2004年10月後半

●10月19日(火)

 いやー、ずいぶんご無沙汰してしまいました。なんやかんやと雑用が、いや雑用といってはあれですが、とにかくあれやこれやが立て込んでしまい、ついついサイトの更新に手が回らなくなってしまいました。するってえと不思議なもので、一日休めば二日、二日さぼれば三日、三日なまければ四日、四日手を抜けば五日、五日労を惜しめば六日、六日怠れば七日、といった具合にずるずると日が過ぎ、11日の月曜以来のお目もじとなってしまった次第です。

 おまえはいったい何をやっておったのか、というお尋ねにお答えするため、テーマ別に書き連ねてみましょう。

■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(副題)

 この件に関しては、まず刊行がやや遅れるということをお知らせしておかなければなりません。まことにどうも相済みません。10月末日までにはできあがるはずだったのですが、ちょっとだけ遅らせることにしました。念には念を入れて、三校まで出してもらうことにしたからです。

 そもそも私はこの書簡集に関してはいわば部外者であって、スタッフのみなさんならびに出版社にすべての作業を丸投げしていたわけなのですが、原稿があがって校正刷りが出てくるとなるとそんなこともいっておられず、初校再校とゲラを送ってもらったところ気になるところがいささか眼についてしまいましたので、これは三校まで行かないとやばいかなと判断いたしました。

 したがいまして、何を隠そう私は鬼神と畏れられるほどの校正能力の持ち主であるわけなのですが、再校および三校にその能力を遺憾なく発揮することとなり、いまやすっかり両眼を血走らせている次第です。

■乱歩が生きた時代展

 三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のひとつとして11月10日から14日まで名張市総合福祉センターで開かれるのですが、この会場に『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)の刊行を記念して乱歩書簡と不木書簡を展示することになりました。ですから書簡集は、展示会初日の11月10日には完成していることになります。

 展示する乱歩書簡三十通は所有者の方から拝借しなればなりませんから、私は先週の13日に上京し、翌14日に神田の古書店街で書簡所有者の方にお会いして、

 「えー、電話でお願いいたしましたときには美術品専門の運送会社に保険も込みで書簡の輸送を頼むことにしていると申しあげたのですが、そうしますと料金が片道でなんと十六万円ということになりますので、えー、まことに申し訳ないのですがそれだけのお金はとてもありません。えー、なんとかひとつ、そのまあ、えー」

 と中華料理をおごっていただきながら平身低頭、書簡輸送は宅配便利用ということにしていただきました。もしかしたら関係者が上京して直接手渡していただくことになるかもしれませんが、とにかくそういうことで、この書簡所有者の方には『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)のために書簡全点をスキャンする作業でもおおきにお世話になり、とはいえ木屋正酒造謹製の幻影城も山本松寿堂謹製の二銭銅貨煎餅もすでにご賞味いただいておりますので、このたびは目先を変えて上野市中町宮崎屋謹製の養肝漬という漬物をお送りしておきました。宮崎屋では「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」記念の芭蕉さんマーク入り養肝漬も好評発売中です。

 いっぽうの不木書簡、つまり乱歩の手で一巻に製本された不木書簡集のことなのですが、これは展示会を企画運営する乱歩蔵びらき委員会が所有者の平井隆太郎先生から拝借する話を進めております。

 まあ本日は以上のようなところで。


●10月20日(水)

 きのうのつづきです。

■まちかどこども探偵団──からくりのまち事件

 何なんだこれはとお思いでしょうが、11月13日に名張の市街地で催されるイベントです。主催は伊賀・夢・街道づくり協議会と伊賀びとのおもい実現委員会、後援は毎度おなじみ二〇〇四伊賀びと委員会と歴史街道推進協議会。詳細は三重県オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。

 要するにお子供衆向けのイベントなのですが、怪人二十面相から予告状が届いたとの設定で開催されますので、参加者に乱歩のことを紹介する場も設けなければならず、との相談を三重県伊賀県民局生活環境森林部生活労働グループから電話でいただきましたので、

 「そういうことでしたらいくらでも県民局にお邪魔しますけど、私が県民局に行ったら職員がみんな露骨にいやそうな顔をしやがるんです」

 「いえいえそんな、滅相もない」

 みたいな押し問答の末、結局は伊賀県民局まで足を運んで話をとりまとめ、当日は絵本の読み聞かせをやっているグループに乱歩作品を朗読してもらい、ついでに私が乱歩のお話をすることになりました。

 朗読するのは「芋虫」、お子供衆に絶望という言葉をまざまざと実感していただこうかと考えたのですが、それはさすがにいかがなものかとも思われ、妥当なところで「怪人二十面相」をとりあげることにしました。

