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2005年4月中旬
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●4月11日(月) 勢いに乗って「乱歩文献データブック」を更新しようといたしましたところ、本日手がけるべきは平成6年、西暦で申せば1994年、つまり十一年前、すなわち日本全国津々浦々が江戸川乱歩生誕百年に沸き返った年のことですから乱歩文献の数も半端ではありません。 試みに雑誌の特集を列挙してみましょう。
関連書もまた少なからず。
しかーも、この年には東京創元社や角川書店や春陽堂書店や河出書房新社や筑摩書房から乱歩の文庫本が雨後の竹の子、没後の赤子、産後の肥立ちが悪かったとばかりばーんばん出ておりました。そしてここにいまさら指摘するまでもなく、それらのすべてには解説その他の乱歩文献が情け容赦のかけらもなしに収められております。こんなデータをだーれがまとめるのか。 さらにしかーも、たとえば「太陽」6月号の乱歩特集は1998年、平凡社が如才なくコロナ・ブックス『江戸川乱歩』に再編集して刊行しているわけなのですが、「乱歩文献データブック」では文献それぞれの初出以降の収録も跡づけてリファレンスの便に供しておりますから当然コロナ・ブックスのことも記載しなければなりません。 さらにさらにしかーも、「太陽」乱歩特集に掲載された関川夏央さんの「乱歩が愛した場所」は1999年の日本放送出版協会『昭和時代回想』に収録されてその際「乱歩が最も愛した場所」と改題されたうえ2002年にはそれが集英社文庫に入り、高橋克彦さんの「洞窟・迷宮」は1995年に中央公論社『三度目の正直 玉子魔人』、高山宏さんの「暗号」は1995年に自由国民社『ブック・カーニヴァル』、久世光彦さんの「洋館」は1995年に角川春樹事務所『悪い夢』、木下直之さんの「見世物趣味」は2002年に晶文社『世の途中から隠されていること──近代日本の記憶』、とそれぞれの著書に収められたということまでちゃんとちゃーんと押さえてゆく必要があります。名張市立図書館が天下に誇る『乱歩文献データブック』の刊行以降に出版された著書はあらためて調べる必要があるわけね。こんなデータをだーれがまとめるのか。 みたいな感じでなんだか茫然としてしまい、まあきょうのところは勘弁しておいてやろうかなと、勝手ながら「乱歩文献データブック」の更新は先送りしてしまいました。なんかお役所みたいです。 さるにても日本全国の乱歩ファンのみなさん。乱歩生誕百年の年にはあなたは何をしていらっしゃいましたか。私は上に掲載したふたつの表を作成しながら、こんな表をこまめに組んでる暇があるんだったらとっとと「乱歩文献データブック」を更新すればいいのにとの煩悶を抱きながらも、十一年前のことを思い出してしんみりとした懐旧に耽ってしまいました。ちなみに上の表に「*」で示したのは1994年にリアルタイムで購入した雑誌と書籍で、それ以外の「話の特集」だの「ガロ」だの「SRマンスリー」だの「地下室」だの大半は『乱歩文献データブック』の編纂過程で眼を血走らせて探し求めたものでしたっけ。 |
●4月12日(火) 相変わらず嬉しいメールが日々殺到しております。久方ぶりでご紹介申しあげますが、お金はあるんだ、いくらでも貢いでやるからといった文言を添えるのが最近の傾向でしょうか。けさ届いていた classic_letter2000@yahoo.co.jp の宮村さんのメールにも──
このように「父の遺産」が登場しております。そこまでいってくれるんなら一度連絡してみようかなと思わないでもありませんが、そんなこといってる場合ではありません。「乱歩文献データブック」の更新がきょうもできませんでした。1994年のページに取りかかってはみたのですが、なかなかおしまいになりません。 なんか毎日ぼやいてばっかりで申し訳ありません。ではまたあした。 |
