|
2005年1月前半
|
●1月1日(土) 謹賀新年。西暦2005年がスタートしました。本年は名張市にある江戸川乱歩生誕地碑の建立五十周年に当たります。 生誕地碑は昭和30年、西暦でいえば1955年に除幕されました。場所は名張市新町、桝田医院という開業医の中庭です。昭和34年9月、一帯は伊勢湾台風で被害を受け、桝田医院も改修を余儀なくされました。中庭には建物が増築されることになって、生誕地碑は現在地に移転。移転といってもわずか数メートルのことですが、第二病棟と呼ばれていた入院病棟の庭に移されてしまいました。この病棟は新町ではなく本町にありますので、新町に生まれた乱歩の生誕地碑が本町に存在するという、いささかややこしいことになっております。 桝田医院の院長は、乱歩の随筆にも名の見える桝田敏明という青年医師。私の亡父の友人で、亡父が結核を患ったときに入院したのも桝田病院の第二病棟でした。桝田先生は二十年ほど前にお亡くなりになり、医院はご長女のご主人がいわゆる跡継ぎになっていまも経営されていますが、第二病棟は閉鎖されてしまいました。 2003年9月のことです。乱歩の生誕地碑がなんか変なことになってますッ、と私のもとに名張市民から通報があり、さっそく現地に急行してみると、たしかに変なことになってました。生誕地碑の手前には緑色のネットが張られ、そのネットにはこんな文章を印字した一枚の紙が掲示されていました。
こーりゃまずいな、と私は思い、この伝言板にこんなことを書きつけました。
こーりゃなんとかせなあかんな、と私は思いました。自慢ではありませんが、名張市役所の人たちなどというのはこうした場合に何の役にも立ちません。こうした事態を眼にしてもこれが行政の怠慢だと気がつく市職員がいるかどうか。たとえいたとしても事態を打開するべく市の担当課に働きかける市職員がいるかどうか。そんな気の利いたやつは一人もおりゃせんのだろうと私は思います。 ですから致し方ありません。桝田先生のご遺族には一度もお目にかかったことがないのですが、生誕地碑が建つ第二病棟一帯のことをどのようにお考えなのか、一度おりを見てご意向をお訊きしてみなければなるまい。これから乱歩の著書目録つくって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を叩きまくって乱歩と不木の往復書簡集を出したらちょっとは暇になるだろうから、2004年の秋が過ぎたら一度ご遺族に連絡してみよう。私はそのように考えました。 そして2004年の秋。正確にいえば昨年9月2日のことであったと記憶しますが、私のもとに一本の電話が入りました。桝田先生のご遺族からのお電話でした。 |
●1月2日(日) 2004年のたぶん9月2日、桝田敏明先生のご遺族、正確にいえばご長女からいただいたお電話は、乱歩生誕地碑が建っている第二病棟の土地と建物を無償で名張市に寄贈したいのだが、といった内容でした。名張市立図書館の嘱託である私にこうした申し出をされるのはきわめてお門違いなことではあるのですが、そんなこといってたら私はそこらの公務員と同じ程度のぼんくらになりさがってしまいます。何とありがたいお話かと思い、ありがとうございます、頂戴いたします、立派に活用してみせます、とその場でお約束いたしました。 お役所的な見地から申しますと私にはもとより何の権限もなく、こんな約束ができる立場にはまったくないのですが、見ず知らずの私をただ乱歩がらみの盛名のみ聞き伝えて頼ってきてくださった方のご依頼を、天下のカリスマが徒や疎かにすることなどとてもできません。しかるべく手配をいたしましたその結果、昨年11月24日に寄贈に伴う手続きがすべて終了し、乱歩生誕地碑が建つ第二病棟は名張市の所有となりました。それが明らかにされ、日刊各紙地方版でいっせいに報道されたのは、この伝言板でもお知らせしたとおり12月8日のことでした。 さて、寄贈された土地と建物をどう活用すればいいのか。名張市役所の内部のみで決定することだけは避けなければなりません。乱歩のことを何ひとつ知らない名張市役所の人たちに任せてみたところで、ろくな知恵は出てこないだろうと判断されるからです。かといって名張市民も当てにはなりません。やはり乱歩のことなど何も知らないからです。ただし形のうえでは、市民の意見も反映させながら名張市が活用策を決定するということにするしかありません。ですから広く市民のプランを募り、しかしそれだけでは他人任せであまりにも無責任ですから、意見を募る名張市側も一応のプランを用意しているべきでしょう。 