2007年10月下旬
21日 百十三回目のお誕生日に
22日 墨田区の図書館で「中島河太郎とその仕事」
23日 限定百本受注生産
24日 「鏡地獄」をめぐる発見
25日 ドグラマグラったり諸戸道雄ったり
26日 諸戸道雄と「科学画報」
27日 「科学画報」と「虞初新誌」
28日 ドキュメンタリーフィルム「和本」完成披露試写会
 ■10月21日(日)
百十三回目のお誕生日に 

 10月21日を迎えました。

 われらが乱歩の百十三回目のお誕生日となっております。

 とりいそぎウェブニュースをどうぞ。いわゆる電子書籍の売りあげベストテンらしいのですが、お誕生日のご祝儀相場というわけでもあるまいに、乱歩の著書がなぜかトップに輝いております。記事は省いてベストテンのみ引用。

hon.jp(電子書籍 文芸 10月9日〜10月15日)
 1位 算盤が恋を語る話〜乱歩傑作選(11) 江戸川乱歩 東京創元社

 2位 日本以外全部沈没 筒井康隆 角川書店

 3位 卒業式まで死にません─女子高生南条あやの日記─ 南条あや 新潮社

 4位 脱ぐしか選択肢のなかった私。#001 旅立ちの靴/天衣みつ 波瀾万丈インタビュー制作委員会/編 笠倉出版社

 5位 指先の花〜映画『世界の中心で、愛をさけぶ』律子の物語 益子昌一 小学館

 6位 うず巻きマキちゃん〜ゲイとデブスの浪花濃いしぐれ〜 春乃れぃ モバイルメディアリサーチ

 7位 いじめ14歳のMessage 林慧樹 小学館

 8位 顔のない裸体たち 平野啓一郎 新潮社

 9位 おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと 池川明 リヨン社

10位 制服のころ、君に恋した。(1) 折原みと 講談社

 何がどうなっているのかさっばりわかりませんものの、とにかくおめでたいようなことではありますので、乱歩百十三回目のお誕生日にふさわしい話題としてお伝えいたしました。


 ■10月22日(月)
墨田区の図書館で「中島河太郎とその仕事」 

 いまごろかよッ、シリーズ第三弾。

 中島河太郎先生の生誕九十周年を記念した資料展「推理小説研究の開拓者 中島河太郎とその仕事」が9月30日から11月4日まで墨田区立緑図書館で開催されております。

 いまごろかよッ。あと十日ちょっとかよッ。

 本日入手いたしました企画展のチラシから案内文をば引用。

 ミステリー文学は、昭和から平成へ映画のタイアップなどとあいまって一大ブームを引き起こしました。図書館の伸張もある意味では、ミステリーブームで多くの読者が図書館へ足を向けたことと無縁ではありません。

 途中ですけど、なーるほど、ミステリーは図書館の伸張にも少なからず寄与していたのか。だから新町の細川邸を名張市立図書館ミステリ分室にしとけばすべてがまるく収まったっていうのに。ばかだなあ名張市。閑話休題。

中島河太郎氏は墨田区墨田4丁目に戦前より居住し、七中(墨田川高校)で教鞭をとるかたわら、推理小説、近代文学、民俗・歴史研究にたずさわっています。わけてもミステリー文学の分野では推理小説のわが国の起源から、ジャンルの定義、作品と作家の研究・解説、書名索引や作品目録、事典の編纂、アンソロジーなど、あらゆるミステリー文学の研究分野を開拓しています。推理小説が好きな読者なら一度ならず目にしている名前です。中島氏が、それまで余り問題にされなかった日本の推理小説という分野を開拓し、学問的に位置づけたことは、文学の一ジャンルとしての推理小説が今日のように発展をみたことに大いに力があったといえるでしょう。
 今回は、膨大なミステリー関係の資料を収集した中島氏の遺志を継いで資料管理にあたっているご遺族の中島淑人氏の全面的ご協力により、ミステリー文学関係のみならず、民俗学や正宗白鳥研究、七中の教育者としての資料など100余点を展示することができました。横溝正史が自作「仮面舞踏会」の推敲の過程を綴って氏に託した生原稿、推理小説界を代表する作家たちとの交流を示す書簡類、第1回江戸川乱歩賞受賞の契機となった自費出版の雑誌「黄色い部屋」、中島氏の全執筆作品ノート、乱歩賞の受賞記念ブロンズ像など貴重な資料を見ることができる資料展です。

