2007年9月中旬
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きのうのつづきです。きのうの午後には首相の辞任劇というサプライズがあって、しかし私は夕刻までそれを知らず、夜になってお酒を飲みながらテレビニュースの追っかけにだらだら興じていたのですけれど、テレビ画面を眺めてるうちに傷ましさのようなものしか感じなくなってしまいました。憐憫の情がこみあげてくる。いろいろと思い悩み惑い乱れしたのであろうな。この夏はひどい夏だったのであろうな。じつは私とて口にこそ出さね、この夏は思い悩み惑い乱れ、いやさすがに乱れることはなかったけれど、なんだか思案に暮れがちな日々でしたからテレビ見てても人ごとではないような気がいたしました。どんな思案だったかというともちろん、 ──名張市は乱歩をどうする気? ということであって、だから私ではなくて名張市が思案しなければならぬ問題なんですけど、あの名張市役所という愚者のお城では誰ひとりそんなことを考えようとはしないわけ。だから私ひとりが気を揉んで、しかしどう考えたって、 ──名張市は乱歩から手を引け。 というのが最善の選択だということにしかならんのではないか。そこへもってきて新町にある細川邸改めやなせ宿に乱歩関連資料の管理をゆだねるというのが名張市の方針であるらしく、しかし細川邸改めやなせ宿を運営する NPO なんてそれこそ乱歩のらの字もご存じないのだから、そんな資料を押しつけられてもどうこうするなんてことは不可能でありそもそも迷惑でもあるだろう。だからもうヤフーオークションでいいか。ヤフーオークションで資料ぜーんぶ売っ払ってしまえばすっきりするではないか。だいたいがどんなふうに活用すればいいのかなんてことはまったく考えず、ただ無目的に収集しただけの資料である。人が活用の道をわかりやすく示してやってもそんなことはできませんというのが名張市教育委員会の、つーか名張市の返答である。それならやめちまえばーか、この低能自治体が、とか考えて、まあ順序としては名張市教育委員会に乗り込んで白黒はっきりさせてこなくちゃなとは思うもののもうやだ、名張市教育委員会なんてところのみなさんを相手にするのはほんとにやだ、とも思えてきてじつに鬱々と思い悩み惑い乱れ、いや乱れてはおらぬけれどもなんだかなあ、とかいう感じで7月8月そして9月。伊勢新聞オフィシャルサイトの9月4日付記事「県文化振興拠点部会 委員が当局案に注文 箱物建設に疑問の声も」を読んだ私は記事のなかの、 ──県施設の運営機能構築の必要性を重視し、箱物の建設にはこだわらない という文章にインスパイアされ、 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。 とする考え方もありだろうなと思いいたった。それでようやくこのところの懊悩煩悶にひとすじの光明がもたらされたような気になったのですけれど、そうした光明がどこにも見いだせなかったのであろうなきのう辞任したあの首相は。じつに傷ましい。不憫である。不憫である以上にゆうべテレビニュース追っかけながら飲みすぎたせいで頭が痛い。ここまでといたします。 |
ゆうべもまたウイスキー飲みながら夜更かししてしまいました。テレビを見てたわけではなくてパソコンの前に坐ってブログとかいうやつのお勉強をしていたのですけど、おかげでまだ頭がぼーっとしていて困ったものです。 それできのうのつづきというか、おとといのつづきというか、名張市には乱歩記念館だとか乱歩文学館だとかそんなものは必要ないというのが私の主張であり、その考えにはいまも変わりがないのですが、名張市内にはろくに乱歩作品を読んだこともないくせに乱歩記念館だの乱歩文学館だのと口走る人たちが官民双方にいるわけです。きのうきょうの話ではなくてもう四十年近く以前から潜在していて、何かきっかけがあればそうした人たちの声が市政の課題ないしは市民の要望として浮上してくる。 しかし連中はしょせんばかだから施設を建設することしか考えてない。そこまでのことしか考えられない。9月12日付伝言に引用したけど──
こんなことしかいえないのである。「市立図書館所有資料や蔵書資料」なんてものを集めただけで乱歩の名を冠し記念館を名乗った施設をつくったりしたらどんなことになるのか、そのあたりを考えようとはまるでしない。施設の運営なんてものには少しも考えがおよばない。要するにハコモノ建てたらそれでおしまい万々歳みたいなことしか考えられないうすらばかどもがいつまでもぎゃあぎゃあさえずってんじゃねーぞこのできそこないが、とか思ってたら最後までぎゃあぎゃあわめいていたのはじつは私であり、名張まちなか再生委員会によって勝手に検討されていた乱歩文学館構想は名張市によって勝手に断念されるという奇々怪々なゆくたてをたどっていまや静かなものである。 しかしいま、つーか、そしていま、いまこそ私は高らかにこう宣言したいと思う。 ──やっぱ名張市には乱歩文学館が必要なんじゃねーの。 誰がなんていったって必要であると私は思う。心から思う。そしてこのようにも思う。 ──ただしハコモノには全然こだわりませんから。 えーっとまあ、こんなこと書いてたってじつは気もそぞろ。ブログのことがとても気になりますので、伝言はここまでとしてそっち方面のお勉強に励むことにいたします。またあした。 |