 当日、お子供衆はいくつかの班に分かれて名張のまちをうろつくのですが、立ち寄り先に「はなびし庵」というところがあって、坊ちゃん嬢ちゃんにはここで影絵を見てもらうとのこと。どこかで聞いた話だなと思って確認すると、それはなんと私が台本を書いた影絵ではありませんか。

 はなびし庵というのは酒屋さんが開設しているいわばプチ博物館で、のちに生き人形師として一世を風靡する安本亀八が名張に住んでいたとき制作した人形が残されており、この人形を題材にした影絵をつくりたいとの相談をいただきましたので、みたいなことは掲示板「人外境だより」で石塚公昭さんと安本亀八のことを話題にしていたつれづれに記しましたので、10月7日付投稿から引いておきますと──

 くだんの酒屋さんに伝わる亀八の人形は、下記のページで写真をご覧いただけます。あれは今年8月のことだったと思いますが、下記ページ写真の座敷でこの酒屋さんの奥さんから「この夫婦人形の由来を影絵にしたい」との相談を受けましたので、そんなん朝飯前ですがなと、朝は朝星、夜は夜星、昼は梅干しいただいて、さささのさっさと台本を仕上げた次第です。なぜ影絵だったのかと申しますと、影絵の専門家が名張市内に住んでいて(名張は大阪のベッドタウンですから、この専門家も関西圏から名張に転居してきた人だろうと思います)、その人が影絵をつくってくれるというから台本が必要になった、みたいなことでした。影絵の登場人物は人形のモデルになった一組の夫婦で、これが影絵の舞台にはいっさい姿を見せない亀八と会話しながらお話が進むという、ご覧いただく心配がありませんから堂々と太鼓判を捺しておきますと、たいへんな傑作影絵になっております。

http://www.geocities.jp/hanabishian/page003.html

 しかしこの影絵、タイトルはたしか「はなびし庵夫婦人形縁起」としたはずで、なにしろ晩年を迎えた夫婦の物語なのですから森鴎外の「じいさんばあさん」あたりを範と仰いでおり、やはり夫婦の機微を描いた乱歩の「芋虫」と同じくお子供衆に楽しんでいただけるかどうかはやや微妙。

 まあそんなことはどうだっていいんですけど、とにかくそういうことになっております。

 つづきはまたあしたです。


●10月21日(木)

 ということは乱歩のお誕生日です。ということは当サイトの開設記念日でもあり、名張人外境もめでたく五周年を迎えたのですが、このところ更新状況が結構たらたらしておりますのでなんだか面映ゆく、それはそれとして読者諸兄姉お住まいの地域では台風の影響はいかがだったでしょうか。当地はやはり、今年の台風はずっとこんな感じなのですが、何ほどのこともありませんでした。

 といった次第でアニバーサリーもとくに関係なく、きのうのつづきをつづけます。

■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行記念トークショー

 11月14日、「乱歩が生きた時代展」の会場で開催します。時間はたぶん午前10時30分から正午まで。参加者は『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)編纂スタッフのみなさん。特別ゲストとして不木令息の令夫人、小酒井美智子さんをお迎えすることになりました。

 美智子さんには今年の4月、愛知県の蟹江町で開かれた不木生誕地碑の除幕式で初めてお目にかかりました。できれば書簡集刊行を機に名張にもおいでいただきたいものだと考えていたのですが、ご高齢ということもあり、こんな僻遠の地までご招待するのはどうだかなと思っていたのですが、少し前に美智子さんから別の用件で拙宅にお電話をいただきましたので、思いきってお招きしてみたところ、ふたつ返事でご快諾をいただいた次第です。

 当日のトークショーは、個人的には美智子さんの独演会でいいのではないかとも思っているのですが、とにかく特別ゲストとして何か喋っていただくようにお願いしてあります。

■乱歩狂言

 11月14日午後1時から名張市青少年センターで催されます。新作狂言「押絵と旅する男」が演じられるとのことで、とても悪い予感がしております。

 私は名張市と名張市教育委員会と「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会とが主催するこの催しにまったく関わっておらず、もちろん名張市立図書館カリスマ嘱託としては当然関わっているべきなのですが、お役所のみなさんはいわゆる縦割り行政のなかでお仕事をするのが常態で、横の連携というものをまったくといっていいほど無視しているものですから、カリスマは蚊帳の外、みたいなことになってしまいます。

 この日午前のトークショーに小酒井美智子さんが参加してくださることになりましたので、それならば乱歩のご遺族にもと考え、たぶん「乱歩狂言」にお招きしているのだろうからと確認してみたところ、とくにそんなことはしていないとのことでした。乱歩作品が初めて狂言になるのですから関係者を招待するのは当然のことであろうと私は思うのですが、お役所の人たちはそんなふうには考えないもののようです。もしかしたら何も考えていないのかもしれません。いやまあ、何かにつけて乱歩の名前を利用したいということだけは薄ぼんやりと考えているようではあるのですが。

