館から月刊誌「本の雑誌」が姿を消しました。これまでは毎号購入し、市民の閲覧に供していたのですが、4月号を最後に購入が打ち切られました。図書館の
購入誌は利用者のリクエストも反映してときどき見直しを行うのですが、「本の雑誌」はその見直しであっさり切られたもののようです。
 私は「本の雑誌」という雑誌にはまず眼を通しませんから購入が打ち切られても痛痒は感じないのですが、先日も記しましたとおり、ある方からのメールで「『二銭銅貨』の町にやってきた!」という文章が「本の雑誌」4月号に掲載されていることを知りました。
 三重県の名張市というところを訪れたら道行く人がみんな煎餅を食べながら歩いていた、煎餅には「二銭銅貨」という焼き印が入っていた、ああ、ここは「二銭銅貨」の町だ、といった記事なのかと思って4月号を見てみたら、全然違っておりました。
 「三角窓口」という投稿欄に載った文章で、投稿者は斉藤みき・エラリー・クイーン研究家33歳・江戸川区、とおっしゃる方。十年ほどまえに神楽坂界隈を歩いていたとき、「五軒町」と書かれた住所表示プレートを発見し、

 「五軒町だ。『二銭銅貨』だ!」
 そう、「二銭銅貨」の中に出てくる、あの有名な暗号文「ゴケンチョーショージキドーカラ…」の五軒町です。私は生れも育ちも千葉県人で、五軒町が東京に実在する町だとは、この時まで全く知らなかったのでした。
 「『二銭銅貨』の町に来たぞ!」

 とおおきに感動なさったゆくたてを綴っていらっしゃいます。二銭銅貨煎餅の町にもやってきていただきたいものです。
 もうひとつ雑誌の話題。
 「TV Bros.」4月13日号で「この探偵がすごかった!」という特集が組まれていて、テレビや映画で活躍した探偵たちが紹介されています。これもメールで教えていただいた話題。
 浅見光彦、金田一耕助につづいて、探偵file.03に
登場するのが明智小五郎。前二者に比べて扱いはかなり小さく、ほぼ半ページの記事。天知茂、大木実、木村功、本木雅弘といった明智役者のスチールが掲載されています。
 ちなみに探偵file.04は
富士進(ご存じないですか。桑田次郎原作の「まぼろし探偵」ですが。明るい少年まぼろし探偵なんですが)、05に日真名進介(これもご存じないでしょう。「日真名氏飛び出す」なんですが)と来て、06には小林少年が顔を出しています。
 ついでですから、乱歩をテーマにしたセミナーの話題をひとつ。
 東京で岩波市民セミナー「江戸川乱歩を読む」という全四回の講座が開かれています。講師は浜田雄介さん。お知らせするのが遅きに失したことを遺憾といたします。せめて岩波書店オフィシャルサイトに掲載された「講演内容」でもお読みください。

江戸川乱歩を読む


●4月22日(月)
 乱歩に関する新刊の話題でまず筆頭に来るべきは、これは当地の書店でも購入できましたが、光文社文庫の『少年探偵王』(監修=鮎川哲也、編=芦辺拓)でしょう。文庫版「本格推理マガジン」の第二弾で、乱歩、高木彬光、鮎川哲也の幼少年ものに河島光広の探偵漫画「ビリーパック」を合わせた大部の一冊。発掘の労が光る内容となっております。
 収録の乱歩作品は次のとおり。挿絵も全点ではありませんが収められていますので、挿絵画家の名も示しておきましょう。

「まほうやしき」(古賀亜十夫)
「ふしぎな人」「名たんていと二十めんそう」(岩田浩昌)
「かいじん二十めんそう」(藤子・F・不二雄、しのだひでお)

 「名たんていと二十めんそう」は「ふしぎな人」の続篇です。
 うち見たところ「まほうやしき」の初出が明示されていないようなので、それに「名たんていと二十めんそう」の初出の記載には誤記が見られますので、『江戸川乱歩執筆年譜』に基づいてそれぞれの初出を掲げておきます。

●まほうやしき
 「たのしい三年生」昭和32年お正月創刊号(1巻1号)→3月号(1巻3号)
●ふしぎな人
 「たのしい二年生」昭和33年8月号(2巻5号)→34年3月号(2巻12号)
●名たんていと二十めんそう
 「たのしい三年生」昭和34年4月号(3巻1号)→12月号(3巻9号)
●かいじん二十めんそう
 「たのしい一年生」昭和34年11月号(4巻8号)→35年3月号(4巻12号)→「たのしい二年生」35年44巻1号)→12月号(4巻9号)

 いずれも長く単行本未収録となっていた作品で、芦辺拓さんの巻末解説「僕らも少年探偵団!」によれば、

講談社が出していた「たのしい○年生」に掲載された幼年向きのものは、『赤いカブトムシ』(「たのしい三年生」昭和32〜33年)が完結後三十年にして講談社の江戸川乱歩推理文庫に収められた以外、その機会を得てきませんでした。それが今回の収録によって、残されたのはもう一つの『かい人二十めんそう』(「たのしい二年生」34〜35年、梁川剛一・挿絵)と「少年」に乱歩名義で発表された小説形式のクイズのみとなりました。

 とのことですが、えー、先日来申し述べてまいりましたとおり、「少年」のクイズは厳密にいえば乱歩名義とは呼べず、むろん乱歩が書いたものではありません。あれを乱歩作品として発掘することは、僭越ながらどちらさまにもお慎みいただきたいと思います。そんなことしたら捏造になってしまいます。
 天国の山村正夫先生にも……、もういいか。


●4月21日(日)
 大都会の大型新刊書店というのは、もはやお目当ての本を買うところではなくなっているのかもしれません。売れもしない新刊が、まさに売れないがゆえにあれもこれもと大量に、大きな波のように店頭に押し寄せてはたちまち引いてゆきますから、新聞広告で見かけたあの本を買おうと思って本屋さんに入っても、すでに波が引いたあとなのかどこかに紛れ込んでしまったのか、とにかく見つけることができません。まあこっちが酔っ払っているせいで丹念に探すのを億劫がっている、という事情もあるのでしょうけど。
 乱歩関係でいいますと、岩田準一『本朝男色考 男色文献書誌』(原書房)、坂崎重盛『東京本遊覧記』(晶文社)なんてのを探したのですが、どこにもありませんでした。場所は大阪キタの大型書店。きのう大阪で会った知人からは木下直之『世の途中から隠されていること 近代日本の記憶』(晶文社)に乱歩のことが出てくるとも教えられたのですが、これも見つかりませんでした。結局名張の本屋さんに取り寄せてもらうことになるでしょう。
 そこで本日は、珍しく古本の話題です。
 私は古書やコレクションにまったく興味のない人間なのですが、きのうは美術書専門の古書店を訪れる機会がありました。本棚を眺め、ふと気あたりがして手に取ったところ、果たして乱歩文献が収められていたので購入したのが池田満寿夫『思考する魚』(1974年、番町書房)です。
 収録の乱歩文献は「豆本因縁噺」という一篇。「本の手帖」1962年8月号に掲載されたエッセイで、乱歩の実弟平井通の依頼を受けて『屋根裏の散歩者』などの豆本をつくったときの舞台裏が記された、乱歩文献というよりは平井通文献なわけなのですが、乱歩その人もこんな具合に登場します。

 『屋根裏の散歩者』の挿画の試し刷りが出来た時、平井氏が乱歩氏にそのエッチングをみせたところ、あまりにエロチックであり、この原作はエロチックを売り物にしている訳でないから二、三枚を描き直してくれないかという乱歩氏の意見であると私に伝え、平井氏は私に出来ればそのようにしてもらいたいとのことであった。私は乱歩氏がそのようなことをいったというのに意外に思い、また感心もしたけれど、描き直すことはしなかった。しかし私の描いた裸体の陰毛だけはどうしてもけずってくれという平井氏の懇願には負けてしまい、その部分を切断したのだった。なぜなら平井氏は女性の無毛のまじめな研究家であり、彼は黒い点を極度に嫌うという不思議な感覚の持主であった。いつも彼は私の挿画に対して完全に寛大であったが、その点に関しては気違いじみて注意をこらし私を見はっているのだった。

 どうも尋常ではありません。とはいうものの、平井通というのは乱歩のいわばネガのような存在として、なんとも気にかかる人物ではあります。「豆本因縁噺」には、

平井氏は六十ぐらいの老人であり、私は三十歳にもなっていない青二才なのである。この二人の口論、それも豆本に原因する相互の不平のいい合いは、滑稽でもあり真剣でもあった。幾度か私は腹立ちまぎれに「絵描きは星のくず程います。なにもぼくでなくてもいいのだから」といきまき、平井氏は「老人をそんなにいじめなくてもいいではないか」と居直る時もあった。

