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2004年5月
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●5月1日(土)
どうもいけません。なんやかんやと段取りがだだぐるいになっているあいだに(「だだぐるい」の「だだ」は強意の接頭語。牧村史陽の『大阪ことば事典』には次のような用例が挙げられています。 ダダがらい(やたらに辛い)。ダダくだり(ひどい下痢)。ダダもれ(はげしい水漏れ)。ダダひろい(むやみに広い)。 「だだっぴろい」という言葉なら東京あたりでも使用されますが、あの「だだ」です。敢えて漢字を用いるならば、たぶん「徒」あたりがふさわしいでしょう)、早くも5月を迎えてしまいました。 ちょうど一週間前の4月24日、あのだだっ広い東京で『新青年』研究会の例会が開かれました。『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の翻字、脚注、解題などを担当していただくスタッフがおもに『新青年』研究会のメンバーでいらっしゃることから、関係各位の特段のご高配のもと、この日の例会では書簡集に関する打ち合わせも進めていただきました。 むろん私も出席いたしましたので、その報告をとりまとめて「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」に発表しなければならないのですが、段取りだだぐるいのゆえをもっていまだに着手できておりません。きょうあすのうちにはなんとかしたいと思います。よろしくご了承ください。 さて、5月といえば「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業、いよいよ16日に開幕です。いったいどうなることじゃやら。
といったところで、本日付朝日新聞三重版に掲載された藤田明さんの月例レビュー「展望 三重の文芸」から、冒頭二段落を引用しておきましょう。
追悼特集が組まれた井上裕雄さんは本邦図書館学の権威で、国立国会図書館関西館の誘致運動では立て役として活躍された方ですが、2002年12月7日、七十一歳で逝去されました。名張市立図書館は1969年の開館準備の段階から、井上さんの何くれとないご指導をいただいておりました。京都府を退職して京都文化博物館の館長をお務めだったおりには、同館を取材に訪れた私にいろいろと便宜を図ってくださったものでした。と個人的なことも記しつつ、あらためて合掌。 ところで、朝日新聞の伊賀版には「伊賀百筆」第十三号の記事は掲載されなかったと記憶します。藤田明先生が三重版のレビューでトップにとりあげていらっしゃる地域雑誌を、同じ朝日の伊賀版がネグレクトしてしまうとはどういうことか。これはいったいなにごとであるか。「伊賀百筆」は次号の誌面で上野市役所の記者クラブを特集してはいかがなものか。呵々。 |
●5月4日(火)
二日連続で伝言をお休みしてしまいました。 きのうは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001】」を更新しただけで家を飛び出し、近鉄特急で大阪まで赴いて憲法記念日恒例お誕生日&結婚記念日大宴会(もともとは別の趣旨の大宴会だったのですが、いつのまにかこんなアニバーサリーになってしまいました。人間、馬齢を重ねれば重ねるほどおめでたくなってゆくようです)に顔を出しました。これで連休中の用事はすべておしまい。本日はゆっくり休養に充てたいと思います。 ではまたあした。 |
●5月6日(木)
きのうのつづき。日本推理作家協会を通じて中島河太郎先生に『乱歩文献データブック』の監修をお願いしよう、という話のつづきなのですが、やがて協会事務局から名張市立図書館に電話が入り、中島先生の件を理事会に諮ったところ、そういうことはそちらでやっていただきたいという結論に至りました、とのご報告を承りました。 これはごく当たり前のことで、推理作家協会が図書館の使いっ走りに甘んじなければならぬ義理などどこにもありません。名張市立図書館はじつにお門違いな申し出を行ったわけですが、しかし俺も俺だ、どうしてこんな妙なことを考えつくのかと訝りながら図書館の意向をそのまま推理作家協会に伝えたことは反省しなければならんな。 そして遅ればせながら、そうか、これがお役所の体質か、と私は思い当たりました。