 詳細は名張市オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。

 あとはまたあしたです。


●10月22日(金)

 ついでですから私がまったくタッチしていない催しの案内も掲げておくことにいたします。

■なぞがたりなばり

 11月13日、名張産業振興センターで開催されます。名張市が日本推理作家協会の協賛を得て毎年催している講演会。今年の講師は「亡国のイージス」の福井晴敏さんです。開演は午後2時。詳細はこのページでどうぞ。

■怪人二十面相

 11月13日、名張市青少年センターで上演されます。名張市のアマチュア劇団、おきつも名張劇場の第十回公演です。開演は午後6時30分。詳細はこのページでどうぞ。

 ではまたちょいと水面下へ。


●10月24日(日)

 またちょいと水面下であれこれしておりましたところ、先日の台風のあと今度は新潟で地震だとの知らせです。メディアを通じて知ったかぎりでは余震の多さが尋常ではなく、当地では先月上旬にやや大きめの、といっても今回の新潟におけるそれに較べればじつに可愛いものでしたが、それでも一晩に二度の揺れがあってかなりの不安を感じたものでした。こんなことを書きつけたところで何の意味もありませんが、とにかくお見舞い申しあげます。

 さて、おとといのつづきです。

■江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行記念大宴会

 11月13日夜、名張市鍛冶町にある乱歩ゆかりの料亭清風亭で催します。

 先日、名張市は11月14日の「乱歩狂言」に原作者たる乱歩のご遺族をお招きしていないのだ莫迦と記しましたところ、二人の方から名張市はいったい何を考えておるのか莫迦という抗議の電話をいただきました。お役所の人たちというのはとくにこれといって自分の頭でものを考えているわけではなく、だからこそ人から莫迦と呼ばれている次第ではあり、したがいまして何を考えておるのか莫迦とお尋ねをいただいても私としてはお答えのしようがありません。

 ただまあ三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で乱歩関連事業を手がける「乱歩蔵びらき委員会」がご遺族をご招待申しあげることになったようで、それは乱歩展を開いたりその会場で乱歩と不木の書簡を展示したりするわけですから当然のことではありますが、むろんご遺族のご都合というものもありますからいったいどうなることでしょうか。

 「乱歩狂言」前日の『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)刊行記念大宴会にご遺族のご臨席をたまわれれば、私としては幸甚これに過ぎるものはありません。

 さあ、きょうも水面下が呼んでいる。


●10月25日(月)

 水面下におけるえんやこらの儀、昨日ようやく一段落いたしました。えんやこらとは『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)の三校のことで、きのう出版社に電話でゲラ出しして(つまりゲラを郵便で返却するだけの時間的余裕がなかったわけですが)、校正に関する私のお役目はすべて終了となりました。あとは野となれ山となれ。一日も早く書簡集が完成することを、読者諸兄姉とともに天に祈りたいと思います。

 とはいえ水面下におけるえんやこらの儀はほかにも怒濤のごとく押し寄せてきており、ひとつひとつクリアしてゆくのはさあ大変。本日もまた水面下に赴かねばなりませんが、その前にきのうのつづきを少々。

■生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業失敗記念大宴会

 11月14日夜、名張市桔梗が丘にある料理屋せとで催します。

 せとでの大宴会は、あれはいつでしたか名張市で北村薫さんと宮部みゆきさんのトークショーが開催された日、たぶん2001年のことだと思うのですが、名張人外境の開設二周年を記念して挙行して以来なのですが、当時は鴻之台にあったせとがいまでは桔梗が丘に移転しておりますのでご注意ください。

 この日は午前10時30分から『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)刊行記念トークショー、午後1時から乱歩狂言があり、ほかに「乱歩が生きた時代展」なども開催されておりますので、そうだ、名張行こう、と日帰りで名張に足を運びたいとお考えの方には11月14日が最適です。お誘い合わせのうえお越しください。

 この日の大宴会は三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の失敗を記念して催されるのですが、二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会に要請した公開意見交換会をあっさり拒否された前後からこちらというもの、水面下におけるあれこれがやたら忙しくなって委員会事務局には何の連絡もできておりません。とはいえあんな莫迦どもを野放しにしておくのは伊賀地域の恥でしょうから、白黒はいずれきちんとつけなければなりません。組かしら会がいつまでもおたおた逃げつづけるのであれば、あとは組かしらのみなさん全員を個別に叩いてゆくしか手がないかなとも考えております。

