![]() |
![]() |
2004年12月前半
|
●12月1日(水) 莫迦なことばかりやってるあいだに12月になってしまいました。市町村合併によって伊賀市が誕生した11月1日から早くも一か月が経過したことになります。いやー、まいった。何がまいったのかと申しますと、伊賀市の発足を記念した漫才が掲載されるはずの地域雑誌「四季どんぶらこ」がまだ出ません。とっくに発行されていなければならぬはずなのですが、もしかしたら廃刊に追い込まれたのでしょうか。困ったな。漫才なんてネタの新鮮さが命なんですから、このまま腐らせてしまうのはいかがなものか。ということで掲載誌が出るより先に「乱歩文献打明け話」に掲載してしまうことにいたしました。伊賀市のみなさん、どうぞ読んでね笑ってね。 |
●12月2日(木) きょうもきょうとてそそくさと失礼いたしますが、急ぎのお仕事もおかげさまでようやく一段落しそうな見込みです。ではまたあした。 |
●12月3日(金) おかげさまで昨日、いや別におかげさまというわけでもないのですが、伊賀市議会初の定例会が無事に開会されたようです。議員先生は総勢七十九人、ところが合併前日の10月31日にお亡くなりになった方があったらしく、総数は七十八人となってしまったのですが、いずれにせよとても旧上野市役所の議場には収まりきらず、三重県上野庁舎七階の大会議室が仮議場として使用されたとのことです。あほをあほほど抱えるとこうした事態に立ち至ってしまうわけです。 伊賀市の発足は11月1日のことでした。初の臨時会は11日に開かれて正副議長などが選ばれ、伊賀市長選挙は21日、これはつまり「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の最終日で、私のコスプレ期間の最後の日でもあったのですが(そういえば、コスプレ用の白衣を洗濯したら南無阿弥陀仏という文字のプリントがかなり剥離して色も褪め、なんかよれよれになってしまいました。どうしたらいいのでしょうか。二〇〇四伊賀びと委員会事務局に赴いて、プリント技術担当のまめ本さんに相談したほうがいいのかもしれません)、まずは順調にことが運び、きのうの定例会初日には伊賀市長の力強い所信表明も行われたそうですから、ここはひとつ伊賀市の出発に対して心からお慶びを申しあげておきたいと思います。 伊賀市という地名をテーマにした私の爆笑漫才が掲載された地域雑誌「四季どんぶらこ」は、本来であればまさしく伊賀市長選挙の当日、11月の21日に発行されているはずだったのですが、なぜかいまだに届きません。届いたらいの一番に伊賀市の市長さんと議長さんにお送りしてご挨拶を申しあげようと思っておりましたのに、残念ッ、「四季どんぶらこ」は廃刊なのかな斬りッ、みたいなことになってしまいました。仕方ありませんから漫才は12月1日に当サイトで公開したのですが(未読の方はこのページへどうぞ)、今回の漫才はシリーズ最高傑作の呼び声も高く、掲載誌の廃刊とともにこの連作漫才が中断に追い込まれるのはじつに残念きわまりないことです。いやいや、まだ「四季どんぶらこ」が廃刊と決まったわけではないんですから、あまり先走ったことはいえないわけですが。 さて、急ぎのお仕事にもようやく目鼻がつきまして、とはいえ完全な仕上がりまでにはまだまだ手間がかかるのですが、いささかの時間的余裕も生じるはずですので、そろそろ「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」のフィナーレを飾るべく、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会のお相手でも務めることにいたしましょうか。とはいえ、いくらお願いしても向こうがいっこうに相手にしてくれないわけなのですが。 |
●12月4日(土) どうも啖呵の切り方を忘れてしまったようです。困ったものです。「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」のフィナーレを飾るべく、まず「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会という完全無欠なまでに無駄であった組織を軽く蹴飛ばしてやろうと考えて、委員会の事務局には第五回委員会で俺にも喋らせろとの要請を先日メールで伝えたわけなのですが、どうせなら委員会の会長でいらっしゃる知事にもお願いしてみようと知事宛書簡を書き始めてみたところ、ついつい受け狙いに走ってしまってどうにも啖呵が切れません。 書簡の冒頭をご覧いただきましょう。
