2005年10月上旬

●10月3日(月)

 東京の治安は確実に悪化しているようです。ひどいものです。乱歩のお膝元である豊島区では、なんと区役所の内部で盗難事件が発生したといいます。あの泥坊が羨しい、なんてこといってる場合か。

東京・豊島区役所、生活保護費を紛失 現金袋ごと盗難か
 東京都豊島区が支給している生活保護費をめぐり、4〜9月の間に死亡するなどしたために支給されずに保管されていた11人分の現金約100万円が紛失していることが分かった。本来は銀行口座に戻すべきなのに、その手続きをしないまま放置している間に行方が分からなくなったという。同区は盗まれた疑いが強いとみて、近く警視庁に被害届を出す。

 同区生活福祉課などによると、同課の職員が9月22日、同月の支給停止者のリストに、7、8月にすでに支給対象から外れた2人が含まれているのに気づいた。このため、役所内に保管されている2人の現金を銀行口座に戻す手続きをしようとしたところ、現金袋がないことに気づいた。

朝日新聞 asahi.com 2005/10/03/03/33

 ちなみに豊島区では10月1日と2日の両日、「ふくろ祭り」とか「東京よさこい」とかいったコミュニティイベントがこんな感じで催されました。昨2日午後にはこのイベントの一環として、気温がおそらく30℃超だった池袋西口公園のステージで名張市から訪れた怪人二十面相が高野之夫区長に親書を手渡すシーンも見られたはずなのですが、この二十面相は少なくとも生活保護費盗難事件(なんと貧しい印象の犯罪でしょうか)に関しては完全にシロであると、私は名張市の名誉のために断言しておきたいと思います。

 それにしても、東京の治安悪化には著しいものがあります。ほんとにまあ東京のバカヤローが知らん顔して黙ったまま突っ立ってやがってからに。私などきのう早朝、山手線始発の車内でほんの数分間、不覚にもついついうとうとしてしまったせいで網棚に置いてあったバッグを置き引きされ、一円の小銭すらなくなってそれでもなんとか名張まで帰ることができたという、東京がバカヤローなんだか自分がバカヤローなんだかよくわからない経験をしてしまいました。おかげでまたひと回り大きな人間に成長できたわけなのですが、しっかしバカヤローがまあほんとに。

 10月1日、読売新聞社主催の「読売江戸川乱歩フォーラム2005」なる催しが立教大学のタッカーホールで開催されました。開演は午後3時。第一部は島田雅彦さんの基調講演「乱歩の散歩」。江戸川乱歩一人爆笑問題説、なんてのが説かれて私は面白く思いました。爆笑問題、というのは申すまでもなく例の人気漫才コンビの名前なのですが、太田光さんがエキセントリックな毒を吐く、田中裕二さんがそれをいちいち解毒ないしは無毒化する、といったあのコンビの基本的な手続きをひとりでこなしていたのが乱歩という作家なのであって、変態の心理と行動を示したあと読者にそれをわかりやすく説明するのが乱歩の常套であるがゆえに、乱歩作品においては変態なるものが小学生にもよく理解されうるのだ、というのが江戸川乱歩一人爆笑問題説の骨子です。

 いわゆる萌え理論的視点も提示され、私はこれにもいたく興味を覚えました。日本文化の海外進出というものを考えた場合、その先端に位置しているのはアニメでありゲームであり、すなわちいわゆる萌えである。日本文化のキーワードである侘び寂びに萌えが加わったのである。侘び寂び萌え。日本文化の海外進出でアニメやゲームにつづくのが文学というアイテムであればいいなと自分は考えているのだが、侘び寂び萌えをすべて兼ね備えた文学者は誰なのか。やはり谷崎潤一郎であり江戸川乱歩であるといったことになるのではないか、というのが島田さんによるいわゆる萌え理論的視点からの指摘でした。

 つづいてトークショーと11月公開の映画「乱歩地獄」の上映があり、終了は午後6時30分。知った人に出会わなかったらそのまま名張まで帰ろうと考えていたのですが、やはり何人かの方にお会いすることになり、結局男性四人、女性二人の計六人で大宴会。一軒目は池袋、二次会はタクシー飛ばして新宿ゴールデン街。午前5時でお開きを迎えて六人で新宿駅へ向かい、改札口でお別れして私は切符を購入、5時20分発の山手線に乗って東京駅を目指したのですが、事件はそのとき起こりました。あの泥坊が恨めしい。


