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2005年6月下旬
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●6月21日(火) 天城一さんのおっしゃる「不人」がジョージ・オーウェルのいう「unperson」である件についてですが、その根拠は天城さんがお書きになった論文に見出すことができます。本業の数学の先生として、つまり大阪教育大学の中村正弘名誉教授として2001年に執筆された論攷で、同大学数学教室の「数学教育研究」三十一号に掲載された「自由と和算家」がそれ。静岡県菊川町立加茂小学校の鈴木武雄さんとの共同執筆によるものですが、私はこの論文の抜き刷りを頂戴しておりましたので、そこに「不人」という言葉が記されていたことを天啓のごとくに思い出し、そうか、オーウェルか、unperson か、よーし、 とばかりに書棚を探しても「一九八四年」は見つかりませんでしたけれど「自由と和算家」の抜き刷りはなんとか発見できましたから、それを読み返して「不人=unperson」説を確信するに至った次第です。 数学の論文と申しましても、そこには難しい数式などいっさい出てきません。ところで数式といえば、『島崎警部のアリバイ事件簿』に収められた「方程式」というごく短い作品には数式が登場していて、何と申しますか読み終わった直後は呆気にとられ、そのあと大笑いしたくなるような読後感を抱かされます。読者はここにトリック偏重主義への痛烈なサタイアを読み取るべきなのでしょうか。つづいて収録された「失われたアリバイ」もごく短くて紙背に作者の哄笑が聞こえる体の作品なのですが、日下三蔵さんの「編者解題」に記された改稿由来にも痛快な愉快さを覚えます。興味がおありの方はぜひお買い求めください。本体三千円、版元は日本評論社。 閑話休題。数式の出てこない数学論文「自由と和算家」に登場する和算家というのは関孝和のことで、ネット上で知られるところは大辞泉、大辞林、Wikipedia、あとはじっくり Google でどうぞ。ともあれこの関孝和が当時のタブーに触れる存在であり、それは彼が処刑されたキリシタンの子であったからではないかとするのがこの論文の眼目です。結びを引いておきましょう。なお、共同執筆の体裁ながら、この論文がまぎれもない天城さんの文体で記されていることは誰の目にも明らかであろうと思われます。
論文の本旨である「自由」という言葉に関する論述を省きましたからややわかりづらい点もあるのですが、天城さんがおっしゃる「不人」の意はここに尽くされているはずです。で、「不人」と題した新作が構想されながら「完成が体力的に無理に」なったというのはじつに残念なことだと私には思われるわけです。口述筆記は無理なのか、などと申しあげるのは不人ならぬ不仁の極みではありましょうけれど。 |
●6月22日(水) まずお知らせを一件。 三重県内を中心に百三か店、二十八出張所、二駐在員事務所を展開する百五銀行(本店=三重県津市岩田)の企画グループ広報チームが発行する「すばらしきみえ」の6月号が出ました。これです。 連載「みえを歩こう」では名張まちなか再生プランでおなじみの名張市旧市街をおとりあげいただき、距離約四・五キロ、所要時間約三時間三十分の散策コースをご紹介いただいております。同誌のオフィシャルサイトでは6月号の特集「ミュージアムを楽しむ」をご覧いただけます。特集に乱歩ゆかりの「鳥羽みなとまち文学館」のページがあることもお知らせしておきましょう。 この雑誌は無代誌で、たぶん百五銀行の本店支店あたりで配付しているのではないでしょうか。6月号の「みえを歩こう」は名張旧町地区散策の恰好のガイドとなっておりますので、ご入用の方は百五銀行へどうぞ。そんな田舎の銀行までとても足を運べないとおっしゃる方は、このページの本店あたりに電話でお問い合わせいただければと思います。いずれ社会に害を及ぼし人心に倫理の麻痺をもたらしてきた悪徳企業が罪滅ぼしあるいは隠れ蓑として発行している雑誌なんですから、ええもう好きなだけただで分捕ってやっていただければと思います。ちなみに私など何千万円でしたかあるいは一億円を突破しておりましたか、とにかくこの百五銀行には一時結構な借金があったのですが、自己破産してみんなきれいに踏み倒してやったのさ。ざまーみろばーか。 さてお話は変わりまして、私は結局オーウェルの「一九八四年」を所蔵していないようだということが判明しました。正確にいえば早川書房の世界SF全集第十巻『ハックスリィ/オーウェル』なわけなのですが、たしかにあったはずなのにどこにもありません。