2007年9月中旬
12日 文学館とか記念館とかの幻想だか妄想だか
13日 首相の辞任をきっかけに今年の夏をふり返る
14日 ところでブログってどうよ
15日  NPO ならびに名張市乱歩文学館について
16日 現時点の結論と今後の方針
17日 ブログってやつを開設してみました
18日 余は如何にしてブロガーとなりし乎
19日 江戸川乱歩年譜集成ブログ版の誘惑
 ■9月12日(水)
文学館とか記念館とかの幻想だか妄想だか 

 きのうの朝は二日酔いでぶっ倒れておりました。けさはすっきり。しかしせっかくすっきりしてるってのにまーた名張市の話題で不機嫌にならねばならぬのか、とか思いつつ進めます。すなわち、

 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。

 というおはなしです。

 乱歩文学館だとか乱歩記念館だとか、名張市にそんなものは必要ないと私はずーっと主張しつづけてまいりました。ところが私の主張は官にも民にも聞き入れられることがありません。官にしても民にしても何かというと乱歩文学館だ乱歩記念館だと火のついたようにわめき立てる。最近ではぱったり消息すら途絶えてしまった例の名張まちなか再生プランにおきましても、もともとプランに記されていなかった乱歩文学館とやらがいつのまにか俎上に載せられ、それが既定の方針であったかのごとく協議検討がなされていたのであった。要するにインチキなのであって、誰がこんなこといいだしたのか、責任者出てこい、と怒鳴ってみたところで誰も出てこぬことであろうが。

 こうしたハコモノ幻想にはかなり根強いものがあるようで、名張市のオフィシャルサイトを検索してみたところ、こんなページで記念館幻想が(妄想が、というべきでしょうか)語られておりました。

 名張市が「新しい名張市総合計画前期基本計画」の策定に際して募集したパブリックコメントの結果を伝えるページです。掲載は三年半ほど前、2004年の2月27日でした。

 私が実際に経験したところにもとづいて記すならば、パブリックコメントなんてのはずいぶんといい加減な制度でした。市民の意見に耳を傾けましたというアリバイ工作のような制度でしかありませんでした。しかも名張市は市民に対する礼を失しておる。コメントを提出した市民に何の連絡もよこさないのである。こちとら時間を割いて名張市のために知恵をしぼり、書きあげたコメントを市役所までわざわざ持参したのである。だからオフィシャルサイトで結果を公表したときくらい、これこれこういうことになりましたのでお知らせいたしますと連絡くらいよこしてもよさそうなものではないか。メール一本で済む話である。それがパブリックコメントを寄せた市民に対する礼儀ってものであろう。コメントの意味を理解できず、したがって施策に反映させることができないのは名張市役所のみなさんが無能であるゆえの避けがたい結果であるとしても、最低限の礼儀くらいはわきまえておきたまえ君たちという話である。

 それでもってこのページには二か所にわたって乱歩の名前が登場してきます。まずひとつめ。どこのどなたかは存じませんが、市民の方からこんなコメントが寄せられておりました。「市民等の意見の概要」から引用。

第3章−第1節−3 市街地整備
 地域住民のプラン実現のために、商工会議所が独自の計画案(名張市の活性化、観光客誘致のプラン)として、「名張市歴史記念館(仮称)」など)が紹介されているが、全国の乱歩ファンが訪れる場所となるように市立図書館所有資料や蔵書資料など全てを集積した記念館を市の観光事業の一環として「市史編さん室」「文化振興室」「商工観光室」をはじめとする「主担当部・室」や「観光協会」などが実現に向けて、積極的に支援すべきである。

 えーっとまあ、コメントを寄せていただくのはたいへんありがたいことですけど、しかし観光事業の一環として乱歩記念館を建設せよとのこの仰せはいったいどうなんでしょう。私の見るところこの方は乱歩作品をまともにお読みになったことがなく、「市立図書館所有資料や蔵書資料など全てを集積」するだけで乱歩記念館がつくれるとお思いのようですからその手の記念館や文学館がどういったものかということもよくご存じではないらしく、にもかかわらずといいますかだからこそといいますか、とにかく名張市にしょぼい乱歩記念館が完成すれば全国から乱歩ファンが訪れてくれるであろうと夢のようなことをお考えであったようです。うーむ。おゆるい。なんともおゆるい。おゆるいおゆるいおつむがおゆるい。

