2003年5月

●5月31日(土)
 あ。もう5月も終わりか。とわざとらしく驚いてみたりしておりますが、ついこのあいだお正月のお餅を食べたところだとしか思えないのに、拙宅の近所の水田ではいつのまにか稲の苗がすこやかな生育を始めております。散歩の途中で気がつきました。今年も豊年満作でありますように。
 いやそんなことはどうだってよろしく、問題はかの春陽文庫です。春陽文庫に収録された乱歩作品を完全に調べあげるのはおそらく不可能であろうと私は結論いたしました。国立国会図書館をはじめとした図書検索のネットワークをたどっても、旧乱歩邸に保存されていた乱歩自身の蔵書を精査しても、むろん『春陽堂書店発行図書総目録』(1991年6月、春陽堂書店)をいくらひっくり返してみたところで、完璧な答えなど出てくるものではありません。私はとっとと諦めました。諦めざるを得ませんでした。
 えー、こんな感じで春陽堂の話をしていると頭が痛くなってきますので、とりあえず打ち切りといたしましょう。いずれまた言い訳はしなければならぬはずなのですが。
 ところで、朝日新聞のホームページに午前6時14分に掲載されたニュースでは、「台風4号は31日午前5時ごろ、愛媛県宇和島市付近に上陸し、引き続き時速約45キロで北に進んでいる」、「台風の北上に伴って、九州や四国、近畿地方の太平洋側では局地的に1時間に40ミリの強い雨が降っており、今後も局地的に40―60ミリの非常に強い雨が予想される」とのことです。当地に向かってきてはくれないみたいですが、台風の進路近辺にお住まいの方はどうぞご注意を。


●5月30日(金)
 一時投稿できなくなっていた掲示板「人外境だより」がいつのまにか本復しております。本復というのも変ですが。どうもご心配をおかけしました。せいぜいご利用ください。

 A Glimpse of Rampo
 風俗研究書復刊さる:岩田貞雄
誌名:文芸随筆/第40号/平成14年10月15日/日本文芸家クラブ/p. 56
 
大正十四年十一月十三日、東京本郷の伊勢栄旅館に宿泊していた乱歩を、文化学院美術科の学生だった準一が訪ねる。快談は深更に及び、このとき世界の男色文献研究の大成を誓い合ったのである。両人の文献あさりは、昭和二、三年頃から熱を帯び、乱歩が西洋、父が東洋を担当。お互い文献カードを作って、発見の多きを競った。
○大江十二階さんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月29日(木)
 掲示板「人外境だより」の調子がおかしいようです。メールでその旨お知らせいただきましたので試みに投稿してみましたところ、
 「掲示板 エラー/掲示板の処理に失敗しました。もう1度やり直して下さい。/エラーメッセージ/[掲示板ファイルを見つけられません。(tayori.html)再度設定を確認してやり直してください。]」
 との表示が出てしまいます。おっかしいな。おかしいな。ちょっと様子を見てからプロバイダーに確認してみます。


●5月28日(水)
 ちょっとしたお知らせです。7月に東京で「乱歩が蒐めた書物展」という展示会が開かれるそうです。愛媛県のある方からメールでお知らせいただきました。ニュースソースは「日本の古本屋メールマガジン」5月22日号。概要は次のとおりです。

東京古書会館落成記念平成15年明治古典会古書大入札会
 一般公開下見展観日:7月18日(金)−19日(土)
 入札日(業者のみ):7月20日(日)  
 会場:東京古書会館
(http://www.kosho.ne.jp/~tokyo/kaikan.htm)
同時開催「乱歩が蒐めた書物展」
 7月13日(日)−19日(土)
 会場:東京古書会館地下ホール
 主催:東京古書組合
 協賛:立教大学

明治古典会

 立教大学の協賛を得て、乱歩がコレクションしたあれこれの蔵書を公開するということでしょうか。眺めてみたいものです。
 7月というと、これも数日前に静岡県のある方からメールでお知らせいただいたのですが、7月から8月にかけて横浜で石塚公昭さんの作品が披露されます。

横浜ランドマークプラザ10周年スペシャルイベント
“夢の続き”展

 会期:7月24日(木)−8月10日(日)
 会場:横浜ランドマークタワー3F

 むろん乱歩をモチーフにした作品も登場。詳細は石塚さんのオフィシャルサイトでどうぞ。

“夢の続き”展

 以上、本日のお知らせ二件でした。

 A Glimpse of Rampo
 私がいる時間なぎら健壱さんの 午後11:00本に囲まれていたいから:なぎら健壱
紙名:朝日新聞/2003年5月25日/朝日新聞名古屋本社/「家庭」面インタビュー
 
本が好きになったのは小学5年のとき。東京の葛飾区に住んでたんだけど、近くの古本屋で江戸川乱歩の「サーカスの怪人」と「海底の魔術師」を買った。読んだら、はまっちゃって。それから、区内の古本屋を20軒以上回ったかなあ、シリーズを全部集めましたよ。
○ほりごたつさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月27日(火)
 春陽文庫に手を出すと大変なことになります。書誌的な氏素性をつきとめようとすると無間地獄をさまよう羽目になります。私はかつて「小林文庫」の掲示板で漫画家の喜国雅彦さんから、悪いことはいわない、春陽文庫からは手を引きなさい、とのご忠告をいただいたものですけれど案の定、大先達たる喜国先生のお言葉を身にしみて実感する仕儀となりました。
 たしかに存在しているのだけれどあれこれ考えてみた結果『江戸川乱歩著書目録』にはなぜか記載することができませんでした、という座敷童子のごとき春陽文庫、恥ずかしながらここに録しておく次第です。

人間椅子 改訂版 春陽文庫1023
第七刷(昭和37年3月30日、昭和26年4月20日第一刷)
A6判 カバー 一七四頁 九〇円
装画:村上松次郎
人間椅子/お勢登場/毒草/双生児/夢遊病者の死/灰神楽/木馬は回る/指環/幽霊

パノラマ島奇談 改訂版 春陽文庫1068
第一刷(昭和37年3月30日)
A6判、カバー、二〇一頁 九〇円
装画:村上松次郎
パノラマ島奇談/鬼/火縄銃/接吻

屋根裏の散歩者 改訂版 春陽文庫1097
第三刷(昭和37年3月30日、昭和28年2月15日第一刷)
A6判 カバー 二一四頁 一〇〇円
装画:村上松次郎
鏡地獄/押絵と旅する男/火星の運河/目羅博士の不思議な犯罪/虫/屋根裏の散歩者/疑惑

心理試験 改訂版 春陽文庫1106
第三刷(昭和37年4月30日、昭和27年10月30日第一刷)
A6判 カバー 二四三頁、一一〇円
装画:村上松次郎
心理試験/二銭銅貨/二廃人/一枚の切符/百面相役者/ざくろ/芋虫/人でなしの恋

 いろいろ言い訳すべきこともあるのですが、何をいっても言い訳にしかなりません。お察しください喜国先生。


●5月26日(月)
 もう5月も26日です。この分だとじきに6月でしょう。洒落にならんなという気もいたしますが、とにかく本日はこのへんで。


●5月25日(日)
 掲示板「人外境だより」に小西昌幸さんから日本推理作家協会賞に関するお知らせをいただきました。さっそく検索してみましたら、朝日新聞のホームページに記事が掲載されておりました。無断転載しておきます。

 推理作家協会賞に有栖川氏ら
 第56回日本推理作家協会賞の選考会が23日、東京都内で開かれ、長編および連作短編集部門は浅暮三文氏の「石の中の蜘蛛(くも)」(集英社)と、有栖川有栖氏の「マレー鉄道の謎」(講談社)に、評論その他の部門は新保博久氏・山前譲氏の「幻影の蔵」(東京書籍)に決まった。短編部門は該当作なしだった。賞金は各50万円。贈呈式は6月26日午後6時から東京・新橋の第一ホテル東京で。
(05/24 08:02)
http://www.asahi.com/culture/update/0524/002.html

