2005年2月前半

●2月1日(火)

 2月になりました。もう2月か。

 1月7日、知事室にメールを送る。添付ファイルに野呂昭彦知事への質問三点。知事に会って話がしたいと要請。

 1月16日、知事室職員から電話。知事との面談はできぬとのこと。それなら文書で回答をよこせと伝える。

 1月25日、知事への質問に対し木戸博事務局長の回答(24日付)が届く。あほか、と思って知事室に電話を入れ、事務局に行く。

 以上、1月のおもな出来事です。こんなくだらないことにどうして時間を費やさねばならぬのか、とは思うのですが、これは誰かがやっておかなければならぬことではあり、誰もやらないみたいだから俺がやるしかないだろうな、と思っていやいやながらやっている次第です。しかし私は三重県のことなどどうでもよろしく、いやどうでもいいということはないのですが、もっと切実な問題として名張市をなんとかしてやらなければならんなと考えております。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を叩くことも私の務めではあるのですが、それよりも「じゃーん! 名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」を本格化することのほうが私にとっては重要です。ところがなかなか手が回りません。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の関係者が私の進言を受けてその場その場で適切に対処してくれていたら話がここまでこじれることはなかったはずなのですが、彼らには人の意見に虚心に耳を傾けるということがまったくできないみたいです。世話の焼けることだ。ですからいまはとりあえず「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の関係者を叩くことに専心しているのですが、これが一段落したら、ということは野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事に丸投げや逃げ隠れをやめてきちんとみずからの見解を述べていただければ、話はひとまず一段落する次第なのですが、あ、いやいやそうではありません。掲示板閉鎖および過去ログ封鎖事件があるではありませんか。いやー、まいったな。私はいったいいつになったら名張市を叩くことができるのでしょうか。

 ぼやいていても仕方ありませんから先に進みましょう。木戸博事務局長のびっくり発言集、本日もまいります。

 「決算はちゃんと出しますから」

 「そんなもん当たり前やないか。せやけど決算ゆうのは予算あっての決算やねん」

 つまり決算というのは……

 いやいかんいかん。また心がくじけてしまった。思い出すだけでも心がくじけてしまう。こんなことではいけません。とはいうものの、あまりにあほらしいせいでいちいち報告することにさえ嫌気が差してしまうこの私。こら。早くなんとかしろ。知事の回答はまだか。知事が回答しさえすれば話は先に進むのだ。こらいつまで丸投げをつづける。こらいつまで逃げ隠れをつづける。こら。こらこら。俺に何度こらといわせれば気が済むのだあの知事はこら。

 つづきはあしたということにいたします。


●2月2日(水)

 野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事からはいまだ何の音沙汰もありません。よほどお忙しいのでしょう。しかし知事からの回答が結局寄せられなかったということになると、要するに知事は私の主張が正しいとお認めになった、反論の余地がないから回答できないのだと判断するしかないように思われます。むろんもうしばらくはお待ちいたしますが、しっかりしてくれ三重県知事。知事の回答が届くまでは知事の可愛い部下をテーマにした木戸博事務局長びっくり発言集が延々とつづくわけですから、これはほんとに延々と、つまり武士の情けで不問に付していたことをいちいちほじくり返していたらそれはもう延々とつづかざるを得ないわけなのですが、それでいいのか三重県知事。いいわけねーだろ丸投げ知事。どーするつもりだ逃げ隠れ知事。こら。こらこら。こらこらこら。こらこらこらこら。

 では本日の木戸博事務局長びっくり発言集、とまいりたいところですが、きょうはお休みしてお知らせを一件。本年11月3日の江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して11月5日と6日に開催される演劇公演のお知らせです。

 おとといときのう、東京都江戸川区を拠点に活動するミステリ劇専門劇団「劇団フーダニット」の代表の方に名張においでいただき、公演の打ち合わせを行いました。で、11月の上演に向けて走り出していただきました。もっとも、5月にはチェーホフの「桜の園」の公演があるそうですから(チェーホフのどこがミステリ劇なんだとおっしゃる方は、乱歩の「『狩場の悲劇』の探偵小説的構成」でも読んで出直してきてください)、実質的な準備はそれ以降ということになりますが、とにかく11月に向けて話は動き出しております。

 脚本は辻真先さんの書き下ろし。乱歩作品を下敷きにして、かなりアクロバティックなお芝居を仕上げていただけるのではないかと期待しております。あすにつづきます。


●2月3日(木)

 昨日、三重県知事室職員の方からお電話をいただき、野呂昭彦知事が文書の形で回答することはできないが、11日の「知事と語ろう本音でトーク」に出席してくれれば口頭で回答するとの旨をお知らせいただきました。

 どうもよくわかりません。私はまず知事に面談を要請しました。1月7日のことです。16日、面談は不可との連絡がありましたので、それなら文書で答えてくれと依頼しました。それを受けて25日、木戸博事務局長の回答が届きました。そこで知事室に電話を入れて知事の回答を再度要請したところ、きのうになって文書では回答できないとの連絡が入ったという寸法です。それならそれで最初からそういってくれればいいのに、と私は思います。

 どうして知事は県民の質問に答えないのか、と尋ねてみました。知事に寄せられた質問には知事の意向を踏まえながら担当の部署が責任を持って答えることになっている、とのことです。私にもそれは理解できます。しかし今回の場合は、いささか事情が異なります。私は事業推進委員会の会長の回答を求めています。担当の部署である事務局は回答能力や説明能力を持ち合わせていません。これは明々白々たる事実です。事務局はまともな答えを提示できません。それに私は会長自身の見解を質しているわけなのですから、かりに事務局長が答えるにしても、会長はこのように申しておりますと答えるのが一般的な回答作法というものでしょう。

 私の質問は──

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 こんな大雑把な予算説明で県民に対する説明責任が果たせると思っているのか、といったことなのですから、予算を承認した責任者、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業全体の責任者である事業推進委員会の会長には、この質問に誠実に回答しなければならぬ責任があるはずです。それが会長の義務というものでしょう。

 よろしいですか知事。私は事業推進委員会に関して質問しております。事業と組織の根幹に関わる質問です。委員会の会長が県民の質問に答えないというのはいったいどういうことでしょう。「知事と語ろう本音でトーク」に出席すれば回答してやるとの仰せですが、事業推進委員会の会長の見解を聞くためにどうしてそんなところに足を運ばなければならないのでしょう。私は昨年11月23日、次回の事業推進委員会に一般住民が発言する場を設けてもらいたいと依頼し、例によってあっさり断られてしまいましたが、口頭で回答するとおっしゃるのであれば次回の事業推進委員会にそうした場を設けるのが筋でしょう。委員会に対する疑問は委員会の場で明らかにしていただきたい。何から何までなあなあで進められては困ってしまいます。

 私は昨年7月、「知事と語ろう本音でトーク」に参加いたしましたが、その席で知事はいったい何をなさいましたか。県民なんとかプランなどという総合計画について延々と説明して時間稼ぎをする。私の質問に対しては事務局の用意した文章を棒読みするだけでおしまいにしてしまう。あげくの果ては私がトークをつづけようとしているのに右手を二度、野良犬を追っ払うようにしっしっと振って強制的に終了させる。そんな場に人を呼びつけておいて、今度はいったいどんな手で私を愚弄しようとおっしゃるのでしょう。

 とにかく呑めねーな。呑めるわけねーだろこんな話。いつまでも丸投げや逃げ隠れをつづけてないで、ちゃんと自分の言葉で自分の考えを述べてみろ。ここまで来れば答えてやる、なんてことが通用すると思っているのか。それでは事務局長と同じではないか。予算の詳細は公開しないが求められれば詳しいことを説明してやる、とほざきやがった事務局長と同じではないかというのだ。会長と事務局長との差こそあれ、要するにあなた方は同じ穴の狢だというわけですか。どう考えたって話が逆だろうが。事業と組織の根幹に関わる問題に重大な疑問が呈されているのだ。そっちから進んで疑問の解明を進めるのが普通だろうが。もう失格だ失格。会長失格。事務局長失格。おととい来やがれべらぼうめ。

 さて、お話はころっと変わりまして江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年記念事業のひとつ、劇団フーダニット名張公演の話題ですが、1月31日夜、劇団代表の方と名張市内某所で鍋をつついてお酒を飲みながら、名張のまちを好きなようにつかい回していただきたい、と私はお願いいたしました。あすにつづきます。


●2月4日(金)