中島先生への依頼に際して中島先生が所属している職能団体を介在させようとする判断の背後には、とにかくリスクは背負わない、できるだけ他人を恃み人に任せる、当事者の位置からあたうかぎり遠ざかる、要するに責任回避を第一義とするお役所体質が抜きがたく骨がらみで存在しているわけだな。よーし、俺はお役所体質垂れ流しの言い分になんか二度と耳を藉さないぞ。私はそのように決意し、そのまま今日に至っております。 閑話休題。手許のファイルを調べてみると、中島先生からいただいた最初のおたよりの日付は1996年3月1日ですから、推理作家協会の事務局から電話をもらい、そういうことならと中島先生に直接手紙でお願いを申しあげたのは2月下旬のことであったと思われます。 中島先生からの書面は便箋四枚、いまこうして眺めているだけで何やら粛然としてくるのですが、『乱歩文献データブック』監修の件は承知した、現在、大学と短大の学長を務めているのだが、どちらも3月で退くことになっているから、4月以降ならいつでも会える、といったことが細いペン字で記されています。八年前に拝読したときにはさすがに嬉しく、封筒と便箋を手にしたまま雀躍りしたことを私はよく記憶しております。 |
●5月7日(金)
話題が転々として恐縮ですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の公式ガイドブックが発行されました。きのう二〇〇四伊賀びと委員会からご恵投いただきましたので、本日はそっち関係の更新を済ませるだけでおしまいということになってしまいました。同事業の乱歩関連イベントを紹介するページが誕生しましたので、乱歩ファンの人は一瞥してやってくださいね。最新情報あたりからどうぞ。 |
●5月8日(土)
昨日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の公式ガイドブックに掲載された乱歩関連イベントをお知らせしましたところ、そのガイドブックでは乱歩不木往復書簡集刊行事業が紹介されていないのかとメールでお尋ねをいただきました。お答えいたします。紹介されております。
ただまあ公式ガイドブックはイベントの紹介が中心で、何月何日にはどこで何がありますとご町内の親睦行事をちまちま列挙した内容となっておりますので、イベント以外の事業はあっさりあしらわれる結果になっております。 乱歩不木往復書簡集刊行事業は「伊賀びと達の取り組み」というどうにも薄ら寒いタイトルが掲げられた見開きページにちょこっと記されており、こんなページ見ているだけで恥ずかしくなるから見ないふりをしていてやろうと私は思っていたのですが、お尋ねをいただいたとあれば致し方ありません。以下、「伊賀びと達の取り組み」を原文のままご紹介申し上げます。
いまさらなんにも申しませんが、しかしそれにしてもなんだかな。書き写しているだけで結構つらい私なのですが、最後の「その他の取り組み」に「主な取り組み」が次のとおり紹介されていて、往復書簡集のことが気持ちだけ出てきます。
といった塩梅で、いまさらなんにも申しませんが、乱歩不木往復書簡集は温泉情報冊子とまちなみ・自然歩きマップに挟まれて紹介されております。どうぞご休心ください。 それから、乱歩不木往復書簡集に関する出版社と委員会との契約その他の打ち合わせ会場として、二〇〇四伊賀びと委員会事務局に名張市役所の三〇四会議室を押さえていただきました。日時は5月17日午後(時刻未定)。関係各位は万難を排してお集まりください。 そんなこんなでこの話題はとりあえずおしまいにいたします。あしたは都合によりこの伝言もお休みです。 |
●5月10日(月)
まず乱歩ファンのみなさんにお知らせです。 立教大学のオフィシャルサイトに「旧江戸川乱歩邸」が掲載されました。立教学院創立百三十周年記念事業「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」のプログラムや乱歩が蒐集した近世資料の一部などが紹介され、リンク集のトップには名張市オフィシャルサイトの乱歩関連ページを掲げていただいております。ぜひご一覧ください。お暇な方は「立教学院創立130周年記念行事」もどうぞ。