 新保博久さんと山前譲さんが『幻影の蔵』で受賞されたのを、何よりもおめでたいことに思います。お二人は十二年にわたって週に一度の乱歩邸通いに精励恪勤され、乱歩の蔵書を体系化する作業のかたわら乱歩邸の蛍光灯の交換などにも汗を流されたと仄聞しております。心からお祝いを申しあげたいと思います。
 江戸川乱歩賞も決まったようです。

 乱歩賞に不知火氏、赤井氏
 第49回江戸川乱歩賞(日本推理作家協会主催)の選考会が23日開かれ、不知火(しらぬい)京介氏の「マッチメイク」と赤井三尋(みひろ)氏の「二十年目の恩讐(おんしゅう)」に決まった。賞金は1000万円を折半。贈呈式は9月19日。
(05/24 08:05)
http://www.asahi.com/culture/update/0524/003.html

 乱歩賞受賞作品もたまには読んでみないといかんな、と思わないでもないのですが。


●5月24日(土)
 えー、今場所の高見盛は十二日目で負け越しを決めてしまい、「力がないんです」とかなんとかコメントしておりました。世の中、気合いを入れるだけじゃ駄目なんじゃないの、ということでしょうか。しかしせめて気合いくらい入れないと、と私のように力のない人間は思います。それではいつの日にか訪れるはずの千秋楽を目指して、本日もちょこっと行ってまいります。


●5月23日(金)
 いい大人がいつまでも泣いてるわけにはまいりません。高見盛ばりの気合いで『江戸川乱歩著書目録』、最後の仕上げに惑溺したいと思います。それでは行ってまいります。


●5月22日(木)
 いや泣かされます泣かされます。奥付にも泣かされますけど印刷屋さんにも泣かされます。『江戸川乱歩著書目録』のゲラが一昨日郵送されてきて、おとといは時間がありませんでしたのできのう開封いたしました。私はいまにしてようやく思い当たるのですが、この印刷屋さんにはおそらくきっと、クライアントから口頭で伝えられた指示はいっさい無視すべし、という社是社訓があるに相違ありません。思い返せば初校の時点からそうでした。いやまいった。まいったまいった。
 泣かされる奥付の話に戻りますと、初版だろうが再版だろうがそんなことはまったくお構いなく、奥付の発行日に「×年×月×日発行」と記す出版社が存在します。どの版も初版にしか見えません。乱歩関連でいうと、ポプラ社から出ていた乱歩の著作がある時期までそうでした。かつてポプラ社の編集部にお勤めだった方からその事実を教えていただいた私は、
すっかりまいってしまいました。いやまいった。まいったまいった。
 なんか世の中まいることだらけ、泣かされることだらけだという気がしてきましたが、まあご心配なく。なんとか無事に生きております。


●5月21日(水)
 それにしても奥付には泣かされます。それほど信を置けるものではないと重々承知はしていても、結局はそれに依拠するしかないのですから始末が悪い。
 以前、西野嘉章さんの『装釘考』(平成12年4月、玄風舎)を拝読しておりましたところ、「発行日 竹久夢二と『恋愛秘語』(竹久夢二作)」という章にこんな驚くべき事実が記されていたので驚いてしまいました。なお下記の引用、原文は旧漢字が使用されております。

 なお、『恋愛秘語』の出版歴は、その奥附によると「大正十三年九月十日初版、同九月十五日再販、同九月二十日三版」であるが、初版と再版について発行の実績がない。第三版が事実上の初版に相当したということである。こうした作為は、当時、珍しいことでなかった。たとえば、春陽堂から大正十三年十二月に出された会津八一の処女歌集『南京新唱』がそうである。東光閣から大正十二年に出版された永井荷風著『二人妻』もまた三版即初版本であった。前者は出版社が初刷八百部の売れ行きに自信を欠いていた為と言われるが、その多くは後者のように出版法に絡む発禁を虞てのこと。発行実績を楯に、それを逃れようとしたのだ。夢二の本も、案の定、最後の挿絵は赤裸な「ヌード」であった。

 さる古書店経営者の方のお話によりますと、乱歩の著書ではどうやら『陰獣』(昭和3年11月、博文館)がこの「三版即初版本」であるようで、長いことこの商売やってるけど『陰獣』の初版と再版だけは一度も見たことがない、乱歩邸の土蔵にも三版以降の版しか残っていないようだし、とのことでした。
 『陰獣』が「出版法に絡む発禁を虞」た出版社によって「三版即初版本」として刊行されたというのは、あり得ない話ではないと思われます。なにしろあんな内容ですし。とはいえ、現実に存在しない初版でも奥付にその存在が明記されているのですからそれを無視するわけには行きません。それにそもそも、初版と再版が存在しないという事実を証明することは不可能でしょう。
 ことほどさように奥付には泣かされてしまいます。とくによく泣かされるのが上記引用にも名の見えた春陽堂の奥付で、戦前戦後を一貫して現在に至るまで、春陽堂あるいは春陽堂書店は書誌屋泣かせのホームラン王として君臨しつづけております。いっそお見事、日本一。


●5月20日(火)
 それでは光文社版少年探偵江戸川乱歩全集に関して、『江戸川乱歩著書目録』解題に記すことができなかった些細なことがらをば。
 光文社版少年探偵江戸川乱歩全集は全二十三巻が刊行されましたが、全集の体裁を整えたのは全集7『透明怪人』(昭和26年12月20日)からで、それ以前の六巻は単行本または他の全集の一巻として発行され、のちに全集1から6としてリニューアルされました。それぞれの初刊本発行日をあげておきます(これはむろん光文社における初刊本、の意です。1から4までの本来の意味の初刊本は大日本雄弁会講談社から出ています)。

怪人二十面相  昭和22年6月5日
少年探偵団   昭和22年7月5日
妖怪博士    昭和23年4月20日
大金塊     昭和24年6月20日
青銅の魔人   昭和24年11月5日
虎の牙     昭和25年12月1日

 これら六巻の発行日は全集にリニューアルされた際も基本的には踏襲されているのですが、なかには妙な発行日になっているものもあります。名張市立図書館の蔵書に基づいて、全集版奥付の初版発行日をあげておきます(かっこ内が名張市立図書館の蔵書です)。

1 怪人二十面相
  昭和22年7月5日初版(昭和32年10月10日三十八版)
2 少年探偵団
  昭和22年7月5日初版(昭和32年10月10日三十九版)
3 妖怪博士
  昭和23年4月20日初版(昭和29年12月20日十八版)
4 大金塊
  昭和24年6月20日初版(昭和31年6月20日十七版)
5 青銅の魔人
  昭和24年6月20日初版(昭和31年4月5日十六版)
6 虎の牙
  昭和24年11月5日初版(昭和31年6月20日十四版)

 妙な発行日の代表は『虎の牙』で、少年探偵全集2として刊行されたのは昭和25年12月1日なのですが、少年探偵江戸川乱歩全集6は昭和24年11月5日に初版が発行されたことになっています。この作品が「少年」に連載されたのは昭和25年のことですから、前年の11月に本が出ていたはずはありません。きょうびのお子供衆ならきっと、ややこしやー、ややこしやー、と頭を抱えてしまうところでしょう。


●5月19日(月)
 さてお詫びの件ですが、一部の方にお約束しておきながら『江戸川乱歩著書目録』解題で果たすことができなかった光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告のご紹介、全二十三巻分に少年探偵団全集の三巻分あわせて二十六巻分を無事に転載し終えましたのにつづき、同じく光文社版少年探偵江戸川乱歩全集に関して解題に記すべくして記せなかったことを記しておきたいと思います。

