2008年8月中旬
11日 永劫回帰の夏休み
12日 今年の「黒蜥蜴」、五年前の「黒蜥蜴」
13日 去年の「黒蜥蜴」、今年の「人間豹」
14日 旧乱歩邸のたぶん最新映像です
15日 また「少年少女乱歩手帳」その後
16日 おかげさまで遠縁の娘が決勝進出です
17日 おかげさまで遠縁の娘が優勝いたしました
18日 「赤い部屋」をめぐるDJふう対談
19日 名張市内新刊書店東奔西走録
20日 南陀楼綾繁さんの『積んでは崩し』
 ■8月11日(月)
永劫回帰の夏休み 

 とても暑いんだかそれほどでもないんだか、なんとも判じがたいような状態になってきて、もしかしたらエアコンを暖房にしてもそのことに気がつかないほど判断力が低下しているのではないかと疑われるきのうきょうですが、本日は午前中、親戚の幼稚園児を連れて名張市のおとなりの伊賀市にある忍者屋敷に足を運びました。正式名称は伊賀流忍者博物館。アバウトなところは公式サイト「忍者伊賀 伊賀流忍者博物館」でご覧いただくことにして、ここは伊賀市と名張市をあわせた伊賀地域で人気ナンバーワンの観光スポットなのですが、夏休みとあって朝から親子連れなどでなかなかのにぎわい。忍者ショーの実演というのをやっておりましたので入場料払って見物したのですが、出演する忍者軍団はくノ一ひとりを含む五人、だったか六人だったか、なにしろ判断力が低下しておりますので人数さえはっきりしないありさまなのですが、ソロの手裏剣打ちやコンビの殺陣がなかなかの迫力で、往年の旅回りの一座というのはかくもあったであろうかというような興趣も感じられ、子供時代の夏休みに戻ったような錯覚すらおぼえて、まさしく永劫回帰の夏休み。なんですかもう、いっそ忍者になろうか、しかし修行が厳しそうだからなあ、と半分本気で考えたりもしてしまいました。早く正気に戻らなければなりません。


 ■8月12日(火)
今年の「黒蜥蜴」、五年前の「黒蜥蜴」 

 サイトの更新をサボっていたあいだにもいろいろいただきものがあって、ぼちぼち整理にかかっているところなのですが、手当たり次第で本日は五年前、2003年の3月から5月にかけて公演された「黒蜥蜴」のパンフレットです。美輪明宏さんの対談が二本収録されていて、その相手が奥山和由さんと平野啓一郎さんと来ておりますので、なんというのか時代を感じさせます。

 美輪さんの「黒蜥蜴」は今年4月から6月にも公演があって、私は大阪の梅田芸術劇場でやっていたのを観に行ったのですが、三島由紀夫の戯曲でいえば、

……黒蜥蜴、松吉を射つ。カチッと音がするだけである)
黒蜥蜴 畜生! 弾丸を抜いたのね。
松吉 檻の鍵をお渡しなさい。
 (黒蜥蜴、憎しみの眼差で鍵を渡す。……

 というシーンでハプニングがありました。戯曲にはそんなト書きはないのですが、美輪さんの演出では黒蜥蜴が弾の入っていないピストルを投げ捨てることになっている。で、美輪さんの投げた小道具のピストルが松吉、つまり明智小五郎、すなわち高嶋政宏さんの頭にしっかり命中してしまいました。こちらは前から五列目とかそのあたりのいい席で観ていたものですから、美輪さんが素でびっくりしていらっしゃるのがよくわかり、笑うのも失礼だけどしかし笑ってしまうしなあ、とやや複雑な心境になりました。三島由紀夫は自分が書いた芝居の上演中、役者がとちったりしたら誰よりも早く誰よりも大きな声で哄笑したと伝えられるのですが、このハプニングに遭遇したらどんな反応を見せたことか。

