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2004年9月前半
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●9月1日(水) いやもう9月か。まいったな。 すでに先月のこととなりましたが、アテネ五輪で見事金メダルを獲得した遠縁の娘、レスリング女子五十五キロ級の吉田沙保里選手が昨31日、無事に帰国いたしました。本人からの連絡などいっさいなかったのですが(と申しますか、私のような遠縁が存在することを本人はまったく知らないわけなのですが)、その旨けさの新聞で報じられておりました。遠縁の娘よ(正確に申しますと義母の従兄弟の孫なのですが)、でかした。よくやった。 そうかと思うと、けさの新聞に掲載されていた「週刊女性」9月14日号の広告には「アテネ五輪特集」のタイトルが躍り、「メダリストたちの発掘オモシロ秘話」では「吉田沙保里 同級生に7告白も全敗!」という記事があって、こらこらこういうことをいちいち暴き立ててやってくれるな女性向け週刊誌よ。しかし七連敗か。ちょっときつかろうな。遠縁の娘よ、めげるな。俺だってもう連戦連敗だ。 さて8月22日の日曜、朝一番で見学しようと午前10時前に足を運んでみたところ、旧乱歩邸にはすでに順番待ちの列ができていました。まず立教構内で土蔵修復の模様を紹介するビデオを眺め、そのあといよいよ旧乱歩邸へ。といっても邸内に入れるわけではなく、応接間は窓から内部を覗き込み、土蔵では観音開きの扉のあたりに透明なアクリル板で仕切られた電話ボックス程度のスペースが設けられていて、パントマイムの基本動作である壁を表現する演技みたいな恰好になりながらその場で内部を窺うのみ。私のすぐ前の見学者は仲のよさそうな親子連れだったのですが、土蔵見学を終えて庭に出たとき、小学校低学年くらいの男の子がくるりと振り向いて、 「パパ、これでおしまいなの?」 とお父さんに尋ねていたのが印象的でした。お父さんが何やら釈然としない感じで黙っているものですから、男の子はもう一度、 「パパ、これでおしまいなの?」 とくり返します。この子はなんだかしつこい性格らしく、「パパ、これでおしまいなの?」という質問を五回も発しておりましたが、それも無理からぬところでしょう。土蔵の公開と聞いて勇んで駆けつけ、現場に立って、え、ここから見るだけ? と戸惑った乱歩ファンも少なくなかった思われますが、いっぺんにどやどや押しかけるわけにもまいらぬでしょうから、致し方ない仕儀だとお思いください。立教大学になりかわってお詫びを申しあげる次第です。ちなみに立教オフィシャルサイトには「旧江戸川乱歩邸・土蔵公開 来場者10,000人突破!」という記事が掲載されておりますので、ご参考までに。 お次はいよいよ東武池袋の「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」です。 |
●9月2日(木) さて、学校法人立教学院創立百三十周年記念行事の華として8月19日から24日まで東武百貨店池袋店本館10階催事場で開かれた「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」。22日午前に会場に到着すると、すでにかなりの人出でした。 昨年1月から2月にかけて、ところも同じ池袋で「江戸川乱歩展 蔵の中の幻影城」が催されましたが、今回と合わせてこれらふたつの乱歩展は好一対をなす展示会、と申しますか、相互に補完しながら江戸川乱歩という作家に迫った二重身めく催しであったと思われます。昨年の乱歩展が著書を主体としてあくまでも求心的なアプローチを見せたのに対し、今年のそれはむしろ遠心的に、乱歩という作家が時代の文化領域をどのように先端的に横断していたのかを跡づけることで作家像を浮き彫りにしようとする試みで、相当に見応えのある展示となっておりました。個人的には、会場に掲げられた「恋する乱歩」というフレーズに妙に心ときめくものを覚えたのですが、そんな人はあんまりいなかったのかしらん。 そんなこんなで会場内を行きつ戻りつしているうち、前日につづいて東武池袋の催事スタッフにばったり。 「W先生が中さんのこと探してらっしゃいましたよ」 と知らせていただきましたので、 「あ。俺また怒られるのか」 と思わず逃げ腰になったのですが、 「いや、そんなことはないと思いますよ」 とのことでしたのでW先生を見つけてご挨拶を申しあげましたところ、昼食を一緒にどうか、というありがたいお言葉をいただきました。