K社とP社ではどちらがS堂か

 ところであなたは『江戸川乱歩著書目録』はいったいどうなっているのか、とお思いかもしれません。どうなっているのでしょうか。少し前、印刷屋さんに来てもらって、ここは半角ツメ、ここは行末一字アキ、これは行頭不可、この位置にハイフンはちょっと変、みたいな感じで組版のおかしな点を各個撃破いたしましたので、現在ただいまはその修正に大汗かいてもらっているところです。それにしても時間がかかりすぎだなという気がしないでもありませんが、とにかく焦らず落ち着いてじっくりやってくれとお願いしてあります。悠揚迫らず作業を進めてくれていることでしょう。もうしばらくお待ちください。
 ところで本サイトの「江戸川乱歩著書目録」ですが、少し前から集中的に更新のための作業をつづけ、しかしこんなことにばかり集中してたら廃人になってしまうかもしれないなと思われてもきましたので、とりあえずできあがったところまでをアップロードして、更新作業は一休みすることにいたしました。最新情報からお進みください。というか、このページをご覧いただきましょうか。

江戸川乱歩著書目録一覧

 刊本『江戸川乱歩著書目録』ができあがるころには、このインターネット上の「江戸川乱歩著書目録」もすべてアップロードを終えているはずです。インターネットの全文検索機能が刊本を補完してくれるであろうと目論んでいる次第。刊本には三十数ページに及ぶ索引を附してあるのですが、そのうえ全文検索ができるとなればかなり重宝していただけるのではないかと思っております。なお、刊本のレイアウトに準じて本サイト既掲載分の書式も新しくいたしましたので、それに伴って凡例も書き改めねばならぬところなのですが、いまだ果たせておりません。ご了承ください。
 といったところで本日はおしまいといたします。光文社版少年探偵江戸川乱歩全集に関して記すべきことの資料を見つけ出してこなければならぬということを、すっかり失念しておりました。やはり廃人に近づいているのかもしれません。


●5月18日(日)
 ようやっと起き出してきましたが、本日は体調がよろしくありません。またあした、ということで。


●5月17日(土)
 随筆評論のあとは少年ものについてですが、光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻に「怪人二十面相」をはじめとした少年ものが収録されるのかどうか、情報不足のせいでどうもよくわかりません。ポプラ社版全集が新刊でいくらでも入手可能ですから、今回の光文社文庫版に少年ものが採られなくても不思議ではないでしょう。
 全三十巻というキャパシティの面から考えますと、講談社の江戸川乱歩推理文庫は少年ものも収録して全六十五巻でしたが、かりに今度の光文社文庫版乱歩全集が同じ光文社文庫の山田風太郎ミステリー傑作選みたいに六百ページを超える恰幅のよさになるのであれば、一冊に江戸川乱歩推理文庫二冊分は楽に詰め込めるはずですから、全三十巻で少年ものまでカバーすることもあながち不可能ではないと思われます。
 しかし当節さして珍しくもなくなった分厚すぎる文庫本というのは、なんだか粋ではありませんから私は好みません。分厚い文庫本というのは「虚無への供物」みたいな特権的作品にのみ許されるべき特例であり、たらたらたらたら長々しいだけの当節のミステリ作品は二分冊三分冊四分冊で縮こまっていていただきたいものだ、いやいや、それ以前に当節のミステリ作家には小説作法の勉強をし直していただきたいものだ、とうっかり思ってしまいそうですが、私は当節のミステリ作品をめったに読みませんから実情はよく知りません。いや昔のミステリ作品だってほとんど読んでないわけですが。
 そんな自慢話はともかくとして、8月に刊行が開始される光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻には少年ものは含まれないのではないかというのが私の推測なのですが、もしも収録されるのであればかつての光文社版少年探偵江戸川乱歩全集を踏襲し、テキストもタイトルも初出初刊のものを採用して発表順に編成していただければ嬉しく思います。
 光文社版少年探偵江戸川乱歩全集、と記したところで、私はまたしても言い訳に入らねばならぬようです。


●5月16日(金)
 きのうの伝言に「乱歩が桃源社版全集でどのように斧鉞を加えのたか」という面妖な誤記がありました。どうもすいません。伝言録に収めるにあたって斧鉞を加えておきました。えー、斧鉞という言葉の意味がおわかりにならない方は勉強し直してきてください。
 さて光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻です。文庫版全集という点がちょっとがっかり、とのメールをくださった方もやはりいらっしゃるのですが、まあ致し方はないでしょう。これだけの出版不況です。新しい乱歩全集が出るだけでもまことにありがたいことだと思われます。
 たしかに文庫版全集というものは、たとえば中公文庫の折口信夫全集全三十一巻別巻一巻みたいなのが本来の形態、つまりいったん函入りハードカバーで出た全集がある時期に文庫化されて読者に提供されるというのが本来の形態であるべきなのですが、しかし考えてみれば当節の出版界には本来も外来も、ついでにいえば未来もないというのが実際のところなのかもしれません。
 ともあれいまは新しい乱歩全集のつつがない刊行を祈るのみなわけですが、ここで随筆評論に目を転じますと、新保博久さんは「現在ほとんど入手不能の評論随筆集も生前刊行された約10冊分に、未収録の重要なエッセイを加える」とお書きです。なるほど、いわれてみれば乱歩の評論随筆集はいつのまにかかなり入手不能になっております。
 講談社の江戸川乱歩推理文庫には未刊だったものも含め評論随筆が相当網羅されていたのですが(もっともあれは編集の杜撰さが目につく全集で、評論随筆でいえば同じ作品を重複して収録するなんてこともしてましたっけ)、いまではむろん入手不能。
 そのあと河出書房新社から文庫本で江戸川乱歩コレクション全六巻が刊行され、これは編者のセンスが光るテーマ別の随筆評論集で、少しずつでも増刷をつづけてくれれば乱歩ファンに重宝されるはずだと思われたのですが、あっというまに書店から消えてしまったという印象があります。
 ですから評論随筆に限っていえば、今回の光文社版全集は読者の久しい(久しいというほどでもないでしょうけど)渇を癒すものと呼べるのかもしれません。
 ではここで乱歩の随筆評論集、『探偵小説四十年』(昭和36年7月、桃源社)巻末の「江戸川乱歩既刊随筆評論集目録」から書名を引いておきましょう。

悪人志願(昭和4年6月)博文館
鬼の言葉(昭和11年5月)春秋社
幻影の城主(昭和22年2月)かもめ書房
随筆探偵小説(昭和22年8月)清流社
幻影城(昭和26年5月)岩谷書店
続・幻影城(昭和29年6月)早川書房
探偵小説三十年(昭和29年11月)岩谷書店
探偵小説の「謎」(昭和31年8月)社会思想研究会出版部
海外探偵小説作家と作品(昭和32年4月)早川書房
わが夢と真実(昭和32年8月)東京創元社
乱歩随筆(昭和35年7月)青蛙房

 このあとが『探偵小説四十年』、つづいて昭和38年10月に『彼・幻影の城』が刊行されます。


●5月15日(木)