●10月4日(火)

 10月2日午前5時20分、新宿駅から乗り込んだ山手線は結構混雑していました。きょうびの若い衆は徹夜のことをオールと、つまりオールナイトという言葉を省略してオールと、ご多分に洩れず例の平坦な抑揚で称するとのことですが、新宿界隈でオールを決め込んだ若い衆が早朝の新宿駅からぞろぞろ家路をたどるのは、東京で生活している人間にとっては珍しくもなんともない光景だそうです。しかし私は人の多さに内心驚きながら列車に乗り込み、肩にかけていたバッグは網棚へ、それから吊革につかまって東京駅を目指しました。

 品川駅を過ぎて、空席が生じました。網棚のバッグはそのままにして、バッグの真下ではなく一メートルほど離れた位置に、私は席を占めました。眠るつもりはなかったのですが、それでもオールのあとですから、いつかしら睡魔に取り憑かれてしまう。不覚にも眠り込んで、といっても時間にすればわずか数分、もしかしたら二分か三分のことだったような気もするのですが、列車が減速する気配で眼を醒まし、ふと網棚を見あげるとバッグが消えています。あわてて周囲を見回しても、私のバッグはどこにも見当たりません。

 ──やられたな。

 そう思ってしばし茫然としていると、列車は完全に停止しました。新橋駅です。私は立ちあがってホームに降り、改札口まで歩いて駅員に事情を説明しました。三・四番線ホームだかどこだかにある事務室へ行くようにと指示されて、そのとおり足を運び、ホームの中央に位置する事務室のなかに入ると、まだ十代と見える若い駅員が相手をしてくれます。バッグを盗まれたのだが、と伝えると、そういう届けは交番でお願いします、という答えが返ってきます。

 「もちろんあとで交番にも行きます。しかし、もしかしたら貴重品を抜き取ったバッグがJRのどこかの駅の構内に捨てられるかもしれません。それが落とし物として届けられた場合に連絡をいただきたいので、そのための手続きをしておきたいんです」

 そう告げると、若い駅員はわかりましたと答え、あ、ちょっと待っててくださいといい捨てながら、猛烈な勢いで事務室を飛び出してゆきました。私もつられて外に出、脱兎のごとくホームを駈けてゆく駅員を見守っていると、直立不動の姿勢になった彼はマイクを手にして発車車両のためのアナウンスをしています。やがてまた一散に駈け戻ってきた彼は、事務室のなかで黒い表紙のファイルを取り出し、私が盗まれたものの品目を質しては書き込んでゆきました。そのあと私が住所と名前と電話番号とを記入して、手続きはこれで終了です。私は駅員に礼をいい、改札を出て今度は駅前の交番に入りました。

 交番の奥にある狭い部屋に招じ入れられて、私はそこで被害届を提出しました。相手をしてくれたのは二十代らしい警官で、こちらが状況を説明すると、警官はそれに基づいて手許のノートに文章を記入する。その内容にこちらがOKを出すと、警官はその文章をそのまま被害届の書類に書き写す。なんともまどろっこしさを覚えさせられる手順を踏んで、被害届の作成が進みます。

 盗難された品目のリストも必要でした。バッグの色、材質を尋ねたあと、バッグの時価はいくらか、と警官は尋ねてきます。そんなものがわかるわけはないのですが、あれは安物でしたから、三千円くらいでしょうか、と私。つづいては、財布の色と形と時価。たしかバーバリーの財布だったのですが、値段なんてよく知りませんから、まあ千円くらいでしょうか、と私。

 書類作成は滞りなく終わりました。しかし私にとって問題なのは、名張まで帰る運賃をこの交番が用立ててくれるのかどうか、要するにその一点です。普通に新幹線のぞみに乗って、名古屋から名張まで特急を利用して帰るとなると、運賃は一万五千円近くになるはずです。二万ほど都合してもらえれば御の字なのだが、と私は皮算用していました。

 ところが、こうしたケースで交番が用立てられるのは、最高でも千円が限度だという話です。千円ではとても帰れない。私がそう告げると、若い警官はしばらく思案したあと、こんなプランを示してくれました。

 「でも千円しか無理なんです。だからとりあえず千円で電車に乗って、行けるところまで行って、それで着いた駅で降りてですね、駅前の交番でまた千円借りて、それから千円分電車に乗って、それでまた駅前の交番に行って……」