さて、東京六大学野球では早稲田相手にノーヒットノーランを演じておおいに意気あがる立教大学ですが、明治相手に逆転勝ちを収めた5月8日土曜日には池袋のホテルメトロポリタンで学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会が行われました。乱歩の縁でお招きに与りましたので、名張市からは市立図書館の館長と不肖カリスマが僭越ながら八万五千名張市民を代表して末席を汚してまいりました。これは公費による出張でしたから、名張市民のみなさんへの報告を以下に記します。 しかし世の中ずいぶん世知辛くなったもので、少し前までは名張から東京への出張といえば最低でも一泊二日と相場が決まっていたのですが、交通の便がよくなったこともあっていまや日帰りが当たり前。今回の出張で私は二万九千円あまりの公費を頂戴したのですが、これも当然日帰りの旅費で、しかも聞くところによれば往路は新幹線、復路は品川名張間の夜行バスを利用するものとして旅費が計算されているそうです。 名張市もまあ何を考えておるのか。節約は大切なことだが、東京出張の往復くらい新幹線に乗せてやらんか。夜行バスで帰る貧しさいじましさがそのまま身についてしまったらどうする。名張市職員諸君は東京において八万五千名張市民を代表してお仕事をしなければならぬというのに、俺なんてどうせ帰りは夜行バスだし、と俯いてしまってはろくなことができんのではないか。しかしまあ東京出張といったってどうせ国家管理機構の中枢を一気に駈けあがってやろうなどとろくでもない志を抱いた中央省庁の悪徳官僚にへこへこへこへこ頭を下げてくるのが任務の実態なのであろうから、そんな連中は夜行バスで帰ってくるのがお似合いか。まあ好きになさい。 それでまあ名張市立図書館長は祝賀会のあとそそくさと名張に帰ったのですが、私の場合はそうはまいりません。飲んでやりました飲んでやりました。八万五千名張市民を代表して夜中まで大酒飲んで大騒ぎしてきてやりました。名張市民のみなさんどうも相済みません。東京方面の関係各位のみなさんどうもありがとうございました。つづく。 |
●5月11日(火)
いよいよ16日に開幕を迎える「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ですが、その前夜祭ライブ「山下洋輔ジャズ俳句」のチケットが多少残っているみたいです。詳細は左の告知板でどうぞ。 さて学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会の話ですが、名張市民のみなさんのなかには、祝賀会は結構だがどうして名張市から二人も出席しなければならぬのか、市立図書館長一人がお邪魔して祝意を表してくれば済む話ではないか、とお思いの方がおありかもしれません。 それはそうです。まことにそのとおりだと申しあげるしかありません。ただ今回の場合、図書館長は春の異動で就任したばかり、旧乱歩邸の場所も知らなければ乱歩関連イベントをメインとした立教学院創立百三十周年記念事業のこともまったくといっていいほど存知しておりません。 いくらなんでもこれではまずかろう、ということで僭越ながら私が付き添うことになり、館長が立教学院にお願いして名張市枠を急遽二人にしていただいた次第です。ですから名張市民のみなさんにはそのあたりの事情をお酌み取りのうえ、できれば知らん顔して見逃していただますようお願いを申しあげたいと思います。 そんなこんなで5月8日土曜日、立教の祝賀会は午後5時からだったのですが、館長と私はまず平井家にご挨拶にあがりました。到着は午後3時半。つづく。 |
●5月12日(水)
そんなこんなで5月8日午後、東京都豊島区にある平井家にお邪魔しました。新任の名張市立図書館長が平井憲太郎さんにご挨拶を申しあげ、つづいて次のようなお願いとご報告を。
ほかにも用件はありましたが、主要なところは上記に尽きております。いつもながら憲太郎さんにはよくしていただきましたことを、名張市民のみなさんにご報告申しあげる次第です。 さて、平井家をおいとましたあとはホテルメトロポリタン三階で学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会。受付は午後4時半から、開会は5時。 |
●5月13日(木)
本日は乱歩作品またまた映画化というニュースからまいります。
つづきまして、いまやすっかりおなじみになりました学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会の話題です。ホテルメトロポリタンのロビーでしばらく時間をつぶしたあと、館長と私は祝賀会場が設営された三階に赴きました。
