2005年1月後半

●1月16日(日)

 よく考えてみたらきのうは土曜日ですからお役所はお休みだったはずなのですが、三重県庁知事室スタッフから昨日夕刻にお電話をいただきました。おとといにもいただいたらしいのですが、そのときには私が留守だったとのことでした。ちょっとした所用があって三重県津市に赴いておりましたので、たぶんそのときのことでしょう。NHK津放送局のあたりまで足を運んだのですから、ついでのことに県庁知事室まで足を伸ばせばよかったのかな。

 そんなことはともかく、1月7日付メールの添付ファイルで知事にお願いしました件、つまり一度お目にかかってご意見をお聞かせいただきたいのだが、それが果たして可能かどうかという点に関しましては、遺憾ながら面談に割ける時間的余裕がないとのことでしたので、それならそれで結構ですから、先の文書にも記しましたとおり知事のお考えを書面でお知らせいただきたいとお願いしましたところ、事務局とも相談して検討してみるとのお答えをいただきました。

 「いやあきませんて。あの事務局はほんまあきませんて」

 と当方の見解もお伝えしておいた次第なのですが、さていかなることにあいなりますか。


●1月17日(月)

 報道によれば(別に報道によらなくても)、阪神・淡路大震災からちょうど十年が経過しました。十年前の1月17日午前5時46分、地震発生時には当地でも大きな揺れが感じられ、眼を醒ました私は布団のなかでしばらく身を固くしていましたが、物が倒れたりするような音は何も聞こえませんでしたので、ふたたび安眠をむさぼり始めました。

 そういえば、十年前の1月16日には大阪の知人が黒門市場で入手した河豚を手みやげにやって来て、てっちり大宴会のあと拙宅で宿泊していったのですが、17日朝のテレビニュースで神戸の惨状を知り、あわてて帰っていったものでした。あれから十年か。

 さて、けさのニュースから。

文豪スタインベックの故郷、図書館閉鎖へ 市の財政難で
 「怒りの葡萄(ぶどう)」で知られる米国のノーベル賞作家スタインベックの故郷で、スタインベック図書館など三つの公共図書館すべてが近く閉館されることになった。市の財政難が理由。文豪は「下調べで地元の図書館をよく利用した」(同館員)といわれ、図書館の「冬の時代」を嘆く声が上がっている。
朝日新聞 asahi.com 2005/01/16/23:30

 市の予算が足りなくなったため「コスト減らしの一環として図書館を閉じる」ことになり、しかし「廃館にはせず、書庫はそのまま保存して、財政が回復すれば再開したいとの考え」とのことです。アメリカと日本では図書館事情が異なりますから同列に論じることはできませんし、いくら地方自治体の財政難が深刻になっても日本では公立図書館を閉鎖するような事態には立ち至らぬだろうとは思うのですが、もしかしたら十年後くらいには案外、と不安にならぬでもありません。

 あっちもこっちもどっちを向いても冬の時代だなと実感される次第です。


●1月19日(水)

 こんな草深いところですから流行の犯罪など発生するはずがないだろうと思っていたのですが、名張市でもついに出ました。流行りの偽札が。

女高生らが偽1万円札使用、4人逮捕3人取り調べ
 偽の旧1万円札を使ったなどとして、奈良県警捜査2課と高田署などが、三重県名張市に住む私立高校1年の女子生徒(16)ら15―17歳の計4人を偽造通貨行使・交付の疑いで逮捕していたことが18日、わかった。

 女子生徒は「サラリーマン風の男からもらった。偽札と知っていたが、本物そっくりなので使えると思った」と供述。遊び仲間に「これ、偽札やねん」と話しながら、渡していたという。

読売新聞 YOMIURI ON-LINE 2005/01/18/23:14

 この女子高生は「昨年11月20日、名張市内のコンビニエンスストアと食料品店で菓子などを購入する際、偽1万円札を1枚ずつ使用」したとのことで、ただし「本物そっくり」だったはずなのに受け取った飲食店主は「すぐに偽札とわかった」そうです。この女子高生、あほ?

コンビニなどでニセ札使い女子高生ら逮捕…男女7人
 奈良県警捜査二課と高田署に逮捕された4人は、三重県名張市に住む奈良県立高校1年の女子生徒(16)や、奈良県香芝市の土木作業員の少年(16)ら。ほかに、15−16歳の高校生男女生徒3人が書類送検された。7人は容疑を認めている。

 調べでは、女子生徒は同じ名張市内に住む女子高生(15)とともに昨年11月20日、同市内のコンビニと食料品店へ。ジュースなど14点計2134円分とスナック菓子100円分をそれぞれの店で買った際、偽1万円札を使用した疑い。

 女子生徒は「昨年11月中旬に偽の旧1万円札5枚を手に入れ、遊び仲間に配った」と供述。実際に11月27日、奈良県橿原市の近鉄「橿原神宮前」駅構内で、奈良県田原本町に住む女子高生(16)ら遊び仲間3人に「これ偽札やねん」と見せびらかし、1枚ずつ配っていた。このためすでに12月21日、偽造通貨交付容疑で逮捕されている。

 「これ偽札やねん」といかにも軽いノリで偽造通貨を使用したこの女子高生、しょっ引かれたときに「ゴジヤウダンやねん」とでも嘯いてみせれば座蒲団の一枚も貰えたのではないかと思われますが、それにしても当節の偽札ブームはいったいどうしたことでしょう。日本社会がバブル経済にすちゃらか狂奔したあの時期以降、お金というもののもつ実質とかリアリティとかが急速に失われてしまったということなのかもしれません。この女子高生もその意味では不憫な世代だということも可能でしょうが、しかしまず間違いなくあほではあるでしょう。

 あほといえば思い出されるのが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」なのですが、ほんとにどうしたものじゃやら。


●1月20日(木)

 しつこいようですが続報です。

偽札「援交でもらった」 使用容疑の高1女子生徒が供述
 奈良県警は18日、偽の旧1万円札を使うなどしたとして、偽造通貨行使などの疑いで同県と三重県に住む高校生ら15〜17歳の男女4人を逮捕、3人を書類送検した、と発表した。このうち奈良県立高校1年の女子生徒(16)は「援助交際相手の男性から5万円をもらい、後で偽札と気づいた。自分で使ったり、友人に渡したりした」と供述しており、県警は流通経路を追っている。

 調べでは、この女子生徒は昨年11月20日、友人の三重県立高校1年の女子生徒(15)と、同県名張市のコンビニエンスストアなどで、商品の代金を偽札で支払った疑い。同月27日には奈良県橿原市内で、同級生3人に偽札を1枚ずつ譲り渡したという。受け取った1人は怖くなって燃やしていた。県警は昨年12月21日、奈良県立高校1年の男子生徒(15)と工員の少年(17)が、残りの2枚のうちの1枚をコンビニで使ったとして逮捕し、調べていた。

 きのうの読売の記事では、女子高生は「サラリーマン風の男からもらった。偽札と知っていたが、本物そっくりなので使えると思った」と供述しているとのことでしたが、「サラリーマン風の男」が援交相手、いや援交なんて言葉はあまりつかいたくありませんからより正確に売春という言葉を使用いたしますが、つまり女子高生の売春相手というわけでしょうか。名張市内のどこに行けばこんな女子高生に会えるのか。やはり出会い系サイトとかいうのを利用するしかないのでしょうか。

 出会い系サイトではまったくありませんが、皓星社のオフィシャルサイトに「子不語の夢」というページが開設されました。掲示板もあります。私もさっき投稿してきました。きのう「人外境だより」にも記したのですが、『子不語の夢』の正誤表(つまり誤植の訂正表です)をネット上で公開してくれと依頼したのがこのページを開設するきっかけになったはずなのですが、正誤表はまだ工事中となっております。もうしばらくお待ちください。