 ちなみに組かしら会というのは、いつかもお知らせしましたとおりおそらく下記のみなさんなのですが、もしも違っていたら関係者の方はご教示くださいね。

池澤基善(蔵びらき組広報班かしら)
田中愛一郎(蔵びらき組こだわり班かしら)
辻村勝則(会長)
中村伊英(はかり組かしら)
中盛汀(おもい組かしら)
北村嘉孝(副会長、秘蔵のくに組ブランド班かしら)
的場敏訓(秘蔵のくに組文人班かしら)
岩佐絹枝(副会長、秘蔵のくに組光と影班かしら)
南出ゆかり(副会長)
高橋徹(芭蕉さんがゆく組かしら)
中井孝佳(秘蔵のくに組体験班かしら)
増永秀美(副会長)

 でまあ、私はこいつらに対して相当な怒りを覚えており、こいつらの心得違いをなんとかしてやってからあらためて三重県知事も叩いてやらねばならんなと考えているのですが、そのための時間がなくていささか困惑しております。

 ところで知事といえば、先日の中日新聞にこんな記事が掲載されておりました。山本真嗣記者の記事です。


「職員の声聞く」野呂県政を絶賛
県職員労組、北川前知事は酷評
 野呂昭彦知事、意外に好評価? 県職員労組(奥山喜代司委員長)は、野呂県政への組合員の評価をまとめた。北川前県政を「パフォーマンス行政でトップダウン」などと酷評する半面、野呂県政は「職員の声に耳を傾け、着実な県政運営」と高く評価。北川前知事が廃止した「課・係制」の復活など、北川改革の見直しを求めている。

 県内の組合員約五千七百人に七月、調査した。野呂県政を評価する点として「外の目ばかり意識していた前知事と異なり、県民や県職員に耳を傾け、親しみやすい」「極端なトップダウンではない」という意見を取り上げ「対話を重視した県政運営姿勢は大いに評価できる」と絶賛した。


 何が「大いに評価できる」だ莫迦。そんな偉そうなこといってる暇があるのならもう少しまともになれ莫迦。この記事には大西康文さんたらおっしゃる県職員労組副委員長の「北川前県政は押しつけの改革で職員も『やらされ感』が強かった。野呂知事は一歩一歩、着実にやろうとしている」とのコメントも記されているのですが、三重県民のみなさん、三重県庁はどうやらすっかり元のぬるま湯に戻ってしまったみたいです。やってられませんな実際。知事も知事なら職員も職員だ。出来の悪い人間同士べたべた馴れ合ってんじゃねえぞ莫迦。ばーか。

 さあ水面下水面下。


●10月26日(火)

 おかげさまで『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)、やっとのことに印刷屋さんへの入稿が終わったようです。編纂関係者一同、人事を尽くして天命を待っております。

 それではきのうのつづきをば。

■伊賀市

 三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でおなじみの伊賀地域には二市三町二村の七市町村があるのですが、名張市を除く六市町村が11月1日に合併し、伊賀市が誕生することになっております。

 名張市民たる私はもとよりこの合併には何の関係もないのですが、それでもお隣のことなんですからやはり祝意は示しておくべきかと考え、大好評連載中の知性派漫才「乱歩文献打明け話」で伊賀市をとりあげました。掲載誌「四季どんぶらこ」は11月21日発行の予定で、当サイトにもいずれ掲載いたしますが、伊賀市のぼんくら議員どもはこまわり君の恰好でもしてコスプレ議会開いてろばーか、といったことが漫才のテーマとなっております。ご期待ください。

■まちかどこども探偵団──からくりのまち事件(続)

 えらいものです。伊賀市のぼんくら議員どもはこまわり君の恰好でもしてコスプレ議会開いてろばーか、などと笑っていたら私までコスプレをする羽目になってしまいました。

 11月13日に当地で開催されるお子供衆向けイベント「まちかどこども探偵団」のことは先日もお知らせいたしましたが、私はこのイベントで坊ちゃん嬢ちゃんに乱歩のことをお話しすることになっており、きのうその打ち合わせに臨みましたところ、

 「イベントスタッフはみんな看護婦とか女子高生とか着物とかいろいろな恰好をすることになってますから中さんもお願いします」

 とのことで、どうやらイベントの趣旨が違ってきているようにも思われる次第です。しかもそのうえ、私がお子供衆のお相手をするのは「乱歩が生きた時代展」の会場となる名張市総合福祉センターふれあいという施設においてなのですが、お役目はそれだけにとどまらず、

 「イベントに参加する子供たちといっしょに名張のまちを歩いてください。新町河原でお弁当をお出ししますから」

 とのことで、どうして私が妙な恰好をしてそこらのお子供衆と名張のまちをうろうろし、お花見でもないのに名張川の土手でお弁当を開かねばならぬのか。どうにもよくわからないのですが、勧進元のお申しつけとあれば従うほかはなく、それならこの機会にひとつ着物をあつらえるかと考えました。

