2005年5月下旬

●5月21日(土)

 私宛の郵便物は通常より遅れて到着することになっております。投函された郵便物は名張郵便局まで運ばれ、普通ならそのまま私の家に配達されるのですが、自己破産した人間宛の郵便物はなぜか、これは本当に「なぜか」という感じで、こうした措置にどんな意味や狙いがあるのかどうにもよくわからないのですが、郵便局からいったんは破産管財人のもとに送られて、管財人のチェックを経てから私のもとに転送されることになっているからです。私の管財人は三重県津市に事務所をもつ弁護士ですから、その事務所の名前と連絡先が印刷されたピンク色の封筒に入れられて、私宛の郵便物は通常よりやや遅れて私のもとに届けられます。

 弁護士事務所からきのう届いた封筒を開けると、天城一さんからの郵便が出てきました。先日書面で本格ミステリ大賞のお祝いを申しあげましたところ、その返礼のおたよりを頂戴したという寸法です。天城さんも受賞をたいへん喜んでいらっしゃるご様子で、私はほのぼのとあらためて天城さんの受賞を嬉しく感じました。なんてことを申しあげてしまいますと、『子不語の夢』でひとかたならぬお骨折りをいただいたスタッフのみなさんに合わせる顔がないような気もするのですが、これは嘘偽りのない実感。『子不語の夢』にはまだ日本推理作家協会賞が残っているのですから、それでなんとかご勘弁いただければと思います。天城さんも、『子不語の夢』の協会賞受賞は確実だろうから、今年はわれわれにとっていい年であると思うとおっしゃってくれてますし。

 みたいな感じで私信の内容を明らかにするのは慎むべきことなのですが、私はなにしろたかが自己破産したくらいのことで日本国憲法がこれを侵してはならないと規定している信書の秘密を手もなく侵されている人間なのですからもう大変、どうせやるなら郵便物のみならず宅配便のたぐいもみーんなチェックしてみやがればーか、この「ばーか」という言葉を誰に向かって発するべきなのか、それがわからないのがつらいところなのですが、とにかくどこの誰だか知らんが訳のわからんルールを決めやがってと日々まことに腹立たしい思いをいたしておりますので、そのあたりに免じてご寛恕をいただきたい。

 探偵小説の寿命が永いのは不思議なことだ、と天城さんは昔から思っていらっしゃったそうです。菊池寛と乱歩のそれぞれの初期短篇を比較するならば、発表当時おおきに人気を博した菊池作品はいま気軽に読むことができず、文壇的にほとんど評価されなかった乱歩作品はいまだに読み継がれている。当初は酷評された自分の作品が現代の読者に読まれているのも不思議なことだ。『子不語の夢』もまた探偵小説の不朽性を如実に示す一冊ではないか、といったようなことも書き添えていただいてあり、まことにありがたいおたよりであったと記しておく次第です。

 天城さんにはお祝いとして木屋正酒造謹製の大吟醸幻影城をお送りしておいたのですが、『天城一の密室犯罪学教程』はいうならば『幻影城』批判の書なのですから、下手するとアイロニカルな意味合いが生じてしまうのではないかしらとも危惧しておりましたところ、こちらも素直にお喜びいただけたようでよかったよかった。

 さて、乱歩生誕地の名張市では、探偵小説の不朽性などとは何のかかわりもないてんやわんやが演じられております。5月17日に催された乱歩蔵びらきの会の設立総会ならびに懇親会のお話なのですが、懇親会の席上、私には卒然として腑に落ちたことがありました。それは要するに、ああ、これが名張市の身の丈身の程ってやつなんだな、ということです。乱歩蔵ぴらきの会にはお役所の人たちも少なからず入会していますから、懇親会のメンバーはまさしく官民合同、したがいまして官のレベルと民のレベルの双方が手に取るようによくわかり、いやもちろん私は設立総会の挨拶で会員のみなさんに、じつに無教養でありきわめて不勉強であるという点であなた方は名張市役所職員とまったく同じレベルである、同断であると申しあげてはおいたのですが、実際にそのレベルのただなかに身を置いてみましたところ、これはこれでもういいのではないか、難しいことをいってやるのはなんか不憫だ、みたいな感じも抱かれてきた次第です。