 などという一節もあって、妙に微笑ましい。平井通ファンはどうぞご一読を。
 ところで大都会の大型新刊書店というのは、見かけた本を手当たり次第購入するにはやはり便利なところです。きのうもおやこんな本が出ているのか、おや乱歩のことが書かれているではないか、みたいな感じで買った本が結構ありました。ではまたあした。


●4月20日(土)
 これは乱歩か? という話題です。
 やよいさんから、作家の島田一男が昭和52年、自民党の広報誌「自由民主」に寄せたエッセイのコピーをお送りいただきました。タイトルは「年賀状雑感」。文中に出てくる「大先輩」は、はたして乱歩だろうか、とのお尋ねをいただいたのですが、判断がくだせませんでした。
 ともあれ引用いたしますと、わたしは元日に届いたものしか年賀状とは考えない、なぜかというと、十数年前にこんなことを経験したからだ。

 わたしの尊敬する大先輩が亡くなり、わたしが葬儀の雑務を受け持った。
 その時、死亡通知を出すため交友名簿を開いてみると、書き並べた知友の名前の頭に◎○△×の四つのシルシがつけてあった。いろいろ考えたが、どうも意味が理解出来ない。
 幸いわたしの名前には◎がついていたので、とにかくわたしは好意を持たれているのだと考え、遠慮なく未亡人にシルシの意味をたずねてみると、意外な返事を聞かされた。
 「あれは、今年の年賀状が来た順番ですよ。◎は元日、○は二日、△は三日、×は四日以後のもので、主人は、×印のかたには翌年の年賀状を出さないことにしていました」

 乱歩の死去は昭和40年ですから、「十数年前」という言葉にはなんとか符合します。届いた日によって賀状を区別するというのも、あるいは乱歩らしい分類手法かもしれません。しかし、賀状到着の遅速によって交友そのものを区別してしまうような不遜な真似を、あの律儀な乱歩がするかしら。
 機会があれば平井隆太郎先生にお訊きしてみます、とやよいさんにはお伝えした次第ですが、あなたはどうお考えでしょう。
 これは乱歩か? という話題でした。

最新情報をご覧ください


●4月19日(金)
 他人を鞭打つのはそれが死者であれ生者であれ得もいえず心地よいものですが、たまには乱歩のことでご機嫌をうかがいましょう。同時代の乱歩評、みたいな一席をお届けいたします。
 昭和11年8月に刊行された高須芳次郎の『日本名文鑑賞 昭和時代』(厚生閣)に、乱歩作品が収録されています。抄録されています、あるいは、抜粋されています、といったほうが正確なわけですが、とにかく古今の名文をとりあげ、鑑賞のポイントを簡略に記したシリーズの一冊に、乱歩の文章が昭和における名文の代表として紹介されている次第です。
 乱歩作品は「叙事篇」に収録され、タイトルは「百貨店の怪」。「一寸法師」の、江戸川乱歩推理文庫4
『パノラマ島奇談』(講談社)でいえば209−211ページあたり、「お梅人形」と題された章の冒頭が抜粋されていて、次のような解説と鑑賞が記されています。

【解説】本篇は探偵小説家江戸川乱歩氏が昭和二年春に完結させた「一寸法師」の一節、百貨店の夜中の怪事件のところである、「一寸法師」は例の素人探偵明智小五郎を活躍させて一寸法師と対せしめた大衆読物で、読者を夢幻郷に誘引する乱歩氏得意の種類に属し、死体を人形の中に塗り込むといふトリックを用ゐて読者をあつと言はせた作品である。
【鑑賞】奇句なく、警句なく、極通常な言葉を以て、情景を描いてある。が、叙事の進め方には、十分の用意がなされてゐる。百貨店の夜の静寂! それは、昼の繁昌と雑沓とに引きくらべると、確かに物凄さが感ぜられる事情を叙し、進んで、等身大の人形についての神秘的な空気を描き、層一層、怪現象の方へ進めてゆく。かくして無い筈の子供人形の出現した有様に及んで、急に若い番頭の恐怖に陥つた態度を記し呼吸も継がせない魅力を湛えた手際は、鮮かだと云はねばならぬ。唯その手法においては、堅固さはあるが少しく清新味に乏しい憾みがないでもない。

 ただし、清新味に乏しいからこそ乱歩作品はいつまでも古びないのである、とつけ加えておきましょうか。
 ここで初めて打ち明けますが、たいしたことではないのですが、本日はやや程度のひどい二日酔い。先日国立国会図書館で調査した資料のなかから、適当に話題を選んでお茶を濁しました。上記の引用中、「例の素人探偵明智小五郎」とあるのがなかなか面白いところなのですが、えい面倒な、この面白さについてはみなさんそれぞれにお考えください。


●4月18日(木)
 さて、山村正夫とかいう作家を叩いて死者を鞭打ってやりましょう。
 話は単純。月刊誌「少年」の昭和35年お正月増刊号「探偵ブック」(15巻2号)に掲載された「悪魔の命令」という「江戸川乱歩先生出題探偵クイズ」が、昭和52年8月に刊行されたソノラマ文庫のアンソロジー『呪われた顔』には乱歩作品として収録されていて、その編者は山村正夫さんであるというだけの話です。
 青年助手Bの調査によって、「悪魔の命令」は「少年」編集部が「当時の若手作家などに依頼して代筆させていた可能性が高い」ことが判明した次第ですが、こうした裏を取るまでもなく、作者名がどこにも明記されていない「悪魔の命令」を乱歩作品と断定してしまうことの危険性は、少し考えれば誰にだって了解されるはずのものだと思われます。
 山村さんはおそらく名前だけの編者で、つまり国会名物名義貸し、実際に『呪われた顔』を編集したのはソノラマ文庫の編集者であったかとも想像されますが、だからといって山村さんが責任を逃れることはできませんし、担当編集者に至っては、「悪魔の命令」が本当に乱歩作品だと思って収録したのなら編集者としての見識がもう無茶苦茶、乱歩作品ではないことを承知のうえで収録したのなら出版人の風上にも置けぬ輩だということになります。
 こら。いったい何さらしとるねん。文学史的責任ゆうもんをどない考えとる。こら。責任者出てこーいッ。
 天国の人生幸朗師匠、お元気でしょうか。私はきょうも元気にぼやいております。
 とはいえ、山村正夫先生には乱歩生誕百年の1994年秋、名張市主催のミステリー講演会の講師として名張市においでいただいたこともあり、当時の私はいまだ市立図書館カリスマ嘱託ではなく、しかも講演会の日が悪い、巨人と西武が激突した日本シリーズ第一戦の日でしたから山村先生の講演をお聴きすることができず、そこはかとなく心苦しく思っていた次第でもありますから、死者を鞭打つのはここまでといたしましょうか。
 天国の山村正夫先生、お元気でしょうか。相変わらず女色に耽っておいでですか。いやお盛んで何より。あやかりたいものです。
 ついでに生者も鞭打ちましょうか。
 名張市役所のみなさん。公務員のみなさん。公僕のみなさん。パブリックサーバントのみなさん。
 このあいだもちょっと触れましたけど、BSE問題に関する調査検討委員会の報告書なんかを読んでいると、時代の流れってやつがまざまざと実感されますね。何かことがあれば公務員個々の責任が厳しく追及される時代がやってきてるな、という感じです。いつまでもへらへら責任回避してられると思ったら、そりゃ大きな間違いってもんですぜ。
 不肖私、市立図書館カリスマ嘱託を拝命してみなさんと親しくおつきあいさせていただくようになって以来、みなさんに根本的な心得違いがあることをまことに残念に思ってまいりました。そこでその心得違いから脱却していただくための三原則、ちょっと考えてみましたのでご披露いたします。
 名張市役所におけるどんな職務も、この「名張市パブリックサーバント三原則」に照らしながら自分の頭で考え自分の手足をつかって真面目に遂行しさえすれば、あなたも立派な公務員、スーパーパブリックサーバントになれること請け合いです。

名張市パブリックサーバント三原則

第一条 名張市パブリックサーバントの主人は市長ではなく市民である。
第二条 名張市パブリックサーバントの任務は市民になりかわって市民の税金を適正につかうことである。
第三条 名張市パブリックサーバントは前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、いくらお酒を飲んでもお姉さんを口説いてもかまわない。

