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2004年8月後半
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●8月16日(月) 相変わらず生活のリズムはあまり尋常ではありませんが、「国文学解釈と鑑賞」別冊の「江戸川乱歩と大衆の二十世紀」もようやく入手でき、喜び勇んで「RAMPO Up-To-Date」を更新するだけで本日はおしまいとなってしまいました。それにしても、これはまさしく「乱歩の夏」かもしれません。しかしなんか眼が疲れちゃってもう。 |
●8月17日(火) なんか毎日疲れます。けさは左の告知板に書き込んだだけでおしまい。そろそろまっとうな生活に復帰しなければ。 |
●8月18日(水) 昨夜はアテネ五輪ソフトボール日本対カナダ戦を七回裏までテレビ観戦したあと泣く泣く外出しなければならぬ用事があったのですが、帰宅してからはまた野球だの何だのウイスキーのせいで訳がわからなくなりながら…… さて、あす19日には立教学院創立百三十周年記念行事の華、「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」がいよいよ開幕いたします。記念のセレモニーもあるみたいで、名張市からも市職員がお邪魔いたしますので、立教大学などの関係各位によろしくお願いを申しあげる次第です。 オリンピックに乱歩展が重なるのですからこうなるともう尋常でいるほうがおかしく、しばらくのあいだは無茶苦茶な状態が普通なのだと観念したほうがいいのかもしれません。 しかし残念なのは乱歩展のために上京しているあいだに私の遠縁の娘である吉田沙保里選手の出場する女子レスリング五十五キロ級の予選と決勝が行われることで、これにはまいった。心あるみなさんは私に代わってテレビの前で吉田選手にエールをお送りいただければ幸甚です。 さあ、少なからぬ数の日本人と同様に、きょうも無茶苦茶な一日を始めよう。 |
●8月19日(木) アテネ五輪の報道攻勢に隠れてしまった観が否めませんが(工藤公康投手の通算二百勝達成もそんな感じでしたが)、四国を中心とした豪雨被害のニュース画像に接し、尋常ではないこの夏の暑さにも思いを馳せれば、これはもうはっきり異常気象と表現していい事態だという結論に至ります。日本列島は、というよりもそもそも地球が、なんだか急速におかしくなりつつあるのではないでしょうか。ともあれ、とくに香川県や愛媛県のみなさん、豪雨の被害はいかがだったでしょう。 異常なのは気象だけではないのかもしれません。とッ、とうとうこんなメールが届いてしまいましたッ。romanserueguu_7@yahoo.co.jp さんから頂戴したメールです。
保科紀代美さんは旦那さんが脱いでさっさと自分だけして終わってしまうからとてもお気の毒だと思います。しかし世の旦那さんというのはたいていそんなものだとも思います。私はと申しますと、この色白専業主婦の真摯にして赤裸々な報告を熟読して、果たして自分には保科紀代美さんがお望みの「まともな SEX」ができるのであろうかとみずからを問い詰める結果になりました。保科紀代美さんと SEX したあと、全裸のままベッドにぺたりと坐り込み上半身を支えるようにして両手をついた保科紀代美さんから、変態だの色魔だの山崎拓大明神だのと髪振り乱して罵倒されたらどうしましょう。暮らしにまともな SEX を! ここで東海地方の方にお知らせです。22日日曜に放送されるCBCテレビ「ニュースな日曜日」で、わが名張市がちょこっと紹介されることになりました。きのう名張市立図書館にも取材クルーが来てくれましたので、乱歩コーナーの映像もご覧いただけるかもしれません。 もうひとつ、今度は乱歩ファンと小酒井不木ファンの方にお知らせです。と申しますのも、ある乱歩ファンの方から「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつとして刊行される『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に関するお問い合わせをいただいたのですが、よくお聞きしてみると7月に出た光文社文庫版江戸川乱歩全集第一巻『屋根裏の散歩者』に書簡集の予告が出ていたとのことです。 うっそー、とか、んなあほなことありまっかいな、とか思いながらよく読んでみたら、山前譲さんの解説「まさしく珠玉の初期短編群」にたしかに記していただいてありました。乱歩が作家専業を決意する経緯を述べたあたりです。
