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2003年9月
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●9月2日(火)
どちらさまもみなさんお忙しいのでしょうか。私が昨日送信した二通のメールなど、どなたにも取り合ってはいただけぬようです。あるいは三重県職員のみなさんも、さすがにお気づきになられたのかもしれません。これは悪しき前例を残したな、と。 |
●9月3日(水)
本日はまずアドレス変更のお知らせです。探偵小説ファン乱歩マニアにはすっかりおなじみの下記二サイト、人にはいえない事情もいろいろありまして、などということではまったくないようなのですが、このたび新たなアドレスを取得されました。ブックマークお気に入りの変更をどうぞ。両サイトのますますのご発展をお祈り申しあげます。 さて昨日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局からのメールで、事業のパンフレットを名張市立図書館宛クロネコメール便で郵送したとのお知らせを頂戴しました。お手数をおかけしてしまいました。そこまでしていただかなくても、お申しつけいただければ私はほいほい伊賀県民局まで参上いたしましたものを。それともあれでしょうか、もしかしたら私の顔なんかご覧になりたくないということなのでしょうか。だとしたらそれは理由のない疎外感に悩む思春期の少年ならば自殺さえ考えかねないむごいお仕打ち、私はよよと泣き崩れます、よよ、なんてこといってるから私はいいだけ嫌われるわけですが。 |
●9月4日(木)
乱歩の生誕地碑がなんか変なことになってますッ、と名張市民の方から電話でご一報をいただきましたので、さっそく名張市新町の現地に急行いたしました。たしかに変なことになってました。 生誕地碑の手前に緑色のネットが張られ、そのネットに貼られた一枚の紙にはこんな文章が──。
たッ、狸ッすか、はッ、排便ッすか、と私はおおきに驚きましたが、おそらく住環境の激変に耐え得なくなったのでしょう、生まれ故郷のげんこつ山や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い乾分の手前たちとも別れ別れになる門出だと棲み慣れた里山を離れてこんな町中にご不浄を求めねばならなかった狸の身の上を思えば、決して怒る気にはなれません。緑色のネットによって締め出された狸は、はたして安住の地を見つけることができるのでしょうか。
というこの話がまだつづいておりまして、私は結局会頭さんのご自宅にのこのことお邪魔し、生誕地碑の建つ新町も含めた市街地の再生に乱歩を利用するのであれば、とにかく二年と期限を切って、乱歩生誕百十年の2004年10月21日と生誕地碑建立五十年の2005年11月3日のふたつを節目に、最後の悪あがきとも呼ぶべき再生策をぶちかましてはどうか、それで駄目ならもう何をやっても駄目だろう、みたいなことをあれこれ吹き込ませていただきましたので、何かしら形になるものが出てくるかもしれません。形になりそうになったらまたお知らせいたしますが、現時点ではこの程度の報告にとどめます。 |
●9月5日(金)
おはようございます。 しかし二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。事業の計画も予算もまだ正式に決定されていないと申しますのに、いまからPRなんか始めてしまっていいんでしょうか。パンフレットB面の左下には、
と小さく書かれていますけど、こんなものは何の逃げ口上にもなりません。決まってもいない事業をあたかも決まったことのように紹介するパンフレットは、存在そのものがすでにして詐欺だと呼べるのではありますまいか皆の衆。
予約してあるわけではありませんので、いつかのように蔵之助が満席だったらほかの会場を探すことになります。定刻には間に合わないとおっしゃる方は、携帯電話の番号をメールでお知らせいただければ、ご指定の時刻にご連絡申しあげます。
さて、二〇〇四伊賀びと委員会の会長さんからはいまだにご連絡がいただけませんので、えーい面倒だッ、と思った私は事業推進委員会の会長でいらっしゃる野呂昭彦知事にこんなメールをさしあげてしまいました。なッ、なんてことするんだッ。
えー、ここで伊賀地域住民のみなさんにお知らせしておきますが、みなさんのなかにはきのうの議員全員懇談会で方針を一転させ、市町村合併に伴う在任特例の適用をちゃっかり了承してしまった上野市議会のぼんくら議員どもをぜひぜひ叩くように、とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、私にはとても手が回りません。あしからずご諒恕ください。私もできるだけお手伝いはいたしますが、上野の莫迦は基本的には上野市民によって叩かれるべきです。 |
●9月6日(土)
本日は短めにお知らせを。 お知らせその三。
どちらさまもお誘い合わせてにぎにぎしくお運びください。 |
●9月8日(月)
本日も短めなお知らせです。 お知らせその三。
学校法人立教学院の創立百三十周年を記念した乱歩資料館(仮称)の開設へ向けて、いよいよ土蔵の改修がスタートするようです。乱歩ファンは刮目して待ちましょう。 |
●9月9日(火)