 だからほんと困るわけなのねこんなコメント寄せられた日にゃ。私程度にものの道理のわかった人間ならいいんですけど、あのおゆるいおゆるい名張市役所のみなさんはこんなコメントでも真に受けてしまいます。乱歩記念館に関する市民要望を頂戴しました、なんて本気で思い込んでしまうわけです。官民双方のおゆるいみなさん同士がまあ……

 ほらみろ腹が立ってきた。急激に腹が立ってきた。とりあえずこのコメントに関する「意見に対する名張市の考え方」を引用しておく。

<その他>
 名張地区のまちづくりについては、52P「市街地整備」において、「文化の薫りを生かした集客交流を目指す」等の方針を掲げていますが、地域づくりの活動や商業者等と連携しながら、まちづくりの方向を定め、協働して活性化に取り組んでいきたいと考えています。

 ああもうほんとに腹が立つ。ここまで内容空疎な文章がよくも綴れたものである。「まちづくりの方向を定め」なんていってみたって実際にはどんなビジョンも提示することができず、「協働して活性化に取り組んでいきたい」とほざいてみたところで名張まちなか再生プランのあのていたらくは……

 ああいかんいかん。もういかんとてもいかん。沸点ちかくまで腹が立ってきました。しばらくソファに横になって煙草をふかしてまいります。

 戻ってまいりました。もうひとつ、「新しい名張市総合計画前期基本計画」のパブリックコメントにはこんなのもございました。

基本計画全般
 数値目標に拘りすぎており、要介護認定率、生活保護率、予防査察の実施件数、名張藤堂家等に係る交流、能楽・乱歩等に係る交流など、無意味な数値目標が多く見受けられる。
 数値目標ではなく、具体的な政策目標を掲げるべきである。

 これは乱歩に直接関係あるものではなくて、基本計画に見られる数値目標至上主義に異を唱えるコメントです。それにしても「能楽・乱歩等に係る交流」ってんですから、観光のあとは交流かよ。名張市政において乱歩は観光施設というハコモノか、でなければ交流というんですから要するにイベントか、結局はハコモノかイベントかのレベルでしか語られていないということがしみじみ情けなく再認識される次第です。

 何の意味もないものですけど、「意見に対する名張市の考え方」はこんな感じです。考え方っつったって、名張市役所のみなさんには考える能力なんてないはずなのだが。

<修正>
 施策の目標は文章表現と数値目標で構成しています。目標は施策を推進することによって達成しようとする成果(アウトカム)を明らかにすることが重要ですが、素案に掲げた数値目標は単に施策推進の結果(アウトプット)を掲げたものも少なからずあり、ご意見のとおり、この観点からは十分でないと考えています。一方、数値目標は誰にも容易に達成状況等が把握できるという特長があり、市民の皆さんへの説明責任を果たす観点からは有効な指標であるといえます。
 こうしたことから、行政評価制度と連携して計画の的確な進行管理を行い、市民の皆さんへの説明責任を果たす意味から、成果指標として必ずしも十分ではない項目も含め、できる限り数値目標を設定する方針のもとに素案を作成したものです。
 ご意見を踏まえて、例にあげられた要介護認定率、名張藤堂家邸・乱歩にかかる交流等の目標については、削除します。また、ご意見の趣旨を踏まえて、目標の文章表現を全般的に見直し必要な修正を行うとともに、今後各種の調査やモニタリングを実施し、必要な基礎データを蓄積するなど、的確な目標設定を行えるよう努めます。

 アウトカムとかアウトプットとかいったいどこで聞きかじってきたのか、なんてことはともかく、「市民の皆さんへの説明責任を果たす」気なんか名張市にゃ微塵もないであろう、なんてこともともかくとして、えーいもう……

