2005年1月前半

●1月1日(土)

 謹賀新年。西暦2005年がスタートしました。本年は名張市にある江戸川乱歩生誕地碑の建立五十周年に当たります。

 生誕地碑は昭和30年、西暦でいえば1955年に除幕されました。場所は名張市新町、桝田医院という開業医の中庭です。昭和34年9月、一帯は伊勢湾台風で被害を受け、桝田医院も改修を余儀なくされました。中庭には建物が増築されることになって、生誕地碑は現在地に移転。移転といってもわずか数メートルのことですが、第二病棟と呼ばれていた入院病棟の庭に移されてしまいました。この病棟は新町ではなく本町にありますので、新町に生まれた乱歩の生誕地碑が本町に存在するという、いささかややこしいことになっております。

 桝田医院の院長は、乱歩の随筆にも名の見える桝田敏明という青年医師。私の亡父の友人で、亡父が結核を患ったときに入院したのも桝田病院の第二病棟でした。桝田先生は二十年ほど前にお亡くなりになり、医院はご長女のご主人がいわゆる跡継ぎになっていまも経営されていますが、第二病棟は閉鎖されてしまいました。

 2003年9月のことです。乱歩の生誕地碑がなんか変なことになってますッ、と私のもとに名張市民から通報があり、さっそく現地に急行してみると、たしかに変なことになってました。生誕地碑の手前には緑色のネットが張られ、そのネットにはこんな文章を印字した一枚の紙が掲示されていました。

江戸川乱歩の石碑 探訪の方へのお詫び

最近、石碑後方部に、たぬきが出没し、排便する様になり頭を悩ませ
この様な、防御ネットを張り、お見苦しい状況にしています。
探訪されました皆様には、大変ご迷惑をお掛けしています事をご了承下さい。
石碑後方に お入りになられます際には、右端の紐を解きになり
お入り下さい。

 こーりゃまずいな、と私は思い、この伝言板にこんなことを書きつけました。

 貼り紙の文面から案じますに、このネットはたぶん乱歩生誕地碑の土地所有者の方にお貼りいただいたものでしょう。毎度お手数をおかけしております。名張市立図書館のカリスマ改め癒し系としてもお礼を申しあげたいと思いますが、生誕地碑への「探訪の方」というのは、別の角度から見れば生誕地碑の建つ私有地へ無断で侵入している人たちなわけです。どうして土地所有者が侵入者に「お詫び」なんぞをしなければならぬのか。むろん土地所有者の方には乱歩の生誕地碑がいわば公有の財産であるとのご認識があり、だからこそその管理者として「大変ご迷惑をお掛けして」いることを心苦しく思っていらっしゃるのだと思われますが、それにしたってどっかおかしい話ではあります。

 私が何を申しあげたいのか、察しのいい方はすでにお気づきかもしれません。ここに明らかに窺えるのは行政の怠慢です。やれ乱歩の生誕地がどうのミステリーのふるさとがこうのと乱歩の名前をさんざっぱら名張市の自己宣伝に利用しておきながら、名張に残る数少ない乱歩ゆかりの地のまず筆頭にあげられるべき生誕地碑は長きにわたってほったらかし……

 こーりゃなんとかせなあかんな、と私は思いました。自慢ではありませんが、名張市役所の人たちなどというのはこうした場合に何の役にも立ちません。こうした事態を眼にしてもこれが行政の怠慢だと気がつく市職員がいるかどうか。たとえいたとしても事態を打開するべく市の担当課に働きかける市職員がいるかどうか。そんな気の利いたやつは一人もおりゃせんのだろうと私は思います。

 ですから致し方ありません。桝田先生のご遺族には一度もお目にかかったことがないのですが、生誕地碑が建つ第二病棟一帯のことをどのようにお考えなのか、一度おりを見てご意向をお訊きしてみなければなるまい。これから乱歩の著書目録つくって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を叩きまくって乱歩と不木の往復書簡集を出したらちょっとは暇になるだろうから、2004年の秋が過ぎたら一度ご遺族に連絡してみよう。私はそのように考えました。

 そして2004年の秋。正確にいえば昨年9月2日のことであったと記憶しますが、私のもとに一本の電話が入りました。桝田先生のご遺族からのお電話でした。


●1月2日(日)

 2004年のたぶん9月2日、桝田敏明先生のご遺族、正確にいえばご長女からいただいたお電話は、乱歩生誕地碑が建っている第二病棟の土地と建物を無償で名張市に寄贈したいのだが、といった内容でした。名張市立図書館の嘱託である私にこうした申し出をされるのはきわめてお門違いなことではあるのですが、そんなこといってたら私はそこらの公務員と同じ程度のぼんくらになりさがってしまいます。何とありがたいお話かと思い、ありがとうございます、頂戴いたします、立派に活用してみせます、とその場でお約束いたしました。

 お役所的な見地から申しますと私にはもとより何の権限もなく、こんな約束ができる立場にはまったくないのですが、見ず知らずの私をただ乱歩がらみの盛名のみ聞き伝えて頼ってきてくださった方のご依頼を、天下のカリスマが徒や疎かにすることなどとてもできません。しかるべく手配をいたしましたその結果、昨年11月24日に寄贈に伴う手続きがすべて終了し、乱歩生誕地碑が建つ第二病棟は名張市の所有となりました。それが明らかにされ、日刊各紙地方版でいっせいに報道されたのは、この伝言板でもお知らせしたとおり12月8日のことでした。

 さて、寄贈された土地と建物をどう活用すればいいのか。名張市役所の内部のみで決定することだけは避けなければなりません。乱歩のことを何ひとつ知らない名張市役所の人たちに任せてみたところで、ろくな知恵は出てこないだろうと判断されるからです。かといって名張市民も当てにはなりません。やはり乱歩のことなど何も知らないからです。ただし形のうえでは、市民の意見も反映させながら名張市が活用策を決定するということにするしかありません。ですから広く市民のプランを募り、しかしそれだけでは他人任せであまりにも無責任ですから、意見を募る名張市側も一応のプランを用意しているべきでしょう。

 ここでつらつら考えてみますと、そもそも名張市に乱歩のことを任せておけるのかという問題が浮上してきます。任せておけるわけがありません。ですから乱歩生誕地碑建立五十周年を機に、まず名張市が乱歩から手を引き、五十年前の生誕地碑建立がまさしくそうであったように、名張市民が乱歩に関連した企画を手がけてゆくような体制を整えるべきなのではないか。乱歩は随筆「生誕碑除幕式」で、生誕地碑に関して「市の企画とか、個人の金持の企画とかいうのでなく、町の人々が、自発的に六十年もごぶさたしていた私に対して、こういう好意を見せて下さったのは、実にありがたいことだと思っている」と記していますが、「町の人々が、自発的に」乱歩という作家に関わってゆく体制を整えることが必要なのではないか。

 そこまで考えてふと思いついたのが、乱歩蔵びらき委員会の存在です。三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をきっかけに発足し、事業の閉幕とともに解散するはずだった委員会なのですが、事業が終わったあともとりあえず乱歩生誕地碑の建立五十周年まで、生誕地碑一帯の活用策や五十周年の記念事業などを中心になって検討する組織として存続できぬものか。なにしろこの委員会は、豊島区の褌で相撲を取ったようなものだとはいえ「乱歩が生きた時代展」で名張市民を感嘆させ、編者の浜田雄介さんをはじめとしたスタッフと皓星社という出版社に何から何まで丸投げした結果だとはいえ『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』で全国のファンや研究者を驚嘆させた実績をもっているのですから、上記の検討にはまさにうってつけです。