冷静に自己分析してみますと、おしまいのほうの「じつはそんなことはどうだってよろしく」あたりで受け狙いへの横滑りが始まっている印象で、事実このあとは横滑りが本格化してしまってどうにもいただけぬ展開となっております。そこで(何がそこでなんだかよくわかりませんが)、三重県生活部の部長さんにメールをお出ししてみました。
県職員というのは県民に対してもう少し誠実であるべきだと私は思います。恐惶頓首。 さて、きょうもきょうとて「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」に精を出すぞ。これが終わったらそのあとは「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」だ。その前に「じゃーん。伊賀市はんが市に改称してくれんかねキャンペーン」も手がけたいところなのであるが、とてものことにそんな余裕はあるまいて。とにかく三重県および伊賀地域ならびに名張市の莫迦のみなさんにものの道理と人の道とを説いてやらねばならんのじゃ。たまりませんなあ実際。 |
●12月5日(日) 受け狙い路線を変更して、しかし啖呵を切ることもなく、とりあえず知事宛書簡をまとめてみました。こんな感じです。
末尾の日付があすのものになっているのは、あしたプリントアウトして投函するつもりだからです。さて、どうなるのかな。どうにもならないのかな。 |
●12月6日(月) さあ週明けだ。今週も飛ばすぞ。とはいうもののなんだかぼんやり。かなりお酒が残っております。いかんなどうも。 |
●12月7日(火) さて昨日、私は野呂昭彦知事宛の書簡を投函いたしました。それも速達どっせ。文面は12月5日付伝言でご覧いただいたとおりです。私には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会という組織が何の役にも立たぬ単なるお飾り、税金を無駄につかうためにつくられた無用の長物でしかないと思われるのですが、委員会の会長でいらっしゃる知事ははてさてどのようにお考えなのか、ようやく次回の委員会でお聞かせいただけることになりました。いやいや、甘いか。大甘か。天津の甘栗か。 天津飯だかメロンパンだか知りませんが(なんか俺って錯乱してない?)、とにかく一遍くらいまともに答えてくれたかてよろしやないかいな三重県の関係者のみなさん。知恵が足り苦しおまんのか。いやもちろん知恵の問題もあるのでしょうが、事業推進委員会のことを誰一人としてまともに説明できないのは、そもそもこの委員会が深い考えもなくただの思いつきでつくられた組織であるからだと判断されます。委員会の必要性をまともに考えた人間などただの一人もおらんかったのではないかと私はどんッ、踏んでおります。ちなみにどんッ、ていうのは踏んだときの音です。オノマトペどっせ。小野又兵衛とはちゃいまっせ。 存在意義すら説明できないような組織つくってどうすんの。みなさん普段からべたべた馴れあったりもたれ合ったりなあなあ感覚でお仕事してるからこんな不様なことになるんですけど、結局はみなさんの習い性、責任回避のためなら何だってやりますというほとんど体質になってしまった職業倫理にこそ問題があるのであって、お役所では組織や機構をできるだけ複雑にして責任の所在を曖昧にしてしまうことがいわば常態と化してますからついつい余計な組織がつくられてしまうんですけど、そんなことじゃ駄目駄目、駄目ざんしょ。 駄目ざんしょって私ひとりが息巻いてても仕方ありません。事業推進委員会の委員各位にあたいたちゃほんッとに駄目ざんしたってことを認識していただかなければなりません。次回の事業推進委員会で発言の機会をいただき、懇切丁寧に委員会の駄目っぷりを指摘説明解説してさしあげたいと愚考しておりますので、あんまりつれねえことはおっしゃらねえでくだせえやし。番場の忠太郎か俺は。 ところで、11月9日の知事の定例記者会見で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のフィナーレが槍玉に、いや槍玉ではありませんけど発表事項として扱われておりましたので、一部を引いておきます。