 どうですか。アシモフも三舎を避ける三原則。拳拳服膺したまえよ。しかし打っても響かんか。


●4月17日(水)
 4月14日付伊勢新聞の一面トップは、名張市長選挙を振り返る「のしかかる負の遺産」という特報部レポートでした。岡原一寿特報部長によるリード全文を引いておきます。

 市を二分した名張市長選。前自民党県議で新人の亀井利克氏(50)=無所属=が、4選を目指した現職の富永英輔氏(66)=民主、自由、社民推薦=を8000票余差で破り、激戦を制した。しかし、選挙の争点ともなった新斎場建設問題が、「負の遺産」として亀井新市政に重くのしかかる。経営中の牧場地を買い取って斎場とする富永市政下の計画に無理があったばかりでなく、すでに本契約を済ませている以上、白紙撤回すれば牧場主からの損害賠償請求も予想される。8000票余の大差で敗れたとはいえ、1万6000票余を獲得した富永陣営は、亀井氏が建設地見直しを公約に掲げたとして、同斎場問題でリコール運動を進める構えだ。

 リコールの趣旨がもうひとつ判然としませんが、要するに市民の税金二十五億を投じる斎場建設計画、この伝言板でも悪政だの巨悪だのとちょこちょこおちょくってまいりましたが、こんな計画が成立すること自体がそもそもおかしいわけです。
 この問題で名張市の職員諸君を非難するのは酷というものかもしれませんが、市長を怖がってへこへこ盲従するだけの市職員なんて、横で見てるとほんとに情けないと申しますか可哀想だといいますか。市長が変なことしそうになったら諌言のひとつも叩きつけるのが市職員の務めだろうが、などといっても彼らにはわからんでしょうね。とにかくもう、名張市役所のお役人にはいまさら何も期待できぬという気さえしないではありません。便所の壁に相田みつをのカレンダーでも張って、毎日眺めて暮らしてなさい。
 それからまた度しがたいのが名張市議会のぼんくらども。これは掛け値なしにひどいものです。上記の伊勢新聞の記事でも、

(斎場建設計画に関して──引用者註)チェック機能を放棄したとしか思えない市議会の無責任ぶりは目に余る。

 と批判されてますけど、ほんとにひどいんですこの連中。市議会で斎場計画に関する質問が出そうになると、あわてふためいてその発言をつぶしにかかってどっこいしょ、みたいなことはこの伝言板でもときどきお伝えしましたが、こらぼんくら、名張市議会のぼんくら議員ども。おまえらはどうせ議員の第一の仕事は市長に尻尾を振ることだと心得ているのであろう。うちの犬だっておまえらほどには尻尾を振らんぞ。犬にも劣るとはおまえらのことだ。
 上記の記事には選挙期間中、

時には(現職候補の──引用者註)有力支持者が暴力団員風の男らを引き連れ、亀井氏の演説会場で最前列に陣取ったために一般市民らの反感を買うなど、

 なんてことも書かれていますが、市民のことなんかまったく考えていないという点においては、市長も市職員も市議会議員もこのやくざどもと五十歩百歩。じつに嘆かわしい連中さ。
 あまりの嘆かわしさにげんなりして罵倒が快く炸裂しないのを遺憾といたしますが、全国の乱歩ファンのみなさん、乱歩のふるさと三重県名張市ってのは、こんなくだらないとこなんです。なんとかしなければなりません。名張市役所のみなさん、早く心を入れ替えて、市民のための市職員になってくださいね。


●4月16日(火)
 片づかない顔で帰っていった青年助手Bでしたが、3月25日の池袋大宴会ではじつに片づいた顔になっていて、
 「クイズの代作者のことを取材してきました」
 と一枚のワープロ文書を手渡してくれました。高木彬光に関する「コミック版『刺青殺人事件』のこと、その他」というタイトルの文章がプリントされているのですが、「江戸川乱歩の『少年』クイズ作品について」なる一文も掲載されています。
 青年助手Bこと小林宏至さんから大宴会の席上で転載許可をいただきましたので、以下に全文を掲載します。

江戸川乱歩の「少年」クイズ作品について

小林宏至    

 ついでに、他に発表の場もないのでここでまとめて研究内容を発表してしまうが、(高木の師匠ということでお許しください)江戸川乱歩の戦後の「少年探偵もの」、戦前の「少年倶楽部」(講談社)から戦後は光文社の「少年」にメインの発表の場を移し、昭和24年(青銅の魔人)から37年(超人ニコラ)まで、年に一作ずつ長編14作品書き続けられるのだが、(こちらも機会があって)当時の「少年」の編集者(K脇氏)に取材した話によると、
 (1)昭和32年あたりから「少年」本誌に付いていた江戸川乱歩先生出題の「探偵クイズ」は光文社宣伝部(「少年」編集部ではない)の細木重辰(しげとし)氏の担当&制作。外注のライターや乱歩本人の作ではなかったらしい。この細木さんという人が懸賞賞品の「少年探偵団手帳」も担当&執筆。元陸軍大尉(士官)だった方だそうです。短編クイズはほとんどこの方の作品と考えて間違いないでしょう、との事。
 (2)当時の「少年」の名物編集長は小林武彦氏。「少年」の黄金時代を作った立役者といわれる人物だが、小林は他社を辞めて「少年」編集部に入った当初に江戸川乱歩担当編集補佐をやっていたという。付録担当者になった小林の一番最初に作った付録は幻灯機。小林が担当初付録に幻灯機を採用したのは「江戸川乱歩の小説などによく登場するから」だそうである。(「少年の付録」串間努著/H12年・光文社刊を参照)
 (3)「少年」本誌ではない増刊号「探偵ブック」掲載の江戸川乱歩先生出題クイズ(S32〜37年)は年に二、三回の短編小説&クイズ形式の読み切り作品。こちらの担当者は(後に三代目付録担当となる)城井(きい)氏。増刊号の乱歩小説&クイズは当時「少年」の進行担当だった城井氏(当時の編集部の「ヌシ」だったらしい)が当時の若手作家などに依頼して代筆させていた可能性が高いそうです(もしや高木? 笑)正確な執筆(代筆)者は現在のところ不明。まぁ、乱歩本人ではないようですね。
 (4)我らが高木彬光先生は、昭和32年「少年」8月夏休み増刊号「探偵ブック」に『怪人ライマン』というSFロボット短編小説(読み切り)で登場しています。

(H14年3月記)

 さすがに「悪魔の命令」の代作者は判明しなかったものの、「当時の若手作家などに依頼して代筆させていた可能性が高い」ということまではつきとめたのですからたいしたものです。
 「よくここまで調べあげたね、小林君」
 私は有能な助手に賞賛の言葉を惜しまず、周囲からはいっせいに、
 「中先生、ばんざーい」
 「小林助手、ばんざーい」
 「探偵講談、ばんざーい」
 「東京公演、ばんざーい」
 とかわいらしい声があがったりはしませんでしたが、こんな莫迦なこと書いてる場合ではないのかもしれません。なんだか名張市役所が大変なことになってるみたいです。
 いや別に大変ということもないのでしょうが、きょうあすにも一部幹部級職員の人事異動があるらしいという話が飛び込んできました。異例のことです。今月24日までしか任期のない市長が(いつか25日までと記しましたが、本当は24日まででした)、いまさら人事をいじくってどうする。市長派幹部への論功行賞のつもりなら、市政の私物化もここに極まれりというべきでしょう。
 それにこれまた妙な話ですが、現市長が新市長のリコールを画策しているという噂もあります。まだ就任もしていない新市長をリコールするというのですからじつに摩訶不思議。そもそも公職選挙法には選挙後一年間はリコールは行えないと規定されているのですから、いまごろからじたばたしたところで何の意味もないというのに。
 やれやれまったく。詳しい事情はよくわかりませんが、あまり見苦しいと惻隠の情さえどっかへ飛んでいってしまいます。あ。なんか腹が立ってきた。罵倒モードに入るのは本意ではないのですがこら、こらこら、小指のない連中が利権にからんでうろうろするせいで対立候補に警察の護衛がつくようなえげつない選挙さらしたあげくがこのざまか。承知せんぞこら。市民を愚弄するのもたいがいにせんか。しまいにゃ怒るぞ。市長もそうだが腰抜け職員もぼんくら議員も、どいつもこいつもまとめて叱り飛ばしたろかこら。
 どーですかお客さーんッ。久々に罵倒モード全開になってもいーですかーッ。


