2005年7月上旬

●7月2日(土)

 おかげさまで体調はほぼ本復いたしました。本日は三重県立美術館の「ジェームズ・アンソール展」に足を運ぶ予定となっております。その前に6月30日付伝言にひきつづいて第五十八回日本推理作家協会賞選評部門の選評を軽く片づけておきたいところであって、もとより井上ひさしさんの選評をおちょくってオチにもってゆくまで構想はきっちりまとまっているのですが、ほかにも吉川弘文館の『奈良と伊勢街道』に関する言い訳を並べ立てる必要もあり、しかし本日の話題はやっぱこれしかありません。

 昨1日午前9時、名張市役所建設部都市計画室にお邪魔して名張まちなか再生プランならびに名張まちなか再生委員会に関するお話をお聞きしてまいりました。以下、ご報告申しあげます。

欺瞞という名の幕開け
 堅苦しいようだが、自己紹介から始めよう。
 俺は名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託。嘱託というのはいつクビが飛んでも不思議ではないポジションだが、いまのところは現役だ。名張市教育委員会と半年単位で契約を交わしている。九月末日には契約が切れることになるが、それから先も嘱託でいられるという保証はどこにもない。
 七月一日の朝。俺は名張市役所の玄関前に立ち、その堂々たるファサードを見あげていた。降り出した小雨が頬に冷たい。これから庁舎内を巡回するのだろう、セールスレディらしい若い女が俺を小走りに追い抜いてゆく。俺はトゥミのメッセンジャーバッグを抱え直し、正面に見える扉に進んだ。その先にはお役所という名の伏魔殿が待ち受けている。
 三日前のことだ。俺はこの伏魔殿の都市計画室という部署にメールを入れた。名張まちなか再生委員会の事務局はどこにあるのか、それを問い合わせるメールだった。委員会のことは新聞記事で知った。見覚えのある名前だった。
 名張まちなか再生プラン──。
 名張市がそんな名前のプランを公表したのは今年二月のことだ。それに基づいてパブリックコメントが募集された。プランはいまだ正式に決定されてはいない。市民の意見を募って見るべきものがあればプランに反映させる。それがパブリックコメント制度の建前だ。
 プランには歴史資料館の整備構想が盛り込まれていた。新町に細川邸という旧家がある。人が住まなくなった民家で、文化財的価値を有する建築物ではないが、それを歴史資料館として整備するのだという。名張市のオフィシャルサイトに掲載されたそのプランを読んで、俺は目を疑った。
 そこには「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」という文章が記されていた。そしてそれだけしか書かれてはいなかった。歴史資料館の整備構想を示すプランに、肝腎の歴史資料の説明がわずかにそれだけしか書かれていなかったのだ。俺は職業倫理に突き動かされ、プランの不備を指摘するパブリックコメントを一気に書き飛ばした。
 都市計画室は名張市役所の四階にある。名張まちなか再生委員会の事務局はここに置かれている。メールへの返事の電話でそう教えられた俺は、尋ねたいことがあるからと担当者との面談を要請した。指定された日時は七月一日午前九時。俺は八時五十五分に都市計画室に到着した。訪れるのはパブリックコメントを提出したとき以来のことだ。
 担当職員二人とテーブルに着き、俺はまず自分の立場について説明した。お役所の縦割りシステムからいえば、図書館の嘱託である俺が建設部の職掌に口を出すのは明らかな越権行為だ。だが、そんな理屈はお役所の内部でしか通用しない。名張市役所に厳然として縦割りシステムが存在しているという事実は、市民に対するエクスキューズにはならない。
 俺は江戸川乱歩という作家に関する仕事をするために、名張市民の税金から一定の報酬を得ている。図書館とは関係ない部署の事業であっても、乱歩に関するものなら俺はその事業に対して助言や協力を惜しむべきではないだろう。お役所の人間の目にはいかに奇異で非常識なものに映ろうとも、それが俺の職業倫理なのだ。
 一時間ほどいて、俺は都市計画室をあとにした。市役所の四階から一階まで階段を降りながら、俺はたまたま捲き込まれることになったある事件を思い出していた。
 ──伊賀の蔵びらき事件……。
 俺の職業倫理はあの事件と同じ匂いを嗅ぎつけている。名張まちなか再生プランがかすかな腐臭のように放っている、官民合同という名の欺瞞の匂い。三重県の行政が深く関わっていた伊賀の蔵びらき事件は結局迷宮入りとなり、一人の逮捕者も出すことはなかったが、結果として曖昧な汚名が青痣のように残った。その汚名は三重県のものなのか、あるいは俺自身に背負わされたものなのか。
 もっとも、たとえその汚名が俺のものであったとしても、三重県には俺を表だって批難することはできない。俺を批難することはそのままみずからへの批判を呼び覚ますことにつながるからだ。そしてそれ以前に、俺は公立図書館というお役所に身を置きながら公式には存在を否定された人間、一箇のアンパーソンであるからだ。存在しない人間をあげつらうことは、たぶん神様にだってできない相談だ。少なくともヴィトゲンシュタインならそういうだろう。
 俺は玄関の扉を押し開けた。これは間違いなく魔法の扉だ。それぞれの家庭や地域社会では善良な一市民に過ぎない公務員たちは、毎朝この扉を通過するたびに、まるでいきなりスイッチをオンにされたとでもいうように、お役所という無責任構造の一部と化し、システムの奴隷と化してしまう。外の世界の常識を忘れ、責任回避を金城鉄壁の行動原理とする、お役人と呼ばれる非人間的な生き物に変身してしまうのだ。
 全館禁煙という拷問から解放された俺は、プリントシャツの胸ポケットからマイルドセブンライトを取り出し、ひしゃげたパッケージからひしゃげた煙草を取り出した。パッケージには喫煙の害が以前よりでかでかと印刷されている。喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。親切なことだ。日本はいつからこれほど人に優しい国になったのだろう。
 ジッポのオイルが切れかけているらしく、なかなかつかなかった火はしばらく弱々しく揺れたあと、マッチのそれのようにふっと消えてしまった。マッチという言葉の連想から、俺は若くして自死を選んだある歌人の歌を思い出し、それから同じくマッチが想起させた別の歌人の歌を口にしてみた。
 ──身捨つるほどの祖国はありや。
 火のついていない煙草をくわえたまま見あげると、雨はいつのまにかあがっていた。それでも空は幾重もの雲に覆われ、安っぽい書き割りめいて暗く垂れ込めつづけていた。