よくあることですからあまり気にしないことにして、何はともあれ一般には存在を無視された人、過去の人、とくに失脚した政治家を意味する「unperson」がオーウェルの「一九八四年」を経由して天城一さんの「自由と和算家」では「不人」と訳され「公式には存在しない人間」「存在してはならない人間」との意味を与えられているのですから、天城さんが「不人」というタイトルの小説をお書きになるのであればそのモチーフはすでにして明らか、それを作者がどのようなトリックに仕上げるのかをぜひ見てみたいと思うのが人情というものであって、私は思わず天城さんに宛ててぜひ「不人」を書いてくださいと記した手紙をお送りしてしまったのですが、もしかしたら余計なことをしたのかなという気がしないでもありません。 それにしても、公式には存在しない人間、存在してはならない人間、そんなものはじつはごろごろしているのかもしれません。6月15日付伝言でご紹介した片山善博鳥取県知事の談話では「問題のある職員を納税者から見えなくするように遠くの出先機関に配置したり、各職場が押しつけ合ったりしてきた事実」が指摘されておりましたが、問題のある職員を納税者の目から遠ざけるのはまさにひとりの職員を unperson する行為であるといえるでしょう。いやいや、よく考えてみたら俺こそが完全な unperson ではないか、というお話はまたあした。 |
●6月24日(金) きのうは伝言をお休みしてしまいました。朝、頭の中がすこぶるぼーっとしていたせいです。けさもぼーっとはしているのですが、きのうほどではありません。 さて、unperson ならお役所にだって存在してるし呀ッ、もしかしたらかくいう俺って結構 unperson かも、という話題に入るわけなのですが、そうこう申しているうちに天城一さんからおたよりを頂戴してしまいました。私が『島崎警部のアリバイ事件簿』のお礼に「不人」関連のよしなしごとを書き添えた書状を投函したのはたしか20日月曜日のことで、その返信が昨日到着したというわけです。 礼状を書いた時点では巻末の「自作解説」と、収録作品のなかでは「われらのローレライ」を読んだだけでしたので、作品の感想としてはこの戯曲形式の作品のそれのみを記すほかなかったのですが、 と書いてから私は思うのですが、「戯曲形式の作品」というのはあるいは変な日本語でしょうか。単に「戯曲」と書いておけばそれでいいはずなのですが、天城作品に限っていえばむしろ「戯曲形式の作品」とするのがふさわしい気がするから不思議なものです。先日お知らせした「自由と和算家」も「論文形式の作品」といってよろしく、これは要するに天城作品が、 といささかの考察を記そうかと思ったのですが、頭のなかが少しぼーっとしているせいで難しいことは考えられそうにありません。不覚にもまたあしたということにしてください。 |
●6月25日(土) 本日は新刊のお知らせから。 吉川弘文館の「街道の日本史」第三十四巻『奈良と伊勢街道』が6月28日に発売されます。きのう版元からチラシが届き、せいぜいPRしてくれんかねとのことでしたので取り急ぎご案内申しあげる次第です。チラシのA面B面あわせてどうぞ。ちなみに、よほどの間抜けでいらっしゃらないかぎり先刻お気づきでしょうけど、この伝言板の画像はクリックすると拡大画像が飛び出す仕掛けとなっております。 全国主要書店の店頭に並びますので、奈良や伊勢街道に興味がおありの方はぜひお買い求めください。気になるお値段は税込み二千七百三十円。現物が届いたらまたあらためて話題にすることにいたします。 さて、何の話題で浮かれていたのかがよくわからなくなっているのですが、要するに unperson です。天城一さんから頂戴したおたよりによれば、「不人」はまさしくオーウェルの「一九八四年」における「unperson」のことで、狂人が不人として扱われ裁判を受ける権利を奪われてしまう、というのが書かれざる新作「不人」のプロットであるようです。人為的に人を狂乱させ狂人に仕立てあげるモチーフは「われらのローレライ」に見えるもので、などと書くのはいわゆるネタバレか。いやそれ以前に私信の内容をこんなところで明らかにしてしまっていいのかしらとも思われてきましたので、軽く流して次の話題へ。 次の話題は何かと申しますと、かく申す私もまたひとりの unperson、すなわち公式には存在していない人間なのではないかしらと思い当たった件についてなのですが、その証拠をひとつだけ指摘しておくとするならば、名張市が実施している「出前トーク」という事業がふさわしかろうと思われます。詳細は名張市のオフィシャルサイトに掲載された「出前トーク」のページでどうぞ。要するに「市が重点的に取り組む事業や市政の課題について、テーマを選んで“ご注文”いただき、市の担当の職員が直接地域に出向いてお話する」事業のことで、「テーマ一覧」のページには七分野八十四件のテーマが掲げられているのですが、「教育・文化・スポーツ」という分野のテーマはこうなっております。
