2008年4月中旬
11日 山寺の鐘と赤い小人
12日 本日の報告
14日 「二十面相の娘」が始まりました
15日 また本日の報告
16日 どうすっかなあのスパイラル
18日 さらにどうすっかなあのスパイラル
 ■4月11日(金)
山寺の鐘と赤い小人 

 本日の報告。

 伝言録の「本日のフラグメント」をたどり、きょうは都筑道夫『推理作家の出来るまで』の番となりました。2006年6月4日の伝言です。昭和31年、第二回江戸川乱歩賞授賞式の当日、乱歩と横溝正史が握手して仲直りをしたと記されています。何月何日のことなのか。『探偵小説四十年』をひもとくと6月30日のことであったと書いてあります。そこで「Rampo Fragment」に昭和31年のページを新設し、6月30日のデータを記載する。曜日を調べる。土曜日である。さすが土曜会、とか思いながら補完資料として日本探偵作家クラブの会報を見てみると、6月号に「日本探偵作家クラブ五十六年度総会」という記事があって当日の詳細が記録されている。ほかにも消息欄などに細かい記事がある。そこでとりあえず5月と6月の二か月、どこで講演したとかどこの会合に出席したとかいう乱歩の記録を書き加えてゆく。

 日本探偵作家クラブの会報にはこの手の細かい情報がてんこ盛りにされていて、乱歩のみならず会員の動向をつぶさに知ることができる雑報の宝庫となっております。そういえば北村薫さんも『ミステリは万華鏡』のなかで、会報の消息欄に記録された乱歩の動静にふれながら、こんなことをお書きになっていらっしゃいました。

 こういう記事を順を追って拾って行き、座談会やら催し物の詳細について掘り起こしていったら、ミステリ好きにとってはかなり面白い読み物になるだろう。何人かで毎月集まり、《こんなことやってたんだねえ》《あの人がねえ》《これはどうなったんだろう》と、話し合い、関連する現物を復刻する。そういう連載を、どこかでやらないだろうか。物ぐさだが興味関心はあるので、読んでみたい。資料的な意味からも、やっておく価値はあると思う。

 もとより乱歩限定ということにはなるのですが、会報の雑報を掘り起こす作業にはいずれ着手しなければならんだろうなとは以前から考えていて、いま北村さんの文章を引用してうっすらと思い出したのですが、『ミステリは万華鏡』が刊行されたとき北村さんにそういった心づもりを手紙でお伝えもいたしました。なにしろこの本、第一章で名張市立図書館の『乱歩文献データブック』をご紹介いただいていて、「奥付には[造本データ]がついており、レイアウトをしたのが、何とニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン(ドストエフスキーもびっくり!)となっていたりする」と名張人外境名誉一代永世番犬の名前まで書いてくださってありましたので、それはもう北村さんにお礼の手紙をお出ししなければ犬の立場がありません。『ミステリは万華鏡』が出たのは1999年5月のことですから、それから九年もの日月を閲してようやく作業が緒に就いた次第なのですが、まさしく緒も緒、ほんとの入口に立ったということでしかないわけです。

 作業が終わるのはいつのことやら、みたいなことを考え始めるともういけません。頭のなかで山寺の鐘が陰気に鳴り響き、視界の隅を赤い小人が駆け抜けます。できるだけ目先のことしか考えないようにして当面の作業を進めたいと思います。

 ところで、目先も目先、あるいは鼻先にぶらさがっている疑問をひとつ書きつけておきますと、日本探偵作家クラブ会報の昭和31年6月号には、先述のとおり「日本探偵作家クラブ五十六年度総会」という記事が掲載されていて、当日の出席者も順不同、敬称略で記録されています。むろん乱歩の名も見えるのですが、あーら不思議、乱歩と握手して仲直りしたと都筑道夫が報告している横溝正史、その名がどこにもないではありませんか。たぶん記載漏れかとは思うのですが、都筑道夫が勘違いしていたという可能性もないではなく、あれこれいろいろ考えていると山寺の鐘が、赤い小人が……。


 ■4月12日(土)
本日の報告 

 ふうふういいながら「Rampo Fragment」に関するきょうの作業を振り返りますと、伝言録の2006年6月5日付「本日のフラグメント」に掲載した横溝正史の「田舎者東京を歩かず」を加え、昭和23年のページを新設しました。以上です。ふうふう。


 ■4月14日(月)
「二十面相の娘」が始まりました 

 「Rampo Fragment」の深い森のなかに踏み迷い、きのうはとうとうサイトを更新できませんでした。あっちこっち手を着けてはいたのですが、さあアップロードしようという時機を失してしまいました。横溝正史の「『二重面相』江戸川乱歩」を放り込むために昭和22年のいわゆる探偵小説行脚にまつわるデータを拾い、それからなぜか明治時代にさかのぼって乱歩が愛知県立第五中学校に入学したのは明治40年4月15日月曜日であったらしいとあたりをつけたあと、今度は三重県津市の菩提寺に乱歩が平井家の墓を建てたのは昭和26年のことであったと記載し、そんなことに没頭しておりますともう際限というものがなくなってしまいます。アップロードの時機どころか自分すら見失ってとても危ない状態になってしまいます。気をつけなければなりません。