きのうの朝覗いたときにはまだ準備中だったのですが(近所の定食屋の話みたいですが)、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をPRする二〇〇四伊賀びと委員会の新しいホームページが無事に開設されました。 何度も申しあげておりますが、こんな事業は単なる税金の無駄づかいでしかありません。むしろ実態に即して「税金三億円どぶに行くバカのくに伊賀の恥さらし」と称したほうがいいのではないかと愚考される次第です。とにかく関係者が莫迦なものですから事業を客観的に評価することができず、自分たちのあいだでしか通用しない価値観のみに基づいてご町内の親睦行事をずらずら並べるだけに終始しております。 それからまた新しいホームページの「伊賀学講座」では私が講師を務める11月8日の「江戸川乱歩と情報発信」も紹介していただいているのですが、「もしかしたら、次の日から使える『トリビア』を発見するかも」みたいなことを期待されるとついその気になりまして、 |
●9月10日(水)
さてお約束どおり野呂昭彦知事にメールをお送りしようと舞文曲筆の限りを尽くしたのですが、書きあがった書面を読み直してこれではまずいのではないかと思われてきました。まずいかまずくないかを考えてみる必要がありますので、メールを送信するのはあす以降に延期いたします。何がまずいかと申しますと、文章のなかに腐れ金玉という言葉が出てくるわけなんです。これはやっぱりまずいかな。
話柄はころっと転じまして、掲示板「人外境だより」への芦辺拓さんのご投稿を全文転載させていただきます。
どうもありがとうございます。
ついでですから「人外境だより」のご投稿をもう一通、関連箇所のみの抜粋で。
どうもありがとうございます。 |
●9月11日(木)
さあ大変です。いよいよ佳境かもしれません。野呂昭彦知事の命を受けた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局の安藝政比古さんからメールを頂戴いたしました。腐れ金玉という言葉が結構効いたのかもしれません。メール全文は次のとおり。
あちゃー。
いつもいつもこんな感じです。事務局長の木戸博さんからは以前にもご回答をいただきましたが、今回のご回答も「事務局長名」というのですからやはり木戸局長にお書きいただいたものでしょうか。三重県庁職員はみんなこんな答えしかできんのかとも思われてきましたが、要するに夢で蒟蒻を踏むようなお答えでしかありません。ですから私は安藝政比古さんにこんなメールをお出ししてしまいました。
で、知事にお送りしたメールの文面は下記のとおりです。しかし飽きもせずにこんなことばっかやってて、私はいったい何が面白いというのでしょうか。
事業推進委員会の会長にお訊きしたいことは、むろんこのパンフレットの問題のみにとどまりません。3月末に発表される予定だった事業実施計画案はなぜ発表されないのか。実施計画案は住民に一度も示されることなく今秋の事業推進委員会に提出され、そのままこっそりと承認されてしまうのか。パンフレットには「県・市町村だけでなく、住民も企画段階から参画する新たな『協働』によって実施する『手作りイベント』です」とありますけれど、こんなことやってていったい何が協働だどこが住民参画だ。 |
●9月12日(金)
守るも攻めるもくろがねのニイタカヤマノボレ広瀬はいずこ、みたいな感じでわけのわからない日々がつづいておりますが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会事務局の安藝政比古さんから事務局長木戸博さんご執筆の添付ファイルをお送りいただきました。お役所というのはとにかく手間のかかるところです。
当方の返信は次のとおり。
野呂昭彦知事にも二日連続でメールをお出ししました。全文は次のとおり。
二〇〇四伊賀びと委員会のホームページにもメールをお送りしました。全文は次のとおり。
本日はここまで。 |
●9月13日(土)
野呂昭彦知事のご回答はまだ頂戴できません。催促のメールをお出ししようと思って文面を考えたのですが、どうしても腐れ金玉という言葉が出てきてしまいます。私は腐れ金玉に呪われてでもいるのでしょうか。相手が野呂知事だけに呪われている、なんちゃって。
ほら。
どうもありがとうございました。
一人二人は面倒だ。 |
●9月14日(日)
やあ読者諸兄姉。 ここにても雲井の桜さきにけりただかりそめの宿と思ふに 後醍醐天皇の御製におじゃりまする。 それでは読者諸兄姉。 |
●9月14日(日)
やあ読者諸兄姉。お待ちしていました。三重県職員のあいだにも着々とファンが増えている名張人外境はこんな姿になってしまいました。人外境番犬苦心のサイトデザインは殺し屋的ダンディズムをテーマとしているそうなのですが、果たしてお気に召していただけましたかどうか。お気に入りやブックマークをこのページに設定し直していただければ幸甚です。