 パンフレットに収められた美輪さんと奥山さんの対談から引用。

奥山 美輪さんは三島さんにもお会いになっているし、江戸川乱歩さんにもお会いになっているでしょう? 本当にうらやましい。三島さんがこれを脚色なさるというのも、どういうきっかけだったかわからないけれども、それほど豪華な財産というのはないですよね。それをまた美輪さんが演じられるようになるというのは、お会いになっていたときに予想されました?
美輪 いいえ。最初に三島さんに会ったのは昭和二十六年か七年でしょう。江戸川さんは二月頃なんです。その二カ月ぐらい後の四月頃に三島さんに会っているわけ。私がアルバイトで行っているところへ中村勘三郎さんが江戸川乱歩さんを連れてきたんです。私、もちろん作品のファンだから、いろいろ聞いたのね。「ねえ、明智小五郎ってどんな人?」「うん、ここの腕を切ったらね、青い血が出るような人だよ」って。「青い血なんて素敵じゃないの」って言ったら、「君、わかるの」って言うから、「だって素敵じゃありません? 青い血がこう出てくるって」。そうしたら「そんなことわかるのかい。じゃ、君のここの腕を切ったらどういう色の血が出るんだい」って言うから、「はい、七色の血が出ますよ」と言ったの。そうしたら「面白いね、庖丁持ってこい、切ってみようじゃないか」。やりかねないわけ、あの方(笑)。
奥山 そういう感じの方ですか。
美輪 そういう感じの方なの。
奥山 最初から三島さんとは交流があったんですか。
美輪 いえいえ。その後ですよ、二カ月ぐらい後にあれして、三島さんに聞いたら、「いや、存じ上げない」って言っていたから。江戸川さんは、その頃、劣等感を持っていらしたのよ。文句ばっかりおっしゃっていたのは、結局、純文学並みに扱われたかったの、室生犀星だとか谷崎潤一郎だとか川端康成とか、あの線に並べられてしかるべきだと思っていらしたのよ。ところが探偵小説は何ランクも下に、文壇ではおとしめられてたんですよ。それが非常に悔しくて。
奥山 自分で堂々と「通俗」という言葉を使っておられるから、僕はてっきり……。
美輪 いや、あれは逆。コンプレックスの裏返しで、揶揄として使っていらしたのよ。
奥山 三島さんのような純文学の頂点の方が脚色してくれるといったら嬉しかったでしょうね。
美輪 嬉しかったでしょうね。三島さんのことを「三島さんはなかなかきれいな人で」なんて。きれいじゃないのに「きれいな人だね」なんておっしゃって喜んでらしたの。

 「あの線に並べられてしかるべきだと思っていらした」なんてあたりが生々しくも切ない感じですけど、室生犀星なんてもはや忘れられたみたいな作家だし、川端康成なんてもともとわけのわかんない作家だし、それに三島由紀夫は川端康成のことが大嫌いだったんだし、乱歩はいまや谷崎潤一郎の塁を摩しているといえるかもしれないほどの作家なんですから、探偵小説が文壇で貶められている事実には変わりがないとしても、そもそも文壇なんてものが存在しているのかどうかさえ怪しくなってるわけなんですから、いまから考えればどうってことはなかったのになあとは思います。


 ■8月13日(水)
去年の「黒蜥蜴」、今年の「人間豹」 

 ひきつづいて「少年少女乱歩手帳」のリクエストを頂戴しておりますので、夏休み特別プレゼントを展開することに決め、右の告知板で大々的に告知いたしました。こういうことは本来であれば発行元の名張ロータリークラブがやるべきなのですが、そんなことは思いつきもしてくれませんから、名張人外境が一手引き受けでサービスすることとした次第です。お気軽にお申し込みください。