開会前に受付や控え室でお目にかかり、館長ともどもご挨拶を申しあげたのは、文学部のF教授、大学図書館のU館長、文学部のW教授、豊島区のT区長、豊島区コミュニティ振興公社のM事務局長、といったみなさんでした。 豊島区の区長さんからいろいろお話をお聞きしているとき、「そういえば、あれ届いただろ」とのお言葉をいただいたのですが、私には「あれ」の意味がまったくわからず、恥を忍んでお訊きいたしましたところ、豊島区が昨年主催した江戸川乱歩展のカタログ『乱歩の世界』を名張市にお送りくださったとのことでした。あ、あれか、と私は思いました。 話題がいささか逸れてしまいますが、ここで名張市民のみなさんにお知らせしておきたいと思います。江戸川乱歩展実行委員会から私のもとに一通の文書が届いております。平成16年3月25日付で、実行委員会の逢坂剛会長と豊島区の高野之夫区長の連名による文書です。一部引用いたしますと──
つまり、実行委員会から豊島区に乱歩展のカタログ六百七十六冊が寄贈され、豊島区のご厚意によりそのうちの幾許かを名張市が頂戴したというわけです。区長さんのおっしゃる「あれ」とはこのカタログのことだったのですが、館長も私もそんなことはちっとも知らない情けなさでした。 名張市民のみなさん、名張市役所の人たちはこれだから困ってしまいます。カタログをいただいたのならいただいたで市立図書館にその旨連絡してくれるのが普通だろうと私は思うのですが、お役所の人たちはそんなことにも気がつきません。おかげで区長さんにお会いしたら真っ先にお礼を申しあげるべきところ、八万五千名張市民の代表として著しく礼を失する結果となってしまいました。 どうしようもありませんからとりあえずその場では、館長が「名張に帰りましたらさっそく確認いたします」と区長さんにお約束してお茶を濁したような次第です。したがいましてこの件では、カタログを受け取った名張市役所の担当部署に対して市立図書館長が厳しい抗議を寄せ、「カタログをどのように活用したいと考えているのか、図書館への連絡を怠ったことの反省文も含め、千字程度のレポートにまとめて図書館長宛に提出せよ」といった指示を行うはずなのですが、しかし名張市民のみなさん、よく考えてみましたら図書館長とてお役所の人であり、お役所の人というのはたいていが波風立てず大過なくを合言葉として職務に精励する人たちであるようですから、館長にもあまり期待はできないのかな。名張市民のみなさん、どうも相済みません。 |
●5月14日(金) さて、きのう記しました江戸川乱歩展カタログ『乱歩の世界』の件、名張市立図書館長がさっそく確認いたしましたところ、どうも話がおかしい、という結論に至ったそうです。このカタログに関しては、以前豊島区から名張市に対して購入要請があり、当時の市立図書館長の判断でわずか二部だけ買い求めたものの、その後はとくに動きもなく、豊島区の区長さんが何か勘違いをなさっているのか、それとも豊島区の内部で連絡に齟齬が生じているのか、いずれにせよいささか要領を得ない話であるとのことです。 ここで名張市民のみなさんにお知らせしておきましょう。去年の1月から2月にかけて池袋西武で乱歩展が開かれたその直後、私は名張市役所の地域振興課(当時の名称です)を訪れて問題のカタログを指し示しながら、このカタログを名張市の予算でまとめて購入し、おおいに活用するようにとの提言を口頭で伝えました。そのときには、 「そこらの不勉強な名張市議会議員のあほのみなさんに一部ずつ配ってちょっとは勉強さしたったらええねん」 とのプランを示しただけでしたが、カタログの活用方法ならいくらだってあるでしょう。 そもそもこの乱歩展におきましては、わざわざ名張市まで足をお運びいただいた豊島区長から名張市長に対してじきじきに協力要請があったわけであり、しかもカタログの奥付を見てみなさい。組織委員会十四人の一覧では会長高野之夫、委員平井隆太郎、委員亀井利克と名張市長の名前を三番目に挙げていただいて下にも置かぬお計らい。しかし名張市は具体的には何の協力もできなかったわけなのですから、せめて売れ残ったカタログのすべてとはいわない、名張市の身の丈に応じて幾許かを一括購入したところで罰は当たるまい市民も怒るまい。だいたいが乱歩展の会場には名張市の紹介コーナーも開設してもらったのだが、天下の池袋西武に名張市の宣伝コーナーを設けようと思ったらいくら費用がかかるかわかっておるのか。俺にもわからんが結構な額になることは間違いない。ていうか、乱歩のことがよくわかるうえに眺めるだけでも面白いこんなカタログを名張市が自前でつくって市民に提供しようとしたらいったいいくらかかると思っておるのか。名張市が乱歩の名前を自己宣伝に利用しようなどと虫のいいことを考えているのであれば、君たち市役所の人たちもこのカタログを読んで少しは勉強というものをしなければなりません。なにしろ名張市においては議員もあれだが職員もこれだからな。がはははははははは。 みたいなことを地域振興課(当時の名称です)で縷々申し述べ、 「お役所も生き金つかうこと考えなあかんがな。公務員かていつまでも気ィつかわん金つかわん頭つかわんではあかんで実際」 と捨てぜりふを残してその場をあとにした次第です。つづく。 |