 つまりこいつら、こいつらというのは名張市行政も含めてのことなのですが、こいつらは自分たちのレベルで乱歩を適当に利用できればそれで満足なのであろう。だからろくに乱歩作品を読んだことがないにもかかわらずここまで恥知らずに乱歩乱歩とぴーひゃら囀ることができるのであろう。しかし名張市のレベルというのはそもそもこんな程度なのである。俺さえいなければこいつらは、むろんごく低いものではあるけれどとにかく同じレベルで群れ集い、円満にべたべた仲良くいうならば名張市クオリティの乱歩関連事業を進めることができるのであろう。だからこいつらにはさぞや俺が目障りであるにちがいない。それならもう抜けてやるか。どうせこいつらと俺とは考え方が正反対。こいつらは自分のためにあるいは名張市のために乱歩を利用することしか考えておらず、公共性などとは完全に無縁な連中であるのだが、そして名張市役所のみならずお役所と名のつくところの連中が公共性からはるかに隔たった場所で仕事をしているというのが現代日本の嘆かわしい現状でもあるのだが、そこへ行くと俺は公共性という言葉を一身に体現したような人間なのであって、むろんそれは乱歩という限定を附したうえでの公共性ではあるのだが、ということは乱歩という限定を抜きにしても公共性というものを考慮に入れられる人間であるはずなのだが、とりあえずは乱歩のために名張市をどう利用できるか、名張市民の税金をけっして無駄づかいにはならぬよう意を用いつつ乱歩のためにどうつかえばいいのか、あるいは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で三億円もの税金がどぶに捨てられるというのであればそのうちのいくばくかでも乱歩のために利用できないものか、そんなことばかり考えてきたわけなのであるからこいつらとは水と油、倶に天を戴けるわけは初手からないのであるけれど、しかも俺は乱歩を名張のために利用するということ自体は否定しておらず、利用するにしてももう少し乱歩のことを理解しなければ駄目ではないかと主張しているのであり、しかし乱歩を名張市の自己宣伝に利用するという場合でもたとえば名張市立図書館における江戸川乱歩リファレンスプックの刊行のようなまっとうな事業こそが結果として最大の自己宣伝に結びつくのだというのが俺の主張であるのだが、こいつらはそもそも乱歩のことなんか知りもせず興味もないのだから江戸川乱歩リファレンスプックがどれだけ名張市の自己宣伝に役立ったのかということさえわかっておらんわけであり、ああたまらん。もうたまらん。実際たまらんなこんな連中。もういいから好きにしろ。乱歩作品も読まず乱歩という作家のことも知らないままでおまえら好きなように乱歩顕彰だか乱歩を核にした地域づくりだかをやってみろ。俺はもう匙を投げたぞ、と思っているところへ、

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 という声が聞こえてきましたので私は自分の耳を疑いました。


●5月24日(火)

 5月17日夜、乱歩蔵びらきの会設立総会のあとに開かれた懇親会の席上で、

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 という声が聞こえてきましたので私は自分の耳を疑いました。

 というところで伝言がストップしておりました。つづきを書いてアップロードしようとして果たせなかったのがおとといのこと、きのうの朝は時間がなく、あっというまに本日を迎えてしまいました。

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 という声にひきつづいたゆくたてを記すのが(というかもう記してあるのですが)本来ではありますが、それは延期して本日の伝言をお送りいたします。とはいえ本日の伝言がちゃんとアップロードできるかどうか。あまりの調子の悪さに頭に来た私は昨日、ホームページ作成ソフトのバージョンアップ版を発注したのですが、バージョンアップで事態が改善されるかどうかはもとより不明です。

