2005年3月前半

●3月1日(火)

 あちゃー。もう3月かよ。俺もいつまでもこんなことやってらんねーよなー。とかなんとかいいながら、結構骨身を惜しまずお邪魔してまいりました。もちろん伊賀市は四十九町に聳える三重県上野庁舎のその四階、二〇〇四伊賀びと委員会事務局にです。木戸博事務局長にお会いして、26日付伝言で予告しておきました次の五点、昨日きっちりお訊きしてきました。

 一)3月27日に上野フレックスホテルで開かれる二〇〇四伊賀びと委員会全体報告会「二〇〇五蔵びらき その次シンポジウム」に野呂昭彦知事、というよりは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の野呂昭彦会長は出席するのか。

 野呂昭彦会長は出席なさらないそうです。事業の最高責任者が事業の全体報告会に顔を見せぬのはおかしいのではないかと質問してみたのですが、二〇〇四伊賀びと委員会の委員と知事との日程をうまく摺り合わせることができず、知事の出席なしで報告会を開くことにしたとのことでした。伊賀地域の浮沈を賭けた大事業の全体報告会に出席できないとおっしゃるのですから、この日の知事にはよほど重要な公務がおありなのでしょう。

 二)第五回事業推進委員会はいつどこで開催されるのか。

 3月23日水曜午後5時30分からサンピア伊賀で開かれるそうです。冒頭にはおそらく知事挨拶の時間が設けられていると想像され、その挨拶では私がこれまで質問を投げかけてきたにもかかわらず知事が丸投げや逃げ隠れをつづけてこられた問題、すなわち──

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 たったこれだけの説明でよくも予算が承認できたものだなという問題、もっと本質的なことをいえば事業推進委員会なんてまったく必要のない無用の長物にして屋上屋、ただの形骸ではないかという私の疑問に関する言及が盛り込まれるものと期待しております。言及がなければ閉会後、知事から特別にお時間を頂戴してご見解を伺いたいものだと愚考しておりますので、この伝言をお読みの知事室職員のみなさん、どうぞよろしくね。俺は一度面と向かってあの知事を叱り飛ばしてやらなければ気が済まんというところまで来ているのだが、そんな事態にだけは立ち至らぬように知事室のみなさんも神にお祈りしてくださいな。

 三)事業推進委員個々の見解を伺いたいと要請した件はどうなっているのか。

 これは1月25日に事務局で行った押し問答のつづきです。どんな問答であったかは2月11日付伝言でどうぞ。

 「個々の委員の意見や考えを知ることはできませんのか。それぞれの委員が委員会のことをどう考えてるのか。事業推進委員と名がついてる以上それぞれの立場で事業を推進するために尽力してくれたはずですけどそれはどんなことやったんか。こっちはそれが知りたいんです。これは県民の知る権利ですがな。事務局は県民の知る権利を否定するわけですか」

 「いやそんなことはありません」

 「ほなどないするねん」

 「次の委員会でお諮りします」

 「諮るだけではしゃあないがな。こっちは答えが欲しいねん。推進委員が何を考えて何をしてくれたのかを知りたいねん」

 「ですからお諮りします」

 「あなたさっきから知事と委員会にばっかり顔向けてるけど県民にも顔向けたらなあかんで」

 「お諮りしてその結果をお知らせします」

 「いつになるねん。次の事業推進委員会はいつ開かれるねん」

 「まだ決定しておりません」

 「次の委員会でお諮りしますゆうたかて次の委員会で委員会は解散やないか。そんなとこでお諮りしたかてどうにもならんからこっちは委員全員に質問を郵送してくれゆうとるねん」

 明確な答えが得られませんので私はあっさり見切りをつけ、事務局をあとにしました。また近いうちに事務局を訪れてやりとりをつづけることになるでしょう。とにかくやっとれんな。

 つまり事業推進委員会のみなさんに、おまえら自分たちが無用の長物じゃないっていうのなら事業を推進するためにいったい何をやったのか答えてみろ、と私はお訊きしたいわけです。ちなみに私の見るところでは、委員会に顔を出してろくに内容も知らない議案をしゃんしゃん通しただけ、それが推進委員のお仕事でした。ところが事務局と来たらこの話にはけりがついたものと認識していたようで、

 「あの件には文書でお答えしたはずですが」

 などと抜かしやがります。ばーか。文書による回答がいい加減だったから上記引用のようなやりとりが展開されたのではないか。ばーかばーか。ですから私は仕方なく、

 「それやったらこっちから委員個々に質問を郵送するさかいあとで委員全員の連絡先を教えて」

 と依頼しておいたのですが、よく考えてみたら連絡先を教えてもらうのを失念して帰ってきてしまったではありませんか。いやまいった。ばーか。すんごくまいった。ばーかばーか。

 四)二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長に2004年3月議会が終わらなければ事業予算の詳細は発表できないと伝えた根拠は何か。

 この問題についてはそもそも会話が成立いたしませんでした。木戸博事務局長のおっしゃることが私にはまったく理解できません。むろん行政の無謬性を死守するしかない事務局としては、予算の詳細がいまだに発表されていないという驚くべき現実をそのまま正当化するしかないのであろうことは私にもよくわかりますが、そんな理屈は外部にはとても通用せんぞ実際。外部どころかあなた、予算の詳細を公開していないことに関しては二〇〇四伊賀びと委員会の内部にも不満や疑問がぶすぶすくすぶっておるではないか。

 ごく最近委員会メンバーから聞き及んだところだけでも、たとえば「夢かけめぐる『水の細道』」たらいうイベントでわざわざ大阪まで出かけて御堂会館を会場に式典だの講演会だの俳句講座だのパネル展だのを開催し、しかも参加者はすべて事業関係者で一般の入場者など一人もおらなんだというお粗末さであったのだがあの御堂会館の使用料はいくらであったのか、ものすご高い料金取られたんとちゃいまっか、あんなん税金の無駄づかいでっせほんま、みたいなことは普通に疑問視されており、ほかにも予算に関する不満疑問は委員会内部に山をなしている状態だと推測するしかないわなこれは。要するに委員会の内部においてすら予算をはじめとした情報の共有ができておらんわけではないか。いや情報の共有どころか事業に関する共通の理念なんてものもどこにも見当たらぬわけであって、結局のところ最初に予算のばらまきがあり、理念もくそもなく眼の色を変えてそれに群がる莫迦どもがいたという、たったそれだけのことだったわけか。あほらしくてやってらんねーなまったく。

 五)2004年3月議会が終わったあとも予算の詳細を公表しなかった理由は何か。

 これも会話不成立。とても受け容れることのできない説明を聞かされてほとほとまいってしまいました。

 きのう事務局で思いついて新たに加えた質問もあったのですが、そのお話はまたあした。


●3月2日(水)

 一昨日、二〇〇四伊賀びと委員会事務局で二〇〇四伊賀びと委員会全体報告会「二〇〇五蔵びらき その次シンポジウム」について質問したことは昨日記したとおりですが、知事が出席されるのかどうかということ以外にも、私は追加で質問を重ねました。

 ここでこのシンポジウムについてお知らせしておきましょう。2月23日の地域報告会で配付されたチラシの内容を写しておきます。

2004伊賀びと委員会全体報告会開催

2005蔵びらき その次シンポジウム

メインテーマ「伊賀の明日、協働の未来」

開催日時 平成17年3月27日(日) 13:00〜16:40

場所 三重県伊賀市平野中川原 上野フレックスホテル 2階「桜の間」

趣旨 「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業も幕が下りました。いろいろな思い出だけではなく、自立した地域への足がかりも生まれたはずです。まちづくりに“ピリオド”はありません。まちづくりは「おもてなし」から始まります。私たちにとっての「まちづくり」や「おもてなし」の“その次”を語りあいましょう。