 とうとう怒りの沸点をオーバーしてしまいましたので、おあとはこのリストといたします。

昭和31年
大学生と探偵作家あれこれ問答 江戸川乱歩、大下宇陀児、木々高太郎、慶應義塾大学推理小説同好会
探偵倶楽部 1月号(7巻1号) 1956年1月1日
日曜対談 九重年支子、江戸川乱歩
日本経済新聞 1956年2月5日
先輩後輩対談 木々高太郎、江戸川乱歩
週刊サンケイ 1956年2月26日
ヒッチコックを囲んで 江戸川乱歩、植草甚一、双葉十三郎、淀川長治、岡敏雄
映画の友 3月号 1956年
創元社世界推理小説全集 江戸川乱歩、花森安治、戸板康二
出版ニュース 3月号 1956年
ヒロイン参上 新珠三千代、江戸川乱歩
内外タイムズ 1956年3月12日
二十五人集選考座談会 江戸川乱歩、水谷準、城昌幸、隠岐弘
宝石 4月号 1956年
EQMM日本版のための座談会 江戸川乱歩、大久保康雄、三木鶏郎、轟由起子、早川清、田村隆一
日販通信 6月号? 1956年
探偵小説新論争 江戸川乱歩、木々高太郎、大下宇陀児、角田喜久雄、中島河太郎、春田俊郎、大坪砂男(司会)
宝石 6月号(11巻8号) 1956年6月1日
ひやりんこん夏の夜話 江戸川乱歩、大下宇陀児、木々高太郎、高木彬光
労働文化 8月号 1956年
保守党に注文する 川崎秀二、中曽根康弘、桜内義雄、渡辺紳一郎、中島健蔵、江戸川乱歩、川口松太郎
民族と文化 9月号 1956年
江戸川乱歩先生びっくり訪問 小学生三人、江戸川乱歩
少年 10月増刊号 1956年
涙香の面目 江戸川乱歩、木村毅、柳田泉、小山勝治
ブックス 1956年10月5日
犯罪世相漫談 江戸川乱歩、堀崎繁喜
探偵倶楽部 11月号(7巻12号) 1956年11月1日
奇術と探偵 阿部主計、高木重朗、江戸川乱歩
奇術研究 12月号 1956年

 乱歩の座談会が掲載された雑誌「東京と京都」のことですけど、注文した古本屋さんからたしかにあったんだけど探しても見つからないので気長に待っててくださいなというメールが届きました。それはまあ待たなきゃしかたありませんからおとなしく待ってますけど。


 ■9月13日(木)
首相の辞任をきっかけに今年の夏をふり返る 

 きのうのつづきです。きのうの午後には首相の辞任劇というサプライズがあって、しかし私は夕刻までそれを知らず、夜になってお酒を飲みながらテレビニュースの追っかけにだらだら興じていたのですけれど、テレビ画面を眺めてるうちに傷ましさのようなものしか感じなくなってしまいました。憐憫の情がこみあげてくる。いろいろと思い悩み惑い乱れしたのであろうな。この夏はひどい夏だったのであろうな。じつは私とて口にこそ出さね、この夏は思い悩み惑い乱れ、いやさすがに乱れることはなかったけれど、なんだか思案に暮れがちな日々でしたからテレビ見てても人ごとではないような気がいたしました。どんな思案だったかというともちろん、

 ──名張市は乱歩をどうする気?

 ということであって、だから私ではなくて名張市が思案しなければならぬ問題なんですけど、あの名張市役所という愚者のお城では誰ひとりそんなことを考えようとはしないわけ。だから私ひとりが気を揉んで、しかしどう考えたって、

 ──名張市は乱歩から手を引け。

 というのが最善の選択だということにしかならんのではないか。そこへもってきて新町にある細川邸改めやなせ宿に乱歩関連資料の管理をゆだねるというのが名張市の方針であるらしく、しかし細川邸改めやなせ宿を運営する NPO なんてそれこそ乱歩のらの字もご存じないのだから、そんな資料を押しつけられてもどうこうするなんてことは不可能でありそもそも迷惑でもあるだろう。だからもうヤフーオークションでいいか。ヤフーオークションで資料ぜーんぶ売っ払ってしまえばすっきりするではないか。だいたいがどんなふうに活用すればいいのかなんてことはまったく考えず、ただ無目的に収集しただけの資料である。人が活用の道をわかりやすく示してやってもそんなことはできませんというのが名張市教育委員会の、つーか名張市の返答である。それならやめちまえばーか、この低能自治体が、とか考えて、まあ順序としては名張市教育委員会に乗り込んで白黒はっきりさせてこなくちゃなとは思うもののもうやだ、名張市教育委員会なんてところのみなさんを相手にするのはほんとにやだ、とも思えてきてじつに鬱々と思い悩み惑い乱れ、いや乱れてはおらぬけれどもなんだかなあ、とかいう感じで7月8月そして9月。伊勢新聞オフィシャルサイトの9月4日付記事「県文化振興拠点部会 委員が当局案に注文 箱物建設に疑問の声も」を読んだ私は記事のなかの、