●5月15日(土) きょうは新刊のお知らせから。 天城一さんの『天城一の密室犯罪学教程』が出ました。 きのう天城さんからご恵投いただいたのですが、日本評論社という見知らぬ出版社から宅配便が届き、何だこれはと開封してみてまあびっくり。失礼な話ながら、天城さんの作品集がまさかハードカバーの単行本で世に出ようとは。慶賀慶祝慶福至極。ご上梓おめでとうございます、と名張から芦屋へ心からなる祝福を。 左の告知板にいささかを記しておりますが、乱歩の思い出に捧げられたというこの一巻、乱歩ファンなら迷わずお買い求めください。 さてきのうのつづきですが、その後のことはよくわかりません。 いやそれよりも、きのうのこともよくわからん、とおっしゃる名張市民の方がおありかもしれません。つまり一昨年の夏から秋にかけて私は、というか名張市は探偵講談東京公演を実現するべく豊島区に持続的な協力要請を行っていたのですが、その担当課が地域振興課(当時の名称)だったわけで、豊島区の協力よろしきを得て一昨年11月に探偵講談が終わったあとも、昨年1月から2月にかけて豊島区が主催した乱歩展を僭越ながら名張市が後援しました都合上、私には地域振興課に赴く機会が多くありました。そして乱歩展が終わって間もないある日、何かの用事で地域振興課を訪れた私は、ふと思いついて乱歩展のカタログを名張市がまとめて購入してはどうかとの申し入れを行ったという寸法です。 で、その後のことはよくわかりません、ときょうの話につづくのですが、私の申し入れが名張市役所の内部で検討されたのかされなかったのか、検討されて容れられたのか容れられなかったのか、そのあたりのことを私はまったく聞かされておりません。とはいえ、かりにカタログの購入を検討したところで、そのための予算はどこからも捻出できないだろうなとは思っておりました。なにしろ名張市は深刻な財政硬直化に直面しており、一昨年9月には財政非常事態宣言が発表されたほどですから、ない袖は振れぬといわれてしまえば返す言葉がありません。乱歩展が終わったあと私には名張市役所に足を運ぶ用事もなくなってしまい、カタログ購入のことはなんとなくうやむやになってしまった次第です。いやどうも面目ない。 そしてそのあと、豊島区から名張市に対してカタログの購入要請があり、当時の市立図書館長の判断でわずか二部だけ買い求めた、ときのう記したとおりの経緯があったらしいのですが、この件を私はまったく知りませんでした。いやどうも面目ない。しかしそんな話があったのならどうして俺に伝えないのか。俺を誰だと思っている。名張市職員と名のつく有象無象が何百人いるのか知らないが、乱歩に関するお仕事で市民からお手当をいただいているのは俺だけだぞ。その俺を無視してどうする。そんなことされたら俺は名張市民に顔向けができなくなるではないか。だいたい何が判断だ。名張市職員と名のつく有象無象にものごとを正当に判断する能力があるかどうかと問われればないと答えるしかないこの私だ。 何いってんだか自分でもよくわからなくなってきましたので、きょうはここまでといたします。まだかなりお酒が残ってるみたいです。ではまたあした。 |
●5月16日(日) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が開幕する大事な大事な日だというのに、当地は朝から雨がぱらついております。やっぱいろいろな意味で罰が当たってんじゃねーの。 さてまことに勝手ながら、本日は都合により掲示板「人外境だより」に投稿しただけでおしまいといたします。ではまたあした。 |
●5月17日(月) いやどうもすいません。けさも日中友好に時間を割いておしまいです。ではまたあした。ほんとにどうもすいません。 |
●5月18日(火) 掲示板「人外境だより」における日中友好も炎の三連投となってしまいました。そのうち日中友好協会あたりから感謝状の一枚もいただけるかもしれません。 |
●5月19日(水) 日中友好に身を挺しているあいだに何が何やら訳がわからない状態になってしまいました。私が少し以前まで何を記していたのかと申しますと、5月8日に池袋のホテルメトロポリタンで開催された学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会に出席するため公務で出張したおりの報告です。しかしきょうはもう19日か。光陰矢のごとく、報告牛のごとし。東京出張は遥か昔のことになってしまったような印象です。
