2003年8月

●8月31日(日)
 乱歩という作家にとって改訂とはいったいどういう行為であったのか、みたいなことを悠長に書き綴っている場合ではなくなったのかもしれません。なんだかずいぶんへんてこりんだった今年の夏は、やはり二〇〇四伊賀びと委員会への張り扇チョップで締めくくらねばならぬようです。

伊賀びとのための張り扇

 昨30日発行の地方紙「伊和新聞」に、こんな短信が掲載されていました。写真は割愛して本文のみ全文転載いたします。

 ◆「伊賀の蔵びらきPRパンフ=「2004伊賀びと委員会」はこのほど、来年5月からの「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」パンフット=写真=を2万部作製、伊賀7市町村や県外に配布する。A4サイズ、カラーで3つ折り。旅のフォーラム・伊賀大茶会・イガいな料理?コンテストといった来年5月16日のオープニングイベントや伊賀体験・夏イベント、コンサートや全国俳句大会を中心とした10月中の「芭蕉さん月間」事業などを紹介。フィナーレ(11月6〜21日)の乱歩展、創作能狂言(いずれも名張で開催予定)も案内している。問い合わせは、県上野庁舎4階の同委員会(電話24・8193)。

 あーこれこれ、二〇〇四伊賀びと委員会のうすらとんかちのみなさん。厳しかった残暑のせいでとうとうおかしくなりましたか。もともとおかしかったのが完全にいかれてしまいましたか。
 何がパンフレットですか。
 何がPRですか。
 あなたがたはご存じないのかもしれませんが、いやまさかご存じないなんてはずはないのですが、とにかくこの事業の計画や予算はいまだ決定に至っておりません。嘘だと思ったらこの伝言録を遡ってお読みになることです。私は事業事務局の局長さんに質問をお送りしてご回答をたまわったのですが、そのなかに次のようなQ&Aがあったことをお知らせしておきましょう。

(質問 8)
事業の計画と予算が最終的に決定されるのはいつか。

A 来年度予算はH16年3月の市町村や県の議会で議決されて最終的な決定となります。事業の計画は、事業推進委員会で決定されることになりますが、その時期は、秋に開催予定の次回第2回の委員会を予定しています。

 おわかりですかうすらとんかちのみなさん。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の計画と予算は、まず今秋開催される事業推進委員会で決定され、さらに来年3月、県および伊賀地域七市町村の定例会での審議を経て正式に決定されることになっております。
 それなのにあなたがたはいったいなーに先走ってるんですか。
 決まってもいない事業のことをどうして吹いて回るんですか。
 お尻に火でもついたみたいに何をそんなに慌ててるんですか。
 何がパンフレットですか。
 何がPRですか。
 こら。
 こらうすらとんかちども。
 こら二〇〇四伊賀びと委員会のいかれぽんちども。
 おまえたちはいつもこうだ。ひらひらへらへら綿菓子みたいに甘いことばかり並べ立てるなと申しておろうが。うわべばかりを安物のケーキのデコレーションみたいにごてごて飾り立てるしか能がないのかこの莫迦ども。もっと本質的な問題に目を向けろというのだ。決まってもいない事業を決まったように広言するなというのだ。みずからの自立性や主体性のことなどかけらほども考えたことのない莫迦どもがいつまでものぼせあがっておるのではないわこののうたりんども。
 いい加減に頭を冷やしたらどうだ。3月末発表予定だった事業実施計画案もいまだ公表できていないくせに何がパンフレットだ。何がPRだ。それほど大騒ぎがしたいのなら手前どもは事業推進委員会に決定権を握られた傀儡でございますと正直に打ち明けてから大騒ぎしろ。何が旅のフォーラムだ。何が伊賀大茶会だ。何がイガいな料理?コンテストだこのすっとこどっこいども。何が芭蕉さん月間だこのひょうろくだまども。何が乱歩展だ創作能狂言だこのしょんべんたれども。
 よしよしわかった。よくわかった。おまえたちが度しがたい莫迦だということはよくわかった。むろん俺だっておまえたちが莫迦だということはよくわきまえているつもりだったが、そこまでの莫迦だとは知らなかった。それならそれで方針を変えるべきかもしれない。おまえたちには想像もできぬことだろうが、俺はこれまで事業に関して伊賀県民局長や事業事務局長に質問や批判のメールを送りつけた際にも、結果として相手に深い傷が残らぬようにということだけには気をつけてきた。ここが引き際だと見切ったらさっさと身を引いてきた。だから俺のもとには、どうしてもっと徹底的に叩かないのかというメールや電話も入ってきた。やはり相手のことも考えてさしあげませんと、とそのたびに俺は答えた。
 しかし二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。
 うすらとんかちのみなさん。
 いかれぽんちのみなさん。
 もうそんな配慮はおしまいにしましょうか。行くところまで行くことにしましょうか。知事から県職員から市町村職員から民間委員から、当たるを幸い容赦なく叩いて回ることにしましょうか。
 などと大騒ぎをしているうちに、きょうで8月もおしまいです。そういえば、「2003年8月に稼動する予定」とアナウンスされていた二〇〇四伊賀びと委員会の新ホームページは、現時
点ではいまだ開設されていないようですが、さていったいどうなっているのやら。


●8月30日(土)
 乱歩全集のテキストに関して、本サイト「前人未踏の夢」に記したところを以下に長々と引用いたします。

 申しあげるまでもなく、定本と呼ぶに足る乱歩全集は、いまだ刊行されておりません。
 何を基準として定本と称するか、議論はわかれるでしょうが、まず第一に押さえられるべきは、初出、初刊本に始まって作家自身が校訂を加えた桃源社版全集に至るまで、作品それぞれのテキストの推移を明示することであろうと思われます。
 乱歩作品にさまざまな事情から一再ならず改訂が加えられ、その結果「ますます書誌的に複雑なもの」になってしまった経緯については、林美一さんの「知られざる乱歩の禁書『蜘蛛男』」「乱歩の『蜘蛛男』補記」「乱歩の『蜘蛛男』補記の補記」(いずれも河出文庫『珍版・我楽多草紙』所収)にくわしく記されています。
 没後三度目の乱歩全集、講談社版江戸川乱歩推理文庫刊行中に記された「乱歩の『蜘蛛男』補記の補記」から、一部を引用させていただきます。

 そこで早速、今回刊行の『蜘蛛男』を手に入れ、ついでに比較するつもりで春陽堂版の「春陽堂文庫」の『蜘蛛男』も取寄せてみたところ、なんのことはない、相変らず削除されたままなのである。無論講談社版の方は、里見芳枝を湯殿に連込む「獣人」の章は洩れてはいないが、春陽堂版の方は、自社で昭和三十年に出した全集本を底本にしたらしく、昭和六十二年の新装版であるにもかかわらず一章分削除されたままである。ところがそのあとの里見絹枝の死体処理の場面などは初版に近い原文が残っている。ただ「江の島への橋の上を」が「江の島への橋の上は」になっている(この文章は戦後の「春陽堂版」の全集で乱歩自身が書直したものらしい)。まるで異本とも称すべきものが、二社で同時に販売されているのである。読者に不誠意なこと、この上ないが、これだけ見ても乱歩の原作の異常な混乱ぶりがよくわかる。
 他本もどうなっているかと思って、今回の講談社本を一通り集めてみたが、発売を始めてから日がたっているので書店に見当らぬものもあり、未刊行のものもあり(六十三年十二月現在で未刊行分が十四冊ある)で、全作品に当ることは出来なかったが、ともかく比較出来たものについて記してみると、『盲獣』の「鎌倉ハム大安売」の一章欠落と改筆もそのままだし、『魔術師』の削除部分もそのままである。『黒蜥蜴』『人間豹』『悪魔の紋章』などにも短いが数カ所から十数カ所もの欠落や改筆がある。決して「初出時の原文のまま」といえるようなものではない。

 つづいて、「黒蜥蜴」「人間豹」「魔術師」「盲獣」「蜘蛛男」「吸血鬼」「黄金仮面」「湖畔亭事件」における悪しき改訂や改筆、さらには「原稿の順序が狂っている」箇所(つまり段落の順番がおかしいわけです)などの実例を検証されたあと、林さんは将来刊行されるはずの乱歩全集への「お願い」も記していらっしゃいます。

 しかしこうなると、乱歩本はますます書誌的に複雑なものになる。初出の原文のほかに、戦中の削除、戦後版の部分復活や改筆に加えて、新たな加筆まで混在することになるからである。これでは一番被害を受けるのは読者である。どれを信用して読んだらよいのかわからない。
 私はこれからの乱歩全集は、研究家でもあった乱歩氏にふさわしく、文字どおりの初筆を元に、詳しい書誌解説を加えた、定本的なものにしなければ駄目だと思う。今回の講談社本には毎巻、乱歩賞作家を中心としたエッセイがついているが、その乱歩賞作家の人たちにしてからが、殆ど戦後版の乱歩本しか読んでいないに違いないのだから、本当に乱歩を知っているとは言い難い。今回の講談社本の責任編集は、乱歩氏のご子息の平井隆太郎氏と、推理作家協会理事長の中島河太郎氏だが、何年かあとにまた「乱歩全集」の企画があるときには、本当の初出の形で刊行されるよう、くれぐれもよろしくお願いしたいものである。

 林さんのおっしゃるとおりだと思います。
 そのうえで、この「乱歩の『蜘蛛男』補記の補記」にあえて「補記」を加えるならば、それは、いつの日か刊行されるべき定本版乱歩全集には、本当の初出、つまり雑誌に掲載されたテキストもまた収録されるべきではないか、という一事です。
 いわゆる「通俗長篇」の執筆にあたって、それら一連の作品に対する後年の否定的断定とは裏腹に、乱歩がきわめて周到な連載作法を採用していたことは、名張市立図書館発行『江戸川乱歩執筆年譜』の解題「探偵小説四十三年」にいささかを記しましたが、その作法のひとつが梗概の執筆でした。
 前回までの梗概を書かせたら、乱歩は天才的にうまかった、とは横溝正史や萱原宏一の述懐するところですが、これは本にするときに捨てられてしまう文章ですから、初出誌にあたらなければ読むことはできません。
 そこで「探偵小説四十三年」では、「孤島の鬼」と「黄金仮面」の梗概を一部ご紹介した次第ですが、ここにはそれ以外に、「孤島の鬼」最終回(「朝日」昭和五年二月号)の冒頭に置かれた梗概を引用してみます。
 「意外な人物」という小見出しにつづいて、ほぼ一ページ、それはこのように綴られています。

 諸戸道雄と私とは、諸戸の親の傴僂夫婦が、不具者製造の悪業を続けてゐた、南海の一孤島に渡つて、傴僂夫婦を土蔵におしこめ、檻禁の不具者達を解放した。その中には、私の新らしい恋人秀ちやんもゐた。と云つて、それはあたり前の少女ではない。もう一人の男の子と腰の所につながり合つた、両頭の怪物である。この恐ろしい不具少女が、なぜかひどく私の心を惹いた。
 この心持は、私にとつて実に恐ろしいことだ。私は恋人、木崎初代の復讐の為に、初代
〔「殺し」が脱落しているようです──引用者註〕の下手人であつた傴僂親父の住む、この島へ遥々出かけて来たのではないか。その私が、初代の新墓の前で、あんなにも悶え悲んだ私が、もう別の少女に心を寄せてゐる。しかもいまはしき不具少女にだ。
 私はそれ程無節操で、移り気な男だつたのか知ら、いやいや今でも初代のいとしさに変りはない。彼女の忘れ難き笑顔は、夜毎の夢に私を訪れさへする。それにも拘らず、私は初代の美しい姿に重ねて、いまはしき不具者秀ちやんを想ふのだ。我ながら解し難き私の心であつた。
 それは兎も角、私達は島を訪ねたもう一つの目的であつた宝探しの為に、古井戸の入口から地下の迷路に踏み込んだ。私達は不幸にも、そこでしるべの麻縄を失つてしまつた。闇の迷路は蜘蛛手に拡がつて、しるべなしでは抜け出す見込みがなかつた。私達はあらゆる方法を講じて、元の入口へ引返そうと試みたけれど、何れも失敗に終つた。飢餓と極度の疲労の為に、私達はもう地下を抜出す望みを失つて、ある洞窟の中にくづをれてしまつた。死を待つばかりである。
 再び地上に出られぬと極まると、やけくそになつた諸戸は、地上の礼儀と習慣の為に押へつけてゐた、私に対する不倫の愛を、恥もなくさらけ出した。男性の体臭と男性の唇の感触に
〔「、」が脱落しているようです──引用者註〕そのあまりのあさましさに、死を覚悟した私でも流石にゾッと悪寒を感じないではゐられなかつた。闇と死と見にくい獣性の生地獄だ。
 だが丁度その時、洞窟の向ふの隅で変な物音がした。蝙蝠や蟹の様な小動物の立てた音ではない。何かもつと大きな生物だ。
 諸戸は私を離した。私達は動物の本能で、敵に対して身構へをした。
 耳をすますと、生き物の呼吸が聞える。
 「シッ。」
 諸戸が犬を叱る様に叱つた。

 以上のうち、「諸戸は私を離した」とある段落以前の部分が梗概で、本にするときにはあっさり削除されています。
 しかし、定本版乱歩全集を目指すのであれば、こうした梗概まで収録するのは当然過ぎるほど当然のことだと思われます。
 とはいえ、北村薫さんが日本探偵小説全集11『名作集1』(創元推理文庫)の「解説」にお書きになっているとおり、「初出の形を出されるのは、作者にとって不本意だと思う」という事情もあります。
 北村さんのおっしゃる「初出」は初刊本のことなのですが、それならばなおのこと、雑誌における初出はより「不本意」なものであるということになります。
 松本清張は、雑誌連載はゲラのようなものである、と公言していたそうですが、乱歩にとってもまた、雑誌への連載はあくまでも本にするための素材であったと、平井隆太郎先生からお聞きしたことがあります。
 とりあえず雑誌に発表し、本にするときに手を加え、さらに改版の機会があれば意に充たない箇所を改稿するというのが、書き下ろし作品は別にして、作家とテキストとの基本的な関係かと思われます。
 だからといって、乱歩作品のテキストとして、作家自身が最終的に手を加えた桃源社版全集が最良かというと、井伏鱒二の「山椒魚」の例もあるとおり、作家晩年の改稿には問題なしとしません。
 それに乱歩の場合、創元推理文庫の乱歩選集が初出の挿絵を収録するという難行に挑んでいることにも示されているとおり、挿絵も含めた雑誌連載は、やはりそれだけで一見の価値があるものと判断されます。

 以上、1999年11月11日に掲載した文章を長々しく引用いたしましたが、人間というのは驚くほど進歩しないもののようで、私にはこの四年前の文章にこれ以上つけ加えるべきことは何もないという気がいたします。強いていえば、乱歩にとって改訂とは何であったか、みたいなことなのですが、それはまたあしたにでも。
 あしたといえば、8月ももうあしたでおしまい。なんかおかしな夏だったな、と思います。


●8月29日(金)
 「註釈」につづいて「解題」を見てみましょう。この全集の場合の解題とは要するに本文校訂で、註釈同様巻末の二段組みページに底本と他の版との校異が示されています。
 乱歩歿後に出版された乱歩作品の本文は、昭和36年から38年にかけて刊行された桃源社版全集に基づくのが一般的でした。乱歩みずから全作品の校訂を手がけたことによっています。つまりこの全集がいわば定本と見倣されてきたわけです。
 ところが今回の全集は、その桃源社版テキストの無批判な採用に異を唱え、できるだけ初刊に近いテキストを基準としている点に際立った特徴が認められます。
 たとえば第四巻の「孤島の鬼」は昭和7年の平凡社版全集第五巻を底本としており、「解題」には対校した版として次のテキストが挙げられています。
 [初]初出誌(朝日/昭和4・5年)
 [改]改造社版=初刊本(昭和5年)
 [新]新潮社版選集第九巻(昭和14年)
 [春]春陽堂版全集第一巻(昭和30年)
 [桃]桃源社版全集第二巻(昭和36年)
 本文校訂などというのはじつにどうも砂を噛むような味気ない作業なのですが、じつは当方も朝っぱらから没頭していた砂を噛むような作業に思いのほか時間を取られ、本日はもうお開きとなってしまいました。つづきはあしたということで。