 さてきのうにひきつづいて「黒蜥蜴」の話題なのですが、きょうは宝塚版の話題です。宝塚のステージ写真を集めた雑誌「ル・サンク」の昨年3月号が、これもやはりいただいたものなのですが、去年の2月から3月にかけて宝塚大劇場であった花組公演「明智小五郎の事件簿─黒蜥蜴」とショー「TUXEDO JAZZ」とを特集しております。写真のほかに木村信司さんの脚本も収録されておりますので、その冒頭を引用。

第1場 銀座・クラブ「黒トカゲ」

開演アナウンスにて緞帳を飛ばす。指揮者の挨拶。戦闘の効果音。もんぺ姿の女の子が浮かぶ。黒トカゲの声が響く。

黒トカゲの声「(幼女の声)助けて、お兄ちゃん!助けて!」

銀座のクラブ。カウンターにて、夢にうなされる黒トカゲ。もんぺ姿の女の子、迫り下がってゆく。

黒トカゲ「(マダムの声)お兄ちゃん!」

黒トカゲ、飛び起きる。効果音、止まる。

黒トカゲ「(男のように低い声)ふ。戦争か。やな夢を見た」

雨宮が来る。雨宮はアゴヒゲをたくわえる。

雨  宮「マダム」
黒トカゲ「(マダムの声)あら。お店、まだよ」
雨  宮「金を貸してくれ」
黒トカゲ「お金?」
雨  宮「(黒トカゲの肩をつかみ)急いでる。時間がない」
黒トカゲ「高飛びでもするの?」
雨  宮「(はっとする)」
黒トカゲ「図星ね。潤ちゃん、なにしでかしたの」
雨  宮「言えない。迷惑がかかる」
黒トカゲ「あなたは私を助けてくれた恩人じゃない。高飛びって…ねえ、もしかしてコロシ?」
雨  宮「(観念)」
黒トカゲ「相手は」
雨  宮「北島のやろうと咲子を。殴ったら死んだ」
黒トカゲ「(笑って)腕っぷしが強いのも考えものだわ!私を助けてくれたり、人を殺したり。死体は?」
雨  宮「まだ俺のアパートに…。(必死)頼む。金を貸してくれ」
黒トカゲ「高飛びなんておよしなさい。波止場で捕まるのがオチよ」
雨  宮「じゃあ東京に隠れてるのか?」
黒トカゲ「そのほうがましね。待って、潤ちゃんのアパートは5階建てだったわね?」
雨  宮「ああ」
黒トカゲ「(急に低い声で笑い)あぁ愉快だ、ぴったりな死体があった!」
雨  宮「死体?」
黒トカゲ「僕にまかせて。安全になれる方法がある」
雨  宮「どうやって」
黒トカゲ「(雨宮のヒゲをなで)潤ちゃん、死ぬんだ」
雨  宮「俺が、死ぬ?」
黒トカゲ「そ。雨宮潤一っていう人間を、きれいさっぱり殺してしまうのさ」

 このあと黒トカゲが「戦争は終わった」という歌を歌うのですが、冒頭から戦争というテーマが重く影を落としていて、設定としてはかなり無理があり、それに批判的な劇評があったようにも記憶いたします。とはいえ私の場合は全然OK。どんな無理でも無理でなくなるのが宝塚というもので、宝塚のお姉さん相手になーに小難しいこといってやがんだ、みたいなそのあたりのことは伝言板の「2007年2月中旬」に記しましたので、興味がおありでしたらまあどうぞ。

 去年は宝塚が「黒蜥蜴」をやるというのでおおきにびっくりさせられたわけですが、今年は「人間豹」が歌舞伎になるというのでまたえらく驚かされました。そのあたりのことは7月22日付ブログ記事「江戸宵闇妖鉤爪」に記しましたので、こんなことばっかいってますけど、興味がおありでしたらまあどうぞ。


 ■8月14日(木)
旧乱歩邸のたぶん最新映像です 

 メールでお知らせいただいたそのままにお伝えいたしますが、「ほぼ日刊イトイ新聞」で「おじさん少年探偵団、江戸川乱歩の家をゆく。」の連載がスタートしました。全六回の予定で、きのうが第二回。掲載されている写真の数々は旧乱歩邸の最新映像ではないかと思われます。あわててどうぞ。

