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2004年10月後半
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●10月19日(火) いやー、ずいぶんご無沙汰してしまいました。なんやかんやと雑用が、いや雑用といってはあれですが、とにかくあれやこれやが立て込んでしまい、ついついサイトの更新に手が回らなくなってしまいました。するってえと不思議なもので、一日休めば二日、二日さぼれば三日、三日なまければ四日、四日手を抜けば五日、五日労を惜しめば六日、六日怠れば七日、といった具合にずるずると日が過ぎ、11日の月曜以来のお目もじとなってしまった次第です。 おまえはいったい何をやっておったのか、というお尋ねにお答えするため、テーマ別に書き連ねてみましょう。 ■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(副題)
■乱歩が生きた時代展
まあ本日は以上のようなところで。 |
●10月20日(水) きのうのつづきです。 ■まちかどこども探偵団──からくりのまち事件
つづきはまたあしたです。 |
●10月21日(木) ということは乱歩のお誕生日です。ということは当サイトの開設記念日でもあり、名張人外境もめでたく五周年を迎えたのですが、このところ更新状況が結構たらたらしておりますのでなんだか面映ゆく、それはそれとして読者諸兄姉お住まいの地域では台風の影響はいかがだったでしょうか。当地はやはり、今年の台風はずっとこんな感じなのですが、何ほどのこともありませんでした。 といった次第でアニバーサリーもとくに関係なく、きのうのつづきをつづけます。 ■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行記念トークショー
■乱歩狂言
あとはまたあしたです。 |
●10月22日(金) ついでですから私がまったくタッチしていない催しの案内も掲げておくことにいたします。 ■なぞがたりなばり
■怪人二十面相
ではまたちょいと水面下へ。 |
●10月24日(日) またちょいと水面下であれこれしておりましたところ、先日の台風のあと今度は新潟で地震だとの知らせです。メディアを通じて知ったかぎりでは余震の多さが尋常ではなく、当地では先月上旬にやや大きめの、といっても今回の新潟におけるそれに較べればじつに可愛いものでしたが、それでも一晩に二度の揺れがあってかなりの不安を感じたものでした。こんなことを書きつけたところで何の意味もありませんが、とにかくお見舞い申しあげます。 さて、おとといのつづきです。 ■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行記念大宴会
さあ、きょうも水面下が呼んでいる。 |
●10月25日(月) 水面下におけるえんやこらの儀、昨日ようやく一段落いたしました。えんやこらとは『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)の三校のことで、きのう出版社に電話でゲラ出しして(つまりゲラを郵便で返却するだけの時間的余裕がなかったわけですが)、校正に関する私のお役目はすべて終了となりました。あとは野となれ山となれ。一日も早く書簡集が完成することを、読者諸兄姉とともに天に祈りたいと思います。 とはいえ水面下におけるえんやこらの儀はほかにも怒濤のごとく押し寄せてきており、ひとつひとつクリアしてゆくのはさあ大変。本日もまた水面下に赴かねばなりませんが、その前にきのうのつづきを少々。 ■生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業失敗記念大宴会
さあ水面下水面下。 |
●10月26日(火) おかげさまで『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)、やっとのことに印刷屋さんへの入稿が終わったようです。編纂関係者一同、人事を尽くして天命を待っております。 それではきのうのつづきをば。 ■伊賀市
■まちかどこども探偵団──からくりのまち事件(続)
まいったまいった、どうしようかなと悩みつつ、本日もまた水面下へと赴きます。 |
●10月27日(水) コスプレ問題ではまだ悩みつづけております。やっぱ着物は諦めるか。それはそれとして、ほかの話題をつづけましょう。 ■乱歩が生きた時代展(続)
■宇流冨志禰神社例祭
ではまたあした。 |