この会場で待ち合わせて旭堂南湖先生を囲む大昼食会を開催することになっておりましたので、ちょっとまずいかな、でもまあいいか、となりゆきに任せることにして、さらに会場内を歩いてみるとすでに南湖さんもご到着。 「えらいもんで南湖さん、きょうの昼食会には東は福島、西は愛媛からも参加者が駆けつけてくれてます」 みたいなことで大昼食会は総勢十数人になってしまい、うち立教側はわずか三人、残りはすべて南湖さん側というメンバーで東武池袋の中華料理屋さんに陣取りました。W先生から乱歩の近世資料コレクションに関する興味深いお話も拝聴でき、じつに有意義な昼食会とはなったのですが、またしてもW先生にご散財をおかけする結果となってしまい、どうもよろしくありません。南湖さんはW先生のご恩に報いるため、乱歩講談を極めたらつづいて西鶴に手を伸ばし、色はふたつの物あらそい、パンパン、みたいな感じで「男色大鑑」あたりの講談化に邁進するべきではないでしょうか。ものにしてしまえば、その筋から結構お呼びがかかるのではないかとも思われるのですが。 で、W先生とはなぜか固い握手を交わしてお別れしたのですが、乱歩展が大成功裡に終わりましたこと、まことにご同慶の至りです。めでたしめでたし。 |
●9月3日(金) 異常に暑いから、とか、アテネ五輪が、とかいった言い訳がさすがに通用しない時節となりましたが、ゆうべは遅くまでお酒の出ない会合に顔を出し、帰宅してからその遅れを挽回すべくウイスキーをせわしなくあおってしまいましたので、いまはただ頭がぼーっとしているばかりなのだといった言い訳ならなんとか使用できそうです。 会合といえば、お知らせするのを忘れておりましたが、例の件では下記のとおりメールでご報告をいただきました。
はーい。 メールといえば、ari-chan-0925@hello.odn.ne.jp の yumi さんからこんなメールをいただいていたのですが。
また、とお約束いただいたメールをいまだに頂戴できておりません。私は騙されているのでしょうか。できれば仲良くしていただきたいものですが。 仲良くといえば、けさの中日新聞三重版には小嶋麻友美記者のこんな記事が掲載されておりました。以前にお知らせした件の続報ですが、わが三重県では対立しているはずの人たちが結構仲良くしてくれているみたいです。
必要なわけありません。まったくさもしい水飲み百姓どもだな。ただまああさましい飲み食いにここまで平然と税金をつかっていただくことには、県議会であれ市町村議会であれ、あんなのはしょせんなあなあの馴れ合いなんだという事実が地域住民によく見えてくるという利点は認め得るかもしれません。しかし知事交際費の使途なんて一般の住民にはほとんど知らされていないのが難点といえば難点で、そこへ行くとあれはいつでしたか、ただ一度だけでしたけれど理事者側も議員側も全員がニンニン忍者装束で議場に居並び、そのなあなあぶりを残すところなく示してくれた上野市はやはり見事なものであったというべきでしょう。テレビニュースでその画像を見て、こいつら気が触れたかと私は思ったものですが。 気が触れたかといえば、いや違った、上野市といえば、同じくけさの中日新聞三重版にはこんな記事も。
先日お知らせしました「伊賀市を考える会」オフィシャルサイトの掲示板には、「せめて新しい市長には旧弊を一新出来るような力のある人を選びたいと思う」との投稿が寄せられていることを附記しておきましょうか。さらにもうひとつ、先日ある上野市民の方から「あんたいまのうちに上野へ引っ越してきて伊賀市の市長選挙に出てくれへんか。私らみんな手弁当で応援すっさかいによ」との要請をいただきましたので、はっはっは、まあ考えておきましょうか、はっはっは、とお答えしておいたということも附記しておきますが、池袋の街を普通に歩いてるだけでテロリストに間違えられてお巡りさんにとっつかまってしまう人間が果たして伊賀市長に相応しいのかどうか、将来の伊賀市民のみなさんにはよくお考えいただきたいものだと思います。 といったところでまたあした。 |
