2004年11月後半

●11月16日(火)

 きょうが締切、というお仕事をひとつ引き受けているのですが、このところ「乱歩が生きた時代展」その他で浮かれ騒いでいたために、まったくといっていいほど捗っておりません。これからやっつけにかかりたいと思います。いやー、まいったまいった。


●11月17日(水)

 きょうもまったく時間がありません。きのうはなんとか締切を先送りしてもらって事なきを得ました。しかしいかん。こんなことではいかん。

 二〇〇四伊賀びと委員会事務局からメールをいただきました。

 中 相作 様

  往復書簡集の刊行、講演会、乱歩展等お疲れ様でした。

 過日 組かしら会の開催は、早くて18日と申し上げましたが、御存知のとおり
フィナーレを週末に迎える準備の関係で、今週も開催しないこととなりました。

 事業終了後も会は存続しますので、日程は改めて御連絡いたします。
 よろしくお願いします。

 二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんも11月21日のフィナーレを控えてお忙しいご様子。まあしっかりやってくれたまえ。

 ではまたあした。愛想がなくて相済みません。


●11月18日(木)

 けさの朝日新聞の文化面に名張市で上演された「乱歩狂言」の記事が掲載されておりました。当地の日刊紙は統合版ですから、おそらくきのうの夕刊にでも出た記事でしょうか。東京本社発行版でも読むことができたのでしょうか。えー、お手数ですが朝日の読者の方にご確認いただければ幸甚です。

 とはいうものの乱歩が生きた時代など遥か遠くに過ぎ去ってしまい、押せ押せになっているお仕事のせいできのうなど天智朝だの天武朝だの持統朝だのときには垂仁朝だのを終日うろうろしておりました。きょうは江戸の初期から中期あたりでしょうか。たまに新聞に眼を通すとタイムトラベラーになったような気がいたしますが、このトラベルはもう少しつづきそうです。すまんな皆の衆。


●11月19日(金)

 きのうの当地はかなり冷え込みました。雨もしとしと降りつづきました。時雨が通り過ぎる、といった感じの雨ではありませんでしたが、

 初時雨猿も小蓑を欲しげなり

 という芭蕉の句が忙しいお仕事の合間にふと連想されたりもする一日でした。

 とやや強引に芭蕉の話に持ち込んでしまいましたが、芭蕉生誕三百六十年を記念した「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」はいよいよあすあさって、つまり20日と21日に名張市でフィナーレを迎えます。ざっとした内容は名張市オフィシャルサイトのこのページでご覧ください。

 名張の旧市街地を舞台に13日開幕した「なばりからくりのまちコンテスト」も21日には終了し、一時は気が触れたようになっていた名張のまちもまた死に絶えたような静謐を取り戻すものと思われます。コンテストの概要は名張市オフィシャルサイトのこのページでご覧ください。

 「乱歩が生きた時代展」は一足早く14日に閉幕し、会場に展示した乱歩書簡と不木書簡ならびに豊島区所蔵のパネルと写真もすべて返却いたしましたが、当地で新たにつくったパネルと模型は「まちなか乱歩時代展」という展示会場を設けて21日まで公開しております。まあこんな塩梅なのですが。場所はこのページの地図の3。お暇な方はぜひどうぞ。

 同じく20日と21日、ところ変わって東京都青梅市では「昭和モダンの青梅宿」なる催しが開催されるそうで、いずこもおなじ秋の夕暮といった観がないでもないのですが、ここには菅原香織と妖怪社中による「乱歩音芝居」が登場するそうです。なんか怪しげ。概略は青梅商工会議所オフィシャルサイトのこのページでご覧ください。

 さて、きょうも寒くて雨催いの一日になりそうですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のフィナーレなんて大雨になってしまえばいいのだ。5月のオープニングだって罰が当たって大雨になったんだし。さ、お仕事お仕事。


●11月20日(土)

 雨よ降れ降れと祈ったのに晴れてしまいました。三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のフィナーレは名張市朝日町の朝日公園を会場にいよいよきょう開幕、あす閉幕となります。

 私は押せ押せのお仕事のせいでとても浮かれ騒いでなどいられないのですが、そのお仕事の打ち合わせが本日、まさしく朝日公園のフィナーレ会場で行われることになりましたので、心ならずもちょっとだけフィナーレに立ち会わなければなりません。