まさしく、まさしくこの「まもなく刊行される往復書簡集」こそ、三重県と伊賀地域七市町村が三億三千万円の血税をどぶに捨て去る「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつとして総額五百五十万円を投じて刊行される『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)にほかなりません。 うっかり読み過ごしていて気がつきませんでしたが、さりげなく予告していただいた山前さんにお礼を申しあげます。それにしてもこうなると、この往復書簡集の刊行はいまや乱歩ファン不木ファン探偵小説ファンの注目を一身に集めているといっても過言ではないでしょう。過言かもしれませんが。 現在、乱歩のお誕生日である10月21日の刊行を目指し、すでに鬼の形相と化した編纂スタッフの手で鋭意作業が進められているのですが、そういえば当サイトでの経過報告をずいぶん怠ってしまいしました。そのあたりはまた来週にでも。 といった次第で「乱歩の夏」の「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」、いよいよ本日開幕です。 |
●8月20日(金) このニュースもアテネ五輪の陰に隠れてしまった感じですが、きょうまでの期限で首相からとりまとめを求められていた地方六団体による補助金削減案は、結局こんな感じで落着したみたいです。読売新聞オフィシャルサイトから引きましょう。
東京都知事は日和ったようです。今度は伊勢新聞オフィシャルサイトから初日の模様を。
私は三重県知事を支持したいと思います。 なんてこといってる余裕はありません。片づけておかなければならないことをさっさと片づけて、東京の「乱歩の夏」に足を運ばなければなりません。予定を掲げておきましょう。
以上、おもだったところだけ記しました。どこかで遭遇した場合も石を投げるなどの乱暴狼藉はお控えいただきたいと思います。 |
●8月25日(水) 日本のみなさん、どうもご声援ありがとうございました。おかげさまで遠縁の娘がアテネ五輪で金メダルに輝きました。レスリング女子五十五キロ級の吉田沙保里選手は、なぜか私の遠縁に当たります。朝日新聞オフィシャルサイトから金メダル獲得の第一報をどうぞ。
三重県知事もお喜びです。中日新聞オフィシャルサイトから、紙山直泰、川村庸介、川合道子の三記者による記事をどうぞ。
アテネ五輪では、同じく三重県出身の野口みずき選手も女子マラソンの金メダルを獲得いたしました。
本日付中日新聞によれば、三重県は24日、野口みずき選手(伊勢市出身)と吉田沙保里選手(一志町出身)に県民栄誉賞を贈ることを決めたそうです。賞は1979年に制定されたものの、三重県にはろくな人材がいないのでしょう、授賞はこれが初めてとのことです。いろいろと気をつかっていただいて、知事にお礼を申しあげたいと思います。 さらにまた、われらが伊賀地域からともに女子サッカーに出場した宮本ともみ選手(阿山町在住)と山岸靖代選手(伊賀町在住)には、県スポーツ栄誉賞を新設して贈ることも決定したそうです。重ね重ねありがたいことですが、こうやって三重県の名を一躍馳せてくれるのはみんな女の子ばかり、三重県在住男性としては素直に白旗を掲げたい心境です。 伊賀地域といえば、市町村合併問題をきっかけに発足した「伊賀市を考える会」というところからオフィシャルサイト開設のお知らせをいただきました。サイトはここ、掲示板はここ。投稿はまだ一件もないようですが、気が向かれましたらエールでも提案でもご自由にどうぞ。「行政監視グループ」として名告りをあげた同会の健闘をお祈りいたします。 さらに伊賀地域といえば、本日付朝日新聞伊賀版にはこんな記事も掲載されておりました。
なんともあさましい水飲み百姓どもだな実際。伊賀町ではこの程度の莫迦が偉そうに議員を務めているのでしょうか。私だって何もお酒を飲むなとは申しませんが(ただし、総会終了後に開かれた昼食会の支払いはたぶん税金でまかなわれたはずで、いや別に議員さんの昼食代くらい税金で支払ってもらってもいっこうに構わないのですが、その席でお酒を飲む必要があるのかどうかはよく考えていただかないと困ります)、もう少し自分たちの立場というものを弁えろというのだ莫迦ども。何やってんだまったく。町民不名誉賞でも贈ってもらって喜んでろぼんくら。 やれやれ、21日から留守にしておりましたので話題がいささか錯綜しているのですが、ちょっと東京および軽井沢を漫遊してくるだけで地元伊賀地域はこのざまです。