 以上、お役所ハードボイルド「アンパーソンの掟」第一回「欺瞞という名の幕開け」をお送りいたしました。なんか来年の日本推理作家協会賞評論その他の部門はこの異色のノンフィクションで決まりかな、みたいな気もしてきました。


●7月3日(日)

 きのう足を運ぶ予定だった三重県立美術館の「ジェームズ・アンソール展」は、都合によりきょう出かけることになりました。そんな報告はどうでもいいとして、お役所ハードボイルド「アンパーソンの掟」第二回、さっそくお届けいたします。

スタイリッシュな犯罪
 俺の職業倫理はとくにふたつの悪徳に対して敏感だ。ひとつは欺瞞、もうひとつは隠蔽。どちらも根は同じだが、欺瞞にはペテンの切れが要請される。黒い鴉を白い鷺だと言い張るためには、それなりの詐術が必要だからだ。
 しかし隠蔽なら、最後には徹底して完黙するという手が残されている。そこまで行かなくても、単なる無知や無能力が隠蔽という事実を招来してしまうこともある。俺がこれまでに捲き込まれた事件のなかでは、それは往々にして公務員のからんだ事件だったのだが、関係者の誰一人として欺瞞のためのスキルを持ち合わせておらず、事態の進行をなすすべなく傍観していたばかりに、結果として隠蔽という悪徳に荷担していたというケースも少なくなかった。
 名張まちなか再生プランが放っている欺瞞の匂いは、しかし詐術には完全に無縁なものと見受けられた。むしろ隠蔽すべきことすら隠蔽していない点に、どこか白痴的にナイーブな印象がまつわりついていた。ムイシュキン公爵的な純真無垢が感じられるというわけではない。孤立した魂ではなく、その正反対に衆を恃むことしか知らない人間特有の、あるいは個を放棄し体制に順応して怪しまぬ人間特有の、ある種傍若無人な世界観がその欺瞞の本質をなしているように見えるのだ。それは俺に、やはり伊賀の蔵びらき事件を思い出させずにはおかない。
 七月一日。俺は名張市役所の都市計画室で、本題に入る糸口として名張まちなか再生プランに関する見解を述べ立てた。パブリックコメントに記しておいたことばかりだ。プラン全体ではなく江戸川乱歩に関わりのあるパートだけ、つまりは歴史資料館構想に限定した見解であったことはいうまでもない。そのあとで、展示を予定している歴史資料の目録を要請した。ない、という返事が返ってきた。
 それはわかっていた。わざわざ歴史資料館をつくって公開しなければならぬ資料など、名張市には何ひとつ存在していない。それは名張まちなか再生プランそのものがなかば無自覚のうちに、いやむしろ白痴的にといったほうがいいだろう、問わず語りに暴露していた事実だ。
 要するに名張市は、存在していない郷土資料のための施設を整備しようとしているのだ。それは娼婦のいない娼館を建てることに似ている。そんな発想がいったいどこから生まれたのかと俺は尋ねた。確答は得られない。プラン策定段階のワークショップも含め、関係者の話し合いでそういう声が出てきたのだという。
 「そんなふうには思えない。細川邸を歴史資料館にしなければならない理由が前提的に存在していた、たとえば新町の誰かさんから突っつかれたといったような事情が背景にあったとしか考えられない」
 俺はカマをかけてみた。新町の誰かさん、と口にしたとき、俺の頭にはある男の顔が像を結んでいた。だが、その男がこの無根拠な構想に実際に関係していたのかどうか、それは不明だ。俺は相手を注視したが、これといった反応は確認できなかった。トラップは意味をなさなかった。まあいいだろう。いきなり黒幕が割れたのではご見物衆も興醒めというものだ。
 俺は名張まちなか再生委員会の話題に転じた。六月二十六日に開かれた設立総会の資料を要求し、A4用紙四枚にプリントされた事項書に目を走らせた。規約、会則、事業推進体制のチャート、平成十七年度の事業計画。俺はページをくりながら、歴史資料館構想に変更を加えることは可能かと質した。細川邸を歴史資料館として整備するなどと大風呂敷を広げることはやめにして、たとえば古い町屋を利用した交流施設という位置づけを与えるだけで充分ではないか。ろくな展示品もない歴史資料館など、年老いた娼婦ほどにも振り向かれはしないだろう。
 むろん、明確な返答は返ってこない。構想の見直しは不可能ではないだろう。だが積極的に見直されることもあり得ないはずだ。結局のところ、誰が発案したのかも曖昧なまま、必要性の根拠が明らかにされることもなく、展示すべき資料のない歴史資料館が名張市民の税金で整備されることになるのだ。げんに委員会の事業計画には、歴史資料館を担当するらしい歴史拠点整備プロジェクトというチームの事業内容と実施予定日とが明記されている。
 ──名張市もなかなかスタイリッシュなことをする。
 俺はそう思った。なぜならその事業計画が、お役所の用語に従って表現するならば、ハード面のみに目を向けてソフト面にはまったく触れていない内容だったからだ。歴史資料の収集などにはひとことの言及もないかわり、細川邸の一部除却解体といった項目は抜かりなく日程に組み込まれている。とても必要とは思えない整備を前提として、リフォームの計画だけは着々と進められている。
 ──これはある種のリフォーム詐欺だろう。流行の最先端、じつにスタイリッシュな犯罪だ。
 俺は自分が思いついた半畳に笑い出しそうになった。たしかにこれはリフォーム詐欺だ。詐欺と呼ばれても仕方のない欺瞞がここには存在している。そして名張まちなか再生委員会は、それが詐欺だということにすら気づかず、みずからの欺瞞を隠そうともしないで、恬として恥じるところなく市民の代表面をしている。
 狭い世界で自分たちがマジョリティだと信じ込み、チープな世界観と白痴的なナイーブさを共有することで、傍若無人な馴れ合いをつづけている委員たち。自分たちの無能さを隠蔽しようさえしないこの委員会は、どうしてこれほど何から何まで、伊賀の蔵びらき事件で問題を起こした委員会にそっくりなのだろう。
 俺はふと思いついて、名張まちなか再生委員会の名簿を要求した。本来なら設立総会の資料と同時に示されているべきものだが、お役所では情報はつねに小出しにされる。あたかも、出さなくても済むものなら出さずに済ませたいといわんばかりに。
 一枚の名簿が俺の前に置かれた。列記された委員の名前を走り読みしながら、俺はまたしても笑いを噛み殺すのに苦労した。