 この警官が冗談をいっているわけではないと気がつくまでに、私はしばらく時間を要しました。むろん、千円単位の旅というのも面白いかもしれない。乙なものかもしれない。きっと風変わりな旅情が満喫できることだろう。しかしそれは、時間と心に余裕があればの話だ。そしていまの私は、残念ながらそうした状態にはないのだ。てゆーか、どーしてそんな罰ゲームみたいな真似しながら帰らなきゃならないんだ。私は対象の曖昧な怒りを覚えながらも、ごく正直な、しかし一文なしの身には贅沢でもある願望を打ち明けてみました。

 「できればお昼までに、午前中に帰宅したいんですけど。東京駅から四時間あれば帰れるんですが」

 「あ、そうなんですか。うーん。それじゃ中さん、タクシーはどうですかタクシーは。たぶん五時間ほどで帰れると思うんだけどな」

 それは帰れるだろう。タクシーならばいくらだって拾えるばずだし、名張までといえば名張まで飛ばしてくれもするだろう。五時間が六時間七時間になったとしても、私を間違いなく自宅まで送り届けてくれることだろう。しかしそんなことしたらタクシー代がどれほどのものになるのか、それを考えたら気が遠くなってしまうではありませんか。親身になって相談に乗ってくれていることはよくわかるのですが、この若い警官の思考はセンターラインがややずれているようだ。私はぼんやりとそんなことを考え、なんだか途方に暮れてしまいました。

 「あ、中さん。煙草は喫いますか」

 はあ、と答えると、その親切な若い警官は灰皿を出してくれました。私はすっかりひしゃげてしまったマイルドセブンライトをポケットから引っ張り出し、ゆっくりと煙草に火をつけました。


●10月5日(水)

 10月2日朝、警視庁愛宕警察署新橋駅前交番。私の困惑を受けた若い警官は、ちょっと待っててくださいといい残して部屋を出、入れ替わりに三十代くらいの警官が現れました。彼は私の話を聞いてまた部屋をあとにし、壁の向こうで電話をかけている気配です。相手はどうやらJRらしく、「置き引きだよ置き引き」といった声がかすかに聞こえてきました。

 結局のところ、当然といえば当然のことですが、私が無一文で普通に、つまり新幹線のぞみと近鉄特急で名張まで帰れる手だてはないらしいことが判明しました。たとえば、私が家族か知人に連絡し、近鉄名張駅ではなく最寄りのJRの駅に向かわせて、その駅(私の場合、自宅から自動車で四十分はかかるJR伊賀上野駅ということになります)で私の運賃を支払わせる。そうすれば、私は新橋駅から伊賀上野駅まで無賃で乗車できないわけでもないそうなのですが、すべては鉄道会社側の判断に委ねられることになります。そうした場合に必要になるだろうから、置き引きに遭ったという事実を証明するために、被害届の写しか何かを発行してもらえないかと頼んでみたのですが、すぐには不可能だとのことでした。

 いずれにせよ、いつまで交番にいても埒は明きません。私は警官に礼をいい、千円を借りてゆくことにしました。私の目の前で、若い警官が白い封筒に千円札を入れてくれます。封筒は専用のもので、金額を記入する欄が黒い枠で囲まれ、「このお金は、反復して利用しております。当交番又は都内最寄りの警察署・交番へお返し下さい」という文章が印刷されています。私がその封筒を押しいただいていると、三十代の警官が横に来て、新品ではないノック式ボールペンを手に握らせてくれました。

 「いろいろメモしなきゃならないことも出てくるだろう。これ、持っていきなさい」

 私はジャケットの内ポケットに封筒とボールペンをしまい込み、新橋駅前交番をあとにしました。警官は全部で四人出勤していて、私が礼を述べると、それぞれに声をかけてくれます。最後に三十代の警官が、私の背中に向かってこんなことをいってくれました。

 「もしもほんとにどうしようもなかったら、またここに立ち寄りなさい。いくらでもなんとかしますから」

 私は新橋駅に戻り、封筒から千円札を取り出して、百九十円分の切符を買いました。池袋駅までの運賃です。所持金残高、八百十円。


●10月6日(木)

 新橋駅前交番で思いのほか時間を過ごしたせいで、池袋駅に到着したときには午前8時を過ぎていました。私は改札から西口まで、公衆電話を探しながら歩きました。私の頭からは、鉄道会社にかけあって電車に乗せてもらうという考えはきれいに消えています。誰かにお金を用立ててもらえば済む話です。それなら誰に?