とはいうものの、私とて22日の夕刻、東京は池袋の街頭で国際的テロリスト組織の一員に間違えられて三人組のお巡りさんに取り押さえられ、厳重な所持品チェックを受けてしまったのですからあまり大きなことも申せません。 それにしても、悪質なテロに備えて警戒を強化していただくのは結構なんですけど、どうして私がテロリストなんぞに間違えられなければならんのか。きょうびの官憲はいったいどこに眼をつけておるのか。というか、連中には虚構と現実の見分けがついておらんのではないかと思われます。たとえば映画のなかでなら、私のような風貌の知性派テロリストが都市の雑踏に紛れていても不思議はまったくないでしょう。ハリウッド映画ならさしずめジェレミー・アイアンズあたりの役どころです。しかし官憲諸君、本物のテロリストというのはだな…… みたいな話は、またあした以降ということで。 最後になりましたが、名張市民のみなさん。みなさんの税金で往復の交通費をまかなっていただき、テロリストに間違えられながらもなんとか無事に東京出張の務めを果たしてまいりました。毎度ありがとうございます。 |
●8月26日(木) 名張市民のみなさん。みなさんの血税から往復の旅費三万円ほどを頂戴し、テロリストの危険な香りを漂わせながら、立教学院創立百三十周年記念行事「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の観覧を主目的として東京出張に行って参じました。以下、報告です。 8月21日。土曜日。晴れ。午前8時半前後に名張駅を出る近鉄特急に乗車。球団名を売却しようとしたり球団の合併を目論んだり、近鉄というのはどうにも莫迦な企業なのですが、何が莫迦かといって特急車両から喫煙車を駆逐しつつあるのが底抜けの莫迦の証でしょう。煙草くらい喫わせろ。こちとら煙草が喫いたいから長年近鉄特急を愛用しているのではないか。それをまあこの莫迦近鉄が。などとぼやきつつ煙草の喫えない近鉄特急に乗って名古屋へ。つづいて煙草の喫える新幹線のぞみで東京へ。池袋へ。歩き煙草しながら(携帯用灰皿は持参しております)立教大学へ。 午後1時過ぎに到着すると、立教大学のタッカーホールでは「読売 江戸川乱歩フォーラム」が始まっており、第一部の立教・池袋ふくろう文芸賞授賞式がそろそろおしまいという塩梅。ステージでは平井憲太郎さんが受賞者に賞状を授与していらっしゃいました。 この立教・池袋ふくろう文芸賞、読売新聞の紙面で受賞者が発表されているかもしれないのですが、まだ確認できておりません。少し前に関係者の方からお知らせいただいたところによれば、小説の受賞作は鏑木蓮さんの「黒い鶴」、佳作は井川一太郎さんの「東京のキュウリ」と桜井正雄さんの「冷たい掌〔て〕」とのことでした。 授賞式のあとは休憩。会場内をうろうろしていると、何人か顔見知りの方にもお目にかかりました。たぶん二年ぶりくらいでお会いしたTさんからは、 「いやー、中さん大変ですね。知事を叩いてるんだって?」 となんだか人聞きの悪いことを尋ねられてしまいました。知事を叩くなどと私はそんな…… あ。思い出した。思い出しました。知事を叩く前段階で(結局叩くわけですが)白黒をつけておかなければならない問題がまだ決着しておりません。
なんてメールを頂戴いたしましたので、
なんてメールをお送りしたのが8月21日、つまり上京する日の朝でした。これに対する回答はいまだに届いておりません。普通ならきょう木曜の夜に組かしら会が開かれるはずなのですが。いったいどうしてくれようか。 |
●8月27日(金) いったいどうしてくれようか。などと思案していたら、二〇〇四伊賀びと委員会の事務局から昨日メールを頂戴しました。
はーい。 さて、東京でも話題になっている私の知事叩きですが、私とて好きこのんで知事を叩いているわけではありません。そもそもは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という愚劣な事業を批判するのが私の本意なわけなのですが、事業関係者のなかでいちばん偉い人が知事なのですから知事を叩かずにはいられないという寸法です。 それにしても、われらが三重県知事だって先日の全国知事会におきましては、2005、2006両年度の国からの補助金を三兆円減額するという案に堂々反対し、「最初から三兆円ありき」だと正当な批判を展開できる方なんですから、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がそれこそ「最初から三億円ありき」のすっとこどっこいな事業に過ぎないということはよくおわかりのはずなんですが、にもかかわらずそれを推し進めざるを得ないのが行政の無謬性ってやつのつらいところなのでしょう。 