 それではまたあした。


●7月4日(月)

 大絶賛連載中の「アンパーソンの掟」、きょうは第三回「六月の賢人会議」を掲載する予定でいたのですが、早くから出かけねばならぬ用事があり、時間が足りなくなったため勝手ながら休載いたします。作者急病のため、とかそんな理由ではありませんのでご休心ください。

 それにしても名張市もいろいろ大変で、現在のところ2チャンネル的にいちばん話題になっているのは「【三重】子を持つ親たちの不安は募るばかり 三重大医師引き揚げ初日」とか「【三重】小児勤務医の「異常な勤務形態」【撤退】」とかってやつでしょうか。「アンパーソンの掟」のネタにできるかと思い、さっきまでずーっとこの手のページを閲覧しておりました次第。私も人から先生と呼ばれる立場の人間ではあるものの、お医者さんではありませんからこうした事態には手の打ちようがありません。


●7月5日(火)

 それではさっそくまいります。

六月の賢人会議
 協働という、あまり美しくない日本語がある。
 共同でも協同でもない。協力の協に働くと書く協働だ。この言葉がいつごろからつかわれてきたのか、俺にはよくわからない。和辻哲郎の「古寺巡礼」か何かに使用例が見えると聞いたこともあるが、確認する気は起きない。昔読んだ岩波文庫の細かい活字を読み返すのは、いまの俺にはかなりの苦行だ。
 だが、この言葉がこれほどまでに幅を利かせ始めた時期を特定するとなれば、おそらく十年も遡る必要はないにちがいない。官民あげて拝金主義にうつつを抜かしたうたかたの日々が去り、あとには長い不況が席を占めつづけた。そして金融政策と不良銀行処理の誤りがこの国の零落を決定的に方向づけたころ、気がつけばこの言葉は悪質なウイルスのように日本中に蔓延していたのだ。
 全国の地方自治体は抵抗力のない老人のように感染した。住民の参画と協働の推進。参加と協働による地域づくり。市民協働によるまちづくり。そんなフレーズがいまや全国いたるところの自治体でコピーアンドペーストされている。行政と住民が目的と情報と責任とを共有し、望ましい地域社会を構築してゆく。それが協働という言葉の意味であるとすれば、それは非の打ちどころのない正論だろう。
 だが、全国の地方自治体がこぞって協働というお題目を唱え始めたのは、お役所が正論の正当性に目覚めたからでは決してない。協働なる言葉の爆発的な感染は超弩級の財政難によって推進されていた。分配能力を失ってしまった政府は市町村合併という名のリストラ策を打ち出し、地方は協働という言葉を無責任で向こう見ずなアウトソーシングとして現実化する道を選んだ。いい例が指定管理者制度だろう。民間の手法を公の施設に活用することで経費削減やサービス向上が期待できます。そんな甘言の裏側で、公立図書館をはじめとした公共施設が公の名にそぐわないものになろうとしているのだ。
 協働なる言葉について長々と論じている余裕はないが、この言葉が全国のお役所に蔓延した結果として、お役所の人間の責任回避と思考放棄が裏打ちされたことは見逃せない。彼らはこれまで、まともにものを考えるということをしてこなかった。封建時代さながらに前例を墨守し、国の管理に唯々諾々と従い、みずから率先して個を圧殺することでお役所という特殊な空間を維持してきた。
 責任回避と思考放棄が体質と化している彼らにとって、協働という言葉は渡りに船の金科玉条だった。まちづくりの主役は住民自身です。そういって頭を下げておけば、彼らはいつまでも責任を回避し思考を放棄していられる。そして主役のはずの地域住民も、残念ながら事情は同断だ。みずからの利得に関してだけは強慾なまでに敏感だが、地域社会全体のことはすべてお役所に一任して涼しい顔をしてきた人間には、いきなり主役だと持ちあげられたところで戸惑うか勘違いするかのどちらかしかできないだろう。
 協働という言葉の貧しい内実は、伊賀の蔵びらき事件が雄弁に物語っているところでもある。芭蕉生誕三百六十年にあたった昨年、協働という言葉が具体化されるはずだった三重県の官民合同事業が暴き出したのは、関係者が目的も情報も責任も共有できないという事実だった。協働という言葉が絵空事に過ぎないという冷厳な事実を、彼らは身をもって示してくれたのだ。しかし教訓は生かされない。彼らと同じ轍をいま、名張まちなか再生委員会が踏もうとしているのだ。
 名張まちなか再生委員会の規約には、第三条としてこんなことが定められている。
 「委員会は、名張地区まちづくり推進協議会委員、名張商工会議所会員、まちづくり関係団体の構成員及び名張市の職員の中から推薦された者、学識経験者、その他委員会の活動目的を理解し、役員会で認められた者で構成し組織する」
 その委員名簿を目にして、俺は笑いをかみ殺すのに苦労した。まず何より、伊賀の蔵びらき事件の関係者が名を連ねていたからだ。しかもそのなかに、いつか俺の前で細川邸の裏を見世物小屋にしてリピーターを増やすという素敵もないアイディアを披露してくれた男が混じっていたからだ。
 ──この顔ぶれなら無理もない。
 俺はそう思った。存在していない歴史資料のための施設を整備する。そんな不合理な事業計画が、この委員たちによる六月二十六日の会合で手もなく承認されたのだ。何と素晴らしい賢人会議だろう。むろん歴史資料館の整備は名張まちなか再生プランに盛り込まれたひとつの案件に過ぎない。しかし早急に着手されるべき重要課題のひとつと位置づけられているはずだ。
 げんに俺が目にした新聞記事では、細川邸の歴史資料館化は委員会が手がけるべき事業のトップにあげられていた。つまりこの委員会は、欺瞞のうえに砂上の楼閣を建てようとしているのだ。そういえば、その新聞記事にはこんな文章も見られた。
 「委員会は改修・整備内容や運営方針などを市からゲタを預けられた形で具体的に決めていく」
 「ゲタを預けられた」というこの表現に、かすかながら協働という言葉に対する冷ややかな揶揄のニュアンスを嗅ぎあててしまうのは、俺の読解力が鋭敏に過ぎるせいなのだろうか。

 ではまたあした。


●7月6日(水)