 名張のまちを好きなようにつかい回していただきたい、と私はお願いいたしました。名張のまちというのは旧名張町、つまり市町村合併で名張市が誕生する以前の名張町のことで、現在では旧町と呼び慣わされている地域です。乱歩が生まれた新町も、ついでにいえば私が生まれた豊後町も、ともにこの旧町と呼ばれるエリアに属しています。

 そしてこの旧町が現在どうなっているのかというと、瀕死と申しますか壊滅と申しますか、とにかくひどい状態です。もっとも、かつての中心商店街が見る影もなく衰退しているのは全国的な傾向であって、いまさら驚くにもあたりません。何年か前、石川県から来てくれた乱歩ファンと自動車でこの旧町地区を走っていたときのこと、寂れきった商店街を眺めながら彼はぽつりとこういいました。

 「名張もすっかりシャッターストリートですね」

 軒を連ねる商店のシャッターは一様に鎖され、あるいは店舗そのものが取り壊されて駐車場に変わり果て、狭いストリートを行きかう人はみな高齢者なり。しかし致し方はありません。栄枯盛衰は世の常、かつて名張市の中心として殷賑を極めた(そんなたいしたことはありませんけど)旧町地区の現況は盛者必衰のことわりをあらわしているように見受けられます。

 私の知る限りでももう二十数年の長きにわたり、旧町地区の衰退傾向にどう対処するかが名張市の課題のひとつとなってきたのですが、時代の流れに歯止めなどかけられる道理もありません。それどころか、以前には旧町地区商業の活性化といった旗印がとりあえず掲げられていたのですけれど、商業をなんとかするなんてのはいまやとうてい実現不可能なお題目、夢のまた夢みたいなことになってしまいましたから、近年では旧町地区の再生という言葉がおもに用いられているようです。

 とはいえ、不便だとか狭いとかごみごみしているとかバキュームカーが走っているとか人間関係が煩わしいとか住みにくいとか、いろいろな理由で住民が去っていった旧町地区を再生することが、果たしていまからできるのかどうか。再生というのであればそれは何より生活の場として再生することであるべきだと私には思われる次第なのですが、これはどうやら一般的な認識ではないらしく、旧町地区再生のために観光資源がどうのこうの、はたまた乱歩記念館その他の施設がどうのこうの、みたいな話が囁かれているのが現状です。

 だったらどうよ、と私は思います。旧町地区をどうこうしようというのなら、他人任せにせずみずからの問題としてことにあたる人間がいなければなりません。しかしそんな人間は一人もおらんではないか。机上の空論をひっくり返したり思いつきを喋り散らして行政批判をぶちまけたりしている人間ならいくらもいるでしょうが、あるいは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業が実施されるとなれば予算を分捕って何かしてやろうと虫のいいことを考える人間はいないこともないでしょうが、旧町地区の再生を主体的に考えてそのために行動しようという人間がいったいどこにいるのか。おまえたちの内発性というやつはどこにあるのだ。

 いやいかんいかん。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者を叱り飛ばしつづけているうちに、いつのまにか怒り癖がついてしまったみたいです。とにかく私は旧町地区がどうなろうと知ったことではないのですが、まあ乱歩と私が生まれたまちではあるのですから、乱歩生誕地碑建立五十周年の今年くらい、この旧町地区とつきあってみてもいいかなとは思っております。で、名張のまちを好きなようにつかい回していただきたいとお願いして、劇団フーダニット代表の方からご快諾をいただきました。それが1月31日のこと。

 明けて2月1日、劇団代表の方に旧町地区を歩いてもらいました。お芝居の会場を決めるためです。候補としてあがったのは、まず昨年「乱歩が生きた時代展」が開催された名張市総合福祉センターふれあい。キャパは最大でも三百人というホールですが、なかなか面白い演出ができそうだとのことで、これはほぼ本決まり。そのほか、細川邸という空き家、中村医院という病院跡あたりもご覧いただきましたところ、いろいろ制約はあるにしても、お芝居を上演することはいくらでも可能であるとのことでした。

 これが要するに、名張のまちを好きなようにつかい回していただく、ということです。名張のまちを見て回ってもらい、お芝居の場として面白い場所がないかどうかを専門家に考えてもらう。外部からの視点で考えてもらう。そうすれば、私のようなネイティブには不可能な発想もいろいろ生まれてくるのではないか。名張のまちをどんなふうにつかい回せば面白い場になるのか、それを名張とはまったく関係のない人に考えてもらいたいというのが私の目論見なのですが、劇団フーダニットの名張公演に関して申しあげれば、これは相当面白いことになるのではないかとの手応えを感じております。


●2月5日(土)

 そういった次第でミステリ劇を専門に手がけている劇団フーダニットの名張公演、現時点でとりあえず決定しているのは辻真先さんの書き下ろし戯曲を11月5日土曜と6日日曜に名張のまちで上演するということだけなのですが、そのための準備として劇団代表の方に名張のまちをご覧いただき、一連のプランニングに着手していただいた次第です。

 会場は、たぶん名張市総合福祉センターふれあい、それから名張のまちの変なとこでもお芝居をやってもらいます。変なとこ、というのは普通ならとてもお芝居をやろうとは考えないような場所という意味なのですが、きのうお知らせした細川邸や中村医院のほかにも変なとこはまだ存在していて、そこでは11月の公演とは別に、いわばプレ公演として夏だか秋口だか適当な時期に朗読劇を披露してもらうことになるかもしれません。私は、

 「ここで乱歩の『人でなしの恋』朗読したら最高とちゃいますか」

 と申しあげておきました。

 ほかに高校生対象のワークショップの開催、地元劇団とのコラボレーションといったアイディアも飛び出しましたので、とりあえず劇団代表の方といっしょに地元劇団関係者の方にお会いして、よろしくご協力をとお願いしてきました。お芝居のなかに地元劇団メンバーが出演するパートを入れてもらったり、あるいは装置や小道具など裏方を地元劇団に手伝ってもらったり、といったことが実現すればいいなと思っております。

 それからもうひとつ、辻真先さんの書き下ろし作品を名張のまちで初演するのですから、ぜひ辻さんにも名張においでいただきたいものだと考えた私は、日本推理作家協会の協力をたまわって名張市が毎年開催しているミステリ講演会「なぞがたりなばり」を乗っ取ることにいたしました。乗っ取るといってしまっては剣呑ですが、要するに本年11月3日木曜祝日の乱歩生誕地碑建立五十周年の日に、辻真先さんを講師に迎えた「なぞがたりなばり」を開催するという話です。5日にはお芝居の初演もご覧いただけますし。

 辻さんは若き日にNHKのプロデューサーとして乱歩の謦咳に接した経験をお持ちなのですから、その意味でも「なぞがたりなばり」にはうってつけ。講演のどこかで乱歩のことをお話しいただければ、幸甚これに過ぎるものはありません。むろん辻さんは日本推理作家協会のメンバーでいらっしゃいますから(そういえば協会創立五十周年記念の文士劇「ぼくらの愛した二十面相」の脚本もお書きになってますし)、名張市から協会に対して今年の講師は辻真先さんでお願いしますと依頼すれば何の支障もなくことが運ぶのではないかと思われます。とりあえず「なぞがたりなばり」担当課にはその旨伝えてあるのですが、もとより私は何の権限も持ち合わせてはおりませんので、名張市が私の提案を受け容れてくれるのかどうかはまったく不明です。

 ともあれそんなこんなで、劇団代表の方に名張のまちをご覧いただいた2月1日は、よりにもよってときおり雪が舞うとても寒い一日だったのですが、それもまたドラマチック、劇団フーダニットの公演準備はじつに劇的な幕開けでスタートしましたとお伝えしておきたいと思います。11月にはフーダニットのサポーターやファンの方が東京あたりからこぞって名張に押しかけてくださるそうで、名張のまちとしてもそれなりの迎え方、もてなし方というものを考えなければならないかもしれません。11月の公演は、商業者をはじめとした地元の方のサポートもいただきながら成功させたいと考えております。

 さてその名張のまちのことですが、名張のまち、つまりいわゆる旧町っていったいどうよ、とも私は思います。名張市民が、あるいは旧町に住んでいる住民自身が旧町地区のことをどれほど知っているっていうのよ。そこで私は本を一冊つくることを思いつきました。乱歩を手がかりにして名張のまちを紹介する、旧町の歴史を振り返り現状を記録する、そんな本を乱歩蔵びらき委員会が発行すればいいのではないか、いや発行する必要があるのではないかと私には思われるのですが、彼らにはちょっと荷が重いかなとも判断されますので、とりあえずきのう名古屋にある出版社の社長さんに名張までおいでいただいて、おおよそのところを相談いたしました。で、なんとか刊行しようではないかという話がまとまりました。あすにつづきます。