まあこんなふうにおっしゃるしかないのでしょうけど、三億三千万ぶち込んで前年比二割増の入れ込み客数達成と来ましたか。事業の趣旨目的が違ってきてるような気もしますけど、とにかくよござんしたよござんした。しかし伊賀地域のことなんて全然発信できてませんし、だいたいこんな事業が実施されたことを知らない名張市民もいっぱいいますし、それにひきつづきも何もすでにすべては一過性のものとして終わってますから。嘘だとお思いでしたらぜひまた名張においでください。まちは死に絶えたように静かですから。 |
●12月8日(水) 私の知事宛書簡は無事に到着したのでしょうか。県庁には届いたとしても知事室職員の手で闇から闇に葬られ、知事にはお読みいただけないのかもしれませんが、そんな姑息な真似はいい加減にやめたほうがいいずら。いくら隠したって私は自分のサイトで書簡の内容を公開しており、その書簡に記した要請が頭から無視されたとなるとまたきゃんきゃんきゃんきゃん騒ぎ立てます。三重県知事ってのはほんとに不誠実だなと判断せざるを得なくなります。それが風評となってじわじわ広がったら、そんなことはないと思いますけど次の選挙に風評被害が出ることにもなりかねません。知らんからね実際。 とはいえ、私は知事に説明を求めているだけであって、不合理なことや理不尽なことはいっさい申しあげておりません。ごくまっとうなことしか申しあげていないつもりです。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会なんて必要ないだろうがと次回の委員会でお訊きしたいとお願いしているだけなんですから、その要請を容れたうえで、次の委員会においてこの委員会はこれこれこういう理由で必要であったと、あるいは、たしかにこんな委員会は必要なかったと答えていただければいいわけです。 ただし昨年12月の第二回委員会冒頭の挨拶みたいに、過去の事例に照らしても事業推進委員会はこれでいいと思っているなんて感じのですね、お役所そのままの前例墨守体質をゆくりなくも剥き出しにしてしまった(三重県はいまだに封建時代か)根拠もくそもなく単なる言い逃れに過ぎぬ説得力ゼロの見解をお示しいただいても困ります。とにかく一度でいいからまともになってくれんかね。県民に顔を向け、県民の声に耳を傾けてくれんかね。 いっぽう二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会のみなさんはと申しますと、いまごろは何をなさっているのやら、その後さっぱり音沙汰というものがありません。早く非を認めて楽になったらよさそうなものなのに、いつまでうじうじなさっていらっしゃるのでしょうか。私は掲示板閉鎖事件に関する組かしら会の見解をお聞きしたうえで、事件の本質を見ようともせずへっぽこ事務局の説明を鵜呑みにしてことを済まそうとした三重県知事を叩いてやらなければなりません。できれば年内に白黒をつけてしまいたいと考えているのですが、いったいどうなることでしょうか。 おおそうじゃ。県生活部の部長さんからもいまだお答えが届いておりません。三重県と来た日にゃあっちもこっちも見ざる聞かざる言わざるで、いざとなったら電光石火の言論封殺か。おおそうじゃ。言論封殺という言葉で思い出しました。11月の13日、私はこんなことを経験いたしましたずら。 私が「伊賀・夢・街道づくり協議会」と「伊賀びとのおもい実現委員会」というなんだか得体の知れぬ団体が主催する、しかしその実態は三重県の事業にほかならない「まちかどこども探偵団」というイベントでドクター諸戸に扮しながらお子供衆のお相手を務めたときのことです。私はお子供衆のみなさんに、きょうのこの催しにも当然お金がかかっている、それは県民の税金である、探偵団諸君も税金の無駄づかいにはくれぐれも目を光らせてくれたまえ、みたいなことを話そうとして、まずその前段としてお役所とはいったいどんなところなのかを説明しようと思ったのですが、あまり時間がなかったものですから、 「えー、お役所のことを説明している時間がありませんので、みなさんきょうおうちに帰ったら夕ご飯の時間にでもお父さんに訊いてみてください。