内容(スケジュール)
13:00 ビデオ上映・開会・成果物紹介
14:00
第1部 パネルディスカッション
〜2004年、伊賀に何が起こったのか〜
出演:粉川一郎氏・海老名敏宏氏ほか
第2部 円卓会議
〜伊賀の明日、協働の未来〜
出演:粉川一郎氏・高橋徹氏ほか
16:40 提言・閉会

出演者プロフィール
粉川一郎氏 武蔵大学社会学部メディア社会学科専任講師、特定非営利活動法人コミュニティ・シンクタンク「評価みえ」代表理事
海老名敏宏氏 名古屋テレビ放送(株)
高橋徹氏 NPO伊勢まちづくり会議代表

主催 2005その次シンポジウム実行委員会
共催 三重県

問い合わせ先 2004伊賀びと委員会事務局 電話:0595-24-8193

 えーい気色の悪い。こうやって写しているだけでも虫酸が走るほど気色悪いではないか。たまらんなまったく。よくもこんな気色の悪い文章をたらたらと綴れたものだ。それに何なんだこの「自立した地域への足がかり」というたわごとは。自分たちの自立性や主体性にはまったく顧慮せず事業推進委員会にいいように首根っこを押さえつけられていたパラサイト住民どもが何をほざくか。

 いやまあそんなことはどうだってよろしく、私はこの二〇〇五その次シンポジウム実行委員会というのは何なのか、誰がいつ発足させたのか、二〇〇四伊賀びと委員会との関係性はどのようなものか、といった疑問をぶつけてみたのですが、残念なことに明確なお答えはいただけませんでした。事務局長も詳細をよくご存じないような印象だったのですが、

 「明らかにおかしいがなこんなもん。伊賀びと委員会の全体報告会は伊賀びと委員会が主催するのが普通とちゃいますか」

 とお訊きしてみたところ、

 「伊賀びと委員会はもう解散しますから」
 「いつ解散しますねん」
 「まだわかりません」
 「なんでわかりませんねんそんなことが」
 「3月23日の事業推進委員会で決まりますから」
 「それやったら全体報告会が終わってから伊賀びと委員会を解散するゆうことに事業推進委員会で決定したらええだけの話ですがな」

 まったく訳がわかりません。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業関係者のやってることは相も変わらずじつにいい加減です。私はチラシを眺めていてあることに思い当たりましたので、

 「それにこれいったいなんですねん。問い合わせ先が伊賀びと委員会事務局になってますがな。これやったらこのチラシが生きてるあいだ、つまりシンポジウムが開催されるまでは伊賀びと委員会が存続してるゆうことになりますがな。そうやないんですか」

 とお訊きしてみたところ、木戸博事務局長もその点はお認めになり、

 「それはちょっと筋が通らんのう」

 と口にしながら苦笑されましたので、私も思わず、

 「さすがにそう思いますやろ」

 といいながら笑ってしまった次第だったのですが、笑ってる場合なんかではないのかもしれません。

 なぜならば私には、この伊賀地域においてまたしても、地域住民のまったく与り知らぬところで悪い企みが進められつつあるような気がするからです。よくない予感が私の胸を騒がせます。ああ、それはいったいどんな企みなのでしょう。どうすればそれを知ることができるのでしょう。そうか。あす3日午後7時から三重県上野庁舎四階中会議室で蔵びらき事業の地域報告会が開かれるそうですから、そこにお邪魔して二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんから悪い企みのことをお聞きしてくればいいのだ。そうしようそうしよう。

 さて一昨日、私は午後3時には名張市内に戻っていなければなりませんでしたので、用事を終えるや事務局をそそくさとあとにしました。ただし、事務局の女性職員から携帯電話をお借りして三重県庁知事室に電話を入れることは忘れませんでした。むろん3月27日、全体報告会が開かれる日の知事の公務日程を確認するためです。本当は、

 「伊賀びと委員会から知事に対して3月27日の全体報告会への出席要請が提出されてますか。もしかしたら出てないんとちゃいますかそんなもん」

 と問い質してやりたかったのですが、そんなことを尋ねても正直な答えは返ってこないでしょう。ですから知事室スタッフに、

 「伊賀の蔵びらき事業の全体報告会よりも大事な公務ゆうのはいったいどんなんやねん思いまして」

 とごく普通に知事の予定を質問し、予定をはっきり公表することはできないが3月27日午後にはたしかに公務が入っている、というなんだか曖昧な回答を頂戴いたしました(ほら、こんなところにも三重県庁の隠蔽体質が)。そしてそのときのやりとりでこれはもう十中八九、知事は全体報告会への出席を要請されていないみたいだぞと確信するに至った次第です。まあそんなことどうだっていいんですけど。


●3月3日(木)

 どうも相済みません。きのうは遅くまで飲んでしまいましたので、けさはぼんやりと休養しております。またあしたお目にかかりましょう。みなさんご機嫌よう。


●3月4日(金)

 まずお詫びです。私は2日付伝言に「あす3日午後7時から三重県上野庁舎四階中会議室で蔵びらき事業の地域報告会が開かれるそうですから、そこにお邪魔して二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんから悪い企みのことをお聞きしてくればいいのだ。そうしようそうしよう」と記しましたが、残念ながら果たせませんでした。きわめてドメスティックな事情により、昨3日は夕刻からずっと自宅にいたほうがいいみたいだなということになったためです。

 もうすぐ解散する二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんがどんな悪だくみをしているのか、とても気になるところなのですが、それを確認することができなかったのはじつに残念至極。ただまあ、二〇〇五その次シンポジウム実行委員会たらいう訳のわからない組織が3月27日に上野フレックスホテルで二〇〇四伊賀びと委員会全体報告会「二〇〇五蔵びらき その次シンポジウム」たらいう訳のわからないシンポジウムを開いてくれるそうですから、そこにお邪魔して二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長からあれこれお聞かせいただくことにしましょうか。

 それに3月23日にはサンピア伊賀で第五回事業推進委員会も開催されます。ただの形骸に過ぎず、それゆえ何の機能も果たすことがなく、要するに税金を無駄につかっただけの委員会なのですから、せめて最後にはそうした事実を潔く認めて、会長をはじめとした委員全員で地域住民に頭を下げるくらいのことをすればいいのにとは思うのですが、そんな幕引きはとてものことに期待できないだろうと推測されます。

 しかし私の知る限り、事業推進委員会を批判する人間は二〇〇四伊賀びと委員会の内部にも存在しており、と申しますか、そもそも伊賀びと委員会関係者以外の一般地域住民は事業推進委員会の存在なんてまったく知らないだろうと思われる次第なのですが、とにかく事業推進委員会の存在を知っている人間は一様に委員会を批判しております。あんな委員会はまったく必要ないというのが彼らの共通認識で、それならおまえら事業推進委員会が発足した時点でどうして文句をつけなかったのかと私は思うわけですが、とにかく事業推進委員会の存在に表立って異議を申し立てた人間はわずかに私ひとりでありましたものの、事業関係者のあいだにぼそぼそと語られる委員会批判が相当に潜在していることはたしかです。

 思い起こせば一昨年8月4日、私は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業担当部署に対して次のごとき七項目の質問を発しました。

 一) 事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか。

 二) 事業推進委員会が目的とするものは何か。

 三) 事業推進委員会が目的を達成するための具体策はあるのか。

 四) 推進協議会の発足はいつか。これまでに何回の会合を開いてきたのか。その内容は公表されたのか。

 五) 事業推進委員会と二〇〇四伊賀びと委員会との関係はどのようなものか。前者は後者の上位機関か。

 六) 「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者は誰か。事業推進委員会の会長である知事か。二〇〇四伊賀びと委員会の代表には、事業に関して何の責任も権限もないのか。