●2月6日(日)

 こと江戸川乱歩に関しては、私は名張市民などまったく相手にしておりません。いや乱歩に限らなくてもそうなのかもしれませんが、とにかく名張市民など眼中にありません。名張市民が乱歩作品を読もうが読むまいが、そんなことは市民それぞれの勝手というものであって、私の知ったことではありません。そもそも乱歩は名張とほとんど無縁なわけですし。

 ですから名張市立図書館が乱歩に関して何かしら事業を行うとなれば、それは名張市民ではなく全国に存在する乱歩の愛読者や研究者を対象としているべきだと私は考えており、げんに江戸川乱歩リファレンスブックは名張市民の税金でつくった本ながら、申し訳ないことに名張市民など見事に対象としておりません。名張市民なんかに洟もひっかけてやるもんか、と私は思っております。

 しかしたまには相手もしてやるか、と私は考え直しました。乱歩生誕地碑建立五十周年の今年くらい、名張のまちとつきあってみてもいいかなとあれこれ策を練っていたときのことです。むろん乱歩の小説を読むかどうかはまた別の話なのですが、乱歩と名張がどういう関係にあるのかということは、名張市民も郷土に関する知識として知っているべきなのかもしれません。それによく考えてみれば、名張のまちに関する知識を身につけるうえで、乱歩はたぶん恰好の案内人になってくれるはずだと思われます。

 どういうことかと申しますと、乱歩に「ふるさと発見記」という随筆があります。昭和27年、名張のまちを訪れて初めて生家跡に立った感懐を記した文章ですが、そこには当然名張のまちの様子が描かれ、名張の住民が登場し、万葉集に始まる名張の歴史も綴られ、赤目四十八滝や香落渓などの観光スポットも紹介され、さらにはみずからの家系や川崎克との交流や若き日の職業遍歴などにも筆が及び、つまりこの短い随筆は(正確には四百字で十三枚ほどなのですが)名張のまちを知り乱歩の生涯を知るためのまたとない素材であると判断されます。とはいえこのままではあまりにも断片的に過ぎますから、素材にはこちらで肉づけをする必要があります。

 具体的にどうするのかと申しますと、一冊の本をつくって「ふるさと発見記」を収録したうえで、『子不語の夢』ばりの詳細な脚注を附し、奇数ページ小口には一定のスペースを取って写真を掲載することによって、随筆をいかようにも肉づけすることが可能だと思われます。乱歩が同じく名張のことを綴った随筆「生誕碑除幕式」も同様の体裁で収録すれば、この二篇を通読することで読者は五十年前の乱歩のまなざしを追体験できるはずです。名張のまちの地図をつけておけば、乱歩を案内人として名張のまちを散策するガイドブックともなるでしょう。

 むろん話はこれだけでは終わりません。しかし本日のところはここまででおしまいです。


●2月7日(月)

 といった次第で、「ふるさと発見記」と「生誕碑除幕式」を読んでさえいただければ、乱歩と名張の関係が名張市民の方にもよくご理解いただけるはずです。ついでですから、名張で撮影された乱歩の写真や生誕地碑建立に関する資料もまとめておきましょう。とはいえ、生誕地碑建立の立役者だった岡村繁次郎のもとに保存されていた乱歩の書簡などはすべて散逸してしまっておりますので、残念ながらたいした資料は残されていないかもしれません。とにかく集められるだけの写真や資料を取り揃え、整理して収録することにいたします。これがこの本の前半。

 後半は何かと申しますと、まず名張のまちの歴史を紹介します。近世から近代への歩みを概説し、町ごとの沿革もわかるようにしておきましょう。つづいて、2005年における名張のまちの姿を写真で記録しておきます。古い建築物や神社仏閣などはもちろん、名もない路地や小さな水路までを映像として残しておくことは、名張のまちの現在を後世に伝える行為であると同時に。名張のまちの観光資源をカタログ化する試みでもあります。

 もっとも私は、名張旧町地区が衰退の度を深めるのは回避不能の現実というものであろうと考えております。何かしら集客のための施設を新設したところで、それが衰退の歯止めになるとは思えず、いまさら観光資源も何もないではないかと思っているのですが、名張市や名張商工会議所あたりが名張のまちの観光資源に着目して振興策を探りたいというのであれば、それはそれでいいことだろうとも思います。その場合にまず必要なのは、名張のまちの歴史を弁え現状を見極め、どんな観光資源が存在しているのかを確認する作業でしょう。

 だったらそれを本にすればいいではないか、名張のまちの観光資源カタログという側面をも具えた本をつくればいいではないか、というのが私の目論見です。しかも名張には乱歩という強い味方がついていて、ありがたいことに「ふるさと発見記」という随筆で「名張の町そのものも美しい」とまちの美点を賞讃してくれています。来訪者の視点で名張のまちの観光資源をチェックしてくれているわけです。これを利用しない手はないではありませんか。

 私はつねづね、名張市の自己宣伝に乱歩を利用するのは結構だけれど、それならそれでおまえらもうちょっと乱歩のことを勉強しろと機会を見つけては関係者に申しあげているわけですが、そしていっこうに聞き入れていただけないまま今日に至っているわけなのですが、名張市の自己宣伝に乱歩を利用するということは、本来たとえばこのような本をつくることであるはずです。なんとか探偵団がどうした二十面相がこうしたと子供騙しなことに税金つぎ込んで独りよがりに喜んでたって、そんなことには何の意味もないではないか莫迦。もうちょっと真面目にやれ莫迦。少しは頭をつかえ莫迦。

 いやいかんいかん。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者を叱り飛ばしつづけているうちに、いつのまにか怒り癖がついてしまったみたいです。とにかくこれは天下の巨人、永遠不滅の大乱歩に導入役を務めてもらって名張のまちを紹介し記録する本をつくろうという話であって、ですから本当は行政が手がけるべき仕事であろうと判断されます。しかし名張市の行政、要するに名張市役所の人たちにそんなことを期待するのは無理というものでしょう。なにしろひどいんですからあの人たちは。それはひどいぞあいつらと来た日には。三重県職員もひどいものだが名張市職員もいい勝負だ。

 いやまあそんなことはどうだっていいのですが、官が薄ぼんやりしていて何も考えず何もしようとしないというのであれば、憚りながらわれわれ民がいいように補ってさしあげればそれでよろしく、しかもこうした企画は地域振興や商工観光さらには教育の分野まで、お役所内部で部局横断的なネットワークをつくって手がけなければ実現しないはずですから、そんなことはシステムの面からいっても無理無理とても無理、名張市役所のみなさんにはとうてい無理ですからやっぱり民がやるしかないでしょう。

 しかし民にもいろいろあるわけで、たとえば官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」に携わった民なんてのはどうもいただけません。あんなのはどう考えても民の皮をかぶった官、あるいは民の皮をかぶった業ではないかと私には思われる次第ですが、そういえばあの方はいったいどうなさるおつもりなのでしょう。おーい。青山ホールまでいらっしゃるのならついでに名張まで足を伸ばして、汚くしておりますが拙宅へお立ち寄りになりませんかー。2月11日はちょうど亡父の命日で、線香の一本も手向けてやってくれれば泉下の亡父も喜ぶことだろうと思いますー。いや、激怒するかな。おーい。


●2月8日(火)

 きのうまでお知らせしてまいりましたような次第で、要するに名張のまちに関する本を一冊、江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して刊行しようというプロジェクトが、あっけないほど軽いノリでスタートしてしまいました。あくまでも名張市民をターゲットにした出版で、名張のまちのガイドブックにして観光資源カタログでもある本なのですが、導入役が乱歩なのですから全国の乱歩ファンにもお喜びいただけるかもしれません。乱歩が昭和30年、三重県立名張高等学校で行った講演の講演録も乱歩ファンのために収録しようかな、などとも考えております。

 そもそも単なる思いつきに発した企画ですから、いまだ海のものとも山のものともつかぬ状態なのですが、名古屋にある樹林舎という出版社から出してもらうことにして、その社長さんに名張まで来ていただいてざっとした打ち合わせを行ったことは先日もお知らせしたとおりです。この樹林舎は昨年末、伊賀地域の明治大正昭和三代にわたる写真をどーんと収録した『伊賀秘蔵写真帖』という本を出していて、一万円札を支払ってもほとんどおつりが返ってこないという立派な本なのですが、この本の余勢を駆って名張のまちの本にも力を貸していただくことになりました。