 よし、それならばどうせなら、と考えて、私はついに封印を解くことにいたしました。二度と着用はするまいと決めていた諸戸先生の白衣、もう一度だけ袖を通して地域住民の笑いものになってこようと思います。いやー、まいったまいった。


●11月21日(日)

 いけませんいけません。完全に遊んでしまいました。きのうはお昼ごろ三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のフィナーレ会場に赴き、お仕事の打ち合わせは簡単に済ませたのですが、とんぼ返りで家に戻ってお仕事に精励しようと思っておりましたところ、せっかくコスプレで来たのだからと背中に南無阿弥陀仏と大書した白衣姿で会場をゆっくり見物して回り、人から頼まれて名張のまちの案内役まで務めてしまい、ばったり出会った親戚の女の子には泣き出されるわ名張市役所のお姉さんには大笑いされるわ、浮かれ騒いでいるあいだにとっぷりと日が暮れ、こうなったら嘉門達夫ライブまでつきあうかとも考えたのですが、あ、お酒を飲まなくちゃ、と気がついてあわてて帰宅いたしました。お仕事はまったく捗っておりません。

 きょうはいよいよ最終日。フィナーレ会場には何の用事もないのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という愚劣な事業の閉幕を見届けておくのも私の使命かと愚考されます。よし。きょうも諸戸先生の白衣に袖を通そうか。お天気もいいみたいだしな。でもお仕事もあるしな。どうしようかな。悩みは尽きません。


●11月22日(月)

 いやまたしてもころっと遊んでしまいました。きのうは三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の最終日。いても立ってもいられず、諸戸先生のコスプレ姿でフィナーレ会場の朝日公園や名張のまちを終日うろついてしまいました。お仕事はずっとほったらかしです。いかんいかん。生まれ変わったような気持ちになって精励恪勤しなければ。

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」に関しましては、事業が終わったあとには長い長い反省期間が待ち受けているわけで、お役所と一部の地域住民がつるんで血税三億三千万円をどぶに捨ててしまったことはいまさら取り返しがつきませんが、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板閉鎖事件だけは組かしら会のみなさんにきちんと白黒をつけていただき、そのうえで野呂昭彦知事に猛省を促さなければなりません。このままうやむやになんぞできる道理がありません。

 さあ莫迦ども。覚悟しておけ。


●11月23日(火)

 急ぎのお仕事にもきょうあすあたりで目鼻をつけたいなと目論んでいたのですが、よく考えてみたらきょうは神戸で横溝正史生誕地碑の除幕式が営まれる日ではありませんか。除幕式はいいとして、そのあとのお祝いの会だの大宴会だのにはぜひ顔を出さなければと思っておりますので、お仕事はまた少し先送りとなってしまいます。

 お仕事のかたわら「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業批判も継続しなければなりません。本日は下記のメールを二〇〇四伊賀びと委員会事務局に送信しました。

 その節はお知らせありがとうございました。組かしら会の件、ひきつづきよろしくお願いいたします。

 もうひとつお願いしたいのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会はこのあといつ開催されるのか、おわかりでしたらお知らせください。7月29日に開かれた第四回委員会では、第五回の日程は発表されなかったと記憶しております。

 また、第五回委員会は従前どおり一般住民にも公開されるものと認識しているのですが、ぜひとも一般住民が意見を述べる機会も設けていただきたく、こうしたお願いはどこに申しあげればいいのか、あわせてお知らせいただければ幸甚です。もしもおわかりにならないようでしたら、当方から知事にお願いしてみます。

 いつもお手数をおかけして恐縮しております。よろしくお取り計らいください。

2004/11/23

 ちなみに事業推進委員会を構成するのは下記のみなさん。おまえたちはいったい何をやったのか、何かの役に立ったのか、と第五回委員会の席でとっちめてやるべく腕を撫しているのですが、いったいどうなることでしょうか。

野呂昭彦
今岡睦之
亀井利克
岡本勝
垂井正
稲森稔夫
内保博仁
福岡達雄
猪上泰
水谷元
服部忠行
辻村健
中村精一
山本隆夫
堀内俊弘
狭間恵三子
辻村勝則

 あ、第五回事業推進委員会には前伊賀県民局長の高杉勲さんにもぜひぜひおいでいただかねばなりません。じつは21日の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」フィナーレ会場でちらっとお見かけいたしましたので、高杉さんは二度と伊賀地域に足を踏み入れないと決意していらっしゃるわけでもないようです。