 ミステリーのみならず柳田国男や正宗白鳥とのかかわりなども視野に入れ、豊富な資料で中島先生の全体像が紹介されているようです。開館は午前9時から午後8時(日曜は5時)まで。入館無料。月曜と11月3日は休館日となっております。緑図書館の案内は墨田区オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。

 ところで、生前の中島先生から蔵書の寄託を受けて1999年に開設されたミステリー文学資料館ですけれど、聞きおよびますところ今年の春で寄託の契約期間が満了したとのことで、上の引用にも「中島氏の遺志を継いで資料管理にあたっている」とあるとおり、先生の蔵書は現在ご遺族の手で管理されているようです。

 ところで名張市のミステリー文庫構想とかいうのは、いったいどうなってしまったのかな。ミステリーはおろかろくに本を読む習慣もない連中が、はいつくりました、はいおしまいです、みたいなことでまた名張市の恥を満天下にひろめてくれるのであろうけれども。


 ■10月23日(火)
限定百本受注生産 

 ああ、もうとっぶりと日が暮れてしまった。月が出ている。静かな夜に、月がむなしくあかりをともしているだけだ。

 ──人もライオンも、鷲も雷鳥も、蜘蛛も鵞鳥も、角をはやした鹿も、水に棲むもの言わぬ魚も、ヒトデも目に見えぬ微生物も、つまり──いのちあるものはすべて、すべて、すべてその物悲しい周期を終えて、消え去った……何千世紀ものあいだ、この地球はいのちあるものをなに一つ歩ませず、あのあわれな月がむなしくあかりをともしているだけだ。牧場には目覚めた鶴の鳴く声も聞かれず、菩提樹の林には黄金虫の羽音もたえた。

 とかただの思いつきでチェーホフの「かもめ」のせりふコピー&ペーストして行数かせいでんじゃねーぞ、と厳しく自省しつつ、しかし別に行数を稼がねばならぬ筋合いもないのですが、ともあれ翻訳は小田島雄志さんとなっております。

 本日はごくあっさりと、こんなウェブニュースでご機嫌をうかがいます。

江戸川乱歩の愛用眼鏡復刻、1本84000円也
 日本推理小説の父、江戸川乱歩のトレードマークだった眼鏡が復刻され、誕生日の21日発売された。

 「若い人にもっと文学に関心を持ってほしい」と、東京都内のデザイン会社経営、草ナギ洋平さん(31)が企画。乱歩の孫で出版社経営、平井憲太郎さん(57)が監修を引き受けて実現した。(ナギは弓ヘンに上が「前」、下が「刀」)

 べっ甲色で、レンズが丸っこく、下の縁がない乱歩の眼鏡は遠近両用で、平井さんが保管していた。セルロイドが縮むなどしていたが、眼鏡フレームの世界的生産地である福井県鯖江市の眼鏡職人らの協力を得て復元した。

読売新聞 YOMIURI ONLINE 2007/10/21/18:56

 限定百本の受注生産だそうですが、いったいどんな人が申し込むのでしょうか。文学に関心をもってほしい若い人にはとても手が出ないのではないか、かりに手が出たとしてもそれが文学への関心にどうつながるのか、とか意地の悪いこと書いてないで、さあお酒にしようっと。


 ■10月24日(水)
「鏡地獄」をめぐる発見 

 いまごろかよッ、シリーズ第四弾。

 須永朝彦さんの『日本幻想文学史』が平凡社ライブラリーに入りました。

関連書籍
日本幻想文学史 須永朝彦
9月10日 平凡社 平凡社ライブラリー 620
著:須永朝彦
旧版:白水社(1993年9月25日)
関連箇所
金と銀──潤一郎と春夫の探偵小説初出:幻想文学 27号《特集:猟奇と哄笑》1989年9月15日)
日本幻想文学年表初出:旧版)

