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2005年3月後半
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●3月16日(水) おかげさまで一時に較べれば別人かと思えるほどに本復いたしました。風邪を引いているあいだ夢うつつで話題にした例のポスター問題に決着をつけておきます。 三重県観光連盟のみなさんへ。みなさんは二度とふたたびPRの素材に人の文章を使用するべきではありません。理非曲直もわきまえぬ感情的なだけの苦情を受けて一も二もなく人の文章を抹殺してしまうような人間には、そもそもの最初から人の文章を引用したり転載したりする資格などありません。あとまだまだあるけど略。 伊賀市の女性十数人のみなさんへ。みなさんのような人たちには何を申しあげても無駄だと思います。フィレンツェ旅行にでもいらっしゃってミケランジェロのダビデ像を見て「ありゃまおちんこ丸出し。不快だわ。不適切だわ」とかほざいてこられてはいかがでしょうか。あとまだまだあるけど同じく略。 さて昨日夕刻、私は名張市役所を訪れて「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン(案)」に対するパブリックコメントを提出してまいりました。市が定めた募集要領に準じて応募したのですが、いつかも記しましたとおり書式に規定はありませんでしたので毎度おなじみ漫才形式に拠りました。「乱歩文献打明け話」のページに掲載いたしましたのでご一読ください。くわしいことはまたあすにでも。 |
●3月17日(木) もう終わりにしたつもりでいたのですが、三重県観光連盟のみなさんにもうひとつだけお小言を。池波正太郎の「食卓の情景」で妙なことから脚光を浴びた「作家が愛した三重の味」の件、これは別に身びいきで申しあげるのではなく、PR効果を考慮したうえでの話なのですが、こうした企画に乱歩の名前を利用しない手はないように思います。 何といっても乱歩は三重県出身作家なんですし、そんなこと以前にまず第一、私の手許には「作家が愛した三重の味」を特集したパンフレット『三重観光ガイド』があって、その表紙には中原中也、志賀直哉、池波正太郎、中里介山、山本周五郎という五人の文学者の名前を見ることができるのですが、ここにもうひとつ江戸川乱歩という名前が入っていれば、それだけで表紙の吸引力がさらに増すことはほぼ間違いのないところでしょう。乱歩の名前はそれだけキャッチーだということをよく憶えておいてください。 名張市立図書館にお問い合わせいただいていれば、むろん私にメールをお寄せいただいてもよかったのですが、その場合にはもうそこらのマチ金並みの即断即決でたとえば乱歩に「牛は松阪」という随筆があるなんてことをお知らせできていたはずなのですが、お役所の人というのは隠蔽体質に凝り固まっているうえ極度に失敗を恐れ身内以外との接触を頑なに忌避し責任の発生を徹底して回避するのが習性となっておりますから、広く胸襟を開いて別け隔てなく人にものを尋ねるというごく当たり前のことすらできなくなっているのかな。 名張市役所だって事情は同じです。むろんこれは「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン(案)」のことなのですが、私はそもそも名張市立図書館の人間なのであってその意味においては市の人間なのですから、それがまたどうしてわざわざ市に対してパブリックコメントを提出するような面倒な手続きを踏まねばならぬのかとお思いの方もいらっしゃることでしょうが、これだってやっぱりお役所のシステムとお役人の体質が必然的にもたらした結果なのであると申しあげるしかありません。 ともあれ、私のパブリックコメントはすでに提出されております。ご賢察の読者もおいででしょうが、このパブリックコメントは一本のナイフにほかなりません。テロリストによって名張市の喉元に突きつけられた一本のナイフであるとお考えください。といった次第でまたあした。なおこのナイフは「乱歩文献打明け話」の番外「僕のパブリックコメント」でお読みいただけますので、とくに名張市の関係者の方は官民を問わずご一読いただければ幸甚です。 |