 そもそも全国の自治体は財政難でお尻に火がつき、しかも火の勢いはいよいよ強くなりまさって、官から民への合言葉のもと雪崩を打つように業務の民間委託が進行しているわけなのですから(早い話が名張市立図書館だってその例に漏れないわけですし)、名張市が乱歩関連事業を乱歩蔵びらき委員会に外部委託することには何の不都合もありません。むろん乱歩蔵びらき委員会だってまったくたいしたことはないのですが、少なくともお役所の人たちがたまたま乱歩関連部局に配属されたというそれだけの理由で乱歩関連事業を手がけている現状に較べれば、目的と意欲をもっているだけはるかにましというものでしょう。今回のことで活動が軌道に乗れば、いずれは乱歩をテーマに社会的公益活動を行うNPO(特定非営利活動法人)に移行するのも一興かもしれません。

 それでまあ、あれはいつでしたか、たぶん昨年9月のことだと思うのですが、私は乱歩蔵びらき委員会の会合にのこのこ顔を出し、かくかくしかじかであるから少なくとも来年11月の生誕地碑建立五十周年までは活動してくれと依頼して、その場でOKを頂戴しました。で、名張市側にも伝えてあった生誕地碑一帯の活用プランを打ち明けました。乱歩の生家を復元してはどうか、というプランです。


●1月3日(月)

 乱歩の生家を復元するプランというのは、私としては別段目新しいものでも何でもなく、たとえば一昨年10月のことでしたが、私はこの伝言板で「さてそれでは三重県および名張市の話題から一転して、名張商工会議所の関係各位にものの道理を教えてさしあげるシリーズ第一弾です。私はきのう、関係者のお一人に宛てて下記のごとき内容の封書を投函いたしました。まだ新聞発表されていない案件も含まれておりますので、適宜伏せ字といたします」と前置きして一通の書状を公開いたしました。そこから引きます。

 八月二十一日に名張市立図書館へおいでいただいたおり、乱歩の遺産を継承した立教大学が旧乱歩邸土蔵を改修し、立教学院創立百三十周年にあたる来年、乱歩資料館(仮称)として公開する見込みになっていることはお話し申しあげましたし、それとは関係なく、名張市に乱歩記念館に類する施設を建設することの愚もご説明申しあげたはずです。名張旧町地区に乱歩をテーマとした記念館を建設したところで、それが観光あるいは集客の核施設には決してなり得ないということも、他都市の事例を挙げてお知らせ申しあげたはずです。

 「なばり OLD TOWN」構想そのものについて私見を差し挟むことは控えますが、これも図書館でお話しいたしましたとおり、名張旧町地区を再生するための最大のテーマは「生活」であると私は思っております。名もない人々があの狭いまちで喜怒哀楽とともに重ねてきた生活と、それが集積された結果である豊かな歴史と文化を再確認することなしに、旧町地区が再生することはあり得ません。旧町地区の再生は、何よりも生活の場としての再生であるべきだと愚考いたします。過去から現在を経て未来につづく「生活」を視野に入れることなく、単に施設や店舗を整備するだけの表面的な処方を施したところで、旧町地区の再生はおぼつかないのではないでしょうか。

 乱歩の話題に戻りますと、やはり図書館で申しあげたことですが、乱歩は名張旧町地区で生まれた人間のひとりであるというに過ぎません。旧町地区再生を図るうえで得がたい要素とはなり得ますが、あくまでも副次的な要素に過ぎないということをご理解いただきたいと思います。乱歩をテーマにした施設を整備して旧町を再生するのではなく、旧町全体を生活の場として再生させるためのひとつの要素として、乱歩という作家を利用していただくようお願いしておきます。この点、図書館でみなさんのご了解をいただけたものと思っていたのですが、説明が至らなかったのかもしれません。あらためてお願い申しあげておきます。

 「なばり OLD TOWN」構想に描かれた乱歩生誕記念館について申しますと、いったい何を展示するのか、将来にわたってどのように運営されるのか、もっとも肝要な施設の基本がまったく検討されていないように推測されます。施設さえつくってしまえば内容や運営はどうにでもなるとお考えでしたら、それは大きな間違いです。あまりにも無責任な話です。乱歩の名を冠した展示施設が、単なる思いつきに基づいてたいした予算をかけることもなく完成し、運営に意を用いることもなくろくに入場者もないまま存続するとなれば、天国の乱歩にも全国の乱歩ファンにも名張市の市民に対しても、何の申し開きもできない事態に立ち至るものと予想されます。

 失礼なことを申しあげてしまえば、みなさんは乱歩作品をお読みになったことがなく、乱歩がどういう作家であったかもご存じない方々です。そういう人間が乱歩に関して喋々し、乱歩の名前を利用しようとすることのおこがましさについて、私はひとことも申しあげておりません。みなさんに広い視野と高い見識があれば、乱歩に関する知識の欠落はいくらでも補うことができるからです。しかし、無礼を承知で敢えて申しあげますと、この乱歩生誕記念館プランからはみなさんの視野や見識をうかがうことができません。

 みなさんが名張旧町地区再生のために乱歩という作家を有効に利用してくださるのであれば、私は協力を惜しむものではありません。お役に立てることを嬉しく思います。ですから私は、ご自宅にお邪魔したおり、名張旧町地区にかつてたしかに存在した生活を現代に再現する手だてとして、乱歩生家を復元して公開することを提案した次第です。乱歩生誕記念館などという陳腐なプランは、乱歩のことなど何ひとつ知ることなく、名張旧町地区への愛着も持ち合わせていない人間が考え出したものに相違ないと思われますが、そんなプランと乱歩生家の復元とを一緒にしていただいては困ります。

 同じ2003年にはこんな伝言も。

●10月14日(火)

 さて昨日、なんとか押さえこんでフォールを決めてきました。「なばり OLD TOWN」構想の乱歩生誕記念館の話です。名張商工会議所の会頭にお会いしてきました。

 金もない人材もいないというのに何を血迷っておるのか、ろくに乱歩作品を読んだこともない連中が何の騒ぎか、ときつめにかましておきましたので、名張市内に乱歩の名を冠した展示施設が建設される心配はなくなったと思います。

 三重県の御意見番にして名張市の黒幕である不肖カリスマの提案が名張商工会議所側に受け容れられれば、来年10月の百十回目のお誕生日あたりに乱歩の生家が復元されて公開されることになるはずですが、いやまあ生家の復元といったって『貼雑年譜』の間取り図に基づいて長屋を一軒おっ建てるだけの話なのですが、実際にどうなるかはわかりません。

 要するに、乱歩をメインにした展示施設なんかつくった日にゃ目も当てられませんけど、乱歩の生家を展示品のひとつとして扱う程度のことなら滑り込みセーフなのではないか、といったことです。しょぼい話でどうもすいません。