●4月14日(木) 陽気のせいなのかどうなのか、といってもきのうの当地は花冷えという言葉がしみじみ実感される一日でしたが、このところ期日や約束をうっかり失念してしまうことがよくあります。おとといの火曜日には、三重県内で出ている「月刊 Kujira」というタウン誌が名張市立図書館へ取材に来てくれることになっていたのをすっかり忘れ果て、電話で呼び出されて呀ッ、と叫びながら大慌てで図書館へ馳せ参じました。取材記者の方を図書館乱歩コーナーから乱歩生誕地碑まで案内しつつ、 「単に生まれたというだけで、名張は乱歩とはほとんど縁がないんです。名張市がやってる乱歩関連事業かて、ろくに乱歩作品読んだこともない職員が……」 と例によって行政批判を手厳しく展開いたしましたところ、 「いやー、そうですよねー。生誕地碑が建ってるってだけですからねー」 と妙に得心してくれ、そこまではまあよかったのですが、よく聞いてみると今回の企画は伊賀地域のドライブコース案内みたいなことだそうで、そうなると都合はまことによろしくありません。乱歩生誕地碑の前までは自動車が進入することができませんし、近くに駐車場もありません。 「この近くに目印になるようなものはないでしょうか」 「ありません。全然ありません。だいたい初めて来たドライバーに名張のまちの地理がすぐ飲み込めるかどうか疑問ですし」 「ほんとここ、わかりにくいとこですからね」 「どこか適当なとこに駐車して、ぶらぶら歩きながらここまで来てもらうしかありません」 記者の方の顔に一瞬、名張を取材対象に選んだことを後悔するような表情がよぎったような気がしたのは、おそらく私の錯覚でしょう。にしても、こうして考えてみると名張はどうもドライブには向かない土地のようです。 しかしぶらぶら歩くにはもってこい、というわけでもありませんが、少なくともドライブよりは散策が似合うはずで、あれは先月の29日でしたか30日でしたか、これも三重県内で出ている「すばらしきみえ」という雑誌が取材に来てくれたのですが、こちらはまさしく名張のまちの散策ガイド、近鉄名張駅を基点とした散策コースを設定し、その歩行距離も割り出して載せるのだとのことでした。記者とカメラマンのお二人を案内して、名張市立図書館から清風亭、木屋正酒造、はなびし庵といったあたりを回った次第です。 清風亭でお昼を食べながら散策コースを考えたのですが、問題になったのが名張市立図書館の位置でした。散策ポイントはいずれも名張駅の西側にあるのですが、図書館だけは東側。初瀬街道を中心としたコースからぽつんと離れておりますし、しかも結構勾配のきつい坂を登らなければなりません。 「図書館はもともと名張駅の近くにあったんです。それをあんな山のうえに移転したのは名張市の失政のひとつです」 山のうえといったって小高い丘のてっぺんといった感じなのですが、ちゃんと平尾山という名がついておりますから一応は山のうえ。それから名張市の失政といったってもう二十年近く前、二代目市長の時代の話ですし、同じ時期には名張市役所も移転していますから図書館は地域の中心に設置すべしという鉄則を守ろうにも地域の中心そのものが移動してしまったわけなのですが、それでも現在地に図書館を移転したのは利口な選択ではなかったなと私には思われます。 さてその名張のまちの散策コースですが、どうも散漫な印象です。これといったテーマを設定することができません。地域の象徴となるようなものがないからです。名張市が私の言を容れて乱歩の生家を復元すれば話は別ですが、いやいや、話が別というよりこの提案はぜひ容れられるべきであろうと私は考えているのですが、「すばらしきみえ」取材スタッフにこのアイディアをお話ししたところ、 「面白いですね。散策の動線ができますし」 と大好評。まさしくそのとおりで、名張駅から本町の乱歩生家ならびに新町の市立図書館ミステリ分室へという動線の基軸ができます。つまりぶらぶら散策するにあたっての目的地ができるわけですからこれを実現しない手はあるまいがと私は思うのですが、名張市役所の人たちはどうお思いなのでしょうか。といったって、何か課題を与えられたらそれが実現不能である理由を列挙することから始めてしまうのがお役所の人たちなのですから、私としてもここでこれ以上のことは申しあげられない次第です。いったいどうなることじゃやら。 ちなみに、横溝正史が疎開していた岡山県吉備郡真備町には「金田一耕助ミステリー遊歩道」なるものが設定されているそうです。正史ファンはぜひどうぞ。ここにどうして真備町の名が出てくるのかと申しますと、真備町は今年8月に倉敷市と合併することになったそうで、現在『真備町閉町記念誌』の原稿を募集しています。私にも何か書けとご依頼をいただいたのですが、このところの陽気のせいかころっと忘れてしまっており、電話で催促を受けて呀ッ。呀ッ。呀ッ。締切はあす15日金曜とのことでした。 原稿募集の詳細は真備町オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。真備町にまったく関係のない方でも、正史ファンならぜひどうぞ。一般の締切は5月9日となっております。真備町なんて全然知らないという方も心配はご無用。私だって行ったことないんですから。 |