●3月19日(土) 妙なもので、どうやら風邪も治ったらしいとわかると急に気力がなくなって、きのうの朝は伝言をお休みしてしまいました。ひきつづき「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン(案)」のお話ですが、しかしそれにしても、と読者はお思いかもしれません。おまえは曲がりなりにも名張市立図書館の人間なのだから、パブリックコメントなどというまどろっこしい手段に頼らなくても自分のプランやアイディアを市に伝えることは可能ではないのか、と。 むろん不可能ではないでしょう。しかしお役所というのはセクト主義、いやいや、主義なんて言葉を使用するとなんだか知的な印象が伴ってしまいますからむしろセクト体質と呼ぶべきなのかもしれませんが、とにかくセクト主義の牙城にして縦割り社会の総本山なのですから、横の連絡なんてのはまずありません。例の歴史資料館の整備事業には乱歩関連資料も関係しているみたいですから、となれば当然市立図書館と連携して職務を遂行することが要求されるはずなのですが、構想を担当している名張市建設部都市計画室はそんなことをいっさいしようとしません。つまり市立図書館でただ坐しているだけでは、私のプランやアイディアを市当局に伝える機会など永遠に訪れないという寸法です。 こちらから出かけてみてはどうでしょうか。市立図書館から建設部都市計画室まで赴いてプランやアイディアを提供する。それはもちろん可能でしょう。しかしそれだけで終わってしまうかもしれません。つまり最悪の場合にはただ聞き置くだけでおしまいということにもなりかねないわけです。なぜか。彼らに私のいうことを聞かねばならぬ道理はないからです。自分たちの所属している命令系統とは無縁な場所に存在する人間が仕事にずかずか容喙してくることを、これは当然といえば当然のことなのですが彼らは極度に嫌います。 先日、三重県観光連盟に関して記したことをそのままくり返しますと、「お役所の人というのは隠蔽体質に凝り固まっているうえ極度に失敗を恐れ身内以外との接触を頑なに忌避し責任の発生を徹底して回避するのが習性となっておりますから、広く胸襟を開いて別け隔てなく人にものを尋ねるというごく当たり前のことすらできなくなっている」といったことになるでしょう。しかも私のプランやアイディアはおそらく彼らの発想の枠を越えているはずですから、彼らをよけいに戸惑わせ、着手することに逡巡を覚えさせ、せっかくの提案も結局は彼らの責任回避スイッチをオンにするだけで終わってしまう可能性だって否定できません。 ですから私は敢えてパブリックコメント制度を利用し、そのコメント全文を自分のウェブサイトで公開することにより(これはつまりインターネット上に目撃者や証人を確保するということですが)、自分の提案が黙殺されることだけはないようにことを進めました。私には横車を押す気はさらさらありませんが、歴史資料館などという月並みな思いつき、それも誰も責任を持とうとしないような思いつきよりは(これはまったくそのとおりで、地域住民が無責任に要請し、諮問機関が無責任に構想し、行政が無責任に事業化しようとしているのが歴史資料館であると私には見受けられます)、自分が責任を持って考えた思いつきのほうが税金の使途として遥かに有効であり、しかもいつだって実現可能でいくらでも持続可能、そのうえプランとして得がたい魅力があると判断される次第なのですから、それがお役所特有の事情によって葬り去られることなく関係者の虚心坦懐な検討の対象となるようことを運ぶのは、提案者である自分のいわば責務であろうと私は愚考いたします。 しっかしめんどくせーなーったくよー。こんなことならえらい人にでもなっておけばよかった。岡本かの子はパリに住んでいた息子にこんな手紙を書いております。ちくま日本文学全集026『岡本かの子』(筑摩書房、1992年)から引用。
これはなかなか印象的なフレーズで、普通こんなことはあからさまに書けぬものです。しかし書かれてしまった以上、と申しますか読んでしまった以上、この言葉は日常のおりふし妙に心に浮かんできて読んだ人間を当惑させつづけることになります。もう何年も前、ある人から頂戴したメールに同じところが引用されていたのでいささか驚いたことがあるのですが、その人の場合もやはり印象深く記憶されていたということでしょう。 そして私の心にはいまやまたしてもこの岡本かの子の言葉が蘇ってきているのですが、えらくなんかならなくてもいい、とはむろん私も思います。げんに私は全然えらくなんかなっておりませんし、それでもいっこうに平気ではいるのですが、たとえば名張市役所などというつまらない世界を相手にする場合、面倒なことを省略して話をさっさと進めるための世俗の通行証のようなものとして(水戸黄門の印籠のようなものとして、でもいいのですが)、たとえかりそめのものでもえらさというやつを身につけておくべきであったかと思い返されます。 ところで岡本かの子の息子というのはむろん岡本太郎のことで、先の手紙をもう少し引用してみましょう。
自分の息子にここまできっぱり助言(はっきりいって命令ですけど)ができる母親なんて、当時もいまもほとんどいないのでしょうけれど、これは進路に踏み惑う当節のお若い衆がお読みになっても何かしら得るところのある文章であると思われます。 |
