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2004年8月前半
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●8月1日(日) 8月を迎えました。台風10号はさしたる被害ももたらさず、あっさり日本海に抜けてしまったようです。私はと申しますと8月になってもまだこの話題、7月29日に開かれた第四回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の報告をつづけます。 事務局は県民に対する説明責任を果たしていない、という第四回委員会における知事の指摘は、事務局には民の視点が存在していない、と換言することが可能でしょう。官民合同で進められているはずの事業から、なじかは知らねど民の視点が欠落しているわけです。これをさらに換言するならば、じつに奇妙なことではあるのですが、事業を手がけている官民合同組織に民間委員が存在していない、ということになるはずです。委員会には民の視点をもった人間が一人もいないということです。 きのうご紹介した朝日新聞の見出しにもあったとおり、第四回委員会ではまさに「知事、事務局に苦言」という光景がくりひろげられたわけなのですが、問題はけっして事務局レベルにとどまるものではありません。もとより事務局の不手際は覆うべくもありませんし、それに対する知事の叱責は正当なものであるとも判断される次第なのですが、しかしその不手際は二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の意識と体質がそのまま反映されたものなのですから、事務局だけを責めて話がおしまいになるわけでは全然ありません。 これこれ委員会の民間委員のみなさんや。みなさんいったいどうお考えなんでしょう。何をってあなた、第四回委員会で炸裂した説明責任論議のことですがな。 え? 事務局から報告がないからそんなことは知らない、とおっしゃいますか。報告もくそもおまえら委員なんだからたまには事業推進委員会にも顔を出したらどうなんだ、と私は思わないでもないのですが、それはまあいいとしましょう。とにかく新聞報道なり私の報告なりで第四回委員会の模様はみなさんに伝えられたと、そういうことにしてみましょう。 え? 第四回委員会で知事から批判されたのは事務局が作成した議案書の杜撰さであって、そんなことは委員には関係ない、自分たちの与り知らぬことであるとおっしゃいますか。ありゃりゃ。莫迦というのはどこまで行っても莫迦なんですねといっそ感心してしまいますけど、これこれ莫迦のみなさんや。みなさんには相変わらずものの道理がわかっていらっしゃらない。いやまあ、ものの道理がわかってないからみなさん世間から莫迦と呼ばれているわけなんですが、そろそろしっかりしませんか。 私は7月28日の伝言にも記しましたとおり、あほはあほなりに世間にまともに顔向けのできる人間になってもらいたいと思って努めてきたわけなのですが、えー、この場合のあほというのはむろん民間委員のみなさんのことで、世間というのは知事の用語を拝借して県民と置き換えてもいいわけなのですが、いいですか莫迦のみなさん。おまえらどうせ莫迦なんだからろくな事業もできないだろうがそれならせめて公開性を第一義としてやってくれ、そうすりゃ事業がご町内の親睦行事の寄せ集めに終始したって何かしら得るところはあるんだからと、あれだけ懇切丁寧に助言してやったというのに結局はこのざまではないか莫迦ども。 いいかこら莫迦。民間委員の莫迦ども。俺が何をいってもいっさい応えようとせず説明責任なんてはなから放棄して知らん顔決め込んでいた莫迦ども。おまえら自分のやってきたことをよく振り返ってみろ。 といったところで古い話を蒸し返しますが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の事業計画が発表されたのを受けて昨年10月30日、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会が意見交換とやらを目的に開設していたオフィシャルサイト掲示板に私はこんなことを投稿しました。
ここで私が「計画のなかのこの事業にはいくらこの事業にはいくらと予算額をはっきり明示して、血税がどぶに捨てられるさまを地域住民にしっかり見せてくれないと困るんです」と申しあげたのは、第四回委員会で知事が「どんなことに出費しているのか仔細まで報告しないと説明責任は果たせない」とおっしゃったことと同義であるとお思いください。 しかも私は、みなさんが具体的にどんなことをすればいいのか、翌日の投稿でこんなふうにアドバイスまでしてさしあげていたのよね。