 しかし前県民局長にひとことご忠言申しあげておきますと、伊賀市の合併に伴う在任特例の適用に関する前県民局長の発言に対しては、伊賀地域においていまだに批判の声が聞かれるようです。昨年12月22日に開かれた第十一回伊賀地区市町村合併協議会における発言のことです。

 私の手許には11月1日に発行された「新市の名称 果して『伊賀市』でいいのか?」(伊賀百筆編集委員会発行)という冊子があるのですが、そこには編著者でいらっしゃる北出楯夫さんのこんな文章が掲載されております。前県民局長が協議会の委員として在任特例の適用を提案したことに関してなのですが。

委員とは言え一介の地方公務員。いや、一介の地方公務員とは言え、三重県行政を代表する歴とした「伊賀地区市町村合併協議会委員」である。その委員が、これまで「一旦決定したことは変更できない」と頑なに貫いてきたこの協議会の掟(ルール)を破ろうというのである。

 こんなことも書かれております。

 この県民局長の発言には正直な処、びっくりした。一般にはこうしたことを「いたちの最後屁」というそうである。辞書で引いてみると、「いたちが敵に追われた時、悪臭を放って難をのがれること。転じて、せっぱ詰まった時、非常手段を用いること。」とある。現に高杉・県民局長は伊賀の住民に対し、最後に強烈な屁を放って4月1日付で県庁の要職に転じてしまった。自ら手掛けた「伊賀市」の誕生を見ることもなく、また伊賀県民局が民間と協働でやろうと計画した一大イベント「2004年芭蕉さんがゆく秘蔵の国伊賀の蔵びらき」事業の開幕も見ずして・・・・。まさにスタコラサッサの態である。

 私も今年4月に前伊賀県民局長が県庁の要職に転じてしまったことは納得できず、つまり「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が三重県にとってほんとに重要な事業なのであれば、その開幕を目前にした時点で県民局長の首をすげ替えることなんかありえねーだろーが普通はよー、と思いましたので、7月13日の「知事と語ろう 本音でトーク」に参加して意見具申をいたしました際にも事前に前県民局長の出席を要請しておいた次第だったのですが、やつらあっさり無視しやがってよー。いー加減にしろよなー。

 しかしまあ、いつまで無視していられるのでしょうか。私はお仕事の手は抜いてもお役所批判の手は決して抜かない人間だと憶えておいていただきましょう。さ、お仕事手抜きして神戸行ってこようっと。


●11月24日(水)

 昨23日、兵庫県神戸市中央区東川崎町で横溝正史生誕地碑の除幕式が行われました。私は式には間に合わず、生誕地碑近くのパトリシア会館で催されたお祝いの会に潜り込んでビールと日本酒と焼酎をいただいただけだったのですが、お祝いの会のあとで生誕地碑前に立ってみますと、神戸山手大学教授武田則昭さんの設計による生誕地碑は結構アバンギャルド、鉄製のメビウスの輪をふたつ組み合わせてこんな塩梅に仕上がっておりました。以上、取り急ぎ要件のみお知らせして失礼いたします。ほんとにお仕事しなければ。


●11月25日(木)

 二〇〇四伊賀びと委員会事務局から下記のメールを頂戴しました。

中 相作 様
 名張市のフィナーレ事業では、種々御協力いただき、有難うございました。

 さて、組かしら会は、明日開催いたしますが、事業終了直後のため議題が多く、意見交換の時間の余裕がございません。
 つきましては、申し訳ありませんが、明日の意見交換会の開催は見送らせていただきたく、御理解よろしくお願いいたします。次回以降で、出来るだけ早く設定させていただきたいと思います。

 また、お尋ねの事業推進委員会ですが、次回の開催日は未定です。会は一般公開いたしますが、一般の方が意見を述べることができるかについては、調べますので、暫くお待ちください。

 以上よろしくお願いいたします。

 文中の「明日」というのはきょう25日木曜のことですが、組かしらのみなさん何かとお忙しいようできょうの組かしら会開催は見送りになったとのことです。まあいつだってかまいません。気長にお待ちしております。

