2008年9月下旬
21日 夜中ニ両腿すべすべトセリ
22日 賊アリ南方ヨリ来タル
23日 右膝靱帯損傷近況報告
24日 東京大学チーム変態謹製人間椅子
25日 体調不良近況報告
26日 記念パーティ欠席近況報告
27日 なんだかさっぱりな近況報告
28日 11月に芦辺拓さんの講演会
29日 だらけきってしまって近況報告
 ■9月21日(日)
夜中ニ両腿すべすべトセリ 

 「怒濤」のあとは「かなしき思出」となります。立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの「センター通信」第二号から、笹舟画「かなしき思出」の冒頭を引用。

 僕の五つの時、僕の御母さまが死なれた。が僕は死ぬと云ふのは怎なるものか知らなかった。けれども僕はお母さまがものを云わないのが淋しくてたまらないので、
 『お母さま』『もの云って頂戴な、よう!』と云って、恐わ恐わその顔へさわって見た。

 ごく短い作品で、「中央少年」の見開き二ページに挿絵入りで掲載されていたことが「センター通信」第二号掲載の写真から知られます。幼年期を回想した随筆といった体の作品ですが、乱歩が五歳のときに母親が死んでしまったなどという事実はありません。話の起点として母親の死という虚構が採用されているわけで、十五やそこらで乱歩はなんだか寺山修司みたいな真似をしていたのだな思わないでもありませんけど、そんなことはどうだってかまいません。

 どことなく大岡昇平の「母六夜」を連想させないでもないこの作品を読んで、なかには大正十五年発表の「恋と神様」を想起する乱歩ファンもおありでしょう。

 小学校の一二年の頃だと思う。いやに淋しい子供で、夕暮の小路など、滅入る様に暗くなって行く、不思議な色の空を眺めながら目に涙を浮べ、芝居の声色めいて、お伽噺の様な、詩の様な、訳の分らぬ独ごとをつぶやきつぶやき、歩いていたりした。
 不思議なことに、夜一人で寝ていて、猿股をはかない両腿が、スベスベと擦れ合う、あの物懐しい感じが、この世の果敢なさ味気なさを聯想させた。
 八歳の私には、腿の擦れ合う感じと、厭世とは同じ事柄の様に思われた。たった一人ぼっちの気持だった。命の果敢なさ、死の不思議さなどが、ごく抽象的な色合で私の頭を支配した。
 妙なことに、それは殆ど夜中に限られていた。昼間は近所の子供達と、普通の遊戯に耽った。

 「かなしき思出」を語る少年は、母の死のあと、母親は「裏の野原の向うの。向こうの。遠い方」にいるのだと思い、「或る日。朝早くから。淋しい淋しい野原を一人とぼとぼと北へ北へ向って歩いて行った事があった」というのですが、この作品の十五歳の作者は、母の死という虚構を起点として「この世の果敢なさ味気なさ」や「命の果敢なさ、死の不思議さなど」といった抽象的な問題に直面していた幼年期を対象化しているように見受けられます。

 そうした対象化は、「恋と神様」のあと、昭和十一年から十二年にかけての「彼」にも見ることができます。

 少くとも彼の経験では、少年時代の性慾はつねに死を聯想したのであるが、この幼年時代の腿の感触も永遠なるものと共に死に結びついていた。そして、それは又彼の幼児的厭世観につながっていたのである。
 彼はその時何かしら遠い遠いもの、生命の彼方のものを感じた。その感情が同時に現実嫌悪となった。死ぬなんてなんでもない、寧ろ楽しく願わしいことのように思われた。これらの幼児としては可なり複雑な感情が、しかし大人のように色分けをしないで、ただ一つのフワフワとした雲のようなものとなって、あの腿の感覚に伴って、殆ど一刹那に群り湧いた。
 こういう幼児の感情は、又同時に原始人類の感情ではないだろうか。人類は生れながらにして文化人よりも寧ろ鋭く、現象の向うに「物自体」を感じたのではないだろうか。原始人のうぶな心に直接ぶっつかって来た天体への限りなき恐怖と甘美なる思慕。それは、文化人の多くには最早幼年時代にだけしか感じられないものとなったのではないだろうか。