模様替えの本格公開をきょうと定めたのに深い意味はありません。17日まで待てば中井英夫のお誕生日なのですが、それではあまりにも不吉です。そこでネット検索で調べてみたところ、9月14日は赤塚不二夫先生のお誕生日であることが判明しました。ケムンパスでやんす。んなこたどうだっていいんでやんすが、いまはただ祝福されるべき模様替え記念日に阪神タイガース十八年ぶりのVッ、なんて悲痛なことにだけはならぬよう、野球の神様に切なるお祈りを捧げるばかりです。 開設四周年を一か月一週間後に控えて涙とともに振り返りますと、やはり思ったほどには更新作業が進まなかったという心残りがあり、去年の6月から今年の4月まで更新ができなかったというトラブルもあって、時代は私を取り残してしまいました。「前人未踏の夢」で新しい乱歩全集の構想を語ったのもいまは昔、いまや光文社から21世紀版乱歩全集が刊行されつつありますし、その全集では私が「江戸川乱歩異稿拾遺」で目論んでいた作業が進められていて、乱歩作品の本文校訂という気の遠くなるようなお仕事は新保博久先生と山前譲先生に思いがけず肩代わりしていただける結果となりました。めでたしめでたし。 いっぽう、『乱歩文献データブック』をはじめとした名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックの内容をネット上で公開する作業もいまだ道なかば。しかも光文社文庫から書誌的価値の高い探偵雑誌のシリーズが陸続と刊行され、東京創元社からは『貼雑年譜』完全復刻版気になるお値段は本体三十万円なんていう瞠目ものの出版物まで世に問われるなど、参照して当サイトに反映させるべき資料が津波のように押し寄せてきました。津波というのは大袈裟ですが、非力な私にしてみればまさにどんとどんとどんと波乗り越えなければならない怒濤の印象なんですこれが。 しかももうひとつ、江戸川乱歩リファレンスブックの三巻目である『江戸川乱歩著書目録』が近く完成の運びとなったという事情もあります。つまり私は名張市立図書館カリスマ嘱託としてとりあえず所期の目的を果たせたことになり、そろそろ今後の身の振り方も考えなければならないわけです。そこへもってきて二〇〇四伊賀びと委員会の連中はどうしてあんなに莫迦なんだ、三重県の知事や職員もろくなものではないではないか、えーいどいつもこいつも揃いも揃っていったい何を考えておるのか、いやきっと何も考えておらぬのであろうな、何も考えられぬのであろうな、あそこばかりでなく脳味噌まで腐っておるのであろうな、という腹立ちも加わって何が何やらもう判然とせず、半狂乱の状態でサイトの模様変えを断行したというのが正直なところかもしれません。 いやどうも愚痴っぽくなってしまいました。模様替え本格公開日に愚痴は禁物でしょう。ありていに申せばうわべをちょっといじっただけなのですが、より機能的なサイトにという模様替えの主目的は多少なりとも達成できたように思います。お暇でしたらしばらく当サイトでお遊びいただき、リンクミスその他がありましたらぜひご一報くださいますよう。OS やブラウザによってサイトデザインが乱れ崩れ揺れ揺られということになっているかもわからんなと危惧しているのですが、当方は Mac の OSX にブラウザは Safari という村八分みたいな環境を基本としております。こんなことでいいのかしらとも思われますものの、人外のこととてなにとぞご容赦くださいな。 それでは読者諸兄姉。御意見無用の名張人外境を今後ともよろしくお願い申しあげます。 |
●9月15日(月)
あっというまに連休もおしまいです。当地ではこの連休を利用して稲刈りに精を出す農家が多く、きのうなど日が傾いてからも収穫に汗を流す家族の姿がそこここの田んぼに見られました。ふらふら犬と散歩している途中にそんな親子を見かけ、ふと目が合って挨拶なんかされてしまうと、自分がずいぶんな極道者であるような気がしてくるから不思議です。 この場合の極道者という言葉は、悪事放蕩にはあまり関係がありません。働きもせずぶらぶらしている人間のことを、当地では極道者と称する場合があります。名張市内の農家に嫁いだ私の知人には、本を読むのは極道者のすることだとお姑さんからお説教された女性もいるくらいです。本を読む人間など不健全で非生産的で実際ろくなものではありませんから、このお姑さんの言葉はまさしく正鵠を射たものであるといわなければなりません。 田植えや稲刈りといった労働を見かけると、私の頭には堀切直人さんのこんな文章が浮かんできます。
大地に挿入された植物としての人間となるとまるで筒井康隆さんの「佇む人」ですが、最近では田んぼにしっかり根をおろした正真正銘の農民もすっかり地を払ってしまいました。農家の兼業化が徹底的に進行したからです。戦後の高度経済成長は日本の農業が完膚なきまでに衰退していった過程でもあり、農村人口は安価な労働力として都市に吸収されて都市化の進行と農村の壊滅とがもたらされましたが、農村にとどまった層もまた地元に働き口を求めなければなりませんでした。彼らはどこにそれを見つけたのかというと──。 お役所です。 田舎のお役所です。 田舎のお役所こそは高度成長の陰で農家兼業化の受け皿となったアジールめく職場であり、その農民的体質はお役所の伝統として平成のいまも脈々と受け継がれています。彼らの労働はたしかに「強い胆力や高度の知性」を必要とせず、そのかわり「少なからぬ忍耐強さや勤勉さや繊細な神経」によってお役所のシステムに奉仕することを要求されるものです。 地域社会に奉仕するべき公務員がお役所というシステムに奉仕して微塵も怪しまないこの嗤うべき転倒は、いうまでもなく明治時代さらには江戸時代にまで遡りうる官尊民卑思想を現代に継ぐものにほかなりませんが、そこにはまた豊葦原瑞穂国の農民的体質という伝統も太い流れとなって合流していると見るべきでしょう。 先に引いた堀切直人さんの著書にはこんなことも記されています。