ここでつらつら考えてみますと、そもそも名張市に乱歩のことを任せておけるのかという問題が浮上してきます。任せておけるわけがありません。ですから乱歩生誕地碑建立五十周年を機に、まず名張市が乱歩から手を引き、五十年前の生誕地碑建立がまさしくそうであったように、名張市民が乱歩に関連した企画を手がけてゆくような体制を整えるべきなのではないか。乱歩は随筆「生誕碑除幕式」で、生誕地碑に関して「市の企画とか、個人の金持の企画とかいうのでなく、町の人々が、自発的に六十年もごぶさたしていた私に対して、こういう好意を見せて下さったのは、実にありがたいことだと思っている」と記していますが、「町の人々が、自発的に」乱歩という作家に関わってゆく体制を整えることが必要なのではないか。 そこまで考えてふと思いついたのが、乱歩蔵びらき委員会の存在です。三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をきっかけに発足し、事業の閉幕とともに解散するはずだった委員会なのですが、事業が終わったあともとりあえず乱歩生誕地碑の建立五十周年まで、生誕地碑一帯の活用策や五十周年の記念事業などを中心になって検討する組織として存続できぬものか。なにしろこの委員会は、豊島区の褌で相撲を取ったようなものだとはいえ「乱歩が生きた時代展」で名張市民を感嘆させ、編者の浜田雄介さんをはじめとしたスタッフと皓星社という出版社に何から何まで丸投げした結果だとはいえ『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』で全国のファンや研究者を驚嘆させた実績をもっているのですから、上記の検討にはまさにうってつけです。 そもそも全国の自治体は財政難でお尻に火がつき、しかも火の勢いはいよいよ強くなりまさって、官から民への合言葉のもと雪崩を打つように業務の民間委託が進行しているわけなのですから(早い話が名張市立図書館だってその例に漏れないわけですし)、名張市が乱歩関連事業を乱歩蔵びらき委員会に外部委託することには何の不都合もありません。むろん乱歩蔵びらき委員会だってまったくたいしたことはないのですが、少なくともお役所の人たちがたまたま乱歩関連部局に配属されたというそれだけの理由で乱歩関連事業を手がけている現状に較べれば、目的と意欲をもっているだけはるかにましというものでしょう。今回のことで活動が軌道に乗れば、いずれは乱歩をテーマに社会的公益活動を行うNPO(特定非営利活動法人)に移行するのも一興かもしれません。 それでまあ、あれはいつでしたか、たぶん昨年9月のことだと思うのですが、私は乱歩蔵びらき委員会の会合にのこのこ顔を出し、かくかくしかじかであるから少なくとも来年11月の生誕地碑建立五十周年までは活動してくれと依頼して、その場でOKを頂戴しました。で、名張市側にも伝えてあった生誕地碑一帯の活用プランを打ち明けました。乱歩の生家を復元してはどうか、というプランです。 |
●1月3日(月) 乱歩の生家を復元するプランというのは、私としては別段目新しいものでも何でもなく、たとえば一昨年10月のことでしたが、私はこの伝言板で「さてそれでは三重県および名張市の話題から一転して、名張商工会議所の関係各位にものの道理を教えてさしあげるシリーズ第一弾です。私はきのう、関係者のお一人に宛てて下記のごとき内容の封書を投函いたしました。まだ新聞発表されていない案件も含まれておりますので、適宜伏せ字といたします」と前置きして一通の書状を公開いたしました。そこから引きます。
同じ2003年にはこんな伝言も。
要するに私が申しあげたいのは、名張市に乱歩にちなんだ記念館だの資料館だの文学館だのをつくるだなどと気の触れたようなことを考えるのはいい加減でおしまいにしようということです。どうしてもやりたいというのであれば、せいぜい乱歩の生家を復元する程度のことでいいではないかということです。身の丈に応じたことをやれということです。名張市の自己宣伝に乱歩を利用するのであればおまえらちっとは乱歩作品を読んでみたらどうだというだけのことを主張しつづけて幾星霜。名張市で発行されている新聞折り込みの無代紙「伊和ジャーナル」の本日付に掲載された「名張再発見4/最強のカード その名は乱歩/生誕地碑建立50周年へ向けて」という記事のなかでも、私はまったく同じことをコメントしておりますので以下に引用しておきます。