●3月20日(日) 岡本かの子の岡本太郎宛書簡、ちくま日本文学全集026『岡本かの子』(筑摩書房、1992年)からもう少し引用しておきます。
名張市立図書館カリスマ嘱託である私にとって「世間のいいかげんな所」というのはたとえば名張市役所であり三重県庁であり、いやいっそこの名張市あるいは伊賀地域という地域社会そのものなのであって、私だってそんなところを相手になんかしたくはないのですが、まさしく「思う仕事ばかりして行けるというのではなし」、気を取り直してばんばん行くしかないように思います。
空間に石を投げる、などといった比喩を目にすると、文脈とはまったく関わりなく石を投げる、つぶてを打つ、印地を打つといった言葉が連想されてくる次第です。さすがテロリスト、と申しあげるべきでしょうか。 |
●3月22日(火) さて私が岡本かの子にこと寄せて何をぼやいているのかと申しますと、やっぱえらい人になっときゃ楽だったかなということで、これは要するに権限とか発言力の問題です。私には名張市役所の人たちをまともに相手にする気などさらさらないのですが、地域社会に正面から向き合おうとすれば彼らを相手にしないわけには行かず、となれば面倒なことは省いてしまってこの件はこうすればいいから、みたいなことを伝えるだけで話がすんなり進んでしまうような権限や発言力があればどんなに楽でしょうか。 自慢するわけではありませんが、日々これ責任回避と思考停止に明け暮れている名張市役所の人たちと私とでは、考えることがたぶん根本から違っているはずです。たとえば歴史資料館を整備するべきかどうかといった問題を前にした場合でも、私にはお役所の人たちやその諮問機関の人たちがとても考えつけないような答えを出すことが可能なはずであり、いきなり答えは出さなくても、関係者相手に歴史資料や乱歩に関していろいろ教えてさしあげるのはむしろ自分の責務であろうと心得ている次第なのですが、これが独りよがり。 なにしろこれまでお役所の人たちをまともに相手にしてこなかったのですから、私が歴史資料や乱歩に関してどれくらいの知識を持ち合わせているのかがあまねく周知されているといったことはまったくなく、これはやはり名張市役所の内部で強引に顔を売り名前を売り、お役所のセクト主義やお役人の無責任体質を超越した名張市役所の知恵袋みたいな存在になっているべきであったかと思い返される次第なのですが、しかしそれにしても、おまえら俺がどれだけのことをしてきたかわかってるのか、俺の扱いがあまりにも悪すぎるではないか、俺を誰だと思っている、無頼の徒だぞ無頼の徒、どうして俺を重んじない、もっと俺のことを認めろ、俺のことを特別扱いしろ、さもなきゃ義絶だ絶縁だ、みたいなことをいう人はげんに存在しているわけですが、そんな見苦しいこと私にはとてもできませんし。 つまり結論としてはぼちぼち行くしか手がないようで、みずからのウェブサイトのみを蟷螂の斧あるいは貧者の核爆弾と恃むテロリストとして、名張まちなか再生プランに対するパブリックコメントの募集が締め切られるきょうを、そして第五回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会が開かれるあしたを生きてゆきたいと思います。卒業式の答辞みたいになりましたけど、地域社会をまともに相手にするのも乱歩生誕地碑建立五十周年の今年一年だけのことですから、まあなんとかなるとは思います。 |
●3月23日(水) いよいよ第五回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の日を迎えました。しかし徒労であったな、と私は思います。エネルギーのひたすらに虚しい消尽であった。地域社会などをまともに相手にするととんでもない虚脱感に襲われる結果になるのだということがよくわかりました。 何が驚いたといって、関係者の誰ひとりとしてこちらの疑問、それもごく素朴な、しかし事業と組織の根幹に関わる疑問に答えようとはしなかった、きちんと答えることができなかったということでした。これは明らかに異常なことでしょう。おまえら気は確かか、と私はおりに触れて問いかけてきたのですが、気はまったく確かではないが全然大丈夫なのであるという奇妙な状態が持続して今日に至ったものと見受けられます。 これはひとつの閉ざされた空間に仲間だけで閉じこもることによってのみ可能な事態で、つまり外部から見ると明らかに異常な事態がそこに進行しつつあったとしても、似たような価値観を持つ人間だけが集まった閉鎖空間の内部では人はその異常さを異常さと認識できない。異常さは手もなく尋常さにすり替えられてしまう。