2002年6月

●6月3日(月)
 1990年に出た矢川澄子さんの『野溝七生子というひと──散けし団欒(あらけしまどい)』(晶文社)という本があります。引っ張り出してきたのですが、内容はほぼきれいに忘れておりました。最初の章は「マズハ鎮魂ノタメニ」というタイトル。野溝七生子、つまり矢川さんにとっての「なァちゃん小母さん」に宛てた書簡の形で、彼女の訃報のことから書き起こされています。

 なァちゃん、いかが。死はやはりある種の人びとにとっては究極の解放なのでしょうね。──S園の子供たちのお葬式って、美しいのよと、いつぞや姉が語ってくれたのを思い出します。おぼえていらっしゃるかしら、姉のところにも心身障害の娘があって、なァちゃんも昔、抱いて、涙して下さったのを。その子のお世話になっている施設の話ですけれど、ふだんから重症の麻痺や障害を背負い込まされ、生きているかぎりぎくしゃくと、引き攣れゆがんだ表情しか示せなかった子供たちが、さいごに横たわったときにはじめてあらゆる見苦しさから解き放たれて、これをかぎりの安らかな愛くるしい素顔を見せてくれるのですって。
 きこえていますか、なァちゃん、まちがっていたらごめんなさい。でもあの日、柩のなかのあなたの静かな寝顔に、ある大いなるものの手による〈救い〉を見たのははたしてわたしだけだったでしょうか。いいえ、そうは思えません。おそらくは身内の方々、なかんずくあなたと深く関わりあった姪御さんのH子さんやR子さんにしても、多かれ少なかれおなじ思いだったのではないでしょうか。どんなに老醜をさらけだしてもいいから一日でも長生きして下さい、などと祈るのは、どうもはじめからあなたにそぐわないような気がしてなりませんでした。あなたに、というよりあなたの美学に、です。

 矢川さんのご冥福を祈りつつ、とりあえず眼についたところを引用いたしました。どんな感想を抱かれても、それはあなたの自由です。

 掲示板にはさきほどサーバーに接続できなくなったと記しましたが、艱難辛苦を乗り越えて無事アップロードできるようになりました。ご休心ください。


●6月2日(日)
 不本意ながら訃報二題。
 まず読売新聞のホームページから無断転載。私は先月30日朝の新聞で(当地には夕刊というものがないのですが)この訃報に接しました。

村上悦子さん=作家・眉村卓氏の妻

 作家・眉村卓さん(67)の妻で、大腸がんのため闘病中だった村上悦子(むらかみ・えつこ)さんが28日午前、大阪市内の病院で亡くなった。67歳だった。告別式は30日午前11時から、同市東住吉区長居公園1の32の臨南寺会館紫雲殿で行われる。自宅は同市阿倍野区播磨町1の4の15。喪主は眉村卓(本名・村上卓児=むらかみ・たくじ)氏。
 悦子さんは1997年6月、余命1年の大腸がんと宣告され、「患者の気持ちが明るくなれば病気にもいい」と聞いた眉村さんは、悦子さんのために1日1編のショートショートを書き続けた。その数は1777編に達した。悦子さんは数度の手術を乗り越え、昨年9月には、友人の作家らによる「夫妻を励ます会」が東京都内で開かれた。作品は「日課・1日3枚以上」の題で1000編までが計10巻にまとめられている。問い合わせは真生印刷((電)0722・27・8911)。

(http://www.yomiuri.co.jp/zz/20020528zz02.htm)

 闘病中でいらっしゃることは存じあげておりましたから、ああ、とうとう、という感じでしたが、なんか粛然としてしまいました。ちなみに私が読んだ新聞には、28日に眉村さんが奥さんのための最後のショートショートを執筆されるとも報じられていました。『日課・一日3枚以上』の続刊を待ちたいと思います。
 合掌。
 つづいて朝日新聞のホームページから無断転載。

作家の矢川澄子さん死去

 詩、評論、翻訳と幅広い分野で活躍した作家の矢川澄子(やがわ・すみこ)さんが29日、長野県の自宅で死去した。71歳だった。遺族の話では自殺と見られる。葬儀は近親者のみで済ませた。お別れの会の日程は未定。
 東京生まれ。東京女子大英文科、学習院大独文科を卒業後、東大文学部美学美術史学科中退。作家渋澤龍彦氏と離婚後、70年代から文筆活動をはじめた。独特で繊細な美意識をいかして、評論、詩作、小説など幅広くとりくんできた。
 著書に「野溝七生子というひと」「おにいちゃん――回想の澁澤龍彦」「アナイス・ニンの少女時代」など多数。「ぞうのババール」などの絵本やギャリコの「雪のひとひら」など、翻訳も多い。
 武蔵野美大教授小池一子さんは妹。

(http://www.asahi.com/obituaries/update/0531/005.html)

 新聞の訃報に眼をやって声をあげたのは久しぶりのことでした。死去そのものや、矢川さんが七十一歳になっていらっしゃったという事実にも驚かされましたが、やはり「自殺」の二文字がただならず痛々しい。一人の女性が晩年に至って自死を選ぶ背景にはいったい何があったのか、余人が口を挟むべきことではまったくないのですが、どうも気になって仕方ありません。朝日新聞の読書欄に作家などの著名人が読書体験を綴るコーナーがあって、少し前に登場した矢川さんは、幼少時の読書を回想したくだりで、小柄な人間が世界に対して抱いてしまう恐怖、みたいなことをお書きだったと記憶するのですが(たぶん記憶違いがあるだろうという気もするのですが)、世界はあるいは最後まで恐怖に充ちていたか。
 合掌。


●6月1日(土)
 本日は雑誌から拾った乱歩文献二題。いずれもメールで教えていただいたものです。FさんYさん、ありがとうございました。
 「文藝春秋」6月号(80巻7号)の巻頭随筆のページに、歌人の穂村弘さんが「愛の乱歩」八首を寄せていらっしゃいます。冒頭の一首をこっそりご紹介しておきます。

不敵なる挑戦状は昏睡の小林少年の口の中より

 挑戦状、小林少年、人形、悪魔、月光、明智、明智夫人、望遠鏡、レンズ、手錠、と使用された言葉をたどるだけでなんとなく乱歩の世界、といっても穂村さんにとっての乱歩の世界がおぼろげに浮かびあがってくる寸法で、まこと乱歩は鏡です。
 つづいて「暮しの手帖」98号(6・7月号)の誌面から。各界著名人が愛読書を披露する「暮しの本棚」というコーナーで、演出家の吉田秋生さんが「孤島の鬼」をあげていらっしゃいます。

 「孤島の鬼」は、最も好きな作品。すごい傑作だと思ってるんです。高校のときに学校の図書室で、どっしり重い全集で読んだんですが、とても怖かった。特にシャム双生児にされてしまった女の子の告白文の箇所は、こんなに怖いものはめったにないという感じ。でも、何かそこに甘美なものがある。独特の、裏のユートピアというか、理想郷みたいなものがあって、悪夢の世界を描いていても、どこか甘くてエロティックで、どきどきするんです。

 ところで「暮しの手帖」の奥付を見ると、大橋鎮子さんのお名前を拝見することができます。この大橋さんこそ誰あろう、私の亡父が往年の日本読書新聞編集部で昼間から酒飲みながら猥談に興じていたさまを目の当たりにされた生き証人で、ご迷惑をおかけした段、いつかお詫びしなければならんなと思いつつ今日に至っております。まんず傍迷惑な親父だなや。