2008年1月
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1月1日に更新したっきり、お餅だお酒だ来客だ新年会だ二日酔いだ鬱だ鬱だ何がめでたいかこらとわあわあいってるあいだに7日となってしまいました。きょうはおとなしく七草がゆを食したいと思います。 森下時男さんの『探偵小説の父 森下雨村』、毎日新聞のサイトにきのう書評が掲載されました。「今週の本棚・新刊:『探偵小説の父 森下雨村』=森下時男・著」をどうぞ。 前半生をモダン都市東京で編集者としてまた探偵作家として過ごし、後半生は故郷の土佐でいわゆる野人暦日なしという日々を送って、なんか定年退職したあとやたら田舎に行って自然に接したがるきょうびのお父さんのはるかな、というよりはとても手の届かない先達という観がないでもない森下雨村ですけれど、その本格的な評伝が次男の時男さんの手でまとめられました。 興味深かったエピソードのひとつを、「博文館をクビになる」と題された章から引用いたします。昭和6年のできごとです。
『探偵小説四十年』には「森下雨村の博文館退社」という章があるのですが、退社の理由について乱歩は歯に衣を着せたようなことをしか書いていません。もう少しくわしい事情を知ってはいるのだが、ここには書かない、みたいな感じで妙に曖昧な記述があるばかりなのですが、乱歩もこのストーブを囲んだ雑談のことまでは承知していなかったのではないでしょうか。 私は著者の森下時男さんに一度だけお目にかかったことがあり、あれは名古屋であったのかどこであったのか、とにかく愛知県内にあったお店で名古屋名物味噌煮込みうどんをご馳走になりながら、まさにこのストーブを囲んだ雑談のことを教えていただきました。そのときの印象では、そしてこの本を読んだときの印象もやはりそうだったのですが、博文館を退社させられたときの雨村の屈辱と憤怒は、次男の時男さんにも長く共有されていたのではないかと思われます。 さらにお会いしたおりの印象を記せば、土佐の地で気随気儘に「いごっそう」な後半生を生きた雨村に対して、時男さんには血のつながった息子ゆえのいわゆる愛憎二筋の感情があったのではないかとも忖度された次第だったのですが、この『探偵小説の父 森下雨村』においてはそうした感情の屈折がきれいに払拭され、ひとりの近代人の人生を浮き彫りにしようとする温かくも冷静な視線が感じられたと偉そうなことを記しておきたいと思います。 ひとつには時間の経過のおかげで、もうひとつには、おそらく森下雨村という人物の魅力そのものに導かれて、息子が父親の評伝を記すという困難なはずの作業、実の父親が同時に日本探偵小説の父でもあったという稀有な境涯に立った作業がなしとげられ、われわれはそれに気軽に接することができるという寸法です。江湖の乱歩ファンはぜひお読みくださいますよう。 |