 七) 事業推進委員会の次の会合はいつか。その会合で何を協議するのか。

 もしもこれを普通の私信で郵送していたらあるいは回答すら寄せられなかったのかもしれませんが、ネット上にリアルタイムで公開しながら問い質したものですからさすがに黙殺もできなかったのか、木戸博事務局長から回答を頂戴できたことは私にとって望外の喜びでした。とはいえそれがまたずいぶんと要領を得ず、馬のことを尋ねられて牛のことを説くがごとき、何をいってるんだかさっぱり理解しがたい回答でしたから私は困ってしまいました。

 しかし事業推進委員会について明確に説明できる人間なんて一人もいないはずで、むろん正直に説明することはいくらでも可能なはずなのですが、そんなことをしたら委員会が形骸であるということが誰の目にも明らかになってしまうはずですから、説明は曖昧不明瞭意味不明のものに終始せざるを得ず、たとえば一番目の「事業推進委員会を発足させることは、いつ、誰によって決定されたのか」といった疑問はいまだに疑問のまま残されているという寸法です。

 したがいまして野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事の方におかれましてはですね、事業推進委員会が無用の長物であったと堂々と認めることはおできにならないにしても、せめて「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の最高責任者として、事業推進委員会の発足に至る経緯やこれまでの活動内容などに関して、第五回事業推進委員会の席で包み隠さず県民に報告することが要請されると思います。それが会長の義務でっせ。

 もとよりすべては野呂会長が知事に就任される以前に仕組まれていたことではあるのですが、だからといって野呂会長に何の責任もないということはありません。そんなことあるはずがありません。昔のことがよくわからないとおっしゃるのであれば、北川正恭さんとかおっしゃる前知事を第五回事業推進委員会に引きずり出してやればいいだけの話でしょう。連れてこい。前知事を連れてこいというのじゃ。三重県庁知事室職員のみなさんにおかれましては、私が上記のようなことを強く強くひたすら強く要望していると、野呂昭彦知事にきつくきつくこの上なくきつくお伝えいただければ幸甚です。


●3月5日(土)

 それにしても地域社会とまともに向き合うというのはまことに難儀なことであって、地域住民にせよ自治体職員にせよ、こいつらはどうしてここまで莫迦なのかと驚かざるを得ないような人間を相手にしなければならないのですからたまりません。げんに私は莫迦を相手にじつにたまらない日々を送っているわけであり、こんなことになったのももとはといえば「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という官民合同事業、すなわち三重県の北川正恭前知事が強引に決定し野呂昭彦現知事が無批判にそれを継承した予算のばらまきのせいなのであって、どぶに捨てられる予算の幾許かでも有効につかいたいものだと江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集の刊行をこの事業に組み入れようと考えましたのが運の尽き、外から見ていても事業の進め方がじつに無茶苦茶で市民不在住民無視のものであることはよくわかり、また関係者全員がどうしようもない莫迦であることも明々白々となりましたので、えーいもうどいつもこいつも叱り飛ばしてやるわこなくそ、と叱り飛ばし叱り飛ばししながら今日に至った次第なのですが、もしかしたら一番の莫迦は自分なのかもしれんなと反省されぬでもない昨今です。

 しかし致し方ありません。ものはついでということもありますから、乱歩生誕地碑が建立されてちょうど五十年になる今年くらいは名張市という地域社会にもまともに向き合ってやろうかと殊勝なことを考えた私は、その具体策のひとつとして名張市民のための乱歩入門、あるいは乱歩ファンのための名張ガイドとでも呼ぶべき本をつくることにして、Adobe 社の InDesign というレイアウトソフトの期間限定無料体験版をダウンロードして準備を始めたことは以前にもお知らせいたしましたが、この乱歩の本、かりに『乱歩と名張』とでも名づけておくことにいたしますが、いやこれでは松山巖さんの名著『乱歩と東京』の向こうを張っているようでなんだか落ち着きませんけれど、しかしまあかりに『乱歩と名張』と呼ぶことにして、この本の狙いのひとつは乱歩が名張について記した随筆を名張市民に知ってもらいたいということなのですから、ここでそのラインアップを紹介しておくことにいたします。

ふるさと発見記(昭和28年)十三枚
三重風土記(昭和28年)七枚
名張・津・鳥羽(昭和30年)一枚
生誕碑除幕式(昭和31年)八枚
ふるさとの記(昭和31年)七枚
東京名張人会(昭和32年)三枚
年賀状(昭和33年)一枚
名張(昭和34年)一枚
ふるさとへの年賀状(昭和35年)三枚
赤目四十八滝(昭和35年)二枚
名張あれこれ(昭和36年)五枚

 断簡零墨を必死になってかき集めた感じがいたしますですが、ごく断片的に名張に言及したものを除けばこれがすべてです。乱歩が名張のことを書いた随筆はわずかにこれだけしかありません。このうち「東京名張人会」「年賀状」「名張あれこれ」は講談社の江戸川乱歩推理文庫にも収められておらず、この『乱歩と名張』が堂々の初刊ということになります。むろんおおかたの乱歩ファンにとってはさして興味を抱けるものではなく、しかし名張市民にとってはかけがえのない財産とも呼ぶべき文章なのですから、生誕地碑建立五十周年を機に一巻にまとめておくことにはそれなりの意義が認められましょう。それからもひとつおまけにこんなのはいかがですか。

探偵小説雑話(昭和30年)三十一枚

 乱歩が昭和30年、生誕地碑除幕式列席のため名張を再訪したおりに、当時は名張市内唯一の高校だった三重県立名張高等学校で行った講演の講演録です。内容は平明にして意を尽くした万民向けの探偵小説入門かというとそうでもなく、探偵小説はいわば隠れ簑、ルーズベルト大統領の提案によってリレー形式で執筆された長篇探偵小説とマルセル・エーメの「第二の顔」を紹介しながら変身願望や隠れ簑願望を縷々説き来り説き去って、乱歩の生涯を貫いていたものが何であったのかをまざまざと実感させてくれる講演です。ところで私はこのリレー探偵小説を読んだことがなく、しかしハヤカワ・ミステリ文庫『大統領のミステリ』として刊行されていたことは知っておりましたからさっそく本屋さんで注文してみたところ、とっくに品切れになっているとのことでした。目を通しておかねばならぬところなのですが、いったいどうすればいいのやら。

 さて以上十二篇、首尾よく本にできましたらおなぐさみ。


●3月6日(日)

 いや驚きました。ポプラ社から出ている全二十六巻の少年探偵団シリーズが文庫化されると聞き及んでおりましたので、きのうジャスコ新名張店リバーナに立ち寄るついでのあったとき、三階にあるブックスアルデリバーナ店という本屋さんを覗いてみましたところ、なんと二十六巻すべてがどーんと平積みされているではありませんか。いやまいったな。私はてっきり月に二冊くらいずつ配本されるものだと思い込んでいたのですが、一度に全部出たというのですから全部買うしかありません。コートのポケットに入っていたレシートを確認いたしますと昨日午後0時41分に一万六千三百八十円、ばーんと奮発して全巻を購入いたしました。持ち帰ったままいまだ紙袋から出してもいないのですが。