なんか郷土色丸出しのコメントですけど、「あっかさよーそのよなもん」は「駄目に決まっていますよそのようなものは」といった意味だとご理解ください。「ひやわい」に関しましては、せっかくの試みながら更新が完全に途絶えておりますので「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をめぐる騒動が収まったら開設者の伊賀びとのおもい実現委員会とか事務局の伊賀県民局企画調整部地域計画・防災室とかを叱り飛ばしてやろうかなと思わぬでもない「伊賀びと Web 歳時記」のこのページで項目「廂間」をクリックしてください。 とにかく私といたしましては、名張商工会議所に提案したことが実現しなかったから今度は名張市に提案してみたというだけの話で、いずれにせよ乱歩の生家を復元することで名張市における乱歩関連施設の整備みたいなものはおしまいにしてはどうかと考えている次第です。 |
●1月4日(火) そんなこんなで乱歩の生家が名張市の手で復元されるかどうかは未定なのですが、ひとつ決まっているのは東京の江戸川区を拠点に活動する劇団フーダニットの名張市公演。乱歩生誕地碑建立五十周年記念事業のひとつとして、11月の5日と6日に開催いたします。同劇団は知る人ぞ知るミステリ劇の専門劇団。名張市公演では辻真先さんの書き下ろし作品を上演していただきます。いわゆる本邦初演。乱歩蔵びらき委員会が中心になって準備を進める手筈になっております。 つづいてはラジオ番組のお知らせ。NHKの「ラジオ深夜便」で1月5、6両日、「新春・朗読への招待」として「江戸川乱歩の世界〜推理小説の源流〜」が放送されます。ゲストは平井憲太郎さん。5日の放送というのは要するに今夜のことですからご注意ください。詳細はこのページでどうぞ。 |
●1月5日(水) 新年も五日目となりました。今年のお正月はお休みの期間が短い感じですが、私もきょうあたりからぼちぼち普段どおりの生活に戻りたいと思います。三重県関係者のみなさん、よろしくお願いいたします。 白川一郎さんの『自治体破産』(NHKブックス)にこんなことが書かれております。
なるほど。私がお役所に対してきわめてドラスティックなのは、親方日の丸のお役所の人たちが徹底的に生半可だからなのかもしれません。というか要するに私は革命家なのかもしれません。それから三重県関係者のみなさん、この本にはこんなことも書かれております。
前知事の二期八年の任期中、私には三重県関係者の方とおつきあいする機会がまったくといっていいほどありませんでしたから、いわゆる北川改革についてもほとんど知るところがないのですが、現時点における印象を申しあげておきますと、ほんとに改革なんてものがあったのか、といったことになるでしょう。「改革によって職員の意識が大きく変化し」た、なんてことはとても思えません。ひたすら旧態依然としている感じです。三重県関係者のみなさん、ともあれ本年もよろしくお願いいたします。 しかし今年のお正月も体調がよろしくありません。きょうじゅうに恢復できるかしら。なんか寒そうだし。 |
●1月6日(木) おかげさまで体調がほぼ本復いたしました。本復と表現しなければならぬほどひどい状態では全然なかったのですけれど、ともあれようやく日常モード、心も軽く身も軽く、三重県ならびに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の関係者各位を叩いて回ることにいたします。 しかしはっきり申しあげますと、知事だの県職員だの地域住民だのを叩いて喜んでいる場合ではないような気もいたします。白川一郎さんの『自治体破産』(NHKブックス)は、日本全国の地方自治体の財政破綻を再建するためにアメリカのように自治体の破産を認める新しい法律をつくるべきだという主張をくりひろげた一冊なのですが、自治体破産制度の是非はともかくとして、自治体財政がひどい状態になっていることはこの本を読みながら実感として理解できます。それはたとえばこんな具合に記されています。
で結局、「国・都道府県・市町村といった中央集権体制のもとで、いくら地方分権と叫んでみたところで本当の改革などできないのではないかという疑問が生じてくる。現在の国家体制をベースにいくら審議をつくしたところで、しょせんは効果のない小手先の改革にしかつながらないのではないかという根本的な問題にぶつかってしまう」ということになり、著者は連邦制国家への体制変革を提唱しているわけなのですが、昨年12月24日に閣議決定された行政改革大綱の修正ヴァージョンなんかを見るかぎり、この国においては「改革」という言葉がまさに「小手先」だけのものになり果ててしまった観が否定できません。 全国紙の社説を拾っておきますと、まず12月29日の毎日。