 それから、これも「人外境だより」に記しましたとおり、『子不語の夢』に関しては「舞台裏のことも含めていずれ当サイトで報告する」つもりでいるのですが、まだ準備が整いません。舞台裏のことというのは、たとえば私がどうして監修者を務めているのかといったことの舞台裏であり、準備というのは、たとえば刊行のための予算五百五十万円の内訳といったデータの準備のことなのですが、この報告ももうしばらくお待ちください、とお願いしておきます。


●1月21日(金)

 本日は昨日付中日新聞伊賀版の記事をどうぞ。

「細川邸」を歴史拠点に
名張市のまちなか再生素案
 名張市の名張地区既成市街地再生計画「まちなか再生プラン」(仮称)の素案がまとまった。地区の歴史拠点として新町の旧家「細川邸」を改修し歴史資料館とすることなどを盛り込んだ内容。二十日開かれる計画策定委員会に提示し、審議を経て正式な計画となる。 (伊東 浩一)

 同プランは、商業の空洞化、人口減少などが進む名張地区の本年度から十年間のまちづくりの方向性や具体的事業を示す計画。

 公募した市民や名張商工会議所の関係者ら四十九人で昨年七月から素案の策定作業を進めてきた。

 この「まちなか再生プラン」(仮称)、まだ正式には公表されておりませんから内容についてあれこれ申しあげることはできないのですが、不本意ながら不備を指摘せざるを得ないプランではないかと思われます。大きな不備はおそらくふたつあり、ひとつは既成市街地をどのような「まちなか」にしたいのかという総合的な視点が欠落していること、もうひとつは既成市街地の「再生」に生活という発想が存在していないことであろうと思われます。計画の中身も確認しないでこんなことを指摘するのは差し控えるべきではありますけれど、計画を策定したのが「公募した市民や名張商工会議所の関係者ら四十九人」だというのですから、たいしたことはまったく期待できないにちがいありません。

 記事には「母屋と蔵を改修して資料館とし、名張城下絵図や江戸川乱歩の関連品など名張地区ゆかりの資料を常設展示」ともあり、プランといったって無責任に思いつきを並べ立てていただいているだけではないかという印象が拭えないのですが、乱歩の関連品ならば名張市立図書館の乱歩コーナーにある著書や遺品を移動すればよろしく、むしろそっちのほうがすっきりすると申しますか、望ましいことであるとは思うのですが、ちゃんとした展望に基づいたプランであるのならばともかく、ただの思いつきだというのであれば叱り飛ばしてやる必要が出てくるかもしれません。あれはいつでしたか、名張商工会議所の会頭が名張の「まちなか」に乱歩記念館をと提案されたときにやんわり叱り飛ばしてさしあげた、あれに似たようなことをまたやらねばならぬのかと思うといささかうんざりいたしますが、まあ致し方はありますまい。

 いやその前に現在ただいまは三重県知事や二〇〇四伊賀びと委員会を叱り飛ばしている最中なわけであって、なんか私は忙しい。


●1月24日(月)

 似たような話題ばかりがつづきますが、本日は1月23日発行の「広報なばり」605号に掲載された「市議会だより」の引用です。昨年12月議会で行われた一般質問の記事なのですが、下記の質問と答弁をお読みください。

【無会派】田郷 誠之助
乱歩の世界の町づくり
答弁 桝田医院寄贈活用
「乱歩が生きた時代展」は充実した内容だった。これら資料の展示・陳列が、今後とも公開できる場が必要だ。乱歩の世界を演出できる町づくりを。

「伊賀の蔵びらき」事業にあわせて市制50周年記念事業を実施、特に「名張の乱歩」の顕彰に重点をおいた。この顕彰事業を一過性に終わらせないためにも、今回好評だった、怪人二十面相による、名張観光の今後の広域発信を考える。また、乱歩生家のあった桝田医院からこの度、敷地と建物の寄贈を受けたので、この機会にこれを乱歩記念館として活用するべく検討に入る。あわせて、乱歩の世界を演出できる町づくりに努める。

 やめよう。ほんとにもうやめよう。ろくに乱歩作品を読んだこともない人間がただの思いつきで「乱歩の世界を演出できる町づくり」などと口にするのはいい加減でやめてしまわなければなりません。

 12月上旬のことでした。ある日の夕刻、近鉄百貨店桔梗が丘店の新刊書店で私はこの田郷誠之助議員にお会いしました。12月議会の一般質問で乱歩に関して質問するつもりなのだが、ついては「乱歩が生きた時代展」で展示した階段(つまり本職の大工さんにつくってもらった旧乱歩邸土蔵階段の原寸模型のことですが)をどうするのか、おまえは知っているのかとのお尋ねをいただきましたので、

 「いずれどこかへ復元したいとかゆう話ですけど、適当な場所がありませんから、たぶんどうにもならんのとちがいますか。それより先生、乱歩生誕地碑のある桝田病院の病棟が土地建物とも名張市に寄贈されたんですけど」

 「ほんまですか」

 「そのはずなんですけどいっこうに公表されませんねん。なんやったら一般質問で訊いてみたってくれませんか」

 とお願いいたしました。桝田敏明先生のご遺族から寄贈のお話をいただき、しかるべく手配したのは憚りながらこの私なのですが、その際、寄贈の手続きが終了したらただちにその事実を公表し、市民から意見を募って土地建物の活用法を検討することが望ましい、ただし市民任せにしてはいけない、なぜなら市民は乱歩のことなど何も知らぬからである、たぶんろくな提案はないであろう、したがって名張市としても活用法のプランを用意しているべきである、そのプランというのは乱歩生家の復元である、といった意見も具申しておいたのですが、手続きは終わったはずなのにいっこうに公表されません。ですからたまたまお会いした田郷先生に上記のごとくお願いした次第です。

 田郷先生が一般質問に立たれたのは12月8日のことでしたが、その前日、記者クラブの記者さん四人が名張市立図書館まで取材に来てくださいまして、といったことはこの伝言でもご紹介したとおりです。その取材のおり、

 「これはオフレコなんですけど、あの土地の活用策としては生家の復元が一番いいだろうということは名張市側に伝えてあります」

 「いや中さん、生家の復元というのは面白いから記事にしましょうよ」

 「え」

 「そうですよ。あくまでも中さん個人の意見なんですから」

 「ほなまあそうゆうふうに書いといてください」

 といったゆくたてがあって、12月8日付日刊各紙伊賀版には「乱歩の生家を復元したらおもしろいのではないか」だの「乱歩の生資料の収集は難しいが、生家を復元したら面白い。生誕碑が出来て50周年となる来年11月3日のオープンを目指してほしい」だのといった私のコメントが掲載されたという寸法です。もっとも生家の復元というプランは目新しいものではなく、一昨年には名張商工会議所の会頭に提案して、みたいなことは今年に入ってからもこの伝言に書きつけました。まったく似たような話題ばかりで困ったものですが、あすにつづきます。


●1月25日(火)

 あすにつづきます、ときのうは記したのですが、本日はまず一通のメールをご紹介いたします。

突然のメールで申し訳ございません。率直に言わせていただけば既婚者である私と割り切った関係を持って頂けませんか?時間をもてあまし、体ももてあましております。代価として月に15万円前後のサポートをお約束します。難しい事は言いません。月最低二回以上会って頂ければ問題ありません。2人の時に恋人のように接して頂ければ結構です。貴方の時間を少し拘束してしまうのでサポートという形を取らせていただきます。日時、時間も貴方に合わせます。興味を頂ける内容だと思います。貴方さえお手すきでしたら明日にでも会ってみたいと思っている次第です。
もし可能であれば、play-M-999005@sweet-chat.netにメールを送ってください。そこに貴方のお住みになっているところをお教え願いたいです。宜しくお願いいたします。

前原 瀬名

 うっかり sena_speed_lovelove@yahoo.co.jp の前原瀬名さんからのメールをご紹介してしまいました。こんなメールは関係ありません。ご紹介したいのは二〇〇四伊賀びと委員会事務局からの次のメールです。