 事業推進委員会に関しましては、委員会の席上で一般住民にも喋らせろとお願いしている次第なのですが、委員のみなさんは自分たちの耳に痛いことはすべて「雑音」として退ける習性をお持ちのようですから、もしかしたら私に喋らせてなどくれないかもしれません。つまり結局この事業推進委員会なるあんぽんたんぽかん組織は、一から十まで地域住民に顔を向けることなく、ましてや地域住民の正当な批判や真摯な提案に耳を傾けることなどまったくなく、あくまでも行政の無謬性という殻に閉じこもってすべてをうやむやにしてしまうつもりでいるのかもしれません。

 私が委員会の席上でお話ししたいのは、むろん話し始めればきりがないほどいろいろ話題はあるのですが、煎じ詰めればただ一点、この事業推進委員会はただの形骸でありお飾りであり、何の役にも立たぬ組織ではなかったのか、それを委員全員にお訊きしたいということです。おまえらの存在は税金の無駄づかいという言葉を絵に描いたようなものではないのかこら、と私は委員全員に問いかけたい。

 11月21日に名張市内で行われた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」フィナーレ式典で、挨拶に立った野呂昭彦知事は「地域主権」という言葉を口にされました。ちゃんちゃらおかしい。何が地域主権か。いくら莫迦の集まりだとはいえ、地域住民をまじえた官民合同組織として二〇〇四伊賀びと委員会がすでに存在していたのだ。その委員会に権限と予算と責任とを与えて自助の精神を発揮させるのが地域主権ということであろう。それをまあおまえらと来た日にはいったい何なんだ。途中でのこのこ顔を出してきて、いきなり二〇〇四伊賀びと委員会の首根っこを押さえやがったのはどういう了見だ。あの委員会は自分たちの自立性や主体性なんてことに思いも及ばぬ莫迦揃いであったからよかったようなものの(ということは地域主権の担い手になんぞ逆立ちしてもなれない連中だということなわけだが)、伊賀びと委員のなかに一人でもまともな頭を持った人間がいたらただでは済んでいなかったことであろう。いやまあ、俺だってこのままただで済ますつもりはないのであるが。とにかくあれだ。おまえら事業推進委員会の存在そのものが知事のいう地域主権という言葉を見事に裏切っているわけだ。よほどの莫迦でないかぎりその程度の理屈は理解できるはずなのだが、とにかく会長をはじめとして委員全員、思いきり叱り飛ばしてやるからそう思え、と思って私は事業推進委員会で発言させろと迫っているわけなのですが、ほんとにどうなることでしょうか。

 もしも事業推進委員会での発言が認められないとなると、ほかには知事に文書で回答を求めるくらいのことしかできないように思われますが、あの人は地域住民の問いかけにまともに応えようとはしませんからな。まったく、県民を愚弄するのもいい加減にせんかこら。


●11月26日(金)

 いわゆる三位一体の改革は本日午後の政府与党協議で全体像が正式決定されると伝えられますが、こんな時代に「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会などという無駄な組織を平然と発足させたのはいったいどこの莫迦か。こら莫迦。出てこい莫迦。

 みたいなことも私は事業推進委員会の席上で質問したいなと考えているのですが、顧みますれば私はそもそもの最初から現在まで同じことばかり質問したり発言したりしているわけで、事業推進委員会に関しましても委員会事務局が私の質問にまともに答えていてさえくれればいまごろこんな話題を持ち出す必要もないわけなのですが、事務局が説明能力というものを甚だしく欠いているのですからなんとも致し方ありません。

 というか、説明のしようがないのでしょう。事業推進委員会なんて深い考えもなくただの思いつきでつくられた組織なんですから(むろんこうした思いつきの土壌にはお役所のもたれ合い体質やなあなあ体質や責任回避体質が存在しているわけですが)、事務局であれ会長であれ委員であれ、委員会の存在意義を明確に説明できる人間なんて一人もいやしないことでしょう。