 ──乱歩に。

 私はそんな答えを出していました。乱歩というのは、むろん乱歩のご遺族という意味です。苦境というやつは人をいくらでも鈍感にし、厚顔無恥にしてしまうもののようで、新橋駅で切符を買うとき、ここはひとつ乱歩のご遺族におすがりしてみようと、私はなんとも図々しいことを考えてしまいました。それで池袋までの切符を買い求めたのでした。

 公衆電話はすぐに見つかりました。一〇四番に電話して、ご遺族の電話番号を調べてもらいました。ところが、その番号を教えてもらうためには百円の料金が必要とのことです。私はポケットの小銭をつかみ出しましたが、電話をかける前に煙草を買い、電話代に十円を費やしたあとですから、所持金残高は五百三十円。しかも掌にあるのは五百円硬貨です。コインの投入口は十円玉か百円玉しか受け付けてくれません。それを伝えると、

 「百円玉をご用意のうえおかけ直しください」

 番号案内嬢は別れ話を告げるような冷淡さでそういいました。受話器を置き、煙草を買って小銭をつくろうと思いついた私は、それがじつにバブリーな考えであることに気がつきました。そこで近くのキオスクで五百円玉を両替してもらい、一〇四番をもう一度プッシュしました。新橋交番で手渡された白い封筒を取り出し、やはり新橋交番で貰ったばかりのノック式ボールペンを使用して、教えられた電話番号を書き写してゆきます。よし。

 電話をかけるには早すぎる時間帯かな、とは思いながら、私はその電話番号をプッシュしました。呼び出し音が鳴り始めます。それを十まで数えて、私は受話器を置きました。不吉な想念が頭をかすめます。煙草を喫って時間をつぶし、同じことをもう一度くりかえしましたが、結果もまた同じでした。十まで数えて、私は受話器を置きました。どうやらお留守のようです。


●10月7日(金)

 大好評連載中の東京置き引き遭遇記、恥ずかしながらあちらこちらで爆笑混じりの反響を呼んでいるようで、きのうの夜など親戚筋の二歳何か月かの女の子から電話が入り、

 「おっちゃん置き引き、おっちゃん置き引き、おっちゃん置き引き」

 といきなりくり返されてしまいました。彼女は彼女なりに、親戚縁者の恥部とも呼ぶべき私に対して何かしら一言あってしかるべきと考えたのかもしれませんが、「置き引き」を「オチビチ」としか発音できぬ幼児に俺の苦難の何がわかるか。千円札一枚だけ持たされて東京から名張まで雄々しく帰還してきた勇者が親戚にいることを、彼女は誇りに思うべきでしょう。

 話題はころっと転じますが、名張市建設部都市計画室に置かれた名張まちなか再生委員会事務局からメールを頂戴いたしました。9月20日に送信した質問への回答です。ちなみに私の質問は──

 どうもお世話さまです。過日お電話を頂戴したおり、名張まちなか再生委員会の審議内容をどんな形で公表してゆくか、8月開催の役員会で検討が行われるとお教えいただきました。どんな結論が出たのでしょうか。ご多用中恐縮ですが、メールでお知らせいただければ幸甚です。

2005/09/20

 で、頂戴した回答は次のとおり。

中 相 作 様

 名張まちなか再生委員会の取り組みにつきましては、歴史拠点整備、水辺整備、交流拠点整備、生活拠点整備、歩行者空間整備の各プロジェクトにおいて、各種の事業実施に向けた基本方針等の検討を行っています。

 名張まちなか再生委員会の開催状況等の公開につきましては、進捗状況及び検討経過等を市民の皆さまにお知らせするために、名張市ホ−ムペ−ジへの掲載を考えており、現在、事務局で公開に向けた準備をしている段階であります。

 うーん。これではなあ。しかしまあ、とりあえず回答が届いたことのみをお知らせして、そそくさと本題に戻りましょう。

 さるにても、先日もお伝えしたとおり豊島区役所生活保護費盗難事件なんてのがあったかと思うと、5日には犯行現場こそ川崎市でしたけれど立教大学大学院教授刺殺事件が発生し、きのう6日午後には池袋雑居ビル催涙スプレー事件と、池袋がらみの事件がやけに目につくような気がします。