 そんなことはともかく、私はきのうの朝から警察と裁判所を廻ってきました。なんか犯罪者になったような気分ですが、名張市蔵持町芝出の三重県警察名張警察署で更新された運転免許証を受け取り、伊賀市上野丸之内の津地方裁判所伊賀支部では自己破産に伴う関係者の集いに出頭してまいりました。出頭はしたのですが、自分の目の前で何が行われているのか、私にはまったくわかりませんでした。

 場所は一号法廷。私は法廷に入るのなんて初めての経験だったのですが、内部は裁判のニュースやドラマで目にするのとまったく同じで、後方には傍聴席が三列ほど、その前に低い仕切りを隔てて椅子が一列。正面を見てみれば、壇上には裁判官席、その手前に書記官席、さらに手前に証人席、向かって右側が被告席、左側が原告席といった寸法。で、裁判官と書記官が一人ずつ所定の席に着き、被告席には弁護士、原告席には管財人が同じく一人ずつ、合計四人が陣取って集いが始まったのですが、彼らが何を喋っているのか私にはさっぱりわかりませんでした。日本語であることは間違いないのですが、専門用語が多用されるうえ、彼らだけの了解事項が前提となっているものですから、意味は見事に酌み取れません。何かしら報告と承認めいたことが行われているらしいなということがかろうじて理解できるだけで、指名を受けて証人席に立ったときにも事情は変わらず、私には裁判官と弁護士と管財人とがぼそぼそ喋っているのを聞き流しているしかありません。すぐ前の書記官席できれいなお姉さん書記官が何やらメモしておりましたので、その聡明そうな白い額を眺めおろして無聊を慰めていた次第ですが、結局のところ何がどうなっているのかわからないまま、リーガルサスペンスめいた展開などまるでなく、隣組の会合みたいな雰囲気に終始して、私の法廷初出頭はあっけなく終わってしまいました。

 そして一夜明ければ5月24日。本日は第五十八回日本推理作家協会賞の選考委員会が午後3時から第一ホテル東京で行われる日となっております。結果発表がいつごろになるのかは不明ですが、この日のために名張人外境は特別速報態勢を敷き、選考結果が判明するや否や、アズスーンアズで関係者の方から掲示板「人外境だより」にその旨をご投稿いただくことになっております。

 乱歩蔵びらきの会にも速報を入れるべく、乱歩蔵びらき委員会スタッフのFさんにそれを予告するメールをお送りしたのですが、私が把握していたアドレスはすでに使用されていないらしく、メールがそのまま返されてきましたので、ああもう面倒だ、乱歩蔵びらきの会のみなさんにも「人外境だより」を通じてお知らせするということにしておきます。よろしくどうぞ。


●5月25日(水)

 おーら。やけ酒飲み過ぎて二日酔いだばーか。

 まず掲示板「人外境だより」から、もぐらもちさんの記念すべきご投稿を転載させていただきましょう。

もぐらもち   2005年 5月24日(火) 16時24分  [210.199.82.237]
http://homepage1.nifty.com/mole-uni/

本日、第58回日本推理作家協会賞選考会が第一ホテル東京にて行われましたが、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の日本推理作家協会賞受賞はなりませんでした。これまでご声援を賜りました皆様への感謝を込めまして、ここにご報告申し上げます。

 「落選」の二文字が目にしみます。つづきまして、岐阜新聞オフィシャルサイトに掲載された共同通信配信の記事から第五十八回日本推理作家協会賞受賞作を記録しておきます。

推理作家協会賞決まる 贈呈式は6月28日
 【長編および連作短編集部門】貴志祐介「硝子のハンマー」(角川書店)▽戸松淳矩「剣と薔薇の夏」(東京創元社)
 【短編部門】該当作なし
 【評論その他の部門】日高恒太朗「不時着」(新人物往来社)
岐阜新聞 岐阜辞典 2005/05/24/20:49