 乱歩はときどき、自分はいくつになっても子供なのである、少年のままおとなになったのである、といった意味のことを述べています。ならば少年とは何か。幼年期の秘密をいまだ忘れずにいる者が少年なのだとしたら、幼いころ身に迫ってきた永遠と死という想念のなまなましさを終生忘れずにいたという意味において、乱歩はたしかに子供でありつづけ少年でありつづけたということになるかもしれません。「かなしき思出」に描かれているのは十五歳の少年によって形象化された永遠と死のモチーフにほかならず、それは成長後も乱歩によっておりにふれて対象化されていたと見ることが可能でしょうし、そうしたモチーフが作家的本質の重要な構成要素であったと考えることも不可能ではないと思われます。

 ところで、「かなしき思出」とはいったい何なのか。作品は「一人とぼとぼと北へ北へ向って歩いて行った事があった。消えて行く様な心持ちで。これが僕のかなしいかなしい思出の一つである」と結ばれていて、母の死そのものではなく、淋しい野原をひとり歩きつづけたことが悲しい思い出であるという印象を与えます。

 ここで想像をたくましくするならば、母の死という具体性のない虚構を起点としながら(いくら具体性がなくたって母の死という虚構はそれだけで充分エロティックなわけですが)、十五歳の乱歩が描いたのは幼年期に夢想した自身の死ではなかったか。私にはそんなふうに思われます。死んでしまったから母親と話すこともできなくなり、北の彼方に向かって永遠にとぼとぼと歩きつづけてゆく死んだ自分。乱歩は幼年時代のいつの日か、永遠と死という想念に苛まれてそんな想像をしてみたことがあったのではないか。そしてその経験が「かなしき思出」という小品の核になったのではないか。たくましすぎる想像かもしれませんが、私にはそんなふうに思われる次第です。


 ■9月22日(月)
賊アリ南方ヨリ来タル 

 あまりな妄想を書き連ねるのもなんだかな、とは思うのですが、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの「センター通信」第二号で陽の目を見た「怒濤」と「かなしき思出」からは、あれやこれやと興味深い事実が発見されます。というか、あれやこれやと妄想をかきたてられます。いっぽうは読者たる子供たちの血を湧かせ肉を躍らせる冒険小説、いっぽうは子供たちにとって端的な絶望であろう母親の死を描いた随筆。毛色のまったく異なったふたつの作品が「中央少年」に掲載されているのは、むろん平井太郎少年が編集者として誌面のバランスに意を用いた結果ではあるのでしょうが、ここには乱歩が少年時代から自分の二面性をよく自覚していたという事実もまた示されているように思います。

 きのう引いた「恋と神様」には、生や死をめぐる抽象的な想念に頭を支配されながら、しかし「それは殆ど夜中に限られていた。昼間は近所の子供達と、普通の遊戯に耽った」という八歳当時の回想が記されていました。乱歩には少年時代から夜の顔と昼の顔があり、その自覚があったというわけですが、「中央少年」の二作品において興味深いのは、それが北と南という明確な方位によって表現されていることです。「怒濤」の少年は南の島で勇気と友情によって苦難と対決し、「かなしき思出」の少年は北に向かって孤独な歩行をつづけます。

 北には少年を死に招き寄せる極があり、南には少年の生を賦活させる極がある。こうした二極性は、「彼」に記されていた語彙を用いるならば「文化人」ではなく「原始人」の感覚によって認識されるはずのもので、つまり人類にとって普遍的な傾向だといっていいように思うのですが、乱歩は少年時代からそれを強く意識しており、夜と昼、北と南、そうしたふたつの方向に自分の心が引き裂かれるような思いを自覚することも少なくなかったのではないかと想像されます。

 だからこそ、と話はいきなり飛んでしまいますが、怪人二十面相はどうしても南からやってこなければならなかったのではないか。二十面相は最初、羽柴壮一という青年実業家に変装して読者の前に姿を現します。

