「怒濤」のあとは「かなしき思出」となります。立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの「センター通信」第二号から、笹舟画「かなしき思出」の冒頭を引用。
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僕の五つの時、僕の御母さまが死なれた。が僕は死ぬと云ふのは怎なるものか知らなかった。けれども僕はお母さまがものを云わないのが淋しくてたまらないので、
『お母さま』『もの云って頂戴な、よう!』と云って、恐わ恐わその顔へさわって見た。 |
ごく短い作品で、「中央少年」の見開き二ページに挿絵入りで掲載されていたことが「センター通信」第二号掲載の写真から知られます。幼年期を回想した随筆といった体の作品ですが、乱歩が五歳のときに母親が死んでしまったなどという事実はありません。話の起点として母親の死という虚構が採用されているわけで、十五やそこらで乱歩はなんだか寺山修司みたいな真似をしていたのだな思わないでもありませんけど、そんなことはどうだってかまいません。
どことなく大岡昇平の「母六夜」を連想させないでもないこの作品を読んで、なかには大正十五年発表の「恋と神様」を想起する乱歩ファンもおありでしょう。
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小学校の一二年の頃だと思う。いやに淋しい子供で、夕暮の小路など、滅入る様に暗くなって行く、不思議な色の空を眺めながら目に涙を浮べ、芝居の声色めいて、お伽噺の様な、詩の様な、訳の分らぬ独ごとをつぶやきつぶやき、歩いていたりした。
不思議なことに、夜一人で寝ていて、猿股をはかない両腿が、スベスベと擦れ合う、あの物懐しい感じが、この世の果敢なさ味気なさを聯想させた。
八歳の私には、腿の擦れ合う感じと、厭世とは同じ事柄の様に思われた。たった一人ぼっちの気持だった。命の果敢なさ、死の不思議さなどが、ごく抽象的な色合で私の頭を支配した。
妙なことに、それは殆ど夜中に限られていた。昼間は近所の子供達と、普通の遊戯に耽った。 |
「かなしき思出」を語る少年は、母の死のあと、母親は「裏の野原の向うの。向こうの。遠い方」にいるのだと思い、「或る日。朝早くから。淋しい淋しい野原を一人とぼとぼと北へ北へ向って歩いて行った事があった」というのですが、この作品の十五歳の作者は、母の死という虚構を起点として「この世の果敢なさ味気なさ」や「命の果敢なさ、死の不思議さなど」といった抽象的な問題に直面していた幼年期を対象化しているように見受けられます。
そうした対象化は、「恋と神様」のあと、昭和十一年から十二年にかけての「彼」にも見ることができます。
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少くとも彼の経験では、少年時代の性慾はつねに死を聯想したのであるが、この幼年時代の腿の感触も永遠なるものと共に死に結びついていた。そして、それは又彼の幼児的厭世観につながっていたのである。
彼はその時何かしら遠い遠いもの、生命の彼方のものを感じた。その感情が同時に現実嫌悪となった。死ぬなんてなんでもない、寧ろ楽しく願わしいことのように思われた。これらの幼児としては可なり複雑な感情が、しかし大人のように色分けをしないで、ただ一つのフワフワとした雲のようなものとなって、あの腿の感覚に伴って、殆ど一刹那に群り湧いた。
こういう幼児の感情は、又同時に原始人類の感情ではないだろうか。人類は生れながらにして文化人よりも寧ろ鋭く、現象の向うに「物自体」を感じたのではないだろうか。原始人のうぶな心に直接ぶっつかって来た天体への限りなき恐怖と甘美なる思慕。それは、文化人の多くには最早幼年時代にだけしか感じられないものとなったのではないだろうか。 |
乱歩はときどき、自分はいくつになっても子供なのである、少年のままおとなになったのである、といった意味のことを述べています。ならば少年とは何か。幼年期の秘密をいまだ忘れずにいる者が少年なのだとしたら、幼いころ身に迫ってきた永遠と死という想念のなまなましさを終生忘れずにいたという意味において、乱歩はたしかに子供でありつづけ少年でありつづけたということになるかもしれません。「かなしき思出」に描かれているのは十五歳の少年によって形象化された永遠と死のモチーフにほかならず、それは成長後も乱歩によっておりにふれて対象化されていたと見ることが可能でしょうし、そうしたモチーフが作家的本質の重要な構成要素であったと考えることも不可能ではないと思われます。
ところで、「かなしき思出」とはいったい何なのか。作品は「一人とぼとぼと北へ北へ向って歩いて行った事があった。消えて行く様な心持ちで。これが僕のかなしいかなしい思出の一つである」と結ばれていて、母の死そのものではなく、淋しい野原をひとり歩きつづけたことが悲しい思い出であるという印象を与えます。
ここで想像をたくましくするならば、母の死という具体性のない虚構を起点としながら(いくら具体性がなくたって母の死という虚構はそれだけで充分エロティックなわけですが)、十五歳の乱歩が描いたのは幼年期に夢想した自身の死ではなかったか。私にはそんなふうに思われます。死んでしまったから母親と話すこともできなくなり、北の彼方に向かって永遠にとぼとぼと歩きつづけてゆく死んだ自分。乱歩は幼年時代のいつの日か、永遠と死という想念に苛まれてそんな想像をしてみたことがあったのではないか。そしてその経験が「かなしき思出」という小品の核になったのではないか。たくましすぎる想像かもしれませんが、私にはそんなふうに思われる次第です。
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