お役所というムラ社会に棲息する公務員たちもまた、田んぼにしがみつくようにして居心地のいいお役所に根をおろし、外側にひろがる広大な世界への眺望をまったく欠いたまま日々を送っていると見えます。しかしそんな日々が永遠に持続するとは限らないでしょう。彼らが触れるのをはばかっている異界から極道者だか鬼だか何だかがやってきて、いっちょ「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を無茶苦茶にして莫迦どもの眼を醒ましてやるか、なんてことになる日が訪れるのかもしれません。 首を洗って待ってろ百姓ども。 百姓は海民、山民、商人、職人、芸能民などの非農業民を重層的に内包する言葉であり、百姓イコール農民という単純な等式は誤りであるとは網野善彦先生がつとに指摘していらっしゃるところですが、長きにわたって百姓という言葉に蓄積されてきた自虐的なそれも含めた侮蔑感情は、やはり百姓という言葉でなければ表現できません。上の一行では敢えて百姓なる語を農業民の意で使用したことをお断りしておきます。 さて、三重県庁も連休はきょうまで。あすの夜には税金三億円どぶに行くバカのくに伊賀の恥さらし事業を語る大宴会か。 |
●9月16日(火) 朝っぱらからまいってしまいました。 えらいことしでかしてしまいました。 いくらなんでもこれはまずかろうが。 何がまずいのかと申しますと13日土曜日付の伝言に掲載しました送信されなかった知事へのメール、つまりあの腐れなんとかが出てくるメールなんですが、あれをまたどうした手違いからかさっきうっかり送信してしまったわけなんです。 まったく何をやってるんですか私は。送信したあと大慌てで下記のメールを殴り書きしてお送りし、なんとかご寛恕をいただくよう知事にお願い申しあげた次第なのですが。
ま、このメールによって私の誠意や真意は知事にもお酌み取りいただけたのではないでしょうか。
さて本日は9・16一月屋決戦の日なのですが、阪神リーグV決定の翌日という縁起がいいんだか悪いんだかよくわからない日の決戦となってしまいました。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者はこぞってご参加ください。関係者でない方もお気軽にどうぞ。案内を再掲しておきます。
決戦内容は関係者の承諾が得られればあすにでもお知らせいたします。ただし私の主観に基づいた一方的な報告では公平性を欠き、だからこそ私は以前伊賀県民局の局長さんや事業事務局の局長さんがそうしてくださったように、二〇〇四伊賀びと委員会の会長さんにも文章の形で質問に答えていただきたかったのですが、それが無理みたいなんですから致し方はないでしょう。 いったいどうなることですか。 |
●9月17日(水)
報告二件。 一件目。 三重県知事の野呂昭彦さんとかおっしゃる方からはいまだうんともすんともご返答をいただけません。 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の根幹に関わる質問に、とはいえそれは簡単明瞭、瞬時に答えられる質問ではあるのですが、善良な地域住民のごく単純な質問にも答えられぬような人間が事業推進委員会の会長に納まっているのはどう考えても納得できぬ話です。 回答のメールを頂戴するのが遅くなれば遅くなるほど、この名張人外境を日々閲覧していただいているみなさんのあいだで知事の評判は悪くなり、事業そのものがいよいよ嗤いものになるばかりであるということを、野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事はよく認識されるべきでしょう。 会長なんかとっととやめてしまえこの役立たずが。 ま、もうしばらくお待ちはいたしますが、これ以上ぐずぐずしてるとほんとに取り返しがつかなくなるぞ、知事だか恥部だか知らんが俺はほんとに容赦せんから覚悟しておけ。みたいなこと申しあげてもまーだ知らぬ存ぜぬをおつづけになるのかしら。 二件目。 読者諸兄姉お待ちかね、昨日開催の9・16一月屋決戦、税金三億円どぶに行くバカのくに伊賀の恥さらし事業を語る大宴会に関してご報告申しあげますと、じつは昨日、一月屋はお休みでした。きのうまで三連休だったとのことです。致し方なく一月屋決戦は中止と決定、会場を変更して居酒屋中むら決戦となりました。なーにやってんですか。 決戦内容に関しましてはいっさい公開いたしません。私は昨日の伝言に、
と記しましたが、二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長から文章の形で回答をいただけることになりましたので、それならそれがベスト、酒席でのあれこれを報告する必要はなくなった次第です。ちなみに出席者は、事業ホームページに掲載された伊賀びと委員会の紹介の登場順で申しますと次のみなさんでした。