ああそれなのにそれなのに、みなさんったら私の意見をいっさい容れようとはなさいませんでした。見ざる聞かざる言わざるを決め込むばかりでいらっしゃいました。 それでも私はめげません。12月25日に開催された第二回事業推進委員会の報告として12月31日、私はオフィシャルサイト掲示板にこんな投稿を寄せました。
ね。こんな杜撰な予算書があるかと私は怒ってます。第四回委員会で知事が広報費増額補正分八百万九千円の内訳が不明瞭であるとお怒りになった、あれと同じことを私は指摘していたわけですけど、むろんみなさんは知らん顔。例によって例のごとく見ざる聞かざる言わざるでことが済むとお思いだったのかもしれませんが、事業がスタートして二か月以上もたったいまごろになって、みなさんが隠蔽していた予算の詳細というごくごく基本的な問題で、事務局がとうとう知事から叱責されてしまうことにあいなったというわけです。 ただまあ、こんなこと申しあげるのもあれではあるのですが、知事も莫迦だっちゃ莫迦なわけでがんすね。いまごろ補正予算にいちゃもんつけたところでたいして意味はないんですから。説明責任をうんぬんするのであれば昨年の12月25日、第二回事業推進委員会で配られた予算書をご覧になった時点で「これでは説明責任を果たすことにならない」とおっしゃるべきでした。「県民によくわかるよう具体的に説明して、説明責任をきちっと果たすことが必要である」とおっしゃるべきでした。 それをまあ何なんでしょうかあの方は。総額三億三千百七十二万八千円のきわめて杜撰な予算書をしゃんしゃん承認しておきながら、この期に及んでわずか八百万九千円の予算書とりあげて重箱の隅をつっつくなんざ本末転倒もいいところじゃねえか。だいたい去年の暮れにあれだけ杜撰な予算書がすんなり通っちまったんだから、事務局にしてみりゃどんないい加減な予算書でもOKだわなと思うわな。どこで吹き込まれてきたんだか知らねえが、いまごろ説明責任なんて言葉を振り翳したってそりゃ出し遅れの証文ってやつですぜ。古色蒼然たるくすぐりではあるのですが、知事よあなたは遅かったと、敢えて申しあげておきたいと思います。 しかしまったくひどい話ではありませんか。よくぞここまで出来の悪い面子が集まったものです。知事も事務局もじつにいい加減なものですが、やっぱ一番の役立たずとなれば民間委員の連中にとどめを刺すべきだろうな、と私には思われます。 |
●8月2日(月) 中国および四国地方のみなさん、台風10号のもたらした局地的大雨の被害はいかがでしょうか。降り始めからの雨量が驚くなかれ1000ミリを超えたところもあると報じられておりますが、みなさんのご無事をお祈り申しあげながら、心からなるエールの意味もこめまして、eri_19802000@yahoo.co.jp の山田絵里さんから頂戴したメールをご紹介申しあげましょう。
153と申しますと、低いどころか相当高いのではないでしょうか。一般的には年齢プラス90が平均値だといわれていますから、24歳だとおっしゃる山田さんの場合はプラス90でイコール114。これが最高血圧の目安になると考えていいでしょう。食事や生活習慣の改善が必要かもしれません。はい、次の方。 次の方は、あ、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の民間委員のみなさんですか。どうしましたか。はあはあ。民の視点ですか。はあはあ。自分たちに民の視点がないのはどうしたことであろうかと。はあはあ。しかしみなさん、どうしたもこうしたもないではありませんか。民間委員のくせに民の視点を持ち合わせていないのは、畢竟するにみなさんが莫迦だからです。莫迦につける薬はありませんし、莫迦は死んでも治りません。われわれドクターもスプーンをスローするしかないわけです。諦めるしかないでしょう。はい、次の方。 え? そんなにあっさり片づけないでくれ、とおっしゃいますか。しかし私はこれでもう一年以上の長きにわたり、みなさんに対して渾身のアドバイスを送りつづけてきたわけです。いまから新たに申しあげるべきことは何もありませんし、だいたいがみなさんだって民の視点を持ち合わせていないはずはないんです。 たとえばみなさん、お役所のやることに関して、それって税金の無駄づかいなんじゃねえのと、そんなふうにお思いになったことはたぶんおありだと思います。それが民の視点です。それからまたお役所に対して、誰がどんな基準に基づいてどういうふうにものごとを決めてるのか皆目わからねえなと、そんなふうにお感じになったこともたぶんおありだと思います。それが民の視点です。 ですからみなさんは民間委員として、税金の無駄づかいはしない、ものごとを決めてゆく過程をオープンにする、このふたつのことに意を用いてさえいたならば、いまごろは誰からも後ろ指をさされることのない立派な民間委員になれていたはずなんです。