中 相作 さま

 いつもお世話になります。
 1月7日付けで三重県知事に対しお申出いただいた件と、
1月8日付けで当事務局に対しお申出いただいた件につき
まして、別添のとおり回答させていただきます。
 返事が遅くなり申し訳ありませんでした。よろしくお願いいたします。

 お送りいただいた添付ファイルは二通。一通目の「(1)05.1.7回答」は次のとおり。

   中 相作 様

2005年1月7日付けで三重県知事に対しお申出のありましたことについて、お答えいたします。

(1) 推進委員会における審議は、その都度適切に行われ、組織としての意思を決定しています。第2回推進委員会における広報強化の審議結果を経て、第4回推進委員会では、平成15年度の決算認定の権限を果たす上で、広報費補正の詳細を求めて、決算認定を行ったものであり、推進委員会の存在意義を否定するものではありません。

(2) 推進委員会は事業全体の方針・方向性を決定し、また伊賀びと委員会は官民協働により事業の企画・実施を行うという適切な役割分担のもとで、伊賀びと委員会は、自助の精神を発揮し、自主的・主体的に事業を推進しているところです。
   例えば、伊賀びと委員会は、個々の事業応募者から提出された事業計画書や予算書に基づき、主体的に事業費等の決定を行うなど、個々の事業の予算化を決定してきました。フィナーレ事業の例で申しますと、「フィナーレイベント実行委員会」「乱歩蔵びらき委員会」などが立ち上がり、そのなかで企画から事業効果まで考えて実施したところです。こうしたことにより、多くの市民のご協力を得て、事業を実施することができました。

(3) 当事業については、ポスター・チラシ、広報誌、新聞・雑誌等の紙媒体、電波媒体、交通媒体、電子媒体等を通じて、各方面に情報発信を行うとともに、県内外における各種イベントや事業との連携により情報発信に努めました。
また、事業を通じての情報発信の一例を挙げますと、10月の「世界俳諧フュージョン2004」では、海外の連句詩人を迎えた国際連句会、ドナルド・キーン氏の講演、著名な俳人との吟行、画家の元永定正氏、詩人谷川俊太郎氏らによる俳諧パフォーマンスなどを行い、この催しが各種メディアに取り上げられたことにより、各地に伊賀を発信することができました。
さらに、平成16年4月から11月までの伊賀市内の主な観光施設への入込数において、前年比で約2割の増加がみられ、さらに芭蕉さん関連3施設にあっては、合わせて約5割増となりましたことも、当事業による情報発信が一助になったと考えています。
なお、事業効果や情報発信については、現在更に検証を進めており、来年度以降のまちづくり・地域づくりにつなげてまいります。

 平成17年1月24日

「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」
事業推進委員会事務局
2004伊賀びと委員会事務局
局長 木戸 博

 また丸投げのようです。私は知事に対してはっきりと「私がお聞きしたいのはあくまでも貴職のお考えであり、説明能力皆無の事務局に丸投げされるような真似は今度こそお控えいただきたく存じます」とお願いしたと申しますのに、あの野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事はまたしても事務局に丸投げなさいました。なんと情けないことでしょう。

 と思いましたので本日午前8時30分、私は県庁知事室に電話し、知事は回答する気がないのかと知事室職員に質問してみました。あの事務局には説明能力がなく、げんに今回の回答もこちらが訊いたことにはまったく答えていない、こちらはたとえば第二回委員会で三億三千万円の予算をしゃんしゃん通しておきながら、第四回委員会では八百万円の専決処分について事細かに説明責任を追及した、その一貫性のなさを問題にしているというのに何なんだこの頭の悪い回答は、こんなものは回答になっていないではないか、これが知事の見解だと認識していいのか、三重県知事はここまで莫迦なのか、みたいなことを申しあげましたところ、この件に関しましては関係者と検討したうえでまたあらためて連絡いたしますので、とのことでした。

 添付ファイル二通目、「(2)05.1.8回答」は次のとおり。

   中 相作 様

2005年1月8日付けで当事務局に対しお申出のありましたことについて、お答えいたします。

昨年12月28日付けの回答文で、「ただし、議事は公開しており、住民の方が傍聴したり、推進委員会に書面等で意見をお寄せいただくことは結構です。それに対しては、推進委員会として書面等でお答えすることとなります。」とお答えしました。
この文面の趣旨は、個々の委員が直接書面等でお答えすることではなく、組織としての推進委員会が意見をいただき、推進委員会としてお答えすることを意味しております。
従いまして、当事務局から個々の委員に質問状を送り、回答を依頼することにつきましては、差し控えさせていただきたいと存じます。

 平成17年1月24日

「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」
事業推進委員会事務局
2004伊賀びと委員会事務局
局長 木戸 博

 「推進委員会としてお答えする」というのは、推進委員それぞれの意向を確認することなく、事務局が勝手に回答することみたいです。それなら推進委員なんて必要ないではありませんか。いやそもそもの最初から、こんな事業推進委員会なんてまったく必要のない無用の長物ではないかと私は指摘しているわけなのですが。しかしこんな手合いをいつまで相手にしなければならんのか。


●1月26日(水)

 しかしこんな手合いをいつまで相手にしなければならんのか、などとぼやいておっても致し方ありませんので、私はきのう二〇〇四伊賀びと委員会事務局にお邪魔して、木戸博事務局長のお話をお聴きしてまいりました。びっくりしてしまいました。どうしてびっくりしたのか、以下に記しましょう。

 そもそも私は事業推進委員会の会長である知事の見解を質したのであって、事務局長の回答などは求めておりません。ですからそのまま無視してもよかったのですが、あまりといえばあまりにひどい回答ですから、僭越な真似をして知事のかわりに見解を述べるにしてももう少し答えようというものがあるであろう、いったい何なのこの回答は、みたいな感じで話し合いに臨んだのですが、まず質問の一点目。

 1)第四回委員会の議案のひとつだった広報費の専決処分に関して、貴職は事務局の説明責任を追及されましたが、これは第二回委員会で行われた事業予算案の審議を否定するものであると思われます。広報費も事業予算案も、委員会の場に提出された資料はともにきわめて杜撰な内容でしたから、一方の説明責任のみを追及するのは明らかに首尾一貫しない態度であり、委員会における審議の妥当性や正当性に疑問を抱かざるを得ません。先の書状にも記したことですが、第四回委員会における貴職のご発言は、第二回委員会の審議が有効なものではなかったという事実を間接的に証明し、それまでの委員会の存在意義を完全に否定するものであったと判断される次第です。この点に関していかがお考えでしょうか。

 上記が私の質問、下記がメールで送られてきた事務局長の回答です。

(1) 推進委員会における審議は、その都度適切に行われ、組織としての意思を決定しています。第2回推進委員会における広報強化の審議結果を経て、第4回推進委員会では、平成15年度の決算認定の権限を果たす上で、広報費補正の詳細を求めて、決算認定を行ったものであり、推進委員会の存在意義を否定するものではありません。

 これでは話にも何もならんではないか。質問の意味を理解することさえできんのか。私は知事の態度に一貫性がないことを前提として質問を発しているのである。第二回推進委員会で三億三千万円の予算をろくに内容を確認することもなく承認しておきながら、第四回委員会では八百万円の専決処分に関してこんな報告では説明責任が果たせていないと指摘する。これが首尾の一貫しない態度でなくて何であろうか。

 ところが驚くべきことに、事務局長は知事の態度は首尾一貫しているとおっしゃいました。よういわはる。知事の態度が首尾一貫していないから事務局が対応に追われたのではないか。専決処分の詳細を報告するためにあたふたしなければならなかったのではないか。私は耳を疑いながら確認してみたのですが、事務局長は知事の態度は首尾一貫しているの一点張りでした。あーびっくりした。