 お役所ハードボイルド「アンパーソンの掟」、いよいよ第四回を迎えました。

悪夢のための就眠儀式
 名張まちなか再生委員会の構成は、まるで再来した悪夢のように複雑だ。役員は九人。名張まちづくり推進協議会の人間が委員長に就いている。ほかに、テーマごとに設置されたプロジェクトチームが五つ。
 歴史拠点整備プロジェクト。
 水辺整備プロジェクト。
 交流拠点整備プロジェクト。
 生活拠点整備プロジェクト。
 歩行者空間整備プロジェクト。
 合計四十一人もの委員がこのいずれかに所属し、プロジェクトごとにチーフが一人。俺は悪夢の再来をまざまざと実感した。責任の所在を曖昧にし、能力の不足を糊塗するために、必要以上に人を集めて重層化されたひとつの組織。それは理念の一致も意思の疎通もなく、無方向な繊毛運動のようにひたすら迷走しつづける。これはまさしく、いつか見た悪夢であるにちがいない。どこかで人知れず就眠儀式が執り行われ、悪夢は確実に蘇っているのだ。
 ──俺はいま、のちに名張まちなか再生事件と呼ばれることになるだろう一連の騒動の幕開けに立ち会っているらしい。
 俺が当面相手にするべきなのは、歴史資料館構想を担当する歴史拠点整備プロジェクトの連中だ。メンバーは十一人。それぞれの名前の備考欄には、彼らが帰属する組織の名称が列記されている。
 名張商工会議所、名張地区まちづくり推進協議会、からくりのまち名張実行委員会、名張市観光協会、乱歩蔵びらきの会、名張市企画財政政策室、名張市文化振興室、そして名張市都市計画室。
 俺は委員名簿から目をあげ、テーブルを隔てて坐っている担当職員二人に向き直った。メンバー表を交換した時点で勝ちを確信した監督のように、俺は意気揚々としていた。名簿に並んだ十一人の名前を指さしながら、俺はいった。
 「このあまり出来のよろしくないみなさんに一本釘を刺しておきたい。そういう場を設けてもらいたいのだが」
 「釘を刺すとはどういうことですか」
 担当職員がさすがに気色ばむ。俺は畳みかける。
 「知識の注入。ここに並んでいるのは歴史資料のれの字も知らないような連中ばかりだ。名張のまちの歴史にしろ乱歩のことにしろ、プロジェクトを推進するためには最低限必要な知識というものがある」
 十一人のメンバーを見たかぎり、そんな知識を持ち合わせた人間は見当たらない。しかし担当職員は反論した。俺の前に設立総会事項書の三ページが開かれ、職員はそこにプリントされた再生整備プロジェクト会則の第五条を示した。
 「チーフは、必要があるときは、構成員以外の者の出席を求めて意見を聴くことができる」
 専門的な知識が必要な場合は、それに応じて専門家に教えを乞えばいいというわけだ。しかし残念ながら、俺が指摘しているのは基本的な知識の必要性だ。あるいはまっとうな見識の必要性だ。むろん知識や見識が不足していようとも、人の助言や提案に耳を傾けることのできる人間なら問題はない。若い連中の語彙に準じていうならば、全然大丈夫ですというやつだ。
 だが、伊賀の蔵びらき事件の経験は、他者から寄せられた正当な批判を頑なに拒みつづける人間が少なくないことを俺に教えた。そして歴史拠点整備プロジェクトメンバーは、十一人のうち三人までが伊賀の蔵びらき事件の関係者で占められている。帰趨はすでに明白だというべきだろう。
 俺は、歴史拠点整備プロジェクトのチーフがその第五条に則り、俺という構成員以外の者の出席を求めて意見を聴いてくれることを要望しておいた。それから、市立図書館嘱託の責務として、乱歩関連資料に関する見解をふたつ伝えた。資料をこれから収集するのはかなりの難事である。市立図書館乱歩コーナーにある乱歩の遺品は、遺族の承諾を得て歴史資料館で展示することが可能であろう。以上のふたつだ。
 そのあと、奇妙なことが起こった。俺のパブリックコメントについて、職員から質問が寄せられたのだ。細川邸を、歴史資料館ではなく名張市立図書館のミステリ分室として整備する構想についてだ。乱歩の遺品と著作を展示し、全国のミステリファンから寄贈されたミステリ関連図書を公開すれば、名張市にはきわめてユニークなミステリ図書館が誕生する。
 そういった構想をあらためて説明しながら、俺は心のなかで首をひねった。俺のパブリックコメントが採用されなかった理由が説明されたのであれば、そこには何の不思議もない。あなたのコメントにはこういった面で支障があり、実現不能でしたのでプランに反映させることができませんでした。それが伝えられたのであれば不思議はないのだ。だが実際には、俺はすでに不採用と決まった構想の説明を求められていた。
 ──どういうことだ。
 俺は職員二人から視線を外し、その背後の大きな窓を眺めた。ガラスの向こうには、そのまま悪夢の世界につながってでもいそうな不吉な印象を帯びて、暗い空がどこまでも広がっていた。

