2005年2月後半

●2月16日(水)

 さて本日もまいりましょう。世の中なかなか思いどおりには進まないもので、私は「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」を名張市教育委員会に対する攻撃から始めようと考えていたのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者が野呂昭彦知事や木戸博事務局長をはじめとしていったい何なんだこいつらはと茫然としてしまわざるを得ないような連中ばかりなものですから「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」が遅々として進まず、そこへもってきて名張市におきましては乱歩記念館がどうの歴史資料館がこうのと莫迦が上っ面のことばかり口走りやがるものですからすっかり頭に来てしまい、名張市教育委員会だろうがどこだろうが当たるを幸い叩き回ってやることにした次第なのですが、どこを叩くことになろうと私の主張には変化がありませんからご心配なく。その場その場でいうことがころころ変わるどっかの知事や事務局長とはえらい違いだ。

 ですからこれは「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」の一環として名張市教育委員会に提案するつもりだったプランなのですが、名張市新町にある細川邸は名張市立図書館ミステリ分室とすればいいではないかというのが私の意見です。とにかく資料館だの記念館だの、発想が月並みなうえに内容が貧弱なものにしかならない施設整備はやめておいてくれんかね。かりに細川邸を乱歩記念館にしてみたところで、だからといって全国から怒濤のごとく乱歩ファンが詰めかけるなどということはまず考えられませんし、来てくれた人だって何だよ、たったこれだけのものかよと失望して帰ってしまうことは間違いのないところでしょう。歴史資料館にしてみたところで同じことです。どうということもない歴史資料をちまちま一か所に集めてみたところで面白くも何ともありません。むしろ名張のまちそのものが歴史資料であり、まちそのものを展覧するといった発想が必要だろうと私は思います。

 それに乱歩記念館や歴史資料館というプランには、行政をはじめとした関係者における度しがたい発想の貧困以外にも、そうした施設を希望する地域住民側の貧しさが示されているのですから困ったものです。記念館か資料館をつくってくれなきゃ何も始まらない、何もできないなどと思考停止したような不平不満を並べ立てていないで、自分たちに何ができるかを考え、細川邸をどんなふうにつかい回せばいいのかという課題にみずから知恵をしぼってみるべきでしょう。お役所に丸投げしたってお役人には知恵はありませんし(丸投げは三重県知事に任せておきましょう)、頭つかってものを考えるのは面白いことでもあります。

 さてその名張市立図書館ミステリ分室の件ですが、なんだか説明するのが煩わしくなってきました。私には、名張市は乱歩が生まれた新町というところに古い民家を活用して市立図書館ミステリ分室を開設することにしました、みたいな構想を発表したら普通はぽんと膝を打ち、なるほどそれは面白いと頷き返していただけるのではないかと思われてならぬのですが、名張市役所にはすぐにピンと来てくれる職員など存在しないような気もしますから、一から十までいちいち説明して説得するのはなんかもう煩わしくて面倒だな。いやしかし、しかし少なくとも知事、われらが野呂昭彦三重県知事にはきっときっとこの構想をご理解いただけるにちがいありません。

 と申しますか、名張市立図書館ミステリ分室の構想にはあらかじめ知事のお墨付きをいただいているようなものだと私は思っております。つまりソーシャル・キャピタルってやつですね。乱歩蔵びらき委員会発行の『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に頂戴した知事の序文から引きましょう。

 今回、「乱歩蔵びらき委員会」の依頼に応えて、第一線でご活躍の研究者の方々から惜しみないご協力をいただけたのは、名張市立図書館を拠点とした社会関係資本が有効に機能した結果であり、伊賀地域や三重県が実施する事業にそうしたソーシャル・キャピタルが実り多い成果をもたらしてくれたことは、今後の地域づくりを考える上でも貴重な事例になるものと期待しております。

 なんか知事すごい。普段とは別人みたいにものの道理がよくわかっていらっしゃいます。そんなことはまあどうだっていいのですが、すでに存在している名張市立図書館のソーシャル・キャピタルに地域住民の知恵と情熱が加われば、名張市立図書館ミステリ分室は結構面白い施設としてつかい回すことが可能であろうと私は踏んでおります。名張市役所のみなさんや、みなさんはどうお考え?


●2月17日(木)

 いやー、きのうも名張市役所に足を運ぶことができませんでした。困ったものです。もとより私はお役所の人が嫌いで、公務員の顔を見ているだけでむかっ腹が立ってくるような人間なのですが、ことに最近は野呂昭彦知事だの木戸博事務局長だの三重県関係のどうしようもない手合いにほとほと愛想を尽かしており、名張市役所のみなさんとていずれ同断ではあるでしょうから、まともに相手になるのは耐えられんなという気がして致し方ありません。それでも顔を出して叱り飛ばしてやるのが自分の責務であるということはよく承知しているのですが、きょうもなんだか忙しくなりそうなので困惑しております。ではまたあした。


●2月18日(金)

 さて名張市立図書館ミステリ分室の構想ですが、何もたいした構想ではありません。名張市新町の細川邸の具体的な活用法を考える場合、記念館や資料館あるいは文学館といったご大層なものとして整備する発想なんて問題外であることは縷々述べてきたところですが、逆に単なる図書室に過ぎないということにしてしまえば、学芸員を雇うことも企画運営に頭を痛めることも必要がなくなってしまいます。

 新町は乱歩が生まれた町なのですから、その町に図書室があって乱歩の著作を架蔵し、市民が気軽に乱歩作品に親しめる場となっていてもちっともおかしくはありません。ついでに資料も展示しましょう。話は簡単。名張市立図書館の乱歩コーナーにある乱歩の文机だのオーバーコートだのを移動して陳列すればいいだけの話です。乱歩の著作のなかにも当然、閲覧や帯出は不可としてガラスケースに展示しておくべきものがあります。

 これだけでは面白くありませんから、名張市立図書館が架蔵しているミステリ作品(ミステリというのは探偵小説または推理小説のことだとお思いください。ミステリーと長音符を入れてもいいのですが、とりあえずミステリということにしておきます)も細川邸に持ってきます。で、ここからがミソなのですが、蔵書はすべて寄贈図書であるということを原則に運営を始めます。つまり新刊購入費は基本的にゼロです。

 寄贈図書にはすでに蓄積があって、名張市立図書館は慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんから蔵書をお送りいただいております。メンバーのなかには、

 「僕が死んだら蔵書はみんな名張の図書館に寄付しますから」

 などと空恐ろしいことをおっしゃる方もいらっしゃるのですが、名張市立図書館の開架にはこれらの寄贈図書を並べてミステリ専門コーナーを設ける余裕はとてもなく、現在は図書館の地下書庫に死蔵されている状態です。

 慶應のみなさん以外にもミステリ作品を寄贈してくださる方はあり、きのうも図書館に顔を出しましたところ名古屋にお住まいの方からミステリ関連書をお送りいただいたとのことで、ざっと見てみますと『虚無への供物』初版帯付きが普通に並んでいたりしてちょっとびっくり。とにかくそんな具合に、名張市は乱歩の生誕地だからと蔵書を寄贈してくださる方がいらっしゃるのは紛れもない事実なのですが、ミステリファンのそうしたご好意にお応えできていないのが名張市立図書館の現状です。

 とはいえ私は、名張市立図書館がミステリに強い図書館として特化する必要はないと考えます。そんなことをしてしまったら、専門スタッフが必要になったり新刊ミステリを追いかけなければなくなったり、結構大変なことになってしまいます。しかし、乱歩が生まれた新町に分室を開設し、寄贈図書を活用したミステリ専門図書室として運営する、といった試みは面白いのではないかと思います。充分に実現可能だとも思いますし。