そして外部からの働きかけに対しては、もしもそれに応じてしまったら仲間だけの快適な空間に亀裂が生じるかもしれませんから、いっさい応じることなくそれをやり過ごしてしまう。つまりその仮想空間の外側からどれだけ論理的な質問を発してみたところで、彼らには外部の論理に基づいて空間内部の事情を説明することなどできない相談です。自分たちの異常さを認めない限り、外部の論理に即した説明などできるわけがありません。 ともあれ、事業に関しては前知事が敷いた路線をそのまま無批判に踏襲しただけで詳しい事情をいっさいご存じなく、こちらの投げた質問に対しては見事なまでに丸投げと逃げ隠れをつづけるばかりでいらっしゃった野呂昭彦知事が最後の最後、きょうの事業推進委員会の席上でいったいどんなご挨拶をなさるのか、じっくり拝見謹聴つかまつりたいと思います。 じつは知事室宛にメールを送り、きょうの挨拶ではこの点とこの点の二点にお答えいただくよう(つまり、第二回事業推進委員会における予算案承認の杜撰さを私は認めることができないのだが貴職はどうお考え? 事業推進委員会は形骸に過ぎずまったく必要のない組織であったと私には判断されるのだが貴職はどうお考え? という二点に関してなのですが)お願いしようかとも考えたのですが、そこまでしたって黙殺されるときは黙殺されてしまうことでしょうし、それに知事のお耳にも私の批判の幾分かは届いていることでしょうから、もしも人並みに誠実でいらっしゃるのなら批判に対して何らかの応答を示してくださるのではないかとも期待して、メールによる要請はいっさい行わず、ただ本日のご挨拶を楽しみにしているのみであることをお伝えしておきましょう。 しかしまあ知事はまだいいんです知事は。選挙で落ちたらおしまいですから。始末の悪いのが県職員。あいつらなにしろ定年までのさばってくれますから頭が痛い。しかしそれにしたって定年までです。まだましです。それよりも手に負えないのが地域住民と名のつく連中であって、あいつら定年もなしに死ぬまで地域住民なんだからたまったものではありません。なんとかしろばーか。 |
●3月24日(木) 昨日、伊賀市西明寺のウェルサンピア伊賀で開かれた第五回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会にお邪魔してまいりました。いや虚脱感虚脱感。虚脱感というか徒労感というか無力感というかいっそ寂寥感。眼の前に見えているのに完全に閉ざされて接触することのできない空間のなかで、見事なまでに上っ面のきれいごとだけ並べてやたらべたべたと親密に議事が進行するのを間近に目撃してまいりました。えーい、気色が悪いわ。 とはいえおかげさまで、この事業に関して住民監査請求を提出するまでには至らなかったことをご報告申しあげます。事業の一応の収支決算案が示され、満場一致で承認されました。満場一致と申しましても、当初十七人だった委員は伊賀市の発足に伴って十二人になり(委員には旧伊賀地域の七市町村長が宛て職的に就任していたのですが、五町村長は合併と同時に自動的に辞職、すわわち委員でなくなったということのようです。委員会の形骸ぶりはこんなところにも示されています)、ちなみにきのうの出席者は十二人中八人。そんなことはまあどうでもいいとして、決算をざっとご覧いただきましょう。
上が2003年12月25日の第二回事業推進委員会で承認された要求予算案、下がきのう示された収支決算案の支出の一部です。一部というのは、とりあえず上の予算案に対応する決算だけをピックアップしたことを意味しています。
赤字で示したのは数字に齟齬の見られるところで、たとえばオープニングの事業費は第二回委員会の予算案では二千九百五十万円だったにもかかわらず決算ではなぜか当初予算二千九百万円とされていたり、ほかにも千九百六十四万円のはずが千七百六十四万円になっていたり、八千百三十五万円のはずが八千三百八十五万円になっていたり、なんかとってもいい加減です。いい加減というよりは、この決算書には明らかに嘘があると申しあげたほうがいいように思われます。言葉を換えて申しあげれば、第二回委員会に提出された予算案が何の重みもないものであったという事実が、ほかならぬこの決算書によって如実に物語られているというわけです。こんな決算でいいのか、とお思いの諸兄姉は三重県監査委員へ住民監査請求をどうぞ。 あすにつづきます。 |
●3月25日(金) 最後までお間抜けだった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会ですが、小学生でも犯さないような誤りを、というよりは小学生でも見破れるような嘘を記載した決算報告が23日の第五回委員会で無事に承認されたことは昨日お伝えしたとおり。事業の総収入額は三億三千三百十万五千五百三十七円、総支出額は二億八千九百一万四千四百七十円で、 そのあたりのことは伊賀タウン情報「YOU」の記事でどうぞ。