そういえばきのう、長崎県諫早市の国営諫早湾干拓事業で、工事差し止めを求めた仮処分申し立てに対して佐賀地裁が工事の続行禁止を命じる決定をくだしましたけど、あの事業なんかも行政の無謬性なんてご託がいかに大嘘であるかを如実に示すものにほかなりません。とはいえ、いずれ覆されはするでしょうけど、とにかく地裁のレベルでは行政の無謬性を否定する判断がこうして示されたわけなんですから、二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんもこの事実を厳粛に受け止めて、ああ、こういう時代なんだという危機感を抱いていただかないと私は困ります。 さてさて、8月21日午後、立教大学タッカーホールでのことですが、二年ぶりにお会いしたTさんからは、 「名張で秋に乱歩展があるそうですね。行きますよ、名張」 とのお言葉も頂戴しましたので、お会いした方にさしあげるべく鞄に入れていった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」公式ガイドブックをお渡しして、名張にお招きしておきました。たぶん11月13日土曜日の夜、乱歩ゆかりの料亭清風亭で開催する予定の大宴会にご参加いただけるものと思うのですが、大宴会の詳細は未定です。 ほかにも、やはり二年ぶりくらいになるのかTさん、それからこちらは昨年秋以来のTさん、といった方々にもお会いしましたが、なぜかTさんばかりでややこしい。前者は日本推理作家協会関係のTさん、後者はSRの会関係のTさんなのですが、お二人は初対面だったらしく、SRのTさんが「私も協会員です」とおっしゃいましたので、協会のTさんに、 「この人、協会の会費滞納してませんか」 とお訊きしたところ、 「いえ、ちゃんといただいてます」 とのことでしたからひと安心。お二人を夕刻からの大宴会にお誘いして(もっとも、SRのTさんは最初から大宴会に参加するつもりで上京なさったとのことでしたが)、休憩時間はおしまいとなりました。 立教・池袋ふくろう文芸賞授賞式につづく第二部は、佐野洋さんの基調講演。テーマは「特別な人・わが想い出の江戸川乱歩」。 佐野さんは講演冒頭、いまは時期が悪いんです、とおっしゃいました。つまりまず暑いですし、おまけに甲子園もありますし、なにしろアテネ五輪でみんな夜更かししてますから、こんなときに講演をやるのはどうぞ居眠りしてくださいとお願いするようなものだといった意味なのでしたが、たしかに会場内は涼しくて静粛、そのうえ佐野さんの声がじつにソフトで耳に快いものですから、私はつい居眠りしてしまった振りをして謹聴していた次第です。内容的には、乱歩ファンなら佐野さんがこれまでにお書きになった乱歩遭遇記でおなじみのことがほとんどだったと思います。 つづく第三部はトークセッション「ランポ・アゲイン すべては乱歩に始まった!」。出席は逢坂剛さん、藤原伊織さん、山崎洋子さん、コーディネーターは山前譲さん。ところが残念なことに、名張市から同行した市立図書館副館長が日帰りするためトークセッションに最後までつきあっている時間がなく、副館長と私は第三部の開幕までにタッカーホールをあとにしました。関係各位にお詫びいたします。ちなみに、山崎洋子さんのオフィシャルサイト「冬桃宮」のこのページにある「★2004年08月 江戸川乱歩フォーラム」で、当日の模様が紹介されております。 旧乱歩邸土蔵へ向かうため、タッカーホール構内を歩き始めたときのことです。立教大学のW先生にばったりお会いしました。この伝言板を継続してお読みいただいている方は先刻ご承知のとおり、5月8日に池袋のホテルメトロポリタンで催された学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会のあと、元巨人軍ピッチャーが経営するうどんの立山でもてなしてくださったあのW先生です。ところが私には、そのうどんの横山でたまたま遭遇したH勝堂書店の社長さんと「さ、次行こ次行こ」、W先生をほっぽらかして先に店を出てしまったという暗い過去がありますので、W先生に乱歩展成功のお祝いとともにその節はどうも失礼いたしましたとお詫びを申しあげましたところ、W先生からただひとこと、 「この酔っ払い」 とお目玉を頂戴してしまいました。いやもう一言もございません。平身低頭、反省しきり。 |