 運営するためにはミステリ小説に関する知識が必要ではないか、とお考えの方もおありでしょうが、名張市立図書館には全国のミステリファンという強い味方がついております。野呂昭彦知事のおっしゃるソーシャル・キャピタルってやつですか。構想の段階から相談に乗ってくれたり、あるいは運営に対して持続的にアドバイスしてくれたりする方は少なからずいらっしゃるのではないかと推測されます。インターネットを利用して蔵書を公開すれば、ミステリファンの協力はいっそう得やすくなることでしょうし。

 つまり全国のミステリファンにいいようにつかい回してもらえばいいわけなのですが、いっぽうで地域住民にもつかい回してもらわなければなりません。図書室だからといって機能を限定して考える必要はさらさらなく、むしろ住民が地域の拠点のひとつとして自由につかい回しできる施設であることが望ましいように思われます。さらにいえば地域住民が運営に直接携わることが要求されてくるかもしれず、たとえば図書室の受付で近所のお婆ちゃんが貸し出し係をやってる図、なんてなかなかのものではないでしょうか。要するに名張というこの古いまちにおいては、古いものがただ古いというだけの理由で排除されてしまうことは決してないのだ、と思いたいのだ私は。

 公立図書館がミステリ専門分室を開設するというのはきわめてユニークな試みのはずで、とはいえ乱歩を生んだ名張市ならば当然のことだといえるのかもしれず、それに名張市は新年度、赤ちゃんが生まれたら絵本をプレゼントするブックスタート事業とやらをスタートさせるそうですから、その赤ちゃんが小学生になったときのためにも、乱歩が生まれた新町に乱歩の少年ものを好きなだけ読むことのできる市立図書館ミステリ分室を開設しておくことが望まれるのではないでしょうか。しかしそれはそれとして、子供のころからあれこれいろいろ本を読んでた日にゃ俺みたいな人間ができあがってしまう可能性もあるわけなんだがそれでもいいのかおまえら。


●2月19日(土)

 昨18日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開会されました。名のとおり市の重要施策をテーマとした委員会で、市議会議員全員すなわち二十人で構成されています。午前十時から名張市役所二階の特別委員会室で開かれました。開会前に議員控え室の前を通りかかったところ、田郷誠之助議員(無所属)とばったり。田郷先生は議案書を取り出して眼を通しながら、

 「ははあ、これですか。名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」

 この日の議案は十件ありましたが、委員報酬について、名張市地域福祉計画(案)について、「くにつふるさと館」の開設について、はたまた、(仮称)名張ふれあいスポーツプラザ事業計画の概要について、新消防庁舎・防災センターの建設位置について、といったものには私はまったく関心がなく、田郷先生お見通しのとおり五番目に掲げられた「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」という議案の審議を傍聴するべく、朝とても早く起きてお仕事を片づけてから名張市役所に駆けつけた次第でした。

 午前十時の開会が近づくと、議員が特別委員会室に向かいます。顔見知りの梶田淑子議員(ききょう会)や上村博美議員(ききょう会)に挨拶しながら(この上村議員というのは私の従兄弟で、近く慶事を控えているのですが、私は愛知県に赴く用事があるからとそのセレモニーへの出席を断ってしまい、むろんまさか昭和食堂へ行く用事があるからとはいえぬわけですが、とにかくなんだかなあ)、私も議場に入りました。傍聴席には記者クラブの面々も着席し、やがて委員会が始まります。私は持参した文庫本を読み始めました。

 正午前、私は文庫本を読み終えました。いやまいったな。持参したのは堀田善衞『ミシェル 城館の人』全三冊(集英社文庫)の第一部なのですが、つづきの第二分冊までは持参しておりません。議題はまだ三番目、つまりお目当ての「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」が審議されるのは午後ということになり、まだしばらくは本を読んで時間を潰すことが必要になります。やがて柳生大輔議長(ききょう会)が休憩を宣言し、お昼休みとなりました。

 私は名張市役所前の笑いめしという店で昼食を食べ(お会計のほうは五百十円でした)、そのあと市役所裏の別所書店新名張店に入って本を物色してみたのですが、こんなときに限ってこれはというものが見つからず、江戸川乱歩全集第25巻『鬼の言葉』(光文社文庫)と有栖川有栖さんの『作家の犯行現場』(新潮文庫)を購入して市役所に戻りました。午後一時、委員会が再開され、私は傍聴席で『鬼の言葉』と『作家の犯行現場』をぱらぱら眺めましたが、審議はいやでも耳に入ってきます。

 いやはやなんともそれにしても、名張市議会を傍聴するのはじつに久方ぶりのことであり、しかも特別委員会の傍聴はきのうが初めてであったわけなのですが、顔ぶれは変われど名張市議会の皆さんは相も変わらず程度がおよろしくないようです。こんな連中が議員だ何だと偉そうにしてやがるのか、おまえら一度ものの道理というものを教えてやるから名張市立図書館まで来いこら、と怒鳴りつけてやったらどんなにせいせいするだろうと思いながら、私は「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」の審議に耳を傾けました。

 このプランについては2月10日の産業建設委員会で検討が行われたとのことで、まずその結果が同委員会の永岡禎委員長(ききょう会)から報告されました。報告は三点にわたったのですが、たいしたことではありませんから省くこととして、しかしひとつだけお知らせいたしておきますと、名張旧町地区を十年で再生するというこのプランの財政規模は八億円程度、国のまちづくり交付金でその四〇%が措置される見込みだといいます。

 さて問題の「名張まちなか再生プラン」(案)ですが、私はこのプランに関して1月21日付伝言で次のように記しました。

 この「まちなか再生プラン」(仮称)、まだ正式には公表されておりませんから内容についてあれこれ申しあげることはできないのですが、不本意ながら不備を指摘せざるを得ないプランではないかと思われます。大きな不備はおそらくふたつあり、ひとつは既成市街地をどのような「まちなか」にしたいのかという総合的な視点が欠落していること、もうひとつは既成市街地の「再生」に生活という発想が存在していないことであろうと思われます。計画の中身も確認しないでこんなことを指摘するのは差し控えるべきではありますけれど、計画を策定したのが「公募した市民や名張商工会議所の関係者ら四十九人」だというのですから、たいしたことはまったく期待できないにちがいありません。

 で昨日、委員会における名張市側の説明を聞き、あとでA4サイズ三十三ページにおよぶプリントを入手してぼーっと眺めてみたのですが、自分の懸念が現実のものになってしまったことを私は実感いたしました。細かいツッコミを入れるべきところは無数にあるのですが(もとよりプランというものはそういうものであって、ツッコミの入れどころのないプランなんて存在しないわけですが)、ここではおもに細川邸の活用法に限定して話を進めたいと思います。細川邸は名張市新町、乱歩の生家跡からもほど近い場所に残る旧家で、歴史資料館として活用することが検討されています。

 しかし私は歴史資料館という発想にはまったく賛同できず、2月14日付伝言でも「何が歴史資料館だ。だいたいが歴史のことなどまったく知らず、そもそも歴史に関心すらない人間に限ってこんなことをおっしゃいますから片腹痛い」と記した次第なのですが、この日の重要施策調査特別委員会ではそうした片腹痛さを文字どおり痛感させられる仕儀となってしまいました。

