2007年7月上旬
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あっというまに7月を迎えてしまいました。 大河漫才「僕の住民監査請求」はいよいよ名張まちなかカルテット最終篇、第四部の「零落篇」に突入いたしました。例によって三ページだけどうぞ。 それにしても時間がかかります。ひいひい。 |
おはようございますッ。ぼくは名張市だいッ。インチキだったらどこの自治体にも負けないぞッ。 いやいや。朝っぱらからなーに書いてんだか。大河漫才をひととおり書き終えたせいで虚脱状態になってしまったみたいです。きのうの朝なんかサイトの更新に手をつける気にもなれず、けさはけさとていきなりこんなうわごとを書きつけてしまう始末。 ほんとにインチキばっかりなんだからなッ。 いかんいかん。またうわごとが出てしまいました。ずーっと漫才書いてた影響で人格が分離してしまったのかもしれません。 ここで金沢あたりの方にお知らせです。金沢市尾張町の金沢蓄音器館できょう7日夜、「Rampo〜朗読の乱歩道」というイベントが催されます。詳細は金沢蓄音器館オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。 きょうのイベントをきょう告知してどうするんだとお怒りの諸兄姉もおいででしょうが、けさ届いていたメールでお知らせいただいた情報ですのでご寛恕ください。そのメールによれば、SP レコードをバックに「押絵と旅する男」を朗読する試みとのこと。けっこう面白そうな感じです。「悪魔のトリル」がかかったりしたら拍手喝采ものでしょうか。 僕は名張市だいッ。 またうわごとが出たところで金沢から名張に戻ります。しかしよく書いたものです。もちろん漫才の話です。なんかばかみたいになって漫才書いてたわけですけど、漫才ったっていうまでもなく上演台本ではなくて読む漫才なんですから、普通に文章を書くときにつかう程度の気はつかいます。 ──天城峠のトンネルをぬけると南伊豆の秋空はくっきりと青く光っていた。 という「零人」冒頭の文章に「と」がよっつも入っていることに大坪砂男はひと夜さ悩み抜いたのであった、なんてエピソードをどっかで読んだ記憶があるのですが、こういった悩みはひとり大坪砂男のみならず、文章のひとつも書こうという人間なら多かれ少なかれ経験していることではないかしら。少なくとも私ごとき菲才は漫才書くときだっていろんなことで悩んだり思案したり、とどのつまり書いては消し加えては削りの連続ということになります。 それにしても時間がかかりすぎだなと思われるのですが、その理由のひとつは書いてるうちにすぐ腹が立ってくるということでした。パソコンの前にじっと坐っていられないくらいの怒りをおぼえる。はらわたが煮えくりかえる。どうしてどいつもこいつもここまでばかなのかと眩暈がしそうなほど腹が立ってくる。しかたないからしばらくソファに寝っ転がって平静をとりもどす。またパソコンの前に坐る。あっというまに怒りがこみあげてくる。ソファに寝っ転がる。このところ朝からこんなことばっかくり返していたという寸法です。 もっとも、いま計算してみましたところ、今回の漫才は一行十八字にして一段二十四行の三段組みで一ページ、それが八ページまとまって一部が構成されてますから単純計算で一万三百六十八字、つまり四百字詰めで二十五・九二枚ということになります。四部作ですからかける四でだいたい百枚。百枚も書いておったのか。それじゃ時間がかかるのもあったりまえの話か。 この大河漫才「僕の住民監査請求」は住民監査請求の参考資料として提出するものですが、それだけじゃもったいないですから国土交通省にもお送りすることにしようかな。まちづくり交付金の担当セクションに郵送して、あんたらがこんな交付金つくってくれたおかげで名張市はこのとおり大混乱なのである、と苦情を添えて地方の実情を報告したほうがいいのではないかしら。地方の現実というものをもうちょっとしっかり認識しましょうね、と国交省のキャリアのみなさんにエールを送るという意味もあるしな。