●8月28日(土) 立教大学タッカーホールから旧乱歩邸へ。到着すると、往年の日劇ウエスタンカーニバルもかくやという長蛇の列でした。立教大学図書館のUさんにお会いして、最低でも一時間は待つことになると教えていただきましたので、それならばと東武百貨店池袋店の「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」へ。ここもまたえらい人出です。入場はしたものの二重三重の人の列がゆっくりゆっくり動いており、入場者の少なそうな時間帯に出直すしかないなと観念したところで、東武池袋の催事スタッフであるSさんとHさんにばったり。お二方とは5月8日、W先生にお招きいただいたうどんの立山でご一緒した仲でしたので、 「さっきW先生にお会いしたんですけど、いきなりこの酔っ払いゆうて怒られてしまいまして」 と苦衷を打ち明けたところ、お二方とも大爆笑。それでも、 「でもあのときはW先生だって酔っ払いだったじゃないですか」 と心優しいフォローをしていただき、それもそうだ、しかし同じ酔っ払いといっても向こうはスポンサーだったわけだし、などとさらに思い煩いながら、さあそろそろビールでも飲もうかと思案していると横から挨拶してくれる方があり、これが立教院生のOさん。お名前をお聞きしてすぐ、「国文学解釈と鑑賞」別冊のスタッフのお一人だと思い当たりました。Oさんから「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の図録を頂戴し、会場を出て東武池袋のレストラン街で生ビール二杯。よーし、と店を出て『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の打ち合わせへ。 以下、乱歩不木往復書簡集の話題を挿入いたします。 |
●8月30日(月) アテネ五輪もとうとう終わってしまい、さりとてプロ野球にももはやさしたる興味は感じられず、なんだかひたすらぼんやりとしております。こういうのを燃え尽き症候群と称するのでしょうか。 いまだこの日本がアテネ五輪で、そして池袋と立教大学が乱歩で燃えさかっていた8月21日、四か月ぶりくらいで『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の打ち合わせを行いました。もっとも、これは私が顔を出す打ち合わせが四か月ぶりくらいだったという話で、編集スタッフおよび出版社にはことあるごとに相談協議検討を重ねていただいております。で午後5時、池袋の八勝堂書店前に集合し、関係者一同で近くの喫茶店に陣取ったのですが、私は生ビール二杯ひっかけたあとだったものですから、あまり熱く燃えるのも勘弁してほしいなという状態ではありました。 この伝言板でどこまでお知らせしたのかと申しますと、乱歩が一巻に製本してあった不木書簡、これがなにしろ昭和13年に製本されたしろものですから痛みが激しく、スキャンしたらその痛みが致命的なものになってしまいそうだったうえ、書簡の一部には接着されてしまって読めない部分もあることから、いっそばらばらに解体してスキャンしてはどうかということになり、ご遺族にお願いして解体の許可をいただいた、さてお立ち会い、というところまでであったかと思います。 解体しました。解体および復元は紙資料修復工房、つまり東京創元社の『貼雑年譜』完全復刻版の解体復元を手がけたその筋の一番手にお願いしました。不木書簡集を解体して書簡全点をスキャンし、いっぽうの乱歩書簡も同じくスキャンして、さてその画像をどうするのかというと、CD-ROM に収録して書簡集に添えることにしました。今年3月に世田谷文学館が出した『横溝正史旧蔵資料』に「横溝正史あて江戸川乱歩書簡」という CD-ROM が付録としてついていましたが、まあああいった感じだとお思いください。 ただし、どうせ CD-ROM をつけるのならただ書簡の画像をのべたーっと収録するだけでは面白くありません。書簡相互をリンクさせたり検索機能を附与したり、じつは私には CD-ROM でいったいどんなことができるのかさっぱりわかっていないのですが、とにかくできるだけのことをやっていただくことになっております。 ここで申し添えておきますと、乱歩書簡も不木書簡もむろん個人の所蔵物ではあるのですが、私としてはこれはもう公共の財産であると、はっきりいって文化財であると、いまやそういった認識にまで立ち至っており、とくに不木書簡の解体はそこらの古墳の発掘調査に等しい意義をもつものであると確信しておりますから、なんですかほとんどキトラ古墳を見守る猪熊兼勝先生のような気分にもなりながら、とにかく望みうる最高の形で書簡集を世に問うべく、あちらにもこちらにも結構泣いてもらって作業を進めております。 