 いよいよそのアウトラインが明らかになった光文社文庫版江戸川乱歩全集ですが、いやまいったな文庫版かよ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。私もそう思います。かつて中島河太郎先生も、文庫版の全集というのはどうもいただけない、みたいなことをどこかにお書きになっていらっしゃいましたし。しかし、乱歩という作家の圧倒的なポピュラリティを考え合わせるならば、むしろ文庫版全集こそがふさわしいのではないかと思い直すことにしておきましょう。
 今回の全集の最大の特徴は、新保博久さんもお書きのとおり「戦後に乱歩が書き直した版でなく、初版に近い形で提供する」点、つまり乱歩作品を桃源社版全集の呪縛から解き放つ点に認めることができます。呪縛といってしまっては大袈裟ですが、桃源社版全集は乱歩みずから校訂を行って加筆訂正を施したことからいわば定本と見倣され、乱歩没後の著作では桃源社版全集を底本とすることが一般的でした。
 ですからたとえば「盲獣」では、乱歩の校訂によってばっさり削られた「鎌倉ハム大安売」の章は桃源社版全集に基づく版では読むことができないという事態に至っていたのですが、今回の全集ではこの弊が改められることになり、いや弊といってしまうのも大袈裟ですが、とにかく桃源社版全集に依拠しないのはひとつの英断であると判断されます。
 したがって読者は、この新しい全集と創元推理文庫や角川文庫やちくま文庫の乱歩作品とを読み較べることで、乱歩が桃源社版全集でどのように斧鉞を加えたのか、校訂の内容を具体的に知ることができます。そんなこと別に知りたくもない、とおっしゃる読者には、いっそ奇怪な変異種とでも呼ぶべき本文を収めた春陽文庫をお薦めしておきましょうか。乱歩は一冊だけでいい、という方は新潮文庫をどうぞ。
 と乱歩作品収録文庫出版各社の顔をそつなく立てまくってみた次第ですが、ここで中島河太郎先生が乱歩全集について述べられたところを
江戸川乱歩推理文庫65『乱歩年譜著作目録集成』(1989年5月、講談社)の「乱歩と私」から引いておきます。

 私は先生の没後、三度の全集に関与した。昭和四十四、四十五年の全集は、松本清張、三島由紀夫両氏と三人が編集委員に名を連ねたが名目だけであった。二度目の昭和五十三、五十四年の分は決定版と銘うって、十五巻を二十五巻に増やした。講談社の湯浅氏が担当したが、評論・随筆や少年物の選定の相談にあずかった。
 今回の「江戸川乱歩推理文庫」は、三度目だけに全業績を網羅しようと思いたった。しかし、実際衝に当ってみると、内容の重複したものが多く、割愛するほうが却って著者の意に添うと思ったものは省いた。少年物はすべて収めたが、幼年物は一篇しか採らなかったのもそのためである。
 版元は「完璧網羅」と宣伝したが、文庫普及版の形式をとると、写真の全収録が不可能であり、索引も省かざるを得なかった。故人の志に背くこと万々で、これがいかにも心残りである。写真の多くを欠いた「探偵小説四十年」など、複刻本を拵えるつもりだが、いろいろ顕彰の方法を考えて罪ほろぼしをしなければならない。

 A Glimpse of Rampo
 モノ物語 アドバルーン:西上心太
紙名:毎日新聞東京版/2003年5月11日/毎日新聞東京本社
 その流行歌に先立つ昭和5年、江戸川乱歩は報知新聞連載の『吸血鬼』(創元推理文庫他)で、アドバルーンを実に派手な場面に登場させている。両国の旧国技館の屋上から、警官隊に追われた悪漢が、空高くアドバルーンにぶら下がり、隅田川の河口付近まで逃亡するのである。
 後年、乱歩の少年物やパロディなどで何度も使われることになる〈あの手〉は、実にこの時までさかのぼるのであった。
○こまさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月14日(水)
 いやどうもお騒がせをいたしました。きのう発売の光文社文庫、読者諸兄姉はお買い求めになられましたか。あ。ミステリー文学資料館編『「探偵実話」傑作選 甦る推理雑誌6』を購入なさった。いや結構結構。
 挟み込みのチラシにちゃんと掲載されておりましたですね、新保博久さんの「シンポ教授のミステリー・カルト道場」、今回のタイトルは「光文社文庫より『江戸川乱歩全集』全30巻刊行開始」でした。これが光文社文庫版江戸川乱歩全集の正式なアナウンス第一弾です。
 で要するに今月の光文社文庫、奥付の発行日は5月20日、実際の発売日は5月13日だったというわけで、奥付の発行日に向かってカウントダウンしていた私はなんと間抜けであったのでしょう。
 さっそく嬉々として引きましょう。

8月から光文社文庫で江戸川乱歩全集全30巻がスタートする。合作・代作を除く全小説を網羅、現在ほとんど入手不能の評論随筆集も生前刊行された約10冊分に、未収録の重要なエッセイを加える。戦後に乱歩が書き直した版でなく、初版に近い形で提供するのが特徴。監修は、本紙でおなじみヤママエ博士と私。刮目して待たれよ。

 といった次第で新保博久さんと山前譲さんの監修による光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻、いよいよ8月に配本が開始されます。私の睨んだところでは、第一回配本分はおそらく奥付の発行日が8月20日で実際の発売日は8月13日。嬉しさのあまり、あしたからまたカウントダウンしてしまいそうな私です。

 A Glimpse of Rampo
 解説 トリックで読み解く上方落語:芦辺拓
書名:上方落語 桂米朝コレクション6 事件発生/著:桂米朝、企画・編集:中野晴行/2003年5月7日第一刷/筑摩書房、ちくま文庫/p. 317
 
江戸川乱歩氏の「類別トリック集成」は、探偵小説のトリックを「犯人(又は被害者)の人間に関するトリック」「犯人が現場に出入りした痕跡についてのトリック」「犯行の時間に関するトリック」「凶器と毒物に関するトリック」などに分類していますが、本書巻頭の「らくだ」は死体の移動とすりかえを扱っている点で、まさに分類表筆頭の「人間に関するトリック」テーマの作品と言えるでしょう。


●5月13日(火)
 七
 七、とは記しましたものの、このカウントダウンはもしかしたら間違っているかもしれません。私にはもう何が何やら訳がわからなくなってしまいました。

奥方様、光文社から全集です

 ここで手の内を明かしてしまいますと、光文社文庫版江戸川乱歩全集に関する告知が5月20日発売の光文社文庫に挟み込まれる「文庫のしおり」に掲載される、と私は聞き及んでおりました。
 ですから今月20日をXデーとしたカウントダウンをつづけてきた次第ですが、けさの新聞には光文社文庫の新刊広告が掲載されていて、ミステリー文学資料館編『「探偵実話」傑作選 甦る推理雑誌6』をはじめとしたラインナップが披露されています。
 これはしたり、と思って光文社のホームページを覗いてみますと、たしかに『「探偵実話」傑作選』をはじめとした今月の新刊は「2003年5月13日(火)発売」と記されています。
 それならXデーはきょうなのかな、と無責任なことしか申しあげられない私をどうかお許しください奥方様。お許しいただいたうえで本屋さんに足を運び、『「探偵実話」傑作選』の一冊も購入して「文庫のしおり」を隅から隅までご覧いただければ、ことの白黒ははっきりするはずです。私も本屋さんに行かなければ。
 以上、もしかしたらガセネタだったかもしれない一件に関するお詫びとお知らせでした。以下、完全にガセネタだった一件に関するお詫びとお知らせとなります。
 圧倒的な世代的共感をお寄せいただきながら昨日無事完結したはずの光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告ですが、「23 鉄人Q」以降にも広告文が存在することを掲示板「人外境だより」への古本まゆさんのご投稿でご教示いただきました。
 これはしたり。あれがあったか。やんぬるかな。
 光文社の少年探偵江戸川乱歩全集は昭和36年に少年探偵団全集としてリニューアルが開始され、しかし結局五巻を出しただけで中絶、昭和39年になってポプラ社版少年探偵江戸川乱歩全集の刊行がスタートするわけですが、その中絶版全集には当時連載中だったものも含め既発表全作品の紹介文が収録されていたという寸法です。
 そんなこととはつゆ知らずいい加減なこと書き散らしていた私をどうかお許しください奥方様。お許しをいただいたうえで古本まゆさんからご投稿いただいた広告文を一挙三点、掲載いたします。底本は少年探偵団全集1『怪人二十面相』(昭和36年12月10日、光文社)。