 ある議員が歴史資料館に関して発言し、名張市内に残る美旗古墳群という遺跡に言及したときのことです。美旗古墳群を観光資源として活用してはどうかとの指摘がなされたのですが、そんなことは昭和53年、美旗古墳群が国史跡に指定されたのを機にひととおり検討されたはずで、しかしこの先生はそうした経緯もご存じなく、美旗古墳群についても一知半解の知識しか持ち合わせていらっしゃらないのだろうなと思いながらさらに耳を傾けておりますとさあ大変、この先生は江戸時代が中世であるとおっしゃるではありませんか。私は耳を疑いましたが、先生が同じことをもう一度きっぱりと断言してくれましたので耳に対する疑いは晴れました。

 いやまいった、と私は頭を抱えました。むろん市議会議員が無教養であっても別にかまいはしないのですが、というか無教養な人間が議員になれないのであればこの国には議員と名のつく人間などほとんど存在しないことになってしまうはずなのですが、それにしたって江戸時代は中世であるなどという認識に基づいて歴史資料館を論じていただいては困ってしまいます。いかんいかん。こんなことではいかんではないか。名張市議会いかがなものか。


●2月20日(日)

 いやはやほんとにいかがなものかと眩暈に似た感動すら覚えてしまうわれらが名張市議会なのですが、18日に開かれた重要施策調査特別委員会における「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」の審議の模様をひきつづきお伝えいたしましょう。

 まず驚いたのは、「名張まちなか再生プラン」(案)に盛り込まれた歴史資料館たらいう愚劣な構想がまったく無批判に受け容れられていたことです。そんなことでいいのか名張市議会。歴史資料館なんてものつくったからといって名張のまちに人が押し寄せてくるはずがなく、そもそもいったい何を展示するのかといったことを私はこのところ連日主張している次第なのですが、名張市議会には歴史資料館というハコモノに対する無根拠な盲信、いっそ歴史資料館信仰とでも呼ぶべきものが存在しているようで、そうした信仰に明確な疑問を投げかけたのはわずかにただ一人、福田博行議員(清風クラブ)が、

 「歴史資料館をつくったら人が来てくれるというのはまさに行政的発想。点をつけるとしたら三十点」

 と発言したのみというていたらくでした。いいぞいいぞ味ふく、と私は心のなかで喝采を送りました。味ふく、といっても何のことやらおわかりにならない方もいらっしゃるでしょうが、あれはいつでしたか神津恭介ファンクラブご一行が名張においでくださったとき、清風亭大宴会のあとの二次会でなだれ込んだところが味ふくでした。といってもまだおわかりにならないでしょうが、先をつづけます。

 ではここで、「まちなか再生プラン」(案)の「3.将来地域像とプロジェクトの考え方」のうち「3−1.歴史拠点の整備」の「(3)プロジェクト概要」から「【2】歴史資料館の整備事業」全文を引いてみましょう。

 名張のまちにひろがりとまとまりが感じられるように、北の名張藤堂家邸に対して南にもうひとつの歴史拠点を整備します。

 だからその名張藤堂家邸跡に閑古鳥が鳴いているではないかというのだ。その点に関する反省もなしに「もうひとつの歴史拠点を」などと気易く口走るな。閑古鳥の鳴く歴史拠点をふたつつくってどんなシナジーを期待するというのだ。ほんとに上っ面だけだなおまえらは。ただ施設をつくればそれでいいとするのはまさしく行政的発想にほかならず、そうした発想から脱却するために外部の人間がプラン策定に携わったはずなのだが、それでも結局のところお役所的発想から抜け出せていないのはどうしたことか。おまえらもしかしたら二〇〇四伊賀びと委員会か。

 いやいや、こんな具合にいちいちツッコミを入れていたら話がちっとも進みません。おとなしく先をつづけましょう。

 初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。

 だからそんなことはするなというのだ。いやいかんいかん。またしてもツッコミを入れてしまいました。どうも相済みません。最初からおとなしく先をつづけましょう。

【2】歴史資料館の整備事業(重要度:◎)

 名張のまちにひろがりとまとまりが感じられるように、北の名張藤堂家邸に対して南にもうひとつの歴史拠点を整備します。

 初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。細川邸は円滑な賃貸契約が見込めるほか、平成16年11月の芭蕉生誕360年祭において旧家の風情を活かした魅力的な歴史資料館になりうること、適切な企画によって集客力が期待できることなどが確認できたので、歴史資料館にふさわしい建築物と考えます。

 老朽化した部分を除却し、町屋の風情を大切にして母屋と蔵を改修します。また、来街する市民の便に配慮して、駐車場、公衆トイレと喫茶コーナーを設置します。歴史資料館の主用途は資料の展示ですが、多様な市民ニーズに応えるために物販や飲食などを含む複合的な利用も可能なものとします。なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。

 市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示するほか、市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭の市の美術展の出品作、個人や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。市民が関わることのできる場と機会を提供することによって、主催者としてあるいは参加者としてさまざまな市民の来館が期待できます。

 管理運営を担う民間組織には、リピーターが確保できるような企画運営能力をもつことが期待されます。歴史資料館の立ち上がり期には、地元組織やまちづくり協議会が企画展示や施設管理に協力して、円滑な歴史資料館の管理運営に取り組みます。

 ある意味見事だと感心してしまいます。歴史資料館なんてものには何の根拠も必要性もないのだということを、驚くなかれこのプラン自体が実証してくれているからです。歴史資料館の第一の前提となるべき歴史資料に関して、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と述べられているに過ぎないのがその証拠。要するにろくな資料がないってことじゃねえか。

 2月14日付伝言にも記しましたとおり、もしも歴史資料館をつくるというのであれば「市内にはこれこれこのように貴重な歴史的資料が存在しており、広く一般に公開する必要が認められるにもかかわらずその場がない、つきましては歴史資料館を」と話が進められるのが本来であると思われるのですが、このプランはまったくそうではありません。このプランにはただ、細川邸を何らかの形で活用しなければならないので歴史資料館をつくります、という短絡的でありきたりで無責任な発想しか存在していないように見受けられます。いかんいかん。こんなことではまったくいかん。


●2月21日(月)

 「名張まちなか再生プラン」(案)に盛り込まれた「歴史資料館の整備事業」のお話をつづけますが、噴飯すべきはやはり乱歩の扱いでしょう。「江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」というだけなのはいかにも情けない。私はつねづね乱歩を名張市の自己宣伝に利用するのはおおきに結構ですけれど、それならそれでもう少し乱歩のことを知ろうとされてはいかがなものかと関係各位に申しあげてきたわけですが、このプランを策定された方々も乱歩のことは何もご存じないようで、だからいわないこっちゃない。乱歩に関して何の知識も持ち合わせない人間は、怪人二十面相の恰好でそこいら走り回るくらいのことなら考えつけても、名張のまちの再生に乱歩というせっかくの素材、いやさ最強のカードを有効に利用する手だてを考えるなんて段になるとまったくのお手上げになってしまうという寸法です。

 それにしても、いったいどこのどなたがこんなプランを策定してくださったのか。「名張まちなか再生プラン」(案)のプリントを眺めてみますと、平成16年6月に名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張市長から「まちなか再生プラン」策定の依頼を受けたことが記されており、委員名簿も掲げられています。その顔ぶれはと見てみると──

委員長 浦山益郎 三重大学工学部教授
副委員長 勝林定義 名張地区まちづくり推進
協議会会長
委員 井内孝太郎 名張青年会議所理事長
岡田かる子 名張市老人クラブ連合会
副会長
岡村信也 名張文化協会理事
川上聰 川の会・名張顧問
辰巳雄哉 名張商工会議所会頭
西博美 名張市社会福祉協議会会長
西川孝雄 国土交通省近畿地方整備局
木津川上流河川事務所所長
早川正美 三重県伊賀県民局局長
福田みゆき 名張市PTA連合会会長
柳生大輔 名張市議会議員
山崎雅章 名張市区長会会長
山村博亮 名張市議会議員