つづいてけさの朝日。
いくらお役所を叩いたところで蛙の面に小便だということはつくづく思い知らされておりますし、お役人には結局のところ改革なんて言葉を理解することができないのではないかとも疑われてならぬ次第なのですが、それでもやっぱり叩いて回ろうっと。 |
●1月7日(金) お約束どおり、心も軽く身も軽く三重県ならびに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の関係者各位を叩いて回ることにいたします。きょうは知事の番。三重県庁知事室宛に次のようなメールをお送りしました。
添付ファイルはこんな感じです。
しかし年が改まったというのに私はいつまでこんな堂々めぐりをつづけていればいいのでしょうか。なんかカフカみたいだ。あたかも自分がカフカ作品の登場人物にでもなったような気さえしてくる次第ですが、果たして知事のお答えは可か不可か。やっぱカフカか。あすは事務局にメールをさしあげる予定となっております。 |
●1月8日(土) 本日はお約束どおり例の事務局にメールをお送りしました。内容はこんな感じです。
新年も8日を迎えてなんか本調子になってきました。しかし調子に乗りすぎるのは禁物でしょう。今年も清々粛々と仕事に取り組んでゆきたいと存じます。 |
●1月9日(日) 三重県知事をはじめとした「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者のみなさんに対する年頭のご挨拶とお願いとを済ませましたので、すでにして帰趨は明らかだという気もいたしますが、あとは先方任せ、当方の申し出にどのように対処していただけるのか、そのお答えをお待ちしたいと思います。あー暇になった。 いや別に暇になったわけでもないのですが、きのうちょっとした用事があって京都に足を運びました。どこかの初えびすに出かけたのでしょう、吉兆笹を手にした親子づれとすれ違ったりしながら人通りの多い歩道をそぞろ歩きしていると、街はもう夕暮れ、なんか名張まで帰るのが面倒になったからそのへんに部屋借りて当分京都で暮らすことにするか、三重県のことなんかどうだっていいや、とじつにお気楽な考えが頭をかすめたりもしたのですが、とてもそんなわけにはまいりますまい。心を鬼にして戻ってまいりました。 ではまたあした。 |
●1月12日(水) ではまたあした、とご挨拶申しあげたのに二日ほどお休みしてしまいました。お休みしているあいだに、またしても言論封殺の憂き目を見てしまいました。いや言論封殺といってしまうと語弊がありますが、感覚的にはほぼそんな感じです。 何の話かと申しますと、昨年12月11日付伝言に──
と記した漫才のことなのですが、ボツにならぬよう万全を期して記したにもかかわらず、見事にボツになってしまいました。編集部のレベルではOKだったのですが、発行者のチェックでボツになったとのことで、発行者は誰かというというまでもなく二〇〇四伊賀びと委員会。実際にチェックに当たったのは同委員会事務局で、またおまえらかよ、人の漫才ボツにしてる暇があったらとっとと組かしら会と事業推進委員会を思いきり叩かせろ、と私は思います。 それにしてもおかしいな。私は天下御免の売文業者、文を売るための手練手管には抜かりはないはずで、版元のご勘気を被らぬようたとえば下記のごとく意を用いてみた次第なのですが。
事業の開幕以前から三重県庁内部ではあの事業は失敗であったと過去形で公然と囁かれていたらしい官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をここまで大絶賛した漫才がどうしてボツにされねばならぬのか。責任者出てこいと怒ってみても誰も出てきませんし、出てきたとしてもどうせ莫迦なのでお話になりませんから責任者出てこいとは申しませんが、ものの値打ちのわからぬ人間というのはほんとに困ったものです。 もっとも、原稿が没になるのは普通によくある話ですから、これを言論封殺と呼ぶのは正しくありません。売文業者は発行者あるいは編集者の判断に従うしかありません。ですから私は原稿を書き直さなければならなくなり、急いで書き始めてみたのですが── 「新年早々えらいもんが流行ってまして」 などと書いておってはまたしてもボツになるのであろうな。 |