 とはいえ、事業推進委員会が何の役にも立たぬ無用の長物であったことは会長でいらっしゃる野呂昭彦知事によってしっかり証明されております。本年7月29日、ウェルサンピア伊賀で開催された第四回事業推進委員会において、知事は議案のひとつだった平成15年度補正予算の専決処分について、予算の詳細が明示されていないからこれでは県民に対する説明責任が果たせていないと指摘なさいました。

 当時の伝言にも記したことではありますが、知事のこの指摘は遅きに失した出し遅れの証文に過ぎず、たかが八百万円あまりの広報費の増額に目くじらを立てるのであれば、昨年12月25日に三重県上野庁舎で開催された第二回事業推進委員会の席上で示された三億三千万円の予算案を前にしてどうして目くじらを立てなかったのか。あの予算書が県民に対する説明責任をこれっぽっちも果たせていないものだということを指摘したのであればまだしも、あんな杜撰な予算をしゃんしゃん通しておきながら事業が始まったあとになって思い出したように説明責任をうんぬんするとはいったいどういう了見か。

 しかしまあ、知事のこの出し遅れの証文によって第二回委員会における予算案の審議は砂埃ほどの有効性も伴っていなかったことが証明されたわけで、要するに事業推進委員会など形骸にしてお飾り、税金を無駄づかいしただけの無用の長物であったことはいまや明々白々なのであると申しあげておきましょう。

 さて、第五回事業推進委員会はいつごろの開催になるのかな。三重県はいつまで県民を愚弄しつづけておるつもりか。せいぜい早い目に招集していただきたいものだと思います。


●11月27日(土)

 いやー、まったくもってちゃんちゃらおかしい。きのう全体像が示されたいわゆる三位一体の改革のことですが、既得権益に恋々とする官僚や族議員のおかげでえらいことになっております。これじゃ地方分権なんて進むはずがありません。

 昨日付中日新聞三重版では、われらが野呂昭彦知事が全体像の正式決定を俟たずしてすでに激怒していらっしゃることが報じられておりました。山本真嗣記者の記事から引用いたしましょう。

三位一体改革
野呂知事「結果次第で強硬手段」
 三位一体改革は国からの補助金削減とそれに代わる税源移譲、地方交付税の見直しを一括して行うが、谷垣財務相は「現在の地方財政計画は過大計上」などとして、大幅に地方交付税を削減する考えを示している。

 野呂知事は財務省が「過大計上」として示したリストを手に「国で効果が上がらないことを地方が頑張ってやっているのに、怒り狂うほど腹が立つ」と激怒。「国は自分の権益を減らさないために、分権に誠実に応えようとしていない」と痛烈に批判し「結果次第で強硬手段も検討しなければならず、全国知事会が作業を進めている」と述べた。

 「怒り狂うほど腹が立つ」とはまた穏やかではありませんが、私とて三重県の不誠実さに対して怒り狂うほど腹を立てておりますので、というかもう完全無欠なまでに怒り狂って烈しく劇しく激怒しておりますので、そのあたりのことは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の第五回委員会で知事にしっかりお伝えしたいと思います。

 ちなみに知事が「強硬手段」とおっしゃっているのは法定受託事務の返上のことなのですが、この暴挙(と私には判断されます。現時点での話ですが)は回避されたようです。地方六団体の見解を見ておきましょう。

三位一体改革全体像、地方6団体は苦渋の容認へ
 全国知事会など地方6団体は26日、三位一体改革の政府・与党合意を容認する意向を表明した。義務教育費国庫負担金8500億円の税源移譲や地方交付税の総額確保などが盛り込まれたことを評価した。ただ「重要な事項が先送りされるなど問題点もある」とも指摘。今回見送られた施設整備関係の補助金廃止などを実現するよう注文をつけた。

 梶原拓知事会会長(岐阜県知事)は「(点数は)60点。ぎりぎり受け入れられる最低の線が出た」と語った。容認の理由として6団体は、義務教育費の税源移譲のほか、公共事業関係の補助金の交付金化について地方の裁量性を向上させるとしたことや、国と地方の協議の場の常設が盛り込まれたことを挙げた。

日本経済新聞 NIKKEI NET 2004/11/26/22:34

 しかしまあ、三位一体の改革とやらがこんなていたらくになるのは容易に予想されたところではあり、私など賢くも遥か二年前、2002年11月の時点で今日を予見してそれを漫才にしております。一部を引いておきましょう。