 要するに私が申しあげたいのは、名張市に乱歩にちなんだ記念館だの資料館だの文学館だのをつくるだなどと気の触れたようなことを考えるのはいい加減でおしまいにしようということです。どうしてもやりたいというのであれば、せいぜい乱歩の生家を復元する程度のことでいいではないかということです。身の丈に応じたことをやれということです。名張市の自己宣伝に乱歩を利用するのであればおまえらちっとは乱歩作品を読んでみたらどうだというだけのことを主張しつづけて幾星霜。名張市で発行されている新聞折り込みの無代紙「伊和ジャーナル」の本日付に掲載された「名張再発見4/最強のカード その名は乱歩/生誕地碑建立50周年へ向けて」という記事のなかでも、私はまったく同じことをコメントしておりますので以下に引用しておきます。

 十二月に入って、乱歩生誕地碑のある桝田医院第二病棟(本町)が、所有者の桝田壽子さんから名張市に寄贈されたというニュースも飛び込んできた。「乱歩にちなんだ施設として活用してほしい」という壽子さんの意向を受け、市は市民の意見も反映させながら活用策を探っている。

 商工業者や地域住民のあいだにも、名張旧町地区再生の切り札として乱歩関連の施設やイベントを望む声は根強い。たしかに乱歩は、知名度という点では名張市にとって最強のカードだろう。

 乱歩をめぐるこうした動きについて、名張市立図書館乱歩資料担当嘱託の中相作さんは「あっかさよーそのよなもん。ろくに乱歩作品読んだこともない人間が集まってなんぼ知恵しぼったかて何ゃ出来よど。残念ッ。仕方ないから怪人二十面相の恰好でそこらのひやわい走り回ってみました斬りッ」と切り捨てている。

 なんか郷土色丸出しのコメントですけど、「あっかさよーそのよなもん」は「駄目に決まっていますよそのようなものは」といった意味だとご理解ください。「ひやわい」に関しましては、せっかくの試みながら更新が完全に途絶えておりますので「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をめぐる騒動が収まったら開設者の伊賀びとのおもい実現委員会とか事務局の伊賀県民局企画調整部地域計画・防災室とかを叱り飛ばしてやろうかなと思わぬでもない「伊賀びと Web 歳時記」のこのページで項目「廂間」をクリックしてください。

 とにかく私といたしましては、名張商工会議所に提案したことが実現しなかったから今度は名張市に提案してみたというだけの話で、いずれにせよ乱歩の生家を復元することで名張市における乱歩関連施設の整備みたいなものはおしまいにしてはどうかと考えている次第です。


●1月4日(火)

 そんなこんなで乱歩の生家が名張市の手で復元されるかどうかは未定なのですが、ひとつ決まっているのは東京の江戸川区を拠点に活動する劇団フーダニットの名張市公演。乱歩生誕地碑建立五十周年記念事業のひとつとして、11月の5日と6日に開催いたします。同劇団は知る人ぞ知るミステリ劇の専門劇団。名張市公演では辻真先さんの書き下ろし作品を上演していただきます。いわゆる本邦初演。乱歩蔵びらき委員会が中心になって準備を進める手筈になっております。

 つづいてはラジオ番組のお知らせ。NHKの「ラジオ深夜便」で1月5、6両日、「新春・朗読への招待」として「江戸川乱歩の世界〜推理小説の源流〜」が放送されます。ゲストは平井憲太郎さん。5日の放送というのは要するに今夜のことですからご注意ください。詳細はこのページでどうぞ。


●1月5日(水)

 新年も五日目となりました。今年のお正月はお休みの期間が短い感じですが、私もきょうあたりからぼちぼち普段どおりの生活に戻りたいと思います。三重県関係者のみなさん、よろしくお願いいたします。

 白川一郎さんの『自治体破産』(NHKブックス)にこんなことが書かれております。

 昨今、日本でも改革ばやりである。とりわけ、新しい物好きの日本人にぴったりなのが「新しい行政経営」であるニュー・パブリック・マネジメント(NPM)である。改革ばやりの日本の自治体にとっては、もってこいの方法と思われたのか、どこもかしこも新しい手法を取り入れた行財政改革に取り組む姿勢を示している。筆者も、かなり早い段階から欧米先進諸国で導入された経営手法に注目して、日本への導入を提言してきた一人であると自負している。それから数年ほどたつが、最近日本でのこうした改革が本当に効果をあげているのだろうかという疑問をもちはじめている。日本での改革のあり方をつぶさに観察する限り、どうしてもそうした疑問の念をぬぐい去ることができないのである。

 NPMというのは、一言でいえば「市場原理を公的セクターにも導入する」という考えであり、市場原理つまり競争原理を行政部門の改革のために導入するということである。これは、言葉で言うと簡単だが、かなりドラスティックな考えである。親方日の丸でやってきた日本の公務員にとっては、革命的とも言えることなのだ。アメリカでテッド・ゲーブラーとデビッド・オズボーンという学者が『行政革命』という本を書いたが、まさに革命を行政内部での改革のエンジンにしようということなのだから、土台生半可な根性でできる話でないことだけは確かだ。NPMの手法では、よくコストが問題にされるのも、競争原理が根底にあるからにほかならない。これまで、およそコスト意識など皆無だった行政にとって、だからNPMの根底にある哲学は「水と油」にも似た関係と言っても過言ではない。

 なるほど。私がお役所に対してきわめてドラスティックなのは、親方日の丸のお役所の人たちが徹底的に生半可だからなのかもしれません。というか要するに私は革命家なのかもしれません。それから三重県関係者のみなさん、この本にはこんなことも書かれております。

 行政評価についても、すでに述べたように日本では三重県の導入が有名である。しかし、導入の旗振り役となった北川知事が二期八年勤めたあと、果たして彼の改革がその後も効果を発揮するのかどうかは、これからその行く末を見守る必要がある。首長としての彼の手腕に依存した面が大きかったのか、あるいは改革によって職員の意識が大きく変化し、改革のエネルギーが持続的なものになっているのかどうかは、まさしくこれから試されるべき課題と言えよう。

 前知事の二期八年の任期中、私には三重県関係者の方とおつきあいする機会がまったくといっていいほどありませんでしたから、いわゆる北川改革についてもほとんど知るところがないのですが、現時点における印象を申しあげておきますと、ほんとに改革なんてものがあったのか、といったことになるでしょう。「改革によって職員の意識が大きく変化し」た、なんてことはとても思えません。ひたすら旧態依然としている感じです。三重県関係者のみなさん、ともあれ本年もよろしくお願いいたします。

 しかし今年のお正月も体調がよろしくありません。きょうじゅうに恢復できるかしら。なんか寒そうだし。


●1月6日(木)

 おかげさまで体調がほぼ本復いたしました。本復と表現しなければならぬほどひどい状態では全然なかったのですけれど、ともあれようやく日常モード、心も軽く身も軽く、三重県ならびに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の関係者各位を叩いて回ることにいたします。

 しかしはっきり申しあげますと、知事だの県職員だの地域住民だのを叩いて喜んでいる場合ではないような気もいたします。白川一郎さんの『自治体破産』(NHKブックス)は、日本全国の地方自治体の財政破綻を再建するためにアメリカのように自治体の破産を認める新しい法律をつくるべきだという主張をくりひろげた一冊なのですが、自治体破産制度の是非はともかくとして、自治体財政がひどい状態になっていることはこの本を読みながら実感として理解できます。それはたとえばこんな具合に記されています。