 あすにつづきます。


●7月7日(木)

 きょうは七夕様か、と悠長な感慨に耽るいとまもあらばこそ、「アンパーソンの掟」本日もまいります。

パブリックでオープンなシークレット
 ──こう考えるしかないわけか。
 俺は片づかない頭を強いて整理した。要するに、俺が提出したパブリックコメントは顧みられることがなかった。そう考えるのが自然だろう。
 俺の提案は読み流され、そのまま却下の箱に突っ込まれた。もしもまともな検討の対象になっていたのであれば、都市計画室は俺に対して、あるいは市立図書館に対して、ミステリ分室に関する具体的な質問を投げかけてきたはずだ。俺の提案を名張まちなか再生プランに反映させるかどうかは別にしても、それが市民の真摯な提案に対する行政側のあらまほしき態度というやつだろう。
 だが彼らはそうしなかった。まるで大型店に配備された駐車場係のように機械的な手つきで、俺のパブリックコメントを右から左へあっさり没にしてくれただけだ。
 そしていま、ご丁寧にも俺の構想を話題にすることで、自分たちがそれをまともに取り合わなかったという事実まで、素直な犯罪者のようにあっさり打ち明けてくれている。問うに落ちず語るに落ちるという、伊賀の蔵びらき事件で何度も目撃したおなじみのシーン。俺はまたしてもそんなシーンに遭遇しているのだ。デジャビュめいた思いが俺を捉えた。
 問題は俺のパブリックコメントのみにはとどまらない。無教養かつ不勉強な名張市職員や名張市民が束になってもひねり出せないほどの提案を握りつぶしたことで、名張市のパブリックコメント制度そのものが形骸であるという秘密まで、彼らは語るに落ちて暴露してしまったのだ。それはいまやオープンシークレットに過ぎない。そして俺はもう二度と、名張市にパブリックコメントを提出することはないだろう。
 そのときのことだ。奇妙な考えが浮かんできた。俺の見方は辛辣に過ぎるのではないか。俺はもっと希望を持っていいのではないか。つまり、都市計画室は賢明にも方針を変更して、細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備することを検討し始めたのではないか。雲間からつかのま洩れた陽光のように、そんな考えが明るい軌跡を描きながら俺の頭を通過した。
 俺はふと、窓の外に目をやってみた。しかし空は相変わらず暗いままで、一条の光も見出すことはできない。俺は自分の勘違いに気がついて、ミステリ分室に関する話題をこんな言葉で打ち切った。
 「ミステリ分室構想にいちばん反対するのは、おそらく市立図書館自身だろう」
 とりあえず、きょうのところの用件は終了した。俺は担当職員二人に礼をいい、椅子から立ちあがった。周囲には何の変哲もないお役所の風景が広がっている。名張市役所の四階の、七月最初の日の朝の光景。
 前日の六月三十日には、名張市の特別職や議員、一般職員などに夏のボーナスが支給されていた。総額は六億三千万円あまり。新聞の地方面にそんな記事が載っていた。もっとも、名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託である俺には、ボーナスは月と二銭銅貨ほどにも縁がないものだ。そういえば、さっき市役所の正面玄関に駆け込んでいったセールスレディは、いったいどの程度のお裾分けに預かることができたのだろう。
 ──伊賀の蔵びらき事件……。
 四階から一階までの階段を降りながら、俺はそれを思い出していた。そして、俳優の中村伸郎があるエッセイに書いていたエピソードを、何とはなしに想起した。
 「おい、イレブンピーエムを買ってきてくれ」
 年老いた夫が、やはり年老いた妻にそう告げる。家を出た妻は煙草屋に向かう。煙草屋ではいつもどおり、夫婦と同世代らしい老婆が店番をしている。妻はこういう。
 「セブンイレブン、ひとつください」
 うなずいた老婆は迷うことなく、一箱の煙草を出してくる。
 「はい、マイルドセブン」
 これはいうまでもなく、伊賀の蔵びらき事件には毛筋ほどの関係もないエピソードだ。だとしたら俺はどうして、あの事件からこの話を連想してしまったのか。
 三重県が実施した官民合同事業を舞台にした伊賀の蔵びらき事件では、関係者全員が何かを勘違いし、どこかを取り違えて、事業は終始迷走をつづけた。つまり、事業主体の行政が年老いた夫、そこに参画した住民がその妻、そして事業に足を運んだ入場者が煙草屋の老婆。そんなアナロジーが成立するのかもしれない。
 だとしても、そこにどんな意味を見出せばいいというのか。俺の無意識はそもそもどんな理由によって、識閾下の深海でひとつのエピソードの記憶をシグナルとして発光させたのか。
 俺は自分の意識がいつか船のように揺れているのを自覚しながら、長い階段を一段一段降りていった。