●4月15日(月)
 本年2月、平井隆太郎先生のご高配をいただいて乱歩邸土蔵の蔵書調査を行った際、池袋大宴会に顔を出したというただそれだけの理由で私の助手に抜擢され、
 「あの青年助手が羨ましい」
 と江湖の乱歩ファンに歯噛みをさせた青年助手Bが、ここで登場いたします。
 この青年助手、小林宏至さんとおっしゃって、神津恭介ファンクラブのメンバー、むろん乱歩ファンでもいらっしゃいます。
 私が2月に上京する少し前、この小林さんから大判の分厚い封筒でコピーが郵送されてきました。コピーは昭和30年代に光文社の月刊誌「少年」の増刊号に掲載されたクイズで、乱歩の出題とされており、体裁は短篇小説。つまり少年読者は明智小五郎や少年探偵団が活躍するごく短い小説を読み、その末尾に記された、

 探偵クイズのもんだい
 さて、諸君。明智探偵は探偵術の第一歩だといいましたが、いったい粉をふりかけ、カメラをもちだして、なにをしていたのでしょうか? 前の○○○の中にひらがなをいれてください。
 〔ヒント〕ひらがななら3字、漢字なら2字。きみのからだにもこの○○○はついています。ついているところは上半身ですね。この○○○の話は「少年」の社からでている「少年探偵手帳」にもくわしくのっています。

 といったクイズにチャレンジして、ひらがな三つでぼくのからだにもついてるものか、うーん、ちんこ、違うな、これは下半身についてるもの、などとおおいに頭を悩ませ、運がよければ一等の探偵カメラヤシカ Y-16(2名)、二等の探偵犬(5名)、三等のけいたいラジオミニマン M-702(20名)といった賞品をせしめられたという寸法です。
 ただしこのクイズ、
「江戸川乱歩先生出題の探偵クイズ」とはされているものの、作者名は明記されておらず、乱歩の執筆によるものではないことが歴然としています。「少年」のレギュラーの号にも乱歩出題とされる短いクイズが掲載されていたのですが、これもまた乱歩の手になるものでないことは明白です。
 増刊号掲載のクイズのひとつに「悪魔の命令」があって、小林さんからコピーを頂戴しました。掲載は昭和35年の「少年」お正月増刊号「探偵ブック」(15巻2号)。上に引いた「探偵クイズのもんだい」はこの「悪魔の命令」に附されたものです。最初の見開きのコピーをご覧ください。

悪魔の命令

 「江戸川乱歩先生出題探偵クイズ」「高荷義之・絵」といった記載は見られますが、作者名はどこにも見当たりません。
 ストラングル・成田さんのホームページ「密室系」には、おげまるさんによる「少年探偵小説作家別リスト50年代雑誌編」という驚嘆すべきリストが掲載されていて、乱歩作品は「江戸川乱歩」「江戸川乱歩・関連作品」のふたつに分類してリストアップされています。前者は乱歩作品、後者は乱歩の執筆によるものではない代作やクイズなのですが、このリストでも「悪魔の命令」が「江戸川乱歩・関連作品」に掲げられていることはいうまでもありません。

少年探偵小説作家別リスト50年代雑誌編

 ところが青年助手B、「悪魔の命令」などのクイズが乱歩自身の執筆によるものと思い込んでおりましたので、私はコピーを送っていただいた礼状に、こうしたクイズを調査することにも大きな意義はあるが、これこれこういう理由でこれらのクイズを乱歩作品と認めることはできない、と記し、2月の池袋大宴会の二次会でも、
 「君あんなもん乱歩作品やゆうとったら嗤われるで実際」
 と厳しく申し伝えました次第。青年助手Bは片づかない顔をしておりましたが、というところであすにつづきます。


●4月14日(日)
 探偵講談の話題はきのうで一応中断ということにしたのですが、ガラス張りでやりますと宣言したのですからひとつだけガラス張りのご報告。
 昨日夕刻、今度新しく名張市長になられる方とお会いする機会があり、むろん通りすがりの立ち話、時間にすれば一分ほどのことでしたが、
 「九月補正でとりあげてもらいたい事業がありますねん」
 「乱歩のことやな」
 「乱歩がらみのイベントを東京にもっていって、名張市主催でかましたいんです」
 「ええな。面白そうやな」
 「中央と地方の関係性を逆転して、名張市長が東京に乗り込んで舞台挨拶かますわけですわ」
 「そらええわ。やろ。ぱーっとやろ」
 といった次第で、あっけなく次期市長の内諾も獲得できた次第です。したがいまして名張市役所のお役人衆のみなさん。こちらとしては外堀をほぼ埋めたうえ天守閣まで押さえてしまいました。あとは君たちにそれこそぱーっとやっていただくだけなんです。うじうじしないでくださいな。うじうじしてたら私は誰かのいい子になっちゃうよ。
 それにですね、中央と地方の関係性を逆転するというのは、やってみるとなかなかに面白い作業なんです。私も名張市立図書館のカリスマ嘱託を拝命して、中央と地方の関係性を逆転するべく『乱歩文献データブック』の刊行を企画したわけですが、編纂に着手した時点ではまさに徒手空拳、じつに心細いものがありました。
 しかし、編纂作業をつづける過程でこちらが驚くほど多くの方のご協力をいただくことになり、おかげで無事に刊行することができました。探偵講談東京公演も煎じ詰めれば同じことです。しかも今回、みなさんがまことにラッキーなのは、私という心強い経験者が背後霊のように憑いていることです。何も心配することはありません。名張市が面白いことをやれば、それをわかってくれる人はたくさんいるはずです。とにかくぱーっとやりましょう。
 みたいなことについ筆を費やしてしまいました。3月下旬の東京出張のご報告はきのうで終了し、きょうからは乱歩の少年ものについて綴る予定だったのですが、あすからといたします。少年ものといっても乱歩名義の代作、いやいや、乱歩名義ですらなかった作品を乱歩作品に仕立てあげた山村正夫とかいう作家を叩く予定です。編纂中の『江戸川乱歩著書目録』から当該作品を引いておきますと、

呪われた顔 怪奇ミステリ傑作選
 昭和五十二年八月三十日 朝日ソノラマ ソノラマ文庫
 編:山村正夫
 
悪魔の命令
 ●初版 ▼目録B

 といった按配。さあ死者を鞭打とう。


●4月13日(土)
 さて旭堂南湖さんの探偵講談、来年はさらに公演を充実させ、名張で初演したあと東京と名古屋を廻りたいと思います。東京では今年にひきつづいて池袋でやるのも一案、しかし浅草の会場で「一寸法師」をやるのも妙案でしょう。それから名張より遥かに乱歩とゆかりの深い名古屋市では、とりあえず乱歩の母校である愛知県立瑞陵高校の同窓会あたりに話を持ち込めば、名古屋公演の道が開けないでもないでしょう。つづく凱旋公演は伊賀ではなく三重県へ凱旋するという形にして、鳥羽市と上野市の二か所でやりましょうか。要するに来年の探偵講談、五会場で上演したいと目論んでおります。
 それから、今年の公演で披露する新作講談「江戸川乱歩一代記」についても述べたいところなのですが、この伝言板でお伝えしなければならぬネタが押せ押せになっておりますので、探偵講談の話題はひとまず中断。機会を改めてお送りいたします。
 それで要するに3月25日から27日にかけての東京出張のことを、私は名張市民のみなさんにご報告申しあげているわけなのですが、25日に平井隆太郎先生にご挨拶申しあげたあと、26日と27日は国立国会図書館でべったり調べものをして過ごしました。調べた内容は『江戸川乱歩著書目録』に反映されますから、ここにはいちいち記しません。しかし『江戸川乱歩著書目録』には表れない調査結果というものもありますから、それを記しておきましょうか。
 春陽文庫に江戸川乱歩名作集というシリーズがありました。昭和37年に出たシリーズなのですが、昭和44年にも同じシリーズが発行されていることが、講談社版乱歩全集に収録された乱歩の著書目録(昭和54年の全集第十五巻と平成元年の推理文庫65に収録)と『春陽堂書店発行図書総目録』(平成3年)に記されています。
 この昭和44年刊行の江戸川乱歩名作集、どこを探しても見つからなかったのですが、国立国会図書館で検索するとちゃんと架蔵されていました。さっそく借り出してみたところ、何のことはない、昭和37年に出たシリーズの重版でした。つまり同館の蔵書データには所蔵している版の発行年が記されていたわけで、たとえば名作集の『陰獣』は初版発行が昭和37年9月20日、同館所蔵の第三刷が昭和44年6月25日発行という寸法です。
 結論としては、春陽文庫の江戸川乱歩名作集は、昭和44年には増刷が行われただけで新たに発行されたわけではなかったということになります。昭和44年は講談社から乱歩全集が刊行された年ですから、春陽堂書店は例によって既刊の名作集をいっせいに増刷し、カバーを変えるか何かして書店に並べたのだと判断されます。したがって『江戸川乱歩著書目録』には、昭和44年刊行の江戸川乱歩名作集は記載されません。
 しかし本当をいうと、この話にも解せない点があります。昭和37年初版の乱歩の文庫本が、昭和44年に至ってようやく第三刷というのは、ちょっと考えられないことではないでしょうか。じつに不可解な話です。しかしもう、春陽堂書店の発行物に関して、私は深く考えないことにしております。考えれば考えるほど頭がおかしくなってくるからです。いままでにもう何度となく、春陽堂書店のせいで頭がおかしくなることを私は経験しております。もう知らない。どうにでもなれ。