 と申しますのも、私は以前から丹下左膳みたいに墨痕淋漓、南無阿弥陀仏と背中に大書した着物が欲しいものだと思っておりましたので、南無阿弥陀仏なら乱歩の「二銭銅貨」にも通じますからちょうどいい塩梅、よし、これを奇貨として着物の新調に及ぼうと決意したのですが、よく考えてみたら相当の出費を覚悟せねばならず、いやまいった、まいったまいった。

 まいったまいった、どうしようかなと悩みつつ、本日もまた水面下へと赴きます。


●10月27日(水)

 コスプレ問題ではまだ悩みつづけております。やっぱ着物は諦めるか。それはそれとして、ほかの話題をつづけましょう。

■乱歩が生きた時代展(続)

 11月10日から14日まで名張市総合福祉センターふれあいで開催されます。

 この展示会、目玉のひとつは『貼雑年譜』のパネルということになっております。豊島区が昨年1月から2月にかけて池袋西武で開催した「江戸川乱歩展 蔵の中の幻影城」の展示パネルをごっそりお借りして、会場の都合で全部は無理ですから一部をご覧いただこうという寸法です。残念ながら豊島区の乱歩展には行けなかったという関西圏の乱歩ファンのみなさん、この機会にぜひ名張へどうぞ。

 パネルはきのうのうちに豊島区から名張市へ到着しているはずで、準備作業もそろそろあわただしくなってくるころでしょうか。

■宇流冨志禰神社例祭

 宇流冨志禰は「うるふしね」とお読みください。名張のまちに鎮座するこの神社では10月27日と28日に秋祭りが営まれます。私が子供だったころに較べればずいぶんなさびれようですが、それでも名張市内でもっともにぎわう秋祭りではあり、水面下のあれこれを離れて少しは浮かれてみたいと思います。

 ではまたあした。


●10月28日(木)

 テレビニュースなど見ておりますとお祭りだからといってとても浮かれてはいられないなという気になりますが、それにしてもコスプレどうしようかな。

 本日はテレビの話題となります。掲示板「人外境だより」をご閲覧の方なら先刻お察しのとおり、フジテレビ系列で毎週水曜に放送されている「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」のお話です。先週水曜の20日夜、この番組で乱歩に関するトリビアが紹介されました。

 私はうっかり見逃してしまったのですが、Google で「乱歩 トリビア 悪霊」を検索してみたところいろいろなページがひっかかってきましたので、そのひとつ「日々是テレビ。。」なるところから引かせてもらいましょう。これが放送内容にどれだけ忠実なのかは不明ですが、まあこんなところだったのではないかと思われます。

江戸川乱歩は…
推理小説の結末が思い付かず読者に謝ったことがある
八嶋:あややはこれは?
あやや:始めて知りましたが、礼儀正しい方だなぁと思いました。いいと思います、すごく、はい。

江戸川乱歩といえば数多くの名作を生み日本に推理小説を広めた作家であるが、江戸川乱歩に詳しい立教大学の藤井淑禎教授はこう語る。
藤井:はい確かに江戸川乱歩は推理小説の結末が思い付かず読者に謝ったことがあります。それは彼が「悪霊」という作品を連載中のことです。

こちらが「悪霊」が連載されていた本格推理小説の専門誌「新青年」である。そこに記された江戸川乱歩著「悪霊」のストーリーをご覧ください。

連載が開始された1933年11月号。
新聞記者の祖父江が知人の家を訪ねたところ部屋にその姿はなく、鍵のかかった蔵の中で全裸で殺害されていた。死体の発見された蔵は完全な密室。遺留品として謎のマークが記された1枚の紙が発見された。このマークは何を意味するのか?

1933年12月号。
警察の捜査で2人の容疑者が浮上する。しかし詳細は不明のまま。祖父江は知り合いの霊媒師が殺人事件を予言していたことを耳にする。祖父江は知人と共に霊媒師を訪ね犯人を透視するよう依頼。そこで一同は信じられない言葉を聞くことになる。

1934年1月号。
霊媒師は更なる殺人事件を予言。更に「その犯人はこの中にいる」と発現。こうして事件は急展開を迎えたのである。
犯人はこの五人の中に居る。いよいよその秘密があばかれるであらう。二月号発売日一月四日を待たれよ!!

そして

「悪霊」についてお詫び 江戸川乱歩
「悪霊」失敗の一つの理由は、種々の事情の為に、全体の筋立て未熟のまま、執筆を始めた点にあったと思ひますが、脱殻同然の文章を羅列するに堪へませんので、ここに作者としての無力を告白して「悪霊」の執筆を一先ず中絶することに致しました。

確かに江戸川乱歩は 推理小説の結末が思い付かず読者に謝ったことがあった

Q:いつ再開された?
藤井:う〜ん、結局ね、再開されなかったんですよね。とってもいいところまで行っていたんですけども再開されなかった。とても残念なんですけどもね。

乱歩は最後まで「悪霊」に悩まされていた

MEGUMI:まじめな人だ、ほんとに。
ビビる:話はおもしろそうなんですけどね。
タモリ:先の事はなんにも考えてなかったわけだね?