 うーむ。いかがなものかいかがなものか。いかがなものか名張地区既成市街地再生計画策定委員会。といっても、私は委員のみなさんそれぞれにおける資質能力知識見識を問題にしているわけではありません。こうした委員会を組織するにあたって関係機関のトップや関係団体のボスをあちらこちらから寄せ集め、それによって市民各層の意見を集約できる態勢が整ったものとする。そんな旧態依然とした手法を名張市が踏襲していることに疑問を感じている次第なのですが、まあここいらの機関団体の顔を立てておかなければ話が始まらないということもあるのでしょう。

 それに名張市は、より広く市民の意見を集めて政策に反映させるためのパブリックコメント制度を採用しており、つまりこうした旧弊を補完するシステムも一応整えられているわけです。ちなみに「名張まちなか再生プラン(案)」に関しても、2月21日(きょうのことですが)から3月22日までの期間でパブリックコメントが募集されるそうです。むろん私もコメントを寄せるつもりです。寄せなくてどうする。ばんばん寄せてやるともさ。しかし、かりそめにも市立図書館に籍を置く人間がどうしてこんな制度を利用しなければならないのでしょうか。お役所ってのはほんとに奇々怪々なところなんだなと、あらためて実感される次第です。

 それからここでお知らせですが、私は先週中に名張市役所の乱歩記念館担当部署を叱り飛ばしてやるつもりでいたのですが、時間がなかったせいでそれを果たせず、ところが金曜日に名張市議会の重要施策調査特別委員会を傍聴した結果、とりあえずその部署というのが判明いたしました。建設部都市計画室というところらしいです。もっとも、「名張まちなか再生プラン(案)」のパブリックコメントが募集されるということもこの委員会で聞き及びましたので、それならば名張市に対してはとりあえず手厳しくも手厳しいコメントを寄せてやり、そのうえで必要が出てくれば建設部都市計画室を叱り飛ばしてやることにいたします。以上、いささかの方針転換をお知らせしておきます。

 さて、「名張まちなか再生プラン」(案)における「歴史資料館の整備事業」、資料館の主目的である資料展示はごくわずかに言及されているのみで(つまりろくな展示品がないわけですが)、そのあとには資料展示以外の利用法があれこれと列記されています。引いてみましょう。

市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭の市の美術展の出品作、個人や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。

 なんかほんとにいかがなものか。ここに挙げられた展示や上演などの催事はすべて、歴史資料には直接関係ないものばかりです。たとえばそこらの公民館でだって充分できるものばかりではありませんか。そんなものをわざわざ歴史資料館でやらなければならぬ道理がどこにある。まったく困ったものです。

 細川邸を歴史資料館として活用しなければならない。かといって歴史資料なんてろくなものがないではないか。こんなことでは資料館つくっても誰も来ないぞ。えーいもう市民に好きなようにつかい回させろ。みたいな感じで、歴史資料館という不動の前提のうえに無思慮な短絡を重ねていった経緯が明瞭に読み取れる気がいたします。要するにこのプランは、主目的の資料展示のみならずそれ以外の利用法という面においても、歴史資料館なんて本当は必要ないのだという事実をしっかり実証してしまっているわけです。歴史資料館は不動の前提なんかでは絶対にあり得ません。そんなものに固着していてどうするの。


●2月22日(火)

 ある方から、昨日付日本経済新聞のコラム「春秋」に乱歩が登場していた、とメールでお知らせをいただきました。少年探偵団のチンピラ別働隊をマクラとして、地域社会における防犯ネットワークの形成について考察する内容です。

春秋(2/21)
 江戸川乱歩は戦後の作品で、少年探偵団の補完組織として「チンピラ別働隊」を登場させた。モク拾いなどで暮らす戦災孤児たちで、身寄りがない分、深夜出没する怪人20面相を心置きなく追える。過酷な時代が生んだ特異なライフスタイルゆえの起用だ。

▼乱歩没後40年、子供の連れ去りや行きずりの殺傷などが頻発する今、地域の安全・安心確保に素人として一役買うのは地域住民からなる防犯ボランティア団体。その数、全国に3000団体というが、ここでも一種の別働隊が注目される。郵便や新聞配達、ピザや乳酸飲料の宅配など、地域の巡回や家庭訪問を日常的に行う業者グループだ。

 記事は「地域貢献などと大上段に構える必要はないが、今や職業人も仕事とコミュニティーの両方を向く『二面相』が求められているのだろう」と結ばれていますが、このところ乱歩はほったらかしでコミュニティにばかり向き合っている私としては、コラムの主張とは関わりのないことなれどなんだかどこかしら耳が痛い感じ。もう少し乱歩のほうを向け、と乱歩ファン各位からお叱りを頂戴したような気分です。

 むろん私とて、こうなることはわかっておりました。コミュニティの問題にまともに向き合うのは泥濘に進んで足を踏み入れるようなものであって、まず眼の前に現れるのはお役所という封建時代さながらの旧弊なシステムであり、そこではお役人と呼ばれる人たちが思考停止と責任回避の日々を送っている。眼を転じれば四方八方、コミュニティに無関心でそれゆえ無責任なくせに目先の利得に踊らされて権利ばかりを主張する地域住民がわんさと存在している。いやまさかお役人や地域住民のすべてがそうだということはないでしょうけれど、とにかくそうしたコミュニティに身を投じ、そこにある矛盾や不公正といったものを指摘し是正しようとするなどというのは、はっきりいって孤立無援、ほとんど絶望的なまでに孤立無援な行為であるのかもしれません。

 ですから私はコミュニティとはできるだけ無縁であろうと努めていたのですが、どうやらそうも行かないみたいだぞと思われてきたのが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」、あの官と民とがぐるになって血税三億三千万円をいいようにどぶに捨て去る事業が完全に市民不在住民無視の密室のなかで準備され、しかも伊賀地域住民というのはいつだってそうなんですが陰ではいくらでも悪口をいうくせに公然とした事業批判はいっさいしようとしませんから、こーりゃ三重県も伊賀地域七市町村(現在は市町村合併によって二市になっていますが)も十八万伊賀地域住民もみーんなまとめて面倒見てやろうか莫迦、と孤立無援な戦いに乗り出したのがよかったのやらよくなかったのやら。いずれにせよあす23日午後7時から名張市役所で開かれるという「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の地域報告会に顔を出し、報告を謹聴してまいりたいと思います。

 それはそれとして今度は名張市というコミュニティの問題、とっとと先に進みましょう。18日開会された名張市議会重要施策調査特別委員会の報告です。この日午後1時、休憩が終わって委員会が再開される直前のことですが、私は田郷誠之助委員(無所属)から、

 「このプランにはあの病院のことが出てきてませんけど、どうしてなんでしょうなあ」

 とのお尋ねをいただきました。あの病院、というのは申すまでもなく乱歩生誕地碑の建つ桝田医院第二病棟のことです。私は、

 「寄贈されたのが11月下旬でしたからプランに反映させるのは時間的に無理やったんとちがいますか。もちろんあそこの活用もプランに連動させなあかんわけですけど。先生ちょっとゆうたってください」

 とお願いしておきました。やがて議題は「名張まちなか再生プラン」(案)に移り、名張市建設部によるプランの説明が終了、質疑応答が始まりました。最初に発言を求めたのは田郷議員で、質問は二点。一点目は、