 乱歩の本を買ってるだけでは駄目じゃないか、とは私とて思います。その本のデータを名張人外境に掲載して乱歩を愛するすべての人のために微力ながらも私設パブリックサーバント役を務めなければ駄目ではないか、とは思っているのですが、昨年の夏あたりからどうも調子がよろしくなく、つい先日も明智小五郎と金田一耕助が登場するテレビドラマが放映されましたので、これは一見しておかなければとテレビの前に腰を据えたのですが、ウイスキー飲みながらなぜか仲間由紀恵ちゃんの「ごくせん」とか観てしまい、いや俺はもう立ち直れないほど堕落したな、まるで平手造酒になったみたいな気分だ、人生裏街道の枯落葉か、とかなんとか訳のわからないことを呟きながらいつのまにか酔っ払って訳がわからなくなってしまいました。

 こんなことになった理由はいくつか思い当たるのですが、やっぱ地域社会のあほのみなさんを相手にしたことも一因でしょう。あほのみなさんというのは人を思いきり脱力させてしまうもののようで、むろんこれは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の関係者のことなのですが、いったい何なんだあの莫迦どもは、と思うだけで滅入ったり眩暈がしたりしてしまうのですからたいしたものです。それにしてもあれはほんとにあほのみなさんが無茶苦茶やってるとしかいいようのない事業であって、事業の一環として発行されるある印刷物の入札がおととい行われたという信じがたい話まで飛び込んできました。

 事業そのものは去年の11月で終わってしまいましたし、事業年度にしたって今月でおしまいです。伊賀地域七会場で行われた地域報告会もいよいよ最終日という3月4日になっていったいまた何の入札かと申しますと、「協働事典」だかなんだかそんなような印刷物をつくるための入札だったそうです。この「協働事典」は2月23日の地域報告会でも未完成の見本が紹介されており、けっ、こんなしょーもないものつくってまた税金の無駄づかいかよ、と私は舌打ちしたものでしたが、まさかその「協働事典」とやらの印刷製本を発注するための入札がまだであったとは夢にも思わなかったぜ。お釈迦様でもご存じあるめえ。あほのみなさんはほんとに無茶苦茶です。

 しかしこうなるとちゃんとした決算報告が行われるのかどうか、その点が私にはすこぶる心配になってきました。むろん事務局は決算を出しますと明言しており、私もその言をとりあえず信用して今日に至っているわけなのですが、ただし決算というのはあくまでも当初の予算に対比して作成されるものであって、その予算というのがあなた──

単位:千円
区分
内  訳
要求額
総務費
委員報酬・旅費、事務局経費
24,625
広報費
広報・宣伝・記録費
100,823
事業費
共同(大規模)事業 A オープニング
29,500
B 伊賀体験・夏イベント
16,000
C 芭蕉さん事業
19,640
D フィナーレ
28,100
市町村域事業
81,350
伊賀一円事業
11,390
県域・全国的事業
12,600
その他しくみづくり等
7,700
合計
 
331,728
*広報費には「広報事業」費を含む

 ここまで杜撰なんですあなた。ですからこの予算に対応させた決算となると予算同様恐ろしく杜撰なものになってしまい、しかしそれでも決算であると主張することは可能でしょう。いくら二〇〇四伊賀びと委員会でもまさかそこまでの子供騙しでお茶を濁す、いやもうはっきりと、自分たちが行った税金の無駄づかいを隠蔽するような真似、と申しあげてしまいますが、そんな卑劣な真似はしないであろうと思いたいところなのですが、いやいやどうもなんだかな。どうも安閑とはしていられないぞという気がしてきました。


●3月7日(月)

 さて昨日、予算消化のための駆け込み事業であるとしか思えない「協働事典」とやらの発行準備が着々と進むいっぽうで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業そのものが急速にうやむやになりつつある伊賀地域を遠く離れて、いやそれほど遠く隔たってもおりませんが、私は愛知県海部郡蟹江町にお邪魔してきました。

 蟹江町産業文化会館で開催された蟹江町生涯学習まちづくり講座を受講するためです。テーマは「『子不語の夢』 不木が乱歩に夢みたもの」、講師は「奈落の井戸」でおなじみのもぐらもち先生。そのあとは相も変わらぬ怪しの食堂、昭和食堂蟹江店で催された至誠無息大宴会の末席にも連なってまいりました。関係各位のおかげでじつに愉しい一日となり、心が洗われたようなとはこのことかと思い返される次第ですが、心はまたきょうからじわじわ汚れてゆくのでしょう。

 ともあれ、もぐらもち先生の講演会が蟹江町の年度末恒例行事としてすっかり定着したことを喜びつつ(来年もきっと開かれるはずです)、もぐらもち先生をはじめとしてきのうお世話になったみなさんに心からお礼を申しあげる次第です。


●3月8日(火)

 いろいろなことがあってうっかり忘れておりました。名張市にパブリックコメントを提出しなければなりません。パブリックコメントというのは行政が計画の策定や規制の制定改廃を行うに際し、事前に原案を公開して市民から広く意見を募るシステムです。名張市は今月22日までの期間で「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン(案)」に関するパブリックコメントを募集しており(募集要領はこちら)、私はこのプランのなかの歴史資料館整備事業に関して厳しい厳しい、非常に厳しいコメントを寄せるつもりなのですが、とくに書式のようなものもないようですから漫才形式で意見を述べることにいたしました。名張市役所のみなさんは泣き笑いしながらお読みください。

 歴史資料館のことでは一昨日、蟹江町歴史民俗資料館にお邪魔したとき同館学芸員の方からお話をお聞きしたのですが、歴史資料館に必要なものは第一に資料、それから人材とのことで、まずは資料を収集し、展示品とスタッフをしっかり確保してから資料館開設に至るのが常道だそうです。同館の小酒井不木資料室も開設までの資料集めにちょうど十年を要した由ですが、名張市の場合はまったく逆、活用しなければならない町家があるから歴史資料館にでも、というだけの安易この上ない話に過ぎません。プランには展示資料として「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料」が挙げられているのですが(挙げられているだけなのですが、と申しあげるべきでしょうか)、先日名張市総務部市史編さん室に足を運んで教えていただいたところでは、いまに伝わる名張城下絵図はわずかに四枚が知られているのみだそうです。何をかいわんや。

 パブリックコメントの締切が22日なら、翌23日は第五回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会となっております。この席で事業の決算が報告され、それが承認されて委員会は解散ということになるものと思われますが、ちゃんとした決算報告がなされるのかどうか、私はその点に一抹のしかし拭いがたい不安を抱いており、もしも杜撰な決算しか示されないのであれば県民の当然の権利として(私だってこんな権利を行使したくはないのですが)、県監査委員に対して住民監査請求を行うことになるかもしれません。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんや、事務局のみなさんや、お願いですから私にそんな面倒なことをさせないでくださいね。ちなみに三重県オフィシャルサイトにある住民監査請求制度の案内はこちら

 それにしても地域社会とまともに向き合うのはなかなかに大変なことです。やんぬるかな。


●3月9日(水)

 お知らせをひとつ。「新青年」の名伯楽、森下雨村の『猿猴 川に死す』が装いも新たに蘇りました。「猿猴」は「えんこう」とお読みください。小学館文庫の新刊です。定価は税込み六百円。表紙の惹句をそのまま引けば「現代によみがえった幻の釣りエッセイ」。探偵小説とはまったく無縁な一冊で、巻末に添えられたかくまつとむさんによる雨村の評伝も、主眼はあくまでも東京から高知へUターンしたあとの気随気儘な釣り三昧に置かれております。

 この本のことは先日、蟹江町でお会いした『新青年』研究会の湯浅篤志さんから教えていただき、きのう朝の新聞広告でも目にしたのですが、きのうの午後になってゆくりなくも小学館から現物が郵送されてきましたので私はいささか驚きました。これはどう考えても雨村の次男、森下時男さんのご高配をたまわった結果に相違なく、森下さんには去年4月に蟹江町で催された小酒井不木生誕碑除幕式で初めてお目にかかり、厚かましくも昼ご飯と夕ご飯をご馳走になったきりご無沙汰をつづけているにもかかわらず、わざわざ恵投の労を執っていただいたことをひたすら申し訳なく思っております。