 連載日程を記しておきますと、11日「その1 母屋1階、応接間」、13日「その2 母屋1階、物置部屋」、15日「その3 幻影城に入る」、18日「その4 幻影城、1階をめぐる」、20日「その5 幻影城、屋根裏」、22日「その6 乱歩のスクラップ・ブック」。幻影城という呼称がどうも気になりますが、乱歩ファンなら必見です。


 ■8月15日(金)
また「少年少女乱歩手帳」その後 

 本日は都合により簡単に済ませますが、すっかりおなじみになりました「少年少女乱歩手帳」、会とかサークルとか団体とかグループとか用に、ちょっとまとめて送ってくれとのご依頼もぽつぽつ頂戴しております。暑さのせいで判断力を失ったのか、何も考えず唯々諾々とお送りしております。きわめて太っ腹な状態になっております。遠慮なくがんがんお申し込みください。


 ■8月16日(土)
おかげさまで遠縁の娘が決勝進出です 

 ありがとうございます。おかげさまで遠縁の娘、北京五輪のレスリング女子五十五キロ級で決勝進出を果たしました。ご声援ありがとうございました。

 縁戚一同を代表し、嬉々としてウェブニュースを拾っておきたいと思います。

・毎日新聞「五輪レスリング:伊調千春、吉田ともに「銀メダル以上」」2008年8月16日 11時09分(最終更新 8月16日 14時10分)

・スポーツニッポン「銀メダル以上確定!吉田と伊調が決勝進出」2008年08月16日 11:51

・産経新聞「吉田、悲願の連覇へあと1つ 決勝進出 レスリング女子55キロ級」2008.8.16 12:45

・日本経済新聞「女子レスリング 伊調と吉田が決勝進出、銀メダル以上が確定」12:51

・共同通信「吉田、伊調千が決勝進出 レスリング」2008/08/16 12:55

・読売新聞「女子レスリング、55キロ級・吉田と48キロ級・伊調千が決勝へ」2008年8月16日12時56分

・スポーツ報知「吉田は圧勝で決勝進出、メダル確定…レスリング女子」2008年8月16日12時58分

・サンケイスポーツ「吉田、決勝進出を決める/レスリング」2008.8.16 13:00

・時事通信「吉田、伊調千とも決勝へ=レスリング〔五輪・レスリング〕」2008/08/16-13:07

・日刊スポーツ「吉田連覇に向けて決勝進出/レスリング」2008年8月16日13時8分

・朝日新聞「伊調千春・吉田沙保里とも決勝進出 女子レスリング」2008年8月16日14時9分

・中日新聞「中村連続「銅」 吉田、伊調千が決勝進出」2008年8月16日 14時12分

・時事通信「北京五輪・談話(レスリング)〔五輪・レスリング〕」2008/08/16-14:54

 吉田沙保里選手が出場するレスリング女子五十五キロ級決勝は、Yahoo!スポーツの「レスリング フリースタイル」によれば日本時間で本日午後6時20分からの予定となっております。ひきつづきご声援のほど、なにとぞよろしくお願い申しあげます。ありがとうございます。ありがとうございます。


 ■8月17日(日)
おかげさまで遠縁の娘が優勝いたしました 

 ありがとうございました。ありがとうございました。おかげさまで遠縁の娘、吉田沙保里選手が北京オリンピックのレスリング女子五十五キロ級で優勝を果たしました。ご声援まことにありがとうございました。