 乱歩を主体的に扱った章はないのですが、探偵小説関連のパートには乱歩の名前が登場します。ここでは『古事記』にはじまって1993年にいたる「日本幻想文学年表」を一覧して、リストアップされた乱歩作品をリストアップしておきたいと思います。

一九二五年(大正一四年)
 江戸川乱歩「人間椅子」

一九二六年(大正一五年/昭和元年)
 江戸川乱歩「鏡地獄」「人でなしの恋」「パノラマ島奇談」

一九二九年(昭和四年)
 江戸川乱歩「押絵と旅する男」

一九三〇年(昭和五年)
 江戸川乱歩『孤島の鬼』

一九三一年(昭和六年)
 江戸川乱歩「目羅博士」

一九三四年(昭和九年)
 江戸川乱歩『黒蜥蜴』

一九三六年(昭和一一年)
 江戸川乱歩「大暗室」(〜三七年)

一九三九年(昭和一四年)
 江戸川乱歩「暗黒星」

一九四七年(昭和二二年)
 江戸川乱歩『幻影の城主』

一九五一年(昭和二六年)
 江戸川乱歩『幻影城』

一九五四年(昭和二九年)
 江戸川乱歩『続幻影城』

一九五七年(昭和三二年)
 江戸川乱歩『わが夢と真実』

 なんとたくさん。もしかしたら乱歩はこの年表における最多登板作家なのかもしれません。気になる方はご購入のうえご確認ください。

 つづきまして、いまごろで悪いかよッ、シリーズ第一弾。

 いまごろも何も、大正15年の資料をご紹介申しあげます。

 なんつーのか、裏も取らずに乱歩の言をそのまま鵜呑みにしてしまうということが、これは私の場合のみならず乱歩ファンの場合にはよくあるように思われます。たとえば「人間椅子」が「苦楽」の読者投票で断然第一位なのであったと乱歩は書いていますけど、その読者投票をちゃんと確認するということを私は試みたことがありません。いずれ調べなくちゃな、とは思っているのですが。

 似たようなのに「鏡地獄」の元ネタがあります。少年少女向け科学雑誌の Q&A 欄にこれこれこのような質問があったものですから、と乱歩は書いているのですが、われわれはそれがどんなような質問であり回答であったのか、いちいち調べてみようとはあまりしません。ところがそれをちゃんと調べあげた方がいらっしゃいまして、わざわざコピーをお送りくださいました。

 いまごろで悪いかよッ。いまごろでも上等じゃねーかッ。

 まず『探偵小説四十年』から引いておきます。

 「鏡地獄」の着想については、やはり「楽屋噺」に次のように書いている。
 「鏡地獄の思いつきは、種を割ると、まことに下らないのだが、実は『科学画報』という雑誌の巻末についている質疑応答欄に、六号活字で二三行書いてあった文句から暗示を得たわけです。そこには『球体の内面を全部鏡にして、その中心に物を置いたら、どんな像が写るでしょうか』と書いてあった。それはむろん目の位置によって色々になるのだから、明確な答えは出来ないのであろうが、科学的にはどうであろうとも、球体の鏡というものが、何だかひどく恐ろしい感じがした。

 で、科学画報社発行の「科学画報」、その大正15年8月銷夏号(7巻2号)に問題の質疑応答が掲載されておりました。ちなみに「鏡地獄」が発表されたのは「大衆文芸」の大正15年10月号でした。

 では引用。質問は薬学、生理、エスペラント語、眼科、写真、家具工作、天文、園芸など科学百般にわたっているようですが、そのうちの物理の質問。回答者は東京女高師、というのですから東京女子高等師範学校、つまりお茶の水女子大学の前身ということになるのでしょうか、その教授だった藤村信次という人です。

    (鏡張りの大きな球形の室)