むろん決算報告書には事業個々の事業費も明記されているのですが、以前から申しあげておりますとおり決算報告はあくまでも当初予算に対比してなされるべきものですから、第二回委員会で示された予算書にはこの決算報告書と同様に事業それぞれの事業費が明記されているべきだったことは論を俟ちません。なんか同じことばかりいってて莫迦みたいですけど、おもだった事業の決算を確認するのはあしたのことにして(しかしいつまでもこんな愚劣な事業にかかずらっているのはほんとに莫迦みたいです)、本日はこのへんで失礼いたします。 |
●3月26日(土) それでは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の決算報告を見てまいりましょう。まず事業費がもっとも高額だった事業は何かと申しますと、どうやら「広報費」のうちの「一般広報」のうちの「戦略的広報展開」がそれのようです。つかった税金がざっと五千三百万円あまりといいますから総事業費二億九千万円の二割に迫ろうかという勢い。広報費の決算はこんな具合になっております。
「一般広報」のうちの「戦略的広報展開」の内容は「ポスター・チラシ、メディア展開」とのことで、これが当初予算より大幅に増額されたのは「マスメディアの活用など全国的な規模の戦略広報に重点的に実施したことによる増」と説明されております。えー全国のみなさん、全国的な規模の戦略的広報はみなさんのもとにまで届きましたでしょうか。たぶん届いてないと思います。ま、届いてはいたのだがそもさん何用あって伊賀地域へ、とお思いの方もいらっしゃったことでしょうけれど。 ちなみに23日の第五回事業推進委員会ではコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」たらいうNPOが三重県から依頼を受けて実施した事業評価のレポート「全体事業評価報告書」も提出されていたのですが、そのなかにこんな報告があったことを附記しておきましょう。
この「全体事業評価報告書」、どこまで信の置けるものなんだかもうひとつ不明なのですが(と申しますか、あとできっちりいちゃもんつけることになるかとも思うのですが)、とにかくこういうアンケート結果が出ているとのことです。同じくこの報告書では、「事業集客者数」として「イベントの開催期間(190日間)に実施された『蔵びらき』事業における集客数は、167,451人であった」とも報告されていますから、その三割というと約五万人。五千三百万円もかけて全国的規模の戦略的広報を展開したにもかかわらず伊賀地域以外からの来場者は五万人足らずにとどまったと見るべきか、あるいは五千三百万円もかけたから五万人近くもの人が伊賀地域に足を運んだと見るべきか、なかなか難しいところかもしれません。在阪在名のテレビ局ラジオ局にいいようにぼったくられただけの話ではないのかという気もいたしますが。 次に控えた「県域・域内広報」は「PRグッズ・PR制作」とのことで、当初予算の半分以下で収まったのは「伊賀びと通信の発行等を事業的広報に所管変更したことによる減」によるそうです。つまり一般広報に分類されていた費目を事業広報に振り替えただけの話で、こちらで減った分はあちらで増えているという寸法。最後の「記録」は「職員の手づくりによる映像記録化、伊賀のガイドなどの類似企画をまとめて実施したことによる減」を見たのですが、いくらなんでも当初予算の二割程度で収まってしまったのはそもそも当初予算が無茶苦茶だったということではないのでしょうか。 つづきまして「事業広報」。まず「事業展開」は「伊賀学講座・伊賀四季遊フォトコンテスト・ホームページ・伊賀びと通信」、「広報効果的事業」は「伊賀まるごとガイドブック・日本旅のペンクラブ『旅の日会』・全体評価書作成」などであったと説明されています。「事業展開」では伊賀学講座だの近鉄芭蕉さんハイキングだのといったものは省略し、次の二項目のみを確認しておきましょう。
当然のことながら、例のホームページにだって税金がつかわれていたわけです。しかし一年で百万円か。ホームページの更新はたしか県職員が担当しておりましたから人件費はゼロのはずなのですが、みたいな細かいことはさておいて、お次は「広報効果的事業」の全容です。