 ──県施設の運営機能構築の必要性を重視し、箱物の建設にはこだわらない

 という文章にインスパイアされ、

 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。

 とする考え方もありだろうなと思いいたった。それでようやくこのところの懊悩煩悶にひとすじの光明がもたらされたような気になったのですけれど、そうした光明がどこにも見いだせなかったのであろうなきのう辞任したあの首相は。じつに傷ましい。不憫である。不憫である以上にゆうべテレビニュース追っかけながら飲みすぎたせいで頭が痛い。ここまでといたします。


 ■9月14日(金)
ところでブログってどうよ 

 ゆうべもまたウイスキー飲みながら夜更かししてしまいました。テレビを見てたわけではなくてパソコンの前に坐ってブログとかいうやつのお勉強をしていたのですけど、おかげでまだ頭がぼーっとしていて困ったものです。

 それできのうのつづきというか、おとといのつづきというか、名張市には乱歩記念館だとか乱歩文学館だとかそんなものは必要ないというのが私の主張であり、その考えにはいまも変わりがないのですが、名張市内にはろくに乱歩作品を読んだこともないくせに乱歩記念館だの乱歩文学館だのと口走る人たちが官民双方にいるわけです。きのうきょうの話ではなくてもう四十年近く以前から潜在していて、何かきっかけがあればそうした人たちの声が市政の課題ないしは市民の要望として浮上してくる。

 しかし連中はしょせんばかだから施設を建設することしか考えてない。そこまでのことしか考えられない。9月12日付伝言に引用したけど──

第3章−第1節−3 市街地整備
 地域住民のプラン実現のために、商工会議所が独自の計画案(名張市の活性化、観光客誘致のプラン)として、「名張市歴史記念館(仮称)」など)が紹介されているが、全国の乱歩ファンが訪れる場所となるように市立図書館所有資料や蔵書資料など全てを集積した記念館を市の観光事業の一環として「市史編さん室」「文化振興室」「商工観光室」をはじめとする「主担当部・室」や「観光協会」などが実現に向けて、積極的に支援すべきである。

 こんなことしかいえないのである。「市立図書館所有資料や蔵書資料」なんてものを集めただけで乱歩の名を冠し記念館を名乗った施設をつくったりしたらどんなことになるのか、そのあたりを考えようとはまるでしない。施設の運営なんてものには少しも考えがおよばない。要するにハコモノ建てたらそれでおしまい万々歳みたいなことしか考えられないうすらばかどもがいつまでもぎゃあぎゃあさえずってんじゃねーぞこのできそこないが、とか思ってたら最後までぎゃあぎゃあわめいていたのはじつは私であり、名張まちなか再生委員会によって勝手に検討されていた乱歩文学館構想は名張市によって勝手に断念されるという奇々怪々なゆくたてをたどっていまや静かなものである。

 しかしいま、つーか、そしていま、いまこそ私は高らかにこう宣言したいと思う。

 ──やっぱ名張市には乱歩文学館が必要なんじゃねーの。

 誰がなんていったって必要であると私は思う。心から思う。そしてこのようにも思う。

 ──ただしハコモノには全然こだわりませんから。

 えーっとまあ、こんなこと書いてたってじつは気もそぞろ。ブログのことがとても気になりますので、伝言はここまでとしてそっち方面のお勉強に励むことにいたします。またあした。


 ■9月15日(土)
NPO ならびに名張市乱歩文学館について 

 がば、と顔をあげて周囲を見まわし、自分はいったい何をやっておるのかと首をかしげてしまうことが私にはよくあるのですが、がば、ほんとに何をやっておるのか。

 手を伸ばせば届くところにあるものだけでも、雑誌でいえば「コミックビーム」10月号、書籍はタイトルだけ記すことにして『わが推理小説零年』『作家の値段』『ゴシックスピリット』『探偵作家追跡』、文庫本なら『恐怖の森』、あと個人誌「探偵随想」の九十五号。ほかにもブックスアルデ名張本店からは「定期購読をしていただいております『江戸川乱歩全集 6巻』が本日入荷いたしました」ときのうメールが入っておったし、けさの新聞広告には『日本幻想文学史』。