●4月12日(金)
 毎日こんなことばかりやってていいのかしら、と思いながらも探偵講談のプロデュースに血道をあげております。
 きのうは上野公演でひとふんばり。上野市まで足を運ぶ時間はありませんでしたので、とるものもとりあえず財団法人前田教育会に電話を入れ、かねてご高誼をたまわっている事務局長の方にかくかくしかじかとお願いしましたところ、よっしゃわかったと、5月10日の理事会に諮ってやろうと、まあ任せなさいと、たいへんありがたいお言葉を頂戴いたしました。
 まず大丈夫でしょう。11月のいずれかの日曜、前田教育会の自主事業として、上野市大谷の蕉門ホールで旭堂南湖さんの探偵講談凱旋公演、めでたく上演の運びとなりそうです。金谷のすき焼きが一気に近づきました。やれめでたいな。
 さて、名張市役所のお役人衆。もう逃げられません。外堀はどんどん埋まっております。話がここまで進んでいるのですから、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業の探偵講談東京公演、みなさんの手で実現していただくしか道はないと思います。人事異動が終わったら、一度ゆっくりお願いにあがります。ぐずぐずうじうじなさったり、四の五のおっしゃったりはなさいませんように。
 今度新しく名張市長になられる方は、「ガラス張りの市政を実現する」という公約を掲げていらっしゃいました。この言葉の意味がおわかりですか、お役人衆のみなさん。これは何も税金の使途を公開することだけを意味しているのではありません。政策決定過程を残りなく明らかにするという意味も、この言葉には含まれています。
 あれは今月初めのことでしたか、BSE問題に関する調査検討委員会の報告書が提出されました。新聞などでお読みになったことと思います。え。読んではらへんのですか。そらあきません。公務員としての自覚に大きく欠けます。みたいなことはどうでもいいとして、あの報告書でも日本のお役所における政策決定過程はきわめて不透明であると厳しく批判されていましたね。みなさんにとって、これは決して他人ごとではありません。
 ですから私が何を申しあげたいのかといいますと、探偵講談東京公演という、これはとても政策と呼べるものではありませんが、とにかく市民の税金を投じて名張市が手がける事業ではありますから、それがプランニングされ実現されてゆく過程をひとつガラス張りでやってみましょうかということです。お役所内部でどういう抵抗があるのかみたいなことも、すべてガラス張りにしたいと思います。やれめでたいな。

最新情報をご覧ください


●4月11日(木)
 うーむ。
 節を屈して阪神ファンになってしまおうかな。
 などとうっかり思ってしまわぬでもないきのうきょうです。
 さて探偵講談東京公演に関しましては昨日、三重県の協力をとりつけるための画策をちょこっとしてみました。つまり名張市が主催し、豊島区教育委員会と三重県が後援するという形にもっていこうかな、という感じです。県関係者のお話によれば、探偵講談東京公演を名張市が事業化しさえすれば、三重県がそれを後援するのはいくらだって可能だし、事業への補助金もたぶん出るだろう、とのことでした。
 実際には県の協力がなくても充分実現できるわけですが、こういった話にはできるだけひろがりをもたせるべきなので、東京公演のポスターには(ポスターをつくるかどうかは未定ですが)「名張」という文字と「三重」という文字を躍らせたいものだと思います。
 それに私は、三重県庁のお役人に対して、遠からん者は音に聞け、近くば寄って眼にも見よ、三重県がやってる俳句の全国公募と、名張市がやろうとしている探偵講談東京公演と、どちらが本物の情報発信なのか君たちも一度真剣に考えてみなさいと、それとなく訴えたいという気もします。
 さらにまた、もう少し地域住民のあいだにも話をひろげたほうがいいのかなと思われますので、東京公演のあとの凱旋公演を上野市で催すことを計画しました。凱旋公演は大阪でやろうかなと思案していたのですが、名張から東京へ行って伊賀に凱旋するほうが話はすっきりいたします。
 上野市には前田教育会という財団法人があって、三百席ほどの自前のホールも所有していますから、この財団に話を持ち込み、財団の自主事業として探偵講談を主催してもらえば、この公演を準備する過程で名張市のみならず伊賀地域住民のあいだにも話がひろがってゆくでしょう。近く財団に打診してみましょう。
 上野市で探偵講談をやるとなると、打ち上げは当然ながら伊賀牛の金谷ですき焼き大宴会となるわけで、これはたまりません。金谷のすき焼きなんて、地元伊賀地域住民だってめったに食べられないものです。私の場合、あんなものは自腹切って食うものではないという感じなのですが、この際ですから金谷のすき焼き大宴会を目標に、上野市での探偵講談凱旋公演を派手にぶちかましたいと考えます。
 末筆ながら、ある方からお知らせいただいた最新の乱歩情報をお伝えしておきます。私はいずれも未見なので、書面でお知らせいただいた原文のまま。

「サライ」8号 4/18 (小学館)
  種村季弘 東京〈奇想〉徘徊録……D坂の殺人事件
「本の旅人」4月号(角川書店)
  
のほほん物語 大槻ケンジ……「鏡地獄」「パノラマ島奇談」
  座談会 森村誠一&山前譲……「続・幻影城」
「本の雑誌」4月号(本の雑誌社)
  三角窓口 「二銭銅貨」の町にやってきた!
「黒い白鳥」鮎川哲也 創元推理文庫(東京創元社)
  ルーブリック

 「二銭銅貨」の町というのは、もしかしたら名張のことなんでしょうか。


●4月10日(水)
 日々はたいへんあわただしく過ぎ去りまして、3月25日から27日にかけての東京出張のご報告を綴っているつもりが、何を書いているんだか自分でもよくわからない事態に立ち至りました。ついでですから本日も探偵講談の話題で一席。
 旭堂南湖さんとは先日、地下鉄のなかで探偵講談「二銭銅貨」についてお話いたしました。むろんどんなふうに講談化していただいても結構なわけで、当方が容喙すべきことなど何ひとつないのですが、ただ一点、

 「あの泥棒が羨ましい」

 という冒頭の科白だけは省略しないで頂戴ね、ということをお願いしておきました。もしもこの科白が省略されてしまったら、「二銭銅貨」を読んだことのある観客であれば必ず、あれれ、と思ってしまうはずだからです。
 むろん講談化に際しては省略もあり得るということは、観客も頭ではわかっているでしょう。しかしあの印象的な書き出しが割愛されてしまうと、やはりいきなりずっこけてしまうのではないかと思われます。どうしてあれを省いてしまったのかなと、余計な疑念を引きずってしまうにちがいありません。つまりお客さんが引いてしまうことになりかねないわけです。
 逆に、講談化されても冒頭にはあの
科白がちゃんと配されていたとなると、乱歩ファンはそれだけで一気に食いついてくるだろうと予想されます。「二銭銅貨」を読んだことのない観客にとっても、あの意表をついたフレーズはなかなかに効果的なのではないかと想像されます。やはりこの科白、省略するのはよくないぞと判断される次第です。
 そもそも「二銭銅貨」は青年二人の貧窮と鬱屈の物語であり、