明察神のごとき読者諸兄姉がすでに賢くもお察しのとおり、ここには「江戸川乱歩のはなし」というテーマが存在していてしかるべきではないかと私は考えます。美旗古墳群があって名張藤堂家邸があって夏見廃寺があってと来たなれば、つづいて江戸川乱歩が登場してくるのはごくごく当然の流れというものでしょうし、そういえばここには観阿弥も見当たりません。ただまあ観阿弥がほんとに名張で創座したのかどうか、これは学界ではおおきに疑問とされており、それに名張市には観阿弥の専門職員というのは存在しませんから観阿弥はスルーということにしておくとしても、乱歩に関しては専門の嘱託職員たる私が名張市民から月々八万円手取り七万六千円のお手当をいただいてお仕事に従事し、わずかこれっぱかりの手当でここまで赫々たる成果をあげられる人間がいたら連れてきてみろこの莫迦と江湖の噂なわけなんですから、名張市がたとえば「出前トーク」なんてことをやるのであれば乱歩の看板も掲げてくれないことには私は名張市民に対して申し開きができぬではないかと胸を痛めないわけでもないのですが、ここいらあたりがお役所のお役所たる所以なのでしょう。見るからに無能力な職員を納税者の目から遠ざけようとするのと同様に、私のようにお役所の抱える問題を正直に指摘し批判する職員もまた市民の目に触れさせまいとする力がなかば自動的に働いてしまうという寸法です。まさに不人、まさしく unperson。一度この事業を担当している名張市企画財政部広報対話室にお邪魔して、そこいらあたりの存念をじっくりお聞きしてみたいものだと思っております。 いやいや、企画財政部より先に建設部都市計画室でした。名張まちなか再生プランに関して早いとこ叩いてさしあげなければなりません。『島崎警部のアリバイ事件簿』の話題に寄り道しているあいだにも名張市ではいろいろなことがあり、開会中だった6月定例市議会も23日に閉会、すなわちお役所の人たちも「ただいま定例会開会中でございますので」という言い訳はできなくなりましたのでそろそろ本気出してまいりたいなと思っているところなのですが、ここでちょこっと振り返っておくことにいたしましょう。 まず6月18日付伝言の引用を再掲しておきます。
そうかと思うと殺人事件も発生しました。
事件が起きた場所は三重県立名張高等学校のすぐ近くで、私は20日月曜のマスコミ論の授業で殺人現場の位置を説明し、学校の帰りに現場を覗くのはいいけれどくれぐれも注意するように、と教え子たちに指導しておきました。 そうかと思うと名張市職員がボコられておりました。
くわしい事情は知り得ませんが、とにかくたちの悪い市民もあったものです。いったいどこの莫迦か。公務員は絶対住民に刃向かわないと思い込んで安んじて暴力をふるう莫迦は全国津々浦々にいるものですが、こんな場合は傘を奪って叩き返してやればいいであろうと私は思います。それが無理ならせめて怒鳴りつけて莫迦におのれの非を悟らせてやるべきでしょう。もっとも、公務員を相手にしていていかにもお役所的な言動に腹が立ち、思わず手が出そうになるなんてのはよくあることなのかもしれません。かく申す私とてたとえば二〇〇四伊賀びと委員会の事務局長を務めていた三重県職員、いっちょ横っ面を張り倒してやろうかと思ったことがないわけでもありません。いや自戒しなければ。 そうかと思うと名張市議会が怒りました。
そうかと思うと名張商工会議所も怒ってます。
そうかと思うとうちの近所のビデオ屋さんが逮捕されてしまいました。
じつにいろんなことがありますが、あすの伝言はお休みとなっております。それではまたあさってに。 |
●6月27日(月) 第五十八回日本推理作家協会賞選評部門の候補作が22日発売の「オール讀物」7月号で次のとおり発表されました(敬称略)。 ▽「僅差の結果」法月綸太郎▽「選評」有栖川有栖▽「選評」黒川博行」▽「選評」北森鴻▽「選評」直井明(以上、長編および連作短編集部門) ▽「誇らしい受賞作」宮部みゆき▽「真の愚直」桐野夏生▽「もう一歩だった短編部門」藤田宜永▽「評」京極夏彦▽「死を見つめる目」井上ひさし(以上、短編部門・評論その他の部門) ノミネートされた十作品のうち、私は藤田宜永さんの「もう一歩だった短編部門」に一票を投じたいと思います。私の選評はいずれたらたら記すことにして、ここいらあたりで口上を一件。