 「桝田医院から生誕地碑がある病棟の寄贈を受けたが、その活用策がプランから抜けている。今後おおいに活用しなければならない施設であり、プランを緊急に修正するつもりで取り組むことが必要だ」

 といったものでした。西出勉建設部長の答弁はおおよそ次のとおり。

 「寄贈を受けたのが昨年11月であったことから、活用法を具体的にプランに表すことはできなかったが、土地建物の活用方法は今後、細川邸の利用法の詳細なプランとともに検討し、相互補完的な機能をもたせて、歴史的文化的施設として活用したい」

 新町の細川邸と本町の桝田医院第二病棟、このふたつをめぐっては乱歩を軸として新町と本町の暗闘がくりひろげられているのかどうか、そんなこと私は全然知りませんけど、建設部の見解どおり相互補完的な施設とすることが必要でしょうし、ふたつの施設をカバーできる素材となれば乱歩以外には見当たりません。で、ふたつの施設というのは復元した乱歩の生家と名張市立図書館ミステリ分室、これで決まりではないかと私は思います。


●2月23日(水)

 「名張まちなか再生プラン」(案)についてさらにつづけますと、細川邸を歴史資料館として活用する構想にはこんなことも記されています。

 老朽化した部分を除却し、町屋の風情を大切にして母屋と蔵を改修します。また、来街する市民の便に配慮して、駐車場、公衆トイレと喫茶コーナーを設置します。歴史資料館の主用途は資料の展示ですが、多様な市民ニーズに応えるために物販や飲食などを含む複合的な利用も可能なものとします。なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。

 細川邸には蔵があるのですが、蔵といえばやはり乱歩でしょう。細川邸の蔵は旧乱歩邸土蔵に対峙するもうひとつの土蔵として活用するのが望ましかろうと考えます。物販や飲食もむろんOKです。というか私の構想では、名張市立図書館ミステリ分室の近くに空き店舗を利用してミステリ専門古書店「三人書房」を開設するというアイディアまで含まれているくらいです。それから公設民営方式という点に関して申しあげますと、私は2月18日付伝言にこのように記しております。

さらにいえば地域住民が運営に直接携わることが要求されてくるかもしれず、たとえば図書室の受付で近所のお婆ちゃんが貸し出し係をやってる図、なんてなかなかのものではないでしょうか。要するに名張というこの古いまちにおいては、古いものがただ古いというだけの理由で排除されてしまうことは決してないのだ、と思いたいのだ私は。

 つまり名張市立図書館ミステリ分室の運営には地域住民が大きく関与する必要があるのですが、施設自体はあくまでも市立図書館直属の機関でなければなりません。いまの日本ではNPM、すなわちニュー・パブリック・マネジメントたらいうものが一大潮流となっていて、行政サービスの向上を合言葉に、しかし実際は深刻な財政難のなんだか破れかぶれなみたいな打開策として、民間でも提供可能なサービスはあいついでアウトソーシングしてゆくことが国のレベルでも市町村のレベルでも大流行しているわけなのですが、1990年代にこのNPMが大流行した先進諸国におきましては、その結果政府が断片化してさまざまな社会問題に対処できなくなる事態に立ち至り、行政システムのさらなる改革が現在進行中であるとも伝えられますから、いずれわが国でもNPMの見直しが求められる可能性は少なからずあるでしょう。したがいまして、よその真似をするのが大好きな日本のお役所がこの先どんなにぶれまくろうと、この施設があくまでも名張市立図書館の管轄であるという軸だけはぶれないようにしておくことが賢明であると判断いたします。

 そんなこんなで名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」(案)に関する協議が進められた18日の名張市議会重要施策調査特別委員会、結局のところ乱歩の名前が登場したのはきのうご紹介した田郷誠之助議員(無所属)の発言だけで、いや正確に報告すればほかにもうおひとり、ある先生が乱歩の名前をお出しになったのですが、それはもうごくごく軽い扱いで、

 「名張市は何もかも中途半端、○○のことも中途半端、乱歩のことも中途半端、中途半端なことしかやっていない」

 といった感じの言及でした。私は上記の○○の部分を聞き逃していたのですが、乱歩の名前が出てきたので思わず顔をあげ、そんないい加減なこといってんのはいったいどこの先生かと室内を見回してみたところ、なんだまたあなたでしたか江戸時代中世説の人、さっきは江戸時代が中世であるという妄説を意気揚々と披露なさったと思ったら、今度は名張市が乱歩に関して中途半端だとおっしゃいますか。たまにゃしっかりしましょうね。傍聴者には発言権が認められておりませんから黙っておりましたが、発言が許されれば私は名張市立図書館の人間として、購入したばかりの二冊の文庫本を示しながら、

 「ちょっとあなた。江戸時代中世説のあなた。ずいぶんいい加減なことおっしゃってますけど、この『鬼の言葉』という本を見てください。新保博久さんの巻末解説では主要参考文献として名張市立図書館の『江戸川乱歩執筆年譜』をあげていただいております。名張市が中途半端なことやってたらこんなところに名張市の名前は出てこんぞ。それからこの『作家の犯行現場』では有栖川有栖さんが『名張市立図書館が乱歩研究に力を注いでいる』と書いてくださっております。名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』も写真入りで紹介していただいております。名張市が中途半端なことやってたらこんなところに名張市の名前は出てこんぞ。ろくに調べもせずに何が中途半端だ。いやたしかに名張市には乱歩に関しておおいに中途半端なところがあってじつに困ったものなのだが、だらといっておのれごとき無教養きわまりないぼんくら議員に中途半端呼ばわりされなければならぬ筋合いはどこにもないのだ。ものの道理というやつをたっぷりおしえてやるから名張市立図書館の移動図書館やまなみ号ガレージまで来るかこら」

 とでも申しあげていたところです。


●2月24日(木)

 2月18日に開会された名張市議会重要施策調査特別委員会は、名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」(案)に関する協議が終わったところで休憩に入りました。委員会はさらにつづけられるのですが、私は西出勉建設部長にお願いしてプランのプリントを頂戴し、特別委員会室をあとにしました。時間はやがて午後3時になろうかというあたり。名張市役所の階段を降りながら、さーて、来週の月曜にでももういっぺん来てやるか、と私は考えました。あの江戸時代中世説の先生、ちょっといたぶってやったほうが身のためだろう、と。

 つまり週明けに名張市議会事務局を訪れ、18日の特別委員会におけるあの先生の発言には名張市立図書館の人間として看過しがたい箇所があるゆえ発言内容を確認したうえで先生の真意存念をお聞かせいただきことと次第によっては訂正を求めたい、みたいなことを申し出てやろうと考えていたのですが、あんな手合いをまともに相手にするのは莫迦らしい話だという気にもなり、それにあの先生が乱歩に関する名張市立図書館の営々孜々とした営みをご存じないのも無理からぬ話で、それが乱歩に興味関心のない人たちのアベレージといったものでもありましょうから、あの先生が無教養であり不勉強であるのは疑いようのないところではあるのですが、今回は見逃してやることにいたしました。命冥加な先生だこと。

 なんてこといってるあいだに2月23日、つまりきのうのことですが、午後7時から名張市役所三階三〇三・三〇四会議室で「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の地域報告会が開かれました。21日から伊賀地域七会場で開催されている催しです。さーて、莫迦どもちょっといたぶってこようか、と私は足を運びました。顔を見せていたのは事業関係者ばかり、総勢二十人あまりといったところでしょうか。いわゆる一般市民はただのひとりもいませんでした。そりゃそうでしょう。誰が来るか。と申しますか、芭蕉さんがどうたらこうたらいう事業が実施されたことをちゃんと認知している名張市民がいったいどの程度存在しているのかというと、かなり悲観的な数字しか想定できないように私には思われます。