鞍手中学校 安河内五郎君

 中空のボールの様な円るい硝子の球を作り、その内部をすつかり鏡にして、人がその中に入つて見ればどんなに見えるでせうか。私は長い間考へて見ましたが考へれば考へる程分らなくなりました。
 (凹面鏡の原理から) 中に入つた人全体がどう見えるかと云ふ事は非常にむづかしい事ですが、その一部分づつを考へるには凹面鏡の原理から考へて見たらよいでせう。今考へる処の身体の一部と球の中心とを結び付けた線を延長して球面を切る点の附近では、凹面鏡の軸上に物体が在る時に生ずる像の関係となる故普通の物理書で学ぶ様に作図して見たらよいでせう。その球面の一部に対する焦点と物体の位置に従つて色々になります。即ち反対側から球の中心迄は前面に倒立し実物より小なる実像、中心から焦点(球面と中心の中央と見てよい)迄は倒立して実物より大なる実像、焦点から鏡面の間に人が来ると倒立し実物より大なる虚像となります。その他の方向でも同様にして距離の関係から色々の場合が生じます。故に人が例へば前面を見ると起立した大きな像を見るのに背面を見ると倒立した小さな像を見たり、頭上はその中間の変な形になつたりしたものを見るわけです。

 なんだかさっぱりわかりませんが、たったこれだけのヒントにもとづいて「鏡地獄」を生み出したんだから乱歩ってのはやっぱすごいよな、ということだけはわかります。

 えーっとそれでまあ、そろそろ日も暮れてしまいますのでつづきはまたあした。


 ■10月25日(木)
ドグラマグラったり諸戸道雄ったり 

 きのうのつづき、「科学画報」の件です。

 もしも大正15年8月号の Q&A 欄に乱歩が眼を通していなかったら、「鏡地獄」は書かれることがなかったのでしょうか。たぶんそうとも限らないでしょう。なにかしら別のきっかけから着想を得て、乱歩は球体の鏡にまつわる恐怖を作品化したのではないかと考えられる次第なのですが、それはともかく、実際には「科学画報」に掲載された鞍手中学校の安河内五郎君の質問が乱歩に「鏡地獄」を書かせたわけなんですから、これはもうまぎれもなく五郎君のお手柄だということができるでしょう。

 ところで、鞍手中学校というのはどこにあるのか。あるいは、あったのか。ネットを検索すると簡単に調べがついて、福岡県直方市にある県立鞍手高等学校の前身らしく、開校は大正7年。となると妙に夢野久作ふうな感じがしてきますが、ここで試みに安河内五郎という人名を検索してみますと、話はいよいよドグラマグラってくるみたいです。

 Google 検索で安河内五郎なる人名を検索すると、まず『急性一酸化炭素中毒』という著書のデータがひっかかってきます。1972年、医学書院発行。それから、あるブログの2007年5月29日付エントリ「電気ショック療法は日本人が発明した?」、さらには躁鬱病関係のサイトの「ECT に関する倫理的、社会的諸問題について」というページなどを閲覧しますと、安河内五郎というのはどうやら医学者で、日本における電気ショック療法の権威者というか第一人者であったらしく、それならばと手許の弘文堂『精神医学事典』を引いてみますと、「電気ショック療法」の項に「わが国では、安河内、向笠法に準じて」といった記述を見ることができます。へーえ、とか思いながらまたネット検索に戻りますとこれはやはり相当ドグラマグラってる話であるようで、九州大学医学部のサイトにこんなページがあったではありませんか。

 なにこれ。「精神病態医学 下田光造とドグラマグラの時代」って、ほんとにドグラマグラじゃん。関連箇所を引用しておきます。

3、 ショック療法 死に瀕した精神病患者が劇的に正常に戻ることがあるという臨床的観察から、下田は精神病に対する様々なショック療法を試みた。最初、カルジアゾールによる痙攣療法を試みたが、やがてイタリアのツェルレッティの報告をもとに教室の安河内五郎、向笠広次が開発した電気ショック療法(電撃痙攣療法)が普及した。後にインスリンショック療法も実施された。電気ショック療法は、現在もなお難治性うつ病に対する有効性が認められている治療法である。