 「あの泥棒が羨ましい」

 という冒頭の科白には、その貧窮と鬱屈がふたつながら凝縮されています。この短い科白は、「二銭銅貨」全篇のどんな細部とも緊密に響き合っているわけです。この科白にどんなリアリティを与えるかというのは、かなり重要な演出上のポイントになるはずです。
 二人の青年は泥棒がまんまとせしめた大金を羨ましく思っているわけですが、泥棒がみずからの頭のよさを生業に生かし得ていることを羨む気持ちもまた、彼らの心に存在しています。それに引き替えおれなんて、あんな泥棒なんかよりさらに頭のいい人間だというのに仕事もなくてごろっちゃらする毎日、と世に入れられず捨て鉢になったような気分も、この科白には籠められています。そうした鬱屈した気分こそが、「二銭銅貨」における犯罪、すなわち青年の一方がもう一方を騙すという犯罪を成立させてもいるわけです。
 ですから果たしてこの科白、高く出るのか低く出るのか、明るく出るのか暗く出るのか、強く出るのか弱く出るのか。いったいどんな出方で始まるのかをあらかじめ想像することも、観客の愉しみのひとつであるといえるでしょう。

 「あの泥棒が羨ましい」

 という科白に明るさだの強さはそぐわないとあなたはお思いかもしれませんが、世の中には貧窮ゆえの明るさ、鬱屈ゆえの強さなんてのもあるわけですから、そうしたニュアンスが巧みに表現されて観客にきちんと届けられれば、それはそれで上々の導入ということになるはずです。そして「二銭銅貨」の場合、この科白をうまく決めれば初回先頭打者ホームランで試合を決定づけることも充分に可能であると、そういうふうに思われます。
 みたいなことを適当に書き飛ばしてまいりましたが、よく考えてみたらこれはあくまでもお芝居か朗読で「二銭銅貨」を上演する場合のお話に過ぎません。私は講談のことにはきわめて暗く、だいたいが一本の講談をいきなり科白で始めるのが作法に適ったことなのかどうか、それさえわからぬていたらく。どうぞ聞き流してくださいな。
 ともあれ、旭堂南湖さんの探偵講談「二銭銅貨」は5月26日、大阪市内の会場で上演されます。詳細はまた「番犬情報」でお知らせいたしますが、どちらさまもお誘い合わせてお運びください。先着五十人には名張名物二銭銅貨煎餅のプレゼントもあります。


●4月9日(火)
 市長選挙も終わり、名張市はまた以前の平静さを取り戻しました。とくに名張の旧市街などは死んだように静かです。もう死んでいるのかもしれません。
 そんな名張市にお住まいの男性の方から、メールを頂戴いたしました。見ず知らずの方なのですが、なかに、

 市長が変わりましたが活動には支障が無いのでしょうか?それだけが気がかりです。

 といったお尋ねがありました。「活動」というのは、不肖私が他人様からもしかしたら悪いクスリでもやっているのではないかと疑われるほどのハイテンションで日々ぶちかましております乱歩に関する鬼神のごとき活動のことなのですが、支障なんか微塵もないだろうと思います。それに市長が代わることは、名張市の乱歩関連事業にとっていいきっかけになるようにも思われます。
 毎年秋に開催しているミステリー講演会などの乱歩関連事業は、現在の市長(つまり先日落選した市長)の代になって始まったものです。田舎町がいわゆる乱歩顕彰を手がけようという心意気はあっぱれではありますものの、どうにも知恵が伴わないのが田舎町の不幸というやつです。具体的に申しますと、市長がさあ乱歩顕彰事業をやってみろと旗を振っても、職員には何をやっていいのかさっぱり見当もつかぬわけです。よその真似をするか何か、とにかくありきたりな事業でお茶を濁すしかありません。
 毎年秋のミステリー講演会は日本推理作家協会に講師派遣をお願いして開催しているもので、まあ田舎町にふさわしい、身の丈にあった乱歩顕彰事業だということになるのでしょうが、私はこんなものやめてしまえばいいと思っております。むろん事業に携わる職員の労は多としますし、日本推理作家協会のご協力にはおおいに謝意を表したいと思いますが、それでもなお、こんな消化試合みたいな事業でお茶を濁す真似をいつまでつづける気だこら、と私は思っております。
 みたいなところへもってきて市長が代わるわけですから、まさにいい機会、毎年ずるずると継続している乱歩関連事業もきちんと見直して、つづけるならつづける、やめるならやめる、それをはっきりさせる好機が訪れたと見るべきでしょう。
 それに私は、以前から申しておりますとおり、つまり市長が代わろうが代わるまいが、今年度のお仕事のひとつとして、名張市役所の乱歩関連事業担当課に押しかけ、いままでの関連事業でどんな効果があり成果があったのかを、担当職員自身にびしびし問い詰めることを手がけたいと思っております。
 こら。
 公務員。
 ぼんやりしとるんやないぞ。
 ですから市長に関して申しますと、やはり探偵講談東京公演がポイントになるでしょうね。つまり私は市の乱歩関連事業担当課に押しかけてですね、過去の関連事業のことを厳しく問い詰めると同時に、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業の探偵講談東京公演を君たちの手で実現してみなさいと、もちろん私が全面的にフォローはしますけど、君たち正式な市職員が名張市の主催事業として東京公演をやってみなさいと、ほんまもんの情報発信を東京でぶちかましてきなさいと、お役所にひきこもってばかりいないで世間へ出てみなさいと、世間へ出てみれば君たち公務員の理屈がいかに世間の間尺に合わぬものかがよくわかるでしょうと、そこらのこともよく勉強してきなさいと、そうした経験は君たちが公務員として生きてゆくうえで貴重な財産になるでしょうと、そして君たちの経験は必ずや名張市役所の内部にフィードバックされるはずですからと、旧態依然としたくそったれなお役所を内部から変えてゆくきっかけになるでしょうと、すべての責任は私がかぶりますから東京で思いきりやってきなさいと、あーこれこれ、人が話をしてる最中に鼻くそほじくってはいけません、みたいな説教をかましてですね、なんとか東京公演を実現させる所存です。
 つまりお役所の問題に即して申しますと、九月議会に提出される一般会計補正予算案に新市長が探偵講談東京公演の予算を組み込むかどうか、それがポイント。新しい市長が乱歩関連事業のことをどう考えているかを如実に知るための、それが世にいう試金石ってやつになると思います。


●4月8日(月)
 きのうはお休みしてしまいました。
 一昨日、4月6日夜には大阪で花より乱歩大宴会が催されまして、私は名張に着く最終の近鉄特急で帰宅するつもりでいたのですが、そういえば3月24日にやはり大阪で開催された探偵講談「魔術師・序」初演記念大宴会も途中で帰ったせいでいささか不完全燃焼、つづいて花より乱歩大宴会も途中で退席するのでは開幕二連敗みたいで気分がよろしくありません。
 大阪泊まりで酔いつぶれてもいいなと思って宴席に臨みましたところ、たまたま前にお坐りになったあるお姉さんからいきなり、私が先日さるミステリ系サイトの掲示板に書き込んだ内容に関しまして、

 「誰がちゃらんぽらんやねんこら。名張に足向けて寝たろかこら」
 ときついお叱りを頂戴いたし、のっけから自棄酒をがばがば呷る仕儀とはなってしまいました。で、結果として大阪泊まりで轟沈してしまい、伝言板もお休みしてしまったという寸法です。
 しかし一人で宿泊するのもなんだか寂しいものですから、大宴会参加者のお姉さんのお一人に、
 「どや。わしとホテルで一泊して行かんかね」
 と、すでにして呂律が怪しくなっているのがわれながらつらかったのですが、ともあれ本気で口説いてみましたところ、案の定あっさり断られてしまいました。張り倒されなかったことを喜ぶべきなのかもしれません。いや年甲斐もなくお恥ずかしい。

 みたいな莫迦なことをやっておりますうちに、昨7日は名張市長選挙の投票日。即日開票が行われ、現職が大差で敗れました。中日新聞のホームページから無断転載いたします。

ニュース速報
* 任期満了による三重県名張市長選は、無所属新人で前県議の亀井利克氏(50)が初当選。多選批判で支持広げる。(4.7 23:07)

無所属新人の亀井勝利氏当選
名張市長選

 任期満了による三重県名張市長選は七日投開票され、無所属新人で前県議の亀井利克氏(50)が、無所属現職の富永英輔氏(66)=民主、自由、社民推薦=と、共産新人で党県委員の小田俊朗氏(55)を大差で破り、初当選した。当日有権者数は六万四千八百六十三人。投票率は六六・五一%で、前回を五・六一ポイント上回った。
 亀井氏は自民党県連政調会長だったが、ことし一月の立候補表明に合わせて離党し、県議も辞職。多選批判と政党色を薄めた選挙戦で支持を広げた。