何を訊くのかといいますと、お父さん、お役所仕事って何ですか? あるいは、お父さん、税金泥棒って何のことですか? あるいは、お父さん、遅れず休まず働かずってどういう意味ですか?」 ここまで喋ったときのことです。たたたたたッ、と私の近くまで駈け寄ってきたイベントスタッフの県職員のお姉さんから「そういう話題はやめてくださいッ」と強烈な釘を一本かつーんと差され、たじたじとなった私は「ありゃりゃッ」と泣く泣く話柄を転じた次第であったのですが、この三重県にゃ言論封殺が充ち満ちているのかもしれません。しかしこのときの私の話は当日のコスプレ仲間だった(つまり「伊賀・夢・街道づくり協議会」のメンバーでいらっしゃる)Uさんの奥さんには大好評で、久しぶりでお会いしたのですが、 「いや中さん健在やねえ。県の人怒ってたけどあの話は面白かったわ。もっとつづけたらよかったのに」 と激励のお言葉を頂戴しましたし、コスプレ姿で名張のまちを歩いているときにはやはり久方ぶりでお目にかかったAさんの奥さんから、挨拶して別れ際にはっしと引き留められ、 「あ。あれすごい面白かったです。『伊賀百筆』。あれ読んでほんまに胸がすっとしました。あんなん書いてくれるの中さんだけやわ。どうもありがとう」 とお礼までいわれてしまいました。「伊賀百筆」というのは私が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業批判を全面展開した「伊賀百筆」第十三号のことなのですが、私がこうして地域住民の圧倒的な支持と共感を獲得できているのは私の主張がごくまっとうで理に適ったものだからであり、事業の不合理や事業関係者の理不尽を正当に批判できているからであると思われます。事業関係者のみなさんはいかがお考えでしょうか。 |
●12月9日(木) またこんなのが出回ってるみたいです。saya_end_u@yahoo.co.jp のさやかちゃんからのメールです。
憶えてますかと尋ねられても心当たりがありませんし、連絡しようにもさやかちゃんのことなんか全然知りませんでしたし、だいいち私はしょーた君ではなくてしょーさく君なんです。さやかちゃん、あんた間違ってますから。残念ッ。さやかちゃんのお相手はのび太君じゃなかったのって突っ込もうと思ったけどよく考えてみたらあれはしずかちゃんだった斬りッ。 さ、莫迦はほっといてきょうの話題です。まず昨日付朝日新聞伊賀版の記事を朝日のオフィシャルサイトから引用いたしましょう。
毎日新聞の伊賀版はこんな具合です。
つづいて中日新聞の伊賀版から。
いやー、まいったまいった。私が地域住民の圧倒的な支持と共感とを獲得していることはきのうもお伝えしたとおりなのですが、こういった新聞記事に名前が出てくると私が地域住民から絶大な信用を寄せられ地域社会の精神的支柱とでも呼ぶべき存在になっていることもまたすっかり明らかになってしまいます。まいったな実際。 記事に私の名前が出てくる必要はないのですが、出てきたのですから仕方ありません。おとといの午後、名張市役所記者クラブの記者さん四人が名張市立図書館まで取材に来てくださいましたのでぺらぺら喋っただけの話なのですが、私が「乱歩の生家を復元したらおもしろいのではないか」だの「乱歩の生資料の収集は難しいが、生家を復元したら面白い。生誕碑が出来て50周年となる来年11月3日のオープンを目指してほしい」だのと助言したり提案したり、あるいは取材に答えてそれを公表したりするのはお役所的にはかなり問題がある行為なんですさやかちゃん。 さて、この際ですから私のこの確信犯的行為をきっかけに「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」に突入してしまいましょうか。それともちょっと迂回して、「協働」という言葉を恰好の隠れ簑に相も変わらぬ責任回避に忙しい名張市役所のみなさんを叩いてやることにしましょうか。いやいやその前にやっぱり三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の決着をつけておかなければなりません。おーい、どうした三重県。あれから全然連絡とかくれないから心配になってメールしてみようかな。 |