 報告会が始まりました。プログラムをそのまま写しておきますと、あいさつ、振り返り(妙な日本語です。昨今、動詞の連用形を名詞化した妙な日本語が多用される風潮が見られるのは困ったものだと私は思っております)、成果物紹介(一瞬くだもの屋さんを連想しました)、地域の報告。ここまででいわゆる報告が終わりました。報告を聞いていて感じられたのは、これはむろん出席者が全員事業関係者であったという事情にもよるのでしょうが、この人たちには最後まで外部というものが存在していなかったのだな、ということと、この人たちには公金をつかうというのがどういうことなのかという認識がまったく欠如しているのだな、といったことでした。要するに最後まで莫迦なのかこいつらは。

 報告のあとはいよいよ意見交換会。私は発言の許可を得て、事業の反省点をお聞かせいただきたい、反省点は死ぬほどあると思われるのだが、と要請しました。さらに、死ぬほど存在するであろう反省点のなかから公開性の低さという問題に焦点を絞り込み、予算総額三億三千万円の詳細がまったく明示されなかったという一点に問題を限定して二〇〇四伊賀びと委員会の考えを質しました。委員会の辻村勝則会長からは、「3月議会を通らなければ発表できないと事務局から伝えられた」との回答がありました。

 つまりこういうことです。事業予算三億三千万円は三分の二が三重県、残り三分の一が伊賀地域七市町村(当時)の負担となり、それぞれの2004年度予算に組み込まれます。この予算が審議されるのは2004年3月の県議会ならびに市町村議会です。二〇〇四伊賀びと委員会がまとめた予算案はこれらの議会に要求されることになりますが、その前に「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会で審議され、承認されるというプロセスを経なければなりません。事業推進委員会の開催は2003年12月でした。そのとき示された予算書がきわめて大雑把なものであったことは、これまでにそれこそ死ぬほどしつこくお伝えしてきたとおりです。

 さて、辻村会長は事務局から、2004年3月の議会で正式に承認されるまで予算の詳細は発表できない、と伝えられたとおっしゃいます。そんな莫迦な話はありますまい。二〇〇四伊賀びと委員会は2003年12月の事業推進委員会に予算案を示さなければなりません。そのうえで承認を得なければなりません。予算の詳細を発表せずにどうやって承認が得られるというのでしょうか。しかし実際には予算の詳細は示されなかったわけで、にもかかわらず予算案はしゃんしゃん承認されてしまい、そのまま県および市町村議会に要求されたわけなのですから、なんだかもうほんとにいい加減な話ではあるのですが、それにしてもおかしい。おかしすぎる。

 1月25日に事務局を訪れて確認したところでは、3月議会が終わるまで予算の詳細は発表できないなんて話はまったく出てこなかったと記憶します。1月26日付伝言を読まれよ。

 私はきのう事務局で確認しました。一昨年12月の第二回事業推進委員会の時点で、予算の詳細を公表することは可能であったのか、と。可能であった、とのことでした。それならどうしてそれを公表しなかったのか、と重ねて質問したところ、事業推進委員会にそんな詳細なことまで報告する必要はなかった、とのことでした。そんなあほな。

 「事業推進委員会に報告するということは県民に報告するということなんです。県民に対する報告があんな大雑把な予算書で済むわけがないやないか。なんで詳細を公表せえへんかったんや」

 とさらに重ねて尋ねてみましたところ、

 「ですから求められれば詳しいことはいくらでも説明しますから」

 私はびっくりしました。いや、びっくりを通り越して茫然としたり愕然としたりしてしまいました。しかしいつまでもそうしてはいられません。驚き呆れながらも言葉をつづけました。

「いやちゃうがなそんなもん。これこれの事業を実施するにあたって税金をこれこれこのようにつかいますと事細かに県民に説明するのが予算の報告ゆうことやがな」

 県民に公開すべき予算の詳細を徹頭徹尾隠蔽しているだけでも度しがたい話だというのに、聞きにくれば教えてやるといわんばかりのこの言い種はいったい何なんでしょう。私がびっくりし、茫然とし愕然としたのもじつに無理からぬ話であったと思われます。

 おかしすぎるではないか、と思った私は「3月議会が終わるまで予算の詳細は発表できないという根拠は何だったのか。また、3月議会が終わってからもいっこうに発表されなかったのはなぜなのか」と事務局を名指しして質問しました。

 申すまでもなく会場には、例のびっくり発言集でおなじみの木戸博事務局長がいらっしゃいます。三重県庁から伊賀を平定するべく差し向けられた県生活部の精鋭です。宮村由久さんとかおっしゃる生活部長もきっと見守ってくださっていることでしょう。さあどうする精鋭。また例によって例のごとき発言で私をびっくりさせてくれるのかな。どーなのどーなの。


●2月25日(金)

 ところが残念なことに、事務局の回答を得ることはできませんでした。2月23日夜、名張市役所で開かれた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の地域報告会でのことです。私は事務局に対して質問を発したのですが、なじかは知らねど進行係のNさんは事務局の発言を促そうとはせず、事業の評価がどうのこうのとどうでもいい話題に流れをもってゆこうとします。こらN、と私は思いました。おまえ勝手に話をすり替えてんじゃねーよ。評価なんてのは基準や観点によってどうにでもなる曖昧なものだ。俺はそんなものには興味はない。俺が知りたいのは評価以前の問題だ。三億三千万円の税金をつかうに際してどうしてあそこまで予算説明が杜撰だったのかということだ。

 ところが話はどんどんそれてゆきます。評価という言葉につられてまるで火のついたかんな屑みたいにぺらぺらと喋り出す委員もあり、それがまた問題の本質をまったく理解できていない発言だったものですから、私は思わず声に出して「いやNさん、あんたポケットマネーでやってるんやったらそれでええねん。けどこれ税金やで。税金つこてやってることやで」と申しあげてしまいました。

 問題の本質が理解できていない人はほかにもいて、私が事業批判を展開してきた経緯もまったくご存じないのでしょうが、いまごろそんな批判してないで最初からわれわれといっしょに苦労すればよかったではありませんか、などと説教かましてくれる人までありました。ちょっと大丈夫ですか気は確かですかそこのNさんとかおっしゃる方、と私は思いました。俺がどうしてこんな税金の無駄づかいに荷担しなければならんのだ。どうしてこんな連中に左袒しなければならんのだ。だいたいおまえはこんな連中の手先になっていったい何が面白いのだ。

 それにしても驚きました。どのような奇しき因縁が綾なしたものかはしれませんが、きょうの登場人物はNさんばかりではありませんか。やっぱ苗字の頭文字がNの人間には何かと問題が多いということなのでしょう。いやいやそんなことはどうだってよろしく、真の問題はどうして事務局が回答しようとしないのかということです。びっくり発言集でおなじみの木戸博事務局長は、むろん私の質問に回答してくれなかったことも多々ありましたものの、知事から丸投げされた質問に回答ともいえぬ回答を寄せてくださったことが再三あったこともまた事実で、それが私の発言を耳にされたにもかかわらず貝のようにだんまりを決め込んでいらっしゃるのはどうしてなのでしょう。