 それに較べると私が遭遇した置き引き事件など、むしろどことなく微笑ましく、悔しいけれど牧歌的とさえ表現できるほどで、都市生活者のすさんだ心に一輪の可憐な花を咲かせるような事件ではあったわけなのですが、とにかく10月2日の日曜の朝、オール明けの酔っ払いにして犯罪被害者でもある私は、池袋駅西口に莫迦みたいに突っ立って駅前の風景を眺めていました。

 ──さて、どうしようかな。

 乱歩のご遺族に連絡が取れないとなると、次の手だてを考えなければなりません。思案に暮れながら駅前の風景を眺めていて、私はある事実に気がつきました。消費者金融の看板がやたらに多いという事実です。むろん身分証明になるものをいっさい身に帯びていないわけですから、いくらマチ金といえどもすんなりお金を貸してくれるとは思えません。にしても、当たってみるのも悪くないだろう、どうせ暇だし、と考えた私は、営業時間を確認するためにアコムであったか武富士であったか、大きな看板が掲げられたビルまで行って表示を読んでみました。土日祝日休み、とあります。

 次の店に回ってみても、やはり休みのようです。西口前を時計回りにぐるっと半周してまた駅に戻ると、そこに交番がありました。いまから考えると、そのときの私は交番や警官というものに生まれて初めてといっていいほどの親近感を覚えていたのかもしれません。交番の前に立つ若い警官に吸い寄せられるようにふらふら近づいて、

 「日曜でもやってるマチ金はありませんか」

 と尋ねてみました。警官はちょっと待ってくださいと告げて交番に入り、かわりに出てきてくれたのは五十年配の警官でした。同じ質問をぶつけると、

 「そりゃありますよ。ちょっと奥のほうへ入ればいくらでもあるんだけど、そういうのはやっぱり、ね……」

 日曜でも営業しているのは悪質な業者だから利用するのは控えたほうがいい、ということでしょう。私は礼を述べて交番を離れ、また駅前にたたずんで煙草に火をつけました。そして、

 ──そうか。Hがあるか。

 と思いつきました。Hというのは池袋駅西口にある古本屋さんで、私はそこの社長さんと懇意にしていただいています。よし。Hの社長さんにおすがりしてみよう。私はHを目指して歩き始めました。

 とはいうものの、よくよく考えてみると、懇意といってもわずかにただ一度、立教大学関連のパーティでご一緒して一夜お酒とカラオケをともにしたというそれだけの間柄です。普通こんなのを懇意とは呼ばんのではないか。むしろまったくの赤の他人ではないか。いきなり訪ねていって二万円貸してください、そんなことがよく切り出せるものだな俺も。そんな煩悶を胸に抱えながらも、溺れる者は藁をもつかむ、わずかな関係性をお釈迦様の蜘蛛の糸のごとくに思いなし、Hの社長さんを何十年来の知己のごとく、いやもういっそ実の父親のごとくに強いて思いなしながら、私は力強い足取りでHのビルに到着しました。むろん、まだ開店はしていません。

 ビルの一階と二階はHの店舗ですが、三階から上は社長さんの住居になっているはずです。新聞受けに突っ込まれた新聞がまだ取り出されていないのを不吉な思いで眺めながら、私はインタホンのボタンを押しました。ピンポン。応答はありません。しばらく時間をおいてから、未練たらしくもう一度、ピンポン。やはり応答がありません。

 ──いやー、まいった。

 私はその場に棒立ちになり、それから空を仰ぎました。十月の朝の都会の空は、なんだか莫迦みたいにこともなげに晴れ渡っています。


●10月8日(土)

 いつまでも悠長に東京綺譚を書き綴ってなどいないで、地元における名張まちなか再生事件と名張エジプト化事件をそろそろ本格的に追及するべきときだろうなとは思うのですが、名張のまちでリフォーム詐欺を働こうとしているらしい名張まちなか再生委員会からの反応がきのうお知らせしたとおりのものでしたから、なんかもうほんとにあほらしくなってしまいます。

 ただまあ、これは今回の上京で経験したことなのですが、たまたま何かの会合で出会って何人かでお酒でも飲もうということになると、こちらから持ち出したわけでもないのに名張まちなか再生事件や名張エジプト化事件のことがちらっと話題になったりはするわけで、それは要するに乱歩の生誕地である名張のことを心配してくださる方が東京にもいらっしゃるということにほかならないのですが、肝腎の名張がいいだけムラ社会ですからいったいどうなることでしょう。