そうするとこの漫才が霞が関で話題になってメディアにとりあげられるかもしれません。NHK なら「クローズアップ現代」あたりで「苦悩する地方自治体」みたいなテーマになるでしょうか。するってえと国谷裕子さんが名張まで取材に来てくれるわけか。ならば当然私が取材を受けるわけですけど、恥ずかしいから顔にモザイク入れてもらって(おれの顔は AV 女優のあそこかよ、という気もしますけど)、声もエフェクターで変えてもらって、もちろん実名は出さずにあやしげな名張市民 A とかいうことにしてもらって、しっかし国谷さんから取材されたりなんかしたらもう緊張しまくってまともなことはひとこともしゃべれず、 「ここらの人間はもうあほばっかりですねさッ」 とか口走るだけだったりしたらオンエアは無理かもしれんなあ。せっかくのチャンスだというのに困ったなあ。 あ。またうわごとだ。うわごとっていうより頭のなかがまだ完全に漫才モードだということなんでしょうか。早く立ち直らねば。 |
大河漫才「僕の住民監査請求」脱稿にともなう虚脱感から立ち直るべく、とりあえず「RAMPO Up-To-Date」の更新に手をつけました。6月17日を最後にほったらかしてありましたので、新聞記事とかだけでも結構たまっておりました。 さるにても、映画になったり── お芝居になったり(チケットは6月24日で完売ですけど)── 漫画になったり(掲載誌の版元は9月いっぱいで店じまいですけど)── 毎度おんなじことばっかいっててまったくばかみたいではあるんですけど、歿後四十年以上たつ乱歩という作家がここまでいまの時代に受容されてるってのはなんとも凄いことです。いくら考えてみましても、ほかにこんな作家の例は見あたりゃしないと思われます。 それでもって、えへん、自慢ではありませんけど名張市はその乱歩が生まれた土地なのですが、ほんとに自慢ではないんですけど乱歩という作家の凄さというか偉大さというか、そういうものがここらの人にはまったく理解できておりませんから困ったものです。要するにここらへんの人はばかなんです。官民ともにばかばっか。 よしッ。 何が「よしッ」なのかというと、「官民ともにばかばっか」と書きつけたとたんにまたむらむらと腹が立ち、怒りがこみあげ、しまいにゃしばき倒すぞこの低能どもッ、とか思ってしまいましたのでこうなると冷静に文章を書いてなんかいられません。まーたソファに寝っ転がって神に祈りを捧げながら気分を落ち着け、そのあとふたたびパソコンに向かって「よしッ」と気合を入れたわけです。 で、それならばここらへんの人たちにとって乱歩ってのはいったい何なのかといいますと、大河漫才「僕の住民監査請求」をお読みいただいた方は先刻ご承知のそのとおり、畢竟するに自己顕示の具でしかありません。乱歩の名前を利用して有名になりたい。名張市を有名にしたい。驚くほどにそればっか。大河漫才の第四部「零落篇」から引きますと──
官であろうが民であろうが、てめーらの見苦しい自己顕示欲のためにいいように税金つかわれてたまるかってんだ、と私は思っておりますし、ここらへんのみなさんが乱歩という作家をご町内感覚によって思いっきり矮小化してしまうのはどーかご勘弁いただきたいなとも念じているのでありますが、しかしまあいいと、きょうびのことゆえシティセールスとやらも必要だろうと、名張市という自治体の PR に乱歩を担ぎ出すのはまあいいだろうと、ただしそれならおまえら乱歩作品を読みなさいと、乱歩がどういう人であったかを知りなさいと、そうでなければ乱歩を PR に利用することなんかとてもできんぞと、いくらばかでもその程度のことはわかるよなと、何度もくどくどといってきたというのに結局はこのざまかよ。 乱歩文学館乱歩文学館と大風呂敷を広げることはできたとしても、話はそこから先に一歩も進みません。乱歩文学館をいったいどういう施設にするのか、その施設で何をするのか、そんなことには見事なまでに考えがおよびません。私はもうずいぶん長いあいだあっちこっちでこういったたぐいのドタバタ劇を目撃してきたような気がする次第なのですが、うーん、ばか。おれはもう泣きたいよ。 