 郵送されてきた『猿猴 川に死す』には小学館の情報誌編集局プロデューサーによる「発刊のお知らせ」という文書が附されていて、雨村の略歴などが紹介されているのですが、なかにこんなくだりがありました。

団塊の世代が定年に入る「2007年問題」を抱え、これから本格的な高齢化社会を迎える日本にとって、森下雨村の歩んだ道は「老後のしあわせさがし」という側面から見ても、現代に通じるさまざまな提案を含んでいます。都会の喧噪を捨て、故郷の山河に無名の釣り師として生きた、ハッピー・リタイアメントの先人・森下雨村の「老境のかがやき」をご堪能ください。

 2007年問題は全国のお役所にとってもきわめて深刻な問題で、何が深刻かというと職員の退職金が大変なんです。あんな役立たずに退職金まで払うのか、と愕然とせざるを得ないような人たちは名張市役所にもごろごろしておりますが、支払わなければいけないものは支払わなければならず、名張市だっていずれ退職金が払えない事態に立ち至る可能性もなくはないでしょう。そんなことはまあどうでもいいとして、それにこんなことは森下雨村とはまったく関係のない話なのですが、定年を機に都会の喧噪を捨てて故郷に戻り、やっぱ田舎はいいなあみたいなことおっしゃってくれる人たちはやはりそこらにごろごろしているわけですが、こら莫迦、おまえらずっと生まれ故郷をほったらかしにしておいて何がいまさらハッピーリタイアメントだ何が老境の輝きだ、身勝手なことほざく前に生まれた土地に住みつづけ地域社会を支えつづけてきた人間に感謝のひとつもいってみろ、と私は思うわけです。しかしその地域社会を支えている人間というのがまた官民ともに程度がよろしくなく……

 いやいや、ぼやくのはいい加減にしてお知らせをもうひとつ。高知県立文学館で4月21日から6月2日まで「日本探偵小説の父 森下雨村」展が開かれます。4月23日には森下一仁さんと湯浅篤志さんによる記念講演会も催されるのですが、詳しいことはまたあすにでも。


●3月10日(木)

 高知県立文学館で開催される「日本探偵小説の父 森下雨村」展のことをお知らせする予定でしたが、勝手ながら変更して(よくあることです)、三重県議会の北川裕之議員(新政みえ)からメールを頂戴いたしましたのでそれをご紹介いたします。2月27日付メールでお送りした質問への回答です。わざわざお答えいただいた北川議員にはこの場でお礼を申しあげます。

中様 いつもお世話になっております。
蔵開き事業へのご協力、誠にありがとうございました。

蔵開き事業の進め方については、以前より、関係の皆さまから様々なご意見を聞かせていただいてきました。
そうした中で、率直に感じたところは、官民協働のあり方自体がまだまだ模索中だということです。
「協働」や「コラブレーション」が叫ばれて久しいわけですが、官民それぞれの役割分担、たとえば、「実施主体」「実施責任」「結果責任」「検証のあり方」等々、十分なコンセンサスを互いに得た上で、進めていくことが、これからの課題と考えます。
こうした点からみると、今回実施の「蔵開き事業」は、役割分担も含め協働のあり方をまだまだ試す段階であったと言えるのではないでしょうか。
しかしながら、多くの試みが成果を出したことや人的ネットワークの拡がりなど、蓄積された財産は多く、次なるステップに活きていくものと考えます。
さて、お問い合わせの予算説明の件ですが、各事業計画の積み上げ作業の上での予算化であり、また、詳細について個々に確認すれば情報提供がなされたということですから、問題はなかったと考えます。
今後とも、いろいろとご指導よろしくお願い致します。

 で、私は次のような返信をお送りいたしました。

北川裕之様

 定例会開会中のお忙しい時期にご丁寧にご回答をたまわり、どうもありがとうございました。不躾な質問に快くお答えいただき、感謝しております。ただ、遺憾ながら質問の趣旨をよくご理解いただけていないように思われますので、重ねてお尋ね申しあげる次第です。

 最初にお断りしておきますが、事業自体の評価はまったく関係ありません。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の進め方や役割分担、あるいは協働やコラボレーションといったことは、私の質問にはいっさい関係がありません。事業がいかに愚劣きわまりないものであったとしても、私はそれを問題にしているわけではありません。私がお訊きしたいのは、公金の使途を決定する際の手続きがこれでよかったのかということです。

 頂戴したご回答には「各事業計画の積み上げ作業の上での予算化であり、また、詳細について個々に確認すれば情報提供がなされたということですから、問題はなかったと考えます」とありますが、失礼を承知で申しあげれば、これではちゃんとした答えになっておりません。論点をすり替えた回答であると申しあげるしかありません。

 まず「各事業計画の積み上げ作業の上での予算化」とおっしゃる点、積み上げだろうが積み下げだろうが、そんな内部事情はまったく関係ありません。どんなプロセスを経てであれ、一定の予算案がまとめられたにもかかわらず、その詳細が県民に(これは要するに、予算案を審議する事業推進委員会に、ということです)示されなかった。私はその点を問題にしております。

 また、「詳細について個々に確認すれば情報提供がなされた」とおっしゃる点、いささか理解に苦しみます。これは県民に予算の詳細を報告する義務を放棄し、逆に予算の詳細を確認する労を押しつける言としか考えられません。行政が住民に対して公開性や透明性を高める努力を重ねていることはよくご存じのことと拝察いたしますが、こうした時代に県議会議員ともあろう方が予算の不透明さをそのまま容認してしまう発言をなさるのはいかがなものでしょうか。もう少し県民の立場に立っていただきたいと愚考いたします。

 私は公金三億三千万円の使途を決定するに際して、県民への説明があまりにも不足していたのではないかと指摘しております。こんな簡単なことがどうしておわかりいただけないのでしょうか。二〇〇四伊賀びと委員会がまとめた予算案を「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が承認した。しかしその際の予算説明は下記のような大雑把なものでしかなかった(単位:千円)。こんなことでいいのか。私はそのようにお訊きしている次第です。

▼総務費(委員報酬・旅費、事務局経費)24,625
▼広報費(広報・宣伝・記録費)100,823
▼事業費(共同〔大規模〕事業)
 A オープニング 29,500
 B 伊賀体験・夏イベント 16,000
 C 芭蕉さん事業 19,640
 D フィナーレ 28,100
▼事業費(市町村域事業)81,350
▼事業費(伊賀一円事業)11,390
▼事業費(県域・全国的事業)12,600
▼事業費(その他しくみづくり等)7,700
▼合計 331,728

 お忙しいところ何度も勝手なお願いを申しあげて恐縮ではありますが、再度のお答えをお願い申しあげます。県や市町村、あるいは事業関係者ではなく、県民の立場に立ったお答えをお願いしたいものだと思っております。よろしくお願いいたします。

2005/03/10

 私の印象はと申しますと、これじゃ事務局の回答とまったくおんなじじゃん、といったところでしょうか。念のためにお知らせしておきますと、この伝言でお伝えしております事務局の回答が妥当正当なものだと考えている人間は、少なくとも私の知る限りでは(まあごくごく狭い範囲の話なわけですが)一人もおりません。県議会議員の先生がその事務局と同じ回答だということは、うーん、ちょっとまずいのではないのかな。とはいえ真摯なお答えを頂戴できたのはまことにありがたく、北川裕之議員にはあらためてお礼を申しあげる次第です。