●8月28日(木)
 以下、光文社文庫版江戸川乱歩全集に関して思いつくままに記しますが、まず予想外だったのが「註釈」でした。担当はシャーロッキアンの平山雄一さん。平山さんのホームページで一部公開されていた「江戸川乱歩事典」に基づいて、地名人名などの語釈が巻末に、おそらく紙幅の制約もあるのでしょう、わりとささやかな規模で収録されています。「江戸川乱歩事典」が完成したという話は聞き及んでいたのですが、まさかこんな形で陽の目を見ようとは思ってもおりませんでしたので、私はたいそうびっくりいたしました。
 平山さんご本人は、どうせなら註釈版ホームズ全集の向こうを張って本格的な註釈版乱歩全集を、くらいのことをお考えなのかもしれませんが、乱歩作品を21世紀へ継承するための配慮というにとどまらず、刊本『江戸川乱歩事典』の出版に至るための第一歩という意味でも、今回の「註釈」は大きな意義をもっているといえるでしょう。先日、ほかの用件で平山さんにメールをさしあげたおり、ついでにお聞きしたところでは、鬼の監修者お二人から指示を受けて書き下ろす項目も少なからずあるとの由でしたが、鬼に負けずに見事お役目を果たしていただくことをお祈りしたいと思います。


●8月27日(水)
 いよいよ刊行が開始された光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻は、滞りなく配本が進んでも完結するのは2005年12月のことになります。乱歩の著作権が存続しているあいだに出版される全集は、もしかしたらこれが最後になるかもしれません。
 昭和40年、西暦でいえば1965年に乱歩が死去して以来今日まで、乱歩の全集は十年と間隔をあけずに出版されてきました。

a)江戸川乱歩全集 講談社 十五巻
          1969年4月−1970年6月
b)江戸川乱歩全集 講談社 二十五巻
          1978年10月−1979年11月
c)江戸川乱歩推理文庫 講談社 六十五巻+特別補巻
          1987年9月−1989年7月
d)江戸川乱歩全集 光文社 三十巻
          2003年8月−2005年12月(予定)

 cとdのあいだに十年以上のインターバルが存在しているではないかと細かいことが気にかかる向きには、cとdとのあいだにこれをぶち込んでさしあげたいと思います。

e)少年探偵・江戸川乱歩 ポプラ社 二十六巻
          1998年11月−1999年3月

 全集とは呼べないものの、乱歩作品を体系的に収めた書籍としてこんなものも出ております。

f)江戸川乱歩文庫 春陽堂書店 三十巻
          1987年6月−1988年4月
g)乱歩      講談社 二巻
          1994年9月
h)江戸川乱歩コレクション 河出書房新社 六巻
          1994年11月−1995年6月
i)江戸川乱歩全短篇 筑摩書房 三巻
          1998年5月−10月

 もうひとつ、1984年の日本探偵小説全集2『江戸川乱歩集』を筆頭に、1987年の『D坂の殺人事件』『孤島の鬼』から連綿として刊行がつづくこのシリーズも忘れられてはなりません。

j)創元推理文庫乱歩作品 東京創元社 巻数不定
          1984年10月−2002年8月
          全集一巻+ただいま十九巻

 歿後に刊行された全集選集のたぐいをこうして打ち眺めているだけで、乱歩というのはなんと幸福な作家であることかとの感懐を覚えてしまいます。きのうおとといと名前の出た雑誌「幻想文学」は今年3月発行の66号で「幻想文学研究のキイワード」を特集し、石堂藍さんと東雅夫さんの対談「幻想文学の研究と批評」を掲載していますが、乱歩をめぐる研究や批評に関する「乱歩に関しては別になんの心配もないというか……」という石堂さんのご発言は、申すまでもなくこうした乱歩作品出版の盛況にも裏づけられたものであると思われます。ちなみにこの対談では名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックにも言及していただいており、こんなところでなんだか場違いな気もいたしますが、石堂さんと東さんにお礼を申しあげておきたいと思います。さるにても、幸福な作家なんているもんか、と三島由紀夫がどっかで喋ってましたけど、乱歩ほど幸福な作家はあまり見当たらぬのではないかというのが私の実感です。読者諸兄姉はいかがお考えでしょうか。
 といったあたりを前置きとして、光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻を見てまいりましょう。となりますと、いっても詮ないことながら、文庫本というのがやはりまずどうしても気になってしまいます。こちらの頭が古いということもあるのでしょうが、文庫本はあくまでも文庫本でしかなく、文庫版全集というものはたとえば中公文庫版折口信夫全集がそうであるように、いったん函入りハードカバーで出たものをそのまま文庫に落としたのが文庫版全集であるべきだと愚考される次第なのですが、いっても詮方ありませんからもう申しますまい。


●8月26日(火)
 まずきのうの補足です。建石修志さんの
個展「月の庭を巡って─〈幻想文学〉とともに─」は、「特に本展では、創刊時から表紙画を担当する季刊誌『幻想文学』が、多くの文学関係者に惜しまれながらも休刊をむかえるにあたって、表紙画として使用された作品の原画をご紹介いたします」ものであると、Bunkamura のホームページに紹介されておりました。謹んでお知らせいたします。私は「幻想文学」終刊号をいまだ購入できずにいるわけですが。

建石修志展「月の庭を巡って」

 いまだ購入できずにいると申しますと読者諸兄姉、じつは私は辻村寿三郎さんの人形芝居「押絵と旅する男」のチケットも購入できずにおります。と申しますか、掲示板「人外境だより」への玉村妙子さんのご投稿でマチネーのチケットが完売になったことを知り、しかし最近はマチネーという言葉もあまり聞きませんが、これはフランス語 matinée、すなわち演劇や音楽会の昼間興行を指す語です。かつて興行は夜のものだと相場が決まっていたのですが、モリエールのさるお芝居が大当たりを取りましたおり、昼間から大挙して劇場に詰めかけたパリ市民が開演は夜だと聞かされて「夜まで待てねえ夜までマチネー」とシュプレヒコールをくりかえし、見事昼間興行を実現させたことが語源の由来とされております。みたいなくだらないことを得々と語る人間もまたすっかり姿を消してしまいましたが、とにかく電話をかけることが嫌いな私は一日延ばし二日延ばしに先送りし、ようやく昨日としま・コミュニティ・チケットセンターに電話を入れましたところすでに四回の公演はすべて売り切れ、チケットぴあにはわずかに残っているようですからと教えられた番号は何回電話しても話し中ばかりで、えーい、誰がこれ以上電話なんかかけるものかと諦めのいい私はチケット購入をすっぱり諦めてしまいました。なんか莫迦みたいです。莫迦ったって二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、みなさんのことではありませんからどうぞお静かに。

乱歩全集刊行開始

 さて乱歩の話でもしましょうか。こんちこれまた乱歩をめぐる最大の話題と申しますと光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻。読者諸兄姉はとっくにご購入のことと拝察いたしますが、現物はこれです。

第一回配本

 でもって内容はこんな感じ。

内容見本A面  内容見本B面

 それからこれが広告なわけですが。

新聞広告

 つづきはあしたとなります。


●8月25日(月)
 本日はまずお知らせです。
 建石修志さんの
個展「月の庭を巡って─〈幻想文学〉とともに─」が今週木曜の28日に開幕いたします。「幻想文学」というのは、先ごろ惜しまれながら終刊を迎えた雑誌「幻想文学」のことかもしれません。私は終刊号をいまだ購入できずにいるのですが。

建石修志展 月の庭を巡って
─〈幻想文学〉とともに─

  会期8月28日(木)−9月7日(日)/会期中無休
  会場
Bunkamura Gallery
     Bunkamura 一階メインロビーフロア
     東京都渋谷区道玄坂2-24-1(東急本店横)
     電話03-3477-9174
  時間
午前10時−午後7時30分
 
入場料無料

「月を繰る」(案内はがきより)

Bunkamura ホームページ

 どなたのお手を煩わせましたものですか、個展案内のはがきを頂戴いたしましたので、掲載された作品「月を繰る」を謹んで無断転載させていただいた次第です。関係各位は大目にいただければと思います。そして読者諸兄姉は万障くりあわせてぜひお運びを。
 さて、賢明なる読者諸兄姉は先刻お気づきのとおり、先般来当サイトの模様替えを進めております。もっと機能的にならんもんかとあれこれ思案しているのですが、作業に集中できるだけの時間の余裕はなく、毎日暑いことでもありますし、陽が暮れかけたらビールやお酒やウイスキーを飲まなければなりませんし、まあ長い長い死のロードに出ているのだと諦めてぼちぼちやるしか致し方ありません。終わってみたら四勝十一敗、なんてことだけは願い下げなわけなんですが。
 たとえば「乱歩文献データブック」のページには刊本に盛り込んだデータの一部を割愛して記載してあり、その理由はすべてのデータを載せてしまうと見た目がなんとも煩瑣になるといったことであったのですが、ページデザインに手を加えることでネグレクトされていたデータにも陽の目を見せ
てやりたいなどと欲の深い親心も芽生えてきて、まこと親などというのはつくづく莫迦なだけの存在であるなと思し召して、どうぞ長い目でご覧ください。
 本日はお知らせとご挨拶だけで終わってしまいました。


●8月24日(日)
 きのうは失礼いたしました。二日酔いと暑さに身も世もなく、一日くたばっておりました。けさの新聞には夢路いとし師匠が体調を崩して兵庫県内の病院に入院されたというニュースが報じられておりましたが、あの暑さでは無理もありません。一日も早いご本復をお祈りいたします。私もきょうじゅうにはなんとか本調子に戻りたいものだと念じておりますが、なーんか朝からかったるく、いましばらくぼんやりしていることに決めました。ではまたあした。


●8月22日(金)
 またしても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の話で恐縮ですが、二〇〇四伊賀びと委員会が主催する今秋の「伊賀学講座」、サンデー先生担当講座の日程がきのう決定いたしました。11月8日土曜午後1時30分から上野市中町の上野ふれあいプラザで、ということだったと記憶しております。

伊賀学講座

 上記ページの予定にある「秋講座/11月中旬/人/田中善助」の田中善助が江戸川乱歩に替わったということのようです。私としては別に田中善助のお話でもよかったわけなのですが。テーマは以前にもお知らせしました「江戸川乱歩と情報発信」。副題は「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」みたいなことですか。無傷で帰ることはまず至難かと思われますが、「伊賀びと」のみなさんにはせめて私が喋ってるあいだくらい水をかけるの生卵を投げるのパイをぶつけるのといった乱暴狼藉をお控えいただければ幸甚です。


●8月21日(木)
 8月も21日を迎えました。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のお話はまた新たな動きが出てくるまでひとまず休題といたします。三重県も多度町の三重ごみ固形燃料発電所で三人が死傷した爆発事故がえらい展開になってますから、いまや芭蕉さんどころの話ではないのかもしれません。しかしあの事故はどう見たって人災、知事も「県に重大な責任がある」と発言していらっしゃいますが、これはお役所における危機意識のなさが見事に露呈された事故であると申しあげておきましょう。けさの新聞には、発電所を運営する県企業庁と管理を委託されている富士電機と消火に出動した桑名市消防本部が「会見で責任なすり合い」との記事も掲載されておりますが、やれやれやっぱりそうですか。それにいたしましても「環境先進県」などとパフォーマンスを優先させて安全面への配慮を怠ったまま先走ってくださった前知事の置き土産がこの事故だったわけですから、同じく前知事の置き土産である「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業もいずれ爆発してしまうのかもしれません。関係各位はご注意ください。


●8月20日(水)
 それで結局のところはですね、リーサル臼田さんが期待していらっしゃったような「こっちにも事情ってもんがいろいろあるんや、あんたのために仕事してんのとちゃう、そんなこともよう分からん奴が何寝言言うとんね、ごちゃごちゃ言わんと黙っとれ」みたいな痛棒を頂戴することもなく、私は無事にきょうという日を迎えている次第なのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業はこの先どうなってしまうのでしょうか。
 それより何より、三重県予算で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行しようというパブロフの犬作戦はいったいどうなってしまうのでしょう。事業事務局の局長さんからお知らせいただいたところでは、今秋開催予定の事業推進委員会で計画と予算が決定され、さらに県と市町村の3月議会で来年度予算が議決されて、これでようやく事業のすべてが最終的に決まることになるそうなのですが、二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、それならそれでこういう手順があるということを最初にアナウンスしていただかないと困ります。
 かく申します私めは、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の実施計画案が公表され、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』刊行に五百五十万円という予算が明らかにされさえすれば、最終的な予算の承認はまだ先のことになるとしても書簡集刊行の準備作業にはおおっぴらに着手できるだろうなと、ごく常識的な線から割り出してそのように思い込んでおりました。それがいまだに実施計画案は発表されもせず、ということは刊行の準備作業にもとりかかれないうえ、下手をすると実質的な着手は来年3月議会が終わってからということにもなりかねない雲行きです。
 あ。いかんいかん。まーた腹が立ってきた。
 えーいこの二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、民間委員のみなさん、「伊賀びと」のみなさん。みなさんにとって初めてのことだったわけですから多少のことなら大目に見てもさしあげますが、ほんとにもうちょっとしっかりしていただかないと困るんです。いったい何がどうなっているのか、みなさんが何を考えていらっしゃるのか、どんな事情を抱え込んでおられるのか、私にはさっぱりわかりません。8月中に開設されるという事業の新しいホームページでぜひとも納得のゆく説明を公開していただきたいと期待している次第ですが、しっかしそれにしてもなーにが「伊賀びと」か、なーにが「協働」か。
 ああ。いかんいかんいかん。ほーんとに腹が立ってきた。
 いい加減なことをほざくな。ひらひらへらへら綿菓子みたいな甘いことばかり並べるな。一部始終諸事万端を最初にすべて説明するのは当たり前の話ではないか。説明しようにも何も知らされていませんでしたと情けないことを抜かすのならせめて氏素性くらい明らかにしろ。手前ども「伊賀びと」は三重県の番頭でございます手代でございます丁稚でございます、「協働」という言葉に躍らされてすっかり三重県の走狗になり果てました権力の犬になり果てましたうーわんわんでございますと最初からそういえ。はっきりそういえ。えーいこの犬ども……
 などとみなさんと犬をいっしょにしてしまっては犬にもみなさんにもたいへん失礼ですから上記の悪口雑言はここで取り消し、関係各位と全世界の犬のみなさんに心からお詫びを申しあげる次第ですが、しかし何なんですかねこの騒ぎは。世界人類が平和でありますように。


●8月19日(火)
 はーたはっは。はたはっは。

八項目の回答

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の事業推進委員会事務局ならびに二〇〇四伊賀びと委員会事務局の事務局長さんからメールを頂戴いたしました。八項目にわたる質問へのご回答をたまわりました。局長さんには深甚なる謝意を表しつつ、さっそく全文を公開させていただきます。読みやすさに配慮して適宜一行空きを設け、テキストの色を変更しました。

題名中氏への返事

改めて、質問項目に沿って箇条書きにて回答させていただきます。

(質問 1)
事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか。

A 基本構想の策定時において、三重県をあげた事業とし、県全体として推進していく事業推進委員会を設置することを予定していました。

(質問 2)
事業推進委員会が目的とするものは何か。

A 事業推進委員会は、世界に誇りうる俳聖・松尾芭蕉の生誕360年にあたる2004年(平成16年)に、自然や風土、歴史、文化といった伊賀や三重のあらゆる魅力を360度の全方向、すなわち、全国、そして世界に向けて発信することにより、現代に望まれる「こころの豊かさ」をこの地に描き、歴史文化や自然を活かした個性豊かな地域づくり・人づくりにつなげるとともに、伊賀そのもののブランド化を図ることを目的としています。

(質問 3)
事業推進委員会が目的を達成するための具体策はあるのか。

A 事業推進委員会は事業の方針を決定するとともに、2004伊賀びと委員会の事業の企画・実施に対しバックアップ、支援する機関であり、両委員会それぞれが主体的に役割を担って進めて参ります。

(質問 4)
推進協議会の発足はいつか。これまでに何回の会合を開いてきたのか。その内容は公表されたのか。

A 平成14年に設置し、3回開催しました。内容は公開しております。

(質問 5)
事業推進委員会と2004伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か。

A 上位・下位の関係というより、事業推進委員会の中にあって主体的、自立的に事業を企画・実施するのが2004伊賀びと委員会です。

(質問 6)
「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者は誰か。事業推進委員会の会長である知事か。2004伊賀びと委員会の代表には事業に関して何の責任も権限もないのか。