それで先日来、新聞紙上でもって、 「乱歩文学館建設/取りやめ再表明/名張市長、広場に記念碑」 「名張の旧病院施設、今年度中に解体/乱歩の記念公園に整備へ/市が方針」 「江戸川乱歩/生家復元計画を断念/名張市長 記念碑の建立程度に」 「江戸川乱歩の生家復元計画を断念 名張市長が表明」 「名張市 乱歩文学館を断念/財政難 記念広場整備のみ」 こんなぐあいに派手に報じられたりしましたせいで、いやまあ派手といったって全国紙地方版の話なのですが、私がそれをこのサイトで紹介いたしましたので、乱歩文学館はどうしたのだとか建設断念は残念なことだとか、遠方の方からもメールや葉書を頂戴したりしているのですが、こんな騒動には何の意味もありません。ただの茶番です。そのことをここに記しておきたいと思います。乱歩文学館構想なんてここらへんのばかがただの思いつきで口走ったたわごとで、これっぱかりの実質もともなってはおりません。 いやそれ以前に、名張市ってのはほんとにどうなっておるのか。6月15日付伝言に引用した中日新聞オフィシャルサイトの記事を再掲いたしますと──
てなことなわけなのですが、そもそも名張市長にこんなことが表明できるわけがありません。大河漫才第四部「零落篇」から引きますと──
といったことになるわけです。私はこれまで名張まちなか再生委員会に対しまして、委員会事務局においてまた自分のウェブサイトにおきましても、ルールや手続きを無視するなと、フェアネスやジャスティスはどこにもないのかと、原理や原則を重んじろと、なにしろおまえらは税金の具体的なつかいみちを決めてるんだからなと、それはもうばかみたいにおなじことばかり主張しつづけてきた次第であるのですけれど、結局のところはこのざまなのね。 名張まちなか再生委員会が乱歩文学館とやらについて検討していることがそもそもインチキなわけなんですが、そのことにはいまはふれずに話を進めますと、その検討の結論はいまだ出されていないわけです。もとより名張まちなか再生委員会には乱歩文学館に関して結論を出す能力なんて微塵もないのですけれど、そんなことにもいまはふれません。とにかく委員会側の結論が出ていないわけです。つまり名張市から検討をゆだねられた委員会の検討はまだ終わっていない。にもかかわらず名張市長は乱歩文学館の建設断念を表明してしまった。 そんなことができるはずねーじゃん。ていうか、そんなことがあってはならないわけなのね。名張市が名張まちなか再生委員会の主体性や自立性を平気で無視し踏みにじるようなことがあってはならないわけなのね。もしもそんなことしてみなさい。そこらのうすらばか何十人と集めて発足させたすべての委員会の無効性を名張市長みずからが証明し公言してしまうことになってしまいます。しかし現実にはそんな暴挙が平然とまかり通っているのである。しかも驚くべし。名張市議会も名張まちなか再生委員会もそうした暴挙に対してひとことも声を発しようとしないのである。つか、そもそも何もわかってない。 どいつもこいつもあったま腐っとるのか。 ですから名張市でいまげんに進行しているのは、第四部「零落篇」から引くならば──
てなことにほかならないわけなのね。細川邸の私物化工作につきましては、まだお読みでない方はぜひ「僕の住民監査請求」四部作をお読みください。いまだ決定稿ではありませんけれど PDF ファイル全三十二ページはこちらです。
名張市がもしも断念するというのであれば、それは名張まちなか再生プランそのものであるはずです。こんな理屈はそこらの小学生にだって理解してもらえることでしょう。 名張まちなか再生プランはとにかく惨憺たる状態である。これはもうだめである。これ以上検討をつづけても意味はない。現状に鑑みて判断するならば、細川邸の活用をはじめとした検討課題にまともな結論は出ないであろう。だから再生委員会の結論を待つことなく、名張市は名張まちなか再生プランを断念する。再生委員会を組織した名張市の責任においてそう判断する。断腸の思いで決断する。委員会の主体性や自主性を踏みにじる結果になった責めは負うが、そもそも委員会がばかだったのであり、そんな委員会つくった名張市が突出してばかだったのである。