●10月28日(木) テレビニュースなど見ておりますとお祭りだからといってとても浮かれてはいられないなという気になりますが、それにしてもコスプレどうしようかな。 本日はテレビの話題となります。掲示板「人外境だより」をご閲覧の方なら先刻お察しのとおり、フジテレビ系列で毎週水曜に放送されている「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」のお話です。先週水曜の20日夜、この番組で乱歩に関するトリビアが紹介されました。 私はうっかり見逃してしまったのですが、Google で「乱歩 トリビア 悪霊」を検索してみたところいろいろなページがひっかかってきましたので、そのひとつ「日々是テレビ。。」なるところから引かせてもらいましょう。これが放送内容にどれだけ忠実なのかは不明ですが、まあこんなところだったのではないかと思われます。
このトリビアの評判、あまりよろしくないみたいです。いやまいったな。どうも相済みません。テレビ局にこのネタを提供したのは私です。ネタを提供したと申しますか、電話で質問されて適当なこと喋り散らしたのは間違いなく私なんですから、私こそいわば元凶にして悪の張本(はりもと、とは読まないでね。広角打法やってんじゃないんですから)、知らざあいってお聞かせしますが、きょうはこれまでといたしましょう。 |
●10月29日(金) 「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」の制作を手がけているのは、番組のオフィシャルサイトによればフジテレビバラエティ制作センターというところですから、たぶんこのセンターからだったはずなのですが、名張市立図書館に問い合わせの電話がありました。8月の下旬、立教学院の創立百三十周年を記念した「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が終幕を迎えたころであったかと記憶します。つまり私が、暑いわ二日酔いだわ官憲にとっつかまるわのさんざんな上京を終えた直後のことでした。 私は名張市立図書館に常勤しているわけではありませんので、と申しますか、公務員の顔を見ていると腹が立ってくるから、という理由で私はすべての官公庁にできるだけ近づかないようにしておりますので、名張市立図書館もその例に洩れるものではありません。 あれはいつでしたか、愛知県西春日井郡春日町にあるはるひ美術館の学芸員の方からやはり乱歩のことで名張市立図書館に問い合わせをいただきました。日本画家の嶋谷自然は乱歩夫人の教え子だったのでしょうか、という質問だったのですが、その学芸員の方とは電話で何度もやりとりすることになり、そのおりにも自分は公務員の顔を見ていると腹が立ってくるからそういう機会は可能なかぎり避けるように努めている、名張市立図書館よりは拙宅に電話していただいたほうが捕まる可能性は高いだろう、とお伝えしておいたところ、拙宅に電話してきてくれたその学芸員が、 「へーえ、やっぱり図書館にはいないんですね」 と妙に感心してくれたことを思い出します。64へぇくらいは軽く叩き出せていたのではないでしょうか。 ですから8月にも、これこれこういう問い合わせがあったと名張市立図書館から連絡を受け、私はさっそくフジテレビバラエティ制作センターでしたかどこでしたか、指示されたところに電話を入れました。で、担当者の方からいただいた質問が、 「江戸川乱歩はトリックが思い浮かばなくて読者にお詫びしたことがある、というのは本当でしょうか」 といったものだったというわけです。 トリック、という言葉が使用されていたのかどうか、もとより記憶は曖昧なのですが、トリックという言葉をめぐって悩ましい思いをしたことはよく覚えていますから、たぶんつかわれていたはずです。それがどのように悩ましい思いであったのかは、私がこれから述べるところをお読みいただければよほどの莫迦でないかぎり理解していただけることでしょう。 さて、質問を受けた私は困ってしまいました。 「それだけですか。ほかにデータはないんですか」 と訊いてもみたのですが、視聴者から寄せられたムダ知識はわずかにそれだけとのことでした。うーん、とうなって煙草をくわえ、ライターで火をつけながら私は思考を始めました。 乱歩ファンならよくご存じのとおり、乱歩というのはじつによくお詫びをした作家でした。短篇といわず長篇といわずあるいは少年ものといわず、乱歩が読者に対してこれを諒せよと謙虚なんだか傲慢なんだかよくわからない詫びを入れた例はそこらにごろごろしています。 たとえば「火星の運河」です。「新青年」に発表されたとき、この作品の末尾には次のような附記が記されていました。