24 電人M

次郎君はそれを見ると、ギョッとしてうごけなくなってしまいました。そいつは、おとなの一倍半もある、まっ黒な、でっかいやつでした。鼻も口もなく、顔はガラスのようにすきとおっていて、顔の中に小さな機械が、ウジャウジャかたまっているのです。

 古本まゆさんからはおそらく底本の組みどおり、添えられた挿絵のスペースを空けたご投稿をいただきましたが、ここでは文章をたらたら流して掲載しております。

25 妖星人R

部屋のかべが、ゆらゆらと動いているのです。R怪人の魔法にかかっているのでしょうか? いや、目を近づけてよく見ると、そうではありません。なにか小さなものが、数しれずひしめきあっているのです。「あっ、カニだっ」井上君はさけびました。

 昭和36年発表のこの「妖星人R」では、明智探偵と二十面相の分身の術合戦が印象的です。忍法ブームを先取りするものであったかもしれません。あ。また奥方様に叱られそうないい加減なことを書いてしまったかもしれません。

26 超人ニコラ

予告
いま、雑誌「少年」に連載されています。とてもすごい人気で読まれています。
これが、立派な本になって、本屋さんにならぶのも、もうすぐです。ご期待ください。

 ところがどうした理由からか乱歩と光文社との縁は切れ、もうすぐ本屋さんに並ぶはずだった「超人ニコラ」が「黄金の怪獣」と改題されてポプラ社から刊行されるのは、この予告から九年の日月を閲した昭和45年11月のこととなります。
 その光文社と乱歩のえにしがふたたびここに結ばれて、光文社から文庫版乱歩全集が刊行されようとしているのですから、縁は異なもの味なもの、田舎の道は遠いもの、と申しあげるしかありません。
 それでは古本まゆさんに深甚なる謝意を表しつつ、はたまたうちつづいたガセネタに関するお詫びを申しあげつつ、さらには奥方様のご多幸ご健勝を心から祈念しつつ、本日はこのへんでおいとまをいたします。


●5月12日(月)
 八
 とっとと行ってしまいましょう。

22 仮面の恐怖王

黄金の魔術師、黄金仮面の怪人は、ついに東京の映画館にもあらわれたのです。スクリーンいっぱいに仮面があらわれたと思うと、その三日月形の口からぶきみな血が流れだしました。もう見物人は逃げまどうばかりでしたが、そのときわれらの少年探偵団員は…。

 いよいよ最後は「鉄人Q」です。
 これ以降に乱歩が連載した「電人M」「おれは二十面相だ」「妖星人R」「超人ニコラ」の四作は、光文社ではなくてポプラ社から出版されましたから、こうした広告文は存在していません。なお、上記四作のうち三作は初刊時に改題され、「おれは二十面相だ」は「二十面相の呪い」、「妖星人R」は「空飛ぶ二十面相」、「超人ニコラ」は「黄金の怪獣」となります。改題はおそらく出版者側の意向に基づくものだったろうと推測されますが、たしかなところは不明です。

23 鉄人Q

ふしぎなロボット、鉄の怪人Q。それは、歩いたりものをいったりするほかに、算数までできるのです。顔には絵具をぬって、ほんとうの人間とまるで見分けがつきません。ところが、この鉄人Qが二人あらわれたのです。さあ、たいへん! だれかが鉄人に化けているのです。

 以上、少年探偵江戸川乱歩全集23『鉄人Q』(昭和35年9月10日初版、光文社)の巻末に掲載された広告文をご紹介してまいりましたが、こうして広告文を書き写しているだけでも、少年ものには乱歩の作家的本質がまったく無防備に露呈されているのではないかという気がしてきます。乱歩の少年ものが長く読み継がれている理由のひとつもまた、そのへんに認めることができるのかもしれません。


●5月11日(日)
 九
 お約束どおり「九」となりました。いやそれにしても莫迦なこと始めちゃって、とほんとに思います。「魔術師」に準じて「十四」からカウントを開始したものですから、二週間にも及ぶいわゆる引きにこちらが耐えられなくなってきた感じです。
 五月雨こらえきれずにもらすひとこと。うっかり白状できたらさぞやすっきりするだろうな、と思いながら試みに早さが取り柄の検索エンジンフレッシュアイで検索してみたところ、なんと「ミステリー' Z」というホームページの新刊予告コーナー「Books News3」に、

7月以降 & 刊行時期未定 近刊情報
06/〜 江戸川乱歩全集 全15巻 新保博久 山前譲監修 光文社文庫
http://www.mystery-z.com/bookn03.htm

 との告知が掲載されていました。なんだ。すでに情報が漏れております。
 それならば多少は安んじてちらっと打ち明けてしまいますが、この光文社の乱歩全集に関しては今月20日、正式に告知されることになっております。それまでは秘密となっております。といったことを聞き及んだ私は乱歩全集刊行の朗報を黙っていることができず、しかし20日の解禁日まで公言するわけには行きませんから、ふと思いついて解禁までのカウントダウンをおっ始めるという挙に出てしまった次第ですが、われながら莫迦というかお調子者というか年甲斐もなくというか。いい加減にしないといけません。
 と、とりあえず胸の閊えを軽減し得たところで、さらにカウントはつづきます。あしたはきっと「八」でしょう。

21 塔上の奇術師

血のような夕焼空にそびえる奇妙な西洋館。ぜんたいが赤レンガの二階屋根の上には大きな時計塔が立っているのです。なにげなく時計塔を見上げたトシ子さんは、アッと叫びました。塔の上で巨大なコウモリ男がニヤニヤ笑っているではありませんか…。

 ところで「四十面相」、あなたはこれをどのようにお読みでしょうか。「よんじゅうめんそう」でしょうか、「しじゅうめんそう」でしょうか。私は長く「よんじゅうめんそう」と読んでいたのですが、乱歩自身は「しじゅうめんそう」と読んでいたらしいということを、ごく最近になってある方から教えていただきました。
 根拠は「塔上の奇術師」に見られる次の会話です。

 「なにをばかなことをいっているのだ。さあ、名のりたまえ。」
 「じゃあ。名のりましょう。びっくりしないように気をおちつけて聞いてください。ぼくはね、カイジンシジュウメンソウです。
 ハハハハ……、そうらごらんなさい。あなたは、びっくりして、口もきけないじゃありませんか。……では、あすの晩の十時ですよ。さようなら。」

 まあどっちだっていいわけですが、乱歩の世代では「四十」を「しじゅう」と読むのが一般的だったのかもしれません。となると、乱歩自身は「探偵小説四十年」をいったいどう読んでいたのか。
 なお、「塔上の奇術師」の引用
は江戸川乱歩推理文庫40(昭和63年7月、講談社)に拠りました。

 A Glimpse of Rampo
 「近代茶寮歌」の頃:城左門
誌名:日夏耿之介全集月報4/昭和49年12月/河出書房新社、日夏耿之介全集第三巻『明治大正詩史』(1975年1月20日初版、1991年11月30日二版)/p. 3
 
先生は、古往今來、洋の東西を問わず、恠異譚に通じて居られましたが、ある折、幽靈の存在を信じるかね、君は? と訊かれ、在ると云われたら無いと答え、無いと云ったら在ると云います、と、首鼠兩端を持したところ、狡いよ、そんなのは、と笑われました。
 思うに、先生は、魑魅魍魎を愛し、幽靈肯定の側に立たれていたようです。ずっと後のことですが、江戸川亂歩の「怪談入門」を、よく讀んでいると褒めて居られました。

○ほりごたつさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月10日(土)
 十
 なんだか引っ込みがつかなくなってしまいました。毎日冒頭に記している数字のことです。最初が「五月二十日」、そのあと「十四」「十三」「十二」「十一」「十」とつづいているのですから、ははあ、「魔術師」にあった殺人予告のパクリだな、とあなたはとっくにお気づきでしょう。ご明察。まさにそのとおりなのですが、なんか勿体つけてこんな子供みたいなことをしているのが気恥ずかしくなってきました。まあ致し方ありません。あしたはきっと「九」でしょう。