こんなのはどうでもいいことですが、「兼事務局」というのはもしかしたら「県事務局」の誤記かもしれません。 さらにこんなのもどうでもいいことですが、伊賀びと委員会の紹介で上のほうに名前の並んでいるたとえば池澤基善さんだの田中愛一郎さんだの中村伊英さんだのはきのういったい何をしていらっしゃったのか。池澤さんからはほかに用事があるから出席できないとのお電話をいただきましたが、それ以外の関係各位は何をしていらっしゃったのか。きのうの大宴会は委員会の主要なポストを占める方々にとって万障くりあわせて参加するべき会合であったと申しあげておきましょう。 決戦の報告がないことに肩すかしを食らったような気分を味わっておいでの読者諸兄姉もいらっしゃることでしょうが、大宴会そのものはしごく和気藹々とした雰囲気で、温厚円満を絵に描いたような私が声を荒げることはただ一度しかありませんでした。 ここにいるこの莫迦どもをどうしておまえはかばってやらなかったのだこの莫迦。 みたいなこといって相手の反応次第では必殺のチョークスリーパーかましてやろうと手ぐすね引いていたのですが、そんなことにならなくてよかったよかった。 |
●9月18日(木)
いわゆる最後通牒ってやつですか。三重県庁知事室のメールアドレスに下記のメールをお送りしました。
てな塩梅で読者諸兄姉、おかげさまにて追い込み快調、そこらのヤミ金から一目も二目も置かれそうな勢いでがんがん追い込んでおります。あしたはひとつ二〇〇四伊賀びと委員会に追い込みをかけますか。しかしこんなことやってていいんでしょうか。 |
●9月19日(金)
野呂昭彦知事の回答はまだいただけません。なーんか永久にいただけないような感じです。回答しないなら回答しないでその旨を通知してくれ、という要請にも応答がありません。野呂って野郎はどうにも見下げ果てた男だな、と私は思います。 野呂知事はほんとうにおまえのメールをお読みなのか、との質問をある方から電話で頂戴しました。つまり知事室職員が私のメールを闇から闇に葬っている可能性はないのか、ということです。 その点についてはこの伝言板で以前から牽制してきましたし(なぜ牽制したのかと申しますと、知事室職員のチェックによって排除され、知事の手許には届かない郵便やメールもあるのではないかと推測されるからです)、この伝言板で知事宛のメールをすべて公開していることにもそうした牽制の効果は期待できるわけですから、いまこの時点では敢えて問題にいたしません。いまそれを問題にすると知事室職員の立場がなくなります。 むろんきょうあたり知事室職員から、 「知事はメールを読んでいなかった。自分が独断で知事にメールを見せていなかったからである。しかし自分は誤ったことをしていたと気がつき、知事にメールを読ませた。知事が回答しなかった責任は自分にある。非はすべて自分にある。知事には何の罪もない。メールを読んだ知事は次のとおり回答する。すなわち、パンフレットの配布には問題がある。二〇〇四伊賀びと委員会に対し、事業計画が正式に決定するまで配布を差し控えるよう申し入れる。以上」 と言明するメールが届いたりしたら、私はその忠臣ぶりを愛でてその言を額面どおり受け容れ、その職員を咎めだてすることなく無罪放免とするのにやぶさかではないわけですが。やぶさかではないわけですがなどと私はいったい何様のつもりなのかと、それは自分でもそのように思うわけですが。 と心優しい私はどこまでも相手を思いやりながら話を進めるわけですが、本日は二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長宛メールを委員会オフィシャルサイトのメールアドレスにお送りいたしました。内容は下記のとおり。
ま、本日はこんなところで。 |
●9月20日(土)
やあ。百八十万三重県民のみなさん。先の知事選でわれわれ県民はなんだかとんでもない人物を知事にしてしまったのかもしれません。 三重県民以外にも、呆れたやつだなこの丸投げ知事は、ひどい野郎だなこのだんまり知事は、と首をかしげていらっしゃる方がきっといらっしゃることでしょう。 げんにリーサルウェポン臼田惣介さんからは掲示板「人外境だより」に、 「野呂さん、頑張ってや、みんな見てまっせ」 と、どんなつわものも思わず気がゆるんで一服したくなるようなエールをご投稿いただいている次第です。 老婆心ながら記しておきましょうか。この名張人外境を以前から閲覧していただいている方はともかくとして、きのうきょう閲覧者になっていただいた方のなかには文章を読むことに習熟していない向きもおありかと思われますので、念のためにはっきり申しあげておきます。 臼田さんのご投稿や私がいま記したエールという言葉には、アイロニーというものがこめられております。臼田さんのお言葉の真意は、「野呂さん、逃げ隠れせんときっちり返答しはったらどないですねん、このサイトの閲覧者はみんなあんたのことほんまに情けないやっちゃな思て見てますねんで」といったことになるのではないかと愚考する次第です。
さて、二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長からはまだお答えを頂戴していませんが、質問はきのう人づてにお届けしたばかりですから、焦らず気長にお待ちしたいと思います。ところが、お願いなんか全然してもいないのに、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局の安藝政比古さんから思いがけずメールをいただいてしまいました。
として添付ファイルをお送りいただいた次第ですが、この添付ファイルの文章には署名がありません。同じことは前にも一度あり、ごくごく遠回しにそれではまずかろう、文章には誰が書いたのかを明記するのが作法である、ついうっかり署名を忘れてしまうところにもお役人衆の責任回避体質が見事に露見しておるではないか、みたいなことを指摘してさしあげた次第なのですが、何の効果もなかったことを遺憾に思います。 その添付ファイルの全文は次のとおり。