 念のために、第四回推進委員会の模様を報じる昨年7月31日付朝日新聞伊賀版の記事から引用しておきましょう。

芭蕉生誕360年事業
03年度補正予算や決算報告
知事、事務局に苦言
「県民への説明責任欠く」
 松尾芭蕉生誕360年記念事業の推進委員会(会長・野呂昭彦知事)が29日夕、上野市内で開かれた。事務局から、専決処分した03年度補正予算や、同年度決算など3議案が示され、いずれも承認された。だが野呂知事は、これらの報告が具体性に欠け、県民に対する説明責任を果たしていないと厳しく指摘。他の委員からも同じ意見が出された。野呂知事はこのままでは同事業の評価ができなくなると述べ、事務局に改善を求めた。

 まさにこのとおり。「野呂知事は、これらの報告が具体性に欠け、県民に対する説明責任を果たしていないと厳しく指摘」し、それは事務局が予想もしていないことでしたから、事務局はより詳細な報告を行うために走り回らなければならなかったわけです。問題はそこなの。県民に対する説明責任の問題なの。説明責任の追及があまりにも場当たり的で一貫性を欠いているではないかあの知事は、ということなの。それをまあ「第2回推進委員会における広報強化の審議結果を経て、第4回推進委員会では、平成15年度の決算認定の権限を果たす上で、広報費補正の詳細を求めて、決算認定を行った」などと何をどう勘違いすればこんな間の抜けた回答が出てくるのか。

 最終的に3議案は承認されたが、野呂知事は「市民参画を得てこの事業を行っている。詳しい報告がないと説明責任が果たせない」と指摘。副会長の亀井利克・名張市長も「このイベントを総括的に見るときは、もっときっちりしたものが必要だ」などと述べ、事務局に改善を求めた。

 この記事にあるように、知事は第四回委員会で「詳しい報告がないと説明責任が果たせない」と指摘しました。それはそのとおりでしょう。しかし、と私は思うわけです。この科白は第二回委員会、つまり三億三千万円の予算が審議された場にこそ必要なものではなかったのか、と。いや、なかったのか、などと疑問形にする必要はないでしょう。知事は第二回委員会で事務局から提出された予算書に眼を通し、もっと詳しい報告がないと説明責任が果たせないと指摘するべきでした。ところが実際にはそんな科白はひとことも発されることがなく、内容不明の予算案はしゃんしゃん承認されてしまいました。まったく首尾が一貫しておらんではないかこの知事は。

 ついでですから第二回委員会で示された予算案を再掲しておきましょう。より正確にいえば、事業実施のために三重県と当時の伊賀地域七市町村に要求する予算の総額です。

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 わずかにこれだけです。あまりのことに驚いた私は、のちに封鎖されることになる二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板にこんなことを投稿しました。

 それから要求額の予算書、これがじつにひどいものでした。たった一枚の紙に総額三億三千百七十二万八千円の予算がごく大雑把に記されているだけで(内訳は私のサイトでご覧ください)、いったいこれは何なんだこら二〇〇四伊賀びと委員会の莫迦ども。山猿ども。とくに民間委員の莫迦ども。間抜け面してへらへらしとるんやないぞこら。おまえらいったいどこまで莫迦だったら気が済むんだ。透明性や公開性をここまでないがしろにしておいて、こんな事業のどこが官民合同だというんだ。お役所の予算書だってもう少し詳しいはずだ。こら二〇〇四伊賀びと委員会の莫迦ども。おまえら血税三億をどぶに捨てるなら捨てるでその予算の詳細を公開しろ、それが血税三億を無駄づかいされる地域住民への最低限の礼儀ではないかと俺のいったことが理解できんのか莫迦。なんていってみたところで、たぶん理解できてはおらんのでしょうな。なにしろ莫迦なんですから。

 私はきのう事務局で確認しました。一昨年12月の第二回事業推進委員会の時点で、予算の詳細を公表することは可能であったのか、と。可能であった、とのことでした。それならどうしてそれを公表しなかったのか、と重ねて質問したところ、事業推進委員会にそんな詳細なことまで報告する必要はなかった、とのことでした。そんなあほな。

 「事業推進委員会に報告するということは県民に報告するということなんです。県民に対する報告があんな大雑把な予算書で済むわけがないやないか。なんで詳細を公表せえへんかったんや」

 とさらに重ねて尋ねてみましたところ、

 「ですから求められれば詳しいことはいくらでも説明しますから」

 私はびっくりしました。いや、びっくりを通り越して茫然としたり愕然としたりしてしまいました。しかしいつまでもそうしてはいられません。驚き呆れながらも言葉をつづけました。

 「いやちゃうがなそんなもん。これこれの事業を実施するにあたって税金をこれこれこのようにつかいますと事細かに県民に説明するのが予算の報告ゆうことやがな」

 県民に公開すべき予算の詳細を徹頭徹尾隠蔽しているだけでも度しがたい話だというのに、聞きにくれば教えてやるといわんばかりのこの言い種はいったい何なんでしょう。私がびっくりし、茫然とし愕然としたのもじつに無理からぬ話であったと思われます。

 私は上に引用した投稿に「お役所の予算書だってもう少し詳しいはずだ」と記しました。お役所というのは煎じ詰めれば地域住民になりかわって税金の使途を決め、それに従って税金をつかってゆくところなのですから、税金をつかう前にはその使途を地域住民に示さなければなりません。議会に詳細な予算案を提出し、議会の承認を得る必要があります。ところが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」につかわれる税金は、詳細が隠されたままで審議され承認されているわけです。

 いやはや、要するに事務局には県民への説明責任なんてものがまったく理解されていないということなのでしょう。あーびっくりしたびっくりした。私は事務局の程度の悪さにあらためてびっくりしてしまいました。つづく。


●1月27日(木)

 驚いてばかりいるのはなんだか莫迦みたいなんですけど、それでもやっぱり驚かざるを得ません。きのうのつづきです。一昨年12月の第二回事業推進委員会に提出された予算書は、もっと詳細な内容を公表することが可能であったにもかかわらず、その必要はないという事務局の判断によってきわめて大雑把な内容のみが示されるにとどまったというのですから、たいていの人は驚いてしまうことでしょう。しかもあなた、どうして詳細を公表しなかったのかと質してみたところ、いうにことかいて聞きにくれば詳しいことを教えてやるといわんばかりの科白が飛び出したのですから、よくもここまで県民を愚弄できたものだと驚かれぬる。

 大丈夫か三重県。三重県職員のみなさん、あんたらほんとに気は確かか。むろん私とてお役所のヒエラルキーや事務局長という立場や県職員である以上知事の顔色を窺わねばならぬという宮仕え事情や、さらにいってしまうならば公務員の第一義が責任回避と自己保身であるという紛れのない事実も重々承知しているつもりではいるのですが、それにしてもこれはひどかろう。ひどすぎる話であろう。

 三重県知事の失態は火を見るよりも明らかであろうと私には思われます。三重県職員のみなさんはそうお思いにはなりませんか。前知事のばらまき路線を無批判に継承したことが失態の始まりで、三億三千万円の予算を詳細も確認せずしゃんしゃん承認したのが失態の絶顛、さすがにこれではまずいなとお気づきになったのかどうかは存じませんが、八百万円の専決処分をめぐって重箱の隅をつつくような説明責任追及劇を演じてみせることでみずからの失態を過去に遡って証明する結果を招いてしまい、つまりは失態のうえに失態を塗り重ねてしまった一連の不祥事、これはもうまさしく不祥事と呼ぶべき事態だと思われますが、この不祥事は覆うべくもありません。

 これでも行政は無謬であるとおっしゃいますか三重県職員のみなさん。いやまあ木戸博事務局長はそのようにおっしゃっているわけなのですが、まさか県職員全員の認識がそうであると、つまり知事はあくまでも正しい、間違ってないとお考えであるとは思えないのですが、と申しますか、三重県民としてはそんなふうには思いたくないわけなのですが、いったいどうなんでしょうか三重県職員のみなさん。おまえらパブリックサーバントの主人は誰だ。知事か。県民か。おまえら知事だけに顔を向けていればそれでいいのか。