事業に民の視点を持ち込めていたはずなんです。 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業に民の立場から携わることになったとき、みなさんの頭のなかに、もしかしたらこの事業は税金の無駄づかいではないのかという疑問は浮かばなかったでしょうか。こんな一過性のイベントに三億円というばらまき予算を投じるのは無駄なのではないかと、たとえほんのわずかでもお考えになったとおっしゃるのであれば、その時点ではみなさんにもまだ民の視点が存在していたのだといえるでしょう。 事業が税金の無駄づかいかもしれないとは思ったが、自分たちが委員になった時点で事業は動き出していたのだから中止することなどとてもできなかった、とおっしゃいますか。それならそれで、私がしつこいくらいに提案しつづけておりましたように、事業の計画から実施に至るプロセスをオープンにすることで民の視点を持ち込むことはいくらでも可能でした。そうすれば先進的な事例になるものをと、私はくり返してお伝えしてきたはずです。 とはいえみなさんには、私のような名もない人間の言は無視してしまう悪い癖があるのかもしれません。名があろうがなかろうが、聴くべきところのある意見には素直に耳を傾けるのがまっとうな人間というものだろうと私は思うのですが、みなさんのようにものごとを正当に判断する見識を持ち合わせていない人たちは盲目的に名のある人を恃むしかなく、その結果いわば著名人中毒あるいは有名人依存症になってしまうのは無理からぬところなのかもしれません。 それなら私も名のある人の言を引いてお話を進めましょう。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は「二一世紀のあるべき民主主義」への道を開く可能性さえ秘めておりましたものを、民間委員のみなさんが普通にものを考えられる人でなかったばっかりにあたらその芽を摘んでしまった、ああもったいない、ああ残念な、というお話です。 と書いてから一冊の本を探し出すのにえらく時間がかかってしまいました。以前にも引用した山口二郎さんの『戦後政治の崩壊 デモクラシーはどこへゆくか』(岩波新書)という本なのですが、6月に出たばかりの本がどこかへ紛れ込んで所在不明になってしまうのでは、こんなお説教を垂れるより先にお部屋のお片づけに精を出さなければならないのかもしれません。 それはさておき、引用です。 第七章 次なるデモクラシーに向けて そのなかの「民主政治のモデルチェンジ──当事者による少数決から市民による多数決へ」と題された節から引きましょう。
「自民党型の民主主義」は、いまや改められなければならない過去のシステムとして語られています。「参画する人間の限定性」と「情報開示の限定性」は、どちらも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業にそのまま当て嵌まるものでしょう。「一般市民の無関心」もまたしかり。
「政策コミュニティ」は政策を実質的に決定してゆく組織のことで、具体的には自民党の幹部五人ほどと有力者、官僚、幹部族議員というごく少数の人間の集合体であるとされています。特権的にものごとを決めてゆく少人数の集まりを解体し、彼らが独占している知識や情報を広く公開して、さまざまな人間が自由に意見を寄せられるようなシステムをつくりあげなければならないと、まあそういったことでしょう。二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさん、ちゃんと耳を傾けてくださってますかあ。
もはや贅言は要しますまい。官と民との合同によって「従来の常識を打破し、情報を全面的に公開、共有した上で、いろいろな立場の人が対等に議論していく。そこからよりよい政策を開発し、決定する」ことは、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に可能性として潜在していた手法のはずです。それはそのまま「二一世紀のあるべき民主主義」への道を探る作業にもなっていたはずです。それがどうしてこんな悲惨なことになってしまったのかと申しますと、はい民間委員のみなさん、ここでご唱和をお願いしましょうか。 「私たち民間委員が莫迦だったからでーす」 よくできました。はい、次の方。 |