 ここでこの本が最終的に目指すものはいったい何なのかということを説明いたしますと、いろいろプランを練りあげて名張のまちを再生するために必要な整備を進めましょうというお役所の発想は、たとえていえば外科的治療を施すということなのですが、そして私は決してそれを否定するものではないのですが、それならいわゆる心のケアってやつはどうよ、とは思うわけです。

 人口は減少し商業は衰退し、名張のまちの人たちはどこかしら心を萎縮させているように見受けられる次第なのですが、かりにもまちの再生を考えるというのであれば、まちの人たちがたとえば一冊の本によって自分たちのまちの歴史を知り、まちの現状の記録を知り、かつてこのまちに生まれた人間のひとりである乱歩を知り、すなわち自分たちが住んでいる土地に無告無名の民がささやかな喜怒哀楽とともに生活を重ねることで長い歴史が刻まれてきたのだという事実を実感すること、つまりは自分たちのまちに対する愛着の拠りどころを確認し、自分たちの生活の豊かさを再確認することが必要なのではないか、それが旧町再生におけるいわゆる心のケアってやつなのであって、こんなことはお役所では思いつきもしないことだが絶対に必要なことではあり、かといってお役所以外にもやってくれそうな人はいないみたいですから、それならもう乱歩蔵びらき委員会がやるしかないなという結論に至らざるを得ません。

 しかし荷が重いか。乱歩蔵びらき委員会には荷が重いか。なんてこといってても話は前に進みません。樹林舎は Adobe の InDesign というレイアウトソフトを使用しているとのことでしたから、この機会に私も InDesign を購入することにし、Adobe のオフィシャルサイトを見てみたところ InDesign の期間限定無料体験版というのがありましたので、さっそくダウンロードしてヘルプを頼りにまず「ふるさと発見記」の本文と脚注を組んでみたのですが、InDesign は私が日常的に使用している QuarkXPress とは比較にならないほど優れた組版能力を具えていることが判明し、そのせいもあって脚注を入れてゆく作業のまあ面白いこと面白いこと。きのうなどほぼ一日パソコンにへばりついて作業を進め、よーし、こうなったらやっぱり絶対本を出そうっと、と決意を新たにするに至った次第です。


●2月9日(水)

 私見によれば、この2005年という年は名張のまちの再生を考えるうえでエポックメーキングな年になる可能性を秘めており、11月3日の江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を扇の要のようなものと位置づけたうえで、地域住民が知恵と力を寄せ合って再生の道を模索すべきではないかと判断されます。と申しますか、こんな機会は二度とないでしょう。乱歩というビッグネームと名張のまちを直接的に結びつけられるアニバーサリーなんて、生誕地碑建立五十周年を逃したら見つけることが困難なはずです。

 状況も悪くありません。三重県が天下に誇る(ほんとは恥じるべきだと私は思いますが)官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の一環として昨年秋に名張のまちで「名張からくりのまちコンテスト」が催され、関係者のあいだにはその余韻ないしは手応えといったものがしっかり残っているようですし、名張のまちをつかい回すためのノウハウが蓄積されてもいることでしょうから、それをそのままにしておく手はありません。

 乱歩をめぐる状況に関しても同じことがいえます。同じことがいえるのですが、つづきはあしたといたします。きのうが締切のちょっとした原稿を頼まれていたのですが、電話で催促されるまですっかり失念しておりました。締切はきょうということにしてもらいましたので、よしなしごとはまたあすに。


●2月10日(木)

 さてきのうのつづきですが、乱歩をめぐる状況について振り返っておきますと、ここ十年近くのあいだで、それ以前に比べれば乱歩と名張があわせて語られることが遥かに多くなってきました。理由は、名張市が乱歩に関してちゃんとしたことをやってきたからです。

 1997年に江戸川乱歩リファレンスブックの第一巻として『乱歩文献データブック』を出したのを皮切りに、次の年には『江戸川乱歩執筆年譜』を世に問い、2002年には江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業「乱歩再臨」の一環として講談師の旭堂南湖さんと作家の芦辺拓さんの協力をたまわって探偵講談池袋公演を実現し、2003年には『江戸川乱歩著書目録』を刊行して江戸川乱歩リファレンスブックを完結させ、2004年には三重県が天下に誇る(ちっとは恥じたらどうだ)官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を出したり「乱歩が生きた時代展」を開いたり、そういうことをここ十年近くのあいだ営々孜々として積み重ねてきたおかげで、全国の乱歩のファンや研究者、ミステリマニアなどにこの辺境の名張という土地が、単なる乱歩の生誕地というにとどまらず、乱歩に関して有意義なことや面白いことをやっている土地として印象深く認識されてきたわけです。

 そこへもってきて昨年、乱歩生誕地碑の建つ桝田病院第二病棟の土地建物が名張市に寄贈されるという僥倖がありました。名張市役所のみなさんが行政の怠慢という言葉を如実に体現してくださって、いいように乱歩の名前を利用するくせに乱歩と名張の最大の接点である生家跡はほったらかし、知らん顔して見向きもせず、生誕地碑が狸封じのネットで覆われても誰ひとりとしてそれをみずからの問題として考えない、そりゃまあそうだろうお役所だ、責任回避と自己保身だ、自分から進んで何もしなければ失敗をして叱責を受けることもないから無事太平、減点主義の楽園だ、あんなところに何を期待したって意味はあるまい、こうなったら俺が出張って2005年の建立五十周年には生誕地碑周辺の整備に目鼻を付けたいものだ、と思っていたところに桝田敏明先生のご遺族からお電話をいただき、あれよあれよと寄贈の話がまとまりましたので、こうなったらここには生家を復元するのがベストだろう、「乱歩が生きた時代展」に乱歩蔵びらき委員会のアイディアで井上昭さんの手になる生家の模型が展示されたのも天の配剤というべきか、生誕地碑交流五十周年の2005年11月3日には復元された生家のテープカットだ、旧町再生の核だ拠点だシンボルだ、と喜んでいたのですが、驚くなかれ昨日付毎日新聞伊賀版にこんな記事が掲載されていましたから私はすっかり驚いてしまいました。

名張市:
「乱歩記念館」整備、候補地二つで迷走−−イメージもまだ /三重
 ◇距離わずか100メートル

 探偵作家、江戸川乱歩(1894〜1965)の生誕地である名張市が、市の活性化につなげようと計画している「乱歩記念館」の整備に頭を悩ませている。市は当初、同市新町の旧家「細川邸」を乱歩も含む歴史資料館として活用する計画を立てていたが、市民から昨年11月に細川邸からわずか約100メートル離れた、乱歩生誕碑がある同市本町の土地・建物の寄贈を受けたからだ。市は「同じ施設を二つ作っても無駄になるし、(乱歩記念館を)どんな中身にするかイメージも出来ていない」と話している。【熊谷豪】

 乱歩は名張市新町で生まれ、数カ月間過ごした。このため、名張地区まちづくり推進協議会は03年11月、乱歩生誕地にふさわしい歴史資料館の開設を市に要望。名張商工会議所も同じ時期、「なばり OLD TOWN」構想として、細川邸を歴史資料館に整備することや、乱歩の生家復元を市に提案した。

 おまえらまーだこんなこといってるのか莫迦ども。乱歩記念館なんて1997年1月のこと、当時の名張市長が今年は乱歩記念館をつくりますと年頭の記者会見でいきなり発表し、私は何を莫迦なこといってるんだこいつは、一度叱り飛ばしてやらなければならんなと思いましたものの『乱歩文献データブック』の追い込みでとてもそんな余裕はなく、しかし結局この乱歩記念館構想に関しては動こうとする職員が一人もいなかったていたらくで、結局は掛け声倒れに終わってしまったという経緯も名張市役所のみなさんはころっとお忘れなのかもしれませんけど、莫迦どもがこら何をやっておるのだ。