「君は十一月一日の新聞読みましたか」
「読んでるはずですけど」
「政府の地方分権改革推進会議がまとめた最終報告の記事が載ってたんですけど気ィつきませんでしたか」
「なんやきょうの漫才はえらい物堅い展開になりそうな感じですな」
「要するに地方分権を進めるために何をしたらええのかゆう話なんですけどね」
「その最終報告が出たわけですか」
「話が全然違うてきてますねん」
「どんな話になってるんですか」
「首相は国と地方のあり方について三位一体の改革を目指すとゆうてたんです」
「三位一体といいますと」
「まず補助金を削減する」
「国から地方への補助金を減らそうと」
「そのかわり税源を移譲する」
「国から地方へ税源を移そうと」
「そして地方交付税の見直しを進める」
「これもやっぱり国から地方へのお金の流れを見直そうゆうことですな」
「地方のことは地方に任せるゆうのが首相の方針やと報道されてますからね」
「つまりお金も地方に任せましょうと。そのための会議やったわけですね」
「せやのに最終報告では地方への税源移譲についてまったく言及がないんです」
「それでは三位一体になりませんがな」
「十一月一日の日刊各紙は社説でいっせいにこの問題をとりあげました」
「かなりの大問題ゆう感じですね」
「読売の社説は『地方分権報告/税源移譲なしに改革は進まない』」
「なるほど」
「朝日は『地方分権/これが改革とは恐れ入る』。中日は『地方分権/これでは前進しない』」
「叩かれっぱなしですがな」
「あの産経でさえ『地方財政改革/利害排し真の自立目指せ』と叩いてます」
「あの産経でさえゆうとこがどうも気になりますけど」
「とにかくもう無茶苦茶な話なんです」
「たしかに話が違うてきてる感じです」

 詳細は当サイト「乱歩文献打明け話」の第二十三回「探偵講談上京記」でお読みください。ちょうど旭堂南湖さんの探偵講談東京公演が催されたころのお話です。なんか懐かしいなあ。

 いやいや、感懐に耽っている場合ではありません。上記の漫才を踏襲し、試みに本日付主要紙の社説を眺めてみましょう。

 まず朝日。

■三位一体改革――これが自民党の分権だ
 国と地方の税財政を見直す三位一体改革の節目が、先送りと玉虫色の数字合わせで終わった。小泉首相が口にしてきた「地方にできることは地方に」は、土壇場で「来年にできることは来年に」になってしまった。

 地方自治体には厳しい内容である。要らないと言った補助金が温存される。削減額が示された補助金も、どのように削るのかはさっぱりわからない。地方への税源移譲は、06年度までに首相が約束したはずの3兆円に届きそうにない。

 いかに自民党や霞が関の官僚に「補助金分配業」の習性がしみついていることか。金と権限に根ざした中央集権構造はやすやすとは変質しない。そんな現実を見せつけられた。

 つづいて産経。

■【主張】三位一体改革 納税者の視点を忘れるな
 国と地方の税財政のあり方を見直す三位一体改革の全体像が示された。補助金を二兆八千億円削減し、二兆四千億円を地方に税源移譲する内容だが、数字合わせの感は否めない。問題の核心である地方交付税改革も明確な方向性が出されず、改革の理念が伝わってこない。納税者を忘れた議論の結果としか言いようがない。

 「地方にできることは地方で」の三位一体改革は国と地方の行財政をスリム化し地方の自立を目指す。国から地方への補助金を削減し、地方が自由に使える税源を国から移すのも、地方の財源不足を穴埋めしている地方交付税を見直すのも、このためだ。

 この基本理念に今回の全体像を照らしてみると、改革と呼ぶにはほど遠い。地方は既存財源額の確保しか考えず、補助金を通じて地方への影響力を保ちたい中央官庁や自民党族議員らが強く抵抗したからだ。

 次は毎日。

社説:
国と地方の予算 三位一体が聞いてあきれる
 政府・与党が地方財政の三位一体改革の全体像を決定した。焦点となっていた義務教育費の国庫負担金削減は地方6団体が主張している8500億円の半分の4250億円を05年度に実施することが盛り込まれた。社会保障関係では国民健康保険の補助金削減は7000億円と明記されたが、生活保護費は先送りされた。