●9月4日(土) 8月22日、立教大学のW先生が急遽勧進元になってくださった旭堂南湖先生を囲む大昼食会を終えて、われわれ南湖さん側一行はたらたらそこらの喫茶店へ。ここでようやく南湖さんを囲む集いらしい雰囲気となり、囲まれた南湖さんは処女同人誌「世界の中心で、講談を叫ぶ」の特別販売&サイン会を開始して絶好調と見受けられましたが、前夜遅くまで騒いでいた面々は結構へろへろ。妙に元気な南湖さんが次の目的地へ向かったり、大阪からの参加者が困憊して帰途についたり、集いは徐々にほぐれてゆきます。 ちなみに南湖さん、このほど「旭堂南湖のオールナンコニッポン」というサイトを開設して、9月18日から本格稼働との由です。新境地の開拓をお慶び申しあげますが、うーん、ま、講談ってのは一度死んだようなジャンルなんですから、なんでもありということでいいでしょう。健闘を祈る。 喫茶店を出たあと、私は総勢四人でふたたび乱歩展の会場に取って返し、「怪人二十面相」の紙芝居を見学。最終的には池袋西口の喫茶店に三人でもつれ込み、私はビール、残りの二人はかき氷とかチョコレートパフェとかを注文して、二日間にわたる乱歩展観覧の余韻にひたりました。そこでお開き。 一人になった私は、とにかく疲れたな、と思い、ちょっと仮眠するべくカプセルホテルに赴いたのですが、チェックインは午後4時からとの表示があって入ることができず、致し方ありませんから隣接するサウナにのたくり込みました。風呂を浴びて畳敷きの食堂に入り、大画面に展開される甲子園の決勝を見ながらまたビール。そのうち行儀悪く畳に横になって、腕枕でときにうとうとしながらまたビール。深紅の大優勝旗が初めて白河の関を越え津軽海峡を渡ったことを確認してから、やや本格的に眠るため仮眠室へ。真っ昼間からビール飲んでうたた寝をするのはまことに気持ちのいいものです。 この日の私には、新宿で午後6時に人と会う約束がありました。間に合うように起き、サウナからカプセルホテルへ移動してロッカーに荷物を詰め込んで、新宿へ出るため徒歩で池袋駅に向かっていたときのことです。 物陰からいきなり警官が姿を現しました。場所は、その日の午前1時ごろまで騒いでいたカラオケ館というカラオケ屋さんの前。警官が自分に近づいてくるらしいと気づいた私は、 あ。忘れ物を届けに来てくれたのかな。 となんとも奇妙な印象を抱いたのですが、むろんそんなはずはなく、その若い警官は生真面目そうな表情で、 「現在特別警戒態勢を敷いております。鞄のなかを調べさせていただくようご協力をお願いします」 と私に告げました。彼の背後にはさらに二人の警官がいて、私を注視しています。私がはい、どうぞと答えると、若い警官は私の腕を取ってカラオケ館の横の狭い道に引っ立ててゆきました。 腕のオリスに眼をやると午後5時30分、ふと見あげるとその狭い道には「エビス通り」という表示が掲げられていました。どうして時刻と場所を確認したのかと申しますと、自分でもよくはわからないのですが、こうした事態に遭遇した場合、あとでネタにするためとりあえずいつ、どこでということを確認しておくのが手前ども芸人の悲しい性だということなのではないでしょうか。 たしかに私は、やや大きめのサザビーのバッグを肩にかけていました。中身の一部はカプセルホテルのロッカーに置いてきたのですが、それでもバッグはまだ嵩張っています。そのバッグを受け取って、二人の警官がジッパーを開けて内部の点検を始めました。私はエビス通りの入口で、カラオケ館の壁を背にして立ち尽くすばかりです。 短い質問に答えると、 「あ。関西の人っすか」 ですとか、 「あ。三重県。そしたら津、津って近いですか」 ですとか、 「あ。出張ですか。ご苦労さまです」 いろいろ愛想よく会話をつづけてはくれるのですが、二人の手はせわしなく動いて、 「これ財布ですね。財布ですね。なか拝見しますよ。いいですね」 バッグのポケットに入れてあった財布まであらためられ、さらにはジャケットの内ポケットにまで捜査の手が伸びました。ポケットから引っ張り出した四角い袋を示しながら、 「何ですかこれ」 見るとその袋には「FACE PAPER」と書かれています。つまりティッシュではなくあぶらとり紙で、どこかの自動車教習所が宣伝のために配っていたものだと知れました。 そこへ、やや離れたところに立っていた警官から、 「あ。別に手は挙げなくていいですから」 という言葉がごく軽い調子で飛んできました。気がつくと私は、案山子のように両手を広げて警官のチェックを受けていたのでした。道行く人は私たちに伏し目がちな一瞥を投げかけては通り過ぎてゆきます。 |
●9月6日(月) 夜のあいだに二度、地震がありました。中日新聞オフィシャルサイトからどうぞ。