19 夜光人間

夜光人間! まさに夜光人間です。怪物の全身は後光のように光かがやいているのです。と突然、銀色怪人はワッハハ、ワッハハ、と笑いだしたのです。燃えるようなまっ赤な口! 森じゅうに響く笑い声! しかも、怪人の光るからだはスウーッと地面をはなれ宙に…

 さて二十面相か四十面相か。その後の経緯を見てみましょう。作品の地の文でどちらの呼称が使用されているかといいますと、

黄金豹       二十面相
妖人ゴング     二十面相
魔法人形      二十面相
サーカスの怪人   二十面相
奇面城の秘密    四十面相
夜光人間      四十面相
塔上の奇術師    四十面相
鉄人Q       二十面相
仮面の恐怖王    二十面相
電人M       二十面相
おれは二十面相だ  二十面相
妖星人R      二十面相
超人ニコラ     二十面相

 といった感じになっております。呼び名の選択に関して、これといった法則性は見出せません。

20 奇面城の秘密

そのとき美術室の中では、、世にもふしぎなことが起こっていたのです。ああ、ごらんなさい。かのアドニスの巨大な像がかすかにゆれているではありませんか。石膏像が生きて動きだしたのです。やがて像がくずれはじめたかと思うと、アッ、中から黒い怪人が…。

 怒濤の勢いでお送りしております光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告、いよいよ残り三作となりました。


●5月9日(金)
 十一
 きょうもあっさり済ませます。

17 サーカスの怪人

「そこにいるのはだれ?」女曲芸師ハルミが叫びますと、男はヒョイとこちらを向きました。ああ、その顔! 目が真黒な大きな穴になっていて、鼻も三角の黒い穴、唇のないむき出しの歯。たしかに、あいつです! 骸骨紳士です。サーカス団をねらう怪人です!

 じつにあっさり、淡泊そのもの。

18 魔法人形

「わしは、魔法使いのような発明家だよ。ふしぎな薬を発明したんだよ。この薬を注射すると、人間の体はだんだんかたくなって、人形になってしまうのだよ。おい、小林君、どうだ、きみも人形になりたくはないかね。」怪老人はぶきみにささやくのでした……。

 もうおしまいです。

 A Glimpse of Rampo
 私の大阪八景:田辺聖子
書名:私の大阪八景/著:田辺聖子/2000年12月15日第一刷/岩波書店、岩波現代文庫/p. 9〔その一 民のカマド〈福島界隈〉〕/親本:1965年、文藝春秋新社
よむ本は棚の上にある叔父ちゃんの〈新青年〉や〈江戸川乱歩全集〉の金ぴかにクモの絵のついた本をぬすみよみする。乱歩のは一冊めは面白いが、あとは見世場、見世場がみんな似たりよったりで、案外つまらない。


●5月8日(木)
 十二
 本日はあまり時間がありません。さっそく参ります。

15 黄金豹

「黄金豹」東京にあらわる! ただの豹が町にあらわれただけでも大さわぎなのに、これは金色にかがやく、ふしぎな豹なのです。しかもそいつは、忍術使いのように自由に消えてしまうのです。もう東京都民は、おちおち眠ることもできなくなりました。

 結構結構。黄金豹が怖いのなら、子供ら朝になるまで慄えつづけろ! といったところでしょうか。

16 妖人ゴング

百メートル四方もあるような、とほうもない巨大な悪魔の顔が、東京の夜空いっぱいにひろがって、ニヤニヤ笑っているのです。そして、ウワン、ウワンとあのニコライ堂の鐘のような笑い声……、ぶきみな夜空の怪事件についで、つぎつぎ、怪事件がつづくのでした。

 それではこのへんで。

 A Glimpse of Rampo
 偽装魔:夢座海二
書名:魔の怪/編:志村有弘/2002年11月15日初版/勉誠出版/p. 103/初出:「探偵倶楽部」1956年6月号
 
「柴崎?……聞いたような名前だなア」
 「その柴崎と宇部さんは新橋のトリス・バー「乱歩」での飲み友達だと言うんですよ。宇部さんはそれだけの関係だと言って、来た刑事に弁解していましたが……」

○宮澤@探偵小説頁さんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月7日(水)
 十三
 しかしよく考えてみますと、功名心に駆られて大人の鼻をあかそうとする嫌味な子供たちの集団が少年探偵団だったわけですから、連載途中で少年読者にトリックと犯人を当てられてしまった乱歩先生は、むしろもって瞑するべきなのかもしれません。乱歩はとっくの昔に瞑しているわけですが。
 私の場合ですとあんな子供たちの相手をするのは本当に願い下げなのですが、その点怪人二十面相はよくもあれほど飽きることなく(まさにこの「飽きることなく」というのがお子供衆の相手をして成功するための秘訣なのですが)、それにまた心から本気で少年探偵団の相手ができたものだと感心してしまいます(まさにこの「心から本気で」というのが、やはりお子供衆の相手をするときの秘訣であるのですが)。

13 天空の魔人

巨人の腕は、動物や人間をさらったばかりでなく、こんどはあの大きな貨物列車を雲の上へつかみ上げていったのです。キングコングやゴジラは飛行機や電車をつかみましたが、するとこの巨人の腕も、あの怪獣と同じ力を持っているのでしょうか?

 ところでわれらが怪人二十面相、「怪奇四十面相」で四十面相と改名したものの、いつのまにかまた二十面相に戻ってしまいます。
 その経緯をたどってみますと、「怪奇四十面相」につづく「宇宙怪人」では四十面相のままでしたが、次の「鉄塔の怪人」で早くも二十面相に逆戻り。つまり地の文で二十面相という呼称が使用されて、わずかに明智先生が、

 「怪人二十面相! それとも、四十面相とよんだほうが、お気にめすのかい。〔以下略〕

 と改名への配慮を見せている次第です。その次の「海底の魔術師」も地の文は二十面相ですが、

 「二十面相だ! やっぱりきみだったねえ。」
 懐中電灯の光の中に、あらわれたのは、怪人二十面相、あるいは怪人四十面相の、見おぼえのある顔のひとつでした。それが、ほんとうの顔かどうかは、わかりませんが、まえの事件のとき、一度見たことのある顔でした。

 との描写が見られ、四十面相への改名はどうにも煩わしい結果を招いてしまったみたいです。

14 魔法博士

魔法の国の“胎内めぐり”とは? 三人の少年は、とつじょ巨人の口に吸いこまれてしまったのです。食道がビニールのようにすきとおっていて、巨大な心臓がすきとおって見えるのです。ああ、その恐ろしさ! でも、もう逃げだすこともできないのです。

 ところが「灰色の巨人」に至ると、またしても四十面相が涙のカムバック。地の文で四十面相という呼び名がつかわれ、

四十の顔をもつという男ですから、どれがほんとうの顔かわかりませんが、それは四十面相のひとつに、ちがいなかったのです。

 と説明されて、このまま四十面相で行くのかなと思わせるものの、次に控えた「魔法博士」ではまた二十面相がぶり返し、地の文は二十面相、ただし明智先生は例によって例の気配りを見せて、

 「魔法博士! きみが何者だか、ぼくが知らないとでも思っているのか。ぼくに、これほどのうらみをもっているやつは、ほかにはいない。きみは、二十面相だっ! それとも四十面相と呼んだほうがいいのか。〔以下略〕

 となんだかまどろっこしい啖呵を切っている始末。ま、どうだっていいようなことなのですが。
 なお、「海底の魔術師」「灰色の巨人」「魔法博士」の引用は江戸川乱歩推理文庫34・35・36(昭和63年2月・3月、講談社)に拠りました。