ちっとは反省しなくっちゃ。 名張まちなか再生委員会に行政としての判断と結論をそう伝え、委員会を解散すればそれでいいはずです。それならば筋が通ります。いまとなってはそうするのが最善の選択だと私には思われますし、もしもプランそのものを断念したら名張市は神認定を受けることになるはずだとも思うのですが、とても無理なのであろうな。しかしこのまま行ってしまったら、名張市オワタ\(^o^)/、てなことになってしまうんじゃねーの実際。 ここで記しておくならば、私はこのひどいことになってしまっている名張まちなか再生プランについて、現時点における最善の道を選択するための相談にはいくらだって乗る用意がある。名張まちなか再生委員会に対しては、おまえらのことなんてもう知らねーやばーか、と昨年6月の時点で絶縁を宣言いたした次第なのであるけれど、会いたいと申されるのであればどなたにでもお会いいたそう。しっかしおれに会いたいなんてやつはひとりもいねーんだろうなこの官民双方のヘタレども。だから住民監査請求だっつーの。 ついでに記しておきますと、乱歩文学館などというたわごとには一応のけりがついたんですから、名張市がこの先も乱歩に関してなんらかの事業を進めてゆくというのであれば、第四部「零落篇」にも記しましたとおり──
みたいなところからはじめればいいわけです。この件に関しても私はどなたとでもお会いして有益な話し合いを進める用意があるのですが、それも無理なのであろうな。 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 こんなやつばっかなんだもんな。 とにかく住民監査請求だっつーの。 |
あちゃー。もう六スレ目かよ。名張市のニュースが2ちゃんねるニュース速報+板で意外な人気を呼んでるみたいです。 ニュー速+板に登場した伊賀地域のニュースといえば、あれは今年の4月であったか、「分身の術がつかえればよかったのにね」とかいいようにおちょくられまくった伊賀市長耐震ゴルフ事件が記憶に新しいところです。あのときは同時多発的に複数のスレが立てられたものでしたが、しょせん色ものみたいな話題でしたからすぐに飽きられてしまいました。スレの延びという点では一も二もなく今回のニュースに軍配があがります。よかったな名張市。伊賀市に勝ったぞ。 スレの推移を確認しますと── 【三重】「勉強しない人は、そこら辺で死んでも先生は困らない」小学校教諭が児童に発言→保護者の通報で発覚し、教師は謝罪 ──2007/07/06(金) 14:02:15 【三重】「勉強しない人は、そこら辺で死んでも先生は困らない」小学校教諭が児童に発言→保護者の通報で発覚し、教師は謝罪★2 ──2007/07/06(金) 17:15:57 【社会】 「勉強しない人、死んでも先生は困らない」 小学校の女性教諭、児童に発言…三重★3 ──2007/07/06(金) 21:12:01 【三重】「勉強しない人は、そこら辺で死んでも先生は困らない」小学校教諭が児童に発言→保護者の通報で発覚し、教師は謝罪★4 ──2007/07/07(土) 11:17:54 【社会】 「勉強しない人、死んでも先生は困らない」 小学校の女性教諭、児童に発言→保護者の通報で発覚…三重★5 ──2007/07/07(土) 18:26:11 それできょう9日の午前1時39分42秒に六スレ目突入ということになったわけですが、このほか痛いニュース+板にも「【三重】小学校の女性教諭(43)「勉強しない人は、そこら辺で死んでも先生は困らない」と発言」が6日午後3時49分34秒に立てられていました。さらにお詫び+(仮)板には6日午後3時3分39秒に「【三重】三重の小学校教諭が児童に「死んでも困らない」発言でお詫び」が。よかったな名張市。三階級制覇だ。 ソースは神戸新聞オフィシャルサイトに掲載された共同通信の配信記事なのですが、アクセスするとすでにして「File not found」。そこで適当に検索して山陰中央新報に掲載されたおなじ記事から引用。