 これまで日本の地方自治体の財政状態の実態をつぶさに観察してきたが、個別の自治体の名前をあげるまでもなく、常識的に考えてすでに破綻しているところもいくつかあると言っていいだろう。そのことは、自治体の財政責任者が承知しているだけではない。うすうす、一般にも気づかれていることは間違いない事実だ。情報化社会の特質だが、とりわけインターネットが発達している今日、そうした噂は日本中に伝わっていく。それにもかかわらず、そうした自治体が破産しない理由は、日本には自治体破産のための制度がないからにすぎない。制度的な枠組みができていないから、破産できないだけなのである。このことは、一九九〇年代の後半、日本の金融機関のいくつかが、債務超過に陥り、市場からの撤退圧力があったにもかかわらず、破産することなくしばらく存在しつづけた状況に似ている。その後、現実に後押しされるように、金融機関の破産のルールが整備されるに至って、破産の事例が相次いだことはご存知のとおりである。今、日本の地方自治体もそれに近い状況に置かれているのである。

 で結局、「国・都道府県・市町村といった中央集権体制のもとで、いくら地方分権と叫んでみたところで本当の改革などできないのではないかという疑問が生じてくる。現在の国家体制をベースにいくら審議をつくしたところで、しょせんは効果のない小手先の改革にしかつながらないのではないかという根本的な問題にぶつかってしまう」ということになり、著者は連邦制国家への体制変革を提唱しているわけなのですが、昨年12月24日に閣議決定された行政改革大綱の修正ヴァージョンなんかを見るかぎり、この国においては「改革」という言葉がまさに「小手先」だけのものになり果ててしまった観が否定できません。

 全国紙の社説を拾っておきますと、まず12月29日の毎日。

社説:
新行革方針 首相の口から決意を語れ
 「外国出張の際は原則、割引航空運賃を利用する」「電話料金の割引制度の活用を図る」「事務用品の一括購入を推進する」……。先週、政府が閣議決定した「今後の行政改革の方針」にはこんな文面が記されている。

 民間企業では既に当たり前のように実施している節約策を、こうして堂々と掲げることに驚く国民は多いのではないだろうか。

 つづいてけさの朝日。

■小泉行革大綱――この作文で負担増とは
 「行政改革」という言葉から、ますます切迫感が薄れている。いまや空疎な掛け声にしか聞こえない。

 小泉内閣が昨年末に閣議決定した新行革大綱からは、行政機関がわが身を削り、血を流す覚悟が伝わってこない。郵政改革をあれほど叫ぶ小泉首相も、こと行革にはほとんど沈黙している。これまでの大綱が特殊法人の民営化や独立行政法人化といった動きを伴ったのと比べれば、やる気のなさはありありである。

 いくらお役所を叩いたところで蛙の面に小便だということはつくづく思い知らされておりますし、お役人には結局のところ改革なんて言葉を理解することができないのではないかとも疑われてならぬ次第なのですが、それでもやっぱり叩いて回ろうっと。


●1月7日(金)

 お約束どおり、心も軽く身も軽く三重県ならびに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の関係者各位を叩いて回ることにいたします。きょうは知事の番。三重県庁知事室宛に次のようなメールをお送りしました。

知事室チーム御中

 新年あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になり、あらためてお礼を申しあげます。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、勝手ながら野呂昭彦知事にお願いの儀があり、添付ファイルに用件を記しましたので、新年早々お手数をおかけして恐縮ですが、ご手配いただければ幸甚です。用件は、一度知事にお目にかかりたく、お会いいただけるのかいただけないのかメールでご回答いただきたい、というものです。今度は生活部に丸投げしないでくださいね。

 よろしくお願い申しあげます。

2005/01/07

 添付ファイルはこんな感じです。

野呂昭彦様

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、昨年12月6日付書状でお願い申しあげました件、事務局長から「推進委員会は、団体としての意思決定機関であり、公聴会や住民の方との意見交換会ではありませんので、一般住民の方が委員会や個々の委員に対し、直接意見を述べる場ではありません」との回答をいただきました。そんなことは当方もよく承知しており、承知しているからこそわざわざ知事にお願いしてご判断を仰いだ次第だったのですが、これ以上要請を重ねてもお聞き届けいただくのは無理であろうと考えて、次回の事業推進委員会で発言することは諦めることにいたしました。

 つきましては、ご多用のところまことに恐縮ですが、事業推進委員会に関するお考えをお聞かせいただきたく、拝眉の機をたまわりますようお願い申しあげます。用件は12月6日付書状に記したとおりで、「事業推進委員会というのはいったい何か」という点に関するお考えを承りたいのですが、これはいささか具体性を欠く質問ではありますので、12月6日付書状に記したことも含め、下記三点に関してご見解をお聞かせいただきたいと思います。

 1)第四回委員会の議案のひとつだった広報費の専決処分に関して、貴職は事務局の説明責任を追及されましたが、これは第二回委員会で行われた事業予算案の審議を否定するものであると思われます。広報費も事業予算案も、委員会の場に提出された資料はともにきわめて杜撰な内容でしたから、一方の説明責任のみを追及するのは明らかに首尾一貫しない態度であり、委員会における審議の妥当性や正当性に疑問を抱かざるを得ません。先の書状にも記したことですが、第四回委員会における貴職のご発言は、第二回委員会の審議が有効なものではなかったという事実を間接的に証明し、それまでの委員会の存在意義を完全に否定するものであったと判断される次第です。この点に関していかがお考えでしょうか。

 2)昨年11月21日に名張市内で行われた伊賀の蔵びらき事業フィナーレ式典のご挨拶で、貴職は「地域主権」という言葉をご使用になり、中央集権から地方分権へ、さらに地域主権へという時代の趨勢に言及なさいました。しかし、事業推進委員会の存在は貴職のおっしゃる地域主権を妨げるものであり、地方分権の流れを逆行するものでしかないように思われます。官民合同事業のための組織として設立された二〇〇四伊賀びと委員会に対して貴職が行うべきことは、事業推進委員会の会長として直接的な関与をつづけることではなく、二〇〇四伊賀びと委員会に事業の権限と予算と責任とを委ね、自助の精神を発揮させることではなかったかと判断いたします。この点に関していかがお考えでしょうか。

 3)これは先の書状には記していないことですが、貴職は昨年12月27日の定例記者会見において、伊賀の蔵びらき事業に関して「5月16日から11月21日までの半年間、伊賀地域を中心に300を超えるイベントを展開いたしまして、これにつきましては、伊賀であるとか三重県の様々な魅力というものを県内外、あるいは外国からもいろいろと関心を持ってお出でをいただいたというようなことがございましたので、そういう意味での情報発信ができたのではないかなと、こう思っております」と述べておられますが、「情報発信ができた」というご認識の根拠や裏付けはいったいどこにあるのでしょうか。私にはただの思い込みに基づいたご発言だとしか見えません。この点に関していかがお考えでしょうか。