「広報効果的事業」というのがそもそも曖昧なくくり方ではあり、こんなものがどうして広報効果的事業なのかと首を傾げたくなる事業が少なからずあることにはあっさり眼をつむり、そうか、名張市でやったフィナーレセレモニーだけで百三十万円、「旅の日の会」なんてこの決算書で初めて目にしたイベントに百四十万円、それでインターネット俳句コンテストが三十万円で事業期間は6月1日から12月21日まで、しかして投句数はと見てみればわずかに四百句ってか、こんなものどこが広報効果的事業だ、などといろいろ勘繰ったりいちゃもんつけたりしながら決算書を眺めるのは楽しいものなのですが…… えッ。『伊賀まるごとガイドブック』には四百万円近い税金が投じられていたのか。このガイドブックは23日の委員会でも配付され、A4判で六十三ページ、堂々たる全ページフルカラーの印刷物なのですが、四百万円近い予算が投じられていたとは知りませんでした。私はこのガイドブックとは浅からぬ縁があり、編集部(伊賀上野観光協会「いがぐり」編集部、というところがこのガイドブックの編集担当です)から見開き二ページのエッセイをご注文いただきましたのでさらさらさらさら漫才を仕上げて提出したのにボツになる、ということをなんと三回もくり返し、そのあげく最終的にボツということでおしまいとなりました。ですから本来であれば北泉優子さん、岡本栄さん、田畑彦右衛門さんのエッセイと並んで私の漫才がこの『伊賀人』というガイドブックに掲載されていたはずなのですが、とはいえ何十回何百回と書き直したところでボツになりつづけるのは当然の話であり、 「私はおととしからずっとこの事業の批判をつづけてるわけですから、二〇〇四伊賀びと委員会のあほのみなさんが発行人になってるガイドブックに何か書くとしたら事業に対する批判や揶揄が入ってくるのは当たり前のことです。それが私の立場なんです。もしも知らん顔して当たり障りのないこと書いて原稿料せしめるような真似したりした日には、事業批判のことで陰ながら私を支援してくれてる人にも申し開きができませんがな」 と編集部にはお伝えしておいたのですが、そうかあのガイドブックの予算は三百九十五万円だったのか、などと感心している場合ではありません。その下にある『協働の手引き』と『協働辞典』、これはいったい何なのでしょうか。『協働辞典』はやはり先日の委員会で配付され、A5判八十ページ一色刷りのどうということもない印刷物なのですが、『協働の手引き』というのは見たことも聞いたこともありません。委員会では「伊賀発 協働問題解説集」と銘打った『萬の川は海に集まる』という冊子も配られたのですが、これはA5判で八十八ページ、ただのコピーをホチキスで綴じただけのものでした。あるいはこれが『協働の手引き』と称するものであり、印刷製本が間に合わなくて委員会にはダミーが提出されたということなのかもしれませんが、本格的に印刷したとしても『協働辞典』と似たようなしろもののはずで、発行部数も多寡の知れたものでしょう。いずれにしても『協働の手引き』と『協働辞典』でしめて六百七十二万五千円なりというのはいささか不可解。 どうも不審な点が多いな、とお思いの方は三重県監査委員へお気軽に住民監査請求をどうぞ。 |
●3月27日(日) 毎度おなじみとなりました「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業決算報告、広報費の次は事業費となります。すべての事業費をチェックしてゆくのは大変な手間ですから、当初予算一千万円以上の事業だけ見てみましょう。 まず「共同(大規模)事業」とやらから。
「共同(大規模)事業」の「委員会等実施事業」というのは、二〇〇四伊賀びと委員会がみずから企画して実施した事業のことです。一般から公募したプランは「企画応募等事業」として記載されていますが、いずれも当初予算は一千万円以下(それにしても当初予算が一千万円とか二千万円とか、大雑把に過ぎるような気がいたしますが)。決算書には、「オープニング」は「委員会の独自企画の追加(こども広場、鬼だんじりの出演・出展など)による増」、「伊賀体験・夏」は「水の細道、南御堂事業等、木津川の流域で長期間事業を集中的に実施したことによる増」、「芭蕉さん月間」は「俳諧フュージョンと県域的・全国的世界発信事業を協働で実施したことによる減」、「フィナーレ」は「フィナーレへ集中投資したことによる増」との説明がなされています。意味不明の説明も見られますが、二〇〇四伊賀びと委員会の説明というのはだいたいにおいてこのようなものだとご理解ください。 それでは、「共同(大規模)事業」のうちでもとくに税金の無駄づかいとの呼び声が高かった「夢かけめぐる“水の細道”」たらいう事業を確認してみましょう。
じつは私はこれがいったいどんな事業であったのかをよく知らず、木津川の源流域である伊賀地域から川の流れを下って随所でカヌー教室を開催しながら大阪までたどりついただけの話なのであろうと理解していたのですが、3月23日の第五回事業推進委員会で配付された『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業公式記録集』を見てみると、やはりただそれだけの事業であったことが知られます。8月7日に開かれた「夢かけめぐる“水の細道”ゴールイベント」の記録を引いておきましょう。