 またまた縁戚一同を代表し、ウェブニュースを拾っておきたいところなのですが、なんだかいっばいあって大変です。地元代表、中日新聞だけでごめんこうむりたいと思います。

・中日新聞「吉田、2連覇をフォール レスリング」8月16日 20時28分

・中日新聞「「いつか自分もメダルを」 2連覇に沸く地元や母校」8月16日 21時26分

・中日新聞「吉田、無敵の連覇 伊調千、連続「銀」 ケイリン永井も「銅」」8月17日 0時0分

・中日新聞「【レスリング】同郷・野口の無念背負って奮起」2008年8月17日

・中日新聞「【レスリング】吉田選手の両親も喜び爆発」2008年8月17日

・中日新聞「【レスリング】吉田選手、父にささげる金 攻めを忘れず復活」2008年8月17日

・中日新聞「【レスリング】吉田、雪辱の技 返されないタックル完成」2008年8月17日

・中日新聞「【レスリング】女王たくましく 吉田がアテネに続き55キロ級制覇」2008年8月17日

・中日新聞「【レスリング】屈辱晴らし師弟に涙 吉田「本当に苦しかった」」2008年8月17日

・中日新聞「【総合】吉田連覇、伊調千春は「銀」 レスリング女子」2008年8月17日

・中日新聞「悪夢克服うれし泣き 吉田「苦しかった」」2008年8月17日 朝刊

・中日スポーツ「吉田沙保里、連覇  最強女王復活」2008年8月17日 紙面から

 地元といえば伊勢新聞も地元ですので。

・伊勢新聞「吉田選手が連覇達成 同僚ら熱戦に万歳 −東京」2008/8/17(日)

・伊勢新聞「吉田選手と小椋選手 県が県民特別栄誉賞を授与」2008/8/17(日)

 三重県の地域ニュースも拾っておきたいと思います。

・毎日新聞「北京五輪:女子レスリング・吉田選手連覇 圧勝の瞬間、大歓声と涙 /三重」2008年8月17日 地方版

・中日新聞「総立ち「サオリ」大合唱 五輪連覇に地元の900人歓喜」2008年8月17日

 こちらは中部地方の地域ニュース。

・読売新聞「「うおーっ」喜び爆発 地元・津と中京女子大」2008年8月17日

 本日はこのへんで失礼いたします。ありがとうございました。ありがとうございました。本当にありがとうございました。


 ■8月18日(月)
「赤い部屋」をめぐるDJふう対談 

 個人的には五輪の夏も終わったなという感じで、それかあらぬか、きょうの陽射しなどすでに衰えた晩夏のそれに見えました。蜻蛉も飛んでましたし。

 本日ご紹介するのは『綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー 1』。7月に講談社から出ました。綾辻さんと有栖川さんによるディスクジョッキーふう対談つきのアンソロジー。いや、対談に和洋の名短篇がついているというべきか。ともあれ、乱歩作品では「赤い部屋」がとられています。対談「それぞれの“ふるさと”」から引用。