 2008年4月の現実に戻りますと、掲示板「人外境だより2008」に八本正幸さんからさっそくご投稿をいただいたのですが、テレビアニメ「二十面相の娘」がスタートいたしました。関連のウェブニュースから引用。

二十面相の娘:愛らしい少女の活躍 傑作探偵小説が“復活”
 高価な美術品を盗み出し、世を震かんさせる盗賊「怪人二十面相」が盗み出したのは、一人の少女だった。両親を失った資産家の跡取りゆえに、養父母から毒を盛られ続けた美甘千津子(みかもちづこ)は、その魔の手から逃れるため、自ら望んで二十面相の仲間となり、「チコ」と呼ばれ可愛がられる。ところがチコが「おじさん」と慕った二十面相は、列車の爆発で行方不明、2年間共にした仲間とも散り散りになってしまい、日本へと連れ戻される。それでも「おじさん」の行方を捜し続けるチコの行く手には、二十面相の「遺産」を巡りさまざまな事件が起こるのだった……。

 タイトルからも分かる通り、大正から昭和にかけて活躍した作家・江戸川乱歩の代表作「怪人二十面相」シリーズがモチーフとなっている。少年探偵ものが大好きという作者・小原慎司さんは02年夏、少年探偵団が怪盗から少女を奪い返す“試作品”の読み切りマンガを1本作り上げたが、「暗すぎる。パロディーのままでダメ」と見切りを付けて、自らの味付けを模索した。そして、チコの設定を「不幸な貧乏少女」から「富豪の娘」に変え、大好きな「おじさん」を追いかけるという展開で、二十面相の「遺産」を巡るエピソードを盛り込んで正統派の冒険活劇に仕上げている。

 見どころの一つは、チコの愛らしいキャラクターだろう。最初は、毒を盛られてもひたすら待つだけの「深窓のお嬢様」だったが、二十面相からの薫陶を受け、自らの人生を切り開いていく強い心を持つ少女に成長する。高い壁を軽々と飛び越える俊敏な身のこなしを身に着け、追い詰められても冷静に状況を判断し、打開策を見つけ出すといった洞察力も持ち、二十面相の“後継者”にふさわしい力を見せる。だが、「おじさん」に向ける信頼の表情は、あどけない少女そのもので、そのギャップこそがチコの魅力といえる。

 新たな味付けだけでなく、原作「怪人二十面相」の世界観をしっかり残している。人を傷つけず、変装の名人で、美しいものには目がないという「二十面相」はもちろん、宿命のライバル、名探偵明智小五郎も登場するので、小説との類似点を見つけるのも楽しみの一つだ。

毎日JP 2008/04/12

 そういえば、小原慎司さんの『二十面相の娘』全八巻のうち未購入の六巻から八巻まで、まだ注文していないではないか。というか、最近はろくに本屋さんも覗いてないのではないか。最後に本屋に行ったのはいつであったのか、どうにも思い出せないではないか。毎日毎日、深い森のなかに踏み迷っているだけではないのか。どうもそんな気がする。なんかやべーんじゃね?


 ■4月15日(火)
また本日の報告 

 わざわざ報告するのもあれなんですが、日々吉例の作業をきょうもちょっとだけ進めました。以上です。


 ■4月16日(水)
どうすっかなあのスパイラル 

 もう何年か前、掲示板「人外境だより」(お古のほうです。いまやスパム投稿がてんこ盛り。おニューのほうは「人外境だより2008」となっております)に中国の不思議な翻訳者の方から集中的にご投稿をいただき、あれこれやりとりをいたしましたとき、おまえもこんなサイトで毎日ばかみたいなこと書いてる暇があるんだったらその時間をもっと有効に利用してはどうじゃ、そうすれば乱歩に関して少しはましな仕事もできるはずじゃが、みたいなご指摘を頂戴してしまいました。こいつぁ痛かった。あったま抱え込むほど図星を突かれてしめーやした。チベットに自由を、と反論することもできないくらいの一撃で、しかもこれは時間が経過してもおりにふれて思い出され、そのたびによりじわじわと効いてくるツッコミでもあって、最近ではいよいよしみじみと頷かれてしまう次第です。