 とにかく野呂昭彦さんとかおっしゃる知事におかれましては、あんな無能力な事務局に責任を丸投げしてこそこそ逃げ隠れするのはいい加減でやめにしておいて、私が尋ねたことにちゃんとお答えいただきたいものだと思います。ご自身の見解をお示しいただきたいものだと思います。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」はそもそも知事の与り知らぬところで決められた事業であり、街道フェスタ、東紀州フェスタとつづいたばらまきの流れを伊賀地域に導くにあたり、その口実としては芭蕉生誕三百六十年といういかにも中途半端なアニバーサリーしか見つからなかったわけなのですが──

 しかしふと気がつけば三百六十は円の内角でもある。三百六十度は全方位全方向ということである。そうか。三百六十年を機に三百六十度の方向へ発信か。これはいいこれはいい。これで決定だ。これで行くのだ。よーし。

 とばらまきをこじつける方向性が見つかったときには北川正恭さんとかおっしゃる前知事がたいそうお喜びであったとの由、昨年秋にさる代議士の方から問わず語りにお聞かせいただいた次第なのですが、いくらきれいごと並べて上っ面を飾ったってしょせんこの程度の発想に基づくばらまきではないか。沽券だの面子だのそんなくだらないものに、ましてや行政の無謬性などというとうに崩壊した神話にいつまでもこだわっていないで、知らなかったことは知らなかったと認め、至らなかった点は至らなかったと認めればいいではないか。どうしてこんな簡単なことができんのか。まったく困ったもんだ。俺はもう三重県民であることが恥ずかしいぞ。あまりにも恥ずかしいから三重県以外のところに引っ越してしまうかもしれんぞ。なにしろ破産することだし。

 あ。うっかり忘れるところでした。ここでお知らせをひとつ。一か月以上にわたって満を持しておりましたが、ようよう発表できることになりました。本日は大安でお日柄もよろしく、ここに晴れてお知らせ申しあげる次第です。

謹 告

 びっくりしないでお読みいただきたいのですが、私このたび自己破産することとなりました。すべての準備が昨日整い、裁判所への申し立てなど今後の手続きは弁護士の手で進められます。世の中便利になったもので、債務者である私は裁判所に顔を出す必要さえありません。2月10日ごろに裁判所から破産宣告が届く見込みで、破産手続きが完了するのは夏ごろになる見通しです。

 ちなみに自己破産とは、みなとみらい司法書士事務所の「自己破産手続」というページから適当に引用いたしますと、「債務者が経済的に破綻し、その資力をもって債務を弁済することができなくなった場合、生活に欠くことのできないものを除く全財産を換価し、債権者に対し、債権額に応じて平等に分配することを目的とする裁判上の手続き」であり、「自己破産の宣告がなされ、その後免責が決定しますと、借金の支払義務はすべてなくなります」という制度です。

 私の場合は抱え込んだ借金が一億五千万円ほどになり、こんなのはとても返済できる額ではありませんから、とっとと自己破産することにいたしました。昨年末には二〇〇四伊賀びと委員会事務局にお邪魔して、エプソンアイロンプリントの専用用紙に「自己破産」と赤い文字で、その下にいかにも嬉しげな顔文字を青い文字でプリントしてもらい、諸戸道雄先生コスチュームの白衣に「南無阿弥陀仏」と並べてプリントするべく用意万端着々と進めて本日を迎えた次第です。

 なお、この件に関する質問激励誹謗中傷大爆笑などは、手紙メール電話あるいは当サイト掲示板への投稿その他どのような手段によるものであっても、お志は心から嬉しく思いますものの、勝手ながらなにとぞお控えいただきますよう願いあげます。また、私は別に乞食や物乞いになったわけではなく、犯罪の被害者や災害の被災者というわけでもないのですから、ご厚情を金品として授与していただく儀も僭越ながら固くお断り申しあげます。

 ともあれ、今後ともよろしくお願い申しあげます。

 しかしどうにも度しがたいな三重県の知事や職員と来た日には。つづく。まだまだつづくぞ。


●1月28日(金)

 おととい、「評価みえ」というNPOのメンバーお二方と「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業について話し合う機会がありました。この事業を予算のばらまきだと表立って批判している人間はたぶん私ひとりだけなのですが、事業関係者に会って意見を聞いてみるとばらまきだと感じている人はほかにも存在している、という話が出ました。予算の詳細が公開されていないことがばらまきの印象を強めているのではないか、という話も出ました。ほかの人がどんな根拠や基準や観点に基づいてばらまきと感じているのか、私には知りようがありませんから何とも申しあげられませんが、そういう疑問を抱いている人間がいるという事実は伊賀地域にとって喜ばしいことであるのかもしれません。

 なにしろこれは異常なことです。異常事態です。

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 三億三千百七十二万八千円の税金をつかうにあたってわずかこれだけの予算説明しかなされず(それにしても、広報費には「広報事業」費を含む、という注記にはいかにも裏がありそうな気がしませんかあなた)、しかもそのことを不審に思う人間が二〇〇四伊賀びと委員会にも事業推進委員会にも一人もいなかったなんていうのは、もはや異常事態と呼ぶしかないことではないかと判断されます。

 そもそも私は透明性や公開性がいかに大切かということを事業関係者にくり返して伝え、事業実施計画案が発表されたときにはどうして予算案が明らかにされないのかと激怒し、せめて個々の事業の予算がそれぞれいくらなのかを発表しろと要求し、にもかかわらず最終的な予算書が上記のような県民を莫迦にしているとしか思えぬ内容でしたから怒髪天を衝いてしまい、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板にも「たった一枚の紙に総額三億三千百七十二万八千円の予算がごく大雑把に記されているだけで(内訳は私のサイトでご覧ください)、いったいこれは何なんだこら二〇〇四伊賀びと委員会の莫迦ども」と投稿して注意を喚起したにもかかわらず、事業関係者は誰ひとりとしてこの異常事態を異常なことだとは思っておらなんだという寸法です。やってられるか。

 しかもそのうえ、事務局に足を運んで確認してみたところあろうことかあるまいことか、予算の詳細を公表する必要なんかなかったとほざきやがる。詳しいことは聞きにくれば教えてやると抜かしやがる。いったい何なんだこれは。この異常事態はいったい何なんだ。どいつもこいつも気は確かか。まともな人間はどこにもおらんのか。まったくどうしようもない、やってられるか、と絶望的な思いに沈んでいたところでしたので、この事業がばらまきだと感じたり、予算の詳細が公開されないことに疑問を抱いたりしている人が存在しているということは、伊賀地域にとって喜ばしいこと、というよりはわずかな救いであるように思われなくもありません。

 まあ要するに事業関係者全員、自分たちのつかってるお金が税金である、公のお金であるという認識をまったく持ち合わせていなかったということなのでしょう。むろんお役所の人間にはそうした傾きが拭いがたくあります。大阪市職員厚遇問題なんてのはそれを示すいい例でしょうし、大阪市以外の公務員だって認識は似たようなものかもしれません。だからこそ民の出番なのではないか。官民合同事業の官なんてものは公金に関する意識や感覚が麻痺しきった手合いなのだから、普段から税金の無駄づかいに腹を立てている民が主導して税金の使途に関する透明性や公開性を高めなければならんのだということをくり返し指摘してきたこの私。それをすべて聞き流し無視し黙殺し知らん顔して隠蔽をつづけ、お役所のそれより遥かに公開性の劣る予算書でことを進めて恬として恥じるところのない事業関係者。ほんとにどうしようもないな。

 毎日毎日同じようなことを書きつけてわれながら莫迦みたいだとは思うのですが、これも当方の怒りの激しさゆえだとご理解ください。それにしても、野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事はまだ逃げ隠れをつづけるおつもりなのでしょうか。このままだと木戸博さんとかおっしゃる事務局長の胃に孔が空くような事態に立ち至るかもしれません。俺は知らんぞほんとに。


●1月29日(土)

 いささか旧聞に属しますが、一昨年つまり2003年10月25日のこと、二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板に私はこんなことを投稿しております。