 これらすべてが乱歩にかかわりのあるもので、「RAMPO Up-To-Date」に記録しこの伝言板で乱歩ファン各位にご紹介申しあげねばならぬところなのですが、作業はいささか停滞気味です。なぜか。ひとことでいえばモチベーションが持続せんのよ。

 可愛がっていた犬が5月に死んでしまったのはまあ天命と納得もできますけど、そのあとひいひいいいながら準備を重ねて名張まちなか再生プランに関する住民監査請求を提出したのが7月のこと、いっぽうきのうも記したことなれど名張まちなか再生委員会によって勝手に検討されていた乱歩文学館構想が名張市によって勝手に断念されたのは6月のことで、名張市立図書館が保管している乱歩関連資料やミステリ関連書を新町の細川邸改めやなせ宿に移管するとの方針が発表されたのもやはり6月の市議会定例会。

 まったくやってられんぞ。モチベーションなんかどっかへ行ってしまってもちっとも不思議ではないのですけど、私はおそらく、

 ──名張市は乱歩をどうする気?

 という名張市の問題をみずからのそれとして考えるべき立場の人間なのであり、しかし名張市にはせいぜいが自治体の自己宣伝に乱歩を利用したいともくろむ程度の人間しか存在しておりませんから、そういう連中のことに思いがおよぶとほんとにばからしくなる。だから、

 ──名張市は乱歩から手を引け。

 とそう思う。

 しかしそれは名張市にとってもったいないことであり、名張市のために惜しまれることでもある。それに乱歩関連資料をヤフーオークションで売っ払って乱歩とすっぱり縁を切ってしまえと迫ってみても、名張市にそんな決断はとてもとてもできぬであろう。永遠にうじうじうじうじしていることであろう。

 だからそれならばやっぱ名張市には乱歩に関してちゃんとしたことをやっていってもらいたいというのが私の願いであって、この場合のちゃんとしたことというのは名張市民の税金で市立図書館が収集してきた乱歩関連資料にもとづいてサービスを提供すること、それが基本になるわけなんですけど、乱歩という作家にはろくに関心がなくただハコモノ建ててりゃ機嫌がいい官民双方の俗物のみなさんに何をいったってなあ。理解もできなければだいたいが人の言に耳を傾けるという習慣がないのだものなあ。甲斐はあるまいなあ。せんかたあるまいなあ。

 それで結局どうするのよとか、どうすりゃいいのよとか、このところ苦慮思案煩悶懊悩を重ねる日々がつづいていたのですが、ここへ来てようやくたどりついたのが、9月4日付伊勢新聞よどうもありがとう、

 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。

 という結論であったわけです。

 名張市がこういう考え方をしてくれればいいのである。こんなふうに考えてくれさえすれば、ハコモノにはこだわらない文学館としてネット上に乱歩のデータベースを構築することが可能なのである。こんなのは私が以前から主張していることであって、しかし実際にはその入口として江戸川乱歩リファレンスブックのデータをネット上で公開することすらできておらんのだから名張市ってのはほんとになんだかなあと思われますものの、ハコモノにはこだわらない文学館という柔軟な発想ができるのであれば、

 ──名張市は乱歩から手を引かなくてもいいかもしんない。

 と私は思うし、乱歩を利用した自治体の自己宣伝といった側面におきましても、それが結局のところもっとも効果的なものになるだろうと思われる次第なのである。

 それで具体的にどうすればいいのか。端的にいって、

 ──こうなったらおれが NPO つくって乱歩のことをやるしかないんじゃね?