当地でもかなりの揺れを感じました。二度目の地震のときには酔っ払って寝ていたのですが、さすがに眼が醒めてしまいました。横になったままじっとしていると、揺れが異様に長く持続しているようでちょっと不気味に感じられましたが、そのうち収まりましたのでまた安眠いたしました。しかしそのうち東南海地震とかいう大きいのが来るのかもしれません。台風といい地震といい海の向こうのテロといい、末世じゃ、という気がしないでもありません。 といったところで話題が元に戻ります。 本気かこいつら、と私は思い始めました。警官による所持品チェックを受けているときのことです。二人の警官はいつまでもチェックの手をゆるめません。少し会話を交わしたりバッグを覗いたりするだけで、私が国際的テロリスト集団の一員などではまったくなく、ただの善良温厚な一市民であることはすぐに判明するはずです。なのにこいつら、何いつまでも必死こいて人の荷物をあさってやがるんだ。 この官憲どもはどこに眼をつけておるのか。この俺のどこがテロリストか。私そう思いました。もとより私は、自分が所持品チェックの対象になったことを問題にしているのではありません。悪質なテロに備えて警戒を強化している官憲諸君が絵に描いたような知性派テロリストの姿を発見し、迷わず所持品チェックに踏み切った。それはよしとしよう。しかし官憲諸君、そんなテロリストは映画やテレビドラマのなかだけの存在なのだ。君たちはハリウッド映画の見過ぎでテロリストといえばジェレミー・アイアンズみたいな人間ばかりだと思い込んでおるのかもしれんが、本物のテロリストがバッグに爆発物しのばせて移動するときにはもっと普通の恰好をするはずではないか。 いや、こんなこといったら俺がまるで普通の恰好をしていないように聞こえてしまうが、とにかく本物のテロリストならできるだけ怪しまれないような恰好をするであろうが。いやいや、こんなこといったら俺がまるでいかにも怪しげな恰好をしているように聞こえてしまうが、とにかく俺はテロリストなどではけっしてなく、待ち合わせ場所へ急ぐただの通行人なのだということがとっくにわかっているはずなのになぜそこまでするのか官憲諸君。これでパンツのなかまで探られるようだったら一喝してやろうと私が決意したとき、ようやくチェックが終わりました。 「ご協力ありがとうございました」 バッグを私に戻しながら、若い警官が生真面目そうな顔でそう告げました。彼らはどうやら最後まで本気だったようです。そうか、官憲のやることはいつだって無謬なんだな、しかし冤罪の被害者なんてのも最初はこんなふうなことから蟻地獄の傾斜を滑り落ち始めるのかもしれんな、それにしても特別警戒態勢の中身がこんな程度のものなんだから日本はやっぱり平和なのかな、といろいろなことを考えながら私は鷹揚に頷き、三人の警官の顔をひとわたり見回してからその場をあとにしました。ビールを飲んで仮眠したあとのこととてぼんやりしていた頭もようやく常態に復し、さあ今夜も飲むかと意気込みながら、私は池袋駅に向かいました。 8月22日、日曜日の夕刻のことでした。 |
●9月7日(火) 8月23日午前9時28分、新幹線あさまの車体は軽井沢駅に静かに停車しました。窓の外の風景は雨に濡れているように見えます。ドアが開いて、私より先にホームに降りた女性が、「わ、寒っ」と声を出しました。つづいて外に出ると、清涼な大気がたちまち全身を包み込んでくるのが感じられ、それはたしかに粒立ったような冷ややかさを帯びていました。
バッグのポケットには、堀辰雄の『風立ちぬ・美しい村』が入っていました。昭和26年発行、昭和48年五十五刷という古い新潮文庫で、天や小口のあたりはすっかり茶色く変色しています。軽井沢の予備知識を得ておこうと、上京前に書棚から探し出してバッグに入れておいたものです。ところが、東京から軽井沢まで、新幹線の車内で「美しい村」を読んでみたのですが、どうにも作品世界に溶け込めません。東京では連日お酒を飲んだりテロリストに間違えられたり、どう転んでも堀辰雄的ではない日常を送っていましたから、スイッチを切り替えるように堀辰雄作品に馴染むことはできなかったもののようです。それにいくら知性派だからといって、テロリストが堀辰雄を読むのはいささか軟弱に過ぎるのではないか。
なるほど、子供の領分か、と書き写しているうちに徐々に興味を惹かれてきましたので、新幹線の車内でうっちゃってしまったところから、もう少し読み進んでみたいと思います。 |
●9月8日(水) 本日の人外境天変地異レポート。きのうの当地は朝のうちにやや長くつづく地震、午前から午後にかけて強風、きょうは午前3時30分ごろ地震があったらしく(寝ていて気がつきませんでしたけど)、午前4時30分前後をピークとして強い風を伴う激しい雨、といったところです。 さて軽井沢ですが、別荘だの避暑だのと私はそんなものにはいっさい興味がなく、というか嫌悪あるいは憎悪を抱いており(いまや死語でしかありませんが、それは階級的憎悪とでも呼ぶべきものかもしれません)、頼まれたって軽井沢なんかに足を運んでやるものかと思っておりました。そもそも俺はエスタブリッシュメントを撃つためにテロリストを志したのだからな、と前日夕刻お巡りさんにとっつかまったショックで現実と虚構のあわいが曖昧になったのか、ぼんやりそんなことを考えていると、 「きょうは十三度ですよ」 タクシーの運転手が教えてくれました。 