A 事業全体としての責任者は会長である知事です。事業の企画・実施主体が伊賀びと委員会で、伊賀びと委員会は具体の事業の企画・実施に対して責任を負います。

(質問 7)
事業推進委員会の次の会合はいつか。その会合で何を協議するのか。

A 次は県や市町村に予算要望する時点であり、秋になります。協議事項は予算と事業内容になります。

(質問 8)
事業の計画と予算が最終的に決定されるのはいつか。

A 来年度予算はH16年3月の市町村や県の議会で議決されて最終的な決定となります。事業の計画は、事業推進委員会で決定されることになりますが、その時期は、秋に開催予定の次回第2回の委員会を予定しています。

 で、私の返信は下記のとおり。読みやすさに配慮して、すでにお読みいただいた質問と回答はテキストの色を変更しました。

 先にお送りしました質問八項目へのご回答、拝受いたしました。公務ご多用のおりから、勝手な質問でお手数をおかけして恐縮しております。どうもありがとうございました。

 ただ私は、先のメールにも記しましたとおり、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の成立に疑念を抱き、その実効性に疑問を感じている者です。ご回答を頂戴できたのはまことにありがたいことなのですが、通り一遍のお答えを列記していただいただけでは、当方の疑念や疑問はそのまま残るしかありません。たいへん失礼なことを記しますが、ご回答から如実に読み取れましたのは、事業の要たる事務局長の職にある方が、事業に関する当事者意識を大きく欠如させているという事実です。

 取り急ぎ、以下に所見を申し述べます。

(質問 1)
事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか。
A 基本構想の策定時において、三重県をあげた事業とし、県全体として推進していく事業推進委員会を設置することを予定していました。

 質問の意味がご理解願えませんでしょうか。私は、構想だの予定だのといった不確定要素に関して質問しているわけではありません。夢で蒟蒻を踏むような話をしていただいては困ります。ご回答に添って申し述べますならば、その「予定」がいつ「確定」になったのか、それが誰によって決定されたのかをお訊きしている次第です。

(質問 2)
事業推進委員会が目的とするものは何か。
A 事業推進委員会は、世界に誇りうる俳聖・松尾芭蕉の生誕360年にあたる2004年(平成16年)に、自然や風土、歴史、文化といった伊賀や三重のあらゆる魅力を360度の全方向、すなわち、全国、そして世界に向けて発信することにより、現代に望まれる「こころの豊かさ」をこの地に描き、歴史文化や自然を活かした個性豊かな地域づくり・人づくりにつなげるとともに、伊賀そのもののブランド化を図ることを目的としています。

 質問の意味がご理解願えませんでしょうか。私は、事業そのものの目的を質問しているわけではありません。事業の目的を実現するうえで、どうして事業推進協議会が事業推進委員会に移行しなければならなかったのか、わざわざ推進委員会を発足させたのは、協議会では果たし得ないが委員会でなら達成できる目的があったからであろうと推測されるのですが、それはいったい何であるのかとお訊きしている次第です。

(質問 3)
事業推進委員会が目的を達成するための具体策はあるのか。
A 事業推進委員会は事業の方針を決定するとともに、2004伊賀びと委員会の事業の企画・実施に対しバックアップ、支援する機関であり、両委員会それぞれが主体的に役割を担って進めて参ります。

 質問の意味がご理解願えませんでしょうか。私は、ふたつの委員会の役割分担について質問しているわけではありません。事業推進委員会が目的達成のために具体的にどんな活動を進めるのか、その点をお訊きしている次第です。

(質問 4)
推進協議会の発足はいつか。これまでに何回の会合を開いてきたのか。その内容は公表されたのか。
A 平成14年に設置し、3回開催しました。内容は公開しております。

 お答えありがとうございます。推進協議会から推進委員会への移行は、当然この三回の会合で協議され、決定されたものと考えます。それがいつであったのか、移行を提案されたのはどこのどなたであったのか、といった事実がどこかで公開されているのでしょうか。

(質問 5)
事業推進委員会と2004伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か。
A 上位・下位の関係というより、事業推進委員会の中にあって主体的、自立的に事業を企画・実施するのが2004伊賀びと委員会です。

 えー、何度もしつこく申しあげますが、私はふたつの委員会の役割分担について質問しているわけではありません。ふたつの委員会の関係性についてお訊きしております。「上位・下位の関係というより」といきなり話をずらしたお答えでは困ってしまいます。ただまあ、ご回答によれば二〇〇四伊賀びと委員会は「事業推進委員会の中にあって主体的、自立的に事業を企画・実施」するとの由なのですが、ひとつの組織の「中に」またひとつの組織があるという場合、これはそこらの小学校の五年三組の「中に」給食委員会があるようなものだと考えてよろしいのでしょうか。もしもそうでしたら、五年三組があくまでも給食委員会の上に位置していることは明々白々、何でしたらご近所の小学校で良い子のみなさんにご確認いただければと思います。ただし、給食委員会は全員が五年三組に所属していますが、事業推進委員会の「中に」あるはずの二〇〇四伊賀びと委員会は事業推進委員会には所属しておりません。ですから結構です。何が結構かと申しますと、ご近所の小学校に行って良い子のみなさんにご確認いただかなくても結構ですということです。事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会との関係は、そこらの小学校の五年三組と給食委員会との関係とイコールではないということです。しかしこうなりますと、ひとつの組織の「中に」帰属する組織が果たしていったいどのような主体性や自立性を保持しうるのか、それが問題になってまいります。二〇〇四伊賀びと委員会各位はみずからの主体性や自立性について深くお考えになったことがないのではないかと私は推測しているのですが、かりに主体性や自立性があったとしても、それはあくまでも事業推進委員会の「中に」おける限定された主体性や自立性であることは明々白々、ご近所の小学校で良い子のみなさんにご確認いただく必要もないことであると愚考いたします。いやそもそも、事業推進委員会の「中に」二〇〇四伊賀びと委員会が存在しているという表現自体、じつに意味不明なものであると申しあげるしかないわけですが。ちなみに申し添えておきますと、第三者から見た場合、事業推進委員会は明らかに二〇〇四伊賀びと委員会の上に位置していると判断されます。上下でいえば上、主従でいえば主の位置にあります。事業推進委員会は事業の方針を決定し、二〇〇四伊賀びと委員会をバックアップし支援する機関であるとの仰せですが、すでに方針は決定されているのですから、あとはたかだかバックアップや支援を行うだけにすぎないはずの機関が事業全体の計画と予算に関する最終的な決定権を有しているというのは、どこからどう見ても奇妙な話です。面妖珍妙奇々怪々な構図です。こんな道理に合わぬお話が、お役所の人たちのあいだではごく普通にまかり通ってしまうのでしょうか。

(質問 6)
「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者は誰か。事業推進委員会の会長である知事か。2004伊賀びと委員会の代表には事業に関して何の責任も権限もないのか。
A 事業全体としての責任者は会長である知事です。事業の企画・実施主体が伊賀びと委員会で、伊賀びと委員会は具体の事業の企画・実施に対して責任を負います。

 お答えありがとうございます。私は二〇〇四伊賀びと委員会代表の責任と権限についても質問しております。権限に関してはいかがでしょうか。これも要するに主体性や自立性の問題に関わりのある質問なのですが、先のメールにも記しましたとおり、両者のあいだで意見に食い違いが生じた場合、いったいどちらの意見が優先されるのでしょうか。そうした場合、近所の小学校へ行って尋ねることはおそらく不可能であろうと判断されますし。お役所の人たちの感覚では、そんな問題は発生するはずがないといったことなんでしょうか。

(質問 7)
事業推進委員会の次の会合はいつか。その会合で何を協議するのか。
A 次は県や市町村に予算要望する時点であり、秋になります。協議事項は予算と事業内容になります。

 お答えありがとうございます。今年三月末に発表されるはずであった事業実施計画案がいまだ地域住民に示されていないと申しますのに、県および市町村の関係方面にはえらく早手回しで段取りのおよろしいご様子、ひたすら感服つかまつります。しかし、こんなことでは「これでは住民不在ではないか」と怒り出す人が出てくるかもしれません。「なーにが生活者起点の県政だッ。地域住民を無視するのもいい加減にしろッ」なーんて感じッすかね。それからまーたちなみに申し添えてしまいますけど、巷には事業予算に関して官業の癒着を指摘する声が存在しております。むろん根も葉もない噂の域を出るものではありませんが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に芳しからざる風聞がついて回るのはまことに遺憾な事態であり、事業推進委員会の予算協議ではその点をぜひクリアなものにしていただきたいと念じております。

(質問 8)
事業の計画と予算が最終的に決定されるのはいつか。
A 来年度予算はH16年3月の市町村や県の議会で議決されて最終的な決定となります。事業の計画は、事業推進委員会で決定されることになりますが、その時期は、秋に開催予定の次回第2回の委員会を予定しています。

 お答えありがとうございます。ご説明感謝いたします。しかしそんなことちっとも存じませんでした。つまりもともとの話をいえば、二〇〇四伊賀びと委員会によるそもそもの事業紹介があまりにも説明不足であったということになります。事業のタイムテーブルには、意図的なものであるかどうかは別として、重要な欠落がいくつも存在しています。事業概要を説明した当初のアナウンスの段階から、この事業には大きな問題があったと指摘せざるを得ません。よくまあこんな無茶苦茶なプランに県民の税金三億円がぶち込めたものだと思わず感慨にふけってしまいますが、ほんとにこの事業はいったいどうなってしまうのでしょうか。心中お察し申しあげます。

 以上、長々と記しましたが、上記に対するご回答をぜひたまわりたく、と申しあげるべきところ、私はもうなんだかあほらしくなっちゃいました。これまでに頂戴したご回答だけで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の欺瞞性をより深く認識することができましたし、貴職にまたしてもご厄介をおかけしてしまうのが心苦しく思われますうえ、これ以上いくらお訊きしても明瞭なお答えがいただけそうにありませんので、本日のところは所見の一端を申し述べて挨拶に代えさせていただきます。

 むろん、ご回答がいただけるのであれば、こんなありがたいことはありません。盆と正月と親父の命日がいっしょに来たようなもんだと来たもんです。もしもご回答が頂戴できるのであれば、なにとぞよろしくお願い申しあげます。しかしまあ、どうしてもお訊きしたいことが出てきたら「事業全体としての責任者」でいらっしゃる知事にメールをお出しすればいいだけの話なんですから、あまり堅苦しく考えていただかなくてもよろしいんじゃないでしょうか。

 さて、わがまま勝手なことばかり申しあげてまいりましたが、笑いは人生の潤滑油、かの先人田中善助翁もその最晩年、「わしは長い生涯にあまり笑うことがなかったからとうとう脱腸になってしもうた。皆の衆、笑いなされ笑いなされ」とおっしゃったとかおっしゃらなかったとか。いろいろと失礼を申しあげました非は善助翁に免じてご寛恕いただき、これをご縁に今後ともよろしくご高誼をたまわりますようお願い申しあげます。

 ご丁寧にご回答をたまわりましたこと、重ねてお礼を申しあげます。末筆ながら貴職のご健勝をお祈り申しあげます。

  二〇〇三年八月十九日

 いやー、なーんですかすっかりおちゃらけてしまいました。
 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者のみなさんはぐッ、愚弄する気かッ、なんていって怒らないでくださいねー。地域住民を愚弄してるのはみなさんのほうなんですからねー。
 はーたはっは。はたはっは。


●8月18日(月)
 おはようございます。
 お盆も終わりました。
 地獄の釜の蓋は閉まってしまいました。
 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の事業推進委員会事務局ならびに二〇〇四伊賀びと委員会事務局の事務局長さんからは、そろそろメールでご回答をいただけるころだろうなと甘い期待を抱いております。
 雨模様の朝に──。
 はたはっは。


●8月17日(日)
 三重県職員のみなさん。
 三重県伊賀県民局のみなさん。
 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。
 などと毎日大騒ぎして呼びかけてみても、何の反応も返ってはまいりません。死人の心臓よりも手応えがありません。こちらがひとりで空騒ぎしているだけのことですから当然の話ではあるのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の事業推進委員会事務局と二〇〇四伊賀びと委員会事務局の双方の事務局長を兼務していらっしゃる三重県職員の方(ちなみに指摘しておきますと、ふたつの委員会の事務局をひとりの人間が兼務できているという点にこそ、これらの組織の欺瞞性が如実に示されているわけです。事業推進委員会が形骸以上の意味を有していないという事実が、関係各位の百万言よりもはるかに雄弁にここに物語られているわけです。私の申しあげていることがおわかりになりませんですか関係各位。あらよっと)にお送りした八項目の回答には、ぜひ何らかの反応を示していただきたく思います。示していただかないと私、怒ってしまうかもしれません。いやすでに怒ってはいるわけですが。
 しかしそれにいたしましてもまあ実際、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係各位はほんとに大変だろうなとお察しいたします。深い考えもなしに事業案を公募してみたところなんと三百以上ものプランが寄せられて、その取捨選択のためあーでもないこーでもないと要領を得ない会議を賽の河原の石積みめいて重ねたあげく、ようやく決定した予算配分には事業提案者から情け容赦のない批判誹謗が雨あられ、それでも事業推進委員会というのが組織されてひとまずやれやれと思っていたらまたその事業推進委員会とはいったい何なんだ、二〇〇四伊賀びと委員会の主体性はどこにあるんだとわけのわからないこといって怒り出す人間まで出てくる始末で、しかもこの男と来た日には毎日毎日自分のホームページで事業と関係者に対する悪口雑言の限りを尽くすのですからたまりません。たまったものではありません。ほんとにお察し申しあげます。
 とはいえ二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに民間委員のみなさん。私はここでひとつだけ指摘しておきたく思うのですが、ひとくちに官民合同といってもこれでなかなかに難しいものです。三重県の場合は「協働」という、よっぽどひどい言語感覚の持ち主が発案したのであろう用語を使用するのが一般的なのですが、呼称はどうあれ行政と住民が合同で何らかの事業を進めるということは、お役人と地域住民がへらへらべたべた馴れあったり凭れあったりすることを意味しているのでは決してありません。地域住民にとって行政との「協働」とは、すなわちお役所の論理ならびにお役人の体質との不逞極まる血戦(by 横光利一、なんちゃって。あらよっと)にほかなりません。いかがですか二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに民間委員のみなさん。お役所の論理はともかくお役人の体質に関しては、みなさんもさまざまに思い当たることがおありなのではないでしょうか。どーですかみなさん。リベンジのためのリターンマッチに立ちあがろうではありませんか。「伊賀びと」とやらの心意気を高らかに示そうではありませんか。どーですかみなさん。不逞極まる血戦の火蓋を切ってやろうではありませんか。
 しかし私は何が嬉しくてこんなことごちゃごちゃ焚きつけているのでしょうか。死人の心臓に心臓マッサージやったって意味はないわけなんですが。


●8月16日(土)
 三重県職員のみなさん、おはようございます。と申しましてもきょうは土曜でお休みか。それならば本日は二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんにご挨拶を申しあげましょう。ちなみに休日でもご出勤の三重県職員のみなさん、まことにどうもご苦労さまです。
 さて二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、その後お元気でいらっしゃいますか。私のほうはと申しますといわばみなさんの拠って立つ基盤を確認するために、みなさんおなじみの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局に都合八項目の質問をお送りして、お答えがいただけるかどうかのご回答をお待ちしているところなのですが、なんだかどうもまどろっこしい話です。
 もしもご回答がいただけなかった場合はさあ大変、みなさんにとって一大事が出来いたします。いかにもみなさん好みの言葉で申しますとアイデンティティってやつですか、「伊賀びと」の自立性や主体性やアイデンティティとやらの問題が曖昧なままで事業に突入することになりますから、ただでさえ税金の無駄づかいだと批判を浴びている恥さらしな事業がさらに見苦しく無価値な、敢えていえば伊賀地域にとって百害あって一利もないものになってしまいます。
 もちろん私は二〇〇四伊賀びと委員会とは何の関係もない人間ですから、大きなお世話といえば大きなお世話、余計なお節介といえば余計なお節介、しかし横から拝見していてこれはちょっと目に余るなと、見過ごしにはできないなと、そろそろかましてやるべきだなとの断固たる結論に至りましたので、関係各位を軽く一発、
 「いくら二〇〇四伊賀びと委員会が莫迦の集まりだからといって、相手が莫迦なら何をやったっていいんだなんていう法はどこにもないんだこの莫迦」
 と叱り飛ばしてやった次第です。いえいえ、お礼には及びません。当然のことをしたまでです。かんらかんら。積善の家に余慶ありか。
 しかしまあ二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに民間委員のみなさん、さらには「伊賀びと」のみなさん。じつは私は、みなさんの偉大な先達田中善助が百年も前に伊賀の地に実現を夢見て果たせなかった地域主義を、みなさんの手でこの地に根づかせていただければ嬉しいなと、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が地域主義の土壌になってくれれば嬉しいなと、ずっとそのように思っていたわけです。災いを転じて福となすではありませんが、県によるばらまきを意義のあるものに転じる道はただひとつ、みなさんに田中善助の地域主義を継承していただくことであったと思っております。だからこそ地域社会の主体性が重要な問題だと、むなしく主張している次第です。
 ただまあ伊賀の地に地域主義を実現するとなりますと、みなさんにはもっともっとお勉強をしていただかなければなりません。仲間内でしか通用しない独りよがりな価値観は捨てて、知見を広め教養を身につけることに努めていただかなければなりません。視点をいったん外在化させ、そのうえで伊賀地域に内在する可能性をつぶさに検討していただかなければなりません。
 いやいや、なんだか説教がましくなってしまいました。何を申しあげても馬の耳に念仏か。いえそんなことはないのですが、とにかく「伊賀びと」のみなさん、私はそろそろあほらしくなってきております。心あらばどうぞ激励のメールでもお寄せくださいな。
 しかしやっぱり犬に論語か。兎に祭文か。そーいやそもそも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業なんて猫に小判みたいな話ではありませんか「伊賀びと」のみなさん。かんらかんら。民はこれに由らしむべく、これを知らしむべからずか。