私の返信は次のとおり。私もほんとに律儀なわけで、きのうは大阪市内で開催されたさるパーティでしこたま飲んで深夜に帰宅し、できればけさはそっとしておいてほしいなと思っていたのですけれど、メールを頂戴しておりましたのでよっこらしょッと机の前に坐り直して、こうしてよしなしごとをたらたら綴っている次第です。
さて物見高い御見物衆。 鉄格子こそ存在しませんけれど、お役所という閉ざされた場の内側と外側のどちらがよりまっとうな世界なのか、私は徹底的に解明したいと思っております。 え? もう答えはわかっている? 賢明なる読者諸兄姉のそのご推測はおそらく大正解のはずではありますが、よろしかったらもうしばらく、高見の見物をお楽しみいただければと思います。 さあもう少し寝てこよう。いやいや。きょうは京都へお酒を飲みに行かなければなりません。いやはや。 |
●9月21日(日)
京都は雨でした。 先週放映された高名なテレビ番組「トリビアの泉」で高得点ならぬ高得へぇを獲得したという池田屋跡のパチンコ店を見学したあと、私は知人とがんこ三条本店にのたくり込みました。 それにしても、私は視聴していなかったのですが、つまりこれはきのう会った知人から聞かされた話なのですが、 「新撰組の襲撃で知られる池田屋の跡は、パチンコ屋になっている」 というトリビアがどうして高得へぇを叩き出すことができたのか、私にはいまだによくわかりません。そんな程度のトリビアなら、たぶんいくらだって出てきます。 江戸川乱歩の生誕地は、狸の便所になっている。 横溝正史の生誕地は、特定されていない。 やっぱりいくらでも出てきます。みなさんもお考えください。きっととめどもなく出てくることでしょう。 たたずまいは大阪の店とかなり異なっているものの、出てくる酒や肴の価格は大阪と同じだという(この点、お店のお姉さんに確認いたしました)がんこ三条本店で昼間からいい加減に酔っ払った私は、店を出て知人と別れ、最寄りの駅へふらふらと歩きました。 雨はしとしとと降りつづいています。 京阪電車の駅にたどりついて、私は階段を降りました。 切符販売機の前には制服姿の女子高生が十人くらい寄り集まり、何の屈託もない風情でにぎやかに場所ふさぎをしています。邪魔なガキどもだなと思いながら、私は京都駅までの運賃を確認するべく路線図を見あげました。 ありません。見当たりません。その路線図に京都駅が書かれていないという事実に、私は愕然として気がつきました。天に駈けたか地に潜ったか、何度眺め直しても京都駅はどこにも見つかりません。 ふと見ると、さっき十人ほどだった女子高生はいまは四人に減っており、それでも何が嬉しいのか、じつに愉しそうに話をつづけています。私は近寄って声をかけました。 自分は京都駅まで行きたいのであるが、この路線図にはなぜ京都駅が書かれていないのか。 女子高生、大爆笑。 君たちが大笑いする気持ちはよくわかるが、困っている人間がいたら手をさしのべてやるのが人の道というものである。 私の説教で人の道に目覚めた四人の女子高生は口々に説明を始めてくれましたが、 「あっちにはタクシー乗り場もありますよ」 というアドバイスを私は受け容れることにしました。 君たちは西も東もわからない酔っ払いがそのタクシー乗り場まで無事にたどりつけると思うのか。困っている人間がいたら手を…… 私の説教を聞き終わる前に、四人の女子高生は私を先導するべく軽やかに歩み始めていました。私はふらふらとあとにつづきました。 ふたたび地上に出ると、広い通りが目の前を横切っています。その通りを右に行くと京都駅があると、女子高生たちは教えてくれました。しかしタクシー乗り場などどこにも見当たらず、目の前を走るのは京都駅とは反対の方角に走る自動車です。 それまでの短い経験から、女子高生たちは早くも要領を飲み込んでくれたようです。信号が青になるのを待ち、私を先導して道路を横断してくれました。 おかげでようやく京都駅方向への車線に面することができましたが、交差点のなかですからタクシーをつかまえるのは至難のことです。と、 「あ。こっちで」 声を出した女子高生の一人が、交差点を左折して京都駅方向へ向かう車両の列に手を挙げました。めざとくそれを見つけた一台のタクシーがウインカーを点滅させながら交差点を折れ、私の前を通り過ぎて停車スペースに停まりました。 世話になった。礼を申す。さらばだ。 私は女子高生たちに別れを告げ、タクシーに乗り込んで、「京都駅。近鉄側の出口」と命じました。 走り出したタクシーの窓からふと外を見ると、降りつづく雨のなか、四人の女子高生は寄せ合った身をガードレールから乗り出すようにして、白く細い腕を私に向かって振っています。 私は雨で曇ったウィンドウ越しに、皇族のように手を振ることで彼女たちに応えました。 雨はどこか幸福そうな静謐さで、九月の京都に烟るように降りつづけていました。 そういった次第で、京都の女子高生のあいだでも絶大な人気を誇りながら三重県のお役人衆には圧倒的に不人気なこの私は、きのうの朝「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局長にお送りしたメールをさっき読み返して、心が小さく疼くのを覚えました。 いかんなあ。俺はずいぶん投げやりになってる。それはまあ、あんな回答を読まされたのだから投げやりになるのも無理からぬ話かもしれんが、俺はより誠実であるべきであった。知事の不誠実を非難する人間が自分も不誠実では話にならぬ。 そこで私はあすあたり、事務局長から頂戴した回答へのより誠実なお答えをメールでお送りしようと決意した次第です。 ではまたあした。 |