このゴールイベントというのは、とにかく使用料がべらぼうであろう大阪市中央区の御堂会館を借りて開催し(もっと低廉な料金で使用できる会場もあるのですが、使用を申し込んだ時点では御堂会館しか空いていなかったと仄聞いたします)、入場者が二〇〇四伊賀びと委員会の関係者だけという情けなさだったと噂されている催しです。そんな催しも含めてこの「夢かけめぐる“水の細道”」事業には、どーんと千二百九十八万四千八百八十一円が投じられました。大丈夫かおい。 それにしてもこの『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業公式記録集』からは、明記されるべきふたつのデータが欠落しているように見受けられます。ひとつは予算、もうひとつは提案者。つまりこの「夢かけめぐる“水の細道”」たらいう事業には税金がいくら投じられ、そもそもこんな催しを考え出したのはどこのどなたであったのかといったことが明らかにされているべきであると私には思われる次第なのですが、事業関係者には公金をつかうというのがどういうことなのかまったく理解できていないのですから致し方ありません。大丈夫かおい。 |
●3月28日(月) さて昨日、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の全体報告会「二〇〇五蔵びらき その次シンポジウム」が伊賀市平野中川原の上野フレックスホテルで催されたはずなのですが、私はさすがにもうあほらしくなって参加しませんでした。どうしてのこのこ顔を出さなければならんのか。会場ではおそらく事業推進委員会同様に、閉鎖空間のなかで上っ面だけきれいごとで固めたべたべたした気色の悪い催事が進められたものと想像されます。 それに私は昨日、名張市内で催された「『新しい公』フォーラム2005」という催しの賑やかしを急遽依頼されておりましたので(急遽も急遽、おとといの夜ウイスキーを飲みながらテレビで秋山成勲 vs ジェロム・レ・バンナ戦を観戦しているところにシンポジウム主催団体の行政職員評価制度策定委員会というところから電話が入り、何が何やらわからぬままにとにかく出席しますからと返事して電話を切ったら秋山選手があっさりノックアウトされていたというくらい急な話でした)、フォーラムでぺらぺら喋ってそのあとお昼ご飯をご馳走になっていたらシンポジウムの開会時間などとっくに過ぎておりましたので、まあ日程的にもいささか無理があったということです。 それでは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業決算報告、本日は「共同(大規模)事業」のうち「芭蕉さん月間」を見てみます。
「芭蕉生誕360年 世界俳諧フュージョン2004」の記録を『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業公式記録集』から引いておきましょう。
「事業の主体が不鮮明だった」との批判が記されておりますが、この事業の主催者のみなさんからは私もいろいろと事業批判、組織批判、事務局批判をお聞かせいただきました。なんかひどかったみたいです。「実行委員会に決定権をもたせ」ろといったあたりに主催者側の怒りが読み取れます。ともあれこの俳諧フュージョンのおかげで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が芭蕉生誕三百六十年記念事業としての面目を保てたのは間違いのないところでしょう。事業費が五百八十五万円だったというのもおおきに安あがり。集客人数は二日で二千二百人だったそうです。 ではここで、ついでですから『伊賀まるごとガイドブック 伊賀人』のために執筆して三度目のボツを喰らった漫才から俳諧フュージョンがらみのネタを引いておきます。
こんな面白いネタがどうしてボツを喰らわなければならないのか。ボツになって当然だという気もいたしますが。 |
●3月29日(火) おかしい。やっぱりおかしい。何がおかしいのかと申しますとむろん「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業決算報告のことなのですが、この報告には明らかな矛盾が存在しています。先日もお伝えいたしましたとおり、「広報費」の「事業広報」の「広報効果的事業」にはこのように記載されていました。
ところが「事業費」の「しくみづくり事業」にはこのように記されています。