 それでは、本日は時間がございませんので。


●10月9日(日)

 Hのビルで目的を達することができなかったため、私は疲弊した兵士のような足取りでふたたび池袋駅を目指しました。すれ違う人たちはみな屈託がなさそうで、この世の不幸はもしかしたら自分ひとりが引き受けているのではないか。そんな気分に陥りながら、それでも頭のなかで必死に考えをめぐらせるうち、私はあることに思い当たって小躍りしそうになりました。それは素晴らしい考えだと思われました。

 ──区役所があるではないか。豊島区役所に行って、区長さんにおすがりしてみよう。

 豊島区の財政事情はいかようにもあれ、区長ともあろう人がわずか二万円程度のお金を工面できないはずがありません。区長さんには立教大学関係のパーティでお会いして以来、もう一年以上ご無沙汰しているのですが、折り入ってお願いすればなんとか助けていただけることでしょう。

 豊島区役所は駅の反対側、東口にあります。池袋駅に戻った私はダンサーのような軽快なステップで西口の階段を降り、たーりらーりらーん、と鼻歌でも飛び出しそうな上機嫌。通行人のなかに眉を曇らせている人があれば、ひとこと声をかけてやりたいような気分で東口まで歩いたのですが、そんな状態も長くはつづきませんでした。その日が日曜であることに気づいてしまったからです。

 ──区役所は休みか。

 重ねて指摘しておきますと、私はオール明けの酔っ払いでした。ですからついさっきには、きょうは日曜だから消費者金融はお休みであるとちゃんと認識できていたにもかかわらず、いつのまにか曜日の感覚を喪失してしまっていたもののようです。私はすっかり意気消沈し、目標を見失って、ただ口のなかでストレイシープ、ストレイシープと三四郎のように呟き返しながら、池袋駅東口に立ち尽くしました。心が折れる、という最近の若い衆の常套句は、あるいはこんなときに使用するものなのでしょうか。それにしても、わずか一万円札二枚の問題でぽっきり折れてしまうとは、私の心はどこまで繊細にできているのか。

 ──いや、区役所は休みであっても、区民センターなら日曜でも開いているはずだ。

 いったん折れてしまった私の心に、天啓のごとく一条の光が射し込んできました。区役所の近くには区民センターという施設があります。その五階だか六階だかにある三百席ほどのホールで、もう三年も前のことになりますが、名張市から持ち込んだ探偵講談の企画を豊島区の全面的な協力のもとに公演した、そのことを私は思い出しました。区民センターの二階に置かれている豊島区コミュニティ振興公社の事務局を訪れれば、探偵講談でお世話になった事務局長のMさんにお会いできるのではないか。そう考えた私は、記憶をたどりながら豊島区民センターに向かいました。

 センター二階の事務局では、ふたりの女性スタッフが勤務していました。豊島区コミュニティ振興公社は、としま未来文化財団と改称したらしいことがわかりました。Mさんがひきつづいてお勤めなのかどうか、いささか不安になりながら、Mさんはいらっしゃいますかと尋ねてみたところ、まだ出勤してないんです、とのことでした。私は内心ほっとし、問われるままに事情を説明したところ、それはお困りですね、と女性スタッフがMさんのお宅に電話を入れてくれました。Mさんは出勤されたあとでした。私はいよいよ心安んじ、Mさんの到着を待たせてもらうことにしました。

 区民センターの二階では、ごく小規模ながら乱歩に関する展示が行われていました。「七宝に二引」という家紋を染め抜いた乱歩の法被や、名張市と伊賀市で販売されている乱歩にちなんだお酒の瓶なんかをぼんやり眺めていると、女性スタッフが呼びに来てくれました。Mさんと電話がつながったとのことです。出てみると、何、中さん、いったいどうしたの、というMさんの懐かしい声が聞こえてきます。私は膝の力が抜けそうになるような安堵を覚えました。Mさんは区のイベントの仕事があって、池袋西口広場にいらっしゃるそうです。

 「だから西口広場までいらっしゃい。噴水があって、テントがたくさん建ってますから、としま未来文化財団のテント、そこで会いましょう」

 私は何度もお辞儀しながら受話器を置き、女性スタッフにも礼を述べて、豊島区民センターの階段を風のように駈け降りました。たーりらーりらーん。


●10月10日(月)