補足トリビア
1)昭和3年(1933)乱歩が39歳の時に本格推理小説雑誌「新青年」の11月号で連載が開始された。
2)乱歩は「悪霊」の連載が開始されたころは大衆向けの通俗小説を書くことが多く、「悪霊」は2年ぶりの本格推理小説復帰作として注目が集まっていた。しかし2年というブランクは予想以上に推理小説に対する勘を鈍らせ、読者が驚くような構想が全く浮かばないという状態に陥り読者に謝罪して連載を中止した。
3)乱歩は非常に義理堅い性格で、デビュー作「二銭銅貨」を連載していた「新青年」からの依頼を断ることができなかった。「新青年」も大人気作家である乱歩の早期連載開始を望み小説の構想が完全に固まる前に見切り発車してしまった。

八嶋:高橋さんのほうから何かありますでしょうか?
高橋:え〜〜、私もいいコメントが全くうかびません。すみません。

江戸川乱歩は 推理小説の結末が思い付かず読者に謝ったことがある 64へぇ

日々是テレビ。。 2004/10/21/04:17

 このトリビアの評判、あまりよろしくないみたいです。いやまいったな。どうも相済みません。テレビ局にこのネタを提供したのは私です。ネタを提供したと申しますか、電話で質問されて適当なこと喋り散らしたのは間違いなく私なんですから、私こそいわば元凶にして悪の張本(はりもと、とは読まないでね。広角打法やってんじゃないんですから)、知らざあいってお聞かせしますが、きょうはこれまでといたしましょう。


●10月29日(金)

 「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」の制作を手がけているのは、番組のオフィシャルサイトによればフジテレビバラエティ制作センターというところですから、たぶんこのセンターからだったはずなのですが、名張市立図書館に問い合わせの電話がありました。8月の下旬、立教学院の創立百三十周年を記念した「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が終幕を迎えたころであったかと記憶します。つまり私が、暑いわ二日酔いだわ官憲にとっつかまるわのさんざんな上京を終えた直後のことでした。

 私は名張市立図書館に常勤しているわけではありませんので、と申しますか、公務員の顔を見ていると腹が立ってくるから、という理由で私はすべての官公庁にできるだけ近づかないようにしておりますので、名張市立図書館もその例に洩れるものではありません。

 あれはいつでしたか、愛知県西春日井郡春日町にあるはるひ美術館の学芸員の方からやはり乱歩のことで名張市立図書館に問い合わせをいただきました。日本画家の嶋谷自然は乱歩夫人の教え子だったのでしょうか、という質問だったのですが、その学芸員の方とは電話で何度もやりとりすることになり、そのおりにも自分は公務員の顔を見ていると腹が立ってくるからそういう機会は可能なかぎり避けるように努めている、名張市立図書館よりは拙宅に電話していただいたほうが捕まる可能性は高いだろう、とお伝えしておいたところ、拙宅に電話してきてくれたその学芸員が、

 「へーえ、やっぱり図書館にはいないんですね」

 と妙に感心してくれたことを思い出します。64へぇくらいは軽く叩き出せていたのではないでしょうか。

 ですから8月にも、これこれこういう問い合わせがあったと名張市立図書館から連絡を受け、私はさっそくフジテレビバラエティ制作センターでしたかどこでしたか、指示されたところに電話を入れました。で、担当者の方からいただいた質問が、

 「江戸川乱歩はトリックが思い浮かばなくて読者にお詫びしたことがある、というのは本当でしょうか」

 といったものだったというわけです。

 トリック、という言葉が使用されていたのかどうか、もとより記憶は曖昧なのですが、トリックという言葉をめぐって悩ましい思いをしたことはよく覚えていますから、たぶんつかわれていたはずです。それがどのように悩ましい思いであったのかは、私がこれから述べるところをお読みいただければよほどの莫迦でないかぎり理解していただけることでしょう。

 さて、質問を受けた私は困ってしまいました。

 「それだけですか。ほかにデータはないんですか」

 と訊いてもみたのですが、視聴者から寄せられたムダ知識はわずかにそれだけとのことでした。うーん、とうなって煙草をくわえ、ライターで火をつけながら私は思考を始めました。

 乱歩ファンならよくご存じのとおり、乱歩というのはじつによくお詫びをした作家でした。短篇といわず長篇といわずあるいは少年ものといわず、乱歩が読者に対してこれを諒せよと謙虚なんだか傲慢なんだかよくわからない詫びを入れた例はそこらにごろごろしています。