 見出しの人名が違ってますが、まあこういったところです。開票結果を中日新聞の三重版から写しておきますと、

当  24,281  亀井 利克  50 無新
   16,355  富永 英輔  66 無現
    2,246  小田 俊朗  55 共新

 といった按配。三期十二年間の実績を掲げた現職がここまでの大差で敗退するというのは、ただごとではありません。現職に対する批判票が雪崩を打って新人に流れた観があります。さてこうなりますと、二十五億もの税金を投じる斎場建設を新市長がどう処理するかという点に市民の注目が集まるわけですが、現職の任期は今月25日までありますから、残り少ない任期中に何が何して何とやら、みたいな風聞が聞こえてこないでもありません。なんとも難儀な。
 それはそれとして、この市長選挙のあと、名張市役所では人事異動が行われます。それが終わってお役所のなかが落ち着いてから、先日来お伝えしております探偵講談東京公演プロジェクトを始動させたいと考えているのですが、6日には旭堂南湖さんともお会いしましたので、東京公演に関してもあれこれ話し合いました次第。
 現時点では、豊島区教育委員会に話を持ち込み、名張市主催、豊島区教育委員会後援という形にして、豊島区サイドには池袋界隈での会場確保を依頼しようかなと目論んでいるのですが、講談には広い舞台は必要ありませんから、映画館でも上演は可能、それならいっそ一日だけ、池袋駅東口の新文芸坐を借りてみるのも面白いかもしれません。乱歩と三角寛のゆかりもあることですし、と思って新文芸坐のホームページを調べてみたら、客席数は二百六十六。ちょうどいい数字だと思います。借りられるかどうかはわかりませんが。
 ついでですから、立教大学でも一席演じるられるように画策してみましょうか。大学側に受けていただけるかどうかは不明ながら、とにかく話を持ち込んでみる価値はあるでしょう。話がうまくまとまらなくても、帰りがけの駄賃に立教の女子大生を口説いてくるという愉しみはあります。しかし手玉に取られたらどうしよう。いや年甲斐もなくお恥ずかしい。


●4月6日(土)
 本日は乱歩の小酒井不木宛書簡の話題でご機嫌をうかがいます。
 4月1日付毎日新聞に不木宛乱歩書簡に関する記事が掲載された、と掲示板「人外境だより」にこしぬまさんからご投稿をいただきましたので、私は毎日インタラクティブ(毎日新聞のホームページです)を調べてその記事を発見しました。
 当該記事は現時点では毎日インタラクティブから消え去っているのですが、発見したすぐあと「人外境だより」に全文を無断転載しておきましたので、そこから引用します。「雑記帳」というコラム欄の、取違剛記者(凄いお名前です)による記事です。

 ◇推理小説作家の先駆け、江戸川乱歩が「探偵小説家として一人前になれるか」との悩みをつづった書簡が、1日から千葉県成田市の成田山書道美術館で始まった企画展で展示されている。
 ◇1924年、文壇に精通していた医学者、小酒井不木にあてたもので、「先生の御考で見込があれば、一層大物を手がけてみたい」と進路の判断を仰いでいる。
[毎日新聞4月1日] ( 2002-04-01-21:03 )

 1924年といえば大正13年のことです。
 そうか、と思った私は、本サイト「乱歩百物語」に掲載してある小酒井不木の「書簡」を見てみました。このページには昭和5年発行の『小酒井不木全集第十二巻』から不木の乱歩宛書簡をすべて転載してありますから、上記の企画展に展示されている乱歩の書簡と相呼応する一通が見つかるはずだと考えた次第なのですが、大正13年の書簡は一通もありませんでした。
 なーんや、と思った私が莫迦であったということは、「人外境だより」へのもぐらもちさんのご投稿で明らかになりました。一部を引用させていただきます。

もぐらもち
  
2002年 4月 3日(水) 22時45分
  http://homepage1.nifty.com/mole-uni/

さて不木が乱歩に作家としてのお墨付きを与えた件、『小酒井不木全集』第十二巻にはいくつかの書簡が収録されていますが、大正14年11月25日発・江戸川乱歩宛書簡の中に下記のような記述があります。
(※この「大正14年」は編者の誤りで、内容を読むと「新青年」大正14年1月増刊号に掲載された「D坂の殺人事件」がまだ出ていない、とあるので大正13年の11月であることがわかります。)

 玉稿「心理試験」繰返し拝読しました。……そしてあなたは探偵小説作家として十分立つて行くことが出来ると確信して居ます。作品の紹介は森下さんが喜んでやつてくれませうけれど私も及ばず乍らいつでもその労をとりますから一つ今後はその方面に専心になつて見られたらどうです。……

私もこの不木からの手紙は知っていても、乱歩から「心理試験」原稿と共に送られた筈のお伺いは全く見た事がなく、一度お目にかかりたいものだと思っています。

 編者の誤りを鵜呑みにしていた私が莫迦だったのね。不木全集には大正13年の問題の一通、すなわち不木が乱歩に「あなたは探偵小説作家として十分立つて行くことが出来る」と太鼓判を捺した大正13年11月25日付の書簡もちゃんと収録されていたわけです。
 さてその毎日新聞の記事ですが、当地の毎日には掲載されておりませんでしたので、玉川知花さんにコピーの郵送をお願いしておきましたところ、昨日到着いたしました。
記事には書簡の写真が添えられています。といっても手紙のおしまいのあたりをわずかに眼にすることができるだけですが、とにかく判読のうえ転載しましょう。段落内の折り返しは原文のままとします。

躊躇したのですが、生来病弱で一人前の肉体的な働
きが苦痛なのと、今までの職業が余り感心したもので
ない関係上色々考へた上漸く決心した次第なのです。
右不敢取の御礼旁々将来の御後援をお願ひ致し
ます。其内一度御伺ひしたいと存じてゐます。
  十二月五日
                   平井太郎
小酒井光次先生
      侍史

 日付は12月5日になっていますから、不木の11月25日付書簡への返書と見るべきでしょう。「躊躇したのですが」「漸く決心した次第なのです」といった文言はいうまでもなく不木の太鼓判を受けたものであり、これすなわち、乱歩が作家専業になることを宣言した記念すべき一通であると判断されます。
 この書簡は現在、成田山書道美術館で開催中の企画展「わたしからあなたへ―書簡を中心に―」で公開されております。期間は5月26日まで。乱歩ファンよ、成田山へ行きゃれ。

成田山書道美術館


●4月5日(金)
 この家にある本のなかから一冊だけ持って帰っていいといわれたら、やっぱりあの『虚無への供物』にしようかな、などと虫のいいことを考えながら、開けっ放しになった土蔵の扉の前を通過したときのことです。首のマフラーに何かがひっかかる気配があり、床に物の落ちる音がしました。あわてて床を見ると、扉の漆喰の一部が剥がれ落ちています。
 観音開きになった土蔵の分厚い扉には、漆喰がぼろぼろになって落剥している箇所があったのですが、昨年12月にジョージ・ハリソンの死を悼んで購入したマフラーがそこにひっかかってしまい、落剥をさらに大規模なものにしてしまったようでした。
 床には灰色をした漆喰の破片がふたつ、無惨に転がっています。破片といっても、大きいほうは最長辺が十数センチはあろうかというしろものです。私は証拠隠滅のために破片ふたつを上着のポケットに押し込み、涼しい顔でその場をあとにしました。
 そして、みずからの犯行をさらに完璧に隠蔽することを目論んだ私は、乱歩邸を辞去した直後、破片ふたつを同行者お二方の手に押しつけて、
 「これ、家宝にするように」
 と無理やりプレゼントしてしまった次第です。
 そのとき、破片を取り出すためにポケットを探ると、なんと土蔵の鍵が出てきました。お預かりしたのをお返ししないまま、うっかりおいとましてしまったわけです。私はあわてて乱歩邸に取って返し、玄関から平井先生をお呼び立てして、
 「先生すいません。鍵をお返しするの忘れてました」
 と平身低頭して鍵をお渡ししたのですが、あのとき土蔵の扉のこともお詫びしておけばよかったのかな、といまになって思い返されます。ここで謝っておきましょう。
 平井先生、どうも申しわけありませんでした。土蔵破壊の段、平にご容赦くださいますよう。
 乱歩邸に隣接する立教大学では卒業式が営まれていた、3月25日午後のことでした。