●3月11日(金)

 起きてはみたものの身体がだるくて気分がすぐれません。風邪を引いたようです。ぼーっとしていることにいたします。


●3月13日(日)

 あーぐずぐずぐずぐず。おはながとってもぐずぐずするの。あーぞくぞくぞくぞく。からだがすっごくぞくぞくするの。

 と、あどけなくもいとけなく休養に専心したいところなのですがそうもまいりません。三重県がまた変です。叱り飛ばしてやらねばなりません。ぐずぐずぞくぞくしながら起き出してまいりました。これで健康状態さえ万全なら県の担当部署に怒りのメールを送りつけて担当者の見解を質してやるところなのですが、風邪のせいで思いきり調子が悪いため今回は見送ることにいたしました。あーぐずぐずぐずぐず。

 とりあえず昨日付中日新聞の記事をどうぞ。

三重県観光連盟のポスター廃棄へ
不快な表現と女性が反発
 三重県観光連盟は十一日、今年の同県の観光ポスターに女性に不快感を与える表現があったとして、県内観光施設に配った四百二十一枚の回収を含め、作成した計二千六百枚を廃棄すると発表した。

 問題となった表現は、池波正太郎さんのエッセー「食卓の情景」で三重県特産の松阪牛と伊賀牛を比較した一節。「松阪の牛肉が丹精をこめて飼育された処女なら、こちらの伊賀牛はこってりとあぶらが乗った年増女である」=(ポスターの一部)=という原文のまま、伊賀地方の田園風景の写真を背景に使った。

 連盟から配布されたポスターを同県伊賀市の観光協会が二月末、観光案内所入り口に張ったところ、女性十数人から苦情があったという。

 何の騒ぎでしょうか。池波正太郎のエッセイに端を発したいわゆるセクハラ騒ぎかなとは察しがつくのですが、引用された文章のどこにどんな差し障りがあるのか具体的にはよくわかりません。伊賀市観光協会にいちゃもんをおつけになった女性十数人がどんな不快をお感じになったのか、それがさっぱり不明なわけなのですが、この記事に附されたいわゆる識者のコメントを読むとなんとなく浮かびあがってくるようです。全文を引用しておきましょう。

<岩本美砂子・三重大人文学部教授(女性学)の話> 公共性の高い県観光連盟が、肉のうまさを女性の性体験の有無で表現し、多くの女性を不快にさせることに気づかなかった県観光連盟の宣伝能力に、疑問を感じる。

 うーん。三重大学人文学部の先生か。ちょっとまいったな。まいったけれどもつづけることにいたしますと、池波正太郎のこの文章において「女性の性体験の有無」を問題にするのはいささか見当はずれなことだと申しあげなければなりません。むろん処女という言葉には性体験の有無が関連していますが、年増女というのは性体験には関係のない言葉です。年増女にして処女、という女性だって存在するはずです。あーぞくぞくぞくぞく。

 池波正太郎がここで説いているのは牛肉の脂のことであって、それを性体験の有無なんかではなくて加齢に伴う肉体の変化によって表現しているのだということはよほどの間抜けでない限り一目瞭然、こんな簡単な話がどうしてわからんのか。つまりあなたがいま四十歳の女性であると仮定して、十五歳のころに較べれば身体の脂肪は増加しているのが普通でしょう。むろん個人差はあるでしょうが二十五年前よりは「あぶらが乗った」状態になっているわけで、それは性体験の有無などには何の関係もない話です。

 念のためにネット上の「大辞林」で確認してみましょう。まず「処女」はこうです。

(1)〔家に処 (い) る女の意〕未婚の女性。男性と交わったことのない女性。きむすめ。おとめ。バージン。
(2)他の漢語の上に付いて用いる。
(ア)人が一度も手をつけていないこと。
「─雪」
(イ)初めての経験であること。
「─演説」

 次は「年増」です。

娘盛りを過ぎて少し年を取った婦人。近世には二〇歳前後をさしたが現代では三〇〜四〇歳くらいをいうなど、年齢は時代によって若干前後する。

 処女も年増もごく日常的に使用される言葉で、いわゆる言葉狩りの対象になったことはないはずです。伊賀市の女性十数人がこうした言葉に過剰に反応し、そのあげく「肉のうまさを女性の性体験の有無で表現し」ているなどというこちらが恥ずかしくなるほどの曲解にたどりついたというのであれば、彼女たちは日常的にとってもやーらしーことを考えていらっしゃるのかもしれません。あるいは本当のところは処女に反応したのではなくて年増女という言葉に侮蔑的な意味合いを読み取ったのかもしれませんが、それはまったくの筋違い。池波正太郎は伊賀牛の旨さを語ることで年増女を礼讃しているのだということがわからんのか。あーぞくぞくぞくぞく。

 手許にある『食卓の情景』(新潮文庫)から問題の箇所の前後を引用してみましょう。伊賀市(旧上野市)の金谷という店で伊賀牛を食べたときの話です。

 牛肉が、はこばれてきた。
 赤い肉の色に、うすく靄がかかっている。
 鮮烈な松阪牛の赤い色とはちがう。
 松阪の牛肉が丹精をこめて飼育された処女なら、こちらの伊賀牛はこってりとあぶらが乗った年増女である。
 牛の脂身とバターとで、まず〔バター焼〕を食べた。
 「むう……こりゃあ……」
 と、味にうるさい風間完画伯。牛肉をほおばってうなり声をあげ、
 「こりゃあ、いい」
 と、のたまう。

 何の問題もありません。松阪牛が鮮烈な赤さを見せ、伊賀牛は薄く靄がかかっているように見えるのは、伊賀牛にはサシと呼ばれる脂の部分が多いからでしょう(情けないことに私はこの金谷という店に立ち寄る機会にめったに恵まれず、出てくる伊賀牛に靄がかかっているのかどうかよく知らないのですが)。池波正太郎はその違いを処女と年増女の差を示すことで端的に表現しているわけであり、これはなかなかに卓抜な比喩であると私には思われます。

 ただし読者は、おそらくこの比喩から何かしらエロティックな印象を感じ取られることでしょう。性体験の有無などという打ちつけな問題に思い及ぶかどうかは別にして、牛肉を食べるというただそれだけの行為が池波正太郎という手練れの筆によって、それこそ薄く靄がかかったようなエロティックな印象を帯びて描写されていることを実感されることでしょう。それはごく当然のことであって、それこそがレトリックの妙味というものにほかなりません。それはわれわれが文章を書いたり読んだりすることの醍醐味のひとつでもあり、しかもものを食べるというのは本来とてもエロティックな行為なのであるということもここに申し添えておきたいと思いますが、いくら申し添えたって莫迦にゃ通用しないか。あすにつづく。

 あーごほごほごほごほ。咳もよく出る。もしかしたらこれは風邪なんかではないのかもしれん。三重県関係者が俺のことを呪い殺そうとしているのかもしれん。あーごほごほごほごほ。


●3月14日(月)

 身体の節々が痛むわ全身を悪寒が走り抜けるわでさんざんな状態ですが、伊賀地域および三重県の莫迦のみなさんを叱り飛ばすために起き出してまいりました。例のポスター問題、3月11日付毎日新聞の記事でやや詳しいことが知れました。田中功一、影山哲也両記者の記事です。

三重県観光連盟:
ポスター回収し廃棄 文言の一部不快
 連盟によると、2月下旬、同県伊賀市内の観光協会が事務所玄関に張りだしたところ、女性十数人から「処女とか、年増女という表現は不快」との苦情が寄せられた。連盟は県の人権担当者に問い合わせ「エッセーが書かれたのは30年以上も前。時代にそぐわない」と指摘され回収を決めた。