●8月15日(金)
 三重県職員のみなさん、おはようございます。お盆もお仕事ご苦労さまです。雨も降ってますけど負けないでください。世間の人は公務員のみなさんのことをあまりいいようには申しませんが、それだけに人にはいえない艱難辛苦もさぞや多かろうとお察ししております。めげることなく職務にご精励ください。
 それにまた最近はなんですか地方分権とやらの話がかまびすしく、ほんとにあんなものが推進されたら三重県職員の方はお仕事がますます大変になるのではないかと心配しております。
 ただまあ、首相がいくら「地方のことは地方に」と声をおあげになったところでですね、中央省庁のお役人には国会議員とがっちりスクラムを組んで地方分権を実力で阻止してくださる方が少なくありませんから、当分のあいだは大丈夫なのではないでしょうか。
 いや、決して安心はできないのかもしれません。といいますのも、当節はパフォーマンス首長というのが全国各地に夏場の蚊のごとく発生し、知事といわず市町村長といわず、改革のマニフェストの蜂の頭の蜥蜴の尻尾のとやかましい限りなのですが、あの手の首長さんたちはこぞって地方分権の推進を声高に唱えていらっしゃいますから、やはりみなさんも安閑とはしていられないのかなとも思われます。
 げんにわれらが三重県の知事にいたしましても、
 「地方分権を推進せよ!」
 ですとか、
 「税財源を地方に移譲せよ!」
 ですとか、政府に対し力強く要求をつきつけてくださっているのであろうと拝察している次第です。
 したがいまして三重県職員のみなさん、みなさんが望むと望まざるとに関わらず、地方分権は時代の趨勢であると申しあげるしかありません。それにわれわれ一般国民の感覚から申しましても、たとえばそこらのバス停の位置を五百メートル移動させるためにどえらい手間と時間をかけて中央省庁の許認可を得なければならないなんてのは、どう考えても不合理な話です。中央省庁のお役人がいくら優秀でも、うちの近所のバス停のことご存じのはずがありませんし。
 したがいまして三重県伊賀県民局のみなさん、地方分権をめぐる現今の時代の流れに即して申しますならば、私なんか各県民局が三重県政においていまよりもっと重きを占めるべきなのではないかと、つねづねそのように考えている次第です。三重県職員のなかで伊賀地域の実情を一番よく理解してくださっているのはやはり伊賀県民局の方でしょうし、住民感情に即して申しましても、県民局がただの出先機関ではなく、県政における伊賀地域の中枢であってくれたほうがずっとすっきりいたします。何でしたら私のほうから、
 「各県民局の権限と責任を強化せよ!」
 と知事宛にメールをお出ししておきましょうか。あ。そんなことしなくていいですかそうですか。
 ですから今回の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業もですね、近代化の過程で失われてしまった地域の主体性を回復する絶好の機会だととらえれば、あたら税金を無駄づかいするだけに終わることもなかっただろうと思われるわけなんですが(いや事業はまだ始まってもいないわけですが)、事業関係者の方はそのあたりのことをいったいどうお考えであったのか。
 これまでの経緯を振り返ってみましても、たとえば事業の事務局はどーんと伊賀県民局に置かれました。同局企画調整部広域交流プロジェクトグループが事務局を担当し、まさしく伊賀県民局が県政における伊賀地域の中枢として機能する体制が整えられたわけで……
 いや違いました違いました。伊賀県民局職員のSさんからお知らせいただいたところでは、事務局は伊賀県民局から県の文化事業担当部局である生活部に移管されてしまいました。うっかりしておりましたが、どうも話がややこしくて。やっぱり伊賀県民局は無能力だと判断されたのでしょうか。
 ただまあ、それはそれとして、事業を支援しバックアップするための事業推進協議会というのが結成されましてですね、この組織では伊賀地域七市町村と伊賀県民局が固く連携協力……
 いや違いました違いました。たしかに事業推進協議会というのが結成されまして、会長には上野市の市長さんが就任されたらしいのですが、
この組織はこのあいだ知事を会長に戴いた事業推進委員会に移行したばかりではありませんか。うっかりしておりましたが、どうも話がややこしくて。やっぱり上野市の市長さんは無能力だと判断されたのでしょうか。
 しっかし三重県職員のみなさん。こうして見てみますとこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業、長きにわたって失われていた地域の主体性を回復する機会なんてものではまるでないことがよっくわかります。みなさんいったいどうなんですか。地方分権に賛成なんですか反対なんですか。いやそんなことより、三重県知事はいったいまあどのようなご存念でいらっしゃるのでしょうか。
 中央に対して、
 「地方のことは地方にまかせろ。地方分権を推進せよ」
 と力強く要求なさってる知事がですね、三重県という一地方においては、
 「伊賀地域のことは三重県にまかせろ」
 なんておっしゃるのでは、ちょっと筋が通らないのではありませんかみなさん。
 「地方のことは地方にまかせる。地域のことは地域にまかせる」
 というのが、地方分権という時代の趨勢にぴったり即した考え方なのではありませんかみなさん。
 「伊賀地域のことは伊賀地域にまかせる」
 といえる知事であって初めて、中央に対して、
 「三重県のことは三重県にまかせろ」
 と迫ることができるのではないかと私には思われるのですが、三重県職員のみなさんはいったい……
 えー、ここでちょっとお訊きいたしますが、私の申しあげていることをご理解いただけておりますでしょうか。私は要するに地域の自立性や主体性を問題にしているわけなのですが、よく考えてみましたら公務員のみなさんは自立性や主体性という言葉から死ぬほど隔たった場所に位置していらっしゃる方々なわけで、こうした話題には敏感に反応していただけないのかもしれません。ちょっと困ったな。
 しかしみなさん、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業において地域の自立性や主体性に大きな矛盾が存在しており、それが世の趨勢である地方分権の流れに逆行するものだということは、たぶんそこらの小学生にだって充分理解してもらえる理屈であろうと私は確信しております。
 さあどうしますか三重県職員のみなさん。そこら歩いてる五つ六つの洟垂れどもがですね、三重県庁の前を通りかかるときいっせいに、
 「やーい。三重県、三重県、よく三重県。パンツのなかまでよく三重県。やーい。やーい」
 ですとか、
 「やーい。三重県、三重県、後進県。地方分権後進県。やーい。やーい」
 ですとか、そんなこと大合唱してくれた日にはたまったもんじゃないと思うのですが。しかしそれにしても、
 「パンツのなかまでよく三重県」
 とはまたきょうびの餓鬼どもはいったい何を抜かしますことやら。これに対抗できるのは吾妻ひな子師匠の十八番であった、
 「腹が張っても兵庫県」
 くらいなものではないかと私には愚考される次第です。ご存じない方のために申し添えておきますと、この場合の「兵庫県」は「屁をこけん」の掛詞です。
 いや、朝からご無礼つかまつった。


●8月14日(木)
 三重県職員のみなさん、おはようございます。県勢進展のために日々ご尽力をたまわり、あらためてお礼を申しあげる次第です。
 及ばずながらこの私めも、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に敢然と叛旗を翻したことに端を発し、いまやカリスマ改め癒し系として伊賀地域に安心立命をもたらすべく微力を尽くしている毎日なのですが、ことはどうやら伊賀地域のみにとどまらなくなってしまったみたいです。お役所のせいで何かしらの憤懣を抱いてしまった県内各地の人たちから、心のケアを求める声がぽつりぽつりと寄せられるようになりました。
 たとえば二三日前に入ったファクスには、これは伊賀県民局のことではないのですが、

何を勘違いしてかどこぞの県民局のオバはんが役所の職員でもなんでもない県民に対して、直属の上司みたいなえらそうなことをぬかした

 といった憤懣の記された文章が、それどころか公開することすら憚られるような文言を綺羅星のごとくに鏤めた文章が記されておりまして、私は沈痛な思いを噛みしめました。ま、いろんな意味で沈痛だったわけですが。
 そんなような次第ですから百八十万三重県民のみなさん、県政に対する不満や憤懣やすっとこどっこいその他がございましたら、どうぞお気軽に不肖名 張市立図書館カリスマ改め癒し系嘱託までお寄せください。お役所のせいでささくれ毛羽立ちざらついたあなたの心に、たとえつかのまでも平安がもたらされるよう一心に努めたいと存じます。

八項目の行方

 なんてことやってるあいだに読者諸兄姉、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の事務局からメールを頂戴いたしました。局長さんのご回答を添付ファイルでお送りいただきました。これは公開を前提としてお願いした回答であり、とくに非公開を希望される旨の文言も見当たりませんので、さっそく全文をご覧いただくことにいたします。

題名中 相作氏への回答

 いつも貴重なご意見ありがとうございます。私たち伊賀びと委員会事務局といたしましても2004年の事業に向けて鋭意準備を行っているところです。
 今後もお気づきの点がございましたらご意見をいただきますようお願いいたします。
 さてご質問の件についてでございますが、この事業は伊賀や三重の魅力を全国に発信し、それにより地域づくり、ひとづくりにつなげようというもので、事業推進委員会の中にあって具体的に事業を企画、実施するのが2004伊賀びと委員会であります。
 また、この事業は三重県全体で取り組んでいく事業であると認識することから、事業実施段階に入る2003年に事業推進協議会(会長:上野市長)から移行し三重県知事を会長とした事業推進委員会を設立したものです。
 この事業推進委員会は事業の方針を決定するとともに伊賀びと委員会での企画・実施に対しバックアップ、支援する機関でもあります。従って、この事業全体についての責任の主体は事業推進委員会であり、この事業の企画・実施主体が伊賀びと委員会であります。
 なお 今後この事業推進委員会は伊賀びと委員会からの提案事業を受け、全体の事業費を決めていくことになります。

参考
1)H14年1月 基本構想発表
2)〃   5月 事業推進協議会 設立
3)〃   8月 伊賀びと委員会 設立
4)H15年8月 事業推進委員会に移行

  中 相作  様

    2003年8月

「生誕360年 芭蕉さん 秘蔵のくに
伊賀の蔵びらき」事業推進委員会事務局
2004 伊賀びと委員会事務局

局長

 以上。局長さんのお名前は勝手ながら伏せさせていただきました。
 で、負けてはならじと私めも、局長さん宛に添付ファイルをお送りいたしました。こんな内容です。

 お忙しいところご回答をたまわり、ありがとうございました。お手数をおかけして心苦しく存じております。局長職のお勤めは何かと大変だろうと拝察いたしますが、今後ともご尽力くださいますようお願いいたします。いずれ拝眉の機を頂戴して、あらためてご挨拶を申しあげたいと思っております。

 さて、きわめて遺憾なことなのですが、せっかくいただいたお答えに対して、はなはだ失礼なことを申しあげなければなりません。その点をまず、お詫びいたします。そのうえで単刀直入に申し述べますと、お答えは何分にも不得要領に過ぎ、質問した者としては困惑を感じざるを得ません。

 私がお訊きしたかったのは、先のメールにも「質問というのはほかでもありません、この事業推進委員会とはいったい何かということです」と記しましたとおり、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の事業推進委員会についてであり、この委員会と二〇〇四伊賀びと委員会との関係性についてです。

 質問した理由は、これまで事業の準備を進めてきた二〇〇四伊賀びと委員会の自立性と主体性を確認したいということにほかならず、お答えをいただきやすいよう七項目の質問を設定した次第です。念のために再度、質問を掲げます。

 一) 事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか。
 二) 事業推進委員会が目的とするものは何か。
 三) 事業推進委員会が目的を達成するための具体策はあるのか。
 四) 推進協議会の発足はいつか。これまでに何回の会合を開いてきたのか。その内容は公表されたのか。
 五) 事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か。
 六) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者は誰か。事業推進委員会の会長である知事か。二〇〇四伊賀びと委員会の代表には、事業に関して何の責任も権限もないのか。
 七) 事業推進委員会の次の会合はいつか。その会合で何を協議するのか。

 いただいたご回答から判明しましたのは、せいぜいが質問四のなかの「推進協議会の発足はいつか」くらいなものでしょうか。残りの質問に関しましては、礼を失した表現ながら。きわめて不誠実な内容に終始していると申しあげるしかありません。

 たとえば、「この事業推進委員会は事業の方針を決定するとともに伊賀びと委員会での企画・実施に対しバックアップ、支援する機関でもあります。従って、この事業全体についての責任の主体は事業推進委員会であり、この事業の企画・実施主体が伊賀びと委員会であります」といったお答えから、いったい何を理解せよとおっしゃるのでしょうか。

 私は、事業推進委員会と伊賀びと委員会との関係性について質しております。前者は後者の上位機関かとお訊きしております。もしも事業推進委員会と伊賀びと委員会とのあいだで意見の食い違いが生じた場合、いったいどちらの意見が優先されるのかといったことを確認しております。どうしてその点に、明確なお答えをいただけないのでしょうか。

 先に伊賀県民局長から回答を頂戴したときにも同様の疑問を感じたのですが、もしかしたら三重県庁には、県民から寄せられた質問にはできるだけ曖昧に、焦点をぼかして、ひたすらのらりくらりと回答せよ、とでもいった内規があるのでしょうか。

 冗談はさておきまして、形を変えて質問いたしますと、平成十四年五月に事業推進協議会が発足した時点で、この組織はいずれ事業推進委員会に移行するということが決定されていたのでしょうか、そうではなかったのでしょうか。

 もしも決定されていたのであれば、二〇〇四伊賀びと委員会による事業紹介のタイムテーブルにそれが明記されていてしかるべきですし、もしも決定されていなかったのであれば、先の質問にも記しましたとおり、ここへ来てどうして事業推進委員会への移行が必要になったのか、どうしても理解することができません。

 ですから私は、私のような一般県民にも理解が届くよう、できるだけ回答していただきやすい形で質問をお送りした次第です。たとえば質問七の「事業推進委員会の次の会合はいつか」など、こんな単純な質問にどうして即答していただけないのでしょうか。一事が万事この調子で、この回答は糊塗や隠蔽を勘ぐられても仕方のない内容であると判断されるということを、ここに書き添えておきたいと思います。

 とはいえ、お立場上、ある程度以上のことはお答えいただけない、といったご事情もおありなのかもしれません。むろん、そうした事情は当方の与り知らぬことであり、質問に明瞭にお答えいただきたいのは申すまでもないことですが、もしも何らかの事情がおありでしたら、貴職に強いてお答えをお願いすることは差し控えることにいたします。

 ただ、これ以上のご回答を頂戴することができるのかできないのか、最後にそれだけを確認させていただきます。先のメールに記しました七項目の質問にご回答をいただくことは、可能でしょうか、不可能でしょうか。もしも可能なのであれば、次の質問を追加いたしたく思います。

 八) 事業の計画と予算が最終的に決定されるのはいつか。

 指図がましくてまことに恐縮ですが、都合八項目の質問にお答えをいただけるのかどうか、その点についてメールでご回答をいただきたく存じます。公務ご多用のところ、ご厄介をおかけしてまことに申し訳なく存じます。なにとぞよろしくお願い申しあげます。