 といった怒りはまたあらためて記すことにいたしまして、とりあえずこの記事にいささかの解説を加えておきますと、名張商工会議所が「細川邸を歴史資料館に整備することや、乱歩の生家復元を市に提案した」とありますところ、この「なばり OLD TOWN」構想(ネーミングに難あり)では当初、細川邸を乱歩生誕記念館とすることが計画されていたのですが、私は名張商工会議所の会頭のお宅に二度にわたってお邪魔し、そんな莫迦なことはやめておくれでないかとお願いし、そんなことより生誕地碑周辺を整備して生家を復元することのほうがはるかに有意義なのだと説得にこれ努めましたので(会頭にものの道理を諄々と説いた私の書状は本年1月3日付伝言に再掲載しております)、乱歩なんとか館といった施設がプランニングされることはひとまず回避できたのですが、そうか、名張地区まちづくり推進協議会が名張市に対してそんな要望をしていたとは知らなんだ。誰だ会長は。とにかくひとこと叱り飛ばしてものの道理を教えてやらなければならんなこの会にも。

 それにだいたい名張市も何だこら。おまえら乱歩のことなんか何ひとつ知らないんだから、「乱歩生誕地にふさわしい歴史資料館の開設を」みたいな要望があったのなら真っ先に名張市立図書館に知らせてくるのが筋であろう。そんなことも考えつかんのか。知恵ならいくらでも貸してやる。知識もなければものを考える能力もない連中がいくら空っぽの頭をしぼったところで「(乱歩記念館を)どんな中身にするかイメージも出来ていない」のは当たり前ではないか。とにかく来い。こんな莫迦なこといって名張市役所の恥さらしまくってるのがどこの部署かは知らんが、とにかく担当者は名張市立図書館へ来い。図書館に電話して俺の都合を確認したうえで図書館へ来い。ぼやぼやしてたら木戸博事務局長どころの騒ぎでは済まなくなるからそう思え。

 ここでひとつお知らせです。大好評連載中だった木戸博事務局びっくり発言集、ほかの話題に押されてお休みがつづいておりますが、ネタはまだまだ腐るほどありますので、いずれ再開いたします。野呂昭彦知事から誠意ある回答が寄せられるまで木戸博事務局びっくり発言集をつづける予定だったのですが、知事にはどうやらちゃんと回答する気がないようですから時間的な余裕もたっぷりです。それにしても知事はいったい何を考えていらっしゃるのか。私の質問に文書で回答した日にはどうしても知事の非が目立ってしまいますし文書そのものも残ってしまっていろいろ都合がよろしくないから2月11日の「知事と語ろう本音でトーク」に私を呼びつけてそこでごそごそ喋ってうやむやのうちにおしまいにしてしまおう、なんておつもりなのかもしれませんけどそうは行くかばーか。


●2月11日(金)

 来いと呼んでも来ぬようじゃから、行ってこようかお役所へ。といった次第で、週明けにでも名張市役所に赴いて乱歩記念館たらいう莫迦な構想の担当部署を叱り飛ばしてきてやることにいたします。名張市役所は近いから便利だ。二〇〇四伊賀びと委員会がある三重県上野庁舎は拙宅から自動車で半時間近くかかりますから、出来の悪い県職員をいちいち怒鳴りつけに行くのもいささか面倒なのですが、しかしそれが彼らのせめてもの幸せってやつなのかもしれません。

 みたいな話の流れになってしまいましたので、本日は久方ぶりで木戸博事務局長びっくり発言集とまいりましょう。1月25日のことです。野呂昭彦知事への質問に対して僭越至極にも木戸博事務局長が回答してくださいましたので、私は事務局に赴いて事務局長に何のつもりかこの回答はと文句をつけてやったのですが、ついでに事務局に対して行った要請に関しても問い質しました。1月8日付の事務局宛メールから抜粋いたします。

 さて、ここからがお願いなのですが、「推進委員会に書面等で意見をお寄せいただくことは結構です。それに対しては、推進委員会として書面等でお答えすることとなります」とのお言葉に甘えて、事業推進委員会の委員全員に「事業推進委員会というのはいったい何か」とお訊きいたしたく思います。私は以前から主張しておりますとおり、事業推進委員会はまったく必要のない組織であると認識しております。委員会の発足直後から現在に至るまで、この認識には微塵も変化がありません。むしろ、第二回から第四回までの委員会を傍聴して、自分の認識はきわめて正当なものであるとの思いを強くしております。とくに第四回委員会における知事のご発言は、会長みずから委員会の審議の無効性を証明したものであるとしか考えられず、そのことは12月6日付の知事宛文書にも記したとおりです。

 この件に関しましては昨日、知事宛にメールをお送りして、口頭によるか文書によるかは現時点ではわかりませんが、事業推進委員会の会長としての見解をお聞かせいただくようお願いしてあります。つきましては、ほかの委員のみなさんからもぜひお考えを承りたく、委員の方全員に私の質問をお送りいただいてそれに対するお答えをたまわりたいと考えております。そのご手配をお願いできるでしょうか。

 これに対し1月24日付メールで木戸博事務局長の回答が寄せられました。

昨年12月28日付けの回答文で、「ただし、議事は公開しており、住民の方が傍聴したり、推進委員会に書面等で意見をお寄せいただくことは結構です。それに対しては、推進委員会として書面等でお答えすることとなります。」とお答えしました。
この文面の趣旨は、個々の委員が直接書面等でお答えすることではなく、組織としての推進委員会が意見をいただき、推進委員会としてお答えすることを意味しております。
従いまして、当事務局から個々の委員に質問状を送り、回答を依頼することにつきましては、差し控えさせていただきたいと存じます。

 やっとれんな。こちらは個々の委員の答えが欲しいと申しておるのだ。そのためには個々の委員に質問を送付し、文書の形で回答を寄せてもらうのが一番手っ取り早いではないか。それが「推進委員会として書面等でお答えすること」ではないか。

 「個々の委員の意見や考えを知ることはできませんのか。それぞれの委員が委員会のことをどう考えてるのか。事業推進委員と名がついてる以上それぞれの立場で事業を推進するために尽力してくれたはずですけどそれはどんなことやったんか。こっちはそれが知りたいんです。これは県民の知る権利ですがな。事務局は県民の知る権利を否定するわけですか」

 「いやそんなことはありません」

 「ほなどないするねん」

 「次の委員会でお諮りします」

 「諮るだけではしゃあないがな。こっちは答えが欲しいねん。推進委員が何を考えて何をしてくれたのかを知りたいねん」

 「ですからお諮りします」

 「あなたさっきから知事と委員会にばっかり顔向けてるけど県民にも顔向けたらなあかんで」

 「お諮りしてその結果をお知らせします」

 「いつになるねん。次の事業推進委員会はいつ開かれるねん」

 「まだ決定しておりません」

 「次の委員会でお諮りしますゆうたかて次の委員会で委員会は解散やないか。そんなとこでお諮りしたかてどうにもならんからこっちは委員全員に質問を郵送してくれゆうとるねん」

 明確な答えが得られませんので私はあっさり見切りをつけ、事務局をあとにしました。また近いうちに事務局を訪れてやりとりをつづけることになるでしょう。とにかくやっとれんな。

 さて、本日は伊賀市阿保の青山ホールで「知事と語ろう本音でトーク」が催される日ですが、そのあと知事は拙宅においでくださるのでしょうか。いまのところ何の音沙汰もありません。来いと呼んでも来ぬようじゃから、行ってみようか知事室へ。


●2月12日(土)

 きのうはまたしても肌寒い一日となりましたが、私はまたしてもお客さんを案内して名張のまちを歩いてまいりました。お客さんというのは、京都にある精華大学の先生でもいらっしゃる版画家の方です。津市の三重県立美術館で11日、「HANGA 東西交流の波展」が開幕したのですが、前日の10日には関係者を招いた集いが催される、作品が展示される関係で自分も集いに顔を出すから、そちらの都合がよければ帰りに名張に立ち寄ろうと連絡をいただいたのが今月に入ってまもなくのこと。10日夕刻に名張駅西口でお迎えして、夜は名張市内某所でいっしょにお酒を飲みながら、私は先生に名張のまちを好きなようにつかい回していただきたいとお願いいたしました。最近はこんなことばっかお願いしている私です。

 今年11月の江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して、東京で活動する劇団フーダニットに名張のまちを好きなようにつかい回していただく準備が進行していることはすでにお伝えしたとおりですが、演劇のほかに美術の分野でも何か面白いことができないものかと私は思案しました。で、昨年9月に名張市内にある赤井塚という古墳でインスタレーションをなさった先生のことを思い出し、どんなもんでしょうかとメールでお伺いを立ててみたのが先月のこと。ちなみにインスタレーションとは何のことかと申しますと、Web 版の大辞林第二版ではかくのごとく説かれています。

インスタレーション [installation]

〔原義は、取り付け・据え付けの意〕現代芸術において、従来の彫刻や絵画というジャンルに組み込むことができない作品とその環境を、総体として観客に呈示する芸術的空間のこと。