 と私は思う。というか、この夏のあいだ私はずっとそんなことを考えていたわけね。で、それしかないだろうな、といまも思っている。私が NPO を組織し、そのメインの業務としてハコモノにこだわらない名張市乱歩文学館をつくればいいのである。ただそれだけの話である。むろんデータベースづくりはたいへんだけれど、話としてはただそれだけのことである。名張市がハコモノにこだわることなく乱歩について真剣に考えることができるかどうか。要はその一点。

 しかし、しかしなあ、NPO つくるっていったってなあ……

 以上、本日も堂々めぐりとなってしまいましたが、おあとはブログの勉強といたします。ほんとに何をやっておるのか。


 ■9月16日(日)
現時点の結論と今後の方針 

 ブログに関するにわか勉強の甲斐あって、なんとかひととおりの知識ならびに技術を身につけることができました。あともう少しブログの機能を確認したりテンプレートの HTML を書き替えたりして、あすには正式にお披露目できるものと思います。私はこういった場合に何かのアニバーサリーめいた日を選びたいと考える人間で、げんにこの名張人外境は乱歩のお誕生日を期して開設した次第だったのですが、あす9月17日はどんな日なのかというと、これが中井英夫の誕生日なのである。これはいい、と欣喜するか、なんと不吉な、と消沈するか、見方は人によってわかれることでしょうが、これもまたさだめと受容するしかありません。しかしなあ。

 しかしなあといえばこちらもしかしなあなのが NPO 問題。どうすっかなあまったく。名張市があてにならないというか、乱歩に関して何の方策も見通しもないというか、そもそも乱歩という作家にはまるで関心がなくてただ自治体の宣伝とか売名の素材にしたいとぼんやり考えているにすぎないというか、そういうことはすでにして明々白々なのであり、お役所のみならず市民のほうだって、9月12日付伝言に引用したパブリックコメントに見られるごとく、乱歩記念館を観光事業の一環として整備しろなどととんでもないことを口走る程度のことなのである。ばかかこらばか。名張市ってとこには官にも民にもばかしかおらんのか。もう好きにしろ。ばか同士なかよくつるんでろこの低能。

 まったくばからしくてやってらんない。上の一段落を書くだけでものすごい時間がかかってしまいました。こうした場合のいつものことですけど、ちょっと書きだすとすぐに腹が立ってきて居ても立ってもいられなくなる。ソファに身を投げ出し、お茶を飲んだり煙草を吸ったりして心を落ち着かせ、それだけでやたらと時間を喰ってしまう。

 だからきょうはこのへんでおしまいといたしますが、きのうも記しましたとおり NPO つくるしかないだろうなというのが現時点での私の結論です。NPO という明確な立場で名張市の乱歩関連事業、より具体的にいえば市立図書館の収集資料にもとづいてネット上に名張市乱歩文学館というデータベースを構築する作業を中心とした事業をフォローというか肩代わりするしか道はないだろうと思われます。とにかくもう名張市教育委員会あたりのぼんくらにいいだけ足をひっぱられるのはうんざりである。しかしそれならそれで、その場合にも確認しなければならないのがやはり、

 ──名張市は乱歩をどうする気?

 ということなわけであって、この点に関して私は近いうち、といっても現在ただいまは9月定例会開会中ですから遠慮することにして、議会が終わったら一度名張市長から拝眉の機を頂戴し、

 ──名張市は乱歩をどうする気?

 という件に関して僭越ながら直談判を行いたいと考えております。名張市役所の秘書室らへんのみなさんは準備といいますか根回しといいますか、そのあたりよろしくお願いいたしますぞ。かっかっか。

 さーあブログだブログだ。


 ■9月17日(月)
ブログってやつを開設してみました 

 しかしよくよく考えてみたならば、コメントはわかりますけどトラックバックってのがいまだによく理解できず、RSS って何? 携帯電話でも読むことできるわけ? といった疑問もいまだに解決できていないのですが、とにかく開設してしまいました。はばかりながら乱歩にはまるで無縁なブログです。

 中井英夫のお誕生日で敬老の日の祝日だというのに、朝っぱらから野暮用ができましたのでこれまでといたします。ブログにはあとでまた投稿する予定です。


 ■9月18日(火)
余は如何にしてブロガーとなりし乎 

 自分が「名張まちなかブログ」なんてものを開設するにいたったゆくたてというやつが、私にはいまひとつよくわかりません。気がついたらあやしゅうこそ物狂おしい気分になっていて、ほとんど半狂乱で開設準備を進めておりました。前後の見境なんてまるでなく、ブログつくっちゃうんだもんね、お勉強しちゃうんだもんね、なんだ簡単じゃねーの、もういつでも開設できるんだもんね、あッ、中井英夫の誕生日かよ、なんかもう呪われてるとしか思えねーなー、とか思いながらふとわれに返ったら開設してしまっていたという寸法です。