ここで別の報告をひとつだけ。5月17日月曜、前日に開幕した「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつとして刊行される『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に関して、事業主体の二〇〇四伊賀びと委員会と書簡集の出版を担当する皓星社との話し合いが名張市役所で行われました。やや詳しいことは近く「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」に書きつける予定ですが、事業予算五百五十万円で書簡のスキャンから流通ならびにパブリシティまで、本づくりのすべてを一括して皓星社にお願いすることが正式に決定しました。 その他もろもろ、またあらためてお知らせ申しあげます。では本日はこのへんで。 |
●5月21日(金) おはようございます。本日は曇天なり。ただし昼には晴れ間が広がる見込みです。名張地方の天気予報はこちらでご覧ください。それでは失礼いたします。面目次第もございません。 |
●5月23日(日) このところ19日、21日、23日と伝言を記すのが飛び石状態になっておりました。日中友好に身も心も捧げているうえにやたら用事が立て込み、時間の余裕がないために失礼をつづけた次第です。おかげさまできょうの日曜は久方ぶりにひとつも用事がなく(むろんお部屋のお片づけなどいつか着手しなければならぬ用事は山積しております)、午後にはひとつ犬を風呂にでも入れてやるかと考えているのですが、取り急ぎご挨拶のみ申しあげましてまたあした。 |
●5月24日(月) いかんいかん。このところ言い訳ばかり並べ立てているような気がいたしますが、一週間前の5月17日に名張市役所で行われた『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に関する打ち合わせ、いくらなんでもそろそろ「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」で報告しなければまずかろうとは思いつつ、勝手ながらまた先送りとしてしまいます。いかんいかん。ほんとにいかん。 |
●5月25日(火) おかげさまで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」に新たな報告を書き継ぐことができました。本日はこれだけです。 |
●5月26日(水)
掲示板「人外境だより」をご覧いただいている方は先刻ご承知のことですが、この伝言板だけをご閲覧の方にもお知らせしておきましょう。5月23日、私は中国にお住まいの叶栄鼎さんにメールをお送りしました。叶さんは乱歩作品の翻訳を手がけていらっしゃる方です。
掲示板「人外境だより」をご覧いただいていない方にはさっぱりおわかりにならないでしょうが、私が5月12日付伝言に記した「叶さんの中国語訳はどうやら著作権無視の海賊版らしいことが判明しました」という一文が関係各位の逆鱗に触れ、ろくに調べもしないでそういうことを軽々に書くものではないと、きわめて穏やかに記せばそういった意味のお叱りを「人外境だより」に頂戴しました。私とてちょっと待てこらと思わぬでもないことがなくもなかったのですが、とりあえずご当人の叶さんに上記のメールをお出ししたうえで、12日付伝言にあった「叶さんの中国語訳はどうやら著作権無視の海賊版らしいこと」はどうやら事実ではないらしいという現時点での見解を、いささか歯切れ悪くここに記して関係各位のまた読者諸兄姉のご寛恕をお願い申しあげる次第です。ま、現時点ではそういったことで。 |
●5月27日(木) 東シナ海を股にかけて日中友好活動に挺身しているあいだにいろいろなことがありました。