●4月15日(金) いやもう何がなんだかよくわかりません。わがことながら私の人生ってのは何がどう転ぶか見当もつきません。とりあえず判明しているところをお知らせしておきますと、私はこの春から三重県立名張高等学校の教壇に立つことになりました。いわゆる高校の先生、高校教師ってやつですか。いや正確にいえば教師ではなくて非常勤講師なのですが、とにかくそういった仕儀となり、しかしこの春というものはとっくにスタートしておりますから、初めての授業が18日、つまりどう考えても週明けの月曜、平たく申せばもうすぐであって、ところがこんな話が舞い込んできたのはどう思い起こしてもおとといの夜のことであり、なんですかもう自分の周囲で何が起きているんだかよくわからない状態です。 おとといの夜、ウィスキーを飲みながら巨人阪神戦をテレビ観戦していたときのことでした。知人から電話がかかってきました。今年度一年間、名張高校で教えてくれないかというのが用件でした。要するに自分の後釜を引き受けてくれという依頼です。事情はさっぱりわかりません。しかしながらお姉さんのご要望には委細かまわずお応えするのが私の信条(つまりその知人というのは女性だったわけですが)、ようがす合点だと引き受けてその翌日、つまりきのうのことですが、三重県立名張高校の門をくぐってまいりました。 学校で説明を受けて事情が判明しました。知人は去年から名張高校の非常勤講師を務めていて、今年もそのつもりでいたのですが、事前にその旨を申し出てあったにもかかわらずどこかで連絡に不備があり、今年度のカリキュラムを見てみると勤務できない曜日に教えることになっていた、金曜日しかあいてませんと伝えてあったのに月曜日に教えることになっていたという寸法です。で、誰か後釜はいないかと思案してみたらしいのですが、そんな都合のいい人間は金の草鞋で捜したって私以外にはいないでしょう。ですから運命の白羽が私に立てられたという次第です。 高校で教えるといっても私の場合は教員免許も必要なく、これすなわち地域社会の有為の人材が高校生相手にご機嫌をうかがう授業だとお思いいただければいいでしょう。教え子は男子九人、女子九人、計十八人。授業は月曜日の二限目(10:40─11:30)と三限目(11:40─12:30)。念のために訊いてみたのですが、お昼になっても弁当は出ないそうです。おととい夜の電話では25日からやってくれとのことだったのですが、きのう学校で聞いたところでは最初の授業は18日、とりあえず非常勤講師不在で授業を進めることにしていたとのことでしたから、いやそれはまずかろう、初っ端から講師不在では授業料払って来てくれてる生徒に申し訳が立つまい、と私は18日の月曜から教壇に立つことを決然と申し出ました。 きのうもらってきた前期(4月─9月)の日程表によれば、夏休みは別にして月に二回か三回学校に顔を出すだけでよく、4月は18日と25日、5月は9日と23日と30日…… 呀ッ。 呀ッ。呀ッ。 呀ッ。呀ッ。呀ッ。 5月23日はまずいではありませんか。私はこの日こんな文書で呼び出しくらっているのですから。 くっそー。たかが裁判所ごときが偉そうなこと抜かしおって。いつか締めあげてやる。しかしとにかく5月23日には津地方裁判所伊賀支部に足を運び、免責審尋とやらに立ち会わなければなりません。すまんなかわいい教え子諸君、5月23日はたぶん自主学習だ。先生は自己破産するのだよ。 ところで私が何を教えるのかと申しますと、畏れ多くも「マスコミ論」だそうです。三重県立名張高等学校のオフィシャルサイトで「科目選択について」というページを見てみると、ページのほぼ最下部、芸術メディア系列の三年次にたしかに「マスコミ論」があげられています。しかしマスコミ論ったってあなた、私はかわいい教え子たちに何を教えればいいのでしょうか。 |
●4月16日(土) 試みに「マスコミ論」という言葉を Google で検索してみますと、皇學館大学で教えていらっしゃるらしい川添裕さんの「マスコミュニケーション論(マスコミ論)」というページがトップで登場します。2005年度の講義内容を紹介するページみたいなのですが、一部引用してみましょう。