 呉秀三門下の下田光造のそのまた門下のひとりが安河内五郎であり、向笠広次とともに電気ショック療法を開発したというのですから、その開発過程ではそれはもう動物実験とかあるいは人体実験とかも行われたのではないかと想像され、するってえとこれはもうドグラマグラってるいっぽうで諸戸道雄ってる話でもあって、事実は小説より奇なりとはこのことか。

 いやいや、「科学画報」に投稿した鞍手中学校の安河内五郎君が後年の安河内五郎先生なのかどうか、確たるところは不明なのですが、私は同一人物であってくれたらいいのになと思います。安河内五郎君はたぶん鞍手中学時代から医学を志した秀才で、それでもときどき球の内部を鏡張りにしてそのなかに入ったらいったい何が映るのかなとか考えたりして、「長い間考へて見ましたが考へれば考へる程分らなくな」ってしまったりするちょっとユニークなところもある中学生だったのでしょう。

 もしかしたら小説なんかにはあまり興味がなく、お医者さんになってからも医学の道を究めるのに忙しくて、探偵小説だの乱歩のことだのはほとんど知らなかったのかもしれません。だとしても、というか、だからこそ、乱歩と安河内五郎君が「科学画報」の誌面を通じてただ一度だけ人生の軌跡を交錯させたというその事実が、私にはなにかしら美しい奇蹟のようなものに思いなされてくる次第です。


 ■10月26日(金)
諸戸道雄と「科学画報」 

 いまごろで悪いかよッ、シリーズ第二弾。

 それにしても、乱歩はどうして「科学画報」の大正15年8月号なんかに眼を通していたのでしょうか。大正15年は乱歩みずから「最初の多作期」と回顧している年で、少年少女向けの科学雑誌をひもといている余裕などなかったのではないかと思われます。ひとつ考えられるのは、長男のために「科学画報」を定期購読していたという線でしょう。しかし平井隆太郎先生は大正10年のお生まれですから、「科学画報」を読むにはまだちょっと幼すぎる感じです。

 しかし、とにかく、乱歩は「科学画報」の大正15年8月号を読んでいた。ならば、その三か月前の号を読んでいなかったとは誰にも断言できますまい。もしも読んでいたのだとしたら、たいへん面白いことになってきます。

 これも先日、大正15年8月号の Q&A 欄とともにコピーをお送りいただいたのですが、「科学画報」大正15年5月号(6巻4号)には東京帝大医学部病理学教室の医学士、福田保による「医学の驚異 人工で生きた怪物を作る話」という読みものが掲載されています。これがなんと読者諸兄姉もうっすらお察しのそのとおり、「孤島の鬼」に出てくるような怪物の話なの。「孤島の鬼」の「無気味な両頭生物」をいやでも連想させるおはなしが、大正15年の「科学画報」に載ってたわけなの。

 いまごろで悪いかよッ。いまごろでも上等じゃねーかッ。

 冒頭の四段落を引いておきます。

 二匹或は三匹の動物を、生きたまゝで身体を接ぎ合せる事をパラビオーゼと云つて、比較的新しい医学上の実験の一つに用ひられて居る。これによつて色々面白い研究が試みられて居るが余りに専門的のものが多いので、成る可く分り易い簡単の事柄を御話し致し度いと思ふ。
 パラビオーゼを人間で作つて見たなら余程面白い事実が明かになつて来るであらうが、元来この実験は自分の考を言葉で発表出来ない動物ばかりに試みられる事であつて、ただ外から観察し得るに過ぎないから興味半減する訳である。然し人間でも外の動物にも、時々このパラビオーゼに似た二つの身体の接ぎ合さつたものが畸型児として生れ出て来る事がある。
 これを対称性復体畸型と云ひ、双児であつて其の胸とか腹とか背とかが一部分癒合して居るものである。こう云ふ畸型児は多くは他の部分に致命的の畸型を持つて居るので、生れ出ると間もなく死ぬのが常であるが、世界の中には復体畸型のまゝで生きてゐた例も少くない。
 西洋には古くから見られたが、東洋でも支那やシヤムにあつた記録があり殊に一八七四年に死んだシヤムの双児は有名なものであつて、共に胸部で二人が癒合して居つた。こふ云ふ風に胸部で癒合して居るのが一番多く、マリア・ロザリナと云ふのも其一例であつたが、其癒合の程度が非常に軽かつたので、手術的に二人は切り離して貰つて共に生き長らへたと云ふ事である。背部で癒合して居るものでは西洋にベームの双児ヨセフア・ローザと云ふのがあつた。