●8月3日(火) しかしまあ、よく考えてみますと、かりに21世紀のあるべき民主主義などというものがこの国に実現されることになったとしても、それはけっして伊賀という保守的でほとんど前近代的でさえある土地においてのことではないであろうと思われます。二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会が説明責任をいっこうに果たそうとせず、そのせいでとうとう知事さえ怒らせる結果を招いてしまったことには、じつは伊賀の土地柄も大きく与っていたのだと申しあげるべきなのかもしれません。 そもそも説明責任がどうのこうのという以前に、あの委員会は説明能力というものを完全に欠いているように見受けられます。つまり彼らは条理を尽くした説明なんてものを必要としない世界に生きているわけであり、それはお役所とはまた別の、それでもやはり外部から遮断されたバーチャルリアリティの世界なのだと見るべきでしょう。だとすれば、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業における官民合同とは、お役所の体質と伊賀の土地柄が渾然一体になってアマルガム状態を現出することを意味しているのではないかという気さえしてきます。 こーりゃ逆立ちしたって太刀打ちできんわな、と思いつつ、7月29日に開かれた第四回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の報告をつづけます。 知事から説明責任を追及する発言があったことはお知らせしたとおりで、それを受けて事務局から予算の詳細が報告されたわけなのですが、本当のことをいえばあんな程度で説明責任が果たされたとはとても認められません。第四回委員会でなされたのは隠蔽されていた予算の詳細が(それもごくごく一部のことですが)公開されたということに過ぎず、つまりはわずかながら情報公開が進められたということであって、敢えて説明責任という言葉を持ち出すのであれば、たとえばそうした予算の妥当性を事務局がきちんと説明できるのかどうか、知事がそれを問うことから始められるべきだったと思われるのですが、いまごろごちゃごちゃいっても致し方ありません。とにかく前へ進みましょう。 第一号議案につづいては第二号議案「平成15年度事業報告(案)について」。事項書四ページにわたって2003年度の事業が報告されましたが、くだくだしければ省略。事項書の項目だけ引き写しておきます。
というだけではあまりにも愛想がないかもしれません。委員から質問が出された事業だけ抜粋しておきましょう。
委員から出された質問は「アニメをつくって一回上映しただけではもったいない。世界への発信はどうなっているのか」とのものでした。事務局からは「アニメは民間会社が企画制作したもので、委員会は制作にはタッチしていない」との回答がありました。 「それじゃ、上映権を買った、ということですか」 私が委員なら「伊賀びとのみなさんは要するに人のふんどしで相撲を取っただけの話なのね。それがみなさんの情報発信なわけなのね。ずいぶん楽みたいねあなたたち」と申しあげていたところでしょうが、むろんそんなやりとりはありませんでした。 第三号議案は「平成15年度収支決算(案)について」。収支を表にするのは面倒なのでごく簡単に。
詳細は委員会のオフィシャルサイトでご覧ください、と申しあげたいところですが、決算の詳細は公開されていないようです。公開するべきだと私は思うのですが。 さて以上三議案、原案どおり可決されました。 つづいて報告事項ですが、「(2)夏・体験イベントについて」と「(3)今後の「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業の展開について」は省略し、配付資料から「(1)オープニング結果について」のみ書き写しておきましょう。
よくいうよ。 |
●8月4日(水) 7月29日午後6時30分、第四回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が終了しました。議案も報告もたいして重要なものではなかったのですが、知事による説明責任の追及という予期せぬ一幕があったため時間が押せ押せとなり、閉会は予定より半時間ほど遅くなったようです。次回の開催期日を確認することもなく、委員会はなんだかばたばたと終わってしまいました。 委員会のあとには伊賀の食材をつかった料理を試食する用意も整えられていたのですが、知事はさっさと退席され、午後7時にスタートする「知事と語ろう本音でトーク」阿山町会場へとお向かいになりました。私は事務局職員と、 「知事行ってしもたな」 家を出るときにはこの日のダブルブッキング、と申しますのはつまり「知事と語ろう本音でトーク」阿山町会場と二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会組かしら会が同時に開催されることなのですが、そのどちらに顔を出すべきか私は決めかねておりました。「知事と語ろう本音でトーク」参加に必要な事前意見送信書は、以前のような漫才形式にするか一人芝居のモノローグ形式にするか、この点にも結論が出せずに当日を迎えてしまった次第なのですが、7月13日の名張市会場に参加してみて事前意見送信書なしの飛び込み参加も可能だということが判明しましたから、そのまま知事のあとを追って阿山町会場に飛び入りし、発言者として意見を述べることもむろんできたはずです。 