 どうなんでしょう。名張市役所ではかなり問題になっているのかなとも思われる次第ですが、実際のところはさっぱりわかりません。いやーくわばらくわばら。


●7月8日(金)

 大絶賛連載中の「アンパーソンの掟」には、ここでしばらくお休みが入ります。なにしろ現実世界と同時進行するノンフィクションなんですから、現実世界の私が名張市役所四階の都市計画室で名張まちなか再生プランに関する話を聞いてくるというアクションしか起こしてない以上、そのゆくたての文章化が終わればお休みとならざるを得ません。

 むろんアクションではなく思惟のみを描写してゆくという手法もあり、それを採用すればいくらでも延々と書きつづけることができるのですが、その手に訴えてしまった場合には読者諸兄姉の胃もたれが誘発される可能性もありますので、やはり無難に話頭を転じてインテルメッツォとまいりましょう。

 これが万民に当てはまる傾向なのかどうかはわかりませんが、ノンフィクションを書いているとフィクションを紛れ込ませたいという欲望がむくむくと頭をもたげてくるようです。いやまあ、ノンフィクションといったってしょせん主観というフィルターを通すしかない道理ですから、すべてのノンフィクションは否応なくフィクションであるともいえるわけなのですが、私が申しあげているのはもっとベタな話で、アクションを捏造してストーリーを通俗的に盛りあげたくなるという欲望のことです。

 昨日掲載した「パブリックでオープンなシークレット」の結びなど、これはもう明らかにこれからどんなストーリー展開になっても全然大丈夫な伏線なのであって、米英対アルカイダの不毛の戦いに捲き込まれたあげく中国大陸に逃れて馬賊の頭目となり、源義経と呼応して汎アジア統一戦線を結成するや戦後の広島で割に合わない代理戦争に身を投じ、最終的には銀河帝国の覇者になりながらもクレオパトラの差し向けた刺客に暗殺されてしまうというようなことになったとしたところで、ふと気づくとそれはつかのまに夢見た幻覚なのであった、なんて感じでいくらでも名張市役所の階段に立ち戻ってくることが可能なわけです。もちろんそんなことしませんけど。

 ついでに申しあげておきますと、ノンフィクションとはいえ記述する事象は当然取捨選択されますから、きのうの「パブリックでオープンなシークレット」に記した中村伸郎のエッセイに関するくだりなど、普通なら不要な夾雑物として省かれてしかるべき部分です。しかし私は、伊賀の蔵びらき事件からあの老人三人の話を連想した自分の心の動きを面白いと思った。ですから、これがあとあと何かに結びついてくるのかもしれないなと考えて、敢えて取りあげておいた次第です。

 あのエピソードが本当に無意識の発した警告であったとしても、そこに読み取れるのはせいぜいのところ、伊賀の蔵びらきにしても名張まちなか再生にしても、結局はどっち向いたって莫迦しかいないんだからもうほっといたら? といった程度の退嬰的なメッセージでしかないはずなのですが、私の職業倫理がそうした無意識の忠告を素直に受け容れることはないのではないかと思われます。それに私は莫迦をおちょくってやるのが大好きですから、どこを見回しても莫迦ばっかという状況は、むろんとてもとても頭の痛いものではあるのですが、私を結構喜ばせてくれるものでもあるようです。