 日高恒太朗さんの『不時着』という著書のことを私はこの賞の候補作として初めて知ったのですが、いまだ目にしたことはありません。ネット上を検索して紹介や感想をざーっと読んでみた結果、太平洋戦争末期における特攻機の不時着をテーマにしたノンフィクションであるらしいことはわかったのですが、それがなぜ日本推理作家協会賞なのか、とんと見当もつきません。敢えて日本推理作家協会が授賞しなければならぬジャンルの著作であるのかどうか、私にははなはだ疑問に思われる次第です。と申しますか、日本推理作家協会はいったいどこに目をつけておるのか。何を考えておるのか。こんなことで天国の乱歩に申し開きができると思うておるのか。不忠不孝きわまれるここな不義者どもめが。

 さて昨日の私はと申しますと、おととい注文してあったホームページ作成ソフトのバージョンアップ版が到着しましたので、さっそくインストールして名張人外境を新バージョンで再構築してみたのですが、いまのところ操作は軽快、サーバーへの接続も快調みたいで喜んでおります。ほんとはもっと別のことで喜びたかったのですが、喜ばしいことがひとつもないよりはましというものでしょう(なんと卑屈な人生観)。だいたいが『子不語の夢』というのは考えてみればじつに不吉な書物であり、スタッフの一人は夜逃げするわ別の一人は自己破産するわ、ほかにも不幸に見舞われているスタッフがいないとも限らず、賞が貰えなかったくらいの不幸でいちいちおたおたしてられるかとは思うのですが、もしも受賞したら本日午前11時から名張市役所の記者クラブで乱歩蔵びらきの会代表の的場敏訓さんとともに記者会見する段取りまでしていた私としては、思わず頭を抱えたくなるような気がしないでもありません。

 ともあれ、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』でお世話になったり支援していただいたりしたみなさんには、この機会にあらためてお礼を申しあげます。第五十八回日本推理作家協会賞の受賞を逸したのはまことに残念なことですが、私にはまだ『江戸川乱歩著書目録』でゲスナー賞を受賞するという望みが残されておりますので、ひきつづきよろしくお願いいたします。

 おーら。二日酔いだばーか。日本推理作家協会のばーか。


●5月26日(木)

 いやー、快調快調、と思っていたらそうでもありませんでした。この伝言板の左側に「reference」とか書いてある上から四行、リンクが莫迦になっております。「Rampo Up-To-Date」とその下はリンク先へそのままジャンプできるのですが、上四行はそうではなく、カーソルを合わせると文字の右側に複数のリンク先が表示されるのが本来のありようであるにもかかわらず、ホームページ作成ソフトの新バージョンに切り替えたときそのシステムに何らかの不備が生じてしまったみたいです。むろんとっとと手直しをすればいいのですけれど、この仕組みをどのようにして設定したのか、私にはまったく思い出せなくなっております。かなり面倒な作業だったという記憶が残っているばかりです。いやー、困った困った。

 さて、第五十八回日本推理作家協会賞の発表から二夜が明け、妻二夜あらず二夜の天の川、浮き世の莫迦は起きて働け、とばかりきのう本屋さんに馳せ参じて日高恒太朗さんの『不時着』を探してみたのですが、残念ながら見当たりませんでした。考えてみれば私は今年の本格ミステリ大賞と日本推理作家協会賞、受賞作のうち既読作品は『天城一の密室犯罪学教程』だけだったというていたらくではあり、いやいや、候補作全体を見回しても、『子不語の夢』以外には『紅楼夢の殺人』『探偵小説と日本近代』『ゴシックハート』の三冊を読んだのみで、これでは何もいう資格はあるまいてと思わないでもないのですが、そんなこと気にせず好きなことほざいてみろとお思いの諸兄姉もいらっしゃることでしょうからほざいてしまいますと、今回の評論その他の部門の選考はいささかナイーブに過ぎたのではありますまいか。