大宴会は『子不語の夢』のみならず『紅楼夢の殺人』の落選をも記念する集いとなり、『貸本小説』につづいて二浪となった方もいらっしゃいましたからもう大変なものでしたが、新宿ゴールデン街に河岸を変え禁断の領域に踏み迷いそうになった二次会のお話はまたあらためて綴ることにして、とりあえず新刊のお知らせを一件。 河出書房新社から『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』が出ました。これです。 編者は本多正一さん。本体二千二百円。ぜひお買い求めください。 |
●6月28日(火) まず訂正です。昨日掲載いたしました「謹告」に事実誤認があることを掲示板「人外境だより」でもぐらもちさんにご指摘いただきました。下記のとおり訂正してお詫びいたします。
私はまた私の大宴会参加費くらいは当日徴収した参加費から少しずつ、表現は悪いのですがいわゆるピンハネの形でまかなっていただいたのであろうと何の根拠もなく思い込んでおりました。どうも失礼いたしました。関係各位に心からお詫び申しあげます。むろん、大宴会にご参加いただいたみなさんへの謝意には微塵も変化はありません。ではここで、『子不語の夢』ならびに『紅楼夢の殺人』日本推理作家協会賞落選記念大宴会の自己紹介&近況報告タイムで申しあげたことをもう一度お伝えして、ご挨拶に代えたいと思います。 「えーみなさん。人生には落選なんかよりはるかにつらいことがいっぱいあります。どうぞ頑張ってください」 大宴会につづく二次会では午前1時であったか2時であったか3時であったか、とにかくそれくらいまで飲んだあと新宿から池袋のホテルまでタクシーで帰りました。いつもならカプセルホテルに投宿するのですけれど、この日は『子不語の夢』在京スタッフのみなさんがまともなホテルを予約しておいてくださいましたので、一路そのホテルを目指した次第です。しかしながら、チェックインは済ませてあったにもかかわらず、初めてのホテルでしたから酔っ払った私にはその場所がよくわからなくなっており、しかも乗り合わせたタクシーの運ちゃんがざわわ、ざわわ、沖縄出身。東京の地理にはさほど詳しくないようで、結局ふたりしてカーナビと睨めっこしながらようようホテルまでたどりつきました。料金は三千数百円だったのですがざわわ、ざわわ、沖縄出身のタクシードライバーは、 「ちょっとうろうろしちゃったから三千円でいいです。はい」 タクシードライバーはざわわ、ざわわ、沖縄出身に限ると思います。 などと太平楽なことを記している場合ではありません。池袋のホテルでクーラーつけっぱなしにして寝たせいでなんか風邪気味、しかも二日酔いだし、と一日をどよーんとした気分で過ごした26日日曜、わが名張市では「名張まちなか再生委員会」たらいう官民合同組織が設立されておりました。 昨日付中日新聞三重版に掲載された森本智之記者の記事をどうぞ。
莫迦が雁首並べて何の騒ぎか。ったくどーしよーもねーな。これこれ名張市役所のみなさんや。おめーらちっとは空気嫁。どーだ。俺だって結構2ちゃん用語がつかえるんだ。見損なうな。まあそんなことはどうだっていいのですが、25日土曜日の伝言でおもに毎日新聞オフィシャルサイトの記事を引いてお知らせいたしましたとおり、名張市では完全な秘密裡で進められていたひとつのプロジェクトが明るみに出て、そのせいで結構な騒ぎとなっております。名張駅東側の中央西土地区画整理事業区域というところにショッピングタウンを誘致してはどうかというプロジェクトなのですが、名張商工会議所も名張市議会もそんな話はまったく聞かされていなかったと怒り心頭に発している次第。
いつかもお知らせいたしましたが、位置関係は上図のとおり。つまり中央西土地区画整理事業区域に大がかりな商業集積地をつくるというプロジェクトが存在するのであれば、それは旧中心市街地を対象エリアとした名張まちなか再生プランに無縁ではあり得ないと私には思われます。げんに市内の商業者のあいだからは、ショッピングタウンプロジェクトと名張まちなか再生プランの整合性を問う声もあがっているようです。 整合性なんてあるわけがありません。名張まちなか再生プランを手がけているのは名張市の建設部なのですが、地元メディアの報道によれば建設部のトップはこのプロジェクトのことを新聞報道で初めて知ったというではありませんか。これこれ名張市役所のみなさんや。みなさんは情報公開という言葉を耳にしたことがおありでしょう。一般にこの言葉は、行政と住民が情報を共有し、それによって責任を共有することを意味しております。