 以上です。お目にかかってご意見をお聞かせいただけるのかどうか、メールでお知らせいただければ幸甚です。もしも面談の機会を頂戴できないのであれば、あらためて書面によるご回答をお願いしようと考えております。念のために申し添えておきますと、私がお聞きしたいのはあくまでも貴職のお考えであり、説明能力皆無の事務局に丸投げされるような真似は今度こそお控えいただきたく存じます。

 よろしくお願いいたします。

2005/01/07

 しかし年が改まったというのに私はいつまでこんな堂々めぐりをつづけていればいいのでしょうか。なんかカフカみたいだ。あたかも自分がカフカ作品の登場人物にでもなったような気さえしてくる次第ですが、果たして知事のお答えは可か不可か。やっぱカフカか。あすは事務局にメールをさしあげる予定となっております。


●1月8日(土)

 本日はお約束どおり例の事務局にメールをお送りしました。内容はこんな感じです。

 新年あけましておめでとうございます。旧年中は何かとお世話になり、あらためてお礼を申しあげます。本年もよろしくお願いいたします。

 また、昨年末には事務局長の「(1)03.12回答」と「(2)04.11・12回答」の二通のご回答をお送りいただき、ありがとうございました。拝読していささか呆れ返りましたが、回答(2)にありました「推進委員会は、団体としての意思決定機関であり、公聴会や住民の方との意見交換会ではありませんので、一般住民の方が委員会や個々の委員に対し、直接意見を述べる場ではありません。ただし、議事は公開しており、住民の方が傍聴したり、推進委員会に書面等で意見をお寄せいただくことは結構です。それに対しては、推進委員会として書面等でお答えすることとなります」との仰せに基づいてお願いを申しあげます。

 そもそも私がお訊きしたいのは、「事業推進委員会というのはいったい何か」ということにほかなりません。頂戴した回答(2)には「お尋ねの、事業推進委員会の存在意義や、2004伊賀びと委員会との関係性については、平成15年にお答えしたとおりでありますが、改めて御説明いたします」として説明を記していただいてありましたが、「平成15年にお答えした」とおっしゃるそのお答えがまったく要を得ておらず、はっきりいって何の説明にもなっていなかったということは当時から一再ならずお伝えしているとおりです。しかも今回のご説明は「平成15年にお答えしたとおり」ではなく、新たな文言をつけ加えることによって前回の説明を取り繕おうとしたものであり、その点でもおおいに呆れ返って言葉も出ないありさまなのですが、いずれにせよ私は事務局長の説明を要求しているわけではありませんので、勝手ながらその旨ご承知おきいただきたいと思います。

 さて、ここからがお願いなのですが、「推進委員会に書面等で意見をお寄せいただくことは結構です。それに対しては、推進委員会として書面等でお答えすることとなります」とのお言葉に甘えて、事業推進委員会の委員全員に「事業推進委員会というのはいったい何か」とお訊きいたしたく思います。私は以前から主張しておりますとおり、事業推進委員会はまったく必要のない組織であると認識しております。委員会の発足直後から現在に至るまで、この認識には微塵も変化がありません。むしろ、第二回から第四回までの委員会を傍聴して、自分の認識はきわめて正当なものであるとの思いを強くしております。とくに第四回委員会における知事のご発言は、会長みずから委員会の審議の無効性を証明したものであるとしか考えられず、そのことは12月6日付の知事宛文書にも記したとおりです。

 この件に関しましては昨日、知事宛にメールをお送りして、口頭によるか文書によるかは現時点ではわかりませんが、事業推進委員会の会長としての見解をお聞かせいただくようお願いしてあります。つきましては、ほかの委員のみなさんからもぜひお考えを承りたく、委員の方全員に私の質問をお送りいただいてそれに対するお答えをたまわりたいと考えております。そのご手配をお願いできるでしょうか。

 むろん委員の方には私の質問にお答えいただかねばならぬ義務はないでしょうが、委員会を発足させ存続させてきたのは税金の無駄づかいではないのかという組織の根幹に関わる疑問が提出され、しかも委員会の会長みずからが自分たちの審議の有効性を否定する発言をしているという明々白々たる事実が存在しているのですから、委員各位が私の質問に答えようとしないのであれば無責任のそしりは免れないでしょう。ともあれ、回答するかしないかは委員各位の判断に委ねることにして、私が用意する質問を委員各位にお送りいただき、事情を説明して回答を依頼する、そのお手数をお願いできるでしょうか。

 念のために申し添えますが、私はあくまでも委員それぞれの見解を知りたいと考えております。事務局のお考えをお知らせいただく必要はありません。よろしくお願いいたします。

2005/01/08

 新年も8日を迎えてなんか本調子になってきました。しかし調子に乗りすぎるのは禁物でしょう。今年も清々粛々と仕事に取り組んでゆきたいと存じます。


●1月9日(日)

 三重県知事をはじめとした「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者のみなさんに対する年頭のご挨拶とお願いとを済ませましたので、すでにして帰趨は明らかだという気もいたしますが、あとは先方任せ、当方の申し出にどのように対処していただけるのか、そのお答えをお待ちしたいと思います。あー暇になった。

 いや別に暇になったわけでもないのですが、きのうちょっとした用事があって京都に足を運びました。どこかの初えびすに出かけたのでしょう、吉兆笹を手にした親子づれとすれ違ったりしながら人通りの多い歩道をそぞろ歩きしていると、街はもう夕暮れ、なんか名張まで帰るのが面倒になったからそのへんに部屋借りて当分京都で暮らすことにするか、三重県のことなんかどうだっていいや、とじつにお気楽な考えが頭をかすめたりもしたのですが、とてもそんなわけにはまいりますまい。心を鬼にして戻ってまいりました。

 ではまたあした。


●1月12日(水)

 ではまたあした、とご挨拶申しあげたのに二日ほどお休みしてしまいました。お休みしているあいだに、またしても言論封殺の憂き目を見てしまいました。いや言論封殺といってしまうと語弊がありますが、感覚的にはほぼそんな感じです。

 何の話かと申しますと、昨年12月11日付伝言に──

 事情はあまり知らないのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の一環として伊賀地域のガイドブックが刊行されるらしく、その編集部からありがたいことにエッセイの注文をいただきましたので、A4判見開き二ページ分、お手のものの漫才をさらさら仕上げてきのう原稿を提出した次第なのですが、なにしろ版元が版元ですから言論封殺の可能性は多分にあり、事業に対して批判的なことを記せば原稿はまず間違いなくボツでしょう。

 と記した漫才のことなのですが、ボツにならぬよう万全を期して記したにもかかわらず、見事にボツになってしまいました。編集部のレベルではOKだったのですが、発行者のチェックでボツになったとのことで、発行者は誰かというというまでもなく二〇〇四伊賀びと委員会。実際にチェックに当たったのは同委員会事務局で、またおまえらかよ、人の漫才ボツにしてる暇があったらとっとと組かしら会と事業推進委員会を思いきり叩かせろ、と私は思います。

 それにしてもおかしいな。私は天下御免の売文業者、文を売るための手練手管には抜かりはないはずで、版元のご勘気を被らぬようたとえば下記のごとく意を用いてみた次第なのですが。