  二〇〇三年八月十四日

 いやはや、上記の文章を書きあげたあと、いただいたのと同じワード文書にしようとして大騒ぎしてしまいました。私はワードというワープロソフトを普段使用していないものですから、何が何やら要領がわからず、えらく時間をかけておおきに悪戦苦闘したのですが、結局はワード文書にすることができずに単純なテキスト文書で送信した次第です。いやまいったまいった。
 そんなような次第ですので、予定していたオチまで至らぬうちに本日はおしまいです。ま、こんな日もあるでしょう。


●8月13日(水)
 三重県職員のみなさん、おはようございます。とご挨拶申しあげましても、はたしてご覧いただいているんですかどうですか。
 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、おはようございます。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の事務局を担当している三重県生活部からは、いまだ回答が届いておりません。質問は8月4日に伊賀県民局職員のSさんにメールで送信し、Sさんからさらに生活部に転送されたとのことですが、七項目といったって答える気があればたちどころに回答できるはずのものばかり。本日に至ってなおお答えがいただけないということは、生活部にはそもそも回答する意志がないのだと判断するべきかもしれません。そうなりますと不本意ながらこれまでどおり、私はほとんど新聞報道のみに基づいて憶測臆断を積み重ね、そのうえでみなさんを批判しなければならぬことになるわけですが、もしもひどく見当はずれなことを申しあげてみなさんを罵倒する結果になりましても、それは生活部が私の質問にちゃんと答えてくださらないからであるとご理解ください。それから、みなさんのなかにたとえば「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の結成はいつ誰によって決定されたのか、なんてことをご存じの方がいらっしゃいましたら、と申しますか、みなさんは当然ご存じでなければおかしいわけなのですが、どうぞお気軽にお知らせください。
 さて三重県職員のみなさん。もしも生活部からお答えがいただけないのであれば、事業推進委員会の会長でもいらっしゃる知事にお訊きするしか私には手がなくなります。県オフィシャルサイトの「知事のページ」には知事室チームのメールアドレスが明記されていますから、私はとりあえずこのアドレスに知事宛の質問を送信いたしますが、おそらくお答えはいただけないことでしょう。知事にメールをご覧いただけるかどうかも怪しいぞ、とさえ私は勘ぐっております。とはいえほかに手がないんですから仕方ありません。何らかの反応が見られるまで、同じ内容のメールを毎日お送りすることにいたしましょう。もちろん一県民のメールに知事がいちいちお応えにならねばならぬという義務は、たぶんどこにもないでしょう。しかし義務はなくたって人の道というものがあります。いやいや、人の道以上に人の目というものがあります。この伝言を閲覧してくださっている県民各位は、きょうも知事からの回答はありません、きょうも知事からの回答はありません、きょうも知事からの回答はありません、と日々判で捺したように書き込まれる私の伝言をお読みになって、はたしてどんな感想を抱かれるのでしょうか。申すまでもなく私のことは、おそらく気違いか何かだとお思いになることでしょう。しかし三重県職員のみなさん、インターネットなんてある意味気違いに刃物みたいなものなんですから、重々ご注意遊ばしますよう。
 さて二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに民間委員のみなさん。上に記しましたような次第で、本来であれば事実関係を確認してから申しあげるべきところ、県が事実関係を教えてくれませんから未確認のまま話を進めます。要するにみなさんの自立性主体性が県によって骨抜きにされたとしか見えない、という話です。えー、何と申しますか二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに民間委員のみなさん、あなた方はあほですか。いやお静かにお静かに。つまり私が申しあげたいのは、みなさん単にいいように利用されただけの話ではないんですかということです。そうとしか思えないという話です。三重県が伊賀地域に三億円をばらまくにあたって官民合同の組織をつくった、それがみなさんです。ばらまきに際してもっとも骨が折れるのはその配分です。なにしろお金のからむ話です。限られたパイをどれだけ多く獲得するかという分捕り合戦です。紛糾するのは目に見えています。げんにおおきに紛糾したと伝えられます。収拾のつかない事態に立ち至ったと仄聞します。二〇〇四伊賀びと委員会による運営に少なからぬ批判が集中したと聞き及びます。それでもなんとか予算配分が決定し、計画の発表を待っていよいよ個々の事業の準備が始まるぞ、と私は喜び勇んでおりました。『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の予算は五百五十万円、との内示を知ったときのことです。ところがどうでしょう。事業計画はいまだ発表に至らず、この事業に関して手を汚したり汗を流したりしたことなど一度もない新米知事がまあのこのことしゃしゃり出てきていらっしゃいまして、自分がこの事業のボスである、事業は県が主体になって実施する、とのたまわれたわけなんです。予算はこれから協議する、なんてことも報道されたわけなんです。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに民間委員のみなさん、7月31日の知事の発言は、私にはみなさんに引導を渡すものだとさえ感じられた次第なのですが、みなさんはいかがお考えでしょうか。あのふたつの会合の新聞記事をお読みになって、おまえたちはもう用済みだ、といったニュアンスをお感じにはなりませんでしたか。官僚機構の冷酷さが身にしみて実感されはしませんでしたか。少なくとも私には、みなさんは単にいいように利用されただけではないのかと見受けられる次第です。新聞報道など与えられた材料から判断する限り、そうとしか見えません。だいたいがみなさん、とくに民間委員のみなさん、あなた方は自分たちの自立性や主体性についてじっくりお考えになったことがおありなのでしょうか。「伊賀びと」などとことごとしい名乗りをあげて地域振興の旗を掲げていただくのであれば、いくらなんでももうちょっとしっかりしていただきませんとね、と私は思います。さらなる批判はまたあすにでも。それからみなさんも、陰でぐずぐずごちゃごちゃおっしゃってないで、私へのご批判はどうそお気軽にお寄せください。
 そして三重県職員のみなさん。みなさんはもしかしたら、あの名張の莫迦は僻み根性からなーにとんちんかんなことを抜かしておるのか、とお思いかもしれません。それならそれで結構です。もしも私がとんでもないとんちんかんを申しあげているのでしたら、お願いですからそれをきっちりご指摘ください。厳しくご叱正ください。ただひとつ、再度これだけは申しあげておきたいと思いますが、いくら二〇〇四伊賀びと委員会が莫迦の集まりだからといって、相手が莫迦なら何をやったっていいんだなんていう法はどこにもないんだこの莫迦。いやどうも失礼いたしました。さるにてもきょうは8月も13日。もうお盆ではありませんか。毎年お
正月とお盆の16日は地獄の釜の蓋があく日とされ、地獄の鬼さえこの日は罪人の呵責を差し控えると伝えられます。したがいまして私としても、知事宛のメールは週明けの18日以降にお送りしたいと考えます。知事室のみなさん、よろしくどうぞ。さて、胡瓜と茄子でお盆の供え物つくらなくちゃ。


●8月12日(火)
 二〇〇四伊賀びと委員会の企画編集で8月1日に発行された「2004伊賀びと通信」第5号、「詳しくは、中面をご覧ください」との仰せにしたがって、四ページ建ての見開きに掲載された「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業
展開ストーリー」を拝見いたしました。こんな感じです。

事業展開ストーリー

 それにしても、これはいったいどうしたことなんでしょう。何かが違う、という気がしてなりません。こんなはずでなかったに、と私の胸に囁く声があります。英語で表現すれば、
 He is not what he was.
 といったところでしょうか。
 おわかりですか二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。この場合の「what」は関係代名詞ですから、「何々するところの何々」と訳されます。したがって上記の英文は「彼は彼であったところのものではありません」といった意味になるのですが、もう少しこなれた日本文にすると「彼は昔の彼ならず」。たしか太宰治がこんなタイトルで甘ったれた小説を書いておりましたっけ。いやー、井伏さんは悪人です。
 井伏さんのことはどうだっていいんですが、ことここに至って私には、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」は昔の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ならずと、名称が長ったらしいせいでたいへん語呂が悪いのを遺憾といたしますが、とにかくそのように感じられる次第です。
 少なくとも私の知っている「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」は、8月になってようやく「事業の展開ストーリーの大枠を固めました」なんて局面を迎えるものではありませんでした。いやいや二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、私は何も事業実施計画案の発表遅延をとがめだてしているわけではありません。初めて実施される事業ゆえ参考とすべき事例前例も見当たらぬことでしょうし、「2004伊賀びと通信」第5号によれば公募による事業提案が三百を超えたというのですから、計画策定に予想以上に時間を取られるのは致し方ないだろうなくらいのことは私だって思います。
 しかしことここに至っては、これは単なる遅延ではないだろう、とも思わざるを得ません。これはすでにして変質ではないのか、との疑念を抱かざるを得ません。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業には、いつかの時点でこっそりと重大な変質がもたらされてしまったのではありますまいか皆の衆。
 当初の予定では、今年3月末には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の実施計画案が策定されることになっていました。「2004伊賀びと通信」第2号にもそれが明記されています。ところが3月末になっても、計画案は発表されませんでした。致し方あるまい、と私は思いました。
 一か月遅れの4月末を迎えても、事業実施計画案は発表されませんでした。もたついてるんだろうな、と私は思いました。
 5月末も同様でした。ごたついてるんだろうな、と私は思いました。
 6月末もまたしかり。ふらついてるんだろうな、と私は思いました。
 そして7月末、いったい何がありましたか。
 7月31日、上野市内でふたつの催しが開催されました。なぜか唐突に(と私には感じられたのですが)「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会とやらの設立総会が催され、会長に野呂昭彦知事が就任なさいました。つづいてその野呂知事を囲んだ集会「知事と語ろう 本音でトーク」が開かれ、知事は観光振興に関する参加者の質問に答えて、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は県が主体となって実施する旨明言されたと伝えられます。
 そして翌8月1日発行の「2004伊賀びと通信」第5号には、「事業展開ストーリー/次のステップへ!」だの「知事を会長とした/推進委員会が発足」だのと説明不足にもほどのある文言がこそこそと、そして「公募により提案のあった総数300を超える事業の整理、調整を行い、事業の展開ストーリーの大枠を固めました」なんて説明がぬけぬけと書きつけられていたという寸法です。
 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。いったい何があったというのでしょうか。どうなってしまったというのでしょうか。裏でこんな絵図を引いたのはどこのどなたでいらっしゃるのでしょうか。黒幕は、いやさ悪人はどいつなんですか井伏さん。
 ですから井伏さんのことはどうだっていいんですが、ここで打ち明けてしまいますと二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、私は過去においても現在においても、みなさんのことを全面的に信用しているというわけでは決してありません。ただ今回の事業において、みなさんの自立性主体性だけは全面的に信用して疑うことを知りませんでした。事業ホームページに掲載された2002年1月9日付「基本構想」にも、ちゃんとこんなふうに書かれておりますし。

具体的に何をするのか、それをどのように実現していくかといった部分は地域住民に任せるべきである。
地域住民が地域を守って活かしていくことが最も大事なことであり、情報の発信主体は住民とならなければならない。その中核は伊賀びとが担うことになろうが、伊賀や芭蕉について何らかの情報発信をしたいという人であり、その趣旨が本事業に合致するのであれば、その人は発信主体たりうる。

 いかがですか二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、とくに委員のなかの民間委員のみなさん。私にはどうにも、みなさんの自立性主体性ってやつが県によって骨抜きにされたとしか見えないわけです。むろんこんなのは何も事情を知らない部外者が抱いた印象に過ぎぬわけですが、伊賀地域住民のほとんどはこの事業の部外者なわけなんですから、部外者にもちゃんと事情を説明していただかないと、事業そのものが地域社会から完全に遊離したものになってしまいかねません。
 ですから私は、たぶん私にだって誤解や誤認、早呑み込みな勘違いや見当はずれな思い込みは多々あるでしょうし、それに基づいて二〇〇四伊賀びと委員会を批判しているのだとしたらとんでもないことですから、伊賀県民局に向けてこんな質問をいたしました。

一) 事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか。
二) 事業推進委員会が目的とするものは何か。
三) 事業推進委員会が目的を達成するための具体策はあるのか。
四) 推進協議会の発足はいつか。これまでに何回の会合を開いてきたのか。その内容は公表されたのか。
五) 事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か。
六) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者は誰か。事業推進委員会の会長である知事か。二〇〇四伊賀びと委員会の代表には、事業に関して何の責任も権限もないのか。
七) 事業推進委員会の次の会合はいつか。その会合で何を協議するのか。

 で、この質問は事業の事務局を担当することになった三重県の生活部に回されて、私はいまや遅しと生活部切っての切れ者の方からのご回答をお待ち申しあげているところです。
 さて、あすはもう少し手厳しいことを記しましょうか。


●8月11日(月)
 台風一過、一挙に暑くなってしまいました。あんまり暑苦しい話題もなんだかな、と自省しつつ、本日も「人外境だより」往復投稿集をお届けいたします。

臼田惣介   2003年 8月 9日(土) 23時59分

人外境主人 殿

いや、思いもかけず表舞台にお引き立て頂いたようで、ちょっと恥ずかしいです。
それはともかく、ついでに一言付け加えさせてもらいます。
もちろん、サラリーマンだって、ぼろくそに言われてもひたすら耐えるのが商売なんですが、これは多分に個人や企業の行動や能力が関係者の損得勘定に直接結びついていて、理屈ではおさまらん部分もあるわけです。
それに比べ、役所や公務員というのは個人的な損得勘定抜きの大所高所にたっての仕事なんですから、それほど卑屈になったり、耐え忍ぶ必要はないわけで、その裏には民間人には思い至らぬ事情もあるのではないかと、まぁ単なる一介の納税庶民である私には思えるのです。ですから、サンデー先生の暴言に対して、「こっちにも事情ってもんがいろいろあるんや、あんたのために仕事してんのとちゃう、そんなこともよう分からん奴が何寝言言うとんね、ごちゃごちゃ言わんと黙っとれ」、ぐらいのことは言って欲しいなぁと、まぁそう言う思いであれを書いてみたのです。それにしても、庶民には思い至らぬ事情というのにも、庶民のわたしは多いに興味をそそられるところではありますが。もちろん、そんなものがあったとしての話。
今日もタイガースは負けてしまいました。また、憂さ晴らしです。では。

 三重県職員のみなさん。みなさんはご存じないかもしれませんが、臼田惣介さんは東京創元社が社運を賭けて放った(かどうかは不明ですが)ミステリ専門誌「ミステリーズ!」にも連載をお持ちのミステリマニアでいらっしゃいます。批評精神が洋服着て歩いてるような方なのですが、これがまた関西ミステリマニア界のリーサルウェポンと呼ばれるほど容赦仮借のない批評精神で、プロの作家も三舎を避けようという勢い。その臼田さんがここまで肩入れしてくださるなんてまず滅多にないことですから、これはたいへん名誉なことだとお思いください。臼田さんのご期待にお応えするのが人の道かと考えます。
 ついでですから私のも。

サンデー先生   2003年 8月10日(日) 8時14分

 臼田惣介様
 お疲れのところありがとうございます。連日エールをたまわり、伊賀県民局のみなさんも大喜びしていらっしゃることでしょう。三重県職員一同になりかわってお礼を申しあげます。
 公務員における「庶民には思い至らぬ事情」と申しますのは──と話をつづけたいところなのですが、これからちょこっと出かけなければなりません。朝のうちに亡父の墓参を済ませるだけの話なのですが、つづきはまたあしたということでよろしくお願いいたします。
 それにしても今季初の三連敗、心中お察し申しあげます。年季の入ったピッチャーはそろそろ顎があがってきたということでしょうか。うちなんか上原が意味もなく快調で。はたはっは。

 いやー、若手の井川でも負けてこれで四連敗。うちなんか川相が最多犠打世界タイ記録、チームとしては両リーグ今季最長試合と、相変わらず意味もなく快調なわけですが。
 さてきのうのつづきです。臼田さんのおっしやる「庶民には思い至らぬ事情」を明らかにすることこそ、じつはお役所における情報公開ってやつなんです。おわかりですね三重県職員のみなさん。たとえば首長の交際費を公開するなんてのはほんの序の口、煎じ詰めればお役所という密室のなかでお役人衆がどんな基準に基づいてものごとを決定しているのか、庶民にはまことに窺い知れぬまた理解の届かぬその点を白日にもとにさらすことによって初めて、ここにお役所の情報公開が達成されるという寸法です。
 早い話、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に事業推進委員会なんてのがしゃしゃり出てくることがいつ、誰によって、どんな理由で決定されたのか、私にはまるでわかりません。ですから私のような一般県民にも理解が届くようにきちんと事情を説明してくれと、私は七項目に及ぶ質問をお送りしてお願いしているわけなのですが、むろん三重県職員には私の個人的な質問にいちいち答えねばならぬ義務はありませんから、