 ポスターは、東京や名古屋、大阪の主要駅などに計40枚が掲示されたほか、県内の観光施設や市町村に421枚を配布。2100枚余は在庫として残っているが回収分と併せ廃棄する。

 連盟は、県内観光施設の広報担当者らで作る選定委員会(9人、うち女性3人)でポスターの題材を決めたという。木崎喜久郎専務理事は「原文の引用だから問題ないと思ったが、認識が甘かった」と話した。

 今回、池波作品使用の窓口となった日本文藝家協会(東京都千代田区)の伊藤愛子・著作権管理部長は「池波文学の否定ではなく、不特定多数の人が見る観光ポスターで、不快と感じる人がいるというので回収を了承した。しかし、池波作品の独特の表現の中で、2語だけを取り上げられても…」と戸惑っていた。

 ひどい話です。性体験の有無がどうのこうのという似非フェミニズム的見地からのクレームですらこれはなく、なんかもう白痴的いちゃもんと申しあげるしかありません。幼稚きわまりない言葉狩りです。レトリックの妙味や手練れによって布置結構された文章表現の面白さ、あるいは日本語の奥深さみたいなものにはまったく関係のないところで、上っ面のことしかわからない莫迦が不快だ不快だと短絡的白痴的に喚き立てているだけの話であったか。

 むろんこの手の問題は自己申告制ですから、本人が不快を感じたというのであればそれがどんな莫迦であってもそれなりの配慮がなされねばならず、したがって県観光連盟がまずなすべきだったのは伊賀市に飛んで問題の女性十数人に会い、具体的にどんな不快感を感じたのかを確認することであったはずです。処女や年増女がやーらしーとか猥褻であるとかいう話になるのでしょうが、処女や年増女という言葉そのものはあくまでも無味無臭、そこにやーらしさや猥褻さを感じるのは感じる側の品性の反映なのですから、話し合いによって不快感という感情の結ぼれを解きほぐそうとしてみることが必要だったでしょうし、そうした不快感がどの程度一般化できるものかということも確認されるべきことでした。

 ところが実際に連盟がやったのはなぜか県の人権担当者にお伺いを立てることであり、しかもその担当者がまたとんちんかんなことをいう。で結局はポスターの回収をさっさと決めてしまう。なんでそうなるの。ポスター製作の過程では「原文の引用だから問題ないと思った」との判断がなされたわけですから、ちょっと苦情があったくらいでそれをいきなりなし崩しにしてしまうのはなんだかな。

 なんかもう怒るのもあほらしくなってきましたが、関係者にとってラッキーだったのは池波正太郎がすでにこの世の人ではないということで、池波さんがご存命だったらおそらくただでは済んでいなかったことでしょう。烈火のごとくお怒りになり、三重県に対して厳重な抗議をなさっていたに違いありません。ことほどさように三重県というのはじつにひどい県で、表現の自由や言論の自由といったものをいいだけ抑圧して平然としているから困ったものですが、これはもう体質と呼ぶべきものだと私には思われます。

 ああ気分がすぐれない。


●3月15日(火)

 発熱もやや収まって症状のピークは過ぎたかなという感じなのですが、風邪は治りかけが肝心と聞き及びますので念のために休養しておこうかなと考えておりましたところ、三重県議会の中森博文議員(自民・無所属・公明議員団)からメールを頂戴いたしましたので休養を返上してそれをご紹介申しあげます。2月27日付メールでお送りした質問への回答です。わざわざお答えいただいた中森議員にはこの場でお礼を申しあげます。

中 相作様
早春の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
このたびは、貴重なご意見を有難うございます
お返事が遅くなり申し訳ございません

さて、ご指摘の件ですが
わたくしなりに調べましたことをもとに
以下の通り回答させていただきます

2003年12月25日の委員会では
平成16年度の事業に関し計画(案)、基本的な考え方や
大枠でのとりくみについて審議されたものと理解します
また「予算案」は三重県や各市町村の議会議決の前でもあり
「16年度事業に関する要求額(案)」を示したものと理解します
その時点では事務局側はその詳細(要求根拠)はあるものの
具体的な説明は控えたものと思います

後の2004年3月28日に開催された委員会では
予算の裏付である県や市町村の予算確定に伴い
あらためて詳細にわたる計画内容やスケジュール
及び予算を審議したものと理解します

ご指摘の予算説明は
詳しく説明できる時期に合わせ審議すれば良かったと思いますが
事業内容と関わりがありますので、やむをえないところも理解します
事業推進委員会の審議は、事業全体の方針や方向を決める役割で
伊賀びと委員会は官民協働の事業の企画・実施という役割分担のもと
自主的主体的に行うものであると聞いております
この二つの委員会と県や市町村議会という双方の決定機関が生みだした
現象であると言えるでしょう

このような新しいとりくみは今後の課題と考えます

以上、なにとぞご理解のほどよろしくお願いいたします

また、今後ともご指導賜りますようお願い申し上げます

 風邪のせいですっかり神経をかさつかせている私の返信は下記のとおり。

中森博文様

 定例会開会中のお忙しい時期にご丁寧にご回答をたまわり、どうもありがとうございました。不躾な質問に快くお答えいただき、感謝しております。ただ、遺憾ながら質問の趣旨をよくご理解いただけていないように思われますので、重ねてお尋ね申しあげる次第です。

 最初にお断りしておきますが、私は貴職のご見解をお尋ね申しあげたのであって、事務局の内部事情を調べてくれとお願いしたわけではありません。ましてや、県民を納得させることなどいっさいできぬであろう事務局の言い逃れをそのまま伝えてくれとお願いした憶えなどまったくありません。貴職は著しく事務局寄りの立場で発言なさっておられますが、県民の立場に立たれるべき県議会議員の方が一貫して住民無視市民不在の姿勢で事業を進めてきた事務局の提灯持ちをお務めになるのはいかがなものでしょうか。ともあれ私がお訊きしたいのは、公金の使途を決定する際の手続きがこれでよかったのかということです。

 頂戴したご回答では2003年12月25日の第二回、2004年3月28日の第三回という二回の事業推進委員会が言及されておりますので、それに沿って確認しておきます。伊賀の蔵びらき事業の予算は三分の二が三重県、残り三分の一が伊賀地域七市町村(当時)の負担と決められておりましたので、二〇〇四伊賀びと委員会は県と七市町村に事業予算をいくら要求するかという予算案をまとめ、第二回事業推進委員会にそれを提出、予算案はその場で承認されました。この予算案はそのまま県および七市町村の2004年3月議会で承認され、これによって事業予算がようやく正式に認められたということになります。

 で、ご回答にはこのようにあります。

 《また「予算案」は三重県や各市町村の議会議決の前でもあり
「16年度事業に関する要求額(案)」を示したものと理解します
その時点では事務局側はその詳細(要求根拠)はあるものの
具体的な説明は控えたものと思います》

 これはいったいどういう意味でしょうか。仰せのとおり県および七市町村の議会で予算案が決議される前の段階ですから、二〇〇四伊賀びと委員会はその予算案の詳細までを明示して事業推進委員会の審議を受けるべきだとするのがごく一般的な考え方だと思われる次第です。にもかかわらず、貴職はどうして「事務局側はその詳細(要求根拠)はあるものの具体的な説明は控えたものと思います」といった判断に立ち至られたのでしょうか。貴職は事務局による説明責任の放棄を容認していらっしゃるとしか見受けられません。

 2004年3月28日の第三回事業推進委員会に関しましては、あんな茶番をいまさらまともに取り上げるのも莫迦らしいという気がいたしますので、自分のウェブサイトに発表した委員会の傍聴記録を以下に引いておきます。