●1月13日(木) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の一環として刊行される伊賀地域のガイドブックに寄稿した私の漫才が二〇〇四伊賀びと委員会事務局の思し召しによってボツになってしまったという話のつづきですが、おかしいなあ、どうしてボツになってしまったのか、そんなことになるはずはないのに、おかしいなあ。 昨年末、用事があって委員会の事務局にお邪魔したときにも誰からもそんな話は出てきませんでしたし、それどころか私は、 「相作さん渋いッすね、『伊賀人』の写真」 とか声をかけられたくらいで、ちなみに「伊賀人」というのはこのガイドブックのタイトル、写真というのは私の漫才「芭蕉さんはどこへ消えた」に添えて掲載されるはずだった私の写真のことで、南無阿弥陀仏も悩ましいコスプレ姿がじつになんとも本格的に渋かったらしいのですが、その写真もボツということになってしまいました。しかしおかしいなあ、そんなことになるはずはないのに、ほんとにおかしいなあ。 つらつら案じますに、三重県というところには爆発的流行を見せつつあるウイルスみたいな名前の知事をはじめとして、言論というものをおおきに軽んずる輩が多く棲息しているようですから困ったものです。人の言論を封殺したり検閲したりということを平気でやる一方、言を左右にしたり首尾のまったく一貫しない姑息な説明を並べ立ててその場を取り繕おうとしてみたり、たとえば二〇〇四伊賀びと委員会事務局なんてのは一昨年の夏からそんな頭の悪いことばかりくり返しているわけなのですが、これすなわち言論というものを鴻毛のごとく軽んずる態度だといわずして何という。自分の言葉に責任を持とうとしない莫迦ってのは、結局は人の言葉も自分たちのそれと同様に無責任でいい加減でその場しのぎのものだと思い込んでいるということなのかもしれません。じつに困ったものです。 といったところで伊勢新聞のオフィシャルサイトから三重県のニュースを一件。
いやー、昇給停止年齢が引き下げられるのはかなりつらいことなのでしょうね、とっくに思考停止している三重県の腐れ役人のみなさん。お察し申しあげます。 そうかと思うと、けさの朝日新聞社会面の「NEWS ダブルクリック」欄には「公務員の待遇改革/ガラス張り“鳥取式”/県民監視へ積極公開」という記事が掲載されています。鳥取県の片山善博知事が情報公開の一環として職員給与の実態をホームページで公表、「行政関係者を驚かせたのは、昇給制度の建前と実際の違いを、あからさまに解説していたことだ」とのことで、鳥取総局・内藤あゆみ記者の記事から少々引用いたしますと──
普通に考えると、三重県職員の待遇もまた「本来の仕組み」からはかけ離れた、ということは県民がとても納得できないような「慣行」に基づいているのではないかと判断される次第なのですが、実際のところはどうなのでしょうか。少なくとも名張市の場合は年功序列というものが唯一無二といっていいほどに大きな要素となっていて、たとえどんな莫迦であっても職員のみなさんには年功序列に応じたポストと給与を手にしていただかなければなりません。なんかもう大変みたいです。 そんなことはともかく、引用をもう少々。
うーん、どっかで聞いたことがある話だなと思ったら、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に対する私の批判そのまんまではありませんか。私はこの事業が「透明性の徹底と説明責任、日常的なチェック」などといった言葉とあまりにも無縁であることを指摘し、地域住民の共感を得るためには公開性を高めることで「信頼を得る基礎」をつくれと二〇〇四伊賀びと委員会に何度もアドバイスして、もとより「行政が見落とすことはいっぱいあ」りますから、それを「追及し、点検する係」として大々的に事業批判を展開いたしましたところ、野呂昭彦知事からその批判を「雑音」と一蹴されてしまったわけなのね。要するに三重県は鳥取県とは正反対、すべて「密室」のなかでものごとを進めるのがお好きなようで、それならカーでも読んでろすっとこどっこい。 |
●1月14日(金) きのうからの流れで本日も三重県の人件費について。まず毎日新聞のオフィシャルサイトから。