 いや、受賞作を読んでいないのですからこんなふうに決めつけてしまうのは明らかによろしくありません。いやまいったな。ただまあ日本推理作家協会賞というこの賞は、協会の前身である探偵作家クラブの昔にその淵源を尋ねてみるならば、そもそもは探偵文壇という閉鎖的な場における大尽遊びにさも似たもので、その意味できわめてナイーブなものであったのかもしれません。いやいや、こんなふうに決めつけてしまってはほんとによろしくありません。しかしいまや文壇と名のつく世界は存在せず、それでもミステリ文壇なるものはかろうじて存在しているのかもしれませんが、当方そういった事情に明るくありませんので軽く流して先に進みますと、文壇が消滅しジャンルという意識が稀薄になってしまった現在、ミステリ関係者が所属する文壇めいた場の内部事情や人間関係や政治的背景などはどうでもいいのですが(そのどうでもいいことによって左右されてしまうのが賞というものなのかもしれませんが)、探偵小説というジャンルそのものに関してもっと自覚的戦略的な選考が行われてもよかったのではないか、少なくとも『子不語の夢』一冊を読むだけで、不木乱歩が探偵小説なるものに関してぴりぴりするほど自覚的であり戦略的であったということはとくと了解されようものを、と私は思います。

 もちろん、作者自身が探偵小説という様式をまったく念頭に置いていない作品がここにあったとして、作者が自覚していなかった探偵小説的企図を見抜いてその作品を評価するのも評者側に立つ人間の大事な役目であることは論を俟ちません。それこそがジャンルに関して自覚的戦略的な態度であると主張することも充分可能です。そんなことは重々承知しておるにもかかわらず、それでもなんか選考が変、とぼやかずにはいられず、変といえば『天城一の密室犯罪学教程』や『紅楼夢の殺人』が候補作に選ばれなかったのも変ではないか、と八つ当たり気味に考えてしまう私はこれからいったいどうすればいいのでしょうか。

 きょう一日、努めて冷静にじっくり考慮してみたいと思います。


●5月27日(金)

 いや変だ、とにかく変だ、とっても変だ、と寸暇を惜しんで首をひねっておりましたところ、ある方から世の中、ヘンなことばかりですねというメールを頂戴してしまいました。まったく変だと思います。

 変といえば、きのう変な手紙が届きました。差出人は弁護士事務所で、そのこと自体は変でも何でもないのですが、送られてきたのは免責の決定が出たという通知でした。免責というのは文字どおり責任を免れることで、自己破産の場合にはまず裁判所にこの人間には借金を返済できないということを認めてもらって破産宣告を受け、ついでこの人間は借金を払わなくてもいいという免責決定を受けてすべてはめでたくチャラになるという寸法なのですが、こんなあっけないことでいいのかほんとに。借金踏み倒した人間がこんな簡単に責任を免れてしまっていいのか実際。私の口から申しあげるのもあれなんですが、とにかくなんだか変な感じです。

 で、同封されていた文書がこれ。

 さて肝腎の借金なのですが、債権者別の負債額とその合計額をプリントした書類があったはずなのですが、どこに行ったのか見当たりません。したがいまして正式な金額をここに示すことはできないのですが、当初は一億五千万円くらいだと知らされていた負債総額は、結局のところ三億三千万円ほどであったかと記憶しております。三億三千万あればひとりでもう一度「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を展開することだって可能なのですが、そんな真似は絶対にしたくありません。ていうかできませんし。

 しかしそれにいたしましても、自己破産を記念してどさくさまぎれに進める手筈だった私の書斎のリフォームさえまだ終わっておらず、第二期工事はようよう来月初旬に実施の見込みであると申しますのに、これほどあっけなく免責になっていいものかどうか。なんかひとりだけぽつんと置き去りにされたような気分です。世の中どっかおかしいのではないか。日本推理作家協会賞も裁判所も、むろん名張市役所も名張市民もどこかおかしく、なかでもおおきに変なのは、

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 というプランであることは申すまでもありません。

 といった次第で、日本推理作家協会賞の話題でしばらく中断しておりましたが、あすはまた名張市のおかしな話に戻ることにいたします。


●5月29日(日)

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 というプランの話がなかなか進みません。やはりホームページ作成ソフトの、あるいはパソコンそのものの調子がよくないらしく、きのうは「乱歩文献データブック」を更新していたところ操作が異様に重たくなってしまいました。テーブルひとつコピー&ペーストするのに煙草を半分ほど灰にするくらいの時間が必要となり、あげくの果ては虹色グルグルが永遠につづきそうになって(と書いても Mac ユーザーの方にしかおわかりいただけないでしょうが、とにかく制御不能の状態になって)、更新を断念するに至りました。