 そんなことはさておき、遅れておりました吉川弘文館の『奈良と伊勢街道』に関する言い訳の件です。私が何を言い訳するのかと申しますと、この本の「江戸川乱歩・横光利一」という節は私が執筆したのですが、乱歩と横光はともに三重県伊賀地域にゆかりのある作家ながら、厳密に申せば乱歩は名張市、横光は旧上野市および旧伊賀町(この場合の「旧」は昨年11月に市町村合併で伊賀市が発足する以前を指しているわけですが)に関わりがあるわけで、とくに旧上野市と名張市は当節の若貴兄弟がほんの駆け出しにしか見えぬほど遠い昔からきわめて仲が悪く、名張市民である私が乱歩のみならず横光の項まで執筆したとなるとこれはもう旧上野市や旧伊賀町、すなわちいまの伊賀市の市民のなかには、

 「あッ。横光を名張に取られたッ」

 などと住民感情というものに照らして考えればじつに無理からぬ悲憤慷慨をその胸に抱かれる人もいらっしゃるはずであり、ですからいやあれは何も私がみずから望んで横光を横取りしたというわけではないのだと、不倶戴天の相手である伊賀市のみなさんに対してそれだけはひとこと説明をしておきたいのだと、私は先からそのように申しておるではないか。

 といった次第で、インテルメッツォのお題は吉川弘文館の「街道の日本史」第三十四巻『奈良と伊勢街道』と決定いたしました。


●7月9日(土)

 さて伊賀市民のみなさん。どうも申し訳ありませんでした。

 と申しますのも、吉川弘文館から発行された「街道の日本史」第三十四巻『奈良と伊勢街道』におきまして、わたくしめは、

 III 地域文化の繁栄

 のなかの、

 二 地域文化を作った人びと

 のなかの、

 8 江戸川乱歩・横光利一

 を執筆してしまいました。

 いやそんな、執筆なんて表現はわれながら少なからず大仰でした。いささか口が滑りました。ほんとにもうちょっとした原稿です。同書239ページから243ページまで、わずか五ページにも満たぬ賑やかしにしか過ぎません。

 原稿執筆の打診があったのは二年前、いやもう三年ほど前のことになりましょうか。版元からではなくて、この『奈良と伊勢街道』という本がカバーする地域で、つまり奈良県と三重県の一部なんですけど、その地元で執筆者のとりまとめを担当してる人、そんな方からこれこれこういう本を出すから乱歩のことを書いてくれと、そういった電話を頂戴したわけですね。名張市立図書館嘱託たるこのわたくしめが。

 で、ここんとこよく聞いといてほしいんですけど、このときの依頼はあくまでも乱歩のことを書いてくれ、というものであった。つまり横光だろうが横溝だろうが横山だろうが横井だろうが、そんなおまけはいっさいなかった。これは天地神明に誓ってそうだったんです。しかも清廉潔白なるわたくしめは、この依頼を鄭重にお断り申しあげました。

 断るというと横柄な印象ですが、まあわたくしめなりの見解をお伝えしたと申しますか、要するに乱歩なんて名張市や伊賀地域にはまったくといっていいほど無関係な人間なんです。ただ生まれただけ。

 むろん父祖の地というわけでもなくて、乱歩の父親だって名張に二年ほど住んでただけなんですから、あなたそんなね、そんだけのつきあいしかないんですからね、乱歩がこのへんの地域文化に関係のある人間だなんてとてもとても、口が裂けたっていえるものじゃありません。そんなこと口走ってた日にゃしまいに詐欺罪でしょっぴかれてしまいます。

 ですからわたくしめといたしましては、そりゃ書けといわれればいくらでも書かせていただきますけれども、おたくが企画してる本に乱歩はふさわしくないんじゃないですかと、これはいうところのミスマッチなんじゃないんですかと、まあ誠心誠意説明して電話を終えたわけでした。それはわたくしめも人間ですから、あーあ、原稿料もらいそこねたな、みたいな下賤なこともチラとは考えましたけど、はなっから企画に無理があるんですからしゃーありません。

 時は過ぎ日は流れ、ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ新町橋の下を名張川が流れました。ある日のこと、わたくしめのもとに吉川弘文館から大判の封筒が届きました。開封して逆さにすると、「街道の日本史」の企画書やら何やらがずるずると滑り出てきます。

 わたくしめはいつかの電話を思い出し、しゃーけん乱歩はあかんちゆーたろーがよー、と舌打ちしたいような気持ちで、しかしいくらかでも原稿料を稼げるのは端的にいってありがたいことである、というしみじみした幸福感が小鼻をひくつかせるような感覚をも覚えながら、その書類に目を通してみて驚くまいことか。

 そこにはわたくしめの担当項目がくっきりと、しかしながらあまり達筆とはいえぬ手跡で、

 「江戸川乱歩・横光利一」

 と記されているではありませんか。しゃーけん横光ちいったい誰なら、とは思いませんでしたけれど、乱歩と横光な抱き合わせち話はちくっときつかけんねー、とわたくしめは思いました。心底そう思いました。

 つまり何にせよ、わたくしめは別に横光利一のことを書かせてくださいとこちらから願い出たわけではなかった。知らぬまにこうなっていた。関知しない。与り知らぬ。これはいうならば不可抗力であり、人智の及びがたいことなのであるというのがきょうのお話の最大のポイント。伊賀市のみなさんにはその点をくれぐれもご承知おきいただきたいと、わたくしめはそのように念じておるわけです。

 しかし伊賀市のみなさんは、それならば執筆依頼を断ればよかったではないかとか、おまえは乱歩の原稿だけ書いて横光のことは伊賀市の人間に任せればよかったではないかとか、そんな駄々っ子のようなことをおっしゃるかもしれません。何を血迷うておるのか。わたくしめは吹けば飛ぶような一執筆者に過ぎず、本の内容に容喙できるような立場にはありません。そんなこともわからんのか。これだから田舎者は困るというのだ。