しかし私は、事業推進委員会が終了した時点で、もとより背景に何があったのかは知る由もありませんが、知事が遅きに失した説明責任論議をそれでもようやく炸裂させた心意気は多としてやらねばならんな、よし、阿山町まで追撃するのは勘弁してやろう、武士の情けだ、ありがたく思え、という気になっていました。そうなると、目指すは組かしら会しかありません。私は会場の委員会事務局に向かいました。 「知事と語ろう本音でトーク」阿山町会場の概略は、中日新聞オフィシャルサイトから森本智之記者の記事を引用してお知らせしておきましょう。
7月13日の名張市会場とはかなり趣が違っているようです。名張市会場の模様を7月15日付朝日新聞伊賀版の記事から引いてみます。
事情をご存じない方のために説明を加えておますと、伊賀地域には七つの市町村があり、北側の五市町村と南側の二市町とに大別されます。これが伊賀地域におけるごく大雑把な対立の構図であって、同じ伊賀といっても北伊賀と南伊賀では地域性にかなりの差があることは石母田正の『中世的世界の形成』にも述べられているところなのですが、この対立は北伊賀の上野 vs 南伊賀の名張というふたつの地方都市の確執と見ることも可能です。 そのあたりの事情は「乱歩文献打明け話」の第二十四回「伊賀市逝ってよし」にも記してありますから、詳しくは述べずに先に進みますが、早い話が「知事と語ろう本音でトーク」ひとつとってみても、北伊賀の会場には百六十五人が詰めかけて十六人が発言したのに対し、南伊賀の会場ではその半数にも満たない七十三人が参加しただけで(ちなみに北伊賀よりも南伊賀のほうが人口はやや多いわけですが。もうひとつちなみに附言しておきますと、ある参加者によれば七十三人のうちの六割は県や市の職員だったかなとのことでした)、発言者は私を含めわずかに四人というありさまでしたから、ここにも北伊賀と南伊賀の違いは歴然としていると申しあげていいでしょう。 さて中日新聞の記事によれば、知事は松尾芭蕉生誕三百六十年記念事業に関する質問に対して、「広報をもっと外へという意見は受けており、全国に向けた情報発信ができるよう力を入れている」と回答、さらに「事業が伊賀の情報発信のきっかけになるよう、地元住民のさらなる協力を期待する」と呼びかけたとのことです。何やったって甲斐はあるまい、と私は思います。 もうひとつ、毎日新聞伊賀版に掲載された小槌大介記者の記事からも引用しておきましょう。
県政運営に役立てていただくのはとてもありがたいことなのですが、県が設定した知事のパフォーマンスの場にのこのこ顔を出してご意見ご要望をぺらぺらお喋りになる地域住民のみなさんに、果たして信というものが置けるのかどうか、彼らの言が聴くに値するものかどうか、私にはおおいに疑問だと思われます。 つまりその手のみなさんてえものは、きのうご紹介した「(1)オープニング結果について」にありましたような、雨にもかかわらず嬉々としてオープニングイベントに足を運び、何の根拠もなくつまりはまったく無責任に「伊賀や三重の情報発信効果があった」などとアンケートに答えている地域住民のみなさんとまったくの同断、まあ要するにあれですね、この手の人たちがたくさんいらっしゃるから「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」や「知事と語ろう本音でトーク」なんてものが命脈を保っていられるのだと、まそういったことだあな。 |
●8月5日(木) また台風がやってきました。11号です。夜明けまでには日本海へ抜けてしまったみたいですが、当地は昨夜からいままで雨が降りつづいております。ときに雷鳴も轟いてますし。 そういえば先週の木曜には台風10号の接近が報じられていて、それにしては夕刻になっても雨の降る気配は見えず、7月も末つ方の長い夕暮れのなかを私は二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の事務局に向かいました。 午後7時までには、まだ少し時間がありました。事務局職員から聞いたところでは、毎月最終木曜には全体会とやらが開かれることになっていて、 「きょうは8月7日に大阪でやるイベントの打ち合わせがあるんです」 差し迫った用件もあるみたいだからきょうのところは勘弁しておいてやろうか、と私は考え、そのまままっすぐ帰宅しました。 それから瞬く間に一週間が過ぎて、きょうの夜には8月最初の組かしら会が開かれます。二週間前の7月22日に事務局宛メールで提案した件を、どうやらその席で検討していただけるみたいです。 くだんのメールを再掲しておきましょう。