なんか難しそうです。日本と世界のマスコミ状況、体験的なマスコミ論、マスコミ報道をどう読むか。そこはかとなく頭が痛くなってきました。私が教えるのは大学生ではなくて高校生なんですからこんな難しそうなことは教えなくてもいいのですが、ていうか私は難しいことが嫌いだ。しかし難しかろうが易しかろうがあさってには授業が始まってしまうわけなのですから、ほんとに何をどうすればいいのやら。 こういった場合、何かを握らせてとりあえずその場をおさめるという手法があります。私はそれを採用することにし、二〇〇四伊賀びと委員会のあほのみなさんが発行した『伊賀まるごとガイドブック 伊賀人』をかわいい教え子たちに握らせてご機嫌をうかがうことにしました。当該ガイドブックの表紙をご覧ください。 このガイドブックを関係筋にお願いして教え子の数だけ、つまり十八部だけきのう拙宅まで届けてもらったのですが、こら二〇〇四伊賀びと委員会のあほのみなさん、おまえらこのガイドブックをどこに隠した。関係筋がわずか十八部を入手するのにえらく苦労したというではないか。おまえらしまいに締めあげるぞ。しかしよく考えてみたら二〇〇四伊賀びと委員会はもう解散してしまいましたからいまごろ叱り飛ばしたって詮方はないのですが、委員会のあほのみなさん個々それぞれはいまもおおむね伊賀地域にあほながら元気に棲息していらっしゃるはずなのですから(事務局のあほのみなさんは晴れて県庁にお帰りになったことでしょうが)、やはり叱り飛ばしておくべきではあるでしょう。こら莫迦。ばーか。なんかもう叱り飛ばすのもあほらしいぞ私は。 そんなことはどうだっていいとして、このガイドブックがマスコミ論とどんな関係を有しているというのか。手みやげは用意できても肝腎の授業の内容がさっばり見当もつかないのでは、授業料払って学校に来てくれてる生徒に申し開きができません。これから泥縄で考えることにいたします。 |
●4月17日(日) マスコミ論、といってしまうから茫漠たる印象になってしまうのかもしれません。いやそもそもマスコミという日本語自体がいささかおかしく、これが mass communication の略であるのなら大衆伝達、すなわち不特定多数の人間に情報を伝えることのはずなのですが、マスコミなる語は往々にして伝達媒体の意で使用されます。 そうか、それなら mass media 論をやればいいのか、と私は賢くも思い至りました。メディア論ならば体験的メディア論なんてものも含めていくらだってできるはずですし、それも mass のみならず mini をも対象にしてやれば、私のみならず生徒にとってもかなりとっつきやすいものになるのではないかしら。よし教材を用意しよう。 てなわけで、ミニメディアの一例として徳島県板野郡北島町の町立図書館・創世ホールが発行している「創世ホール通信・文化ジャーナル」を両面コピーで配付することにいたしました。『子不語の夢』をご紹介いただいた121号でどうだ。こんな感じとなっております。 これで『伊賀まるごとガイドブック 伊賀人』と「創世ホール通信・文化ジャーナル」、教材がふたつできました。 こうなったらどぶに捨てられてしまった税金を少しでも有効に活用いたすべく、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業そのものを生きた教材として、メディア論の視点からこの事業のここが駄目あそこが駄目みんな駄目みたいな話を進めることも可能でしょう。なにしろコミュニケーションがテーマなんですから、二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんは仲間内でしかコミュニケーションできないあほでした、と例のオフィシャルサイト掲示板を教材にしても面白い。 いやいや、いっそコミュニティシンク・タンク「評価みえ」とかいうNPOがまとめた「全体事業評価報告書」を俎上に載せましょうか。三億円の税金を投入して十五億円の経済効果がありましたなどとべらぼうなことを抜かしておったあの報告を授業でとりあげ、メディアによって伝えられた情報の真贋を見抜く訓練、いやまああの報告書のことを記事にした日刊紙伊賀版もありましたもののさすがに経済効果十五億円なんて報告はネグレクトされておりましたから、厳密に考えれば「メディアによって伝えられた情報」とは呼べないわけなのですが、とりあえずメディアに提供された情報であることはたしかなのですから、あの報告書を丁寧に読み込んで情報の虚偽を見破る訓練を試みてもいいでしょう。やれやれ。おかげさまでようやく「マスコミ論」の方向性が見えてきました。 ちなみに私が授業を進めるのは情報処理室という教室で、印象としては理科室です。