 きょうは更新できているはずなのですが、これはサーバー上のデータをすべてダウンロードしてサイト全体を新たに構築し直したからであって、更新のたびにいちいちこんな面倒なことをやってるわけにはまいりません。窮余の一策としてパソコンを新しくしてみるかと考えぬでもないのですが、Mac は一か月ほど前に新しい OS をリリースしており、手持ちのソフトがこの新 OS にうまく対応してくれるのかどうか、ひたすら懸念されるのが困ったものです。

 「乱歩文献データブック」は本日の更新分でいよいよ、と申しますか遅ればせながら、と申しますか遅れようが遅れまいが大きなお世話だと申しますか、いずれにせよ名張市立図書館発行の刊本がカバーしていた大正12年から平成7年までをすべて掲載し終えたことになります。本来であれば感慨ひとしおであろうところ、上記のごとき次第でそんな余裕はとてもありません。

 『乱歩文献データブック』といえば、「週刊読書人」の連載コラム「赤耀館読書漫録」を一巻に編んだ山下武さんの新刊『人の読まない本を読む』(本の友社)に、1997年6月27日付の「『乱歩文献データブック』──資料の探索にも欠かせないもの」が収録されております。一部を引きましょう。

 大正十二年から平成七年までの間に発表された江戸川乱歩研究・参考文献データをまとめた『乱歩文献データブック』(名張市立図書館)の寄贈を受けた。二百九十頁、ケース付、ハードカバーの立派な造本である。

 今回のデータブックから洩れた文献や新資料は『乱歩文献データブック』の補遺として小冊子に収録し、以後毎年三月に発行する予定とか。巻末の奥付に「江戸川乱歩リファレンスブック1」とあるのはその意味だろう。

 そういえばこんなことを考えていたっけな、と思い出しました。以下回想ですが、『乱歩文献データブック』をお送りしたところ、山下さんから礼状を頂戴し、『新青年をめぐる作家たち』(筑摩書房)という新刊のことを教えていただきました。もちろんお教えいただくまでもなく購入していたのですが、この本は1996年の刊行、つまり『乱歩文献データブック』の対象外でしたから、きわめて律儀な人間である私はおそらく「今回のデータブックから洩れた文献や新資料は『乱歩文献データブック』の補遺として小冊子に収録し、以後毎年三月に発行する予定」であり、『新青年をめぐる作家たち』のデータもそこに記載いたしますみたいなことを山下さんへの返信に記したのでしょう。

 のでしょう、と書くのも無責任な話なのですが、そうしたフォローは当然必要であり、私がそれを考えていなかったはずはありません。ただしそのあと、小冊子の発行よりはインターネットの活用を図るべきだろうなと考え直して、名張市教育委員会にそのための予算を要求いたしましたところ莫迦があっさりとこれを蹴りやがりましたのでそーかよそーかよ、もー頼まねーよばーかとこの名張人外境なる個人サイトを勇躍開設し、呀ッ、サイトファイルがッ、呀ッ、虹色グルグルがッ、と日夜の苦闘を重ねて今日に至ったという寸法です。

 「洩れた文献や新資料」と申しますと、『乱歩文献データブック』が出た直後、同書をお買い求めいただいた方から札幌に版元のある「credo」という雑誌をお送りいただきました。乱歩の小特集を組んだ第四号です。この雑誌のことは完全に見落としておりましたので、本日の更新分でここにようやくその不備を補うことを得た次第であり、本来であれば感慨ひとしおであろうところ、何度も申しますがそんな余裕はとてもありません。

 『人の読まない本を読む』の話題に戻りますと、こんなこともお書きいただいてあります。

 乱歩は明治二十七年十月二十一日、三重県名張市(当時は名張郡名張町)に誕生してから百年あまりの歳月が流れたが、名張市立図書館では昭和四十四年七月の開館前後から鋭意、乱歩の資料収集に努力してきた結果が、このたび一冊のデータブックにまとめられたわけで、今後なお一層の充実を期待してやまない。