 夏に逆戻りしたような陽気となった10月2日午前、 IWGP すなわち池袋西口広場には特設ステージが組まれ、一角にはテントも林立して、多くの人が群れ集っていました。たしかに何やらイベントが催されているようです。としま未来文化財団のテントはすぐに見つかり、その前で待っていると、まもなくMさんがやって来てくれました。満面の笑みで、

 「何、中さん、どうしたの」

 と尋ねられた私は、いやもうお恥ずかしい話でして、と早朝以来のゆくたてを話し始めました。

 テントは二列、挟まれたスペースが通路になるように並べられて、物品販売が行われていました。Mさんは通路スペースを背にして立ち、その後ろを人が往来してゆきます。さらにその向こう、隙間なく建ち並んだテントの列の一番はずれにふと目をやって、私は思わず声をあげてしまいました。あるはずのないものがあり、いるはずのない人間がいたからです。

 そのテントに立てられているのは、間違いなく「名張」と染め抜かれた幟でした。テントのなかに見えたのは、名張市内で和洋菓子の製造販売業を営むHの姿です。このHという男とは、小学校から高校までを同じ学校で過ごした仲でもあります。私は話を中断して、

 「あんなとこに名張市のテントがあるんですか。名張市からも来てたんですか。いや知らんかったなあ。それ知ってたら最初からあのテントに行ってたんですけど。こうなったらもう大丈夫です。あのテントでなんとかできますから」

 と早口でMさんに伝え、そそくさと礼を述べて名張市のテントに向かいました。そして、早朝の新橋駅以来の艱難辛苦を思い出し、われ知らず万感こもごも一気に到ったような声になって呼びかけると、背中に「名張」という文字の入った法被を着たHは、

 「おお、なんや、おまえも来てたんか」

 とあっさり答えます。私は事情を説明し、悪いが二万円、都合をつけてくれないかとHに頼みました。Hはまた、おお、と答え、肌身離さず持っているらしい財布を開いて一万円札を二枚、それからもう一枚、都合三枚取り出して私にこういいました。

 「念のために三万持っていけ」

 私は一瞬、人目もはばからず、その場でHを抱きしめてやろうかと思った。むろん抱きしめてはやらなんだけれど。そうこうしているところへ、わざわざMさんが足を運んできてくれました。HとMさんは顔馴染みになっているらしく、

 「こいつ、同級生ですねん」

 「あ、なーんだ、そうだったの。はははははは」

 といった会話を交わしています。私もまたその横で、

 「いやー、はははははは」

 と汗を拭き拭き笑うしかありませんでした。過ぎ去った夏がまた再来したかのような、とてもとても暑い日のことでした。

 聞けば、1日と2日に池袋では「ふくろ祭り」と「東京よさこい」というイベントが催されていたといいます。その一環として豊島区の友好都市による観光物産展が開かれ、名張市も出展したものですから、Hのような業者と名張市観光協会のスタッフが前日の1日からこの広場に乗り込んで、名張名物のかたやきというお菓子やHのオリジナル商品たんぽぽゼリーなどを販売していたそうなのですが、私はそんなことまったく知りませんでした。

 「二十面相も来るころやで」

 とHがいいます。二十面相というのは、むろん怪人二十面相のことです。名張市は怪人二十面相に住民票を交付するという、私個人としてはいささか気恥ずかしくてとても大きな声ではいえないようなことをしているのですが、その名張市のいわばオフィシャル二十面相がこの IWGP 特設ステージに登場して、豊島区の区長さんに親書を手渡す手筈になっているのだといいます。

 「おまえ、カメラ持ってきてへん?」

 とHが尋ねました。オフィシャル二十面相の登場シーンを撮影してゆけということなのですが、いつもならバッグに入っている取材用のデジタルカメラやボイスレコーダーは自宅に置いてきてありました。もしも入れっぱなしだったらそれらもまた置き引きの被害に遭っていたところですから、これは不幸中の幸いと呼ぶべきことかもしれません。

 時刻を尋ねると、二十面相の登場は午後2時の予定だといいます。まだまだ時間があります。オール明けの酔っ払いにして犯罪被害者でもある私は、いまや一刻も早く家に帰って犬と遊びたいという矢のごとき帰心に急かされていました。ですからオフィシャル二十面相と区長さんとの対決シーンを目撃することは潔く諦め、出場者と入場者でごった返す会場をひとりであとにしました。

 ──さようなら、池袋西口広場。Farewell, IWGP!