「へ。なんでそんなことわかりますねん」 尋ねると、気温を表示する設備が道沿いに備えられているとのことです。駅前で拾ったタクシーは、軽井沢のメインストリートを滑るように走行しています。窓から見あげると、やんだばかりなのかこれから降るのか、空は一面にどんよりと曇っていました。 頼まれたって行ってやらないはずだった軽井沢でどうして私がタクシーに乗っているのかというと、ごくごく一部の期待を集めながら編纂作業が進められている『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)のためです。収録する乱歩書簡の所有者の方が夏のあいだは軽井沢にいらっしゃるというので、遅れに遅れたご挨拶とお願いお礼その他をまとめてこの機会にという寸法。お目にかかって無事役目を終え、そのあと生誕百年記念の堀辰雄展を開催中の軽井沢高原文庫まで車でお送りいただいて、私の軽井沢周遊はごくあっけなく終わりました。私は観光や行楽というものにまったく興味がありませんので、どこへ行ったってじつにあっけなく帰ってしまうわけですが。 さてその『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)は本年10月21日、乱歩の百十回目のお誕生日を期して発行するべく追い込みに入ってもらっているところです。もう少し詳しい情報をお知らせすべきかとも思うのですが、うーん、あとしばらくお待ちくださいときょうのところは申しあげておきます。 軽井沢駅に戻って駅前の食堂でゆっくりビールを飲み、切符を買ったあと暇つぶしに駅構内の土産物コーナーを冷やかしていたときのことです。いきなり停電になりました。照明が消え、レジも動かず、外から光が入ってきますから店内は薄明るいのですが、いあわせた客はその場に佇んで周囲を見回すばかりです。と、二人連れで来ていた若い女性の一人がふと思いついたように、 「テロ?」 と呟きました。もう一人のほうも、 「さあ……」 二人とも、冗談のつもりでいってるんだけどどっかマジ心配、みたいな表情です。私は手にしていたラフランスのジャムの瓶を静かに棚へ戻し、彼女たちと眼を合わせないように気をつけながらその場をあとにしました。 8月23日月曜のことでした。 |
●9月9日(木) 過去二十四時間のあいだ、当地にはこれといった天変地異は見られませんでした。
といった報道もあるにはあるのですが、当地ではさしたる揺れは感じませんでした(寝ていて気がつかなかった、というべきか)。そんなことより台風18号の被害は結構甚大なものだったようで、被災地の方にお見舞いを申しあげます。 さて、8月21日の土曜日、名張市民のみなさんの血税から往復の交通費を出していただいて、立教学院創立百三十周年記念行事「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」などに顔を出し、ものはついでと23日の月曜日には『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)に関する用事も済ませてまいりましたので、ふたつの用件の報告を記した次第です。 なお、私はいやもう結構ですからと断りはしたのですが、名張市立図書館長がいろいろ気をつかってくれまして、東京での宿泊費や訪問先への手みやげ代を館長の私費で面倒見てもらう結果となってしまいました。なんとも心苦しい次第ではあるのですが、ありがたく頂戴しておきましたことを附記いたします。 で、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の勧進元である二〇〇四伊賀びと委員会のほうはどうなっているのかと申しますと、委員会事務局から昨日、下記のようなメールをいただきました。
私の返信は下記のとおり。
いったいどうなるのでしょうか。台風並みの大騒ぎに持ち込みたいなとは思っているのですが。 |
●9月10日(金) 昨日、二〇〇四伊賀びと委員会事務局から下記のメールが届きました。
私の返信は下記のとおり。
組かしら会のみなさんはいったい何をお考えなのでしょうか。いくらずるずる先送りしたところで、自分たちの非を認めなければならない日は必ずやって来ます。早く楽になったほうがいいように思うのですが、莫迦の考えることはどうもよくわかりません。 |