He is not what he was

 なんてことをのんびり囀ってる場合ではなくなってきたようです。昨日、拙宅に「広報なばり」だの「なばり市議会だより」だの「県政だよりみえ」だのといったお役所の広報誌がまとめて届けられたのですが、なかにこんなのが混じっていました。

「2004伊賀びと通信」第5号

 「事業展開ストーリー/次のステップへ!」と書いてあります。「知事を会長とした/推進委員会が発足」と書いてあります。そして、

 このほど、2004伊賀びと委員会では、公募により提案のあった総数300を超える事業の整理、調整を行い、事業の展開ストーリーの大枠を固めました。詳しくは、中面をご覧ください。

 と、書いてあります。


●8月10日(日)
 台風10号も北に去り、きょうあたり台風一過の夏空が輝きわたるものと思われます。当地には何ほどのこともありませんでしたが、読者諸兄姉がお住まいの地方ではいかがだったでしょうか。
 さて、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の新しいホームページが開設されるそうですので、私はホームページ作成のいわば先達、僭越ながら構成その他に関してささやかなアドバイスをと考えてみました。
 同事業の現在のホームページはこれなわけですが。

秘蔵のくに伊賀の蔵びらき

 ささやかなアドバイスをと考えてはみたのですが、それより先に三重県知事にアドバイスをかましてさしあげなければならぬのかもしれません。
 昨9日発行の地方紙「伊和新聞」には、7月31日に上野市内で開かれた県主催の行事「知事と語ろう 本音でトーク」が報じられています。県民二百人が参加し、うち二十二人と知事が県政全般に関して質疑応答を行ったという内容ですが、質問者の一人、名張市に隣接する青山町住民と知事とのやりとりを引きましょう。

 (青山町) 観光地伊賀の全国への情報発信は、伊勢志摩に劣る。新戦略に力を。
  提言は率直に受け、観光資源豊かな伊賀のPRは積極化したい。来年の芭蕉翁誕生360年フェスタは県が主体。まだ国内PR段階だが、今後は世界に情報発信も考えている。

 なーにおっしゃってんだかこの方は。もちろん「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」は県事業ですから「県が主体」なのは当たり前といえば当たり前の話なのですが、それにしてもどっかおかしい。ここへ来て県がずいぶん出しゃばってきた、との印象を拭いきれません。同事業の趣旨が単なる観光宣伝に矮小化されてしまっているような気もしてきましたし。
 そういえば、同じく「知事と語ろう 本音でトーク」を報じた8月1日付の県紙「伊勢新聞」には、こんなことが書かれていました。

 伊賀地域の観光振興で、知事は来年実施の芭蕉生誕三百六十年祭に触れ、地域住民が知恵を出し合って下準備を進めていることを評価するとし、「伊賀スタイル」の観光モデルの確立への期待を漏らした。

 なんだかどうも話がおかしいわけです。「下準備」の実情を、知事はおそらくご存じないのでしょう。それが「評価」に値するものかどうか、伊賀県民局から報告は届いていないのかな。いや、これはいまでは生活部の担当か。とにかくなーんか話がおかしいうえにややこしく、だから私が知事にアドバイスしてさしあげるのがいいのかなとも思われる次第なのですが。
 先日いただいた伊賀県民局職員Sさんのメールによれば、

「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業は、昨年度は伊賀県民局企画調整部の広域交流プロジェクトグループが事務局となり、事業を進めてきました。
しかし、この事業は、伊賀を主たるフィールドとしますが、県をあげて実施するということで、事務局が県の文化事業の担当部局である生活部に移管されました(事務局は上野庁舎に駐在しています)。

 とのことでしたが、「県をあげて実施する」なんてことは最初から決まっていたことで、しかしあくまでも「伊賀びと」が主体となって企画運営を推し進め、観光のみならず広範囲な「情報発信」を目的とするのがこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業であり、それを実現するための二〇〇四伊賀びと委員会であったはずです。同事業ホームページにもちゃんとこのように記されておりますし。

2004年は、伊賀の地に生まれた俳聖松尾芭蕉の生誕360年にあたる年です。「360」は、また、全方位や原点回帰を示す「360度」を表しています。
古くから「秘蔵の国」と言われ、歴史文化などの宝物が大切に収められてきた伊賀の地から、新たな時代の伊賀の地域資源を芭蕉のように全国に情報発信することをめざして、「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業を2004年に開催します。

 ですから私もですね、蔵に眠っていた乱歩と不木の手紙を蔵開きして公開し、伊賀から全国に発信するのは事業の趣旨にぴったりではないか、みたいな適当なこと吹きまくって『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の話を進めてきたわけなのですが、こんなのは知事がお考えの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とは相容れないプランではなかろうか、とさえ思われてきた次第です。
 なんて感じで小さな胸を痛めながら、先にお送りした七項目の質問に対する生活部からのお答えをお待ちしている私です。週明けにはご返事がいただけるものと確信しております。よろしくどうぞ。


●8月9日(土)
 台風10号の影響はいかがでしょうか。当地にはやや激しい雨が降りつづいております。

リーサルウェポンかく語りき

 さて、本日は久方ぶりで掲示板「人外境だより」からの転載を。臼田惣介さんのおたよりを頂戴いたします。同掲示板の「通信作法」には、

 ご投稿の一部または全文を、「人外境主人伝言」などサイト内の他のページに転載する場合があります。あらかじめご了承ください。

 と記してあり、臼田さんも一度は眼を通していただいたはずなのですが、とっくの昔にお忘れかもしれません。となると事後承諾みたいな形になるわけですが、まあよろしくどうぞ。

臼田惣介   2003年 8月 8日(金) 0時42分

人外境主人 殿

ご無沙汰しています。毎日、帰宅するのももどかしく、伝言板拝読しています。それにしても絶好調ですね。面白くて、あほらしくて笑いをこらえられません。
しかし、なんですねぇ、公務員というか役所の人間というのは、あんだけぼろかすに言われても黙って耐えないとなれない商売なんでしょうか。まさか頭悪くて言ってることが理解できないなんてことはないでしょう。試験通ってるんだし。なんか、他人事ながら恥ずかしくなります。
ここらで一発、ばしっと馬鹿にすんのもいい加減にせえよ、と居直れる人材は名張、三重県にとどまらず全国にいないものでしょうか。じっと耐えるだけでは、同情なんて期待しても無駄でっせ。将来、公務員になって国民のために尽くしたい、と夢見ている子どもたちのためにも、公務員の皆さんには今こそ立ち上がってサンデー先生と堂々と対決して、野次馬を楽しませて頂きたいものです。私も税金払ってますし、給料泥棒なんて言われないように、なんか芸を見せてくださいよ。

最近、公私共仕事が忙しくて、ちょっと憂さ晴らしさせてもらいました。
すみません。では。

 いかがですか三重県職員のみなさん。「その調子だ伊賀県民局ッ、とエールのひとつもお送りいただければ幸甚です」とお願いしたら、三重県とは何の関わりもない方から本当にエールを頂戴してしまいました。世の中、まだまだ捨てたものではありません。
 ついでですから私のも。

サンデー先生   2003年 8月 8日(金) 8時27分

 臼田惣介様
 ご無沙汰いたしました。やはり大阪も暑いですか。死のロードは二連敗でスタートしてしまいましたし、日の暮れ方には冷えたビールでも召しあがってクールダウンなさるのがよろしいかと。
 おかげさまで三重県伊賀県民局の人気はうなぎのぼり、局長さんのフィギュアが欲しいという電話が連日殺到しているという話はさすがに聞きませんが、こんなことやってたらいつか闇討ちに遭うのではないかと戦々兢々の毎日です。
 ただまあ、本邦お役人衆二十則のひとつに「世はなべて他人ごと」というのがあって、当事者意識を完全に捨て去ってしまうのが公務員の鉄則だとされています。ですから私なども、またなんやえらいやかましのが出てきよりましたな、あんなんほっといたったらしまいに疲れておとなしなるやろ、まあわれわれには関係ありませんわな、ほなブルセラショップへパンツでも買いにいこか、なんて感じでそこらの駄々っ子のごとき扱いを受けているのかもしれません。
 もっとも今回は、官民合同の組織が手がける事業を槍玉にあげているわけですから、官民の民のほうの関係各位にも批判は当然及ばねばならず、そのあたりは「ただいま新ホームページを鋭意制作中です。2003年8月に稼動する予定ですので、ご期待ください」と告知されている事業のオフィシャルサイトが開設されてからのことにしようかなと思っております。
 またお気軽に憂さ晴らしにおいでください。当方、カリスマ改め癒し系です。

 といった次第で、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の新しいホームページがいつ開設されるのか、私は楽しみにしております。 心待ちにしております。どんなホームページになるのかな。よろしい。私のほうでもプランを練ってみましょうか。
 ところでおかげさまで光文社文庫版江戸川乱歩全集の『孤島の鬼』と『大暗室』、当地の書店にも平積みされておりました。期待を上回る出来である、と申しあげておきましょう。詳しいことはまたいずれ。


●8月8日(金)
 ありゃりゃ、と私は思いました。
 けさの新聞に光文社文庫版江戸川乱歩全集の広告が出ていたからです。光文社のホームページで確認すると、第一回配本の『孤島の鬼』と『大暗室』は8月7日発売とあります。
 この全集の予告が打たれた光文社文庫5月の新刊は5月13日の発売でしたから、私は全集の第一回配本は8月13日のことになるであろうと高らかに予言したものでしたが、これもまたとんだ見込み違いだったわけです。私の申しあげることなどあまり信用なさらぬほうがよろしいかもしれません。
 ともあれ、乱歩ファンは本屋さんへ殺到せよ。
 とだけ記して本日は失礼いたします。三重県庁の知事室と生活部ならびに伊賀県民局の皆々様、どうぞ安んじてお仕事を。


●8月7日(木)
 やあ。三重県伊賀県民局のみなさん。おたくの何はお元気ですか。いや結構結構。
 そんなことはともかくとして、いよいよ刊行が始まる光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻の話題ですが、第一巻から第二十三巻までが小説で、少年もの幼年ものもこきまぜて全作品がほぼ発表順に収められるようです。以前、少年ものは収録されないかもしれないと記しましたが、あれは完全な見込み違い。よくあることですから笑ってお見逃しください。
 第二十四巻から第三十巻までが随筆と評論なのですが、小説に比較すると収録状況はやや寂しく、乱歩生前に刊行された随筆評論集は網羅されているものの、歿後刊行分はあまり見当たりません。講談社の江戸川乱歩推理文庫でいえば、58から65までがごっそり抜け落ちている見当です。河出文庫版の江戸川乱歩コレクション全六巻が増刷されでもしない限り、お若い乱歩ファンの随筆評論に関する渇は癒されることがないかもしれません。
 もっとも、これまでの乱歩全集では一再ならず、好評につき増巻、なんてことが行われていますから、乱歩ファンの願いが版元に通じれば、意外な展開が見込めないでもありません。もしも見込み違いに終わったとしても、どうか笑ってお見逃しください。
 小説の話に戻りますと、この全集の売りのひとつは初刊に近い形のテキストを採用していることで、桃源社版全集を底本とする従来のテキストとは一線を画しています。慣れ親しんだはずの乱歩作品がどんな印象でわれわれの前に現れてくるのか、まあたいした違いはないだろうなという気もするのですが、楽しみにしてひもときたいと思います。少年ものにおきましても、いとけない少年探偵たちが初刊時のままに差別用語をばんばん喋りまくってくれると嬉しい限りです。むろん、ほかの版との表現や用字その他の異同に関しては、ぜひとも明示してもらいたいものですが。
 随筆評論の話に戻りますと、やっぱりなんか物足りないなというのが正直な印象です。かりに乱歩の全業績を網羅するとなると、今回の全集から洩れている夥しい数の随筆や評論のほかにも、対談や座談会はほとんど手つかずの状態で残されていますし、さらにほかにも『貼雑年譜』や『奇譚』を活字に起こして提供する作業なども要請されてくるでしょう。『貼雑年譜』からは唯一、「愈々書ケナクナツタ次第」が抜粋されてさるアンソロジーに収録されているのですが、キャブションのたぐいはいいとしても、乱歩の手でひとまとまりの文章として書き込まれたあれこれは、この際まとめてテキストにしておいたほうがいいように思われます。
 思われますっていってるだけではどうにもなりませんが、小説以外の乱歩の業績をまとめるなんてのはお金さえあればどうにでもなる話ですから、いかがですか三重県職員のみなさん。ろくに芭蕉作品を読みもせずに芭蕉さんがどーたらこーたらぬかしてる上野市の莫迦なんか相手にしてないで、ひとつ私に文化事業とやらとか情報発信とやらとかをまかせてご覧になりませんか。きゃはは。
 なんてことはともかくとして三重県職員のみなさん。先日書面でご挨拶申しあげたのですが、知事にはくれぐれもよろしくお伝えくださいますよう。ご心配いただかなくたって、今春就任されたばかりの知事をいきなり叩くような真似はいたしません、ともご伝声ください。少なくとも就任後一年かそこらは温かく見守ってさしあげるのが、こうした場合の仁義というものです。
 もっとも、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関していえば、前知事のばらまき行政は継承しないという旗幟を鮮明にするために、敢えて中止することが現知事にとって必要なのではないかと愚考する次第です。ほんとにもう、いくらなんでも、くだらないことに税金を注ぎ込む愚はそろそろおしまいにしなければなりません。
 私の見るところ、いまからあの事業を中止にしたところで、伊賀地域住民が乞食根性と僻み根性を全開にして激怒する可能性はむしろ少なく、真っ赤になってお怒りになるのはせいぜいが伊賀地域選出の県議会議員のみなさんだけなのではないかと想像されるのですが、三重県職員のみなさん、みなさんもとっくにお見通しのとおり、県議会議員なんて連中はどいつもこいつもじつにあれな方々なわけですから。きゃははっは。


●8月6日(水)
 なんだかんだとわあわあ申しているうちに、伊賀県民局企画調整部主査のSさんからピンポイントメールのご返事を頂戴しました。Sさんにはメールの要点を当方のホームページで紹介する、とお知らせしたのですが、私の筆を介するよりご返事をそのまま公開するほうが間違いがなくていいだろうと思えてきました。
 といった次第でSさん、どうもすいません。いただいた書面を以下に紹介させていただきます。

件名Re: ご無沙汰いたしました

中 相作 様

おはようございます。

メールをいただきありがとうございます。

「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業は、昨年度は伊賀県民局企画調整部の広域交流プロジェクトグループが事務局となり、事業を進めてきました。

しかし、この事業は、伊賀を主たるフィールドとしますが、県をあげて実施するということで、事務局が県の文化事業の担当部局である生活部に移管されました(事務局は上野庁舎に駐在しています)。

したがいまして、ご質問の件については、この事務局から回答させていただくのが適当かと思います。
現在、事務局の誰から回答させていただけるか照会中です。

明らかになり次第、再度メールさせていただきますので、今しばらくお待ちください。

 いかがですか読者諸兄姉。三重県伊賀県民局というお役所は、何はかなりあれですが職員はなかなかしっかりしていらっしゃるのかもしれません。呵々。その調子だ伊賀県民局ッ、とエールのひとつもお送りいただければ幸甚です。
 人様のメールを公開させていただいたのですから、バランスを取る意味で私の返信も公開しておくことにいたします。なんか『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』につづいて『名張市立図書館カリスマ改め癒し系嘱託三重県伊賀県民局往復メール集』が編めそうな勢いですが。

件名ありがとうございました

 メール拝受いたしました。厚かましいお願いのメールを突然お送りしましたのに、ご丁寧なご返事をたまわり、ありがとうございました。ご多用中、ご厄介をおかけして申し訳なく思っております。

 頂戴したメールの要点は、当方のホームページで紹介させていただきます。ご了承ください。そのうえで、もしもご回答をいただけるのであれば、事務局からのメールをお待ちしたいと思います。担当者の方に、よしなにお伝えいただければ幸甚です。