 これまでの政府部内や政府・与党での議論では、地方交付税交付金改革がほとんど手付かずであるうえ、05、06年度での補助金削減・税源移譲額3兆円が自己目的化するなど、内容の乏しいものだった。26日の合意もその延長線上だ。

 本来、三位一体改革が目指しているのは、たんなる補助金削減や税財源の移譲ではなく、地方分権の推進や、国、地方を通じた予算改革、財政改革を加速するところにあった。その点では、税源移譲額が3兆円に達しなかったことも含めて、全体像は不十分なものといわざるを得ない。

 今度は読売。

[三位一体改革]「数合わせに使われた『義務教育』」
 理念を欠いた数合わせに終始した印象である。

 国と地方の税財政を見直す三位一体改革の政府最終方針が決まった。

 3・2兆円の補助金削減を求めた地方案を大枠で受け入れ、来年度からの二年間で、2・8兆円の削減を打ち出した。税源移譲額は、今年度分を含め約3兆円とするが、内容が固まったのは八割程度だ。残りは来年以降の調整に先送りした。

 「地方案を極力尊重する」との小泉首相の意向を受け、政府・与党の調整は、3兆円の目標達成に精力が注がれた。肝心の内容は二の次だった。

読売新聞 YOMIURI ON-LINE 2004/11/27/02:11

 最後が中日。

分権を阻む省庁の抵抗
 三位一体改革の全体像は、補助率の引き下げで省庁の権限を維持しようとする意図がありありだ。改革の目的である地方分権を進めるには、思い切った補助金の廃止が必要ではないか。

三位一体改革

 国と地方の税財政改革である「三位一体の改革」の全体像が、やっとまとまった。

 この改革は、国から地方への補助金と地方交付税を削減し、見返りに税源を地方に移譲することを通じて、「地方の権限と責任を大幅に拡大」しようというものだ。

 しかし、全体像は、そのうたい文句を裏切る結果となった。省庁が権限を維持するため、利権に連なる族議員の応援を得て抵抗し、結論の先延ばしや補助率引き下げでお茶を濁したからである。

 以上で引用を終わります。なんか疲れましたので本日はこのへんで。


●11月28日(日)

 つまり私は憚りながら二年も前からいわゆる三位一体の改革の行く末を案じており、それに照らして考え合わせれば三重県によるばらまきの連鎖もここらで断ち切る必要があろう、もとよりお役所の人間などというものは行政の無謬性という妄想にいまだに取り憑かれていてどうしようもありゃしないのであるが、そこは官民合同、民の立場の人間が官のばらまきを批判し見直しを迫ればいいではないかと、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業批判のそもそもの最初からそのように指摘してきたわけなのですが、民も官も何もわかっておらなんだ、自分たちの国や地方がどんな状況に置かれているのかがさっぱり理解できておらなんだという寸法です。

 この事業を批判する文章が昨日付伊和新聞(名張市で発行されている地方紙です)のコラム「伊和天地」に掲載されておりましたので、一部を引いておきましょう。いきなり誤植(というか誤変換)がありますが、とりあえずママということで。

▼振り替えれば、約300の事業に?億円の予算(税金)を投入。果たして、どれだけの住民が恩恵を受けたのだろうか。何人が参加したのでしょう。催しの中には各市町村が続けていたものに色付けしたものもあったし、それ以上に舞ったチラシは枚挙にいとまがない▼今、人知れずほくそ笑んでいる業者もいることだろう。世間が「不況、不況」とわめいている中、行政の台所というのはマカ不思議だ。どういう仕組みで、財政的に何がどう厳しいのか。「金をドブに捨てるようなもの…」と吐き捨てる声は何を意味しているのやら▼先日、この半年間の事業に携わっていた関係者が「名張にとっては大きなカンフル剤になった。盛り沢山に展開されたイベントをどういう形で継承していくか。これからが問題で頭が痛い」と、ぼやきながらも新しいメニューに苦慮していた。現時点でこういう姿勢が行政にあるだろうか

 意味の酌みにくいところもありますから補足しておきますと、「各市町村が続けていたものに色付けしたもの」とは、伊賀地域七市町村それぞれが以前から実施していた前例踏襲イベントをこの事業に組み入れ、そうすることで本来なら市町村単独でまかなわなければならなかったイベントの予算に事業予算をちゃっかり分捕ってきた、みたいなことです。