●9月11日(土) あの9・11から三年か。よーし。またいっちょ突っ込んでやろうか。 きのうもまた、二〇〇四伊賀びと委員会事務局から一通のメールが届けられました。9月9日夜に設定されていた組かしらと私との意見交換会への出席を私が拒否したことを受け、同夜の組かしら会で協議された結果を通知する内容です。
いやどうもまいってしまいました。私が組かしら会への出席を希望しているのは、その場で組かしら会としての決定を行っていただきたいからです。私のプランとしては、まず私が委員会側の主張する掲示板閉鎖の三つの理由がいずれも嘘っぱちであることを証明する、組かしらのみなさんはひとことも反論できない、私はそれなら過去ログを封鎖している理由は存在しないことになるではないかと指摘する、組かしらのみなさんは黙って頷くしかない、私は過去ログの再公開を要請する、組かしらのみなさんは従うしかない、といったことなのですから、何の決定権もない意見交換会とやらいう茶番におつきあいするつもりはさらさらありません。 それにしても鉄面皮な話ではないか。この期に及んで何が意見交換会だ。俺がこれまで委員会に提出してきた意見を一から十まですべて無視しておきながら、いまごろになって何が意見交換会だというのだ莫迦。ふざけるのもたいがいにしろ。だいたいおまえらには意見交換などできぬではないか。みずから開設した掲示板における意見交換に一度も加わろうとしなかったのがおまえらではないか。それどころか自己保身のためなら他人の意見を平気で封殺できるのがおまえらではないか。いまさらどのツラさげて「意見交換する時間を設けさせていただき」などというご託が並べられるのだ莫迦ども。自分たちのやったことをよく考えてみろ。鉄面皮にもほどというものがあるだろう。 で、私の返信は下記のとおり。
で、伊賀県民局オフィシャルサイトのメールアドレスに、抜く手も見せず県民局長宛の下記のメールを送信いたしました。
現在の伊賀県民局長は今春赴任されたばかりの方なのですが、私はいまだご挨拶を申しあげることができておらず、伊賀県民局長に就任したのなら一升瓶の一本もぶらさげて名張市立図書館まで足を運び、このたびかくかくしかじかでしてと俺に挨拶しないことにはどんなことになるか知れたものではないのだぞ、などと申しあげる気は私には毛筋ほどもないのですが、以前いろいろご高誼をたまわった前伊賀県民局長はどんなことになっていらっしゃるのかと申しますと、現在は今春新設された県防災危機管理局の局長という重責を果たしておられるのですが、ここへ来て狙いすましたような台風と地震の十字砲火を浴びてしまってさあ大変。もしかしたら伊賀県民局長時代の罰が当たっているのかもしれません。衷心よりお察し申しあげる次第です。 以上、三年目の9・11を迎えて、ちょっとだけ突っ込んでみました。 |
●9月12日(日) きのうは土曜日、きょうは日曜日ですからお役所はお休みで、二〇〇四伊賀びと委員会事務局からの回答は届いておりません。 いったいどんな展開になるのでしょうか。 私は委員会側から決定権のない意見交換会への出席を要請され、その意見交換会を公開の場とするのであれば出席してもよいぞと返事をしたのですが、二〇〇四伊賀びと委員会というのはこてこての隠蔽体質で凝り固まった難儀な組織(住民の血税三億三千万円をどぶに捨てる行為に手を染めているという意味においては、いっそ犯罪者組織と呼んでもいいのかもしれません。もっともその伝で行けば、お役所なんてすべて犯罪者の巣窟だと呼ぶしかなくなるわけですが)なのですから、意見交換会を公開するのはとても無理かなとも思われます。 なにしろあの委員会のみなさんと来た日には、私があれだけしつこく予算の内容を明示せよと助言したにもかかわらず、見ざる聞かざる言わざるの一点張りで押し通したような連中です。すなわち、私が事業の予算という重大な問題に関して委員会側に意見を投げかけたにもかかわらず、彼らは知らぬ存ぜぬを決め込んで意見交換にいっさい応じようとせず、予算の内容を隠蔽したままことを運んでいるわけなのですから、そんな連中からよりによって意見交換などというものをもちかけられたこの私が、いまさら何が意見交換会だ莫迦と怒っているのはごく当然の話でしかありません。 もっとも、7月29日に開かれた第四回事業推進委員会では、ごく少額の補正予算に関してではありましたが、その内訳の説明があまりにも杜撰であったことから「これでは説明責任を果たすことにならない」と知事がキレておしまいになり、委員会事務局が知事から厳しくお灸を据えられる結果になったということは、この伝言を継続的にお読みいただいている方なら先刻ご承知のところでしょう。だから委員会側もちっとは懲りているだろう、とお考えの方があるのだとしたら、それはちょっと甘いみたいよと申しあげるしかありません。