ここで問題を整理しておきます。いったい何が問題になっているのか。いささか大仰に申しあげれば、三重県に言論の自由はあるのか、ということです。 今年2月、委員会オフィシャルサイトの掲示板が閉鎖されました。問題はここに端を発しています。投稿者による意見交換が進められている最中に掲示板を閉鎖するのは、言論の封殺以外の何者でもありません。ただし、まったく見さげ果てた連中だな、相手にする気も失せてしもうたわ、と思った私はこの件に関して事務局に何の問いかけも働きかけもいたしませんでした。とにかくもうあほらしくて。 7月、委員会オフィシャルサイトに「当ホームページ掲示板の閉鎖について」と題する文章が掲載されました。私が「知事と語ろう本音でトーク」に参加して掲示板の閉鎖問題をとりあげると表明したために、委員会側は閉鎖の理由を説明する必要にかられたものと思われます。むろんこの場合、委員会が閉鎖について説明する第一の対象は知事にほかなりません。 しかし、この「当ホームページ掲示板の閉鎖について」は上記のメールにも記したとおり何の説明にもなっておらず、しかもすべてを私のせいにして自分たちの保身や正当化を図ろうという委員会側の卑劣な作為が露骨に示されたものでした。それなら白黒はっきりさせてやろうか、と考えた私は上記のメールを事務局に送り、きょう5日夜の組かしら会でその結論を出していただくことになったと、まあそういったゆくたてです。 言論に関する問題はほかにもありますが、それはきょうの組かしら会で出された結論をお知らせいただいてから、あらためて知事にメールでお訊きしてみようかなと考えております。「知事と語ろう本音でトーク」の会場で知事はメールでの質問も受け付けると参加者に約束していらっしゃいましたし、第四回事業推進委員会の席では知事が説明責任という言葉をご存じだということも明らかになったのですから、今度という今度はお答えを頂戴できるだろうと私は思っております。思ってはいるのですが。 |
●8月6日(金) さて、きのうの夜に開催されたはずの二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の組かしら会ではどんな協議が進められたのでしょうか。とても気になるところですが、メールその他による連絡はまだ入っておりません。いったいどうなることであろうかときりきり胸を痛めつつ、本日は用事が立て込んでおりますためこれにて失礼いたします。愛想もこそもありゃしません。なお、左の告知板にミステリ劇のお知らせを掲載しました。お芝居のお好きな方はぜひどうぞ。 |
●8月8日(日) きのうの朝、もう立秋かと気がつき、そうすると夏の疲れが一気に押し寄せてくるような気分に襲われて(単に二日酔いがひどかっただけかもしれませんが)、この伝言板に── 立秋を迎えました。 残暑お見舞い申しあげます。 ──と二段落だけ書いてアップロードしようとしたところ、なぜかサーバーに接続できなくて更新できませんでした。これはたまに見られる現象で、一日も待てば(ほんとはそんなに長く待つ必要もないのでしょうが)また難なく接続できるようになります。 ですからきょうはまた難なく接続できるのですが、もしかしたら夏バテってやつなのか、きょうもきょうとて調子が出ません。ぼんやり休養することにして、亡父の墓参にでも行ってこようと思います。 |
●8月9日(月) あちらの世界では処々方々へ送ったメールがまったく功を奏さないことに鑑みてちょっと手口を変えてみることが検討されたのか、celeste_kaya@yahoo.co.jp の山本さんからこんなメールを頂戴しました。
なんと律儀な方でしょう。件名なし本文なしのメールにいちいち返信するなんて、普通の人間にはとてもできないことだと思います。世間には件名あり本文ありのメールにもろくに返事をよこさない不心得者がごろごろしていると申しますのに、あんたは偉い山本さん。 その点まったく偉くないのが二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の事務局で、私の7月22日付メールへの返信はいまだに届きません。こうなったら仕方ありません。今週木曜の12日夜に開かれる組かしら会にお邪魔して、直接お答えを頂戴してくることにいたします。 7月15日付伝言にも記しましたとおり、同委員会オフィシャルサイトの「伊賀びと委員会の紹介」に基づいて判断いたしますと、組かしら会はたぶん次のみなさんではないかと判断されます。
私にはこの人たちの了見がなんとも承服しがたいものに映っておりますので、事業に関してそもそもの最初のことからびしばし問いつめ難詰し叱りつけ面罵してやりたい気持ちには満々たるものがあるのですが、とりあえず委員会オフィシャルサイト掲示板の問題に限定して質問しているのですからいい加減に答えたらどうなんだ。 といった気合いをこめて事務局宛メールを一通。