つまり『協働の手引き』ならびに『協働辞典』の作成という事業にかかった費用が、「広報費」の報告では六百七十二万五千円、「事業費」の報告では十二万九千百五十円となっているわけです。この報告書の記載ではそのように理解するしかありません。何をやっておるのか。こんないい加減な話はありません。いや、二〇〇四伊賀びと委員会のことですからどんないい加減なことがあっても不思議ではありませんし、こんなものは事務局の能力不足がもたらしたケアレスミスに過ぎないのでしょうが、それにしたってひどい話です。 もちろん3月23日の第五回事業推進委員会でこの決算報告はしゃんしゃん承認されましたし、しかもこの報告書では水谷元さんとかおっしゃる桑名市長と服部忠行さんとかおっしゃる菰野町長が監事として事業の会計収支を「適正なものと認めます」と太鼓判を捺していらっしゃる次第なのですが、こんな報告のどこが適正だというのでしょうか。いやいや、事業推進委員や監事はこの収支報告にきちんと眼を通したわけではないでしょう。少なくとも23日の委員会におきましては、提出された報告書はろくに審議もせずに承認されたというのが実態で、単なる形骸に過ぎぬ委員会ですからそれも当然ではあるのですが、こんな杜撰なことばかりでいいのか。ここはやっぱり住民監査請求のひとつもぶちかましてやらねばならんのではないか。 つづきましては「共同(大規模)事業」の「フィナーレ」に入ります。
よく見てみるとこれもずいぶんいい加減な報告です。二千三百万円もの税金をつかってこんな杜撰な報告はあるまいと私には思われるのですが、伊賀の蔵びらき事業名張市連絡会のみなさんはいかがお考えでしょうか。あ。何も考えていらっしゃいませんかそうですか。 |
●3月30日(水) 「共同(大規模)事業」の次には「市町村域事業」なるものがあります。なんか莫迦らしくなってきましたので、ごちゃごちゃいろいろ何かとさまざまに事業がありましたところ、ごく大雑把に行きましょう。
あとまだ伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村、青山町とつづくわけですが、上野市と名張市の決算報告を書き写しただけでやっとれませんな実際という気になってしまいました。報告では上の表のとおり「名張市企画応募事業」が二回も出てくるのですが、ふたつめの「名張市企画応募事業」はどう考えても「名張市市町村実施事業」の誤りでしょう。事務局の能力不足がもたらしたケアレスミスだと思われますが、またしてもじつにいい加減な報告ぶり。読者諸兄姉は私が些細なことに目くじらを立てているとお思いかもしれませんが、この決算報告のいい加減さには事業と組織のいい加減さがそのまま反映されていると見るべきでしょう。 しかしなんだかほんとにあほらしいなもう。 |
もう3月もおしまいです。いつまでもこんなことやってらんねえなと思いながらちょっとチェックしてみるだけであらためて事業そのもの組織そのもののいい加減さ杜撰さが浮き彫りにされてくる「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の決算報告ですが、さらに仔細に点検すればまだまだいくらでも襤褸が出てきそうな雲行き。やはり三重県監査委員に住民監査請求を提出するべきなのかもしれません。うーん。どうしようかな。 それはそれとして、すっかりあほらしくなりながらも決算報告に関する報告の最後に江戸川乱歩関連事業の収支決算をお知らせしておきます。きのう指摘したケアレスミスはこちらで訂することにいたします。「名張からくりのまちコンテスト」に関しては「共同(大規模)事業」の「フィナーレ」のうち事業費一千万円超の部でもお知らせいたしましたが、このコンテストは乱歩関連事業と位置づけられておりましたので再掲することになります。それにしてもやたら「一括」の多い大雑把な決算報告で、このコンテストにいくらかかったのかはてんでわかりません。伊賀の蔵びらき事業名張市連絡会のみなさんはいかがお考えでしょうか。あ。もう解散したんですかそうですか。
しかし私も偉そうなことはいっておれません。ここにも収支が報告されております『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』、私は伊賀の蔵びらき事業名張市連絡会ではありませんからいい加減な報告でことを済ませるつもりはなく、刊行事業の経過と収支を詳しくお知らせするつもりではいるのですが、実際にはその報告が遅れに遅れて本日に至っております。私も結構気を揉んではいるのですが相手の事情もあることではあり(相手というのは出版社のことで、これがまたすこぶる業務多忙な感じで連絡も滞りがちなのですが)、昨年5月に書簡集編集出版流通の業務委託を行って以来の経過報告と決算報告、みたいなものがいずれ届きましたら速やかにご報告申しあげる所存です。 |