この記事を読むかぎりでは、三重県というのはじつにぼんやりした県だなという気がいたします。全国四十五都道府県がとっくに手をつけている特別職の給与カットを2005年度から実施するというのでは、なんかあまりにものんびりしすぎた話だと思われます。県民は引くでしょう。ドン引きでしょう。私とてご同様。そもそも私の主張というのは、これだけの財政難なのであるから「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業などという前知事のばらまき路線は頭から見直し、むしろ三重県は消化試合みたいなしょーもないイベントにはお金をつかわない県になりますと宣言したほうがいいのではないか、どうせ伊賀地域住民なんて莫迦ばかりなんだし、といったことであったのですが、この主張の大前提であった財政難という事態が三重県にはよく認識されておらなんだのではないか。いや認識はできておったとしても、それなら何をすればいいのかということにまでは知恵が回らなかったのではないか。げんにいまごろになって特別職の給与がどうのこうのと眠たいことをいってるわけなんですから、知恵は恐ろしく回っていなかったと見るべきでしょう。 今度は朝日新聞オフィシャルサイトから。
こうした記事を読むたびに痛感させられるのは、お役所にもリストラ制度を導入すればいいではないかということです。薹の立った役立たずを馘にできればお役所も少しはましなところになるものと思われる次第ですが、実際はまったくの逆。地域社会に身を挺するべく希望に燃えてお役所に入る若い衆だって少なからず存在するはずなのですが、三重県は財政難のせいで新規採用を抑えるというのですから、薹の立った役立たずがいよいよ幅を利かせる結果になることが予想され、そういった連中が責任回避と自己保身を第一義としてお役所仕事に精励する姿を日々目の当たりにしておりますと、どれほど意欲的な若い衆もいずれお役人体質に凝り固まってしまうのは必定でしょう。小手先の節減や改革ではなくてお役所のシステムそのものをすっかり改めてしまわなければ、三重県庁は現在以上に莫迦の巣窟になってしまうのではないでしょうか。むろん名張市役所だってそうでしょうけど。なんとかならんか実際。 ところで、1月7日付の知事室宛メールで依頼した件にいまだに回答が寄せられないのはどうしてなのでしょう。むろん知事がご多忙であることは承知しておるつもりですが、なにしろ私はこれまでろくな扱いを受けておりませんからどうしても疑心暗鬼になってしまい、また黙殺されたままで終わってしまうのかと暗い気分になってしまいます。そういえば、二〇〇四伊賀びと委員会の事務局からもまだ回答がありませんし。知事室と事務局が密室のなかで何やらよからぬ相談をしているのではないかしらん、とこれもまた疑心暗鬼。 ここでふと思い出しますのは、昨年夏のことでしたが、私が三重県知事のパフォーマンス行事「知事と語ろう本音でトーク」に出席すると公表したところ二〇〇四伊賀びと委員会事務局にちょっとした動きがあったことで、それならもう一度「知事と語ろう本音でトーク」に参加してみるのも一興かもしれません。ちょうど2月11日には伊賀市阿保の青山ホールで「知事と語ろう本音でトーク」が開催されるそうですから、知事のパフォーマンスの片棒を担ぐのは決して本意ではないのですが、先方がうんともすんともいってこないのだからそうするしかないか。とはいえ、かりにそうしてみたところで何がどうなるものでもないのかもしれませんが。 とにかく人の言論というものにまったく重きをおかず、言論をひたすら封殺したり検閲したりして平気な顔をしているのが三重県というところで、それはもう従軍慰安婦問題をテーマにしたNHKのテレビ番組で検閲まがいのことをしたらしいと報じられている安倍晋三さんだの中川昭一さんだのと肩を並べんばかりのレベルなのですが、まあ要するに、地方分権という時代の流れにはいちじるしく逆行していても、権力が言論の自由をいよいよ強く統制しつつあるという時代の流れには見事に棹を差しているわけですね三重県は。やっとれんなまったく。 それにしても「知事と語ろう本音でトーク」はどうしましょうか。 |
「知事と語ろう本音でトーク」のことを話題にした効果だと見るべきかどうか、とにかく二〇〇四伊賀びと委員会の事務局からメールをいただきました。