 ご体調がよろしくないのであろうか、と私は案じたのですが、そんな単純な話ではないのかもしれません。たとえば、三重県庁の宮村由久生活部長から木戸博事務局長のもとにこんな電話が入っていたのだとしたらどうでしょう。

 「もしもし。あ。宮村です。木戸君。君もういいから。君もうひとことも喋らなくていいですから。そう。泣いても笑っても3月いっぱいじゃないか。4月にはまた生活部に戻ってこられるじゃないか。君のために特別立派な机を用意して待っていてあげるから、事務局が解散するまでは忍の一字で耐えてくれたまえ。いいね。とにかくひとことも喋らないように。わかったね。じゃ」

 上司からこんな命令があったのであれば致し方はないでしょう。頑なに沈黙を守るしかすべはありますまい。いやいや、宮村由久さんとかおっしゃる生活部長ではなく、もっと偉い方から電話があったのだとしたらどうでしょう。

 「君はいったい何をやっているのかね。喋れば喋るほどぼろが出ているじゃないか。私の眼には君のことが叩かれて叩かれてそこらじゅうから綿がはみ出してしまった破れ蒲団に見えて仕方がない。いいかね君。これは命令だ。例の事業に関しては今後いっさい沈黙を守りなさい。喋っちゃいかんということだ。何を訊かれても回答するんじゃない。いいね。むろん僕もそうする。僕ももう答えない。君に丸投げした質問がまたしつこく僕のもとに送られてきていることは君も知っているね。だから知事とのトークの会場で答えてやると伝えたんだが、憎たらしいことに乗ってこんのだよ君。会長の見解を聞くためにどうして知事のトークに行かなくちゃならないんだとほざきやがるのよ。しかも文書で回答をよこせときやがった。文書にすれば誤解が生じるから文書では回答できないと回答してあるのだが、もしもし、君、聞いているのだろうね。僕のいってることが理解できているのだろうね。うんうん。それならいいのだが、とにかく敵は文書による回答を求めているわけだ。何だって? 文書にした場合どんな誤解が生じるんですかだって? 莫迦か君は。それは言葉の綾というものじゃないか。あの質問に少しもぼろを出すことなしに答えることができると思っているのかね。あの質問からは逃げようがないんだ。何を答えても二の矢三の矢が必ず飛んできて、それがまたことごとく急所に命中してくれるんだよなあこれが。そんなことしてたら君、僕までぼろぼろになってしまうじゃないか。何だって? もう充分ぼろぼろになってるように見えますけどだって? 莫迦か君は。とにかくこのままやり過ごすしか手がないんだ。くっそー。こうなったのもみんなあいつのせいだ。あいつだけは許せんな実際。あいつがろくに安全性も確認せずに妙な発電所つくったおかげで大爆発が起きて消防士ふたりが死んで県も大損をこいてしまったんだし、あいつがあんな山奥に税金ばらまくことを決めたおかげで結局このざまではないか。くっそー。くっそー。ほんとに腹が立つなあ。腹が立って腹が立って仕方ないなあ。何だと? おしっこがしたくなったからもう電話を切っていいですかだと? それともおしっこしながらお相手しましょうかだと? 好きなだけ小便ちびってろ莫迦」

 いやまさかこんなことはないでしょうけど、いやー、朝からおかしな妄想しちゃったな。


●2月26日(土)

 くっそー、北川のガキだけは顔いがむほどどつき回したらな気ィすまんな実際、と野呂昭彦三重県知事が思っていらっしゃるのかどうか、そんなことは私にはわかりません。しかし、好きなだけどつき回してやればいいではないか、とは思います。とてもそんな気概はねーだろーけどよー、とも思いますけど。

 昨日付中日新聞三重版に掲載された県議会関連のコラム「記者席から」は、「日本一の県議会になれ」と題して次のように伝えています。

 「これもか」。答弁に立った野呂知事の一言に、議場は笑い声に包まれた。二期連続の債務超過で、新年度に県が二十億円を支援する県環境保全事業団。北川正恭前知事からの“遺産”の一つで、野呂知事は「状況は深刻。びっくりした」と驚いてみせた。

 一昨年夏に爆発事故を起こした三重ごみ固形燃料(RDF)発電所、経営難で県が九割減資をしたサイバーウェイブジャパン…。「改革の旗手」ともてはやされた北川前知事に比べ、地味な印象がぬぐえない野呂知事。北川前知事の肝煎り事業が次々とほころびを見せる中、発せられた野呂知事の発言に県議の一人は「北川の尻ぬぐいばかりで気の毒」と同情した。

 「ちょっと待って」と言いたい。北川県政の時代にこれらの事業を承認してきたのは、ほかならぬ県議会ではなかったか。選挙になると、北川氏の写真をパンフレットに掲載し、“一心同体”ぶりをPRしていた県議もいた。質問に立った県議は「私らも議会として責任がある」と言った。しかし、昨年九月のRDF発電所の再開時に浮上した「議会の責任論」は結局、何もされないまま、議論もされなくなった。

 三重県議会なんてろくなものではありません。名張市議会もひどいものですが、三重県議会だって事情は似たり寄ったりでしょう。おや。そういえば2月23日に名張市役所で開かれた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の地域報告会、開会前には県議会の北川裕之議員も顔を見せていらっしゃったのですが、いつのまにかお帰りになってしまわれたようでした。いったいどうなさったのでしょう。ところで私は、この名張市にも県議会議員がお二方いらっしゃるということをすっかり失念しておりました。いやいかんいかん。お二方とも地元アマチュア劇団おきつも名張劇場の「怪人二十面相」公演にゲスト出演されるなど赫々たる議員活動を展開していらっしゃるというのに、私はどうして忘れていたのでしょう。

 そんなことはともかく、23日の報告会で事務局が私の質問に答えてくれることはついにありませんでした。閉会後、私は事務局職員を捕まえて、3月議会が終わるまで予算の詳細は発表できないという判断はどんな根拠に基づいていたのか、3月議会が終わっても詳細を発表しなかったのはなぜなのか、という報告会で発した質問にメールか何かで回答してくれるよう要請したのですが、

 「いや私はその当時事務局におりませんでしたから」

 との返答が返ってまいりましたので、

 「そんなこと関係ない。その当時の事務局員に確認して答えてくれたらええねん」

 と伝えておいたのですが、

 「そしたら事務局長に相談しまして」

 とのことでしたので、

 「いやもうあかんやろあんなん」

 と吐き捨てておきました。とはいえ事務局職員が事務局長の判断を仰ぐのは当然のことで、となると回答があるかどうか知れたものではありません。まいったな実際。またこちらから事務局にお邪魔しなければならぬではありませんか。しかし致し方ありますまい。ですから事務局のみなさんや。私はたぶん来週そちらにお邪魔いたしますから、質問に対する回答をご用意いただければ幸甚です。お訊きしたいことを列挙してみますと──

 一)3月27日に上野フレックスホテルで開かれる二〇〇四伊賀びと委員会全体報告会「二〇〇五蔵びらき その次シンポジウム」に野呂昭彦知事、というよりは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の野呂昭彦会長は出席するのか。

 二)第五回事業推進委員会はいつどこで開催されるのか。

 三)事業推進委員個々の見解を伺いたいと要請した件はどうなっているのか。

 四)二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長に2004年3月議会が終わらなければ事業予算の詳細は発表できないと伝えた根拠は何か。

 五)2004年3月議会が終わったあとも予算の詳細を公表しなかった理由は何か。

 まあこういったところではないでしょうか。


●2月27日(日)