●9月22日(月)
酔っ払いと女子高生の心温まる交流を描いたインテルメッツォをお愉しみいただきましたあとは、例によって例のごときお役所叩きとあいなります。不快にお感じの向きもおありかもしれませんが、心優しい女子高生に免じてご海容いただければ嬉しく思います。 さて、私がけさ送信したメールは次のとおりです。
ま世の中、どこの馬の骨とも知れぬ酔っ払いの問いかけにきちんと答え、その酔っ払いが無事タクシーに乗り込むまでを見届けてやる女子高生もあれば、地域住民の真摯な問いかけにいっさい耳を藉そうとせず、たちの悪い犯罪者のごとき完全黙秘でその場をやり過ごそうとする知事もいるってこってすか。 こーなりゃいっそそこらのジョシコーセーに知事やってもらったほーがいーんじゃねーのー、なんてことおっしゃってはなりません。 |
●9月23日(火)
二〇〇四伊賀びと委員会の会長さんと「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業事務局の局長さんからは、まだ回答をいただいておりません。 野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事からは、天と地がひっくり返るようなことがあっても回答はいただけないのではないかという気がしてきました。むごい話です。 私の願いはただひとつ、どうぞこれ以上私を怒らせないでおくれということだけなのですが、もしも私がこれ以上怒ってしまったら、騒動は三重県と伊賀地域七市町村の各議会事務局ならびに伊賀地域選出県議会議員をも巻き込んで、いよいよ風雲急を告げてしまうことになるでしょう。 いやいや。そんなけちなこといってないで、いっそのこと七市町村の首長七人にまで飛び火させてしまいましょうか。どうせ連中も事業推進委員会のメンバーです。まとめて面倒見てさしあげたっていいんです。知事と市町村長のいったいどっちが地域住民に対して誠実なのか、七人の首長にメールをお送りして確認してみましょうか。 いやいや。いやいやいやいや。あまり先走ってはいけません。ただまあ何と申しますか、実際に放つかどうかは私にもわかりませんが、二の矢三の矢はいつだって番えてあるという寸法です。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者のみなさん。みなさんがいま相手にしていらっしゃるのがどういう人間なのか、いくら血の巡りのよろしくないあなた方でもそろそろお気づきのことと拝察いたします。心しておつきあいください。 しかしたまには乱歩の話もしなければなりません。8月31日に「乱歩という作家にとって改訂とはいったいどういう行為であったのか、みたいなことを悠長に書き綴っている場合ではなくなったのかもしれません」と記したきりでご無沙汰していた話題に戻ります。 簡単に申しあげてしまいますと、乱歩という作家にとって改訂とは、達成や完成を求めるための行為ではおそらくありませんでした。同時代に通用する商品として自作を市場に流通させるための作業でした。私はそのように考えております。 と書いただけであっけなく終わってしまいました。こんなことでいいのかしら。 |
●9月24日(水)
乱歩作品の改訂は桃源社版全集におけるそれが広く知られていますが、昭和10年発行の『石榴』(柳香書院)でも、収録された「心理試験」と「陰獣」の二作品には乱歩自身の手で筆が加えられています。
なんてこと書いててもどうも落ち着きません。妙な体質になってしまったのかもしれません。そこで本日は三重県議会の議長さんにこんなメールをお送りして、心の平安を取り戻した次第です。
二の矢は意外な方向に飛んでゆく仕儀となりました。いや、二の矢としてはこれがむしろ順当か。今秋に予定されている(もう今秋なわけですけど)事業推進委員会までにあたう限り手を尽くしてできるだけ白黒をはっきりさせておきたいなと、私も結構本気です。 さて、地域住民の真摯な問いかけに対して県議会議長からは誠実なお答えがいただけるのかどうか。 あなたどっちに何ガバス? |
●9月25日(木)
二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長。 事業推進委員会の野呂昭彦会長。 事業推進委員会の木戸博事務局長。 三重県議会の中川正美議長。 以上四人の方の回答はまだ頂戴できておりません。お送りした質問は簡単明瞭、すぐにもお答えがいただける内容を心がけたつもりなのですが、みなさんいったいどうなさったんでしょうか。 それにしても、私はさすがにうんざりしてきました。だんまり決め込むしか能のない莫迦を相手にしているのがいい加減あほらしくなってきました。 むろん知事だの県職員だの県議だの、そういった連中の程度の悪さならとっくの昔に見切っておりました次第ですが、二〇〇四伊賀びと委員会にもそろそろ見切りをつけるべき時期なのかもしれません。 こら。二〇〇四伊賀びと委員会のうすらとんかちども。民間委員のいかれぽんちども。俺がこれほどいってもまだわからんのか。おまえら官に取り込まれてお役所の手先になりさがったのか、それともあくまでも民の立場にとどまりつづけているのか、それをはっきりしろというのだ。おまえらにはそうする義務があるというのだ。そのために事業実施計画案を早く発表しろというのだ。事業推進委員会の会長である野呂知事も招いて住民説明会を開催しろというのだ。知事を吊しあげてぼこぼこにしてさしあげるのは俺に任せておいていいから、おまえらはとにかく地域住民に対する責任をまっとうしろというのだ。まだわからんのかこの莫迦ども。 みたいな啖呵は、辻村さんのお答えをもうしばらくお待ちしてからのことにしましょうか。 それにしてもほんとにうんざりしてきました。 |