残暑厳しいおりからこんなしつこいことやってるとほんとに疲れます。組かしら会のみなさんお願いですからすっきり爽快な気分にしてくださいな。 |
●8月10日(火) 三重県知事が説明責任を追及されております。本日付中日新聞三重版に掲載された山本真嗣記者の記事をどうぞ。
この記事によれば、昨年6月の県三役と県議会新旧正副議長との懇談会に十五万円弱、同7月の県議会各会派代表との懇談会に二十万円余が、いずれも知事交際費から支払われたとのことです。 首長と議員との懇談会の経費が首長交際費でまかなわれるのは、おそらく多くの都道府県や市町村で日常的に見られる慣習であろうと思われます。そしてまたその多くの場合、住民感情を逆撫でするような金額が支払われていることも否めない事実のようです。ちなみに昨年6月の懇談会の場合、県三役と県議会新旧正副議長といえば都合七人、それで十五万円弱となれば一人二万円余の計算になりますから、これもまた住民感情を逆撫でにするに足る金額ではないでしょうか。 ただまあ知事としてはみずからの正当性を主張するしかないわけで(なにしろ行政は無謬ですから)、この記事によれば「知事交際費による懇談会を今後も続ける考えを示した」とのことですから、それならそれで県民が納得できるだけの説明をしていただかなければ困ります。 それにしても、以前にもとりあげた樺嶋秀吉さんの『「 税金ムダ喰い」のカラクリ 』(光文社)によれば2001年度の三重県の知事交際費は八十四万八千円で(全国市民オンブズマン連絡会議の資料に基づく数字です)、全国四十七都道府県中第四十六位という少なさだったわけなのですが(全国一位は福岡県の千九十七万円)、2003年度には6月と7月のふたつの懇談会だけで三十五万円ほどが飛んでしまっていることになります。知事が替わって知事交際費が増額されたということでしょうか。 さて、共産党県委員会から説明責任が果たせていないと批判されている知事から説明責任が果たせていないと批判されている例の委員会事務局からメールを頂戴いたしました。
当方の返信は次のとおり。
いったいどんな結論が出るのかな。 |
●8月11日(水) きのうもお知らせしましたとおり、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の組かしら会は今月19日の開催となったそうです。したがいましてそれまでは、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関する話題もしばしお休みとなります。 となると、やはり乱歩の話題でしょう。きのうの新聞に掲載されていた光文社文庫の広告には、 乱歩の夏。 というコピーが添えられていて、夏は金鳥だけのものではないと実感させられた次第ですが、その広告によれば乱歩全集は第二巻『パノラマ島綺譚』が配本され(早く買いに行かなければ)、小林信彦さんの『回想の江戸川乱歩』が文春文庫につづいて二度目の文庫入りを果たしました(ついでに買わなければ)。広告の隅のほうには「完全復刻 B.D. バッジプレゼント」の文字も見え(頂戴できるものなら頂戴しなければ)、立教学院創立百三十周年記念行事「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の案内も配されて、これはまさしく乱歩の夏かもしれません。 といったところで乱歩の夏の乱歩情報、まとめてご紹介申しあげたいと思います。 まずは雑誌関係。
つづいてはイベント関係。
以上、とりあえず8月中の催しをお知らせいたしました。ほかにも何かありましたらぜひお知らせください。 |
●8月12日(木) アテネ五輪のなでしこジャパンとやらを応援してやろうとテレビの前で夜更かししたせいで、けさはすっかり寝過ごしてしまいました。とはいえウイスキーを飲みながらのことでしたから試合経過はろくに憶えておらず、ゲームセットまで観戦できたかどうかすら不明。勝敗もさっきインターネットで確認したような次第で、いったい何をやっておるのでしょうか。 |
●8月13日(金) きのう久しぶりで(といったってたいしたことはありませんが)本屋さんを覗きましたところ、11日付伝言に記した乱歩の夏の乱歩情報に遺漏があったことに気づきました。雑誌関係を下記のとおり増補いたします。
では本日はこのへんで。 |
本屋さんから「国文学解釈と鑑賞」別冊の「江戸川乱歩と大衆の二十世紀」が届いたとメールが入ったのですが、果たしてきょうのうちに受け取りに行けるかどうか。オリンピックのせいなのか、このところ生活のリズムが無茶苦茶になってはいらっしゃいませんか。本日の私は従兄弟の初盆に顔を出して昼間からビールを飲んでこなければなりませんし。しかし従兄弟の初盆というのも、なんだか身に沁みて淋しい話です。 |