 誌面のコピーもご覧いただきましょう。

 下の写真に写っているのが「胸部で癒合して居る」ところの「マリア・ロザリナ」だそうです。

 むろん乱歩にもシャム双生児にかんする知識はあったはずですが、パラビオーゼなる「比較的新しい医学上の実験の一つ」があることまでは知らなかったのではないか。で、「パラビオーゼを人間で作つて見たなら」というくだりが、つまりはシャム双生児を人工的につくってみるという発想が強く印象に残ったのではないか。もとよりこれは乱歩がこの記事を読んでいたと仮定しての話なのですが、どうもそんな気がします。

 コピーを送ってきてくださった方はこの記事が「孤島の鬼」のヒントになったのではないかとご推測なのですが、その可能性は少なからずあるでしょう。そのあたりのことはまたあすにでも記すことにいたしますが、日本人名大辞典のウェブ版によれば、この記事を執筆した福田保は明治25年、茨城県に生まれ、昭和49年、八十二歳で死去(1892−1974)。病理学から外科学に転じ、三楽病院外科医長などを経て東京帝大、順天堂大で教授、杏林大の新設で同大学長、とのことで、なんだかほんとに諸戸道雄。


 ■10月27日(土)
「科学画報」と「虞初新誌」 

 乱歩と「科学画報」の関係について、掲示板「人外境だより」で貴重なご教示をたまわりました。さっそく転載。

wen-ju   2007年10月27日(土) 3時54分  [220.106.128.52]

「科学画報」の件ですが小酒井不木の線はどうでしょうか
科学画報は大正13年まで原田三夫の編集でしたが
原田と小酒井は同郷の出身であり親しい関係にありました
その縁もあって小酒井は「科学画報」に作品を掲載しています
また、小酒井の紹介によって乱歩と原田は交遊関係となり
戦後、原田が理事長を務める日本宇宙旅行協会に
乱歩は理事として参加しています

以上既知の情報もあると思いますが
書き込みをさせていただきました

 思いもおよびませんでしたが、この線はありだと思います。というか、この線しかないのではないでしょうか。

 日本人名大辞典のウェブ版によれば、原田三夫は明治23年、愛知県に生まれ、昭和52年、八十七歳で死去(1890−1977)。北海道帝大講師などを経て、大正12年「科学画報」、13年「子供の科学」の創刊に携わり、昭和28年には日本宇宙旅行協会を設立、その会長に就任しました。肩書としては、科学ジャーナリスト、といったところでしょうか。

 荒俣宏さんの『大東亜科学綺譚』に収められた「火星の土地を売った男」からちょっとだけ引用。

 ともかくも華々しくスタートを切った日本宇宙旅行協会は、原田三夫と親交のあったユニークな文化人が多数加わっていた点でも特筆に値する。まず徳川夢声は、原田が愛宕山で初のラジオ放送が開始されたとき科学番組に出演したときからの友人で、ほかにも少年探偵団生みの親、江戸川乱歩が参加していた。原田の中学時代の同級に、これまた推理小説で名を売った小酒井不木がおり、その小酒井に後輩の乱歩を紹介されて以来の縁であった。また乱歩は世界共通語としてエスペラントに代わるベーシック・イングリッシュの普及運動に関係しており、世界の平等平和という目的が原田の宇宙旅行協会に共通したのである。

 ちなみに日本宇宙旅行協会が発足した昭和28年、乱歩は「少年」に「宇宙怪人」を連載し、終幕では二十面相に世界平和の大切さを力説させているのですが、そんなこと書いてると話がどんどん横道にそれていってしまいますので、乱歩が小酒井不木とのゆかりから「科学画報」を読んでいたのであれば、大正15年8月号のほかにも福田保の「医学の驚異 人工で生きた怪物を作る話」が掲載された同年5月号に眼を通していた可能性が高くなるような気もするなというぼんやりした推測をここに記し、何はともあれ貴重な情報をお寄せくださった wen-ju さんにお礼を申しあげて、先に進みたいと思います。