●12月10日(金) もう師走も10日か。と茫然としているところへこんなのが届きました。kmin_pearl@yahoo.co.jp のミナエちゃんからのメールです。
まったくまあこの忙しいときにたかがパイパンごときで何の騒ぎだこの莫迦女。おまえパイパンだっていうんならこんなとこでごちゃごちゃいってないでとっとと平井蒼太のとこへ行ってこい。ご開帳したら両手を合わせて拝んでくれるぞ。それでなくてもこちとら右も左もどっち向いても莫迦ばっかりだからかりかり来てんだ。二度と莫迦なメールよこすんじゃないぞこの莫迦。 さて二十七歳処女パイパン月収九十五万円のミナエちゃんに幸多かれと祈りつつ本日の話題とまいりたいところなのですが、勝手ながらまたあしたということで失礼いたします。 |
●12月11日(土) さてきょうの話題ですが、いろいろあり過ぎてどれを採用すべきか迷ってしまいます。こりゃまいったな、と思いながら本日付中日新聞伊賀版を眺めてみると、コラム「いがぐり」が官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をテーマにしていました。タイトルは「住民参加」。執筆は伊東浩一記者。一部を引用しましょう。
こりゃほんとにまいったな。「芭蕉事業が、十分な効果を挙げたかは評価が分かれる」とあります。しかし私はついきのう、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」は大成功であったという漫才を書きあげたばかりです。ほんとは大成功とはいいがたいのですが、ちょっとした事情がありましたので事業はこれ以上望めないほどの大成功であったと書いてしまったいけない私。ところがこのコラムには「首をかしげたくなる」と記されているではありませんか。事業に対する疑問が新聞に掲載されてしまったではありませんか。いやまいったな。 事情はあまり知らないのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の一環として伊賀地域のガイドブックが刊行されるらしく、その編集部からありがたいことにエッセイの注文をいただきましたので、A4判見開き二ページ分、お手のものの漫才をさらさら仕上げてきのう原稿を提出した次第なのですが、なにしろ版元が版元ですから言論封殺の可能性は多分にあり、事業に対して批判的なことを記せば原稿はまず間違いなくボツでしょう。 私はこの事業に関して少なからぬ出費を重ねてきており、その幾分かでもこの漫才の原稿料で回収したいものだなと思わず眼の色を変えてしまいましたので、迷うことなく版元を持ちあげ、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は有能このうえないスタッフが英知と努力を結集して見事なまでの大成功を収めたと結論づけました。鉄壁の論理を展開して読者をうまく丸め込んだつもりでいたのですが、日刊紙のコラムに「芭蕉事業が、十分な効果を挙げたかは評価が分かれる」とか「首をかしげたくなる」とか記された記事が掲載されたとなれば話が違ってきます。この記事を記憶していた読者が私の漫才に異議を申し立ててくる可能性も否定できません。いやまったく困ったことになってしまったな。 ちなみに私の漫才は「芭蕉さんはどこへ消えた」というタイトルで、野呂昭彦知事をはじめとした事業関係者各位に心からお喜びいただける内容であると自負しております。ガイドブックは来年2月に発売とのことですから、伊賀地域のみなさんはぜひお買い求めください。伊賀地域以外の方にもお買い求めいただきたいのですが、流通がどうなるのかは私の知るところではなく、まあ現物ができあがったら当サイトでも大々的に宣伝することにいたしましょう。 ではここで体制順応型漫才「芭蕉さんはどこへ消えた」がボツにならないよう念には念を入れることにして、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんへのメッセージをひとつ。えーみなさん、私の漫才がボツにならないようにお力添えをいただければみなさんのことはこの際すべて水に流してさしあげますからどうぞよろしくね、なんてことは絶対に申しませんからご心配なく。 |