 いかにも中央支配に馴れきった人たちの考えそうなことです。きのう引用した朝日の社説には「いかに自民党や霞が関の官僚に『補助金分配業』の習性がしみついていることか。金と権限に根ざした中央集権構造はやすやすとは変質しない」とのくだりがありましたが、地方だって負けてはおりません。補助金の貰い癖は習い性となって体質化しております。しかしこうなりますと県がばらまいた予算を市町村がしっかり懐に入れたというだけの話に過ぎず、事業の趣旨や理念なんてとっくの昔にどっかに行ってしまっていると申しあげざるを得ません。

 つづきましては「名張にとっては大きなカンフル剤になった」という箇所、何がカンフル剤になったのか、どうにもよくわかりませんが、11月に名張市内で催されたフィナーレイベントを意味しているのであれば、あれが名張というまちの活性化ないしは再生のためのカンフル剤になったと見るのはきわめて独りよがりで客観性のない見解だというしかありません。まあ「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業そのものがとんでもなく独りよがりなものではあったわけですが。

 「盛り沢山に展開されたイベントをどういう形で継承していくか」という点に関しましては、まだやる気か、気は確かか、と申しあげておきましょう。ここまで来るとイベント中毒あるいはイベント依存症と診断するしかありません。バブルの後遺症をいつまで引きずっておれば気が済むのか。

 最後の「現時点でこういう姿勢が行政にあるだろうか」につきましては、お役所にそんなものあるはずがありません。だいたいが最初からありません。あってたまるか、と私は思います。

 さて、面と向かって批判している人間は私くらいなものでこそあれ、陰でぶつぶつ批判めいたことを口にしている人間は少なからずいるらしいこの「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業、第五回事業推進委員会の開催がいつになるのかはまだお知らせいただいておりませんが、どうせなら掉尾を飾って元凶にもご出席いただきたいものです。あの方は何とおっしゃいましたか、えー、北川正恭さんとかおっしゃいましたか、つまり三重県の前知事です。こんな愚劣なばらまきを考えついたのはあの人のはずなんですから、ここはひとつ三重県の現知事と前知事、ふたり並べてまとめて叱り飛ばしてやりたいものだと思っております。


●11月29日(月)

 もう11月も29日ですか。これはまいった。まいったまいった。ひたすらまいりながらまたあした。


●11月30日(火)

 11月もきょうでおしまいですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会はいったいいつになったら開かれるのでしょうか。第四回委員会で決めておくべきだろうがこんなことは、と私は思います。

 そういえば、第二回事業推進委員会は昨年の12月25日というどこから見てもどさくさまぎれとしか思えない日程で開催されたものでしたが、第五回委員会もやはりどさくさにまぎれて開かれうやむやのうちに終わってしまうのでしょうか。しかも第二回同様、地域住民の正当な批判を「雑音」のひとことで切り捨てるような暴挙が堂々とまかり通ってしまうのでしょうか。ほんとやんなっちゃう。

 いやいや、事業推進委員会が開催されない可能性だってあるわけで、だからこそ私はこうやって次の委員会はいつ開催されるのかと事務局に問い合わせ、自分のサイトにこんなこと書いてなんとか第五回委員会が開かれるよう画策をつづけている次第なのですが、向こうがいつまでもぐずぐずしているようだったら知事に直談判することにでもしましょうか。

 あ。思い出した。まだ来てない。まだ返事が来てません。私は昨年12月10日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関して知事に聞いてもらいたいことがあると三重県庁知事室にメールで依頼し、いつまで待っても返事がないものですから19日になって知事室に電話を入れてみたところ、私の依頼は生活部で検討しているところであるとの回答を得たのですが、その生活部からの返答がいまだにとどいておりません。遅ッ。おそすぎッ。えー、生活部の部長さんは宮村由久さんとかおっしゃいましたか。いったいどうなっておるのか。気が向いたらそのうちメールでこの部長さんに問い合わせてみることにでもしましょうか。

 しかしいかんぞ三重県は。こんな不誠実なことではほんとにいかんぞ。莫迦は莫迦なりにもうちょっと真面目にやってくれたまえ。