 手前勝手な依頼をお聞き届けいただき、たいへんありがたいことに思っております。重ねてお礼を申しあげます。今後ともよろしくお願いいたします。

2003/08/05

 といったような展開となりましたので、袖振り合うも多生の縁、たった一度お会いしただけの三重県伊賀県民局職員のみなさんにピンポイントでメールをさしあげる特別キャンペーンはこれにて終了となります。
 賢明なる読者諸兄姉のご推察のとおり、Sさん宛のメールにご返事がいただけなかった場合には、こんなまどろっこしいキャンペーンでは埒があきませんから気の短い私はこんなことをしてしまいました、なんて感じで三重県のホームページへ知事宛の同文メールをお送りしようかなと考えていたのですが、そんな手間をかける必要もなくなってよかったよかった。
 これからは県の文化事業担当部局である生活部にお相手いただくことになるそうで、お忙しいところお手数をおかけするのは心苦しいなと恐縮しながら楽しみにしている次第ですが、そうか、文化か、文化ってやつか、そういえば、文化という言葉を聞くと反射的に猟銃に手を伸ばしたくなる、なんて剣呑な男がルース・レンデルの小説に登場してきませんでしたっけ。私は猟銃なんて持ってませんからどうぞご心配なく。
 などと莫迦なこと書き連ねるのはいい加減にして、たまには乱歩の話でもしましょうか。

そういえば乱歩の全集は

 じゃーん。
 乱歩ファンお待ちかね、光文社文庫版江戸川乱歩全集全三十巻の陣立てを洩れ承りましたので、こっそりお知らせしてしまいます。どの筋から洩れ承ったのかと申しますと、そこはそれ、蛇の道はなんとかってことでご勘弁ください。

  第一巻 屋根裏の散歩者
  第二巻 パノラマ島綺譚
  第三巻 陰獣
  第四巻 孤島の鬼(第一回配本)
  第五巻 押絵と旅する男
  第六巻 魔術師
  第七巻 黄金仮面(第二回配本)
  第八巻 目羅博士の不思議な犯罪
  第九巻 黒蜥蜴(第三回配本)
  第十巻 大暗室(第一回配本)
 第十一巻 緑衣の鬼
 第十二巻 悪魔の紋章(第五回配本)
 第十三巻 地獄の道化師
 第十四巻 新宝島
 第十五巻 三角館の恐怖
 第十六巻 透明怪人
 第十七巻 化人幻戯
 第十八巻 月と手袋
 第十九巻 十字路
 第二十巻 堀越捜査一課長殿
第二十一巻 ふしぎな人
第二十二巻 怪人と少年探偵
第二十三巻 ぺてん師と空気男
第二十四巻 悪人志願
第二十五巻 鬼の言葉
第二十六巻 幻影城(第四回配本)
第二十七巻 続・幻影城
第二十八巻 探偵小説四十年(上)
第二十九巻 探偵小説四十年(下)
 第三十巻 わが夢と真実

 刊行開始は今月。初回のみ二巻、あとは一か月一巻の刊行となりますから、完結には二年と五か月を要します。読者諸兄姉、何があっても完結までは生きていましょうね。


●8月5日(火)
 いや暑かった。きのうはほんとに暑かった。母方に遠くロシアの血を引く拙宅の番犬などさあ殺せといわんばかりに寝っ転がって身も世もない風情でしたが、飼い主たる私も負けてはいられません。暑さのせいで半狂乱になり、さあ殺せといわんばかりに三重県知事に書面でご挨拶申しあげてしまいました。内容は過日伊賀県民局長にお送りした書状ほぼそのままで、要するに下記のごときものです。

謹啓 梅雨明けとともに本格的な暑さが到来しましたが、ご清祥にてお過ごしのこととお慶び申しあげます。平素は三重県のため何かとご尽力をたまわり、名張市民の一人としてお礼を申しあげる次第です。

 さて、本来であれば拝眉の機を頂戴すべきところ、略儀ながら書面にてお願いを申しあげます。

 名張市で発行されている地域雑誌「四季どんぶらこ」の最新号に、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業について寄稿いたしましたので、その旨お知らせいたしますとともに、万一記事内容に事実誤認などがあればぜひご叱正をいただきたく、勝手ながら掲載誌をお送り申しあげる次第です。記事は九ページから十四ページに掲載されております。

 念のために当方の主張の要点を列記いたしますと、

 ・「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は三重県のばらまき行政である。

 ・同事業によるばらまきを伊賀地域が受け容れて事業化を図るとしても、事業に携わる人間に予算を有効適正に活用する能力があるかどうかはおおいに疑わしい。

 ・同事業は税金の無駄づかいであると判断せざるを得ない。

 といったことです。なおこの主張は「四季どんぶらこ」最新号が発行された本年六月二十一日(原稿締切はその一か月前)現在のものですが、いまに至っても変更を加える必要性が見当たらないことを附記いたします。

 貴職からのご批判などは同誌に全文を掲載するよう手配いたしますが、次号は秋冬合併号として十一月に発行されるとの由ですので、同誌より先にとりあえず当方のホームページ(http://www.e-net.or.jp/user/stako/)でご紹介申しあげ、地域住民などに広く閲覧の機会を提供したいと考えております。事情をお酌みとりのうえ、お聞き届けいただければ幸甚に存じます。

 右、取り急ぎ用件のみ記しました。公務ご多用のところ、勝手なお願いを申しあげて恐縮しております。ご海容をたまわり、今後ともよろしくご高誼をたまわりますようお願いを申しあげます。

 暑さの折から、くれぐれも御身ご大切になさいますよう、末筆ながらご健勝をお祈り申しあげます。

敬具

 二〇〇三年八月四日

 まさかまさか、まさかそんなことはないと思うのですが、念のためにお願いをひとつ。三重県庁の知事室職員のみなさーん、私が知事宛にお送りした郵便物はきっときっと知事にご覧いただいてくださいねー。闇から闇へ葬ったりしないでくださいねー。
 それにしても『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を三重県予算で刊行しようというパブロフの犬作戦、なんだかわけのわからないことになってきました。
 パブロフの犬作戦では、三重県事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の予算から幾許かをかすめ取って書簡集を刊行することにしておりました。先日、同事業の企画運営にあたる二〇〇四伊賀びと委員会によって予算配分が内示され、書簡集にはおかげさまで五百五十万円の予算が頂戴できましたので、私は急遽上京し、書簡集刊行でご協力をいただく方々にお会いしてきたことは先日来お知らせしてきたとおりです。
 ところが変なことになってきて、きのうの伝言に全文を掲載した伊賀県民局職員宛メールに詳しく記しましたとおり、7月31日に芭蕉生誕三百六十年記念事業の事業推進委員会とやらが発足し、「今後、事業を企画・実行する官民共同の2004伊賀びと委員会と協議し、来年度の予算案を決める」なんてことが日刊紙の地方版で報道されたわけです。
 どうも理解しづらい話ではあるのですが。この記事を普通に読むと、伊賀びと委員会による予算編成はあくまでもかりそめのもので、予算は最終的に事業推進委員会によって決定されることになります。
 そんなことは聞いておりませんでした。いまごろになってどうして、三重県知事だの伊賀地域七市町村長だの御用企業役員だの御用学者だのろくに事情も知らぬような連中がのこのこ顔を出してこなければならんのか。二〇〇四伊賀びと委員会の自立性はどこへ行った。いくら二〇〇四伊賀びと委員会が莫迦の集まりだからといって、相手が莫迦なら何をやったっていいんだなんていう法はどこにもないんだこの莫迦。
 つまり私といたしましては、もう一度上京して書簡集関係者の方に再度お集まりいただき、先日の話はなかったことにしてください、あれは当方の勘違いでした、どうもすいません、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の予算はまだ決定されておりません、正式に決まりましたらまたお知らせいたします、ひきつづきなにとぞよろしくみたいなお詫びとお願いをしてこなければならぬのですが、それにしたってどうにも事情が呑み込めません。
 そこで昨日、事情を理解するために伊賀県民局企画調整部主査のSさんにピンポイントでメールをお送りしたのですが、まだご返事はいただいておりません。そこで本日はSさんに次のメールを。

件名このぼけ返事ぐらいよこさんか

 お世話さまです。用件は件名に尽きております。よろしくお願いいたします。

 お送りしようかなと思ったのですがやめました。
 しかしほんとに何がどうなっているのやら、私にはきれいさっぱりわかりません。


●8月4日(月)
 いやー、いろんなことを思い出します。たとえばきのう引用した『上方放送お笑い史』の一節に出てきた「中田伸児(一九五〇─)・伸江(一九五八─)」のコンビなんて、いまも現役で漫才をやっていらっしゃるのでしょうか。
 あれはたしか、大阪は通天閣にほど近い新世界花月という小屋でのことでしたが、一人で入場して比較的後方の席で舞台を眺めておりましたところ、やがて伸江伸児の出番となり、少し前に渡してあった台本のネタがいきなり演じられ始めたので私はすっかり驚いてしまいました。薄暗い客席に見知った顔があるかどうか、舞台芸人というのは瞬時に見て取ってしまうもののようです。新世界花月の客席なんてたいていがらがらだったわけですが、それにしてもなんとも
 なんてことを書き出したらきりがありません。7月19日から20日にかけて大宴会とゴールデン街デビューと花園神社横の惨劇におつきあいいただいたみなさんに心からお礼を申しつつ、また本伝言板へ
勝手にお名前を引っ張り出してしまったみなさんには心からお詫びを申しつつ、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の話に進みます。

謹啓知事様

 さあ、袖振り合うも多生の縁、たった一度お会いしただけの三重県伊賀県民局職員のみなさんにピンポイントでメールをさしあげる特別キャンペーン、いよいよスタートいたします。
 まず本日は、伊賀県民局企画調整部主査のSさんに下記のごときメールをお送りいたしました。

件名ご無沙汰いたしました

 おはようございます。今年の四月、上野市銀座通りのBeで開かれた貴局職員歓送迎会でお目にかかった者です。たぶんお忘れかと思いますが、自己紹介で「私はみなさんの敵なんです」と挨拶したあの私です。

 貴兄が直接ご関係かどうかは不明なのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業について教えていただきたいことがあり、あのとき頂戴した名刺のアドレスにメールをさしあげる次第です。

 じつは先日、貴局ホームページのメールアドレスに局長宛のメールを送信し、やはり「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」に関してお訊きしたのですが、返信は頂戴したものの明瞭な回答がいただけませんので、貴局ホームページへのメールで局長の回答を要請することは諦め、貴兄にご厄介をおかけすることにいたしました。

 ご多用中まことに恐縮ですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業担当部署のしかるべき職員の方にこのメールをお読みいただき、お手数ながら当方の質問に対するお答えをたまわるようご手配いただきたく存じます。

 以下、用件に入ります。

 八月一日付毎日新聞の伊賀版に、「上野で初会合/芭蕉生誕360年事業推進委/予算案可決や人事承認/会長に野呂知事を選任」という小槌大介記者の記事が掲載されておりました。一部引用します。

 来年5月16日から行われる「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の初会合が31日、上野市四十九町の県上野庁舎大会議室で行われた。

 伊賀地方の各市町村長などが出席。野呂昭彦県知事が会議の冒頭、来年予定される熊野古道の世界遺産登録と併せて、全県の取り組みとして同事業を推進し、伊賀地方のブランド化を図りたいとあいさつ。事務局が、01年3月から始まった同事業の経過を説明した後、会長に野呂知事が選任された。

 同日付中日新聞の伊賀版にも、「予算案協議へ/芭蕉生誕360年記念事業/推進委の設立総会」という太田鉄弥記者の記事が掲載されました。一部引用します。

 松尾芭蕉生誕三百六十年を記念した事業を来年に開く推進委員会の設立総会が三十一日、上野市の県上野庁舎であった。野呂昭彦知事が会長となり、今後の事業の予算案について協議する。

 同事業はこれまで、伊賀地域の七市町村長と伊賀県民局長でつくる推進協議会が主体となって協議を進めてきたが、より広い範囲から協力を得られるよう組織を拡大した推進委員会に移行した。

 委員は十七人。知事や伊賀七市町村長のほか、近鉄ステーションサービス、JR西日本の代表や大学教授といった県が委嘱した民間委員がメンバーとなった。

 質問というのはほかでもありません、この事業推進委員会とはいったい何かということです。すでに事業予算三億円の配分も内示されたいまの段階で、事業に関するこれまでの経緯もろくにご存じないであろう知事や市町村長や民間委員を寄せ集めた推進委員会が、どうして結成されなければならないのでしょうか。

 また、中日新聞の記事にある「伊賀地域の七市町村長と伊賀県民局長でつくる推進協議会」も、これまでに聞いたことのない組織です。さらに同紙には、事業推進委員会が「今後、事業を企画・実行する官民共同の2004伊賀びと委員会と協議し、来年度の予算案を決める」ともありますが、これはきわめて不可解な話であると思われます。

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ホームページ(http://www.igabito.jp/2004/)に掲載された資料を読む限りでは、この時期に来て事業推進委員会を発足させることなど、事業のタイムテーブルにはひとことも記されておりません。

 もっとも、二〇〇二年一月九日付の「基本構想」には、「事業推進体制」として次のようなプランが示されています。

基本構想の策定後、地域住民の積極的な参画を得て事業の実施計画を策定する組織、企画運営委員会(仮称)を設立する。

事業前年度の平成15年度には、三重県全域をあげてのバックアップを受けて、本格的に事業を運営、実施するための実行委員会(仮称)の設置と順次組織体制を充実していく必要がある。

地域住民が中心となる実行組織の熱いおもいを地域を挙げて支援するためには、伊賀の行政が一体とならなければならない。

そのためには伊賀地域7市町村と県民局から成る協議会を設置が必要であり、同協議会がこの事業実行に際しての事務局の役割を果たさなければならない。

 このうち、「地域住民の積極的な参画を得て事業の実施計画を策定する」企画運営委員会(仮称)が二〇〇四伊賀びと委員会であり、「本格的に事業を運営、実施する」実行委員会(仮称)が推進協議会であり、「伊賀地域7市町村と県民局から成る」協議会が事業推進委員会であると考えればよろしいのでしょうか。

 とはいえ、「基本構想」に記された三つの組織と現実の二〇〇四伊賀びと委員会、推進協議会、事業推進委員会とのあいだには厳密な対応性が見られませんし、そもそも「事業推進体制」の文章が三つの組織の関係性を明確にしていないこともあって、このプランにある体制がそのまま実現されたと見倣すことには無理があるように思われます。

 そして、そういった成立にまつわる疑念以上に、事業推進委員会の実効性にも大きな疑問が感じられます。中日新聞にあるような「より広い範囲から協力を得られる」効果が、はたして期待できるのでしょうか。そのための具体的な手だてが講じられているのでしょうか。それぞれお忙しいであろう十七人の委員に、事業のために本当に尽力していただくことが可能なのでしょうか。

 さらに何より問題なのは、これらの新聞記事から、事業推進委員会が二〇〇四伊賀びと委員会の上位機関であるとの印象がもたらされるということです。これは事業と組織の根幹に関わる重要問題であり、二〇〇四伊賀びと委員会がこれまで保持してきたはずの自立性や主体性が、事業推進委員会の発足によって有名無実なものになってしまうのではないかと危惧せざるを得ません。

 当方が知り得た範囲内では、すでに現在の時点で、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者のなかには、この事業が税金の無駄づかいに終わるだろうとの見解を表明している方々がいらっしゃいます。二〇〇四伊賀びと委員会の運営手法そのものにも、事業関係者から少なからぬ批判が寄せられているようです。

 しかしながら、その運営がいかに拙劣であろうとも、また、すでに予算まで内示された事業計画の内容がいかに愚劣なものであろうとも、二〇〇四伊賀びと委員会が官民合同による一箇の自立した組織として存続してきた以上、その主体性は今後も保障されるべきであり、行政による安易な、あるいは必要以上の介入は厳に慎まれねばならないと愚考します。さもないと、三重県の掲げる「協働」というテーマは結局のところ権力の隠れ蓑に過ぎなかったという事実が、あっさり露呈されてしまうことにもなりかねません。

 以上に申し述べましたとおり、一地域住民の目から見た場合、この事業には不可解な点が少なからず存在しています。つきましては、七項目の質問を箇条書きにいたしますので、ご回答を頂戴できれば幸甚です。

 一) 事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか。

 二) 事業推進委員会が目的とするものは何か。

 三) 事業推進委員会が目的を達成するための具体策はあるのか。

 四) 推進協議会の発足はいつか。これまでに何回の会合を開いてきたのか。その内容は公表されたのか。

 五) 事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か。

 六) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者は誰か。事業推進委員会の会長である知事か。二〇〇四伊賀びと委員会の代表には、事業に関して何の責任も権限もないのか。