うーん、この文章は『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)の脚注に収録しておくべきであったか。なんてことはともかくとして、これなんかまさしく探偵小説のトリックを思いつくことができなくて読者に詫びを入れた一例だといっても差し支えはないでしょう。 こうした作品末尾の附記ではなく、堂々と見出しを立てて乱歩のお詫びが掲載された例もあります。連載が休載のやむなきに至った場合の措置なのですが、これとて一度や二度にとどまるものではありません。ほかに編集部が詫びを入れるケースもあって、どの作品だったのか思い出すことができないのですが、乱歩先生から「旅先にて発病」との電報が届きましたので今月は休載です、という旨の編集部の文章が掲載されたこともあったはずです。 うーん、とうなりながら煙草を喫っていた私は、ますます悩ましい気分になって煙草をもみ消しました。 悩ましいといえば、ここで嬉しいお知らせです。このところ何も手につかないほど悩まされていたコスプレのコスチューム、ついに決定いたしました。ほんとは丹下左膳みたいな着物が欲しいところだったのですが、出費がかさむこともあってそれは諦め、かわりにお医者さんの白衣を着用することに決めました。イベントスタッフにはナースの恰好をするお姉さんもいるのですから、私がドクターに扮して何が悪いか。 白衣は借り物で済ますこともできるのですが、私は白衣の背中に丹下左膳のごとく南無阿弥陀仏と大書することを目論んでいるものですから、借り物にそれはまずかろう。新品を購入することにして当該コスプレショーの裏方である三重県伊賀県民局生活環境森林部のお姉さんのご高配をたまわり、きのう近鉄名張駅前にあるユニフォームとワーキングウェアのコトブキで白衣一着を発注しました。 白衣には六字の名号のほかに美しい血の跡も入れたいところなのですが、お子供衆のためのイベントでショッキングな真似は控えるべきでしょう。ですから血の色をした長いスカーフかマフラーをコーディネートすることにして、いいのがあったらパラソルを片手に名張のまちをうろつきたいなと思います。 そんなことした日には人から「旅先にて発病」どころか「地元にて発狂」みたいに思われてしまうかもしれませんが、地元では以前から狂人同様の扱いを受けていないわけでもなく、この際ですから地域住民にはっきりと思い知らせてやろうかこら、とも考えております。とはいえ、そんないでたちでは何がなし乱歩ではなく夢野久作ふうの狂人になってしまいそうなのがつらいところなのですが。 そうだ。白衣の胸には諸戸道雄と書いた名札をつけることにしよう。いやー、乱歩作品の登場人物のうちでもっとも悲劇的な人間の名前を僭称することになってしまいました。乱歩ファン、わけても諸戸ファンのみなさんにはお詫びを申しあげるしかありません。読者これを諒せよ。 |
●10月30日(土) 悩ましい気分になって煙草をもみ消した私は、乱歩のお詫びは数々あれど、筆頭に挙げられるべきはやはり「悪霊」のそれであろう、と結論しました。きっぱり! で、「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」制作スタッフにそのことを伝え、お詫びに至る経緯を説明しました。 「その『新青年』という雑誌はいまでも見ることができますか」 と尋ねられましたので、 「もちろん見ることができますが、乱歩は『貼雑年譜』というスクラップ帳を遺していて、『悪霊』に関するお詫びの切り抜きもありますから、それを紹介したほうが面白いように思います」 とアドバイスしました。『貼雑年譜』には「新青年」に掲載された乱歩の「『悪霊』についてお詫び」という文章がスクラップされているのですが、そのページには「自筆ノ文章」だの「水谷君ノ来訪ヲ求メ、コノ原稿ヲサシ出シテ頭ヲ下ゲタノデアル」だのといった書き込みが見られますから、そうした細部によって乱歩の内面を物語らせるのもいいのではないかと考えた次第です。 その他もろもろの説明を聞き終えたスタッフは、 「わかりました。たぶんこれのことだと思います」 と納得してくれたようでした。しかし私は、いや違う、全然違うぞ、と思わざるを得ませんでした。これでは「江戸川乱歩はトリックが思い浮かばなくて読者にお詫びしたことがある、というのは本当でしょうか」という質問の答えとして適切ではありません。なぜかというと、乱歩にはちゃんとトリックの用意があったからです。 