そもそも第四回事業推進委員会における知事の叱声が事務局から委員全員にちゃんと伝達されたのかどうか、それさえ怪しいのではないかなと私は睨んでおります。とにかく連中はもう無茶苦茶なんですから。 で、その知事なわけです。やはりこの伝言でお知らせいたしましたとおり、私は3月28日に開かれた第三回事業推進委員会で知事にお目にかかり、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の序文の執筆をお願いしたのですが、原稿はすでにお届けいただいていて、僭越を承知で敢えて記しますとじつにいい序文に仕上がっております。通り一遍の序文とは明らかに一線を画し、格調があって親しみやすく、往復書簡集の刊行に至る経緯を手際よくまとめていただいたうえ、名張市立図書館に対して過分なお言葉までたまわっております。むろん「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のPRも過不足なく盛り込まれ、またしても僭越なことを記してしまいますが、別け隔てなく気配りできる純朴で誠実な人柄が行間から滲み出ている序文であると、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)の宣伝も兼ねてここにお知らせしておく次第です。 それでその知事なのですが、私は知事に対して含むところはいっさいなく、遅きに失したとはいえ二〇〇四伊賀びと委員会の説明責任を追及されたことを喜ばしく思っておりますし、8月に催された全国知事会で三位一体の改革案が検討された際、知事がお示しになった明確な反政府の姿勢に支持を表明してもいるのですが、しかし「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関しては、なかんずくあの掲示板問題に関しては、知事が委員会側の言い分を全面的に鵜呑みにしていらっしゃるのが遺憾の極み。ですから知事に事実を正しく認識していただきたく、それにはまず掲示板の閉鎖を決定した組かしら会のみなさんにみずからの非を認めていただくのが手っ取り早かろうと考えて、さあ組かしら会に出席させろとお願いしている次第なのですが、姑息な策を弄していつまで逃げ惑う気かあいつらは。 三位一体の改革といえば、昨日付中日新聞伊賀版のコラム「いがぐり」に、伊東浩一記者の手になるこんなコラムが掲載されておりました。タイトルはまさしく──
一難去ってまた一難、とはこのことでしょう。名張市はもう逆さにして振っていただいても鼻血も出ませんというところまで爪に火をともして財政の健全化を進めてきたわけなのですが、にもかかわらずまたしても財政の見通しが立たなくなってしまいました。私も二〇〇四伊賀びと委員会をおちょくって喜んでいる場合ではないような気もするのですが。 |
●9月13日(月) いやこれはちょっと違うのではないかしら、と私は思いました。三位一体の改革のせいでどうにもこうにも財政見通しが立たなくなってしまった名張市の広報紙「広報なばり」9月12日号に眼を通していたときのことです。11月14日に公演される「乱歩狂言」の予告が出ていたのですが、
とあります。なんかちょっと違うな、という気がします。「押絵と旅する男」を狂言なんかにしてどうするの。そこはかとなく、よくない予感がいたします。 この公演もまたしても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のひとつとして行われるわけなのですが、9月23日に催される辻村寿三郎さんの人形芝居「押絵と旅する男」と見事にネタがかぶってしまいました。そんなのはまあ些細なことなのですが、この上演作品の選定に勧進元である主催者側(「広報なばり」の記事から判断すると「蔵びらき事業」名張市連絡会あるいは名張市教育委員会文化振興室)はどこまで関わっていたのかな、ということはかなり気になります。どうして「押絵と旅する男」なんですか、と上演者側に詰め寄る人間はおらんかったのかと訊いておるのだ。 いやいや、いきなり失敗だと決めつけてはいけませんが、私としては明智小五郎や怪人二十面相や少年探偵団といったキャラクターを自由自在につかい回し、乱歩ファンもそうでない人も老若男女が腹を抱えて笑えるような「乱歩狂言」を期待していたわけではあり、そうですか「押絵と旅する男」なんですかそうですか。とはいえ、私のよくない予感など手もなくあっさり覆し、きわめて面白い新作狂言に仕上がっているのかもしれませんから、いやもうきっとそのはずですから、乱歩ファンのみなさんはどうぞお見逃しなく。 