「それにしても『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』は見事なまでの大成功でした」
「君いまさらそんな白々しいことをよう口にできるもんですな」
「日本全国に伊賀地域と三重県をきっちり発信してもらいまして」
「とてもそうは思えませんけど」
「これで日本のどこへ行っても三重県の伊賀地域から来ましたゆうだけであの伊賀の蔵びらきの土地ですかゆうて人気者になれますから」
「そんなこと絶対にあり得へんのとちがいますか」
「でも君この事業に関しては知事も昨年十一月九日の定例会見で『例えば俳諧フュージョンでは、外国からの方も来られたりしていますし、十分、伊賀地域のことについて発信してきたんではないかなと、こう思います』てゆうてはるんですよ」
「そらなかには外国から来てくれた人もあるでしょうけど」
「せやからこれで世界のどこへ行ったかてジャパンの伊賀から来ましたゆうだけでオーアノ伊賀ノ蔵ビラーキデスカ。ヨーオイデナシテ」
「そんな外人おるわけないがな」
「マーアガッテダーコ」
「そんなんおらんちゅうのに」
「それでこの事業がここまでの成功を収めた背景には何があったのか」
「見当もつきませんけど」
「事業関係者の英知と努力です」
「君それ本気でゆうてますのか」
「まず三重県が立派です。伊賀地域の魅力を存分に発信できる素晴らしい事業をよう発案してくれました」
「ちょっと前までは伊賀に県政なしとかいわれてたんですけどね」
「それがいまや伊賀に県政おおありです。伊賀に県政オオアリクイ」
「何がオオアリクイやねん」
「それから県と伊賀地域七市町村の連携も緊密でしたね」
「連携は大切なことですから」
「県も市町村も選り抜きの精鋭を事業の事務局に派遣してくれまして」
「そうやったんですか」
「ほんまに有能なスタッフばっかりで。あれだけ優秀やったら伊賀県民局どころかアメリカ航空宇宙局に勤務することも可能でしょうね」
「同じ局でもえらい違いですけど」
「いっぽう地域住民側のスタッフもいずれ劣らぬ面々でした」
「官民合同の民のほうですな」
「みなさん伊賀地域を代表する知性と行動力の持ち主で」
「こっちも選り抜きの精鋭ですか」
「しかも一糸乱れぬ団結ぶりです」
「伊賀の人はなかなかひとつにまとまらんゆう話ですけど」
「たしかに上野と名張の仲が悪いゆう傾向は昔からあるんです」
「ところがこの事業に限ってはそんなことはなかったと」
「チームワークは抜群でした。あのメンバーでチームつくったら間違いなく楽天が買いに来ます」
「なんのチームですねんそれ」
「とにかく天地人ゆうやつですか」
「といいますと」
「二〇〇四年という天の時と伊賀という地の利と伊賀びとという人の和が相まってこれ以上は望めないほどの大成功がもたらされたんです」
「それやったらええんですけど」

 事業の開幕以前から三重県庁内部ではあの事業は失敗であったと過去形で公然と囁かれていたらしい官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をここまで大絶賛した漫才がどうしてボツにされねばならぬのか。責任者出てこいと怒ってみても誰も出てきませんし、出てきたとしてもどうせ莫迦なのでお話になりませんから責任者出てこいとは申しませんが、ものの値打ちのわからぬ人間というのはほんとに困ったものです。

 もっとも、原稿が没になるのは普通によくある話ですから、これを言論封殺と呼ぶのは正しくありません。売文業者は発行者あるいは編集者の判断に従うしかありません。ですから私は原稿を書き直さなければならなくなり、急いで書き始めてみたのですが──

「新年早々えらいもんが流行ってまして」
「何の話ですねん」
「名前聞いただけで笑いますからね実際」
「せやから何の話ですねん」
「ノロウイルス」

 などと書いておってはまたしてもボツになるのであろうな。


●1月13日(木)

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の一環として刊行される伊賀地域のガイドブックに寄稿した私の漫才が二〇〇四伊賀びと委員会事務局の思し召しによってボツになってしまったという話のつづきですが、おかしいなあ、どうしてボツになってしまったのか、そんなことになるはずはないのに、おかしいなあ。

 昨年末、用事があって委員会の事務局にお邪魔したときにも誰からもそんな話は出てきませんでしたし、それどころか私は、

 「相作さん渋いッすね、『伊賀人』の写真」

 とか声をかけられたくらいで、ちなみに「伊賀人」というのはこのガイドブックのタイトル、写真というのは私の漫才「芭蕉さんはどこへ消えた」に添えて掲載されるはずだった私の写真のことで、南無阿弥陀仏も悩ましいコスプレ姿がじつになんとも本格的に渋かったらしいのですが、その写真もボツということになってしまいました。しかしおかしいなあ、そんなことになるはずはないのに、ほんとにおかしいなあ。

 つらつら案じますに、三重県というところには爆発的流行を見せつつあるウイルスみたいな名前の知事をはじめとして、言論というものをおおきに軽んずる輩が多く棲息しているようですから困ったものです。人の言論を封殺したり検閲したりということを平気でやる一方、言を左右にしたり首尾のまったく一貫しない姑息な説明を並べ立ててその場を取り繕おうとしてみたり、たとえば二〇〇四伊賀びと委員会事務局なんてのは一昨年の夏からそんな頭の悪いことばかりくり返しているわけなのですが、これすなわち言論というものを鴻毛のごとく軽んずる態度だといわずして何という。自分の言葉に責任を持とうとしない莫迦ってのは、結局は人の言葉も自分たちのそれと同様に無責任でいい加減でその場しのぎのものだと思い込んでいるということなのかもしれません。じつに困ったものです。

 といったところで伊勢新聞のオフィシャルサイトから三重県のニュースを一件。

総人件費・5年で4―5%抑制/昇給停止年齢も引き下げ
 野呂昭彦知事は十二日、職員定数削減などに着手し、来年度から二十一年度までの五年間で、総人件費を4―5%カットする考えを示した。また、二十三年度までに、昇給停止年齢も現行の五十八歳から五十五歳に段階的に引き下げる。

 いやー、昇給停止年齢が引き下げられるのはかなりつらいことなのでしょうね、とっくに思考停止している三重県の腐れ役人のみなさん。お察し申しあげます。

 そうかと思うと、けさの朝日新聞社会面の「NEWS ダブルクリック」欄には「公務員の待遇改革/ガラス張り“鳥取式”/県民監視へ積極公開」という記事が掲載されています。鳥取県の片山善博知事が情報公開の一環として職員給与の実態をホームページで公表、「行政関係者を驚かせたのは、昇給制度の建前と実際の違いを、あからさまに解説していたことだ」とのことで、鳥取総局・内藤あゆみ記者の記事から少々引用いたしますと──

 制度上は、行政職の給与を主事クラスの1級から部長クラスの11級までに分類し、昇任すれば級が上がって昇給することになっている。だが現状は、昇任するしないにかかわらず、年功序列でほぼ一律に昇給していく「わたり」と呼ばれる慣行がつづいていた。

 県職員課によると、公表後のひと月で、県民から封書や電子メールなど85件の意見が寄せられた。うち年功序列的な運用見直しや、「わたり」の廃止を求める声は計60件。県は本来の仕組みに戻すため、細かな勤務評価のルール作りなどを進めているところだ。