がば、と顔をあげて周囲を見まわし、自分はいったい何をやっておるのかと首をかしげてしまうことが私にはよくあるのですが、がば、ほんとに何をやっておるのか。 手を伸ばせば届くところにあるものだけでも、雑誌でいえば「コミックビーム」10月号、書籍はタイトルだけ記すことにして『わが推理小説零年』『作家の値段』『ゴシックスピリット』『探偵作家追跡』、文庫本なら『恐怖の森』、あと個人誌「探偵随想」の九十五号。ほかにもブックスアルデ名張本店からは「定期購読をしていただいております『江戸川乱歩全集 6巻』が本日入荷いたしました」ときのうメールが入っておったし、けさの新聞広告には『日本幻想文学史』。 これらすべてが乱歩にかかわりのあるもので、「RAMPO Up-To-Date」に記録しこの伝言板で乱歩ファン各位にご紹介申しあげねばならぬところなのですが、作業はいささか停滞気味です。なぜか。ひとことでいえばモチベーションが持続せんのよ。 可愛がっていた犬が5月に死んでしまったのはまあ天命と納得もできますけど、そのあとひいひいいいながら準備を重ねて名張まちなか再生プランに関する住民監査請求を提出したのが7月のこと、いっぽうきのうも記したことなれど名張まちなか再生委員会によって勝手に検討されていた乱歩文学館構想が名張市によって勝手に断念されたのは6月のことで、名張市立図書館が保管している乱歩関連資料やミステリ関連書を新町の細川邸改めやなせ宿に移管するとの方針が発表されたのもやはり6月の市議会定例会。 まったくやってられんぞ。モチベーションなんかどっかへ行ってしまってもちっとも不思議ではないのですけど、私はおそらく、 ──名張市は乱歩をどうする気? という名張市の問題をみずからのそれとして考えるべき立場の人間なのであり、しかし名張市にはせいぜいが自治体の自己宣伝に乱歩を利用したいともくろむ程度の人間しか存在しておりませんから、そういう連中のことに思いがおよぶとほんとにばからしくなる。だから、 ──名張市は乱歩から手を引け。 とそう思う。 しかしそれは名張市にとってもったいないことであり、名張市のために惜しまれることでもある。それに乱歩関連資料をヤフーオークションで売っ払って乱歩とすっぱり縁を切ってしまえと迫ってみても、名張市にそんな決断はとてもとてもできぬであろう。永遠にうじうじうじうじしていることであろう。 だからそれならばやっぱ名張市には乱歩に関してちゃんとしたことをやっていってもらいたいというのが私の願いであって、この場合のちゃんとしたことというのは名張市民の税金で市立図書館が収集してきた乱歩関連資料にもとづいてサービスを提供すること、それが基本になるわけなんですけど、乱歩という作家にはろくに関心がなくただハコモノ建ててりゃ機嫌がいい官民双方の俗物のみなさんに何をいったってなあ。理解もできなければだいたいが人の言に耳を傾けるという習慣がないのだものなあ。甲斐はあるまいなあ。せんかたあるまいなあ。 それで結局どうするのよとか、どうすりゃいいのよとか、このところ苦慮思案煩悶懊悩を重ねる日々がつづいていたのですが、ここへ来てようやくたどりついたのが、9月4日付伊勢新聞よどうもありがとう、 ──名張市は江戸川乱歩文学館の整備においてハコモノの建設にはこだわらない。 という結論であったわけです。 名張市がこういう考え方をしてくれればいいのである。こんなふうに考えてくれさえすれば、ハコモノにはこだわらない文学館としてネット上に乱歩のデータベースを構築することが可能なのである。こんなのは私が以前から主張していることであって、しかし実際にはその入口として江戸川乱歩リファレンスブックのデータをネット上で公開することすらできておらんのだから名張市ってのはほんとになんだかなあと思われますものの、ハコモノにはこだわらない文学館という柔軟な発想ができるのであれば、 ──名張市は乱歩から手を引かなくてもいいかもしんない。 と私は思うし、乱歩を利用した自治体の自己宣伝といった側面におきましても、それが結局のところもっとも効果的なものになるだろうと思われる次第なのである。 それで具体的にどうすればいいのか。端的にいって、 ──こうなったらおれが NPO つくって乱歩のことをやるしかないんじゃね? と私は思う。