ご出演のみなさんは、人間国宝の茂山千作さん、お名前はしめと読む茂山七五三さんほか大蔵流の面々。11月14日午後1時開演、会場は名張市青少年センター、前売り入場料は一般二千五百円、中学生以下千円、チケットは10月から販売、とのことですが、詳細はまたあらためてお知らせいたしましょう。 ここでついでにお知らせしておきますと、「乱歩狂言」が開催される11月14日の夜、名張市内で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業失敗記念大宴会を開催いたします。気の早い方があるもので、すでに現時点ではるばる福島県からお一人様の参加申し込みを頂戴しております。さらに前日の11月13日夜には、同じく名張市内で『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(仮題)刊行記念大宴会も堂々敢行。どちらも詳細はまたあらためてお知らせいたしましょう。 |
●9月14日(火) 9月11日土曜日付のメールで伊賀県民局長に拝眉の機を頂戴するようお願いしましたところ、担当職員の方からきのうご返事をいただきました。
私の返信は次のとおり。
伊賀県民局のいちばん偉い人にいーつけてやるんだもんね。これではまるで子供の喧嘩ですが、これも伊賀の忍びのタクティクスだとお考えください。ニンニン。 ちなみに、名古屋の忍びはニンニンではなくニャーニャーというそうで、これを正調名古屋嬢ランゲージで表現すると「名古屋の忍びはニャーニャーゆうにぃ」または「名古屋の忍びはニャーニャーゆうがね」となるそうです。ニャーニャー。 |
要するにですね、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトで今年2月に行われた掲示板の閉鎖は明らかな言論封殺であり、三重県はこんな暴挙を認めるのかというのが私の疑問なわけです。で、7月の「知事と語ろう 本音でトーク」において知事は委員会事務局の説明を鵜呑みにしてこの暴挙に承認を与えたわけなのですから、私としてはとても黙ってはいられません。三重県に言論の自由はないのか。そのあたりに関してはとりあえず明日、伊賀県民局を訪れて県民局長の見解をお聞きしてくることになっているのですが、ニンニンニャーニャーいってる場合ではなくなってきたのかもしれません。 8月に全国知事会で喧々囂々たる議論を呼んだいわゆる三位一体の改革が、いよいよ舞台を中央に移しました。全国各地津々浦々、地域事情にはそれぞれ違いがあることを百も承知で全国一律の補助金削減案をとりまとめよと無理難題を投げかけてきた政府に対し、地方六団体はよくまとまってそれを投げ返したというべきでしょうが(むろん以前から記しておりますとおり、この無理難題に真っ向から否を表明した三重県知事の姿勢を私は支持しているのですが、実際問題としては地方六団体の結論に賛意を表するべきかと思われます。ちなみにわれらが知事は知事会での議論に際し、わが県には過疎地や離島が少なからずあるせいで教員数を多く確保しなければならず、そのためには国の補助が欠かせないというのに義務教育費の削減案とはなにごとであるか、との主張を展開しておりましたが、この意見には三重県の離島の女先生だった乱歩の奥さんも天国で拍手してくれていることでしょう。ああ、丸括弧内が異様に長くなってしまった)、これからしばらくは中央省庁がどんな見苦しい泥仕合を演じてくれるのか、高みの見物と洒落込むことにいたしましょう。 朝日新聞のオフィシャルサイトから引いておきます。
協議の行方はともかくとして、この三位一体の改革でひたすら苦しい状況に追い込まれてしまったのが、12日付伝言にも記しましたとおり名張市の台所。まさしく火の車と化してしまう見通しとなり、昨日付中日新聞の伊賀版には伊東浩一記者のこんな記事が掲載されておりました。
国の地方いじめはいよいよ露骨になってきて、とくに名張市のように合併に真っ向から否を表明した市町村はいまや継子いじめみたいな目に遭わされているわけなのですが、そうかと思うと同じ面には太田鉄弥記者のこんな記事も。
合併するったって結局はこんな程度だばーか。それにしてもこの伊賀地区市町村合併協議会とやらのみなさんは、ああだこうだと雁首揃えて要するに自分たちの身分や報酬のことのみを熱く語ってきただけの話ではないか、と感じているのは私ひとりではないように思われます。 将来の伊賀市民のみなさん。伊賀市の合併準備は市民を置き去りにしたままとっとことっとこ進められているように見受けられる次第なのですが、ここらでみなさんもひとつ怒り心頭に発してみてはいかがなものか。いやもう手遅れですか。 |