 ●木戸博様

 電子掲示板の双方向性について、どのようにお考えでしょうか。

 二〇〇四伊賀びと委員会のオフィシャルサイトに掲示板が開設されたとなれば、それを利用して事務局との直接的な意思疎通や情報交換が図れるだろうと考えるのは、ごく一般的な認識というものでしょう。これまでの投稿者の方が何らかの形で事務局への質問や提案を記していらっしゃる事実からも、そうした認識が一般的なものであることをご理解いただけると思います。げんに私も10月23日付の投稿に木戸さんへの質問を列記し、ご回答をお願いしております。

 この質問には、お答えいただけないのでしょうか。

 ご多忙でいらっしゃることは百も承知で二百も合点しておりますが、そもそもあの四項目の質問は10月4日にメールでお送りしたものです。うち三項目は9月22日にもお送りしております。いくらお忙しくてもそろそろご返事がいただけるのではないかと考えるのが、やはりごく一般的な認識だと思われる次第です。回答する意志がないとおっしゃるのであれば、どうぞその旨をお知らせください。その場合には私も催促めいたことは申しあげません。木戸さんの退路を断つことまでは考えておりません。

 いまのままだんまりを決め込んでいらっしゃるのは、どう考えても得策ではありません。事業の根幹に関わる質問にお答えいただけないということは、事務局長みずからが私の批判の正当性を、つまりは事業の欺瞞性をお認めになったことだと判断する閲覧者もいらっしゃるかもしれません。それは事業にとって致命的なマイナスです。この掲示板は事業の欺瞞性を間接的に証明するために設置されたものなのでしょうか。

 もしもお答えをいただけないのであれば、つまり電子掲示板における開設者と閲覧者の関係の双方向性を否定されるのであれば、この掲示板のどこかに「事務局への質問にはいっさいお答えいたしません」という注意書きがあってしかるべきでしょう。そうすれば閲覧者も誤解することなく、投稿者間の交流の場としてこの掲示板を利用するはずです。

 ご一考くださいな。

 なんと穏やかな私でしょう。木戸博事務局長の立場あるいは能力に配慮して、答える気がないのなら答えないと答えてくれ、と禅問答みたいなことをお願いしたうえで、「木戸さんの退路を断つことまでは考えておりません」とつけ加えております。それでも事務局長はいっさい答えてくれようとはなさらず、にもかかわらず昨年7月14日、私が掲示板閉鎖の件で事務局を訪れ、おまえは掲示板での俺の質問にまったく答えようとしなかったではないかと質したところ、いいえお答えしていました、とずいぶん白々しいことをまあぬけぬけとおっしゃったのですが、それでも私はあんまり叩くのもあれだからとそれ以上の追及は差し控えました。

 しかし、おととしのことはおととしのこと、去年のことは去年のことです。そんなのはもう昔の話だと申しあげましょう。退路を断つことになろうがどうなろうが、いまの私の知ったことではありません。木戸博事務局長のびっくり発言集、ばんばんつづけることにいたします。野呂昭彦知事が私の質問に答えて見解を明らかにされるまで、いくらでもつづけることになるでしょう。武士の情けももうおしまいさ。おーい見とるか知事室職員。早くなんとかしてやらんか。

 2)昨年11月21日に名張市内で行われた伊賀の蔵びらき事業フィナーレ式典のご挨拶で、貴職は「地域主権」という言葉をご使用になり、中央集権から地方分権へ、さらに地域主権へという時代の趨勢に言及なさいました。しかし、事業推進委員会の存在は貴職のおっしゃる地域主権を妨げるものであり、地方分権の流れを逆行するものでしかないように思われます。官民合同事業のための組織として設立された二〇〇四伊賀びと委員会に対して貴職が行うべきことは、事業推進委員会の会長として直接的な関与をつづけることではなく、二〇〇四伊賀びと委員会に事業の権限と予算と責任とを委ね、自助の精神を発揮させることではなかったかと判断いたします。この点に関していかがお考えでしょうか。

 これが知事に対する質問の二点目でした。事務局長からの回答は次のとおり。

(2) 推進委員会は事業全体の方針・方向性を決定し、また伊賀びと委員会は官民協働により事業の企画・実施を行うという適切な役割分担のもとで、伊賀びと委員会は、自助の精神を発揮し、自主的・主体的に事業を推進しているところです。
例えば、伊賀びと委員会は、個々の事業応募者から提出された事業計画書や予算書に基づき、主体的に事業費等の決定を行うなど、個々の事業の予算化を決定してきました。フィナーレ事業の例で申しますと、「フィナーレイベント実行委員会」「乱歩蔵びらき委員会」などが立ち上がり、そのなかで企画から事業効果まで考えて実施したところです。こうしたことにより、多くの市民のご協力を得て、事業を実施することができました。

 あほらしくてまともに相手をする気にもなれませんからたったか飛ばすことに決め、そもそも事業推進委員会など必要ないではないか、と私は端的に問いかけました。テーブルのうえには第二回推進委員会に提出された事業計画書と予算書を綴じたファイルがありましたので、それを指さしながら、

 「これ全部伊賀びと委員会がやったわけです。事業のプラン募ってどの事業を採用するか、事業それぞれの予算をどうするか。伊賀びと委員会が全部自分らで決めてまとめあげたんです。このまま県と市町村に予算を要求したらええだけの話やないですか」

 事務局長からは、事業推進委員会は二〇〇四伊賀びと委員会のチェック機能を果たしている、という説明が返ってきました。あーびっくりした。ほんとにびっくりした。私はついさっき──

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 こんな大雑把な予算説明でいいわけがないと指摘したばかりです。こんな予算書をしゃんしゃん承認してしまった事業推進委員会に、いったいどんなチェック機能が期待できるというのでしょうか。それに事業推進委員会をチェック機関だと認識しているのであれば、事務局はチェックの対象となる詳細な予算書を提示しなければならぬはずです。事業推進委員会に対して予算を詳しく説明する必要はなかったといった舌の根も乾かぬうちに、事業推進委員会はチェック機能を果たしておりますなどとよくもほざけたものだ。こんな委員会はお役所名物なあなあ感覚に基づいた馴れあい委員会もたれ合い委員会でしかないではないか。

 チェック機能はまず伊賀びと委員会の内部に育てるべきであろう、と私は伝えました。げんに委員会には伊賀県民局長が参与という形で名を連ねており、私はこの配置に三重県側のチェックの意志を嗅ぎつけております。むろん外部に第三者機関を設置してもいいのですけれど、少なくともそのためにわざわざ事業推進委員会を発足させる必要はないでしょう。この事業が知事のおっしゃる「新しい時代の公」のモデル事業だというのであればなおさら、新しい時代のチェック機能を模索すべきだったと私は思います。お雛様の伝統七段京都西陣十五人飾りでもあるまいに、知事だの市町村長だの学識経験者だの企業関係者だのをただ寄せ集めればいいという旧態依然とした発想では、とてものことに「新しい時代の公」なんて実現できないのではありますまいか。

 「自浄能力皆無のお役所の人間には結局そんなことしか考えつけんゆうことか。伊賀びと委員会が信用できへんから知事をトップに据えた組織つくって直接的な関与をつづけるゆうのやったら、そんなもん地方分権に反対する中央省庁の官僚とまったく同じ論理やないか」

 「いやもう中さんとはかなり見解が違いますな」

 うーん、まいった、と私は思いました。もう帰ろうかと思いました。見解の相違はよくあることというかあって当然のことなのですが、正当性や妥当性のまったくない、たとえあるとしてもお役所の内部でしか通用しない正当性や妥当性に基づいた、要するに聞いてるほうが思わずのけぞってしまうような見解を示されたあげく、これは見解の相違ですと断じられては思わずもう帰ろうかという気になってしまいます。

 考えてみれば、事務局のびっくり見解を伝えられてびっくり箱から飛び出したピエロさながらにのけぞってしまうということを、私はもうずいぶんと経験してきました。そういえば、読売新聞オフィシャルサイトにこんな記事が掲載されていました。