綾辻 この作品の場合、今ではすっかり紋切り型に“禁じ手”とされている“夢オチ”的なオチを使っています。でもね、本当は小説に禁じ手なんてものはないんですよね。夢オチにしろ、それに類似したオチにしろ、ダメかどうかというのは作品ごとに、その書きっぷりや読み味によって判断されるべき問題でしょう。「赤い部屋」の場合、乱歩のこの文体とそれが醸しだす雰囲気など、すべてがあいまって、やっぱり面白いんですよね。最後のオチも含めて。
 ラストで部屋の明りがつけられたとき、それまであんなにも夢幻的な空気を漂わせていたもののすべてが「なんとみすぼらしく見えたことよ。」ってありますね。さらに、「『赤い部屋』の中には、どこの隅を探してみても、もはや、夢も幻も、影さえとどめていないのであった。」として終わっている。こういう情景描写の文章と全体の構成が、実にうまく響き合っています。
 乱歩って、評論家的な視点も常に持っていた作家だから、いま有栖川さんが紹介されたような理屈で説明しようとしていますが、そんな言いわけなんてしなくてもいいのに、と思う。ひとつの短編小説として見たとき、T氏のエピソードを挟んだ前後のパーツがあって初めて、この作品は成立しています。
有栖川 この作品は見事に成立してます。乱歩の作家性で強引に成立させてるところもありますけど。面白くありさえすればいいが、無理を最後で打ち消すため、つまり作者が鈍感に思われることを避けるための、一種の予防線的なオチである。わかってやってるんだと。
 そんなに弁明しなくても成立しているからいいよと言う綾辻さんに同感です。でも、鈍感に思われることを避けなければいけないという自覚を……。
綾辻 どうしても持たざるをえなかったと。
有栖川 作品を発表したあとで、むしろこのオチが余計だと言われたとも書いています。
綾辻 そうでしたね。
有栖川 ダークな話でいいのだから、わざわざ最後で興ざめにしなくていいじゃないかと他人が言うぐらいなのに、乱歩自身が引いている。
綾辻 そうやって、「写実を徹底させ」たつもりの現実的なオチをつけてなお、読後に残る幻想的な味わいというのはもう、乱歩ならではだなと思いますよ。さっきもちょっと言いかけましたけど、久々に読み返してみると、乱歩の文体にはやっぱり独特の力がありますね。
有栖川 粘りつくような、絡みつくような、ほとんど呪文ですよ。

 乱歩作品におけるいわゆる夢オチ、あるいは「赤い部屋」のようなじつは嘘でしたオチから思い浮かぶのは、突拍子もない連想ではあるのですが、坂口安吾の「日本文化私観」に出てくるフレーズです。丹波の亀岡、不敬罪に問われダイナマイトで爆破された大本教の本部があった場所を見物に出かけた安吾は、「とにかく、こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている」と徹底的に破壊されつくした一帯の情景を記しているのですが、作品の終幕に至ってじつは夢でした、じつは嘘でしたと打ち明けながら合理性の保持に努める乱歩の手つきにも、何かしら重要なものを「こくめいの上にもこくめいに叩き潰」そうとする意志が認められるように思います。単なる小説技法の問題にはとどまらず、乱歩にとってすごく切実な何かが執拗に否定されているのではないかと私には思われます。むろん漠然とした印象に過ぎないのですが。


 ■8月19日(火)
名張市内新刊書店東奔西走録 

 文庫本の新刊一冊を購うためにここまで東奔西走したことは、これまでの人生でただの一度もなかったと断言できます。東奔西走といっても名張市内のことですからたかが知れてはおりますが、それにしても本屋さんのはしごをすることになろうとは考えてもみませんでした。いうまでもなく、本日発売の岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』を求めてのことです。

 まず名張市役所の横にある別所書店に赴き、なし。つづいて拙宅からもっとも近い書店である三洋堂書店に足を運んだところ、ここでは岩波文庫そのものを扱っていませんでした。それならブックスアルデ近鉄店はどうよというと、なし。念のためにとブックスアルデ名張本店まで遠征しても、やはりなし。新刊案内などで告知されている発売日よりも少し遅れて入荷しまーす、とのことでした。どんだけ田舎だまったく。

 この『江戸川乱歩短篇集』、乱歩がとうとう岩波文庫に、みたいな感じで一部読書人の注目を集めているようなのですが、ミステリファンの話題はもう確実にかっさらっていて、悪の結社とその名も高い畸人郷のオンラインマガジン「QWOM」8月号から引用。

 岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』(千葉俊二編)は8月19日に刊行されます。「二銭銅貨」「心理試験」「押絵と旅する男」など12篇を収録とのことです。
 畸人郷の8月の例会では、この岩波文庫の刊行を記念(?)して、内容吟味を行いたいと思っています。もちろん作品の内容そのものではなく、作品の選択や解説を主眼にしたいと思っています。コメンテーターとして名張市立図書館の中相作氏をお迎えします。
 近年、江戸川乱歩の再評価が著しいのですが、これが探偵小説方面以外からの方が多いと感じるのは、私だけではないと思います。岩波文庫刊行を機にそのことも考えてみたいと思っています。もちろん狂乱の酒宴となる2次会でも、その話題は続きます。ぜひご参加ください。(TN)