 A Glimpse of Rampo
 数学のよどみにて(1) あすなろ数学エッセイ:河田直樹
誌名:理系への数学/2002年12月号(35巻13号)/2002年12月1日/現代数学社/p. 64
そこで繙かれるさまざまなエピソードは、真夏の宇宙に群がるおびただしい天体のように懐かしく、時には蠱惑的でさえあった。それは、「幼少の頃、たとえば覚束ない夕暮れ時の戸外で、脇明けに手を入れて、ひとり佇んでいる折などに、我身のふとももの内側同士が擦れ合う感触に、なにか遠い天体に通じるような、それとも『死』を思わせるような、甘い、遣るかたのない寂寥の念(稲垣足穂が『少年愛の美学』で紹介している江戸川乱歩の回想)」を伴うような「存在」への得もいえぬ懐かしさと言ってもいいだろう。
○宮澤@探偵小説頁さんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月6日(火)
 十四

朝になるまで慄えつづけろ

 眉村卓さんの「エイやん」を主題としたインテルメッツォが終わりを告げました。光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告の世界に戻りましょう。

11 海底の魔術師

リンのように青く光る目、耳までさけた口、ニューッとつき出た牙…鉄のすれあうようなぶきみな声、世にもおそろしい「海底の魔人」はついに、日本に上陸し、東京にその姿をあらわしました。ここに明智探偵、小林少年と魔人との海陸にわたる大闘争は開始されました。

 乱歩が月刊誌「少年」に「透明怪人」を連載していた昭和26年、「探偵作家クラブ会報」の4月号に「譚海」編集長だった高瀬武通が「少年少女探偵小説について」という一文を寄せました。

 私は少年雑誌をまだ半年ほどしか編集しておりませんが、水谷さんから表題の如き御下命を受けたので、感想を述べます。

 に始まって(「水谷さん」とあるのは、会報の編集担当だった水谷準を指します)、編集者の立場から少年ものの執筆作法を明かした文章です。列記されたポイントを抜粋しますと、

《視覚に訴える文学ということ》 少年少女小説の本質は、なによりも“視覚にうったえる文学”です。つまり、挿絵になる場面の多い、或は、挿絵になりやすいアウター・キャラクターを持つ主人公の登場する小説です。探偵小説もその例外ではありえません。〔以下略〕

 以下、非常な好評だったという島田一男の「黄金孔雀」を例にとって、視覚的効果の重要性が説かれます。つづいては、

《スピードということ》 読書力が驚く程低下し、その上、スピーディなアメリカ映画を見なれた子供は、小説にもスピードを要求します。そこで、必然的に、ダイアローグとアクションの連続ということになります。客観描写は、二十字詰五行以上は原則として、御法度です。〔以下略〕

 たいへん具体的なアドバイスです。ところで子供というものは、いつの時代にも「読書力が驚く程低下し」てしまっているもののようです。

《漢字不感症ということ》 少年少女たちは、漢字に対する語感が全然ないと云ってもよいほどです。〔以下略〕

《合理性ということ》 探偵小説にとって、合理性は生命でありましょうが、子供ものの場合も同様です。子供の心には、飛躍する空想家と、徹底した現実主義者がとなり合せにすんでいます。ロジックの変な作品を読むとその現実主義者が申します。「あんまり、馬鹿にしないでね」と。

 無知だ蒙昧だ鈍感だと子供を莫迦にしているのはいったい誰なんだ、と思うまもなく次の段落にはこんな記述が。

 乱歩先生の「透明怪人」(雑誌「少年」所載)のトリックと犯人を推理し、ピタリとあてた手紙が、少年から、先生のところに来ているぐらいです。

 この段落にはどういう意図があるのでしょうか。子供でも合理的に推理を進めればトリックと犯人を当てることが可能である、子供を侮るべからず、ということがいいたいのか、それとも「透明怪人」がいかにも子供騙しで少年読者からも「あんまり、馬鹿にしないでね」と苦言を呈されている、という事実を指摘したいのか。
 いずれにしてもなんとも嫌味なガキがいたもんです。乱歩先生に励ましのおたよりを出したくなってきました。

12 灰色の巨人

こわかったよ。ぼくがその坂をのぼっていった。すると坂のてっぺんに沈みかけている夕日を前に、恐ろしい大きなやつと赤んぼみたいな小人が並んで立っていた。顔だけ大人で、体は赤んぼの小人の気味わるさといったら……。巨人と小人は何者でしょう?

 夕陽を背負って坂の上に立つ巨人と小人。まさしく視覚に訴えてくるシーンです。忍び寄る黄昏が恐怖心をあおり立てます。巨人と小人は何者でしょう、と尋ねられたよい子のみなさんは、はい、きっと怪人二十面相とその手下だと思います、なんて嫌味なことばっかいってないで、このシーンにひたすら戦慄するように。
 なお、「探偵作家クラブ会報」の引用は日本推理作家協会編『探偵作家クラブ会報(第1号〜第50号)』(1990年6月、柏書房)に拠りました。

 A Glimpse of Rampo
 昭和三十年代、東京:種村季弘、川本三郎(対談)
書名:東京迷宮考 種村季弘対談集/著:種村季弘ほか/2001年11月15日第一刷/青土社/p. 182/初出:「東京人」1994年8月号
種村 〔略〕
 作家がよく外に出ていたんでしょうね。石川淳は四回くらい歩いているのを見たことがありますよ。江戸川乱歩も見かけたことがあります。

 まさにグリンプス、といったところで。


●5月5日(月)
 五月二十日
 なんだかしつこいようですが、ものはついでと申します。……痴楽綴方教室みたいにリズミカルな出だしになってしまいましたが、ついでですから眉村卓さんの話題をもうひとつだけ。
 三重県上野市で発行されている雑誌「伊賀百筆」11号(平成15年3月1日、伊賀百筆編集委員会)に掲載された華房良輔さんの回想記風エッセイ「有名人なりそこないの記──昔の話で恐縮ですが」に、華房さんの若き日の友人のひとりとしてちらっと眉村さんが登場いたします。
 華房さんって誰? とおっしゃるあなたのために、同誌掲載の紹介文から一部を引きますと、

一九三〇年、大阪生まれ。日本大学を中退後、日雇労務者、人形劇演出家、放送作家などを経て、90年伊賀に移り住み農業を楽しむ。

 といったことになるのですが、私には往年の深夜番組「11PM」大阪版の構成作家としての印象が強く残っております。「11PM」なんていったってお若い衆お子供衆は全然ご存じないでしょうけど、圧倒的な世代的共感をお寄せいただける方もまたいらっしゃることでしょう(最近は何かというとこんな話ですが)。要するにシャバダバシャバダバなわけなんです。
 野坂昭如さんの快作『文壇』巻末の登場人物一覧表には華房さんの名も出ていたのですが、その『文壇』がどこにあるのかがわからなくなっておりますので、引用することができません。そういえばあの一覧表には澁澤龍彦が酒乱だったか大酒乱だったか、とにかくそんなふうなことが書かれていて、私はへーえと思いました。
 では、「有名人なりそこないの記──昔の話で恐縮ですが」から。

 眉村さんの奥さんは、明るいだけでなく、笑い方もオホホと上品だった。昨年、亡くなられた。彼女は数年来、ガンと闘っていたのである。眉村さんは彼女のために、毎日欠かさず、一日一話のショートショートを書きつづけ、奥さんの枕元でそれを読んだ。深い愛情と、凄い才能の結晶だ。オレにはできない。
 60年前後、オレは大阪のうたごえ喫茶で歌手をやっていた。その店で、毎日シェーカーを振っていたバーテンが、若き日の眉村卓さん。もっとも、オレは「芸術家」だったから、バーテン風情を見下して、彼がのちにそんな大人物になるとは想像もできず、あいさつ以上の会話はしなかった。いまはオレ、眉村さんを尊敬している。