 それに、もしかしたらわたくしめの忠言を容れてくれたのでもありましょうか、乱歩と横光の合わせ技一本で項目を立てることにした編集サイドの苦衷、いや苦衷といっては大袈裟に過ぎましょうが、要するにいわゆる苦心の跡みたいなものも理解できるような気がしましたので、わたくしめは企画書に同封されていた葉書にさらさらと、はいわかりましたと、承知つかまつりましたと、せいぜい努めさせていただきますと、そのように記して版元宛に投函したわけです。そして決意しましたわたくしめは。

 ──さ、横光、読まなきゃ。

 と。


●7月10日(日)

 ──するってえと何かい。

 と、伊賀市民のみなさんはわたくしめにおっしゃることでしょう。おめえさんは作品読んだこともねえくせに横光の原稿書くことを引き受けたってわけかい、と。

 まことに相済みません。仰せのとおりでございます。このわたくしめ、せいぜいが人並みにしか、横光利一という作家の作品を読んだことがありませんでした。でありますからこそ、

 ──さ、横光、読まなきゃ。

 と決意したわけなんです。殊勝なものではありませんか。

 そもそもわたくしめの世代におきましては、あるいは、わたくしめの世代におきましても、というべきなのかもしれませんが、横光利一はすでに過去の人でした。すでにして読まれぬ作家でした。ですからわたくしめが高校生くらいのときに親しんだ横光作品は、いわゆる初期短篇のみにとどまっておりました。

 煎じ詰めていってしまえば、

 「沿線の小駅は石のように黙殺された」

 という「頭ならびに腹」のよく知られた一行、この一行をしか読まなかった。そう断言してもいいように思います。とはいえ、これは決して悪いものではありませんでした。実験精神。レトリシャン魂。そういったものが生意気盛りの高校生に訴えかけないはずはありません。しかしその先には行けない。

 時代が悪かったといえばいいのでしょうか。まあ昭和20年8月15日に日本が戦争に負けて以来、横光にとっていい時代なんて一度たりともありゃしなかったわけなのですが、とくにそこらじゅうの大学で学生が普通にゲバ棒ふりまわしてるような時代には、高橋和巳は読まれても横光利一が読まれることはまずありませんでした。

 とりあえず初期の先端的な試みを概観しておけばそれでよろしく、その総体なんてものは終戦という仕切り線の向こうの不名誉な愚行の記録として日本文学史の路傍にぞんざいにほっぽり出されている、大君の辺にこそ死んだやつなんかただのひとりも顧みはせじ、といったところが自分が高校生であった当時の横光文学をめぐる時代的風潮ではなかったかと、わたくしめは僭越ながらそのように推測しておるわけです。

 そのあとも、横光の著作がほとんど手に入らないという時代が長くつづきました。わたくしめも岩波文庫の『日輪・春は馬車に乗って』を所有していただけでした。したがいまして同書収録の「機械」まで、これがわたくしめの読んでいた横光作品ということになり、このあたりがわたくしめの世代における人並みな横光体験といったことになるのではないでしょうか。

 で、横光、読まなきゃ、と一念発起したわたくしめは、じつはひそかに、いっちょ河出の横光全集な揃えちゃろーか、と考えないでもありませんでした。こんなこと申しますと伊賀市民の方はきっと、

 「へっ。何が横光全集か。そんな甲斐性もないくせに」

 と、わたくしめのことを嘲笑なさることでしょう。そんなことおっしゃっちゃいけません。甲斐性などという薄汚れた世間知で文学を語るな。それに敢えて甲斐性という言葉をつかうなら、文学という名の宝冠は甲斐性なしの頭にこそ燦然としているべきものなんですから、伊賀市民ごとき無教養な連中がわたくしめのことをとやかく申すものではない。そんなこともわからんのか。おまえら伊賀市民の教養のなさと来たらまるで名張市民なみだな。これだから田舎者は困るというのだ。

 とは申しますものの現実には、横光利一全集を揃えるだけの甲斐性なんて逆立ちしてもあるもんかという、まさにそのとおりの状態ではありましたので、とりあえず近所の本屋さんで講談社文芸文庫に入っている横光の著作すべて、それから大阪の本屋さんで新潮日本文学と新潮日本文学アルバムそれぞれの横光の巻を買い求め、講談社文芸文庫には二冊ほど品切れもあったのですが、とにかく準備が整いました。

 わたくしめはそれらの横光作品を順番に片づけてゆきました。旧上野市立図書館(現在の伊賀市上野図書館)にちょっとだけ通って、横光利一全集に収録された随筆や書簡や対談などのうち必要と思われるものを片づけました。それでも横光作品の一部に目を通しただけという状態ではあったのですが、よし、これで片づけたことにしようと踏ん切りをつけ、原稿執筆に入りました。

 原稿を書くにあたって心がけたのは、とにかく乱歩と横光を平等に扱わなければならんな、ということでした。もしも乱歩に関する記述のほうが多かったりしたら、旧上野市や旧伊賀町のみなさんから何とゆうて叱られるか。このわたくしめの頭には、まるでバースデーケーキを人数分に切り分ける役目を仰せつかった子供みたいに、ただもう平等にという言葉しか、それしか存在してはおらなんだのでありました。