 さてそれで「孤島の鬼」。『探偵小説四十年』にはこのように書かれています。昭和3年の話です。

 そして、第一回を書く時分には、もう寒い季節になっていたので、寒さの嫌いな私は三重県の南の方の、不便な、しかし、非常に暖い漁村へ旅行して、そこで筋を考えた。近くの鳥羽の岩田準一君に、その宿へ来てもらって、毎日舟に乗ったり、村の附近を散歩したり、寝ころんで話をしたりして日を暮らした。その岩田君が「鴎外全集」の一冊を持って来ていて、その中に何かのついでに二三行書いてあった中国の片輪者製造の話を読んで非常に面白く感じた。それがまあ、あの小説の出発点になったのだ。第一回を書いたあとで、東京に帰って、古本屋を探して「虞初新誌」を買ったり、西洋の不具者に関する書物を猟ったりした。

 乱歩はタイトルを明記していませんが、「中国の片輪者製造の話」が出てくる鴎外作品は、たぶん「ヰタ・セクスアリス」だと思われます。以前にも一度ご紹介いたしましたが、それらしいところを引用しておきましょう。以前は現代日本文学大系第七巻『森鴎外集(一)』を底本といたしましたが、今回はちくま文庫版森鴎外全集第一巻『舞姫 ヰタ・セクスアリス』。

 その日の夕かたであった。古賀が一しょに散歩に出ろと云う。鰐口なんぞは、長い間同じ部屋にいても、一しょに散歩に出ようと云ったことはない。兎に角附いて出て見ようと思って、承諾した。
 夏の初の気持の好い夕かたである。神田の通りを歩く。古本屋の前に来ると、僕は足を留めて覗く。古賀は一しょに覗く。その頃は、日本人の詩集なんぞは一冊五銭位で買われたものだ。柳原の取附に広場がある。ここに大きな傘を開いて立てて、その下で十二三位な綺麗な女の子にかっぽれを踊らせている。僕は Victor Hugo の Notre Dame を読んだとき、Emeraude とかいう宝石のような名の附いた小娘の事を書いてあるのを見て、この女の子を思出して、あの傘の下でかっぽれを踊ったような奴だろうと思った。古賀はこう云った。
 「何の子だか知らないが、非道い目に合わせているなあ。」
 「もっと非道いのは支那人だろう。赤子を四角な箱に入れて四角に太らせて見せ物にしたという話があるが、そんな事もし兼ねない。」
 「どうしてそんな話を知っている。」
 「虞初新誌にある。」
 「妙なものを読んでいるなあ。面白い小僧だ。」

 「赤子を四角な箱に入れて四角に太らせて見せ物にした」という「虞初新誌」の「片輪者製造」と「孤島の鬼」のそれとのあいだには、いささかの飛躍があることに気づかされます。つまり後者は外科的手術によって怪物をつくるという話なんですから、「虞初新誌」から「孤島の鬼」にたどりつくためには、乱歩は福田保のいうパラビオーゼ、つまり「二匹或は三匹の動物を、生きたまゝで身体を接ぎ合せる」という「比較的新しい医学上の実験」にかんする知識を有していなければならなかったはずです。「虞初新誌」や西洋の不具者にかんする書物をいくらあさってみたところで、昭和初年の外科学について知ることは不可能です。

 だからやっぱり乱歩は、「科学画報」大正15年5月号に掲載された「医学の驚異 人工で生きた怪物を作る話」を読んでいたのではないかしら。そこから得た知識が「孤島の鬼」の執筆に生かされたということなのではないかしら。『探偵小説四十年』にそのことが記されていないのは、乱歩がそれを忘れてしまっていたからなのではないかしら。『探偵小説四十年』における「孤島の鬼」の回顧は昭和28年に記されたもので、つまり乱歩は二十五年も前のことを記憶に頼って書いていたわけですから、すっかり忘れはててしまっていても無理はありません。