じつはどうということのない記事です。どうしてわざわざ共同通信が配信したのか理解できないほどなのですが、2ちゃんねるで人気を呼んでいる理由は「死んでも困らない」という見出しのインパクトに尽きるでしょう。小学校の教諭が児童にいきなり死をちらつかせ、それを困るの困らないのといった教諭個人の快不快の問題に帰着させてしまっている。なんじゃこれは、と2ちゃんねらーに思わせた時点で記事を提供した側のねらいが的中。はたして結構な食いつきです。記事内容がいいだけ敷衍されて話題がすっかり拡散してしまっている印象ですが。 いっぽうこちらは地元名張市。まず毎日新聞。6日の第一報と翌日の続報をどうぞ。
名張市教育委員会もたいへんです。たしか今年の春先には名張小学校児童情報流出事件とかもあって、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 でおなじみの教育次長さんもなんだかお気の毒。 中日新聞オフィシャルサイトにも掲載されました。こちらは「地域のニュース」ではなくて「社会」というカテゴリの記事。つまり紙面でいえば伊賀版でも三重版でもなくて社会面の記事です。要するに扱いが大きいわけ。
インターネット上で読める記事はこれだけみたいです。整理しておきましょう。 「勉強しない人は、そこら辺で死んでも先生は困らない」──共同通信 「そのまま死んでいいよ。私は困らない」──毎日新聞 「勉強しない人はそこら辺で死んでてもいいんだよ」──中日新聞 インパクトという点ではやはり共同通信でしょうか。いきなり死をもちだして子供を脅しつけるにしても、「そこら辺で」という場の明示によってリアルさを付与し、「先生」という上位にある主体の強調によって強迫の度を高め、「困らない」という関係性の否定によって決定的に冷酷な意志を伝える。共同通信の女性教諭はなかなかの役者だといっていいでしょう。ここまでやったら子供が泣き出しても無理はないなと思わせます。 そんなことはともかくとして、よかったな名張市。名前が売れて。本当は「三重の」ではなくて「名張市の小学校教諭」としてもらったほうがいっそう名前が売れたはずなのですが、残念ながら名張には見出しにつかってもらえるほどの知名度がないということでしょう。それに三重県といえば悪名高き三教組、かの三重県教職員組合のお膝元なんですから、名張が三重を出し抜くことはそもそもできない相談だ。ここはこらえてくれ名張市。 そのかわりいいことを教えてあげましょう。ブログ「三重県よろずや」に「名張市は下水道で財政破綻する」というエントリが掲載されました。以下引用。
で、トラバされた先がブログ「「名張を本気で変える !!」田合たけしの活動日記」の「不公平?」というエントリ。市内外の方にあれこれ親身にご心配をいただいて、ほんとによかったな名張市。これはとてもありがたいことだぞ。 下水道の問題もあればごみの有料化という問題もあって、名張市はほんとにたいへんです。名張まちなか再生プランで住民監査請求だッ、などと浮世離れしたことで浮かれ騒いでいてもいいのだろうかと反省される次第なのですが、まあいたしかたありません。待っててね名張市。 |
少年老いやすく学成りがたし、とはよくいったもので、あっというまに一学期が終わってしまいました。私が地域の名門三重県立名張高等学校で教壇に立つのは毎週月曜日のことで、夏休みまでに月曜日はもう一度めぐってくるのですが、たまたま海の日とかいう休日にあたっているため昨9日が一学期最後の授業ということになりました。一寸の光陰軽んずべからず。 校外学習と称して生徒といっしょに名張旧町地区、いわゆる名張まちなかの散策に出かけますと、高校のある東町から上八町、松崎町あたりまで進んでも歩いている人に出会うことはまずありません。わずかに自動車が通過し、かと思うとバイクに乗った米屋さんにはなぜか二度も三度も遭遇してしまう。それでも名張藤堂家邸跡と寿栄神社を見学して丸之内の通りに入ると、南町か朝日町あたりからとれたての野菜を売りにきたおばさんがリヤカーを停めて商いをしていて、まちのおばあさんがそれを買っているシーンに行きあったりします。 