●12月12日(日) いやーまいった。いつもまいってるけどきょうはほんとにまいった。本日の話題のために関係筋をネット検索していたら、12月9日付毎日新聞伊賀版のこんな記事が眼についてしまいました。
いやこれではありません。これは伊賀市民が伊賀市議会ってのはいったい何なんだべらぼうめと怒り心頭に発しているという小槌大介記者の記事であって、在任特例や議員報酬をめぐって「善良な市民は議会の行動に怒りを感じて」おり、議員定数を「近隣都市や名張市などと照らし合わせ、24人に減員することを望む」との請願が出されたことを伝えるものなのですが、私は伊賀市民に対して怒れ怒れもっと怒れとは思っておりますもののこの記事は今回は無関係。私がまいったのは熊谷豪記者による下記の記事です。
この記事によれば、田郷誠之助議員が旧上野市議会のコスプレ忍者議会に触れて「(名張市のPRのため)怪人二十面相の議会をしてはどうか?」と提案し、「市長と議員がお互いに名張市のPRに怪人二十面相の活用を要望し合った」とのことです。やれめでたいな。 いいえめでたくなんかありません。何がめでたいか。それどころかこの記事を読んだ瞬間、私の頭のなかで音がしました。ぷちっ、という音でした。何かが切れた音みたいです。いやまいったな。 いいえまいってなんかいられません。きょうは10日夜に名張市役所で開催された乱歩蔵びらき委員会のことを報告しようと考え、その必要から関係筋をあれこれネット検索していた次第なのですが、とんだところへ二十面相、腐れ薬をつけたら知らず、抜きさしならねえ高頬のほくろ、星をさされて見出されちゃあ、そっちで帰れといおうとも、こっちはこのまま帰らねえ。「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」、率爾ながらおっぱじめることにいたしましょうか。 その前にコスプレ議会に関してひとこと申しあげておくべきところですが、私の見解は「乱歩文献打明け話」の第二十九回「伊賀市地名考」に記してありますからここにはくり返しません。名張市議会事務局のみなさんや、心あらばこの漫才をプリント&コピーして市議会関係者全員にお渡しいただけないものでしょうか。ついでに申し添えておきますと、この漫才には下記のごとき箇所があります。
旧上野市のことはいざ知らず、もしもこの名張市でコスプレ二十面相議会なんてのが実現することになったとしたら、あほがこら何さらすねん気が触れたかと烈火のごとく怒り出す名張市民は必ずや存在するはずです。少なくとも一人は存在しています。私のことですけど。名張市議会事務局のみなさんは、そのときどんな目に遭っても知らんからな、とお手数ですが関係各位にお伝えいただけないものでしょうか。 しかしこうなると、「乱歩文献打明け話」の掲載誌である「四季どんぶらこ」が廃刊になったらしいのはいささか痛いことよ。いや、じつに痛い。痛切に痛い。そういえば、もう気が遠くなるほど遠い昔のことだったような気もいたしますが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に対する批判もそもそもは「四季どんぶらこ」を伊賀県民局長に郵送することで戦いの火蓋を切ったものでしたなあご同輩。その伝で「伊賀市地名考」の掲載誌、名張市役所めがけて鏑矢のごとく射掛けられたらまことに都合がよかったのですが。 なんてこといってても仕方がありません。あしたっからがんがん飛ばしましょう。 |
●12月13日(月) きょうからがんがん飛ばすつもりでいたのですが、なんかすっかり寝過ごしてしまいました。要するに二日酔いなのですが、二日酔いの頭でぼんやりと新聞社系サイトを眺めていて発見したのが読売新聞のこんな記事です。