 「鏡地獄」と「科学画報」の関係についていえば、これは昭和4年の「楽屋噺」に記されたところが『探偵小説四十年』にそのまま引かれていたわけですから、「楽屋噺」執筆時には「科学画報」の Q&A 欄という細部の記憶が乱歩の頭のなかで生きていたということでしょう。

 とりあえず、まあそんなようなところです。「科学画報」の大正15年5月号と8月号から、まことに示唆に富む二本の記事を探し出してわざわざコピーをお送りくださった方にお礼を申しあげます。本日はお礼ばかり申しあげております。


 ■10月28日(日)
ドキュメンタリーフィルム「和本」完成披露試写会 

 本日はまずお知らせ一件。神田神保町オフィシャルサイト「BOOK TOWN じんぼう」のこのページをどうぞ。

 10月29日と30日、東京古書会館地下ホールで三好大輔監督のドキュメンタリーフィルム「和本」の完成披露試写会が催されます。第四十八回東京名物神田古本まつりの併催イベントで、主催は東京古典会、協賛は神田古書店連盟と東京都古書籍商業協同組合。午後6時30分上映開始。入場無料。

 「和本」の紹介文を引用しておきましょう。

作家“荒俣宏”が語る和本との出会い そしてその奥深さ

ミステリー作家の第一人者“江戸川乱歩”の書庫
そして彼が蒐めた和本コレクションからみる探偵作家“江戸川乱歩”誕生のルーツとは

早稲田大学名誉教授“中野幸一”が語る和本を通して見た文学の真髄

古書の市場で江戸時代以前の書籍がどのように取引されているのか
日本最大のオークション「古典籍展観大入札会」の世界そして裏側

和本を専門とする店主たちが語る「和本」の世界

 まあそういうことのようです。

 つづきましてウェブニュース。毎日新聞オフィシャルサイトで第五十三回学校読書調査の結果が発表されました。

特集:第53回学校読書調査(その2) 1カ月の読書量・書名/読まない理由ほか
 <ホンヨモ! 子ども読書推進運動進行中!>

 ■全校読書、小・中学で浸透 「読まない子」減少、後押し

 本を読まない児童・生徒の割合が、過去10年で大幅に減少してきたことが、毎日新聞社が全国学校図書館協議会(全国SLA)の協力を得て26日まとめた「第53回学校読書調査」で明らかになった。学校での一斉読書活動の広がりに加え、今年の調査では、中学生の野球小説「バッテリー」と、大流行しているケータイ小説がけん引役となっている。一斉読書については、実施校の大多数の児童・生徒が肯定的にとらえており、「本を読むことが増えた」など本好きになる効果を感じる子供たちが多いことも分かった。【田村佳子、中山裕司、福田昌史、堺英雄】

毎日 jp 2007/10/27

 小学生から高校生までの「人気の本ベスト5」では、中学一年男子のランキングに乱歩作品が登場、「バッテリー」シリーズと結構互角に渡りあってます。

▼中学生
<1年男子>
(1)バッテリー
(2)バッテリー2
(3)江戸川乱歩シリーズ
(4)バッテリー3
(5)佐賀のがばいばあちゃん
<2年男子>
(1)バッテリー
(2)三国志
(3)ブレイブ・ストーリー
(4)バッテリー2
(4)ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
<3年男子>
(1)バッテリー
(2)バッテリー2
(3)三国志
(4)東京タワー
(4)バッテリー3
<1年女子>
(1)★恋空
(2)★赤い糸
(3)バッテリー
(4)★心の鍵
(5)★今でもキミを。
<2年女子>
(1)★恋空
(2)★赤い糸
(3)★心の鍵
(4)★天使がくれたもの
(4)★純愛
<3年女子>
(1)★赤い糸
(2)★心の鍵
(3)★恋空
(4)★クリアネス
(4)★純愛

 ★がついている作品はいわゆるケータイ小説。どんなんやねん、とか思います。