 賢明なる読者諸兄姉がすでにご推察のとおり、名張のまちそのものをインスタレーションの環境として利用できないかというのが私の目論見で、それならとにかく会って話そうということになり、先生は三重県立美術館にいらっしゃるついでに名張にお立ち寄りくださったという次第です。

 10日夜の酒席では私のほうから手持ちのアイディアをすべてお話しし、といったって劇団フーダニットの名張公演、乱歩の随筆を手がかりに名張のまちを紹介する本、これだけしかないのですが、組版を進めつつある脚注つき「ふるさと発見記」の冒頭三ページをプリントアウトして持参し、じつはかくかくしかじかでとプランをお聞きいただきましたところ、

 「面白い。乱歩を突破口にして名張を紹介するわけね。とても面白い」

 とおおいに興がっていただきました。先生のほうからは、たとえば関西にある美大の学生に大々的に呼びかけて名張のまちで好きなことをやらせたらどうか、と気宇壮大なプランも提案していただいたのですが、いきなりそんな大がかりなことを目指したらたちまちしんどくなるでしょうから、とりあえず名張のまちを美術の分野で面白くつかい回せるかどうか、その可能性を方向づけられれば今年はそれでよろしく、もしも何らかの方向が見つかったら来年以降にその可能性を追求してゆけばいいのであって、ですから先生、たとえば先生の教え子のみなさんに名張のまちを見てもらって、外部の視点から、それも大学で美術のひとつも学んでやろうという若い人の視点からいろいろなアイディアを出してもらうことは可能でしょうか、といったこともお話しし、

 「乱歩作品を読んだことのない学生さんが多いと思うんですけど、まず名張のまちを見てもらう、それから乱歩作品を読んでもらう、そのあとその印象に基づいて版画を制作してもらう、それでその作品を名張のまちのあっちこっちに展示する、つまり名張のまちで展示することを前提に作品をつくってもらって作者が希望する場所に展示する、みたいなことができたら面白いのとちゃいますか」

 といかにも素人っぽいアイディアまで持ち出してみました。

 さてその翌朝、つまりきのうの朝のことですが、ホテルから名張のまちへ向かう車中で、

 「ちょっと考えてみたんですけど、写し取る、っていう言葉をキーワードにしたらどうだろう」

 と先生。写し取るというのは、たとえば版画がそうであるように、そこに実在するものを何かしらの手段で複写する行為です。つまりまったく新しいものを創出するのではなく、げんにある名張のまちを写し取るといった概念をキーワードにしてみてはどうかしらとの発想です。面白いと思います、と私は答えました。

 やがて名張市総合福祉センターふれあいに到着。駐車場に自動車を停めて、名張のまちの散策を始めました。あるお宅を訪れたとき、床から膝より上の高さまで帯状に黒いしみのついた壁が眼につきました。伊勢湾台風の浸水の跡です、とそのお宅の方。

 「あ。先生これまさに写し取るですわ。建築物が自然の猛威を写し取ってるわけですわ」

 と私。うんうん、と先生。別のお宅では先祖伝来の人形を拝見したのですが、

 「先生。人形もやっぱり写し取るですわ。人の姿を写し取ってるわけですわ」

 と私。うんうん、と先生。

 そんなこんなで二時間あまり、名張のまちの表通り裏通りをふらふら歩き回った次第なのですが、先生にはひきつづいてご協力いただけることになりました。春休みが終わったら大学のゼミの学生さんなんかを引き連れてまた名張においでいただき、名張のまちを一日がかりでフィールドワークしていただくことになっております。いやー、楽しみ愉しみ。はーるよこい、はーやくこい、か。


●2月13日(日)

 そんなこんなで2月11日、祝日だというのに人通りのほとんどない名張のまちをふらふら歩いておりますと、たまたま出会ったりこちらから訪ねたりしてまちの人と話をするような機会も生まれます。私の場合、こうした話というのは当たり障りのないものではまったくなく、相手からいわゆるお役所批判がぼんぼん飛び出してくることも少なくありません。

 つまりまちの人にはお役所に対していいたいこと問い質したいことが少なからず潜在しているのですが、そんな不平不満をぶつける場所はどこにもない。まさに無告無名の人たちなわけで、そこへ行きますと私は名張市立図書館のカリスマ嘱託に身をやつしながら権力の監視と批判とを怠らず、心はいつもテロリスト、三重県知事だってばんばん撃ってやってますからお役所関係者には評判すこぶるよろしくないのですが、まちの人にはさほど嫌われているわけでもなく、と申しますかお役所に対する憤懣の捌け口となっているようなありさまですらあり、この日もたとえば例の細川邸、名張市役所のみなさんが歴史資料館として活用することを考えている、いや正確には考えているふりをしている細川邸、その細川邸の現時点での具体的な運営についても名張商工会議所女性会だけが担当するのは負担が多くて大変なのではないか、みたいな話が出てきたのですが、

 「要するに横の連携がまったくできてないんです。そのへん変えていかなあきませんやろ」

 といったことしかお答えできなかったのですが、細川邸のみならず名張のまちの再生ということに関しても、関係者関係団体関係機関が見事なまでにてんでんばらばら、まさしくお役所さながらの縦割り状態、いやもういっそ四百年以上前の伊賀惣国一揆みたいなと表現するべき状態を呈しておりまして、これではお話になりません。なんとか会だかかんとか委員会だかよく知りませんけれど、それらを横断的に連絡しながら地域住民とも連携する何らかのシステムが存在しなければ、話は一センチたりとも前に進まぬことでしょう。つまり野呂昭彦知事のおっしゃる「ソーシャル・キャピタル」ってやつですか。

 といっただけではおわかりにならないでしょうから、三重県が天下に誇る(恥を知れ)官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という掃き溜めに舞い降りたただ一羽の鶴、乱歩蔵びらき委員会発行の『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に頂戴した知事の序文から引きましょう。

 近年、政治学や社会学の分野で「ソーシャル・キャピタル」という言葉を耳にします。直訳すれば社会資本という意味になりますが、これは従来のような経済的資本ではなく、人的なネットワークや信頼関係を指す言葉とされ、一般に社会関係資本と訳されています。共通の目的に向けて協働する人と人とのつながりがソーシャル・キャピタルであり、そうした社会関係資本が多く存在すればするほど、その地域はより豊かで魅力的なものになると考えられています。

 こと名張のまちの再生ということに関していえば、知事のおっしゃるソーシャル・キャピタルがまったく存在していないわけです。したがって名張のまちは「豊かで魅力的な」地域とは呼びがたく、それにしても知事ったら、これだけの文章がお書きになれるのですから私の質問に文書で回答するくらい朝飯前のはずなのですが、いったいどうなっているのやら。先日知事室職員の方と電話でお話ししたときには、文書で回答すると誤解が生じやすいからとまったく意味不明の理由をお伝えいただいた次第なのですが、要するに回答能力がないのは事務局長も知事も同じだということなのでしょうか。

 そんなことはともかく、ここで『子不語の夢』に関するお知らせをひとつ。何日か前にさるミステリファンの方から『子不語の夢』本格ミステリ大賞候補大宴会は行われるのでしょうか、とメールでお尋ねをいただきましたので、いやまだ日本推理作家協会賞もありますから大宴会はもう少し先になるでしょう、とお答えしておいたのですが、本格ミステリ大賞の勧進元である本格ミステリ作家クラブのオフィシャルサイトを閲覧してみたところ、1月30日に候補作が発表されておりました。

第五回本格ミステリ大賞 候補作一覧
小説部門(*タイトル50音順)

『暗黒館の殺人』綾辻行人(講談社)

『紅楼夢の殺人』芦辺拓(文藝春秋)

『生首に聞いてみろ』法月綸太郎(角川書店)

『螢』麻耶雄嵩(幻冬舎)

『臨場』横山秀夫(光文社)

評論・研究部門(*タイトル50音順)

『子不語の夢』浜田雄介編(皓星社)

『探偵小説と日本近代』吉田司雄編著(青弓社)

『天城一の密室犯罪学教程』天城一、日下三蔵編(日本評論社)

『名探偵ベスト101』村上貴史編(新書館)