 ちなみに申し添えますと、拙宅の番犬、母方に遠くロシアの血を引くニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンがこれまでにただひとり咬みついた人間が、誰あろうこの華房良輔さんでした。うちの犬はきわめて性格が悪く、そのうえ酔っぱらいが大嫌いみたいです。どちらさまもご注意ください。


●5月4日(日)
 さて、眉村卓さんの新作「エイやん」についてちらほら記してまいりましたが、読者諸兄姉はどうして私がいきなりこの作品をとりあげ、感想めいたものを書き始めたのかと不審にお思いかもしれません。ま、たいした理由はありません。以前「人外境だより」に書き散らしたことを再度書いてみたまでのことです。
 さすがに「文学」などという言葉が出てきたときには思わず悶絶しそうになりましたが、なんとかことなきを得て胸をなでおろしました。文学というどこかことごとしい言葉を使用するのはいくつになっても気恥ずかしいものですが、これは眉村作品が有する文字どおりの文学性によって必然的に導き出された言葉であるとご了解ください。
 それから私は、「エイやん」に見られるSF小説としての結構やホラー小説としての側面に触れることをまったくしませんでした。これはいまの私がそうした小説の分類にあまり興味を覚えていないという以上に、「エイやん」を一読したあとでふと、眉村さんの作品をジャンルから解放して戦後文学(まーた文学ですが)の流れに位置づけてみるとどうなるのか、みたいなことに思い至ったことによっているのかもしれません。
 といっても、たとえば昭和5年生まれの山川方夫と昭和9年生まれの眉村さんとのあいだには何かしら類縁のようなものが感じられるのではないか、といったきわめてぼんやりした印象を抱いたにすぎないのですが、これはなかなか興味深いテーマであるようにも思われます。思われたからってどうなるわけでもないのですが。
 ではここで、いまさら紹介の要などないことながら、「エイやん」が掲載された大熊宏俊さんによる眉村さん応援サイトをご案内。

とべ、クマゴロー!


●5月3日(土)
 まずお詫びです。昨日掲載した「番犬情報」と「最新情報」で、「『新青年』趣味」第10号を誤って第11号と記しておりました。どうも申し訳ありません。誤記は訂しておきました。それにしても私はいったいどうしたのでしょう。精密機械にも類えられる私の脳髄にどんな異変が起きてこんな誤作動が生じたのでしょう。もしかしたらあれか。悪い電磁波の影響か。電磁波防御のための白装束が必要かもしれません。

 A Glimpse of Rampo
 昔恋しい:澤村藤十郎
誌名:銀座百点/573号/2002年8月1日/銀座百店会/p. 54
 
忘れもしないのは、江戸川乱歩先生の河内山宗俊。この役は最後に「馬鹿め」って言いますが、咄嗟には言えないのでコノヤロメ、コノヤロメと悔しいことを必死に思い出して「馬鹿め」って言うんだっておっしゃってた。
○やよいさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月2日(金)
 眉村卓さんの「エイやん」は、昨年5月28日に逝去された奥さんの遺影に、五年にわたって書きつづけられた「一日一話」の特別版として捧げられたものだろうと思われます。
 といったところで、インターネット上に見つけた関連記事を引用しておきましょう。まずは毎日新聞のホームページから二本ばかり。

 SF作家・眉村卓さんの妻が死去
 闘病励ます一日一話、1778話で完

 「闘病中の連れ合いが元気になれば」と、妻のために毎日、ショートショートを書き続けてきたSF作家の眉村卓さん(67)。その妻の村上悦子(むらかみ・えつこ)さんが28日午前、大阪市内の病院で亡くなった。67歳だった。28日の第1778話で「最終回」を迎える。
http://www.mainichi.co.jp/women/news/200205/29-1.html

 通夜 眉村卓さん夫人の死悼み
 ショートショートを集めた本「日課・一日3枚以上」の自費出版を支えた真生印刷堺工場長の田中勇さん(69)は「当初は『3カ月もつかどうか』と聞いていた。5年間も持ちこたえさせたのは、眉村さんの熱意とそれに応えようとした奥さんの思い。眉村さんは工場に来ても、帰りには『妻と一緒に食事するから』といつも買い物に立ち寄っていました」と思い出を語った。
http://www.mainichi.co.jp/women/news/200205/30-1.html

 読売新聞のホームページにはこんなインタビュー記事がありました。

 書き続けたショートショート
 妻のために書き続けたわけですが、書いているうちに自分自身への励ましにもなってきました。娘に「小説はお父さんの逃避行為。自分への励ましだ」と言われたけど、そういう要素は確かにあった。読むのが妻の負担になっていた印象もあります。しかし、欠かせない夫婦の儀式でもあったのです。
 最後、妻の意識がなくなってからも書いては枕元で読みました。妻が亡くなり、1日3枚以上書くという義務がなくなってみると、さびしい気持ちがして、やはり、ある意味、自分のために書いていたなと思います。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/note/20021124sp01.htm

 これはリンクも掲げておきましょう。

ケアノート 介護する人が語る実体験

 本日はこんなところで。

 A Glimpse of Rampo
 トリックとオチ:戸川昌子
書名:猟人日記/著:戸川昌子/1993年7月10日第一刷/出版芸術社、ミステリ名作館/p. 250
 
『猟人日記』を書いたとき、まさか世界中でこの本が読まれるなどとは夢にも思っていなかった。これは江戸川乱歩賞を受賞した『大いなる幻影』の、受賞第二作として一年がかりで書いたものである。恩師の江戸川乱歩先生に、及第点をつけていただこうと、ただそれだけを考えてこの作品に没頭した。だというのにこの小説が印刷される直前に、乱歩先生は亡くなられた。
○こまさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●5月1日(木)
 眉村作品の主人公はおしなべて、ひとつの目的地を目指して黙々と歩行をつづける人間であると表現できるかもしれません。ほかのコースを選択することも可能であるという事実が、彼を逡巡させはします。が、彼は一本の道を選んで歩き始めます。その選択にときに懐疑を抱きながらも、そのたびにみずからの決断を正当なものと再確認することで、歩きつづける自分を励まします。
 「エイやん」の主人公もまた、そうした単独行を経験します。パチンコ屋という卑近な日常性からの、まさしく歩行による単独行を経験するという点で、眉村さんが描いてきた主人公の一典型であるともいえるでしょう。彼は自分の家を目指した単独行の過程で怪異に遭遇し、それがどうやらかつてあり得た可能性の亡霊とでも呼ぶべきものであることに気がつきますが、最後にはチキン唐揚げ弁当に象徴される日常性に帰還して、

 自分がそうした分身であるということをかりに認めるとしても……自分には、分身となってからの月日があったのだ。というより、自分にはこの人生しかないのである。他人のものではないおのれの人生があったし、あるのである。それは奪われてはならないものなのだ。妻との四十年以上の歳月にしたって、自分と妻のものである。

 との得心に至ります。
 いや、得心や納得、あるいは再確認といった言葉では足りないかもしれません。肯定という言葉が、より相応しいでしょう。いま、ここにある自分を肯定し、自分の生を肯定する。それがどのように惨めで一見取るに足りぬものであっても、生きるに値しない生はないと強く確信する。
 「エイやん」の主人公は、単独行の果てにそうした認識にたどり着いたように見受けられます。そしてそれは、眉村さんがくりかえし描いてきたすべての単独行の帰着でもあるはずで、ゆえに「エイやん」は眉村文学の集大成たるを失いません。
 文学という言葉はいささか大仰に過ぎるかもしれませんが、文学が結局のところ人の生を肯定するもの、
人をこの生き難い生にあらためて正対させるものであるとすれば、眉村さんの作品は文学の王道を行くものにほかならず、眉村ファンはその点にこそ眉村作品の魅力を見出しているように思われます。