 壮一君は生来の冒険児で、中学校を卒業すると、学友と二人で、南洋の新天地に渡航し、何か壮快な事業を起したいと願ったのですが、父の壮太郎氏は、頑としてそれを許さなかったので、とうとう無断で家を飛び出し、小さな帆船に便乗して、南洋に渡ったのでした。
 それから十年間、壮一君からは全く何の便りもなく、行方さえ分からなかったのですが、つい三箇月程前、突然ボルネオ島のサンダカンから手紙をよこして、やっと一人前の男になったから、お父さまにお詫びに帰りたいといって来たのです。

 私はこれまで乱歩作品に島が出てくると、あ、島だな、あ、孤島だな、と思うだけでそれを南北の対立軸に位置づけるみたいなことには考えがおよばなかったのですが、「パノラマ島奇談」や「孤島の鬼」において奇怪な欲望をとめどもなく肥大させる場であった島はいずれも南に設定されていましたし、そういえば「盲獣」で鎌倉ハムが大安売りされたのもやはり南のほうの海の上でのことでしたから、乱歩作品における南という方角の意味に遅ればせながら思いあたったような気がします。そして昭和11年、南の島はボルネオ島という具体的な名前を帯びて怪人二十面相を世に送り出したわけです。


 ■9月23日(火)
右膝靱帯損傷近況報告 

 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの「センター通信」第二号にまつわる話題がつづいておりますが、本日はお休みして近況報告。

 とにかく脚が痛いわけです。18日の夜に犬と遊んでいて不覚にも負ってしまった軽度の右膝靱帯損傷が治る気配を見せませんので、という文章を記すために伝言録を読み直してみたら「軽度」とあるべきところが「経度」となっておりました。二か所もありました。さっそく訂しておきました。そんな誤りにも気づかぬほどの痛みであったということなのでしょうが、しかたありませんからきのう夕刻、名張市内にある整形外科を訪れて診断を乞いましたところ、たぶんそんなことになるだろうなという暗い予感はあったのですが、右膝の上部に溜まった水を注射器で抜いてもらう仕儀となりました。

 水ったって富士の深層水とかそんなきれいなものではありません。水というより体液です。体液というと変なことも連想してしまいますが、膝の上の腫れた部分に注射器の針を刺し、ピストンをゆっくり引きあげるとシリンダーに黄色い体液が溜まってゆく、みたいな光景がすぐ眼前でくりひろげられていたはずなのですが、そんな恐ろしいシーンは見たくもありませんからただ瞑目して口の中で小さく、つッ、つッ、つッ、とかいってるあいだに治療はこともなく終了いたしました。めでたしめでしたし。

 犬の散歩はこのところ最短コースでお茶を濁しております。


 ■9月24日(水)
東京大学チーム変態謹製人間椅子 

 どうも集中力が持続しないような気がしますので、東京大学のチーム変態が人間椅子をつくったというウェブニュースでお茶を濁します。9月の13日と14日、日本科学未来館を会場に催された国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト東京予選の話です。

Wiiリモコンやバランスボードを使った作品も!「国際学生対抗バーチャルリアリティコンテスト」東京大会
09:人間椅子(東京大学/変態)

江戸川乱歩の小説「人間椅子」をモチーフにした作品です。2人で体験し、右側の椅子はそのまま、左側の椅子には左右の太股に長方形の板を紐で装着して座ります。右側は椅子の上、左側は椅子の中という設定で、右側の体験者の体重移動による動きが、左側に板を通して伝わる仕組みです。板の内側はジェル製でやわらかく、ヒーター装着で長時間プレーしていると、太股がじわっと生温かくなる点がユニークです。右側の体験者が立ち上がったときの、一瞬の解放感もユニークでした。入力センサーにはWiiバランスボードが2台使用されており、PCで信号を解析して、右側の椅子に伝えています。「夫婦やカップルのコミュニケーションを深める」ことがコンセプトだと語っていました。