やれやれ。莫迦がいつまでも堂々めぐりをしております。堂々めぐりと申しますか、とにかくもう手も足も出ないし一言もない、しかし自分たちの非を認めることは絶対にしたくない、みたいな感じなのでしょうか。どうしてそんなに意固地になるのか。どうしてそれほど面子や体面にこだわるのか。組かしら会がこだわるべきなのは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業における情報公開や説明責任の問題なのであって、そんなことも理解できず保身のことしか考えられない人間がどうして組かしらなんか務めておるのか。いやもう呆れ返った。 たとえば昨年11月3日の伝言に私はこんなことを記しております。
なにしろ懐柔工作なんですからすっかり表沙汰にするのは具合が悪かろうと考え、上記の伝言では具体的な工作内容をいっさい伏せておりますけれども、私はこの工作の場で掲示板閉鎖の舞台裏も大雑把に聞き及んでおります。つまり、自分たちが開設した掲示板なのだから自分たちが勝手に閉鎖しても何も問題はないだろう、とじつに浅はかにして身勝手な幼児のごとき判断に基づいて閉鎖したということだったらしいのですが、ほんとに野呂知事いかがですか。知事ご提唱の「新しい時代の公」を担っているはずの二〇〇四伊賀びと委員会における「公」の概念がいったいどのようなものか、これでおわかりいただけるでしょう。てめーらのことしか考えてねーじゃん。 莫迦が上っ面だけきれいごとで固めて調子こいてんじゃねーぞこら。こら、ということもありませんけど、他人とべたべたしながらきれいごとばかり並べ立て、いわゆるいい人を演じている人間はいつのまにか演じることのストレスがたまってごく些細なことで大爆発、見苦しい本性をすっかり露呈したあげく頭を抱えて悶々とする羽目にもなりかねません。とてもそんな器じゃないのに地域住民の代表なんか演じてる組かしら会のみなさん、どうぞご注意くださいね。しかしまあ、組かしら会が私に対して懐柔工作を行うということは、組かしら会がみずからの非を暗黙のうちに認めているということにほかならないでしょう。にもかかわらず彼らと来たら、いくら突っついても自分たちの非を公式には認めようとしないわけなんです。 致し方ありません。これ以上組かしら会を相手にしていても、埒はいっこうにあかないであろうと判断されます。となると次は各個撃破か。ということは、事務局には説明能力がなく事業推進委員会の会長は事業について何も知らないと来ているのですから、消去法で考えれば二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長と協議を進めるくらいしか手がないということになってしまいます。はてさてどうしたものじゃやら。 そもそも私は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業そのものを一貫して批判してきたわけですが、組かしら会に対しては掲示板のことのみに問題を限定し、組かしら会が素直に非を認めて過去ログを公開してくれればそれで話を終わらせるつもりでおりました。しかし辻村さんと協議を進めることになるとすれば、掲示板の問題のみならず私が辻村さんや二〇〇四伊賀びと委員会に対して行った助言や批判がまったく生かされなかったのはどうしてなのか、どんな障害があったのか、どこのどいつが邪魔をしたのか、そういったことも明らかにしていったほうがいいだろうと思われますし、あの掲示板で質問しながら回答が得られなかった問題もおそらく蒸し返すことになるでしょう。 まったく世話の焼ける莫迦どもだ。こら莫迦ども。おまえら事業の当事者のくせして情報公開や説明責任にまったく無頓着でいるものだから君たちそれではまずかろう、情報はこうしなさい説明はこうしなさいと親身になってアドバイスしてやったにもかかわらずそれをいっさい受け容れず、それどころかオフィシャルサイトの掲示板で二〇〇四伊賀びと委員会は情報公開や説明責任の問題を完全に無視した組織であるという情けない事実をあっさり露呈してしまい、その事実を隠蔽するために過去ログを読めなくして収まり返っている莫迦ども。人がせっかく掲示板の問題だけで矛を収めてやろうと考えていたのに、おまえらまた自分たちの莫迦さ加減を一から世間にさらすことになるんだぞ。どうしてそこまで莫迦なの。どうしてここまで世話を焼かせるの。 腹が立ってきたから思わずこんなメールを事務局に送信してしまいました。
しかしどうしたものじゃやら。とかなんとかいいながら、週が明けたらいっちょ知事室を揺さぶってみるか。そういえば「知事と語ろう本音でトーク」、これもどうしたものじゃやら。 |