 まことにありがたいお言葉です。そしてさらにはこんなことも。

 一種のナルシストで、およそ自分に関する情報なら新聞の切抜であれ、映画・芝居のチラシであれ、最大限コレクションを怠らなかった乱歩のことを思えば、故人もデータブックの発行を誰より喜んでいるにちがいない。

 つまり私が申しあげたいのは、生まれ故郷に見世物小屋ができたからって泉下の乱歩が喜ぶとでも思ってるのか莫迦、ということです。こんなことまでいちいち指摘してやらねばならんのかまったく。とは申しますものの、

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 というこのプランの話をつづけられるのかどうか、それは上記のような次第でソフトまかせのパソコンまかせ、ままよあしたの風まかせ、といった塩梅なのであるということをここにお知らせしておきたいと思います。


●5月30日(月)

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 というプランの話はそれとして、憑き物が落ちたようにとはこのことでしょうか(かなり違うのではないかとも危惧されますが)、自己破産の免責が認められたとたん、私宛の郵便物が管財人経由ではなく拙宅に直接届けられるようになりました。その第一便がまた時宜を心得たかのようにおめでたく、名張市内にお住まいの方からの封書だったのですが、慶事用の封筒に封緘シールは菊の紋様、謹んで開封してみたところ春の叙勲のお知らせでした。

 5月6日に勲記勲章の伝達があり、25日には天皇陛下に拝謁の栄を賜り感激の極み、との旨わざわざお知らせいただいた次第なのですが、まことにもっておめでたい話です。禍福はあざなえる縄のごとしとはよくいったもので(ちょっと違うような気もしますが)、5月23日に私の法廷デビューがあって(禍)その日のうちに免責が認定され(福)、翌24日には日本推理作家協会賞の選考で『子不語の夢』関係各位の当てとふんどしが向こうからはずれ(禍)、25日には知人が天皇に面会(福)、26日には新たにインストールしたホームページ作成ソフト最新バージョンのちょっとした不具合が発覚(禍)、不具合はそれ以降も改善されず(禍禍)むしろ拡大の一途(禍禍禍)、何が何やら訳がわからないまま(禍禍禍禍)本日に至ってしまいました(禍禍禍禍禍)。なんだこのところずーっと禍ではないか。禍ばかりあざなってどうするか。呵々。

 現在のところホームページ作成ソフトは新バージョンよりむしろ旧バージョンのほうが安定しており、げんにいまも旧バージョンを使用しているわけなのですが、いつ不具合が出て虹色グルグルが始まるかとこわごわおそるおそるおっかなびっくり更新作業を進めている状態。こんなことでは人間の器が小さくなってしまうからやはりパソコンを新しくするかと調べてみたところ、Apple の新しい OS は4月29日にリリースされたのですが、いろいろ不具合があったためそれを解消したアップデーターが早くも5月16日に公開されております。本に喩えれば初版発売から二週間あまりで誤植を訂正した改訂版が出されたみたいなことであり、『子不語の夢』かてめーはよー。しかもネット上ではさらなるアップデート版が四十五日以内に登場するとの噂も飛び交っているようで、いったいどうすればいいのやらとじつに悩ましいきのうきょう、このままでは私の人間の器がますます小さくなってしまうこと請け合いです。

 ここで脈絡もなく乱歩ファンの方にお知らせですが、光文社文庫版江戸川乱歩全集は第三十巻『わが夢と真実』の刊行が一か月遅れとなり、今月は配本なしということになったみたいです。乱歩ファンと名のつく方ならとっくにお気づきのことでしょうが、ふと思いつきましたのでお伝えしておく次第です。

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 というプランに関しましては、あまりにもあほらしいからもういいかとも思われるのですが、やはり申しあげるべきことは申しあげておかなければならないのでしょうな。


●5月31日(火)