 普通に考えると、三重県職員の待遇もまた「本来の仕組み」からはかけ離れた、ということは県民がとても納得できないような「慣行」に基づいているのではないかと判断される次第なのですが、実際のところはどうなのでしょうか。少なくとも名張市の場合は年功序列というものが唯一無二といっていいほどに大きな要素となっていて、たとえどんな莫迦であっても職員のみなさんには年功序列に応じたポストと給与を手にしていただかなければなりません。なんかもう大変みたいです。

 そんなことはともかく、引用をもう少々。

 片山善博・鳥取県知事の話 公務員の給与や処遇は納税者の理解と納得を得られるものでないといけない。労使がつるんで隠れていい目を見ることが許される時代ではない。次々と明らかになった大阪市の問題も、労使の密室交渉の中だから起こった。

 行政に必要なのは、透明性の徹底と説明責任、日常的なチェックだ。鳥取県では給与体系は全部公開しなさいと言っている。公開にすれば、不正の芽が摘まれ、信頼を得る基礎ができる。住民も自治体を追及し、点検する係になってもらいたい。行政が見落とすことはいっぱいある。予算編成にもどんどん意見を寄せてほしい。

 うーん、どっかで聞いたことがある話だなと思ったら、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に対する私の批判そのまんまではありませんか。私はこの事業が「透明性の徹底と説明責任、日常的なチェック」などといった言葉とあまりにも無縁であることを指摘し、地域住民の共感を得るためには公開性を高めることで「信頼を得る基礎」をつくれと二〇〇四伊賀びと委員会に何度もアドバイスして、もとより「行政が見落とすことはいっぱいあ」りますから、それを「追及し、点検する係」として大々的に事業批判を展開いたしましたところ、野呂昭彦知事からその批判を「雑音」と一蹴されてしまったわけなのね。要するに三重県は鳥取県とは正反対、すべて「密室」のなかでものごとを進めるのがお好きなようで、それならカーでも読んでろすっとこどっこい。


●1月14日(金)

 きのうからの流れで本日も三重県の人件費について。まず毎日新聞のオフィシャルサイトから。

県三役の給与5%カット 管理職手当も3〜5%−−新年度から2年間 /三重
 野呂昭彦知事は12日の県議会予算決算特別委員会で、05年度から2年間、県三役の給与を5%カットするなど、人件費を抑制する考えを明らかにした。厳しい財政状況に伴う措置で、課長級以上の管理職手当も3〜5%カットし、2年間で計約1億2000万円の人件費を削減する。県総務局によると、三役など特別職の給与カットは、三重、佐賀を除く45都道府県で既に実施しているという。【影山哲也】

 この記事を読むかぎりでは、三重県というのはじつにぼんやりした県だなという気がいたします。全国四十五都道府県がとっくに手をつけている特別職の給与カットを2005年度から実施するというのでは、なんかあまりにものんびりしすぎた話だと思われます。県民は引くでしょう。ドン引きでしょう。私とてご同様。そもそも私の主張というのは、これだけの財政難なのであるから「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業などという前知事のばらまき路線は頭から見直し、むしろ三重県は消化試合みたいなしょーもないイベントにはお金をつかわない県になりますと宣言したほうがいいのではないか、どうせ伊賀地域住民なんて莫迦ばかりなんだし、といったことであったのですが、この主張の大前提であった財政難という事態が三重県にはよく認識されておらなんだのではないか。いや認識はできておったとしても、それなら何をすればいいのかということにまでは知恵が回らなかったのではないか。げんにいまごろになって特別職の給与がどうのこうのと眠たいことをいってるわけなんですから、知恵は恐ろしく回っていなかったと見るべきでしょう。

 今度は朝日新聞オフィシャルサイトから。

県、人件費21〜25億円減
職員、5年で200人削減

 05年度から5年間で職員削減を実施。4〜5%減という目標が達成されれば、総額で17億〜21億円が抑えられる。200人程度が削減の対象とみられ、今秋に正式な削減数を決めて、新規採用を抑えていくという。

 また、昇給が停止する年齢を58歳から55歳に引き下げる。6年間の経過措置を経て11年度から完全に実施し、3億円の削減となる。

 勤続20年以上の職員が退職する際の特別昇給も、「お手盛り」との批判を受けて今年から廃止。1億〜1億3千万円が減らされる。

 これら三つの抑制策が整う11年度以降は、今年度よりも年間で計21億〜25億円を削減できる見通しだ。

 こうした記事を読むたびに痛感させられるのは、お役所にもリストラ制度を導入すればいいではないかということです。薹の立った役立たずを馘にできればお役所も少しはましなところになるものと思われる次第ですが、実際はまったくの逆。地域社会に身を挺するべく希望に燃えてお役所に入る若い衆だって少なからず存在するはずなのですが、三重県は財政難のせいで新規採用を抑えるというのですから、薹の立った役立たずがいよいよ幅を利かせる結果になることが予想され、そういった連中が責任回避と自己保身を第一義としてお役所仕事に精励する姿を日々目の当たりにしておりますと、どれほど意欲的な若い衆もいずれお役人体質に凝り固まってしまうのは必定でしょう。小手先の節減や改革ではなくてお役所のシステムそのものをすっかり改めてしまわなければ、三重県庁は現在以上に莫迦の巣窟になってしまうのではないでしょうか。むろん名張市役所だってそうでしょうけど。なんとかならんか実際。

 ところで、1月7日付の知事室宛メールで依頼した件にいまだに回答が寄せられないのはどうしてなのでしょう。むろん知事がご多忙であることは承知しておるつもりですが、なにしろ私はこれまでろくな扱いを受けておりませんからどうしても疑心暗鬼になってしまい、また黙殺されたままで終わってしまうのかと暗い気分になってしまいます。そういえば、二〇〇四伊賀びと委員会の事務局からもまだ回答がありませんし。知事室と事務局が密室のなかで何やらよからぬ相談をしているのではないかしらん、とこれもまた疑心暗鬼。

 ここでふと思い出しますのは、昨年夏のことでしたが、私が三重県知事のパフォーマンス行事「知事と語ろう本音でトーク」に出席すると公表したところ二〇〇四伊賀びと委員会事務局にちょっとした動きがあったことで、それならもう一度「知事と語ろう本音でトーク」に参加してみるのも一興かもしれません。ちょうど2月11日には伊賀市阿保の青山ホールで「知事と語ろう本音でトーク」が開催されるそうですから、知事のパフォーマンスの片棒を担ぐのは決して本意ではないのですが、先方がうんともすんともいってこないのだからそうするしかないか。とはいえ、かりにそうしてみたところで何がどうなるものでもないのかもしれませんが。

 とにかく人の言論というものにまったく重きをおかず、言論をひたすら封殺したり検閲したりして平気な顔をしているのが三重県というところで、それはもう従軍慰安婦問題をテーマにしたNHKのテレビ番組で検閲まがいのことをしたらしいと報じられている安倍晋三さんだの中川昭一さんだのと肩を並べんばかりのレベルなのですが、まあ要するに、地方分権という時代の流れにはいちじるしく逆行していても、権力が言論の自由をいよいよ強く統制しつつあるという時代の流れには見事に棹を差しているわけですね三重県は。やっとれんなまったく。

 それにしても「知事と語ろう本音でトーク」はどうしましょうか。


●1月15日(土)