うーん、俺はでたらめを教えているではないか、と思いながら、しかし乱歩のお詫びといえばとどめは「悪霊」に差されるわけなのだから、やっぱりこれでいいのだ。きっぱり! とも考え直し、 「このお詫びのことは乱歩ファンにはよく知られているのでしょうか」 「たぶん周知の事実です。ですからほんとは全然トリビアではないんです。ファンにとってはこんなんどこがトリビアやねんゆう話なんです」 といったやりとりを最後に電話を終えました。これはネタにはならんだろうな、とも思いながら。 以来、月日は流れて幾星霜、「トリビアの泉」制作スタッフから問い合わせがあったことも忘れがちになったころ、このトリビアが放送されました。トリビアは「江戸川乱歩は推理小説の結末が思い付かず読者に謝ったことがある」というものだったそうで、ありがたいことにトリックという言葉は使用されておりませんから、「悪霊」にはちゃんとトリックがあったというのに俺はとんでもない嘘を教えてしまったではないか、という私の煩悶は一気に解消された次第なのですが、それでもこのトリビア、乱歩ファンの評判はあまりよろしくないようなので私は困ってしまいます。うーん。 ところで、乱歩が「悪霊」のために用意していたのはどんなトリックであったのか。ご存じない方は光文社文庫版江戸川乱歩全集第8巻『目羅博士の不思議な犯罪』に収録された新保博久さんの解説「お楽しみ乱歩カタログ」をお読みください。要するに「スミルノ博士の日記」なわけなんですが、このトリビアはいったい何へぇを叩き出せるのでしょうか。 お話かわってこちら名張市。11月10日に開幕する「乱歩が生きた時代展」の関連記事がきのうの中日新聞伊賀版に掲載されました。伊東浩一記者の記事です。
念のために申し添えておきますと、上記引用の下のアドレスは記事全文へのリンクです。模型の写真もご覧いただけます。 それから左の人外告知板、久方ぶりで更新いたしました。「24時間まるごと“元祖名探偵・明智小五郎”」のお知らせです。 ついでにもうひとつ、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)のお知らせがあす31日、もぐらもちさんの小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」に掲載される予定です。むろん名張人外境にも掲載するつもりなのですが、私はこれから京都に赴き、たぶんへろへろになって帰宅しますのでわれながらちょっと心配。 さらについでにもうひとつ、というかもうふたつ、立教学院創立百三十周年記念事業の乱歩公開講演会「都市大衆と乱歩ミステリー──「蜘蛛男」から「人間豹」まで」はきょう30日、乱歩研究国際シンポジウム「江戸川乱歩──1920年代・大衆文化社会の光と影」はあす31日の開催です。概要はこのページでご覧ください。 いやー、こうした情報の提供も含め、もっとこまめなサイト更新を心がけねばならんわけですが。さっぱり! |
さて、いよいよ『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)のお知らせです。と申しあげたいところなのですが、出版社からメールで送られてくるはずの表紙画像などがまだ届いておりません。ところがもぐらもちさんの小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」ではすでに書簡集の紹介ページが公開され、表紙やチラシもちゃんと掲載されているではありませんか。 またかよ。 またこれかよ。 またこれかよおい。 じつはこの手のちょっとした手違いと申しますか、ヘマ、ポカ、ボケ、ミス、ドジのたぐいは書簡集編纂過程において日常茶飯事になってしまっており、いまさら驚くにはあたらぬのですが、しかししまいにゃ怒るぞ、と思わぬでもありません。もうしまいなんですけど。 ともあれここは、書簡集の刊行が目睫の間に迫ったことを素直に喜びたいと思います。嬉しい。めでたい。慶賀じゃ。一時はどうなることかと思った。まあいろいろありましたけど、お力添えをいただいたすべての方に百八十万三重県民を代表してお礼を申しあげる次第です。皆の者、大儀であった。 といった次第で、詳細は「奈落の井戸」の「子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集」でご覧ください。もぐらもちさんどうもありがとうございました。いやー、思いきり手抜きしてしまいましたけど。 |
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