というか、この夏のあいだ私はずっとそんなことを考えていたわけね。で、それしかないだろうな、といまも思っている。私が NPO を組織し、そのメインの業務としてハコモノにこだわらない名張市乱歩文学館をつくればいいのである。ただそれだけの話である。むろんデータベースづくりはたいへんだけれど、話としてはただそれだけのことである。名張市がハコモノにこだわることなく乱歩について真剣に考えることができるかどうか。要はその一点。 しかし、しかしなあ、NPO つくるっていったってなあ…… 以上、本日も堂々めぐりとなってしまいましたが、おあとはブログの勉強といたします。ほんとに何をやっておるのか。 |
ブログに関するにわか勉強の甲斐あって、なんとかひととおりの知識ならびに技術を身につけることができました。あともう少しブログの機能を確認したりテンプレートの HTML を書き替えたりして、あすには正式にお披露目できるものと思います。私はこういった場合に何かのアニバーサリーめいた日を選びたいと考える人間で、げんにこの名張人外境は乱歩のお誕生日を期して開設した次第だったのですが、あす9月17日はどんな日なのかというと、これが中井英夫の誕生日なのである。これはいい、と欣喜するか、なんと不吉な、と消沈するか、見方は人によってわかれることでしょうが、これもまたさだめと受容するしかありません。しかしなあ。 しかしなあといえばこちらもしかしなあなのが NPO 問題。どうすっかなあまったく。名張市があてにならないというか、乱歩に関して何の方策も見通しもないというか、そもそも乱歩という作家にはまるで関心がなくてただ自治体の宣伝とか売名の素材にしたいとぼんやり考えているにすぎないというか、そういうことはすでにして明々白々なのであり、お役所のみならず市民のほうだって、9月12日付伝言に引用したパブリックコメントに見られるごとく、乱歩記念館を観光事業の一環として整備しろなどととんでもないことを口走る程度のことなのである。ばかかこらばか。名張市ってとこには官にも民にもばかしかおらんのか。もう好きにしろ。ばか同士なかよくつるんでろこの低能。 まったくばからしくてやってらんない。上の一段落を書くだけでものすごい時間がかかってしまいました。こうした場合のいつものことですけど、ちょっと書きだすとすぐに腹が立ってきて居ても立ってもいられなくなる。ソファに身を投げ出し、お茶を飲んだり煙草を吸ったりして心を落ち着かせ、それだけでやたらと時間を喰ってしまう。 だからきょうはこのへんでおしまいといたしますが、きのうも記しましたとおり NPO つくるしかないだろうなというのが現時点での私の結論です。NPO という明確な立場で名張市の乱歩関連事業、より具体的にいえば市立図書館の収集資料にもとづいてネット上に名張市乱歩文学館というデータベースを構築する作業を中心とした事業をフォローというか肩代わりするしか道はないだろうと思われます。とにかくもう名張市教育委員会あたりのぼんくらにいいだけ足をひっぱられるのはうんざりである。しかしそれならそれで、その場合にも確認しなければならないのがやはり、 ──名張市は乱歩をどうする気? ということなわけであって、この点に関して私は近いうち、といっても現在ただいまは9月定例会開会中ですから遠慮することにして、議会が終わったら一度名張市長から拝眉の機を頂戴し、 ──名張市は乱歩をどうする気? という件に関して僭越ながら直談判を行いたいと考えております。名張市役所の秘書室らへんのみなさんは準備といいますか根回しといいますか、そのあたりよろしくお願いいたしますぞ。かっかっか。 さーあブログだブログだ。 |
しかしよくよく考えてみたならば、コメントはわかりますけどトラックバックってのがいまだによく理解できず、RSS って何? 携帯電話でも読むことできるわけ? といった疑問もいまだに解決できていないのですが、とにかく開設してしまいました。はばかりながら乱歩にはまるで無縁なブログです。 中井英夫のお誕生日で敬老の日の祝日だというのに、朝っぱらから野暮用ができましたのでこれまでといたします。ブログにはあとでまた投稿する予定です。 |