 たとえば「火星の運河」です。「新青年」に発表されたとき、この作品の末尾には次のような附記が記されていました。

 (お詫び)読者が失望された如く、これは無論探偵小説ではない。一月ばかり私は健康を害していて、筆を執る気力もないのです。併しこの号には、編輯方針から云っても、どうあっても何か書かねばならず、止むなく拵えものの難をさけて流れ出すままの易についた。片々たる拙文、何とも申訳ありません。一言読者の寛恕を乞う次第です。

 うーん、この文章は『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)の脚注に収録しておくべきであったか。なんてことはともかくとして、これなんかまさしく探偵小説のトリックを思いつくことができなくて読者に詫びを入れた一例だといっても差し支えはないでしょう。

 こうした作品末尾の附記ではなく、堂々と見出しを立てて乱歩のお詫びが掲載された例もあります。連載が休載のやむなきに至った場合の措置なのですが、これとて一度や二度にとどまるものではありません。ほかに編集部が詫びを入れるケースもあって、どの作品だったのか思い出すことができないのですが、乱歩先生から「旅先にて発病」との電報が届きましたので今月は休載です、という旨の編集部の文章が掲載されたこともあったはずです。

 うーん、とうなりながら煙草を喫っていた私は、ますます悩ましい気分になって煙草をもみ消しました。

 悩ましいといえば、ここで嬉しいお知らせです。このところ何も手につかないほど悩まされていたコスプレのコスチューム、ついに決定いたしました。ほんとは丹下左膳みたいな着物が欲しいところだったのですが、出費がかさむこともあってそれは諦め、かわりにお医者さんの白衣を着用することに決めました。イベントスタッフにはナースの恰好をするお姉さんもいるのですから、私がドクターに扮して何が悪いか。

 白衣は借り物で済ますこともできるのですが、私は白衣の背中に丹下左膳のごとく南無阿弥陀仏と大書することを目論んでいるものですから、借り物にそれはまずかろう。新品を購入することにして当該コスプレショーの裏方である三重県伊賀県民局生活環境森林部のお姉さんのご高配をたまわり、きのう近鉄名張駅前にあるユニフォームとワーキングウェアのコトブキで白衣一着を発注しました。

 白衣には六字の名号のほかに美しい血の跡も入れたいところなのですが、お子供衆のためのイベントでショッキングな真似は控えるべきでしょう。ですから血の色をした長いスカーフかマフラーをコーディネートすることにして、いいのがあったらパラソルを片手に名張のまちをうろつきたいなと思います。

 そんなことした日には人から「旅先にて発病」どころか「地元にて発狂」みたいに思われてしまうかもしれませんが、地元では以前から狂人同様の扱いを受けていないわけでもなく、この際ですから地域住民にはっきりと思い知らせてやろうかこら、とも考えております。とはいえ、そんないでたちでは何がなし乱歩ではなく夢野久作ふうの狂人になってしまいそうなのがつらいところなのですが。

 そうだ。白衣の胸には諸戸道雄と書いた名札をつけることにしよう。いやー、乱歩作品の登場人物のうちでもっとも悲劇的な人間の名前を僭称することになってしまいました。乱歩ファン、わけても諸戸ファンのみなさんにはお詫びを申しあげるしかありません。読者これを諒せよ。


●10月30日(土)

 悩ましい気分になって煙草をもみ消した私は、乱歩のお詫びは数々あれど、筆頭に挙げられるべきはやはり「悪霊」のそれであろう、と結論しました。きっぱり! で、「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」制作スタッフにそのことを伝え、お詫びに至る経緯を説明しました。

 「その『新青年』という雑誌はいまでも見ることができますか」

 と尋ねられましたので、

 「もちろん見ることができますが、乱歩は『貼雑年譜』というスクラップ帳を遺していて、『悪霊』に関するお詫びの切り抜きもありますから、それを紹介したほうが面白いように思います」

 とアドバイスしました。『貼雑年譜』には「新青年」に掲載された乱歩の「『悪霊』についてお詫び」という文章がスクラップされているのですが、そのページには「自筆ノ文章」だの「水谷君ノ来訪ヲ求メ、コノ原稿ヲサシ出シテ頭ヲ下ゲタノデアル」だのといった書き込みが見られますから、そうした細部によって乱歩の内面を物語らせるのもいいのではないかと考えた次第です。

 その他もろもろの説明を聞き終えたスタッフは、

 「わかりました。たぶんこれのことだと思います」

 と納得してくれたようでした。しかし私は、いや違う、全然違うぞ、と思わざるを得ませんでした。これでは「江戸川乱歩はトリックが思い浮かばなくて読者にお詫びしたことがある、というのは本当でしょうか」という質問の答えとして適切ではありません。なぜかというと、乱歩にはちゃんとトリックの用意があったからです。