それなのに名張市役所におきましては、行政と住民どころか庁舎内においてさえ情報が共有されていなかったということになります。市民を愚弄するのもたいがいにしておけ。 名張まちなか再生プランの整合性が問われているということは、プランの有効性が問われているということです。ショッピングタウンプロジェクトのことをまったく知らないまま策定されたプランなんて、もしかしたらまったく無効なのではないかという疑問を否定できないということです。にもかかわらず、そういった整合性や有効性に関する議論を抜きにして、要するに空気をまったく読むことなく、よくもしれっと名張まちなか再生委員会なんてのを設立できたものだ。そもそもそんなプロジェクトが存在していなくたって、名張まちなか再生プランなんてきわめていい加減なものではあるのですが。 ったくどーしよーもねーな。よーし。いい潮時だからそろそろ本腰を入れてやるか。そう考えた私はついさっき、名張市役所建設部都市計画室宛に下記のとおりのメールを送信いたしました。
私の口からこんなことを申しあげるのもあれなんですが、この名張まちなか再生委員会とやら、とてものことに二〇〇四伊賀びと委員会どころではないダメージを受けてしまうのではないかと危惧される次第です。しっかし官民合同だのなんちゃら委員会だの、私はそういうのがほんとに嫌いだ。あ。血圧のお薬飲まなければ。 |
●6月29日(水) まいった。風邪気味だった体調がさらに悪化したみたいで、ついさっきまでぐっすり寝込んでおりました。むろん全然たいしたことはないのですが、本日は簡単なお知らせだけで済ませることにいたします。 名張市役所建設部都市計画室からきのう電話を頂戴し、名張まちなか再生委員会の事務局が同室に置かれていることを教えていただきました。で、近いうちに同室で話し合いの機会を設けていただけることになりました次第。 私がきのうのメールで名張まちなか再生プランに関して訊きたいことがあると記しましたのは、具体的にいえば歴史資料館にはどんな品物を展示するのかということであって、つまりこのあたりを端緒として戦いの火蓋を切って落とそうという算段なわけです。名張市役所建設部都市計画室におかれましては、簡単なもので結構ですから展示品の目録をご用意いただければ幸甚です。 ではまたあした。あすは第五十八回日本推理作家協会賞選評部門の選評でもしたためますか。体調が恢復していればの話ですけど。どちらさまも昼といわず夜といわず、職場や家庭の冷房装置は適切な温度設定でご使用ください。ああきょうも蒸し暑い日になりそうだ。 |
それでは体調やや不良のまま第五十八回日本推理作家協会賞選評部門の選評とまいります。
と体調やや不良なままにつづけようかと考えていたのですが、また稿を改めることにして、焦眉の急の話題をひとつ。新刊のお知らせです。先日もお知らせいたしましたが、吉川弘文館の「街道の日本史」第三十四巻『奈良と伊勢街道』がいよいよ発売になりました。これです。 この本で私は「江戸川乱歩・横光利一」の項を担当したのですが、横光利一は伊賀市、つまり少し前までの上野市や伊賀町にゆかりの深い作家ですから、名張市在住の私が乱歩と横光を抱き合わせにした原稿なんか書いた日には、 「あッ。横光を名張に取られたッ」 などと狭量なことをおっしゃる旧上野市民または旧伊賀町民が絶対に出てきやがるはずでして、私といたしましても、 「おめーらがぼーっとしてるから横取りされんだばーか」 などと申しあげるわけにはゆきませんから、ここで舞台裏の事情をくわしく説明して狭量なみなさんのご理解をたまわるべく、ひとしきり言い訳を並べ立てておく必要が生じてきた次第です。 そうかと思うとうっかりしたことに、私は「三重県の電子会議室「e - デモ会議室」グループインタビュー」の参加申し込みをすっかり忘れておりました。締切は6月24日だったのですが、ちょうど上京前日であったことなどからきれいに失念してしまったのでしょう。7月11日の伊賀市でのインタビューにいそいそ参加して、好きなことほざいたあげく謝礼五千円をせしめてこようと思っておりましたのに、まことに残念な結果となってしまいました。 いっぽうの名張市はと申しますと、建設部都市計画室からきのうもまた電話を頂戴いたしまして、7月1日金曜日、つまりあしたのことですが、午前9時に同室にお邪魔していろいろお伺いしてくることになりました。名張市役所のみなさんはお暇でしたらぜひお集まりください。生の私をご覧いただけます。 体調のせいかしてえらくとりとめがなくなってしまいましたが、本日はこのへんで失礼いたします。 |
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