インサイド 2008/09/17

 人間椅子で深まるなんていったいどんなコミュニケーションか。とはいえ、どんな美人でも膝の上に乗せるのだけはご勘弁いただきたいといまは切実に思います。


 ■9月25日(木)
体調不良近況報告 

 どうもいけません。膝の具合が悪いところへもってきて、体調までおかしくなってきました。鼻がつまる、咳が出る、曖昧な腹痛を感じる、といった症状があって、夜などめっきり涼しくなりましたから、風邪でも引いたのかもしれません。あまり意気もあがりませんので、おとなしくしておくことにいたします。


 ■9月26日(金)
記念パーティ欠席近況報告 

 ようやくにして膝の状態がややよくなってきたなと実感されるまでに至ったのですが、むろん本復とはまいりません。

 じつはきょうの夜、大阪のホテル阪急インターナショナルで季節料理川上開店三十五周年記念パーティというのがあって、のこのこ顔を出すつもりでいたのですが、こんな脚で大阪の雑踏を歩いたり階段を昇り降りしたりすることにはかなり無理があると考え、川上という店にきのう断りの電話を入れましたところ、名張市出身のママさんからおまえももういい齢なんだから少しは自重しろとの忠言とともに、膝の痛みをきれいに消し去る裏技のアドバイスを頂戴しました。なんでも朝夕二十分ずつ、体温と同じ温度に設定したお湯で半身浴をすればよろしいとのことなのですが、それはどうやら加齢による半月板変性がもたらす痛みに効果のある療法らしく、酔っ払って犬と飛び跳ねているときに膝の靱帯を傷めた私の場合とはちょっと違うのではないかとも思われましたものの、まあありがたく拝聴しておいた次第です。膝の痛みに悩まされている向きにお勧めしておきましょう。

 ホテル阪急インターナショナルではちょうど一か月後、10月の26日に河内家菊水丸さんの五連発記念パーティというのもあって、何が五連発なんだかよくわかりませんものの、またわれながらずいぶん場違いな感じもいたしますものの、やはり顔を出すつもりでいるのですが、いくらなんでもそれまでには膝の状態もよくなっているであろうと期待しております。

 ともあれ本日もきのうにつづいて、ごくごくおとなしくしておきたいと思います。


 ■9月27日(土)
なんだかさっぱりな近況報告 

 朝一番で病院へ行ってふらふらしてたらそろそろ夕方です。膝はまだ腫れが引かぬのですが、病院ではもう水を抜くことはなく、患部に電流を通す治療を受けました。なんだかさっぱりで困ったものです。


 ■9月28日(日)
11月に芦辺拓さんの講演会 

 なんか毎日がリハビリモードになってしまいました。天気も悪いし日曜だしあくせくしなければならぬことなど何もないのだし、膝はできるだけ曲げないようにというお医者さんのアドバイスを守りつつのんびり休養しております。

 ここで名張市が日本推理作家協会の協力を得て毎年開催しているミステリ講演会「なぞがたりなばり」のお知らせです。11月22日土曜日、名張市総合福祉センターふれあいで第十八回が催されます。講師は芦辺拓さん。テーマは「〈乱歩〉を生きた男──戦略的な、あまりに戦略的な」。タイトルから察しますに、最初から最後までずっと乱歩のことが語られる本格的な作家論になるのではないでしょうか。詳細は名張市オフィシャルサイトの「第18回なぞがたりなばり開催」でどうぞ。入場券はきょう発売開始です。

 11月22日の午前中には名張のまちで乱歩ゆかりの地をめぐる「まちなかミニツアー」も企画されておりますので、こちらにもお気軽にご参加ください。ツアーの案内役は未定とのことですが、名張市には私に案内役を依頼するような勇気はとてもないということでしょうか、全然お声がかかりません。はっはっは。案内役としてこれほど適任な人間もおらんのだが、そうかそうか、恐ろしくてとても依頼などできんのか。はっはっは。


 ■9月29日(月)
だらけきってしまって近況報告 

 いかんなあ。なんかもうすっかりだらけきってしまっております。いかんなあまったく。