おばあさんに挨拶すると、おばあさんはびっくりしたような顔で、 「あんたらどこから来たんどな」 それはまあ、高校生が集団でまちをうろうろしているような時間帯ではありませんし、ましてやまちを歩いてる高校生がたまたますれ違ったおばあさんにおはようございますとかそんな挨拶をするのは普通ありえないことですから、おばあさんが驚くのは無理もありません。それでこちらが、地域の名門名張高校です、とか、名張のまちのことを勉強してます、とか答えますと、おばあさんはまちの歴史についていろいろ語ってくれます。昔このへんには大きな堀があったのだ、とか結構あやしい歴史的事実も教えてもらって、このあとどこを見学すればいいでしょうか、と尋ねると、 「そらまあ、ジャスコのほうやな」 それで中町を経由して元町にあるジャスコ新名張店リバーナまで足を運ぶ。要するに出たとこまかせもいいとこなんですけど、実際にまちを歩いたりまちの人と会話したり、そうすることでしか実感できないものがあるわけです。そうした実感とか、あるいは教室で教えられる名張のまちの歴史とか、そんなふうな蓄積を基盤として高校生に名張まちなかへの愛着が芽生えてくれたら嬉しいなと私は思っている次第ですが、そんなことを考えようともしない連中が名張まちなか再生とかなんとかちゃらいことほざいてんじゃねーぞばーか。 いっぽう、名張高校の校外学習も地域のごくごく一部にはちょっとだけ定着してきたみたいで、これは先々週、6月25日の授業で名張まちなかを訪れたときのことでしたが、まちの人から、 「今年はこれはつくりませんのか」 と尋ねられました。「これ」というのは「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」のことなのですが、ちょうどこの日、学校側から今年も予算がとれましたと連絡があったところでしたので、つくります、と元気に返事をすることができました。 つまり昨年度同様、三重県教育委員会の「元気な三重を創る高校生育成事業」としていささかの予算を獲得することを得た次第なのですが、ちょっと検索してみたところ三重県オフィシャルサイトに事業の紹介ページがありましたので、お暇でしたらどうぞご閲覧ください。 このページによりますと、事業の趣旨は──
へー、そーなんやー。事業はみっつにわかれています。
へー、そーなんやー。それでもって名張高校は昨年度同様、三番目の「地域との絆を育む高校生支援事業」に手をあげたわけですが、これがどういう事業かというと──
なんだと協働だと。地域との協働だと。おれに協働やらせる気かよ。何が協働だばか。なーにが「新しい時代の公」だってんだばーか。知事呼んでこいてめー。 事情がおわかりにならない方は大河漫才「僕の住民監査請求」の第四部「零落篇」をお読みください。
一部引用しときましょうか。
しかし三重県民のみなさん、どうぞご心配なく。協働なんていうインチキも私の手にかかればごくまっとうなものになります。ていうか、官民双方の薄汚れた手ですっかり相場を下げてしまった協働たらいうものの本来の理念を、高校生によるロンダリングでクリーンなものとしてよみがえらせることが可能です。県民のみなさんの税金からちょっとだけ頂戴する事業費は、けっして無駄にはいたしやせんぜということをここにお約束しておきたいと思います。 それでこの「元気な三重を創る高校生育成事業」、こんなような効果が期待されているそうです。
なーんか欲が深すぎるような気もしますけど、まあこんなお題目は別にして、身のたけ身のほどをわきまえたうえで地に足をつけてぶちかましたいと思います。 予算額は昨年度と同様ですから、「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」とおなじ体裁のリーフレットをつくることまではきのうの授業で決めたのですが、あとはまだ白紙。リーフレットのタイトルは、とりあえず「名張まちなかナビ2.0」といったところでしょうか。「ウェブ2.0」とか「ダイ・ハード4.0」とか、時代の流れを確実にキャッチしながら授業を進めたいと念じております。 |