 さすがに「本格ミステリ」なる言葉が冠にあると『子不語の夢』はやや弱いかなという気がいたしますが、そんなことより『天城一の密室犯罪学教程』が評論・研究部門でノミネートされるとはまったくの予想外。私はてっきり小説部門だと思い込んでおりました。いやまいったな。天城一さんからは乱歩蔵びらき委員会宛に『子不語の夢』の礼状をたまわっておりますし、数日前には私宛にも書状が届いて近況をお知らせいただいたばかりなのですが、そんなことは全然まったく別にして考えても、もしも投票権が与えられれば私は迷わず、ということはありませんけど迷いに迷ったそのあげく『天城一の密室犯罪学教程』に一票を投じることになるはずです。『子不語の夢』の関係各位、それから十八万伊賀地域住民ならびに百八十万三重県民よ、どうもすまんな。

 以上で本格ミステリ大賞に関するお知らせを終え、お話はまた名張のまちに戻るのですが、先日まちの人からは「名張に来てくれる人に尋ねてみると、十人のうち八人まで乱歩が目当てなんです」といった話も出てきました。私はいささか驚きました。

 「うちまで道を尋ねに来てくれる人があるんですけど、なんやもう気の毒でね。行ったかて石の碑が建ってるだけですやん。何も見るもんありませんやん。こないだまで狸来るからゆうてこんな緑のネット張ってありましたし」

 申すまでもなく乱歩生誕地碑、というか生家跡周辺の話です。私は答えました。

 「せやからそれが行政の怠慢ですねん。ええように乱歩の名前利用してるくせに、乱歩と名張の最大の接点である生家跡はほったらかしのままですねん。せめて生家跡に生家を復元するくらいのことせなあきません。せっかくあそこの土地建物を市に寄贈してもろたんやさかい」

 「そしたらその生家跡に図書館にある乱歩の遺品とか持っていくことはできますのか」

 「そもそもあんな山のうえに図書館つくって乱歩の遺品を展示してるのがおかしいんです。あんなとこ名張のまちの散策コースからは完全に離れてますし、だいたいよその県から文学散歩で名張に来てくれた人にも図書館まで坂を登るのがしんどいゆうて評判悪いんです。文学散歩の参加者は年齢層高いですからね。ただし乱歩の生家に乱歩関連資料を展示するのはまずいんです。乱歩の生家はひとつの資料なんです。へーえ、乱歩てこんな家で生まれたんかいなとか、百十年前にはこんな家で生活してたんかいなとか、そんなことがわかる資料として生家を復元しますねん。つまり名張のまちという資料展示場があってそこに乱歩の生家が資料として展示されてると」

 「そしたら乱歩の資料はどないしますねん」

 「細川邸へ持ち込みますねん。まちを歩き回ってもろたらよろしねん。本町で乱歩の生家を見たあとは新町の細川邸に回ってもらう。それも乱歩の資料だけやのうて細川邸には本も持ち込んだらええんです。ただし乱歩資料館とか歴史資料館とか、そんなたいそうなことにしてしもたらあきません。名張市立図書館ミステリ分室。これでよろしねん」

 ここまでお聞きいただいたまちの人からは、期せずして拍手が起こりました。といったってその場に居合わせた人間は先生と私を含めてわずか四人、拍手してくれたのはそのうち一人だけだったのですが、少なくとも私の主張に対して支持や共感を示してくれる人が名張のまちには確実に存在しているのだという厳然たる事実を確認いたしつつ、あすにつづくといたしましょう。


●2月14日(月)

 きのうのつづきとまいりますが、ここに大きな問題があります。お役所という壁、そこに巣くうお役人という壁です。これがまあどうしようもありません。先日引いた2月9日付毎日新聞伊賀版の熊谷豪記者による記事を再度引用いたしましょう。

名張市:
「乱歩記念館」整備、候補地二つで迷走−−イメージもまだ /三重
 乱歩は名張市新町で生まれ、数カ月間過ごした。このため、名張地区まちづくり推進協議会は03年11月、乱歩生誕地にふさわしい歴史資料館の開設を市に要望。名張商工会議所も同じ時期、「なばり OLD TOWN」構想として、細川邸を歴史資料館に整備することや、乱歩の生家復元を市に提案した。

 いやいや、壁はお役所のみならず、地域住民側にもおおきに存在しているようです。名張地区まちづくり推進協議会や名張商工会議所が歴史資料館の建設を名張市に要望しているとのことですが、これも非常に問題でしょう。ひとこと啖呵を切っておきますか。

 まず指摘しておかなければならないのは、かりに名張のまちに歴史資料館などというものをつくってみたところで、そんなものは観光客誘致には何の影響ももたらさないだろうということです。たとえば名張藤堂家邸跡は平成4年から入場料一般二百円で公開しておりますが、見事なまでに閑古鳥が鳴いておるではありませんか。県史跡に指定されている名張藤堂家殿館跡を公開してもこのざまなのですし、これは名張のまちからはやや離れますが夏見というところに夏見廃寺なる国史跡があり、平成7年に夏見廃寺展示館が開設されてやはり入場料一般二百円で公開をつづけている次第なのですが、私はいまだかつてあの展示館で入場者に出会ったことがありません。まったく、いい加減に気づけよおまえら。

 何が歴史資料館だ。だいたいが歴史のことなどまったく知らず、そもそも歴史に関心すらない人間に限ってこんなことをおっしゃいますから片腹痛いわけなのですが、歴史資料館をつくれと市に要望を提出するというのであれば、せめて市内にはこれこれこのように貴重な歴史的資料が存在しており、広く一般に公開する必要が認められるにもかかわらずその場がない、つきましては歴史資料館を建設していただきたくと話を進めるのが筋というものであって、それが何なんだおまえらと来た日には。単に歴史資料館などという月並みありきたりでどこにでもあるような施設を思いついただけの話に過ぎず、何を展示するのか、どう運営するのか、いやそもそもそんな施設が必要なのかといった重要な問題にはまったく顧慮しておらんではないか。無内容なハコモノだけつくってりゃそれでいいのか。いい加減にしろ。

 さて、次はいよいよお役所の問題。記事のつづきを引きましょう。

 財政難から市は、乱歩記念館を新たに建設するのではなく、既存の建物を活用しようとした。まず候補に挙がったのが、築100年とされ、約30年前から空き家になっている細川邸(木造2階建て、敷地面積815平方メートル)だった。市が借り、昨年11月に俳聖・松尾芭蕉生誕360年記念事業「蔵びらき事業」で昭和30年代の民家として再現した。今後も借りられる見込みとなったため、市は歴史資料館として整備し、乱歩の資料などを展示しようと考えた。

 ところが急きょ、細川邸と県道を隔てわずか約100メートル離れた、乱歩の生誕碑があり83年から空き家になっていた桝田医院の第2病棟(敷地面積約380平方メートル、木造平屋建て)が昨年11月に市へ寄贈され、新たな候補になったのだ。亀井利克市長は昨年12月、所有者の桝田寿子さん(81)に感謝状を贈り、乱歩記念館として整備することを約束した。

 乱歩記念館の候補が二つになったことについて、市は「二つで綱引きしないよう補完的、一体的に活用する」などと説明し、歯切れが悪い。亀井市長は寄贈を受けた当初、「2月までに(施設の)概要をまとめたい」と話していた。だが、細川邸との兼ね合いがつかず、新年度早々設置される市民らでつくる検討委員会で引き続き話し合いを続けることになった。

 出ました。ついに出ました。名張市役所がとうとう堪えきれなくなってお役所の二大名物、先送りと丸投げという伝家の宝刀を抜き放ってしまいました。しっかりせんかこら。財政難でお金がないことはよく理解できます。しかし、お金がないのなら知恵をつかってお金のなさをカバーしようと考えるのがごく普通の感覚というものなのであって、そんなのは家庭の主婦がごく日常的にやっていることなのですが、名張市役所の人たちは頭をつかうと損をするとでも思い込んでいらっしゃるのか、市民から突きつけられた課題を平気で先送りし、しかも判断を検討委員会たらいうところに丸投げすることで問題をやり過ごそうとしているわけです。名張市民からも全国の乱歩ファンからも失笑を買ってしまうこと請け合いでしょう。見てらんねーな莫迦ども。

 とはいえ、いくら見ていられなくても放っておくわけにはまいりません。先日もお約束しましたとおり一度名張市役所を訪れて、乱歩記念館たらいう構想の担当部署で紳士的な話し合いを進めたいと私は考えております。私がいかに紳士的かということは、三重県上野庁舎内にある二〇〇四伊賀びと委員会事務局に電話して木戸博事務局長にご確認いただけばすぐおわかりになるはずですが、そんなことはともかく、話し合いを手っ取り早く進めるために私の質問を事前に公開しておくことにいたしましょう。私のサイトを閲覧してくださっている名張市職員の方、乱歩記念館担当部署にこの質問をお伝えいただければ幸甚です。