 うっかり者の私は三重県議会議員の存在をすっかり忘れていたのですが、いまやそうだったそうだったとまざまざと想起しております。三重県議会には二十四の選挙区があり、定数は五十一。名張市選挙区は定数が二で、北川裕之議員(新政みえ)と中森博文議員(自民・無所属・公明議員団)が要職をお務めです。そこで私はついさきほど、このお二方にメールをお送りいたしました。内容は下記のとおり。

 初めてメールをさしあげます。平素は三重県と名張市のために何かとご尽力をたまわり、名張市民の一人としてお礼を申しあげます。

 さて、昨年実施された「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業についてご見解をお聞かせいただきたく、勝手ながらメールをお送りする次第です。事業の詳細はご存じのことと拝察いたしますので、要点のみ記します。

 話はいささか旧聞に属しますが、2003年12月25日に開かれた第二回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会において、二〇〇四伊賀びと委員会がまとめた予算案が承認されました。三重県および伊賀地域七市町村(当時)に対し、事業実施のために要求する総額三億三千万円余の予算です。示された内容は次のとおりでした(単位:千円)。

▼総務費(委員報酬・旅費、事務局経費)24,625
▼広報費(広報・宣伝・記録費)100,823
▼事業費(共同〔大規模〕事業)
 A オープニング 29,500
 B 伊賀体験・夏イベント 16,000
 C 芭蕉さん事業 19,640
 D フィナーレ 28,100
▼事業費(市町村域事業)81,350
▼事業費(伊賀一円事業)11,390
▼事業費(県域・全国的事業)12,600
▼事業費(その他しくみづくり等)7,700
▼合計 331,728

 わずかこれだけの予算説明では、いわゆる説明責任がまったく果たせていないと私には思われます。予算案の審議はさらに詳細な内容を明示して進められるべきであり、このように杜撰きわまりない予算説明は三重県民および伊賀地域住民を愚弄するものでしかないと愚考する次第なのですが、貴職はどのようにお考えでしょうか。ご多用中、不躾なお願いを申しあげて恐縮ではありますが、ご見解をお聞かせいただければ幸甚です。

 なお、このメールは名張市選挙区選出の三重県議会議員お二方に同文のものをお送りし、その旨は当方のウェブサイトで公表いたします。また、ご回答も同様に公表させていただきたく、あらかじめご了承をお願い申しあげる次第ですが、もしも公開に差し支えがある場合は、その旨お知らせいただければ非公開といたします。

 もとより当方には、貴職に回答を強要するつもりは寸毫もありません。自分が地域社会で一個人として営為をつづけてゆくうえの参考とするために、貴職のご教示ご指導をたまわりたいと考えている次第です。

 勝手なお願いで申し訳ありませんが、なにとぞよろしくお願い申しあげます。

2005/02/27

 それにいたしましてもお二方とも近ごろ天晴れなるご出世ぶり、名張市役所勤務の地方公務員から叩きあげていまや天下の三重県議会議員とは祝着至極に存じます。もとはといえば北川議員は私と同じ名張市豊後町のお生まれで、中森議員は名張市立図書館における私の上司の令弟でいらっしゃるのですから奇しきえにしの糸車。こんなことばっかやってたら俺はしまいゃ図書館クビになってしまうのかなと思いつつ、本日はこれにて失礼いたします。


●2月28日(月)

 2月23日、名張市役所で開かれた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の地域報告会が終わったときのことです。私が事務局職員を捕まえてちゃんと回答をよこすように厳しく要請しておりますと、近くにいらっしゃった二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長が、

 「途中でボスが替わりましたし」

 と話しかけてきてくださいました。ボスというのは知事のことでしょう。事業準備の段階で北川正恭さんから野呂昭彦さんに知事職のバトンタッチが行われたのは事実なのですが、私はてめーの言い訳なんざ聞きたかねーやばーか、みたいな感じで軽くあしらってまともにお相手をいたしませんでした。いま思い返しますと、これはいささか不誠実な態度であったかと反省される次第です。いい年してまだまだ人間ができていないのはじつに困ったことであり、自戒をこめて遅ればせながらここに誠実なお答えを記しておきたいと思います。

 「ありゃりゃ辻村さん。また言い訳ですか。また人のせいですか。あなたには何の責任もないんですか。2004年の3月議会が終わるまで予算は発表できません。あなた事務局からそういわれてはいそうですかとすごすご引き下がられたみたいですけど、そんなことで会長が務まりますか。私はあなたに公開性の重要さをしつこく訴えました。あなたもそれには全面的に同意していらっしゃいました。だったらせめて予算が発表できない理由は何か、その根拠は何なのか、それを事務局に問い質すのが会長の務めってものでしょうが。血税三億をいいようにつかおうっていうんですからせめてどうつかうかを明らかにしてからつかえと俺は何度もおまえらにいってきたではないか。ところがおまえと来た日には結局なんにもわかっていなかったようだな。あ。腹が立ってきた。ずいぶん腹が立ってきた。だいたい何なんだお前は。はいはいわかりました公開性や透明性の大切さは充分認識しておりますと口にしていたくせにその認識は事業のどこにも反映されていないではないか。何から何まで非公開ではないか不透明ではないか。お前はまったく口先だけの人間だな。その場その場の言い逃れを重ねて責任回避と自己保身をつづけていればそれでいいのか。それならとっとと公務員にでもなっちまえ。地域住民の代表面なんか二度とするんじゃねえぞこの莫迦。何がボスが替わっただ。とぼけたこと抜かしてんじゃねえぞこの口先野郎。知事が誰だろうと同じことだ。税金の使途を決定するにあたって公開性や透明性がいかに重要であるかということは知事が替わろうと替わるまいと同じことだとゆうとるんじゃこら。そんなことゆうとるからおまえらには外部が存在しないと批判されるんじゃぼけ。公金をつかうというのがどういうことかまったく理解できていないと批判されるんじゃかす。こら辻村。おまえといいあの評価乞食の和菓子屋といい、おまえらいったい何なんだ。眼の前に明らかな矛盾や不公正が存在しているというのに何も感じないのか。その矛盾や不公正を上っ面だけのきれいごとで包み隠していればそれで満足か。税金つかってかっこばっかつけてんじゃねえぞこのパラサイト住民ども。よくもぬけぬけと伊賀の明日だの協働の未来だのとほざけたものだこの山猿ども。おまえらにはそんなきれいごとより先に地域住民に包み隠さず報告しなければならぬことがあるだろうが。それができないのならそこらの畑でも荒らしてこいばーか」

 さて、読者諸兄姉のなかには三重県議会の北川裕之議員(新政みえ)と中森博文議員(自民・無所属・公明議員団)から回答があったのかどうか、それを知りたいとお思いの方もいらっしゃるかもしれません。しかしきのうのきょうのことです。そんなに早く回答が頂戴できるはずはありません。いや、もしかしたら永久に頂戴できないかもしれないなと私は思っております。

 私がお訊きしたのはごく簡単なことで──

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 わずかこれだけの説明で三億三千百七十二万八千円の予算が承認されてしまいましたが、これは果たして妥当正当なことでしょうか、といったことです。もとより妥当正当なはずはなく、それにお気づきだからこそ野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事も返答に窮して見苦しく逃げ隠れをつづけていらっしゃるわけなんです。ですからくだんのお二方がかりにこれを妥当正当とお認めになったとしたら、そのときは即刻県議失格の烙印を捺されてしかるべきだと考えます。とはいえ、三重県議会議員がこの承認に堂々と異議申し立てを表明できるかどうかとなると、さていったいどうなんでしょうか。三重県議会名張市選挙区有権者のみなさん。あなたはどっちに賭けますか。