 いやー、おれも澁澤龍彦が死んだ齢まであと五年かよ、とか思っていたらつい先日、なんとあと四年ということになってしまって、べつにうろたえたりはしませんでしたが茫然とはしてしまい、なんだかなあ、という気にもなってしまいました。で、どうすっかなあ、というか、もうどうだっていいか、というか、そんな気になってしまう。こんなことではいかんではないかとみずからを鼓吹してもみるのですが、とても追っつかんだろうなという諦めまじりの予見が先立ってしまいます。むろんこんな予見は以前から、それこそ中国の不思議な翻訳者の方とやりとりしたころから抱いていたわけですが、それが年を追って身に迫ってくる。乱歩に関してやるべきこと、やらねばならぬことはよく承知しているつもりなのですが、なにしろ作業量があまりにも膨大で、五年なら五年と期限を切ってみた場合、とても実現可能な話ではなくなってきます。

 一度、名張市教育委員会の教育長という偉い方に、それは名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』が出たあとのことだったのですが、図書館サービスの範となるべき目録もできたのだし、そろそろ図書館に乱歩のことを一日フルタイム専従でやってゆくスタッフを置いてはいただけぬか、指導養成は当方で手取り足取りいたしますからと水を向けてみましたところ、即座に却下されてしまいました。むろん名張市の財政事情を知らなかったわけではなく、しかし日本でただひとつ乱歩関連資料を専門的に収集してきた名張市立図書館が、派手めかしたことは必要ないけれど収集資料の活用を地道に着実に進めてゆくことは名張市にとって大切なことであり、そのための筋道もちゃんとつけてさしあげたのですから、こうなったら専従スタッフのひとりも配してやらぬことにはねえあなた、との懇願もあえなく退けられ、しかもこの退け方というのが半端ではありません。文字どおりの速攻、熟慮のすえに決定するということがいっさいなく、完全な脊髄反射でした。公務員というのはだいたいにおいて、何か新しいことをやれと提案するとその不可能性を数えあげることから始めてしまう特異な習性をもっているものなのですが、不可能性すら関係なく、てまえどもはものを考えるということをまったくしないことにしておりますといったていの退け方でしたから、なんかほんとに困ってしまう。

 そういえばその同じ場で、江戸川乱歩リファレンスブック三巻がこうして完結したのですから、これをなんとか市立図書館のウェブサイトに掲載して随時増補を加えてゆくのがよろしかろうと愚考いたしますですが、とこれも名張市教育委員会の教育長という偉い方にお伺いを立ててみた次第だったのですが、こちらはさすがに速攻ではありませんでしたものの、やはり財政難という信じられぬような理由で、いやもちろん財政難は事実なのですが、目録のデータをサイトに掲載するというたったそれだけの提案を退けるためにわざわざ財政難をもちだしてくるかよ普通、といった点が信じられないわけであって、ところがいずれにせよこっちの話もあわれはかなくなりにけり。いやいや、こんな愚にもつかぬ繰り言を記している暇があるのなら、それこそ中国の不思議な翻訳者の方から進言していただいたとおりにすればいいようなものなのですが、そうしたとしても前途ははるかに茫洋としており、どうすっかなあ、というか、もうどうだっていいか、というか、そんな気になってしまうというわけです。

 去年の夏あたりからふらふらと自分探しの旅に出てしまい、じつは結論らしいものがはっきりとは見つからぬままきょうに至っている次第なのですが、おかげでもうひとつ盛りあがりません。「Rampo Fragment」のような機械的な作業に没頭しているあいだはいいのですが、ふとわれに返ると前途は茫洋。そんなところへ魔が差すようにして、こんなことより先にすることがあるのではないか、決着をつけるべきことがあるのではないか、名張市におけるなべての愚かしさ(のごく一部)を相手取った不毛の総力戦はどうした、その結末をつけるために名張市立図書館ともおさらばして自由の身になったのではないか、と心のなかでみずからに問い、それはわかってるけどほんとに愚かしいからなあ、とみずからに答え、それで結局どうすっかなあのスパイラルに陥ってしまいます。こんな毎日ではいかんのではないか。

 そんなこんなで本日は更新作業もお休みし、ただし告知板の上のほうに企画展「冒険王・横尾忠則」の情報だけは加えましたけど、いろいろ考えにゃならんことが多いものですからこれにて失礼いたします。


 ■4月18日(金)
さらにどうすっかなあのスパイラル 

 まず、メールでお知らせいただいた情報の受け売りです。日本近代文学館と神奈川近代文学館でともに新収蔵資料展が開かれていて、前者には村上元三宛の乱歩書簡(ほかに久生十蘭や横溝正史なんかの書簡もあり)、後者には乱歩「『宝石』編集一年」の原稿が展示されているそうです。詳細は右の告知板に設けたリンク先でどうぞ。

 と、ここまではたたたーっと快調に記すことができたのですが、そのあと、はた、と停滞。やたら煙草を吸うばかりで、どうにも考えがまとまりません。何を考えているんだか、それすらわからなくなってくる。本日はこれだけといたしましょう。