 一)乱歩記念館構想担当職員は乱歩に関する知識をどの程度持ち合わせているのか。

 たぶんほとんど持ち合わせていないのではないかと推測されます。もしもそうなのだとしたら、乱歩のことをろくに知りもしない職員が乱歩関連事業に携わるのは果たして正当なことなのか、といったことを私は問い質すことになるでしょう。ちなみに「新年度早々設置される市民らでつくる検討委員会」もご同様、乱歩のことをまるで知らない市民が何十人集まったところで何の役に立つというのだこら。

 二)乱歩記念館構想担当職員はなぜ構想に関して名張市立図書館と連携しようとしなかったのか。

 以上二点です。いつ名張市役所にお邪魔できるのか、いまのところ明言はできないのですが、今週中には必ず、それもできるだけ早い時期に足を運びたいと思っております。よろしくお願いいたします。


●2月15日(火)

 お役所の人たちが先送りや丸投げで責任を回避するのは普通にあることですからいまさら驚きもしませんが、私はなんだかもう情けない。だいたい名張市に乱歩記念館を建設しなければならぬどんな理由があるというのでしょうか。

 とはいえ乱歩記念館という言葉は名張の地をときどきさまよい歩くものではあるようで、1997年には当時の名張市長が、2003年には名張商工会議所会頭が口になさったものでしたが、前者は市長の意を受けて動く職員がひとりもおらず、後者は私の説得を容れて会頭に断念していただきましたので、乱歩記念館はいまだ構想もまとまっていない状態です。2月9日付毎日新聞伊賀版の記事によれば、名張市は「(乱歩記念館を)どんな中身にするかイメージも出来ていない」と申しておるそうです。

 いい加減にしろ莫迦。乱歩記念館などというたわごとを口にするのはいい加減にやめてしまえというのだ。名張市の現状を見てみなさい。財政は破綻寸前で人材は手ひどく払底、金もない人もおらぬというのにどうやって乱歩記念館をつくるのだ。いやそもそもそんなものつくって何を展示するというのだ。どんな運営をするというのだ。ハコさえつくっときゃなんとか恰好がつくだろうなんて、そんなお役人みたいなことを考えるのはいい加減でやめておけというのだ。いやまあ相手はお役人なんですけど。

 それにしても私はお役人にもよくご理解いただけるようにことを進めているつもりなのですが、私が想像している以上に名張市役所のお役人は理解力ならびに想像力を欠いているようで、復元した生家をひとつつくればそれで済むという簡単な話がどうしてわからんのか。記念館や資料館をつくるとなれば税金つぎ込んで資料を集めなければなりませんし(乱歩の遺産は立教大学がきれいに継承してくれましたから、いまから資料を集めるなんてそもそも無理な話でしょうし)、学芸員のような専門スタッフも置かなければならず、企画運営に頭をつかう必要も出てきます。いまの名張市にそんなことができる道理がないではないか。かりにできたとしたところで、そんなものはただの記念館や資料館にしか過ぎんではないか。

 まったく面倒だな莫迦を説得する作業は。もっと端的に申しあげれば、乱歩記念館なんてその気になればどこにでもつくれるはずのものなのであって、たとえば池袋や守口や鳥羽や名古屋や保原にあっても何の不思議もありません。極端なことをいえば、乱歩とは何の関わりもない土地に乱歩記念館を建設することさえいくらだって可能でしょう。しかし、乱歩の生家跡に生家を復元するのは名張市にしかできないことではないか。それをやれというのだ。それで充分だというのだ。こんな簡単な理屈が名張市役所の莫迦どもにはまだわからんのか。

 わからぬのであろうな。だから私は同じことばかり主張しなければならぬのであろうな。かつて三重県が天下に誇る(勝手に誇ってろ)官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」に関して申しあげたことを「乱歩文献打明け話」第二十五回「芭蕉さんは行くのか」から引用しておきましょう。これは2003年6月に発表した漫才ですが、私の主張には微塵も変化がありません。

「けどほんまに三重県も何を考えてるのかようわかりませんですね」
「せやから伊賀地域振興のために税金を有効活用しようということですがな」
「たとえ百歩譲って三重県による予算のばらまきをありがたく頂戴するとしても最初から税金の有効活用には絶対ならんやろなと予測がつくような事業を地域に押しつけられては困るんです」
「そんなこと実際にやってみんことにはわからへんのとちがいますか」
「つまりわれわれは戦後の経済成長からバブル経済を経てそのあとの失われた十年までひととおり経験してますから」
「それがどないしました」
「その結果としてお役所のハコモノ崇拝主義とかイベント尊重思想は完膚なきまでに批判されてきてるわけなんです」
「それはそうですけどね」
「ただし蛙の面に小便ゆうやつですか。合併特例債でハコモノつくって喜ぶあほはなんぼでも出てきますやろけどね」
「あほゆうたらあかんがな」
「ここで振り返りますとバブルの時代に竹下内閣がふるさと創生という名のばらまき政策で地方に媚びを売りまして」
「媚びを売ったわけやないがな」
「あれで浮き彫りになったのは全国の市町村がいかに企画力や発想力を欠いているかという悲しい現実でしたからね」
「全国でいろいろなアイデアが出されて地方が活性化したのとちゃうんですか」
「単なる思いつきで温泉掘った自治体が三百もあったゆう情けなさでした」
「やっぱり急にお金もろたらつかい道に困るゆうこともあるでしょうけど」
「それからバブルの時代にもうひとつ浮き彫りになったのがしょうもない見栄を張りたがる地方自治体の体質ですね」
「見栄ゆうのはどうゆうことですねん」
「地方都市のグレードとかなんとかいいながら結局はよそより目立ちたいゆう見栄が全国の自治体に蔓延いたしました」
「どないしてよそより目立ちますねん」
「要するにハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想の出番ですがな。あほが考えつくのはどうせその程度のことなんです」
「あほあほゆうたらあかんゆうのに」
「けど財政の面からゆうてもこれまでの経験からゆうても自治体の見栄に税金をつかう時代はとうに過ぎ去ってます」
「ハコモノやイベントで見栄を張るのは税金のつかい道として適切ではないと」
「自分らの身のたけ身のほどゆうものをようわきまえてほんまに必要なことは何であるかを考えなあかん時代なんです」
「われわれ個人の生活もじつはそうでしょうね。見栄は必要ないですからね」
「そう。君程度の人間でもわかってることがなぜお役所にはわからんのか」
「君程度ゆうのは余計やないですか」
「個人も自治体も背伸びする必要はないんです。程度なんか知れたもんですからね実際。目立つこととかよそより上に立つこととか小さくてもキラリと光ることとかを考える必要はないんです。素のままそこそこの人間であり地方都市であったらそれで十分なんとちがいますか」
「そらまあ十分といえば十分ですけど」
「君程度でもそれはわかるでしょ」
「君程度ゆうなゆうとるやろ」

 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」というのはここに私が賢くも予想していたそのとおり(合併特例債でハコモノつくって喜ぶあほもここへ来て相次いで出てきてます。たとえば旧阿山町という名のあほが十四億もの税金をかけて2月13日に竣工したあやま文化センターがそのひとつ。あほよ嬉しいか)、莫迦が莫迦でないふりしてうわべだけきれいごとで固めた内容きわめて空疎な事業であり税金の無駄づかいだったわけですけど、そんな真似はもうやめておけというのだ名張市役所の諸君。

 記念館だの資料館だのとそこらの頭の悪い地域住民の無責任な提案をそのまま受け容れる必要はまったくない。本町の桝田医院第二病棟に乱歩の生家を復元し、新町の細川邸は名張市立図書館ミステリ分室とする。これでいいではないか。これが名張市の身の丈に合い身の程に応じた乱歩関連事業ではないか。それを乱歩生誕地碑建立五十周年の11月3日を目途とし、名張旧町地区再生に連動させて事業化すればいいのだということは諸君にはとても思いつかないだろうが私にはいくらでも思いつくのだから、どうしておまえらは名張市立図書館に足を運んで俺の知恵を借りようとしなかったのだこら。

 みたいなことは近いうち名張市役所でじっくりお聞かせいただくつもりなのですが、きのうは時間がなくてお邪魔できませんでしたし、きょうもこのあと津市に用事がありますのでたぶん無理です。悪しからずご了承ください。