 七) 事業推進委員会の次の会合はいつか。その会合で何を協議するのか。

 以上です。

 なお、このメールの内容は当方のホームページ(http://www.e-net.or.jp/user/stako/)で公開いたします。ご回答も同様に公開させていただきたく、あらかじめご了解をお願いする次第ですが、もしも公開に差し支えがある場合は、その旨お知らせいただければ非公開といたします。

 勝手なお願いで申し訳ありませんが、なにとぞよろしくお願い申しあげます。

2003/08/04

 これで回答のメールが頂戴できれば万々歳なのですが、あまり望みはかけられぬか。私はこれまでにも、これは明らかな事実誤認だろうなと思われることも敢えてこの伝言板に書きつけて、伊賀県民局職員からその誤謬を指摘するメールが入ることを期待してみたりもしたのですが、なんてったって相手は公務員、望みをかけたこちらが莫迦であったかなとも思います。
 ともあれ、一人目の犠牲者になっていただいた企画調整部主査のSさんには深くお詫びを申しあげながら、もしもご返事がいただけなかった場合には心ならずも手持ちの名刺をシャッフルし、次のターゲットを選ばなければならぬことをお伝えしておく次第です。さーて、次の犠牲者はどなたかしら。
 生活環境部 主査T
 生活環境部 主事S
 企画調整部 主幹H
 企画調整部 技師H
 企画調整部 主査S
 企画調整部 主幹S
 しかし読者諸兄姉、県民局職員の方にこんなメールをさしあげるのはどこから見ても弱い者いじめではないかという気もしてきましたので、やっぱ野呂昭彦さんたらおっしゃる新米知事の方にちょこっとご挨拶申しあげることにしましょうか。


●8月3日(日)
 浮世亭ジョージ・ケンジ、なんていったって読者諸兄姉はご存じありますまい。一世を風靡することなどまったくなかった漫才コンビでしたが、上方漫才の未来を担う若手だと一時的に期待されていなかったわけでもなく、ネット上をさーっと検索してみましたところ、NHKの上方漫才コンテストで昭和51年の優秀話題賞を獲得していたことがわかりました。ちなみにその前年にはオール阪神・巨人が優秀話題賞、B&Bが優秀努力賞を受賞しております。

NHK上方漫才コンテスト

 ラジオ大阪の上方漫才大賞では、昭和52年の新人賞に輝いています。この年の大賞は横山やすしと西川きよしの両師匠でした。

上方漫才大賞

 花園神社横のスナック凛凛で遭遇した大阪弁の男性客がそのジョージケンジのかたわれだと判明したのがいつであったのか、私は明瞭に思い出すことができないのですが、たぶんママから、あの人むかしジョージケンジって漫才やってたの、みたいな感じで教えてもらったのだと思います。
 でこのかたわれ、あまりたちのよくない酒飲みだなということはたちどころに看取されたのですが、なにしろ私にとっては初めてのお店、しかも皓星社の社長さんに連れてきていただいたお店なのですから、間違っても不作法な真似はできません。私は終始一貫お行儀よくしていて、このかたわれが
いささか不作法な言葉を口にしてもいたって寛大でありつづけました。
 ところで私の胸には、ジョージケンジの名前を耳にしてからというもの、静かに静かに迫ってくるものがありました。そういえばここは奇しくも新宿か、と思わざるを得ませんでした。このかたわれが未来を期待された新進漫才師だったころ、俺だって将来を嘱望された漫才作家の卵だったではないか。若手上方漫才師の東京公演があったときには俺もくっついて上京したものだが、あのときの会場はまさしく新宿の紀伊國屋ホールだったではないか。
 というところで手許の資料にあたってみますと、読売新聞大阪本社文化部『上方放送お笑い史』(1999年1月、読売新聞社)によれば、この公演は昭和53年11月のことでした。

 十一月五日、新宿の紀伊國屋ホールで記念すべき「大阪漫才集団・笑の会東京公演」に挑んだ。B&B、ザ・ぼんち、中田伸児(一九五〇─)・伸江(一九五八─)ら六組の若手と、人気の横山やすし・西川きよしも出演したが、肝心のチケットは全くといっていいほど売れていなかった。

 このときの公演に浮世亭ジョージ・ケンジが出演していたのかどうか、私にはやはり思い出せません。ただまあ、漫才作家秋田實を中心とした若手漫才師と漫才作家予備軍の「笑の会」の勢力圏内にいたことはたしかで(秋田實はこの公演の前年、昭和52年の10月に死去していましたが)、私は何度もジョージケンジの舞台に接したことがあり、それが証拠に凛凛のカウンターでたこ食う人は他国の人やというじつにしょうもない彼らのつかみネタまで思い出してしまった次第です。そんなこんなを思い出しながらあらためて眺めやると、男性客の風貌にはかつてのステージ姿がありありと重なってくるではありませんか。
 ぼけが、ジョージケンジのかたわれがいまごろこんなとこで何ごちゃごちゃぬかしとるねん、と私は思いましたが、その思いはそのまま自分に跳ね返ってきました。いったい俺はこんなところで何をしているのだろう。俺はいまごろ平成の秋田實と呼ばれているはずではなかったのか。どこでどう道を踏み間違えて、漫才には縁もゆかりもない江戸川乱歩のことなんかやっているのか。それでもまあカリスマではあるわけだが。しかし清水健太郎風のファッションに身を包んで漫才作家を志していた俺はいったいどこへ行ってしまったのだろう。清水健太郎どころかさっきの萌では隣の席のM上さんから「なんか流山児祥みたいですね」といわれてしまったし、その前の蔵之助ではK林さんから「中さん梶原一騎に似てますね」とか「ほらサングラスかけてるし」とかいわれてしまったものだが、サングラスならひょうたん島のダンディさんだってかけておろうが。
 みたいな想念が私の胸でぐるぐると大渦を巻き、なんだかモーパッサンの短篇を想起させるような展開ではないか、との感懐を抱くかたわら四十六歳子持ちお姉さんの手を握ってえらい目に遭わされたり、まあ結構忙しかったわけなのですが、結局のところ自分がどんなきっかけでチョークスリーバーを決めにかかったのか、私にはいまだに思い出せません。チョークスリーパーったってほんのお遊び、冗談であることが相手にすぐ知れる程度のかけ方だったのですが、相手が過剰に反応したらどうなるかわからんな、とちらっと考えたことは記憶しております。
 むろん相手が過剰反応することはなく、私は凛凛において終始紳士的な態度をキープしていたと自分では思っているのですが、そのかたわれに軽く説教かましたような記憶もあり、そうこうしているうちにもう朝なんですね読者諸兄姉。新宿の朝はじつに早い。お姉さんとホテルに一泊する夢はむなしく消えてしまい、さあもう帰るか、名張に帰るか、ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンが俺を待つわが家へ帰るか、と私は凛凛をあとにしました。上京するときには時間を見つけて平井隆太郎先生のもとへご機嫌伺いにあがろうかとも考えていたのですが、なにしろ一睡もしていないへろへろの酔っ払いなんですからとてもとても。
 というのがちょうど二週間前、7月20日早朝の私の姿でした。ほんとにそのまま名張に帰ってきてしまいましたので不完全燃焼の観は否みがたく、リターンマッチとして7月26・27日に再度上京し、萌や凛凛を経巡ろうかなと思っていたところへ急ぎの校正の仕事が入って上京は果たせませんでした。さらに一週間遅れで8月2・3日ではどうだと段取りしていたところ、2日つまりきのうのことなのですが、光文社の雑誌「ジャーロ」から名張市立図書館へ取材が入ることになり、残念ながら上京できなくなってしまいました。
 その「ジャーロ」の取材はおかげさまで昨日無事に終了し、9月発売号に名張市立図書館乱歩コーナーの紹介記事(三百字程度とのこと。むろん写真入り)を掲載していただけるそうです。読者諸兄姉、軽く立ち読みしてください。


●8月2日(土)
 三重県伊賀県民局ならびに二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんを叩く作業がお留守になっておりますが、けっして忘れているわけではありません。三重県伊賀県民局ならびに二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんはご休心ください。
 それにしてもあれですね、思いついて市中見回りに出かけてみましたところ、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関して好意的な話はまったくといっていいほど聞こえてまいりません。一般住民はこんな事業にそもそも興味を示しておりませんし、事業に関係した住民のあいだには案の定、要求した予算が獲得できなかったことへの不平不満が少なからず存在しているようです。そしてそれ以上に、二〇〇四伊賀びと委員会の拙劣きわまりない事業運営に対して十字砲火のごとく批判が集中しているといった印象です。
 ほんまにもうこんな事業やめたらどないや、と私は思います。
 しかも、これも結局は予算配分の不平不満に発するものだと思われますが、官民合同という聞こえのいい言葉の陰では予算をめぐる官業の癒着さえ指摘されているありさまでした。むろん噂の域を出るものではありませんが、せいぜいが何百万円単位の事業をちまちまごちゃごちゃ寄せ集めただけの総額三億円の事業費から大枚五千万円がひとつの企業に流れ込むと聞かされては、ちょっと聞き捨てにもできまへんがな、という気はいたします。
 ほんまにもうこんな事業やめたらどないや、と私は思います。
 こうなりますとやはり、実情を何ひとつご存じないであろう野呂昭彦さんたらおっしゃる新米知事に直訴して、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が税金の無駄づかいに終わろうとしているという事実をお伝えするのが一番かとも思われます。しかし知事宛の郵便なんてどうせ知事室職員あたりのチェックが入り、都合のよろしくない直訴状なんぞ知事のもとには絶対届かぬようになっているのではないかとも推測されますので、さていったいどうしたものか。
 かといって三重県伊賀県民局長にお訊きしてみたところで、なんだかずいぶんびっくりするほどあれなご回答しかいただけないであろうことは、私は過去の苦い経験に基づいてよく承知するに至っておりますし。それならば職員ではどうか。そうじゃそうじゃ、と思って名刺入れをごそごそ調べてみたところ、三重県伊賀民局職員では、
 生活環境部 主査T
 生活環境部 主事S
 企画調整部 主幹H
 企画調整部 技師H
 企画調整部 主査S
 企画調整部 主幹S
 といった方々の名刺が出てきました。順不同。この方々なら名刺交換をしてお近づきをいただいておりますので、おすがりすればなんとか道を開いていただけるのではないでしょうか。
 お近づきをいただいたといえば花園神社横の凛凛でお近づきをいただいたあのお姉さん、いったいどうなってしまったのでしょうか。
 話をつづけますと、やがて私の右隣にいらっしゃった妙齢の女性客は、さらにその向こうの年若い女性客と連れだってお帰りになりました。年若い女性客は臨席の男性客とたまたま隣り合わせただけだったらしく、どうやらその夜、妙齢の女性客のお店でステージに立たれた歌手の方だったみたいです。
 カウンターに残されたのは、左から右へ、お姉さん、私、男性客。
 それからどれくらいの時間が経過したのでしょうか。ふと気がつくと私は、椅子に坐った男性客の背後に立ち、右腕を男性客の喉に差し入れてチョークスリーパーを軽く決めながら、
 「こら。たこ食う人は他国の人やとかゆうてしょうもない漫才かましとったジョージケンジのかたわれかおのれは。こら。どや」
 「なッ、なんでそんなことをッ」
 「相方のあいのこはどないした」
 「わッ、悪いクスリでぼろぼろにッ」
 みたいなやりとりをかわしておりました。仔細はかなり不明です。


●8月1日(金)
 ゴールデン街の萌はママが電車でお帰りになる習わしで、つまり終電までには閉店されるシステムが採用されております。私にはすでに時間の観念がなく、それが何時ごろのことであったかさっぱりわからないのですが、とにかく店じまいを終えたママと新宿駅に向かって歩き始めました。
 「このへんにカプセルホテルありますか」
 「うん。あのあたりにいっぱいありますよ」
 「ああそうでんのか」
 しかし私の胸中には、俺のゴールデン街デビューがこのまま終わってしまっていいわけがない、との思いも沸々とたぎっておりましたので、横にいらっしゃった皓星社の社長さんに、
 「F巻さんッ。もう一軒ッ」
 と図太くおねだりしました次第。初めてお目にかかった方なのに、こんなに甘えていいのかしら、などとはこれっぽっちも思いません。ぽっと出の酔っ払いなどというのはじつに厚かましいものです。

花園神社の夜に泣いた

 で、案内していただいたのが花園神社横の凛凛。社長さんのあとについて花園神社を横断すると、夜の境内にはお芝居の舞台らしきものが組まれ、ひっそりと静まり返っておりました。
 さてその凛凛では、こんな酔っ払いにいつまでもつきあってられるか、とお思いになられたのでしょう、社長さんは適当な時間に席を立たれ、気がついたときにはカウンターに五人の客が残されておりました。
 私の左の席、さっきまで社長さんがお坐りだった席には、いまや一人の女性客が腰かけていらっしゃいます。この女性客がいつ店に入り、どうして私の隣に位置を占めたのか、私はまったく記憶していないのですが、たぶん私が手のひとつも挙げて、
 「お姉さんこっちこっち」
 などと気やすく誘導したのではなかったでしょうか。いかにもありがちやりがちなことですが、ともあれ私はかなり早い段階で、今夜はこのお姉さんとホテルに一泊しようと決めていたもののようです。
 いっぽう私の右側には、椅子ひとつ空けて妙齢の女性客がいらっしゃいました。近所でシャンソンとカンツォーネを聴かせるお店をご経営だというたいへん気さくな方で、お話をお聞きしますとすこぶるつきで面白い。なにしろシャンソンの話となると銀巴里時代の丸山明宏さんや戸川昌子さんの名前がぽんぽん飛び出し、金子由香利さんあたりはまだ駆け出しねみたいな感じで話が進むんですからえらいもんです。
 そしてこの方の向こうには、一組のカップルの姿がありました。男性のほうがステージ衣装そのままみたいないでたちで、やや耳障りな声の大阪弁だったこともあり、私はなんとなくこの男女は漫才コンビなのではないかという印象を抱きました。
 さて読者諸兄姉、肝心の左隣の女性客はと申しますと、話せば話すほどなかなかに癖のあるお姉さんであることが判明してきました。一例を挙げますと、自分は小説を書いているのだ、本も出しているのだ、とおっしゃるものですから、これはごく自然な話の流れとしていったいどんな小説なのかとお訊きしましたところ、
 「えーッ。どーしてあーたにそんなこと教えなくちゃならないわけーッ?」
 とかほざきやがんの。こんな切り返しは禁じ手だろうと私はいまも思います。
 要するにまあ一事が万事この調子だったのですが、私にはホテルで一泊という大目標がありますからごく鷹揚に話をつづけ、えッ、早稲田在学中に学生結婚してそのときの息子がもう二十六ってか、えッ、旦那とはとっとと別れて息子と二人暮らしってか、えッ、年は四十六ってか、などと内心では驚いたり呆れたりいろんなことしながらウイスキーを飲みつづけた次第です。
 いやいや、もっとひどい目にも遭わされました。これもやはりごく自然な流れとして、お姉さんの手をこっそり握ったときのことです。まあこれも仕方ないか、と私は思っていました。子供抱えた女が東京で生きていれば男相手に肩肘張るのが習い性となるのも仕方ないか、なんか不憫な話だな。ですから私は、よしよし、でかした、よくやった、子供育てながらよくぞきょうまで生きてきた、あっぱれである、俺はおまえを褒めてやろう、あとで表彰状書いてやるからおとなしく待ってろ、みたいないたわりとねぎらいの心をこめて手を握ったのですが、まあ七三の割でこのお姉さんは手を引っ込めるだろうな、しかしここは勝負どころだ、お姉さんは俺の手を握り返してくるにどーんと十八ガバス、とかわけのわからないことを考えながら手を握ったのですが、お姉さんは思いもかけない反応で私を驚かせました。
 あろうことか、お姉さんの手を握った私の手は、すーっと垂直に眼の高さまで持ちあげられてしまいました。そしてその手の向こうから、
 「あーたどーしてあたしの手なんか握ってるわけーッ?」
 とお姉さんは厳しい詰問を投げかけてきます。
 「姫、率爾ながらお脈を拝見」
 などと悪徳御典医を装う余裕もあらばこそ、私は椅子から転落しそうになりました。