自分が「名張まちなかブログ」なんてものを開設するにいたったゆくたてというやつが、私にはいまひとつよくわかりません。気がついたらあやしゅうこそ物狂おしい気分になっていて、ほとんど半狂乱で開設準備を進めておりました。前後の見境なんてまるでなく、ブログつくっちゃうんだもんね、お勉強しちゃうんだもんね、なんだ簡単じゃねーの、もういつでも開設できるんだもんね、あッ、中井英夫の誕生日かよ、なんかもう呪われてるとしか思えねーなー、とか思いながらふとわれに返ったら開設してしまっていたという寸法です。 ブログ開設に走った最大の理由は、この伝言板で名張のことを書いてるのがいやになったということでしょうか。ほとほとうんざりしました。つくづく倦み果てました。読者諸兄姉もそのようにお感じであったのではないかと拝察する次第ですが、名張市などという官民双方ばかしかおらぬ片田舎がおれのサイトを汚してんじゃねーぞこら、と私は憤りました。伝言板に名張のことを書いてサイトを汚しているのは私自身にほかならないのですが、とにかく全身をわなわなと顫えさせながら憤りました。 文章を書いていてむらむら腹が立ってくるというのは私の場合ほとんどないことなのですが、住民監査請求の参考資料とするためにこの──
大河漫才「僕の住民監査請求」を書いたときには腹立たしさのせいで筆が進まず、おおきに困惑してしまいました。生まれてはじめての経験だったのではないかと顧みられる次第なのですが、その後も腹立ちは治まらず、この伝言板で名張のことを綴ろうとするとそのたびに猛烈な怒りがこみあげてきました。これはなんとかしなければならんなと思われましたし、名張のことなんかどうでもいいから乱歩のことをちゃんとやれ、という読者諸兄姉の声が幻聴のように耳元をかすめることも経験いたしました。だから名張のことに特化したブログが必要だと思いいたったのではないかと、そんなふうにふり返られる次第です。 それともうひとつ、8月14日付伝言から引きますと──
つまり「名張古町を考える会」という名張のまちの商業者の団体が、まちなかに立て札を立てたりその PR チラシをつくったり、あるいは私に講演を依頼したり、そういった活動をつづけているわけで、それはそれでいいんですけどきょうびのことですからインターネットの活用も考えればいいのに、名張まちなかのポータルサイトでもつくりゃいいのになあ、と私はふと思いついてしまったわけでした。その思いつきが「名張まちなかブログ」に結びついてしまったような気もいたします。 ブログ開設のことを本気になって考えはじめたのはいつのことか。たぶん9月2日のことではなかったかと思われます。私はこの日、名古屋に赴いて名古屋近代文学史研究会の例会にお邪魔したのですが、そのあと最終的に流れついた名古屋駅のビヤホールで、この名張人外境をケータイで読めるようにすればいいのではないか、みたいな話題が出てきました。私にはそんなつもりはなく、そもそもケータイなどという野蛮なものを私は所有していないのですが、しかしよく考えてみたところ、乱歩に関する最新情報くらいはケータイで閲覧できるようにしてもいいのではないか。 たとえば「RAMPO Up-To-Date」に本日記載したこんな情報──
こういったものはケータイで手軽に確認できるようにするべきかとも思われ、それならば手っ取り早いのはブログを開設することかと考えたのが運のつき、ブログってやつのことが妙に気になりはじめました。それに私は以前から、エントリをカテゴリ別に分類できるというブログの機能がなんだか便利そうだなとも思っておりましたし。 で、以上に記しましたような要因がやがて頭のなかで大きな渦巻のようなものになってしまい、あとはもう怒濤の半狂乱、気がついたらいつのまにかブロガーになっていたというのが実感です。なんかすべてが夢うつつであったような感じなんですけど。 |
そんなこんなで目障りな名張の話題は「名張まちなかブログ」に追っ払ってしまいました。きのう名張市の監査委員事務局から連絡が入り、住民監査請求の結果が出たとお知らせいただきましたので、あした市役所へ頂戴にあがることにしたのですが、こんな話題も当然ブログに記すことになるでしょう。しかしいいのか。あのブログは味も素っ気もなければ愛想もこそもないアーカイブといたしたく、私自身の気配をできるかぎり消し去るために一人称は使用しないという方針まで立ててみたのですが、住民監査請求について綴るとなると一人称をつかわぬわけにはまいらぬか。早々に方針変更か。 ブログをいじっていてきのうふと思ったのは、編纂作業が中断している「江戸川乱歩年譜集成」、ブログのカテゴリとコメントのふたつの機能を利用すれば、サイトで編纂するよりかなり手軽に作業を進めることができるのではないかということでした。私にはいったんこういったことを思いついたら最後、実際にやってみなければ気が済まないという性癖があるらしく、いかんいかん、なんだかよくないことが起こりそうな予感がする、とか思いながら江戸川乱歩年譜集成ブログ版の誘惑はいまや断ちがたいものになっている。うーん。うーん。しかしなあ。 気分転換いたします。
昭和32年は乱歩が「宝石」の編集に乗り出した年で、同誌での対談が飛躍的に増えています。「宝石」に載った対談なら全然 OK なんですが、「週刊娯楽案内」なんてのは探すのがさぞや骨なのであろうな。 |