 「知事と語ろう本音でトーク」のことを話題にした効果だと見るべきかどうか、とにかく二〇〇四伊賀びと委員会の事務局からメールをいただきました。

 中 相作 様

いつもお世話になります。

昨日(1月13日)、中さんにお越しいただいた日以来の組かしら会を開催いたしました。その席上、昨年12月17日付けでお申出がありましたことについて、審議いたしました。

その結果、昨年8月20日付けで回答いたしました内容を組かしら会として再確認したことを、お伝えいたします。

なお、1月8日付けのお申出に対する回答につきましては、今暫くの御猶予をいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

平成17年1月14日

 やれやれ。莫迦がいつまでも堂々めぐりをしております。堂々めぐりと申しますか、とにかくもう手も足も出ないし一言もない、しかし自分たちの非を認めることは絶対にしたくない、みたいな感じなのでしょうか。どうしてそんなに意固地になるのか。どうしてそれほど面子や体面にこだわるのか。組かしら会がこだわるべきなのは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業における情報公開や説明責任の問題なのであって、そんなことも理解できず保身のことしか考えられない人間がどうして組かしらなんか務めておるのか。いやもう呆れ返った。

 たとえば昨年11月3日の伝言に私はこんなことを記しております。

 こら見とるか二〇〇四伊賀びと委員会組かしら会の莫迦ども。大莫迦者ども。おまえらほんとにどうしようもない莫迦だな。おまえら人を差し向けて俺を懐柔しようとしたであろう。そんな手が通用すると思うか。どうしておまえらにはそんなことしか考えつけないのだ。どうして陰でこそこそすることしかできないのだ。陰でこそこそ人目をはばかるようにして事業のプランを決定し、予算の詳細もまた陰に隠してまったく公表しようとしない。掲示板を開設しておきながら閲覧者の投稿にはいっさい応えようとせず、自分たちの都合が悪くなったら保身のためにいきなり閉鎖してしまう。嘘八百の閉鎖理由を並べ立てて平然としている。まったくどうしようもない連中だな。おまえらその場その場の思いつきだけでことを進めたあげく、言論の封殺というとんでもないことをしでかしてしまったということがまだわからんのか。

 なにしろ懐柔工作なんですからすっかり表沙汰にするのは具合が悪かろうと考え、上記の伝言では具体的な工作内容をいっさい伏せておりますけれども、私はこの工作の場で掲示板閉鎖の舞台裏も大雑把に聞き及んでおります。つまり、自分たちが開設した掲示板なのだから自分たちが勝手に閉鎖しても何も問題はないだろう、とじつに浅はかにして身勝手な幼児のごとき判断に基づいて閉鎖したということだったらしいのですが、ほんとに野呂知事いかがですか。知事ご提唱の「新しい時代の公」を担っているはずの二〇〇四伊賀びと委員会における「公」の概念がいったいどのようなものか、これでおわかりいただけるでしょう。てめーらのことしか考えてねーじゃん。

 莫迦が上っ面だけきれいごとで固めて調子こいてんじゃねーぞこら。こら、ということもありませんけど、他人とべたべたしながらきれいごとばかり並べ立て、いわゆるいい人を演じている人間はいつのまにか演じることのストレスがたまってごく些細なことで大爆発、見苦しい本性をすっかり露呈したあげく頭を抱えて悶々とする羽目にもなりかねません。とてもそんな器じゃないのに地域住民の代表なんか演じてる組かしら会のみなさん、どうぞご注意くださいね。しかしまあ、組かしら会が私に対して懐柔工作を行うということは、組かしら会がみずからの非を暗黙のうちに認めているということにほかならないでしょう。にもかかわらず彼らと来たら、いくら突っついても自分たちの非を公式には認めようとしないわけなんです。

 致し方ありません。これ以上組かしら会を相手にしていても、埒はいっこうにあかないであろうと判断されます。となると次は各個撃破か。ということは、事務局には説明能力がなく事業推進委員会の会長は事業について何も知らないと来ているのですから、消去法で考えれば二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長と協議を進めるくらいしか手がないということになってしまいます。はてさてどうしたものじゃやら。

 そもそも私は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業そのものを一貫して批判してきたわけですが、組かしら会に対しては掲示板のことのみに問題を限定し、組かしら会が素直に非を認めて過去ログを公開してくれればそれで話を終わらせるつもりでおりました。しかし辻村さんと協議を進めることになるとすれば、掲示板の問題のみならず私が辻村さんや二〇〇四伊賀びと委員会に対して行った助言や批判がまったく生かされなかったのはどうしてなのか、どんな障害があったのか、どこのどいつが邪魔をしたのか、そういったことも明らかにしていったほうがいいだろうと思われますし、あの掲示板で質問しながら回答が得られなかった問題もおそらく蒸し返すことになるでしょう。

 まったく世話の焼ける莫迦どもだ。こら莫迦ども。おまえら事業の当事者のくせして情報公開や説明責任にまったく無頓着でいるものだから君たちそれではまずかろう、情報はこうしなさい説明はこうしなさいと親身になってアドバイスしてやったにもかかわらずそれをいっさい受け容れず、それどころかオフィシャルサイトの掲示板で二〇〇四伊賀びと委員会は情報公開や説明責任の問題を完全に無視した組織であるという情けない事実をあっさり露呈してしまい、その事実を隠蔽するために過去ログを読めなくして収まり返っている莫迦ども。人がせっかく掲示板の問題だけで矛を収めてやろうと考えていたのに、おまえらまた自分たちの莫迦さ加減を一から世間にさらすことになるんだぞ。どうしてそこまで莫迦なの。どうしてここまで世話を焼かせるの。

 腹が立ってきたから思わずこんなメールを事務局に送信してしまいました。

 組かしら会の協議についてお知らせをいただき、ありがとうございました。つきましては以下二点、組かしら会のみなさんによろしくお伝えください。

 一点目は、昨年12月16日の組かしら会でも申しあげましたが、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトに掲載されている掲示板閉鎖に関する説明では、過去ログを閲覧不能にしている理由を知ることができません。むろん組かしら会のみなさんにとって都合の悪い投稿があるから読めなくしたのだということは明白なのですが、掲示板の閉鎖については曲がりなりにも嘘で固めた説明を掲載してあるのですから、過去ログを閲覧不能にしたことに関しても何らかの説明が必要なのではないかと考えます。新たに説明を加えていただけないものでしょうか。

 二点目。掲示板の問題に関してこれ以上組かしら会や事務局を相手にしていても埒があかないと判断されますので、今後は二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長と直接協議を進めたいと思います。掲示板の問題だけでなく、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業全体を対象として協議することになるかもしれません。むろん辻村さんには私の申し出に応じなければならぬ義務はないでしょうが、辻村さんはこの事業において情報公開や説明責任がいかに大切なものであるかをよくご認識のはずですから、二〇〇四伊賀びと委員会の会長として必ずや私との協議に応じていただけるものと確信しております。辻村さんにはかなりの精神的負担を強いることになると思われますので、組かしらのみなさんも辻村さんをしっかりフォローしてあげてくださいね。

 以上です。よろしくお願いいたします。

2005/01/15

 しかしどうしたものじゃやら。とかなんとかいいながら、週が明けたらいっちょ知事室を揺さぶってみるか。そういえば「知事と語ろう本音でトーク」、これもどうしたものじゃやら。