●9月26日(金)
本日は二〇〇四伊賀びと委員会のオフィシャルサイトに下記のメールをお送りしました。
こんなことばかりやっております。 |
●9月27日(土)
二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長から、先にお送りした質問へのお答えをいただきました。内容は次のとおり。
私の返信は次のとおり。
まあ本日はこんなところで。 |
●9月28日(日)
本日は二〇〇四伊賀びと委員会のオフィシャルサイトに下記のメールをお送りいたしました。きのう送信するべきだったのですが、うっかりしていて遅くなった次第です。すまなんだな関係者諸君。
それではまたあした。 |
●9月29日(月)
漫才師の夢路いとしさんが逝去されました。 朝日新聞の訃報から引いておきます。
ご冥福をお祈りいたします。 本日はこれだけです。 |
●9月30日(火)
9月も晦日となりました。ここらで整理しておきましょう。 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の野呂昭彦会長には、二〇〇四伊賀びと委員会によるパンフレット配布が正当なものであるかどうかをお訊きしております。 いまだ回答はありません。 同事業事務局の木戸博局長には、事業三か年計画決定時の議事録公開、同計画平成十五年度事業「平成十六年の実施予定事業の広報」における県議会の承認、事業推進協議会の議事録公開についてお訊きしております。 いまだ回答はありません。 三重県議会の中川正美議長には、二〇〇四伊賀びと委員会によるパンフレット配布を正当なものと考えるかどうかをお訊きしております。 いまだ回答はありません。 二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトには、私が担当する伊賀学講座のテーマを「野呂昭彦知事と情報発信」に変更することの可否と事業推進委員会の日程に関してお訊きしております。これは本来なら木戸博事務局長に質問するべきことですが、上記の質問にいまだにお答えを頂戴できない状態なので、とりいそぎオフィシャルサイトにメールを送信した次第です。 いまだ回答はありません。 現時点では、私の質問にまともな回答をお寄せくださったのは二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長ただお一人となっております。 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん。みなさんがいくらいかれぽんちでもすっとこどっこいでもあんぽんたんぽかんでも、くそったれ公務員やぼんくら議員など何の頼りにもならぬということがよくおわかりでしょう。 事業推進委員会はみなさんをフォローし支援するための組織だということになっておりますが、実態はそんなものではありません。すべてのお役所仕事がそうであるとおり、この委員会のお仕事もまたお役所の都合を地域住民に押しつけることでしかありません。 お役所の都合を押しつけられてへこへこ引き下がることしかできぬ人間が、一人前に地域住民の代表面などするものではないわこの慮外者ども、と申しあげておきましょう。少しはものの道理というものもわきまえて、立派な人間になってくださいね。 といったところで小考いたしますに、どうやら野呂さん木戸さん中川さんのだんまりトリオからは永遠にお答えをいただけないようです。もしも回答があったとしたら、それこそ晦日に月が出るようなものでしょう。どいつもこいつもそんなことじゃ立派な人間にはなれぬぞ、と申しあげておきましょう。 しかしあれか。よく考えてみるときょうは晦日か。9月はきょうでおしまいか。 いやまいったな。これはまいったな。決定的にまいってしまったな。早ければ9月中にお届けできると関係各位にお知らせした『江戸川乱歩著書目録』がまだできあがってこないではないか。あんなもの二十日もあれば楽勝で印刷製本が完了するであろうに、いったいどうしたというのだ。それはまああの印刷屋さんなら何があっても不思議ではないわけだが、しかしそれにしても。
別に9月晦日に間に合わなくたって、10月1日でも遅すぎない、という寸法です。しかしフレッド・ホイルなんて、きょうびのお若い衆はまったくご存じないでしょうか。 ついでにもうひとつ謹告です。本ページ左側に縦に並んだコンテンツもぼちぼち更新しております。よろしくどうぞ。 |
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