郵政民営化CM異議あり!自民総務会で批判相次ぐ
 28日の自民党総務会で、郵政民営化をPRするための新聞やテレビなどを使った政府広報について、「国会で法案が通ったわけでもないのに、税金を使って一方的にやっていいのか」(藤井孝男・元運輸相)などの批判が相次いだ。民営化慎重派議員が“場外戦”で政府をけん制した格好だ。

総務会では藤井氏に続き、笹川尭総務会長代理が「民営化が既定路線のように宣伝して、もし実現しなければどうするのか」と指摘。田村公平参院議員も「決まっていないことの広報に税金をつぎこむのはルール違反だ」と強調した。

読売新聞 YOMIURI ON-LINE 2005/01/29/00:26

 私は問題になっている政府公報を見た記憶がありませんし、自民党における例によって国民不在の党内抗争にもさほどの興味はないのですが、どっかで聞いた話だなという気がしてよくよく考えてみたところ、何のことはない、これは一昨年夏に勃発したパンフレット騒動と同じケースであると納得されました。つまり「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の事業実施計画案もいまだ発表されていないというのに、二〇〇四伊賀びと委員会が事業をPRするパンフレットを発行しましたので、これはいったいどういうことかと、上記の記事にちなんでいえば、議会で予算が通ったわけでもないのに税金をつかって事業を広報していいのか、決まっていないことの広報に税金をつぎ込むのはルール違反ではないか、といったことを事業推進委員会の会長でいらっしゃる野呂昭彦知事に質問いたしましたところ、知事は知らん顔して事務局に丸投げされ、したがって木戸博事務局長から回答が寄せられたのですが、その見解というのがあなた……

 いやまったく堂々めぐりばかりしております。もうじき晴れて自己破産しようって人間がこんなことしていていいものかどうか。

謹 告

 自己破産の件に関しましては、その後とくにお知らせするべきことはありません。

 しかしまあご心配なく。ご心配なくというのは自己破産のことではなく、木戸博事務局長びっくり発言集のことです。私はもう帰ろうかなとは思いましたが、なんとか踏みとどまって話し合いをつづけましたし、その報告は野呂昭彦知事が丸投げや逃げ隠れをおやめになるまでつづくであろうということを、ここにあらためて記しておく次第です。


●1月30日(日)

 木戸博事務局長びっくり発言集、きのうのつづきです。一昨年夏のパンフレット騒動について、ついでですからもう少しつづけましょう。

 まだ事業実施計画案も発表できていないのにどうして「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をPRするパンフレットなんか発行できるのか、と私は知事にメールで尋ねました。その質問はそのまま事務局に丸投げされ、私のもとには木戸博事務局長の回答がメールで寄せられました。私は知事に対し、再度回答を要請しました。要請は事務局に丸投げされ、またしても事務局長の回答が届きました。

 事務局長の回答などまったく必要なかったのですが、まあせっかく答えてくれたんだからと思い、私は事務局長に返事を出して、僭越ながら回答作法を教えてさしあげました。2003年9月20日のことです。

 しかしせっかくご回答いただいたのですから、拝読したうえでの所感を申し述べます。ただしご回答の具体的な内容には、いちいちお答えする必要が認められません。貴職に申しあげたいことを二点だけ、記しておくことにいたします。

 まず一点目。「知事へのメールありがとうございます」とおっしゃるのですから、私が知事にさしあげたメールはお読みいただいたのであろうと拝察いたします。私は事業推進委員会の会長でいらっしゃる野呂昭彦知事のご回答をお願いしております。その点に関して、つまり知事がどうして私の質問を無視されるのか、なぜ私は知事の回答を頂戴できないのか、貴職はその点に関してまず説明をなさるべきであると判断いたします。

 二点目。貴職の九月十一日付のご回答には、事業のパンフレットは「事業全体の考え方や構想をPRするもの」とのお答えが記されておりました。しかし今回のご回答には、パンフレットの配布は「平成16年の実施予定事業についてのPR」であるとのご見解が示されております。わざわざ指摘するまでもなく、このふたつの見解のあいだには明らかな矛盾が存在しています。したがいまして今回のご回答には、先の回答は間違いであったという前言訂正がまず記されていてしかるべきかと判断いたします。

 上記の二点目についてさらに説明を加えますと、要するにいってることがころころ変わるわけよ。事業計画も発表できてないのにどうして事業をPRできるのか、と尋ねれば、いやあれは個々の事業ではなく「事業全体の考え方や構想をPRするもの」ですという回答が返ってくる。なに莫迦なこといってんの、「おむすび持ってウォーキング伊賀」だの「旅のフォーラム」だの「偲翁 伊賀大茶会」だの「イガいな料理?コンテストINつつじ祭」 だのといったイベントの紹介が個々の事業のPRでないわけがないだろう、そもそもあんなイベントの寄せ集めのどこに「事業全体の考え方や構想」なんてものがあるんだ、と尋ねれば、いやあれは「平成16年の実施予定事業についてのPR」でしたという回答が返ってくる。

 何ふらふらしてやがんだ、とたいていの人間は思ってしまうはずです。むろん事実誤認や勘違いなどの理由により、いってることを変えなければならない場合だって出てはくるでしょう。ですからそんなときには、「先の回答は間違いであったという前言訂正」がまず必要であるということを私は事務局長にお教えしました。つまり上記二点目の場合には、先の回答では「事業全体の考え方や構想をPRするもの」と記しましたが、あれは私の間違いでして、じつは「平成16年の実施予定事業についてのPR」でした、ははは、いやどうも面目ない、みたいにして話を進めるのが普通だろうがとお教えした次第です。

 しかしそれも無駄なことであったなと、私は昨年末につくづく思い知りました。12月19日付伝言でお知らせしたとおり、木戸博事務局長から「(2)04.11・12回答」という文書が届き、そこには「事業推進委員会の存在意義や、2004伊賀びと委員会との関係性については、平成15年にお答えしたとおりでありますが、改めて御説明いたします」としてこんなことが記されてありました。

推進委員会は、事業計画及び予算、事業報告及び決算の承認等事業の方針・方向性を決定するとともに、2004伊賀びと委員会の事業の企画・実施に対しバックアップ、支援する機関です。

 事務局長が「平成15年にお答えした」とおっしゃるのは一昨年8月18日付メールでお寄せいただいた回答を指しているのですが、そこには上記の引用にある紺色の文字は記されておりませんでした。「事業推進委員会は事業の方針を決定するとともに、2004伊賀びと委員会事業の企画・実施に対しバックアップ、支援する機関で」とあるだけで、「事業計画及び予算、事業報告及び決算の承認等」という文言は昨年末の時点で新たに加えられたものでした。

 どうしてこんな姑息なことをするのかな、と私は思いました。行政は無謬であると盲信し(盲信させられ、と申しあげるべきかもしれません)、責任回避と自己保身を第一義としてお役所勤めをつづけた人間は、こんな破廉恥なことも平気でできるようになるのだろうか。しかしあまり叩くのもあれだから、と昨年末の時点においてもなお武士の情けを優先させ、むしろ惻隠の情さえ覚えながら、私はこの問題を軽く流して済ませた次第だったのですが、どうやらそれは間違いだったようです。

 ですからここで検証しておきましょう。私がこれまで見てきたところによれば、事業推進委員会のもっとも重要な役目は「事業計画及び予算、事業報告及び決算の承認」でした。つまりこの委員会の役割を説明するに際しては、まず最初にその点が明らかにされるべきだと考えます。ただ「事業推進委員会は事業の方針を決定する」とだけ述べて「承認」のことにいっさい触れないのでは、あまりにも説明不足だといわざるを得ません。いやそれ以前に、事業の方針を決定することと計画や予算を承認することとはまったく異なる行為なのですから、「事業計画及び予算、事業報告及び決算の承認等事業の方針・方向性を決定する」という説明はまったく論理的ではなく(大丈夫かほんとに)、何はともあれ事業が終わったこの期に及んで前言訂正もなくこそこそ文章つけ加えるとはいったいどういう料簡だ。説明能力のなさをみずから証明してどうすんの。