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 というプランについてしつこく記すことにもいい加減うんざりしてきた次第ですが、毎日このようにアナウンスするだけでもそれなりの効果はあったはずで、こんな莫迦なプランを持ち出す名張市民はすでにして地を掃ったものと判断しておくことにいたします。持ち出してくればまた叩いてさしあげるだけの話なのですが。

 とにかく5月17日に設立された乱歩蔵びらきの会には、あれ? 何? ついこのあいだまで名張のまちでからくりがどうこうというプロジェクトにご尽力いただいていた方もご入会ですか。いやご苦労さん。それにしても、きのうはからくり、きょうは乱歩、あっちいってちょんちょん、こっちきてちょん。っておつかいありさんかてめーはよー。いやまあ誰が入会したっていいのであろうけれど、ろくに乱歩作品を読みもせずにからくりがどうのこうのというバッタモン企画のノリで見世物小屋つくられても困ってしまうわけです。乱歩作品どころかわが畢生の提言「僕のパブリックコメント」もお読みいただいてはいないのでしょうから、ちょこっと引いておきましょう。

「次行ってもらいましょか」
「《常設展示するほか、市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテスト》」
「ピーッ。ピーッ。ピーッ」
「書いてあるもんしゃあないがな」
「いやしくも歴史資料館がからくりコンテストみたいなバッタモンをまともに相手にしとってはいかんがな」
「あれバッタモンやったんですか」
「空き家とか空き店舗をコンテストに活用することは結構なんですけどね」
「ほな何があきませんねん」
「からくりゆうのは名張のまちの歴史にはなんの関係もないもんですから」
「けど乱歩とか観阿弥とか名張ゆかりの人物から発想してからくりコンテストを企画したのと違うんですか」
「ろくに乱歩も観阿弥も知らん連中が無理やりひねり出した思いつきですがな」
「歴史資料館たるものがそんな無根拠な思いつきを相手にするべきではないと」
「まあそうゆうことですね。はい次」

 「僕のパブリックコメント」をお読みいただければおわかりのはずですが、私はからくりコンテストを全面的に否定しているわけではありません。からくりなるものを地域の歴史にこじつけるからバッタモンになってしまい、それを歴史資料館が取り扱おうとするから問題が生じてこざるを得ない次第なのですが、乱歩だの観阿弥だのとことごとしい牽強付会なんかまったく必要ないではないか、名張のまちを舞台にしてアイディアを競うコンテストというだけで全然大丈夫ではないか。私はそのように申しあげているわけです。

 そもそも私だとて昨秋の名張からくりのまちコンテストには間接的に参加しており、私が台本を書いた影絵作品が堂々第二位に食い込むという栄誉に浴しております。これがまた審査員があと一人だけ影絵作品に投票してくれていたら優勝していたという接戦で、審査員というのは野呂昭彦三重県知事をはじめとしたお歴々でしたから、チラシのクレジットに入っている私の名前を見ただけで条件反射めいた拒否反応を起こしてしまい、おかげで票が伸びなかったという事情もあったのかもしれませんが、とにかく昨秋の好評を受けて私がふたたび筆を執った第二弾「はなびし庵歴史影絵〜名張川〜早春から初夏へ」が5月28日と29日、名張市中町の伊賀まちかど博物館「はなびし庵」で上演され、かなりの盛況だったとのことですからまずはめでたしめでたし。

 それについさっき気づいたのですが、この伝言板の左肩にある「reference」以下四行、手直しなんか何ひとつしておりませんのにいつの間にか旧に復し、リンクが有効になっております。なんだか知らんがめでたしめでたし。

 さて、

 「細川邸の裏をきれいにして見世物小屋つくったらどうや」

 などという莫迦なプランを葬り去ったそのあとは(いやまあ、17日夜に開かれた乱歩蔵びらきの会懇親会の席上でもとりあえず葬り去りはしたわけですが)、やはり「名張まちなか再生プラン」をどうするか、ほかのことはともかくとしてもプランに盛られた歴史資料館構想をどうするか、どのようにして葬り去ってさしあげればいいのか、それが当面の課題となるわけですが、はてさて頭の痛いことじゃ。