5月17日のできごとは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」に記しましたが、その前日の16日には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が開幕、当日の伝言に記したとおり罰が当たったとしか思えない雨の一日となりましたが、翌17日に『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の件でお会いした二〇〇四伊賀びと委員会メンバーからお聞きしたところでは、雨の上野公園で催されたイベントには地域住民がどっとばかりに殺到、「伊賀ふーどぴぁ春」でふるまわれた「千人大鍋」もすっからかんになる盛況だったとの由でしたので、私は次のように申しあげておいた次第です。 「よかったよかった。なんちゅうたかて伊賀地域住民が深いこと何も考えんと、そらよろしですな、結構なイベントですな、お鍋よばれますわ、おいしございますわ、ほんまに結構なことですな、ゆうてるような連中ばっかりやから伊賀びと委員会もなんとかもってるわけですがな。みなさん地域住民のおつむの出来にもっと感謝せなあきませんで実際」 開幕イベントに興味がおありの方は伊賀快適生活応援サイト「YOU」の5月16日付記事「芭蕉生誕360年事業開幕 11月21日まで300以上の催し」(動画=Quick Time Movie、6368kB)をどうぞ。 いっぽう、名張市立図書館は民間委託という名の時代の波に呑み込まれることになりました。同じく「YOU」の5月19日付記事「市立図書館の民間委託を検討 市議会重要施策特別委で報告 名張市」と、ついでですから20日付記事「2年後の委託業務開始に向け検討開始 名張市立図書館」(動画=Quick Time Movie、4713KB)もどうぞ。民間委託は結局のところ経費削減の便法で、私などいかにカリスマといえどもしょせんは臨時雇いの嘱託でしかありませんから、このどさくさに素っ首あっさり叩っ切られる可能性も少なからずあるわけですが、こうなったら名張市立図書館はいつまでも見栄はってないで乱歩からすっぱり手を引くことを検討するべきだろうと私は考えております。しかし検討ったってどうせお役所の人がやることなのですから、結局のところ何の期待もできないのかもしれません。ただまあ、奇貨おくべし、みたいなことは近く漫才にまとめて発表したいと思っております。
5月19日には日本推理作家協会が主催するふたつの賞の最終選考会が開かれました。詳細は「MSN毎日インタラクティブ」の「江戸川乱歩賞:「カタコンベ」の神山裕右さんが最年少受賞」と「推理作家協会賞:歌野晶午さん、垣根涼介さんらが受賞」でどうぞ。受賞者は、乱歩賞が神山裕右、協会賞は長編および連作短編集部門が歌野晶午、垣根涼介、短編部門が伊坂幸太郎、評論その他の部門が千街晶之、多田茂治のみなさんでした。 5月21日、所用で奈良に赴いた際、車がいきなりパンクいたしましたので(パンクはたいていの場合いきなりなわけですが)、十何年ぶりかでタイヤ交換を体験する羽目になりました。家に帰ると渡辺晋さんからご恵投いただいた『「医家芸術」目録(抄)』が届いておりました。書影その他は「『新青年』研究会オフィシャルサイト」のこのページでどうぞ。 5月22日、小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、平壌市内の大同江迎賓館で金正日総書記との首脳会談に臨みました。俺は日中友好活動に手一杯だから残念ながら日朝問題にまではとても手が回らんな、と思いつつ叶栄鼎さんにメールをお出ししたのは翌23日午後のことでした。 |
●5月28日(金) といった次第で、日中友好活動以前の話題がなんとも遠いことのように思われます。私はいついつまでもこの身を東シナ海に架ける橋としていたいのですが、なかなかそうもまいらぬでしょう。日中友好活動は今後も継続することにしてここはとりあえず、中国に稲垣足穂が紹介されているかどうかは知らないのですが(中国のみなさん、足穂はアシホではありません。どうかタルホと読んでください)、高名な足穂作品の結びを再度引いておくことにいたしましょう。すなわち、何時々々迄モ忘レハシナイ、と僕は思っているわけさ。僕ノ心ノ奥ニハ次ノ様ニ呼ビ掛ケタイ気持ガアル。ようえいていサン、気ガ向イタラ又オ出デ! |
●5月30日(日) 27日付伝言に「近く漫才にまとめて発表したいと思っております」などと暢気なことを書いておったのですが、その漫才の締切が今月21日であったことがおととい判明しました。うっかり勘違いしていた次第です。えらいこっちゃがなと思いつつ一心不乱に努めておりますものの、ネタが全然まとまりません。やれ難儀な。以上、うちつけに私事を記して失礼いたします。どうも相済みません。 |
まだ5月だというのにきのうの暑さは何だったのでしょうか。おかげで仕事がさっぱり捗らず、きょうもひいひいいわねばなりません。まいったなもう。 |