選書の偏りったってこの図書館は角川選書がやたら多いくせに新潮選書が全然ないじゃん、といったことではありません。記事のなかで公立図書館の司書らが「利用実績を上げようと選書に偏りが出る恐れがある」と危惧し、日本図書館協会の松岡要事務局長が「民間はベストセラーを中心に選ぶ可能性があるし、司書も専門性がつきにくい」と疑問を投げかけていらっしゃるとおり、そしてかく申す不肖カリスマこの私もまた、今年5月に名張市立図書館の民営化が検討され始めたという新聞記事を目にして(しかしどうして新聞記事なんでしょうか。たとえ嘱託といえども市立図書館の禄を食んでいる人間がどうして市立図書館の運営に関する重要案件を新聞で知らなければならんのでしょうか。名張市はどうして私に図書館民営化のことを直接知らせてこないのか。あーこれこれ名張市役所のみなさんや。みたいなこともいずれ問題にはするつもりでおりますのでここでは敢えて触れません)さらさらと執筆いたしました「乱歩文献打明け話」第二十八回「僕のキャリアや人格は」において賢くも予見しましたとおり、図書館民営化における「浅薄な評価主義」が公立図書館業界でそろそろ問題になりつつあるようです。漫才の一部をお読みいただきましょう。
なんかもうすべてのネックはお役所の人たちなのではないかという気さえしてきてほんとに困ったものですが、ここらで本日の話題にまいりましょう。 きのう名張市内にある近鉄百貨店桔梗が丘店へお昼ご飯を食べに行ったときのことです。二階だか三階だかのエスカレーター付近で名張市議会議員の田郷誠之助先生にばったりお会いいたしました。田郷先生は昨日付伝言でご紹介いたしましたとおり、名張市議会定例会の一般質問で「(怪人二十面相姿で)京都や名古屋などにも出没して、名張をPRしてほしい」と市長に要望された方です。立ち話ではあったのですがそのあたりの経緯をお聞きして、みたいなことはあすにつづくということにさせてください皆の衆。あー二日酔い二日酔い。 |
●12月14日(火) 二〇〇四伊賀びと委員会事務局からメールを頂戴しました。
当方の返信は次のとおり。
都合により本日はこれでおしまいです。ではまたあした。 |
二〇〇四伊賀びと委員会事務局からさっそくに下記のメールを頂戴しました。一部文字化けがありましたので、たぶん括弧付き算用数字だろうと判断して訂しておきました。
といった次第で、いよいよ明16日、二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会にお邪魔することになりました。赤穂浪士の元禄義挙に遅れること二日、おのおの方、手っ取り早くけりをつけてしまいましょう。 三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」に関していいたいことは山ほどあるのですが、今回は二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板閉鎖事件ならびに過去ログ封鎖事件に問題を限定して意見交換会とやらを開催していただきます。意見交換ったってこれまで主張してきたことを組かしらのみなさんに直接お伝えするだけの話ですし、この意見交換会には何の決定権もないそうですから事態が一気に進展することは望めないのですが、いや事態の進展というのがいったいどういうことなのか、それさえよくわからないような状態なのですが、まあ組かしらのみなさんのお考えをお聞かせいただけるだけでもありがたいことだと思っております。 さるにても遥けくも来つるものかな。例の掲示板が閉鎖されたのは今年2月のことでした。掲示板にはこんな告知が掲載されて、過去ログもすべて閲覧不能になっておりました。やれやれ、と思った私はあほらしくて文句をいう気もしなかったのですが、7月に入って私が三重県主催の「知事と語ろう本音でトーク」に参加して掲示板問題に関する知事の考えを質すことになったとき、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトに今度はこんな告知が掲載されました。 目も当てられんなこの醜態には、と私は思い、おまえら自分たちがどれほど見苦しい真似をしているのかわかっておるのか、とも思って、こうなったらいっちょ思いきり叱り飛ばしてやるのが人の道であろうと判断した結果、紆余曲折はありましたもののいよいよ意見交換会とやらでひとつの山場を迎えることになりました。これで終幕ということになるのかどうか、それはまだわかりませんが、悪夢のようだった2004年のうちに決着をつけてしまい、すがすがしい気持ちで2005年を迎えたいものですなおのおの方。槍は錆びても心は錆びぬ、の心意気でござる。どんな心意気なんだか。 |
![]() |