 ブログ開設に走った最大の理由は、この伝言板で名張のことを書いてるのがいやになったということでしょうか。ほとほとうんざりしました。つくづく倦み果てました。読者諸兄姉もそのようにお感じであったのではないかと拝察する次第ですが、名張市などという官民双方ばかしかおらぬ片田舎がおれのサイトを汚してんじゃねーぞこら、と私は憤りました。伝言板に名張のことを書いてサイトを汚しているのは私自身にほかならないのですが、とにかく全身をわなわなと顫えさせながら憤りました。

 文章を書いていてむらむら腹が立ってくるというのは私の場合ほとんどないことなのですが、住民監査請求の参考資料とするためにこの──

僕の住民監査請求(pdf)
第一部 迷走篇
第二部 惑乱篇
第三部 猜疑篇
第四部 零落篇

 大河漫才「僕の住民監査請求」を書いたときには腹立たしさのせいで筆が進まず、おおきに困惑してしまいました。生まれてはじめての経験だったのではないかと顧みられる次第なのですが、その後も腹立ちは治まらず、この伝言板で名張のことを綴ろうとするとそのたびに猛烈な怒りがこみあげてきました。これはなんとかしなければならんなと思われましたし、名張のことなんかどうでもいいから乱歩のことをちゃんとやれ、という読者諸兄姉の声が幻聴のように耳元をかすめることも経験いたしました。だから名張のことに特化したブログが必要だと思いいたったのではないかと、そんなふうにふり返られる次第です。

 それともうひとつ、8月14日付伝言から引きますと──

 それでまあ名張まちなかの商業者のみなさんがですね、こんなこといったら叱られますけど零細な商いのかたわら地域の魅力を PR する活動を進めたいとおっしゃるのですから、そのひとかたならぬ名張まちなかへの愛着に鑑みても、たとえば講演依頼なんざふたつ返事でお引き受けするべきであるとはよく承知しているのですけれど、あの真っ昼間でも死んだように人通りのない時間帯が普通に存在する名張まちなかに立て札を立ててもその効果はいかほどのものか、と私は思わないでもありません。おれだったら名張まちなかのポータルサイトを開設するけどなあ、とも考えますし、もしも開設するのならいくらだってアイデアも提供できるのだし、いやもういっそおれが名張まちなかのポータルサイトをつくってしまうことも充分に可能なのであるけれど、ていうかそうでもしなければ誰にも開設なんかできんのではないかとも思われるのですけれど、残念ながら私にはとてもそんな時間はありません。

 つまり「名張古町を考える会」という名張のまちの商業者の団体が、まちなかに立て札を立てたりその PR チラシをつくったり、あるいは私に講演を依頼したり、そういった活動をつづけているわけで、それはそれでいいんですけどきょうびのことですからインターネットの活用も考えればいいのに、名張まちなかのポータルサイトでもつくりゃいいのになあ、と私はふと思いついてしまったわけでした。その思いつきが「名張まちなかブログ」に結びついてしまったような気もいたします。

 ブログ開設のことを本気になって考えはじめたのはいつのことか。たぶん9月2日のことではなかったかと思われます。私はこの日、名古屋に赴いて名古屋近代文学史研究会の例会にお邪魔したのですが、そのあと最終的に流れついた名古屋駅のビヤホールで、この名張人外境をケータイで読めるようにすればいいのではないか、みたいな話題が出てきました。私にはそんなつもりはなく、そもそもケータイなどという野蛮なものを私は所有していないのですが、しかしよく考えてみたところ、乱歩に関する最新情報くらいはケータイで閲覧できるようにしてもいいのではないか。

 たとえば「RAMPO Up-To-Date」に本日記載したこんな情報──

漫画
パノラマ島綺譚 丸尾末広
コミックビーム 10月号(13巻10号)
10月1日 エンターブレイン
連載第4回(第五章)
原作:パノラマ島奇談

漫画
赤い部屋 双生児 東元
ビジネスジャンプ 20号(23巻20号)
10月1日 集英社
原作:赤い部屋、双生児

 こういったものはケータイで手軽に確認できるようにするべきかとも思われ、それならば手っ取り早いのはブログを開設することかと考えたのが運のつき、ブログってやつのことが妙に気になりはじめました。それに私は以前から、エントリをカテゴリ別に分類できるというブログの機能がなんだか便利そうだなとも思っておりましたし。