 《不思議なのは、議事として掲げられたふたつの議案です。平成16年度の事業計画案と予算案は、どちらも去年の12月25日に開かれた第二回委員会で承認されたはずではありませんか。その承認を受けて、三重県と伊賀地域七市町村の議会はそれぞれが負担する予算を3月定例会で承認し、総額三億三千万円あまりの事業予算が正式に決定したのではありませんか。

 それなのに、いまごろになっていったいどんな計画と予算を審議するというのかしら。私は不思議の国に迷い込んだような気分になって首を傾げましたが、疑問はじきに氷解しました。計画も予算も第二回委員会で承認されたのと同じものなのですが、よりくわしい内容を記した書類が議案書として提出され、あらためて審議されているのだということがわかったからです。

 この人たちは真面目くさった顔をして、いったい何をやっているのだろう。私はまた首を傾げました。このふたつの議案は、そもそも議案として審議されるべきものではありません。承認の必要などないものです。もしもここでもう一度承認が必要だというのなら、第二回委員会における承認はいったい何だったのでしょう。あの承認は無効だったとでもいうのでしょうか。この人たちにとって承認という行為は、鳥の羽根ほどの軽さしかもっていないものなのでしょうか。

 この事業推進委員会が無用の長物であり、委員会を存続させること自体が税金の無駄づかいであるということを私はくり返し指摘してきたのですが、この人たちは無駄のうえにさらに無駄を積み重ね、屋上屋にもうひとつ屋を架すような真似をして少しも怪しみません。私たちの税金をつかって仕事をする人が、こんな無駄なことばかりしていていいのでしょうか。これはもう私が知っている世界ではありません。ここはたしかに不思議の国です。

 こうした場合、私の知っている世界では、事務局から委員に対して、

 「前回の委員会でご承認いただいた事業計画案と予算案のより詳細な内容がまとまりましたので、ここにご報告申しあげます」

 との説明がなされるはずです。そうです。これは報告として扱われるべき案件です。そしておそらく、わざわざ委員会を招集して報告する必要などない案件です。計画と予算の詳細を記した書類を委員に郵送すれば済む話です。委員会を開会する必要など、私にはどこにも認められません。

 そしてその審議の内容といったら。私は茫然として自失してしまいました。これはまともな会議ではありません。会議ごっこにしか過ぎません。必要のない会議をわざわざ開いたのですから、うわべだけ会議のふりをした会議ごっこになってしまうのはむしろ当然のことなのでしょうが、目の前でくりひろげられている児戯にも等しい会議ごっこは、私を意気阻喪させずにはおきませんでした。

 いや、児戯に喩えるのは子供たちに対して失礼でしょう。小学校の学級会だって、この委員会よりは遥かに合理的にクラスの問題を相談したり決定したりしているはずです。それなのにこの人たちといったら》

 委員会の進行運営がここまで常軌を逸しているのはむろん事務局の頭の悪さが原因なのですが、常軌を逸した進行運営に唯々諾々と従っている委員会側にも相当問題があるはずです。このときの委員会でどんな審議が進められたのか、その点に関して私はこのように報告しております。

 《ガイドブックの表紙が判じ物めいていて独りよがりであるという点に関しても、委員側から指摘がありました。また、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業名についても、独りよがりでわかりにくいとの意見が出されたのですが、いまごろになって事業のタイトルをうんぬんしてもどうしようもありません。開幕まで五十日という時期へ来てこんな意見が出てくるということは、推進委員の人たちは事業のことをろくにご存じなく、事業準備にもいっさいノータッチだったということでしょう。困ったものだ。こんな委員会はほんとに意味がないな、と私はあらためて思いました。

 そのほか、予算編成が本末転倒気味だという指摘もありました。広報のための予算が多すぎるということです。「面白いものを発信すれば広報費は節約できる。広報は知恵でバックアップして、浮いた広報費を事業費に回せないか」との意見でしたが、むろんこれから予算を編成し直すことは不可能です。それに実際のところ、この予算編成の真意は、面白いものが発信できないから広報に予算を注ぎ込んで見栄えをよくしようということにあるのではないでしょうか》

 ここで問題になっている広報費は予算総額の三分の一を占めており、広報のための予算が多すぎるという指摘が出るのも無理からぬところと判断されますが、広報費に関して官業の癒着が取り沙汰されていることは先刻お聞き及びのことと存じます。もしもお願いできるのであれば、県議会議員としてそのあたりの実態をご調査いただければまことに幸甚に存じます。

 頂戴したご回答に戻りますと、次のような箇所などもどうにも理解が届きかねるところです。

 《ご指摘の予算説明は
詳しく説明できる時期に合わせ審議すれば良かったと思いますが
事業内容と関わりがありますので、やむをえないところも理解します》

 「詳しく説明できる時期に合わせ審議すれば良かった」とは何ごとでしょうか。予算の詳細が説明できなければ審議など成立するはずがありません。貴職がお調べになったところでは、第二回事業推進委員会は予算を詳しく説明できない時期に開会されたということなのでしょうか。それなら2003年12月25日の委員会はまったく無効なものであったと証明していただいたことになり、私にとってはじつにありがたいご判断をお知らせいただいたことになるのですが、いかがなものでしょうか。

 また、「事業内容と関わりがありますので、やむをえないところも理解します」とは何ごとでしょうか。事業の予算が内容と関わりをもつのは当たり前のことであり、だからこそ事業を金銭的に裏づける指標として予算の詳細が明示されるべきであるというのがごく一般的な考え方であると思われるのですが、「やむをえないところ」とはいったい何のことでしょうか。県議会議員ともあろう方が県民に完全に背を向けた事務局の隠蔽体質をかばい立てされるのはいったいどういうことなのでしょうか。

 私は公金三億三千万円の使途を決定するに際して、県民への説明があまりにも不足していたのではないかと指摘しております。「審議すれば良かった」だの「やむをえないところ」だのといった情状酌量は、おそらく県民の納得を得られるものではないだろうと判断いたします。二〇〇四伊賀びと委員会がまとめた予算案を「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が承認した。しかしその際の予算説明は下記のような大雑把なものでしかなかった(単位:千円)。こんなことでいいのか。私はそのようにお訊きしている次第です。

▼総務費(委員報酬・旅費、事務局経費)24,625
▼広報費(広報・宣伝・記録費)100,823
▼事業費(共同〔大規模〕事業)
 A オープニング 29,500
 B 伊賀体験・夏イベント 16,000
 C 芭蕉さん事業 19,640
 D フィナーレ 28,100
▼事業費(市町村域事業)81,350
▼事業費(伊賀一円事業)11,390
▼事業費(県域・全国的事業)12,600
▼事業費(その他しくみづくり等)7,700
▼合計 331,728

 お忙しいところ何度も勝手なお願いを申しあげて恐縮ではありますが、再度のお答えをお願い申しあげます。県や市町村、あるいは事業関係者ではなく、県民の立場に立ったお答えをお願いしたいものだと思っております。よろしくお願いいたします。

2005/03/15

 あーよかった。きのうより幾分かでも体調が恢復しているみたいです。きのうの朝にはここまで文章を書き連ねることは不可能でした。さるにても、事業予算の不透明さに関しては二〇〇四伊賀びと委員会の内部にも不平不満がかなり鬱積しているようで、そんなことは名張市内の事業関係者に確認してみればすぐに知れることのはずなのですが、名張市内選出の県議会議員の方お二方が揃いも揃って予算の不透明さを容認しておられるのはいったいどうしてなのかしら、と私は思います。とはいえ真摯なお答えを頂戴できたのはまことにありがたく、中森博文議員にはあらためてお礼を申しあげる次第です。