ですから8月21日の打ち合わせは、平たく申しますとわれわれはどうして泣かなければならないのか、といったことがテーマとなりました。つまり予定していなかった不木書簡の解体復元費、CD-ROM 作成の技術料などがあれよあれよとかさんでしまい、すべて合わせて(ということは献本の郵送費なども含めてのことなのですが)五百五十万円の予算では足が出てしまうことが判明しました。印刷製本や書簡解体などの外注費は削れませんから、不本意ながら出版社と編集スタッフ双方の経費を削って内部的に泣いていただくしかありません。発注者である乱歩蔵びらき委員会としてもこれを傍観しているわけにはまいらず、そういうことなら献本の郵送費は別枠でなんとかしますからということになって、結局のところ発注者、受注者、編集スタッフの三者が三様に、われわれはどうしてこんなに泣かなければならないのかと頭を抱えることになった次第です。 しかしまあ、いくら頭を抱えたってどうにもなりゃしませんから、ひいひいおいおい泣きながらでも前に進んでいただくようひたすらお願いを申しあげ、8月21日夕刻の打ち合わせは無事お開きになりました。さあ大宴会大宴会。 そういった次第で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)、10月末には完成の見込みとなっております。名張市のオフィシャルサイトでは「名張市制50周年 みんなで祝うおめでとうサイト」というじつにおめでたくていつもよりよけいに回したくなるようなページの「イベント情報」に、「10月末予定 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(仮称)の刊行」として予告されておりますので、別に書簡集刊行が名張市制五十周年の記念事業であるということではないのですが、まあおめでたいことだなと思っております。 ついでですから予告をもう一件。このままの形で掲載されることはないのですが、10月に発表される名張市民向けPRの文案をここにお知らせしておきます。
文中、近代文学といってしまうのはやや大仰で、せいぜい大衆文学といったあたりが妥当だろうなとも考えたのですが、近代文学で何が悪いと開き直りました。 ともあれ、一時はどうなることかと思いましたけど、乱歩ファン不木ファン探偵小説ファン、ついでに近代文学ファンは刮目して待たれよ。しかし予算がなあ。 |
さて大宴会です。8月21日午後6時、八勝堂書店前に集合し、第一陣がうどんの立山へ出発しました。私は遅れてくるかもしれない人を待つために、しばらく集合場所にとどまりました。 ところで、5月8日に池袋のホテルメトロポリタンで催された学校法人立教学院創立百三十周年記念祝賀会のあと、W先生からうどんの立山でもてなしていただいたおりのことですが、たまたま店内で遭遇して次の店に連れていってくださったH勝堂書店の社長さんというのは、じつはこの八勝堂書店の社長さんのことでした。おわかりだったでしょうか。この日、社長さんは一階レジでお仕事をしていらっしゃいましたので、簡単にご挨拶を申しあげて手みやげの名張名物二銭銅貨煎餅をお受け取りいただき、うどんの立山にもお誘いしたのですが、あいにく別の用事が入っているとのことで、 「また今度いっしょに行こう。Y前さんたちとも一度行こうっていってるんだ」 みたいなことで再会を約してお別れしました。 そこへ、立山に行ってみたところ入りきれなかったから蔵之助に会場を変更したとの連絡がもたらされました。ですから結局のところはいつもどおり、池袋西口センタービル五階の蔵之助になだれ込んでの大騒ぎ。蔵之助の店長さんとは、 「きょう池袋で中さんお見かけしたんですよ」 みたいなことで、なんかうどんの立山に入れなくてよかったかなという気もしたのですが、立山のほうも一度は裏を返しておかなければならず、いやはや悩みは尽きません。 大宴会の参加者はたぶん二十二人で、何時まで飲んでいたのかよく憶えておりませんが、蔵之助のあとは十人ほどでカラオケ館というカラオケ屋さんにもつれ込み、やがて終電とともに去りぬとばかり一人ふたりと姿を消して、最後まで店にいたのは池袋宿泊の三人だけでした。時間は午前1時ごろであったでしょうか。 私もホテルに帰って寝たのですが、まさかその翌日(というか正確にはその日なのですが)、ところも同じそのカラオケ館池袋西口店の前で、あろうことかテロリストに間違えられて三人組のお巡りさんに取り押さえられる羽目になろうとは、神ならぬ身の知る由もなかった、なんてのはこういうときにいう言葉でしょう。 |