 で、以上に記しましたような要因がやがて頭のなかで大きな渦巻のようなものになってしまい、あとはもう怒濤の半狂乱、気がついたらいつのまにかブロガーになっていたというのが実感です。なんかすべてが夢うつつであったような感じなんですけど。


 ■9月19日(水)
江戸川乱歩年譜集成ブログ版の誘惑 

 そんなこんなで目障りな名張の話題は「名張まちなかブログ」に追っ払ってしまいました。きのう名張市の監査委員事務局から連絡が入り、住民監査請求の結果が出たとお知らせいただきましたので、あした市役所へ頂戴にあがることにしたのですが、こんな話題も当然ブログに記すことになるでしょう。しかしいいのか。あのブログは味も素っ気もなければ愛想もこそもないアーカイブといたしたく、私自身の気配をできるかぎり消し去るために一人称は使用しないという方針まで立ててみたのですが、住民監査請求について綴るとなると一人称をつかわぬわけにはまいらぬか。早々に方針変更か。

 ブログをいじっていてきのうふと思ったのは、編纂作業が中断している「江戸川乱歩年譜集成」、ブログのカテゴリとコメントのふたつの機能を利用すれば、サイトで編纂するよりかなり手軽に作業を進めることができるのではないかということでした。私にはいったんこういったことを思いついたら最後、実際にやってみなければ気が済まないという性癖があるらしく、いかんいかん、なんだかよくないことが起こりそうな予感がする、とか思いながら江戸川乱歩年譜集成ブログ版の誘惑はいまや断ちがたいものになっている。うーん。うーん。しかしなあ。

 気分転換いたします。

昭和32年
法医学と探偵小説 江戸川乱歩、古畑種基
探偵実話 1月号 1957年
二十五人集選評座談会 江戸川乱歩、水谷準、城昌幸、隠岐弘
宝石 4月号 1957年
「女と犯罪」を語る 鈴木警視、出牛警部、中村巡査部長、福岡記者(読売新聞)、松崎記者(同)、江戸川乱歩
探偵実話 5月増刊号 1957年
「パノラマ島奇談」そのほか 中谷、江戸川乱歩
東宝 7月号 1957年
探偵小説とスリラー映画 双葉十三郎、楠田匡介、日影丈吉、江戸川乱歩
宝石 7月号 1957年
犯罪の素因と捜査 古畑種基、長谷川瀏、吉増脩夫、尾崎幸一、江戸川乱歩
犯罪学雑誌 7月号 1957年
幸田露伴と探偵小説 幸田文、江戸川乱歩
宝石 8月号(12巻10号) 1957年8月1日
文壇作家「探偵小説」を語る 梅崎春生、曽野綾子、中村真一郎、福永武彦、松本清張、江戸川乱歩
宝石 8月号(12巻10号) 1957年8月1日
物理学者「探偵小説」を語る 辻二郎、坪井忠二、和達清夫、(江戸川乱歩)、木々高太郎(司会)
宝石 9月号(12巻12号) 1957年9月1日
ヴァン・ダインは一流か五流か 小林秀雄、江戸川乱歩
宝石 9月号(12巻12号) 1957年9月1日
樽の中に住む話 佐藤春夫、城昌幸、江戸川乱歩
宝石 10月号(12巻13号) 1957年10月1日
現代のスリルを語る 石原慎太郎、谷川俊太郎、黛敏郎、山村正夫、江戸川乱歩
宝石 10月号(12巻13号) 1957年10月1日
評論家の目 荒正人、大井広介、江戸川乱歩
宝石 11月号(12巻14号) 1957年11月1日
五人の粋人が語る盛り場の裏街道 田辺茂一、佐々木千里、織田昭子、江戸川乱歩
週刊娯楽案内 1957年11月21日
「新青年」歴代編集座談会 横溝正史大いに語る 森下雨村、横溝正史、延原謙、水谷準、松野一夫、城昌幸、本位田準一、江戸川乱歩
宝石 12月号(12巻16号) 1957年12月1日

 昭和32年は乱歩が「宝石」の編集に乗り出した年で、同誌での対談が飛躍的に増えています。「宝石」に載った対談なら全然 OK なんですが、「週刊娯楽案内」なんてのは探すのがさぞや骨なのであろうな。