●4月4日(木)
 さて名張市から上京しました私ども四人、3月25日午後に乱歩邸応接間で平井隆太郎先生にお目にかかり、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業の予算が承認されました、ですとか、乱歩邸の立教大学移管後もひきつづきご高誼をたまわりますよう、ですとか、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業の掉尾を飾る10月20日のミステリー講演会にはぜひともおいでくださいませ、ですとか、いろいろご報告とお願いを並べ立てました次第です。
 講談師の旭堂南湖さんとも芳林堂書店池袋店で落ち合い、同行のうえ平井先生にご挨拶していただきました。乱歩作品を講談化するとなると著作権の問題がからんできますから、私は昨年12月に上京したおり平井先生にそのあたりのことをお訊きし、南湖さんからも手紙や電話で平井先生にお願いしてもらっていたのですが、この手の話はやはり拝眉してお願いとお礼を申しあげるのが一番。そこで南湖さんは大阪で探偵講談「魔術師・序」を初演した翌日、急遽上京して乱歩邸訪問とあいなったわけで、南湖さんには平井先生の前で「魔術師・序」のさわりを演じてもいただきました。
 つづいて平井先生にまた無理を申しまして、図々しくも土蔵の内部を見学させていただきました。土蔵は本来独立した建物なのですが、母屋を建て増しして土蔵に密着させてありますから、玄関から廊下を歩くとそのまま土蔵の入口に着きますし、土蔵と母屋のあいだには天井と床と壁のある空間が一室を形成してもいます。
 同行者が土蔵の内部で驚嘆の声をあげているとき、いまや土蔵見学のベテランである私はこの土蔵と母屋のあいだに形成された一室を拝見しておりました。そこにも書棚が置かれていて、おもに乱歩が寄贈を受けたらしい本が並べられていたのですが、そのなかの一冊に『虚無への供物』があるではありませんか。あ、と思って手に取ると、見返しには細いペン書きで、

江戸川乱歩先生

      塔晶夫

 の文字。あ。ああ。あああ。
 ポケットにこっそり忍ばせるのが無理だったのでもとの場所に戻すしかありませんでしたが(『虚無への供物』の横には『大いなる幻影』と『華やかな死体』が並べられておりました)、なんか乱歩邸というのはやっぱり凄いなと、あらためて実感した私です。
 ちなみに平井先生ご一家は3月28日で住み慣れたこのお屋敷を引き払われ、乱歩邸は南京錠で厳重に戸締まりされてしまうとのことでした。

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●4月3日(水)
 なんだか話が先走ってしまいましたが、とにかくそんなこんなで、10月13日の日曜日、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業のひとつとして、旭堂南湖さんの探偵講談「江戸川乱歩一代記」「二銭銅貨」「魔術師」、以上三席の公演を名張市立図書館が名張市内の会場で主催いたします。
 翌14日は体育の日ですから、13日は土曜からつづく三連休の中日で、公演は午後の予定。近鉄特急を利用すれば、名古屋から約一時間半、大阪からなら約一時間で名張に到着いたしますから、どちらさまもこの機会にぜひ名張へどうぞ。13日に一泊していただけば、乱歩ゆかりの清風亭で開催される名張人外境開設三周年記念大宴会にもご参加いただけます。
 さてここで東京出張のご報告ですが、3月25日朝、名張市から教育長、教育次長、図書館長、図書館嘱託(私です)の四人が上京し、乱歩邸にお邪魔しました。ちなみに教育長と申しますのは、本年1月以来、こら市長の虚偽発言を隠蔽する気かこら、と地方紙に掲載された名張市長インタビューの件で私にしつこく責め苛まれたあの教育長で、いやはやなんとも。
 しかしまあ、市長の虚偽の片棒を担いで晩節を汚すような事態に立ち至らなかったのは、教育長のためにもよろしかったのではないかと愚考いたします。何度も申しておりますが、名張市ではいま市長選挙の真っ最中でして、四選を目指す現職の選挙カーを車でぴったり追走し、
 「現職市長は名張市教育委員会公認の大嘘つきです。現職市長は名張市教育委員会公認の大嘘つきです」
 とアナウンスしてやりたい衝動を抑えきれない私ですが、いやはやなんとも。
 みたいな莫迦なことを考えてるあいだにもふと思い出されるのは、先日死去された教育委員長の辻敬治さんのことです。本来であれば、今回の出張には当然辻さんもご同行いただくはずでした。なんとも寂しい話です。私が初めて乱歩邸にお邪魔したときも、やはり辻さんが同道してくださり、池袋駅から乱歩邸まで道案内をしていただいたことを思い出します。もう六年も前のことになってしまいましたが。


●4月2日(火)
 さてその東京での探偵講談上演プロジェクトです。
 3月24日に大阪で旭堂南湖さんの探偵講談「魔術師・序」を拝見し、翌25日には平井隆太郎先生の前で南湖さんに「魔術師・序」のさわりを演じてもらい、はたまた二日つづけて南湖さんとお酒を飲みながら名張公演のプランを練ったりしているうちに、私は私なりに10月13日の本番へ向けて手応えや成算といったものを実感してきましたので、こうなったら東京でもぶちかましてやろうかなと思いついた次第です。
 理由のひとつは、平井先生に全篇フルバージョンでご覧いただきたい、いや、いただくべきである、ということです。
 もうひとつの理由は、名張だけで終わらせるのがもったいない、ということです。
 とはいえ、名張市の江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業には探偵講談の東京公演は組み込まれていませんから、さあどうすればいいのか、ということになるわけですが、まずは名張市役所のお役人のお尻を叩いてみることにいたします。
 たとえば名のあるミステリー作家を名張にお招きして講演会を催す、みたいなことなら名張市役所のお役人にだってできるわけですが、乱歩原作の探偵講談という未知の芸能に新しい価値を見つけ、それを名張で公演してさらに東京へもってゆくというのは、お役人にはちょっと考えつかないことですし、たぶん手に余ることでもあるでしょう。しかしお役人の大好きな「情報発信」というのは、本来はこういうことであるべきなんです。
 ですから私はこのプロジェクト、つまり今年の11月ごろに池袋あたりの会場で名張市主催による探偵講談の会を開こうね、というプロジェクトを近いうち名張市役所のしかるべき担当課にもちこんでやろうと考えております。むろんお役人は眼を白黒させて驚き、予算がどうのこうのぶーたれ始めることでしょうから、私としては、
 「こら。こんなこともまともに考えられんような人間が乱歩関連事業を担当してどないするねん。おまえらはもう乱歩のらの字も口にするな。乱歩のことに一円の税金もつかうんやないぞこら」
 みたいなことを申しあげることになるのでしょうか。いやですね。気が進みませんね。でもそんなこといってられませんね。
 こら。
 公務員。
 泣かしたろか。


●4月1日(月)
 きょうはエイプリルフールですが、いつものとおり真実のみ記すことを誓います。
 そんなこんなでまあ、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業は、いうならばただホテトル嬢を呼んできて枕を重ねるだけみたいな、そこらのありきたりな文化事業とは一線を画したものにしたいと私は思っております。
 たとえば名張市は毎年、日本推理作家協会の協賛を得てミステリー作家の講演会を催しているのですが、これなどやはりホテトル嬢を呼んでくるだけの話であろうという気がします。ホテトル嬢がいけないというわけではないのですが、話自体が広がってゆきません。
 協会から講師を派遣していただいてご講演いただいて宿泊していただいてはいさようなら、でおしまいです。見事にそれだけの話です。ホテトル嬢は近鉄特急で去ってゆきます。一泊二日のはかない契りで、名張市が裏を返すこともありません。つまりこの講演会をきっかけに講師の先生と名張市のあいだに持続的な関係性が生じる、なんてことはまったくないわけです。
 それにだいたい、名のある講師を招いて講演会を開けば上々の文化事業である、なんてふうに思い込んでいられた時代はとうに過ぎ去っているわけで、ここいらの事情も説明しなければならないのかもしれませんが、きょうのところは省いてしまいます。
 で、江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業のひとつ、旭堂南湖さんによる探偵講談の話題です。南湖さんは、ご本人には失礼な話ながら、まずはまったくといっていいほど無名の講談師です。明治時代に流行した探偵講談の復興を志し、乱歩作品の講談化にも挑戦していらっしゃるその南湖さんに、乱歩生誕地の名張市で乱歩作品を演じてもらおう、というのが現在進行中のプロジェクトです。
 名のある人、一定の価値をあらかじめ保証された人を招聘するのではなく、海のものとも山のものとも知れぬ素材を見つけてきて、新しい価値を発見したり創造したりして広く提供しようというのがプロジェクトの狙いです。広く提供するというのですから、名張だけでなく東京あたりで上演することも考えなければいかんな、と私は目論んでおります。