 いやもういっそのこと、「事業推進委員会は事業の方針を決定する」という説明には明らかな嘘が含まれているということを指摘しておきましょうか。事業推進委員会が発足したのは一昨年7月31日のことでした。この時点では、事業実施計画案こそ発表されていませんでしたが、実施事業は絞り込まれて事業ごとの予算も内示されていました。私の場合でいえば、江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集刊行事業に五百五十万円の予算が獲得できたことを知らされていました。すでに予算の詳細まで決定を見ている段階で発足した委員会に、いったい何をどうすれば「事業の方針を決定する」などという器用な芸当ができるというのでしょうか。

 むろん実際には、事業推進委員会は伊賀地域七市町村長と伊賀県民局で組織されていた事業推進協議会を前身として結成されたものですから、推進協議会における協議も推進委員会のものと見倣して、「事業推進委員会は事業の方針を決定する」と回答したのだと事務局長は弁明されるかもしれません。しかしそれこそがなあなあ体質というものであって、推進協議会から推進委員会への移行が本当に必要なのかどうか、それを真剣に考えるべきではなかったのかと私はくり返し主張してきたわけです。

 事業推進委員会というのはいったい何か。この委員会が結成された直後から問いつづけ、いまも知事宛の文書で質問しつづけているこの疑問に、いつか明快な回答が寄せられる日があるのでしょうか。


●1月31日(月)

 先週のことです。1月25日火曜朝、野呂昭彦知事に提出した質問に対する木戸博事務局長の回答が届いておりましたので、私はまたかよまた丸投げかよと頭に来てしまい、知事室に電話を入れてこら俺が求めているのは知事の回答だ早くよこさんかとひとこと、そのあと事務局を訪れて事務局長にこんな回答無茶苦茶ではないかどうしておまえが回答するのだとひとこと申し入れたのですが、事務局長のおっしゃることにまたしてもかちんと来てしまい、ああもう行くところまで行くしかないなと観念してしまったそのゆくたて、こうして毎日お知らせしている次第なのですが、私は別に好きこのんでこんなことをやっているわけではありません。早くおしまいにしたいわけです。ですから事務局を訪れてもすぐに心がくじけてしまい、ああ、もうおうちに帰りたいと思ってしまうことがしょっちゅうです。

 早い話がきのうこの伝言に記したようなこと、つまりこれまで私が受け取ってきた木戸博事務局長の回答がいかにひどいものであったかということを、事務局に持参した「伊賀百筆」第十三号(そこには木戸博事務局長と私とのメールのやりとりが掲載されているわけですが)を朗読してご当人にいちいち指摘してやるべく、「事業推進委員会と2004伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か」という俺の質問に、おまえは「上位・下位の関係というより、事業推進委員会の中にあって主体的、自立的に事業を企画・実施するのが2004伊賀びと委員会です」と答えたな、と確認しました。こんなものは答えになっていないと、私は一昨年8月19日付メールでご当人にお伝えしてあります。ところがそのご当人は、

 「はいそうですよ。上位下位ではないんですから」

 としれっとお答えになりました。その口調がまたじつに脳天気なものであり(自暴自棄的な脳天気さ、あるいは、すっかり開き直った脳天気さ、と表現するべきかもしれませんが)、私はびっくりするのを通り越して腰が抜けそうになりました。言葉をつづける気力を失いました。これはいったい何なんだ。とても太刀打ちできない気がする。理詰めで来てくれればいくらでも相手ができるのだが、何なんだこの論理を超越した脳天気さは。とっくの昔に粉砕したはずの屁理屈がまだのうのうと生きているのか。ああ、もうおうちに帰りたい。むろん帰ってなどいられませんが、木戸博事務局長と私のあいだには例の見解の相違とやらが立ちはだかりつづけているわけです。

 たとえば私の眼には、事業推進委員会は二〇〇四伊賀びと委員会の首根っこを押さえているように見えます。前者は後者のまとめた事業計画と予算を審議して承認するのが役目なわけで、つまり前者がノーといってしまえば後者の努力はすべて水泡に帰してしまい、逆に後者が前者にノーを突きつけるすべはどこにもないのですから、こういう状態を表現するに際しては、前者が後者の首根っこを押さえているとか、あるいはもっと端的に生殺与奪の権を握っているとか、そんなふうにいわれるのが一般的だろうと私には思われるのですが、恐るべし見解の相違、木戸博事務局長はそんなふうにはまったくお思いにならないそうで、そうなると私は言葉をつづける意欲を沮喪してしまうしかありません。まいった。ほんとにまいった。

 次。知事に対する質問の三点目。

3)これは先の書状には記していないことですが、貴職は昨年12月27日の定例記者会見において、伊賀の蔵びらき事業に関して「5月16日から11月21日までの半年間、伊賀地域を中心に300を超えるイベントを展開いたしまして、これにつきましては、伊賀であるとか三重県の様々な魅力というものを県内外、あるいは外国からもいろいろと関心を持ってお出でをいただいたというようなことがございましたので、そういう意味での情報発信ができたのではないかなと、こう思っております」と述べておられますが、「情報発信ができた」というご認識の根拠や裏付けはいったいどこにあるのでしょうか。私にはただの思い込みに基づいたご発言だとしか見えません。この点に関していかがお考えでしょうか。

 木戸博事務局長の回答は次のとおり。

(3) 当事業については、ポスター・チラシ、広報誌、新聞・雑誌等の紙媒体、電波媒体、交通媒体、電子媒体等を通じて、各方面に情報発信を行うとともに、県内外における各種イベントや事業との連携により情報発信に努めました。
また、事業を通じての情報発信の一例を挙げますと、10月の「世界俳諧フュージョン2004」では、海外の連句詩人を迎えた国際連句会、ドナルド・キーン氏の講演、著名な俳人との吟行、画家の元永定正氏、詩人谷川俊太郎氏らによる俳諧パフォーマンスなどを行い、この催しが各種メディアに取り上げられたことにより、各地に伊賀を発信することができました。
さらに、平成16年4月から11月までの伊賀市内の主な観光施設への入込数において、前年比で約2割の増加がみられ、さらに芭蕉さん関連3施設にあっては、合わせて約5割増となりましたことも、当事業による情報発信が一助になったと考えています。
なお、事業効果や情報発信については、現在更に検証を進めており、来年度以降のまちづくり・地域づくりにつなげてまいります。

 私は知事発言の根拠や裏付けを質したのであって、どんな広報活動や情報発信事業を展開したのかを訊いているわけではありません。全国に発信した情報がどのように受信されたのか、それを確認したうえでの発言だったのかと尋ねているわけです。いやそれ以前に、私は知事の認識の根拠や裏付けを知りたいのであって、事務局長にそんなことのわかる道理がないではないか、とお訊きしましたところ、

 「知事の発言は事務局の報告に基づいたものですから」

 とのことです。いかにも情報を独り占めして公開しようとしない事務局らしい見解ではありますが、事務局の与り知らぬ情報だっていくらでもあるでしょう。たとえば知事が県外に出かけ、そこで会った相手から事業に関する話題が出たとなれば、知事は発信した情報の受信者を発見したことになります。事務局からの報告も含め、知事はみずから収集したすべての情報に基づいて判断したところを発言するべきなのであって、鸚鵡でもあるまいに事務局の報告だけをそのままくり返すことが知事の任務であっていいわけはありません。

 「いやせやからこっちは知事の考えを訊いてるねん知事の考えを」

 「知事の考えは私の考えです。私の考えは知事の考えです。知事のいうことは私のいうことなんです」

 そんなあほな。私は唖然として、またしても言葉を失ってしまいました。もう少し気力が充実していれば、上方漫才の古典的なネタを踏襲して、

 「そしたらあれですか。知事がイモ食うたら君が屁ェこくんですか」

 とツッコミのひとつも入れていたところなのですが、いやもうとてもとても。