 うーん、俺はでたらめを教えているではないか、と思いながら、しかし乱歩のお詫びといえばとどめは「悪霊」に差されるわけなのだから、やっぱりこれでいいのだ。きっぱり! とも考え直し、

 「このお詫びのことは乱歩ファンにはよく知られているのでしょうか」

 「たぶん周知の事実です。ですからほんとは全然トリビアではないんです。ファンにとってはこんなんどこがトリビアやねんゆう話なんです」

 といったやりとりを最後に電話を終えました。これはネタにはならんだろうな、とも思いながら。

 以来、月日は流れて幾星霜、「トリビアの泉」制作スタッフから問い合わせがあったことも忘れがちになったころ、このトリビアが放送されました。トリビアは「江戸川乱歩は推理小説の結末が思い付かず読者に謝ったことがある」というものだったそうで、ありがたいことにトリックという言葉は使用されておりませんから、「悪霊」にはちゃんとトリックがあったというのに俺はとんでもない嘘を教えてしまったではないか、という私の煩悶は一気に解消された次第なのですが、それでもこのトリビア、乱歩ファンの評判はあまりよろしくないようなので私は困ってしまいます。うーん。

 ところで、乱歩が「悪霊」のために用意していたのはどんなトリックであったのか。ご存じない方は光文社文庫版江戸川乱歩全集第8巻『目羅博士の不思議な犯罪』に収録された新保博久さんの解説「お楽しみ乱歩カタログ」をお読みください。要するに「スミルノ博士の日記」なわけなんですが、このトリビアはいったい何へぇを叩き出せるのでしょうか。

 お話かわってこちら名張市。11月10日に開幕する「乱歩が生きた時代展」の関連記事がきのうの中日新聞伊賀版に掲載されました。伊東浩一記者の記事です。

江戸川乱歩の生家を模型で復元
来月の「生きた時代展」に出品
 元奈良芸術短大教授で名張市つつじが丘北七番町の井上昭さん(72)が、名張出身で日本探偵小説界の先駆者、江戸川乱歩の生家の復元模型を制作した。伊賀地域の官民共同組織「乱歩蔵びらき委員会」の主催で十一月十日から市内で始まる「乱歩が生きた時代展」に出品する。伊賀地域のために何か役に立てればと、委員会の制作依頼を無償で引き受けた。

 名張市新町にあった生家は木造二階建てで乱歩が二歳まで過ごした。現存していない。教授時代に建築模型作りに携わった井上さんは、乱歩の自分史「貼雑(はりまぜ)年譜」の中の生家の平面図を基に制作に入った。

 念のために申し添えておきますと、上記引用の下のアドレスは記事全文へのリンクです。模型の写真もご覧いただけます。

 それから左の人外告知板、久方ぶりで更新いたしました。「24時間まるごと“元祖名探偵・明智小五郎”」のお知らせです。

 ついでにもうひとつ、『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)のお知らせがあす31日、もぐらもちさんの小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」に掲載される予定です。むろん名張人外境にも掲載するつもりなのですが、私はこれから京都に赴き、たぶんへろへろになって帰宅しますのでわれながらちょっと心配。

 さらについでにもうひとつ、というかもうふたつ、立教学院創立百三十周年記念事業の乱歩公開講演会「都市大衆と乱歩ミステリー──「蜘蛛男」から「人間豹」まで」はきょう30日、乱歩研究国際シンポジウム「江戸川乱歩──1920年代・大衆文化社会の光と影」はあす31日の開催です。概要はこのページでご覧ください。

 いやー、こうした情報の提供も含め、もっとこまめなサイト更新を心がけねばならんわけですが。さっぱり!


●10月31日(日)

 さて、いよいよ『江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(副題)のお知らせです。と申しあげたいところなのですが、出版社からメールで送られてくるはずの表紙画像などがまだ届いておりません。ところがもぐらもちさんの小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」ではすでに書簡集の紹介ページが公開され、表紙やチラシもちゃんと掲載されているではありませんか。

 またかよ。

 またこれかよ。

 またこれかよおい。

 じつはこの手のちょっとした手違いと申しますか、ヘマ、ポカ、ボケ、ミス、ドジのたぐいは書簡集編纂過程において日常茶飯事になってしまっており、いまさら驚くにはあたらぬのですが、しかししまいにゃ怒るぞ、と思わぬでもありません。もうしまいなんですけど。

 ともあれここは、書簡集の刊行が目睫の間に迫ったことを素直に喜びたいと思います。嬉しい。めでたい。慶賀じゃ。一時はどうなることかと思った。まあいろいろありましたけど、お力添えをいただいたすべての方に百八十万三重県民を代表してお礼を申しあげる次第です。皆の者、大儀であった。

 といった次第で、詳細は「奈落の井戸」の「子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集」でご覧ください。もぐらもちさんどうもありがとうございました。いやー、思いきり手抜きしてしまいましたけど。