つまり実験台のような大きな机がずらりと並んでいて、机のうえにはパソコンが六台設置されている。うち四台は生徒用、残る二台には先生が操作しているパソコンの画面がそのまま映し出されるのだそうで、世の中いろいろ便利になったものだと感心しながら教室内を見回しているうちにふと、理科室には白衣がよく似合う、という言葉が浮かんできました。こんな理科室のような教室で教鞭を執るのであれば、教師にはやはり白衣姿が相応しいのではあるまいか。理科室には白衣がよく似合う。富士に月見草がよく似合うのと同じくらいによく似合う。 ま、いつか機会があったら諸戸道雄先生のコスプレ姿で授業をやってみたいと思います。しかし初日からコスプレでは生徒がびっくりして引いてしまうことでしょうから、最初はやっぱ「ごくせん」ふうのジャージかな。 |
●4月18日(月) なんだか混乱しております。片づけるべき用事がいろいろあって「乱歩文献データブック」の更新からはまた遠ざかってしまい、江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して今秋刊行される『乱歩と名張』の編集作業は中断したまま、ほかにもやっつけなければならない原稿がほったらかしになっていたりして、なおかつきょうから先生です。 しかも現在ただいま、私の書斎は文字どおりひっくり返った状態になっております。床に積んである本や本棚の本を段ボール箱に詰めて別の部屋に移動する作業をぼちぼちと継続中なものですから、そのせいでよけいに落ち着かない感じになってしまうのかもしれません。その作業の一環として床に積みあげてあった光文社文庫版江戸川乱歩全集を整理してみたところ、第十九巻の『十字路』がなんと二冊も出てきました。発行は去年の9月。あの猛烈な残暑のせいで判断力が茹ってしまい、同じ本を二度にわたって購入するミスを犯してしまったのでしょう。 しかし、しかしこんなことではいかんのではないか。よし、と私は考えました。何がなんだかよくわからないけれど三重県立名張高等学校奉職記念キャンペーンで DTP ソフトをバージョンアップしてやれ。考えることに脈絡というものが存在していないみたいではありますが(判断力が昨夏以来本復していないのでしょうか)、とにかく思考はそのように展開しました。これが思考と呼べるものならばの話ですが。 つまり悪名高い QuarkXPress のことです。私はこんな莫迦ソフトにお金がかけられるかと思ってなかばは意地になり、3.3という旧いバージョンのまま使用しております。しかし私のパソコンの場合、QuarkXPress 3.3をつかうためにはパソコンの OS をいちいち切り替えなければなりませんから(詳しい説明は省きます)ちょっと面倒。それに Adobe 社の DTP ソフト InDesign で本格的な組版を行う必要のない場合は、InDesign よりも操作が軽快な QuarkXPress でレイアウトしたほうが能率的ではないかとも判断される次第です。汎用性あるいは普及率といった問題を勘案しても、いくら莫迦とはいえ QuarkXPress が必要であることは論を俟ちません。 どうしてまあ忙しいときに限ってこんな思案をしてしまうのか、もしかしたら莫迦なのか俺は、と自問自答しながら Quark 社のサイトを調べてみたところ、QuarkXPress の最新バージョンはすでにして6.5。現在の3.3から6.0にバージョンアップすればあとは6.5に無償でバージョンアップできるという訳のわからないキャンペーンが実施されているらしいこともあり、この際だから莫迦ソフトにもちっとはお金をかけてやることにいたしました。 最後に訃報一件。
もとより冥福を祈念するにやぶさかではありませんが、そろそろ自分が冥福を祈られてもちっともおかしくないわけか、という気もしてきますからいささか複雑。とはいえ、なんかごくあっさりと風が吹いたみたいにころっと逝去して、これはまたいかにも高田渡さんらしい生活の柄ならぬ人間の柄ではないかと思い返されます。合掌。 |
おかげさまで三重県立名張高等学校奉職一日目、無事に過ごすことができました。準備期間が圧倒的に少なく、一年間の授業内容もほぼ白紙のままでしたから、きのう生徒たちからこの「マスコミ論」という科目で何を学びどんな知識や技術を身につけたいのかを教えてもらって、なんとか前期のカリキュラムに目鼻をつけることができました。できましたと申しますか、これから急いで目鼻をつけ、来週の授業でそれを発表しなければなりません。そんなわけですからまたあした。 |