 これこのとおりコメンテーターとしてご指名をいただいているのですが、ただし私は今年3月末で名張市立図書館とおさらばいたしましたので、文中の「名張市立図書館の」は削除し、かわりに「酔っ払いの」と入れておいていただければとても嬉しく思います。それはそれとして、しかし困りました。畸人郷8月例会は23日土曜日のことですから、それまでに当地の本屋さんに『江戸川乱歩短篇集』が入るのかどうか。収録作品も知らないままコメンテーターを務めたりしたら、二次会どころか一次会の段階からメンバー各位が狂乱してしまうのではないかと案じられます。


 ■8月20日(水)
南陀楼綾繁さんの『積んでは崩し』 

 岩波文庫の『江戸川乱歩短篇集』、当地の書店にはまーだ入荷しておらんようです。そこできょうのところは老舗の岩波文庫を諦めて、けものみち文庫なる新進気鋭のシリーズをご紹介いたしましょう。先陣を切った『積んでは崩し』は賽の河原の石積みを連想させないでもないタイトルがまず面白く、A5サイズの八十七ページ、発行所はけものみち計画、発行日は8月17日となっております。

 書影をご覧いただきましょう。

 裏表紙もどうぞ。

 それでいったいどんな文庫なのかということに関しましては、『積んでは崩し』の著者でいらっしゃる南陀楼綾繁さんのブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」の8月15日付記事「「けものみち文庫」創刊!」をご一読いただければと思います。ついでですから本日付記事「『積んでは崩し』が手に入る店」もどうぞ。

 すでに話題になってもいるようで、ネット検索でひっかかってきたブログ記事としては、まず「daily-sumus」の8月17日付「積んでは崩し けものみち文庫1」、「okatakeの日記」の同日付「けものみち文庫1 『積んでは崩し』」、「古書ほうろうの日々録」の8月19日付「[委託品]けものみち文庫 1『積んでは崩し』南陀楼綾繁」、さらに「古書 往来座 ちょっとご報告」の同日付「ちらっく」にもちらっと。

 以上のリンク先をお読みいただければそれで充分なのですが、けものみち文庫の創刊を飾る『積んでは崩し』は南陀楼綾繁さんが十年ぶりに手がけられたミニコミとのことで、なんとなくわかるような気がします。何がわかるのか。おそらく虫が疼いたということではないのかな、ということがわかります。退屈の虫が疼くのは旗本退屈男ですけれど、活字というか出版というか編集というか、そういった方面の虫、あるいはミニコミの虫といいましょうか、とにかくそういった虫というのもまたたしかにこの地上に、というかこの地上に生きているある種の人間の心のなかに棲息していて、それが何かのきっかけで疼き始めてしまった結果がけものみち文庫なのではないかと推測される次第です。

 なぜそんなことがわかるのかといいますと、どうやら私の心のなかにもそういう虫が一匹いるようで、もうずいぶん長いことじっと静かにしていてくれたのですが、この『積んでは崩し』を眼にしたとたん、不意にずきずきうずうずきりきりと疼き始めたのだとお思いください。これがどんな具合の疼きなのかといいますに、忙しいときにかぎって無性に本棚の整理がしたくなるあの感じに少し似ているようにも思われるのですが、しかしいまごろ疼いたりしてくれたらちょっと困ってしまうなあ。いやいや、困るといってみたところで疼いてしまうものはどうしようもありません。それにこうした種類の人間にとって、はるかに仰ぐべき先達はやはり乱歩その人なのでしょうから、それは光栄なことであるというか、名誉なことであるというか、そうとでも考えなければやってられんというか。ともあれ、けものみち文庫の船出をお祝いしつつ、岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』の入荷を心待ちにしたいと思います。